第四章 新たな出会い 近づく別れ(二)
アクアレルとアレグロのところへ辿り着いたシェントは、手にしていた皿をテーブルに置いた。
「悪い、寝坊した」
「いいえ、こちらこそすみません。先に朝食を食べてしまいました」
「アクアレル、謝る必要はない。シェントが遅いだけだ。
――なんだ、それは」
アレグロは不機嫌そうにシェントを睨みつけたものの、すぐに皿の上の食べ物に興味を示した。
「オレンジの砂糖煮。給仕の女の子とぶつかっちゃったんだけど、そのお詫びにだって」
シェントは白髪の少女とぶつかったときのことを思い出し、「俺が悪かったんだけど」と付け加える。
込み合う食堂でようやく二人の姿を見つけたシェントは、つい早足になった。そのせいで給仕の少女とぶつかり、トレーの上の食器が落ちてしまったのだ。
迷惑をかけたお詫びにと渡されたのが、この砂糖煮だった。
「ふうん、そう」
「もらっておきながら言うのもなんだけど、甘いもの苦手なんだよなあ。これ、砂糖で煮ちゃってるから……」
「贅沢な。そうしないと保存が利かないだろう?」
「ああ、そりゃそうか。――よかったら食べない?」
シェントが聞くと、アレグロは「仕方ないな」と言いつつも力強く頷いた。ちなみに、彼女の前にはすでに皿が二枚重ねられている。
「俺も何か頼も。食べ終わったら何する? 迎え、明後日にならないと来ないんだろ?」
シェントはメニューを広げながらアクアレルに尋ねた。
アクアレル、もといアルト・グラツィオーソは、カントリアで近衛兵と合流することになっていた。王都を中心に起こっている混乱が収まるまで、遠くの地に身を潜めるそうだ。
ただ、迎えは明後日にならないと来ないらしい。せっかく時間があるのだから、アルトの希望を叶えてやりたいとシェントは考えていた。
「そうですね……観光というのを、してみたいです」
「ここ、礼拝堂以外に何かあるのか?」
間髪入れずにアレグロが素朴な疑問を口にした。
その質問にはシェントも返答に困った。カントリアといえばフェルツィー教の巡礼地の一つである。礼拝堂の他に何があるのか、シェントも知らなかった。
「さあ……? 食堂が落ち着いたら、さっきの子に聞いてみようか」
まずは朝食だ。シェントはメニューに一通り目を通し、近くの給仕を呼び止めた。
♪ ♪ ♪
朝食を済ませ、小休憩を挟んだのちシェントは再び食堂を訪れた。
客のいなくなった食堂では数人の女性が片づけにとりかかっていた。白いブラウスに黒のスラックスという、いたって簡素な制服姿である。
「さっきはごめん。ちょっと聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」
今朝の少女をその目に捉え、シェントは小声で話しかけた。
どこか神秘的な雰囲気の少女である。柔らかく波打つ豊かな白髪と寒空のような灰色の瞳が、シェントに冬の銀世界を連想させた。
「あっ、あなたは」
少女がテーブルを拭く手を止めて微笑んだ。雪原に咲く花のように、可憐さと芯の強さを感じさせる笑顔だった。
「これから観光しようと思うんだけど、どこかいいところはない?」
「えっと、そうですね……」
「――案内してきたら?」
少女の後ろから声を寄越してきたのは、金髪碧眼の若い女性である。
「でも、お仕事が」
振り返って言いかけた少女を片手で制止し、女性はシェントに向かって頭を下げた。
「先程はうちのカノンがご迷惑をおかけしました。お詫びと言ってはなんですが、この子に町を案内させてましょうか?」
「リエ!? いいの?
ちょっと待っててください、すぐ着替えてきます!」
女性の申し出に表情を明るくさせた少女は、シェントの返答も待たずに食堂を飛び出していった。
「すみません、お仕事中なのに。ありがとうございます」
「こちらこそごめんなさいね、あなたの返事も聞かないで。あの子――」
出口を見つめていた女性は一瞬口ごもったあと、シェントのほうを向き直った。
「あの子、カノンっていうんだけどね。旅に興味があるみたいなの。よかったら旅のお話とか、聞かせてあげてくれないかしら? お客様にこんなこと頼むのもおかしいけれど」
「それは、べつに構いませんが」
シェントは素直に頷いた。
カントリアはその土地柄、旅人が多く集まる。旅や外の世界に憧れを抱く者も自然と出てくるのだろう。
「お待たせしました!」
しばらくして食堂に戻ってきたカノンは、白いワンピースの上に薄紅色のスカーフを羽織っていた。腰にはゆったりとした布をスカートのように巻きつけている。布は二枚重ねになっているらしく、白い布地の裾から羽織と同じ薄紅色が覗いていた。
よほど急いできたのか、カノンの肩が呼吸と共に大きく上下する。
「行きましょう!」
息を整えたカノンが、跳び跳ねるような足取りでシェントに歩み寄る。
「ご、ごめん、ちょっと待って。他の仲間も連れて来ていいかな」
早々に出発しようとするカノンを食堂に残し、シェントは二人を呼びに部屋へ戻った。
「観光地と言っても――礼拝堂にはもう行きましたよね?」
外へ出るなりカノンは三人にそう尋ねてきた。やはりカントリアには礼拝堂くらいしかないようだ。
「いや、フェルツィー教徒でもないしと思って、まだ。それに人が多いんじゃない?」
シェントの返答に、カノンは「そうねえ」と小さく唸る。ふと何かを思い出したかのように空を見上げると、
「今の時間帯なら大丈夫ですよ。案内します!」
弾んだ声で告げ、先陣を切って歩き始めた。
「私、みなさんとお話してみたかったの。旅のこととか聞いてみたくて」
「旅のこと? 旅人なんて、ここじゃあそんなに珍しくないと思ったけど。巡礼者とかさ」
「そこまで熱心なフェルツィー教徒なんて、今どき少ないんですよ。それに、みなさんとは歳も近そうですし」
いたずらっぽく笑うカノンに、シェントは「いくつ?」と尋ねてみる。
「今年の夏で十六になりました」
「そうなんだ。俺と二つしか変わらないみたいだし、普通に喋ってくれていいんだよ? 丁寧な言葉使いなんかしなくても……友だちと話すみたいにさ」
友人と喋るつもりで――少しでも気を許してくれたほうが、いろいろと情報も聞き出しやすい。
カノンは二、三回目を瞬かせたあと、「それもそうね」と苦笑した。
「ねえ、シェントさ――シェントって呼んだほうがいいのかな。旅は楽しい?」
「んー、どうだろう。あのまま家にいるよりはよかったのかな。外の世界に興味があるの?」
「それもあるけど……私の両親も旅人だったらしくて」
その言葉を皮切りに、カノンは身の上について語り始めた。
「私、二人が旅してる途中で産まれちゃったんだって。でも、赤ん坊は旅の邪魔になるからって、ここの孤児院に捨てられたの。生まれてすぐのことだから、私は覚えてないけど」
声音こそ明るいままだが、だんだんと伏し目がちになるカノン。
その横顔を見つめつつも、シェントは意識を後方に向けていた。道行く人とすれ違うたび、背中に突き刺さるような視線を感じていたのだ。
(やっぱり、気のせいじゃないような――っ!)
