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魔導黎明記  作者: 綺羅鷺肇
1 魔導人形は夢を見る
9/96

八 時代の分岐点

「アルタス隊長、遺体収容と損傷機及び機材回収が完了しました」

「わかった。私は副団長殿に報告へ行った後、公室に戻る故、貴様はエイブル船長に本件と私の所在を伝えよ。以後はここに戻り、ボーマンの指揮で動け」

「了解、本件と隊長の所在をエイブル船長に伝え、以後はボーマン機兵長の指揮下で動きます」


 機兵服に黒い上着を羽織った若い機兵はアルベールの指示を復唱して、右手を額近くに沿え掌を見せる敬礼を行う。これに応えて、指揮官が頷くのを確認すると、背を向けて駆け出していった。


 残された青年機士は表情を殺し、斜路を固定する作業音や懸架に向かう魔導機の足音が響き渡る第二船倉内を見渡す。


 船倉中央部にある懸架群には、数を減じさせたものの、戦闘の痕跡を刻み付けた事で、より一層存在感を醸し出す魔導機が並んでいる。

 また、その周辺では初老の班長が出す指示の下、技班員が魔導機を覆う焼成材装甲を外して、関節部や動力系に使われる魔導駆動器や魔力伝達系及び機体冷却系の点検を行ったり、機体背部の魔力蓄積器に魔力を充填したり、故障した腕部を胴体部から取り外したりと、早くも喧噪を奏で始めている。


 賑やかな音を立て始めた中央部と比して、危地より逃れた調査団員達が疲れ切った表情で座り込み、船医率いる医療班が負傷者の治療に当たっている両端部は静かだ。


 無理もあるまい、とアルベールは心中で独語しながら、眉間に皺を寄せて、その目を船倉の片隅に向ける。


 その視線の先、特別に区切られた区画には、黒く長い袋……遺体袋が六つ並べられており、死者の確認を行う者達が一つ一つの遺体を検めては嘆きの声を上げているのだ。


 アルベールもまた、つい先程に、六人の犠牲者を検め、四十一番遺構地下三階で起きた爆発に巻き込まれた二人の部下、機士マシウスと正機兵オーリッジの死亡を確認している。


 これから行わなければならない気が重くなる作業……機士団本部に提出する戦死報告書や遺族宛の悔やみ状を書く事を思い、青年は表情を変えぬまま、密やかに小さな溜息を吐き出す。

 機士となって隊を率いる立場になって以来、幾度となく書いてきたとはいえ、これだけは慣れない、いや、慣れたくない事なのだ。


「ボーマン、私は副団長殿の下へ報告に行く! 後は任せるぞ!」

「はっ、了解であります!」


 アルベールは己の心に広がり始めた倦みを振り払うべく、技班長の傍に立つベテラン機兵に大声で告げ、第二船倉を後にした。



 ルシャール二世号で発生した爆発と、それに伴って起きた船内火災は無事に鎮火され、副長を中心に結成された調査班が原因究明に乗り出している。また、応急班による破損個所の確認や修理が進められており、事態そのものも収束に向かっている。

 だが、船内で発生した爆発に加え、遺構内部での爆発や犠牲者の発生、船周囲で起きた甲殻蟲との戦闘もあって、作業する乗組員達は落ち着かない様子だ。


 そんな船内の空気を肌で感じ取りつつ、黒髪の機士が副団長公室を訪ねると、副団長ソーン・サラサウスは憔悴して青白くなった顔で迎え入れた。


 不健康そうな顔を敢えて指摘しないまま、アルベールは落ち着かない面持ちで執務席に座しているソーンに報告し始める。


「全調査隊員の収容が完了し、調査隊及び護衛隊の被害状況が判明しましたので、ご報告致します」

「わかり、ました。……アルタス卿、お聞かせください」

「はい。四十一番遺構で活動していた調査隊の内、本隊に所属する者は途上で転ぶなどして三名の怪我人が出ましたが、いずれも軽傷で済み、全員帰還することができました。次に、地下三階で作業していた先行調査班ですが、例の爆発により、調査活動をしていた研究員五名の内、シャノン・フィールズ殿を除いた四名が亡くなった事を確認しております。最後に護衛隊ですが、先行調査班に属していた四名の内二名が死亡、また、地表における甲殻蟲との交戦で一名が重傷、二名が軽傷となっています」


 内容を理解したソーンは執務机に両肘をつき、顔を俯ける。


「亡くなった者達の、遺体は……、どう、なりましたか?」

「救難班が到着するまでの間、巡回に出ていて難を逃れた機兵が蟲より守り、全員分の回収に成功しました」

「そう……ですか、それは、唯一の救いです。では、原因については……、何かわかったのでしょうか?」

「爆発が発生した原因につきましては、現時点では判断が付きかねる所でして、フィールズ殿とその場に居合わせた現地民の聴取を行っているリディス待ちの状況です。ただ、リディスからの簡易報告では、フィールズ殿を保護した場にて、不審な死体を確認しているとの事ですので、それが関与した可能性が高いのではないかとありました」

「その死体の回収は?」

「ほぼ全てを蟲に喰い散らかされており、不可能だったと」

「……そうですか」


 ソーンは俯けていた顔を上げ、今度は天井にある灯光を仰ぎ、小さく呟く。


「悔しいですね」

「予てより副団長殿から忠告を頂いておきながら、この事態を防げずに終わり、申し訳ありません」

「あ、いえ、アルタス卿を責めた訳ではありません。アルタス卿が短く限りある時間の中で動いてくれていたことは、重々承知していますから。ただ、私は、この爆発を引き起こした者か、爆発に至った事象に対して、腹が煮えくり返る程に怒りを感じているのです」


 光を反射する眼鏡の下、ソーンの目は鋭くなる。


「いったい、死んだ者達が何をしたというのでしょうか? 彼らは己の職務を果たしていただけで、何かを貶めた訳でもなく、誰かを陥れた訳でもなくっ、何者かを害した訳でもないというのにっ! あまりにも理不尽すぎるっ!」


 眼鏡の青年は握りしめた拳を執務机に激しく叩き付け、荒々しい呼吸を繰り返す。が、それもしばらく経つと落ち着いていき、その表情には疲れた顔が戻って来る。


「何にしろ、団員の中から犠牲者が出た以上、調査を中止して帰国しなけらばならないでしょう。アルタス卿も、そのつもりでいてください」

「……わかりました」


 アルベールがソーンの言葉に応じて頷いた所で、執務室の扉が数回叩かれ、パドリックが来訪を告げた。


「リディス卿ということは、聴取が終わったようですね。アルタス卿も同席して聞いてください。……どうぞ、リディス卿、開いています」

「失礼します」


 普段と異なり、礼儀正しい所作で、パドリックが中に入ってくる。その顔付きは救援に赴いて、犠牲者の姿を自身の目で確認した頃より、厳しい物が多分に含まれるようになっていた。


 中年機士は直属の上司が譲った執務席前まで来ると、重々しい声で話し始める。


「一通りの聴取が終わったので、報告に上がりました」

「わかりました。内容を聞かせてください」

「はっ、まず最初に、シャノン・フィールズ殿に関してですが、船医殿の診断では、幾つかの傷と打撲を負ったものの、命に別状はないとの事です」


 この報告にソーンは微かに口元を緩めるが、ただ黙って頷くだけで、パドリックに先を促す。


「次に地下三階での爆発ですが、フィールズ殿から得た証言によりますと、主たる調査現場であった階層中央部辺りで発生し、多くの者……、具体的に言えば、研究員四名と機兵一名がそれに巻き込まれ、致命傷を負ったようです」

