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魔導黎明記  作者: 綺羅鷺肇
1 魔導人形は夢を見る
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七 人に仇為すモノ

 走る、走る、走る。

 シャノンは装備品の小型照明灯を頼りに、ひたすら通路を走る。

 足がもつれて幾度と転んでも、流れ落ちる汗や零れた涙で床の砂塵を濡らし、震える足で立ち上がり、ただ真っ直ぐに、前へ前へと。


 孤独に駆けるシャノンは今、唐突に命を奪われた者達の姿と自らに迫る死の危険、周囲を覆い尽くす圧倒的な闇への畏怖、身体を苛む痛みによって、大いに心乱され、追い詰められていた。


 どうして自分がこのような目に合っているのかという疑問と、無残な死を目にした事で湧き起こった死にたくないという欲求と、理不尽な現状に対する不満と嘆きと苛立ちと憤怒と、それら全てを上回る、あの惨劇を生み出したと思われる得体の知れぬ存在への恐怖とが、見境なく混じり合った事で生み出された純粋な負の感情がシャノンの中に満ちて、思考を縛り、身体の主導権を奪い、心の均衡を崩し、更なる恐慌を呼び込み続けているのだ。


 脇腹の痛みに耐えかねて、行き足が止まりかけると、シャノンの脳裏に後方から自分を追ってきている赤い一つ目が浮かぶ。


「……ひっ」


 自分の想像で再び恐怖し、息切れしている口から呼気に似た悲鳴を漏らす。そして、己を縛る恐怖から逃れようとする一心で、荒々しい呼吸や脈動をそのままに、無理矢理に足を動かして前に進むのだ。


 だが、身体を動かす筋肉は既に限界を超えており、転倒したり、足が止まりかける度に走る速度は遅くなっていく。それでも足を止めてしまわないのは、それこそ生存本能が目的を果たそうとしているからに過ぎない。


 生きたいという渇望だけで何とか身体を動かす状態の中、年若い魔術士は光の中に通路の終わりを見い出した。


 シャノンの纏まらない思考に、一筋の光が差し込む。

 もしかしたら、この先に隠れる場所があるかもしれない、どこかに隠れてやり過ごすことで助かるのではないか、と……。


 しかし、通路の壁がなくなり、新たな場所に出た瞬間、その希望は無残に打ち砕かれた。


「ぁ……」


 行く手を遮る形で、光の中に浮かび上がった赤い存在……、三対六本の足でもって凹凸がある甲殻で覆われた四リュート近い身体を屹立させる甲殻蟲の姿を認めて、シャノンの頭の中は真っ白になる。


 すぐ近くにある巨大な頭部、そこに並ぶ無機質な赤い目玉の群れと延び出た二本の触角は、確実にシャノンの存在を捉えており、その不気味な口に連動する、鋭利な刃と見間違わんばかりの大きな牙を開き、今まさに、その身体を捉えんとしていた。


 棒立ちのまま、呆けた顔で人に仇為すモノを見つめるシャノンの頭に過ぎるのは、できれば、痛くない方がいいな、という諦観とも呼べる思考。


 心折れた若き魔術士は最期の時を……、開かれた牙が閉ざされる瞬間を静かに待つ。


 刹那。


 紫がかった閃光が閃き、破裂音が闇に響き渡る。


 それらの光と音を知覚した瞬間、側面からの衝撃を受けて、シャノンは力なく床に押し倒された。

 脱力していた所への突然の衝撃で、遂に心身の限界を超えたシャノンは、何者かに引き摺られる感覚の中、意識を落としていった。



 背後でラティアが床に倒れ伏す重々しい響きや漏れ出た何かが滴る音が聞こえてくるが、少年は頓着することなく、壁の物陰……間仕切りの中に、大急ぎで確保した人物を引き摺り込み、その人物が身に着けていた照明器の光を消した。


 そして、息を殺して耳を澄ます。


 何かを追うように周囲を徘徊したり、遺体を貪ったりしていた他のラティア達が周囲に探りを入れているのか、動き回る耳障りな音が幾重にも重なって響いていた。


 とりあえず、見つかることなく上手くいったと、命懸けの行動という大緊張から解放されたクロウは詰めていた息を大きく吐き出した。



 遺構内に爆発音が響き渡った後、クロウとミソラは咄嗟に一番近くにあった間仕切り……、十九番遺構に続く通路の反対側にある間仕切りの窓口を飛び越えて、その中に隠れた。


 幸いにして、彼らの隠れた場所は、出入り口が外周通路に面した一か所だけであり、その入り口もラティアが入り込める大きさではなかった為、直接、入り込まれて襲われるという心配はなかった。

