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魔導黎明記  作者: 綺羅鷺肇
10 尖兵は迷い霧を払う
89/96

七 不期遭遇

 今朝もまた、世界は乳白色で包まれている。

 一面を覆いつくそれはただあるがままに、時に風に身を委ねながら静かに揺蕩う。冷たく優しく、時を押し留めようとするかのように、ただただ垂れ流れて揺れる。


 そんな迷霧を、赤髪の若者が無言のまま睨む。

 ひんやりとした湿った空気。彼の肌や旅装は既に濡れ、露滴がしわに沿って伝い落ちている。


 若者の表情はどこまでも厳しい。

 面覆いの下、眉間には深く縦皺が刻まれ、口元は不機嫌極まりないと言わんばかりに引き結ばれている。常の様子を知っている者がみれば、いったいどうしたと驚くことは間違いない面持ちだ。


 クロウ・エンフリードの機嫌が悪い理由。

 この霧だけが理由ではない。彼の前に立ち塞がるモノが他にもあったのだ。


「今日で……三日目か」


 知らず独語した口。

 その声音には少しばかりの焦りがある。

 なにしろ先に立ちふさがった障害……樹海を越えるのに、十日。その距離は大凡にして百アルト程……魔導艇の足ならば、二時間もあれば余裕で抜けられる距離に十日もの時が掛っているのだ。そこに加えて、新たなる障害を前にして、三日の足踏みである。


 アーウェルより彼方の地ペラド・ソラールまで想定される距離は四千アルトを越えている。

 なのに進んだのはまだ三百アルトに満たない程。半旬を越える時間をかけて、それだけである。これに付け加えれば、砂海とは異なる環境から復魔器が変換効率を落としており、魔導艇の残存魔力量に不安が出てきている。危地にて足を失うということが高い可能性で死を意味する以上、彼の内に焦りが生まれくるのは仕方のない話であった。


 クロウは心を落ち着かせようと大きく息を吐き出し、また周囲に注意を向けた。


 広大な樹林帯を育む水がどこに行くのか、その答えが目の前に広がっていた。

 草木が生い茂った湿地帯……彼が魔導艇の上に立って見渡した限り、最低でも地平線までありそうな広大な湿地草原である。


 この湿地帯にここまで道標としてきた旧文明期の道が呑みこまれてしまい、目に見える標らしきものを失ってしまったのだ。

 とはいえ、それだけならば特に問題もない話である。航法術を使って東の地を目指して針路を取ればよいだけのことなのだから。むしろ問題は生い茂った草木にあった。


 湿地草原という条件が……、二リュートを越える背丈の草が地を覆いつくすように生い茂っている環境がそれを良しとしなかったのだ。

 この湿地草、一本一本を見ればなんの問題はない。そう太くない茎は半ば枯れかけていることもあって、折って折れなくもない硬さであるし、葉や穂も風に揺らされて音を立ててる程度の軽さ。

 だが、群生しているとなると話が変わってくる。折り重なるかのように密集するそれは、あたかも十重二十重と立ち塞がる壁の如き存在となり、視界と進路を妨害する。無論、無理をすれば魔導艇で分け入ることもできるだろう。しかし、整備や修理といった支援を十全に得られない状況である以上、推進器を痛めそうな方法は選択肢となりえなかった。


 故に、クロウはそういった草のない場所……水路を行くことにしたのだが、これがなかなかに難しい。

 というのも、水路が途切れて袋小路になっていることが多々あるのだ。その為、そういった行き詰まりの度に舌打ちし、来た道を戻りまた別の道を進んで、と繰り返す内に現在地の把握すら困難となり、なんとか樹海近くに設けた仮拠点に戻る。そんなことを昨日一昨日と繰り返すこととなった。


 いや、地図を作ればできるだろうと思えるが、この湿地にはそれをするのが難しい理由があった。


 あれさえなければと、考える若者の意識が聴覚に向けられる。

 水辺より魚かなにかが跳ねる音。水鳥の鳴き声に、草木が風に揺られる音。そして、時折、遠く聞こえてくる低い唸り。


 クロウの顔が顰められる。

 湿地帯攻略をより難しいモノにしている存在、ダ・フェルペが飛ぶ音だ。

 ダ・ルヴァの近似種と言われるだけあって、似た観の飛行型甲殻蟲である。が、その襲撃方法は先のモノとは異なる。四枚翼でもって地表近くを滑空しながら獲物の背後や側面より迫り、八本の節足で掻っ攫って捕食するのだ。


 そんなダ・フェルペによる襲撃が、今日に至る三日の間に七回。

 幸いというべきか全てで対処(迎撃)が間に合い、尽く魔導銃で撃ち落としてはいる。けれども、背後からの襲撃では間一髪といったこともあったことから、絶対に大丈夫なんてことは言いきれない。


 つまる所、有り余る水気が霧となって午前の半ばまで視界を塞ぎ、縦横に生い茂る草木の壁が道を閉ざし、番人のような甲殻蟲が空から襲ってくる、なんて状況に置かれているのだ。曲がりなりにも前進できる樹海が可愛く思える程である。


 若者は唸りながら、表情を腐らせる。

 過日のダ・ルヴァによる襲撃を受けてから、魔導艇の不備……後方を確認する鏡が必要だとエフタに伝えてはいたが、今現在において、これほどまでに必要になるとは思っていなかったのだ。ついで、周辺警戒に向ける注意を少しでも地図の作成に割り振れたならば、少しは前進できていただろうと今更ながらに考える。


