第一章 カデンツァ王国へ(一)
田舎町ルフラン。
街道から近い町ではあるが、ルーエやリベラといった主要都市とは反対のところにあるため、町の規模は小さい。シェントたちが立ち寄ったなかでは一番小さな町である。
そして、ここがアルトと近衛兵が合流する第二の地点であった。
こんなところに豪華な馬車で来ればかえって目立つのではないか、とシェントは要らぬ心配をしたが、幸いにも近衛兵はまだ到着していないようだった。
シェントは変装を止めたアルト、カノンと共に、とある酒場へ向かった。
顔を覚えられるのを避けるため、アルト一人で行かせることも考えた。だが、護衛として雇われる前に素性を調べられている可能性もある。だとすれば共にいたほうが自然ではないか。手紙の内容が、脅されて書いたものではなくアルト自身の意志だとわかってもらえるのではないか。
そのような考えから連れだって酒場へ来たのだった。まあ、シェントがアルトを誘拐するような極悪人だと思われてしまえば、それまでなのだが。
ちなみに、アレグロは近くの別の酒場で待機している。四人で来てもよかったのだが、アレグロがここへ来ることを拒んだのだ。
店主に手紙を渡してきた三人は、待ち合わせの酒場へ入ってアレグロを探していた。
「シェントさん、あそこ……」
アルトがシェントの服を掴む。
言われたほうを見ると、そこにはアレグロと――彼女に話しかけている見知らぬ青年の姿があった。
背はシェントより少し高いだろうか。すらりとしたその後ろ姿に多くの女性は振り向いてしまうだろう。
男のものにしては少々長い髪は――シェントは他人のことを言えないのだが――緩やかに波打ち、夕陽と同じ色をしている。
シェントの位置から彼の顔は見えないが、きっと綺麗な顔立ちなのだろうと感じさせる佇まいであった。
そんな男が、アレグロに声をかけて――否、ナンパをしている。
(な、な、なんなんだあいつは)
嫉妬だの独占欲だの、よくわからない感情がシェントの胸に湧き起こる。それに、アレグロだって明らかに迷惑しているではないか。
しかし、いきなり男のほうに掴みかかって乱闘にでもなったら目立ってしまう。
ここはベタに――アレグロの彼氏でも装うか、とシェントは意気込んだ。別に「仲間」でもよかったのだが。
シェントはアレグロに近づくと、彼女の肩にぽんっと手を乗せ、
「待たせてごめ――」
――ダァンッ!
「……へ?」
何が起こったのか。
いつの間にか床に仰向けになっていたシェントには、すぐには理解できなかった。
――そう、たしかアレグロの肩に手を置いたら、身体が宙に浮いて……
投げられたのは一瞬のことだったが、反射的に受け身を取れたため痛みは少なかった。
「――って、なんで投げ――っ!?」
「ご、ごめん……。そいつの仲間かと思って……」
彼女も彼女で、騒ぎを起こさないよう我慢していたのかもしれない。
珍しく焦るアレグロを見られて、これはこれでよかったかも、と思うシェントであった。
「僕のせいでごめんね――シェント君?」
「どうして俺の名前――っ」
シェントは弾かれたように立ち上がり、謝ってきた青年の顔を見た。
やはり整った顔をしている。やや垂れ目気味で、困ったようなその目は優しそうな雰囲気も漂っている。
何より、シェントはこの顔に覚えがあった。
「――テナー!?」
♪ ♪ ♪
なんだケンカじゃなかったのか、とどこか残念そうな酒場の片隅で。
シェントたち四人と、一人の青年はテーブルを囲んでいた。
「ええと、こちら俺の知り合いで――」
「ちょっと前にシェント君と一緒に旅してた、テナーっていうんだ。よろしくねぇ。年齢は二十一だよー」
片手をひらひらさせてテナーが挨拶する。
シェントは旅に出てすぐ、テナーとパーティーを組んだことがあるのだった。
