四 信は何処より
遅れに遅れて一年。
ただただ申し訳ないです。
今まで生きてきて、世の中が儘ならないモノだということは知っていた。
それでもなんとかやってきたが、今回は極めつけとしか言いようがない。
バルデス傭兵団の副長……否、裏切りを働いた以上は元副長というべきだろうか、その男は壁に身を預け、苦り切った顔で奥歯を噛みしめた。
彼の頭に思い浮かぶのは、今のあり様に至った切っ掛け。懇意にしていたペラド・ソラール市軍将校からの酒席への誘いだった。
団長が小難しいことや堅苦しい人付き合いを苦手していたことから、決を下す為の情報の取得や整理、また対外的な交渉といったことが彼の役割であったのだ。当然ながら、雇い主との宴席は情報の交換や仕入れに不可欠なモノであり、常のごとく参加した。
そして、その場で何気なく語られたのは、未確認ながらもグラル・ポルタが賊党から狙われているという話。
厳に秘匿されているのだからあるはずがないと、他の参加者達が笑って否定していたが、彼は経験上、どれほど厳密に固めたとしても漏れない情報はないと感じていた為、可能性があると思った。
自然、仮に襲撃があった時、どう対応しようかと考えた所で、隣に座っていた見知りの将校がこう呟いたのだ。
何も考えずに、気楽なものだと……。
彼もその意見に頷いた。
確かに、可能性を端から否定するのはいかがなものかと思ったのだ。
故に、その将校と話し始めた。陽気な賑わいの中、場違いとも言えるような声で状況を想定し、どう対応するかと意見を交わしたのだ。その結果として、相手の戦力によるが、今の油断しきった状態では防衛部隊は壊滅的な被害を受け、拠点もまた陥落する可能性が高いと出た。
だからこそ、その意見を持ち帰り、団長と話し合わなかければと思った。
不意に、元副長の顔が歪んだ。
渋く苦く。それでいて、怒りと悔い、哀しさが入り混じっていた。
そのまま数分が過ぎ、彼の内で混濁して乱れ定まらなかった感情がようやく鎮まった。
後に残ったのは、表情が抜け落ちた顔。同時に全身の力が抜けて、体が沈む。身に着けた服はあの夜から変わらず、返り血が染みとなっている。それを活力が消え失せた目でじっと見つめていたが、不意に瞼を閉ざす。
次に目を開けた時、その瞳は虚ろであった。
意も熱もない視線が室内をさまよう。目に入るのは彼が企てに引き込んだ、あるいは企てを知って乗ってきた者達。どの顔をも一様に沈み切っており、かつてはあった軽口の応酬や雑談が一つもない。
ふっと息を吐く。
自然と思い出されるのは、彼が悪逆に手を染めてでも守ろうとしたモノ。そして、自らが壊してしまったモノ。
「……に……を」
男は自分にそんなことを願う資格がないことを知っていながらも、ただ小さく望みを呟いた。
* * *
襲撃があった日より三日。
グラル・ポルタは常の状態に戻りつつあった。
連日現れる小船団が増援部隊と物資を送り届け、負傷者や遺体を引き揚げていくことが主たる要因である。本国から見捨てられていないとの実感を得られたことで、士気と人心が安定したともいえよう。防壁の応急処置が終わった今では、破壊された建物の解体や車両等の残骸の撤去、仮設宿舎の建設が始まっている。
ウィルマは賑やかな作業音を後ろに聞きながら、防壁の上で周辺を監視している。
無言のまま誰とも語らず、独りで課された仕事を担い続ける。硬く固まった顔は緩みなく、それ以上に感情の色が見当たらない。ただ黒ずんだ目の隈と鈍く光る瞳だけが際立っていた。
彼女は昏い目で思う。
皆、あの日のことに区切りをつけ始めている、と。
戦いを終わったことにして、凄惨な記憶に仮初の蓋をして、犠牲を過去のことにして、日常に戻っていく。それが自然であって、間違いじゃないことはわかっている。これまでならば、私もそうだっただろう。
女傭兵は肩の選抜小銃を担ぎなおす。
銃を与えられた時、扱い方を教えてくれたのは誰だったか。構え方や撃ち方を教えてくれたのは誰だったか。整備する時は女を扱うように扱えと言ったのは誰だったか。いまいちわからないと言ったら、お前なら男の竿と玉を扱うようにだと言いなおしたのは誰だったか。そう言った誰かを整備していた銃を放り出して、殴ったのは誰だったか。
腰の鞄から砕いた堅パンを取り出し、その一欠片を口に含む。
堅パンに歯が立たないと文句を言ったら、そのまま食うんじゃないと呆れたのは誰だったか。下手すりゃ歯が欠けるぞと、自分の歯を見せたのは誰だったか。こうやって割るんだと割り方を教えてくれたのは誰だったか。水がない時は唾液でふやかせと言ったのは誰だったか。
ふつふつと昂ぶり始めた感情に、ぎりりと歯を噛みしめる。
怒りを抑え込む方法を実演しやろうと言ったのは、誰だったか。ちょっとした悪口を言われた瞬間殴り掛かったのは誰だったか。どれだけの怒りであっても、腹の底に沈めて耐えるんだと言ったのは、誰だったか。その怒りはどうするのかと聞けば、後で何十倍にもして吐き出すんだと言ったのは、誰だったか。
……皆、もういない。
歯茎が軋み、世界も軋む。
渦巻く憤怒が出口を求める。
抑え込むため、思い込む。
まだ、その時ではない。
ウィルマは自分にそう言い聞かせ、なにもかもを呑み込もうとするように、大きく息を吸い込んだ。