 けれども、出入口自体には扉がない事に加えて、広場に面する部分が上半分を開けた窓口構造である為、発見される可能性が高い場所でもあった。


 そんな訳で、二人はラティアが遺体を貪る音に顔を顰めながら、息を潜めて、蟲を何とかして逃げるか、蟲が立ち去るのを待つかと、今後の方針を話し合っていたのであるが、隠れ場所より一番近い位置にあった、爆発音が聞こえてきた通路から足音が近づいてきた事で中断し、出入り口の陰より様子を窺うことにしたのだ。

 もっとも、クロウ達が気付いたように、ラティアも足音に反応して動き出し、一匹が通路の出入り口近くで待ち構える姿勢を取ったのを見て取ると、クロウがミソラに一言告げて飛び出して行って……、現在に至るという次第である。



 クロウは背中や顔から噴き出る汗を感じながら、大きな達成感に浸る。


 だが、流れ落ちた汗が床に染みを作ったのを見て、隠れた当初に憂慮した懸念……、汗の臭いや体臭がラティアを誘引してしまうという事実を思い出し、困った表情を浮かべた。

 そんな彼に追い打ちをかけるように、自分以外の体臭も鼻腔に感じ取り、その表情はよりいっそう渋いものになる。


 叶うなら体臭も甲殻蟲の青臭い血の臭いに紛れて、蟲に感づかれなければいいが、と願望に似た考えを抱いていると、ミソラが受付台と思しき台の上よりクロウの左肩へと飛び降りて来た。

 その際に、わざわざ踵の一点で着地して鋭い痛みを与えてきたことから、クロウは己が為した先程の行動に、ミソラが不満を持っている事を察する。


 実際、彼に呼び掛けたミソラの声は硬い。


「クロウ」

「ああ、流石だな、ミソラ。さっきの一撃、かなり効いたみたいだ」

「ええ、とりあえず、一撃で効いてくれて良かったわ。でもね……」

「わかってるよ。見ず知らずの、しかも、人殺しかもしれない奴を、わざわざ自分の命を懸けて助けようとするなんて、馬鹿げてるって言いたいんだろ?」


 自分が言いたかったことをほぼ全て先取りされた為、ミソラの顔は不機嫌さが二割増しになった。


「そうよ。実際、危なかったでしょ?」

「あぁ、途中で気付かれてヤバかったよ。……牙が頭の上を通り過ぎる風切り音を聞いたしな」


 それを聞いたミソラは、顔に不機嫌分を更に割り増し、小声ながらも語気荒く、クロウに詰問する。


「まったく、何考えてんのよ、あんたはっ! 人助けが趣味だとでも言うつもりっ?」

「そこまで綺麗というか、お人好しじゃないさ」

「なら、なんであんな馬鹿なことしたのよ?」

「頼りになるおねーさんが言ってた、いい男になる為の修行って奴?」


 少年が気取った風に言葉を発すると、少女からの応えは頬へのかなり強い一撃であった。反対側まで走り抜けた衝撃に、クロウは思わず顔を顰める。


「ぃ、いつつ……。い、今のは冗談なんだが……」

「真面目に答えなさい」

「……真面目な話、この場所の近くで殺されたら、更にラティアを引き寄せる可能性があるって事と、爆発があった方向から来るんだから、その件について何か知ってるって思った事。……ついでに、もし関わってるなら迷惑料を取るか、関わってないなら命を助けたって事で礼金でも貰おうと思っただけで、それ以上でもそれ以下でもないさ」


 目の動きが若干怪しいクロウが並べた理由、それのどこまでが建前でどこまでが本音か、また、理由そのものの真偽について、ミソラは測りかねたが、とりあえず、己の内で燻っていた不満を爆発させた。


「なら、前もって、ちゃんとそう言いなさい! いきなり、こっちに来るマヌケを助けるから、蟲を何とかしてくれ、なんて言い出して、打ち合わせもないまま、さっさと飛び出していくなんてっ、冷や冷やしたこっちの身にもなりなさいよっ!」

「いや、時間がなかったというか、口の前に身体を動かす必要があったし、信じて頼りにできるおねーさんがいたからこそやったんだよ。一人じゃ……、いや、それに、ほら、俺だって、覇気がなくても、ちゃんと玉が二つ付いた男の子だからさ」


 以前、自分が言った言葉で減らず口を返されると、ミソラは再度、少年の頬へ拳を入れて、耳元で鋭く一声。


「ばかっ!」

「……すまん」


 ようやく引き出したクロウの謝罪にミソラは頷いてみせるが、やはり怒りは収まらないようで、鼻息を荒々しく噴出して、更に言い募る。


「本当にもうっ! あんたが私に言ってたようにっ、ちゃんと身の程を弁えてっ、己の力にあった行動をしなさいっ! 私はこんな所で、いきなり帰る場所を無くすつもりはないんだからねっ!」

