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魔導黎明記  作者: 綺羅鷺肇
10 尖兵は迷い霧を払う
84/96

二 なにが為の行い

「随分と、面白いことをしてるな」


 通信機から低く重い響きが空電雑音(ノイズ)と共に聞こえてくる。

 場所は組合連合会の本部。その一画にある通信室にて、セレス・シュタールは懐かしい声にやんわりと応えた。


「と、いいますと?」

「魔導艇を使った、エル・レラへの偵察。俺がまだ若かったら、志願してでもやりたい案件だ」


 青髪の麗人は通信の相手……エル・ダルークに在する北部域統括長の言葉に、なぜ知っているのかと疑問に思う。というのも、先の偵察は旅団内でも関係部署を除いては公にされていない為である。自然、本部内の情報漏れを疑うこととなり、組合幹部の口唇からは冷めた声音が抜け出ていく。


「どちらでそれを?」

「おいおい、怖い声を出すな。情報を抜いたりなんぞしとらんし、できる人手もない。……お前が送り込んだ若いのが、今日、うちに顔を出したんだよ」


 耳にした内容にまず驚き、瞬きする間もなく問いが口より出る。


「なぜ、そちらに?」

「移動中、大長蟲(タンセルヴェス)の巣に入り込んで、舟をやられたそうだ」

「船を……」

「ああ、本人に聞くところによると、遭難したのはエル・レラの北西、大凡百アルト程。そこから最寄りの人類生存拠点を目指すことにした結果として」

「エル・ダルークに辿り着いたと?」

「らしい。念のため、同行者からも聞いた。後、乗っていた舟も見た」


 後になるにつれ、楽し気な調子。

 それが気にかかり、セレスは更なる情報を引き出すべく訊ねた。


「船は壊れたと言われていましたが?」

「確かに言った。肝心な推進器と舵がやられていた」

「……では、どうやって? 彼の人に修理をできるだけの知識や技術はないと記憶していますし、補修品もないはずです」

「そう、おまえの言う通り、若いのに魔導機関を扱える腕はないな。だが、どうにか問題を解決しようとする意志と、日々培ってきた頭はしっかりと働いたようだ」


 今一答えが見えず、麗人の顔に困惑が滲む。

 それが見えている訳でもないだろうに、通信機の向こうにいる相手は声に笑いを含ませた。


「おいおい。現場に出ていないとはいえ、お前もあいつの娘だろうが。もう少し船に興味を持て」

「何分、船は父を連れていってしまう仇でしたので」

「……ちょっと前より、少し柔らかくなったか?」


 今度は嬉しそうな色。

 父の友垣であり、戦友でもある見知った小父のそれに、セレスは気恥ずかしさを感じて、視線を通信機から外す。それから、少し熱くなった頭を回して、該当しそうな答えを口にする。


「行き会った船に拾ってもらう……のは、場所柄を考えて、現実的ではありません。今も船と共にあることを考えれば、なんらかの方法で船を動かしたことになる。……砂海で動力として使えるモノと言えば、人の足か、風。そこに時間や距離を考慮すれば、風になります。……ならば、帆をしつらえた」

「正解。さすがだな」


 賞賛の声に、セレスは苦笑して首を振る。

 けれど、次の瞬間には肝心なことを聞いていないと思い至り、表情を引き締めた。


「二人に怪我などは?」

「若いのは手傷だけで済んだようだが、同行者が左足と右腕を骨折……重傷だ」

「命にかかわりますか?」

「そこまではいかんとの見立てだが……、腕は神経をやられている。このまま動かんなら、な」


 言わんとすることを読み取り、麗人の表情に沈鬱の色が浮かぶ。


「手の者です」

「……そうか」


 数秒の沈黙。

 それを破ったのは、距離を隔てた小父であった。


「今更、下手な慰めはせん。上に立つ者の責務として、命を差配する者の義務として、耐えろ」


 再び重い響きが伝わってくる。それは同じく上に立つ者として叱咤であり、似た経験を重ねてきた先達からの労りでもあった。


 重い声は続く。


「ああ、それと、若いのから伝言を頼まれた。エル・レラの写真は撮れた。報告が遅れて申し訳ない、だそうだ」

「……律儀なことです」

「そういう性分なんだろう。後は、知り合いに生きているとの連絡をして欲しいというものと、ミソラなる者に魔術による怪我の治療を考えておいて欲しいということも言っていた」

「了解しました。両方ともに連絡を入れておきます」

「頼む。ああ、それと若いのらをそっちに帰す手配はこっちでするが、いいな?」

「お願いします」


 麗人の返答に、ふっと息を抜く音。

 次に聞こえてきたのは、先程まで話していた人物とは同じとは思えぬ程に、力の抜けた声だった。


「さて、硬い話はここまでだ。そっちはどうだ、元気にしているか?」


 彼女が古くから記憶する、気安く砕けた調子。セレスもつられて微笑む。


「私も兄も変わらず、です。ただ良い話としては、兄のいい人が懐妊を」

「お、おおっ、そうか! そりゃいい話だ!」

「ええ、ですから、今少し自覚を持って欲しいと思うのですが、中々どうして」

「なに、生まれた子の顔を見て、腕に抱けばまた変わる。……しかし、そうか、奴も親になるか」


 しみじみとした声。そこには懐かしみと喜びがあった。


「そう考えれば、俺も歳をとったはずだな。ああ、ところで、おま……あー、いや、いい。だいたい想像がつく」


 が、続いた言葉……訊ねようとしながらも一人勝手に納得する声に、麗人はなんとなく不愉快な気分になる。しかし、今感じている思いを口に出してしまえば、一頻りはからかわれるだろうと察して、決して声には出さない。ただただ口元を微かに引きつかせるだけに留める。


