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魔導黎明記  作者: 綺羅鷺肇
9 探索者は終末を巡る
80/96

七 廃都エル・レラ

 乾いた空気に、湯気が溶けていく。

 魔導灯の薄明りの下、径二十ガルトに満たぬ鍋の内で白濁した汁が沸いている。それを覗き込むのは、亜麻色髪の女。ぴっちりと密着した暗緑の繋ぎ……旧世紀製の防護服を身に着けており、しなやかな女の線がこれでもかと浮き上がっている。防護服自体は動きを阻害しない機能性を追求した結果であるのだが、男にとっては目の毒としか言えない姿だ。

 もっとも、女は自身の姿に頓着していないのか、はたまた身体に自信を持っているが故にか、なんら気にすることもない。ただただ上機嫌といった態で緩やかな弧を口元に描きながら、大きめの匙で鍋を一頻り掻きまわす。そして、一掬い。そのまま艶ある口唇へ運んだ。


「あふほぅ……んっ、もう少し味を整えたい所だけど、今日は香辛料の用意がないからなー」


 失敗したなーと呟きながら、女は不満げな顔。が、次の瞬間には緩んだ顔に戻ると、鍋の向こう側へ一言。


「夕食できたよー」


 軽やかな声音は鍋を超え、横長の障害物……魔導艇の向こうにいる相方に届いた。その相方であるが、緊張感がまるで感じられない声に肩を落とし、振り返ってぼやく。


「お前な、場所柄もう少し位は緊張してもいいんじゃないか?」

「えー、クロウが見張ってるからこそ、安心して気を抜いているんじゃない」


 赤髪の少年はゆっくり立ちあがると薄暗い世界に目を配ってから、手にしていた魔導銃を腰の拳銃嚢(ホルスター)に戻す。それから溜息を一つ吐いて、簡易天幕(テント)の傍らは鍋の前に陣取る相手へと言葉を返す。


「それでも余裕があり過ぎだろ。前に外を担当していないって言ってけど、あれ嘘じゃないのか?」

「いやいや、あれは本当だってば。私はずっと壁の内側で情報収集担当だったわよ」

「うそくせー」


 女密偵に疑いの目を向けながら、魔導艇を乗り越えて奥へ。

 そのままミシェルの対面、煮立つ鍋を挟んだ場所に座った。そんな彼に、女は口を尖らせて言う。


「もー、疑い深いなぁ」

「誰かさんのお陰でな」

「だからぁ、単純に慣れたっていうかさ、前の一件でクロウの傍にいたら悪いことにならないってわかったからで……、あ、やっぱり今のなしね! 私、今から盛大に不安がるから、私を慰めるって名目で裸でのお突きあいしよう!」

「はっ」

「鼻で笑われた!」


 ミシェルはかつてない衝撃を食らったと言わんばかりに、口元に手を当てて大きく目を見開く。

 そんな大仰な仕草を流して、少年は鍋の中身に目を向けた。水気を得た乾燥野菜が膨らんで白い汁に緑の彩を添えれば、堅パンは煮崩れ蕩けている。また、香り立つ香辛料が干し肉のくせや乳酪の匂いを程よく整えており、若い食欲を刺激した。


「そんなことよりも、これは?」

「そんなことよりもっ! ちなみにこれは、干し肉と乾燥野菜と堅パンの白煮粥ね!」

「へぇ、美味そうだな。単純に干し肉齧るより遥かにいいよ」

「ふふん、そりゃあ、水が無制限に使えるから多少はね」

「となると、明日も楽しみにして良さそうだな」

「あ、ごめん、明日の夜も同じ予定」


 この答えに、クロウは何かに気付いたように、あっと小さく声を上げた。そして、非常に申し訳なさそうな顔でミシェルを見た後、目を逸らしながら口を開いた。


「う、うわーい、うれしいなー」

「違うから! 別にこれしか料理できない訳じゃなくて! 具材とかが足りないだけだからっ!」

「うん、わかってるわかってる」

「そう言うなら、まずは私の目を見なさい」


 ミシェルはムッと口を引き結んで少年を睨む。

 クロウは静かにいきり立つ女を横目で見やり、首を一頻り振る。ついで、労わるように微笑み、何度も頷いて言った。


「いやほら、誰にでも苦手なことがあるっていうし」

「できるって言ってるでしょうがっ」

「でも、家で調理してる姿って見た覚えないし」

「出来合いを買ってきた方が時間がかからないから、そっちを使ってるだけだってば!」

「なぁ人ってさ、取り繕うことで逆にぼろが出ることってあるよな」

「話聞きなさいよ!」


 非常に不満げなミシェルを認め、クロウは顔に浮かべた笑みを露悪的なモノに変えて応じた。


「いやー、こうして相手を振り回すと、気分がすっきりするもんだなぁ」

「ぅぐ。……クロウ、ここぞとばかりに日頃のうっぷん晴らしてない?」

「割と。誰かさんが居候することになってから、もう溜まって溜まって」


 年相応の若さが前面に出た、否、いっそ幼さを感じさせる程に晴れ晴れとした顔である。

 だがしかし、当の居候はただ黙って言われっぱなしで黙っていられるような女ではない。唐突に座った目を元に戻すや意味ありげな笑みを浮かべると、胸や尻を強調するように品を作り首元をわざとらしく広げた。


「そんなに溜まってるなら、すっきりする為に二人で夜通し獣にでもなる? そっちなら喜んで手伝うけど?」

「はは、これ幸いとばかりに搾り取られそうな気がするから、遠慮しとく」

「そう食わず嫌いにしないでさぁ、ほらここは一つ大人になるための経験というか、物は試しと思って。今ならこの経験豊富なあたくしが、手取り足取り腰取りに加えて、舌使いに竿や指先の使い方まで教えちゃうわよ」

