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魔導黎明記  作者: 綺羅鷺肇
10 尖兵は迷い霧を払う
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三 遠征準備一節

 斜陽節。

 一年に四つある節の四番目。光陽が日に日に弱まり、目に見えて勢いを陰らせていく様から名づけられたこともあって、時に衰退や終焉、物事の終わりを司るとされている。

 とはいえ、現実には光陽が陰り消えてしまうようなことは起きず、終わりの日……終陽日の翌日、初陽日より再び勢いを取り戻していくのが、この星における万象の営み。科学的な思考が未熟だった古き時代ならばともかく、今では占いの類で使用される以外にあまりそういった面が意識されることは少ない。精々が光明神教会での説法で、光明神が一年ごとに生まれ変わり、永遠に不滅であるとされる由縁で耳にする程度である。


 実際、節代わって斜陽節になっても、日々の生活を営む者達は特にこれといってやることに変わりはない。

 都市に住まう者ならば、ああ一年ももうすぐ終わりだな、新しい節が始まったな、前節の決算をしないと、といったことを思う程度であるし、開拓地や郷といった場所に住む者達にしても、農作物の作付や収穫の目安……暦の側面を利用することはあれど、特別なことをする節という訳ではない。

 もっともゼル・セトラス域はその限りではなく、年明け早々に到来するであろうゼル・ルディーラ(大砂嵐)に備えての動きが活発化して、大きな賑わいを見せる。特に砂海を行く商船は稼ぎ時と言わんばかりにあちらこちらを巡るので、各地の港でも倉庫の出入りも激しくなるのが常である。


 そんな忙しない斜陽節であるから、エフタに帰還したばかりのクロウにも仕事の話が飛び込んできた。

 組合本部を訪ねた帰り道。懇意にしている丸顔の職員ヨシフ・マッコールに帰還したことを告げるべく、エフタ支部に立ち寄った所、折よく居合わせた相手から指名依頼がいくつか来てるから一つくらいは請けてくれと頼まれたのだ。


 これを聞いた時、クロウは思わず訊ねた。


「マッコールさん、仕事を用意してくれるのはありがたいけどさ、帰還予定日が過ぎて、俺が死んだと思ったりとかは……」

「いや~、特には思わなかったな。というか、俺は、お前がやる時はやる奴だって知ってるからな。今回は遅いなって思った程度さ」


 中年男の飄々とした答えであった。

 クロウとしてはマッコールからの信頼を喜ぶべきか、心配の一つもしてくれなかったことを嘆けばよいのかと表情に迷い、結果として苦笑という形に落ち着いている。


 そういった彼の心情はさておいて、クロウはマッコールが提示した五つの依頼の内、期間に融通が利くモノ……応相談と書かれたモノを特に選んで受けることにした。

 仕事の内容は以前にも受けたことがある、エフタ市と周辺域の開拓地や郷とを往来する商船の乗り込み護衛。給金は一日千四百ゴルダ。依頼人は知らぬ名である。その点だけが気になり、マッコールになぜ自分を指名してきたのか知っているかと聞いてみた所、アーウェルでの仕事……商船を襲った賊党を撃退したという実績を知って、とのことであった。

 クロウとしては、名前が売れるというのはこういうことなのかと思わざるを得ない話である。が同時に、あの時に自分が為したことを、責を果たす為とはいえ、(同胞)を手に掛けたことを正当化されたように感じられて、心の底にある澱が少し流された気がした。


 こうした次第でクロウが請ける仕事を決めると、マッコールは時は金なりと言わんばかりに相手方へと連絡を取り、即交渉とあいなる。その結果として、期間は第一旬六日から第四旬九日まで、休日休み有りの五十二日と定まったのだった。


 当面の仕事が決まった後は、帰還が遅れて心配をかけたであろう方々への挨拶回りである。


 その日のうちにクロウが訪ねたのは、自宅近所にある総合支援施設。

 次の仕事に向け、パンタルを点検整備に出すのを兼ねてのことであったが、運良くというべきか、彼が誰よりも信を置いている整備士エルティア・ラファンの勤務日であった。そのエルティアであるが、彼と顔をあわせた所、じわりと涙ぐみながらも笑みを見せ、しっかりとした声でお帰りなさいと迎えてくれた。

 そんな彼女の顔に、彼はエフタに戻ってこれたのだと実感する。ついで、眼鏡の奥は目の下に薄っすらとした隈を認め、本当に心配させていたのだと申し訳ない気分になる。けれど、それと同時に、己の身を案じてくれる人がいることに喜びを……心卑しくも人としての素直な思いを感じもした。


 エルティアと夕刻まで諸々に話して、機体を預けた帰り、同じ長屋に住む二人の先達を訪ねる。

 が、青年教官の部屋の戸に、教習所に缶詰中との張り紙があったことから、直接顔をあわせたのは隣室に住まうウディ・マディスのみ。そのマディスであるが、クロウの顔を見て安堵、ついで苦く笑った後、自身の無精ひげを触りながら言った。


「人間、頑張るだけってぇだけがぁ人生じゃァねぇ。時にゃよぉ、身体だけじゃあなくてぇ、心もしっかりとぉ休ませろよぉ?」


 でないと、当然な、ぽっきりと折れちまうと続いた言に、クロウは無視しえぬモノを感じて頷いた。

 それからは帆船での旅路や魔導戦脚の開発状況、不在時のエフタの様子といったことを話題に立ち話。操船や砂海での日々の苦労話を語り、魔導戦脚の再設計は基本的な仕組みについては大きく変えないが、操縦席の配置を変更し、重心を下げる為に横幅が広くなることを聞いた。


