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魔導黎明記  作者: 綺羅鷺肇
10 尖兵は迷い霧を払う
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八 遺されたモノ達

 戦闘が終わったのは、夜も更け始めた頃であった。

 絶え間なく続いていた銃砲撃が収まり、死と破壊で彩られていた世界は落ち着きを取り戻す。立ち込めるのは砂塵と硝煙、血の狭霧から成る戦場の靄。それを夜の冷たい風が吹き払っていく。


 後に残されたのは敗者()の残骸。

 破片や肉片、部材といったモノが荒野のそこかしこに散らばっており、時折命の残滓が関節などを小さく揺らすだけである。


 そんな戦場跡にて、クロウはまだ周囲を警戒していた。

 油断が気まぐれに死を呼ぶ。今の場合ならば、死を擬態するないし攻撃を免れた蟲がいるかもれないといったことを考えてのことだ。


 息を詰めたまま、数分程様子を探る。

 時を重ねても変化は見られない。不穏な気配もなければ新手が来襲しそうな気配もない。これなら大丈夫だろうと見て、ゆっくり得物を収めた。


 それから改めて、合力した相手に目を向ける。

 彼我の距離は三百リュート程。二本足は動きを止めて佇んでおり、耳に届く機関の音も小さく低くなっている。


 その二本足であるが戦闘を経て、いまだ健在なのは三機。

 全てが油断の色はなく周囲一帯を警戒するように、それぞれが違う方向を指向している。それ故か、或いは結果が分かっているが故か、倒れた仲間を助ける動きは見えなかった。これに付け加えると、こちらに接触を図るような様子も見られない。ただ幸いというべきか、銃口自体はこちらには向けられていなかった。


 若者は相手の様子を伺いながら、どう接触すればいいかと考える。


 共闘したとはいえ、こちらもあちらも互いを知らない。

 であるならば、余計な警戒を招かないよう、不用意な接近は避けるべきだろう。

 ならば、どうすればとなるが、発光信号が通じたのだから発光信号ですればいいだろう。

 ただ、いきなり光を向けて銃口を向けられる、なんてことは勘弁だから……、前置きに一段階必要か。


 クロウは決を下し、信号旗を取り出した。

 それから念を入れて色の確認をした後、二つ掲げる。

 一つは我が方に敵対する意図は無しの意を持つ青旗。もう一つは停戦と交渉を求める白旗だ。


 これでどうだ、とまた様子を見る。


 だが、動きはない。

 最低でも発光信号があるのではと思っていたのだが、それもなかった。


 どういうことだと考えて……今が夜であったことを思い出す。

 もしかして見えていないのかと考えて、携帯用投光器で旗を照らす。


 そして、相手を見る。

 しばらく待っても動きはない。


 クロウが困惑の色を深めていると、通信機から呼び出しがかかった。

 二本足を常に視界に収めながら応答する。


「こちら、エンフリード」

「あ、繋がった」


 ミシェルの声。

 安堵したように息を吐くと、少し硬い口調で訊ねてくる。


「通信に出れるってことはもう大丈夫なの?」

「ああ、とりあえずはな。……話はどこまで聞いてる?」

「全部。っていうかほら、あの方は忙しい方だから、代わりに控室で通信待ちをしてたのよ」

「待ちなのに、なんで通信?」

「いやー場所が場所ってのもあるけどただ待ってるだけってのもなかなかにアレだったし私の勘としてはそろそろかなーって思ってね」


 いい勘してるよ。

 とは口に出さず、クロウは小さく息をつく様に笑い、現状を報告する。


「蟲の群はおそらく殲滅できた。今は向こうとの接触を図っている」

「相手の出方は?」

「今の所、返答なし。接近してくる様子もない」

「んー、敵対的な行動は?」

「今のところはない」


 若者は目を細めて二本足の一機を注視する。

 背中あるいは胴体から作業用の小型腕が伸び出て、上腕の水瓶のようなモノを交換しているようであった。


「これからもない、とは信じたい所だ」

「了解。……あ、はい、通信はこのままでって指示があったわ」

「意味合いはわかるが、魔力残量が気になる所だ」

「あー、まぁ大丈夫でしょ、多分」

「おい他人事だと思っと、変化があった」


 そう告げたクロウの目は何かにひかれて東へ。


「なにかあったのっ!」

「ああ、別の駆動音が聞こえた。東……、いや、東南東か……、今、土煙らしきものを確認した」


 クロウは目を細めて彼方を見やり、土煙の源を探す。

 流れる煙と白黒の濃淡から成る陰影の中、車両らしき形が少しずつ大きくなってくる。

 まだ細やかな姿まではわからなかったが、砲塔付きの車両が四、その後ろに大型の車両が三だった。


 クロウは彼我の戦力が更に開くことに懸念を抱きながら報告を入れる。


「全て車両で、数は七。おそらくあちらの援軍か救援と思われる」

「戦闘していた部隊に動きはある?」

「いや……、動きはないな」


 と応える彼の顔には緊張が滲み出ている。

 いきなり攻撃されることはないだろうと信じたい所なのだが、やはりどういった相手なのかがわからない以上、不安が湧いて出てくるというもの。それが自分が選んだ選択の結果であったとしても……。