「……お前に頼むと、尻の穴から手を突っ込まれそうだな」

「あ、そっちもそれなりに経験があるから、大丈夫よ?」

「冗談抜きに、警句が洒落にならねぇ」


 声を抑えながらではあるが、遠慮のない言葉の応酬を交わす男女。その彼らがいる場所は、ゼル・セトラス大砂海。瓦礫が折り重なることで奇跡的に作り上げられた横穴であった。


「ぬふふ、無理強いはしないから安心していいわよ。伊達に経験を積んだ訳じゃないんだから、ちゃーんと最後まで導いてあげる」

「試しに聞くけど、どんな具合に?」

「そりゃもう、この指と舌を使ってたっぷりとよがらせるだけよがらせて、体中をぬとぬとのぬらぬらな状態にして、もうダメだ、頼むから入れさせてくれ、中に出させてくれって、切ない声でお願いの言葉を吐かせて、んー仕方ないわねぇなんて言いながら、じっくりゆっくり実況しながら童貞をまったり踊り食いなんてことになったらもー、くぅーっ!」

「わかったわかった。なんかもうイロイロと疲れるから、この話は仕舞だ。そろそろ食べよう」

「えー」


 女が不満げな声を出す。しかし、少年は軽く流すと、自身の携行食器(お椀)を手に取り、白煮粥をよそい始める。ミシェルはまだ口を尖らせていたが、相手が食べ始めたのを見て嘆息した。


「あれだけ語らせておいて流すなんてさ、扱い酷くない?」

「はぁ、温かいのを食べるとほっとするな」

「むむ、無視ですか」

「肉の風味がいい塩梅で野菜に移ってるし、歯応えもいい。堅パンもとろりとして味が染み込んでるし」

「はいはい、わかりました。色事の話はこれでお仕舞ね」


 向かい合う女の拗ね顔に、少年は苦笑する。


「俺だって、色事には興味あるけど、お前のは生々しいというか、前のめりすぎて引くんだよ」

「ほうほう、つまりアレか。色事に関しては、俺に主導権を握らせろってことなのね」

「なにがどうしてその結論になるのかが不思議なんだが……、いや、もういいや」


 クロウは諦めた顔で首を振る。ついで匙で一口。舌の上で広がる滋味と熱に、口元を少し柔らかくする。けれど、口内のモノを飲み込むと、表情を改めて口を開いた。


「さて、ちょっとばかり、これからについて真面目な話がしたい」

「んー、排泄のこと?」

「茶化すなって。つか、携帯用があるだろうが」

「にゅふ、意趣返しよ」

「だからって、飯時は勘弁しろ」

「ごめんごめん。……今日の夜番のことでしょ?」

「ああ」


 ミシェルは口に含んでいた匙を引き抜き、艶やかな口唇をちろりと舐め取ってから答えた。


「クロウの方が操縦とかの負担が大きいし、真夜中に集中して寝た方がいいでしょ。今は……二十七時過ぎだから、三十二時まではクロウが見張り。んで、その後は私が……、明日の何時に出発する?」

「ある程度明るくなってからだから、八時位かな」

「なら五時まで見張りするから、後は出発までよろしく」

「それでいいのか?」

「うん。私自身、夜に慣れてるのもあるし、ほら、ミソラちゃんに暗視装置作ってもらえたからね」


 そう言って、女密偵は後ろ首に装着した魔導機器を触る。


「それに昼間は後ろに乗ってるだけだから、うたた寝くらいはできそうだし」

「なら頼むよ」

「任せなさい。あ、けど、朝食の準備だけは是非にもよろしく!」

「了解。つっても、ある物考えると乳粥くらいしか作れないけどな」


 このクロウの答えに、いやいや、朝食に男の手料理ってのは女にとってのご褒美なのですよ、と宣して、亜麻色髪の女はニヤニヤと実に楽し気な顔で笑ったのだった。



  * * *



 食事の後片付けと天測での現在位置把握を終えると、ミシェルは後はよろしくと言い置いて、小型の携行灯を手に天幕へと潜り込んだ。

 残ったクロウは夜の冷え込みに備えて、身に着けた防護具の上に外套を、更に上に防寒用の革外衣(コート)を纏う。それから暖を取るための品々……加熱器と湯沸かし(ポット)、携行杯を持って魔導艇を乗り越える。そして、外が見える場所に腰を下ろした。


 天の主は既に寝所へ潜り込んでおり、十リュート先もうっすらとしか見えない。とはいえ、ある物といえば、暗色に染められた大小の砂礫と塵芥に塗れた瓦礫や廃墟だけである。少年は目を転じて、空を見た。

 瓦礫と荒野で縁取られた空には、星々が煌めいていた。防壁のある都市と違い、今いる大荒野には人工的な光源はない。赤、青、白、臙脂に黄と、鮮烈な彩りは深い闇に呑まれることなく、思い思いに輝いている。


 クロウはその様をなんとなく見ていたが、不意に後ろを振り返り、横穴の奥を見る。

 暗い穴の中は瓦礫の欠片が散らばり、天幕より魔導灯の光がわずかに漏れているだけであった。暗く狭い世界。外で広がる世界と比べると、あまりにも矮小で、あまりにも弱々しい。まさに今の世を、人にとって生き辛い世界を示すかのように……。


 再び出入り口に視線を戻し、小さな吐息。一時目を閉ざし、右耳に装着した暗視装置を起動させた。世界が彩色を失い、陰影で成る姿が浮かび上がる。目に入る光景に些か寂しさを覚えつつ、魔導艇に背を預ける。こうして楽な姿勢を取ると、耳に意識を向けた。


