表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
嘘つきたちの協奏曲  作者: ヤマノ鹿子
Ⅰ 旅立ちの前奏曲~プレリュード~
27/60

第五章 汝、世界を疑うことなかれ(五)

 鐘の音が二度、頭上から降ってきた。


 ダシュティと別れたシェントは、“ゲート”と呼ばれる塔の一階に来ていた。

 外から見た塔の高さは四、五階に相当する。フェルツィー神がこの地に降り立つための目印とされているが、時計塔の機能も兼ねている。とはいえ塔の外に文字盤はなく、所定の時刻に鐘が鳴るだけ。これもフェルツィー神が降臨し、天へ戻ったとされる時刻をたみに告げるためである。

 上の階には鐘を鳴らすための機械室があると思われるが、一階部分は礼拝堂よりも華やかだった。床から一階の天井近くまではめられた窓には、色ガラスで模様がえがかれている。東の窓から入る日光のおかげで、木の床にも柔らかな色が浮かんでいた。


 シェントは小さく息を吸うと指輪の石に――〈風〉の科石に呪文チューンを唱え始めた。

 上級科術の詠唱を最後まで行うのは実に半年ぶりである。

 それでも身体に覚えこませるために何百回、何千回と唱えてきた呪文だ。冒頭さえ詠唱できてしまえば、あとは歌を歌うように自然と続けられる。


「ルフ・ティヒエル……アンテ・セヴェーロス・フォルツァート……」


 彼のように、科術使いとは「どっちつかずな存在」である。

 本来、剣や槍は近接戦闘で使われる。しかし呪文を唱える間、術者は科器を固定しなければならない。詠唱中、科術使いは何の攻撃もできず、前線に出ることができないのである。

 かといって、科術士のように科術を自在に操れるわけでもない。

 科術士であれば科術の発動点をある程度自由に設定できる。標的ターゲットの動きさえ予測できれば、真上から科術を落とすことも理論上は可能である。一方、科術使いの発動点は科器にしか設定できない。ダシュティのように得物ぶきに〈炎〉をまとわせたり、シェントの〈舞風〉のように得物から〈風〉を出したりするしかない。


「オ・ラージュ……トルメンタ・シュトゥル……」


 このように中途半端な「科術使い」に、なぜシェントがなったのか。それは物心ついたときから斧槍ハルバードを操り、簡単な〈風〉の科術をすでに覚えていたからである。

 物心ついたときから、といっても――


「ムヴィントゥ……ラカーン・ア・イリヒ…………」


 朗々と呪文を唱えるシェント。

 アレグロが記憶喪失と知って愕然がくぜんとしていた、この少年もまた――十歳より前の記憶がなかった。




   ♪ ♪ ♪




 コルスを引き連れていたダシュティは、転がるように“門”へ飛び込んだ。観音開きの扉の片方を開け、コルスが中に入るようにそのまま開け放っておく。


「ヴィオレン……ツァエストロ・アウフ……ゲレーク・トリュー・ド……」


 ほんの一瞬だが、ダシュティは差し迫ったこの状況を忘れて、それ・・に聞き入ってしまいそうになった。

 色つき窓ステンドグラスを背に、よく通る声で呪文を唱えているのは、「おとりになれ」と言ってきたシェントである。

 とうに変声期を迎えた、年相応の声の低さ。だが決して暗くはなく、明瞭な声で伸びやかに、まるで天に歌うかのように詠唱を続けている。

 ダシュティはシェントに目配せし、彼の背後に回り込んだ。直後、コルスの群れが塔内に飛び込んできた。

 シェントが一際ひときわ低い声で詠唱の終わりを――科術の発動を告げた。


「世界よ、我をゆるしたまえ――〈鎌鼬かまいたち〉」


 詠唱の終わりに合わせてシェントは斧槍を横にいだ。

 刹那せつな、突風が吹き荒れたかと思うと、三日月の形をした無数の〈風〉のやいばがコルスに襲いかかる。

 本来であれば風そのものは目に見えない。しかし自然の風とは違い、科術の〈風〉は可視である。薄緑色で鎌の形をしたそれは、むしろ草原で風に舞う草葉のように見えた。


 きゅ――っ!?


