第三章 響き始める不協和音(一)
チェルティーノ大陸一の貿易都市、リベラ。
グラツィオーソ王国南西の海岸に位置し、海の向こうにはリピエ大陸が存在する。そのリピエ大陸こそ、世界管理機構〈ナ・リーゼ〉の拠点である。
彼らの活動の詳細はほとんどが機密とされているが、科石や光石の加工を担っているのも〈ナ・リーゼ〉である。科術を発動できるように、あるいは明かりとして使えるように〈ナ・リーゼ〉で調整された石は唯一リベラに卸される。それを仕入れるため、チェルティーノ大陸各地から商人がリベラに集まってくるのである。
結果として、リベラの道は他に類を見ないほど整備された。歩道と柵で隔てられた馬車道は、馬車が二台並んでもなお道幅に余裕がある。
「そのー……馬車に乗っていくのか?」
リベラに到着した翌朝。
地図を広げて先頭を歩くアクアレルに、シェントは頭を掻きながら尋ねた。
「いえ、馬車で行っても今日中に着くかわからないので、代わりに――」
アクアレルの返答は、しかし遠くから聞こえてきた轟音に掻き消される。
「な――!?」
闘技場での騒動が思い起こされ、シェントとアレグロは揃って身構えた。周囲を見渡してみるが、地響きのようなその音に驚いている者は意外に少ない。
音は次第に大きくなり、大地も微かに揺れ始める。
「あ! あれです!!」
アクアレルが声を張り上げ、馬車道を挟んだ向かい側の土手を指す。
「…………は?」
視界に飛び込んできた光景にシェントはぽかんと口を開けた。隣のアレグロも構えを解いて目を丸くしている。
高い土手の上を滑るようにして近づいてきたのは、巨大な車輪がついた鉄製の小屋だった。
半円状の屋根の上には煙突が付いており、真っ白な煙が長々と吐き出されている。小屋は一つだけでなく次から次に流れてくるが、先頭のもの以外に煙突はなかった。
中には人がいるらしく、窓から身を乗り出して手を振っている子どももいた。乗り物なのであろうそれは、もうもうとした煙に包まれながらあっという間に過ぎ去っていった。
小さく手を振り返していたアレグロが、唖然とした表情のままアクアレルに尋ねた。
「何だ、今のは……」
「蒸気機関車です」
「ジョーキキ……?」
「〈炎〉の科術で水を温めて、その蒸気で動く乗り物のことです」
何でもないことのように答えるアクアレル。この国の技術力に感心していたシェントだが、「ちょっと待て」と横槍を入れた。
「科術って、そういうことには使えないんじゃなかったっけ?」
「ここリベラは、〈ナ・リーゼ〉の実験特区に指定されたんです」
「実験特区?」
それは聞き慣れない単語だったが、
「はい。この列車が運用されるようになったのも、一年くらい前からですね。僕も今まで乗ったことがないんです」
アクアレルは口早に説明すると、続けて歓声を上げた。
「ありました! あっちが乗り場みたいです」
「ちょっ、待て。まさかとは思うけど……あれに乗るとか言わないよな?」
アクアレルは照れくさそうにはにかむと、シェントに背を向け歩き出した。蒸気機関車とやらに乗れるのがよほど嬉しいのか、髪の先がぴょこぴょこと跳ねる。
シェントは軽く額を押さえ、長く息を吐き出した。
♪ ♪ ♪
どれほどの時間列車に揺られていたか、シェントにはわからなかった。
列車を降りると、そこは――
「いや、どこだここ」
周囲の景色を確認することなく、シェントは呻くように呟いた。
「も、もうすぐ着きますから!」
アクアレルの言葉を信じ、シェントはふらふらになりながらも歩き続ける。乗り物が苦手なシェントにとって、列車はてきめんだったのだ。
通行人の少ない細い路地を風が通り抜けていく。真夏のものとは違う涼やかな風に吹かれ、シェントの乗り物酔いも醒めてきた頃。
「ここです」
アクアレルが手元の地図を折りたたみ、前を見据えて告げた。視線の先、柵に囲まれたそこには平屋が二軒建っている。
三人は木造の小さな門をくぐり、二軒のうち看板の立てかけられているほうへ向かった。
「失礼しま……す」
アクアレルが扉を押し開け、シェントとアレグロも続けて店内に入る。
人影はなく、左手の壁一面には剣が飾られていた。刀身が波打っていたり、振り回すには長すぎたりするような、変わった意匠のものが目につく。
「誰もいないようですね」