「後の一人、マシウス卿に関しては?」

「はい。マシウスに関してなのですが、爆発後に初めて目にした調査団ではない者……、被疑者と思われる者と何事かを言い争っていたのを見聞きしたと、フィールズ殿は言っています」

「内容については、何を聞いたと?」

「はっきりと聞こえたのは、マシウスが発した荒げた声での一言で、話が違うと、と……」


 ソーンは執務机に両肘をつき、組んだ両手で口元を隠すと、これまでになく険しい表情を浮かべて、パドリックを見据える。眼鏡の奥より放たれる鋭い眼光がパドリックを射抜く。


 その底光りする眼光と沈黙とが場の空気を支配し、空間そのものを圧迫し始めた辺りになって、ようやくソーンが口を開いた。


「この話は誰かに?」

「いえ、この場で話したのが初めてです」

「では、今の証言については、この場にいる者以外には話さないようにしてください。フィールズ君には、私の方から誰にも話さないように注意しておきますので」

「了解です」


 思いがけなかった重圧に当てられ、少しばかり背に冷や汗をかいたパドリックは首肯する。


「では、続きをお願いします」

「はい、先のマシウスの一件の後、先の被疑者に発見されたフィールズ殿は身の危険を感じたそうで、調査現場より逃げ出したそうです。その間際、その被疑者が爆発物らしきものをマシウスの機体に仕掛け、後に爆発音を聞いたそうですので、この時にマシウスは死亡したと思われます」

「なるほど……」


 両者の間に立ち、黙ってパドリックの報告を聞いていたアルベールは、この一件にレオン・マシウスが何らかの形で関与し、それを誰かに漏らさぬ内に殺されたのだろうと、沈思する。

 マシウスの口封じを命じたのが何者で、その背後に何が存在しているのか、静かに青年機士が思考を働かせている間にも、ソーンは新たな質問をパドリックに投げかける。


「逃げ出した後については?」

「四十一番遺構より延び出ている通路の一つに逃げ込み、行き着いた先で現地民に保護されたそうです」

「フィールズ君と一緒にいた者ですね」

「はい。その者に保護された後、フィールズ殿を追ってきたと思われる被疑者より攻撃を受けた為、現地民が反撃して無力化したとのことです」

「……被疑者って、死んでいるんですよね?」

「爆発音等で蟲が集まりつつある状況であった為、確保する余裕がなく、結果、蟲に喰われたそうです。実際、私が彼らの下に辿り着けたのは、幾度か発生した爆発音や光源を辿っての事ですし、彼らが逃げ込んだ場所の周辺に、数匹の蟲が屯していたのも事実です」


 ソーンは納得の表情を浮かべ、話を転じる。


「では、フィールズ君を助けたという現地民から聞き出した内容をお願いします」

「わかりました。当人より直接話を聞いた所、エフタ市に住むグランサー……遺物収集を生業とする者だそうで、名はクロウ・エンフリードと名乗りました。また、身元を証明する者がいるかとの質問には、ゼル・セトラス組合連合会エフタ支部の職員ヨシフ・マッコールか、組合連合会が直営する孤児院の職員ならば誰でも構わないと、答えております」

「ならば……、いえ、素人の私が下手に質問しても時間が取られるだけですね。リディス卿、率直に聞きます。その者が被疑者や爆発の一件に関係していると思いますか?」

「していないと、私は判断しております」

「その理由をお聞きしても?」

「はい。私の機体を目にした時に安堵の表情を浮かべた事、フィールズ殿を害することなく保護していた事、当人が遺構内に潜っていた理由、行方不明者の捜索という申告と、その証言通りに近場で別の遺体の痕跡を発見した事、武装解除と身体検査を要求した際、その全てに素直に応じた事、武装や装備品にまったく不審な物がない事、聴取の際、不自然な言い淀みや不審な仕草、話自体に不整合が見られない事、証言がフィールズ殿の証言とほぼ一致する事、といった全てを総合しての判断です」


 パドリックが述べた理由に得心が行ったとばかりに頷きつつも、ソーンはその中にあった不穏な言葉の意味を問う。


「発見された別の遺体は行方不明者なのですか?」

「実際の遺体は既にありませんでしたが、当人が遺体から遺品を回収しており、自分が捜していたグランサーの物だろうと言っております。真偽の程は、先のヨシフ・マッコールが証明してくれるとも」

「ならば、そのマッコールなる人物から証言を得るまで、船内で丁重に軟禁するという形でいきましょう」

「わかりました。……あぁ、それと、もう一つ、本件とは直接に関係ない事なのですが、副団長殿にご相談したいことが」


 眼鏡の青年は、重要な一件に関係ないと言いながら、相談したい事とは何かと、首を小さく傾げる。


「私に相談したいこと、ですか?」

「ええ、エンフリードと名乗る少年なのですが、非常に変わったモノ……、正直に言って、存在自体を信じられないモノを連れていまして……」

「存在を信じられないモノ?」

「はい、なんと言えばいいか……、お伽噺や童話、神話といった物に出てきそうな小妖精……、小人の少女を連れていまして……、どう扱えばよいか……」


 パドリックの言葉が終わらぬ内に、ソーンは大きな音を立てて椅子より立ち上がると、勢い良く机越しに身を乗り出した。その顔には驚愕が貼り付けられ、眼鏡の奥にある目は血走り、大きく見開かれている。


「い、今、何と言いましたかっ!」

「こ、小人のような少女を……」

「それはっ、本当なんですねっ!」

「は、え、えぇ、し、信じられないかもしれませんが、本当です」

「……お、おぉ、ほ、ほんとう、だったんだ」


 ソーンは脱力した様相で再び椅子に腰を落とし、どこか放心に近い顔で背凭れに身を預けた。


 副団長が見せた突然の狂態に、二人の機士はそれぞれに驚きの表情を浮かべながら、顔を見合わせる。その目を合わせた僅かな間に、無言での熾烈なやり取りがあったが、報告した責任を取る形で、厳つい顔の中年機士が及び腰で理由を尋ねる事となった。


「ふ、副団長殿、その小人について、何かご存じなのですか?」

「あ、えー、一応、ですが……」


 自身の状態に気付いたからか、それとも別の理由からなのか、ソーンの歯切れは悪い。


「何か不都合が?」

「いえ、不都合、という訳ではないのです。小人の件は、私の個人的な研究や魔術士の歴史等に関わることでして、もう少し余裕がある時にお教えします」

「そういうことでしたら、お時間がある時に」

「はい、それでお願いします。あぁ、それと、その小人殿は先の少年と同じく丁重に、行動を制限することなく、一人の人として遇してください。我々に対して、悪感情を持たれたくないので」

「わかりました」


 パドリックの返事を聞いた後、大きく一呼吸すると、ソーンは副団長としての顔を取り繕い、続きを話し始めた。


「では、話を爆発関連に戻しますが、リディス卿、我々が協力を要請した情報伝達阻止について、組合連合会やエフタ市は何と?」

「はい、この件に関しては、シュタール殿の協力で、事が起きた場合、当日と翌日は港湾を閉ざして出港を制限すると、エフタ市より確約を得ました。ですので、今日、明日は封鎖されるかと」