 想定不足だった。

 もっと船乗りから話を聞いて、対策を考えるべきだった。


 後悔は先にできないっていうのは本当だと苦く笑う。


 そして、進むべき先……東を眺めやり、かくりと首を垂れる。

 頭髪に付着していた露滴が一つ二つと落ちていき、艇体に当たって小さな飛沫をたてた。

 そんな時、耳元の通信機が着信を知らせる音を奏で出した。慣れた手つきで通信機を起動させる。途端、耳に馴染んだ声が飛び込んでくる。


「はっよー、クロウ、起きてる?」

「ああ、起きてるよ。ミシェル、そっちの様子はどうだ?」

「今日はいつもより砂嵐の神様(ゼル・ルディーラ)が荒れてるかな」

「そうか。……ここにいると、神様の荒れる気持ちって奴がよくわかる気がするよ」


 自然と口から出て行った言葉に、相手が笑う。


「あー、ここ二日程、進めてないからねー」

「ああ、お前なんぞ通すわけないだろうって、足蹴にされてる気分だ」

「ぷくく、それなら別に無理しなくてもって、無理なものは無理ってことで帰って来てもいいのよ?」


 冗談めかした声音であったが、クロウの身を案じる色が含まれていた。

 それに気がついたのか、若者は少し肩の力を抜き、表情を柔らかくして応えた。


「本当に無理そうなら、そうするつもりだ」

「うんうん、そのつもりなら、うん、もう言うことないし、っていうかさー、全部が全部一回でうまくいくなら、世の中苦労しないって」

「確かに。けどまぁ、引き返すのは……、もう少し色々と試してからにする」

「んー、でも試すって、なにか方法があるの? 昨日も言ってたけど焼き払うってのは無理なんでしょ?」

「ああ、これだけ湿ってると燃えないし、燃えても下手したらこっちが煙に巻かれて死ぬかもしれない」


 そう言ってから、クロウは風に揺れる湿地草を見る。

 あれを燃やすのは拙いだろうが、刈り取ることはできるかもしれない。あの草、茎はそれほど頑強ではないから農作業用の鎌があれば……、と考えて、今この場にそんなものはないという現実にぶち当たる。付け加えれて、人力で切り払って進むとなると身体が持たないだろうと思えた。

 ならばどうすればいいかと唸ると、通信機の向こう側でもどうすればいいか考えているのか、唸り声が聞こえてくる。しばらくの間、二人して唸っていると、不意にミシェルが言い出した。


「進路上の草を、魔導銃で吹き飛ばすとかはどう?」

「方法としてはありかもしれない。けど、撃ち続けるのは腕とか操縦とかの負担が大きいし、爆裂弾を使うにしても音が大きい。間違いなく、ダ・フェルペや他の蟲を呼び寄せるだろうから、ちょっとな」

「なら、魔導艇の前部分に排土板みたいなの付けて、草を押し倒して通るとか?」

「排土板か……、案としては……あり、なんだけど、モノがな」


 クロウが良い案だと思うんだがと付け加えると、相手から不思議そうな声が届く。


「え、そんなに難しいことじゃないでしょ、クロウなら。ほら、エル・レラから帰ってきた時みたいに、現地調達すればいいじゃない」

「……あ。あー」


 現地調達との言葉に、今初めて気が付いたと言わんばかりに納得の声。

 ついで、言われるまで気が付かなかった不甲斐なさと、前にやったことなのに、いったい何をぼけていたのだとの思いもあって、若者は赤面して項垂れた。


「クロウ?」

「いや、大丈夫大丈夫。今まで考えつけなかったことにちょっと、な」

「んん? クロウならもう考えているとばかり思ってたんだけど?」

「はは、そこまで考えが回ってなかったわ」


 そう言ってから何とか顔を上げて、気恥ずかしげな表情を誤魔化すように顎を撫でた。防護手袋に擦られて、疎らな無精ひげが小さな音をたてる。

 一応、クロウの抜け具合を弁護しておくと、彼の置かれた状況が先の一件のような致命的なモノではなかったことが影響している。要はまだ余裕があるという訳だ。


 クロウはこんなことも思いつけないなんてとぼやいた後、しみじみといった風情で続けた。


「やっぱ一人だとダメだな」

「くふふ、なんでも一人でやろうとすると、煮詰まっちゃうからね」

「実感してるよ。……とりあえず、今から現地調達で、やれるだけやってみるよ」

「了解。……けど、無理はダメだからね?」

「気を付ける」


 クロウは先よりも力の抜けた顔で通信を切り、一つ伸びをする。

 固まっていた筋骨が軋みを上げ、甘痛い痺れと共に目覚めていく。


 ああだこうだと考えて、どうすればいいかと悩んでいても何も変わらない。今はまず動こう。


 一頻り体をほぐした後、若者は自らを鼓舞するように頷いた。



 それからの行動は速かった。

 霧が残る中、クロウは樹林帯に分け入るとまだ腐っていない落ち木や垂れ下がる蔦を回収し、また徘徊するラティアを狩っては顎牙をはぎ取って、即席の鎌を作成する。

 それでもって湿地草が刈り取れるかを実験し、結果、本物の鎌のような切れ味はなくても刈り折ることができることを確認した。一番知りたいことが知れれば、後はひたすらに素材集めである。先と同じように落ち木や枝木、蔦にラティアの顎牙といった物を集めに集める。

