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魔導黎明記  作者: 綺羅鷺肇
11 東方編・上 哀愁の旋風
93/96

二 想定外

 星明りの共演は過去のこと。

 ペラド・ソラールの大陸港湾拠点グラル・ポルタは踊る焔(戦火)によって、ぼんやりと浮き照らされている。


「クソがぁっ! いったいなにがどうなってやがるっ!」

「だまれっ! わめく暇があるならっ、さっさと撃ち返せっ!」

「なんなんだよ、これ、だれが撃ってッァがっ」

「ばっ、顔を出すんじゃねぇ! 衛生! 衛生兵っ!」

「本部、本部っ! ちくしょう! 連絡線が切れたのかっ!」

「ぅあっ! こ、こんなっ! なんでっなんでっ!」


 夜警の兵士達は突然の襲撃に驚きと戸惑いを隠せない。

 ただ遮蔽物に隠れ、撃ってきた方向に撃ち返すのみ。だが場あたり的な応射も仕方のない話であった。彼らがほしい情報や動くための命令が届かず、今置かれている状況もまったく把握できていないのだから。

 味方の支援がない為、より増幅された実戦の重圧と死の恐怖によって、彼らの心身は削られていく。不本意な今の状況に動揺と苛立ちが募っていく中、また発砲音や爆音が連なった。新たな悲鳴と怒声が飛び交い、複数の火線が華々しく交差する。


 激しさを増す銃撃戦。

 崩れた建物の影で言い争う声。


「撃つな、撃つな! あれは味方だっ!」

「じゃねぇよっ! あれは敵だっ!」

「違う! あそこはうちの団の管轄で! だからっ!」

「ならどうしてっ! こっちに撃ってきやがるんだよっ!」


 どちらも声音も鉄火場にあって、余裕なく強い。

 そこに銃弾が降り注ぎ、建材をを抉って破片を生み出した。両者とも慌てて地に伏せる。


 兵舎から飛び出てきた者達は小銃で武装こそすれ、寝起きでどうすればいいかわからない。


「に、二小隊は、どこに?」

「知らねぇよっ! ここは三小隊だ!」

「西か港か北門か、どこに行けばいいんだよっ!」

「知らん! 軍曹か小隊長に聞けっ!」

「なら軍曹はっ! 小隊長はどこだっ!」

「さっき撃たれたって聞いたぞ!」

「いや、本部棟に行くって聞いた!」


 ただ誰もが興奮し、不安と恐怖を誤魔化すように口を動かしながら、安全そうな物陰に隠れる。

 その物陰の一つ、小さな連絡所でも数人の者達が険しい顔で言葉を交わす。


「軍曹、やはり無線もダメです。死んでます!」

「西から入り込まれて、既に内部で交戦が始まっているようです!」

「本部棟が砲撃を受けて、燃えています!」

「まさか……、傭兵の連中が、裏切ったんじゃ?」

「馬鹿野郎! 不用意なこと抜かすなっ!」


 通信妨害と連絡線断線による情報伝達と指揮系統の麻痺。

 様々な情報を統合整理する頭脳が機能しないことから、自然、生の情報が勝手に溢れ出し、聞き及んだ各々の中で好き勝手に像を結ぶ。それらが動転する口と焦り慌てる耳を介して伝わり、いつしか相反する情報となって錯綜する。


 もはや何が正しいのか誰にもわからない。

 焔の薄紅が闇に揺らめく中、幾つもの人影が右往左往していたずらに走り回る。


 混乱する拠点の一画。

 造りかけの東防壁近くは建設用重機の陰。銃弾の届かぬ陰に十近い人影が集まり、現状の把握に務めようとしていた。


「偵察がてら出てみたが……、酷い状況だな」

「まったくだ。銃撃は西が主、砲撃はほとんど北……いや北西からか? この間隔と量だと、最低でも四門以上はありそうか」

「北、門扉と詰所、共に健在。防壁の崩落もない。二番監視塔は沈黙中」

「東防壁、異常なし。途切れ途切れだけに、大丈夫だとは言い難いがな」

「へっ、金と女、俺達と雇い主みたいな関係だな」


 誰かの冗句に、幾人かがくつくつと笑う。

 彼らはペラド・ソラールに雇われた傭兵だった。


「はぁ、俺もいい歳になったからな、イイ加減、一所に落ち着きたいぜ」

「なら手に職を付けろ。西は防壁の一部が崩壊。一番と三番の監視塔、被弾なし、沈黙。詰所は破壊されている。陸上港あたりで交戦を確認。魔導船はどうなっているかわからん」

「南、港湾と施設が砲撃を受けている。船も一隻炎上か? 後二番倉庫で火災。だが、仮設宿舎やうちの野営地とはまだ離れている」

「中央、本部棟が大きく損壊して炎上中。兵舎は一番健在二番半壊炎上。周辺施設もやられてる。弾薬庫は健在って、砲撃食らってるぞ、おい」

「あそこは一等頑丈に造られてるって話だから、まだもつはずだ。……同じく中央、格納庫は一番と二番が砲撃で崩れてる。三番付近で交戦中」

「な、嘘だろっ! もうそこまで入り込まれてるのかっ!」

「ああ、そうみたいだ。こりゃ車両や機兵に期待しない方がよさそうだ」

「チッ、見張り塔の連中は何をやってんだ。あそこが撃たねぇとどん尻だろうが!」


 最後の男が言う通り、外周壁に沿って設けられた三つの監視塔は全て沈黙していた。


「一番塔と三番塔はもう交戦域。北にある二番塔にはまだ届いていない。小頭、どうする?」

「そう、だな。まだ二番隊と四番隊が野営地にいる。中の応戦はそっちに任せよう。配置に着いていた一番隊と五番隊がどうなっているかも気になるが……、いや、だからこそ外の様子を知る必要があるな。よし、二番塔に……」

