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魔導黎明記  作者: 綺羅鷺肇
11 東方編・上 哀愁の旋風
96/96

五 機兵と傭兵

 推進機が絶え間なく回る。

 クロウ・エンフリードは前方とその周囲に注意を向けながら、魔導艇を駆けさせる。もっとも先の東進時に比べれば、その速度は些か遅い。流れる景色も緩やかだ。

 進み行く荒野は常の砂礫や瓦礫のほか、低木や雑草といった植生も見受けられる。所々に点在する廃墟はいずれも横倒しになった様相で、少なくない日陰を生み出していた。

 北方では薄い雲がゆっくりと流れ、いくつもの群れを作っている。南からは潮気を帯びた風。湿り気を帯びた風に触れる機会が少なかったこともあって、いささか慣れない。加えて、そこに含まれた若干の生臭さが鼻を苛んだ。自然、鉄さびた臭いとどちらが良いものかと考え、どっちもどっちだとすぐに答えを出す。


 ふいに、強い横風。

 艇が不安定に揺れて、両肩にある感触が力をもった。けれど、その感触をもたらしている者は悲鳴をあげることはない。クロウは居候との違いを思い、ついで初めて顔を合わせた時のことを思い返す。



「仇を?」

「そう、仲間を裏切り殺した相手を」

「探して出して……、殺すと?」


 クロウが確認するように推定できる目的を口にする。女傭兵は一瞬だけ動きを止め、思い切るように頷いた。


「仲間だと信じていた。苦楽を共に生きてきた。命を預けて戦ってきた。だからこそ……」


 女は声を小さくしていった。それと共に顔が強張っていき、感情の色もより薄くなって無表情に。瞳は一層昏くなり、元より弱かった輝きを失っていった。


 クロウはその様子を見て、相手の言が嘘ではないのだと納得できた。

 ならば仇を討つという行為に正当性があるかどうかという話になるが、これは引き合わせた職員に裏取りをしなければわからない。彼としては相手の言だけを真に受けて、実は犯罪に助力していた等となっては困るのだ。故に、この場においては相手の目的や望む所の是非については棚上げすることにした。


 その代わりに考えるのは、提示された交換条件の長所と短所。


 まずは長所。

 これは言うまでもなく同行者が増えるとこと。つまりは夜営等での負担が減るということ。また傭兵をしているということからも荒事に対処しやすくなるということ。さらに会話や共同での作業等を通して、孤独感から解放されるということ。


 対する短所。

 仇の捜索に付き合うことで、どれだけの時間がかかるか、またどれだけの危険が伴うかがわからないということ。後、これに明確な期限がなければ、いつまでも続いてしまうということ。


 ならば、この期限について……とまで考えた所で、自分が既に受ける方向で動いていることに気付き、眉間の皺が深くなる。疲れと人恋しさは否定できないと自らの心を認めるしかなかった。


「その仇を探すのに、期間は?」

「ない。どれだけ時間が掛かっても、必ず見つけ出して、必ず……」

「あ、いや、申し訳ない。聞き方が悪かった。こちらが……バルデスさんに」

「ウィルマでいい。名前の方が慣れている。呼び捨てで」

「あー、了解。ならこっちもクロウと呼び捨てで……。こちらがウィルマに付き合う期間は?」


 ウィルマは考えるように目を閉ざし、すぐに応じた。


「そちらの仕事に掛かった時間と、同じだけの時間を」

「なるほど。……お願いするかどうかの返事は明日に」

「了解した。クロウ、こちらは今の条件を呑んでもらえれば請ける」


 そう言い切った声は淡々として、その表情にも感情が見受けられなかった。



 回想が連なる記憶を呼ぶ。



「十中八九、事実でありましょう」


 組合の仲介人は裏取りに対して、そう宣した。

 ついで少しばかり悩まし気な顔をして続ける。


「今回の襲撃ですが、内通者が裏切りを働いた結果であることに間違いはないと思われます。もっとも、それがどれだけの規模で、どこまで浸透していたのかについてはわかりかねますが、ええ、グラル・ポルタにおいては何者かの手引きがあり、指揮系統が狙われたというのは間違いのない事実でありましょう。それを踏まえれば、ウィルマ様がお話しされたこともまた……」

「嘘ではない、嘘である理由がない、ということですか」

「はい。そも、わざわざ嘘をついてまで身内を殺そうとすること自体が稀も稀。それこそ日常的に苛烈な虐待を受けていた等といったことがなければ、あり得ない話でございますよ」

「なら思い込みの線はどうです?」

「そうでございますね。聞くところによると、ウィルマ様に裏切りが起きたと告げたのは、傭兵団の団長様。彼の団長様がお亡くなりになられていることを考えれば、もしかすると今際の言葉であったかもしれません。自然、立場や状況を考えれば、その言葉には重みがありましょう。故にエンフリード様のご意見の筋も考えられることでございます」


 フォルクは細い目をさらに細めた。


「しかしながら厳然たる事実として、裏切りを働いたとされる人物……、傭兵団の副長様なのですが、その方と他十名近くの方の所在が不明なのです。相応に復旧が進む中、これらの方々のご遺体がいまだに一つも見つかっていないことを考えますと、逃亡した魔導船に乗って逃げた可能性の方が高いと思われます」