「ああ、肝に銘じておくよ」

「ふん、どうだかっ」


 小人の少女は剥れた風に口を尖らせ、クロウが確保に成功した外套に身を包む人物に厳しい視線を向けた。


「……で、この子、どうするのよ?」

「正直、この危険地帯であれだけの足音を響かせて走ったり、甲殻蟲を前にした時の呆けた顔を考えると、例の人殺しではないと思う。けど、見た目に騙されるって話も聞いたことあるから、念の為に、口と指を縛って、目隠しもしてから、危険物を持ってないか、持ち物を調べてみようと思う。話を聞くのはそれからかな?」

「そう、ちゃんと危機意識を持ってるならいいわ」


 と言いつつも、その平坦な口調で怒っている事を隠さないミソラに、クロウは微かな笑みを零す。


「……あによ」

「いや、なんでもないさ」


 ここに至って、ようやく己の心が昂揚していた事を自覚したクロウは、口に出して言いそうになった、心配して叱ってくれる人がいるのって、こそばゆいもんだな、という言葉を胸の内に封じ込めた。


 その代わり、昂揚した精神を落ち着かせる為にも、努めて冷静な目で、床で気絶している人物を観察する。


 汗や鼻水や涙に加えて、砂塵や埃といったものに塗れているが、その顔立ちや肌付きや髪質に、男とは思えない艶めかしさを感じ取れた。それらの事に加えて、引き摺った時の重さや掴んだ腕の肉付きや感触から導き出した結論を、クロウは口にする。


「……女、かな?」

「多分、そうだと思うわ。クロウ、これ幸いとばかりに、変な所は触らないように」

「なら、男が触らない方が良い所は、ミソラに任せていいか?」

「む……、わかった。なんとかするわ、っと、その前に……、MG Vt Do-MuYe Ml-Hr CIMA」


 ミソラの周囲にそよ風に似た空気の流れが生まれ、クロウ達を取り囲むように流れ始めた。


「これは?」

「防音と防臭代わりよ。本来の使い方じゃないから気休め程度だし、今まで通り慎重に」

「いや、どうしようかと困ってたところだ、助かるよ」

「はいはい、さっさとやって、話を聞き出すわよ」

「了解、本当に頼りになるおねーさん」


 ミソラからの返事は、三回目となる拳での腰が入った強力な一撃であった。



  * * *



 クロウとミソラが確保した人物の身体検査を始めた頃。

 四十一番遺構近くに停船しているルシャール二世号の周辺では、人と蟲の闘争が始まっていた。


 大地に積み重なった瓦礫を踏みしめ、赤い砂塵が舞い上げながら、黒甲冑の兵と赤錆色の甲殻蟲とが、互いに相手の命を奪わんとそれぞれの得物を振る中、帝国機士アルベール・アルタスが四十一番遺構とルシャール二世号とを二本の線で繋ぐように展開している部下達を叱咤する。


「今少しで避難が終わるぞっ! 蟲共を避難路に近づけるなっ!」


 彼は己が率いる五機の魔導機の内、四機を避難路の確保や避難者の護衛、ルシャール二世号と大地を接する斜路の守りに当ており、実質、自由に動かせるのは後方に随伴させる一機だけである。


 しかし、アルベールは特に焦りを見せる様子もなく、搭乗する魔導機……見る者に鋭敏な印象を与えるラケ・ゴラネスを蟲が最も多く集う場所、遺構と船の中間地点へと突出させる。


 自分達を取り囲むラティアの群れの前に、堂々と進み出たラケ・ゴラネスに、一匹のラティアが牙を剥いて躍り掛かる。


 そのラティアは攻撃衝動によるものか、頻繁に首を振り、口元の大牙を激しく開閉させており、生身であれば、振り回される首に跳ね飛ばされるか、二本の牙に掛かって為すすべもなく食い殺される所である。


 この迫り来る脅威に対して、ラケ・ゴラネスは魔力から生み出される力を使い、手に持った重厚な大剣を振り上げると、臆することなく真正面より一足で切り込む。


 機士の口より鋭い呼気。


 ラケ・ゴラネスが右上段より振り下ろした大剣は鈍い刃と重量によって、突撃中のラティアの巨大な目と頭部を叩き割り、ぶつかり合う力の残滓によって、その胴体の半ばまでを貫く。


