第二章 意外な依頼者(七)
一行は幌に覆われた荷台で、中身のわからない木箱と共に揺られていた。
昨日のような乗合馬車では、いつアクアレルにぼろが出るかわからない。そこでリベラへ向かうという商人に頼み込み、荷馬車に乗せてもらったのだ。
晩夏とはいえ幌の中は蒸し暑い。昼間であればなおさらである。
膝を抱えてじっとしていたアレグロが、恨めしそうにシェントを見つめた。
「お前が寝坊したから」
「ほんとスミマセン、朝は苦手なんだ。低血圧ってやつ?」
気怠げに弁解したシェントは、木箱に背を預けて天を仰いでいた。青空でも見られれば気分も少しは晴れるのだが、視界に広がるのは薄汚れた緑の幌布。
「でも、夕方までには着くと思いますよ。ここからリベラまではそう遠くないですから」
「それはそうだが――アクアレルこそ、昨日は眠れたのか?」
「僕ですか? ええ、ありがとうございます」
穏やかに笑うアクアレル。
アレグロがアクアレルを気遣っているのも、どちらがベッドで寝るか一悶着あったからだろう。
当然、アレグロは雇い主であるアルトに譲ろうとしたのだが――
「床で寝るって言って聞かなかったもんなあ」
シェントは水筒を取り出し、水を一口飲んだ。
「女性を差し置いてベッドで寝るなんて、僕にはできません!」
「私は慣れているから」
「そ、そんな……慣れてるだなんて……」
「だって俺たち旅人だし」
「シェントさんは黙っててください!」
昨晩も似たような言い争いが起き、根負けしたアレグロがベッドで寝ることになったのだ。
「もう一部屋取れればよかったのだが……」
アレグロの言葉にシェントは大きく頷いた。彼女と別室であったなら、シェントは快適な眠りにつけていただろう。
昨晩、当の彼女に眠れない理由を聞かれ、シェントは枕が合わないと嘘をついた。それを鵜呑みにしたアレグロが、あろうことか自分の枕を差し出してきたのだ。
もちろんシェントに使えるはずもなく――彼女がベッドへ戻ったあと、シェントは渡された枕を遠くへ追いやって横になった。転けたアレグロを抱き止めたときの感触を思い出さないよう、きつく目を閉じて。
アレグロの身体は想像よりもさらに小さく、受け止めたときの衝撃もほとんど感じなかった。抱き止めようにも腕の中で消えてしまうのではないか、と有り得ない心配をしてしまったほどだ。
「また思い出してんじゃねえか!」
「ど、どうしたんですか?」
前触れなく頭を抱えたシェントを見て、アクアレルが怯えるように身を小さくする。
「なんでもない」
再び水筒に口をつけたシェントは、
「そういえば、お二人のご出身はどちらなんですか? どうして旅を?」
「げっほ!?」
アクアレルの言葉に盛大に咽せ返った。
「え、ええっ!?」
本当にどうしたんですか、とアクアレルが慌てて背中をさすってくる。
「あー、悪いな。はは……」
咳が落ち着いたところでシェントはアレグロを一瞥した。
彼女は苦笑すら浮かべていなかった。取り繕ったような無表情のまま、シェントと視線を合わせようともしない。みっともなく咽せた自分に引いたわけではない、とシェントは思うことにした。というか思いたかった。
おそらくアレグロも窮しているのだろう。アクアレルの素朴な疑問に、どう答えたらいいのかわからずに。
武闘大会に出場した理由については彼女の口から聞いている。人を探すためだった、と。しかし出自まではシェントも知らない。気にならないと言えば嘘になるが、当の本人に話すつもりがないのなら。
シェントは水筒を傍らに置くと、
「俺が住んでたのは小さな国で、これといった名物もなかったな。それと、『どうして旅を』だったか? 家を追い出されただけだよ、俺は」
深く聞かれるのも面倒に思い、一気に吐き出した。
「俺さ、養子だったんだ。だけどその家にはもともと跡継ぎがいたし、俺のあとにも一人生まれたし。べつに俺なんていらないんじゃないかなあって、思ってたんだけど。まさか本当に追い出されるとはなあ」
シェントはまるで他人事のように旅に出た理由を語った。
グラツィオーソ王国はあらゆる面においてダル地方一を誇る大国であり、特に貿易都市のリベラには各地から商人や観光客が集まる。この国で旅人の姿を見かけることは珍しくなく、国民の中には自由気ままな旅に憧れを抱く者もいるだろう。
しかし、望まずに旅に出る者も大勢いるのが実情だ。アレグロが旅の理由を話さないのは、言えないからかも知れなかった。
国によっては極刑として国外追放を言い渡すところもある。国の外ではいつどこで魔獣に遭遇してもおかしくない。準備する暇もなく外の世界に放り出されてしまっては、魔獣に嬲り殺しにされるしかないのだ。
幸い、罪人ではないシェントには時間があった。科術使いの師もつけてもらえたうえに、書物から知識を得るような余裕もあった。
裏を返せば、家を追い出されることは前々から決まっていたことになるが。
「せっかくだから、あちこち見て回ろうかなって。そのうちどこかに永住できればいいんだけどな」
「そうだったんですか……すみません、知らなかったとはいえ……」
「何が?」
シェントはアクアレルに先を言わせないよう、あえて明るく聞き返した。謝られるようなことでもなかったが、反対の立場だったらシェントも詫びの言葉を口にしていただろう。
「え? ……なんでもない、です」
シェントの真意に気づいたのか、アクアレルが口を噤んだ。
それからリベラに着くまで、馬車の振動音だけが響いていた。




