第五章 汝、世界を疑うことなかれ(一)
斧を手にした人影がそこまで迫ってきているというのに、私は腰を抜かしたまま固まっていた。
――逃げないと、殺される。
早く早くと急かしても、身体はぴくりともしない。
視界に飛び込んできたのは、見慣れた後ろ姿。背中で踊る金髪。
振り下ろされた鈍色の斧。
――ほら、また殺された。
私は彼女の――リーダーの最期を覚えていない。
そのせいかもしれない。この世界でリーダーは、剣で心臓を一突きにされることもあれば、鍬で頭を叩き割られることもあった。
ここは、薄れてしまった記憶をもとに構築された世界。
夢の中だ。
「アレグロ、逃げな」
仰向けに倒れ込んだリーダーが唇を震わせる。不思議なことに、割れた額から血は流れていなかった。
「違うよ、私はアーチェだよ――」
リーダーの声はいつもと変わらずはっきりしていた。それでも、やはり意識は朦朧としているようだ。私がアレグロと名乗るようになったのは“あの日”からなのに、どうしてその名を知っているのだろう。
「ね、リーダーも一緒に逃げよう?」
リーダーは仰向けになったまま首を小さく横に振った。
「じゃ、じゃあ……ルーエで待ってるから。何かあったら、そこの武闘大会で合流するって……〈アコルト〉の約束だったよね? ちょうどよかった、大会は今年だよ。皆も、きっとそこに――」
シュテイルも。
グランも。
レヴィアンカも。
そして、フォルテも――
「いないよ。もうわかってんだろ?」
リーダーが呟いた。視線は私にではなく、曖昧な色の空に向けられている。
「…………うん、わかってる。わかってるけど」
かつての仲間は誰一人として武闘大会に参加していなかった。
魔物が襲ってきた“あの日”、私の仲間は死んだのだ。
私の目の前で。知らないところで。
私を庇って殺された。
仲間を殺したのは魔物ではない。彼らと同じ人間だ。
――“あの日”、私は一人で逃げたんだっけ?
「今は一人じゃないんだろ?」
「それは……どうだろう」
私は顔を上げた。斧槍を肩に担いだ少年と目があった。
リーダーがけらけらと笑う。
「なあんだ。斧じゃなくて、斧槍だったのかい」
彼は私に斧槍を突きつけてきた。先端では緑色の科石が煌めいている。
「どうしてここに? だって、これは……シェントに会う前のことなのに」
「夢だからさ」
答えたのはリーダーだった。
「騙してたんだな」
シェントが吐き捨てるように言った。目には憎悪の色が浮かんでいる。
「そうさ、アレグロは魔族だよ」
リーダーは笑った。
その誇らしげな笑みは、私を褒めてくれるときの表情と変わらなかった。