 クロウがなるほどと頷くと、組合の男は少し口元を緩めて告げた。


「拙い説明、推測でありましたが、いかがでしたでしょうか」

「十分にわかりやすかったですよ。正直、状況が見えていなかったので困っていたんです」

「それはよろしゅうございました。ところで、エンフリード様は今回の襲撃を引き起こした方々に心当たりはございますでしょうか?」

「まぁ、一応は。それなりに話を聞いてますから」

「なるほどなるほど。ならば申し添えておきたいことがございます。今回の件において、襲撃に関わった者達を追うことは、我々組合としても利がない話ではございません。もしかすると、ウィルマ様の件に関連するような依頼が、どこかしらからお願いされることがあるかもしれません」

「あー、そうですか。……覚えておきます」



 そういった面談をした翌日……今現在から見て昨日。

 クロウは提示された条件を呑み、新たな道連れを迎えた。やはり一人での旅は厳しいものがあったことが大きかった。ただそれだけで短所に目を瞑れると思えるほどに、単独での長旅は心身への負担を強いられていたのだ。

 また相手の境遇が自身と似ているということもあった。目の前で、すぐ傍で、肉親を失ったこと。帰る場所を失ったこと。復讐を望んだこと。どれもこれも身に覚えがあるモノばかりであった。


 両者のどちらの比重が大きいかは、クロウ自身にもわからない。が、環境的にも心情的にも断る理由はなかった。


 そして今、新たな目的地であるシャルバードを目指し、西へ向かっている。

 ある程度は航路の道筋がつけられるよう、魔導船の運航が難しそうな場所……大きな障害物や段差の大きな地形といった場所を確認しながら、時に足を止めて記録する。

 その際にはウィルマが周辺警戒を担ったこともあり、クロウの負担軽減は大きかった。またそれ以上にもう一人……否、もう一機の道連れが極めて優秀な働きをしていた。


ゼル・デクト(指揮者殿)。予定地点、マデ、推定、イチ、アルト」


 いささかたどたどしい声。

 子どもか女性か、そのどちらでもありそうでどちらでもない不思議な声音は、魔導艇の艇首に張り付いた半球型の機体から発せられた。


「了解。減速する」


 クロウが短く応え、速度を落とす。

 すると半球体をぐるりと廻る黒い帯、その中を動いてきた赤い単眼が彼の前で止まった。


「予定地点、周辺、ノ、先行偵察、許可、願イマス」

「まだ早くないか?」

「休止地点、周辺、ノ、危険、ド、判定、ハ、重要、デス」


 クロウに意見する存在であるが、護衛小隊と別れるにあたり融通された代物である。

 機体の名はメイル・ロラ。全長三十ガルト程の特殊義体だ。護衛小隊を指揮していたオウパが告げる所によれば、エル・エスタリアにとっても利益があることなので使っていただきたい、とのことであった。


「わかった。マキュラに任せる」

「ヤァル、ゼル・デクト」


 マキュラ……メイル・ロラに宿る人工知能体は応答と同時に機体の頭頂部を開く。中から顔を出したのは十ガルト程の物体。中央部の球体より四つの短い脚と六つの長い腕をそれぞれ伸ばしており、枯れた低木を思わせる。

 クロウは旧文明期の機械を興味深く見る。出発前にこの姿と性能の程を見ていたのだが、それでもやはり物珍しさは変わらなかった。彼がじっと見入っている中、六つの腕の先にある小さな回転翼がそれぞれに回りだし、いつしか静かな唸りとなる。


 そして唐突に浮かび上がると、速度と高度を上げて飛び立っていった。


「偵察機、発進。予定地点、デ、合流、シマス」

「了解。何かあったら教えてくれ」

「ヤァル」


 赤い単眼が瞬き、再び前へと動いていった。

 空色に紛れ込むまで見送った後、距離計に目を向ける。そこに後ろから声。


「休止地点?」

「ああ、うん。小休止して、腹ごしらえする」

「了解」


 端的な返事。

 ミシェルと比べると、あまりにも素っ気ない。本当に必要最小限といった感であった。


 同行者よりも義体との会話の方が多いのはどうなんだろう。


 クロウはそんなことを思い、偵察機が飛び立った先へと目をやった。



  * * *



 夜になった。

 クロウ達は屋根の残る廃墟に入り込み、静かに身を休めていた。

 携行魔導灯が砂礫に半ば埋まった屋内を頼りなく照らす。朽ちた建屋に夜の冷気が忍び寄っていることもあって、侘しさを感じさせる。そんな中で、一人は工具片手に魔導艇の簡易点検を、一人は間口近くで銃を携えて外をうかがい、そして、小さな機体は魔導艇近くの壁に張り付いて点検の様子を赤い目で記録していた。


「よし、終了。今の所不具合はないな」


 独り言めいた声に、小さな機体が応えた。


「ゼル・デクト。整備手順、ノ、記録、ニ、成功。当機、ノ、装備、デ、整備、ヲ、実施、スルコト、可能、デス」

「え、できるの?」

「肯定。当機、ハ、モバル・ロラ(作業用簡易義体)以上、ノ、性能、アリ。整備、モ、当然、可能、デス」


 抑揚があまりないにも関わらず、どこか自慢めいた声。

 これが人ならば、鼻息の一つでも噴き出してみせたかもしれない。クロウはそんなことを思い、無機の機体にそのようなことを感じたことに少し面白さを感じながら、それならばと条件を口にした。


「なら、今から試してみようか」

「肯定」


 若者がするすると地面に降りた機体、その側面からのび出た作り物の手に工具を手渡した。

 そこからは圧巻であった。彼が見守る中、旧文明期の義体は無駄のない動きで魔導艇の周りを動き回り、一対の作業腕が正確な動きで外装を外し、工具を持ち替えて各部の留め具の締め付けや部品の点検、更には清掃を行っていく。当然ながらというべきか、全てが明らかにクロウの動きを上回っていた。