 翌日は軍務局に出向いての帰還報告。

 機兵を管理を担当するベルティーナ・ベルトンに帰ってきたことを報告し、来節に予定されている仕事についても触れる。小柄で童顔な担当者はなるほどと頷いてから答えた。


「了解しました。ええと……、関連法規は……、ああ、これの……ここですね。ここに書いています通り、不定期間の留守を予定される場合、あらかじめの申告があれば、最長で一節(八十日)の間は連絡がなくても大丈夫です。ただ、一節を過ぎた段より一旬(二十日)までの間に、なんらかの形で連絡がないと、死亡ないし行方不明認定されます。そうなってしまうと、住居から退去、私有財産は相続者がいない場合、市が取得することになります。連絡漏れがないように、注意してくださいね」


 留意点の説明を受けた後は、節末にまた申請に来ることを告げて辞去。


 そのままエフタでの実家とも呼べる孤児院へと足を向ける。

 孤児院に顔を出すと、世話になった職員たちからいつものように温かく迎えられた。寄付を渡した後は奥へ。院長との穏やかなやりとりや緑溢れる小庭に心和み、賑やかな生活を送る後輩たちの姿から自分が過ごしてきた日々を思い出して感慨にふける。


 昼食の前に辞して、今度は商店街へ。

 顔出しがてらに馴染みの店を回り、生活用品や食品を買って回る。顔見知りの店主たちもいつもと変わらぬ風情。通り一般に流れる世間話に不確かな噂話、下世話な痴話に日頃の不平不満といったモノをあちらこちらで耳にしては、適当な応えを返す。

 良くも悪くも変わらない、日常の世界。厳しい環境に囲まれた、貴重な場所。……であるはずなのだが、実際に触れてみると、どうにもありがたみがない。そのことに、不思議とおかしみを覚えた。


 とにもかくも、クロウは先の一件に一区切りをつけたのだった。



  * * *



 クロウが機兵としての日常的な生活に戻ってより、早くも一旬近くが過ぎた。

 彼が請けた仕事は特に大きな問題が起きることもなく、順調に砂海を行き来する日々が続いている。


 しかしながら、仕事で問題が起きていなかったとしても、使用している乗機……魔導と機械とで成るパンタルは消耗していく。特に可動部、部位と部位とを繋ぎ支える関節部材の整備点検は欠かすことはできない。

 元よりそういった点に気を使っていたクロウであったが、老教官より整備がいつでも受けられるとは限らないとの訓を得ていたことに加え、ギャレーで暮らし始めた同期からも整備士の支援がないと不安が常に付きまとうとの話を聞いたこともあって、休みの前日には必ず整備に出すようになっていた。


 今も懸架に固定されたパンタル改……甲殻装甲を装着したパンタルの前で、点検項目紙(チェックシート)を持つ繋ぎ姿の少女より依頼内容の確認を受けている。


「では、前回と同じように関節部を重点的に点検して、交換の必要があるところは交換しますね」

「ああ、いつも通り、交換するかしないかはティアの判断に任せるよ」

「はい、任されました!」


 エルティアはクロウの信任を受けると、朗らかな笑みで応えた。

 見る者を和ませる愛嬌。眼鏡の奥にある表情は生気に満ちており、先旬までの不調は影も見えない。離れた場所で様子を窺っていた整備主任は苦笑し、クロウと共にやってきていた小人が空中で興味深そうに見つめ、他の整備士達もある者は微笑ましく見守り、ある者は無関心の態ながらも横目でみやり、またある者は悔しいとも羨ましいとも取れそうな顔で工具を操る。


 そういった諸々の反応を引き出した当人であるが、それに気付くことはない。ただただ、ひたむきともいえる眼差しを赤髪の機兵へと向けている。


「後、機体の引き渡しですけど、いつも通り、明日の夕方でいいですか?」

「うん、それでよろしく。……あー、それで機体の受け取りが終わった後だけど、どこかに食べに出る?」


 ミシェルの奴も一緒になるだろうけどと続いた声に、エルティアは嬉しそうに頷く。


「クロウさん達の都合がいいのなら」

「俺としては大歓迎。ティアがいると、ミシェルの奴が妙に大人しくなって助かるんだよ、本当に」

「そうなんですか?」


 エルティアの小首を傾げての疑問。それに頷き、自分なりの推測を述べようとして……、少年は口を閉ざす。彼が口にしようとしたのは二人の身体を比較するものであったことから、さすがにまずいだろうと自重したのだ。そんな推論に代わって出たのは、当たり障りのない言葉。


「まぁ、あいつなりに体面を気にしてるんだろう」

「私としては気軽にお話しできる方ですし、遠慮はしないでほしいと思うんですけど……」

「大丈夫大丈夫。人当たりの良い奴であるのは確かだし、時間が経って慣れてくれば、遠慮もしなくなるさ」

「そう、ですよね」


 クロウの言葉に、エルティアも納得したように頷いて微笑む。それから表情を改めて、じゃあ私は整備に入りますねと続けたのだった。



 整備作業の邪魔にならないよう、クロウがその場から離れると、中空を漂っていたミソラが戻ってきた。うまい具合にクロウの面前で停止するや、意味ありげに笑う。


「なーんかさぁ、あの子とイイ感じじゃない?」

「まぁ、ティアとの付き合いも長いし、一緒に食事くらいは行くさ」

「そーいうのじゃなくて、ほら、男と女の云々の方よ」


 ミソラの言いように、少年は少し困った顔になる。

 クロウは人から好意や悪意を向けられて、それに気づかぬような鈍感ではない。自分に向けられる視線や話をしている時の態度から、エルティアが自分に好意を持って接してくれているのだと気づいている。そう、気付いているのだ。


 だけれども、それが男女の関係云々だと言われても、今一しっくりとこない。


 というのも、まずもって向けられているそれが、男女の情に基づくモノなのか、人としての信頼や友情から来ているのかが、読み切れていないことがある。これは簡単に言えば、経験不足……性知識や惚れた腫れたの伝聞、年長者の恋話を耳にしていても、実体験がほぼないに等しいことから、そういった機微について測りかねているのだ。