 そんな彼女の心情を慮っているのかいないのか、通信相手は話題を変えてきた。


「しかし、イイ船乗りになれそうな、骨のある若いのが来たと思ったら、ローウェルの教え子だったってのは、まったく世の中は理不尽だ」

「彼の人ですか?」

「ああ。俺がここまで心動いたのは、ラルフを指導した時くらいだぞ」

「それはまた……高い評価ですね」

「あー、高い評価、か。……なぁ、セレスよ、考えてみろ。砂海のど真ん中で、行き足を失う。同行者は怪我。蟲も襲ってくる。昼夜の温度差は厳しい。特に暑い寒いの繰り返しは確実に心身を削ってくる。複合的な要因で、十分な睡眠もとれない。風は気ままできついし、有り合わせで作った帆は壊れるかもしれない。向かう先が正確かも確信できない。食料もなくなっていく。連絡手段もないから、救援の目途もなし。イイ装具に助けられたって面もあるかもしれんが……、普通なら心が折れて、何も考えられなくなる」


 まったくローウェルの野郎め、イイ奴育てやがってちくしょうめ、といった具合に、経験豊富な船乗りは好敵手たる魔導機乗りへの賞賛とも羨望とも取れそうな言葉を吐き出した。


 それが一段落した後、北部域統括長はふと思い出したように言い添えた。


「ああ、そういえば、若いのは報告書の書き方を知らんようだったからな、俺個人の魔導艇に対する所見や要望を書きがてら、指導してやるよ」

「……小父様、お仕事は?」

「実務は所長権限の範疇。俺はエル・ダルークやエル・ルダス、ナックザルとの調整が主だ。先の襲撃のあれこれも落ち着いたから、今は少し余裕がある。というかな、エル・レラの情報が手元に来たんだから、作ったに決まってるだろ」


 今、写真を現像に出している所だと、楽し気な調子で続く。この言葉に、セレスの形良い眉根が引き攣った。


「小父様、本部の案件に勝手に手出しをするなんて、十分に処罰物なのですが?」

「別にしてもらっても構わんぞ、俺の代わりにここらの取りまとめをできる奴がいるならな」


 まったく悪気を感じさせない声。状況や自身の立場を理解しての、行いのようだった。


 セレスは目を据わらせて応える。


「確かに、小父様に代える方はいませんし、実際に仕事への差し支えがあっては困りますね」

「そうだろうそうだろう」

「わかりました。ならば今日の内に、減俸の通知を送っておきます。二十分の一、いえ、十分の一を一旬ないし二旬程」


 極めて冷淡な宣告。

 言い放った麗人の顔はどことなくすっきりとした観。


 しばしの沈黙の後、震える声で応答があった。


「そこはお前、まぁ、小父様ですから仕方ないですね、と言う所だろうに……」

「信賞必罰は組織の要。親しい相手だとしても、公明正大な処分がなければ、示しがつきません。……存分に、小母様に叱られてください」

「やれやれ、頼もしくなったな。これなら、あいつも冥府で安心しているだろう」

「いまさら褒めても、決定は覆りません」

「……くっ」


 悔やむような呻きに溜飲を下げた後、麗人は小さな友人へ連絡しなければと考える。


 その表情は、常のモノよりも柔らかいものであった。



  * * *



 爛陽節第四旬二十日。

 光陽が中天を超えようとする頃合い。エフタ市港湾部のある埠頭に、ビアーデン級貨物船が横付けしていた。

 船は今し方着船したばかりのようで、周囲には吹き上がった砂塵が舞ったままである。この砂塵を避けるように、距離を置いて見守っているのは荷役に従事する者達。それに加えて、マグナ・テクタの面々だ。後者に関しては全員ではなく、正確には帝国出身の魔導士に眼鏡の優男、目つきの悪い男、入社したばかりの若者二人、そして、翠髪の小人である。

 彼らが見守る中、ゴーグルやマスクを付けた港湾作業員たちが船体を固定すべく忙しく走り回る。その作業が終わる頃に、砂塵も風に流されたりして落ち着いてくる。すると、船の舷側面にある出入り口が開いて、乗降用の斜路が降りてくる。これが完全に降りきると、作業員たちが固定作業に入る。また斜路の中程で乗組員と荷役監督らしき者が落ち合って、打ち合わせを始めた。


 一連の作業を見ていた、目つきの悪い男は船の間口を眺めながら呟いた。


「さって、どんな状態になってるんかねぇ」


 口元を歪めての言葉。

 揶揄にも取れそうな語調であったが、聞きとがめる者はいない。誰もが気になっているところあったからだ。

 中でも金髪の魔導士はそわそわと落ち着かない様子で、しきりに開口部の奥を気にしている。その肩に乗っていた小人が見かねた様子で口を開いた。


「ほら、シャノンちゃん、落ち着いて」

「ですが……」

「大丈夫よ。少なくとも、クロウに関してはね」


 同居人でもあるシャノン・フィールズに告げると、ミソラもまた斜路を見る。両者の話が付いたようで、荷役監督が人足達を呼び寄せている。ミソラ達は作業の邪魔にならないように端による。荷役運搬車(フォークリフト)に加えて、屈強な身体の男達がぞろぞろと斜路を登っていった。


 一連の流れから、先に呟いた男ガルド・カーンが苦笑する。


「この様子だと、俺の用件の方が先みたいだな」

「みたいね。そっちは任せるわよ」

「ああ、任せとけ。……そっちはそっちで、エンフリード達を労わってやんな」


 カーンはそう言い残すと若者一人を連れ、立ち並ぶ倉庫へ向かって去っていった。


 二人が去ってから、貨物船から荷物が降ろされ始める。

 枠付きの荷台に乗せられているのは、赤黒い甲殻。甲殻蟲ラティアの殻であった。同様の荷が次々に斜路を下っては港湾倉庫へと向かって運ばれていく。その数が十二十と数を重ね、三十近くになったあたりで流れが止まった。仕事を終えたようで、荷役運搬車が降りてくる。