 素材を揃えたと見てからは工作の時間だ。排土板代わりの代物を作るべく木材を束ねては蔦で縛り、その隙間隙間に顎牙を仕込む。これを作り上げたら、今度はラ・ディの艇首に蔦とワイヤー(鋼線)でもって、頑丈に固定して完成である。


 とはいえ、仕上がったモノは一目で急造品とわかる歪さであった。

 なにしろ排土板の代わりとなる代物はとても壁とは言えず、ただただ薪を束ねた円柱に近いものであったし、その中には仕込まれた顎牙がなんともいえぬ物騒さを醸し出しているのだ。はっきり言って、見れたモノではない。実際、クロウも自らが作り上げたものを見て、これは酷いと苦笑するしかなかった。


 だがそれでも歩を進める手段となるには変わりはない。

 どれだけ見目が悪かろうとも、用に耐えればいいと割り切り、若者は魔導艇に跨る。


 思っていたよりも前が見えにくい気がしたが、そこは仕方ないかとまた笑った。


 ついで、色々と情報が書き込まれた地図に目を落とす。

 特に書き加えた道筋……旧文明期の地図から転写したそれを指でなぞる。ほぼ一直線に続くそれは、今彼がいる道の先……湿地に呑まれた場所であった。


 クロウはラ・ディを起動させる。

 艇首に相応の重量が加わったが、常の如くの浮上。艇の状態を示す計器類に異常もない。ただ後数目盛で半分程になる魔力残量だけが気にかかった。


 乗機に関する注意点を頭の片隅に収めた後、若者は表情を改めて、湿地草で塞がれた前方を見据える。

 彼が見る所、この湿地がどれ程続くかはわからないし、排土板代わり代物もどれ程持つかもわからない。特に動きを制限された状況において、蟲に襲われた時の対処が上手くいくのかもわからない。先日までより不安要素の多い道行きであった。


 常の冷静な思考が危険だと囁くが、現状に倦んでいる感情が一蹴する。


 考えなしの蛮勇、大いに結構だ。

 危険なのは元より承知の話。多少それが増えた程度で、躊躇してなんていられない。

 そもそも動かない以上は、絶対に先には進まない。

 それなら、とりあえず試してみる方がいい。

 なにもしないで停滞しているよりは余程いいだろう。

 たとえ失敗したとしてもそれは決して無駄ではなく、経験という財産になる。

 実際、今に至るのも、色々と試した結果、先に進めないという経験を得たからこそなのだから。


 とつらつら考えて、クロウは首を振った。


 いや、単純に行こう単純に。

 ただ、道に沿って前へ進む。

 立ち塞がるモノはなぎ倒す。

 襲ってくるのは撃ち落とす。


 それだけをすればいい。


 若者はむんと鼻息を吹き出し、魔導艇を前進させる。


 回転し始める推進器。慎重に、慎重に、速度を上げていく。

 艇は乾いた大地を離れ、湿地の上へ。人が走る程度の速さで(ヨシ)の群生地へと突入する。

 人機が生み出す力は生い茂った茎草のほとんどを押し倒しては折っていく。それでも抵抗しようとするモノは蟲の牙が無情に切り折る。乾いた悲鳴と共に倒れかかってくる草を払いながら、若者は耳を澄ます。


