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魔導黎明記  作者: 綺羅鷺肇
10 尖兵は迷い霧を払う
83/96

一 縁は異なもの

 浮上する感覚に、ゆっくりと目を開ける。

 目に入ったのは、薄い光(常夜灯)に照らされた天井。見慣れ始めたそれをぼんやりと見つめながら首を回す。動きにつられ、小さく揺れるつり床(ハンモック)。寝具に覆われていない顔を、朝方特有の肌寒い空気が刺激する。それがより暖かで心地よい寝床を引き立てる。


 彼の内で、このまま寝ていたいという欲求が沸き起こる。

 だがそれ以上に、今日も一日が始まることへの期待感が勝った。


 若者はあふれ出た気力のままに寝具を剥がすと、身を網の端に寄せる。自然つり床が傾ぐ。その動きに合わせて、足を地に降ろし靴をはいた。肌着や下着以外の場所、陽焼けが馴染み始めた素肌に冷たい感覚。温まっていた身体を冷まし、居残っていた眠気が慌てたように逃げ出していく。

 短く刈った髪を撫でて、寝癖がないかを確認。大丈夫だと判断すると、大きく背伸びをする。随所の筋骨が動き、腱もまた伸び縮み。身体にあった凝りが解れ、倦怠感が走る。それを吐き出すために、大きく深呼吸。肺腑に溜まっていた熱が吐き出され、少し埃っぽいが涼やかな空気を吸い込む。


 必要なモノを取り入れて、頭と身体に活力が沸いてくる。


 彼は薄っすらと口元を緩め、私物置きに使っている机に目を向ける。そこに立てられているのは、想い人の写真だ。

 先にあったラティアによる襲撃後、避難していた住民が帰還した際に、彼女もこの地に帰ってきたのだ。とはいえ、実態は店主が気を利かせての一時帰郷というもので、今もこの場にはいるというわけではない。

 だが、彼女の祖父による後押しもあって、互いの想いを確かめ合うことができたし、正式に婚約を交わすこともできた。諸般の事情から実際に結婚して、共に過ごすことになるのは一年ないし二年先になるが、それでも嬉しいものは嬉しい。何もせずとも、自然と意気も上がるというものである。


 彼は一頻り写真を見つめた後、力強い足取りで一直線に出入り口へと向かう。

 庫内に置かれた建築資材や魔導機、更には剥ぎ取った甲殻の前を通り、真新しい鉄扉の前。二十日程前に取り付けられたばかりのそれに手をやり、少しずつ力を込めて開いていく。より冷たい風が吹き込み、滞留していた空気を外へと押し出す。若者もまた歩み出た。


 開拓地ギャレーを包み込む、広大な空と大地。

 今は薄闇に沈んでいるが、東の果てが徐々に明るくなり始めている。そして、まだ力ない薄明を背にして、立ち働く複数の人影。


 ギャレーの農地は、先にあったラティアの群団による襲撃で踏み荒らされた。

 換金作物でもある麦類の収穫が半ば終わっていたのは不幸中の幸いで、盛陽節初めに植えたゆび豆に少なからぬ被害を受け、整えられた土も荒らされている。

 そんな状態からコロ芋の作付けができるようになるまで持って行けたのは、ただただ住民達の頑張りの結果であった。


 ジルト・ダックスは今に至るまでの日々を思い、今日も頑張らなければと、満身に力を込めて踵を返した。



  * * *



 ジルトは着替え等の準備を終えると、自らの乗機(パンタル)に乗り込んで、朝の巡回を始める。

 まず向かった先は、開拓地の東側。既に人が働き始めている農地の外縁、瓦礫などを積んで作られた高さ半リュート程の風除けの外側である。

 遮蔽物が取り除かれた荒れ地に目を向け、動く影がないか注意深く観察しながら歩を進める。そんな魔導機の手にあるのは、彼が一番扱い慣れた大剣だ。こうした具合に警戒態勢を保ったまま農地周辺を北に向かって、三百リュート弱。次に東へ二百リュートちょっと。そこからまた南へ三百リュート程。最後に畑の西端まで向かって、特に問題のないことを確認する。


 農地周辺の確認を終えると、そのまま歩を進めて開拓地の南側に。

 居住地より十から三十リュート程離れた場所に、高さ一リュート半程の簡易防壁が連なっている。長さは南面から東面へかけて、途中に見張り塔を組み込みながら三百リュート程続いており、その外側には幅一リュート、深さ一リュート強の溝が掘り込まれている。

 都市の市壁や郷の防壁に比べれば頼りないだろうが、開拓地に設けられるものとしては破格の規模である。簡易で部分的にしかないものであったとしても、なにもないよりは遥かにましなのだ。


 この簡易防壁だが、先にあった大規模襲撃の後、ジルトがギャレーに定住すると聞きつけた旅団が提供したものだ。

 ジルト達による防衛戦闘が評価されたことに加え、旅団の都合……北部域南西部方面の防衛計画にギャレーを組み込む目的があってのことなのだが、彼としては些か複雑である。

 なぜなら、先の戦闘は予想外の援軍が到来しなければ、あの見張り塔の中で間違いなく死んでいたとわかっているからだ。


 若き機兵は簡易防壁の外側を歩きながら、先の経験を思い起こして、いつものように考える。

 この地が甲殻蟲に襲われた時、自分はどうすればいいのかと。


 到来するラティアが一匹二匹程度なら、自分の力でどうにかできる。

 実際、五日ほど前に単独で現れた蟲は処分して、うまい具合に素材(甲殻)をはぎ取れた。後、一群程度も他の皆と協力すれば、対処できるだろう。


 だが、前のような群団規模にまでなると、絶対に無理だ。

 どれだけ粋がろうとも、この開拓地にいる者だけでは対処できない。無理なものは無理だということ、これだけは先の襲撃で散々に思い知らされた。

 いや、もしも援軍が確実に来るのなら、この場で抵抗するのもいいだろう。けれど、それがないならば、現実的な手立ては逃げの一手しか……、全員を船に乗せて、蟲の追跡をひたすら払いながら、エル・ダルークを目指すしかないだろう。