 この事実に若者は些かの精神的な打撃を受けたが、それはそれとして整備をする手が増えるのはありがたいことだと自身を納得させた。


「これなら十分だ。俺も練習しないといけないし、明日からは一緒に整備をしよう」

「ヤァル、ゼル・デクト」


 マキュラは赤い単眼を数回瞬かせる。

 これは喜んでいるのだろうかとクロウが考えていると、当の機体がまた声を上げた。


「整備作業、ノ、記録、オヨビ、試行、ノ、終了、ヲ、確認。コレヨリ、周辺域、ノ、警戒、ニ、移行、シマス。許可、ネガイマス」

「休まなくて大丈夫なのか?」

「肯定。当機動力源、ノ、充填、ハ、昼間、ニ、終了済」

「うーん。一応、間口は塞ぐつもりなんだが……」

「否定。危険地帯、ニ、オイテ、安全、ノ、保証、ナシ。警戒、ハ、常時、必要、デス」


 クロウは唸る。

 とはいえ意見はもっともであると感じたこともあり、すぐに頷いた。


「わかった。蟲が百リュート以内に近づいてきたら教えてくれ。間口は、マキュラが入れる程度に開けておく」

「ヤァル、ゼル・デクト」


 やはりマキュラは赤い単眼を瞬かせる。

 と次の瞬間には脚の車輪を動かし、外へ出て行った。その後姿や動きがどことなく浮かれているようにも見えてしまい、クロウは思わず苦笑する。

 そして視線は自然と間口で警戒を続けている同行者へ向いた。女傭兵は先程までのやり取りに気が付いていない様子で、ただ銃口を下に向け、ただ静かに荒野を見やっている。その横顔は険しい。目の周りに色濃く浮いている隈。真一文字に引き結ばれた口元。頬は硬く固まり彫像のよう。視線はどこまでも冷たく、それでいて陰っている。


 クロウが見るところ、女傭兵は危うい。

 彼女が浮かべている表情は緊張で生み出されるモノではなく、明らかに尋常ではない思いで形作られている。そのことが、彼も一度は経験した身であるから、それがなんとなくわかるのだ。


 クロウは考える。

 既に彼女が置かれている状況について、触りだけとはいえ聞いている。その上でこれに触れるべきかどうか。

 自らが求めた同行者とはいえ、短い付き合いになるであろう相手。この地で初めて面し、ただ双方の求める所と求める所が合致した。だから協力関係となっただけという相手である。

 当然であるが、女傭兵の求める所を止める権利もなければ義務もない。相手が抱えている問題は自らが関わったことでもない。簡潔に言えばまったくの他人事であり、彼女の事情に踏み込む必要などないのだ。


 そう関わる必要はないだろうとは思う。

 思うのだが、彼女が仇を討つことは方々に影響が出るのではないか、という点が引っかかった。

 聞く処によれば、仇たる対象は裏切りを働き、グラル・ポルタ襲撃を手引きしたと思しき者。その中でも責のある立場にいた者である。襲撃を行った勢力に関連する情報を握っている可能性が高い。

 仮にこれを殺してしまうとなると、そういった情報が得られないということであり……、今回被害を受けたペラド・ソラールや取引を行っているゼル・セトラス域にとってみれば、些か問題があるといえるかもしれない。


 クロウは見い出した問題点を咀嚼しながら同行者を見る。

 微動だにしないその姿。瞬きは少なく、瞳は淀んでいる。


 彼個人としても女傭兵の今の在り方が気にかかっている。

 なんとなれば、彼女の姿に、あり得たかもしれない、もう一人の自分を見ていたから。自分が故郷の復興ではなく、蟲への復讐を第一に願った姿ではないかと感じたから。

 加えて、もう一つ思う所があった。それは事を成した後のこと。その渇望を満たした後に、彼女はどうなるのだろうかという不安だ。


 まったくもう、相変わらずのお人好しね、なんて風に呆れながら笑う身内の顔が浮かんだ。


 だが、こればかりは仕方がないと彼は思う。

 何もかもを亡くした時分、人に支えられたからこそ、ここまで生き長らえたという事実がある。それにかつて与えられたモノを誰かに返したい。その思いもある。だからこそ、自分が支える側になれるなら否応もない。


 もっとも度が過ぎれば、誰かさんに大いに蹴飛ばされるだろうが……。


 クロウは頬を一搔き。

 ついで指先の油汚れに気付き、顔を顰める。


 結局のところ、彼が決めるべきは関わるか関わらないかの二択でしかない。であるならば、答えは簡単だった。


「警戒はマキュラに任せた。天測も終わっているから、間口を閉じる。それが終わった飯にしよう」

「……ん、了解」



 ウィルマは黙々と粥を口に運ぶ。

 粉乳をベースにしたパン粥。香草や香辛料、乾燥野菜が加えられている為、乳臭さも少なく風味は悪くない。が、味は少しばかり塩気が強かった。彼女が見るに思ったよりも粥が煮詰まった結果、堅パンに干し肉、乾酪(チーズ)に含まれていた塩分が表立ったのだろう。


「ちょっと失敗したなぁ」


 とはいえ、用意されたモノに文句をつけられる立場ではない。

 そも作った当人が失敗したと認識しているのならば、もう言うこともない。


 いつか、どこか、あの時かどの時か、誰かは失敗を認めなくて、私は、腹を立てた。


 かすんだ過去の記憶。

 女傭兵はぼんやりと匙を口元に運ぶ。


 前に暖かいモノを食べたのは、いつだったか?