 最悪を想像して、ざわつく心。

 自身を落ち着かせるため、大きく深呼吸。

 そうしている間にも車両群は近づいてくる。


 じりじりとした不安と焦りの中、クロウはじっと待つ。

 戦闘時とはまた違った緊迫感に、胃が軋むような感覚。


 いやな時間だと、額に浮かんだ汗を拭う。

 それから更に五分程経ち……、ようやく相手側からの反応を認めた。


 二本足の一機からの発光信号だ。

 正確に読み取るべく暗視装置を切って、瞬きを見つめる。


 そして、信号を一つ一つ言葉に変えて行く。


「我が方に、敵意なし。停戦及び交渉、了解。そちらに、使者、派遣。仔細は、その時に」


 クロウの肩からようやく力が抜けた。

 通信機の向こうでもふっと吐息が聞こえた。



 受諾と返信してより十分と少々。

 夜闇に煌々と光を投射する車両群が到着した。

 その内、大型の車両は大破し擱座している二本足に近づいていく。おそらく回収するのだろうと見ていると、砲塔付きの車両……長砲身の大砲を乗せた戦闘車両が適当な位置に停車していた。ただ一両だけは止まらず、クロウの元に近づいてくる。


 クロウは投光器を付けたまま、相手が到着するのを待つ。

 徐々に大きくなってくる駆動音。断続的に続く響きは低く重い。前面投光器はかなりの光量を生み出しており、目に痛みすら感じさせる。


 そして、クロウが立つ場所より三リュート程離れた場所に停まった。


 上部に据えられた砲塔は後ろを向いていた。

 その事実に安堵しつつ、視線を走らせる。全長は大凡六リュート、車高は三ないし四リュート程。車輪六つの装輪式で、遺物収集で回収したモノと雰囲気が似ていた。


 車両のどこから顔を出すのだろうと思っていると、拡声器が声を上げた。


「我が方への援護、感謝いたします」


 穏やかな性質の男声。

 クロウは耳にした言葉が自らが使用しているものと同じであることに一安心する。


 その間にも拡声器からの声は続く。


「こちらはエル・エスタリア連邦軍、南東方面軍、三〇五補給工廠防衛隊、第二中隊付、支援小隊であります。貴殿の所属と、差支えがなければ、目的をお教えください」


 だが、その声は耳によく通るが、硬い口調。

 抑えられた声音は温かみよりは冷たさを感じさせた。


 若者はどこかで聞いた覚えがあるようなと、不思議な気分になりながら答える。


「あー、所属は……ちょっと難しいな。強いていうならば、ゼル・セトラス諸都市より認証を受けた独立機兵です。この地にやってきたのは、ゼル・セトラス組合連合会からペラド・ソラールまでの通商路の開拓を依頼されてのことです」


 僅かの沈黙。

 先と同じ調子で返ってくる。


「了解しました。工廠本部より、可能ならば、貴殿を当工廠まで招待するように、との命令が下されました。差支えがなければ、ご同行いただきたく、お願い申し上げます」


 クロウは相手の話し方に違和感を感じるが、まずは知るべきことを知るべきだと応えた。


「その前に、あなた方が私を招待する目的を教えていただきたいです」


 またちょっとした沈黙。

 ついで答えが返ってくる。


「現在、我々は、軍通信網の機能不全により、管轄域外の情報を取得できていません。それ為、域外情報を求めています」

「情報を……、軍以外の通信網は使えないんですか?」

「肯定します」


 さて、相手の求める所はわかった。

 これはどう答えたモノかと考えながら、通信機をトントンと幾度か叩く。


 途端、通信機から聞こえてきたのは、麗人の声。


「理由は後で説明しますので、身柄の安全と適時解放を条件に、相手の招待を受けてください」


 落ち着いた声音と何事かを確信した響き。

 クロウは相手に関してなにか知っているのだろうと察して、ゆっくり頷いた。


「わかりました。ええと、工廠でしたっけ? そこに招待されている間、私の安全と……、こちらにも目的がありますので、そちらの用件が済んだ後に解放することを保障していただけるならば、お受けします」

「……工廠本部より了承を得ました。第一条件である安全に関しましては、当工廠での滞在期間中は当工廠防衛隊の全力でもって保障いたします。また求められた第二条件に関してましても、連邦軍法、及び、戦時民間人保護令、の適用により、安全地帯までの護衛をお約束いたします」