「待って!」


 制止の声。

 小頭は口を閉ざし、声の主を見る。周りより一回り小柄な人影だ。


「これだけのことになってるのに、全部の監視塔に動きがないのは、いくらなんでも変だと思う」


 場違いに思える程、良く通る声。

 まだ歳若い男の、否、女とわかる高めの声音だ。その響きは動揺が少し滲んではいるが、震えはない。女の声がさらに続ける。


「いえ、そもそも、あそこが潰されていないことがおかしいんじゃ?」

「それはただの偶然だろう。当たらない時は中々当たらないってことはよくあるからな」

「そうそう、ついでに言うと、中の連中が命令なしに動けないか、怖気づいて撃てないってことも考えられる」


 反論というよりは年若い未熟者を諭すように、男達の誰かが答えた。

 意見をした人影が微かに首を傾げながら口を開く。


「そう、なのかな?」

「ああ、なんせペラド・ソラールは他の領邦よりは平和だ。兵隊も場数が少ないだろうよ」

「じゃねぇと、バルデス傭兵団(うちの団)が警備に雇われるなんてこともなかったろうさ」

「そうだな。それに、どちらにしろ外の様子や塔が沈黙している理由を知る必要がある」

「というこった。三番隊で二番塔を調べて、外の様子も確認。砲座が使用可能なら反撃する。連絡班のお前は野営地まで戻って親父さん……団長か副長を探して、今の情報と俺達の動きを伝えてくれ」

「わかった、伝えてくる。みなも気を付けてね」


 その響きには相手を案じる色があった。

 傭兵達は無言のうちに顔を見合わせ、それぞれ応える。


「お前こそ、こんなとこで死ぬんじゃないぞ」

「ああ、流れ弾には十分に気を付けろよ」

「いくら歳とったとはいえ、まだお前さんに心配されるほど耄碌してねぇよ」

「んだな。というかなぁ、おらぁ気になるのはよぉ、おめぇに旦那ができるかどうかの方がしんぺぇだなぁ」

「あー、団長の教育か、身持ちかてぇもんなぁ、おまえ」

「いや、どっちか言うとよ、男の玉握るより鉛の弾撃つ方が好きって感じだろ」

「もったいねぇなぁ。女に生まれたんだ、男も知らんうちに死んだら損だぞ」

「な、なんなら俺が、あ、あ、相手してやろうか?」

「へ、鉄みてぇなマクに、こっちのナニが折れるかもな」


 やいのやいのと遠慮のない、それこそ一部は品もない返事が次々に返ってくる。

 小柄な傭兵も最初の方こそ神妙な顔であったが、後になるにつれ表情に険が差し込み、爆発した。


「あー、もう! ちょっと優しい言葉を掛けたら、すぐ調子に乗って! 私に旦那ができるかどうかはまだ先の話! 男に幻想ないのは普段のお陰! 化粧っ気がなくて訓練が好きなのは昔から! 処女なのは気に入った男がいないからよっ! それと、ザクス! 調子に乗ってるみたいだけど、あんたも童貞でしょうが! 鏡見てから言えっ!」

「ど、どど童貞ち、ちがうしっぃ!」

「はっ、どっちでもいいわよ、どっちでもっ! 少なくともあんた相手にはないっ! 後、最後の誰! ご自慢のナニを蹴り飛ばすわよ!」


 勝気な、それこそ相手に食って掛からんばかりの勢いに、一人を除いて、男達がげらげらと笑った。


 これでこそ、我が団(うち)の、俺達の娘だと。


「そんだけの元気がありゃ大丈夫だな。よし、行くぞ」

「焦るな急くな。命は一つだ。臆病な位で動け」

「ウィルマ! おめぇも、気をつけていけぇやっ!」

「おらザクス行くぞ! 振られたからって不貞腐れんな!」

「ふ、不貞腐れてなんかいねぇっすよ!」


 男達は鉄兜を深く被ると各々小銃を構え、北の防壁を目指して走りだした。

 それを見送った後、ウィルマと呼ばれた女傭兵もまた駆けだす。向かう先は近くに設けられた自分達の野営地だ。



 バルデス傭兵団の野営地は簡易防壁で囲われている。

 拠点内なのになんでわざわざこんなことをと、ウィルマは設営時に思ったものだが、今の事態となってみれば心強い盾である。備えあれば憂いなしって本当だったと納得しつつ、出入り口で警戒中の仲間と合言葉を交わして中へ。銃声や爆発音を聞きながら、団の中枢である本部用の天幕に向かう。

 野営地の中は思っていた以上に人の気配が少ない。もう動いた後だろうか。そんなことを考えながら光漏れる天幕に。誰何の声に名を告げて中に入った。照明の眩しさに目を眇めて見てみれば、いたのは本部事務方を構成する五人の男女のみ。


「団長と副長は?」

ジャック(団長)は軍の上層部を探しに、ケビン(副長)は前線の指揮を取りに出ました」


 作業机で書き物をしていた事務長……事務仕事を統括する老齢の女がいつもと変わらない様子で答えた。

 この人は流石に肝が据わっていると不思議な安堵を感じながら頷く。するとほぼ全員の顔色が悪い中、一人普段通りの事務員……傭兵上がりの男が肩を竦めて笑った。


「あの兄弟……副長()はともかく、団長(兄貴)にはここでどっしりと構えていて欲しい所なんだが……、あの団長だからなぁ」

「確かに二人とももういい歳になってるんだから、大人しくしてほしい所ね」

「まったくだ。ウィルマ、娘のお前からも言ってやれ、もっと落ち着けってな」

「そうする。他の隊は?」

「一番五番とはまだ連絡がついていない。二番と四番は応戦に向かった。三番はどうした?」

「二番塔が沈黙してるから様子を見に行ったわ。可能なら反撃するって」


 男が覚書に情報を書き留める。

 それを見て、ウィルマはついでとばかりに今し方得た情報を伝えた。


「よし。今の情報も書いた。これを団長に渡してくれ。本部棟がダメなら周辺の連絡所か、人が集まっている所にいるはずだ」

「了解」

「流れ弾はどこから飛んでくるか分からん。できるだけ身を低くして走れ」

「ん、気を付ける」


 小柄な傭兵は紙を受け取ると身を翻した。



 ウィルマは野営地を出ると、小走りに急ぐ。

 とはいえ今し方の警告……流れ弾や焦るな急くなとの声が耳に残っており、一直線というわけではない。できるだけ身を低くして、安全そうな物陰を移動する。

 その間、首よりぶら下げた選抜小銃と安い防護装具とが擦れ、カチャカチャと音をたてる。あまり褒められた動きじゃないなと、彼女は自らの動作に不満を覚える。ついで微かに弾む自らの胸を見て、小さく溜息。