 風の音、砂の流れ。

 僅かに聞こえる、人の息。


 それらを聞くともなしに聞きながら、今日と明日のことを考える。


 今日一日で千二百来た。明日は残りの三百と、仕事か。


 そうすると自然、仕事を請けた時のことに思考が向いた。

 彼が思い出すのは五日前……、多脚機の試験をした日より二日後のことだ。



「エル・レラ周辺域の調査、ですか?」


 クロウの確認に答えたのは、対面に座した部屋の主であった。


「はい。現地の状況を確認し、報告していただきたいのです」


 クロウは話の概要を理解すると、困惑の色を隠さずに応じた。


「エル・レラということは、あそこに巣くってるラティア関連ですよね? そういうのは旅団が動くんじゃないんですか?」

「仰る通り、本来ならば旅団が動くべき案件です。ですが、今現在において、各船隊はそれぞれが任に当たっており、余力がない状況なのです」


 青髪の麗人は時に冷たいと称される顔に感情の色を浮かべぬまま、淡々と語る。その冷厳さすら感じさせる様相に、クロウは胸の内にある苦手意識が刺激される。とはいえ、表面には出さない。努めて平素な自分を心掛けながら口を開いた。


「そちらの状況はわかりました。なら、それをなぜ自分に依頼することに?」

「魔導艇によるエフタ‐エル・ダルーク間の往復、エフタ近郊でのラティアの巣撃滅、アーウェルでの騒乱鎮圧や賊党討伐への協、エル・ダルークで各開拓地への巡回連絡。これら実績への評価と、我が配下との繋がりを考慮してのことです」


 理由を告げた麗人。セレス・シュタールの硬い顔、その目元が少しだけ柔らかく崩れた。

 クロウは評価の言葉よりも思ってもいなかった好意的な眼差しに、些か虚を突かれた気分になる。その気分と胸に揺蕩う苦手意識とが相まって、彼の顔は自然と苦笑を刻んでいた。


「光栄です、と言えばいいのかな。実際は、誰かの助けがあってのことばかりで、自分一人ではできなかったことばかりですけど」

「ですが、あなたが為された事績であることに違いはありません。それに助力を得られることも、あなたの力でしょうから」


 セレスはそう言った後、少し俯いて目を伏せた。先までと異なる雰囲気に、クロウは口を挟む。


「どうかしましたか?」

「いえ、なんでもありません。……依頼の目的について、話を続けても?」

「あ、はい」


 少年は直前の様子に違和を覚えつつも頷いた。麗人は常の怜悧な顔で話し始める。


「先に起きたラティア群集団による北部域襲撃ですが、調査の結果、西、南、北の三方より群団がほぼ時を同じくして襲来したことが判明ししました。この内、北を除いた二方……西と南については旧エル・レラが端である可能性が高いだろうと、旅団司令部では推測しています」

「ということは、調査はその推測があっているかを確認する為に?」

「その目的もあります。ただそれだけではなく、ラティアの動向を探り、今後の対処を考える為でもあります」

「新たな襲撃に備える為、ということですか」

「はい。先の襲撃で我々が後手に陥った根本的な原因は、情報の不足です。もしもより早く動きを察知できていれば、相応に手を打つことが可能であったはずなのです。だからこそ本来であれば、場所が判明している巣に対しては撃滅、それができない場合でも常時観測が望ましいのですが……」


 セレスは目を閉ざして言葉を切り、小さく首を振る。表情は平静のままであったが、総ての思いを押し殺しているようにも見えた。

 クロウはセレスの思い、その生き方や考え方を知らない為、かけられる言葉はない。ただ黙して続きを待つ。十秒近い静寂の後、再び口を切ったのは部屋の主であった。


「それでも何もしない訳にはいきません。足りないならば足りないなりに、手を打つ必要があります。あなたへの依頼もその内の一つです」


 そう言い切り、シュタールの女は真っすぐに赤髪の機兵を見つめる。

 冷たく硬い美貌に鋭い切れ長の目。それは見る者の多くを委縮させるだろう。けれどクロウは、灰瞳に宿る輝きに、確固たる意志に、好感を抱いた。故に、彼は頷いて口を開く。


「具体的には、どういったことをすれば?」

「まずもって巣の周辺域でのラティアの動きを調べてください。基本、単独で探査行動を行うラティアが複数で行動している場合、なんらかの目的があるとみることができますから。ついで、彼の地に根付いている巣の状態確認。旧エル・レラを遠望にて観測し、巣の規模やラティアの数を確認します。写真機を預けますので、それらの撮影もお願いします。これで得られた情報が、旧エル・レラに巣くう総数量の想定や活動状況の指標となります。そして、最後に間引き。これについては可能ならばという条件付きとなります」

「周辺調査、巣の確認、できるなら間引きもか……。なるほど、依頼については分かりました」


 少年は真剣な顔で相手の目を見つめ返しながら続ける。


「私としては請けてもいいと考えています。ただ、それには一つ大きな問題があります」

「足、ですね?」

「ええ、私が持つ免許で唯一乗れる舟……、魔導艇がありません」


 この問題的に対して、セレスは特に慌てる様子もなく、当然のように言葉を返した。


「その問題については、こちらでミソラさんと話をつけておきました。耐用試験を兼ねるという形で、試製一三型を借りることが可能です。ですが、一三型は先日仕上がったばかりと聞いていますので、もし不安を感じるならば、時間を取って試走することもできますし、先に使用した一二型を使っても構わないとのことです」