 そして、それが上手くいくか否かは、自分の力量と皆の協力次第。無論、やるしかないのだろうが、重責だとしかいいようがない。


 ここで若者は溜息を一つ。

 眉間にしわを寄せて、再び思考を回す。


 だが、どちらにしろ、群団が来た段階で、農地は踏み荒らされ、居住地も少なからぬ被害を受けることは避けられない。群団による襲撃は抗するだけの力がないならば、ゼル・ルディーラ(大砂嵐)のような災厄と同じだ。


 ジルトはこの地に住まう先達がこれまで体感してきた、どう足掻いても力が足りないという、苦々しい現実をいつものように認識して歯噛みする。


 本当に……、機兵となってできることは増えたが、その分だけできないことはできないということを思い知らされる。


 悔しさと無力感を胸の内で持て余しながら進む内、簡易防壁の北端にたどり着く。後は北側に位置する代用港を見回って、見張り塔に隣接して増設された格納庫兼倉庫に戻るだけだ。


 だが、その前に、彼は大きく深呼吸して気分を入れ替える。

 そうして厳しかった表情を常と同じように戻して歩き出す。せめて子ども達が心安らかに過ごせるよう、自信に満ちた力強い機兵であろうとする彼なりの矜持からだった。



 見回りを終えて、倉庫に戻ってからは機体の簡易整備だ。

 エル・ダルークで懇意にしていた整備士より心掛けることを聞いていたこともあり、それなりに触ることができる。とはいえ、整備をする度に、教習所で同期がわざわざ足を運んで整備士達の動きを見ていたことの意味合いを痛感させられる。

 整備作業をする際はどう動くか、どう動けばいいか、効率よく進めるにはどの順番で、どう手順を踏んでいけばいいのかと、頭を悩ませながらの作業が続く。油と砂塵に塗れながら、なんとか作業を終える頃に陽が昇り、朝食である。


 朝食は集会所……開拓民が共同で使用している建物に、見張り役以外の皆が集まって食べることになっている。

 この朝食に出される物だが、品は統一されていて、潰しコロ芋(マッシュ)乾酪仕立て(ポテト)にゆび豆の甘辛煮、黒茶または粉乳にシャリカ一個である。

 話を戻して、一堂に会しての朝食が行われている理由であるが、朝の忙しい時間帯での効率的な家事を求めたことと、情報共有……各自が行っている作業の進捗や問題の報告、体調の確認、更には仕事の割り振りといったことを兼ねてのことだ。


 ジルトもまた開拓地に正式加入した一人として、主に安全保障を担っている。


「朝の見回りをしたが、周辺にラティアの足跡は見当たらなかった。それと防壁や空堀にも異常はない」

「了解。他になにか言いたいことは?」

「ある。いくら簡易防壁があるとはいえ、居住地からは離れているし、外側の空堀もそれなりに深いこともある。できれば、子どもたちにはその近くで、特に防壁にのぼって遊ぶのは控えてもらいたい」

「おめぇってよ、思ってたよりも過保護だな」

「機兵になったら、自然と身に着いた性分だ」


 開拓地の指導者的な存在であり、想い人の祖父でもあるマリオからの茶々入れに軽く返す。老境の男は苦笑してからわかったと頷き、食べることに夢中になっている子どもたちに呼びかけたのだった。


 賑やかな朝食を終えると、年少組の子どもを除いた老若男女は、断続的に続いてる初期防壁の建築作業に荒れ地の開拓、諸々の家事に家の傍にある菜園の世話、ルーシの実の収穫、子守りに学習と、様々な仕事に取り掛かる。

 ジルトもまた、開拓地で絶対に欠かせない仕事の一つである見張りの交代に顔を出す。

 ギャレーにおいて見張りは二人一組、一日三十六時間を三交代で行っている。その組み分けは仕事に慣れた者とまだ慣れていない者とが組むのが基本だ。


 今も見張り塔の上、周辺を監視するジルトの近くで、四人の男が引き継ぎを行っている。


「昨日の晩はぁ、特に動く影は見えなかっただ」

「なら、今日の晩もそうなって欲しいもんだ」

「んだな。だども、昔ほどは緊張しないで済んでるだよ」

「まぁ確かに、ジルトがいてくれるようになってからは、気が楽になったな」


 老いた男たちが軽い調子で話す傍らで、陽焼けの色もまだ薄い若者達……ジルトより少し年嵩の者達が硬い顔で言葉を交わす。


「昨日の夜も、冷えたか?」

「ああ、かなり。朝飯が宝物に思えるくらいにな」

「そんなにかよ」

「ああ、だから、被り物は必須。手拭で覆うだけでもいい。後、ちゃんと着こむなり、湯を用意しとくなりしとかないとやばいぞ」

「了解。しかし、暑さも寒さも半端ないよなぁ」

「見張りなんて一日砂海見てるだけで余裕だろ、なんて思ってた時の自分を殴りてぇよ」


 半ば愚痴になっているが、彼らはエル・ダルークからやってきた新たな入植希望者達だ。

 ジルトが定住することで安全面での評価が向上したことを受け、エル・ダルーク市より新たな入植者を入れるように求められたのだ。このあたりでどういった交渉が行われたのかについては割愛するが、結果として、建築物資の割り増しと引き換えに、募集に応募してきた四人……貧民街で生活していた兄妹とその友人である男二人を受け入れたのだ。