それから、改めて壁の外を見る。
特に代わり栄えしない見慣れた世界だった。当然の話だが、何もしていない以上は荒れ果てた地が一日二日で変わるはずもない。ただ砂礫の地に瓦礫が転がり、枯れ草が海風に吹かれている。その中にあって、変わったモノがあるとすれば、三百リュートほど離れた場所に屯する車両群だろう。
彼女の目は自然とそれらに惹き寄せられていく。
なんらかの規則性でもって円陣を組むように配された幾種類かの車両。危険とされている防壁の外において、悠然と構えている姿はある種の異様である。だが彼女があの夜に見た光景を思い出せば、納得できる話でもあった。
あの力が、欲しい。
立ち塞がる全てをなぎ倒せる力が……。
万難を排して、自分の望みを達することができるだけの力が、欲しい。
女傭兵は叶わぬとわかっていながらも、そう思わずにいられなかった。
「ウィルマ」
呼び声に振り返る。
そこにいたのは、傭兵団の実戦部隊で唯一生き残った小頭とその配下の傭兵だった。
「事務長が呼んでいる」
ウィルマが事務用の天幕に入ると、事務長と見知らぬ男とが向かい合って座っていた。
いつしか身になっていた警戒心が、相手が何者であるかを探ろうと視線を走らせる。身に着けているのは白い上着に黒いズボンと、壁の内側でよく見かける勤め人のような姿格好。肌の色は薄い褐色。髪色は黒。記憶がゼル・セトラス域からその周辺域に多いと知らせてくる。こちらに気付いたのか、振り向いた顔は面長で目が細い。見目や皺から中年に入りかけの年頃と当たりをつける。そして、目を引くのが口元の微かな薄笑い。
胡散臭い。
女傭兵はそう断じて、老事務長に目を向ける。
だが彼女が口を開くよりも早く、男が頭を下げて話し出した。
「あなた様にお目にかかるのは此度が初めてのことと思います。わたくし、ゼル・セトラス組合連合会ペラド・ソラール支部のフォルクと申します」
お見知りおきをと告げたので、彼女は短く名乗る。
「ウィルマ。バルデス傭兵団の傭兵」
「はい、聞き存じております。射撃の腕は団でも一二を争うと」
一方的に知られていることに、警戒心が強くなる。そこに事務長の声が届く。
「ウィルマ。フォルクさんとうちの団とは、以前からお付き合いがあるの」
「はい。この三年ほど、お世話になっております」
「依頼人?」
「はい。ペラド・ソラールよりシャルバードまでの船団護衛をお願いしておりました」
「それなら覚えている」
季節ごとに定期的にあった仕事だ。
船員達の目が少しばかり煩わしかったことを除けば、商船に乗り込んで周囲を警戒していればいいだけの楽な仕事だった。
フォルクは女傭兵の言葉に応じるように頷いた。
「覚えていただいているとは、ありがたいことです。我々としても信用できる相手は貴重なものでして……、ええ、ええ、貴重なご縁となった、団長様と副長様と初めてお会いした時のことは、今でもすぐに思い出せます」
触れられたくない名前を聞き、自然と目が鋭くなる。
それに気が付いているのかいないのか、組合の男はウィルマから視線を外して語りだす。
「あれは四年前のことです。ええ、初めてお会いしたのは私が新たな任地であるペラド・ソラールに赴く途上、シャルバードのとある酒場でのことです。偶然にもひと時、席を共にいたしましたが、信を第一にする考え方に、またそれを実践しようとする在り方に、感銘を受けたことを覚えております。また、その時に、お二人から、うちの娘はと自慢されていたことも、はい、覚えておりますとも」
ウィルマはどんな顔をすればいいか、わからなかった。
故にできたのは表情を殺して、そうと短く応えるだけ。それを受けた訳ではないだろうが、フォルクは悲しげな顔になる。
「先日の襲撃で、団長様と副長様、それに多くの団員方が亡くなったと、先ほどお聞きしました。我々としても信義と道理を弁えた、頼りになる方々を亡くしたことは非常に惜しく、痛恨の極みであります。本来であれば、手向けの一つでも用意するべきところですが……、なにも用意できず、誠に申し訳ございません」
下げられた頭を見つめながら、女傭兵は首を振る。
「知らなかったことを理由に責めるのは筋違い」
「ウィルマの言う通りです。今日、初めてこちらに来られた方に事情を弁えろ等とは言いません」
「お言葉、ありがたく」
ウィルマは首肯することで話は終わりと示すと、男の神妙な顔を観察しながら尋ねた。
「それで、フォルクさんがここに来た理由は?」
と言ってから、あることを思い出して付け加える。
「その前に、グラル・ポルタへの出入りは厳しく制限がされていたはず。なのに、どうやってここへ?」
「仰る通り。この地での港湾建設はペラド・ソラールの極秘案件。常ならば、そういった話を知るどころか、外部の者である私がこうしてこの場に来ることなど、到底不可能でしょう。ただ世の不思議か人の不条理か、はたまた時の巡り合わせとでも申しましょうか、些かの条件付きで相手方と話がつきまして、こちらに入れることとなりました」
「そう。……ならもう一度聞く。ここに来た理由は?」
「さすがに今は内容までは詳しく申せませんが、まぁ、上の上……組合の本部から特別な仕事が回ってきまして、それを遂行する為です」
「それがここに来た目的だと?」
フォルクは言葉に迷うように眉根を寄せる。