「はは、用意周到、致せり尽くせりですね」

「こちらがお願いする立場ですから、できる限り手は回します」

「それは心強い。けど、この話を通す時にうるさくなかったですか、ミソラの奴」

「いいえ、むしろ大いに使って、マグナ・テクタ発展の糧となりなさいとの言付けを預かっています」

「うぇ、相変わらずひでぇ」


 クロウの口より思わず漏れ出た素の言葉。

 それに引き出されたのか、麗人の口元に自然な微笑み。


 ああ、この人も普通に笑うんだな。


 そんな感慨を少年が抱いている間に、微笑みは泡沫に消えた。少しばかり残念に思いながらも、クロウは発せられた通りの良い声音に耳を傾ける。


「どちらの魔導艇を使うかについての判断は、そちらに意向に沿う形にします。これについては今すぐ決める必要はありません。ですが、決定した際の連絡はお願いします」

「わかりました」

「次に報酬についてですが、前金として一万ゴルダを、また達成した際に四万ゴルダを支払います。またこれに加えて、得られた情報の質や間引きの数量次第となりますが、追加報酬として最大二十五万ゴルダまで見積もっています。最後に、これは他の条件付きとなりますが、マグナ・テクタの魔導艇……正規量産された三一八年初期型斥力浮上式魔導舟艇ラ・ディを提供しようと考えています」


 さらりと付け加えられた言葉に、少年は理解が追い付かず、ただただ瞬く。それが数秒続いた後、ようやく声を絞り出した。


「え、ええと、あの……、あれ、百万近くになると聞いてますけど?」

「本格的な量産が成れば、今少し安くなりましょう」

「ああ、そうですねって、いや、そういうことではなくて、なんかもらいすぎな気が……」

「船隊を一つ動かす経費や必要な時間、有事の損失を考慮すれば、むしろ安上がりです」

「は、はぁ、そうなんですか」

「はい。この辺りの感覚の違いは、組織と個人、それぞれの観点からの違いと言えましょう。……ふふ、少し話が逸れましたね」

「あ、すいません」

「いえ、構いません」


 創設式典に垣間見せた、気安げな調子。だが、それも続く声に沈んでいく。


「話を戻します。今言いました、魔導艇を提供する条件ですが、別の大きな仕事を引き受けていただきたいのです」

「それは?」

「東方北回り航路の新規開拓……、具体的に言えば、友邦ペラド・ソラールまでの新たな魔導船航路の開拓、それにともなう未踏破域の調査です。魔導艇の提供はこれの前払い分でもあります」


 大きな話に、クロウは無意識に息を呑む。その間にも麗人の声は話を紡いでいく。


「こちらも本来であれば、船隊を動かすべき案件……ゼル・セトラス域全体の安全保障に関わるものです」

「は、はは、大きな話ですね」

「確かに大きな話ではありますが、現状においては有意性が弱い為、優先度は落ちています。ですが、何が起きるかわからない以上、できる限り備えなければなりません」


 話に不穏の影を感じて、若き機兵は思わず尋ねた。


「それは東方域に、問題があるということですか?」

「ふふ、問題がない場所など、どこにもありませんよ」


 セレスはふっと微笑んで答える。付き合いが浅い少年でも、そこから疲れと影が感じられた。声を失ったクロウに対して、麗人は何を思ったのか更に言葉を積み重ねる。


「ゼル・セトラス域に限ってみても大なり小なり甲殻蟲による被害は報告されていますし、賊党による被害も起きていました。もっとも、後者については賊党の討伐は成り、新たな被害の報告もないことから状況は落ち着いたと言えるでしょう。ですが、域外では様々な軋轢が……、そうですね、エンフリード殿もアーウェルで経験されたような、人と人の争いが増えてきています」


 そうまで言った後、わずかに目を伏せて首を左右に一振り。


「いえ、対立自体は以前からありました。ただ愚者の凶宴(十五都市戦争)での教訓もあって、各々の指導者が決定的な対立を避けていたのです。けれど、時による記憶の風化に加え、蟲の脅威に抗するだけの力を得たという自信もあるのでしょう、人の心が自制を弱め、妥協を認めがたくなりつつあります。実際、対立点での折り合いがつかず、目に見える衝突も発生しています」


 話を聞いて、真っ先に思い浮かんだ語が少年の口より忍び出る。


 戦争?


 その小さな呟きは思いの外、室内に響いた。麗人は肯定も否定もせぬまま、静かに答えを口にする。


「一年程前に、帝国と同盟がその手前まで行きました。その時は局地的な衝突で済んだことに加え、その他の要因も絡んだこともあって、今は小康状態にまで落ち着いています。ですが、現地で睨み合いが続いている状況に変わりはなく、先の動きによっては……」


 起きるかもしれないと、クロウは途切れた後の言葉を自身で補って受け取る。それと同時に、本当に身の丈に合わない大きな話を聞かされたと、途方に暮れた気分に陥る。

 だが、彼は知らない。目の前にいる人物が親しい者以外で、ここまで語ること自体が珍しいということを。


「この依頼も、それに関連して?」

「否定はしません。旧文明期でも一度乱が起きれば、大なり小なり影響が周辺に波及して、世情が不安定化するのが歴史の常でした。その後継である我々についても、それは当てはまるでしょう。人の本質はそう簡単に変わるはずがありませんから」


 一息。


「東方域は近隣領邦との利害を調整し、決定的な対立を避ける為の枠組みとして、帝国の間接統治を受け入れています。ですが、全ての領邦がそれを歓迎している訳ではありません。帝国の影響力を排して自身が東方域の盟主たらんと望む邦もあれば、軍事力でもって周辺域の支配を考える邦もあります。事実、先の局地紛争が起きた後、東方域では帝国の隙をつく形で賊党による商船への襲撃が多発し、今も続いています」

「その言い方だと、賊党の裏に……」

「明確な証拠までは掴んではいませんが、おそらくは関与する領邦があるでしょう」


 そう告げた後、麗人はじっとクロウを見つめた。少年もまた見つめ返す。それが十秒近く続いた後、再び部屋の主が口を開いた。


「加えて、アーウェルで起きた騒乱の裏にも」

「なっ」


 クロウは驚きのあまり声を上げた。その間にも組合幹部の話は続く。


「ゼル・セトラス域の諸都市と友邦ペラド・ソラールとの付き合いは深く長いものです。当然、それに付随する形で交易量は多く、もたらされる利益もまた大きい」

「それを狙って?」

「そうだとまで言い切れませんが、おそらくはそうでしょう。アーウェルはゼル・セトラス域における東の要であり玄関口であると同時に、東方交易の始点でもあります。やり方次第ではこのゼル・セトラス域より莫大な富を得ることも可能でしょう」


