第六章 嘘つきたちの旅立ち(一)
必要最低限の荷物をまとめ、四人は急いで宿を出た。
外へ出るなり、「あっちに魔族がいるぞ!!」と叫ぶ声が聞こえてきた。
アレグロは肩をびくりと震わせたが、とっさに何食わぬ表情を作った。声を上げた男が数人、アレグロの目の前を通り過ぎていった。
斧槍を握りしめていたシェントが、彼らの去っていったほうを見て呟く。
「めちゃくちゃな噂が広まってるな。――大丈夫か、アレグロ?」
「私……?」
「あ、いや。なんか顔色悪いから」
「べつに。大丈夫」
アレグロはそっけなく答え、手をコートのポケットに忍ばせた。指先はまだ震えていた。
外はコルスが出たとき以上に騒然としていた。魔族がいるという噂が広まり、避難を決め込んだ者が増えたようだ。なかには家財道具を積んだ荷車を引いている者もいた。
人の流れに乗って、人混みを掻き分けながら進んでいると――急いでいたせいで装着が甘かったのか。アクアレルの鬘が外れ、地面に落ちた。
「鬘が!」
鬘は人の波に飲み込まれ、どこへ行ったかわからなくなってしまった。アルトは一人、波に逆らって鬘を探そうとする。
「アル――アクアレル! 戻ってこい!」
「でも、あれがないと――!」
シェントは彼のあとを追おうとするが、移動する人々に遮られなかなか追いつけない。
「これは君の落とし物かね?」
そのとき、アルトの少し先にいた貴族風の男が、鬘を高く掲げて言った。
「僕のです! ありがとうございます!」
なんとか男のもとへ辿り着いたアルトは、鬘を受け取り頭を下げる。
男は目の前のアルトをまじまじと見つめ、「まさか」と声を上げた。
「そのお顔は、殿下でいらっしゃいますか!?」
「え? あ、あの……っ」
正体を言い当てられ、明らかに狼狽するアルト。
アルトは知る由もないが、この男は王都に住まう貴族で、先日の事件を機にフェルツィー神に祈りを捧げに来ていたのだ。
さらに彼はグラツィオーソ国王であるオルケスタと旧知の仲であった。アルトは彼のことを忘れていたが、彼のほうはオルケスタの妻――今は亡き王妃――に似たアルトのことをよく覚えていた。
「殿下って……王子様のことか?」
「王子!? 本当か?」
「貴族が言ってるんだから間違いないんじゃねえの?」
「フェルツィー様に祈るため来たのかもしれん」
「で、殿下……この国を助けてください……!」
周りの人間が一斉にざわめき始める。アルトの顔も見たことない者ばかりだったが、王子がお忍びで来ていると知って、人々はアルトに押し寄せようとした。
「ちっ、走るぞ!」
「え!? ど、どうして」
ようやくアルトを捕まえたシェントは、人々に声をかけてやろうとする彼に鬘を乗せ、人の流れから外れて表門と反対の方向に駆け出した。二人に取り残されないよう、アレグロとカノンも疾走する。
「なんで王族は何もしてくれないんだあ!!」
「あ……違います、違うんです!」
「前見てろ!!」
振り返るアルトを一喝するシェント。
「ま、待ってくれ! 待ちやがれっ!!」
逃げる王子を捕まえようと、老若男女が一斉に追いかけてくる。
「アルト! 馬は乗れるか!?」
「え、あっ、はい!」
「二人とも、俺とアルトの後ろに乗って!」
シェントが振り返ると、アレグロとカノンは困惑の表情を浮かべながらも頷いた。
「だが、馬はどこに――」
「こっちだ!」
カントリアからの脱出経路を探索していたときに、万が一を考えて馬も探していたのだ。
簡単に盗めそうな馬を。
三人を引き連れ、シェントはとある宿屋の厩舎に辿り着いた。
馬も魔物の気配を感じていたのだろうか。見知らぬ人間が侵入してきたというのに、どの馬も怯えたように静かだった。
馬具が付けられたままの二頭を探し出し、シェントはまずアルトに言った。