「足は封じることができた、ということですね。では、通信については?」

「通信に関しては、組合連合会が所管する物は二日間に限って監視し、不審な者を発見した場合は連絡してくれるとのことです。ですが、商会や個人が有する通信設備に関しては、その限りではないと」

「それは仕方がないことでしょう。流石に、そこまで求めることはできません。……というよりも、我々の憶測に付き合ってくれるのですから、両者とも、かなり協力的といえるでしょう」


 と言ったものの、眼鏡の奥にある目は昏く、表情は硬い。


 ソーンは陰気な顔をパドリックの傍らに立つアルベールに向けると、意見を求める。


「アルタス卿、この一件の情報、帝国に向けて流されたと思いますか?」

「残念ながら、先の推測が真実ならば、既に流れたと考えた方が良いかと」

「そう、ですか……。はぁ……、この調査団が、この地に来たから……、この調査団で、起きた事が原因で……、人同士の争いが……、戦争が、起きるかも……、しれないんですねぇ」


 俯いて大きく肩を落としたソーンに、二人の機士は言葉をかけることができなかった。



  * * *



 ルシャール二世号は昼を過ぎた辺りに破損個所の応急修理を終えると、四十一番遺構からエフタ市へと戻ってきた。


 大砂海は常と変わらず、光陽と蒼天の下、赤錆の砂塵に覆われた瓦礫の大地を晒し、時に砂塵を運ぶ風が吹き抜けていく。

 その赤く荒れた砂海の中、エフタ市は人の手で築かれた壁に囲まれて、人が日々営み続ける生を証明するかのように、或いは、滅びの中で一時の虚栄を謳歌するかのように、浮き立っている。


 大海に浮かぶ孤島の如きエフタ市、その周辺域では、ルシャール二世号で発生した爆発と大音を受けてか、全長三十リュート程の小型魔導船が数隻遊弋し、甲殻蟲の襲撃を警戒していた。

 緊張した空気が漂う中、入港路をゆっくりと進んできたルシャール二世号は、主翼下にある二つのプロペラを巧みに操って回頭し、船尾を岸壁に向け、幾つかある埠頭の一つに横付けする形で着陸する。


 三日ぶりに入港した港湾区は、出港した時のような造船所や停泊中の船が奏で出す喧騒はない。また、十機近いエフタ市軍の魔導機が長柄を装備して警備に当たっている他は、埠頭で作業をする人影も見当たらなかった。


 乗降口近くで停船を待っていた三人の男達は、船が接地して完全に止まる感覚を得ると、最後の確認を行うように言葉を交わす。


「では、リディス卿。エイブル船長にも話を通しましたので、割符を持った引き取り手が到着次第、エンフリード殿達を解放してください」

「わかりました」

「アルタス卿にはお手数をかけますが、団長への報告と組合連合会及びエフタ市との会合に同行をお願いします」

「職務の内です。お気になさらず」


 それぞれ正装を身に纏ったソーンとアルベールはパドリックの見送りを受けながら、乗組員が開け放った乗降口を出て、昇降階段を降り始めた。

 その二人の動きに連動するかのように、市内外を繋ぐ港湾門付近で待機していた送迎車がルシャール二世号に向かって動き始めていた。



 組合連合会より差し向けられた送迎車に乗った二人がまず向かったのは、帝国調査団の団長が逗留している高級宿である。

 ほぼ名目だけの存在になっているとはいえ、一団を率いる団長である以上、調査現場で爆発が発生して、犠牲者が出たことを報告し、今後の事を話し合う必要があった為だ。


 鼻息が荒いコドルが曳く送迎車は港湾門からエフタ市内に入り、市壁脇にあって市内を一巡りする市壁循環道を中央地区方面に向かって進む。

 門前の広場こそ、ゴラネスよりも胴体が大きい魔導機が十機以上駐機している影響で、市外と同様に緊張した空気が流れていたが、広場より市内の奥へと進み、途上に垣間見えた繁華街や色街といった場所になると、常と変らぬ光景が広がっていた。

 なんとなれば、エフタ市が警戒態勢に入った為、市壁外や港湾区での仕事を打ち切られた者達が屯し、彼らを呼び込もうとする声が各店舗の軒先で上がっている為だ。実際、普段、最も賑やかな時間帯……夕刻から宵の口に至る時間帯に近い騒がしさがあった。


 砂海に住まう者達の逞しいさ、と言うよりは、危険な状態に慣れ過ぎているとも、帝国では非常である警戒態勢が日常の一部であるとも言えそうな光景を目にし、アルベールは思わず苦笑を浮かべる。


「アルタス卿、どうかしたんですか?」

「いや、失礼。先程の街路の様子に、この地に住む者達の強さを見たような気がしまして」

「ああ、そういえば、蟲が襲来するかもしれないのに、店が開いて賑わってましたね」

「ええ、帝国の辺境域でも似た気質を感じましたが、ここの民ほど逞しくはありませんでした」

「ふむ、帝国民とこの地の民の違いですか。確かに、興味深い話ですね」


 少し興味を抱いたのか、ソーンは眼鏡の奥で思慮深い目を光らせる。が、それも長くは続かず、溜め息が漏れた。


「はぁ、駄目ですね。何を考えようとしても、報告の事がどうしても浮かんできます」

「それは致し方がないかと」

「気が重すぎて、口を濁して誤魔化したい気分です」

「ですが、既に成った事実を変えられぬ以上、ありのままに報告するのが最良でしょう」

「……ですよねぇ」


 ソーンが更に大きな溜め息をついた所で、送迎車は市壁循環道から離れ、旧港湾通りと呼ばれる道に入り、中央地区と商業地区の境目にある高級宿の前に停まった。


 二人はこれまでも何度か世話になっている御者に、この場で待つように頼んでから、白亜の壁面が眩い五階建ての高級宿の玄関前に降り立った。それと同時に玄関前で待機していた中年の案内人が二人に声をかけてきた。


「サラサウス様、アルタス様、お待ちしておりました。どうぞ、お入りください」

「あぁ、どうも」


 白い衣を纏った案内人に促される形で開かれた玄関より中に入ると、外の熱気から解放された眼鏡の青年が一人息を吐く。

 そんな彼らが一歩踏み入れた先、受付や待合がある広間は、この地で貴重な木材や大型の窓を多用した造りで、帝都にある高級宿程には洗練されていないが、高級宿と言えるだけの品格が備わっていた。


「それで、ベルザール先生に用があるのですが……、居りますか?」

「サラサウス様、その、ベルザール様の事でお話ししたいことがございまして……、申し訳ありませんが、あちらの部屋にご足労を頂けないでしょうか」


 そう言った案内人の浅黒い顔には緊張と冷や汗が浮かんでおり、ただ事ではない雰囲気を醸し出している。その様子に困惑しながら、ソーンはアルベールと視線を交わし、頷いて見せた。


「こちらでございます」


 そうして案内人に連れて行かれたのは、一階奥に位置する支配人室であった。


 大きな木製机が鎮座する室内では、白髪頭が目立つ初老の男が弱り切った顔で待っていた。その男、宿の支配人はソーン達がやって来たことに気付くと、待ちかねたように立ち上がって二人を迎え入れた。


「おぉ、サラサウス様、お待ちしておりました」

「あぁ、支配人。それでいったい、何用ですか?」

「はい。その……、大変、申し上げにくい事なのですが……、つい先程、当宿に御逗留頂いていたベルザール様が、お亡くなりになりました」

「……はっ?」


 ソーンは支配人が話した言葉の意味をすぐに理解できなかった。


「信じられぬかもしれませんが、つい先程、ダッツェル様が慌てたように降りてこられて、ベルザール様が胸を押さえて苦しんでいると言われ……、医療に心得のある者を急行させましたが、その、間に合わず……」