 こんな簡単なことも思い出せない。

 それとも思い出したくないのだろうか?


 そんなことを思うこと自体が未練であると感じて、同時に戻らない日々を思い出すことを苦痛に感じて、彼女は全てを振り落とすように顔を上げた。


 青白い灯は、薄暗い屋内を弱く照らしている。

 赤熱の炉は、仄明るい陰を強く揺らしている。


 焜炉に据えられた小さな薬缶。

 水は揺れ動くこともなく佇む。


 既に陽は暮れ、昼の熱も奪われ始めている。

 わずかに開いた間口から海からのモノと思われる湿った冷たい空気が入り込んでくる。冷えたすきま風が彼女の肌を撫で、そのことがのみ込んだ熱がゆるりゆるりと身体を温めていくことを感じさせた。


 ウィルマは閉ざされた間口に目を向ける。

 瓦礫を氷で結合させた壁。なんでもないようにあるそれは、彼女にとってみれば常識外れな存在だった。いったい誰が荒野の中で氷の障壁を作り出すというのか。否、魔導士ならば為せるだろうが、只人が為せるのは普通ではない。


 だがそれを為したのが、同行者が有している装具だった。


 まずもって部材を凍結させた魔導銃。

 彼女も帝国が魔術を弾とする銃を開発しているという噂を聞いたことがあった。だが、あくまでも噂でしかなかったし、開発に成功したなんて話も聞いたことがなかった。

 しかし彼はそれを持ち、簡単に使って見せた。大陸で一番の国が未だ作りえていないであろう代物を当たり前のように。


 次に砂礫を湿らせて繋ぎを作った湧水筒。

 どういうモノなのか、彼女もあらかじめ説明を受けていた。が、実際に途切れることなく流れ出る水には瞠目せざるをえない。こんな便利なモノがあるのかと。

 けれども同時に納得もした。旅路においては持てる水の量が、もしくは確保できる量が進める距離となる。それを気にしなくてもいいならば、未開領域にも踏み込めるだろう。実際、水の切れ目が命の切れ目である以上、これ一つあるだけで生存率が大幅に上がるのは間違いない。


 自然、魔導艇へと視線が動く。

 今まで見たことがない型式の小型船であるが、彼女も今日一日乗ってみてわかった。多少の高低差を問題としない踏破性の高さ。その気になればラティア程度を振り切れる速度。どちらも従来の魔導船にはない性能だ。利便性や有用性の高さは疑いようもない。未開領域を突っ切ったというのも信じられる話であった。


 本当に、どれもこれも一財産になるのは間違いのない代物ばかりだ。


 最後に向かい側で匙を動かす男を見る。

 今まで会ったことがない、不思議な男だと思う。初めて面した時は疲れくたびれた男に見えた。しかし歳はそう変わらないようだった。なのに物腰は随分と落ち着いていた。初対面の男からは必ず向けられる好奇や好色の目にしても、少しも感じられないということはなかったが、不躾なモノではなく不快に思う程ではなかった。

 一日を通して魔導艇を安定して操り、定期的に淀みなく天測をする様は一端の航法士に見えた。旧文明期の存在と上手く付き合い、力を借りることもできる。機兵としての腕前は見ていないが、免許を見せられたし組合の男もそれが真であると証明した。ゼル・セトラスの公認機兵は都市軍の機兵より腕がいいと聞いたことがある。その話がどこまで信用できるかは置いて、免許を持つ以上は機兵として相応の実力を持つと判断できる。

 実際に方針を決める早さと行動に移る速さ、それに時折見える鋭い眼差しが戦う者のそれであり、実戦を経験しているとの話は事実だと思えた。


 この男に良い装具が揃ったならば、確かに未開領域を突破できるだろうと納得できる。

 だからこそ、ウィルマにはわからない。それだけの力量を持つ男が同行者を求める理由が。どう考えてもシャルバードまで一人でたどり着けるだろうと思えたから。


 私がいる意味があるのだろうか?


 当然の問いが浮かぶ。

 途端に不安と恐怖が膨らんだ。相手が求める所を満たしていないかもしれないという不安と、自らの存在価値を証明できなかった時に、仇討ちに至る糸が途切れるかもしれないという恐怖だ。


 ウィルマは内々で乱れる。

 そんな彼女の思いを知ってか知らぬか、赤髪の若者が声を上げた。


「街の外で、独りでいるのは……、思ったよりも辛い。誰かが傍にいると、それだけで気が紛れるよ」


 溜息を吐き出すかのような声。

 嘘や冗句、建前といった虚飾は感じられなかった。


 けれど、ウィルマにはそれが信じられなかった。自分が感じ取ったことを信じきれなかった。

 故に独りという言葉につられるように口を開く。


「慰めが、欲しい?」

「まさか。最初に言ったことを違える気はない。立場と場所は弁えてるし、そこまで飢えてもないしバカでもないさ」

「そう。……でも、その件に関してはこちらに気を使わなくてもいい。私は別に構わない。クロウがわたしを求めるならば応えてもいい」


 ウィルマは不安と恐怖を押し殺し、淡々と言った。

 言うまでもないが、この提案には下心がある。身体の繋がりでもって情を得て、情の縛りでもってこちらの意に添わせようという魂胆が。惑い乱れる心の中で、それ以外もあるかもしれないとどこかで思っていた。しかしそれは表に出ることなく、深く沈んでいく。