「ラフェルっ!」

「了解でさぁっ!」


 蟲を深く刺し貫いたことで武器の自由を一時的に奪われる形となったが、アルベールは慌てることなく自身の後方に控えていた部下に声をかけた。

 すると、ラフェルと呼ばれて反応したゴラネスは、ラケ・ゴラネスに牙を突き立てようと、その左側より急速に接近してきたラティアの右側面、その長い足を柄の長い大戦斧でもって薙ぎ払う。


 機体の力だけでなく遠心の力も加味された戦斧は硬い甲殻をものともせず、一本二本と切断し、最後の三本目を半ばへし折る。片側の足を全て潰されたラティアは甲高い悲鳴に似た鳴き声を上げると、断ち切られた足より流れ出る緑色の血溜りの中に倒れ込んだ。


 その様子を専用ゴーグル越しに確認しつつ、アルベールは緑血に塗れた大剣を引き抜き、右側より接近してきた新たなラティアと対峙する。


 今度のラティアは、ラケ・ゴラネスの周囲に散っている緑血や一撃で叩き潰されてた同族の遺骸が影響しているのか、隙を窺うかのように頻繁に立ち位置を変えて、突進してくる様子はない。

 甲殻蟲が放つ悲痛な鳴き声や鈍く重い打突音を背景に、細かな瓦礫や砂塵を踏みしめて、場所を少しずつ移動しながら、一人と一匹が睨み合う。


 と、その時、後方で避難路を維持している機兵から声が届く。


「アルタス隊長! 最終組が来ますっ!」

「了解した! 今少し、蟲をこちらに引き付ける! 貴様らは最後の一人が船内に入り、斜路が上がり切るまで、持ち場を堅守せよ!」

「了解でありますっ!」


 その間にも、アルベールに狙いを定めたラティアがその周囲に集まり始め、徐々に包囲の網を広げていく。この動きに加えて、立ち位置の変化で、避難路や僚機から徐々に引き離されつつあると察したアルベールは、背後に控え、周囲のラティアを牽制しているであろう部下に指示を出す。


「ラフェル」

「へぃ」

「貴様も遊撃として避難路の守りに入れ。この地の蟲は無駄に頭が回るようだ」

「……了解でさぁ」


 部下は、単機で大丈夫か、等とアルベールに問う事はなかった。ただ、いきがけの駄賃に一番近くにいたラティアの触角を切り落とし、仲間が遺構と船を結ぶ回廊を守るべく戦列を形成する後方へと引いていく。


 そして、十数余のラティアが群れをなして取り囲む中に、ただ一人、アルベールだけが残った。


 危地に一人残る彼の心を満たすのは、機士になって以来、久しく感じていなかった高揚感。

 普段、冷静な表情を崩さない青年の顔に、その気の昂ぶりを現すように好戦的な笑みが浮かび上がり、ラティアが動き始めたことで、より深く、より獰猛な物へ変化していく。


 それを知らぬラティアが二匹、左右より鋭利な牙を煌めかせ、ラケ・ゴラネスに迫る。


 二匹が同時に迫り来る圧力に対し、アルベールは慌てることなく狙いを右の一匹に定めて、両膝を深く曲げる。そして、足元のペダルを踏み込み、腰と脚部に備えられた補助噴射装置を作動させると、一気に跳びあがった。


 為されたのは四リュート近い跳躍。


 ラケ・ゴラネスは迎え撃とうと頭を上げたラティアの牙を飛び越えて、二本の触角を切り払い、更には機体の重さや落下する力も使って、その頭上に大剣を突き落とす。


 甲高い鳴き声と共に暗緑の血飛沫が跳ね上がり、黒い機体を染める。


 左側から襲おうとしていたラティアの足が怯むように一時停まるが、次の瞬間には走り寄り、仲間の上で存在を誇示する獲物の足を刈り取るべく、二本の牙を振るう。


 しかし、獲物を捕らえるはずの牙は空を切り、代わって牙を閉ざした巨大な頭部が地に落ちた。


 砂塵を舞い上げて倒れ行く胴体、その切断面より大地を染めんと緑血が噴き出るが、それを為したラケ・ゴラネスは既にその場にない。

 止まることなく周囲を取り囲むラティアに切り込んで、横薙ぎの一閃で三匹の頭部を叩き割り、体当たりを仕掛けてくる一匹の足関節にぶ厚い刃を振るって切り飛ばしていた。


 一分も満たぬうちに半数近い仲間を潰されて、ラティアの群れは怒りとも嘆きとも取れそうな甲高い鳴き声を砂海に響かせる。

 この鳴き声に釣られたのか、ゴラネスによって牽制されつつも、避難路を脅かしていたラティアの一部がラケ・ゴラネスに狙いを変える。


「隊長ぉっ! 更に四匹、そっちに行きますっ!」

「構わんっ! こちらで全て叩き潰すっ!」


 アルベールが発した大声に刺激されたのか、取り囲んでいたラティアの一匹が飛び出し、後方の四本足で上体を起こす。青い天へと伸び上がり、自由になった二本の前足をラケ・ゴラネスに向かって振るう。


