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魔導黎明記  作者: 綺羅鷺肇
11 東方編・上 哀愁の旋風
94/96

三 危難の後始末

 グラル・ポルタ内の歓声が一段落した。

 クロウは中が落ち着いたのと見て、そろそろ迎えが来てもおかしくないと安堵する。彼としては長旅に加えて昨夜の緊張による疲労もあって、一息つきたい所だったのだ。


 そんな所で、オウパが唐突に口を開いた。


「拠点内で、不穏な動き、を確認しました。本護衛小隊は、待機状態、より、警戒態勢、に移行します。エンフリードさんは、指揮車内に、退避を願います」


 突然の宣告。

 クロウは事態を把握できないままであったが、オウパに促されるままに指揮車に乗り込んだ。続いて機人が乗り込むと、全ての車両が一斉に動き出し、防壁から三十リュート程離れた。


「オウパさん、何が?」

「拠点内に上陸した、増援の内、歩兵戦力の一部が武装状態で、接近中です」

「え? こっちに迎えが来るんじゃ」

「否定します。歩兵戦力の動きが、臨戦状態、に近く、警戒を要すると判定しました」

「でも、今までそんな動きはなにも」

「肯定します。これまで、防壁上、で確認した、歩哨、は、周辺警戒の行動様式に近く、要警戒度は、一段階、と判定していました」

「急に、なんで?」


 若者が疑問に首を傾げる中、グラル・ポルタの防壁で動きが見えた。

 元々いた哨兵を押し退けるように十数人の兵士が防壁上を走り、一定に設けられた胸壁へと配置についていく。この動きを戦闘前の行動であると見て取り、クロウは眉間に深い皺を刻んだ。当然、なぜどうしてとの思いが湧いてくるが、はっと我に返り、慌てて通信機を起動させた。


 呼び出し音が鳴る中、彼の目は映し出された防壁の様子を見つめる。

 歩哨に立っていた者達が新手に対して何事かと問うている姿が見えた。彼らにとっても予想外の出来事なのだろうかと考えていると、歩哨達を蹴散らすように追い払い、指揮官らしき軍服姿の男が姿を現した。その容貌はまだ若い。

 男は傲然と胸を張って歩き、指揮下の兵士達の真ん中に立つとこちらを向いた。ついで、大声を張り上げた。


「武装勢力に告げる! 今すぐに武装を解除し! 投降せよ!」


 クロウの口がパカリと開いた。


 なんでいきなり投降しろって話になってるんだ?

 こっちの連絡が上手く伝わっていないのか?


 彼は不可思議な面持ちで、拡大された部隊指揮官の顔を見る。

 自信に満ち溢れ、自らの言を信じて疑っていない晴れやかな顔。自らの行動に絶対的な確信を抱いて、胸を張っているようだ。


「貴様らが先の賊を煽動し、我々の拠点を襲わせたことは明々白々である! 速やかに武装を解除し! 投降せよ!」


 賊の煽動?

 拠点を襲わせた?


 クロウは思ってもいなかった言葉に混乱しながらも必死に頭を回す。しかし、向こうの宣告に証拠もなければ道理もなく、ますます混乱してしまう。それでも相手の非友好的な態度の理由を探す中、事態は進行する。


「我々の勧告に従わない場合、実力を行使し、制圧する!」


 男の声に合わせる形で、壁上の兵士達が各々銃を構えた。その中には数丁の機銃もある。

 クロウが思わず嘘だろと呟く中、オウパが平坦な声で言った。


「本部隊への、非友好的言動、及び、挑発的行動、を確認。意思表示信号等の確認を開始。信号旗、未確認。信号弾、未確認。発光信号、未確認。無線通信帯での信号及び通信、未確認。儀礼的行動の可能性、否定。敵対的行動と認定。護衛小隊、戦闘準備」


 指示に応じる形で、武装義体や戦闘車両が防壁上へ銃砲を向けた。

 その一切の躊躇がない動きに、兵士達の間でざわりと動揺が広がった。


 指揮車より怜悧で平坦な声が放たれた。


「貴拠点の主張に、物証及び証言はなく、我々が応じる義務は存在しません。続いて警告します。貴拠点に、停戦の意思なく、再度の挑発行動、が実行された場合、警告射撃を実行します。また、敵対的行動、の、行使を確認した場合、我々、エル・エスタリア連邦軍は、貴拠点、及び、戦力を、敵性勢力と認定し、実力をもって排除します」


 これはもしかして、まずい流れなのでは?


 クロウは先の戦闘(蹂躙劇)を思い出し、体中から冷や汗がどっと噴き出る。

 一刻も早く何とかしなければならないとの思いが募っていくが、こういう時に限って通信機の応答がない。ミシェルは何をしていると汗を流すことを十数秒。応答の声は聞こえず。ならばと口を開く。


「オウパさん、やはり情報伝達で不備があったか、なにがしか勘違いをした理由があるんじゃないかと思います。じゃないと、向こうの動きが道理に合わない」

「意見に対しては肯定とします。人は理知のみならず、感情や欲望により動くと記録されております。本件もそれに該当する可能性が高いと推定されます。ですが、本小隊への行動が行われている以上、対処する必要があります」