 回転翼が一定の間隔で音を刻む以外、人工的な音は聞こえない。

 乾いた葉と湿った葉が絶え間なく擦れあい、茎が折れる音が途切れることなく連なる。

 時に風が吹き抜けて、ざわざわと周囲にある草を揺らす。


 前の壁が薄くなり、水路へ。

 若干速度が上がり、肌を撫でる風にも圧が加わる。

 圧し掛かる斥力が水面に小さな流れを作り、波紋と波音を残す。

 水底の腐り溜まった堆積物の中に道の名残が見える。すっと魚影が走り、揺れる水草の合間に消えた。


 耳目に集中しながら、草を押し割り、水を押し退け、十分二十分と進み続ける。


 不意に、クロウが眉根を顰める。

 草折れる音の中、唸り声のような響き。脅威を知らせる音を拾い……、それが消えた。


 見つかったと若い顔を険しくして、腰にある得物(魔導銃)を手に取る。

 ラ・ディの速度を落とし、行き足をゆっくりと止める。場所は見通し悪い群生地の真中。失敗したと考えながらもそっと息を殺す。


 風が流れる音。

 その中に紛れて、空を切るような、ほんのわずかな異音。


 右か左か、それとも後ろか。

 目を細め、幾度も頭を振り、敵が迫り来る方向を探し……、身体を右後方に向け、銃を撃ち放つ。


 立て続けに発射される魔力弾はまだ残る霧を穿って突き進み、光と弾けた。


 衝撃音。

 短い悲鳴のような叫び。

 派手な水音が聞こえて、やったと思う。


 直後、背中から泡立つ感覚。

 本能に導かれるまま魔導艇より転がり落ちる。


 ざわりと周囲の草が割れ揺れて、直上を影が通り過ぎた。


 湿り腐った臭いの中、舌打ち。

 慎重に頭を上げて周囲を探る。振動するような羽音が徐々に小さくなっていく。

 安堵する前に膝をつき、いつでも動ける態勢へ。頬についた泥もそのままに、もう一度来るかもしれないと警戒を続ける。


 聞こえてくるのは、草穂を踏む風の音。

 小気味よく続く、なにかを叩く波の音。


 じっと数分待ち、ようやく肩の力を抜いた。

 それから自身の状態に目を向ける。外套は泥や土、落ち穂といったものに塗れており、腐敗物特有の臭いが鼻につく。


 ひどいもんだと嘆息して、一人肩を落とした。



  * * *



 唐突に強い風が吹きつけた。

 女は足を止め、暴れ風が行き過ぎるのを待つ。

 外套の襟や裾がぱたぱたと音を立ててはためく間、目に見えぬ手が無遠慮に身体を撫で、数多の砂塵を擦り付けて去っていく。


 やがて風が落ち着くと、面覆いの内でふうと一息。

 二眼眼鏡(ゴーグル)越しに見える光景は砂煙に覆われており、ひたすらに薄暗い。

 この時期はやっぱり気が滅入るなぁと思いながら、女……ミシェルは溜め息をついた。


 場所はゼル・セトラス大砂海のエフタ市。その内にある市壁循環道と呼ばれる外周路の道端である。

 薄っすらと視界の中、幾つかの人影が通り過ぎ、今もまた向かい側より面覆いを付けた四足獣(コドル)が現れて、荷車を曳いていく。 


 その姿をなんとなく見送っていると、視界の隅に自らの右手部が入る。

 先の仕事で負傷した結果、失われた部位。そこには身体の均衡を保つ為の重り……義手とも呼べぬ代物(木の棒)が装着されていた。


 なんだかなぁ。

 自らの意思より切り離されたモノを見る度に思うことをまた思う。


 風音と砂塵が立てる細やかな音は鳴りやまない。

 慣れても鬱陶しさを覚えるそれら。無意識に左手が耳に行く。そこには肌身離さぬよう身に着けた通信機がある。


 自然と思い浮かぶのは、赤髪の少年。

 いつの間にかとしか言えぬ程に、自らの心に刻まれた存在。その相手との繋がりを示すモノだ。

 今もまた、やれるだけやってみるって言ってたけど、どうしているだろうか大丈夫だろうか、と考えて、私、こんな女じゃなかったのになぁと笑った。力の抜けた自然な笑みだった。


 少し気分が良くなったこともあり、ミシェルは軽い足取りで歩き出す。

 向かう先は、市内北西部に位置する第四魔導技術開発室だ。街路を北に向かって進み続け、循環道より外れて倉庫街へ。かつては寂びれた雰囲気を漂わせていた区画であったが、企業社団マグナ・テクタが創設されてから人や物の出入りが頻繁になっており、些かの活気が生まれている。途中、三台ほどの荷車と行き会って、開発室がある通りに到着した。


 開発室とは通りを挟んだ向かい側、数個並ぶ倉庫もといマグナ・テクタ社屋。

 その全ての出入り口が少しだけ開かれており、明かりが漏れている。過日ミシェルが聞いた所、魔導艇ラ・ディの初期生産分を組み立てる傍ら、今後の量産に向けて効率的な製造工程を設計していると聞いている。皆、頑張っているようだと感心しながら開発室に入った。

 薄明りが灯る屋内。付着した砂塵を払い落とし、防塵具を外しながら努めて明るい声を上げる。


「こんちはー。今日も調整に来たよー」

「いつもの場所にいるから、こっちに来てちょうだい」


 甘い女の声が返ってくる。

 それに従って建屋内を行く。工具や各種部材の類はマグナ・テクタに移されたようで、かつての乱雑さは影もない。少ない人気と明りとも相まって、どことなく寂しさを感じさせる。

 ミシェルは場末の夜半過ぎを想起しつつ、明かりが煌々と灯る場所へ。申し訳程度に設けられた仕切り扉をトントンと叩いてから中を覗く。

 仕切りの内側は物で溢れかえっていた……ということはなく、器具や書籍の類は隅に並んだ棚に整頓され、様々な素材は種類ごとにまとめられて片隅に置かれていた。


 几帳面なものだと来る度に思うことをまた胸に抱きながら、人影に目を向ける。

 金髪の少女は背を向けたまま黙々と作業しており、その背後でミソラが腕組みをしながら浮かんでいた。


 いつもならシャノンが挨拶してくるはずだが、今日はどうしたんだろうか。


 ミシェルは首を傾げて、口を開く。

 が、その前に小人が振り返って声を上げた。


「ミシェル、右手の重さはどうだった?」

「ん? んー、やっぱり腕を動かす時とかに負担を感じるかな」

「やっぱり縛ってるだけだと、そうなるか。けど、ちゃんとした義手なら無意識に均衡を取れるようになるだろうから、軽減はされるはずよ」


 と小人は言いながら女密偵の所まで飛んできて、その右肩に降り立った。


 ミシェルが小声で訊ねる。


「ね、シャノンちゃんと喧嘩でもしたの?」

「してないしてない。……ちょっと問題が、ね」


 ミソラは整った顔に珍しく困った顔で言葉を濁す。その様子につられて更に問う。


「問題って?」

「あー、昨日なんだけどさ、セレスから呼び出しがあってね」

「うん」

ゼル・ルディーラ(大砂嵐)明けに、帝国と同盟から使節団が来ることになったんだって」


 女密偵は聞いた言葉から即座に答えを導き出す。


「あー、例のごたごたを解決する為の?」

「そう、それそれ。んで、それに関連してっていうか……、私の存在が両方に伝わってるみたいで、ぜひ話がしたいってことなのよねぇ」

「ふーん、人気者はつらいねー」

「そ、つらいものなのよ、人気者ってさ。って言っても、信もない相手の都合のイイ言葉に乗る程ナニカに飢えてる訳でもないし、強引な手で来られたとしても自分の身位は守れるわ。いざとなったびゅーんと高飛びして消えるから、私に関しては大丈夫」


