第三章 響き始める不協和音(四)
会話らしい会話もないまま、気がつけば宿に着いていた。アルトは部屋に入るとすぐに鬘を外し、握りしめたままベッドに腰かけた。
続いて入ってきたシェントがもう一台のベッドに寝転がる。ちなみに、アダージョに一泊したときとは違って空き部屋があったため、アレグロは隣の部屋に泊まっている。
「もう夕方かあ、光石でも点けるか。いや、値上がりしてるみたいだし、もったいない気も……」
独り言なのか、はたまた話しかけているつもりなのか、仰向けのままシェントがぼやく。
「……それもこれも、カデンツァのせいか?」
シェントは徐に身を起こし、冗談めかしたようにアルトに聞いた。
カデンツァが魔物に襲われた周辺諸国を援助してきたのは、支配圏拡大のための策略ではないかと言われてきた。
これを決定づけたのがゲネラル鉱山買収の一件だ。カデンツァはゼウパルラに援軍を送った見返りに、同国のゲネラル鉱山を手に入れたのである。その後、光石や科石は高騰の一途をたどっている。
この話は先の光石店でシェントも聞いたはずだ。しかし、彼の物言いには含みが感じられた。
何か話があるのだ、とアルトは身構えた。
「……通過儀礼のことだけどな、形骸化していたそうじゃないか」
案の定、シェントはそう話を切り出してきた。
「兵やら召使いやら、かなりの人数連れてここまで来てたんだって? 王子様は豪勢な馬車に乗って。それなのに、なんで今回は昔のような形式を採ることにしたんだ?」
黙って俯くアルトの耳に、シェントのため息が聞こえてきた。
「この間の事件も、魔族の仕業なんかじゃなくって自作自演なんだろうし」
「どうしてそれを」
アルトは思わず顔を上げた。こうもわかりやすい反応をしてしまっては、肯定していることと変わらない。
「あのカルカンドは魔物なんかじゃなかったからな。ま、目的まではわからなかったんだけど。誰が何のために――」
「急進派……です。おそらく、カデンツァ王国へ攻撃を仕掛けるための、大義名分が欲しかったのでしょう」
“カデンツァには魔族がいる”
噂がいよいよ真実味を帯びてくると、グラツィオーソの一部の人間――急進派は、カデンツァへの進軍を提言した。
当然ながら国王はこれを聞かなかった。カデンツァに魔族がいるとの確証がない以上、攻め入ることはできない。
その矢先に起こったのが闘技大会での騒動である。
急進派は先日のカルカンドを魔物と公表し、さらにグラツィオーソが魔族に狙われていると結論づけた。
それでもなお腰を上げようとしない王室に、国民は不審を抱くようになっている。これこそが急進派の狙いであったのだ。
「カデンツァの周りの小さな国では、魔物による被害が相次いでいるそうです。カデンツァはそういった国々に対して援助を行っているようですが――これが半ば強引でして。
カデンツァが魔物に周辺国を襲わせている可能性も『ない』とは言い切れません」
「魔獣じゃなくて魔物に? だから『カデンツァには魔族がいる』なんて言われてるのか」
魔物は魔獣とは異なり、魔族に作られたものと言われている。
話がすべて事実であるならば、カデンツァに魔族がいる可能性は高い。魔族と協力関係にあるのか、はたまた乗っ取られているのかまでは不明であるが。
「ここ最近は、叔父――グレース公爵が率いる急進派の動きが目立ってきていまして。今回の事件で世論を味方につけたかったのでしょう」
「魔族に侵略されるかもしれないというのに、国王は何もしないつもりか、ってことか」
「……内乱が起こるのも、時間の問題でしょうね」
シェントに指摘された通り、今回の通過儀礼は先代までのものとは異なる。
王族は成人する一年前になったら通過儀礼を受けなければならない。その内容とは、国王が与える試練を乗り越えることである。内容に多少の違いこそあれ、成人の儀に使う剣をリベラで受け取るということだけは常であった。
だが、通過儀礼は何代も前に形骸化してしまった。試練などなく、ただの周遊と化してしまったのだ。
アルトに与えられた試練、すなわち護衛を自ら探すというのは、現国王のオルケスタ・グラツィオーソがアルトのために考案した。内乱を危惧するようになったオルケスタは、アルトをルーエから逃がすために通過儀礼を利用したのだった。
「アルトはそれでいいのか?」
その問いに、アルトは悲しげに笑う。
憤るでも嘆くでもなく、受け入れること。それがアルトの出した答えだった。
今度はシェントがアルトから目を逸らした。
「明日も早いんだろ? もう寝よう」
話を切り上げようとするシェントに、アルトは意を決して言う。
「次の行き先ですが、ルーエではなくカントリアに向かってもらえませんか? そのあとのことは心配しなくていいです」
「カントリアに? ここからだとルーエよりは近かったと思うけど……どうしてだ?」
「フェルツィー様にお祈りしたいんです、と言ったら信じてくれますか?」
アルトはカデンツァに祀られている神の名を出した。
フェルツィーとは、魔族からこの世界を守った、いわば守護神である。フェルツィー神が降り立ったとされるカントリアは、現在ではフェルツィー教徒の巡礼地となっていた。
ただ、アルトは神に祈るためにカントリアへ行くのではない。カントリアで近衛兵と合流し、本格的に逃亡を始める計画なのだ。
「……いや、わかった」
シェントが頷いた。アルトの言わんとすることを察したのだろう。その証拠に、彼はこう付け加えた。
「ルーエには帰らないってことだな?」
唇を噛みしめ、首を縦に振るアルト。
「じゃあ、アレグロにも一言伝えてくる」
部屋を出るシェントの背中を見送って、アルトはベッドの上で膝を抱えた。
「僕だって、これでいいなんて思ってない……でも」
カデンツァと争う姿勢の急進派の中にも、さまざまな人間がいる。
魔族に操られているカデンツァを救い出そうと、勝手な正義感に燃えている者。魔族など実際にはいないと思っておきながら、これを機にグラツィオーソの勢力拡大を目論む者。
「僕にはどうしようもないんだから……」
アルトは唇を噛み、揃えた両膝の間に顔を埋めた。