 これは異性に興味を持ち始める時期をグランサーとして過ごしたことが影響している。なにしろ技能習得(限定免許取得)の元手となる資金を得る為、朝早く家を出て砂海で発掘作業をし、夕方になったら戻って来て収穫があれば換金して家に帰る、という生活をほぼ毎日繰り返していたのだ。それだけに、異性と関わる機会がほとんどなかった。付け加えれば、そういった行動をとる程に、色恋よりも将来の目標に意識が向いていたということも、経験不足を助長させている。

 また彼当人の感覚としても、エルティアを女として見ている所があるのは認めているが、それ以上に(機体)を預けている整備士に対する信用や信頼、人としての親しみの方が勝っているように感じていることもある。


 故に、クロウは至って真面目な顔で首を捻る。


「どうなんだろう」

「え、あれ? ここはさ、そんなことないっ、って、剥きになって否定する所じゃない?」

「期待に沿えなくて悪いが、冗談抜きに、そういったことは今一わからないとしか言いようがなくてなぁ」

「あらら、意外な答え。……クロウ君、初恋はお済みですか?」

「あー、初恋? 初恋かぁ、うー、多分、してる、とは思う」


 故郷にいた年上の女の子か、それとも孤児院の先生か、たまに顔を出してくれたお姉さんかと、少年が年相応の顔でぶつぶつ言うのを見て、ミソラは面白そうに笑う。

 彼女としては、彼との気の抜けたやりとりや減らず口の応酬も好きであるし、真剣な眼差しや精悍な顔つきも頼もしくなったと感じているのだが、たまには、こういった年齢に見合った側面も見たいと思っていたりするのだ。


「なら初恋は終わってるって考えて……、ちゃんと終わらせているわよね? 拗らせてないわよね?」

「拗らせるってなんだよ」

「いやほら、死んだ初恋の子と結婚の約束をしてたとか、結婚したお姉さんに横恋慕して引きずっているとか」

「なぁ、お前の中の俺は、いったいどういう奴なんだ?」

「捻くれ者の純情坊や」

「……それは、俺の柄じゃないな」


 と首を振っての切り捨て。声は呆れの色が強い。その調子のまま、クロウはミソラに問う。


「そんなことよりも、今日の用事はなんなんだ? 家で帰りを待ってでもする話なのか?」

「家に行ったのはミシェルの方の用事よ」

「治療の話か」

「ええ、どう治療するか、なかなか決断ができないみたいだから、ありのままに偽りなく説明してたの。シャノンちゃんを残してきたのは、それ絡みよ」


 小人はこればかりは当人がどうしたいかっていう気持ちだからねと付け加えてから、尚も言った。


「腕を開いて治療するにしても、腕を切って義手にするにしても、良い点悪い点、両方あるもの。簡単に決められるもんじゃないでしょうね」

「……だろうな」

「まま、治療費はクロウから貰ってるし、どっちでもやれるから安心してちょうだいな」

「そこは信用してるさ」


 クロウは口元を緩めて、宙に浮かぶミソラを見る。

 頼りがいのある往代の魔術師。彼女との出会い程、自らの生き方に多大な影響を及ぼしたことはないと、彼は認めざるをえない。

 特に旧文明期より一人残された身の上は自身の生い立ちに重なるモノがあって、同情や親しみ、似た境遇の仲間といった意識が強く、彼が小人に向ける感情は、自分の身内だと明言できる程に育っていた。


 こいつがいなかったら、俺は今頃どうしていたかな等と考えながら、少年は口を開く。


「ミシェルの件はわかった。で、肝心な、俺への用件は?」

「次の次の休みあたりから、魔導銃とか魔導艇とかの試験をしたいから手伝いをよろしく!」

「……なぁ、前に言ってた、ゆっくり休めとはいったいなんだったのか」


 クロウに半目を向けられて、ミソラは目を逸らした。しかし、それでも小人は口を動かしての自己弁護。


「いや、真面目な話ね、やっぱり机上の理論だけっていうか、駆動実験とかだけで終わるのは危ないっていうか、ちゃんと試用していみないと安心できないっていうか、ね。魔導艇は基本的な構造に変化はないけど、定速で航行できるように固定できる仕組みとかを付け加えたから、どーしても実地試験しないと信頼できないし、魔導銃もちゃんと機能するか実物に合わせないと意味ないし、通信機はまだできてないけど、ほら、ね。やっぱり使用する側の直接的な意見がっていうか! ぜーんぶ! クロウの安全を少しでも確保する為にするんでしょうがっ! 文句言わずに、きりきり手伝いなさいよっ!」

「はいはい、わかってるって。俺もあやふやなモノに命を預けたくないからな。よろこんで手伝わせてもらいますよ」

「うわっ、なげやりっ。ちゃんとお給金出すのにっ」

「はは、すまんな。たまにはこう、おねーさんにあまえたいきぶんになったんでな」


 抑揚のない平坦な声。だが、その発言に乗るように、ミソラは切り返す。


「なら、おねーさんにあまえるついでに、ちょっとほんねはきなさいよ」

「なんの?」

「ティアちゃんのことよ。実際、どーなのよ」


 そう言われて、クロウは後ろを振り返る。

 エルティアは早くも右腕の肘間接部の覆いを取り外し、真剣な顔で内部を覗き込んでいた。

 そんな彼女の薄褐色の肌にしっとりとした汗が照る。眼鏡の奥にある瞳は普段の優しいモノとは違って鋭く、太い眉根も硬く固定されている。そして、その立ち姿……繋ぎに浮かぶ線は一言で表せば、豊満。胸と尻の膨らみが腰の工具帯革(ベルト)が生み出す括れと相まって、女性らしさを際立たせている。