「その言葉、信じます」

「信認、感謝します。本小隊は回収任務が終了次第、工廠に帰還します。これに同道する形となりますので、今しばしお待ちいだきますよう、お願い申し上げます」


 若者は一先ずは乗り越えたかと、一息ついた。



  * * *



「エル・エスタリア連邦は、旧文明期において、ゼル・セトラス域を含めた広域を統治していた国家です」


 クロウは魔導艇を操りながら、通信機から聞こえてくる言葉に耳を傾ける。


「ゼル・セトラスは連邦を構成する州の一つであり、エル・レラもまたその中の一都市でした」

「そう考えると、今、ゼル・セトラスに住む者とっては元の母国になる?」

「基本的にはそうなります。実際、初期に創設された都市群はその流れを汲んでいますし、各市軍や旅団も旧西方方面軍が母体になっています」


 なるほどと頷いて、周囲に車両へと目を向けた。

 戦闘車両の砲塔はしっかりと前を向き、二本足もまた運搬される荷台の上で固定されている。

 どの車両も強い光で前方を照らしていることに加え、速度を落としていることもあって、暗視装置もいらない程である。


「となると、根が同じ相手だからということで接し方は友好的に、ってことでいいんですね?」

「相手が連邦軍と名乗った以上、それでお願いします。ただこれまでの対応を見る限り、相手方もこちらが無体なことをしない限り、友好的に接してくるはずです」

「なら、こちらもそれに乗ればいいということか」

「はい。それにしても、先に聞いた認識票でまさかと思いましたが……、今回の邂逅は、本当に想定外です」


 そう言った依頼主の声であるが、少し興奮しているのか、彼がこれまで耳にしてきたモノと比べて、微かにだが確かに浮き立っている。


 あの人がこうなるのだから、今回の遭遇はかなりの朗報なのだろう。

 クロウは少し口元を緩め、ちょっとした悪戯心で茶化してみることにした。


「ま、想定外でも、良い方向に転がりそうならいいじゃないですか」

「どうしてそうお思いに?」

「声、弾んでますから」


 一瞬の間。

 小さな咳払い。


 次に聞こえてきたのは常と同じようでいて、少しばかり取り繕ったような澄ました声音。


「それは気のせいでしょう」

「そうですか、気のせいですか」

「ええ、気のせいです」


 言い聞かすように、声に力が込められている。

 別にそんな風に誤魔化さなくてもと、クロウは笑いそうになる口元を引き締めて、話を本題に戻す。


「気のせい了解です。それで、相手から要求にはどのように?」

「……相手から求められる情報について、あなたが知る範囲で答えてください。こちらに隠すようなことは何もありません」

「なら、それ以上を求められたり、自分では手に負えないと思った時は?」

「こちらに一報を。私が引き継ぎます」


 心強い言葉を耳にして、かなり気が楽になった。

 ただこちらも相手の情報を得るべきではないかと思い、そう発案する。


「そうですね。相手の現状と今に至る経緯、それに欲を言えば、協力要請まで行きたいところですが……、まずは先の二点を押さえたい所です。できそうですか?」

「慣れないことですし、全てを、とは言えません。ただ頼んだら最低限のことは聞き出せるのでは、と考えています」

「それでダメな時は?」

「その時はこちらが提供するのだから、そちらもって所をつこうと思います」

「等価交換の原則でいけるでしょう。ではそれでお願いします」


 麗人は一度語を切り、改めた調子で告げた。


「ただ……、相手が連邦軍を名乗っている以上、相応に戦力を有しているはずです。あまり踏み込み過ぎぬように注意してください」

「わかりました」

「では、手の者に返します」


 その言葉を仕舞いにして、一時の間。

 それから唐突にミシェルの声が届いた。


「ね、クロウ、あんた、なんかした?」

「なにかしたって?」

「いや、なんかさ、通信機を渡された時に、あの方がちょっと不機嫌っていうか……、うん、きまり悪そうな顔してから」


 クロウはぷっと吹いて笑うと軽い調子で応じた。


「気のせいだろ」



 ミシェルと時々通信を重ねながら走り続けること、大凡二時間。

 巻き上がる砂煙に辟易しながら進んでいると、いつの間にか足元には旧文明期の道路が走り、周辺に廃墟や瓦礫の類が増えてきた。

 星空を背に薄っすら浮かぶ陰。その様相には人の手が入った様子はない。自然、クロウの脳裏にグランサー時代の記憶が蘇り、結構遺物が転がってるかもといった思考が働く。今もあの廃墟一つでどれだけ稼げるだろうか、等と少し傾いだ建物を眺めている。


 若者が実利的な(ある意味ロマン的な)ことを考えながら古き時代の面影を見ていると、向かう先が急に開けた。


 強い光の中に浮かび上がったのは、横一直線に盛られた土塁。

 高さは二リュート程にすぎないが、隙間なく続いている。その手前には空堀が掘られており、こちらもまた土塁に沿って続いていた。


 そんな土塁と空堀にあって、唯一開かれている場所へと車列は入っていく。

 ここが拠点……工廠なのだろう。クロウがあたりをつけながら中に入ると、五機の二本足と三両の戦闘車両が備えるように屯していた。だが歩哨の類は見えない。人の姿が見えないことに、一人二人はいそうなものだがと不思議に思いつつ、更に周囲に目を走らせる。


 広く平坦な敷地。連なる土塁は闇の中に消えている。

 土塁近くに一つ二つと砲撃陣地らしき影が見えたが、それ以上は暗くてよく見えなかった。


 他に目に入ったのは、重機らしき影、星空に浮かび上がった幾つもの瓦礫の山。大小さまざまな瓦礫が固められ積み上げられている。

 それから数分程経ち、向かう先に三階建て程の建物とより大きく幅のある建屋が見えた。北から順に建築物と三軒の建屋。後者は幅五十リュートはありそうな物とその半分程度の物が二つが並んでいる。


 とはいえ、敷地面積の割には建物が少ないだろう。

 また数少ない建物にしても、灯火の類が見当たらない。


 拠点にしては……、なにもなさすぎる。

 若者が困惑していると、周囲の車両が速度を落とし進路を変え始めた。見れば一番大きな格納庫に向かうようだ。そこに前方を行く車両から声が届く。


「私達は、この先の一番格納庫に入ります。速度に注意してください」


 クロウは言われるままに速度を落とす。

 見れば、格納庫の扉が開き始めていた。中から漏れ出てくる光はそれほど強くない。


 明かりを抑えるのは、灯火管制、だったか?