「アレグロだ」
「カノンといいます」
「ア、アルトです……」
三人もそれぞれ名前だけの自己紹介を済ませる。
テナーの出身はグラツィオーソ王国だとシェントは聞いていた。その彼がアルトの名前を聞いても特に反応しない。アルトの言っていた「王子の名前を知っている者は少ない」という話は本当のようだった。
テナーはシェント以外の三人を眺め、感慨深そうに言った。
「いやぁ、作っちゃってますねぇ……ハーレム」
「げほっ」
飲みかけていた水で咽せるシェント。
「いっそ清々しいよ?」
「違う! そもそも一人は男だ!」
「? だからそういう趣味が――」
「ねえよ!」
趣味ってどんな趣味だろう、と言わんばかりにアルトが目を瞬かせる。カノンは若干引き気味に苦笑し、アレグロはそもそも二人の話に興味がないようだった。
「それにしてもテナー、どうしてこんなところに?」
「んー、前の雇い主から解雇にされちゃってさぁ」
「雇い主に……ということは、テナーさんも戦えるんですか? 武器は?」
興味津々といったふうに尋ねるアルト。場合によっては護衛として雇うつもりなのかもしれない。
「僕? 一言で言えば〈雷〉の科術士だよ」
「科術士……! すごいです!」
「『科術使い』と『科術士』って、どう違うの?」
アルトは目を輝かせ、カノンはシェントを見て問うた。シェントが前者であることを知っているから出てきた疑問だろう。
似たようなことをよく聞かれるのか、彼女の質問にテナーがうんうんと頷いてから答える。
「属性が一つなのは科術使いと変わらないけど、科術士は使える科術に幅があるんだ。それと、なにより基点を科器以外に設定できる。
要するに……たとえば〈雷〉の科術使いなら科器に帯電させることしかできないけど、科術士は敵の真上から雷を落とすこともできるよ」
「そのぶん詠唱にめちゃくちゃ時間がかかるだろ」
「でも僕には抽出呪文がいくつかあるから」
「そうだったな」
面白くなさそうに片頬をつくシェント。
「抽出呪文?」
これにはアルトも疑問符を浮かべる。
その反応を楽しんでいるかのように、テナーがにこりと微笑む。
「呪文ってね、科石によって、つまり人によって全然違うんだ。たとえ似たような科術を使うにしてもね。
そして、科石を加工している〈ナ・リーゼ〉が呪文を決めているんだよ」
「〈ナ・リーゼ〉はあえて呪文を長く設定しているんだ」とシェントが話を引き継いだ。
「級の高い科術ほど――威力の強い科術ほど詠唱に時間がかかるようにな。だから、呪文のなかには科術の発動に必要ない節もある」
「その節を見つけ出して省略しちゃう――本当に必要な呪文だけ抽出して唱えるのが、抽出呪文っていうんだよ」
「法則を見つけ出さないと、まず無理な芸当だ。それをテナーは一つじゃない、いくつも発見してるんだから……恐れ入るよ」
シェントは素直にテナーを褒めた。
実際、以前会ったダシュティのように、科術使いでも抽出呪文を持っている者はいる。
だが、シェントは呪文を分析しようとするたび、強烈な頭痛に襲われるのだった。科術の勉学は嫌いではなかったのだが、自分には向いていないのかもしれない。
「そんなにすごい人だったら雇いませんか!?
テナーさんはどうでしょう、僕たちと一緒に来てくれませんか?」
アルトが身を乗り出して言う。
テナー以外の三人は頷いたり無言だったりで、それぞれ肯定の意を示した。
「僕はいいよ。どこに行くんだい?」
「カ……カデンツァ王国です」
なんとなくアルトは声を潜めた。
行き先を聞き、テナーも少し目を見開く。
「それまた……どうしてだい?」
「噂の真相を確かめに……」
言葉を濁したアルトだったが、テナーはふっと笑って言った。
「わかったよ。僕も皆の仲間に加えてくれないかな?」