「好みだと、思う」

「あら、思ってたよりもはっきりした答えね」

「そりゃ嘘つくのも変な話だし」

「なら、ムラッと来たりとかは!」


 唐突に勢い込むミソラ。その勢いに押され、クロウは身体を仰け反らせた。


「しょ、正直に言うと、することもある」

「ならなら、そういう時ってさ、ちゃんと処理とかしてる?」

「処理って……、お前なぁ」

「いいからいいから、おねーさん、まえからちょーっときになってるのよ」


 下の話に突っ込んできた小人の顔は元の整った形や理知的な表情が見る影もない。ただただ、ニヤけていて、いやらしい。


 時々、本当に女なのかって思う程にオヤジくさくなるな、こいつ。


 なんてことを思いながらも、少年は誤魔化さずに答える。


「そういう時は、鍛錬とかで身体を動かしてる」

「あらら、そーなんだ。まじめねー」

「……なんでそんなにがっかりしてるんだよ」

「いや、生々しい男の子の告白を直で聞いてみたかったなぁって」

「そんな理由で突っ込んでくるなよ」

「じゃあ、真面目な話。ミシェルを抱いたりとかはしないの?」


 先とは打って変わっての、鋭い眼差し。

 クロウは小人の視線に戸惑いを覚えながらも短く返す。


「しない」

「どうして? あっちはすっごく乗り気なんでしょ?」

「あっちが乗り気でもな、最初が最初だったからか、なんとなくそういう気になれないんだよ」

「嫌いって訳じゃないんでしょ」

「嫌いなら居候として受け入れてないよ」


 と応じつつも、クロウは困り顔。そこに戸惑いや迷いの色が含まれていても、厭わしさや煩わしさといった観はない。


 ミソラは少年の表情に複雑な心境を見て取って、笑った。


「いつでも歓迎って女が一緒にいるのに、クロウって、意外と繊細よねぇ」

「男ってのはな、女が思ってるよりも繊細なんだよ。……誰かさんみたいなのと違ってな」

「あらら、誰かさんってだれのことかしらねー」

「さぁ、だれのことだろうなー」


 うふふあははと二人して空笑い。

 しかし、それそもすぐに終わり、再びミソラが問いを放つ。


「ついでに聞くけど、次の仕事、一人で行くって言ったのって、ミシェルの怪我が原因?」


 クロウはより深く切り込んできた小人より目を逸らす。

 そのまま口を閉ざして一分二分と時を待ち、小人が痺れを切らすのを待つ。だが、小人はじっと返事を待ち続けた。また一分二分と過ぎる。金色の瞳で、じっと見つめてくる。更に一分。引かぬ相手に少年は根負け、どこを見るともなしに彷徨わせていた視線を戻した。


「怪我はあいつの責任じゃないさ」

「そんなのはわかってるわよ。って、話を逸らそうとしない」

「はいはい。……まぁ、現実的な理由もあるけど、一番底にあるのは、人を連れて行くのが怖くなったから、だろうな」


 どこか突き放すように言った少年の顔は、消沈のそれに近いものであった。

 それを自覚しているのか、彼は口端を吊り上げる。普段とは比べもに何らない程に、出来損ないの微笑み。不格好な顔であったが、ミソラは笑わなかった。告白は続く。


「今更な話だけど、人の命を背負うってことが、重いと思ったんだよ」

「んー、でもさ、クロウ、今も似たような仕事をしてるじゃない」


 少年は表情をそのままに頷き、それから首を振って答えた。


「同じ命でも、感じる重さには、差があるさ」

「あらら、ぶっちゃけたわね。いーの? 人類の盾である機兵がそんなこと言って」

「おねーさんにだからこそ言えるんだよ」


 クロウはほぅと溜息をついて、自らの内にある思いを声に乗せる。


「変な話かもしれないけど、いつの間にか、ミシェルを身内と思ってたみたいだ」

「そりゃ食住を一緒にして、あれだけ遠慮なくやりあってたらねぇ」

「はは、そうだな。……本当に今更だけど、他の人よりも重くなってた」


 あれだけ邪険にしてたのになと告げた顔は、後悔を抱きつつも可笑しいといった風情。


 ミソラは納得したように頷く。


「うん、クロウの気持ちはわかる気がするわ。命を預かる重みって所も、命にも重さに違いがあるって所も。親しい人を危ない所に置きたくないって、命の危険にさらしたくないって気持ちなんて所は、特にね」


 しかし、次の瞬間には表情を厳しいモノに改めた。


「だからこそ言うわ。クロウが感じたことは、誰もが思うことよ。あなたが誰かにそう思うように、クロウに対しても、そう思っている人がいるってことを忘れちゃダメ」

「それは……」

「この辺は、クロウの生まれ育ちが影響してるんでしょうね。肉親を亡くして、そういったことを……、まぁ、頭では理解していていたんだろうけど、今回の件が起きるまで実感できていなかったか、あるいは、今回の件で忘れていたことを思い出したって所かな」


 自覚していなかった所を突かれ、クロウの取り繕っていた顔が歪む。しかし、彼の身内を自任する小人は容赦しない。


「後、この際だから言っておくけど、親しい人を危地に置けるだけの度胸や覚悟がないなら、開拓地を拓くなんて無理無謀の話。見て聞いてきたんでしょ、開拓地の現実を」

「ああ」

「だったらわかるでしょ。今のままじゃ絵空事、遥か彼方の届かない夢でしかないわ」

「……はは、厳しいな、おねーさんは」

「そりゃ、甘いだけじゃダメだもの」


 鼻孔を大きく膨らませ、荒く噴気。

 そうして自らの内に溜まった熱を放出すると、普段の顔に戻す。


「ま、こういった話は心の片隅にでも引っ掛けておいてくれたら、それでいいわ。それよりも同行者の件だけど、本当に、誰か心当たりはないの?」

「いくらなんでも、ここからペラド・ソラールまで、しかも新航路の開拓に耐えられそうな知り合いは……、みんな仕事持ちだな」

「そっか。うーん、クロウが信を置けて、能力もあるってことになると、なにがしかの責を負ってるだろうし、仕方ないのかなぁ」


 ミソラは顔を渋めて、残念な心情を素直に顔に出す。そして、表情を変えぬままに訊ねた。


「ちなみに、クロウが思い浮かんだ心当たりって?」

「おまえと、ミシェル。後は教習所で同期だった面子や教官たち」

「ほうほう、選んだ理由は?」

「ミソラは俺を助けて支えられるだけの力もあるし、何があっても大丈夫だって信じられる。ミシェルはなし崩しだったけど、死線を一緒に超えたこともあるし、あれで結構しっかりしてるのを自分の目で見て知ってる。後の同期は教練で一緒に苦労を分かち合ったし、初陣で背中を預けたこともある。教官達は能力胆力共に俺以上だから、その段階で申し分なし」