 機人の言葉に応じたのは、指揮官の威勢の良い声。


「賊が何を抜かすかっ! 小隊! 射撃用意っ! 我がぺラド・ソラールに銃を向けることがっ」


 低く乾いた炸裂音が一つ。

 慌てて見れば、腰を抜かした男の足元、防壁が大きく抉れていた。


「警告射撃は、一度のみ、です。以後の挑発行動は、敵対的行動と判定し、排除を実行します」


 淡々とした声が荒野に響く。

 銃を構えた兵士達が顔色をなくしながら互いを見合わせ、指揮官を伺っている。

 その指揮官はというと、顔面蒼白で口をあわあわと開閉させるだけで動かなかった。否、股間周りが濡れ、口元や手足が強張り震えていることを見れば、魂消て動けないといった観だ。


「本当に戦闘を?」

「肯定します。本軍交戦規定により、非接触勢力、ならび、正体が判別できない相手方、との、接触、及び、交渉、を実行する際、相手方の出方、が、友好的、あるいは、文明的な手段、ではない場合、上層に連絡を行うと共に、付与権限内において、実力をもって制圧することとなっております」

「でも、あの様子を見る限り、なんていうか……、バカが暴走したような気がするんですけど」

「意見は判断材料の一つ、といたします。ですが、相手方の攻撃が行われた場合、防衛戦闘を実行します」


 これは非常にまずい事態だ。

 なんとかしなければと思うも打開策など思い浮かぶはずもない。外に出ようにも扉には鍵が掛けられているし、説得しようにも言い分が正論すぎて反論のしようもない。結果、焦りだけが大きくなっていく。


 クロウが手をこまねくこと数分。

 膠着した状況に動きがあった。防壁上に更に十数人の兵士が駆け上って来て、件の小隊に銃を向けたのだ。また同時に、二人の旗手が青旗と白旗を振り回し始めた。停戦と話し合いを求める信号旗だ。


 若者はまともな反応を見て安堵する。


「停戦ですよね?」

「はい。停戦、には応じます。ですが、拠点勢力、との、話し合い、には応じません。警戒態勢は維持、します」

「信用、できませんか?」

「肯定します。エンフリードさん、及び、本小隊、への対応が遅れることは、先の戦闘での被害次第によっては、問題ではありません。ですが、正式な接触を行う前に、先のように対応を行う勢力とは、友好的な関係、を、求める必要はない、と判定されます」

「さっきの指揮官の独断ってことなら?」

「それもまた問題です。一士官が、独断でもって、先のように対応を行う勢力には、教育、及び、部隊統率、に問題があると判定されます。よって、現時点では信用はできないと判定され、拠点勢力の情報を収集分析が完了するまで、接触を控えます」


 徹底しているなぁと思いながら、クロウは天井を見上げる。

 そんな彼に対して、旧文明期の機人が話を続けた。


「エンフリードさん、本護衛小隊は、拠点勢力の信用が低い現状において、中に入ることを推奨しません。ですが、本機の意見は、エンフリードさん、の行動を制限するものではありません。ただし、本護衛小隊が、拠点内に入らないことをご了承ください」

「あー、正直、今さっきのペラド・ソラール側の対応はないって思いますし……、組合の人が来るまで、こっちでお世話になります」


 とまで言った時、通信機から応答があった。


「あはは、ごめんごめん。昨日の夜走り回って汗かいてたから散湯(シャワー)で流してたんだけど……、なにかあった?」


 ミシェルの呑気な声。

 クロウは怒る気力も削がれ、ただ問題が起きたからあの人に連絡頼むわと疲れた声で告げたのだった。



  * * *



 ゼル・セトラス大砂海は、中心都市エフタ。

 遺構都市とも呼ばれる街は年明けに訪れる風物詩、ゼル・ルディーラ(大砂嵐)のただ中にあった。昼夜を問わず延々と続く嵐により、空は常に砂塵で覆われ、舞い狂った風沙が全てを擦過して熱を育み、時に雷光をも孕む。当然ながら、夕刻を迎えた今も変わりはなかった。


「そっちは相変わらずのようだな」


 通信機の向こう側。

 数千アルト離れた地にいる肉親の声に、セレス・シュタールは頷き答えた。


「はい、困ったことに」

「だが、そこを選んで住む以上、仕方がないことさ」

「それはわかっていますが、出るであろう被害を考えますと……」

「今は考えるな。お前のことだし、被害状況の調査、準備は進めているんだろ?」

「もちろんです」

「なら想定と対策を用意したら、もう考えるな。身と心を削って仕事をしても、俺は褒めんからな」

「留意しましょう」


 受話装置の向こう側から溜め息が聞こえてくる。

 しかし、セレスの怜悧な顔はいつものことと言わんばかりに揺るがなかった。そこに再び声が届く。


「今日の件について、報告は?」

「現地とペラド・ソラール支部、それぞれより報告を受けています」

「そうか。まず言いたいのは……、ペラド・ソラールの連中、自分達を救援した相手に、しかも初めて接触する相手に喧嘩を売るなんざ、どういう頭してるんだ?」


 彼女の兄が呆れきった声で語ったのは、グラル・ポルタで起きた一騒動。

 どういう話か、増援部隊の一部がエル・エスタリア連邦軍を先の襲撃を引き起こした主犯扱いし、両者の間で一触即発の様相になった出来事のことだ。

 この予想外な事態の収拾には半日以上を要し、ペラド・ソラール側が問題を起こした部隊責任者を軍刑法違反の咎で逮捕拘束、グラル・ポルタの責任者代行と増援部隊の責任者による正式な謝罪で一旦は解決を見ている。