 周りの男達の視線が煩わしいと感じる程度の大きさ。事務方の女性陣から言わせると、大きすぎることも小さすぎることもない綺麗な形らしい。それは誉め言葉なのだろうが、彼女にとってはそこまで嬉しいモノではない。元より見せたいと思う相手もいないし、今も重りにしかなっていない。もっと小さい方がいいのにと眉根を曇らせた。


 やがて交戦域が近づき、視界がより赤く染まっていく。

 無意識に自らの得物を構え持って走る。目指す先の本部棟を見れば、聞いていた以上に損壊しており、周囲に人がいる様子もなかった。流れ弾が風切る音。驚きで跳ね上がりそうになった上体を抑え、更に姿勢を低くして遮蔽物を探す。

 そこに閃光と爆発音。伏せて見れば、五十リュート程先の土嚢積み……半地下構造の弾薬庫が被弾していた。あの辺りにはいないと断じて、視線を巡らせる。本部棟近くで横倒しになった車両。その陰から発砲炎が見えた。

 匍匐して前進。やはり胸が邪魔だった。己が身体に不服を覚えるも仕方ないと我慢して進む。しばらくして、相手が近づく存在に気付いたようで銃口を向けてきた。


「誰だ!」

「バルデスの傭兵よ!」

「な、女っ?」

「そこはどうでもいいから! ここらにうちの団長が来たはずなんだけど、どこに行ったか知らないっ?」

「あ、ああ。拠点管理官と警備隊長が行方知れずって聞いて、近くの連絡所か北の詰所に行くって話だった」

「了解、ありがと!」


 ウィルマは軽やかな調子で礼を言い、改めて北を目指す。

 途上、遮蔽物や物陰を渡りながら、横目で交戦域を見る。ペラド・ソラールの兵士達が慌てた様子で走り回っている。まだ残っている格納庫とその周辺では激しい銃撃戦が起こっていた。戦火で薄くなった夜闇に幾つもの射線が走り、曳光弾が眩く尾を引く。

 危険な状況に陥りつつあるのではないか。そんな危惧を肌身で感じて、女傭兵は表情を渋くする。状況が悪くなると、逃げ出したり裏切ったりする傭兵がいることを彼女は知っている。だが、ここにいる自分達は、バルデスの名の下で戦う者達にはあり得ないことだと思い切り、北の詰所に向かう道筋を駆けた。


 戦場の騒音。

 土埃と黒煙。

 浮き出る汗。

 遠く砲撃音。


 それを耳にした瞬間、ウィルマは自らの直感に従って身を投げ出す。


 空気を震わす轟音衝撃。

 大地と体が跳ね揺れる。

 降りかかる砂礫や破片。

 目鼻口を閉ざして守る。

 兜や防護具に当たる音。


 今まで砲撃を食らったことなどなかったが、教えられていた通り酷いモノだと納得する。

 たったの一撃で五感が酷く痛めつけられて、心胆が削れた。これを何度も喰らっていたら、士気が落ちるどころか正気を失ってもおかしくないと納得する。女傭兵は震え出しそうな身体を叱咤し、力抜けた足に再び力を込めて走り出した。


 早く団長と合流しなければ。

 その一念で立ち寄りそうな場所を探し、土嚢に守られた連絡所を見つけた。あそこにいるに違いない。そう判じて駆け寄る。


「団長!」


 ウィルマは相手に呼びかけつつ飛び込んだ。

 返事はない。だが、人影は確かに複数あった。


「……え?」


 青白い薄明りの下、目にした光景。

 彼女にはそれが理解できなかった。


「な、に……こ、れ」


 建屋の壁に飛び散った染み。

 鉄錆のにおいと硝煙の残り香。

 そして、血だまりに倒れた者達。


 その中には、彼女の探し人もいた。


「だ、団長?」


 自失しそうな自分を叱咤して、彼女はうつ伏せに倒れた男のもとに。

 両膝をつき、手を伸ばす。触れた肌は冷たくなり始めていた。震える声で倒れている相手を呼ぶ。


「団長……、と、父さん、返事、を……」


 現実を受け入れられず、嘘だと叫びたくなる。

 だが事実が……、閉ざされた目、身動ぎしない体が、戦闘服に滲む黒い染みが、血潮の臭いが、何が起きたかを物語っていた。


 世界が色と音を失う。


「な、なんで? どう、して?」


 今、この場所は交戦域からも距離があるし、土嚢で守られている。

 だからまだ、銃弾はここまで飛んできていないはずなのだ。


 なのに、なぜ?

 どうして、撃たれているのか?