 それから、しばしの間。

 遮蔽物のない埠頭は熱射が厳しく、時折吹く熱い風が涼しく感じられる。


 その中をじりじりと待っていると、ようやく間口に待ち人が姿を現した。

 彼らは乗組員と挨拶を交わすと、魔導艇と共にゆっくりとした足取りで降りてくる。

 まず目に留まるのは魔導艇。至る所で装甲が破損し、砂塵がこびり付いている。またなくなった方向舵やひしゃげた推進部が痛々しさを引き立たせている。

 半壊と呼べるそれを押すのは赤髪の少年。身にまとうのは、出発時に着ていた機兵服ではなく量販品の上下衣。同様の服を着こんだ亜麻色髪の女は座席に横座りして、歩行補助具(松葉杖)を抱えている。

 二人は埠頭に降り立ち、出迎えの者達に気が付くと、安堵したように微笑む。旅の疲れはないように見えた。


 そんな彼らに対して、すぐに声をかける者はいなかった。というのも、金髪の少女はなにやら感極まったようで、言葉は出せず。眼鏡の魔導技師も変わり果てた魔導艇の様子に表情を硬くして、口を開けられず。残る若者は付き合いが短いこともあって、空気を読んで話しかけず。三者三様の理由で縛られたのだ。


 ミソラとしては、心配に心配を重ねていたシャノンに第一声を任せようと考えていたのであるが、今の状態では状況が進まないと見切ると、仕方ないと肩を竦めてから飛び立つ。そして、帰ってきた二人に声を掛けた。


「二人とも、おかえり。今回は、大変だったみたいね」

「ああ、ただいま。……俺はともかく、ミシェルがな」

「いやー、あはは、ちょっとヘマしちゃったよ」

「それも聞いてるわ。例の話についてもね。……ま、詳しいことは、クロウの家に着いてからにしましょう」


 そう言い切ると、小人は言葉をなくしている男女に顔を向ける。


「ほらほら、時間は有限! 二人ともしゃきっとなさい! シャノンちゃん!」

「……あ、は、はい。く、クロウ君、ぶ、無事で、よかった、です」

「うん、ありがと。俺に関しては、まぁ、何とか無事だったよ、シャノンさん」

「バゼルー」

「え、あ……んんっ。二人とも帰ってこれて良かったです。魔導艇に関しては、僕が引き取りますので」

「お願いします。ええと……、それで魔導艇に関してなんですけど、これ、報告書っていうか、こうなった経緯と今回の試験でこうしてほしいって思った要望です」


 そう言って、クロウは手に持っていた数枚の紙を差し出す。バゼルは常の顔になると、頷いて受け取る。すると、クロウは魔導艇に置いていた袋を手に持ち、中からそれなりの厚みを持つ大きな封筒を取り出した。


「後、これなんですが、エル・ダルークにいる旅団の偉い人から、開発者に渡してくれと言われまして」

「旅団のですか?」

「はい。なんでも魔導艇に対する所見と要望らしいです」

「中身について、具体的にどういったことが書かれているかについては?」

「聞いていないです。ただ渡してくれと」


 クロウが差し出した封筒は印璽こそなかったが、封蝋が為されていた。その仰々しさに、バゼルは困惑と興味が入り混じった顔になる。が、その手はしっかりと伸びて、思いもしなかった便り(封書)を受け取っていた。


 それで一段落がついたと見て取り、ミソラがまた声を上げた。


「さ、ここであーやこーやするよりも、ちゃんとした場所に腰を落ち着けた方がいいわ。予定通り、私達はクロウの家に行くから、バゼル、魔導艇は任せるわよ」

「ええ、わかりました」

「クロウもそれでいいわね?」

「ああ。ただできれば、今日中に依頼元と市庁への帰還報告を……って、今日は休みだったな」

「セレスの方は一息ついたら連れてきて欲しいって頼まれてるから、今日でもいいみたいだけど、行けそう?」

「大丈夫だ。それで頼む」


 クロウの返事を受けて、小人はじゃあ移動しましょうと一同に告げ、行動を促した。



 バゼル達と別れた後、四人は港湾地区内にある機兵長屋へ。総合支援施設に寄るという話も出るには出たが、まずは腰を落ち着かせるべきだとの意見が通ったのだ。

 そんなこんなで、四つある長屋の一つ、その一室にあるクロウの家に辿り着くと、手早く窓や戸を開放して、留守の間に淀み、熱気をも籠った空気を入れ替える。

 とはいえ、実際に動いているのはクロウとシャノンの二人。クロウが格納庫を含めた一階を、シャノンが居住区画の二階を回る。残る二人、ミシェルはミソラと共に食卓の一席に座り、遭難してから今に至る経緯について話している。


「なるほど、そりゃ遭難した場所が悪かったわね」

「うん、ほんと、もうねー、あの時ばかりは、舟が壊れるわ、足は折れるわ、腕は動かなくなるわでね。もうこれで、わたしも終わりだなって絶望しましたよー」

「けど、そこでクロウがなんとかするって頑張って、実際になんとかしたって訳ね」

「うんうん。もう、あの時はね、もう、ほんとっ、頼もしかったわよー。冗談抜きに、どんな性悪な奴でも惚れちゃうわね、あの後ろ姿は」

「へー、ほー、ふーん」


 ミソラは女密偵の話し振りから、なんとなく女の心情を察して、にんまりと笑う。

 それに気づいていながらもまったく気にする様子はない。むしろ、もっと突っ込んで来いと言わんばかりのにやけ顔だ。


 その期待に応えるべく、小人は相手が求めているであろう言葉を口にする。


「つまり、惚れたんだ」

「そゆこと! なのに、信じてくれないのよねーぇっっとぉ!」


 緩いながらも飛んできた球形のモノ……シャリカを無事な左手で受け止めると、ミシェルは投げた相手に向かって咆えた。


「ちょっと、クロウ! あぶないじゃないの!」

「いらんことをへらへらと話してるから、遂な」


 そう言って近づいてくる赤髪の少年であるが、どことなく頬が赤いようにも見えなくもない。ミソラが少年の様子を興味深く見ている間にも、二人の間でのやりとりは続く。


「あ、なに、もしかして、惚れた云々って聞いて、照れてる?」

「冗談。ミソラは戯言に乗っかってからかってくるからな。牽制を入れたんだよ」

「またまたー、素直じゃないんだからー」


 絡むのが楽しくて仕方がないといった女の風情に対して、クロウは呆れ交じりの顔。何気ないやり取りであるが、以前よりも両者ともに遠慮がないというべきか、心理的な距離が近くなったように見えた。