 セレスは先程まで始末に追われていたことを思い出して、眉間に深い皺を刻み込む。だが、溜息は寸での所で堪えた。


「連絡に不幸な行き違いがあった、ということです」

「了解。そういうことになったか」

「そうなりました。ただ、エル・エスタリアはペラド・ソラール側の初期対応に対して強い不快感を示し、ペラド・ソラールとの交渉及び交易は拒否するとのことです」

「経験と教育の不足から来る、現場の暴走。教養と能力が足りない一士官が、自分達の力を勘違いして、増長した結果の代償としては高くついたな」

「我々も教訓としなければならないでしょう」

「ああ、今回のこと、一度の過ちが大きな損失を生み出したってことを具体的な数字を出す形で残してくれ」

「はい。支部長にも、エル・エスタリアとの関係が安定するまで仲介には期待しないで欲しいと、ペラド・ソラールに伝えておくように言っておきました」

「騒動を起こした奴は?」

「軍警による取り調べの後、軍法に則り処分するとのことです」

「妥当だな」


 青髪の麗人もまた頷き、話を先に進めようと口を開いた。


「この件はこれまでとして、此度の襲撃、撃退できたのは幸いでした」

「まったくだ。襲撃をしてきた連中の素性は?」

「件の始末で多く進まず。襲撃に用いられた船の調査がようやく始まったばかりで、確証が得られていないそうです」


 彼女の答えに、そうかとの返事。

 一時の間。低く落ち着いた声が続けた。


「とはいえ航路も拓かれていない、しかも秘匿されている場所にわざわざ出向いて襲うような連中は限られている。いや、仮にいたとしても、グラル・ポルタの地理的要素を考えると、十中八九、競合する東部三邦の手駒……、例の賊だろう。セレス、再確認するが、グラル・ポルタの建設は極秘だったな?」

「現地に入った者は、拠点が公にされるまで離れることできないことになっていると聞いています」

「だが関わる者が多い以上、漏れるモノは漏れる。建設を開始して半年程だ。荷を運ぶ船乗りか、軍ないし政庁の関係者、うちの支部で事情を知っている者あたりから漏れてもおかしくはないし、物と金の流れで察して調査したって線も当然ありうる。穿った目で見れば、既存航路に権益を持つ誰か、下手をすれば、富豪ないし貴族階層の中に建設を潰そうと考える者がいて、情報を流したって線もある」

「はい。ペラド・ソラールに賊の間諜ないし内通者がいると考えた方が自然でしょう」

「案外、今日の騒動を引き起こした奴も、それ関連かもしれんぞ」

「それにしては雑に過ぎると思いますが……、可能性はあるかもしれません」

「ああ、他にグラル・ポルタの閉鎖を言い出す奴がいれば、その周辺が怪しいと思っておけ」

「手の者に調査と裏付けをさせましょう」


 同意の声。

 それから少しばかり苦みを帯びた言葉が届く。


「俺もまだ甘いな。ここしばらく連中が静かにしていたのは、怖気づいて息をひそめたと思っていた。まんまとしてやられたよ」

「動きがなかったのは、今回の準備をしていた為だと?」

「そう考えた方が合理的だろう」

「確かに。ですが、相手にとっても負けてもいい遊びではないのです。相応に考えて動きましょう」

「はは、こちらの都合通り、ってことの方が珍しいか。今日の、バカの暴走みたいなこともあるしなぁ」


 兄の言に、セレスは思う。

 物事がこちらの都合通りに動けば、どれ程ありがたいことかと。だが口に出したのは別のこと。


「はい。ですが、それはあちらにも言えることです」

「そうだな。簡単な報告は受けたが、かなりの損害だ。魔導船二隻に車両四両、魔導機四機に火砲が四門以上。これらを運用する連中に歩兵が二百以上で、計四百程が死傷したって話だからな。グラル・ポルタに大きな被害を与えたとはいえ、連中にとっても手痛い打撃のはずだ」

「グラル・ポルタがまだ健在であることを考えると、収支に見合わないでしょう」

「拠点にいた連中の、運か悪運かはわからんが、良かったんだろうさ」


 苦笑にも近いくつくつとした笑い。

 続いて人の悪そうな声音が面白がるように響いた。


「しかし、誰が旧文明期の軍隊(エル・エスタリア軍)が近くにいて、しかも介入に、いや、救援に動くなんて想像できる?」

「そればかりは、偶然、としか言いようがありません」

「はは、偶然か。誰がもたらしたモノかは分からんが、まったくもって恐ろしい偶然だな、おい」


 なにか含むモノを感じさせる声音。

 それに刺激されて、セレスも東部三邦が絡む複数の案件に一人の少年が絡み、その全てを潰していたことに気付く。


「エンフリード殿のこと、ですね?」

「偶然という割には、よく顔が出てくる。レーシュ・ルーシュ(運を司る双子女神)に愛されているんじゃないかって思える程にな」


 セレスは少し前に聞いた声を思い出す。

 なにが起きているって思うよりも早く睨み合いが始まって、挑発やら威嚇射撃やらで空気が熱く冷めきって、向こうがバタバタして収めるまで、本当に生きた心地がしませんでしたよと報告してきた、疲れ乾いた響きを……。

 

「できすぎた偶然、というよりは、私の依頼が案件と重なっただけだと思います」

「なるほど。言われてみれば、確かにそうだな。つまりセレスが便利使いした結果、絡んだってことか」

「いささか語弊があると言いたいですが、否定はできませんね。航路開拓も任せられると思えたからこそ依頼しましたから」

「そうか。……お前、意外と男を見る目があったんだなぁ」


 しみじみとした声。

 思ってもなかった感想に、麗人は返事に詰まる。続いた言葉には少しばかり喜びの色が含まれていた。


「頼れる男。歳も……まぁ、許容範囲内だ。絶対に、逃すな」

「……なにがいいたいので?」

「怒るな。冗談で言ってる訳じゃない。お前が、頑固で人に頼ることを良しとしないお前が、頼りにできる男だぞ? 婿でも嫁でも、それこそ愛人でもいい。とにかく手元に取り込んで、自分のモノにしろ。それがお前の為だ」