 とまで言ってから、クロウは諦め顔で首を振る。


「けど、ミソラは仕事、ミシェルも……治療があるし、所属先との関係もある。他の同期もそれぞれ抱えてるモノがあるし、教官達も仕事。そんな訳で、俺が当てにできそうな人は全滅。これが現実的な理由って奴さ」

「はぁ。やっぱり信があって頼りにできる人なんて、そうそう落ちてる訳ないわよねぇ」


 ミソラがため息交じりにぼやく。

 一方のクロウであるが、同期のことを口にしたことであることを思い出していた。


「ああ、そうそう。ミソラ」

「なに?」

「遭難した時に世話になった人達なんだけど、魔導艇や魔導銃を見て、マグナ・テクタの製品に興味を持ったみたいでな、もっと情報が欲しいって言ってた」


 クロウの話に、ミソラは幾度か瞬き。けれど、次の瞬間には面白そうに笑みを浮かべた。


「嬉しい話じゃないの。ちなみに、興味を持ったのは開拓地の方? それとも旅団の方?」

「どっちも。けど、開拓地の方がこれは欲しいって、何度も言ってたな」

「そっかそっか。うーん、うちの販売戦略としては、最初は旅団や各地の市軍を狙い所に、って考えているんだけど……、開拓地に住んでる人が興味を持つなら、需要を掘り起こすってのもいいわねぇ。……そうね、生産の目途がついたら商品目録(カタログ)や案内状を作って、方々に送ってみようかしら」


 腕を組み、いやでもとぶつぶつ呟き始めた小人。

 クロウはミソラの興味が別に移ったとみて、ふっと息を抜く。だが直後に小人から言われた苦言を思い出し、難しそうな顔で頭を掻いた。



  * * *



 暦は止まることなく、時を重ね続ける。

 クロウは日々の仕事をこなしつつ、新航路の開拓遠征へ向けて、体力の錬成や知識の蓄積、航行計画の策定、整備技能の習得にマグナ・テクタの開発品の試験と忙しく過ごしている。

 もっとも、心身を休めつつという制限付きということもあって、無理をおしてまではしていない。体力の錬成は常日頃の鍛錬と変わらないし、知識の蓄積にしても航法関連や魔導機関に関連することのみ。

 遠征の航行計画の策定については、依頼元から届けられた地図……該当地域の旧文明期の地図及びそれを基にした数枚の白紙図を眺め、時に線を引くといったことをする。

 とはいえ、断罪の天焔による極大の破壊を経ていることから、まったく同じという保証はない。無論、それがないよりもマシなのは確かであるが、地図にある通りに、また計画の通りにいくとは思えず、参考に見ておくことしかできない。まさに気休めだ。

 また整備技能の修練にしても、魔導艇に載っている魔導機関を借りて触っている位で、本格的に取り組んでいるとはいえない。精々が機関機構への理解を深め、簡単な日常整備法を覚える程度である。


 一方、遠征で必要とされる品を準備するマグナ・テクタであるが、こちらも特に問題もなく開発が進んでいる。特に第二旬の半ばを過ぎる頃には、幾度かの試験を経たこともあって、急速に形になりつつあった。


 その彼らが開発しているのは、三点。


 一つは、ロット・バゼルが担当する魔導艇。

 遠征で使用するべく開発される舟艇は、試製一三改型。

 これは先の一件で使用された試製一三型を基に、小規模な改修を施したことから名付けられた。本来ならば、試製一四型と命名されるのが普通であろうが、一三改型の開発終了後、船体形状の再設計を含めた大規模改修を行う予定からこうなったのだ。

 そういった訳で、なんとも中途半端な感がある試製一三改型であるが、先の一三型との違いはそれなりにある。

 変更点を列挙すれば、長距離の航行をより楽にする為の巡航速度維持装置の組み込み、回転羽根(プロペラブレード)の保護枠取り付け、底部収納部の新規設置、後部側面収納部の容量増加、魔力枯渇や艇体破損といった緊急時への備え……、光熱式魔力生成器に組み立て式帆走具、予備回転羽根と必要工具類の積載といった所である。


 次に、ミソラが担当する魔導銃の追加装備。

 今現在の所、クロウの魔導銃にだけ適応する特殊な装備品で、魔術を撃ち出す為の魔術弾倉(カートリッジ)である。

 この魔術弾倉であるが、見目は小さな板状のモノで、魔導銃銃身部下にある隙間(スロット)に差し込むことで効力を発揮し、撃ち出される弾種が切り替わる仕組みだ。

 そして、これの弾種として、小人が選んで用意したのは二つ。一つが爆発と衝撃で辺り一面を制圧できる爆裂の魔術。もう一つが瞬時に弾着箇所を凍てつかせる凍結の魔術だ。


 これらを引き渡す際、ミソラは笑みの欠片もない至極真面目な顔で、クロウに対して厳重に注意する。


「魔術弾を使う時は、基本、単射! 爆裂弾は射程を倍の四百にまで頑張って伸ばしたけど、絶対にっ、相手との距離がない所で使っちゃダメだからね! じゃないと、間違いなく、もろとも吹き飛ぶから! 使う時は余裕をもって、最低でも二百リュートは距離は置くことっ! 後、凍結弾は、自分に当たったら惨たらしく苦しんで死ぬことになるから、扱いには十分にっ、注意すること!」