 二階から降りてきたシャノンなどは特にそう感じられて、非常に面白くない気分である。それはもう、油断するとその感情が表に出てしまい、むすっとした面持ちになりそうな所を必死になって取り繕っている位である。


 といった個々人の様子はさておき、ある程度状態が落ち着いて、全員が席に着いた所で、真面目な話が始まった。


 口火を切ったのは、机の上に立つミソラだ。


「じゃあ、クロウが聞いてきた、魔術で怪我の治療ができるかどうか、ってことについて、話をさせてもらうわね」


 クロウが真剣な顔で相槌を打ったのに対して、ミシェルは先程までの緩さが嘘のように表情が強張っている。傍で話を聞くシャノンから見ても、わかる程に。

 ミソラも当然気が付いているが、語る為にいるのだから口ごもる必要はないといった態だ。


「治療が可能か否かは、一言で言えば、程度によるわ」

「程度による、か」

「ええ、ただの外傷……切り傷とかなら何の問題もなく可能よ。後、骨折はとっても痛い思いをするらしいけど、なんとか可能。後、切断された四肢の結合も条件次第では可能かもしれないわね」


 クロウが食いつく様に身を乗り出す。が、それを抑えようとするかのように、小人は手を突き出して制して、冷めた声音。


「ただし、それは身体の組織が生きている、という条件があるわ」

「……生きている?」

「ええ、簡単な話、血肉を伴うモノがあるか否か、そのモノの細胞が生きているか否か、といったことね」

「つまり?」

「生きているモノならば、手の打ちようはあるけれど、死んだモノは生き返らせることはできないわ」


 少年の顔が苦しげなものに変わり、ミシェルも目を伏せるように閉ざす。それでも、ミソラは諳んじるように話を続けた。


「少し本筋から外れるけど、その理由を話すわね。……知っているかどうかはわからないけど、魔法が成立する以前は、魔力……不可視の力を扱う技は奇跡が中心だった。で、この奇跡なんだけど、不可視の力をそのまま使って、理なきことを為すことができたわ。小は虚空より水や火を直接生み出し、晴れ空に雷を落とす。大は山を作って噴火させたり、地を引き裂き揺らした。他にも失われた四肢をなにもない状態から復元したり、死んだ者を生き返らせるなんてことまで可能だった。という記録が古文書に残されていたわ」


 嘘くさいかもしれないけど、これ、本当の話よと付け足しながら、小人は苦笑する。


「けど、この奇跡はね、為すことがとてもとても難しいの。……なぜなら、奇跡は忘我の境地より生まれるとされているから。この忘我の境地にあってもなお、願い、心にあるものを発現させるのが、奇跡。でも、ちょっと考えたらわかると思うけど、実際にやれって言われても、そんなことは簡単にできるもんじゃないわ。だから、そこに至る為に、気が狂う程に信仰心を高めたり、麻薬や性儀式を使って法悦に溺れるようにして、人為的に奇跡を為そうとしたの」


 そう言ってから、首を横に振った。


「けど、こういったものの当然として、扱いはとても難しい。奇跡が発現できなかっただけで済めばいいけど、実際には逆に災厄を招くことの方が多かったそうよ。だから、奇跡の使い手は淫祠邪教として、時の権力に弾圧されて歴史の中に消えていった。そして、代わって台頭してきたのが、魔法」


 ミソラはなにもない空間を……、魔術士にだけ見える魔力を眺めながら、腕を組んだ。


「魔法はね、不可視の力……理なきモノに人の理を与えて扱う法則なの。魔術はそれに従い、事象を発現させる為に生み出された(すべ)。だからこそ、理に適うことは可能であるし、誰が為してもっていうか、魔術士が魔法という筋道に従って魔術を使うならば、必ず同じ事象が発現される。けれど、理を使ったことで、理に合わないことは為せなくなった。……んー、簡単にまとめると、理がないからこそ、簡単にはできないけれど、なんでもできるのが奇跡で、理があるからこそ、使える人には扱えるけど、なんでもはできないのが魔法ってことね」


 ミソラはミシェルを見上げる。不安げな顔。小人はしっかりとそれを見据える。


「ミシェル。あなたの怪我がどの程度かはまだ知らないけど、これだけは言っておきたいの。私が思うに、人の身体や心を癒すのは、奇跡の領分。魔法で為せるのは、人の身体が本来から有する力を引き出すことだけ。死んでしまったモノを生き返らせる理がない以上、ダメになったモノを元の通りに戻すことは不可能に近いわ」

「あ、あー、そうなんだー。……わ、私の怪我、左足の骨折とさ、右腕……骨折が酷いし、神経も、切れてるの」

「そっか。……うーむー、骨折はまぁ、よっぽど複雑に折れてない限り、なんとかできるでしょう! けど、神経はねー、うーん、動かないってことは、線が完全に切れてるってことだろうから、それを縫合しないといけないってことでしょ? うー、魔術だけで神経を弄るってなると、とっても痛いというか下手したら変な所と引っ付いて、酷いことになるだろうしー、ぬぬぬー、できー、なー、ぃー、かー、ぬぅぁー、いや、より外科的なものにすれば、できな、くも、ない、かなーっていうか、むー、私だけじゃまず無理っていうか、やるとしたら、医者と共同してやる方がいいかもしれないけど、実際にどうなってるのか見ないとわからないっていうか、時間も経ってるし、場合によってはもういっそのこと切って、義手にした方がって状態かもしれないしなー」