 ソーンが驚きで固まっている間に、背後に控えていた黒髪の機士は支配人の顔を観察する。褐色の肌もあって目立たないが、その顔色は悪く、両目の周囲に刻まれた皺からも焦りと憂いが滲み出ていた。

 アルベールは支配人の様相から調査団団長オブリオ・ベルザールが確かに死んだ事を確信する。それと同時に、遺構で起きた妨害の一件との関連を疑い、形良い眉を顰めた。


「く、組合連合会に連絡は行っているのでしょうか?」

「いえ、その、場の状況が状況でしたので……、サラサウス様か、調査団で立場のある方のご判断を待ってと思い、まだ行っておりません」

「そう、ですか。……では、組合連合会へは、私の方から連絡をさせて頂きます。後、ベルザール先生のお姿を拝見したいのですが……、それに、ダッツェル女史との面会も」

「畏まりました。こちらでございます」


 事態が収束に向かう兆しを感じ取ったのか、心持ち所作に余裕ができた支配人はソーンとアルベールの前に立ち、自ら案内し始める。


 その後を追う形となった二人であったが、先導する支配人と一定の距離が開いたと見ると、ソーンが小声でアルベールに囁きかけた。


「アルタス卿、ベルザール先生の身体に不審な点がないか、見てもらえますか? その間に、私はダッツェル女史から話を聞き出しますので」

「……この件、副団長殿も怪しく感じていると?」

「半々という感じですが、一応はできる限りは検めた方がいいと思いましてね」

「わかりました。門外ですが、できる限り調べてみましょう」


 立て続けに起きた凶事に不審を抱き、厳しい表情を浮かべた二人は、支配人と共に一階広間にある昇降機で宿の最上階である五階に昇り、幾つかある上級客室の一つに案内される。


 上級客室は出入り口がある居間と奥の寝室に分かれていた。


 ソーン達が寝泊まりした寝室の二倍はありそうな居間には、贅を尽くしていながらも落ち着いた感がある机や椅子が置かれ、壁際には緑豊かな景観を描いた絵画や鮮やかな花を咲かせた生花が飾られている。

 華美にならない程度に華やかな印象を与える居間、その窓辺に、赤毛を撫で上げ、後頭部で纏めた女が俯いて椅子に座していた。下着にガウンを羽織っただけという肉感的な女は、ソーン達に気が付くと立ち上がり、安堵の表情を見せる。


「あぁ、サラサウス先生、ベルザール先生が……」

「聞きました。話は後で聞きますので、あなたはそこで待っていてください」


 ソーンは問答を重ねることなく言い切ると、奥の寝室に足を踏み入れる。


 寝室には生々しい淫臭が篭っていた。

 調査団長ことオブリオ・ベルザールは部屋に鎮座する大きなベッドで肥えた裸体を晒し、苦悶の表情で胸を両手で押さえたまま固まって、事切れていた。豪華な安置所と化したベッドの傍らには、白い長衣を着た老境の男が控え、遺体から生じる諸々のモノを後始末する準備をしている。


「なんというか……、入った瞬間に、原因が推測できますね」


 アルベールはソーンの言葉に応じず、ただ表情を曇らせて頷くに止めた。

 もっとも、ソーンは後ろからの返事がない事を気にする様子もなく、ベルザールの遺体に近づき、無表情でその死に顔を検め、愚痴に近い嘆きを漏らす。


「ベルザール先生。私に全責任を押し付けて逝くなんて、狡すぎますよ」


 ソーンは自らの目でベルザールの死を確かめた事で、自分が調査団で起きた一連の不祥事の責を負わなければならない事を実感し、大きく肩を落とした。


「……アルタス卿、遺体を検めた後、後始末に入ってもらってください」

「はい」


 言葉少なく応じると、黒髪の機士は遺体へ無感動に目を向け、不審な点がないか調べ始める。


 ソーンはその様子を見届けると居間に戻り、室内で待っていた男女に向けて厳しい声で告げた。


「ベルザール先生の名誉を守る為、就寝中に突然死された事にします。支配人、よろしいか?」

「畏まりました。当宿でこの件を知る者は、私と先の案内人、今、寝室にいる者だけでございます。後の二人も、この手の話には慣れております故、ご安心ください」

「ええ、信じます。ダッツェル君、君の名誉にもかかわりますから、絶対に、他の者に話さないように」

「……わかりました」


 ソーンは眼鏡を押し上げて頷くと、女に目を向けて、共にバルコニーに出ることを促し、自身が率先して外に出る。居間のバルコニーはエフタ市内側に作られており、明るい日差しの下、整然と区画整理された市街の様子がよく見えた。


 こういった景色をゆっくりと楽しめるのはいつの日だろう、と眼鏡の青年が遠い目で見つめていると、ガラス戸を閉ざしながら、女……モーリン・ダッツェルが極自然な風袋でバルコニーに出てくる。


「ここなら余人の耳目は届きません。ダッツェル君、本来の姿に戻って、ありのままに話を聞かせてください」

「……ふふ、ご配慮、痛み入りますわ、サラサウス先生」


 媚が含まれた声でそう言うと、赤毛の女は纏めていた髪を解く。そして、室内で気弱な様相を見せていた人物と同一だと思えない程に、その男好きする顔に冷静な、いや、嘲りに似た冷笑を浮かべた。


「でも、先生、私の事、いつからお気付きでしたの?」

「二年前……、ベルザール先生が新人研究者だったあなたを見初め……、いえ、あなたがベルザール先生を誘惑して、物の見事に取り入った頃からです」

「あら、そんなに早くに? ふふ、ならどうして?」

「何がです?」

「私の思惑を……、ベルザール先生を利用して成り上がろうとする私の思惑を見抜いておきながら、なぜ、一度も御注進なさらなかったの?」

「忠告をしたところで、ベルザール先生の機嫌を損ねてしまうだけだったでしょう。それに、そんなことをしてしまえば、これ幸いとばかりに、あなたが誹謗中傷だと吹き込んで、結果、放逐されていたでしょうからね」


 ソーンは眼鏡を押し上げることで表情を隠しながら、淡々と応じる。


「ダッツェル君、今、そのような問答は必要ありません」

「せっかちな男……、好かないわ」

「あなたに好かれたいと思いませんね。それよりも、ベルザール先生が亡くなった経緯を説明してください」

「ふぅ……、経緯なんてありませんわ。ただ単に、今日も元気に、私の上で腰を振っていたベルザール先生が突然苦しみ出され、そのまま亡くなったのよ」


 女の口より吐息と共に紡がれた言葉を聞き、ソーンは眉を跳ね上げる。が、続いて発せられた言葉は平静な物であった。


「そうですか。実は、遺構調査中に、犠牲者が多数発生する爆発事故が発生しました」

「まぁ……、そのようなことが?」

「ええ、ベルザール先生にその事の報告と、今後の対応を相談しに来たのですが……、よりにもよって、この非常時に、困った事をしてくれたものだ」

「あら、ベルザール先生が亡くなったのは自業自得であって、私の責任ではありませんわ。なにしろ、先生ご自身が己の本分を忘れ、お歳の事も考えずに、毎日毎晩、好き勝手に、私を弄んでいらしたのですから、無理が祟ったとしか言いようがないでしょう?」