 疑問渦巻く彼女の耳に、微かな吐息にも似た、声が届く。


「父さん! しっかりして!」


 彼女の呼びかけに応えるかのように、かすかに目が開き、ゆっくりと唇が動く。

 すぐに耳を寄せた。聞き取れるのは、ほんのわずか。だが、息と変わらぬ音は確かに語を結んだ。


「ケ……ビ、ン、ウラ……ギリ?」


 自らが繰り返して口にした言葉に、ウィルマは目を大きく見開いた。



 バルデス傭兵団の長は重いあごを引き、かたまった目を意地でうごかす。

 彼の霞んだ視界の中に、滅んだ開拓地で気まぐれに拾い、娘と育てた女がいた。清楚とはお世辞でも言えないが、躍動的な魅力ある女になった。その姿がぼやける。まだ伝えたいことはいくらでもあった。


 だが、もう時間がなかった。

 最後の力をふりしぼる。


「……ぃ…………、ゥ……ィ……」


 力がぬけ、意識が遠くなる。

 己が人生を思えば、だれかに、しかも娘としたとはいえ女に、みとられて死ぬのは上等だと笑い、彼は底なしの闇に落ちていった。



 今、父が死んだ。

 ほんの十数分前にはいつものように言葉を交わしていた父が……。


 余りにも唐突な別れ。

 ウィルマは信じられない思いで、父の死に顔を見つめる。

 なんでそんな顔で死ねるんだと、怒りたくなる顔だった。


 だがもう、文句をいうことも怒ることもできない。

 そう思った瞬間、胸の奥が、肚の底が、千切れ絞られる。


 今はダメだ。

 泣いてはいけない。


 彼女は唇を噛む。

 痛みと濃厚な血の味で、崩れそうな己を支える。


 団長()が遺してくれた情報を、皆に……。


 ウィルマは震える手で死者の瞳を閉ざし、立ち上がった。


「みなに、はやく、知らせ……ないと」


 表情を失った女の口から虚ろな声が洩れた。


 そして踵を返した瞬間、これまでにない大きな爆発音が轟いた。

 空気と建屋が震え、天蓋の土埃が舞い落ちる。彼女は覚束ない足取りで出入り口に向かい、なにが爆発したのか知る為、視線を走らせた。


 北防壁の一部が大きく崩され、二番監視塔は上部構造を綺麗に失っていた。

 周辺には瓦礫の類が散乱し、崩落した跡でも残った可燃物が小さく燃えている。


 監視塔には、三番隊が向かった。

 あの様子だと、無事で済むはずがない。


 また、仲間が死んだのだ。

 彼女にとっては家族とも言い換えられる仲間が、叔父と慕った男の裏切りで……。


 そう理解した瞬間、ウィルマの中で枷が壊れた。

 心の内で渦巻いていた感情が、怒り哀しさ憎しみ苦しみが、否、もはや象れぬ程の激情が、彼女の中で凄まじい熱量を伴って膨れ上がる。それは僅かに残っていた理性をも飲み込むと捌け口を探して荒れ狂い、叫びという奔流を生み出した。


 そして自らが望むまま、半ば狂乱の態で北の防壁へ駆ける。

 向かう先は崩落個所。敵が侵入してくるであろう瓦礫の山。父や仲間を殺した連中がいる場所。


 思いは一つ。

 仲間(家族)の敵を皆殺す。


 ウィルマの鮮烈な意志に従って、両の手が得物(選抜小銃)を構える。

 彼女の鋭敏に尖り切った五感が口を開けた場所に集中する。粉塵舞う防壁の向こう側、瓦礫より人影が覗いた。反射的に狙い撃つ。命中。別の影を見つけ、また撃つ。仰け反り倒れた。すぐ隣、銃を向ける敵。即応射撃。頭が弾け飛んだ。更に接近。人影が四つに増える。撃つ撃つ撃つ。首、顔、額に穴が開く。戦火に照らされて、残る一人の顔がかすかに見えた。


 焦り、驚き、怖れ。

 その面に銃弾を叩き込む。


 息残る敵の断末魔が連なる。

 帯革(ベルト)に吊るした手榴弾を手に取り、安全装置を解除。


 走る勢いも利用して、瓦礫の向こうに投げ込む。

 数秒後、閃光と炸裂音。苦悶の悲鳴が幾重にも重なった。


 瓦礫に取りつく。

 四肢を全て活用し、一息に駆け登る。


 小山の頂に到達。

 即座に銃を構え、拠点の外を見渡す。


 十数の影を視認。

 選り好みせず、速射に速射を重ねる。


 装弾を撃ち切る。

 腰の拳銃を抜き、残る敵を掃討する。


 動く影が尽きる。

 弾倉を交換し、周囲の様子を再確認。


 悲鳴泣声と罵声。

 音の発生源を探し出して、始末する。


 近くの敵は排除。

 警戒を解かず、外の動きを確かめる。


 星明りの下、三百リュート程の所で人影が幾つも動く。同時に魔導機らしい陰影も目に入る。

 そしてそれらの背後、動く影に砲火が見えた。数は二つ。船影からクリーモア級とわかった。


 魔導機と魔導船を潰すには手が足りない。

 ウィルマが悔し気に舌打ちした瞬間、船影が閃光に呑まれ、船体の一部が吹き飛んだ。



  * * *



「誘導弾〇一、命中。標的α(北側魔導船1)、の推定船橋、破壊を確認」

「誘導弾〇三、命中。標的β(北側魔導船2)、の推定推進機関、破壊を確認」

「誘導弾〇二、〇四、弾着。標的δ(砲兵陣地)、の火砲二基、撃破を確認。弾薬等への誘爆を確認」


 クロウは前面窓をじっと見つめる。

 幾つもある映像枠は今現在の状況がそのまま映し出されている。標的αは破壊された船橋を抱えたまま、ただ真っすぐに進んでいる。標的βは惰性で進んでいたが、その速度が落ち始めている。丘の陰に展開していた標的δは弾薬の誘爆が続いているのか、幾度も閃光が走っている。