アクアレルはカウンターに置かれている乳白色の石を手に取った。石の下に敷かれていた紙には呪文が書かれている。アクアレルがそれを読み上げると石が淡く光った。
ややあって、一人の女が部屋の右奥から姿を見せた。片手にはアクアレルが手にしたものと似た石を握りしめている。
「いらっしゃい! 待たせたね」
その黒髪は男と見間違えそうなほど短く、代わりに豊満な胸が女であることを強調していた。
壁面の剣を物珍しそうに眺めているアレグロに気づくと、
「そっちのは見ての通りお飾りさ。ウチはこんなのも作れるんだよ、っていうね」
女はにやりと笑って言った。肌が浅黒いせいもあり、腫れぼったい唇の間から覗く歯がやけに白く見える。
アクアレルが一歩前に出、悠然と一礼する。
「こんにちは、店主さんはいらっしゃいますか?」
「ははっ、あたしがその店主だよ」
「それは失礼いたしました。僕はグラツィオーソ家の者です。お願いしていたものを受け取りに参りました」
アクアレルの立ち居振舞いは、薄暗く埃っぽい店内で明らかに浮いていた。そのせいか店主もきょとんとした顔でアクアレルを見つめている。
何もそこまで驚かなくとも、と不思議に思ったシェントの隣で、アレグロが口を開いた。
「アルト、髪」
「あ!? 鬘付けたままだぞ!」
「え、ええっ!?」
二人に指摘され、アルトはあたふたと鬘を取った。露になった黒髪を手櫛で整え、目を泳がせる。
「ええと、これには訳が……」
「も、申し訳ございません、殿下。ご無礼をお許しください」
「いえ、あの、僕のほうこそ」
店主に恭しく頭を下げられ、かえって狼狽するアルト。
少々お待ちを、と言って店をあとにした店主は、少し経って厳めしい顔つきの男を連れてきた。
「お待ちしておりました、殿下。どうぞ、こちらへ――」
「は、はいっ」
挨拶もそこそこに外へ出る男の後を、アルトは小走りでついていった。
残されたシェントとアレグロに、店主が店の作りを説明する。
「あっちにもう一軒小屋があったろ? そこが鍛冶場になってて、今から剣の最終調整をするのさ」
「調整? 儀礼用じゃないんすか?」
「実戦に耐えうるものを作ってくれと頼まれてたからねえ。
しかしまあ、あんたたちみたいな若い子と来るなんて」
店主はシェントとアレグロを眺め、感心したように呟いた。
「おっと、嫌味を言ってるんじゃないよ。いつもは兵士を護衛につけてたからさあ」
「いつもは?」
アレグロが怪訝そうに聞き返す。
「いつもはね、たくさんの兵士を連れてリベラに来てたんだよ。王子様は豪華な馬車に乗って。だから通過儀礼ってのは、そういうものだと思ってたんだけどねえ」
「……だったら、どうして今回はいつもと違うんだろうな」
シェントはカウンターに右手をついたまま扉を振り返った。当然ながらアルトが戻ってくるにはまだ早い。
ふいに店主がその手に触れた。視線はシェントの中指の指輪に向けられている。
「あんた、〈風〉の科術使いなのかい?」
「あ、はい。科術使いなんて、今じゃそこまで珍しくもないですよね?」
「科術使いや科術士は増えたけれど、〈風〉の科器を持ってる人はそういないよ? 〈風〉の科石は脆くって、加工が難しいんだって。だからなかなか流通しないのさ」
その話しぶりから察するに、店主はシェントが〈風〉の科器を持っていることに驚いたようだ。希少な〈風〉の科石は高値で取り引きされるため、わざわざ〈風〉を選ぶ科術使いは少ないのである。
「前から疑問に思っていたのだが――」
そう前置き、アレグロは背伸びするとシェントの耳元に口を寄せた。
「科術の仕組みって……?」
「お、おう!?」
囁かれ、シェントは耳を押さえて数歩後退った。
アレグロの頬がほんのり紅潮しているところを見るに、科術に疎い自分を少し恥ずかしく思っているようだった。まあ、紅くなっているのはシェントも同じなのだが。
科術を生活に利用することは、〈ナ・リーゼ〉によって原則禁止されている。戦闘で科術を使う人間――「科術使い」や「科術士」と称される彼ら――以外は科術に馴染みが薄いため、アレグロに知識がないのも当然と言えた。
「そうだ、お二人さん。あそこの椅子にでも座ってて? お客様にお茶の一杯も出さないなんて、あたしとしたことが……」
店主は窓際の丸テーブルを指して言うと、そそくさと部屋の奥へ引っ込んでいった。