 対する男は思い切りむせていた。

 持っていた食器を取り落とさぬようにしながら、げほげほと息を整えようとする様は、これまでになく年相応に見える。思わぬ反応を意外に感じながら、思い当たった理由を口にする。


「もしかして、童貞?」

「けっほ、ちが……、まずは……えほっ、おち……着け……、こっちの、話を……」

「肌は荒れてるけど、体力はある。一晩中相手をすることも……たぶんできる」

「……いや、げほっ、だ、だから……ちょっと……マテ」

「身体は硬いだろうけどそれなりに男の好みに合っていると思う。あ、もし性病の類を心配をしているなら安心してほしいそういった経験はないから大丈夫」


 だんだんと早口になっているが、彼女はそれに気づかない。

 一方の若者は咳き込みをなんとか抑え込む。それから大きく何度も深呼吸をし、食器を傍らに置くやいなや俯き、頭が痛いと言わんばかりに額を抑えた。そして、方向性は違うがミシェルと同類か、いやでもさすがにそれはないだろうし、となれば……、なんて呟きを発した後は難しい顔で黙り込んだ。つられてウィルマも口を閉ざす。焦りや不安から息も詰まる。


 しばしの間、音無しの時が流れる。

 やがて薬缶から沸々と音が立ち始めた。ゆらゆらと立ち上る湯気が乾ききった中空に消えていく。


 若者が意を決したように顔を上げた。

 先程までの緩さはどこにもない。一切の甘さを感じさせない精悍な顔。これまで見たことがない鋭い目つき。女傭兵の背筋をぞくりと怖気が走る。


「なんで急に、そんなことを言い出した?」


 しかし出てきた声には戸惑いの色が強かった。

 ウィルマは詰まっていた息を吐き出し、自らの考えを声に乗せた。


「男が女に望むのは大抵が身体だと、傭兵団で見聞きしてきた。わたしにはあなたに提示できる対価がこれ位しかない」

「その対価ってのは、仇を探す手伝いをすることへのものって考えたらいいのか?」

「そう。私にとって、仇を討つことは、なによりも重要なこと。必ず為したい、いや為さなければならないこと。だから……なにがなんでもあなたの力を借りたいと考えた」

「その為の一手がさっきの誘いか。……理由は分かった。けど今回の話は組合連合会を通しての正式な契約だ。ちゃんとそちらの手伝いをする。自分の信用にかかわる話である以上、それを反故にするような真似は絶対にしない」

「それはわかっている。でも私は、私には……、それが信じきれない。信じたいと思う。思うけど、どこか信じられない。本当に信じていた身内が……、肉親が裏切りを働いたから」


 相対する男の眉根、その片方が上がる。


「信じたいけど信じきれなくて、俺が契約……約束を守らないかもしれないと思った、ってことか」

「そう、なる。……今日一日、私は役に立つことがなかった。共にいる意味はないように思えた。私は私に求められている役目を果たしているとは思えない。約を果たしたとは言えない。だから、どうすればいいかを考えた」

「なるほど、な。……正直、同道してくれるだけで、かなり助かっているんだけどなぁ」

「それが信じられない。だから、私は、信じられるナニカが欲しいと思った」


 そうか、と短く応えた男は気分を害したように顔を歪めた。

 眉根が寄り、これまでになく渋く難しい表情。明らかに苛立ちないし不快感を抱いている。ウィルマに自分が失敗したのだと悟らせるに十分だった。


「傭兵の世界でも、信義や契約は重要だと聞いている」

「それは……、そう」

「機兵だってそうだ。結ばれた約定や契約は絶対に破らない。それを蔑ろにして機兵への信を落とすと、先人達が代々積み重ねてきたモノを無にしかねないからな」


 今度こそ、息が止まった。

 こちらを見据えた目に、その眼光に、圧倒された。


 父から聞いた言葉を思い出す。

 機兵ってのは堅物が多いしおっかない。けどよ、背中を預けるに十分に値する連中だ。なにしろあいつらはな、俺たちみたいな傭兵と違って、戦場で絶対に背中を向けて倒れない。……なぜかって? 連中はな、戦友や守らねぇといけねぇ奴がいるとな、自らの死を賭して絶対の不退転を決めて留まるんだよ。……ほんと、バカだよなぁ。死んだら終わりなのに、よ。……けどよ、そうやって血と屍で証明してきたからこそ、あいつらのことをどこまでも信じることができる。頼ることができる。……俺たちみたいなのと違って、な。


 聞いた時は嘘だとも綺麗事だとも思った。

 実際は、ほんのわずかな実例を強調して美化したものだとばかり思っていた。


 いや、今だってまだ疑っている。

 それなりに戦場を知っているだけに、自らの生死が掛かった場で、本当に自身の責務に殉じることができるのだろうかとの疑心は決して晴れない。


 だけれども……、ただ少なくとも、今、目の前にいる男は、その在り方に矜持を、そう在ろうとする意識を、自らが背負っている役割に責任を、抱いている。


 そう思えるだけの、思わせてくれるだけの、ナニカが男にはあると信じられた。


「疑ったことを……、謝罪、する」


 ウィルマが絞りだした言葉に、男はふっと息を抜いてぎこちなく表情を崩す。


「いや、そっちがそう思ってしまうのも仕方がない。初めて会った相手を簡単には信用できないだろうし、いきなり信頼しろってのは無理な話だ。それに、ウィルマの、あー、切羽詰まった事情を考えればな、焦りもするだろうし、言葉だけじゃ信じられなくて自分の身体を使ってでもってなるのも、まぁ、わからないでもない。……けど、それでも、こっちとしては、結んだ約束は守るって言うしかない。一緒にいてくれるだけでありがたいってことを、それを信じてくれって言うしかない」