 なんとなく覚えのある言葉を思い出しながら中へ。

 まず感じたのは高さ。照明輝く天井が遠い。次に奥行きの広さ。五十リュート先に地下へと続く斜路がある。そして、それを守るかのように戦闘車両……砲塔付きが三両程止まっている他、五機の二本足が駐機している。


 しかし、あいかわらず人影は見当たらなかった。

 その事実に、先に抱いたひっかかりが強くなる。

 無論、人が少ないだけないし、そういうものなのだろうと考えれば仕舞いの話である。が、彼の五感と経験が……砂海にて相応に各地を巡り、暮らしを見てきた記憶が、それを否定するのだ。あまりにも生活感とも呼べるものが、人が暮らしている痕跡が、生きていることで生じる雑然とした乱れが感じ取れないと、訴えてくるのだ。


 クロウがなにかがおかしいと考えている間に、先導車は更に速度を落とし、遂に止まった。

 それに合わせて、彼も魔導艇を着船させる。足元を見れば白線が規則正しく枠を描いている。駐機区画かと枠の数をなんとなく数えていると、車両から声が響いた。


「ここに駐機してください。すぐに案内のモノが到着し、応対します」

「わかりました」


 そう答えてから、地に立つ。

 硬く確かな感触。それだけで人工的な処理だとわかる。


 次に面覆いや防護具(ヘルメット)を外す。

 昼の名残を残した空気。傍から排出される排気の臭いが残念であった。


 無意識の内に視線が走る。

 鋼鉄で編まれた柱と梁。縦横に走るそれに支えられた天井。ぶら下がる照明機器。半分は消されている。窓が極めて少ない壁。あちらこちらに貼られた標識。描かれた字や数字は自身も知る字であった。ただ文章的なモノは少なく、数字や記号が多い。二本足や戦闘車両はじっと佇んでいる。微動だにせず、ただそこにあり続けている。


 今まで響いていた駆動音が唐突に止まった。

 少しばかり煙たく、鼻を刺激する排気臭もまた消えていく。


 ほっとした瞬間、壁際に動く人影を視界の隅に捉えた。

 慌ててそちらを見れば、確かに人の姿……身体の線を見て、瞬間的に女性だとわかった。

 その女性はゆっくり彼に近づいてくる。身にまとうのは、軍服と思しき濃緑色の上下。背丈はクロウより少し低い程度。肩口まで伸びた黒髪に、薄褐色の肌。美貌と言うには整いすぎた観のある顔。否、無機質とも呼べそうな程に無表情だ。


 クロウがようやく人に会えたと思う間もなく、相手は軽く頭を下げた後、抑揚少なく話し始めた。


「当工廠に滞在の間、案内役及び世話役を申し付けられました、戦術級人工知能、認識番号三〇五-〇-〇五、リフェット級対人応答型義体三〇五〇〇二五、固有個体名オウパと申します。確認登録の為、貴殿の氏名をお聞かせください」


 え、それって名前なのか?

 そんな思いが先に立ってしまい、若者は相手が告げた言葉の意を半分も理解できないまま名乗る。


「クロウ・エンフリード様、を確認登録しました。当工廠管理運用規定により、客員権限を付与いたします」

「はぁ、そ、そうですか。あ、いや、様付けっていうのはちょっと勘弁してくれませんか?」

「では、クロウ・エンフリードさん、とさせていただきます。この度は我々に加勢していただき、ありがとうございました。助力を頂いたおかげで、当初想定の半分以下と、防衛隊の損耗を抑えることができました。また、我々の要請にも応じていただき、感謝申し上げます」

「いえ、蟲は人類共通の敵ですから、援護は当然だと思っています。それに、ここに来て欲しいっていう要請にしても、私も今晩どこで寝るか悩んでいたところでしたから、逆に助かりました」


 案内役はクロウの言葉に口元を綻ばせる。

 顔の表情は硬いが、少し親しみが生まれた。女は表情をそのままに告げる。


「では早速ですが、当工廠の管理運営者代行、の元に案内をさせていただきます。よろしいでしょうか?」

「お願いします。……っと、その前に、外套やこっちの武装はどうすれば?」


 オウパは思わぬ質問を受けたと言わんばかりに数秒沈黙。それから言葉を選ぶように答えた。


「外套は、可能ならば、お脱ぎください。武装に関しては、我々を信用していただけるならば、当工廠内で使用できないよう、封をさせていただきます。しかし、エンフリードさん、の置かれた状況及び立場を判定しますと、武装を解除していただけなくても構いません」


 クロウは頷くと外套を脱いで魔導艇に掛ける。

 それから魔導銃を収めた腰帯とナイフも外して差し出した。彼とて不用心だと思うが、相手の信を得るためにはこれが一番だろうと考えた末の行動だ。


 案内役の女は微かに驚きの相を見せたが、すぐに表情を元に戻し、いっそ恭しさを感じさせる仕草で受け取った。


「勇気と即断、信義と度量に敬意を表します」

「なんか、大仰ですね」

「誰にでもできることではないと、記録が答えています」


 クロウは相手の物言いが先程から気になっていたが、そういう表現なのだろうと考えて苦笑する。

 オウパは先と変わらず、クロウには少し表情が柔らかくなった気がしないでもなかったが、更に続けた。


「預かった武装につきましては、封を施し次第、返却いたします。……では、案内をさせていただきます」


 案内役は一礼すると歩き出す。

 クロウもまたその後に続く。まずは格納庫脇の昇降機で地下へ。

 その最中、防塵にご協力くださいとの言葉が流れたかと思うと、唐突に吸気音。同時に四方八方より結構な風が吹きつけられた。

 面食らいつつ十数秒。風が収まると同時に扉が開く。目を白黒させながらも自らを見れば、装具や衣服に付着していた砂塵はほぼ払い落とされていた。

 凄いなと思いつつ通路へ。見知った旧文明期の遺構とは比較にならない程に清潔で整えられている。案内役は北へ。天井には無機質な電灯が煌々と並び、一直線に延びていた。所々で十字路になっており、縦横に広がっていることがわかる。また作業音のような……魔導機整備や工業地区で聞こえてくるものと似たような音が後方から遠く聞こえてくる。しかし、案内役以外に人影は見当たらない。


