表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
嘘つきたちの協奏曲  作者: ヤマノ鹿子
Ⅰ 旅立ちの前奏曲~プレリュード~
3/60

第一章 五年に一度の祭り(二)

 ――会ったところでどうするのか。


 自問を繰り返しながらも、シェントは少女のもとへ足早に近づいていく。

 少女は窓に面した席に一人腰かけ、外の風景を眺めていた。

 いや、実際にはガラスに反射する店内の景色を見ているのだろう。その証拠に、窓に映る彼女と目が合ってしまった。

 とうとう心を決めたシェントは、


「昨日はどうも」


 少し皮肉な響きを持たせながら少女に話しかけた。


「昨日?」


 少女が冷めた目で振り返る。


「その声……。お前、どこかで――」

「だ、だから昨晩そこの森で!」


 シェントの声は変に裏返った。

 少女は軽く目を閉じ、


「――ああ、あのときの」


 数秒かけてようやく思い出したようだった。

 だが――


「ここまで来るとは、いったい何の用だ?」


 あらぬ誤解、再び。

 少女は腰を浮かせて臨戦態勢を取り、半眼で睨んできた。


「違う、偶然だ!」


 とっさにわめくシェント。

 自分と同年代だと思われるこの少女は、どうも早合点が過ぎるというか、常に何かを警戒しているように見える。その姿は薄暗い路地を忍び歩く野良猫を連想させた。


「隣、いいかな」

「……」


 少女は無言で窓のほうを向き直った。それを肯定と捉え、シェントは椅子に腰かけた。

 テーブルに置かれた空のグラスに目をやり、通りかかった給仕を呼び止める。そしてワインを二杯注文したシェントは、


(さっきの勘定、払ってない……)


 はっとして顎鬚の席を振り返った。

 こちらに気づいた顎髭は歯を見せながら笑い、びしっと親指を立ててきた。上手くやれよ、ということらしい。


「……よし。ええと、俺はシェント。君は?」


 さっそく名乗ってみたものの、シェントは内心頭を抱えた。これではまるでナンパではないか。


「……アレグロ」


 少女――アレグロはこちらに顔を向けるでもなく、独り言のように呟いた。そのせいで、それが彼女の名だとすぐにはわからなかったくらいだ。

 ひとまずシェントはほっと胸をなでおろした。無視されなかっただけマシ・・である。


「あ、あのさ。昨日、なんであんなところにいたんだ?」

「お前のほうこそ」

「俺? ちょっと一狩りしようかと」


 曖昧に答えながらシェントは少女の横顔を盗み見る。顔立ちには少し幼さが残っているが、物事を諦観ていかんしきっているかのような、気怠けだるげな表情が貼りついていた。


「そんな得物ぶきで?」


 アレグロはテーブルに立てかけられた長物を一瞥いちべつした。藍色の布に包まれているそれは、シェントの「科器かき」――斧槍ハルバードだ。

 槍の穂先に三日月のような斧頭と小型の鉤爪かぎづめが備わっており、刺突や斬撃など多彩な攻撃が可能である。一方で、身長より長い斧槍を振り回すにはある程度の空間スペースが要求される。

 斧槍使いが単身で森に踏み込むことは自殺行為に等しいと、シェントも重々承知していた。


「金に困ってたからな。そりゃあ魔獣に返り討ちにされる可能性もあったけど」


 入市税だけなら払えたかもしれないが、そうすれば市内ルーエで宿を取ることはおろか、飲み食いさえできないところだったのだ。飢えて死ぬくらいなら、ひと思いに殺されたほうがまだいい。


「お待たせいたしました」


 金がないと打ち明けた矢先、給仕がワインを持ってきた。シェントとしては少々ばつが悪い。

 シェントはワインに手を伸ばしたが、どこか沈痛な面持ちのアレグロに乾杯を促すことはできなかった。


「――あのときお前がいなければ、私は死んでいたのだろうな」

「え、なんで?」


 シェントが聞き返すのももっともである。自分などいなくとも、彼女一人でカルカンドを倒せたのだから。


「時間か」


 それには答えず、アレグロは椅子から立ち上がった。

 柱時計の針は十一時を指している。あと一時間もしないうちに本日の第二試合、話に聞いた優勝候補ファッジの初戦が行われるのだが――つまりは。


「ファッジの初戦の相手って、もしかして……」

「ファッジ? ああ、そのような名前だったかもしれない」


 アレグロは紙幣をテーブルに乗せ、シェントが呼び止めるのも聞かずに颯爽さっそうと去っていった。




   ♪ ♪ ♪




 武闘大会の会場となるのは、何百年も昔に建築された古い円形闘技場である。

 高さは五階建てに相当し、吹き抜けになっていて屋根はない。一階部分には砂利じゃりが敷き詰められており、この「フィールド」で試合が行われる。三階より上には観戦席が設けられ、端に行くにつれて高くせりあがるように造られていた。