 穏やかな声が続く。

 それはウィルマの凝り固まった心に染み入るように入り込んでいく。


「ま、これはこれとして……、もし仮に、そっちの捜索が想定している期間内でうまくいかなかった場合だけど、しばらくの間は付き合ってもいいかなって考えてる。正直、事情を聞いて共感できる部分もあるし、途中で放り出すのも気分が悪い。幸いというか運がそちらにあるのかはわからないけど、こっちも今の仕事が終わったら時間に余裕ができるしな。……あ、対価はさっき言ってくれたモノで、よろしく」


 そう言った後、赤髪の若者はおどけるように笑った。


「ただ付け加えておくと、前払いを受けるのは俺の好みじゃない。やっぱり報酬っていうのは仕事をしてから……、事を成し遂げてからの方が気分よく受け取れる。後、下世話な話、対価が足りない、なんてことになったとしても、時間も長く取れるからな」


 滲みぼやけた視界の中、無理をして作っているとわかる不器用な笑みが、ウィルマの印象に残った。



  * * *



 翌朝。

 クロウは昨日と同じように魔導艇を奔らせる。

 一定の速度で荒れ地を行き、偵察機がもたらす情報に耳を傾け、時に蟲や障害物を避けては地図を確認し修正を書き加える。違う所があるとすれば、後ろに座る同行者との距離や関わりだろう。


 昨夜のやりとりを経てか、ウィルマは変わった。

 いや、元々の性質を取り戻したという方が近いかもしれない。

 移動中は操縦に負担をかけないよう、よりクロウに身を寄せて、艇を安定させることに務めるようになった。それに加えて、後方や周辺の障害物を警戒したり、時にクロウやマキュラから伝えられる航行に関わる情報や特徴的な地形等を記録したりと、自らができることでもって積極的にクロウの補助をし始めた。

 また小休止の際も昨日まではただ黙然と周囲を警戒するだけであったのが、クロウと向かい合って地図を覗き込み、自らが感じたことを話したり意見を述べたりするようになった。


「地図から見て、この辺りから先は東ドライゼスが近い」


 魔導艇の座席に広げられた地図。

 ウィルマが大陸に幾度も爪を立てたような海岸線を指し示し、ついで山脈と表示されている場所をなぞる。クロウもまた相手の言に頷き同意を示す。しかし口から出てきたのは前提を崩すもの。


「ただ地図は旧文明期のモノらしいから、このままの地形とは限らない。聞く所によると断罪の天焔の時に、海が溢れる大津波って現象が起きて、海岸どころかかなり内陸まで押し流したらしい。そこまでの出来事があったなら地形も変わっている可能性がある」

「私にはそれが本当かどうかはわからない。その話は正しいのかもしれない。けど、そうではないかもしれない。だからここは地図が正確だと判断して従った方が無難」

「やっぱり、そう考えた方がいいか」

「より正確な地図を作れと言われているなら、それに応じた動きをすればいいだろうけど、今クロウが請けている仕事を考えると、まずはシャルバードまでこの船でたどり着けることを示すことが大事だと思う」

「そうだな」


 クロウはしかと頷く。

 が、その顔はすぐに渋面となった。


「ただ山側に近づくと、アレがちょっと怖くてなぁ」

「怖いというと……、ダ・フェルペ? それとも、ダ・ルヴァ?」

「ダ・ルヴァだな。こっちに来る時、一群に襲われた。アレは本当に対処のしようがない」


 クロウは空飛ぶ蟲の狂気じみた攻撃を思い出し、ぶるりと身を震わせる。

 対するウィルマは特に問題がないような顔で応じた。


「大丈夫。ダ・ルヴァなら落としたことがある」

「アレを?」

「ダ・ルヴァは落下軌道が読みやすい。甲殻も薄いからどちらかの羽を散らして態勢を崩せば、見当違いの場所に落ちる。私としては甲殻が分厚いダ・フェルペの方がやりにくい」

「ダ・フェルペか。……多分だけど、そいつにも襲われたと思う」

「潰せた?」

「いや、視界が悪い所だったから避けるので精一杯だった」

「アレはダ・ルヴァ以上に速いから落とすのは難しい。それに正面の甲殻も分厚いから銃撃の効果が薄い」


 女傭兵は肩にかけた小銃を示す。

 それから少しばかり剣呑な雰囲気を滲ませて続けた。


「ただ仮に出たとしても、対処できると思う。……グラル・ポルタを襲った輩も通ったなら、私たちに行けない道理はない」

「確かに、って言いたい所だけど……、連中を動かした奴らを考えると、ここに来るまでに海路を使った可能性が高い」


 このクロウの意見に、ウィルマは意表を突かれたように目を見開いた。ついで悔しそうに言う。


「盲点だった」

「いや、こっちは少し予備知識があるから、そう考えただけ。とりあえず、この狭隘部の近くまで行って周辺を確認してから、改めて針路を決めよう」

「わかった」


 二人は方針を定めると魔導艇に乗り込み、その場を発った。



 ラ・ディは荒野を行く。

 崩れ去った建物と思しき瓦礫の山や風でもって均された砂礫地、少なくない水を湛えた沼、所々で生い茂る草木や一塊の小山となったかつての車両等といったものを傍目に、小さな魔導艇は奔り続ける。