 不本意な意見に、セレスはこれまでになく表情を渋くする。

 ついで大きく息を吸い込み、語気を強めて言った。


「以前も言いましたがっ」

「わかってる。色恋に興味がないって言いたいんだろ?」


 セレスは茶化しのない返事に勢いが削がれた。

 解消できなかった胸のもやもやが中途半端に残っているが、仕方なくまた一つ深呼吸して気を落ち着かせる。


「ええ、その通りです」

「ああ、今のお前はそうなんだろう。けど、先がどうなるかはわからない」

「心変わりすると、言いたいのですか?」

「時が流れば、人も変わる、心も移ろう。だから可能性や巡り合わせを自分から捨てるな」


 自分を思いやる真摯な響き。

 それでも彼女の口は動いた。


「私のような面倒な女など、彼の人が嫌がりましょう」

「そこは否定できんところがあるな」


 呵呵と笑う声に、麗人は冷え切った氷塊を顔にぶつけてやりたいと思った。


「からかうのが目的でしたら、通信を切りたいのですが?」

「拗ねるな怒るな。笑ったことは謝る。だが、自分で自分のことを決めつけるのは良くない話だ。他人の心を勝手に決めつけることもな」

「他人のことに関しては認めます。ですが、自らをあやふやにしては自分というモノ(存在)が定まりません」

「凝り固まりすぎるなってことだよ」


 柔らかい声での不意打ち。

 しばらく聞いていなかった響きに、セレスは幼き頃を思い出す。兄の後ろをついて回った日々を、迷子になり泣く自分を見つけ出した時の顔を、転び泣いた自分を笑う姿を、父母がおらず、夜闇の不安で泣く自分を慰める姿を。知らず、彼女の口端が微かに上がる。


 淡く懐かしい回想から彼女を引き戻したのは、これもまた兄の声だった。


「さて、心温まる兄妹の交流はここまでにしようか」

「……そうですね。兄上は、今回の件について、我々がどう動くべきだと思いますか?」

「おいおい、それはお前の仕事だろ。意見を聞きたいなら、最低でも自分の方針を言ってからにしてくれ」

「失礼。私としては、今後の北部航路開設やエル・エスタリアとの交流、東部三邦の動きといったことを踏まえますと、グラル・ポルタの開発を続行するように後押しするべきだと考えています」

「そうだな。元よりこちらにも利がある話だ。援助ないし後押しをするべきだろう。なら、どこまで後押しする?」


 セレスは一時目を閉ざし、答えた。


「現状、我々が実行できる限りを」

「なら第三が本格的に動こう」

「具体的にお願いします」

「シャルバードからグラル・ポルタまでの航路を拓く」

「認められません。いきなりの全隊突入は船隊が危険にさらされる可能性が高くなります」

「そう言うと思ったよ。なら例の野郎を……、エンフリードを迎えに寄越してくれ。前人未踏ってのは大げさかもしれんが、北回りの未開域を踏破できる奴なんだから、この程度は余裕だろ」


 持ち出された名前。

 先程の話もあってか、セレスは少し意識してしまう。もっとも異性云々というのは一割ほどで、純粋に強いる負担についてだ。


「到着したばかりだというのに、また負担を強いてしまいますね」

「なんだ気にしているのか?」

「私とて人の子です」

「怒るなって。俺の予想だが、追加依頼って形で報酬に色を付けるか……、そうだな、望みそうな報酬を見繕って提案すれば乗るだろう」


 麗人はかつて聞いたことを思い出して考える。

 彼の人が目指す所は、砂海での開拓。ならば、その目的に見合う代物を探して提案してみようと。


「わかりました」

「頼む。無理だった場合は……、現状維持が無難か」

「はい。兄上を含め、貴重な人材を失う訳にはまいりませんので」

「わかってるよ。ただ、こういうことがあるからな、早く快速艇を導入してほしい」

「準備は進めています。まずは二十艇。初期型になりますが、第三旬の中頃までには各拠点に振り分ける予定です」

「船隊には?」

「正規量産型が完成するまでお待ちください」


 不満そうな唸り。

 昔と変わらない様子に、思わず笑ってしまう。それが聞こえたのか、低い唸りが止まった。


「仕方ない。完成品を楽しみに……、いや、エンフリードが仕事を受けたら、流れでしばらく雇って使ってみるか」

「追加依頼の報酬はこちらで用意しますが、船隊で雇おうとされる場合はそちらで交渉して費用を負担してください」

「了解。まだ予備費があったはずだ。バクターに投げてみる」


 小太りの中年参謀が主計と頭を突き合わせる姿が想像できた。


「程々に」

「仕事を作るのが上司の仕事」

「ならば、私も……、航路の開拓が成り、航行図の作成が順調にいったと考えて、次の動きは?」

「ああ、一気に事を進めよう。今後、ペラド・ソラール航路はシャルバード-グラル・ポルタ-ペラド・ソーラルを主航路にする通達を出してくれ。組合の補償航路と旅団の警備対象もそっちに移るってことと一緒にな。お前の権限なら可能なはずだ」