 冗談の色がまったくない混じり気なしの警告に、クロウの肝が冷えたのは言うまでもない。

 これに付け加えておくならば、試射試験の段で爆裂弾の風圧にひっくり返り、凍結弾の息が凍りそうな冷気にくしゃみをしている。


 そして開発品最後の一つは、ミソラとシャノン、ガルド・カーンが主に関わった魔導式通信装置。

 この通信機は魔力の契約を応用して作られたモノで、集音や拡声、蓄音、送受に関わる魔術式を刻んだ二枚の魔刻板。これらを契約によって結び、その魔力の繋がりを介して、送受話用の端末で得た音声をやりとりする仕組みである。

 このことからもわかるように、この通信装置の肝は魔力の契約で結ばれた二枚一組の魔刻板である。魔刻板の大きさ次第が影響するが、送受話に係る端末や魔刻板、魔蓄器を収める本体については、用途にあう形状を自由に選択できるのだ。


 いくつかあった選択肢の中で、ミソラが選んだのは装着式。首後ろに魔力源や魔刻板等を収めた装置本体を固定し、耳と口元に送受話用の端末を伸ばした代物であった。

 小人が装着式を選んだ理由は、先の遭難が大きく関わっている。たとえ魔導艇が壊れたとしても本人が無事であるならば、連絡が取れるようにと考えた末の結論なのだ。


 もっとも携帯できる利便性と引き換えに魔力容量は少なく、稼働時間は短い。連続で使用した場合は、四半日(九時間)も持たない。

 この点を解決する方策として、定期及び緊急時以外の無駄な通信をしないという運用規則が設けられた。また予備の魔蓄器を用意することにもなったが、こちらは交換する手間もあれば、携行できる数にも限りがあった。

 そうした点を解決する目的もあり、魔力容量に余裕がある魔導艇への組み込みも考えられた。が、時間の制約と手間の関係上、一四型の再設計での取り込みとされたのだ。


 これらの品は一日また一日と開発が積み重ねられ、実機の作成もまた進んでいくことで、遠征に向けての準備が整えられていった。



  * * *



 第三旬最後の休日。

 クロウの家に思わぬ来客が訪ねてきた。


「急にすまないな」

「休んでるところを悪い」


 詫びの言葉を口にするのは、鍛えられた身体の男二人。少年も知らぬ相手ではない。

 一人は実直そうな大柄の青年、ヴィンス・バッツ。彫の深い顔は見た目に落ち着きを与えている。もう一人は向こう意気が強そうな顔立ちの若者、バレット・ロウ。眉間や目元に険が刻みこまれており、少しばかり当たりがきつそうに見えた。


 そんな彼らとクロウとの関係は、親しいとは言えないが、知り合いだと呼べるといったモノ。


 それ故に二人の来訪に驚きこそしたが、特に忌避する理由もない為、クロウは自然体で答えた。


「今日は家で休む予定でしたから、別に構わないです。それより、マッコールさんから聞いていましたけど、無事に機兵になれたんですね」

「ああ、なんとか二人揃って、免許を取ることができた」

「殺されるかって思う程に、ひでぇ目にあったけどなぁ」


 大柄の青年がまず応じ、気の強そうな若者が続く。

 それから二人はそれぞれが苦笑いの態で、口々に、中々の勢いで話し出す。


「本当に、ラティアと初めて対峙した時は、緊張と恐怖で頭がどうにかなりそうだった」

「俺だって訓練したんだからできらぁ、なんて考えてたけどよぉ、いざその目の前に蟲がいると、なんもかんもが吹っ飛ぶモンなんだな」

「まったくだ。しかもエフタから離れた場所での試験だったからな、ここから生きて帰れるのかと、不安ばかりが膨らんだ」

「あれは勘弁してほしかったよなぁ。エフタの近くでうろつく奴が減ったからってよ、砂海のど真ん中に放り出されて試験するなんて思ってもなかったわ」

「パンタルに乗るまでの教練も、朝から晩まで身体が動かなくなるまで動き詰め。……いや、あれにちゃんと意味があるのはわかっているんだが、それでもグランサーをしていた時とは違った苦しみだった」

「俺はどっちかつーと、そっちより座学で頭を働かせるのが辛かったなぁ」

「ロウ。そんなこと言って居眠りするから、レイリーク教官に教本の角を落とされるんだ」

「仕方ねぇだろ、眠いモンは眠ぃんだからよ」


 反省する色を見せず、むしろ悪態をつくロウに、バッツは呆れ顔。

 聞き手に回ったクロウも自らも経験してきたこともあって、彼らの気持ちがよくわかり、次から次に出てくる言葉に、ただただ苦笑する。けれども、このままでは来訪の目的がわからないと考えて、口を挟んだ。


「確かに、これでもかってくらいに心身をぎりぎりまで絞ってきますからね、教官達は。……ところで、今日はいったい?」

「ん、ああ、悪い悪い。つい愚痴っちまった」


 そう言って頭を一掻きすると、ロウは表情を甘えのない顔に改めて言った。


「あんたにゃ、こうして機兵になる為の元手を稼がせてもらったからな。まず、その礼を言いたかった。……ありがとうよ」

「いえ、あの時の発掘で手伝ってもらいましたし、元々がたまたまな話ですよ」

「いや手伝いっつってもよ……」


 ロウの言葉を遮るように、赤髪の少年は微笑んで首を振る。

 その顔から何を見て取ったのか、ロウもそれ以上はなにも言わず、常のふてぶてしい顔で笑った。


「なら俺達ができそうなことで、なにか返すさ。俺もこいつもな」

「ああ、そうさせてもらおう」


 バッツもまた同意して頷き、続けた。


「たまたま、俺達もここの長屋の、そっち()の棟に住むことになった。これも誼だ。なにかあったら、一声かけてくれ」

「ええ、なにかあったら声をかけさせてもらいます。……ところで、ここに決めた理由って、やっぱり優遇措置ですか?」

「それもあるにはあるんだが……、しっかりとした拠点が欲しいと思ってな」


 大柄の青年が口にした拠点という言葉。

 クロウはそれに含まれた意味合いがわからず、首を傾げた。それを見て取ったロウが仲間に代わって話し出す。


「俺達っていうか、商会に所属してる、親なしグランサーで互助組織を作っててな。俺達の家を、そいつの拠点と兼ねようって考えたのさ」

「組織の拠点、か」


 クロウの呟きに、またバッツが応じる。


「ああ、俺達が機兵になったのも、砂海で作業する仲間を守りたいということが一番の理由だ。だからこそ、俺達が機兵になったのを機に、組織をもっと本格的にしたいと考えている」