 

 ジルトは特に口を挟まず、ただ新住民候補者達の話に耳を傾ける。


「農作業っていうか、砂を掘り出して土を入れる作業しかしてないけど、あれ、かなり腰に来るよな」

「わかる。特にでかい石が埋まってた時なんて、泣きそうになるよ」

「はは、お前もぶつかったか」

「ああ、お、石があるって思って掘り出そうとしたら、鍬にガツンって来て痺れるだろ。なら剥き出しにしてやろうって周りを掘っても、今度は底が見えねぇんだもん」

「あれなぁ。最初は特に何も思わなかったけど、後になればなるほどやばいって思い始めて、冗談抜きに、あれはきついわ」

「んで、石を掘り出したら掘り出したらで、こんな大きいモン、どうやって動かせばいいんだって話だしよ」

「どうやればいいのかって聞いても、とりあえず、何を使ってもいいから、自分なりに考えて頑張れ、だもんなぁ」


 若者たちの農作業への不平不満、とまではいかないが、指導役への当てつけめいた愚痴である。ジルトは各々の指導役となっている老人達を横目で見る。

 彼らは何も言わぬまま、ただ懐かしそうな目で他所を見やっている。ただ、その口元は緩んでいた。

 明らかに気にした様子がない姿。これに気が付いたのか、二人の若者は揃って項垂れる。同情を誘うことで、困難に対する方策を聞き出そうとする、彼らなりの作戦だったようだ。


 しばし沈黙の時が続くが、不意に若者の一人、見張りを終える男が言った。


「けど、きついきついって言ってもよ。毎日、腹いっぱいに飯が食えるってのは、ありがたいよ。妹を食わせることもできるし」

「お前はそれがあったな」

「ああ、明日は仕事にありつけるか、なんてことを考えなくてもいいのは、正直、助かる。抜け毛も減ったし」


 これから見張りに入る男は、発言の主の、その薄くなった頭頂部に目を向ける。口にまでは出さないが、もう遅い気がした。


「喧嘩なら、買うぞ?」


 途端に飛んできた剣呑な声に、慌てて返した。


「気にし過ぎだっての。それよりも、他に引き継ぐことはないよな?」

「……ああ」


 といった観で、毎日行われている見張りの引き継ぎを見届けてからは、ジルト自身の鍛錬時間である。

 身体の節々を柔らかくする柔軟体操から入り、各種筋力の錬成(トレーニング)、水浴び用の水汲み作業、各種武具の型修練、疲れ切った所で簡易防壁の内側を、壁沿いに延々と往復して走り続ける。これらを三時間ないし四時間した後、一度汗や砂塵を落とす。

 その後は周辺の巡回ないし機体の整備、もしくは、それぞれがしている作業の手伝いといった風に流れていく。今日は、進捗が遅れている初期防壁の建設を担う作業班への手伝いである。


「一番きついことさせて、すまねぇなぁ」

「気にしないでいい。建設班は見張り塔の修復に、格納倉庫の増設もあった。遅れていても仕方がない。それに、この作業は僕の鍛錬にもなる」


 ジルトは円匙(シャベル)を使い、接合材(セメント)が乾いて固まらないように混ぜ続ける。ただただ手を動かす彼の傍では、マリオともう一人の老人が焼き煉瓦と接合材とを交互に積み重ねていく。作業に慣れているのか、それぞれの動きは速い。傍らに積まれた焼き煉瓦が一個また一個と減っていけば、厚さ十数ガルトの壁は少しずつ幅を広げ、高さを増していく。


 若者が純粋に凄いものだと感心していると、マリオが唐突に口を開いた。


「なぁ、ジルトよ」

「なんだ?」

「おめぇから見て、新入り達の様子はどうだ?」


 ジルトは問われるままに、見聞きした入植希望者達の姿を思い起こす。

 男達は口ではいろいろと言いながらも自分達に与えられた仕事を全うすべく、彼らなりに奮闘しているのを知っている。残る女に関しても、朝食の準備や洗濯、菜園の世話に織物といった具合に、他の女性陣の指導を受けて色々しているのを見かけていた。


「色々と思うところはありそうだが、慣れないながらも馴染もうと頑張っているように見える」

「そうか。……となると、本当にここに居つけるかは、ゼル・ルディーラ(大砂嵐)で決まるか」

「ゼル・ルディーラか。……僕もここでは初めてになるが、どういう備えをするんだ?」


 ジルトの疑問に、マリオは作業の手を止めないまま答えた。


「ゼル・ルディーラの間は、基本、外の作業はしないで家籠りになる」

「その間の見張りは?」

「当然できねぇさ。でもだからって、戸を開けた途端、蟲にガブリってのは勘弁だからよ、家と家の間を鉄板で塞いで、即席の壁を作るのさ」


 機兵は自身が寝泊まりする倉庫、その端に積まれた鉄板や鉄骨を思い出して頷いた。


「倉庫にあったのは、その為のモノか」

「そういうこった。なにもないよりは遥かにいい。今年は追加で頼んどいたからよ、おめぇんところまでの道も作る予定をしてる」

「なるほど。……しかし、二旬(四十日)も家で何をするんだ?」

「ん? んなもん、内職だ、内職。麦わら使った小物とかルーシ布とか、面倒だが便利紙(藁紙)を作るってこともあるな」


 とここで、もう一人の老人が口を挟んだ。


「けど、この内職ってのは最低限できりゃいいもんだからな。子どもがいる所は普段かまってやれない分、うっとうしがられるまで構うんだ。後ついでに、読み書き算術を徹底的に仕込むな」