 やがて進む先は右側に東ドライゼスの峰々が見え始めた頃、ウィルマがぽつり呟いた。


「速い」

「ん? ……あ、きついか?」

「それは大丈夫。ただこの船の速さに感心していた」

「あー、確かに速いよ、これ」

「これまでの魔導船からは考えられない」

「だよなぁ。開発した所が言ってたけど、これまでにない仕様だから、しばらくは他と競合しないだろうってさ」

「間違いなく偵察や連絡に使える。今もこれがあればって、本当に思うもの」

「ま、使うには免許がいるけどな。っと、もう少し進んだあたりで一度……」

「警告!」


 唐突に、マキュラが声を上げた。


「敵性体、発見! 方位、〇、二、三、〇! 距離、三、六、二、一! 丘陵部、ニ、複数体!」


 二人は示された方向へと目を走らせる。

 開けた大地。点在する草木や廃墟。その後ろに小さな丘陵。丘の上。空との境目から姿を現す、蠢くナニカ。


「確認した」

「こちらも確認した」


 ウィルマはじっと目を凝らす。


「六本足、触覚が一対、……七つ目。推定ラティア。数は三十以上。一群と思われる。……動き出した。こちらに気付いてる」

「回避する。針路修正、二、七、〇、〇。現在時刻、一、五、三、二」

「…………記録した」

「転舵。……レード(取舵)


 魔導艇が微かに傾ぎ、後ろから押されながら曲がりだす。

 これまでとは方向が異なる力。視界が巡る。ウィルマが揺るがない背中に身を寄せて耐える。体感では些か長く、実際には然程でもなく、魔導艇は進行方向を変えた。未だに残る揺らぎ。微かな当て舵。


セグトー(定針)。……ウィルマ、連中は?」

「まだこっちを追う動きを見せてる」

「引き連れては行きたくないな」

「無理をせずに戻るのも手だと思う」


 意見を受けて、クロウは対応について考える。

 いや、考えようとしたところで再び声。


「警告! 敵性体、急激、ニ、増加!」


 言葉の意味を理解して、ぞわりと怖気。

 それと同時に後方から声が上がった。それは彼にとっては初めて聞く響き。悲鳴と変わらぬ叫びだった。


「嘘っ! いきなり、なんで!」


 焦りや恐怖が入り混じった声に導かれて、クロウも右後方を垣間見る。

 先の丘は赤錆色で染まり、風に撫でられる麦穂のように陰影を波立たせていた。


 一群どころではない数だった。


 漏れ出る舌打ち。

 決断も速かった。


「引き返す! 針路修正! 一、八、〇、〇! 現在時刻! 一、五、三、四! 速度六十!」

「……え、あ、…………き、き、記録した!」

「転舵する! レード(取舵)!」


 クロウは舵を切り、周囲に警戒の目を向ける。

 幸いにも彼らの周囲には動く影はなかった。肩に少しばかりの痛みと重み。後ろからしがみつく力が先よりも強い。


「ウィルマ、腹にしがみついてくれ」

「りょ、了解」


 腕が腹に回されて、密着の度合いが強くなる。

 クロウは同行者へ大丈夫だと一声かけてから、今起きている現象について、これまで蓄えてきた知識と見聞きし肌身で感じてきた経験とでもって推測する。五秒とかからず、彼なりの答えが出てきた。


「……巣か」


 漏れた呟き。

 残りは内々で言葉となる。


 これはまた、当たりを引いた。

 いや、今の状況だと外れとする方が正しいか。


 クロウはなんともいえぬ表情で息を一つ。

 ミソラがいれば吹き飛ばすんだが、などと考えながらも頻りに単眼を巡らせる無機体へと声をかける。


「マキュラ。さっきの丘の、正確な位置の記録を頼む」

「ヤァル、ゼル・デクト!」

「後、今の丘の様子は?」

「個体数、減少中」

「減ってる? となると、そこまで大きくはないってことか?」

「情報、ガ、不足。当機、デハ、判定、困難」

「ああ、悪い。今のは独り言だ。引き続き情報の収集を頼む」


 そんな言葉を返しながらも、考えることは今現在の脅威への対処方法。

 群団規模のラティアとは前に一度やりあって潰している。数だけを考えれば対処できないことはない。が、前は狭隘部でかつ一方だけを警戒すれば良かったのに比べて、今の開けた場所では全方位を警戒しなければならない。いくら人手や広い目があったとしても、こちらが圧倒的に不利、というよりも包囲されてしまうと圧殺されるのは間違いない。

 それに、背中越しに伝わってくる微かな震え。腹で結ばれる両腕。その力も強い。無理はないと思う。いくら経験を積んだ傭兵といえども、あれだけの数のラティアを見ればこうなるだろう。普通に考えて、生きている傭兵が野外で目にするのは多くても一群程度。それ以上を目にする状況なら全滅は必至で、まず生き残れないはずだ。いや、そもそも一群を超える規模に対処しようと思えば、強固な拠点か有力な戦力を持つ機動部隊がないと難しい。とまで考えて、思考がずれ始めていると首を一振り。