「とは言ってもよ、俺達も食っていかないといけねぇし、組織をうまく軌道に乗せられるかわからねぇ。実際、仲間の護衛だけ稼ぐってのは難しいだろうからな」

「その辺りをこれからどうするか、決めようと考えているんだが……」


 と、大柄の青年は動かしていた舌を止め、クロウを見つめる。

 思い定めた者が持つ、真っ直ぐな視線。グランサー時代よりもより強く、芯があった。


「先に機兵になった立場として、その経験と知恵を貸してほしい」

「それは構いませんけど、俺もまだまだ若輩ですし、そんなに役に立てないと思いますよ?」

「構わねぇよ。身内だけで頭付き合わせてても、出てくる考えは似たようになっちまうからな。他の目線での意見が欲しいって訳さ」


 このロウの発言を受け、それならばとクロウは腰を据えて頭を回し始めた。



 場所を忘れたように、出入り口で話し込む男達。

 その様子を、居候の女はなんとなしに眺めている。

 開け放った二階の窓。その枠に両肘をつき、ぼうと風情で。鋭い聴覚が拾い上げる声を聞き流しながら、覇気のない顔でただ眺めている。

 これまでの常ならば、クロウ達に一声かけて場を掻きまわしそうなモノであるが、そういったことをする気配もない。ただただ、力のない目でぼうと全てを眺めている。


 今、彼女の内にあるのは、寄る辺なく揺蕩う悔しさと汚泥のように底溜まった無力感。


 それらの源は、大きな怪我をしてしまったこと。怪我が作り出した制限から来ている。


 つくづく、怪我をしてしまったのが、いたい。


 亜麻色髪の女は胸の内で独語して、右腕に目を向ける。


 そこにはあるべきものが……、手首手前より先がなかった。


 今より五日前……先の休日に、外科手術と魔術の併用による神経の結合を試みたのだが、手首より先で壊死が発生していることが判明し、治療が成らなかったのだ。

 これを受けて、その場で治療方針は次善案……義手を用意して装着する案へと転換。結果、ミソラの魔術によって、痛みや損傷を極力与えることなく、右手及び手首部が落とされることになった。


 ミシェルは失われた箇所をじっと見つめる。

 不思議なもので、手指があった頃は失っていた感覚が、なくなった後はそこに存在するかのように感じるようになっている。そのことがなんとももどかしく、腹立たしい。


 だが、その腹立ちも今さら無益だと、溜息を一つ。ついで、そろそろ前向きにならないと、と自らを叱咤する。


 彼女からすれば、あの遭難を経て、今も生きていられるだけでもありがたい話である。

 否、そもそもの話、元々が身体を使って対象を篭絡し、時に虚言や脅し、罠の類でもって情報を抜き取る任に当たっていたのだ。相手の情や心を弄ぶだけに、恨まれるには充分であったし、事が色情や色恋に関わることだけに、知らずに誰かの恨みを買うようなこともあっただろう。故に、碌な死に方をしないだろうと思っていたのだ。それを思えば、身体の一部を失った程度で、今の立場に不満など生まれるはずもない。


 とはいえ、不満はなくとも身体の一部を失ったことを残念に思う気持ちはある。生まれた時より苦楽を共にしてきた自らの一部なのだから、相応に愛着もあろうもの。義手形状の基にすると、ミソラが持って行った時などは、柄にもなく感傷に浸ったりもした。


 だが、それ以上の感慨はない。

 女にとってみれば、右手部位の損失で命が残ったのなら、しかも使える義手が手に入ることを考えれば、十分に採算は取れる話なのだ。


 それよりも彼女を落ち込ませたのは、どう足掻いてもクロウの遠征に同行できないという事実だ。


 女は虚ろな目で幾度も考えたことをまた考える。


 もし仮に、怪我をしていなかったら、なんとしてでもついて行けるようにしただろう。

 表向きの任があったとしても、本来の任がクロウの護衛であることを考えれば、色々と理由を付けて、そう、それこそお頭と示し合わせて、代わりの護衛が見つかった等と理由を付けて、同行する流れに持っていけたはずだ。


 けど、今の状態では、無理だ。


 今の右手が使えない状態でついていっても、先にあるだろう苦難を考えれば、足手まといにしかならない。だったら、義手が完成すればとなるけど、現状は設計にも入れていない。後一旬という制限で、完成なんてとても無理だろう。

 既存のモノを手に入れてと考えもしたが、そもそも数がない上に、手の役割を果たせる代物じゃない。握るという動作もできないのだから、満足にしがみつくこともできない。足を引っ張るだけになるし、下手をしたら逆にクロウを危険な状況に落としかねない。

 後の考えられる手は、義手の完成を待って追いかけるということ。でも、これもできあがるのがいつになるのかわからないから計画も立てられない。いや、計画を立てられたとしても、クロウが行くのは未開の地であるから、合流もままならない。


 どうやっても間に合わないし、クロウと一緒にゆくことはできない。


 ミシェルはいつもの結論に至って、項垂れる。


 自らの命を委ねて良いと思える男が、一緒に死んでもいいと思えた相手が、自分ではもうどうしようもない状況に、自分の手が届かない場所に行ってしまう。

 この覆しようのない現実こそが、女に今まで感じたことがない無力感を……、それこそ心身を蝕み、今の不調の域に落ちる程に抱かせたのだ。


 今もまだ重く溜まったままのそれに負け、なけなしの意気が萎える。自然、上体を支える力を失い、女の頭が組んだ腕の上に落ちた。

 倦怠で虚ろになった顔を隠すように埋め、瞳を閉ざす。途端にぶり返す無力感。気力や意気といったモノが空疎に沈む。自らを支えるモノが呑み込まれたような、不安定な感覚に眉根を顰める。