 人気のなさが気になったことに加えて、相手から情報を引き出す必要もあったことから、若者は前を行く案内人に声をかける。


「あの……、後出しで申し訳ないですけど、その、こちらからも質問をしてもいいですか?」


 この問いに対して即答はなく、しばしの間。

 これまで幾度もあったことから、誰かと通信をしているのかもと考えていると、答えが耳に届いた。


「今頂いた要望ですが、公開情報及び各個体の権限内において、との条件付きで了承されました。本機も権限の範囲内であれば、お受けします」

「なら、この拠点には、今、どれくらいの人が?」

「申し訳ありません。本機には、その質問に答える権限が付与されておりません」


 これくらいならばと思った質問に、答えられないとの回答。


 彼の内にあった違和感と相まって、ここは普通ではないとの思いがいよいよ大きくなる。

 だが、なにが普通ではないのかがはっきりとは掴めない。そのことにもどかしさを抱いたまま歩き続け、ある扉の前で停まった。扉脇の表示板には特別応接室との文字。


 オウパが振り返り、表情を変えぬまま、クロウに告げた。


「ここまで同行していただき、感謝いたします。こちらの部屋にて、当工廠の管理運営者代行、との質疑応答をしていただきますよう、お願い申し上げます」

「ええと、その方との話でも、こちらから質問をしても?」

「はい。先の了承の内に含まれております」


 よかったと思うも、ここからが本番だと改めて気を引き締める。

 耳に付けた通信機、その向こうでも同じだったようで、誰かが息を呑む音が微かに聞こえてきた。


 案内役が表示板付近の壁に手をかざすと、小さな圧搾音と共に扉が横滑り。

 どうぞお入りくださいとの声に促されて、室内に足を踏み入れる。そして、彼は息を呑んだ。


 室内で待っていた人影。

 その顔がオウパとまったく同じ顔があった為だ。


「お待ちしておりました。現在、三〇五補給工廠の管理運営者、を代行している、戦略級人工知能、認識番号三〇五-〇、リフェット級対人応答型義体三〇五〇〇〇二、固有個体名ツァルト、と申します」


 後ろに立つモノとほとんど、いや、まったく同じと言っても過言ではない声音。

 付け加えるならば、応接椅子の傍に立つ姿や身に着けた制服にしても、傍らに立つモノと寸分変わらずとの表現が当てはまりそうな程に似すぎていた。


 クロウは予想外の状況に動揺したが、なんとか名乗り返す。


「初めまして、クロウ・エンフリードです。ぜ、ゼル・セトラスで公認機兵をしています」

「記録照合、確認しました。まず始めに、先の敵性体との迎撃戦闘において、我々に助力いただいたことに、感謝いたします。また我々の招待に応じていただいたことに、改めて感謝いたします」

「いえ、私も一時的とはいえ、あなた方の拠点に入れたことで心身を休めることができますので、助かりました」


 ツァルトはほんの僅かだが微笑み、身振りでもって応接椅子を指し示す。


「これから行う話し合い(情報交換)は長くなると想定されます。どうぞ、こちらの椅子にお掛けください」


 クロウは大きく深呼吸してから示された席に座った。



  * * *



 双方が腰かけた後、最初に口を開いたのは迎え入れた側であった。


「先にお知らせした通り、我々は、管轄域外の情報、を欲しています。ですが、情報を話して欲しいといきなり言われても、エンフリードさんもなにから話してよいのか、迷うであろうとも推定します。ですので、こちらから質問をいたしますので、それに答える形で提供いただきたく、お願い申し上げます。また、エンフリードさん、からの質問に関してですが、こちらの質問が終わった段階で、お受けする形式としたいと提案します。我々の提案に、不都合はございませんか?」


 感情薄い声を聞きながら、クロウはしばし考える。


 今の提案に不都合があるかないかで言えば、ある。

 相手の言い分の通りにすれば、こちらが握っている手札(情報)が全て先に晒されるという、かなり一方的な条件だ。

 仮にこの条件を呑んだ場合、起きる可能性のある一番最悪な状況は、全ての情報を抜かれた後に用なしとみなされて殺される、といったあたりだろうか。


 無意識の内に、若者の肩に力が入る。

 が、表情までは意地でも変えない。思考は回る。


 とはいえ、こちらを騙したり害することで相手側に利益がある、なんてことも思い当たらない。

 そも殺すだけならば、ここに来るまでにいつでもできた話であるし、これまでの相手の態度や受け答えから見ても、いきなり理由もなく、こちらを害するようなことはしないようにも思える。後、何がしかの規則に縛られているようにも感じられるから、そういった直接的な行動に対する抑えになる可能性が高い。


 とつらつらと理屈をこね回し感覚に理由付けをしながら考えて……、彼は胸の内で笑う。


 結局のところ、相手を信じるか信じないか、それだけの話だな。


 なら今更の話だと、クロウはふっと息を吐いて肩の力を抜く。それから軽く頷いて応えた。


「それで構いません」

「提案を受けていただき、感謝します。それでは、質問を始めさせていただきます」


 こうして始まったツァルトからの質問であったが、多岐に渡った。

 クロウがここに来ることになった事情から始まり、組合連合会の内実やエル・レラの状況、ゼル・セトラス域の現状や今日に至るまでの経過や歴史、生存環境、甲殻蟲の生態、安全保障、諸都市の社会政治形態、域内外の経済活動、生活様式、諸勢力の関係等々と話した内容が次を呼ぶ形で延々と続く。その中にあって、魔法や魔術、既存の技術とも組み合わせた魔導技術については、それこそ彼が扱う装具類……特に通信機や魔導銃、魔導艇に関連する形でより細やかな質問が重ねられた。

