見えない世界の心
「どうして、どうして何も起こらないの!」
断崖絶壁、前には波打つ海のみ。そこで女は嘆いていた。
女はオード一族だった。彼女はオード一族の使命を捨てたも同然だった。旅をともにする男を愛で、自分が世界のために死ぬことを拒んだ。方法は、生贄だった。神聖なる教会で育った子供たちを、20人。オードである自分が消えるのではなく、彼女自身が用意した生贄で世界を救う。それが、できない。
「どういうことなのよッ! ワタシには出来るはずだわ! ワタシこそ神聖なる存在、オード一族なんだから!」
「早急に決めよ、主よ」
「……第73世界『シータル』のオード一族『エレシナ』を、消滅させよ」
海水が、浮かんだ。嘆きまわっている女は、自分に襲いかかろうとしている海水に気がつかない。そのまま彼女は飲み込まれた。喰われるように。侵されるように。
女は悲鳴をあげることなく、海水に溶けていった。
「……へぇ」
銀世界――読んで字の如く、銀世界だった――を管理する少女が呟いた。そんな彼女の前には、液体。
「随分と好き勝手やったみたいだね、オード?」
よいしょ、と立ち上がって右手を液体の後ろに翳す。すると現れたのは白と黒。
使命を終えたオードが選ぶ、二つの世界。
少女が白へと歩んでいくと、その後ろを液体がついていく。
「君みたいな大馬鹿者には、不幸をあげるよ。不幸っていうのはね、とても辛いものなんだ」
彼女が言葉を紡いでいると、液体は白の中へ埋もれていった。それでも、少女は言葉を紡ぐ。
「そばにありすぎて、当たり前になっていくの。そうして、幸せを望むんだ。不幸を、幸せと感じてしまうから。潰されるといいよ。最高の不幸にね」
少女が消えた。そこにあるのは、意思のない銀だけだった。
これは、思いの物語。そばにあるからこそ、何よりも辛い。
黒い世界にて。
不幸に埋もれた少年がいた。
でも、彼にとってはそれは関係ない。
仲間がいる世界こそ、彼にとっての『幸福』だから。
『幸福』の味は、いつも心の中に。