第三章 響き始める不協和音(二)
シェントとアレグロは向かい合って座り、科術の話を続けた。
「そうだ、科術の前に……『精霊』ってのは知ってる?」
反対にシェントに問われ、アレグロは少し考えてから答える。
「この世界はすべて精霊からできている、という話か?」
「そうそう。火山は〈土〉と〈炎〉の精霊が結びついたもの――とか、そういうやつ。俺たちの骨と肉だって〈土〉の精霊からできてるし、精神は〈炎〉と〈雷〉が3対2……あれ、逆だっけ?」
シェントはいくつか具体例を挙げてみたが、アレグロは無表情のまま固まっていた。
「ま、まあ、何がどの精霊からできてるかなんて、今じゃほとんど議論されてないか。
精霊ってのは目に見えてないだけで、ここ――大気中にもあるんだとさ」
自分たちの周りにも不可視の精霊が漂っていることを示すため、シェントは人差し指をゆらゆらと振った。
「議論といえば、精霊の属性についてもいろいろと言われてたんだよな。今は『五大属性論』が定説だけど」
「五大属性……?」
「精霊の種類を五つに分類してるんだ。〈炎〉と〈氷〉、〈土〉、〈雷〉、それから俺が使える〈風〉だな」
過去には〈水〉や〈光〉の存在も主張されていたのだが、論の変遷まで語り出したら日が暮れてしまう。シェントはこれを割愛して話を進めた。
「さっき話した“目には見えない精霊”同士が結びつくと、俺たちにも見えるようになる――要するに、ものになるんだ。結合の仕方とか属性の割合によって、できるものが変わるってわけ。
そのなかでも、同じ属性の精霊が集まって一つになったのが、これ」
シェントはテーブルの上に右手を置いた。中指の指輪にはめこまれた緑の石、それこそが――
「科石か」
とアレグロが呟いて顔を上げた。
シェントは頷き、ひとりごとのように続けた。
「科石ができるには核となる何かが必要らしいんだけど、それが何なのかはわかってないんだよな……」
「そういえば、科器にも科石がついていただろう?」
「ああ、もとは一つだった科石を二つに割って、それぞれ指輪と科器に埋め込んでいるんだ。
指輪の科石に呪文を唱えると、科器の科石が共鳴して科術が発動されるってわけ」
「なるほど」
真剣な表情でアレグロが頷く。常に冷めていた彼女が熱心に話を聞く様は、どこか一生懸命で微笑ましかった。
シェントは小さく咳払いし、再び口を開いた。
「科石には人の声に反応するっていう性質があって、科術ってのはその反応を利用したものなんだ」
「声に……声って、呪文のこと?」
「そう! ま、その発音がまた難しいんだけどな」
シェントは呪文を学び始めた頃を思い出してぼやいた。呪文には世界共通語にない音が多く、発音を身に付けるだけでも一苦労したものだ。
「精霊がどう結合しているかによって、唱える呪文も変わってくるんだ。たとえば〈風〉の科石は『ルフ』という呪文に反応しやすいって聞いたことがあるな。
俺が使える〈舞風〉も――」
シェントは指輪に呪文を唱え始める。
「ルフ・ティヒウェル……テクス――」
「……ここで?」
アレグロが眉根を寄せる。
とっさにシェントは口を閉ざした。呪文の頭だけを諳じるつもりが、いつもの癖で続けてしまったのだ。
「危ねっ、こんな狭いところで中級科術なんて発動させたら――」
「あはは、狭くて悪かったね」
笑いながら口を挟んできたのは、トレーを持って戻ってきた店主だ。トレーの上にはカップが二つ乗せられている。
「あ、いや。そういうつもりじゃ」
「わかってるよ、科術は強すぎるからね。あんたの〈風〉も、洗濯物すら乾かせないんだろ?」
「それは、どういう……?」
アレグロが真面目な顔で聞いてくる。その様子がおかしくて、シェントは小さく笑って答えた。
「ただ単に、科術が強すぎて洗濯物そのものを吹き飛ばしてしまうってだけさ。
生活のために科術を使うことは〈ナ・リーゼ〉に禁止されてるんだけど、使おうって人も少ないと思うよ。威力が強すぎるんだから」
科術は〈ナ・リーゼ〉によって使用が制限されている。日常の生活で科術を使うこと――〈炎〉を使って料理するなどといった行為は、禁止事項の一つであった。
そもそも、科術の威力が強すぎて使えないのである。
「あたしも、ガスコンロがあるおかげで科術に頼ろうなんて考えたこともないねえ。祖母の時代は薪を使ってたから、湯を沸かすのも大変だったみたいよ」
店主は二人の前にカップを置き、再び店の奥へ引っ込んだ。
ここの職人は木工も得意なのだろうか。木をくり貫いて作られたカップを持ちあげると、コーヒーの香りが鼻腔をくすぐった。
「こうやってコーヒーを淹れるのだって、昔は時間がかかってたんだろうな」
「……」
カップを覗き込むように俯くアレグロ。
さっきの説明を頭で整理しているのかな、とシェントはさして気にも留めずにコーヒーを飲む。
アレグロもようやくカップに口を付け――ちらりとシェントに目配せした。
「どうした? まだほかに聞きたいことでも――」
「苦い」
アレグロは店主の姿がないことを確認すると、何食わぬ顔でカップをシェントの側に追いやった。