「……あなたがそう誘導したのでは?」

「失礼な事を仰いますわね、サラサウス先生。私にも男を選ぶ権利はありましてよ? それこそ、色に狂って職務を忘れるようなヒヒではなく、護衛隊の、あの若い機士のような……」


 一度語を切ると、髪を降ろすことで野性味が増した女は、ほんの一瞬だけ、口元に妖艶な笑みを浮かべて、続ける。


「こんな私に同情して、全てを投げ打って尽くしてくれる、純情で可愛い子がいいですわ」


 赤毛の女が熱に浮かされた瞳に宿す嘲りに満ちた光と、眼鏡の青年が冷たく醒めた目に宿す怒りに満ちた光が絡まり合い、一組の男女を包み込む空気が張り詰めていく。


 両者とも視線を逸らすことなく、数十秒の時が流れ……、ソーンが口火を切る。


「ベルザール先生が亡くなり、事故で犠牲者が出た以上、副団長としての権限で調査を中止します」

「ふふ、サラサウス先生にとっては、待望の現地調査ではなかったのかしら?」

「公私の別はわきまえています。とにかく、これから組合連合会と協議しますが、遺体の保存状態や調査団員の心理状況を考えると、少なくとも明日中には発ちたいと考えています。あなたも、この地に置いて行かれたくなければ、準備しておきなさい」

「ふぅ、わかりましたわ」


 ソーンはモーリンの応えを耳にすると、面白くなさそうな表情を浮かべる女から視線を外し、室内に戻るべく背を向けた。


「……売女が」

「……躾が悪い犬だこと」


 顔が見えなくなった瞬間に、それぞれの口より漏れ出た言葉は、霧散していく張り詰めた空気と共に溶け去っていった。



  * * *



 西の地平線が赤く染まり始めた頃、クロウ達はルシャール二世号より解放されることになった。


 というのも、ヨシフ・マッコールが丸顔より汗を流しながら帝国船を訪れ、自身の職員章と共に、セレス・シュタールが書いた指示書とソーンが持って行った割符を提示して、引き取り手であることを証明した後、パドリックの立会いの下でクロウと面会し、確かにクロウ・エンフリードであると証言したのだ。

 その結果、クロウ達は軟禁を解かれ、パドリックから正式に疑いをかけた事への謝罪とシャノン・フィールズを助けた事への謝辞を述べられてから、無事に下船するに至った次第である。


 赤髪の少年はルシャール二世号の昇降階段を降りると、乗降口より見送るパドリックとシャノンに手を振って別れの挨拶を送り、先に降りて待っていたマッコールに改めて頭を下げた。


「ありがとう、マッコールさん。助かったよ」

「何、職務の一環だ。けど、驚いたぞ、クロウ。いきなり本部から呼び出しがあったと思ったら、お前さんを帝国の船まで迎えに行けって話だったからな」

「いや、本当に、ごめん。俺の身元を証明してくれそうな人って、孤児院の人達以外だと、マッコールさん位しか、直ぐに思い浮かばなかったんだ」

「……まぁ、お前さんに信頼されてると思えば、悪い気はしないか。それに、先方からも、シャノンって子だっけ? あの子をお前に助けられたって感謝されたしな」


 そう言って笑みを見せると、マッコールは港湾門をめざして閑散とした港を歩き出した。クロウはその横に並ぶと気の良い中年に話しかける。


「それで、さっきの話なんだけど……」

「ああ、例の小人のお嬢ちゃんのことだな」


 クロウはマッコールと顔を合わせると、軟禁に至るまでの経緯を簡潔に説明すると共に、今後の事を相談する為、ミソラの事も紹介したのだ。

 マッコールは小人の登場に一頻り驚いたものの、そこは大人の貫録か、はたまた、遺物関連に携わる仕事柄なのか、三十秒も経たぬ内に我を取り戻し、組合連合会の魔術士か魔術に理解がある幹部に取り次いで欲しいという、ミソラの相談に耳を傾けている。

 もっとも、相談途中にクロウが解放される事になった為、話が不完全な上、返答が先送りにされてしまい、今になって話の続きをしているという訳である。


 ちなみに、話の対象となっているミソラだが、まだ後ろ盾のいない現状で余人の目に触れるのは得策ではないと判断され、クロウが背負った背負子は謝礼代わりに頂いた三日分程の食料品の中に紛れ込んでいる。

 更に付け加えておけば、この小人の少女、先の事をあまり心配していないのか、自身が潜り込んだ布袋に入っていた食べ物……乾酪(チーズ)や果実の砂糖漬け、油菓子の類をつまみ食いしながら、一つ一つがおっきく感じて食べ応えあるし、太るのを気にしなくていいってのも幸せなことだわぁ、と悦に浸っていたりする。


「うん、一応、証拠品として魔術書もあるし、何とか話を持っていけないかな?」

「ふむ、確たる証拠があるなら、できないことはないと思うが、俺が知ってる人は忙しいだろうしなぁ」

「つまり、時間がかかるってこと?」

「まぁ、そういうことだなんだが……、取り敢えず、これから本部に報告に行く事になってるし、その人に話が行くように掛け合ってみるか?」

「できれば、頼むよ」

「わかった。でも、あまり期待してくれるなよ? その人が忙しいのは確かだからな」


 マッコールの言葉に頷いた所で、市壁に設けられた数少ない出入り口の一つ、港湾門の前に到着する。

 南大市門に劣らぬ大きさを持つ港湾門、その前にはゴーグルや防塵マスク、全身防護具、二リュート程の金棒といった物を装備した歩哨が立ち、人々の通行を制限している。けれども、予めマッコールが手配していた為、誰何を受ける事も無く、二人はすんなりと市内に入ることができた。


「あー、警戒態勢に入ってるんだ」

「エフタまで爆発音が聞こえたって事でな、今日と明日は警戒するそうだ。お陰で、いつもより早く戻ってきた常連共が酒場でくだを巻いていて困る」

「まぁ、あの人達だったら、そうなるだろうね。俺達の稼ぎを減らしたのは、どこのどいつだー、って」

「お前さんが言った通りだよ。まったく、実際に稼げるかもわからんのになぁ」

「グランサーの心意気って奴だよ」

「それで飯が食えたら、苦労はしないさ」


 中年男からの容赦のない突っ込みに、クロウは苦笑を浮かべる。が、門前広場で待機している市軍部隊の間を抜け、商会通りに入ると表情を改めた。


「それで、持って帰ってきた遺品の事だけど」

「ああ、まだ断言まではできないが、聞いた状況から考えて、おそらくヘリオの物だと見ていいだろう」

「なら、魔術書を出す時に渡すから、あの子に渡して欲しい」

「わかった。……無理を聞いてくれて、ありがとうよ」

「いや、俺には、これ位しかできないからね」


 クロウは軽く肩を竦めて見せると、常よりも人通りが疎らな街路に目を向け、世間話でもするように、更に言葉を続ける。


「マッコールさん、遺品を受け取った後、あの子はどうなるんだろう?」

「さて……、ヘリオがどれだけ金を残したかによるな。ある程度の金があれば、飢えるまで少しの猶予ができるだろうから、働き場所を見つけることもできるだろう。だが、最悪の場合、どこぞの商会に身を売らねばならんかもしれん」

「マッコールさん、一年だけでも、組合の孤児院に入れられないの?」

「俺の力だけじゃ難しい。幾ら慈善事業とはいえ、孤児院にも限度があるからな。あの子自身が何らかの才を持つなら押し込めるが、ない場合、最低でも、金か権限、どちらかが必要になる」