 それよりも問題なのはと、さらに小さくなる声。


「帝国なんだけど、どうやら水面下で皇帝派と元老院派の争いが激しくなってるらしくてね。もしかすると、シャノンちゃんにも飛び火するかもって」

「それ、可能性が高い話?」

「聞いた感触、二割から三割位って感じ。個人的には時間も経ってるから大丈夫だと思いたい所なんだけど、こういったことは読み切れない所があるでしょ」

「確かに、実際わからない所が多い以上、甘く考えるのは止めた方がいいかな」

「でしょ」


 シャノンちゃんは不安を押し殺す為にも集中しているってことか。


 ミシェルは納得して一度二度と頷く。


「それでどーするの?」

「それを考えてる所」


 との小人からの返事を聞き、女密偵もまた対処方法について考える。


 それから十秒程経ち、亜麻色髪の女はふと何事かを思いついたようにあっと声を上げた。

 ついで人の悪い笑みを浮かべて、小人に何事かを囁き始めたのだった。



  * * *



 昼過ぎ。

 クロウはようやく湿地帯を踏破した。

 延々と続くように思われた沼と草の中、都合四度の襲撃を泥濘に塗れながら撃退してのことだ。


 今は一本だけ生えた常緑樹の下で外套や防護具の泥を湧水筒の水で流し落としている。

 もっとも誰かに見張りを頼める訳でもない為、最低限……酷い臭いがマシになる程度で終いである。


 鼻をつくのは、汚泥の悪臭。クロウとしてはゆっくりと時間をかけて落としたい所である。特に臭いが気にならない程度にきれいにしたいし、汗や浸透した水気で濡れた服を干したい気持ちもある。なによりも数時間の間に幾度も襲われたこともあって、今日はもう心身を休みたい。


 しかし、クロウは自らの欲求を退け、湿地帯からできる限り早く離れることを選んだ。

 全てはダ・フェルペによる襲撃を危惧してのこと。幾度も襲撃を受けて、その対処の厳しさを否が応でも実感したが故に、退避を決めたのだ。


 ならばさっさと逃げればいいのだが、人にも限度がある。

 なにしろ、先の泥がくさい。くさいものはくさい。二日三日ほど始末を忘れた生ごみを鼻の中に押し込まれたかのように、くさいのだ。今の小休止は、襲われる可能性と自身の我慢の限界との折り合いの結果である。


 若者は泥を洗い落とした外套に鼻を寄せ、顔を覆いに顰めて嘆く。


「まだくさい」


 彼の目は欝々と死んでいた。

 このままだと身体に染みつくかもと、かつてなくげっそりした風情で肩を落とす。それでも臭い残るそれを身にまとうと魔導艇に跨った。

 とりあえず乾いた砂地を見つけたら転がって、臭いとか諸々をこそぎ落とそうとそうしようと決意しつつ、艇を前進させる。ちなみにであるが、彼の体は既に汗や老廃物といったものによって相応に体臭がきつくなっていたりするのだが、それはそれとしておく。


 とにもかくも、魔導艇はただ一つ、原野を行く。

 周囲を見れば、なだらかで平坦。腰から膝程まで伸びた枯れ草で覆われている。向かう東は地平線まで見渡す限り、それが変わらない。ただ所々に木々が伸びる他、巨大な岩が転がっていたり、旧文明期の建造物が倒れ横たわっていたりと、稀に変化を見せるだけだ。


 自らを活かせる環境になりつつある為か、ラ・ディはこれまでの遅れを取り戻そうとするかのように徐々に速度を上げていく。


 流れ行く風。

 枯草で成る大地が揺れる。


 蟲らしき影。

 速度に任せて振り切る。


 進み行く舟。

 大平原を力強く奔る


 不意に鼻につく悪臭に眉根を歪めた。


 はるか遠方では雲が流れ、大地に暗い影を落とす。

 時折、鋭い光が天地を結んでは、爆音のような雷鳴が響く。


 あれは危険だと本能的に悟り、針路を変える。

 必要な情報を地図に書き込み、前へ前へ。


 湿っていた空気もより乾いたものへ。

 風もまた乾き、熱を含み始める。


 南北に見えていた山影はいつしか見えなくなった。

 唐突に焼け野原を見ることがあるが、特に何かがあるわけでもなく、ただ行き過ぎる。


 いい調子だと、機嫌を直しながら数時間。

 天の光陽が西に傾き、自らの影を前に置く頃。長かった草が短くなり、木の類も見かけなくなる。代わって増えてくるのは砂礫だ。

 馴染んだ光景が近づくにつれて、なんとなく気持ちが落ち着いてくる。そんな自分がいたことに気付いて、クロウは自分の故郷は良くも悪くもあの砂海なのだろうと小さく口元を緩めた。


 これまでの停滞が嘘のように、更に進む。

 魔導艇は快調そのもので、操縦して楽しいのは久しぶりだと彼に思わせる程に、距離をどんどん稼ぐ。悪臭も時と風に流されたのか、出発した頃より臭うこともない。午前の苦労を忘れてさせてしまう程に気分よく奔り続けた。