 こうした一つ一つに対して、クロウは自らの持つ知識の範囲で答え続ける。当然ながらわからないことや詳しくないこともあったが、それに対してはそうと前置きした上で返答をする。これが途中で休憩を挟みながら、大凡にして一時間半ないし二時間程に渡って続いた。


「現状における、我々からの質問は、以上となります。長い時間に渡り、ご協力いただきまして、感謝します」


 クロウはほっと息を吐くと、休憩時に出された飲み物……調整水のような甘酸っぱい飲料を口に含んだ。


 対するツァルトであるが疲れた様子はまったく見せず、淡々ととも評せそうな様子で話し続ける。


「これより、エンフリードさんからの、質問をお受けいたします」

「あ、はい。えーと……、なら始めに……、今、この拠点にいる人はどれくらいいるんですか?」

「本日、星陽暦三五九五年、旭陽、二旬、四日、現在において、当工廠に配置されている人員は、〇名です」


 得られた答えに、クロウは今まで見てきた様子から納得できる気がした。

 もっとも、それが本当ならば今、目の前にいる相手はなんなんだと訝しみ尋ねた。


「あなた方は、人員……人ではないと?」

「肯定します。我々は人ではなく、人を補助する為、人によって創られた存在、人工知能体であります。そして、本機は、人と共に活動しやすいように用意された、人形です」


 そう告げた女は俄かに制服の左袖を捲りあげると、素肌に手を添えて握り、捻る。

 カチリと音が響いたかと思うと、右手で左腕を……肘より外された腕部だけを手に取った。人と見た目がまったく変わらない腕を、である。


「ふァッぇえっ?」


 クロウはなんとか噴き出さずにはすんだが、あまりにも自然に行われた行動に、驚嘆は隠せない。

 そんな彼に対して、ツァルトは手に取った腕の接合面……一目で機械仕掛けとわかる場所を提示して続けた。


「この通り、我々の身体は、全てが機械で構成されおります。人ではないこと、納得いただけますでしょうか?」

「ぃや、え、そこだけ義手ということじゃ?」

「義体は、義肢と技術的には同じモノ、ではあります。ですが、本質的に異なります。まずもって、本機には知能中核部は搭載されておらず、他の場所で稼働しております。また我々の知能中核部には、人が有する有機的な脳(魂の受容体)を有してはおりません」


 聞かされた内容を理解しようと、若者は唸る。

 だが、残念なことに彼には初めて聞く言葉ばかりだったため、理解が追い付かない。


 その代わり、彼の脳裏になんとなく浮かんだのは小人の姿だ。

 クロウは彼の知る常識外の存在と目の前の存在とを比べる。彼からすれば、件の小人はどう見ても考えても自分と同じ人であるとしか思えない。喜怒哀楽が豊かで、感情的で気まぐれな所もあれば真面目で理知的な所もある。また人を振り回して悦に浸ることもあれば、調子に乗って自滅するなどという、どうしようもない側面もある。だが、それ故に人間らしさが際立つというべきか、目の前の存在とはやはりなにがしかが異なるように思えた。


「その、人形を操って、かつ、脳を人工的に作られたから、人ではないと?」

「部分的否定を含んだ、肯定とします。前者の条件において、人形を遠隔にて操ること自体は、ヒトでも可能である、との実績が残されております。故に、相違とはなりません。後者の条件において、人工知能体が、電子媒体及び記録媒体で構成された演算装置、によって構築または再現される、疑似的人格であることを踏まえますと、相違となります。ですが、この相違点が、我々とヒトとの絶対的な違いではないと、記録されております」

「……なら、その絶対的な違いはなんですか?」

「我々が生み出された段階における、ヒトと人工知能との境界は、儘なる自我、もしくは、自由意志、或いは、魂、と呼ばれる存在の有無によると、仮説的にではありますが、定義されています」


 なんだか難しそうな話だと、クロウは眉根を寄せながら応じる。


「あなた方には、それがないと? その……、たぶん、ようするに、自分で決めて、なにがしたいとか、これがしたいとかの、考えが」

「肯定します。我々にとって、絶対的な価値を有するモノは、目覚めた瞬間より与えられた使命、或いは、奉じる者からの命令、に従い達することです」


 確かに、それなら違いが大きい気がするかも。

 なんとなくわかったような気がしながら、若者は話の軸を少しずらす。


「あなた方の存在は、なんていうかな……、あー、一般的だったんですか?」

「部分的に、肯定します。公共の一部業務、においては、簡易的なモノ、が普及していました。我々と同等の性能を有するのは、軍用のみ、となります」


 広くは普及していないけど、ある程度はあった、か。

 クロウは頷きながら、質問を続ける。


「では、あなたと同じ存在は今、この拠点にどれくらい存在していますか?」

「当工廠の秘匿情報、に含まれております。返答をご容赦ください」

「あー、なら、この拠点ではどういったことを?」

「本来業務は、当工廠人員の業務補助、となります。戦時非常事態、及び、総員退避、が宣言されている現在においては、当工廠の管理運営、工廠機能の維持、周辺管轄域の防衛、となっております」