 小人は悩める顔で腕を組んだまま、今にも倒立できそうな程に仰け反って唸る。

 もっとも、ミシェルは治るかもしれないと聞いて呆け顔。シャノンは魔術士として、小人の知識やできることの多さに羨望を抱く。そして、クロウは耳にした言葉に反応した。


「なぁ、ミソラ、義手ってのは?」

「ん? んん、ああ、義手ね」


 仰け反るのが面倒くさくなったのか、小人は腰を下ろすや衣の裾をはだけさせて、あぐらを組む。小さな人形であったとしても整った顔であり、身体つきも均整がとれている。だが、仕草には致命的なまでに色気の類が見えなかった。


「いやー、それがさぁ。ほら前から、ラティアがなにかに使えないかって調べてたでしょ」

「ああ」

「そしたら腹の中にあった、肝と思われる器官にね、面白いモノが含まれてたのよ」

「肝に?」

「うん。……シャノンちゃん」

「あ、はい」


 促されるままに、シャノンが腰鞄より陶製の小さな瓶を取り出して、小人の近くに置いた。素焼きの陶瓶だ。


「それは?」

「うん、潰した肝を遠心分離して、取り出した代物を濃縮して乾燥させたモノが中に入ってるわ」

「それが、義手と関係あるのか?」

「うーん、あるかもしれないし、ないかもしれないっていうかー、このブツ……、粉末状のモノなんだけど、どうも魔力を通しやすくする性質って言ったらいいのかなぁ、うーん、魔力を保持しにくいモノに魔力を宿らせることができる性質を持ってるみたいなのよ。だから魔導機器で使うのに、中々いい触媒になりそうなのよねー」


 クロウは耳にした内容を今一呑み込めず、首を傾げた。

 ミソラは気にした様子もなく小瓶の腹を叩く。ぺちんと小さな音が響いた。


「まぁ、使い道がたくさんありそうな代物って覚えておいて」

「名前は?」

「ラティアから取ったから、ラティナイト。これで三匹分よ」

「あんまり取れないんだな」

「そりゃ濃縮を重ねて、純度を高くしたからね」

「そうか。……しかし、ラティアからそんなのが取れるなんて、初めて聞いた」

「あー、多分、魔術士が甲殻蟲の解体を見たことがなかったか、見ていたとしても学識や見識が足りなかったか、そもそもの発想がなかったんでしょ」


 ちょっと近くで遊んでくる、と子どもが親に言うような軽い声。あまりに軽い調子なので聞き流しそうになるが、少年はなんとか反応する。


「いや、発想がなかったって言われても」

「そこは、たかが三百年、されど三百年かな。クロウ達から見たら当たり前になっていることかもしれないけどさ、甲殻蟲って生物は明らかに存在そのものがおかしいのよ」

「どのあたりが?」

「たとえば、この砂海域だと、水源は限られているし、食べ物も少ない。なのに、あんな大きな蟲が大量に、しかもどこどこ動いて生きていられるのは、どうやって?」


 この問いに、クロウは答えに詰まる。

 今に至るまで、甲殻蟲とはそういうものだとし認識していたが故である。


 然もありなんと頷き、小人は面白くなさそうな顔で言った。


「私から見れば、なにか仕掛け(カラクリ)があるとしか思えなかった。ええ、前々から胡散臭いなぁ、って思ってたんけど、やっぱりっていうか、甲殻蟲って魔術的な仕込みもあるみたいね」


 まったくどこのばかがやったか知らないけど、あんな生物兵器に魔術を仕込むなっ、等と毒づく。


 それを耳にしたことで、クロウは我に返り、話を本筋に戻す。


「そ、それで、それがあれば、義手が作れるのか?」

「まー、今まで使えなかった素材が使えるようになりそうだから、色々と研究や実験開発をして、普通に頑張れば、日常で不便しないモノを作れるでしょ、多分」

「つまり、もしミシェルの腕が治らなくて、仮に切ることになったとしても?」

「ええ、最初期は自前のよりは落ちるでしょうけど、上手く技術開発が進めば、生身と変わらない位に手指が使える義手ができるかもね」


 あ、ラティナイトは実用化調査段階で、セレスにもまだ言ってない奴だから、表で言いふらしたりしないでね、との言葉を素通しに聞きながら、クロウは肩の荷が少し降ろせたような思いで脱力したのだった。



  * * *



「ったく、ミソラがあんなに軽い調子でやるから」

「あ、あれは、私は悪くないっしょ!」


 時所変わり、エフタ市内。

 クロウとミソラは商会通りを東へ向かって歩きながら、小さな声で言い合いをしている。


「いーや、あれはミソラが悪い」

「なんでよー! ちょーっと失敗しただけじゃないの!」

「だからって、限度ってもんがあるだろ」

「仕方ないでしょ! 私だって初めてのことだったんだからさ!」


 自宅に帰ったにも関わらず、少年は帰還した時と変わらぬ風体。その肩口に乗った小人は口を尖らせている。


 彼らが家を離れ、街中で言い合いをする理由。

 それは先の説明の後に発生した、想定外のやらかしが原因である。その想定外のやらかしがなにかというと……。


「足の方は比較的マシだって聞いたから、なら治療を試してみようって話になったんだから仕方ないじゃない!」

「ああ、それに関しての責任はない。けどな、あいつが、これだめ、だめなやつっ、待った待った待ったー、って叫んでたのに、俺やシャノンさんがいったん止めろって止めようとしても、大丈夫大丈夫、私に任せないさいって強行しただろうが!」