 腹部という急所を晒しての強烈な一撃。


 激しく叩きつけた足先の鉤爪がラケ・ゴラネスを抉る。


「フゥッ……ンッ!」


 かに思われたが、打音を響かせ、大地の瓦礫を砕くだけで……、いや、一気にラティアの懐に飛び込んだラケ・ゴラネスの分厚い大剣が、ラティアの胴体部を刺し貫き、半ば両断する形で振り下ろされたことで終る。


 鳴き声すら発さず、前のめりにラティアが崩れていく中、その割られた腹より緑血に塗れた臓物がラケ・ゴラネスに降りかかる。


「む……、流石に、これは、技班から文句を言われるか」


 アルベールは僅かに眉根を寄せて呟くと、ゴーグル内の緑に染まった視界を元に戻すべく、頭部に備えられた洗浄機を作動させる。それと時同じく、件のラティアが地響きと砂埃を立てて、赤い砂塵の中に沈んでいった。


 屠ったラティアを背後に、ラケ・ゴラネスは緑血に染まり切った大剣を再び構え直す。


 その装甲に付着した緑血は、外気の熱さや機体が発する熱もあって、早くも蒸散して、一部成分が固まり始めている。

 そんな黒い魔導機を包囲するラティア達は、気負うことなく悠々と立つ大敵を恐れ、誰が次に攻撃するかと相談するかのように、小さな鳴き声を立て続けに上げながら、頻繁に触角を動かす。


 この強さ……、獰猛な甲殻蟲をもって襲う事を躊躇させる強さが、アルベール・アルタスという若者を一機兵から機士に押し上げた理由。

 並みの機兵では到底真似できない、大胆で慎重な機体操作と巧みで豪快な剣捌きで為される立ち回りで、一呼吸毎に蟲を屠っていくという強さこそが、彼を機士に至らしめたのだ。


 再び動き出したラケ・ゴラネスが大剣を振るう度に緑血や甲殻の欠片が舞い、場所を移す度に大地に巨大な蟲の死骸だけが残される。


 程なくして……。


 この人型をした黒い暴風に抗することができなかったラティアの群れは、その緑に染まった躯を赤い荒野に晒す事となった。



 アルベールは己に釣られ、向かってきた二十近いラティア、その全てを大地に沈めると、後方で戦列を形成する部下達を遠目に見やる。


 彼が戦列を離れる直前まで、戦闘に参加していたゴラネスの数は五機。


 だが、今、その姿を見せているのは四機だけであった。


 この事実に若き機士は表情を厳しくすると、戦闘で酷使した影響で排熱が追い付かなくなり、各部よりかなりの高熱を発しているラケ・ゴラネスを部下達の下へ走らせる。


 瓦礫で満ちた不安定な荒地であるにも拘らず、十秒に満たぬ内に戦列近くに到達すると、アルベールは素早く戦域を見渡し、敵味方の位置や様々な形で叩き潰されて放置されている十近い蟲の死骸を確認してから、指揮を委ねていた最先任機兵が乗るゴラネスに呼び掛けた。


「ボーマン! 状況を報告せよ!」

「非戦闘員の避難が完了っ! 避難途中で転ぶなどして、数人の怪我人が出ていますが、いずれも軽傷であります!」


 部下達と相対するラティアの数は六。


 四機のゴラネスは数の劣勢を補う為、それぞれが連携して動き、回避や攻撃を行っている。


「私が隙を作る! 貴様らは一気に叩き潰せ!」

「了解!」


 部下達から各々簡潔な返事を受けると、アルベールは蟲を引き付けるべく戦列より飛び出し、数匹のラティアの間で強制排熱装置を作動させた。


 ラケ・ゴラネスより熱気を帯びた排気が音高く噴出し、これに気を取られたラティアが動きを鈍らせる。


 次の瞬間、複数の打撃音や破砕音と共に、甲高い鳴き声と緑色をした大量の血飛沫が空高く舞い上がる。


 この一撃を逃れた二匹も、一匹はラケ・ゴラネスの大剣で頭部を叩き割られ、もう一匹も三機のゴラネスからの集中攻撃を喰らい、文字通りに叩き潰された。


 こうして、身体の一部を失っても尚、強靭な生命力でもって生きもがいているモノ以外、動く蟲がいなくなると、アルベールはベテラン機兵のゴラネスに機体を寄せ、静かに問う。


