第三章 響き始める不協和音(三)
シェントは託されたコーヒーを喉に流し込み、何の気なしに前を見た。
「……」
訪れる沈黙。
向かい合っているこの状況を今更ながら意識してしまい、シェントは次の話題に頭を悩ませる。
ちょうどそのとき、助け船と言わんばかりにアルトが戻ってきた。
「ありがとう、助かった!!」
「な、なにがですか……?」
きょとんとするアルトの腰のベルトには新たに鞘が繋がれ、そこから剣の柄が覗いていた。剣も鞘も飾り気のない簡素なものだ。
店の奥の店主に――彼女はアルトのコーヒーまで用意しようとしていた――剣の礼を言い、一行は武器屋をあとにした。
♪ ♪ ♪
次に一行はアレグロの要望で光石店を訪れた。
塗装の剥がれかかった扉を押し開けると、カウンターの老人が新聞を広げたまま挨拶を寄越してきた。背面の壁には、正方形の引き出しが縦横にずらりと並んでいる。
商品の在庫がありそうな光石店を探すため、あえて評判の悪い店を人々に尋ねて回り、そうして辿り着いたのがこの場所だった。店主の愛想が悪かろうが、品物さえあれば問題ない。
「これと同じものを頼む」
アレグロは手持ちの光石を二つ老人に差し出した。
老人はようやく新聞を畳み、石を手に取って眺めた。
「屋外の白と、室内の橙か。室内のはどこで使う?」
「宿だ」
「だったら、白の十五と橙の四十かの。期限は半年のでいいんじゃろ?」
老人は壁面の引き出しから光石を取り出し、カウンターに置いた。一つは白色、もう一つは琥珀色をしている。続けて老人は紙に数字を書き始めた。
「白が一万四千ノーツ、橙は九千ノーツじゃのう。ほかには?」
「白の壱」
ペンを走らせていた老人の手が止まった。
「……すまんが、入荷が少なくての」
「いくらなら売る?」
老人の言葉に被せるようにしてアレグロが尋ねる。
「何なんでしょう、『白の壱』って」
「俺も初めて聞いたよ」
光石はその光の色や明るさ、使用期限の長さによって価格が異なる。アレグロの口ぶりから察するに、よほど高価な光石なのだろう。
ややあって、老人はしぶしぶといった様子で四本指を立てた。それを見たシェントが、自分が買うわけでもないのに安堵したように呟く。
「へえ、四千ノーツなんだ。思ってたより高くな――」
「何を言っている、四万ノーツだろう?」
アレグロが老人に確認すると、老人は無言で首を縦に振った。
「四、万!?」
衝撃のあまりよろめくシェント。
「光石にしては高いほうなんですか?」
「ア、アクアレル……金銭感覚の違いが露呈するようなことは、あまり言わないほうがいいぞ……
それにしても、白の壱って何なんだ?」
「強烈な光を放つ光石だ。目が開けられないほどにな」
「え、だったら明かりとしては使いづらいんじゃ――」
そこまで言って、シェントはすぐに思い直した。
「なるほど、目くらましに使うのか」
「以前買ったときには三万くらいだった思うのだが……」
「だから言ったじゃろう、数が少ないと」
老人はふんと鼻を鳴らした。アレグロが小声でこぼした愚痴を耳ざとく聞いていたようだ。
「そもそも、カデンツァのせいで光石も科石も高騰してるんじゃから」
「カデンツァのせい?」
シェントとアレグロが顔を見合わせる。
「お前さん、光石と科石が採れる場所を知らんのか?」
「ゲネラル鉱山ですよね? 確か、ゼウパルラにありませんでした?」
シェントは頭の中に地図を描きながら答えた。
犬の形をしたチェルティーノ大陸の、“後足”がグラツィオーソ、“頭”がカデンツァ、そして“前足”がゼウパルラである。シェントの記憶違いでなければ、ゲネラル鉱山はそのゼウパルラにあるはずだった。
「その鉱山が買収されたことを知らんのじゃな。三か月前にな、カデンツァに買収されたんじゃ」
「えっ!? そりゃまた、どうして」
「詳しいことは知らんが、半年くらい前だったかの。ゼウパルラが魔物の大群に襲われて、カデンツァから援軍が送られたんじゃと。
といっても、無償ってわけじゃあ、もちろんなかったみたいでの。金を払えんかったゼウパルラは、カデンツァにゲネラル鉱山を売ってしまったんさ」
他国を無償で援助する国など存在しない。援軍を送るのにも金がかかり、その費用を請求しなければ援助した国が損失を被るだけである。