「だって! これはいけるって感触があったんだもん!」


 ミソラは私悪くないと言わんばかりに鼻息を吹き出した。

 そんな小人の、自己弁護を通り越しての居直りに、クロウは呆れを隠さずに言った。


「だからってなぁ。なんか足の内側でゾワゾワしたのが大量に蠢くような感覚がぁ、って泣いて叫んでたのに」

「だって、治るなら我慢するって言ったじゃない!」

「いくら我慢するって言っても、限界を超えることもあるだろ。しかも、最後の最後にすっごい悲鳴を上げて、身体が浮くぐらいに跳ねて、白目向いて気絶した上に漏らしたんだぞ?」


 俺冗談抜きに一瞬死んだかと全身から冷や汗かいたわ、と続いた言葉に、ミソラはなおも反論する。


「わ、わるくない! わたし、わるくない! 頼まれたからやった! 自分の仕事しただけ!」

「その結果として、俺の寝台が使えなくなった件に関しては?」

「ま、魔術の発展に、少々の犠牲が伴うのは、仕方ないことよねー」

「なら、今も後の始末をしてくれているシャノンさんに対して思うことは?」

「きょ、今日の夕食、イイ所連れて行くから、大丈夫よ、うん」


 少年による半目での横睨みに耐えられなくなったのか、ミソラはそっぽを向いた。

 ここに至って、クロウは小人を正すのは難しいと悟り、溜息。内に生まれた諦観、無力感にも似た気分を入れ替えるべく、半旬以上離れていた市街へと目を向けた。

 休日ということもあって、どこにこれほど住んでいるのかと思う程に人出が多い。特に道先に見える商店街では節の最終日特売がある為か、常の休日よりも倍を超える人通りだ。少年は切れた日用品を買って帰らないと、といったことを思いながら人波を見つめる。

 老若男女を問わず、人と人が関わることで生まれる活気。大きな街だからこそ生み出される人の息吹は熱くざわつく。砂海を幾日もかけて渡ったこともあって、彼の目にはそれがまぶしく、また心地よいモノとして映った。


 目の前で織り成されている人の営みや街の活況振りを見やる内、彼の脳裏に浮かんできたのは砂海で壊れた魔導艇を操った日々のこと。


 彼にとって、旧文明の名残を抱えた荒れ果てた大地は寂しく、生の息吹が感じ取れない乾ききった世界は厳しいモノだった。肩にかけた袋、その中にある報告書や写真機には、それらが収められている。肩の食い込みがより痛く、かかる圧も重く感じられた。


 意識せず、彼はポツリと呟く。


「やっぱり、街はいいな」


 そっぽを向いていた小人が反応して、常よりも焼けた肌を軽く叩く。


「あったりまでしょ! 一軒家でひとり寂しくいるより、みんなで集まって賑やかにしてる方がいいに決まってるもの!」

「……当たり前か」

「ええ、当たり前の、当然のことよ! 人なんてね、絶対に一人でなんて生きていけないんだから!」

「そっか」


 ミソラの反応が……話題転換の好機だと言わんばかりに食いつき、他の意見は受け付けないと言わんばかりに言い切る様がなんとなくおかしくて、少年はふっと息を抜く様に笑った。



 二人は人の多い市街を歩き抜け、露店や家族連れ、更には楽器演奏や大道芸で賑わう中央広場へ。ここもまた外の世界からは考えられない程に、活況の態である。クロウは少し楽しい気分になりながら、目的地である組合連合会本部に足を向ける。

 出入り口より入ってすぐの待ち合いには人気がほとんどない。ただ、そこにある受付には人が詰めていた。用件を告げ、依頼主への取次ぎを頼む。すると、三分程で見覚えのある人物……黒髪の秘書が案内役としてやってきた。案内役との挨拶は短く、すぐに部屋へと向かう。

 本部内は平日と比すれば、明らかに静かだ。しかし、ところどころに直と思われる者が見える。どこも大変だとの思いを抱きながらも階段を昇って、目当ての階へ。ミソラは空気を読んだのか、黙ったまま。広場の賑わいが遠く聞こえる。

 促されるままに進み、依頼人の部屋……セレス・シュタールの執務室である。


 クロウが部屋に入ってみると、青髪の麗人は執務席で仕事をしていた。

 黙したまま淡々と、束ねられた未決裁の書類に目を通しては指示書きや承認印を押し、皿盆(トレイ)へと重ねている。が、クロウ達が入ってきたのを認めると、手を止めて立ち上がった。


 部屋の主は入ってきた相手と妙に大人しい小人の姿を認めて、少しだけ表情を崩す。だがそれ以上の変化はなく、常の平静さが損なわれることはなかった。その主が口を開く。


「エル・ダルークからの伝言は受け取っています。依頼の遂行、ご苦労様でした」

「いえ、こちらこそ、予定より報告が遅れて申し訳なかったです。後、関係先への連絡も助かりました」

「構いません。それに、なにごとであれ、予期せぬ事態に見舞われることは起きうることです。あなたはそれに対処して、依頼を成し遂げた。それだけのことです」


 セレスはそう言うとどうぞ席の方へと続け、自身も貫頭衣の裾を揺らして応接席に向かった。少年が軽く頭を下げてから座ると、自らも向かいの席へと座る。

 案内役が退室し、腰が落ち着くまでの僅かの間。麗人は少年の顔を見る。以前に対面した時よりも更に余分が削り取られた、精悍な顔立ち。血色は悪いモノではなく、ぱっと見ただけでは過酷な旅をしたとは思えない。しかし、目に疲れが垣間見えた。


 彼女はその目から、任から帰還した父やその同僚、また兄のことを思い出す。しかし、口にしたのは実務的な言葉だった。


「早速ですが、報告をお願いします」

「はい。まずこれがエル・レラに関する報告書と借りていた写真機。それに写体保存具(カートリッジ)です。後、エル・ダルークで現像した写真がこれになります」


 クロウが応接机に並べたのは、数枚の書類に写真機、封印された封筒と同じく厚みのある封筒だ。


 セレスは素早く書類に目を走らせる。

 先に伝えられていた通り、記述形式は旅団で使用しているもの。記されている字はお世辞にも綺麗とは言えないが、体が力強く明朗で読みやすかった。


 彼女は納得したように頷き、向かいに座す相手に、時に冷たいとも称される落ち着いた声で告げた。


「確かに受け取りました。この報告とは別に、エル・レラ関連について、あなた個人が現地で抱いた印象や所見について、訊ねたいと思います」

「……どうぞ」

「周辺域でのラティアの動きは、どのような印象でしたか?」

「最初に近づいた時、ラティアはばらばらに散らばっていて、周りを見張り警戒をしている。そういった観でした。ですが、時間が経つにつれて、動きが激しくなったと言いますか、こちらを排除しようとする動き……えーと、個々での動きが徐々に集団的な動きになっていったような感じがしました」