「はい。ただ私自身に課せられた仕事に関しては、こちらに入れた時点で半ば達したと言えるのです。ですが、その仕事に付随していると申しましょうか、それとは別に解決すべき案件が一つございまして……、これがなかなかに達成条件が難しく、頭を抱えている次第でして」
「それについて、聞いても?」
「もちろんです。実はこちらを訪ねたのは、そちらの件で依頼をしたいと考えた故でございます」
ウィルマは黙っているもう一人に確認の視線を送った。それを受けて、老事務長は言葉を添える。
「フォルクさんが我々に依頼したいと言ってこられたのは、この地にいる、組合と縁のある方の護衛をしてほしいというものです」
「あ、ただの護衛とは少し違うので、すが……、いえ、実質的に、お願いしたいこととはそれになりましょうか」
「はやふやな言葉は齟齬を生む。もう少し明確に、お願いしたい」
「ええ、ええ、もちろんです。私がお願いしたいこととは、終了期日は未定ではありますが、ある一定の期間、その人物と行動を……、いえ、その方の仕事を手伝っていただきたいのです」
女傭兵は首を小さく傾げる。
「護衛となにが違う?」
「はい。護衛と言い切ってしまえば、その方の身を守ることが一義となり、それ以外については契約の範囲外となりましょう。ですが、その方が欲しておられるのは共に仕事を成してくれる仲間なのですよ」
傭兵に護衛や荒事以外を求められてもと、ウィルマは困り、それが自然と表情に出た。フォルクもまた申し訳なさそうな顔となって続ける。
「あなた様が困惑されるのも当然と思います。いきなり、どこの誰とも知れぬ相手の仲間になってくれと言われても、頷ける訳がない。まだ傭兵としての雇用契約を結ぶ方が安心もできましょう。……ただ先ほどあなた様が言われました通り、彼我の認識に齟齬があるといらぬ軋轢の元となりますから、相手が求めている所を偽りなく申し上げました」
「ん、相手が必要とする所については了解した。でも疑問がある」
「どうぞ」
「その人の仲間、になれそうな人を、組合では用意できなかったの?」
「いえいえ、元々はその方にも仲間はいるそうです。ですが、やむにやむを得ぬ理由で行動を共にできなかったのことでして……」
「それは相手の失敗では?」
「それも仰る通り。ただ本部はその方に対して、叶う限りの支援をすると決めているようです」
ウィルマは伝え聞く大組織の、一個人に対する入れ込みぶりに少し呆れた。
だがすぐに、その相手にそれだけの価値があるのかもしれないと思い直す。その為、より多くの情報を引き出そうと揶揄を口にする。
「過保護なのね」
「そう言われると確かに否定しきれない所ではあります。私とて何も知らなければ、贔屓かなにかだろうと考え、気を入れて仕事をすることもなかったでしょう」
相手の物言いに興味を引かれて、目で先を促す。男は心得たように語る。
「本部からの伝達の中に、その方の実績が付帯情報として添えられておりました。いやはや、その方の組合への、引いてはゼル・セトラス域への貢献は実に大きいモノでした。これならば本部が肩入れしたくなるのも頷ける程でして、それ故に、私としましても、先方の望みをできるならば叶えて差し上げたいと思った次第でして」
肝心な所が抜けていたことで、自然と睨むような眼。だが、フォルクは素知らぬ顔で舌を回す。
「とはいえ、私に今回の仕事が振られたのは襲撃日の翌朝のこと。それでもなんとか混乱しているペラド・ソラール当局と話をつけ、この地に入れる許可を得たのは良いのですが……、ねじ込めたのは私一人分だけ。もっとも、件の人物の仲間となれるだけの者に心当たりもなく、二人分あれば解決したとも言えないのですけれども」
良い伝手が少なくてお恥ずかしい限りですと言い添えて、表情を改める。
「ただ幸運というべきか、当局との協議の最中に、グラル・ポルタの警備にバルデス傭兵団が参加していると聞き及びまして、信を第一義に置くこちらならば、なんとか人の都合ができるかもしれないと考えまして、今日、寄せさせていただいたのです」
「そちらの事情はわかった。私が呼ばれたのは?」
「団長様達がうちの娘は凄腕だと自慢しておられたということもありますが、事務長様にもあなた様ならばと推してくださいましたので、依頼の話をと考えた次第です」
「なるほど。……事務長、この話は団からの命令?」
老いた事務長はウィルマの問いかけに少し目を伏せる。
しかし、それもわずか。次に目を合わせた時にはいっそ厳かとも言えそうな視線で応じた。
「いえ、命令ではありません。新たな傭兵団に参加しないであろう、あなたへの餞別……、一傭兵への仕事の斡旋だと考えてください」
「ん、わかった。フォルクさん、まずは詳しい条件を聞かせてほしい」
「わかりました」
フォルクは目の前のやりとりを見なかったように、用意してきたであろう条件を滔々と話し始める。
雇い主は組合連合会ペラド・ソラール支部。求める仕事は指定した人物の護衛およびその仕事の補助。終了期間は未定であるが、現時点においては最大で一旬程度と想定されている。報酬は日当で三千ゴルダ。東方で使われている帝国通貨に単純換算して、三百バール。雇用期間中は毎日支払われるが、定まった休日はなく睡眠時間を除く全日が仕事となる。