「簡単に言ってくれますね」

「それがお前の仕事」


 セレスは仕方ないと一息つく。

 ついで提案が実行された際に生じるであろう懸案を挙げていく。


「では、主航路が変わることへの、商船の反発は?」

「元より東部三邦での負担が大きくなっているし、先を見込めるエル・エスタリア連邦との交易って利益で殴れば靡くはずだ。後、現実的な話、旅団が既存航路の警備にもう動かんとすれば、ほぼ全てがこっちに来るさ」

「グラル・ポルタの人員はどこから?」

「東部三邦の価値は激減するんだから、そこから人員を引っ張ればいい。配置の転換だ」

「ペラド・ソラールが及び腰になった場合は?」

「なら本腰になるよう、俺達の方でも誘導する。拠点の存在が暴かれて、しかも被害を受けたんだぞ? ここで退いたらなんの為に拠点を開いたかわからん話だって感じにな」

「具体的な提案としては?」

「航路と拠点の防衛に必要な、陸上船隊の設立。それの前倒しを促せ。今ならシャルバードまでの航行図を提供するし、演習相手にもなるって辺りか」

「わかりました。事が成った際、提案してみましょう」


 頼むとの言葉に、語が重ねられる。


「後、エル・エスタリアなんだが、そっちに帰る前に一度、向こうの拠点に行きたいと考えている」

「新航路が拓かれ、交易交渉が成立し、案内役がいれば、認めます」

「わかってるよ。だが、今の段階である程度は向こうが欲しいモノを把握してるんだろ? それとなく金になりそうな話があるって、情報を流しておいてくれ。行く時に連れていきたい。商船の護衛なら、いい理由になるからな」

「不確定なモノとして流します。それで良いならば」

「それで充分だろ。千載一遇、一攫千金、砂海に沈んだ遺物と同じだ。一人位は賭けに出る奴が出てくる」

「私としては、夢に踊ろうという方は少ない方がいいのですが……」

「そればかりじゃ、人生は詰まらないし面白くもない。時に気まぐれな幸運が転がっている方が世の為さ」


 男はそう断言した後、がふてぶてしい調子で続けた。


「ただ好機を掴めるかは当人次第だ。ま、機に敏な奴を掘り出す機会と思えばいい」

「怖い方ですね」

「人聞きの悪いことを言うな。単純に夢を一つ用意しようって話だろ」

「人の手による夢ですか」

「ああ。夢も夢、今の段階でもただの絵空事さ」


 セレスは兄の気楽な様子に一つ水を差そうと口を開いた。


「絵空事であれ計画であれ、状況に合わせて事を策し筋道を描ける方は少ないものです」

「こわいこわい、いきなり褒め殺しか?」

「まさか、通用しない手を使うようなことはしません。……ですが、どうでしょう、兄上。今からでも組合の上層部に席を用意しますが?」

「ゴメンこうむる。陸で椅子を暖める趣味なんざ、俺にはないからな」


 本当に困った人だと、青髪の麗人は小さく苦笑をこぼした。



  * * *



 グラル・ポルタにまた夜が来た。

 寝床として、大急ぎで空き地に設営された天幕。その合間に幾つもの野営魔導灯が配置されて、夜の闇に抗している。

 その周囲には多くの兵士達が屯して、同僚と話をしている。彼らが口々に話すのは、昨日から今日に至るまでのこと。自らが見聞きし、誰かより伝え聞いた話。裏付けある話と未確認の話が入り混じった情報だった。