「んで、子どもいねぇ新婚もよぉ、嫁さんをせっせせっせと耕して、種を仕込むって奴だ」


 想い人の祖父はいやらしい笑みを浮かべて続ける。


「なにしろ密室に二人きりで、内職や食う寝る以外にすることもねぇからなぁ。家の中も程よく暑くなってくるから自然と汗かく上に、邪魔モンがまったくないからよ、そりゃもう気の赴くままにってなもんでな、ほんと歯止めもなく精根尽き果てるまで燃えちまうぞ?」


 ジルトは離れて暮らす婚約者を思い描き、共に暮らす光景を……、直截に言えば、今耳にした時の情景を思い浮かべ、意識せずとも唾を飲んだ。若者の素直な反応に、老いた男達は相好を崩す。


「まぁ、子どもがもういるって所も、次の子が欲しいってことになったら、一日二日誰かに預けてってなこともする」

「そんな訳でだ、開拓地の子どもってのはよ、大概は誕生日が近くなるんだよなぁ」


 ジルトは現実的な話に意識を引き戻され、気になった点を尋ねた。


「子どもを産む時はどうしてるんだ?」

「そういった時は男衆は役に立たんって話でな、女衆が中心になって動く。うちは看護師資格を持つのがいるから、そいつが指示を出してな」

「その話は初耳だ」

「なら教えとく。普通の開拓地ってのはな、看護師か衛生兵を経験した奴の、どっちかがいるもんさ」

「とは言っても、機兵と同じで引手数多って奴だし、郷ならともかく、わざわざ危険な開拓地にまで来て住むってのは中々いないんだわ」


 なるほどと相槌を打つと興に乗ったのか、二人の話は更に続く。


「だからよ、開拓地から人を出して、必要な教育を受けさせる」

「エル・ダルークで読み書き算術の試験を受けて、一定の頭があると認められれば、学術院の支援枠に入れてくれるからの」

「もっとも、今しか考えてねぇ場所(開拓地)はよ、その辺りを疎かにする。……子どもを労働力に入れちまうんだ」

「そうしたい気持ちもわかるが……、今だけじゃなくて先のことも考えないと、開拓地の運営はできない。それに、読み書き算術ができるってだけでも、子ども達の将来には利になる」

「ああ、どこに行っても、最低限の暮らしができる素地って奴だな」


 開拓地に根を張る先達の言に、ジルトは自身の生い立ちやこれまでの見聞もあって、先を見据えた経営や親の愛、更には子どもの扱いといったことについて、色々と考えさせられる。

 手を動かしながら難しい顔で一人唸っている間にも、老人達の会話が耳に届く。


「今年は新入りのもみてやらないかんなぁ」

「簡単な読みと計算はできるって言ってるから、書きを重点的にすればいい」

「割り振りは今のままでいくか?」

「ああ、連中も気に入ってるみたいだしな」


 そこに小さく鐘の音が鳴った。

 立て続けに一つ二つと連なったそれに驚いて、男達は音の源……見張り塔を振り仰ぐ。常の如く、即席の日除け(ルーシ布)が風に揺れている。が、その下に若い顔……新入りが困惑と動揺をないまぜにした顔を突き出しており、直近にいる彼らに向けて声を上げた。


「すす、すんません! な、なんか、み、みなみに、へ、へ、へんなもんがみえて! そ、それで、か、かねを、な、な、ならせって!」

「わかった。が、おめぇはまず落ち着きな! ……ジルト」

「ああ、念の為に機体で待機する。どちらかが上に昇って確認、残った方は連絡に走れるように」

「了解だ」


 銀髪の機兵は前にも似たようなことがあったことを思い出しながら、傍にある格納倉庫へと走り出す。

 しっかりと鍛えた足や幾度も同じ動作を繰り返した身体は彼の期待に十分に応え、一分も経たない内にパンタルへの搭乗を終える。ついで、機体を起動させ、外へと踏み出す。見れば、居住地から一人二人と女衆が走ってくる所だった。そんな彼女達も動き出しているパンタルを見て、少し安心した顔になる。

 ジルトは多大なる重責とちょっとばかりの誇らしさを感じながらも、機体の足を見張り塔に向ける。頭上でなにやら言葉が交わされているようだが、伝声管越しということもあって、しっかりとした内容としてはわからない。