 が、それがいけなかった。

 気が付けば陽が沈み、あっとクロウが声を上げた時には星が瞬いていた。


 これはまずいと慌てて野営地を探し始めるも、こういう時に限ってこれといった場所が見つからない。

 あれもだめこれもだめと探し続けて、遂には天測の時間である。とりあえずは現在地を観測して、地図に残す。それから定期連絡だ。


 失敗したばかりのクロウとしては少しばかり気が進まない。けれども、しなければならない以上はしなければならい。

 これは笑われるだろうなぁと覚悟しながら、相手を呼び出す。数拍の後、ミシェルの声が耳に入ってきた。


「クロウ、今日も一日お疲れー」

「あー、お疲れ。とは言っても、実はまだ野営地の確保がな……」

「へ? ……え、もしかして、まだなの?」

「ああ、例の湿地帯は抜けたんだけど、ちょっと調子に乗って進み過ぎた」


 距離を隔てた相手がぷっと噴き出した。


「いやいや、調子に乗ったって、クロウまで抜けてどうするのさ」

「はは、いや、思ったよりうっ憤が溜まってたみたいでな」

「かー! うっ憤だって! 私がいたら、そんなうっ憤が溜まらないように、しっかりと抜いたげてたのになーっ!」


 またこいつはと若者は呆れた顔。

 それから重く長い溜息を吐いて、今の心情をそのまま声に込めた。


「お前は変わらんな」

「そりゃそうよ。そう簡単に変れたら苦労しないわ」

「確かに」


 常の如く品がないやり取りをしているだけなのに、不思議と肩の力が抜けた。

 それで気が緩んだのか、クロウの口から素直な思いが出ていく。


「でも正直言うと、ここにミシェルがいればって、今日は何度も思ったよ」


 言葉が詰まったような息。

 わずかな沈黙の後、あっけらかんとした声が返ってきた。


「く、く、くかーーーっ、どうして、どうしてどうしてどうしてっ、本当にどうしてっ! 私はここにいるのかっ! 今なら確実にコロッとヤレルというのにっ!」


 こいつは、これさなければイイ女だと思うんだけどなぁ。


 クロウは決して言葉にはせず、胸の内で呟く。

 だが、それと同時にこれがミシェルであるとの思いもあった。


「まぁ、そういう訳だから、これから寝床の確保をするつもりなんで、連絡終わ……」

「わぁー、まったまった! こっちからもちょっと報告したいことがっ!」


 と一息入れた時であった。


 彼の耳がある音を拾い上げた。

 小さく、風音に紛れる様に届いたそれは他の音に紛れそうな程。にもかかわらず、若者が気が付けたのは、偶然か必然か。


 クロウの神経が空いた耳に集中する。


「えーと、実は」

「すまん、ミシェル。少し静かにしてくれ」

「え?」

「妙な音が聞こえた」


 真剣な声に、女が小さく息を呑む。

 それすらも大きく聞こえる中、じっと身動ぎせず待つ。


 風に紛れ、また聞こえた。

 しかし、耳にした音が想定外に過ぎて、聞き間違いかもしれないと感じた。


 だが、次に聞こえた音に、幾度か聞いたことがあるモノと同じだと気づいて、それが聞き間違いではないことを悟った。


 自然、彼の目と口は驚きを形作る。


「爆発、音か、これ」


 クロウの呟きに、通信機の向こうにいるミシェルも驚きの声。次には怜悧な響きが続いた。


「クロウ、上に連絡する?」

「頼む。後、こっちで探ってみるとも伝えてくれ」

「了解。こっちから連絡がある時は?」

「入れてくれてもいい。ただ、出られるかはその時次第になる」

「わかった。……気を付けてね」

「ああ、ある程度情報を集めたら連絡する」


 緊張を含んだ声で告げると、クロウは音が聞こえてきた方向を探りながら進み始めた。



 クロウは音を聞き逃さないよう、魔導艇を最低限の速度で進ませる。


 大気を伝い響くそれは、いまだ遠く小さく。

 時々爆発音が聞こえてくる他は、小刻みに為される律動のみ。

 だが、これもまた聞き覚えがある音。機銃による射撃だろうと当たりを付ける。


 文明によって生み出された音に導かれるように、静かにゆっくりと荒野を行く。


 既に暗視の魔術によって、彼の視界は白と黒で織り成されている。

 光陰が逆転した世界では灰色の空に星が暗く浮かび、薄く陰る大地では数多の奇妙な陰影を生み出す。

 慣れる慣れないでいえば、クロウも慣れてはいない。しかし、人の目では見ることのできない夜闇を見通すことを考えれば問題ではなかった。


 小舟が進むにつれて、聞こえてくる音が徐々に大きくなっていく。

 それに伴い、生み出される方向も定まってくる。若者は大凡の見当を付けながら幾度となく変針していく。

 そして、こっちだとの確信を得た所で艇の磁針を確認する。


 示すのは、北東。

 記録した後、速度を少し上げる。

 身体に感じる風が少し強まる。


 息を詰めて、進行方向に注意を向ける。


 音はより大きくなって続いている。

 断続的に続く、鼓を撃つような音も混ざり始めた。


 無意識の内に、ごくりと息を呑む。


 平坦な大地。彼方の地平線。白んだ一線に影。


 目を細めて、確認。


 影はゆっくりと動く。ただ影は一つではない。数個の影が黒い線を放つ。立て続けに生み出される線。


 双眼鏡を取り出して覗き込む。


 影は二本の足で歩く、奇妙な存在であった。


 クロウは双眼鏡から目を離し、大きな瓦礫の傍らで一旦足を止める。

 それから、あれはなんだと少しばかり困惑しながら、もう一度改めて双眼鏡を覗く。


 影の高さは大凡にして四リュートないし五リュート程。上半身が妙に大きく、前後に六リュートはありそうだ。

 突き出されるように伸びた前部先端では円柱型の突起が左右に伸び出ている。その円柱は表面に黒い点があって左右に動いていた。また下部には機銃に似た観の代物があり、時々黒いもやと筋を生み出している。