 その時、ミシェルが思い出したのは、昨日の記憶。


 彼女が属する組織より呼び出しを受けて、拠点に赴いた際、頭領から教えられたこと。


「先日、エンフリード殿から、差支えがないならば、このままあなたを置いてほしいとの申し出がありました。あなたならば、信頼も信用もできるから、ミソラ殿の警護を頼める。あなたがいてくれるから、安心して遠征に行けるとも。……ええ、そうです。交代をする必要はないということです。元より人員も足りていません。とはいえ、怪我をしたこともありますから、もし、あなたが否と……、聞くまでもないようですね」


 話を聞かされた時、ミシェルの内には、どうせなら面と向かって言って欲しかったという思いがあった。

 けれど、それ以上に、それこそ彼女が自分で思っていた以上に、喜びが、歓喜が、あった。また同時に相反する気持ちが、現状に対応できぬ自身の状態への憎悪が沸き起こりもした。


 その時に抱いた感情、その残滓の助力を得て、女は顔を埋めていた顔をのろのろと上げる。

 窓より見えるのは薄暗い格納庫。その向こうにある光差す場所、玄関付近のクロウ達はまだ話をしている。手前に見える広めの空間に、パンタルの姿はない。常の如く、整備に預けているのだ。


 その連なりで、クロウが信を置いている女整備士のことが頭に浮かんだ。


 ミシェルは思う。

 ここ最近、休日の度に夕食を共にしてわかったが、性格は控えめで穏当、立ち居振る舞いも落ち着いている。私に対しても相応に気遣いをしてくれるし、天然なようでしっかりしている。うん、間違いなく、イイ子だ。

 クロウのこともちゃんと意識して、グイグイとまではいってないけど、積極的に関わろうとしてる。特にあの真っ直ぐな目が……、見ていて気恥ずかしくなってくるというか、我が身が浄化されてしまうというか、気づいたら毒気が抜かれてしまって、減らず口も叩けない。


 ただし、あの胸は敵である。あれ、結構な大きさなのに崩れてないって、反則でしょ。

 というか、アレの半分でもあれば、クロウなんぞいちころだったのに……、くそぅくそぅ。


 思考が変な方向にずれたことが影響したのか、連想でもう一人の女……金髪の魔導士のことも浮かんできた。


 ミシェルはまた思う。

 義手の製作を担当するってことで、ほぼ毎日といっていい程に顔を会わせてるけど、理知的で生真面目な印象が強い。帝国の良い所の出みたいだけど、私の怪我にも同情しているって感じがするし、きっと悪い子じゃないんだろう。

 それに、あの子も間違いなくクロウに懸想してる。……けど、ダメね、あの様子じゃ。クロウに近づこうと思う意思はあっても、一歩踏み出せないっていうか、自分が傷つくことを怖がってる感じ。クロウの意識は自分の夢に向いてるから、今のままじゃ進展なんて期待できないでしょうね。


 まぁ、けど、あの子は仲間だ。同じ悩みを抱く、うん、仲間。


 と、少々バカなことを考えていると、その魔導士と先日交わした会話の中で、印象に残っていた言葉が脳裏をよぎる。


「僕には、ついていくこともできないところで……、クロウ君の近くにいて、助けることができる、あなたが羨ましいです」


 そう告げた相手の顔には、確かな羨望があった。


 女密偵はふっと口元を歪める。


 それはこちらにも言えること。

 口には出さなかったが、あの時、確かにそう思ったことを覚えている。


 純粋に好いた男と触れ合い、心を得ることを望みながらも、相手を恐れ、自らが傷つくことを恐れる。その在り方は、まさに乙女と呼べる姿だ。そして、それは私には経験できなかったこと。恋を知る前に男を知り、性の快楽を知った自分には、相手に惚れて云々、膜の一枚でぎゃあぎゃあ言う段階なんて、体験したくてもできないことだ。


 いや、今の自分が嫌になったという訳ではないし、この身体が汚れているなんてことも思わない。そもそも、覚えた性の歓びを否定する気もない。気持ちいいし、クロウに対する優位点でもあるし。

 けど、たまには、どうしてもっと早く巡り合わせてくれなかったのだと、叫びたい時もある。他の誰かの事情を知った時に、理不尽だと吐き捨てたいこともある。


 そこまで考えた所で、ミシェルはふっと息を抜く様に笑った。


 まだ陰りはあるが、普段のそれに近い、明け透けな笑み。それから、なにかに得心したように頷いて、呟く。


「結局は、みーんな、ないものねだり、なのかなぁ」


 笑ったことで、意識が切り替わったのか、ミシェルの両の目は光を取り戻していく。


 できないことは、できない。


 どうしようもないことは、どうのしようもない。


 でもだからって、いつまでもこのままじゃいられない。


 拗ねても、泣いても、落ち込んでも、怒っても、逃げ出しても、過去は変わらないのだ。


 変えようがないのなら、その過去を糧にして、もっと今を大事にして、先を夢見て生きた方がいい。


 それに、私は後を任せられたのだから、もうこれ以上、クロウが不安を残してしまうような姿は見せられない。


 そう自らにそう言い聞かせて、亜麻色髪の女は反抗する身体に力を込め、今度こそ腰を上げた。急な動作に少しふらついたが、しっかりと自らの足で立ち上がる。


 その胸にはまだ淀みは残っている。だがそれでも、ミシェルは歩き出した。


 とりあえずは、いつもの調子を取り戻す為にも、クロウ達を一つからかってみようかと微笑みながら。

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