 しかたなく得物(大剣)を手に待っていると、畑の方からラストルや作業に出ていた者達が次々に戻ってくる。


「なにがありました!」


 麦わら帽子を被った中年男が慌てた調子で尋ねてくる。後ろを見れば、不安そうな顔が三つ四つと並んでいる。


 ジルトは先において義父となる男に対して、自らが知ることだけを答えた。


「まだなにも起きていない。ただ、見張りが妙なものが見えたと」

「そ、そうですか」

「ああ。今はマリオ爺達が上で確認している。だから、とりあえずはここで待機してほしい」


 機兵の平素と変わらぬ声音に、集まってきた者達が少し肩の力を抜いた。

 それからじりじりとした心もちで、十秒二十秒と待っていると、唐突に声が上がった。


「ありゃ、船だ! 小さな船! しかも、今時分に帆船と来たぞ、おい!」


 それは大きな驚きと呆れ、それ以上に面白がるような響きがあった。

 集まった者達は耳にした内容に理解が追い付かず、互いに顔を見合わせるだけ。その中にあって、ジルトは小船と聞いて一つの顔を……赤髪の同期を連想していた。

 その想像に対して、まさかとも思うし、なぜにという疑問もある。ただ奴ならばこういったことをするかもしれないという、奇妙な確信があった。


 ジルトが不思議な気分でいると、老人達の交わす言葉が次々に耳に届く。


「あー、けどなんか、船体はえらくボロッちく見えるなぁ。それに……」

「おい、あの帆の部分、青旗みたいなモンが見えねぇか?」

「お? おぉ、確かに色が……、あー、ありゃ確かに青旗だわ」


 集合した者達から次々に安堵の吐息が漏れる。

 ジルトからすれば、まだ少し気が早いように思える。だが、蟲ではないのなら、今の空気を壊すのも考え物だと、口には出さない。ただ自身には、その分だけ自分がしっかりと警戒しなければと言い聞かせた。


 また頭上から声。


「エリオ、いるか?」

「あ、はい」

「向こうがここに近づいてきてるのは確かだが、まだ正体が見えん。念の為、ジルト以外は、状況が落ち着くまで集会所だ。後、小銃を用意してくれ。一丁はここ、二丁は他の連中の守りに。そっちは、お前に任せるぞ」

「わかりました」


 簡潔な指示を受け、人々は動き始める。

 そして残ったのは、ジルトが乗ったパンタルだけである。


「さて、問題の相手は何者かってか」

「まぁ、いつも通りでええだろ。普通の奴なら迎え入れて、悪さしそう奴なら砂海の砂に戻す」

「だな」


 物騒な声が聞こえた気がしたが、ジルトは務めて流し、機体の状態を点検する。

 計器類を一つ一つ点検した後は、各部の動作を確認する。常に整備を受けていた時と比べると、細やかな挙動の感覚に若干の違和がある。巡回してくる魔導技士ないし魔導機整備士に、関節周りを見てもらわなければと思っていると、また声が聞こえてきた。


「ありゃあ、発光信号だな」

「ああ。っと、我遭難す、救援求む、か」

「既定符号となると、航法士の資格は持ってるか」

「まぁ、あの様子じゃ、少なくとも賊党の類じゃないだろ」

「わからんぞ? 引き込みかもしれん」

「その辺りは相手の言動で判断だな」


 心なしか両者の声音が軽い。先程まであった張りつめた空気も緩くなっている。

 とはいえ、話の中にあったように、賊党の引き込みである可能性もあって、まだ油断はできない。


「よし。信号機は?」

「えーと、あったあった。しばらく使ってなんだが……、よし、使えるな。なんて送る?」

「受け入れる。北にある港に回れ、だ」

「わかった」


 カチャカチャと機械を動かす音が連続して響く。かと思うと、すぐに声が上がった。


「了解、感謝する、だとよ」

「こりゃ、まともな相手だって確率が上がったな」

「その方がいいだろうよ。砂に戻すってのも、後始末が面倒だ」

「おいおい、物騒なのも程々にしとけよ。おめぇの相方がブルッてるぞ」


 笑いを含んだ声。

 後の見張りは任せるとの言葉が続いた後、小銃を手にしたマリオがパンタルの前に現れた。


「てな訳でだ。ジルト、港まで付き合ってくんな」

「わかった」


 もはや無駄な言葉は必要ない。ジルトは老人に続いて歩き出した。



 数分後、代用港で待つ二人は近づいてくる小舟を認めた。

 ジルトは従来の魔導船よりも遥かに小さい船を目にして、いつかの記憶が刺激される。まさかという思いがあるも、以前に見た覚えのある船に似ている気がして仕方がなかった。

 それは隣に立つ老人も同じだったようで、ありゃあと声を上げた。


「前にここに来た、おめぇの同期が乗ってた船に似てる気がするんだが?」

「僕もそう思う」


 目を細めてみてみると、風を受ける簡素な帆……砂塵に塗れ汚れたそれの裏に、作業をする人影を認める。よくよくは見えないが、二人乗っているように見えた。

 その間にも小さな帆船は近づいてくる。ジルトが思っていた以上に、その船足は速い。また普通の魔導船ならばあるべきもの……船底から吹き上げる砂塵がないことに気が付く。それも同期が乗っていた船の特徴と一致していた。


 もしかするとという思いが、彼の中で膨らんでいく。


 そして、彼らが見守る中、小さな帆船は砂煙を上げ始めるとゆっくりと足を落とし出す。砂礫とそりとが擦れる音が辺りに広がった。もっとも、ラーグ級のような重みある音ではない。巻き上げる砂塵の量を増やしながらもがりがりと進み、二人の三リュート程手前で遂に止まった。


「ジルト」

「ああ、もしもの時は僕が前に出る」


 小さな声でのやりとり。

 ジルトは緊張して、相手の動きを待つ。


 舟でも短い会話らしき声。

 だが、よくかろうじて聞こえた程度で、明瞭ではない。


 鋭敏になった耳が、人が砂礫を踏む音を捉える。

 ついで、小舟の横に人影が現れた。防護兜(ヘルメット)や面覆いで顔はわからない。ただ、身に着けている物は所々が破れて、砂塵に塗れている。少しふら付いた足取りで一歩前へ。両手を挙げて、手の平も開いた。


 ジルトは相手の様子から、敵意はないと判別。だが、それでも油断なく見つめる。そして、くぐもった声が届く。


「そちらのパンタルに乗っているのは、ジルト・ダックスと見受ける。同期の、クロウ・エンフリードだ。ちょっとばかり失敗を踏んで、船が壊れた。次に貨客船が来るまで、ここに置いてもらいたい」