 淡々とした声が続く。


「一番車、二番車、より、誘導弾使用申請。目標、標的δ。目的、残存火砲の撃破。……許可。附番、〇五、〇六。……発射を確認。ヴァルサ三番機、誘導を開始」

標的γ(西側魔導船)、の変針を確認。方位、二、四、五、〇」

標的ε(西側歩兵部隊)、居住地内、で交戦中」

標的ζ(西側装甲車両)、四両。搭載火砲により、居住地、を攻撃中」

標的η(北側歩兵部隊)、防壁付近、居住地自衛戦力、により、前衛の掃討を確認。後続部隊は、防壁より、北、三、○、○、で行動停止。停滞中」

標的θ(北側装甲歩兵)、四機。同伴の、標的η、と同じく、行動停止。停滞中」


 若者はある映像枠に視線を向けた。

 北側の敵……今から拠点に攻め込もうとしていた部隊が動きを止めている。前衛が排除されたことに加えて、母船を攻撃されて動揺しているのだろうと当たりを付ける。


「標的まで、距離、二、〇、〇、〇。戦闘分隊、標的η、及び、標的θ、の掃討を開始」

「警戒分隊、支援開始」


 誘導弾の噴射炎で近づく脅威に気付いたのか、北側の敵部隊が動きを変え、戦闘分隊を半包囲しようと扇状に広がり始めた。

 そこに迫撃砲弾が次々に降り注ぐ。広範囲で爆炎が広がり、土砂や砂礫が天高く伸びる。百近かった熱源反応が少しずつ減っていく。


「標的まで、距離、一、〇、〇、〇」

「誘導弾〇五、〇六、弾着。標的δ、の残存火砲、撃破を確認。標的δ、の掃討を確認」


 砲兵陣地撃破の報告に視線を移す。

 かつては陣地であった場所が激しく燃え、時に弾薬や砲弾が爆発を引き起こしていた。


 その間にも戦闘分隊は動く。

 一番前を行く二両……六二式無人戦闘車が右に左にと機動しながら主砲を撃ち始めた。

 小気味よく三発ずつ、三十ダルト口径弾が冷えた夜の空気を切り裂き、装甲歩兵こと魔導機に吸い込まれていく。一発目で前面装甲を全壊させ、二発目で搭乗者を血煙と肉片に変え、三発目で背部構造体を穿ち砕いた。


「標的θ、確認個体、全機掃討を確認」


 ほんの一瞬で、四機の魔導機が上下に割り砕かれる様を目の当たりにして、クロウの顔は青くなる。

 それは敵も同じだったようで、戦線を再構築しようとしていた歩兵部隊が壊乱の態で逃げ始めた。そこに車載分隊各機が、一リュート半程の小型装軌車……武装義体バアル・ロラが二丁の十ダルト機銃で追撃を仕掛ける。


 瞬く間に、幾重にも交わるように火線が形成された。

 戦場を覆い尽くす銃弾の網に絡み取られ、逃げようとした敵がなぎ倒されていく。

 それでも中には反撃する者もいた。だが圧倒的な投射量に負けて、その身を踊らせて散る。また遮蔽物に隠れた者もいた。それも大口径弾に寄る辺を破壊され、自身もまた蹂躙される。


「標的η、確認個体の内、九割の掃討を確認。引き続き、追撃を継続」

「標的ε、及び、標的ζ、の後退を確認。標的γ、との合流、が目的と推定」

「居住地、より、動体の離脱、を確認。針路、二、六、八、五。所属不明につき、要注意対象として、監視を開始します」

「一番車、二番車は、標的α、標的β、標的γ、の撃破を優先」


 敵歩兵を掃討していた六二式戦闘車が速度を上げた。

 両者は近場にある二つの標的……手負いの魔導船に向けて接近を図る。相手はそれに気づいているのかいないのか、或いは対処しようもできないのか、これといった動きは見えない。


 よって、攻撃は再び一方的なモノになった。

 主砲の筒先が魔導船を指向し、対物破壊を想定した砲弾が次々に撃ち放たれる。それらは魔導船を構成する各種部材を区別なく破壊していく。船橋や船体は見る間に穴だらけとなり、飛び散った火花が可燃物や搭載火砲、砲弾といったモノに引火。船上で爆発や火災を引き起こした。


 一分後、標的βが擱座炎上して沈黙。

 その三十秒後に、標的αが船体中央付近で生じた爆発により、前後に割れて沈んだ。


「標的α、標的β、の撃破を確認」

「通信障害濃度が低下。通信状況が改善」

「標的γ、の変針を確認。方位、二、六、九、三」

「標的ε、及び、標的ζ、居住地への攻撃を再開」

「標的η、確認個体、全個体の掃討を確認」


 オウパは数秒沈黙し、クロウを見る。

 若者は一方的な殲滅劇に血の気をなくしながらも、映像から目を逸らさず見つめている。


 機人は声を掛けず、指揮下の人工知能体に命を下す。


「本小隊作戦行動目的は、民間人、及び、居住地、に対する攻撃を阻止、を優先とします」

「戦闘分隊に命令。標的γ、への攻撃を中止。標的ε、及び、標的ζ、の掃討を優先目標とします」


 グラル・ポルタ北側荒野を制した戦闘車両群は命じられるまま西側へと進む。


「一番車、二番車、より、誘導弾使用申請。目標、標的ζ。目的、戦闘支援車両の撃破。……許可。附番、〇七、〇八、〇九、一〇。……発射を確認。ヴァルサ三番機、誘導を開始」


 再び戦闘車から誘導弾が発射された。

 各車二発ずつで計四発。一直線に眩い推進炎を吹き出しながら荒野を渡り、グラル・ポルタ上空を通過し……、全てが狙い過たず、装甲車両に吸い込まれた。

 立て続けに爆発が発生し、ある車両は木っ端微塵に、またある車両は最低限の形を残して至る所から炎を吹き上げる。とある車両は加えられた力のままに横転して十数回は転がって炎上し、残る車両は爆散する際に砲塔を天高く吹き飛ばした。


「誘導弾〇七、〇八、〇九、一〇、命中。標的ζ、確認個体、全車掃討を確認」

「通信障害濃度が低下。通信状況が常態に復帰」

「標的ε、居住地内に再侵入、を確認。居住地自衛戦力、と、交戦を再開」

「居住地内、における通信量が増加。居住地自衛戦力、再編開始を確認」


 と、ここでクロウは自分がするべきことに思い至る。


「オウパさん、こっちのことをグラル・ポルタの人に伝えてもらうよう、依頼元に連絡します」

「本護衛小隊、と、居住地自衛戦力、との、誤射、の確率が低下すると算定。お願い申し上げます」

「ええ、了解です。……っと、ヴァルサ二番機の映像に、なにか……映ってる?」

「肯定します。ヴァルサ二番機より通報。方位、三、四、二、五、より、甲殻蟲の群、が、接近中。現在、距離、二、五、〇、〇、〇、〇。確認個体数、四百十八。後続の群を確認」