使用した武器弾薬等は必要経費として認める。組合の支部にて、所定の請求書に用途と金額、購入費用がわかる領収書を提出した後、実績の確認を得た段階で指定した金融機関への振込手続き、ないし、二日三日後となるが現金での支払いが行われる。
「経費を持つとは、意外」
「ははは、営利を考える上で費用を抑えることは必要でありましょうが、全ては命あっての物種でございます。絶対必要な費用を削ることは愚か者がすることでございますよ」
「それがこの先も続けばいいけど」
「これは手厳しいお言葉」
フォルクは軽い笑みを浮かべて流すが、次の瞬間には神妙な表情で、一番大切なことを言い忘れておりましたと続けた。
「あなた様が契約を結んでも良いと言われたとしても、まだこの契約は成っていないとご理解ください」
「理由は?」
「はい。なにしろ昨今の状況もありまして、わたくしも先方と連絡が取れていない状況でして、この度の話をまだ通しておりません。それ故、先方があなた様とでは無理だと思われたら断っても構わない旨をお伝えしたいのです」
フォルクの物言いが、自分の腕が相手の眼鏡に叶わないかもしれないという不快に指摘が、傭兵としての矜持に障った。自然と視線が尖る。しかし組合の交渉人は憶する様子を見せない。
「同時に、あなた様がこの依頼人とでは無理だと思われたならば、その場でお断りくださっても結構です。あ、ここまで話しておいてなんですが、わたくしの役目はお二方を引き合わせる仲介役でもあると言ってもよいかもしれません」
「なるほど、……物言いは直截で気に食わない。けど、誠意は認める」
「ありがとうございます。両者ともに納得がいかない契約は不幸を生みますし、費用を負担する我々からしても、一定の効果を欲するところでありますから」
飄々と言ってのける男に対して、ウィルマは掴みにくい相手だと少しばかり苦手意識を抱く。だが、そういった感情を務めて覆い隠し、頷いて見せる。
「了解。とりあえず、この話を請けるかどうかは相手と会ってから決める」
「おお、それだけでもありがたいことです。わたくしも面子が立つというもの」
男は肩の荷を下ろせましたと、胡散臭い笑みを深めた。
「それで、相手はどこに?」
「はい。先方ですが、実は数日前にこの地に到着したばかり。ただ不幸なことに、ペラド・ソラール市軍との間で残念な行き違いが起きてしまいまして、今も外におられるとのことです」
女傭兵は思いもしていなかった言葉を耳にして、大きく目を見開いた。
* * *
ウィルマは予備弾倉を防弾衣に装着して、野営地を出た。
これから相手の元に向かうという仲介者に同行を申し出てのことだ。フォルクが前もって話を通していたのか、道行は順調そのもの。北門で咎められることもなく壁の外へ。
外の世界はただ広く、ただ荒れ果てている。
見渡す限り命を感じさせるモノは枯れ草程度。瓦礫の中で潮風に揺られている姿はわびしさを心に染み込ませる。
女傭兵はそれらの枯れ草を見て、不愉快にも苦悶にも見える表情を浮かべた。だが努めて感情を抑えているおかげか、数秒にも満たぬうちに平素のものへと戻った。
そこに同行者の声。
「いやはや、壁の内側にいるとすっかり忘れてしまいますが、やはり世界は広いモノですねぇ」
「フォルクさんは、外が怖くはないの?」
「怖い怖くないで言えば、怖いと申しましょうが……、一人でいる訳でもなければ、近くに大きな拠点もありますし、後、海に逃げることもできますから、ええ、ええ、特に問題はありませんね」
組合の交渉人は少しとぼけた口調で言い切る。
ウィルマはその横顔をちらりと見てから、再び荒野に目を向ける。傭兵としての習性故、周囲への警戒を切ることはない。その彼女の目に戦闘の名残が入ってくる。撃ち砕かれた瓦礫や岩石、乾ききっていない砂礫と微かな腐臭、飛沫の痕跡、焼け爛れた布切れに焼成材の欠片、そして、見るも無残に擱座した魔導船。
潮風に紛れて、焼け焦げた臭いと血なまぐささを伴った腐臭が届く。
彼女は調査に入ったペラド・ソラール市軍の兵が幾人も吐いていた姿を思い出す。
あの様子にこの臭いならば、中は酷いあり様だったのだろう。
おそらくは監視塔に向かい、還らなかった戦友と同じような……。
ウィルマは無意識のうちに、両の手を握り締める。
それに気づかぬまま、彼女は破壊しつくされた船を見つめる。暗く淀んだ目。彼女の内で、どこからともない囁き。
これは好機だ。
うまく相手の歓心を買って取り入ることができれば、あの力をツカエルかもしれない。
現実的ではない、その必要はないと、否定する自分がいた。
ならば、どうするというのだと、囁きは質す。
どれだけ時間が掛かっても自らの腕と足で追い詰めればいいと、思い定める自分がいた。
囁きが嗤った。
この広い世界でたった一人、仇を求めてあてもなく彷徨い、結果、何も果たせぬまま朽ちてもいいのかと。
まだわからないと怒る自分と、その可能性を認める自分がいた。
囁きが大きくなる。
弱みをさらけ出して、相手の同情を引けばいい。助けてくださいと、縋り懇願すればいい。それこそ相手が男であるならば、身体を使い、心を売って、取り入ればいい。
否と否定する。
傭兵として戦ってきた時間と経験、そして矜持が、弱さを、女を使うことを拒否する。
その程度だったのか?