「なぁ聞いたか?」

「何をだ。色々ありすぎてわからん」

「昨日の襲撃、手引きがあったらしい」

「それなら俺も聞いたぞ」

「西で引き込んだって話だ」

「本当かよ」


 彼らは情報に飢えていた。

 先の襲撃に対する、なぜどうしてという現状に至る根源的な理由を欲しているのだ。


「傭兵が手引きしたって聞いたが、どうなんだ?」

「いや、それが、うちの連中にもいたらしいぞ」

「ちくしょうっ、どこのどいつがっ」

「わからん。ただ、行方が知れてない奴が三十人近くいるって話だ」

「なら、そいつらの誰かがっ」

「だからまだわからんって。ほれ、見張り塔が爆破されたろ。あれでやられた奴もいるからな」


 兵士達の声には、事が起きたことへのやるせなさを感じさせる。それと同時に、怒りと悲しみが滲んでいた。


「その見張り塔が機能していなかったって聞いたぞ」

「事実だろ。俺なんて、砲撃を受けて目が覚めたんだぜ」

「お前、気抜きすぎだろ。砲弾の飛来音で目覚めたっての」

「まぁ、二人とも無事で良かったな。うちの隊長は本部棟で砲撃喰らって死んだって話だ」

「最初の五分程、酷かったからなぁ」

「土嚢の陰に引きずり込んでくれた軍曹に感謝しとかねぇとなぁ」

「本当に、それな」


 隣の明かりでも十人近い男達が集い、熱い黒茶を飲みながら囁き合っている。


「裏切った連中、魔導船に逃げたのを見たってよ」

「俺も聞いた。西に向かって逃げた奴だろ」

「ああ、北側の連中がやられた瞬間、一目散だったらしい」

「ちっ、残っていたらぶち殺してやったのに」

「ははっ、応戦で必死だった俺達じゃ無理だろ」

「そういえばよ。救援に来たのってどこの軍なんだ?」

「確か、エル・エス……タニア、だったかな?」

「聞いたことねぇが……、あ、あれか? 似たような名前を聞いたことあるし、ゼル・セトラスの連中かな」

「かもな」

「どした。さっきからあんまり話さねぇけど」


 仲間の言葉に、静かに杯を傾けていた男が答えた。


「ああ、朝見た光景が、その、忘れられなくてな」

「何を見たんだ?」

「荒野に散らばった、一面の死体だ」

「けっ、俺達を殺そうとした相手だ。同情なんぞいらんだろっ」

「いや、それがな、本当に、酷くってよ。五体満足な方が少なかった。いくら敵だったとはいえ、アレを見たら、な」


 様々な感情が入り混じり、多くの者が渋面を浮かべる。再び誰かが口を開いた。


「軍警の伝手から聞いたんだが、その連中、装甲車を一発で吹き飛ばしたそうだ」

「それだけじゃねぇよ。魔導船と魔導機も破壊してるって話もある」

「陽が昇るまでの間に、ここを嗅ぎ付けた蟲の群を一つ二つは潰したらしいぞ」

「はー、聞いた話じゃ、数は少ねぇんだろ? 装備が半端ないな」

「そんな連中に喧嘩を売ったバカがいるって聞いたが、嘘だよな?」

「残念なことに、事実だ」

「嘘ですよね。いくら俺が新兵だからって担ごうとしないでくださいよ」

「本当だって。俺、あの時、歩哨だったけど、焼け焦げた魔導船とか真っ二つになった魔導機とか見てたから、こっちはもう、本当に、肝が冷えたわ」


 男は身体を震わせた後、忌々しく続けた。


「どこのどいつかは知らんがよ。援軍に喧嘩売るなんてよ、撃ち殺してやろうかと思ったぞ」

「なら、どうやって収まったんだ?」

「収まってねぇよ。偉いさんが真っ青な顔で対応してたが、停戦だけで話し合いはなしって話だ」

「ってことは、相手の考え方次第で……」

「ああ、蹂躙されるかもな」


 その場の全員が大きな溜め息。

 生き残ったと安堵していたのに、危険がまだ潜んでいたのだと知ってのことだ。


「なんとか生き残れたのに、これはないですよ」

「まったくだ」

「で、しでかした野郎、どうなったんだ?」

「抗命罪で逮捕。今頃は船で軍警に取り調べされてるはずだ」

「あ、それなら俺も見たぞ。軍警に引きずられていった奴だろ」

「俺も見た。なにしたんだろうって思ってたんだけど、バカだよなぁ」

「聞いた話、そのバカ士官、貴族だってよ」

「えぇ、あんなのが貴族かよ。大丈夫なのか、うち」


 兵士達は暗い顔で落ち込んだ。

 天幕群から少し離れた場所、連絡所に併設された大きな天幕でも、下士官達が集まって情報を交換していた。


「北防壁の穴はなんとか埋められました」

「西の穴も土嚢積みで絞った後、歩哨を立てている」

「周辺監視は通常の倍だ。監視塔がやられたのは痛いな」

「終わった話だ。で、今わかってる被害、聞いてるか?」

「市軍と軍属の被害だが、死者が五十二、重傷十九、軽傷三十七、行方不明十八だ」

「傭兵は報告だと、死者二十七、重傷二、軽傷五、行方不明十五とのことです」


 被害の実数を聞き、その場の誰もが顔を顰めた。

 年嵩の下士官が苦み走った顔で口を開く。


「予想以上の被害だ」

「だが、本格的な対人戦闘は初めてだ。仕方がないと言える」

「それで済ませられん話だ。エル・エスタリアの救援がなければ、もっと酷いことになっていた」

「いや、それどこか、あの時の混乱を考えれば、グラル・ポルタ自体が陥落していた可能性もある」

「司令部が真っ先に潰されたのが不味かった。あれで指揮系統がズタズタにされた」

「今少し指揮継続の引き継ぎについて、考える必要があるということか」

 

 下士官達は揃って頷き、今後の直すべき課題について話し合いを続けた。



 ざわざわと落ち着かぬ拠点内部。

 その中心部より離れた埠頭にて、ウィルマが輸送船から降り立った。

 彼女がここにいるのは、今朝方に起きた一連の騒動と団長が死んだ時の昨夜の状況について、軍警から事情聴取を受けた為だ。

 こちらへの配慮からか同性の軍警による聴取であったが、昼頃から今に至るまで、間を置きながら幾度も繰り返される同じ質問に答えるのは中々に辛いものであった。特に夕刻から始まった、父の死とその前後に見聞きした内容の説明は、まだ癒えていない心に大きな負担となった。


 女傭兵は疲れた顔で大きく深呼吸する。

 ここに来て幾分慣れた潮のにおいだ。不快ではないが好みという訳でもない。もう一度息を吐いて周囲を見渡す。

 今いる埠頭はかなりの被害を被ったようで、至る所に砲撃による穴があり、一部では岸壁が崩落していた。また幾つかの港湾倉庫も燃えた姿を夜明かりに浮き立たせている。


 ウィルマは選抜小銃を肩に掛け直し、一人歩き出した。

 向かう先、グラル・ポルタの居住地区では無事に残った建物がほぼ全て明かりを灯し、窓には人の影が見えた。特に救護所となった建物は周辺も含めて忙しい動きだ。また天幕が並ぶであろう場所からは魔導灯の光が空へ向かって伸びている。