つまるところ、カデンツァは初めから“ゲネラル鉱山”という見返りを求めていたのだろう。ゼウパルラから鉱山資源を買い上げることが狙いだったに違いない。
「鉱山がカデンツァのものになったからのう。もともと採掘していたゼウパルラの者が、職を失いそうになったんだが――カデンツァに金を払えば掘ってもいいということになったんじゃ。
光石やら科石やらが高騰してるんは、そのぶんが上乗せされてるせいさ」
「この国は? ゼウパルラが魔物に襲われたとき、何もしなかったんです?」
老人に尋ねながら、シェントはちらりとアクアレルを振り返る。
古くからゼウパルラとグラツィオーソは切っても切れない関係にある。ゼウパルラのゲネラル鉱山で採れた石は〈ナ・リーゼ〉に運ばれ、そこで加工された科石や光石がグラツィオーソのリベラに卸されるのだ。
単なる善意で他を助ける国などない。それでも、両国に深い結びつきがあるのであれば話は別である。
何か言おうとしたアクアレルだったが、老人のほうが先に口を開いた。
「カデンツァのほうが早かったってだけじゃな。だいたい、グラツィオーソに情報が届いたときには、カデンツァが援軍を送ってたって言うんじゃから」
「なんだそりゃ。まるで最初から知ってたみたいだな、ゼウパルラが魔物に襲われることを」
「今この国には、お前さんと同じようなことを言ってるのがたくさんおるよ」
老人は吐き捨てるように言い、アレグロに向き直った。
「で、どうすんじゃ。白の壱は。買わんのか?」
「そうだな、では二つ」
「二つ? 金はあるんかね?」
「一時期はずっと魔獣を狩っていたから」
眉を顰める老人の前でアレグロは財布を開け、紙幣を十枚取り出した。そのすべてが一万ノーツ札である。
「お前さんもまだ若いのに……」
老人はどこか重々しく呟き、薄い桃色の紙袋に光石を入れていった。
「全部で六万三千……キリが悪いのう。六万ノーツでいいさ」
「六万? 白の壱は二つ――」
「言わんとわからんのかい? 一つはおまけさ」
終始仏頂面だった老人が、ふいに表情を和らげた。
「そんな、無料にできるような金額では――」
「いいのさ。けどな……お前さんは死ぬんじゃないぞ」
くしゃりと笑った老人の顔は、なぜだか泣き出しそうにも見えた。
♪ ♪ ♪
一行は光石店を出て、各々の必要なものを買い揃えるため商店街へ向かった。
商店街には大小さまざまな店が軒を連ねていた。休日には奥の広場に市が立ち、さらに人で賑わうそうだ。
誰が言い出したわけでもないが、三人はふらりと広場に立ち寄ってみた。今日は市のない平日で、空も夕日に染まっているにもかかわらず、広場の一角には人だかりができている。
さらに近づいてみると、整った身なりの男が壇に上がって、拳を振りかざしながら叫んでいた。
「光石の高騰が止まらないのはなぜか!? ――そう、ゼウパルラが魔の手に落ちたからである!」
「このまま値上がりし続けたら、生活できないわよ!」
どこからか婦人の悲鳴のような声が続いた。
「魔族はゲネラル鉱山を押さえ、そこから軍事資金を得ようとしているのだ!」
シェントは苦い顔をして立ち止まった。
(これは……アルトに聞かせられる話じゃないな)
そして早々にこの場を立ち去ろうとするが、当のアルトがついてこない。グラツィオーソ王国の王子は口を半ば開け、目を大きく見開いて立ち尽くしていた。
「先日、ルーエ闘技場が魔物に襲われたことは、記憶に新しいだろう」
「――魔物じゃなくて魔獣だっての」
引き返すことを諦めたシェントは、男の言葉を受けてうんざりしたように呟いた。
男は一拍置き、一際大きな声を上げる。
「そう、魔の手はとうとう我が国にも迫ってきた!」
周りの人間が息を呑んだのが、シェントにも伝わってきた。
「当然、議会はカデンツァへ進駐する方向で話を進めている。だが、王室がそれを許してくれないのだ。我々で、国王を説得しなければ――」
「王都へ行こう!」
壇上の男のものではない一声に、周囲はすぐさま賛同する。
「そうだ、ルーエに行けばいい!」
「国王陛下のもとへ!」
「いざ、王都へ!」
「王都へ!!」
広場のほとんどの者が拳を突き上げ、繰り返し叫ぶ。
「……行くか」
アレグロはアクアレルを一瞥して踵を返した。
なおも呆然と立ち尽くすアクアレルの背をシェントは軽く押してやった。アクアレルは俯き、髪で顔を隠すようにして歩き出した。




