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嘘つきたちの協奏曲  作者: ヤマノ鹿子
Ⅰ 旅立ちの前奏曲~プレリュード~
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第四章 新たな出会い 近づく別れ(四)

 王都が魔物に襲われたと聞いて、しばらくは夜も眠れなかったわ。

 けれども、それをきっかけにたくさんの人が祈りを捧げるようになったのは、とても喜ばしいことだと思うの。


 ああ、でも――もしもまた、この国が魔物に襲われるようなことがあったら?

 皆はフェルツィー様のこと、信じなくなってしまうのかしら。

 今になってお祈りするような人たちだもの。フェルツィー様を心から信じているわけではないのでしょう?


 だから、どうか。

 フェルツィー様ご自身のためにも。


「この世界をお護りください、フェルツィー様」




 東の空がしらんできた頃。

 礼拝堂では金髪の少女が一人、熱に浮かされたように祈りの言葉を唱え続けていた。




   ♪ ♪ ♪




 ベッドに仰向けになっているアルトのひたいに、シェントは手袋をしていない右手を当てた。


「旅の疲れによる発熱、ってとこか」

「すみませ――けほっ」


 毛布を口元まで引き上げ、咳き込みながら謝るアルト。


「謝らなくていいのに」

「はい、すみません……」

「だから――まあいいや。寝とけば治ると思うけど、出発は明日だしなあ。薬がないかカノンに聞いてみるよ」

「そ、そのう……カノンさんのことですが……」


 アルトはきゅっと毛布を握り、おずおずと話を切り出した。


「気に入ったんですか?」

「……は?」


 シェントの目が一瞬にして細くなる。

 ――何を言ってるんだ、こいつは。


「僕、そういうのには敏感なんですよ」


 アルトはおもむろに身を起こし、呼吸のたび上下する胸を張った。


「はあ、そうですか。

 病人なんだから――」


 シェントはアルトの額にもう一度手を当てると、


「寝てろ!」

「わっ!?」


 熱でふらつく身体を強引に倒し、すかさず毛布を被せた。それも頭のてっぺんまで。

 そのままきびすを返したシェントに向け、跳ね起きたアルトが顔を真っ赤にしてわめく。


「何するんですか!? まだ寝ませんよ、薬も飲んでないのにっ」

「だったら、何か食べてから飲んだほうがいいんじゃないか?」


 何事もなかったかのように、いけしゃあしゃあと言うシェント。


「……じゃあ果物がいいです」


 アルトはふてくされたように、しかしどこか気恥ずかしそうに俯いた。


「果物ならなんでもいいか?」

「今ここで買えるものが何か、わからないので……」

「あー、王室には色々と集まってくるからなあ」


 シェントはがりがりと頭をいて言った。そして今度こそ部屋を出ようとしたが、


「なあ、どうしてそう思ったんだ?」


 ドアノブに手をかける寸前、振り返ってアルトに尋ねた。


「さっきカノンが――というか、俺がカノンをどうとか言っただろ?」

「え、ええ。カノンさんにだけ態度が違ったから」

「態度? 具体的には?」

「口調、ですか?」

「『ですか?』って聞かれても。まあ確かに――」


 片手で顔を覆い、独り言を続けるシェント。


「でもなあ、あれ・・が普通というか……つい、癖で?」

「ど、どうかしました?」

「なんでもねえよ」


 シェントはわざとらしく吐き捨て、さっさと部屋をあとにした。




   ♪ ♪ ♪




 今日は仕事が休みなのか、カノンは制服ではなく昨日と同じような服を着ていた。


「熱冷ましならリエ特製のものがあるわ。リエは昔から薬草に詳しくて、私も熱が出たときにはよく飲ませてもらってたの。あのときも――」


 シェントがアレグロと宿を出たのは、カノンの思い出話にしばし付き合った後だった。

 市場へ行くだけだというのにアレグロは腰にカタナを差していた。とはいえ、アルトに斧槍ハルバードを預けて来たシェントも、丸腰ではまずいだろうと左腰にナイフを吊ってきた。

 ルーエでは斧槍を持ち歩いていたが、それは安い大部屋に数人で泊まっていたからである。見ず知らずの他人も使う部屋に得物ぶきを置いて外出するわけにはいかなかったのだ。武闘大会期間中だったこともあり、斧槍を抱えて歩いてもさほど目立たなかったからよかったのだが。


 市場へ続く道は途中から緩やかな下り坂になっていた。市場まで来ると道幅は倍以上に広がり、両脇に露店や商品を積んだ荷車が並んでいた。

 坂を下りきってすぐの果物店で二人が買い物をしていると、“ゲート”のある方角から鐘の音が響いてきた。


 一回、二回、三回――


 シェントは鐘の音を数えながらカノンの話を思い出していた。その鐘は“門”を開くときに三回鳴り、一時間後には二回、そして正午に一回、毎日自動的に鳴るのだという。


「三回は、たしか十時だったっけ」


 シェントは左腿に巻きつけたポーチから懐中時計を取り出し、蓋を開いた。

 この時計を手にしたのは数週間ぶりだ。貝の内側の真珠層を貼りつけた文字盤が、陽光を受けて虹色にきらめいた。


(久々に見たけど、三分くらい遅れてるな)


 そのうちどこかで調整してもらうか、とシェントは時計をしまった。


 他にも必要なものはあったのだが、二人は来た道を引き返すことにした。

 並んで坂を上っていく途中で、シェントは前を見据えたまま口を開いた。


「あのさ、明日で終わるだろ? アクアレルの護衛。そのあとは、やっぱりまだ〈アコルト〉を探すのか? 記憶を取り戻すために」

「ああ、彼らなら昔の私を知っているだろうから」

「――もしもの話だけど、会えなかったら?」


 アレグロの返答は早かった。


「どうして?」

「どうして、って……」


 もう会えないと思った理由を尋ねているのか。それとも、「なぜ希望を打ち砕くようなことを言うのか」という恨み言のつもりなのか。

 意図を図りかねていると、アレグロが立ち止まって項垂うなだれた。


(な、泣かせてしまったか!?)