意を決して振り返ると、斜め後ろを歩いていたアレグロと目が合った。
「どうかしたのか?」
「え? あ、いや……なんでもない……」
アクアレルの正体がバレたのではないか。シェントはそれを最も危惧していたのだが、アレグロのほうは何も感じていないとなると――見られているのは自分一人ということになる。
(さすがに自意識過剰か)
そう鼻で笑ったシェントを、アクアレルが心配そうに見つめてきた。
「何かあったんですか?」
アクアレルの正体を知っているシェントでさえ、その不安げな顔にはどきりとさせられる。守ってやらなければと感じる一方で、少し困らせてみたいとも思ってしまう。
アクアレルの隣を通り過ぎていく人々も、まさか男だとは思わないはすだ。ましてや、グラツィオーソ王国の王子だなんて。
――そこまで考えて、シェントはようやく気がついた。
「……あー、もう大丈夫」
シェントは頭を振って前を向き直った。
(これがハーレム状態ってやつか)
気安く触れることのできない人形のようなアレグロ。
儚げな見た目ながら天真爛漫なカノン。
アクアレル、もといアルトはというと――大きな瞳に長い睫毛、そして色白で細い手足のおかげで、鬘を付けただけで美少女に変身してしまう。
背を突き刺すような視線には、嫉妬の念もこめられていたのだろう。
これ以上あらぬ誤解を受けないように、シェントはカノンとの話に夢中になっているふりをしながら、徐々に歩を速めていった。後ろの二人と少しでも距離を置き、道行く人から他人だと思われるために。
「――やっぱり、きれいよね」
ただ一人隣をついてきたカノンが、ふとため息交じりに言った。
「え……ごめん、何が?」
「だから、シェントの髪」
「髪?」
いつの間に容姿の話題になったのか、シェントには見当もつかなかった。というのも、彼女の話をほとんど聞き流していたせいだが。
シェントが「これ?」と前髪を摘まむと、カノンは灰色の双眸を眩しそうに細めた。
「ほら、太陽の光できらきらしてるじゃない? いいなあ……私の髪なんて、白くておばあちゃんみたいだから」
「そんなことないと思うよ」
ほとんど反射的にシェントは否定の言葉を口にした。
「そ、そう?」
カノンがどこか期待のこもった目で見上げてくる。
「ああうん、雪のようできれいだよ。雪と同じで柔らかそうだし」
「雪って、あの? 私、話には聞いたことがあるけど……」
「あ、こっちでは降らないのか」
しまった、とシェントは上唇を軽く舐める。
「シェントは本物の雪を見たことがあるの? それって、シェントの住んでいたところで? そういえば、シェントってどこから来たの?」
案の定、カノンは興味津々といった様子でシェントの故郷について尋ねてきた。
「俺の故郷――俺がいたとこは、大陸の北のほうにある小さな国だよ」
シェントはそれだけ答えると、
「昔は黒かったんだけどね」
何の話? と首を傾げるカノンに、続けて語った。
「髪、一時期は黒く染めてたんだ」
「えっ、もったいない。どうして?」
意外そうな声を上げるカノンに、シェントはただ「嫌いだったからね」と寂しげに笑った。血の繋がっていない兄弟については語らずに。
シェントがいた国では髪の黒い人間が多く、兄や弟も艶やかな黒髪だった。
銀髪のままでは、兄弟と血の繋がりがないことを周囲に悟られてしまう。そこでシェントはとある樹液を煮詰めたもので、髪を黒く染めていたのだ。
「そう、なんだ」
それきり口を閉ざしたカノンに、シェントはややあって話しかける。
「自分のことをどう思っていようと、他人は違うふうに見ているかもしれない、そう言いたかっただけなんだ。カノンのその髪……カノンは嫌いでも、俺はいいと思ったよ?」
口をついて出た言葉は、この場を取り繕うためのもの。しかし「ありがとう」と顔を綻ばせたカノンに、シェントは後ろめたさを感じてしまった。