 それらの光は先日の戦火によるモノとは違い、暖かさを感じさせる。だが、それを見る彼女の心は寒々しい。


 なぜなら、もう既に、彼女の帰るべき場所がなくなることが確定していたから。

 昼頃、バルデス傭兵団の幹部が生き残った傭兵達に、団を解散して新たな傭兵団を結成することを事情と共に説明し、全員からの賛同を得たのだ。朝方には覚悟していたとはいえ、実際に事が動き出すと心に迫るモノがあった。


 彼女が胸の内で感じているのは、冷たい隙間風。

 父を失った時にも感じた空疎な感覚。失われたモノの大きさを思い、心軋み、口元が歪む。自身にとって、バルデス傭兵団という存在がどれほど大きなモノであったのかを思い知らされる。


 それと同時に生じるのは、猛烈な孤独感。

 自分が自分でいられた場所。自分が自分になった場所。自分が自分を取り戻す場所。自分が自分であることを証する場所。自分が自分であることの拠り所とする場所。それが失われた今、彼女はどこまでも不安定で、どこまで心細くて、どこまでも寂しくて、どこまでも覚束ない。


 そんな彼女を支えているのは、深甚なる怒り。

 今は心の底で小さく燻りながら、静かに熱を放っている。だが、その内実は全てを焼き尽くさんばかりの激情からなる火種。下手をすれば、彼女自身のみならず周囲をも呑み込むであろう憤怒が、復讐という硬い殻の中に小さく小さく圧縮されて生み出された熱源だ。


 彼女は心に残された唯一の熱に導かれるように考える。

 裏切者をいかにして探し出して殺すかを、ただただ考える。

 元より自らの伝手や力は限られている。戦闘となれば相応に動けたとしても、移動手段も満足に持っていない。そのことを踏まえて考えると、自身と同じく裏切り者への報復を望む者を探し、協力を得るべきだろう。


 では誰を協力者とするかと考えて、真っ先に浮かんだのは新たな傭兵団。

 だが、彼女はあまり関わりたくなかった。たとえ、それが一番効率的なやり方であったとしても、頼りたくはなかった。そこはもう彼女の家ではないのだから。そして、今は隔意なんてものはなくても、先にもずっとそういった思いを抱かないと、自らを信じ切れなかった故に。


 次に浮かんだのは、ペラド・ソラール。

 拠点グラル・ポルタに甚大な被害を受けた上、襲撃に対して満足に対応できなかったことで、市軍の面子も潰れた。であるならば、裏切者を粛正せよという声が上がる可能性もあるだろう。ただ同時に、経験の不足や先の体たらくを思えば、頼りにできないようにも感じられた。


 ウィルマは黙々と歩く内、団の宿営地までやってきた。

 けれども足は向かず、潮風に押されるように通り過ぎる。今は独りでいたいと思ったからか、或いは無意識の内に、そこが返る場所ではないと思い定めてしまったからかはわからない。


 そのまま進み続けると、兵士達が生み出したざわめきが耳に届く。

 聞こえてくるのは、真偽入り混じる様々な情報。その中に、件の救援部隊についても情報があった。荒野を移動できる程に強い戦力。あれが自分のモノであったならばと考えて、とても扱いきれそうにないと首を振った。


 足が自然と北の防壁へと向いた。

 歩哨には気分を入れ替えたいと言って階段を駆け上り、防壁の上へ。


 広い夜空。

 地上の明かりよりも強く、星々が多様な色を帯びて煌めいている。

 彼女の目が自らが求めやまないモノを持つ相手を探す。距離を置いた場所に、小さな灯。光源のない荒野において、場違いと言える程に目立った。だが防壁に守られることなく屯する様は、それだけで力を証明しているように思えた。



  * * *



 女傭兵が睨むように見ていることに気付かぬまま、クロウは通信機に向かって話をしていた。


「追加依頼ですか?」

「はい。できればお願いしたいと考えています」


 クロウは依頼人の言葉を受け、少し難しそうな顔で灯かりを見つめる。

 機人が用意した軍用角灯(ランタン)は魔導灯よりも白く明るい。オウパさん達が周囲を固めてくれているからこその贅沢だなと思いながら疑問を口する。


「なんていうか急に感じるんですけど、昨日の襲撃で問題が起きたんですか?」

「ご明察です。先の襲撃により、お願いしたいことが発生しました」

「そうですか。……内容を聞いてから判断しても?」

「構いません。依頼について、聞いていただけますか?」


 クロウが了承の意を伝えると、落ち着いた女声が追加依頼についての説明を始めた。


「エンフリードさんにお知らせしていなかったように、グラル・ポルタは秘匿して建設されていました」

「なぜ秘匿を?」

「地理的要件や経済的に競合する近隣領邦からの横やりを防ぐことが目的でした」


 若者は出発前に仕入れた知識を掘り起こす。


「たしか、ペラド・ソラールが主に使用している大陸側の港は、ベイサンでしたっけ?」

「その通りです。グラル・ポルタはベイサンと直接的に競合します。またこの他に、ソールスタ、カンジェーラとは間接的に」

「間接的にというのは?」

「後者二邦は魔導船航路の経由地です」


 クロウは腰鞄より筆記具と東方域概略図を取り出して広げる。

 古地図を基にした砂海図とは別に、念の為に持ってきたものだった。その地図の上を、ペラド・ソラールから聞いた名前を辿り、無言のまま指で追っていく。ついで、グラル・ポルタの座標を思い出して当てはめる。概要図の範囲には含まれていなかった。ならばと枠外は中空に当たりをつけて、そこからもっとも近くにある領邦に目を向ける。