囁きだった声が静かに、それでいて深甚な怒りを滲ませた。
お前にとって、失われたモノは、その程度のモノでしかなかったのか?
自らの、取るに足らない自尊心の方が、最早なにも為すこともできないモノ達よりも、大切だというのか?
否と強く否定する。
仇に報いを。
裏切り者に相ふさわしい末路を。
失われたモノに、捧げなければならない。
それこそが、遺された者が為さねばならないことだ。
そう、その通りだ。
仇を討ち取るという目的さえ叶えば、もう、他のことなど、どうでもよかろう。
そう笑う自分がいた。
ウィルマは湿り気を帯びた風を背に受けながら、隣を歩く男に問いかけた。
「フォルクさん」
「はい、なんでございましょう」
「あなたが聞いている、その相手はどんな人なの?」
「そうですね、わたくしの私見を述べてもよいですが、やはりそれは、あなた様の予断を生みましょう。ここはご自分の目と耳で、お確かめください」
「そう。……なら、最低限のことを教えてほしい」
「と言いますと?」
「名前と、男か女、どちらか」
「いやはや、どうしたものでしょうか」
フォルクは何事かを考えるように黙り込む。
十秒ほど会話のない時間が続いた後、男は小さな唸りと共に口を開いた。
「そうですね。名前につきましては、お引き合わせした時に、相互に紹介する形にさせていただきます。だた性別につきましては、男の方とお答えします」
「そう、わかった」
ウィルマは是非の声を上げず、ただ小さく頷く。
車両群で作られた陣地はもうすぐそこにまで近づいていた。
二人が陣地まで十数リュートに至ったところで、一両の小型戦闘車が陣地から出てきた。
ゆるゆると近づいてくるそれに、ウィルマは警戒心を抱く。が、機銃の筒先が後方に向けられているのを見て、力を抜いた。その隣で声が上がった。
「おそらくは連絡が届いていると思うのですが、ゼル・セトラス組合連合会ペラド・ソラール支部から参りました、フォルク、と申します。先だって上の者が通告致しました件につきまして、貴隊の代表とお会いしたいのですが」
「確認完了。了解、致しました。案内を、開始します。こちらへ、どうぞ」
小型車両から感情のない声。
ウィルマは発音に些か引っ掛かりを覚える。だが、それ以上に武装を解くようにといった警告がなかったことに驚いた。もっとも二人くらいならば特に警戒しなくても制圧できる自信があるのだろうと思い直す。
案内役に続く形で陣地の中へ。
陣内は話し声が聞こえず、静かであった。かなり統率が取れているのだろうと考えながら、周囲に観察の目を向ける。天幕の類は見えない。かわりに窪地に伏せるかのように、じっと停車したままの小型戦闘車があることに気付く。赤と茶、濃緑とで為された迷彩でもって周囲に溶け込んでおり、なかなかの隠蔽であった。
大型の戦闘車両は姿を隠さず、武骨でいて洗練された観を晒している。砲塔に据えられた主砲は長く大きく、装甲も厚そうで小銃どころか機銃弾も余裕で跳ね返えしそうだった。
その気になれば、グラル・ポルタ程度は蹂躙できそうだ。
女傭兵は脅威を間近で感じて息を呑む。それと同時に、静かに沸き続ける昏い熱情が更なる熱を帯びた。鼓動が早くなり、汗がにじむ。先導車の先に装甲車が見えた。傍らに人影が二つ。濃緑色の制服を着た女と、防護具を身に着けた男。先に得た情報もあり、自然とは男の方へ。見目よりもまず、赤い髪に目が引かれる。戦場の鮮血にも、夜闇の焔にも似た色。悪くないと思いつつ、在り方を観る。兵士というには緩く、傭兵とみるには律されてる。では何者かと判断に困り、さらに目を走らせる。砂塵がこびり付いた防護具。その下に垣間見える身体。陰影から推測すると無理なく鍛えられているように思えた。
最後に顔を見る。
すぐ思い浮かんだのは、仕事を終えた仲間たちの顔。荒んだ気分や疲れが滲んでいるが、安堵や達成感といった色も含まれた顔。彼女がなによりも好きだった、男たちの顔だ。それが確かにあった。
そんな彼女好みの雰囲気を漂わせる男であるが、目鼻立ちは美形とはいえない。だが無駄なく精悍であり、壁の内側でのうのうと暮らしていて形作られる顔ではなかった。何者であるかとの疑問が深まる。
フォルクが女と話し始めた。
しかし、彼女の頭にはその内容が入ってこない。ただじっと、男だけを、その姿を、その挙動に注意を向けて見つめ続ける。
* * *
クロウは困惑していた。
組合から派遣されてきた男がオウパと話す傍ら、じっとこちらに視線を向けてくる相手に。