 旋風でコルスが舞い上がる。次々と〈風〉に切り刻まれ、虹色の光になって霧散する。


 窓を通して差し込む、色とりどりの光。

 風に舞う若葉のような薄緑の〈風〉。

 次から次に虹色の光へと姿を変えるコルス。

 それは、この世のものとは思えない幻想的な光景だった。


 コルスたちの最期は存外あっけないものだった。

 魔物コルスの群れが消滅したあとには、無傷の人間が二人と、〈鎌鼬〉で壁や床がずたずたになった“門”が残された。




   ♪ ♪ ♪




 コルスを一掃いっそうし、ダシュティとシェントは“門”の外へ出た。まだ他にもひそんでいるかもしれないが、さっきの群れよりは少ないはずだ。

 ダシュティはシェントに懐中時計を返した。


「時刻のずれ・・を反対に利用するとは、よく考えたな」

「このために時計がおかしくなってたのかもよ?」


 シェントはからりと笑った。

 〈鎌鼬かまいたち〉の詠唱には三分かかる。“門”の十一時の鐘で詠唱を始めれば、三分遅れの懐中時計が十一時を指すころには科術が発動できる。


「――さて、そろそろ退散したほうがいい」

「“門”をこんなにしちゃったからなあ……」


 シェントは扉を開け放ったままの“門”を振り返った。

 〈鎌鼬〉のやいばによって壁紙は剥がれ、木の床にはいくつもの傷が刻まれている。


「でも、俺は残るよ。カントリアの人に説明しないと」

「言ってもわかってもらえんかもしれんぞ」

「そうだろうけど」


 神のための“門”を傷つけたのだ。魔物を倒すために仕方のないことだったと話しても、一方的に責められるかもしれない。


「自分は人を探しているから――ここまでで、すまん。気をつけるんだな・・・・・・・・


 ダシュティは毅然きぜんと告げると、シェントに背を向け歩いていった。

 「臆病者」など恨み言を言うつもりはシェントにない。むしろ人探しの途中で巻き込んでしまって悪かったな、とシェントは思った。

 ダシュティと別れてしばらくすると、


「おーい! フェルツィー様は、フェルツィー様はおいでになったか!?」


 案の定、礼拝堂のほうから十数人が駆け寄ってきた。その中には青ざめた顔のリエの姿もあった。


「あの、それが……大丈夫です、コルスはもういません。ほとんど俺ともう一人が――」


 シェントは人々を安心させようと、コルスを消し去ったことから話すことにした。


「コルスが、もういない?」

「はい。一か所におびき出して、俺の科術でまとめて倒しました」

「『一か所に』って……まさか、おまえ……」


 一人の男がシェントの横を通りすぎ、“門”の中を覗き見た。


「ああああ!? “門”が、“門”が……!!」


 男の絶叫を聞き、皆が一斉に“門”へ走る。 


「おま、おまえ……なにも“門”でコルスをぶっ倒すことなかっただろ!?」

「やりすぎよ、こんな、こんな……!」


 それは思った通りの反応だった。納得してもらえないかもしれないが、それでもシェントは反論を試みる。


「でも、ここじゃないと――」

「うるせえ黙れ!! “門”をこんなんにしやがって。何を考えてるんだ、ああ!?」


 男が肩をいからせながらシェントに詰め寄ってきた。今にも掴みかかってきそうな勢いだ。

 そのとき、聞き覚えのある声が割り込んできた。


「“門”なんて、べつにいいじゃない! シェントはコルスを――ううん、魔物・・を倒してくれたんでしょ!? みんな助かったのよ!!」

「カノン……!」


 いつの間に来ていたのか。弓矢を持ったカノンがシェントを押し退け、男の前に立ちはだかった。


「カノン、やめろ。それ以上言うな」

「でも!」

「下がって」


 怒鳴どなられたわけではないが、カノンはびくりと身体を震わせた。シェントの声は落ち着いていたものの、有無を言わさぬ迫力があったのだ。


「というか、俺の後ろに隠れて」


 シェントに言われるがまま、カノンは彼の背に回り込む。


「や、やはり魔物だったのか?」

「魔物が出たということは、この中に魔族もいるんだろ!?」

「……やっぱりそうなるんだなあ」


 近くにいたからこそ聞こえた、シェントの諦めたような声。なぜかそれに恐怖を感じたカノンは、シェントから二、三歩離れた。


「くそ……魔族はどこだ!! 旅人に紛れてんじゃなかろうな!?」

「おいおい、なんで旅人だけが怪しまれなきゃならないんだよ!」

「誰だ、今喋ったやつは!? そんなことを言うやつほど怪しいんだ!」

「ああん? 黙って聞いてりゃ、さっきからごちゃごちゃとうるせえな。てめえも十分怪しいぜ!?」


 集まっている人間の中にはカノンも知っている顔がある。彼らが旅人のことを悪く言うのは、ほとんど聞いたことがなかった。


「ね、ねえ、皆さん……どうしてそんなに恐れているの……?」


 騒ぎのなか、リエが人垣ひとがきを割ってふらりと前に出てきた。

 美しいと評判だった彼女の生気を失った姿に、皆は思わず黙り込む。


「魔族がいたとしても、フェルツィー様が守ってくださるのよ……? 御言葉を信じて――」

「なにが御言葉だ! なあ、フェルツィー様は、今ここにいるか? いないだろ!?」


 旅人だろうか、カノンの知らない男がわめく。

 リエは何か言いかけたが、黙ってうつむいてしまった。

 カノンもたまらずリエから目をらす。


「カノン……おまえ、さっき“門”なんてどうでもいいと言ったよな……?」


 町人の一人が聞いてきた。

 どくん、とカノンの心臓が跳ね上がる。リエの前でさっきの言葉をもう一度言うのは躊躇ためらわれた。


「それは、だって仕方のなかったことなんでしょ!?」


 半ば自棄やけになって言い返すカノン。


「彼女は関係ありません」


 シェントがカノンをかばうように立つ。

 そのとき。


「きゃあ!」

「おい、おまえさん何を!」


 悲鳴の上がったほうに目をやり、カノンは息を呑んだ。


「リエ……!?」


 何も持たずに部屋を飛び出したはずのリエが、なぜかナイフを手にしていたのだ。


「お、俺のナイフ!」


 旅人の青年が叫んだが、リエに鬼気迫るものを感じ、取り返すことなく固まっていた。

 ナイフを腹の前で握りしめたリエが、にこりと微笑ほほえんだ。


「カノン、危ないわ。その旅人さんから――シェントさんから離れて」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