 騒動を嗅ぎ付ける、忌々しい蟲共め。

 色を失っていた若者の顔に朱が差した。


「甲殻蟲の群、を、居住地に対する、敵性勢力と認定。現在把握中の、群集団、を、〇一群、と設定。民間人、及び、居住地、に対する攻撃を阻止、を優先目的とする為、標的γ、に対する追撃、及び、要注意対象、に対する監視、を中止します」

「戦闘分隊に命令。〇一群、に対する、迎撃を実施」

「一番車、二番車は、第三戦列を形成」

「車載分隊、第一班、第三班、は、第二戦列を形成」

「警戒分隊に命令。標的ε、に対する、監視、及び、掃討」

「補給分隊、及び、給油分隊、に命令。戦闘分隊に合流後、補給、及び、給油。終了後、本車に合流」

「警戒任務中の車載分隊、第二班、第四班、は、戦闘分隊に合流後、第一戦列を形成」

「本車は、居住地、より、北、距離、五、○、○、にて待機します」


 淀みなく紡がれるオウパの声を聞きながら、クロウは魔導通信機を起動させる。

 相手が人から蟲に変わったとはいえ、まだ戦闘は収まりそうにないと眉間にしわを寄せながら……。



  * * *



 危難の一夜が明け、大東洋より朝陽が昇った。

 朝焼けが海原に輝きを与え、いまだに黒煙が立ち上るグラル・ポルタを照らし出す。


 敵性勢力の襲撃を受けて、拠点内は酷い有様であった。

 外郭を形作る外周壁は数か所で砲撃を受けたり爆破されたりして崩落し、防壁の態を為していない。三つあった監視塔も全て破壊された為、周辺監視もままならない状態だ。

 西の詰所は跡形もなく破壊され、襲撃者による最後の抵抗が行われた陸上港は至る所で弾痕が刻まれ、爆発でできた穴が幾つも残る。

 海洋に面した南側。この拠点の存在価値ともいえる港湾設備は岸壁や起重機等の施設に大きな被害を受けており、接岸していた船も上部構造体で火災を起こして浸水している。岸壁に沿って四つ並ぶ大型倉庫も砲撃の被害を受けており、二棟が使い物にならなくなった。

 襲撃開始直後、集中砲火を浴びた中央部は本部棟が著しく損壊していることに加え、二つの格納庫が中に収まっていた魔導機や車両ごと破壊されていた。他にも兵舎や将校用の宿舎、酒保に食堂、造水施設や貯水槽、魔力生成所といった基盤施設にも少なからぬ被害を受けていた。


 これに人的な被害が加わる。

 元々グラル・ポルタに配置されていた人員は、五百人強。七割強がペラド・ソラール市軍の人員と軍属、二割弱が傭兵で、残る一割が建設工事を請け負っていた民間人だ。

 ペラド・ソラール市軍にとっては不幸中の幸いというべきか、工事関係者が寝泊まりする仮設宿舎は砲撃範囲から外れていたこともあり、民間人の被害は出ていない。だが、それ以外が酷かった。


 未だに正確な数字は出ていないが、死傷者及び行方不明者は市軍及び軍属が百名を超え、傭兵も六十名を超えるに至っている。しかも、その中にはグラル・ポルタの首脳陣も含まれているのだ。


 概算すれば、四割に近い損害である。

 二人ないし三人に一人の割合で斃れ、怪我を負ったのだ。


 ほぼ全ての者が、昨日まで、それこそ昨晩までいた部下や上司、同僚や仲間が欠けるという事態を味わうこととなり、グラル・ポルタの空気は非常に苦く重苦しい。

 それでも生き残った将校はペラド・ソラールと連絡を行いながら指揮系統を再編し、軍医や衛生兵は拠点内からかき集めた、それこそ瓦礫や燃え跡を掘り返してでも集めた医療品でもって負傷者の治療に務める。憲兵は敵の遺留物や装備品を集めて調査し、捕縛した数名に拷問に近い尋問にかけることで素性を探る。また工兵が防備の修復建設や不発弾の始末に走り、整備兵が施設や機材の修理を行って支援する。残る者達は周辺の監視や瓦礫の撤去、遺体の回収、応急陣地の設営を担った。


 バルデス傭兵団でもそれは同じで、傭兵達は負傷者した仲間の治療や回収した遺体の身元確認といった作業に黙々と行う。

 彼らの顔も一様に暗い。請け負った拠点警備は半ば失敗といった有り様で、多くの仲間も失った。それも創設以来で最大の被害であり、団長と番隊を率いる小頭が三人戦死し、副長と小頭一人が行方知れず。団の幹部がごっそりといなくなったのだ。


 彼らはこれまでにない損害に、組織の存続が危ういと肌で感じざるを得なかった。


 実際、本部用の天幕では傭兵団の今後に関わる報告が、生き残った二人の幹部に対して行われていた。


「それが本当なら、困ったことになるわね」


 ウィルマの報告を聞き終えて、老齢の事務長は難しい顔で告げた。

 それに応じたのは、険しい顔をした五番隊の小頭だ。


「だが、この情報を揉み消す訳にはいかん。確かに口を噤めば、今一時、この場は無事に済むだろう。が、後に事実が明らかになった場合、より深刻な信用失墜に繋がる。それこそ団の構成員個人個人に信が置けない、なんて風評が付く程にな」

「なら、握りつぶすことに反対するのですね?」

「ああ、ここはわかっている範囲で、全てを雇い主に報告するべきだ。今なら俺達も身内が……団長や団員が殺されたこともあるから、裏切りの被害者だとして、乗り切れるかもしれん」