「シャルバードか。……なんとなく見えてきました。グラル・ポルタの建設は北回り航路を開拓しようとしているのと同じ理由ですか?」

「はい。現行航路が賊党による襲撃を受ける以上、迂回路を設ける必要があると考えました。またペラド・ソラールにとっても、安定した交易を維持できなければ、自分達の存続に影響するところです。その結果として、グラル・ポルタが建設されることとなりました」

「なる、ほど……、なら、先の襲撃は話にあった三邦が関わっている可能性があるかもしれないってことですか」

「可能性は高いでしょう」


 一呼吸して言葉が続いた。


「今現在においては裏付け調査を行っている段階ですが、魔導船航路に跋扈していた賊党の背後に、件の三邦がいるとも考えられます」

「それを質すことは?」

「確たる証拠が揃っていません。相手側の非を公にする為、名目上の宗主である帝国に話を持っていくことも考えていますが、それもある程度の証拠がなければ難しいのです」

「証拠……、証拠ですか」


 クロウは視線を巡らせて、大きな陰影を見つめる。

 昨日の戦闘で破壊され炎上した魔導船。調査に入った者達が飛び出てきて吐いていた姿を思い出す。随所穴だらけになった結果、生き残りもほとんどいなかったようだ。


「はい。三邦が賊を用意したことを、証する者と第三者から見て信じるに足る物証が必要です」

「そこはペラド・ソラールに頑張ってもらうしかないと思いますよ」

「その通りです」


 と応じて、麗人は一拍置いた。


「さて、依頼についての前置きはここまでとして……、エンフリードさんにお願いしたい件ですが、グラル・ポルタからシャルバードまでの航路を拓く為、最初の道筋を作っていただきたいのです」

「今受けてる依頼の延長ってことですか?」

「そうなります。ただ、シャルバードに着いてからですが、現地に駐留している第三遊撃船隊と合流し、船隊をグラル・ポルタまで先導する案内人となっていただきます」

「現地について終わりって訳じゃないんですね」

「はい。追加依頼の目的は、グラル・ポルタの開設と新しい航路が拓かれたことを周知することです。その為にも、船隊が目的地まで辿り着き、戻ってこれる実績が必要となります。エンフリードさんの先導はその端緒です」

「戻ってくる時は、魔導艇で先導をすれば?」

「いえ、こちらからやり方は指定しません。具体的な形は、船隊責任者との話し合いで決めていただければと」

「なるほど。では、地形による阻害や蟲による襲撃以外に、考えられる危険性は?」

「現状において、先の襲撃を行った残党、ないし、三邦の息がかかった新手の賊が出る可能性があります」


 今度は砂海図を取り出して、概要図と見比べる。

 目的地と現在地の大凡の位置が掴めた。距離にして、三百から四百十アルト。これまでの経験や今回の旅程を思えば短い。極端な計算であるが、片道にして五時間から八時間程。さらに言えば、賊がこの場に現れた事実から目的地に辿り着ける道筋は確実に存在している。

 よって、受ける受けないで言えば、受けることは構わないだろうと判断した。


 クロウはその旨を伝えようとして、重くなっている心身を思い出す。

 三〇五工廠までの独り旅での疲れに加えて、慣れていない車両での移動や昨日の戦闘と今日の騒動での疲労が重なっている。一区切りした今、それが噴き出ているのだ。


「出発日は決まっていますか?」

「まだ未定です」

「なら二日か三日程、休ませてもらってもいいですか? その、目的地に着いたって思って、気力が削れてまして……」

「構いません。元よりペラド・ソラール支部の者とエル・エスタリアとの交渉を仲介していただく予定ですから、出発はその交渉が終わり次第となります」

「組合の人の到着はいつ頃に?」

「予定では明後日です。ただ状況によっては伸びることも考えられます」


 クロウが了解の意を伝えると、依頼主が少し改めた調子で話を続ける。


「最後に追加依頼分の報酬ですが、こちらが提示できるのは、五万ゴルダの金銭報酬、又は、協立学術院への入学枠を一つと一年分の学費免除です。後者に関しては、そちらからの申し出があった年に受け付けます」

「入学枠と学費免除でお願いします」


 これまでにない即答であった。

 彼の反応に気を良くしたのか、はたまた自分の読み通りであったことに満足したのかはわからないが、応じる麗人の声はほんの少しばかり弾んでいた。


「今の返事ですが、追加依頼を受けていただけると受け取っても良いですね?」

「はい、受けます」

「では、追加依頼の件、よろしくお願いします。……後、他になにか、要望はありませんか?」


 クロウはここに至るまでに最も欲したモノがなにか、考える。

 答えはすぐに出た。同時にこればかりはないモノねだりだろうと思いながら、それを口にする。


「負担を肩代わりできる、信を置ける人が一人、欲しいですね」

「申し訳ありませんが、そればかりはこちらで用意するのは難しいかと」

「あはは、ですよねー」


 乾いた笑い。

 無理だろうということは彼もわかっていたことであるが、現実はやはり厳しかった。今となってますますわかる、ミシェルの有難味である。そこに麗人の声が届く。


「ですが、そちらに向かう支部の者ならば、紹介に足る現地の伝手を持っているかもしれません」

「なら信用のある同行者を探していると、伝えておいてくれませんか?」

「わかりました。もしも同行者が見つかった場合、こちらで雇用費を負担しましょう。ですが、人の紹介については絶対の約束はできませんので、過度の期待はなさらないようにしてください」

「了解です」


 と答えつつ、クロウは無理だろうなぁと項垂れたのだった。

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