 耳が覚えている声に、やっぱりとの思い。ついで、こいつはいったい何をしているんだという呆れが沸き起こってくる。


 ジルトは溜息をついた後、自然と口を開いた。


「そんな恰好で……、顔が判別できるわけがないだろう。まずはゴーグルとマスク、それに防護兜を外したまえ」

「……あー、忘れた。動いても?」

「ああ、構わねぇ」


 マリオは小銃を抱いたまま、どこか抜けた不審者の様子に苦笑する。

 その不審な来訪者であるが、鈍い動きで顔を覆っていた物を外していく。一つ外れて鮮やかな赤い髪がさらされ、二つ三つと外されて薄褐色の肌が露わになる。


 ジルトは相手の顔を検めて小さく息を呑んだ。

 確かに、彼が知っている同期の顔であった。だが、それはとても疲れ切ったもので、前に見た時の精悍さは面影もなくやつれており、目の周りに遠くからでもわかる程の隈が見えた。けれど、その中にあって、目だけは爛々と輝いて生きていた。


「これで、どうだ?」

「ああ、確かに、君はエンフリードだな。……しかし、ちょっと見ない間に、随分と男前になったな。いったい何をしたらそうなるんだ?」


 同期の顔に、頬が引きつったような小さな笑みが浮かんだ。


「仕事で寂びれた都市を尋ねたら、えらく熱烈に歓迎されてな。……というか、すまん、もう限界。細かい事情はできれば後にしてくれ。今はどんな不細工を晒してもいいから、安心して寝たい」

「そ、そうか。……マリオ爺、こいつは僕の同期だ。身の上は保証するから」

「安心しな、男前になり過ぎてるが、しっかりと覚えてる。おめぇの同期さんにゃ、俺達は恩がある。受け入れに誰も否とは言わんさ」


 老人の言葉を聞いて、クロウは後ろを振り返ってからまた言った。


「後、連れが一人いて、船が壊れた時に怪我をしてまして……、昨日くらいから具合が悪くなってきていて、診れる人がいたら……」

「そっちも了解した。……次にエル・ダルークから船が来るのは三日か四日後だ。おめぇも、それまで一息いれるといい」

「ありがとう、ございます」


 赤髪の少年は疲れ切った顔にようやく安堵の色を見せる。

 だが、それで全ての力が抜けてしまったのか、足元から力が抜けて膝をつき、そのまま前のめりに倒れ込んだ。


「おい! エンフリード!」

「ちっ、もう一人連れてくりゃ良かったか! ジルト! ひとっ走りして人呼んで来い! 俺はこいつらの状態を見る!」

「わ、わかった!」



  * * *



 クロウ・エンフリードは喉の渇きを覚えて、目を覚ました。

 重く垂れてくる瞼を半ばまで押し上げて、周囲を見回す。薄く灯る魔導灯、壁に乾燥花、小さな窓は戸板が少し開いていた。ぼんやりとした頭で自分が置かれた状態を見る。寝台の上、腹に薄い寝具()。簡素な上衣からは少し消毒液のにおいがした。


 ぼうと見ているうちに、頭が回り出す。

 直後、上体を跳ね上げて、相方の姿を探す。彼を動かすのは、責任感と不安。顔に焦りの色を滲ませて、寝台から降りようとする。


「あっ」


 とその時、まだ幼さが顔に残る少女と目があった。大きく目を見開いての、驚きの表情。だがすぐに後ろを向いて声を上げた。


「おかーさん! 起きたよ!」


 クロウもまた声を出そうとする。が、乾ききった喉からは声は出ず、代わりに咳が出た。

 立て続けに続く様子に突き動かされたのか、少女は水取ってくると言い置いて踵を返した。為すすべもなく見送ると、入れ替わる形で少女と似た女性が現れた。見目は三十半ば程、身体つきはふっくらとしているが、朗らかで柔らかい顔立ちだ。


「気分は……、ちょっと水を飲んでからにしましょうか」

「おかーさん、これ!」

「うん、ありがとう。渡してあげて」


 クロウは少女から差し出された陶杯を受け取り、ゆっくりと傾ける。ぬるめの水が喉の渇きを癒した後、熱を持った臓腑を流れ落ちる。その感覚に酔っていると、改めた様子で女性が口を開いた。


「さて、もう話せるかしら?」

「はい。助けていただき、ありがとうございます。それで、あの……、連れは、どこに?」


 クロウの第一声と続いた言葉に、女性は微笑む。


「あなたのお連れさんは、隣の部屋にいます。今は熱も引いて、落ち着いています」

「そう、ですか。……よかった」


 彼の身体を支えていた力が抜け、寝台が軋む。だが、相手の顔が曇ったことに気が付いた。理由に思い当り、少年もまた表情を曇らせる。


「やっぱり、怪我は酷かったんですか?」

「ええ、私は医者ではないから診断はできないけど、右腕の骨折はおそらく神経を傷つけている。後、止血帯で血を止めていた影響もあるし、ね」

「右腕は、その、元に、戻りませんか?」

「私は看護師だから、はっきりとした結論は出せない。詳しくは病院でしっかりと診てもらってとしか。……ただ、私の経験から見れば、その覚悟だけはしておいた方がいいと思う」


 クロウは厳しい現実に項垂れる。そんな彼を励まそうとするかのように、看護師の女性は続けた。


「けれど、左足については大丈夫そうに見えたから、あのままでも普通に直ると思うわ」

「わかりました。……連れの顔、見れますか?」

「あなたが立って歩けるなら」


 そう言われた以上は立って見せようと、クロウは足に力を込める。いつもより踏ん張る感覚が強い。否、筋肉が思った以上に萎えており、身体が重く感じられたのだ。無意識に、眉根を顰める。それを見ていた看護師が苦笑する。