武装してることから護衛だろうと見当はつけたのだが、所属を示すような徽章の類が見当たらない。代わりに目をつくのが、胸部防護具を押し上げる存在感のある膨らみ……なのであるが、それは置いて、彼が見るところ、装具は組合の実働組織である旅団員のものでなければ、当然ながら先にやらかしたペラド・ソラール市軍でもなかった。そうなれば思い当たるのは傭兵だ。
彼も女の傭兵がいるということは話に聞いていた。
が、実際に見るのはこれが初めてだ。なので驚いたのは確かである。
だが、それが表に出た結果であったとしても初対面の相手から一時も逸らされることなく、じっと見つめ続けられる理由は思い浮かばなかった。
さすがにこの状態はいかがなものかと思い、一度相手と視線を合わせたのだが……、そこには嫌悪や悪意といったものがなければ、好意や興味もなく、ただありのままを観察しようとするかのような感情の薄い瞳と、全てを焼こうとするような煌めきがあった。
見覚えのあるそれに、これはと背筋が冷えた。
聞こえてくる話を半ば聞き半ば流しながら、どう対応すればいいだろうかと悩む。その間も、寄るモノ全てを穿つように鋭く、それでいて不可思議な熱を感じさせる目が逸らされることはない。
クロウがちょっとした緊張を強いられていると、組合の男とオウパの話がひと段落したようで揃ってこちらを向いた。ついで、フォルクなる組合の男が少しばかりきまり悪そうな顔で話し出す。
「こちらの都合ばかりを優先して申し訳ありませんでした。クロウ・エンフリード様。まずもって、この地に無事に到着されたことをお喜び申し上げます。また、組合からの困難極まる依頼を達成していただいたことを感謝いたします」
「あ、はい、ありがとうございます。依頼がひと段落してほっとしてます。……ですが、こうやってここまで来れたのは、組合と仲間からの支援があったお陰だと思いますし、途中でオウパさん達と偶然出会えて、手を貸して頂けたことが大きかったと思っています」
「なにを仰いますか。まずもって、あなた様が第一歩を踏み出さねば、為せなかったことでございます。そう、誰が何と言おうとも、あなた様が未開領域を踏破し、新たな航路を切り開く端緒を生み出した事実に変わりはございません。また、こうして我々と根を同じくする方々と再び縁を結ぶ切っ掛けを生み出してくださったのも、あなた様の行いの結果でございます。ええ、ええ、本当に、あなた様が為したことは、誰に憚ることもなく胸を張れる偉業でございますとも」
真正面からの称賛に、クロウはむず痒さを覚えて表情に迷う。
「とはいえ、組合の末端たるわたくしの言葉だけでは今一つ実感が持てぬ所でございましょう。ここはやはり、あなた様に依頼をされた方から直接お聞きください。ええ、ええ、喜んでおられますよ、絶対に」
「は、はは、そうだといいんですけどね」
少し癖がありそうな男は細い目を更に細め、口元を綻ばせた。
「さて、この件につきましては一まずはここまでといたしまして、あなた様が先だって要望としてお出しされていた件についてなのですが……」
「もしかして、同行してくれる人がいないかという?」
「はい、その件でございます。わたくしの方であてを当ってみましたところ、うまい具合にお引き合わせできる方を見つけることができました」
「え、本当に!」
クロウは目を見張る。
フォルクはにこやかに、それでいて疑われたことを嘆くような声音で応じた。
「もちろんですとも。わたくしの仕事は信用が命。冗談でも相手の気を持たせるようなことは申しません」
「あ、いや、フォルクさんが言われたことを疑っている訳じゃなくて、ただ純粋に、この短い期間でよくって驚いたんです」
「ええ、ええ、そういう意味であろうとわかっておりました。いやはや良い意味で驚いて頂けると、こちらとしても生業にやりがいが出るというもの」
この人、なかなかやりづらいなぁ。
若者は相手への印象や評価を少し癖がありそうから癖があるに修正しながら口を開く。
「では、紹介していただけると?」
「はい、しかしながら、条件がございまして」
「それはどういった?」
「はい、お引き合わせするとはいえ、やはり初対面同士でございます。エンフリード様が受けておられる依頼を考えますと、命の危険が常に付きまとうモノでございますから、双方に最低限の納得が必要だと考える次第です」
先と異なり神妙な顔。
クロウはくせ者の言い分に同意を示して先を促す。
「もし、わたくしがお引き合わせする方との同行は無理だと思われたならば、その旨をわたくしにお伝えください。これはお相手様にもお伝えしてあります。そして、お二方が共に了承された段で、この話が成立するとさせていただきます」
「なるほど。……了解です。その条件を呑みます」