 もちろん、そのようなことを許しはしませんが、と続けて、セレスは冷めた微笑みを浮かべた。

 その冷めきった感情を目の当たりにして、少年は背筋に冷水が伝うような感覚を覚える。自然と引き攣りそうになる表情を必死に抑えていると、麗人は元の怜悧な顔に戻す。それから改めた様子で話し出した。


「今現在使われている東方航路はそういった疑わしい領邦に近く、時と場合によっては遮断されてしまう可能性があります。そうなってしまえば、ゼル・セトラス域での生活や発展への影響は必至です。新規航路の開拓はそれに対する備えという形になります」

「ええ、話を聞いて、今すぐではなくても重要なことであるということがわかりました」


 セレスは首肯でもって応えると、また依頼の説明に戻る。


「では次に報酬についてですが、これに対する前金は先に話した通り、マグナ・テクタの魔導舟艇となります。また依頼達成の段……ペラド・ソラールに達して、走破航路等を記載した地図を現地組合出張所へ提出した時点で、百万ゴルダ。並びに現物かつ中古となりますが、ラーグ級を一隻、旅団より提供します。この二点に加えて、地図に記載された情報の精査後となりますが、情報の質次第で最大二百万ゴルダまでの追加報酬を考えています」


 耳にした響きの中に無視しえないモノを聞き取り、少年は今度こそ動きを止めた。


「ラーグ級……を?」

「はい。本件について諮った旅団船隊長より進言を受けました。事の難度と重要性を考えれば、これ位の報酬は出して然るべきだろうと」


 期せずもたらされた言葉。

 それは故郷の復興を目指す彼にとってすれば、福音ともいうべきものであった。


 そんな言葉を受けて、クロウは……。



 石が転がる音を耳にして、少年は回想より醒めた。

 即座に得物(魔導銃)を引き抜き、耳目の神経を尖らせて周囲に注意を向ける。


 息を殺して、様子を探る。

 そのまま一秒二秒と時を重ねて、三百近くまで数えた所で大きく息を抜いた。


 そうすることで緊張していた身体より意識して力を抜くと、彼は頭に残っていた言葉を独り呟く。


「ラーグ級、か」


 小さな声音は乾いた荒野へと吸い込まれて消えていった。



  * * *



 エル・レラ。

 ゼル・セトラス域においては廃都とも称される、かつての中心都市である。

 旧文明期時代の在り方については伝わっていないが、断罪の天焔の際には地下避難都市として機能。直後の大混乱期を乗り越え、世界再建の主導権を巡って起きた愚者の凶宴でも一勢力としての自衛戦力を保つことで発言力の確保。それを担保に諸都市の仲裁に務めた。

 そして成立した十二都市連邦に参加して以後は、ゼル・セトラス域の復興に注力。現在の中心都市エフタや北部域の中核都市にまで発展した防塁エル・ダルークといった諸都市の母体となった。

 だが、おおよそ二百年前に発生した、甲殻蟲による超大規模襲撃行動……第二次大漲溢により、失陥。数年後に、十二都市連邦によって結成された遠征軍が奪還を期した攻略戦を行うが、生産力や輸送力が不足したことで遠征軍への補給が滞ったことに加え、各都市軍の足並みを揃えさせるだけの器量を持つ者がいなかったことから、失敗。

 以降、他地域での大漲溢やそれに伴う十二都市連邦の崩壊等もあり、奪還作戦が実施されることはなかった。


 そして今、エル・レラは甲殻蟲ラティアの大規模な巣となっている。


「……っていうのが、エル・レラの成り立ちっていうか歴史っていうか、うん、概要かな」


 ミシェルが語り終えると、前に座った少年は振り返りもせずに答えた。


「あー、そうだったな」

「ちょ、なによその反応。せっかく説明したのにさ」

「いや、説明してもらってる内に、孤児院で習った内容をなんとなく思い出した」


 あっけらかんとした声。

 そこに労りの色が全く感じられないことに、女は気を悪くする。故に胴回りに回した腕、その先の手指でもって報復を実施した。


「ぁ? っあ、あっ、い、だだだっ、つ、抓るなって!」

「ふふふ、クロウがエル・レラについて確認したいって言ったから語ってあげたんでしょう? なら言うべき言葉があるよねぇ」

「わ、悪かった。操縦に集中してて、ついっぁっだだだ」

「言うべき言葉は何かなー」

「ありがとう、助かった!」


 ミシェルは悲鳴じみた声に満足して、指の仕事を終える。痛みから解放され、クロウの口より安堵の吐息が漏れた。


 二人してなんとも気の抜けたやり取りをしているが、彼らの周囲に見える景観は勢いのままに後方へと流れていく。後を追いかけてくるのは、魔導機関の甲高い叫び(回転音)と舞い上がった砂埃だけである。


