第一章 カデンツァ王国へ(二)
(ルフランでテナーが仲間になって、グラツィオーソを出て、それから船に乗ったんだっけ――)
彼らは私のことを、もう仲間だとは思っていないだろうけど。
魔族であることを明らかにしてしまった以上、一緒にはいられない。
騙していたことを、恨んでいるだろうか。
魔族である私を、憎んでいるだろうか。
捻った足を引きずりながら歩くアレグロの脳裏に、五人での旅路が過る――
♪ ♪ ♪
「こういうことは、今までしたことがないのだが……」
薄闇の中。
感情をあまり表に出さないアレグロにしては珍しく、その声には戸惑いの色が混じっていた。
「心配しなくてもいいよ。僕に任せてくれれば、ね」
そんな彼女の肩にそっと手を乗せたのは、つい最近仲間になったばかりの青年――テナーである。
二人がいるのは埃っぽい小部屋だった。窓はなく、外から中の様子を覗き見られることもない。
「その……下手だと思うのだが。本当にいいのだろうか」
アレグロはテナーに背を向けて呟く。
「こういうのに下手も上手もないさ。楽しめればいいんだよ?」
その言葉の後半は、扉の向こう側から聞こえてくる拍手と重なった。
「そろそろ出番みたいだ、行こう」
リュートを片手に扉を開けたテナーのあとを、アレグロは少し緊張した面持ちで続いた。
寝食のための大部屋へ出ると、「待っていました」とばかりに船員から拍手が沸き起こった。その中にはアルトとカノンの姿もあった。
「それでは一曲……」
揺れる船室で、テナーがリュートを掻き鳴らす。
アレグロは小さく息を吸うと、彼の奏でる曲に合わせて歌い始めた。
――それは、身分違いの恋の歌。
貴族の男と貧民の女。互いに平民を装いながら密会を重ねていく。
しかし男の正体を知ってしまった女は、嘘をつくことを心苦しく思うようになる。
やがて女は男の前から姿を消していく――
ありふれた悲恋の物語を、アレグロはいつもの凛とした声で、しかしどこか切なげに歌い切った。
しばしの静寂の後、割れんばかりの拍手が二人に送られる。
「いやあ、いい歌だったよ。特に声がいい! 歌手になれるね」
と、船員の一人がアレグロに声をかけた。
「……ありがとう」
アレグロは照れたように俯き、小さく礼を述べた。
「テナーもすごいわ、楽器まで弾けるなんて」
「お二人とも、とてもよかったです!」
早々に持ち場へ戻った船員たちと入れ替わるようにして、カノンとアルトが二人の近くへやってくる。
「僕も、科術士よりは楽師になりたかったからねぇ。――ところで、シェント君は?」
テナーの言うとおり、シェントの姿だけ見当たらない。
「風に当たってくるとは言ってましたよ」
「見てくるわ」
アルトとカノンは顔を見合わせて頷くと、二人で甲板へと向かった。
「ああ、シェント君は乗り物に酔いやすいんだったね。船なんて最悪なんじゃないかなぁ……」
苦笑を洩らしたテナーは、「それにしても」とアレグロに向き直った。
「本当に上手だったよ、何より心がこもっていた。アレグロちゃんも、恋でもしてるんじゃないのかい?」
「恋、というのはよくわからないが……言いたくても言えないことは、私にもあるから」
「……なるほど、それで共感しちゃったわけだね」
余計なことを言って悪かったなぁ、と思いつつも、テナーは慈しむような眼差しをアレグロへ向けた。
♪ ♪ ♪
「だから船は嫌だったんだ……ちきしょー……」
甲板で柵に寄りかかったままシェントは悪態をついた。
風に当たれば少しは気分もマシになるだろうと思って甲板に出たのだが、たいして変わらなかった。海に出る船と違って、速度もそこまで速くないのだ。風もほとんど吹いてこない。
「船以外なかったもんなあ……わかってたけどさあぁ……」
柵にもたれたまま、ずるずると座り込むシェント。
グラツィオーソ王国があるダル地方と、カデンツァ王国があるセーニョ地方の間には巨大な森がある。ダル=セーニョの森、別名「魔の森」と呼ばれるその森を通ってカデンツァへ行くことは、まず不可能だ。
そこでシェントたちは陸路ではなく、森を縦断する巨大な河を通ってカデンツァへ向かうことにした。とはいえ、グラツィオーソからカデンツァへの直行便はない。一行はルフランで手紙を託したあとグラツィオーソを出て、とある港町で貨物船に乗せてもらったのだ。護衛として雇われることで。
旅客船でなく貨物船に乗り込んだのは、そもそも旅客船の便が少なかったからだ。
カントリアが魔物に襲撃された話がここ数日で広まり、魔の森を突っ切る河を通るのは危険と判断した船長が多かったのだ。
とはいえ、水上で魔獣に遭遇することはまずない。
基本的に魔獣は人間に敵意を持っている。「魔獣」とは、人間にとって脅威となる生き物の総称でもあるのだ。
だが、水中に住まう動物はほとんど人を襲ってこない。そのため魔獣がいないと言われているのである。船の上にいるから襲われない、というのもあるが。
要するに、護衛といっても船での仕事の手伝いなのだ。それに乗船の金なら結構な額を払っている。
船旅はシェントが船に酔うこと以外、順調だった。