フォルクは若者の即断に嬉しそうに頷いて 同行者を手振りで指し示す。
「ではご紹介いたします。こちらにおられます方なのですが……」
「いい、自分で名乗る」
女傭兵はじっと相手を見つめたまま一歩前に出る。
「ウィルマ・バルデス。傭兵をしている」
「ウィルマ様は東方域でも信のある傭兵団に所属されておられました。ちなみに、その傭兵団には、わたくしも組合の仕事を定期的にお願いしておりました」
クロウは護衛ではなかったことに幾ばくかの驚きと補足説明に少し引っ掛かりを覚える。が、より大切なことを優先した。
「クロウ・エンフリードです。ゼル・セトラス域の公認機兵で、今は組合からの仕事を請け負っています」
女傭兵は腑に落ちたと言わんばかりに首肯した。しかし新たな疑問も浮かんだのか、周囲に目を走らせる。
フォルクはそれに気が付いていないのか、晴れやかな顔で告げた。
「では、お二人でお話をしていただく時間を取りましょう。その間に、わたくしもオウパ様と話を進めさせていただきますので」
仲介者は話の方向を定めると、自身は引き合わせた二人を置いてオウパとの話を再開した。
やはり癖が強いと思いつつ、クロウは改めて紹介された相手を見る。目と目があった。ふと思い浮かんだ言葉を口にした。
「女性の傭兵とは初めて会いました」
「女だとダメ?」
「いや、こちらは構わないんですが、そっちが気にするかと」
「あなたは、女とみれば襲うようなバカ?」
「まさか、そんなことしませんよ」
彼は心の底から心外だと思う。
と同時にそもそも既にミシェルを連れて出ている以上、男女云々は理由にならないと思い直す。それよりも重要なのはと、相手が肩にかける銃に目を向ける。それに気が付いたようで、ウィルマは自らの得物を両手に持って見せる。
「腕はそれなりに自信がある」
「そこは仲介者を信じますよ」
「ならいい。それよりもこっちは武装しているけど、信じられる?」
「今はまだ、信じるしかない、といった所です」
「正直」
「嘘を言っても意味がないですから。それにまぁ、こっちも相応に備えがありますから」
「確かに、この部隊なら私程度混じっても問題ない、か」
「んん?」
クロウは相手の言葉に認識の齟齬がある気がして、首を傾げる。そしてすぐにある可能性に気付いた。
「この部隊ですけど、私が率いている訳じゃないですよ?」
「え?」
女傭兵は思い切り虚を突かれたように、目と口を丸める。
「この部隊、あなたのじゃ、ない?」
「ええ。協力者とでも言えばいいのかな。ここに来るまでの間に偶然出会って、手助けしてもらえることになったんです」
「そ、そう」
ウィルマがなにやら動揺している様を見て、なにか理由でもあるのかと考え……、先ほど見た、どこか空疎でいて、熱に浮かされたような眼光を思い出す。
なにか訳アリで、この部隊の戦力が欲しい、あるいは借りたかった、といったあたりかな。
若者は心中で呟き、相手の動揺を素知らぬ振りで流して続ける。
「組合から請けた仕事は新しい東方交易路の開拓……アーウェルからペラド・ソラールまでの新しい魔導船航路を模索するって奴だったので、道行きは東ドライゼス山地の北側を進んだんですけど、全体の行程でいうと三分の二か、いや、四分の三程度かな……、その辺りまで来た時に、運良くというか奇縁というかで、オウパさん達と巡り合いまして、協力してもらえることになったんですよ」
ウィルマは耳にした言葉に理解が追い付かなかったのか、幾度も瞬きを繰り返す。
それからようやく耳にした内容を消化すると、口元の戦慄きという形で硬かった表情がひび割れた。
「なら、そこまでは、一人で?」
「ええ」
「あなた、機兵、よね?」
「え? ええ、そうですけど」
「見る限り、魔導機がないけど」
「いや、さすがに魔導機で東方域を横断するのは無理ですよ」
クロウは苦笑して、相手が必要としているであろう答えに思い至る。
「小さな魔導船……ラ・ディっていう浮遊艇なんですけど、それを使ってです」
「ということは、航法士の資格も持ってる?」
「ええ、それに乗るために必要だったので、三級ですけど」
「そう。い、色々と納得した」
女傭兵はそれだけを言うと、何事か考えるように顔を伏せた。
対するクロウは、今の様子だと今回の話は流れるかもしれないなと落胆する。けれど、すぐに元々期待できるような話じゃなかったんだからと気分を立て直す。ついで、今はとりあえず相手の情報を得ようと考えた。
「質問しても?」
「……いい」
「実戦はどれほど?」
「それなりに。多分、百はいかないけど、五十は超えている。対蟲戦がほとんどだけど、対人も何度か。……今回のここでの戦闘にも参加したし、何人か撃ち殺した」