 クロウは乗機……試製一三型魔導舟艇を危なげなく操縦しながら、溜息を一つ。


「はぁ、確かに今のは俺が悪かった。けどな、流石に操縦中に抓るのとかは勘弁してくれ。下手すりゃ死ぬぞ」

「うふふ、私、あんたとなら死んでも構わないわ」

「俺が構うっていうか、そういうのは冗談でも怖いから、勘弁してくれ」

「冗談だといいわねぇ」

「おい」


 女はニンマリと笑いながら答えず。ただ顔を背中に押し付け、回した腕に力を込めた。

 そんな行動によろしくないモノを感じ取り、クロウは強引にでも話を変えるべく声を上げた。


「ミシェル、そろそろ仕事の時間だ。周囲の観察を頼むぞ」

「えー、こんな危ない場所までついてきてくれる健気な女に、もうちょっと構ってもいいんじゃないかなー」

「健気? したたかの間違いだろ」

「へーほーふーん、そんなこと言うんだー」


 さわさわと下腹部を撫でまわす手。股間にも伸びそうで伸びない動きだ。自然、少年の肌が泡立ち、防塵マスクの下、口端が引きつった。俄然、早口で言う。


「本当にこれ以上はやめろって」

「抓り甲斐のありそうな、引き締まったお腹してるなー。も少し下のモノはどうなんだろうなー」

「ミシェル」

「んーもぅ、余裕がないなぁ」

「前も言ったかもしれんが、お前が余裕持ち過ぎなだけだ」


 クロウは苦言を口にしながら、今後の予定を想起する。

 エル・レラまで後四十アルトの地点で北進。六十アルト行った段で西に変針。また六十アルト行った後に南へ。そこから再び六十アルト進んで東に変針、最初の位置に戻る。これで三時間前後。

 それからは旧エル・レラにできるだけ近づいて、巣の状況を直接確認して、写真機での撮影をする。以降は状況に応じて間引きを行うなり観測を密にするなりした後、離脱。昨日、野営した場所に引き上げる。


 少年は内々で手はずを再確認すると、身に着けた二眼ゴーグル越しに計器を確認。速度と走破距離、更には方角を見て、次の変針までの時間を計る。


「変針まで後一分」

「了解。最後の確認だけど、周辺を回る時は写真機を使わないで、何か見つけた時に声をかけて、事柄と時間を手帳に書き込めばいいのよね?」

「ああ、エフタに戻ってから、それと操縦記録、砂海図とを照らし合わせる。だから、できるだけ精確に頼みたい」

「はいはい、努力します」

「それでいいさ」


 そう応じた後、クロウは周囲に目を向ける。

 東空にて輝く光陽。当然ながら陽が陰る様子は微塵もなく、強い陽射しを赤錆びた大地に注いでいる。地表面には早くもゆらゆらと揺れる陽炎。遠方の廃墟が浮かんで見えた。

 グランサー時代を思い出すが、すぐに流してまた計器に目を落とす。


 変針位置。


「変針、方位〇、ラース(面舵)


 確認を込めての呟き。それに従って、少年は魔導艇の舵をきった。



 向かう先には廃墟の類は少なく、瓦礫の山が目立つ。

 他はちょっとした丘陵があるだけで、砂海の常である赤茶けの大地が延々と続く。この砂礫と瓦礫で織り成された荒野では、時折吹く風で砂埃が上がる以外に変化は見えない。

 だがしかし、それは相応の訓練を受けた者からすれば違うようで、女密偵の口からはラティア発見の声が次々に上がる。


「右横五アルト、ラティア一」

「左前……七アルトかな、ラティア一」

「左横一アルト、ラティア一、接近中だけど?」

「無視していい。こっちが速度を落とさない限り、追いつけないさ」


 クロウは後方からの声に応じてから、やはり巣に近いだけあって、どこかしこにいるモノだと唸る。もっとも耳にするのが単独で動いているという内容ばかりである為、組織的な動きはなさそうだとの思いを抱く。

 その一方で、連中は斥候ないし警戒役みたいなものかもしれないとの疑いが思考の片隅にたゆたう。


 蟲の動き、というよりは配置について色々と考察する内に、変針位置。

 現状確認を兼ねて変針位を呟き、機械的な動きで魔導艇の進行軸を変えた。それから先までと同じように、進行方向に蟲の影がないか或いは立ち塞がろうとする脅威がないか、注意しながら突き進む。

 艇の魔導機関は快調そのもので、二重反転推進器(プロペラ)は絶え間なく空を刻み続ける。不意に吹く横風にも、艇は揺らがず態勢も崩れない。彼自身が操縦に慣れてきたこともあるだろうが、それ以上に艇自体の安定性が増しているようであった。


 これなら正規品にも期待できそうだ。


 そんな思いをクロウは抱く。

 とはいえ、試作機は試作機である。本来ならば命を預けることに不安の一つくらいはもって然るべきだろう。それがないのはひとえに今日に至るまでの経験……、幾度も繰り返された試験で魔導艇に致命的な故障がなかったという実績への信頼故である。


 楽観的な思考のまま進む内、前遠方にラティアの姿。不味いことに、進路が重なりそうに見えた。即座に魔導艇に備え付けられた魔導銃、その安全装置を解除。彼我の距離を測ると同時に、天敵の動きや交錯までの時間を見極めるべく、目を細める。


 数秒程で三分内で最接近と見定めた。ついで、攻撃か回避かを考えて、即決。


「ミシェル。前にラティアがいるから潰して抜ける」

「ん、今書き込んでるから、あんまり激しく動かないでね?」

「注意する」


 相方の言葉に応じる内に、照準器の向こうにあるラティアの姿がどんどんと大きくなっていく。


 六つの足。

 頻繁に動く触角。

 限界まで開かれた顎牙。

 七つの複眼が個別に見極められた所で、右足元のペダルを小刻みに踏み込んだ。


 一つ二つと輝く光が尾を引いて飛び出し、立ち塞がらんとした甲殻蟲に打ち当たる。炸裂光と破砕音。甲殻と肉片、血飛沫が周囲に撒き散らされた。直後、躯を踏みにじるかのように、魔導艇は通過する。


「なんか一瞬、前に嫌になる位にかいだにおいがしたんだけど?」

「そればかりはどうしようもないから、諦めて我慢してくれ」

「あーうん、わかった。けど、できれば次は回避してほしいかなー」


 クロウは向かう先にまたラティアを認め、困った顔で答えた。


「善処はする」


 そんな殊勝な言葉が奏功したのか、或いは冥府の神が一息入れたのか、はたまた双子女神(レーシュ・ルーシュ)の気まぐれ故にか。以後は進路上に行き会ったラティアを五匹ほど撃ち殺したり、ミシェルからの文句があったこと以外に問題は特に起きなかった。