「……そっか」


 マッコールの答えに、クロウは孤児になった当初の自分がかなり恵まれていたことを実感する。それと同時に、己と他の孤児達との差異を思う際、心に生じる影……罪悪感に似た思いが胸中に広がる。


 クロウ本人も境遇の差異について、自身が別段悪い訳ではないことを知っているし、罪悪感に似た感情が同情することができる余裕から生まれていることも知っている。そして、それがある種の傲慢であり、身の程をわきまえない不遜な考えである事もわかっている。


 だが、それでもやはり、そういった気持ちが自然と生まれてくるのだ。


 光陽は更に西へと傾き、降り注ぐ斜光は臙脂と赤となってエフタ市の陰影を深める。その中を、クロウとマッコールは無言のまま、中央地区まで歩き続けた。



 エフタ市の中央地区。

 そこはエフタ市庁や市軍本部、造水や魔力生成といった市の社会生活基盤を支える施設群に加え、組合連合会本部や域内の共用通貨であるゴルダを発行管理する共立造幣機構が存在する事から、エフタ市のみならず、ゼル・セトラス大砂海に根付いた人類社会にとっても重要な場所である。

 その為、それらを取り囲むように内壁が設けられ、非常時には防衛部隊が展開できるよう、地区中央部に二百リュート四方の大広場が存在している。


 二人は南大通りを通って内壁を抜け、中央広場の名を持つ大広場に至ると、人工石で重厚に造られた四階建ての建築物……組合連合会本部の中へと入る。アーチで作られた正面出入り口から一歩入ると、高さにして二階分の空間を持つ待合があった。


「じゃあ、ここで待っていてくれ」

「わかった」


 クロウはマッコールから指示された通りに、待合の一画にある椅子に座る。夕刻という時間柄なのか、待合に座る人は少なく、建物に出入りする人々も入ってくるよりも出ていく人の方が多い。


 その様子をぼんやりと眺めていると、傍らに置いた背負子からミソラの声が聞こえてきた。


「クロウ、着いたの?」

「一応な。今、マッコールさんが話をしにいってくれてる」

「魔術書は?」

「あ……」

「……抜けてるわねぇ。実は二人ともお馬鹿さん?」


 と言いつつも、その声音に非難や嘲弄の色はなく、単に面白がっているようだ。そんなミソラに対して、言われっぱなしは面白くないとばかりに、クロウが逆襲の一言を告げる。


「美味かったか?」

「ぇ、な、何のこと?」

「今、入ってる袋で同居してた物のこと」

「ふぅ……、いい、クロウ。数いる魔術士の中でも淑女として知られた私が、摘まみ食いなんて、はしたない真似をする訳がないでしょう?」

「つまり、本気で食ってたってことか」

「し、失礼なっ」

「いや、歩いてる途中、あれだけ、ごそごそ音を立てて、ガツガツ食べてたらわかるって。マッコールさんだけじゃなくて、途中ですれ違った人も不思議そうにあたりを見回して位だぞ?」

「そ、そんなはずないわっ、私は絶対、そんな音を立てたりはっ!」

「ああ、立ててないな」

「ぬっ! ……ぬぅ、謀ったわね、クロウ」

「いや、こんなの謀の内に入らないだろ。しかし、袋の中に嬉々として入っていったから、食うつもりだろうと予想がついてたが……、まさか見苦しく言い訳するとは思ってもなかったなぁ」

「ぐぬぅ」


 悔しそうなミソラの唸り声に、クロウは人が悪い笑みを浮かべる。が、行き交う人達から視線を感じた気がして、取り繕うように笑みを引っ込め、小声で囁く。


「とりあえず、食ってもいいけど、俺の分も残しておいてくれよ」

「ふんだ、今からでも全部食べてやろうかしら」

「うわ、ひどっ」

「あら、私、つい今しがた、淑女から悪女に宗旨変えしましたのよ、おほほほ」

「えっ、悪女ってのは元々だろ?」

「むー、最近、耳が遠くなったわねぇ。ところで、クロウ、今、何か言った?」

「あぁ、失礼。そういえば、ミソラおねーさんは、よいお歳でしたね」

「だって、おねーさんの言う事を聞かない男の子に苦労させられるのよ。仕方ないじゃない」


 舌鋒鋭くとまではいかないが、二人は言葉に毒や棘を含ませて、相手をやり込めるという目的以外は特に意味のない応酬を繰り広げる。

 その間に日が落ちたのか、外は暗くなり始め、待合に設けられた照明灯が光を灯す。自然、待合で座る人は減り、往来もまた少なくなっていく。


 周囲から人の姿が見えなくなると、クロウはミソラが潜り込んでいる袋を取り出し、口を開けた。


「あら、もう開けても大丈夫なの?」

「いや、ずっと袋の中に閉じ込められっぱなしってのは嫌だろ? 暗くなって、人もかなり少なくなったから、覗き見程度なら大丈夫だろうさ」

「油断大敵、って言いたいところだけど、有り難いわ。……へぇ、ここが例の本部?」

「ああ」


 ミソラは袋から顔だけ出して辺りを見渡す。

 広い空間を生み出す為、高い天井を支える太い梁が縦横に走り、それらを二段重ねのアーチが支えている。また、綺麗に連なったアーチ群は通路と待合を区切り、案内板や照明灯を設置する柱にもなっていた。


「ふーん、文明が崩壊したって言ってたけど、それなりに頑張ってるのねぇ」

「やっぱり昔とは違うのか?」

「そりゃね。ま、おいおい、話してあげるわ」


 ミソラの緊張感のない気楽な姿を見て、クロウは湧き起こった疑問を口にする。


「ミソラ、緊張してないみたいだけど、大丈夫なのか?」

「ふふ、今更よ。どうせ、なる様にしかならないんだし、少なくとも分解されるようなことはないはずよ」

「理由は?」

「クロウ、船で私への待遇が途中で変わったの、気付いた?」


 ミソラはクロウの疑問に直接は答えず、逆に質問を返してきた。


「一応は。最初、どう扱っていいか迷ってる感じだったのが、自然になったな」

「そう、報告に行った後にね」

「……それが理由になるのか?」

「ええ、私にとってはね」


 ミソラの確信が込められた答えに、クロウはその理由とは何だろうと考えるが、こちらに戻って来るマッコールが見えたこともあり、それ以上の問答を控え、立ち上がった。


「お別れだな」

「そうね。まぁ、でも、時々は里帰りしてあげるわ」

「おー、なら、沢山のお土産を期待しとくわ」


 ミソラが入った袋と魔術書、それに遺品を入れたカバンを降ろし、クロウは再び背負子を背負う。そんな彼にマッコールが待ったをかける。


「おっと、待ってくれ。話は通ったんだが、お前さんにも話があるらしくてな。一緒に来てくれ」

「え、俺も?」


 突然の話に、クロウは困惑の表情を浮かべるが、マッコールに急かされて、動き始めた。


 クロウ達がマッコールに連れて行かれたのは、本部の四階は奥まった一画。


 装飾を施された照明具の下、白塗りの壁と時に存在を主張する木製扉、音を消す絨毯敷きが続く廊下には、警備に立つ衛士以外に人影はなく、静かだ。そんな廊下の一隅にある休憩所兼待合までやってくると、マッコールが二人に告げる。