淡々と告げる様は下手に誇張するよりも真実味があった。
間違いなくミシェルよりも戦闘慣れしているなと思いつつ、クロウは更に問いかける。
「対処したことがある蟲は?」
「ラティアが主。他は、水際だとアルバーとバルガー。山の近くだと、ダ・ルヴァにダ・フェルペ」
「東方域の蟲は、それらが主に?」
「東ドライゼスの近くは飛行型が出てくる時がある。ペラド・ソラールの周辺海域は水生型が多い。他はラティアばかり」
「ラティア、どこにでもいるのか」
「数の力は大きい。だからこそ、傭兵も傭兵団を作る」
「なるほど」
クロウは腰の魔導銃に手をやり、一昼夜の殲滅戦を思い出す。自然と表情が苦々しいものになった。
「確かに」
「けど、ダ・ルヴァとダ・フェルペも厭らしい。鉱山の護衛に行った時に、仲間をやられたことがある」
シャルバードの道行きは山から距離を取ろうと決めて、次の質問に。
「傭兵ということは、野外活動については大丈夫だと考えても?」
「最低限の常識は弁えているつもり」
「なら街の外での夜営経験は?」
「夜営に関しては二回ほどしかない」
「そうですか。一緒に来てもらうことになったら、夜営することになる可能性が高いですけど、その辺りは?」
「問題ない。徹夜の警戒をしたこともあるし、歩哨の経験もある」
「なるほど」
野外での行動に問題がなくて、対蟲の戦闘を経験しているなら悪くない。
そんなことを考えていると、ウィルマが顔を上げた。その目は鋭さを増している。
「こちらからも質問したい」
「どうぞ」
「実戦経験は?」
「二桁にいくかいかないか、かな」
「思ったよりも少ない」
「機兵になってから、一年程度だから」
「そう。……なら対人戦の経験は?」
「二回」
クロウは人を殺した時の感触を思い出し、少し顔をしかめる。
それを女傭兵はじっと見つめる。しばし無言の時が続いた後、先の質問者が口を開いた。
「もう一度聞きたい。武装した他人と、二人きりで荒野を歩く自信はある?」
「本当に見ず知らずの相手ならば、ない。けど、信じられる相手から紹介されたなら、信じようと思う」
「それで、裏切られて殺されるとしたら?」
若者は厳しい問いかけに頭の髪を掻きむしった後、心底いやそうな顔で答えた。
「死にたくないと泣いて叫んで、必死になって足掻いて抵抗して、それでもダメなら……、多分、自分を含めた、世の中の全てを恨んで、殺そうとする相手に報いがあることを願う、かもしれない」
「そう。……もしかすると、そうなるかもしれないのに、あなたは、わたしを、信じられる?」
クロウは考える。
人と人との関係の、その最も根底にあるのは、信じるか否か、信じられるか否か。だからこそ、社会において信があるかないかの土台となるのが、第三者から信じてもらえるだけの実績、あるいは評価になるのだろうと。
今の状況ならば、どうだろう。
自分が頼った相手、その者が指示を出した相手がいて、その者がこの者ならばと紹介した相手。見知った相手の繋がりで、自分にとっては見ず知らずの相手に話が行き、その者の繋がりで探し出されたのが、今目の前にいる相手だ。
ああ、結局は人と人との繋がりを、自分たちが暮らす社会を、それらが作り出す信用を、信じるか信じないか。ただ、それだけのことなのか。ならば、答えは一つ。
「今はわからない。それでも、信じるしかない」
「それが、あなたの答え?」
「ああ、そちらの自制と、社会からの応報を信じるよ」
世の中にある当然は、実は当然ではないのだと、クロウは思う。
信には信を返すという当然は、そうあるべしと多くの者達が思い願い、そう務めることによって成立している。それ故に当然を崩したモノや信を断った者には、社会より相応の報いが下される。だからこそ、嘘つきや裏切りの末路は、いずれも惨めなのだろう。
「そう」
女傭兵は受け答えに納得がいった様子で頷いた。
「そこまでの覚悟があるなら、私もあなたのことを信じて、依頼を受けてもいい」
「え?」
「ただ条件を付け加えたい」
「条件?」
栗毛色の髪が前後に小さく揺れる。
「そう、一つ頼みたいことがある。それを受け入れてくれるなら、今回の依頼とは別に、こちらもどんな頼みでも一つ受ける」
「……その頼みの内容は?」
ウゥルマは大きく息を吸い込み、内に封じられていた熱を吐き出すかのように言った。
「仇を……、皆の仇を、探すのを、手伝ってほしい」
そう告げた姿は怒りと憎しみに染まっていて、それでいて、どこか今にも泣き出しそうな幼子のようにも見えた。
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