 決めることは単純だ。

 連中から逃げるか、それとも潰すか。


 事を単純化したクロウの耳に、蟲が生み出す足音が届く。


 幾重にも重なりあったそれは地響きとなっている。

 彼にとっては、かつて恐怖しか感じなかった轟きだ。



 だが今は……、そこまでの圧を覚えない、ただの足音の連なりとしか感じなかった。



 それを自覚した瞬間、心がざわめいた。

 あまりにも意外な感覚に、ラティアの大群にそこまでの脅威を覚えていないという事実に、驚きと困惑と喜びと疑問とが入り混じり、気持ちがまとまらなくなったが故に。


 自身を落ち着かせようと、操作桿を握る手に力をこめる。

 緊張し伸縮する肉体が新たな熱を生み出し、巡る血潮を熱くする。

 血が巡り巡り、熱は伝播する。熱は新たな熱を生み、体中にいきわたる。


 熱さ。

 発汗。

 渇き。


 思考がぶれる。

 一つの気づき。


 ……そうだ、アレらを潰せないことはないのだ。


 自らのなにげない認識を再確認した瞬間、戦意が滾りだした。


 突沸した戦意に熱せらて、心がさらに揺れる。

 自然、底を為す精巧な重い蓋(理性)が微かにずれた。


 蓋の奥。

 彼の根底では種火のように熱を放つ渇望(復讐心)が、新たな供物がくべられる時を待っていた。

 種火の番をしていた静かな狂気が蓋の隙間に気付くと、とても楽し気に笑い、するりと抜け出てくる。


 それは優しく歌うように、甘く囁いて唆す。


 魔導銃という、世に比類ない武器がある。


 魔導艇という、類まれは機動力もある。


 追ってくる蟲は縦に列を連ねている。


 警戒する目も、注意する声もある。


 最低限の条件はもう揃っている。


 かつてなかった力が今はある。


 何を迷う必要があるのか?


 心赴くままに力を振るえ。


 やれないことではない。


 全てを塵芥へと返せ!


 地を緑血で染めろ!


 ……………………。


 …………やるか。


 手が腰に回り。


 誰に触れた?


 身じろぎ。



 はっと我に返る。



 音が戻る。風が返る。色も戻る。

 流れる景色。周囲は砂礫と瓦礫。

 心音が早鳴りに鼓を刻み、乾ききった喉が痛い。

 自身の背に感じる重み。腹に感じる締め付け。寄る辺を求める存在。


 ここにいる理由は?

 目的はなんだった?

 今するべきことは?

 依頼はなんだった?


 ぎしりと歯噛み。

 魔性の力(魔導銃)に浮かされた。


 束の間とはいえ、心浮かされて激情に呑まれた事実を恥じる。沸き起こった動揺への対処を間違えたことを悔いる。同時に自身に巣くっている執心……甲殻蟲への底を知れない殺意を明確に自覚できたことはいいことだと、内々で言い聞かせる。


 クロウは気分を落ち着かせようと、大きく息を吸う。


 そこに更なる変化。


「警告! 右前方! 隆起、確認!」


 微かに首を動かし、確認。

 砂地が流れ割れるように盛り上がり始めている。エル・レラへの偵察で起きた出来事が頭をよぎる。燻る後悔。あの時と今とを比べても状況はほとんど変わらないと、口元が歪んだ。


「数、十七! 現出! 不明、生体、確認!」


 舞い上がる砂埃の中、複数の長いナニカがその身を天に伸ばした。


 新たな脅威から距離を置くべく操作。


「ヴェガル!」


 後ろから驚き交じりの声。

 蟲の名と思い出す。釣られて記憶にあった特徴も蘇る。

 陸生。足のない線虫型。体表に厚い甲殻。動きは遅め。口腔が大きい。魔導機も一呑みにする。


 視界に入る実物。


 長い影。色は赤黒。

 縦横の幅はそれぞれ一リュート弱。

 伸びあがって揺れる身は三リュート超え。地中にも続くと見て、全長はそれ以上。


 でかいのは厄介だと眉間にしわが寄った。

 ついで動きに注意を向ける。大部分がその身の先をラティアの群れに向け、近場の一、二体がこちらへと指向していた。こちらの速度と相手との距離から確実に逃げられると踏む。

 ならばと以後のことを想定。先の旅程で蟲の生態を垣間見たこともあり、ヴェガルがラティアを餌とする、あるいはラティアがヴェガルに抗すると判断。それでもラティアの一部はこちらを追うと思われるから、かなりの距離を戻る必要があるだろうとも結論づけた。


 今回はまだ運が良かったかと思い、同時に考え直す。

 ここまでの音を響かせている状況で、この程度で済むとは思えないと。


「ウィルマ、ヴェガルの相手はしない。アレらはラティアを狙うはずだ。それよりも空への警戒を頼む。できれば特に後方を。例の奴らが来るとまずい」

「あ…………、うん。了解した」


 ウィルマの声から、先程までの緊張が抜け始めていた。

 腹で結ばれていた両腕もほどかれ、これまで通りに肩へと移った。その動きに鈍さは見られない。恐慌が去ったのだろうと安堵し、やはり場慣れした傭兵だとも感心する。


 それよりもと、クロウは改めて先の醜態を思い出す。

 ラティアの大群に脅威を覚えなかったことに動揺して、激情に呑まれかけたのは情けなかった。魔性の力に浮かれ、目的を忘れたことも恥ずべきことだった。


 若者はまだまだ修練が足りないと大きく息を吐き出す。


 後ろから足音に負けぬ程の地響き。

 うわと小さな声。遠く蟲の鳴き声らしき音。甲殻蟲が争いだしたのだろうと、首を捻ってちらりと見る。


 青空に巻きあがっている大量の砂埃だけがあった。


「今日はこれ以上進まない。ここから距離を取って安全を確保する。明日一日は周辺を探って、それから針路を決める」

「賛成する」


 やはり未開領域は甘くはない。

 シャルバードまで相応に時間がかかりそうだと、クロウは苦く笑った。

ねむい。

おかしいな、とうこうびのねんが1つふえているきが……。


遅くなりすぎて、ごめんなさい。

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