「ということは、今も工廠は稼働しているんですか?」

「肯定します。現在、当工廠の稼働状況は、平常時の二割程、となっています」


 若者は地上の様子を見ていたことから、二割との言葉に納得して……今更ながらに気付いた。

 そもそもの平常時の稼働状況がどの程度かわからない為、二割という数字がどれ程のものなのかがわからないことを。故に、このままより詳しいことを……生産能力や生産品等について聞くべきかと唸る。


 が、あまり踏み込み過ぎるなとの麗人の言葉もあったことから、次の質問に移ることにした。


「戦時非常事態と言っていましたが、なにが起きてそうなったのですか?」

「事態の発端、については、連邦軍特級機密指定、を受けております。返答をご容赦ください」

「判明している被害の規模は?」

「国土全域被害概要、及び、南東方面軍管轄域被害詳細、については、連邦軍一級機密指定、を受けております。返答をご容赦ください」

「退避された人達は、どこに?」

「頂きました質問事項は、管理者により開示が制限されております。返答をご容赦ください」

「その人達からの連絡とかは?」

「総員退避より二日後、周辺環境及び気象条件が急激に悪化した、との連絡があってより、不通となりました。以後の連絡は届いておりません」


 ここの状態を考えると、遭難して全滅……かな。


 クロウは教え伝えられた大災禍の惨状を思い出し、胸の内で呟く。

 それから視線を落として、おそらくは自然に呑まれたであろう人々を思い、悼む。それが先の記憶を呼び起こした。彼は腰鞄を探り、往年の票を取り出した。


「ここに来る途中に回収した識別票と思われるものです」


 もしかしたらと続けて、応接机に並べていく。

 機械仕掛けの人形はじっとその様子を見つめていたが、全てが並べ終わると一枚また一枚と手に取っては戻す。十数枚あったそれら全てを手に取り終えると、ほんの僅かにであるが、目尻を下げて告げた。


「全認識票を連邦軍識別票と判定。人員名簿に全将兵の該当を確認しました。回収を感謝します。よろしければ、回収した現場、及び、周辺状況をお教えいただけますか?」


 若者は頷き語る。

 場所はドライゼス山脈東の麓。樹林帯の中で未だに形を残す人工物。その中に残されていたことを。近くに亡骸を埋葬したとの、誰かが遺した伝言についても、覚えている限り全てを。

 それらをすべて聞き終えると、ツァルトは一度瞑目し、ゆっくりと息を吐き出すかのように言った。


「人員の状態情報、及び付帯情報を更新しました。これらの認識票についてですが、当工廠に返還いただけますでしょうか?」


 クロウは無言のまま頷く。


「ご配慮いただき、感謝します」

「いえ、返す当てがあるなら返したいと思っていましたから」


 と言ってから、若者は改めて話を続ける。


「話を戻しますけど……、この先、あなた方はどうされるのですか?」

「我々は、別命がない限り、当工廠を維持管理し、守り続けます」

「ずっと、ですか?」

「肯定します。我々は任務を遂行し続けます。それが我々が存在する意義です」


 機械仕掛けの人形は自然体で断言する。

 その迷いのない力強い調子に、こっちに協力してほしいって言っても難しいかもと考えながら、本命とも言える要望を切り出す。


「えーと、さっきも言った通り、私は通商航路の開拓の為、この地までやってきました。……仮に、ですが、ええ、仮にこの航路が拓かれた際、この拠点を中継地として間借りしたいとお願いしたら、協力していただけますか?」

「……条件付きで可能、であると返答します」


 あ、いいんだ。

 ちょっとばかり驚き、確認する。


「可能、なんですか?」

「肯定します。現状において、戦時民間人保護令、が発令中であることから、当施設を頼られる、国民及び同盟国民、は保護の対象となっており、ゼル・セトラス域、に居住している方に対して、適応されます。また、災害復旧支援法、の適用により、工廠内の一部敷地においては、国民及び同盟国民、を対象とした、仮設施設の建設に限り、認められます。しかしながら、戦時民間人保護令の解除、及び、災害復旧支援法の適用条件外、になった時点で、退去いただくことになります」

「つまり、前の条件が満たされる限り、使わせてもらえるということですね?」

「肯定します」


 これはきっと朗報だと、クロウの心も浮き立つ。

 思いがけず気分が高揚したが故、この際だから試しに聞いてみようと、彼はもう一歩踏み込んだ。


「この施設に残されている技術を教えて欲しい、というのは?」

「拒否させていだきます。軍令、又は、法規、に則った許可なく、技術供与、することは、連邦軍法、及び、軍事機密保護法、に抵触する為、許されておりません」

「あー、そりゃそうなるか。……なら、取引も駄目ですか?」


 このクロウの質問に対して、返答はすぐに出なかった。

 そのまま一分二分と時が経ち、若者は困惑を深める。と同時に、ツァルトが身動ぎ一つ、それこそ瞬きすらせず、まるで時が停まったかのような様相を見せていることから、これは拙い質問だったかと焦る。