「まず、ミソラさんと会うそうだ。クロウはその後になる」

「わかったわ」

「なら、俺はここで待てばいいんだな?」

「ああ、俺と一緒にな」


 と、そこに白い貫頭衣を着た黒髪の女が隙のない動きで近づいてくる。


「お待ちしておりました。ミソラ様から、こちらにどうぞ」

「はーい、っと、ちょっと、ごめん、これを持ってくれないかしら」

「……わかりました」


 ミソラを認めた瞬間、女は黒色の瞳を見開いたが、それ以上の反応は示さず、言われるままに魔術書を手に取った。


「お運びしなくてもよろしいのですか?」

「飛ぶから大丈夫」

「……そうですか。それでは、こちらです」


 ミソラはクロウとマッコールに手を振ると、その背に輝く翼を顕現させ、先導する女に付いて行った。


「……本当に飛ぶんだなぁ」

「魔法って、凄いよね」


 残された二人の男の呟きが静寂の中で響いた。



 ミソラが案内された先は、組合幹部の一人であり、自身も優秀な魔術士である、セレス・シュタールの執務室であった。

 部屋の主たるセレスは、自身の秘書であり護衛役でもある女の後ろで、光を放ちながら浮かぶ小人を認め、微かに目を細める。


「本は机の上に。私が呼ぶまで、外で控えていてください」

「畏まりました」


 女は手に持っていた魔術書を執務机に置くと、足早く部屋を出て扉を閉ざした。


「話に入る前に、飛んだままでは魔力も消費しましょう。机の上にどうぞ」

「ありがとう」


 ミソラは青髪の麗人から言われるままに、執務机の上に降り立った。


 セレスは力みなく極自然に立つ小人の少女を、その整った顔をじっと見つめながら、口火を切る。


「では、改めまして……、お初にお目にかかります。私はセレス・シュタール。ゼル・セトラス組合連合会……、この地域の根付く者達を支援する組織の一員です」

「初めまして、セレス・シュタール。私の名はミソラ。あなたは魔術士みたいだから、過去においてはマグナウスの姓を有していた者、と言えば分かり易いかな?」


 小さな人形が口に出した言葉、そこに含まれていた一言に、セレスは静かに息を呑んだ。それを認めたミソラは軽く微笑みながら、更に言葉を重ねる。


「その反応、マグナウスの名は伝わっているのね」

「はい、魔術士を育てる魔法の大家であり、魔導の基礎を構築した魔匠……魔術師の家系であった、と」

「あった、か……。世界を焼いたっていう災禍で滅びたのね?」

「それはわかりません。ただ、マグナウスに連なる者達が今の魔導を創りあげた事実だけがあります」

「ああ、だからか。呪具……今は魔導器だっけ? あれに使われてる術式に見覚えがあったのは」


 どこか嬉しそうにミソラは呟く。一方、セレスはミソラが魔術士としての名誉や誇りが集約された物……姓を失った事に嘆きの色を見せない事に戸惑いを感じ、思わず口に出して尋ねる。


「マグナウスについて、気にならないのですか?」

「そうね。魔術士ならば、姓を失った事を悲しむべきかもしれないけど……、連なる者がそれを礎にして立っているなら、私はそれで構わない。事実として、マグナウスの技術は継承され、今の世においては新たな活力になっている。ある意味、これ程の名誉はないでしょう」


 そう言い切った顔には、誇らしさがあった。


 だが、次の瞬間には、ミソラはその表情を怜悧な物へと変じさせる。


「さて、世間話はいったん止めて、本題に入りましょう。セレス・シュタール、私があなたに求めるのは、私とクロウへの庇護と人並みの自由。提供できるのは、私の知識と、この本のような、遺されたマグナウスの魔術書、それに旧世紀の技術書の類よ」

「……庇護の対象に、エンフリード殿を含める理由は?」

「私に生を吹き込んでくれた存在であり、私が帰る場所でもある。いわば弱点だから、かな?」


 ミソラはそう言うと不敵さを感じさせる笑みを浮かべ、更に付け加えた。


「もしも、私が原因となってクロウが害された場合、多分、私はこの世の全てに絶望して、この身諸共、周囲にある物全てを吹き飛ばすでしょうね」

「冗談や脅し、ではないようですね……」

「ええ、こんな形になった所為で苦労が多くてねぇ、どうも情に篤くなったみたいなのよ」


 その言葉のどこまで真実なのか、セレスは判じかね、ただ自らの考えを出すにとどめた。


「我々とて手が限られています。エンフリード殿は我々が庇護するに値する方なのでしょうか?」

「うーん、なら、あなたの目で確かめてみたら?」

「試してよいと?」

「ええ、私に幻滅させるような姿を晒したら、クロウの庇護云々は取り下げるわ」

「……自信があるのですね」

「ふふ、どうかしら。ただ単に、私が浮き立ち過ぎて判断を誤っているだけかもしれないわよ?」

「では、乗りましょう」


 セレスが卓上にある小さな装置に手を触れると涼やかな声で告げる。


「エンフリード殿を呼んでください」

「畏まりました」


 それを感心したように眺めていたミソラが考えをまとめるように呟く。


「念話の術式を利用してるって所かしら」

「……ええ、防壁と双方向性、係累を付け加えています」

「一般への応用は?」

「構想があり、一部で試験していますが、適切な術式の構築が進んでいませんので、まだ先の事でしょう。もしかすると、復活させた過去の技術が先に広がるかもしれません」

「ふーん、魔法が絶対、って感じには拘ってないんだ」

「ええ、魔導を用いるのは、今、一番簡単に手に入る動力源が魔力だから、というのが最大の理由です」

「なるほどねー」


 ミソラがふむふむと頷いていると、執務室の戸が数回ノックされる。と同時に、セレスはミソラに目を向ける。ミソラは余裕をもって見つめ返すと、軽やかに言い放つ。


「お好きなように。あなたが何を言っても、話が終わるまで、口を挟まないわ」

「わかりました。……入ってください」


 扉が開き、先の女が困惑顔のクロウを机の前まで連れてくると、また外へと出て行った。


「初めまして、私はセレス・シュタールと言います」

「クロウ・エンフリードです」


 クロウは目にしたセレスの美貌に心奪われて、色惚けた間抜け顔を晒した、ということはなく、ただ疑問顔だけを浮かべている。


「それで、いったい、何用ですか?」


 もっとも、緊張はしているようで、話す言葉が若干ぎこちない。


 だが、それを聞くセレスは特に気にしていないようで、変わらぬ口調で要件を切り出した。


「はい。簡単に言いますと、帝国の調査団の一件、広言しないようにお願いしたいのです」


 セレスは机の引き出しからゴルダ紙幣の束を一つ取り出して、机の上に置き、更に続ける。


「下手をうって帝国の機嫌を損ねると、エフタ市だけでなく、ゼル・セトラス砂海域全体に悪影響が出ます。ですので、外であれこれと吹聴されては困るのです」

「それで、この金……、口止め料ってことですか」

「そういうことです」


 なるほどと頷いたクロウに、セレスは極自然な感じで話を続ける。


「ああ、それと、この人形の所有権ですが」

「……所有権?」

「ええ、この人形はあなたが見つけたのでしょう。ならば、あなたに所有権があります」

「……それで?」

「はい、その所有権を我々に譲渡して頂ければ、三千万……、いえ、五千万ゴルダ、ご用意しましょう」


 セレスの言葉を最後まで聞くと、話の途中からクロウの満身に篭っていた純粋な怒りが出口を求める。が、実際に動いたのは口だけであった。


「俺はミソラの所有権なんて持っていない。ミソラの主はミソラであって誰のものでもないし、ミソラの生き方はミソラ自身が決めるモノだ。ここにミソラを連れてきたのだって、ミソラの意思だったからだ。当然、俺がミソラをどうこうできる権利もないし、金を貰う云われもない。俺が貰えるとすれば、帝国の一件を口外しない証……口止め料だけだ」