 そして周辺域を一巡りしたことで、調査は次の段階へと入る。


「さて、今日の第一目標(旧エル・レラ)に行ってみようか」

「うーん、酒か花でも持ってきた方が良かったかな?」

「いや、流石にそれは……、まだ早いだろ」


 ミシェルのとぼけた物言いに、クロウは軽口ではなく素の言葉を返す。

 もっとも、こういった会話をする余裕があったのは束の間のこと。旧エル・レラに近づくにつれて、周囲に見えるラティアは急激に数を増していき、進路上での遭遇も先とは比べ物にならない程に増えたのだ。


「さすがに、多い」


 クロウは潰したばかりの死骸を器用に避けながら呟く。

 突入当初、廃都までの距離は約四十アルト。その半分に至るまでに遭遇戦は七度で、十二匹のラティアを潰している。当然のことながら、蟲の密度が上がっていると実感することとなり、彼の背中や額からは嫌な汗が噴き出している。


「なら、もう引く?」

「いや、まだだ。せめて、エル・レラを撮影してからじゃないと、な」


 一度言葉を切ってから、だがと続けて、少年は告げた。


「これが普通なのか、そうでないのかはわからないけど、とりあえず、この辺りの数も記録しておこう。ミシェルは撮影を頼む」

「りょーかい」


 女密偵は軽い声で応じると、首にぶら下げていた写真機を手に持って周囲へ向ける。それから一枚また一枚と写し始めた。それが一頻りすると今度は後ろを振り返り、光学レンズを覗き込んだ。


 舞い上がる砂煙の中、遠近さまざまな所にラティアの姿。明らかに魔導艇を追っていた。


「あはは、後ろ、見事なまでに追ってきてるよ」

「そりゃ、これだけ大きな音出してりゃなぁ」

「うんうん。でもこれなら、手榴弾持ってきた方が良かったかも」

「え、お前、まさか」

「うん、何かの役に立つかもって思ってさ、前の時にちょっとばかり失敬したのよねー」


 悪げがまったく感じられない声に、クロウは呆れを隠さずに言った。


「手癖が悪いな」

「反省してまーす。……とは言っても、物が物だから上に預けたんだけどね」

「それを聞いて少し安心したって言いたいけど、今日はなんで持ってこなかったんだ?」

「いやー、それがエフタでの生活が楽しくて楽しくて、すっかり忘れちゃっててさ、今さっき思い出したばかりよ」

「それはさすがに、抜けすぎだろ」


 前方にまた蟲の姿。射程範囲に入った直後に射撃を加えて、進路を確保。少年は表情を渋くする。


「こりゃ引き返すのは止めた方がいいな」

「というか、もう完全に捕捉されてるっしょ。後ろから追ってくるの、見た感じ百は軽く超えてるもん」

「あー、先に周辺域を回ったのが不味かったか?」

「どうなんだろ。でも、他にやりようがないというか、こんな巣の近くで魔導艇から降りる方が自殺行為じゃない?」

「だよなぁ」


 偵察って難しいとぼやいた所で、クロウは遥か地平線に周囲の景観とは一線を画すモノを認めた。見たことがない代物に、彼は声もなく見入る。


 少しずつ天に伸びていくそれは、都市にある尖塔のようにも見えた。

 しかし、その推測には違和感が付いて回る。なにかが引っ掛かり、それが人が作り出すような、人工的な造形のようには感じられなかったのだ。


「ミシェル、前のあれ、見えるか?」

「ん? なに? ……あれが?」


 魔導艇が前へ進むにつれて、その赤錆色のモノは徐々に姿を大きくしていく。それに伴い、尖塔のように見えたそれがその実は錐形状であることがわかってきた。


「ああ、ラティアの巣、みたいだな」


 呻きに似た声。面覆いの下、若い顔を顰めての言葉であった。あらかじめ聞いていたが、実際に聞くと見るとでは大違いであると思い知らされたが故である。

 そして、地平線の果て……遮るものがまったくない砂塵原の先。陽炎の海に浮かび上がる島を目にした。空の青に挟まれて、ぼんやりと揺らめいて見える赤錆の人工島だ。


「あれが、エル・レラ」


 クロウは自らの声で、先に見えるモノを認識した。

 直後、彼の内でかつての中心都市を確認したことへの感慨が生まれてきた。だが、それ以上に、往時の都に根付いたモノへの不快さがより大きくなった。無意識の内に眉間にしわが寄る。その状態を破ったのは後ろからの声だ。


「クロウ、どうするの?」


 遠望での撮影で構わないと言われていたが、クロウの感覚がまだ近づけそうだと囁いた。


「できるだけ接近する。ミシェルはあのデカブツとかエル・レラの様子を撮ってくれ」

「了解。なんなら、間引きついでに直接調べにでも行く?」

「冗談」


 茶化した声に一言返し、少年は目の前に広がる光景に意識を向ける。

 巣が見えてからというもの、視野に入るラティアの数は明らかに膨れ上がっている。その内、地面よりも多くなりそうな勢いだ。


「もう冷汗が流れっぱなしだ!」

「現実がわかっててたいへん結構! やることやってさっさと帰りましょ!」


 やや早口な声に応じるように、クロウは足元の射撃ペダルを踏んだ。風防越しに獲物を捕らえては、幾度も幾度も。その度に進路上の蟲は吹き飛び、その躯を荒野に晒した。


 魔導艇は(雑兵)を蹴散らして猛進する。


 古き都……滅び廃された都市がぐんぐんと近づいくる。

 天地にそびえ立つ巣。クロウの目測で高さは五十ないし六十リュート。その表面はある程度滑らかに見える。が、目を凝らせば、表面に張り付いた個体の他にも、影があちらこちらに見えた。そのことから、大小様々な凹凸が不規則に連続しているようだった。