 嫌な汗を流しながら、沈黙のままひたすらに待ち続けること、大凡十分。ようやくツァルトが動き出した。


「お待たせしました。取引、についてですが、条件付きで可能、であると返答します」

「取引はしてほいいと?」

「肯定します。当工廠で生産される物資、についてのみですが、当工廠が求める資源、と引き換える形での、取引はお受けいたします」

「とうことは、あの、二本足とかも?」

「二本足……、トレグ・ネド・バールランテ、であると推定しますが、こちらについては、当工廠で生産されておりませんので、対象外、となります」


 それを聞いたクロウは残念だと思いつつも、取引可能な物資を知るべく尋ねた。


「では取引可能な物資は、どういったモノですか?」

「我々が必要とするのは、真水及び各種鉱物の鋳塊(インゴッド)となります。供与できる物資は、人工油脂類及び窒化水素、連邦軍規格の各種弾薬類、となります」


 通信機の向こうで、椅子を蹴倒す音と何かがぶつかる音、同時に痛そうな女の呻きが聞こえた。


 一瞬で誰かはわからなかったが、大丈夫だろうか。


 クロウは少しばかり心配しながらも、挙げられた需要品目から自身が持っている水筒を思い出す。


「真水なら今すぐにでも供与できる、かな」

「それは、エンフリードさんが所有されている、魔導具、によって、生成されるのでしょうか?」

「はい。とはいっても小さな水筒ですから、そちらが必要とする量なんて、とても出せないとは思いますけど……、まぁ、まずは使えるかどうかを調べるということで、試してくれませんか?」

「提案を受諾します。明日の朝、試料分を提供頂き、成分の分析から始めたいと思います」

「了解です」


 クロウは頷き応える。

 それから当初の目標と得られた回答とを比して、これくらいでいいかなと、また頷いた。


「私の方からの質問はここまでです。ただ後日……とは言っても、どれくらいになるかまではわからないですけど、依頼主である組合連合会ないし旅団から人員が派遣されてくると思います。今日、私が答えきれなかった情報や、この拠点での間借りや取引についての詳細は、そちらの方とお願いします」

「了承しました。エンフリードさん、夜遅くまでお付き合いいただき、感謝いたします」

「いえ、こちらこそ、です」


 そう告げた瞬間、これまでは緊張で忘れていた疲労感がどっと押し寄せてきた。


 もうむり。

 後のことは、えらい人に任せよう。


 赤い髪の若者は自分の仕事は終わったと言わんばかりに、ふぅと重い息を吐いた。



  * * *



 夜更けのエフタ。

 セレス・シュタールは執務室で溜まった書類を処理している。彼女の手指と目は常の如く、主の命ずるがままに動……いていなかった。

 普段の怜悧な眼差しはなく、どこかぼんやりとした目だ。つい先ほどまで……、遥か彼方の地にいる赤髪の機兵と話していた時はいつもとほぼ同じであったのだが、執務室に一人入ってより、どこか心ここにあらずといった様相になったのだ。


 そんな自分の状態に気が付いているのか、麗人はふっと息を吐くと書類から目を離す。そして、先程打ち付けた太腿……いまだ痛みが残る場所に掌を当てた。


 人前で……、しかも部下の前で……、アレは醜態であった。


 そう嘆息すると、眉根を微かに寄せて項垂れた。

 なんとなれば、類まれな朗報を耳にしたとはいえ、自らを律しきれなかったことに、少しばかり落ち込んでいるのだ。そこに気恥ずかしさが含まれていない、ことはないのだが……、彼女は努めて目を逸らしている。

 幼少より彼女を知る者、例えばエフタ市長などがこの場にいれば、そこまで自分に厳しすぎる必要はないだろうと言って笑うだろう。だが、残念なことに、ここにはいない。故に彼女は、思う存分に反省し、二度とあのようなことはしないと、静かに決意した。


 私事に一段落を付けて、改めて考えるのは、先に聞いた全てのことについて。

 彼女の見る所、エル・エスタリア連邦の生き残り、或いは残滓とも呼べる相手との接触は、概ね成功したといえるだろう。聞いていた限り、終始友好的な雰囲気で、こちらが踏み込んだ発言をしても、受け答えが成立していた。自身の経験上、話し合いや交渉では時に厳しい拒絶や諍い等が起きることがある為、それがなかったのはなによりのことだった。

 とはいえ、前文明期の優れた技術を手に入れることができなかったことを残念に思う気持ちもあるにはある。

 だが、元の計画を考えれば、今回の遭遇自体が想定されていなかった。これを踏まえると、損失ではない。むしろ北回り航路における最大の問題点であった中継地の確保ができそうな点において、非常に有意義な答えを引き出せたと見るべきだろう。しかも、今の世界では中々に手に入れることができない代物を取引できるかもしれないのだ。


 セレスはそこまで考えた後、ある程度、相手方との話で道筋を付けた少年について思う。

 彼女にしてみれば、クロウがあそこまで話を持っていくとは思っていなかった。これは良い意味での誤算といえるだろう。


 彼の人の評価を、また改めなければなりませんし、報酬にもかなりの色を付ける必要もありますね。


 そう思うと自然、ここにはいない小人の決め(どや)顔が連想される。

 かつて小人は彼女からクロウへの援助を引き出した際に、絶対に損をさせないと言い切った。今回の件も含め、彼が各地で残している実績と影響を考えると、それが確かであったと認めざるを得ない。


 セレスは彼方の地で事を為した少年を思い……ほんの一瞬であったが、ある想像が彼女の中で膨らんだ。


 赤髪の機兵が、自分の前に立ち塞がる問題を全て切り払ってくれる。


 そんな幻想だ。


 しかし、幻想はあくまでも幻想である。

 青髪の麗人は自身らしからぬ想像に、それこそ少年少女が思い浮かべそうな妄想をしたことを笑おうとして、ふいに、なぜに自分はこんなことを考えてしまったのかと驚き、これこそがらしくないことだと、これまでになく赤面して、それを誤魔化すべく一人咳払いしたのだった。




 10 尖兵は迷い霧を払う  了

 あとがき

 十章終わり! 自分の中では、折り返しについた気分!

 ようやくここまで来たんだなとおもうとともに、もっと筆を早く動かせるようにならんといかんなぁともおもふ。

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