「……そうですか、自ら儲け話を捨てるなんて、バカな方ですね」


 無表情に言い放つ麗人に、クロウは遂に眼を鋭くさせて、腹の底で生じ、胸に満ちる不快感を微かに顔に出す。けれども、それ以上は何も言わず、差し出された口止め料……、千ゴルダ紙幣の束を手に取った。


 そして、セレスより視線を外し、先の問答を聞いても尚、机上で悠然と立っているミソラに問いかける。


「ミソラ、本当に、こんな所でいいのか?」

「ええ、いいわ。ほら、そんな顔しない。大丈夫よ、覚悟していたことだから、特に気にしてないわ」

「……なら、今度、おねーさんに会った時は、愚痴くらい聞いてやるよ」

「ふふ、ありがとう。こっちが落ち着くか、何か用事が出来たら、会いに行くわね」

「それがいつになるかはわからないが、それまで俺が生きてればいいけどなぁ」

「そこは頑張んなさい、男の子」

「わかったよ。じゃあ、またな、ミソラ」

「ええ、またね、クロウ」


 ミソラに別れを告げたクロウは、もはやセレスに一瞥すらせず、執務室を出て行った。


 扉が閉ざされて、しばらく経ってから、セレスが小さく呟く。


「彼にも、あなたにも、失礼なことを言ってしまいましたね」

「いいわよ、別に気にしなくても。実際、気にしてないし、クロウにも後で私から言っておくわ。で、どうだった? 良い男だったでしょ?」

「私には、それを判ずるだけの経験も見識もありませんので、わかりかねます」

「そう?」

「ええ。ですが……」

「うん」

「怒りの気配を漏らした時に吹き上がった、あの魔力の輝きはとても澄んでいて、美し……く?」


 セレスはつい先程見た光景に違和感を感じて、ミソラに目を向ける。


「話を聞く限り、あなたに魔力を提供したのは、エンフリード殿のはずですね?」

「そうよ」

「ならば、何故、あれ程の……、いえ、そもそも、都市一つを消し飛ばせる程の、その尋常ではない魔力をあなたに与えておいて、何故、生きていられるのですか?」


 小人の少女は口元に楽しげな緩めながら、何度も頷く。


「でしょう? 本当に、不思議なことよねぇ」

「……まいりましたね。私も試されていたという事ですか」

「ふふ、どうかしら。それで、私がクロウも庇護して欲しいと言った理由になったかしら?」

「ええ、十分に」


 ふっと息を吐き出したセレスに対し、ミソラは目を閉ざし、胸中の想いを諳んじるように語り出す。


「今ならわかってくれると思うけど……、今、ここに私が在るのは、父の執念とクロウという稀有な存在が遺構に潜るという偶然が生み出した奇跡なの。それらの条件の内、一つでも足りなければ、三百年以上前に死を迎えたはずの私は、目覚めることもなく、あの遺構の中で無に帰るはずだった。そう、私にとって、今のこの時は、望外の夢のようなもの」


 ミソラは目を開けると、黙して耳を傾けるセレスを見つめ、どこか透明感のある微笑を浮かべた。


「そして、死と時を経た以上、姓を背負っていたミソラはもういない。ここにいるのは、ただのミソラ。精巧な人形に宿って、新たな生を夢見る一人の女だけ。もし、この生をより充実した物になるように手伝ってくれるなら、私はあなたへの協力を惜しまないわ」

「わかりました。あなたの協力を得る為にも、その想いを尊重できるように、私も務めさせて頂きます」

「ええ、よろしくね」


 一人の女の独白に、どこまでも真剣な表情を浮かべたセレスはしっかりと頷いて見せた。



 一方のクロウだが、待っていたマッコールと共に一階まで降りると、待合で足を止めて、懐に入れていた千ゴルダ紙幣の束を取り出し、数え始めた。


「なんだ、お前、その大金……」

「帝国に関わって見聞きしたことを誰にも喋るな、ってことで、口止め料を貰ったんだよ」

「はー、なら、俺もこれ以上は聞かない方が良さそうだな」


 クロウはマッコールの声を聞きながら、本職から見ればぎこちない手の動きで、その全てを数え上げた。


 束にあった千ゴルダ紙幣は全部で百枚。


 クロウはその中から一枚を抜き取り、残り全てをマッコールに押し付けた。驚きの表情を浮かべる中年男の手に無理やり持たせると、少年は清々した風情で背筋を伸ばした。


「お、おい、これはなんだ?」

「なぁ、マッコールさん。その金で、あの子を少しの間だけでもいいから、組合の孤児院に入れるようにして欲しい」

「……お前、どうしてここまで」

「はは、元々は無かった金だし、ここは一つ、いいことに使おうと思ってね」

「茶化すな。真面目に答えろ」


 マッコールの声音が少し強くなったのを受けて、クロウは仕方なくといった観で答え始めた。


「なんて言ったらいいのかな。俺がこうやって生きられるようにしてくれた事への恩返し……、いや、俺が自分にやってもらったことを、少しでも誰かにしたいと思っただけだよ。……うん、もっと単純に、下品な言い方をすれば、自分だって誰かの為にできることをやってるんだから、誰にも負い目を感じずに胸を張って生きればいいって、自分自身に思わせたい為の、自己満足って奴かな?」

「……そうか」


 マッコールはクロウの思いを聞き終えると、自身の懐より財布を取り出し、千ゴルダ紙幣を一枚、束の中に差し入れた。


「マッコールさん?」

「年下ばかりに良い格好をさせたら、年上として格好悪いだろ? ついで言えば、九十九じゃ切りが悪い」

「いや、でも、俺のはあくまでも泡銭であって……」

「なに、俺もモヤモヤした物を少しでも取っ払いたいだけさ。……それにしても、お前って、その内、おっかない女にでも引っかかって、苦労させられそうだなぁ」

「うーん、それでも、女からまったく歯牙にもかけられない男になるよりは、マシのような気がするけど?」


 このクロウの言葉に、マッコールは破顔し、少年の背を親しみを込めて何度か叩いた。その後、腰鞄に札束を入れて歩き始めた。少し咳き込んでいたクロウも追う形で歩き出す。


「まったく、女も知らん癖に、一丁前に生意気な口を聞きやがって」

「うぐっ、そ、そりゃ、相手がいないから、仕方ないだろ」

「なら、捕まえる努力をしろ。適度に貢げば、話相手くらいになってくれるから、まずはそこから頑張れ」

「いや、収入が不安定なグランサーじゃ、その前提、かなり厳しい」


 エフタ市は既に夜を迎え、帳が降りた空は暗い。

 だが、その夜闇に抗するべく、人が生み出した青白い灯火が市内各所に灯り、二人の帰り道を確かに照らし出していた。





 1 魔導人形は夢を見る 了

12/04/22 脱字修正。


 以下、あとがきの名を借りた作者のぼやき

 うぅ、ようやく物語の土台が固まって、スタートラインに立てた気がするでござる。

 おりじなるむずかしす。

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