 砂塵と煤に塗れた中年傭兵は消沈しているウィルマを見て、丸刈りの頭を掻き毟った。


「ここはもう、腹を割って話そう。俺は請負期限終了が来るか市軍と協議して契約を解除するかした段階で、今回の被害と裏切りへの贖いを理由に団を解散して、その後で、改めて有志を募って、新しい傭兵団を結成した方がいいと思う」

「あなたの言う通り、でしょうね。ここまでの損害を……団長や練達の小頭、信義と技量を持つ傭兵達を失った以上、今までのような仕事を請けることは難しい。そこに副長が裏切っての失敗です。うちは(バルデス)が依頼人を絶対に裏切らないことで名を上げてきた以上、致命傷です。依頼人との交渉でもその点を突かれて、報酬面や条件面で碌な仕事とならない。おそらく半年もしない内に、運営資金か内部の軋轢で破綻するでしょう」

「だから、ウィルマ……」


 小頭の呼びかけに、女傭兵は暗い顔に無理やり笑みを形づくり応じた。


「うん、わかってる。団を解散するしか、もう方法がないって……、みんなの生活が立ち行かなくなるってこと。わかってる」


 ウィルマは自らの心を整理するようにわかってると数度繰り返し、二人に頭を下げた。


「率直に話してくれて、ありがとう。私は、団長(父さん)の娘ってだけで、本当は、幹部に物が言える立場じゃないんだけど……、ええと、うん、……後のことを、皆のことを、よろしく、お願いします」


 彼女はなんとかそう言うと寂しさを滲ませながら微笑み、天幕を出て行った。

 新しい傭兵団には参加しないと暗に告げた女の心情を思い、残された二人はやるせなさを噛みしめた。



 ウィルマは天幕を出てすぐに事務方の一人……市軍との連絡役を担っていた傭兵上がりに捕まり、北側の監視に手が足りないそうだから頼むと仕事を割り振られた。その忙しそうな様子に、いつも通りを装って、仕方ないと言わんばかりに肩を竦めてから引き受けた。


 女傭兵は最低限の装備を整えて、野営地を出る。

 拠点内部は昨日までの印象が消え去る程に壊れていた。

 そしてそれは、寄る辺だったモノを失った彼女の心境にも通じた。


 頭がぼうとして考えることもろくにできないまま、それでも幼少より鍛えられた身体はブレることなく歩を刻む。

 程なくして北防壁に辿り着く。破壊された箇所では、重機と兵士達が瓦礫や土嚢を積み重ねていた。北門の脇にある詰所に寄り、監視を請け負ったことを告げて、壁の上へ。監視の人員はいつもより少なかった。


 ウィルマは冷たい海風を浴びながら、光陽の力強い輝きを受ける。

 風音の中、大東洋の絶え間ないさざ波が聞こえた。


 そして、目が二番塔の跡を捉えた。

 あの場所に向かった三番隊は、全員が帰らぬ人となった。その場でなにが起こったかまではわからない。ただ事実として、酷く傷んだ遺体だけが遺されたのだ。


 失われた仲間を思い、悲しみと怒りが肚の底で燻る。そこに帰る場所を失った恨みがくべられて、黒く燃える。

 小さくとも消えそうにない黒い炎。それに炙られるのは、仇への恨みと憎しみ。特に、父が裏切者と言い遺した相手へは殺意が募る。叔父と慕っていたが故に、その感情は強く憎悪に染まったのだ。


 ギシリと歯が鳴った。


 ウラギリ者には、必ず報いを与える。

 どこまでも追いかけ、追いつめ、必ず冥府に送り込む。


 女傭兵は独り決意する。

 それから剣呑な光を宿す目を閉ざし、大きく息を吸う。

 自身が為すことを決めたことで、心と頭が少し落ち着いた。


 だから、どうやって仇を探すかを考えるのは、後。

 今は、仕事だ。


 そう自らに言い聞かせ、ウィルマは周辺に目を向けた。

 グラル・ポルタより北東に向けて海岸線が延びている。荒い岩肌や瓦礫が目立つ波打ち際では打ち上げられた漂流物がそこかしこに見えた。北西方向には丘陵帯が広がる。続く先は甲殻蟲が多数生息する東ドライゼス山地で、警戒を要する方向だ。


 そして、それらの間……北側の荒野は瓦礫と砂礫が主で、草木が申し訳程度に生えている。それらは今、海風を浴びて揺れていた。

 北の地平線には廃墟らしき建物。他に目立った物はない。いや、今は一アルト程の場所に、魔導船の残骸が見えた。そこから更に百リュート行った場所にもう一隻。それぞれが破壊しつくされており、修復するよりも資源として再生する方が早い有り様だ。


 そして、そこから拠点までの間。

 先日より幾分すっきりした観の荒れ野では、四つ脚に二本の腕を持つ機械がなにかを拾い集めている。目を細めて見てみると、それはゴラネスの残骸であったり、人の屍……正確には、その一部のようだった。


 彼女は昨夜目撃した蹂躙劇を思い出す。

 絶え間なく次々に撃ち込まれる砲撃、戦場を覆いつくさんばかりの火線、魔導船をも撃ち砕く大口径弾の嵐、旧文明期の遺物と思われる噴射弾頭。


 それは恐ろしくも魅了される力の行使であった。


 ウィルマの視線はそれを為したモノ達を探し、見つけた。

 彼女から十リュート程離れた場所。北門のすぐ近くに停車した、十に満たない車両群。一見、強力そうには見えない小部隊だ。その周囲には小型の武装車両が複数佇んでいる。


 そして、部隊の中央付近に人影が二つ。

 赤髪の男と黒髪の女。何事か話をしているようで、男が時々西や南西方向を指差しては頷いている。


 あれが救援部隊、の……。


 女傭兵はじっとその姿を見つめる。

 男は若かった。彼女と同じか、その前後といった見目だ。機兵服に似た服装に防護具を身に着けた姿は明らかに鍛えられており、その立ち居振る舞いは一端の傭兵や記憶する将校達よりも堂々と、それでいて自然であった。