「凄いわね。まる二日近く寝ていたのに」

「え? 二日、ですか?」

「そうよ。あなたがここに運び込まれてから、今日で二日目よ」


 そんなに寝ていたのかと思った瞬間、空腹感を覚えた。

 身体は素直だと、彼はなんともいえぬ心持ちになりながらも、女性に目を向けて言った。


「あいつもですか?」

「あっちの子は昨日の内に目覚めてるわ。……うん、どうやら大丈夫そうね。部屋はこっちよ」


 クロウは言われるままに後をついていく。

 小部屋を出て、診療室らしき場所。そのまま横に移動して、また小部屋。


 簡素な寝台に、ミシェルは寝かされていた。

 右腕と左足は自分がした応急措置の代物ではなく、しっかりと固定されてルーシ布で覆われているようだった。


 ミシェルは人の気配で目覚めたのか、ゆっくりと目を開ける。そして、寝台の傍らに立った少年に顔を向けて微笑んだ。


「起きたんだ」

「ああ」

「あはは、なんか、助かっちゃったね」

「そりゃ、そうなるように、頑張ったからな」

「……うん、ほんとに生きて帰れるなんて、思ってなかったよ」


 そう言った亜麻色髪の女だが、常の元気はない。


 クロウはなんとなく理由を察して、尋ねた。


「聞いたんだな?」

「うん。聞いて、教えてもらった」

「そうか。……もしかしたら、ミソラなら、なんとか治してくれるかもしれない」

「それは……、うん、できるかもしれない、か」

「ああ、普段はあんまり感じないけど、凄い魔術師だからな、あいつ」

「ふふ、かもね。……でも、あまり期待しないでおく」


 期待したら、ダメだった時、つらいから。


 そう続いた言葉は、力なく寂しい声だった。

 クロウは言葉を失い、どう答えようか悩む。その思いは行動に現れて、自然と手が油が浮いた髪を掻いた。


 それが数秒続いた。


 その間にいかなる思考が巡ったのか、少年はふっと息を吐くと、自分を見上げる相方へ告げた。


「まぁ、その時はその時だ。一人くらいなら、俺でも面倒見れるさ」

「……ねー、それってさー」

「言っとくが、変な意味じゃないからな。単に、住み込みで家の管理を任せるって話だ」


 クロウは自分の言葉を耳にして、目に涙を滲ませながらも、にんまりと笑った女の鼻先を指先で軽く弾く。


「あいた。……う、動けない女に、酷いことするなんて、ひどいおとこねー」

「はいはい、ひどい男わるい男で結構だ。存分に泣いてくれ」

「えー、それならむねくらい貸してくれてもいいんじゃいかなー」

「残念、俺の胸も意外と安くないんだわ。……とりあえず、お前はゆっくりと休ませてもらえ」

「クロウは?」

「こうして助けてもらったからな。こうなった事情を説明するついでに、なにか仕事でも手伝って、少しでも恩を返してくるさ」



 クロウは調整水で栄養を補給した後、ミシェルのことを看護師に頼んで、ジルトを訪ねることにした。もっとも、一人で歩かせるのは心配ということで、先の少女による案内付きである。

 その少女であるが、隣に立つ少年……自分より背の高い相手を見上げながら、少し楽し気な様子である。彼女にとってすれば、変化の少ない日々に突発的に訪れた人々への興味もあれば、直接的に関わることで得られる刺激に喜びもあるのだ。


「今、おにーさん達が寝てたところがね、集会所。朝にみんなでご飯を食べたり、怪我したりした時に使うの」

「へぇ、朝ってみんなで食べるんだ」

「うん! で、あれが井戸で、並んでいるのが私達の家!」


 一歩先を行く少女は、赴くままに居住地の中を指差す。クロウは素直につられて、目を向けた。

 簡素な屋根が付いた井戸。手動式揚水機(ポンプ)の取っ手は塗装が剥げて、錆が浮き始めている。立ち並ぶ家は貧民街にありそうな簡素なモノ。だが作りは見目よりも頑丈そうであり、けっして大きいとはいえないが、窓もある。また家の屋根と屋根との間にはルーシ布が渡されて広がっており、狭間に作られた菜園を強い陽射しから守っている。よく見れば、シャリカや拭き取り葉の木も植えられていた。


 これら一つ一つをとってみれば、どこの開拓地にでもある、ありふれたものでしかないだろう。

 だが、故郷の復興を目標としているクロウにとっては、それを見るだけでも為になるのだ。


 居住地に目を配って一人感心していると、案内役の少女は少し離れた場所に並んだ木々を指す。


「あそこがルーシの木立! たまに実を食べるけど、甘くおいしいんだよね!」

「ああ、うん、わかる。すごくわかる。疲れてると、特においしい」

「あはは、おとーさんと同じこと言ってる!」


 少女は楽しそうにコロコロと笑う。

 赤髪の機兵もまた微笑みながら、その奥に見えたモノ……以前はなかった簡易防壁の連なりに、内心で驚く。と同時に、品薄だと聞くあれらをどうやって手に入れたかという興味もわいてくる。なので、どうやって入手したのか、聞けるなら聞いてみようと気に留めておく。


 そんなこんなで案内を受けるクロウであったが、元よりそう広くない居住地である。数十リュート先には目的地であるジルトがいる場所……初期防壁の建築現場も見えていた。

 ならば案内役を返そうかと思いはしたが、楽し気な様子を見ると簡単に終わりとしたくはなかった。なので常よりもゆっくりと、身体を慣らしたいと言い訳を付けて、のんびり進む。その途上、また少女が話しかけてきた。