 顔を覗き込もうと少し膝を折ったとき、視界の端で何かが動いた。シェントは地面に視線を向け、


「ああ、コルスか」


 と安堵あんどのため息をついた。アレグロは泣いていたのではなく、足先にじゃれつく一匹の魔獣を見ていたのだ。

 尾を除いた全長は成人男性の手のひらほど。体格は兎に似ているが、耳は短く丸い。細長い尾が特徴的で、個体差こそあれその長さは人の手首から肘までとそう変わらない。他の魔獣と違って街中で見かけることも多く、人々も慣れっこになっていた。

 アレグロが片足を上げるとコルスは逃げるように坂を下っていった。

 途切れた会話の続きをするでもなく、二人は黙って坂を上っていく。

 二人の間に流れる気まずい空気は、しかしすぐに払拭ふっしょくされることとなる。


「きゃああああ!!」

「――っ!?」


 後方からの悲鳴に、アレグロは弾かれたように振り返った。

 一方のシェントは一瞥いちべつをくれることもなく、「さっきのコルスだろ」と肩をすくめた。他に比べて馴染みがあるとはいえ、コルスも魔獣には変わりない。それこそ叫んでしまうほど苦手としている人もいるのだ。

 アレグロも「なんでもなかった」と言って、すぐにまた歩き出すだろう。彼女のかすれた声を耳にするまで、シェントは事を深刻に捉えていなかった。


「あ……なん、で……」

「アレグロ?」


 只事ただごとではないと察し、焦りの表情を浮かべながら振り返るシェント。


「……は、はは。やっぱりコルスだっただろ」


 コルスは人間が踏みつぶせるほど小さな魔獣である。二人がいる場所からは目視できるはずもないのだが――シェントは無理に明るい声で続けた。


「…………うん、どう見ても・・・・・コルスだよな」


 後ろ足で立ち上がっているそれ・・は、露店をはるかに上回る大きさであった。見たことも聞いたこともないほど巨大なコルスが、泡を吹きながら痙攣けいれんしていたのだ。


「……」


 市場で買い物をしていた人。坂を行き交っていた人。皆一様にコルスに視線を投じているのだが、騒ぐでも逃げるでもなくその場に固まっている。

 辺りはしんと静まり返り、シェントもまた言葉を失っていた。


「はああああっ!!」


 その静寂を打ち破ったのは男の太い声と、


「よせ、無茶だぁ!!」


 と彼を制止する言葉だった。

 男の武器が何なのか、シェントの位置からは確認できないが――その攻撃は意外にも効いたらしい。コルスが地に前足を着き、黒色の毛を激しく逆立てる。

 直後、コルスの身体が破裂した。


「へ?」


 予想していなかった展開にシェントは間の抜けた声を洩らす。まさか男が爆薬を投げつけたとでもいうのか。

 破裂したはずのコルスは血や肉片を撒き散らすことなく、輪郭を残したまま黒色の粒子となった。まるで巨大な点描である。

 絶句するシェントの髪を生暖かい風が揺らす。

 粒子は風に漂うこともなく、一点に収束して黒いまるとなった。まるで中空にぽっかりと穴が空いたかのように。

 そして。


「コル……ス?」


 そこから手のひら大のコルスが現れ、重力に引かれて地面に落ちていく。一匹だけでなく、次から次に、連なるようにして。

 穴から生まれ落ちたコルスはあっという間に積み重なり、地面に山を作っていった。

 山になっているのは襲いかかってきた男にのぼっているからなのだろう。彼は濁った叫び声を上げ続けていた。

 いくら害のない魔獣とはいえ、コルスは兎と同じような前歯を持つ。これだけ多くのコルスにかじりつかれては、男も長く持たないはずだ。現に、彼の獣のような咆哮ほうこうはすぐに聞こえなくなった。

 代わりに人々の鼓膜を震えさせたのは、怒気を含んだ叫び声。


「こ、この、魔物・・め!!」

「どっかいきやがれえっ!!」


 その言葉に答えるように、コルスが一斉に離散した。


「逃げるぞ!!」


 シェントは紙袋を投げ捨ててアレグロの腕を掴んだ。

 彼女を引きずるように走りながら、状況の整理を試みる。

 そもそも巨大コルスはどこから現れたのか。アレグロの足にじゃれついていた、あの小さなコルスが巨大化したとでもいうのか。


「なんなんだよ、いったい!」


 考えてもまとまらない気がして、シェントはただ逃げることに専念しようと決めた。

 思考することをめてようやく、アレグロの足が遅いことに気づく。腕を引かれているせいで走りにくいのだろう。

 シェントは立ち止まって彼女の腕から手を離した。


「ごめん、いきなり――」


 アレグロを振り返って、シェントは息を呑んだ。

 出会った森で、そしてルーエの闘技場で。彼女は魔獣に襲われても、冷静に対処していた。

 そのアレグロが今、身を小さくして震えている。


「はっ……はあ……」


 大した距離は走っていないのだが、彼女の息はすでにあがっていた。


「まさか、怪我でもした!?」

「う、ううん。大丈夫、だから……」


 弱々しく首を振るアレグロ。答える声はか細く、口調も普段のそれとは違う。


「……ひとまず宿に戻ろう」


 シェントがアレグロの手を取ると、彼女はしがみつくように強く握り返してきた。

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