 目を上体後方に移していく。その形状はまるで流れるような線を描いて続き、唐突に切り取られている。その後ろに、格子で作られた篭が付けられていた。中には箱状のモノと水瓶のようなモノが三つ四つと積まれているようだ。

 空気の揺らぎを認めて、視線を動かす。配管らしきモノが後ろ側面にあり、そこから生み出されていた。なかなかの勢いで噴き出されており、地面から砂塵が巻き上がっている。


 あれは……内燃機関か?

 若者は記憶にある情報を引っ張り出しながら唸る。


 そのまま目を側部に向け、腕部を確認する。

 上腕に相当すると思しき場所には、外側に先に見た水瓶のようなものが三個付けられており、帯状のモノが下に向かって伸びている。それを追っていくと、肘に行き当たる。そして、その先にあったのは手ではなく、一直線に延びる長大な代物。上体前部と同じ長さのそれは、先端部より断続的に黒い筋を作り出している。耳に届く音との差を意識して見れば、それが音の発生源だとわかった。


 視線を下半身に走らせる。

 上体下部より垂れ伸びる板がまず目に入った。長さにして一リュート半程。それが動きに合わせて揺れている。

 この板に隠れるように、脚部と思しきモノが動いていた。ただ彼がよく知る作り……魔導機とは動きが異なっており、動きに違和を覚える。その源は何かと注目する内に気付く。関節が後方にあるのだ。人とは逆になった膝関節に、自然とニニュの足のようだとも思った。


 影を一通り見て取り、クロウは結論を一つ下す。

 あれは旧文明期の流れをくむモノだと。ついで、その機体を運用する勢力がこの地にあるのだとの驚きと興奮を抱いた。


 予想すらしていなかった事態に、心が弾む。


 だがしかし、影を運用する勢力が味方なのか、味方になってくれるかは、まだわからない。

 接触する際に何らか行き違いや意思疎通で下手なことがあれば、敵対する可能性もあった。


 クロウは胃が痛くなるような想定から努めて目を逸らす為、黒い筋が伸びる先を見る。


 砂埃の中、蠢く無数の影があった。

 数え切れぬ程いるのは、幾度となく相まみえたラティア。黒い筋に粉砕されながらも決して退くことなく前進を続けている。だが、それよりも目を引いたのは見たこともない異形。四リュート程の体躯を持つ銃弾状の影と、全長が八リュートに至りそうな砲弾状の影だ。ちらほらと見えるそれらはどちらもかなりの速度を出しているようで、ラティアを悠々と追い抜き、時に踏み潰している。


 これは恐ろしいモノがいたものだと思うにはまだ早かった。


 クロウが見る中、黒い線が件の影に伸びる。

 前者は十秒近く耐えてから潰れ、後者には至っては明らかに弾いていた。


 後方に弾かれ流れる筋を見ながら、若者は思わず呟いた。


「ぇえ、嘘だろおい」


 これまでの常識が覆されたような気分だった。

 あんなのが砂海に出てきたらと、俄かに噴き出た冷や汗が背中を伝う。どう対処するのかと二本足に目を戻したところ、一機の腕部がこれまでにない黒い瞬きを生んだ。


 攻撃だと察して、また蟲側に。

 もっとも前にいた大きな影、その前部が黒く覆われたかと思うと弾け飛んだ。

 急停止した直後、前転するかのように激しく横転。それ巻き込まれて潰される多数のラティア。進路をふさがれて衝突する銃弾状の影。


 遅れて、より大きな爆音が届く。

 腕に大砲が仕込まれていたのかと感心すると共に、件の影が決して潰せぬ相手ではないと知って、ほっと息を吐いた。


 その間にも戦闘は続く。

 複数の……筋の源から五機と判別した二本足は優勢な火力に任せて、効率よく蟲を潰している。

 連携して殺し間を作り、脅威となる存在を優先して、確実に潰している。実際、荒野には数多の屍が散らばり転がっている。


 だがしかし、蟲は止まる所を知らず、むしろ数が増えていた。

 どこにこんなにいたのかと思わせるほどの数が、ただひたすらに二本足に突撃する。しかもよくよく見れば、蟲の群は幾つかの集団に別れ、それらが枝葉を伸ばすかのように分散して前進している。その結果、蟲の数が二本足の対処能力を上回ったようで、彼我の距離が少しずつ迫りつつあった。


 じっと観戦を続けるクロウであったが、その内心には焦燥が生まれていた。

 自分はこのまま見ているだけでいいのだろうかというもどかしさと、蟲に襲われている所を助けない罪悪感が彼の心に焦りを呼んだのだ。やもすれば今にも動き出しそうな身体。それを危険地帯で学んだ心得と機兵として培われた冷静さでもって抑える。