「隊の損害は?」

「アシュリーが側面より一撃喰らい、右腕を切断し重傷。自分の判断で船に上げ、治療中であります。また、最終組とアシュリーを守る為、ボガードが蟲の突進を受け止め、正面装甲を大破。一時的に昏倒しておりましたが、現在は復帰。本人の申告では、胸部打撲か肋骨に皹が入ったか、その両方とのことですので、多少の無理をさせれば、まだ行けます。残りのラフェル、エイファ及び自分の三名は無傷。引き続き、戦闘続行が可能であります」

「……わかった。ボガードも船に上げ、治療を受けさせよ。残りの者は、私と共に後始末だ」

「了解であります」


 経験豊富ベテランな機兵に指示を出すと、アルベールは周辺を警戒する為に頭を巡らせる。


 四十一番遺構とルシャール二世号とを結ぶ直線、その周辺で大地に沈む甲殻蟲の数は三十を超えていた。


 それらを認める青年機士の顔には、単機で動いてた際に浮かべていた猛々しい笑みは消え失せ、代わりに浮かぶのは眉間に皺を刻んだ険しい表情……、そして、零れ落ちる、小さな嘆息。


 それは、全体を見渡して部隊を指揮するという、隊長として最も肝心な責務を果たし切れていない己の力量不足を恥じる心と、未だにリディスやボーマンといった熟練者に甘えている事実を情けなく思う気持ちから、自然に生じた物であった。


 これまで以上に更なる精進が必要だ、とアルベールが内々に決意していると、船に戻る負傷兵に付き添った機兵から報告が入る。


「船より伝達! ルシャール二世号は爆発に伴って発生した火災の鎮圧に成功、また、エフタ市に派遣していた連絡艇が戻って来ているのを確認した、とのことです」

「了解した」


 表面上は普段と変わらぬ様子で頷くと、アルベールはパドリックが帰って来た後の行動に付いて、考えを巡らせ始めた。



  * * *



「口よし、目よし、手よし、足よしっと。さて、そろそろ起こしましょうか」

「ああ、手筈通りに行こう」


 地下深くにある遺構では、クロウとミソラが件の人物の拘束と身体検査を終え、危険物を持っていないのを確認すると、話を聞く為に起こそうとしていた。


「いやー、それにしても、この子、十代後半位の割には、ほんと、ペッタンコだったわー」

「いや、なんで、そんなに嬉しそうな声なんだ?」

「うふふふふふ、聞きたい?」

「……いや、遠慮しとくよ」

「あら、残念」


 と言いつつも何故か機嫌の良いミソラを放置し、クロウは目と口を布で封じ、手を後ろ手に、足を交差させて、ワイヤーで拘束した素性不明の人物を壁に寄りかからせた。

 そして、片手で上半身が倒れないように軽く支えながら、空いた手で軽く頬を叩き、目を覚ますように何度か告げる。


 すると、意識を取り戻し始めたのか、少女が短い髪を微かに揺らして身動ぎをしようとして……。


「……んぐぅっ!」


 きつく縛られた口よりうめき声を上げながら、激しく首を振って暴れ始めた。


「あらら、予想通りの反応ね」

「そりゃ、俺だって暴れるさ」


 クロウはこの場から逃れようと床に倒れ込んだ少女の上に素早く圧し掛かって動きを制し、口より漏れるうめき声を小さくする為に手で口を覆う。


「わー、どうみても、へんたいさんにしかみえないわー」

「馬鹿言ってる暇があるなら、さっさと話を進めてくれ。俺だって、好きでやってるんじゃないんだから」

「はいはい、わかりました」


 場の主導権を委ねられたミソラは一つ咳払いし、暴れ出すのを見越して、予め二人から離れて立っていた場所よりゆっくりと語りかけ始めた。


「さて、私の声が聞こえているかしら? 聞こえていたら、首を縦に振ってちょうだい」


 ミソラの甘い声が響くと、クロウに動きを封じられた少女はもがく力を弱めていき、しばらくの時を経た後、首を縦に揺らした。


「うん、訳の分からない内に拘束されて、怖くて混乱していると思うけど、少し我慢して聞いてちょうだいな。……あなたにとって、私達が得体の知れない相手であるように、私達にとっても、あなたは得体の知れない相手なの。私が言った事を理解できたら、さっきと同じように首を縦に、もう一度聞きたかったら横に振って」