「おにーさんは、ジルトにぃの友達なの?」

「あー、あいつとは、うーん、友達っていうよりも、仲間って感じだな」

「んん? それって、なにが違うの?」


 不思議そうな顔。

 クロウは少しだけ悩むそぶりを見せてから、自分でも確認するように答えた。


「いつも仲良しで遊んだりなんてことはないけど、いざって時は肩を並べて働ける。そんな関係、かな」

「……ふーん。私はできるだけ、仲良くやりたいなー」

「まぁ、できるなら、そうした方がいいだろうね」


 そして、二人は建築現場に辿り着く。

 先日と同じく、男三人が黙々と作業をしている。その中でまず来訪者に気が付いたのは、余裕があるジルトであった。


「む……、エンフリード、もう起き上がれるのか?」

「ああ、なんとか。それよりも、今回は助かった。ありがとう」

「気にしなくてもいい。僕も、いや、僕達も君に助けられているからな」

「だけど、連れの治療もしてくれたし、俺もゆっくり休ませてもらえた。本当にありがたいよ」

「わかったわかった。なんというか、君から礼を言われるとな、こう……、うん、気持ちが悪い」

「ひ、ひでぇな、おい。……おまえ、そんな捻くれたこと言ってると、あの人に嫌われるぞ」

「そ、そんなことはない! そもそも、僕だって、相手を見て口に出すかどうかを判断してる!」


 同期二人の遠慮のないやり取りに、マリオが噴き出した。もう一人の老人もくつくつと笑う。ただ困惑しているのは、案内をしてきた少女のみである。


「まぁまぁ、それ位にしといてくれや。アーシャ、今のはこいつらなりのじゃれあいだ。案内、ご苦労さんだったな」

「あ、そうなんだ。なら、おかーさんの所に戻るね!」

「ここまで案内、ありがとう」


 クロウの礼に、アーシャははにかんだ後、軽い足取りで来た道を戻っていった。


 それを見送った後、赤髪の少年は表情を改めて、この場にいる三人に対して頭を下げた。


「連れ共々、助けていただき、ありがとうございました」

「ああ、いい、いい。気にすんな。ジルトも言ったが、俺達もおめぇさんには助けられたんだ。これでおあいこって奴さ」


 マリオの言葉に加えて、特に気にした様子もない風情に、クロウは少しほっとする。


「そう言ってもらえると、少し気が楽になります」

「ああ。砂海に住んでるとよ、人の辛さ苦しさってのがよくわかるようになるからよ。話が通じる相手なら、いくらでも手を差し伸べるさ」


 ま、そういった話は置いといてと続けた後、ギャレーの指導者は予期せぬ来訪者に尋ねた。


「それで、おめぇさん達はどうした理由で、あんな状態で、ここに来ることになったんだ?」

「仕事での失敗の結果です。依頼で廃都(エル・レラ)の状況を確認してほしいと頼まれたんですが……、蟲にしてやられまして」


 男達は耳にした言葉に、それぞれが目を瞬かせる。


「するってっとなんだ、おめぇらはエル・レラから、ここまで、アレで来たって訳か?」

「ええ、遭難したのはエル・レラから少し離れた場所なんですけど、そこから見て、ここが一番近かったので」

「……何日前に?」

「ちょっとばかり日にちの感覚が狂ってますけど……、多分、六から八日程前、かな」


 男達は呆れた顔を隠さずに、思うことを次々に吐き出す。


「ここからあっこまでとなると、千アルトはあるだろうに……、よく生きてたの、お前さん達」

「大したもんだ言ってやりてぇが、ああ、よく助かったもんだ」

「うん、前々から君は少し変な奴だと思っていたが、やっぱり変な奴だったな」

「は、はは」


 散々な言われように、クロウの頬も引き攣る。

 とはいえ、今になって考えてみれば、よく生きていられたと言われて仕方ないかもと諦めた。


 その代わり、今になって思い出したことを声に乗せた。


「それで、船と荷物、それに身に着けていたモノについてなんですけど」

「おう、おめぇの連れが言った通りに、船は港に、装具品と荷物はジルトが預かってる」

「そうですか。なら大丈夫みたいですね。……装備にちょっと危ないモノがあったんで、気になったんです」

「それも聞いてる。魔導銃って奴だろ? 明日でもいいからよ、後学の為にもどんな代物か見せてくれや」

「ええ、わかりました。……後、なにか手伝えることはありませんか?」


 老人達は若者が言わんとすることを察して、それぞれがほぼ同時に首を振る。


「あるだろうが、疲れているお前さんには任せられん。さっきも言ったように、俺達も前に助けられてる。だから、それを返すだけの話だ」

「そういうこった。それにほれ、前に来た時にいた小人の嬢ちゃん。あれが言ってた通り、そこら中に転がってたラティアの殻を剥いといたら、組合が結構な値で買ってくれたからな。あれのお陰で随分と助けられた」

「ああ、復旧に掛った費用に釣りが来た。お前さん達が数日滞在しても余裕で賄えるさ」

「……なら、今回はお言葉に甘えます。けど、なにかこっちでできそうなことがあったら、言ってください」


 この申し出に対して、マリオは莞爾と笑う。


「おう。おめぇも機兵だって聞いてるからな。いざって時にこれでもかって位に頼らせてもらうさ」


 それからクロウの顔をまっすぐに見つめて、だから今はゆっくりと休んで英気を養いなと続けたのだった。

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