 無意識に噛みしめる歯。

 身の内で相反する情理。


 表情を苦し気なモノにしながらも、それでもじっと耐えて戦場を見つめる。


 そんな彼の耳に、通信を求める呼び出し音。

 即座に出る。飛び込んでくる声。それは依頼主の落ち着いた声であった。


「手の者から話を聞きました。エンフリード殿、現状の報告をお願いします」

「はい。先の通信終了後、音を辿って前進した所、蟲の群と所属不明の勢力が戦闘を行っていることを確認しました。勢力側の数は五。現在も戦闘中です」

「わかりました。では、不明勢力側の所属を示していそうな旗、或いは紋章らしきものは見えませんか?」


 そう言われてから、改めて二本足を見る。


 上体の前方側面に円形の図表があった。


「円形の中に菱形……、真ん中に十字の、星か、これ。……色はわかりません」

「菱形に、十字星」


 記憶を探っているのか、通信機の向こう側で小さな復唱。

 だが、クロウは相手から返事を待つ余裕を失ってしまった。というのも、一機の二本足が蟲の群に呑まれてしまった為だ。


 それは見るに堪えない光景だった。

 彼が見つめる中、砲弾型の体当たりを食らって吹き飛び倒れる。

 そこに銃弾型が勢いよく取りつき、頭部についていると思しき顎牙で腕を切り取った。またラティアもざわざわと機体に群がり昇り、それぞれの牙で噛みついている。


 喉が渇く。

 枯れた声で報告する。


「一機、蟲に呑まれました」

「そう、ですか。……しかし、援護は許可できません」


 かっと頭に血が上る。

 声高くなぜと問う前に、冷めた声が届く。


「相手との連絡が取れるならば、援護の許可も検討しましょう。しかし、現状それができない以上……、特に相手側と意思疎通ができない状態では論外です。戦闘に参加することは許可できません」


 そう言われて。クロウの頭は回り出す。

 すぐに対処案で応じた。


「手旗ないし発光信号で知らせてから、援護に入るというのは?」

「良い手だと思います。しかし、相手側が応えると思いますか? そも私達が使用する手旗や発光信号が通じるとは限らないのです。仮に通じたとしても、蟲に差し込まれている状況で周囲に目を配るだけの余裕があると思いますか? なによりも、あなたも含めて、初見の、どういった能力を有するかわからない相手と共闘できると思いますか?」


 言われるまでもなく難しいだろうと、クロウにも分かった。


 しかし……。


「やってみなければ、わかりません」


 困ったような吐息が聞こえた。


「はっきりと言いましょう。私としては戦闘に参加することは避けていたただきたいのです。今、あなたを失う訳にはいきません」


 思ってもみなかった直截な言葉に、クロウは状況も忘れて面食らう。

 だが、次の瞬間には笑って応じた。


「それはどういった意味です?」


 応じる側もほんの僅かだが笑みを含んだ声。


「そうですね。重要な依頼を達成しつつある方を失いたくないという打算が七割。マグナ・テクタにおいて、共通の責を負う仲間を失いたくないのが二割」

「残り一割は?」

「さて、色々なモノが混ざりあって言い表せそうにありません。……ただ一つはっきりと言えることは、そこはあなたが命を賭ける場所ではないはずだ、との思いです」


 痛い所をつかれた気がして、今度はクロウが困ったように眉根を歪める。


「確かに、ここで死にたくはないです」

「ならば、それを一番の基本として動くべきでしょう」

「ええそうですね。それが正論だと思いますし、正しい方策なんだとも思います」


 言葉では肯定しつつも、若者は首を振った。


「けどやっぱり、このまま見過ごす訳にはいかない。いや、見過ごしたくない」


 重苦しい沈黙。

 じっと待っていると、何ごとかを諦めたような溜め息。本当に兄上にしてもあなたにしても、まったくどうしてとの呟きが微かに届く。


「わかりました。相手方との連絡が成った場合に限り、戦闘を許可します」

「了解です。やれるだけやってみます」

「再び通信が届くことを、朗報を期待します」



 クロウは通信を切ると、魔導艇を発進させた。

 それから相手の目に入ることを祈りながら、発光器で援護に入る旨の信号を送り始める。

 着実に接近する中、通じてくれと願いながら信号を打ち続けること十数回。二本足の一機が気が付いたようで、了承の合図が返ってくる。


 思わず安堵。

 手にする道具を魔導銃に換え、思考を切り替える。


 足を速める。

 戦場を眺めながら、状況の把握に努める。


 状況は混戦。

 蟲を引き離すか、攻撃でもって撃滅を図るか。


 思考が走る。

 蟲の一部をひきつけるのも手だが、そうなるとやはり誤射が怖い。


 弾種を交換。

 彼が選んだのは、戦場の外周を巡りながら爆裂弾でもって撃滅するいうことであった。


 戦場が迫る。

 一部の蟲が新たな獲物に気が付いたようで、動きが変化する。


 牽制の射撃。

 機先を制する為、蟲の進行方向に爆裂弾を立て続けに撃ち込む。


 幾つもの華が開く。

 重なり合った爆音が轟き、一部のラティアが風圧で吹き飛んだ。


 魔導艇は速度を変えぬまま、混戦の端を舐めるように奔る。

 強力な攻撃を脅威と認識したのか、新種もまた向きを変えた。


 これならいけるかと、二本足の方を見る。

 もう一機、蟲に呑まれて倒れた所であった。


 舌打ち。

 ついで追跡する蟲に向けて、引き金を引いた。


 新たな火球が膨らみ、全てを呑み込んで焼き引き裂く。

 後はただ無心に、襲い来る蟲を迎え撃ち、撃ち滅ぼすことだけを考えて、戦場を駆け続けた。

本話を書いての戯言

〇塾名物直進行軍!

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