 少しの間があった後、大人しくなった少女の首が縦に揺れる。


 それを見たクロウは身体を押さえつつも、器用に足の拘束を取り払った。


「とりあえず、私達に、あなたを害する意図がない事を明言しておくわ。今、あなたを拘束しているのは、この場所が甲殻蟲が居座っている危険地帯であり、見境なく暴れられたり、叫ばれたりしては困るからっていうのが主な理由。あぁ、それと、甲殻蟲の前で自失していたあなたを助けたのは私達よ。……理解できた?」


 今に至るまでの事を思い出しているのか、かなり長い沈黙の後、再び首が縦に揺れる。


 ミソラがクロウに頷いて見せると、彼は押さえていた力を緩めて、口を縛っていた布を解き、用意しておいた水の入ったカップを優しく含ませた。


「大丈夫よ、変な物は入ってないから」

「変な物ってのが何か、提供している俺としては聞きたい所だ」


 クロウが文句を言っている間に、水が飲み干されていた。差し出した水を躊躇なく飲んだことに加え、暴れる様子もないと見て取ると、クロウは押さえるのを止め、改めて壁に上半身を寄りかからせてから、出入口側に少し下がる。


「落ち着いたかしら?」

「……はい」


 若干、擦れているが柔らかい音質を持った声がその口より発せられた。


「じゃあ、名前を聞かせてもらえる?」

「はい……、ぼ、僕は、シャノン、フィールズです。ま……まず、助けて、い、頂いたことを、感謝します」

「どういたしましてって、言いたいところだけど、主体になったのは男の方よ」


 ミソラの言葉に対して、シャノンはただ静かに頭を下げると、少し声を詰まらせながら尋ねた。


「お、お二人の、お名前を、お聞きしても?」

「私はミソラよ」

「俺はクロウ・エンフリードだ。今さっきミソラが言ったように、ラティアが周囲を歩き回ってる状況だ。できるだけ声を押さえて欲しい。後、悪いが、手と目の拘束を解くのは、フィールズさんが俺達の疑問に答えてからって事で」

「……わかり、ました」


 シャノンが自分の置かれた状況を理解して受け入れた上、感謝の言葉を口にし、小さかった声を更に小さくしたのを見て、クロウとミソラは話が通じる相手であった事に安堵する。


「じゃあ、早速質問させて欲しいんだけど、さっきの爆発について、何か知ってる?」

「……は、い。ぼ、僕達、が……、い……遺構の、調査を、して、いると……、と、突然、爆発が……、起きて……、巻き、込まれて……、それで、み、みな……、し……死……んで……」


 消え入りそうな声で発せられた自身の言葉に耐えかねたように、シャノンの口から嗚咽が漏れ出る。


 クロウとミソラはその様子をじっと観察した後、互いに顔を見合わせて頷き合い、ミソラが再び口を開く。


「遺構の調査っいうのは、何かの研究の為に?」


 シャノンが項垂れた頭を縦に振るのを見て、ミソラは更に質問を重ねる。


「なら、爆発は調査現場で起きた事故?」


 シャノンは幾度か鼻を啜った後、今度は横に振り、震える声で己が抱いていた見解を述べる。


「事故、ではない、と……、思います」

「そう思う理由は、何?」

「ちょ、調査団、ではない、人が……、み、見たことが、ない人が……、あの場に、いて……、ご、護衛の人を……、だ、だから、僕は……、に、にげて……」


 伝えられた内容を聞くと、クロウも爆発を引き起こしたい輩がまだ近くにいるという事実に天を仰ぎ、ミソラはシャノンを追ってきているかもしれないと表情を険しくする。


「あなたが見たのは、何人?」

「ひ、ひとり、でした」

「そう、ありがとう。……クロウ、悪い予想が当たったみたいよ」

「みたいだな」


 シャノンは二人が吟味することなく、自分が話した内容をすんなりと受け入れた事に疑問を抱き、次の瞬間には問いを口にしていた。


「え、えと、あの……、ぼ、僕の言う事、し、信じて、くれるんですか?」

「ま、俺達も、フィールズさんの話が本当だと思えるだけのモノを見たからな」

「思えるだけの、モノ、ですか?」

「ええ、あなたが話してくれた事を信じられる証拠って奴ね。……もう、なくなっちゃったけど」


 クロウがミソラの不用意な発言を咎めるように少し強い目を向けると、小人の少女はばつが悪そうな顔を垣間見せた。その顔を見たクロウは視線を緩め、常と変らぬ口調で問い掛ける。