 視線を地に戻す。群為すラティアに遮られて見えにくいが、市壁だったと思しきモノが見えた。南北に続くそれは至る所で崩落している。どうみても爆発で吹き飛ばされたようにしか見えない場所もあれば、内側に大きく倒れ崩れている場所もある。そういった空隙より除くのは、明らかな人工物。それも砂海で見られるような廃墟然としたものではなく、今の都市で見られるような複層の建物だ。

 だが、そこには往時の人が暮らした面影は薄く、数十、否、数百にも及びそうなラティアが見えた。よくよく見れば、一際大きな個体の姿もあちらこちらにあった。


 我が物顔で陣取るような姿に、仇敵への敵愾心が刺激される。


 クロウは胸の内で沸き起こる強い思いを努めて鎮めると、速度はそのままに方向舵を操って艇を北へ向けた。

 もっとも、勢いの付いた魔導艇は装軌や装輪のようには曲がれない。当然の如く艇は流され、右舷が浮かび上がりそうになる。それを体でもって押さえつけた。その一方で、行き足は停止寸前にまで落ちていく。


 まるでこの時を待っていたかのように、七つ目の蟲が押し寄せてくる。


 命の危機に、全身が熱くなる。


 目に映る全てが遅くなり、感覚が冴えていく。


 それは短くも長くもある時の連なり。


 噛みしめる歯。


 制動は論外と、全力加速。


 半瞬遅れて魔導機関の唸りがより強く大きな唸りを上げた。


 悲鳴が聞こえるが、構わない。


 だが、無情にも進路を幾つもの影が塞ぐ。

 切り抜けるのは厳しいと断じて、舌打ち。即座に操縦桿より右手を離し、腰に伸ばす。ついで魔導銃の切り替えレバーを全力で弾き(連射へ切り替え)、引き抜きざまに撃ち放つ。

 勢いのままに半弧を描くと、瞬く間に前面の脅威は弾け飛び、空隙が開いた。それを確かなものにすべく、更に足元の射撃ペダルを立て続けに踏む。連なる光弾が射線上のラティアを屠った。

 こうして進路を切り開くと、魔導銃を左手に移してまた加速に入る。が、その一時の間にも離脱を阻止せんと六足の異形は迫り来る。死を恐れぬ群体に、見開いた目と筒先を向けて、ただただ引き金を引く。その度に緑色の飛沫が宙を舞い、艇体やゴーグルを汚す。だが、拭う余裕などありはしない。


 ただ魔弾でもって道を開き、ひたすらに加速、加速、加速。


 かつての市壁を横目に、前へ、前へ。


 魔導艇の行き足に乱れはない。むしろ断続的な加速を得て、より強力に空を切り裂いていく。


 撃ち放たれた弾丸の如く、魔導艇は蟲の脅威が追い付かぬ場所を目指して奔り続ける。


 それが一分二分と続く内、向かう先に見える蟲の数は減っていき、十分を超えた頃には(まば)らになっていく。


 そこに至り、クロウはようやく詰めていた息を吐き出した。ついで、なにがしかの声を出そうとするが、明確なモノにならず、また息を吐いた。そんな彼に届く女の声。普段からは考えられない程に、低く据わった声音だった。


「クロウ」

「な、なんだ?」

「さっきの方向転換、あやうく落ちそうになったんだけど?」

「はは、い、いやー、ミシェルなら大丈夫だろうって、うん、信じてたからな」

「うわ、てきとうすぎ」

「ほんとほんと」


 当座の危機を脱したこともあってか、二人の声には脱力感が多々含まれている。もっとも、完全に安全とは言い難いこともあり、気が抜け切っているといったことはない。

 実際、クロウは進路上の蟲を撃ち殺しているし、ミシェルもまた周囲の撮影や後方の確認を怠っていない。


「はー、ほんともう、いくらなんでもさっきのは近づきすぎでしょ。魔導艇が一所で停まった時なんか、心臓が止まるかと思ったわ」

「はは、いや、思ってたよりも速度があってな」

「いけるいけるって、調子に乗り過ぎ。あれ、壁まで三十リュートくらいまでいったんじゃない?」

「そんなもんか」

「ええ、私の目測だとね。……まぁ、近づいた分、写真はしっかり撮れたけどさ」

「そりゃ良かった。追加報酬が出たら、七割は進呈するよ」

「ほんと、それ位は出してもらわないと割に合わないわ」


 ミシェルの声が普段の調子に戻ってきたのを受けて、クロウはようやく口元を緩める。


「イイ具合に追加が出ることを祈っておいてくれ。……さて、後はエフタに帰るだけになるが、その前に連中の追跡をどうするかだな」

「どういうこと?」

「連中が俺達の後を追うのはいいとしても、そのままの勢いで開拓地に向かって行って襲撃なんてことになったら困る」

「あー、そういうこと」

「ああ、だから、連中の追跡を受けたまま、一旦西に行く。あっちには開拓地がないからな」

「つまり、何もない所に誘導するってことね」


 少年は頷く。それから北西方向に目をやりながら答えた。


「俺にとっては他人事じゃないからな。できるだけ迷惑はかけたくない」

「わかった。んで、その後は?」

「適当な所で振り払って、大きく南回りするつもりだ」

「となると、エフタに着くのは明日の夜か、明後日ってところかな」

「ああ」

「なら、またクロウ謹製の朝食を期待させてもらいましょうか」

「ま、夜通し走り倒す、なんてことにならなかったらな」


 クロウは軽い調子で答えると魔導艇の舵を切り、針路を西へ向けたのだった。

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