「そこに、指揮を担うような個体がいるようでしたか?」

「そこまではわかりません。ただ少なくとも、目にした限りでは、ソド・ラティアのような大きい個体はいませんでした」


 セレスは次々に問いを発していく。

 周辺域の景観や荒れ具合、エル・レラに近づいた後の状況の変遷、旧エル・レラの様相に受けた印象といったことを聞き取れば、近隣に前進拠点を作れそうか、現地のラティアを掃討できそうか、もしそれを為すのにどれ程の戦力が必要になりそうか、といった一個人に聞くには大きい、突っ込んだ内容まで。


 こうしたやり取りが十分ないし十五分程の続き、依頼者たる麗人が聞くべきことはないと納得した段で終わりとなった。


「報酬についてですが、今お聞きした内容と提出された情報を精査、査定した上で追加分の報酬を決定し、残りの後金四万ゴルダに上乗せする形でお支払いしようと考えています。ただ、情報の分析にある程度時間がかかりますので、決定金額や支払日についてはおって連絡という形にしたいのですが、よろしいですか?」

「ええ、それで大丈夫です」


 クロウの返事に、麗人は再び頷く。それから、表情に揺らぎを見せぬまま続ける。


「次に、東方新航路開拓の件です。……偵察の件を受けていただいた時には、こちらも受けると言われていましたが、その意思は今も変わりませんか?」


 この問いかけに、クロウは束の間苦しそうな顔を見せる。だが、それでも彼は首肯して答えた。


「変わっていません。依頼を受けます」

「ですが、先の件では、共に出た我が手の者がかなりの重傷を負っています。本件はそれと同じだけの危険性が、いえ、それ以上の困難が予想されます。それでも、ですか?」

「はい。……ただ、そのことに関して、一つ質問が」

「どうぞ」

「その、今回の同行者、ミシェルなんですけど……、今後、今の任務から外されたりとかは?」

「私が直接管理をしている訳ではないので、去就についての返答はできません。ですが、今現在、手の者に余裕はありません。おそらくは、彼の者に代われるだけの能力を持つ者はおらず、しばらくは現状維持になる可能性が高いかと」

「そう、ですか」


 少年は安堵と落胆を混ぜ合わせた顔になり、項垂れた。


 その様子を見て、セレスは考える。


 安堵は親しくなった手の者が任に残ることから、落胆は手の者が怪我で同行できず、依頼が受けられないと思って、といったあたりでしょうか。


 相手の心境を推し量る中、彼女は思い出す。

 今現在、クロウ・エンフリードの警護に就いている密偵は、表向きにはミソラを護衛する為にいることになっていたことを。


 あるいは、信を置く相手が任に残るから安堵、怪我を負ったことから、ミソラさんの警護がおろそかになることを心配しての落胆。……いえ、この方は手の者の怪我が治せないかと聞いてくる程に、責任感と情がある。前者はともかく、後者に関しては考えていないかもしれませんね。


 麗人は相手の顔にあった色に意味合いを推測しながら、自らが言うべきことを口にする。


「話を戻します。これは本件にも関連することですが、我々からあなたにお伝えしたいことがあります」


 話が再び始まったことを受けて、クロウは顔を上げた。

 セレスが見るに、平静を保とうとしているようである。だが感情は隠し切れず、表情が少し曇っている。


 このあたりはまだまだ、ですね。

 彼女は知らず知らず評価を付けながら、要件を口にする。


「以前から為されている旅団内での評価と、手の者が出した二件の依頼での遂行状況に、先の旧エル・レラ偵察の件を以って、あなたが信ずるに足る人物であり、我々からの依頼を遂行できるだけの力を持つ方であると、組合連合会安全保障部は認めます。ですので、今後の依頼に関しては、我が手の者を同行させて、確認などを取る必要はないと判断しました」


 少年は幾度か瞬き、それから少し前へと身を乗り出した。


「ということはっ」

「航路開拓の件をお願いしたいと思います」


 クロウはなにか言おうと口を開く。だが、声が意味なす形にならず、結局は口を閉ざした。


 その様子をじっと見ていたセレスはあえて触れず。先の意思に変わりがないかを確認する。


「もう一度言います。これまでの信用と実績を以って、あなたならば、本件の遂行が可能であると判断しました。ですが、先の応答でも言いましたが、我々からは新たな同行者を出すことはできません。今、任についている者の回復がなるか、いえ、そもそも域内で収まる案件ではないですし、元よりの任を考えれば、その者を同行させるのは不適任。あなたが他に誰か同行者を見つけぬ限り、一人で依頼を遂行しなければならなくなります。先の件で突発事態を経験したあなたならば、言わずともわかっていると思いますが、同行者なき旅路は非常に危険です。それでも、受けられますか?」