「乗って!」
「ですが、これって窃盗――」
「逃げなきゃ殺されるぞ!!」
「殺――っ!? 民がそんなこと」
「いいから乗るんだ!! カノンも!」
なおも何か言いかけたアルトだったが、不承不承乗馬した。
「カノンさん!」
「う、うん」
カノンに手を伸ばし、彼女が馬に乗るのを手伝ってやる。
アレグロはシェントの後ろに飛び乗った。
「さあ、正面突破できるか――!?」
厩舎を出てシェントが先を行こうとすると、後ろからカノンが声を上げた。
「裏口があるわ!! 壁が壊れてそのままに――」
「案内して!」
カノンの先導で、一行は表門の反対に伸びる道を行く。
「無能な王族なんていらねえ! 死んでしまえ!!」
「逃げるのか!? 何しに来たんだ!!」
後ろから罵声が飛んできたが、一行はこれを無視して馬を走らせた。
幸いにも、カノンの言った“裏口”らしき壁はすぐに見えてきた。煉瓦造りの壁の一部が崩れており、たしかに人が通れそうである。
王都の堅牢な市壁は、城門で入市税を取るためでもあった。しかしカントリアの場合、税はあってないようなものだ。このような壁の亀裂から人が入ってもさほど気にしないのだろう。
アレグロが声を張り上げる。
「そこ、馬は通れるのか?」
「あ……無理、よね」
「アルト、手前で降りるぞ!」
「は、はい!」
シェントとアルトはそれぞれ手綱を引き、馬を止めた。
馬に暴れられては自分たちも危ない。乗り捨てた馬は、人間を襲わないように木に繋ぐ。手が震え、なかなか紐を結べないアルトに代わりシェントが馬を繋いでやった。
そうこうしているうちに後ろから人々が迫ってきた。見れば、剣や槍といった武器だけでなく、鍬だの鉈だのを握りしめた者もいる。なかには箒を振り上げている女さえいた。
このままでは追いつかれる。
「先に行け!!」
壁へと駆ける三人の背に向かってシェントは叫んだ。
一対一ならまだしも、多勢を相手するとなると加減は無理だ。致命傷だって与えかねない。それに、なにより自分の身が危うい。
だが、ここで彼らを足止めしなければ全滅するだろう。
シェントは立ち止まって、アレグロたちに背を見せた。
たとえ死ぬことになっても、彼女たちを守れるのなら――
「あ……」
シェントの思惑に気付き、アレグロは振り返って足を止めた。背丈も髪色も違うというのに、シェントの後ろ姿が〈アコルト〉の彼女と重なる。
次の瞬間、その背中から槍が生えてきた――ように思えた。
「死なないでぇ――っ!!」
それは、シェントが初めて聞く、アレグロの腹の底からの叫びだった。
「ちょっ、アレグロ!?」
戻ってきた彼女に右腕を強く引かれ、シェントは呆気にとられたまま走った。
彼女の顔を一瞥し、はっと息を呑む。
アレグロの緋色の瞳が、涙に濡れて揺らめいていた。
「こ、このままじゃ追いつかれるぞ!? いいから離して――」
「白の壱を使う!!」
アレグロがシェントを引っ張ったまま言い放った。
それは、彼女が四万ノーツで買った希少な石。
目が開けられないほどに眩しい光を放つ光石。
「合図するまで目を瞑っていて。そのまま私と走って」
彼女の意図を理解して、シェントは力強く頷いた。
アレグロは迫り来る人々を一瞥すると、シェントの手をぎゅっと握って囁いた。
「目、瞑って」
同時にアレグロも瞼を閉ざし、右手の光石を口に近づけた。
「リュイザン、エラ」
目を固く瞑った状態で、力の限り光石を遠くへ投げる。
「きゃあ!?」
「眩し――っ!!」
「なんだこりゃ!?」
直後、驚愕の叫び声が上がった。
「走って!」
「ああ!」
アレグロとシェントは後ろを振り返り、壁の外へと向かった。
はぐれないように手を繋いだままで。