 フィールドと観戦席の出入口は別にあるため、試合に乱入する――観戦席から直接一階に降りる――ことは不可能である。


 いくら優勝候補の試合とはいえ、まだ初戦。

 しかし観戦席はほとんど埋まっており、シェントは西側の後方で立ち見することにした。


 まずは東の入場口から今回の優勝候補、ファッジが姿を現した。

 陽に焼けた褐色の肌。短く刈り込んだ黒髪。いかにも戦士然とした風貌である。防御性より機動性を重視したのか、軍装備の板金鎧ではなく皮鎧を着用していた。

 闘技場は一瞬にして歓声に包まれた。まるで勝負が決まったかのような沸き様である。ファッジもそれに答えるように手を振りながら、フィールドの中央に歩を進めていく。

 だが、その歓声も次第にどよめきに変わっていった。

 ファッジの対戦相手、つまり西から入場してきた人物が、古びたロングコートをまとった小柄な少女だったからである。


 数は圧倒的に少ないが、武闘大会には女も参加する。彼女たちの大半が女扱いされることを嫌っており、男に目にもの見せてやろうと意気込むが、力では敵わず敗北することも珍しくなかった。

 ファッジもそのような女剣士との戦いを幾度か経験してきた。腕に絶対の自信があるのか、上気した顔で試合開始の合図を待つ者。己の高慢さに気づかされたのか、対戦相手を前にしただけで身体を硬くする者。

 ところが、目の前の少女は過去のどの相手にも当てはまらなかった。

 彼女は口を真一文字に結び、どこでもない一点をただ見つめている。一見すると緊張しているかのようだが、右手に握った剣を構える様子もない。勝負に対する気迫がまるで感じられないのだ。

 ファッジは小さく唸った。


(こりゃあ、大物かもしれんな)


 直後、審判が掲げていた旗を振り下ろした。試合開始を告げる音楽ファンファーレが高らかに鳴り響く。

 反射的に臨戦態勢をとるファッジ。

 しかし少女のほうは、演奏などまるで聞こえなかったかのように身動みじろぎ一つしない。

 観戦客には少女が怖気おじけづいたように見えたのだろう。さすがにフィールドの中央には届かないが、野次と共に次々と物が投げ込まれてくる。空き缶やら丸めた紙袋やら、果ては装飾品アクセサリーたぐいまで。

 瓶の割れる音で我に返ったファッジは、やれやれとかぶりを振った。


俺は・・いったい何を恐れてんだ)


 ファッジは少女へ不器用に笑いかけると、剣を構え直して地を蹴った。持ち前の瞬発力で距離を詰め、剣を大袈裟おおげさに振り上げる。

 受け流されるのを見越した攻撃とも言えない攻撃。それによって、いまだ突っ立ったままの彼女の実力を測ろうとしたのである。

 当の少女は剣が振り下ろされる寸前になってようやく動いた。後ろへ跳躍して斬撃を回避すると、反撃の素振そぶりも見せずにそのまま後ずさる。


「どうした、そんなんじゃ勝てないだろ?」


 矢継ぎ早に攻撃を仕掛けるファッジ。剣を振るうたび割れるような歓声が湧き起こる。

 少女はといえばファッジの連撃をただかわすだけ。だが、顔色一つ変えないところを見ると、避けるだけで精一杯というわけでもなさそうである。彼女は円舞曲ワルツでも踊っているかのような、軽やかな足どりステップでファッジの剣撃をけていた。

 誰の目から見てもファッジのほうが少女を圧倒している。それでも、ファッジは自らの優位を確信できずにいた。こちらが追い込んでいるはずなのだが、反対に彼女に誘い込まれているような――


「おいおい、試合終わっちまうぞ」


 それでも、ファッジは早くも少女をフィールドの端に追い詰めた。そして、一度も剣を振るってこなかった彼女に大声で問うてみる。


「このまま終わっていいんか? 嬢ちゃんだって、何か目的があって来たんだろ? 実戦を通して強くなりたいとか」

「――わかっていたはずだったのに」


 終始無表情だった少女が、初めてファッジをにらんだ。


「試合に出たところで、無意味だって」

「――っ!」


 その諦めの声に、しかしファッジは息を呑んだ。焦燥しょうそうに駆られ、彼女の退路をなくそうと一歩を踏み出す。

 同時に少女も片足を引くが、そのままったかと思うと地に片手をついた。

 観戦客によって投げ込まれていた空き缶。それに足を取られたのだと理解するより早く、ファッジが大きく踏み込む。


(もらった……!)


 よどみない動きで剣を振りかぶると――


「つっ!?」


 顔面に飛んできた何か・・を、首を動かしすんでのところで避けた。

 その物体はファッジの背後に落ち、カランと乾いた音を立てる。


(缶!?)


 たとえ直撃したとしても所詮しょせんは空き缶。その威力はたかが知れている。

 それでも、一瞬の隙を作り出すには十分であった。


「……卑怯、ではないよなあ」


 彼女の狙いは初めからこれ・・だったのかもしれない。

 フィールドの端まで誘導し、落ちている缶を投げつけ――間髪入れずに剣を突きつけてきた少女に、ファッジは苦々しく微笑ほほえんだ。

 ファッジが己の敗北を悟った、そのとき。


 ぐぎゃああああおぅっ!


 闘技場を揺るがすような、獰猛な獣の声がとどろく。

 突如としてフィールドへ雪崩なだれ込んできたのは、見慣れない灰色の塊だった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