「ええ、受けます」


 ぶれない答え。

 少年の目には、これまで彼女が見い出したことがない、ぎらついた光がある。


 似たものとしては、夜会で男がよく見せる欲望の色。

 だが、目の前にあるモノはあまりにも猛々しく、それでいて哀切を、切迫を感じさせる光であった。


 セレスは目の前に座る男に思わぬモノを見た気がした。だが、それは同時に迷いを生み出した。

 責ある立場として彼女は、彼が示した意思を歓迎し是認する。対して、私人としての彼女は、彼の目にあるモノに危惧を抱いて疑義を呈する。


 自分らしくない内なる心の割れ方に困惑を抱きながらも、麗人は決を下す。


「目的と報酬は先に話した時と変わりません。出発はいつごろにできそうですか?」

「足があれば、すぐにでも」


 と、クロウが答えた時、彼の隣、正確には肩から大きな声が飛んだ。


「ちょっと待った! 待った待った待った!」

「ぅおっ」


 予測していなかった大声に、少年は思わず仰け反る。反動で落下した小人は太ももに強かな蹴りを入れて着地。


「おっぁつぅぅっ」

「まったくもう! いくらなんでも考えなしすぎるでしょ! しばらく悶えてなさい!」


 ミソラは怒った顔でクロウを睨むと、机の上へと飛んで移動。それからセレスにきまり悪そうな顔を見せて言った。


「ごめんね。本当なら口を出すつもりはなかったんだけど、クロウが前のめりに過ぎるから、一旦止めさせてもらったわ」

「なにか、不都合が?」

「ええ、ありますよ不都合! 今回、クロウが遭難した影響で、うちの面子の労働効率がぐん下がり! 最低でも、いつでも安否確認ができる手段がない限り、出したくないの!」


 セレスはなんと応えるか迷う。が、先は退けられた私人としての側面がなにやら強く働いて、稚気が表に顔を覗かせた。


「労働効率が下がりましたか。それはまた……、マグナ・テクタに出資する身としては、困りますね」

「でしょ!」

「ですが、私の依頼に関しても、できるだけ早い段で動いた方が良いのは確かなのです」

「うんうん、そっちの都合もわかるわ。というか、こっちもね、なにもずっと行くなっていう訳じゃないのよ」


 そう言ってから、小人は大人しくなった少年を一睨み。びくりとする相手に怖く微笑み、またセレスに向き直る。


「まぁ、私が一緒に付いていったら、話はすべて簡単に解決ってなるんだけど……」

「それは難しいです。せめて、マグナ・テクタが軌道に乗るまでは、こちらにいていただかないよ」

「だよねー。っていうか、私もそこまで無責任じゃないし。……たださ、今回の件は、私も反省すること大なの。だから、こっちが安心して送り出せるだけの装備品を揃えるまで……」


 ミソラはセレスにだけ、真剣な顔を見せて続ける。


「そう、一人でも送り出せるような装備を揃えるまで、待ってもらえないかな」


 クロウはミソラの物言いに、なんともむず痒い気分に陥り、赤面した顔を場より逸らす。

 肉親から自身への情を明け透けに語られるような、身体が火照るような気恥ずかしさに負けたのだ。けれど、久しく感じていなかったそれは暖かく、彼の心を満たしてくれる。


 セレスは小人からの要望、その根底にあるモノを理解する。またそれとは別に、新鮮な心持ちで少年の反応を見る。

 こちらの観察に気が付いたのか、はたまた自分の顔が赤くなったことに気が付いたのか、彼は手の平で顔を隠して他所を向いている。それがなかなかに面白おかしく、付け加えるならば、年頃の少年には失礼かもしれないが、可愛いとも思ってしまった。


 そして、そんなことを考えている自分に気づくと、麗人は少しばかり動揺する。それでも、すぐに思考を元の公人としてのモノに戻して、自分の調子をも狂わせてくれる小さな友人に訊ねた。


「具体的には、どのような装備を用意し、どれほどの時間が必要になりそうですか?」

「んーと、まずは足の改修! 魔導艇に、今回の件で得たモノをある程度は取り込みたいわね。それとさっきも言った、連絡手段の確保。これは魔導式の通信機のことなんだけど、もう少しで運用方法も含めて完成しそうよ」

「通信機の運用に関しては、非常に興味があります。この後でいいので、どのようなものかを教えてください」

「了解。後は魔導銃の改良っていうか、先送りにしていた魔術弾の実用化ね。今の所、制圧用の爆裂弾と相手の動きを止められる凍結弾辺りを考えてるわ」


 そう言ってから、ミソラは小さな手で指折って、なにやら計算する様子。十秒程その状態が続き、うんと頷いてまた声を上げた。


「魔導通信機は後一旬(二十日)程で完成しそうだけど、運用関連の機材を含めたら、第三旬の後半になりそう。んで、魔導艇の改修は実機ができるまで行くとなると、おそらくは第三旬の中から後半あたりだと思う」

「残りの、魔術弾関連は?」

「んー、他のミシェルの医療や仕事との兼ね合いもあるし、これも第三旬あたりになるかな」

「では、余裕を見て、今年の末を締め切りとしましょう。そして出発は、来年の頭……、第一旬の二日、ゼル・ルディーラが到来する前に、ということでよろしいですか?」

「うん、それなら行けると思う。というか、そこまで譲歩してもらったんだし、絶対に間に合わせるようにするわ」


 いやー、明日から斜陽節だったお陰で、計算しやすくて助かったわ等と言いながら、小人は身体ごとクロウに向き直り、腰に手を当てて宣した。


「という訳だから、クロウ! 今節はしっかりと心身を休めること!」

「言わんとすることはわかる。けど、俺も仕事しないと食っていけないんだが?」

「誰もそこまで何もするな、なんて言ってないでしょうが!」

「おまえ、無茶苦茶なことを……、さっきの言い方なら、そういう風にしかとれないだろうが」

「かー、それくらいは察しなさいよ! まったく、ああいえばこういうんだから!」

「いや、それはおまえだ」

「ええい! 言い訳は無用よ! 別に機兵の仕事は請けても構わないから、調子はしっかりと整えおくこと! いいわね!」

「はいはい、りょうかいしましたよ」


 クロウはミソラの勢いに押されて、どこか不貞腐れたような、それでいて仕方ないといった顔で頷く。

 そんな二人のやりとりが、また遠慮のない関係が面白く見えて、青髪の麗人は小さく笑声をこぼしたのだった。

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