 あの強力な部隊を率いるのだから、実力者、なのだろう。

 そんな思いでいると、不意に振り返った。頼りになりそうな、引き締まった男らしい顔。今まで多くの傭兵を見てきたが、それらの中でも間違いなく上位一桁に入る容貌だ。

 今は意志の強そうな眉根の下、疲れが滲む目を動かし、何かを探すような仕草。こちらの視線に気付いたのだろうと、なんとなくだがわかった。


 そして、若い男が防壁上を西から東へと視線を流し……、彼女と目が合った、


 普段のウィルマならすぐに視線を切っただろう。

 だが今は不思議と相手の瞳に、父が仕事を終えた時に見せた、疲れと喜び、安堵と幾ばくかの哀しみが混じった目を思い出して、見入ってしまった。


 こうして互いに見つめ合うこと、十秒程。

 グラル・ポルタ内で歓声が上がったことで、若者の視線が切れた。


 ウィルマは自分の中でそれを惜しむ気持ちがあることに気付いた。また同時に、ある考えが形を為そうとしていることにも。だが今はそれを胸の内に包み隠して振り返る。


 煌めく海にこちらに向かってくる複数の船舶が見えた。

 船橋上部の檣楼(しょうろう)にて海風を浴びてはためくのは、青い生地に白い丸、その中に赤で末広がりの扇型が意匠された、ペラド・ソラールの旗だった。



 クロウは聞こえてきた歓声から、良いことがあったのだろうと当たりを付けた。

 それを裏付けるように、隣に立っているオウパが告げた。


「沖合より、艦船が六隻、接近しています。類別と内訳は、中型が三、内、二、が同型。小型が三、全て同型。今現在において、敵対的な動き、は観測されていません」

「多分ですけど、それ、ペラド・ソラールからの救援だと思います」


 若者はほっと息をつく。

 想定していなかった事態に遭遇して関わり、オウパに依頼するという形で引き金を引いたことが、少なくない負担になっていたのだ。それだけに、今の問題が一区切りしそうな動きは歓迎できることであった。


「ただ、オウパさんの用件に対応してくれる人といいますか、旅団か組合の人が乗ってるかまではちょっとわからないです」

「我々は、会合が遅れても、特に問題はありません。ただ、エンフリードさん、には今少し、同行をお願い申し上げます」

「構いませんよ。私も向こうから迎えが来てもらわないと動けませんから。待ち人は同じです。とはいえ、せめて中に入れて欲しいとは思いますけどね」


 クロウは現状では難しいことを言って笑う。

 だが、それはすぐに収め、オウパへと向き直って続けた。


「でも昨日の、いや、今朝方の戦闘とか、最初に顔を合わせた時の戦闘とかを見ていて思ったんですけど、エル・エスタリア連邦軍って、やっぱり強かったんですね」

「部分的に肯定します。我々には、連邦軍が創軍以来集積した、幾つもの戦闘教義が集約記録されており、状況に応じた選択と行動が可能です。先程の、非対称戦、は、我々と、敵性勢力、との間には、兵装及び装備品、及び、部隊運用、に、格段の差が存在していることから、戦果は、当然の帰結、となります。しかしながら、仮に、敵性勢力、が、同階層(レベル)の兵装及び装備品、を装備していた場合、或いは、対処能力を上回る個体数であった場合、ここまでの差異は発生しないと、仮想演習、及び、実戦、にて、証明されています」

「なる、ほど。同等の装備を使った場合に関してはなんとも言えませんけど……、確かに敵の数が膨大だと、ええ、甲殻蟲に数で押し込まれてってことがありましたね」

「肯定します。我々は、無敵、ではありません」


 その言を聞き、クロウは最初の接触時に見た光景を思い出して、納得する。

 相手を圧倒する強さがあったとしても、どのような場面でも決して負けない、ということには繋がらないのだろうと。そう考えて、自らが扱う武具……魔導機の在り方に思考が向いた。


 甲殻蟲と伍する力を持つ魔導機は、今の社会において、ヒトを守護する半ば象徴的な存在だ。

 しかしだからといって、それはどのような場面でも通用する訳ではない。実際、連邦軍に一蹴される様を見せつけられたし、思い返せば、賊党との交戦で銃撃され、死を覚悟したこともあったのだ。


 そう、戦力として考えてみれば、有力な射撃武器を持たない以上、魔導機は近接戦闘やあくまでも対甲殻蟲戦に適した存在にすぎない。たとえ魔導機に乗る力があったとしても、また乗っていたとしても、それを過信してはいけないことを肝に銘じなければならないだろう。


 そう思った所、ある言葉が記憶から飛び出てきた。


 ヒトは自分に欠けているモノを埋めるために社会を作る。


 どこで誰から聞いたかは覚えていないが、つまりはそういうことなのだろう。


 大切なのは個々の連携。

 いや、違う。より大きく、様々な力を組み合わせて、状況に応じて対応すること。また、それを考えて運用する頭。そしてそれは……。


「開拓地の運営に必要なこと、でも、あるかな?」


 クロウは小さく呟き、覚えていこうと一人頷いた。


 それから不意に、先程のことを思い返す。

 防壁の上からこちらを見ていた男……、いや、女のようにも見えたが、そこはどうでもよかった。気になったのは、表情と目つきだ。なにも感じていないと言わんばかりに無表情でいて、目つきだけは鋭く、爛々と輝いているように見えた。


 ああいった顔を昔、鏡で幾度も見たことがあった。


 若者は過去を思い出し、口元に苦みを走らせる。

 自らの経験から、昨日の晩、なにか良くないことがあったかもしれないと思い至ったからだ。


 だが、それもふっと息を抜いたことで消える。

 自分には関わりのないことだと割り切った結果だった。


 何者かに対する感慨を流して以降、クロウは拠点内から入場の許可が得られるまでの間、簡易義体モバル・ロラによる戦場清掃を眺めながら、時にオウパと話をして、待ち続けたのだった。

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