「ミソラ、もう解いてもいいか?」

「ええ、残りの拘束を解いてあげて」

「わかった。……状況が状況だったとはいえ、怖い思いをさせて悪かったな」

「い、いえ……」


 クロウが拘束していたワイヤーと目を覆っていた布を解き始める。その際、時折、肌に触れるクロウの手に、生者の温もりを感じて、シャノンは再び涙を流す。

 このシャノンの泣き姿について、少年は見て見ぬ振りを決め込み、全ての拘束を解くと、安易な慰めの言葉を口にすることなく、己の相方に話し掛けた。


「ミソラ。もう俺の目的は達してるし、ここはルディーラの子分の如く、さっさと退散したいと思うんだが、どうだ?」

「むー、確かに、この子達の調査団を襲ったというか……、爆発を仕掛けた奴の手際の良さを考えると、私達の存在を知られる前に、逃げるのが最良だと思うわ」

「ああ」


 クロウがミソラの言葉に頷くが、言った当人の顔は晴れない。


「でも、逃げる為にはうろついている蟲を何とかする必要があるのよねぇ」

「魔術で蟲を眠らせるとか、麻痺させるってのは、できないのか?」

「なら、精神や神経系に作用する魔術が蟲に通じるかどうかよねー。……うーむー」


 ミソラは腕組みをして、唸り声を上げる。


「なら、一度試し……て?」

 

 クロウがミソラに決断を促そうとして、固まる。


「ん、何かあった……の?」


 ミソラもクロウが見る先に目を向けて、固まる。


 二人の視線の先……、窓口の向こう側は一リュートと離れていない場所に、小さな凹凸で覆われた岩のような甲殻が、数え切れぬ毛に覆われた二本の触角が、その根元は中間に位置する巨大な単眼が、無機質な単眼の両脇で並ぶ六つの小さな眼が、更にその下にある大きく開らかれた大牙が、その奥にある口で開閉する顎があった。


 会話が唐突に途切れたことを不審に思ったシャノンが顔を上げ、何も見えない闇に内心で怯えながらも、声が聞こえてくる方向に向けて、言葉を発する。


「どうか、したんですか?」

「ラティアに見つかった」

「え……?」

「動くな騒ぐな。……姿勢はそのままで、その場所には届かないから。……ミソラ、強行突破できるか?」

「諸々の問題が増えるだろうけど、雷霆が効いたから、できなくはないわ。でも、まだこの子の準備が整ってないから、それをやってからじゃないと」

「なら、すぐに準備……を?」


 何かが目前のラティアに当たり、地面に落下して、不規則な金属音を響かせる。


「み、ミソラ、なんか、かなり不味い状況に……」

「皆まで言わなくていいっ。私が絶対に守るからっ、あんたは相手を無力化する方法を考えなさいっ!」

「りょ、了解ッゥッ!」


 爆発と轟音が、地面と空気を揺らす。


 遮蔽物を挟んだ向こう側で起きた爆発で、ラティアが吹き飛び、火が付いた甲殻の欠片や緑血に塗れた肉片、瓦礫や砂塵といった物が熱風と共に、三人が隠れる内部に入り込んでくる。


 シャノンの物と思われる悲鳴が上がる中、ミソラは魔術語を紡ぎ始め、クロウも耳や肌の痛みに顔を顰めながら、二個の閃光弾をポーチより取り出す。


「ぼ、僕が、ここに、来たから……」

「あ、あはは、俺達の運が悪いだけだから、気にするな」


 クロウは自責を口にしようとしたシャノンに向け、精一杯の強がりを口にすると、閃光弾の安全装置に手をかけた。


 何かが爆ぜる音と蟲の肉や血が焼けた鼻に付く悪臭。


 体組織が燃える火で生まれた影が天井や壁面で踊る。


 そんな不気味な雰囲気の中、クロウはただ黙して表情を引き締め、相手の出方を待つ。



 不意に……。



 天井を染める赤い光の中を、小さな影が通り過ぎ、彼らが潜む間仕切り内に飛び込んでくる。


 三人の真ん中に落ちて、床で金属音を響かせるのは、丸みを帯びた物体。


 それに向けて両手を差し出し、ミソラが小さく叫ぶ。


「……ltElt Ye CIMA!」


 物体の周囲が僅かに光り、突如、虚空より生じた泥のような物が包み込む。


 その一瞬後、泥に似た物が三倍程に膨れ上がり、乾いた土塊となって砕け散ると、細かな粒子となって消えていく。


「クロウ」

「あいよっと」


 ミソラの声に促される形で、クロウが掌にあった閃光弾の安全装置を解除して、飛来したと思しき方向に投げ付け、少し間を置いてから、更にもう一つを少し方向を変えて放り投げる。


 小さな炸裂音と共に爆発よりも強烈な閃光が煌めき、その光が落ち着いた所でもう一度、強力な光が周囲に広がる。


 二度の閃光を確認しながら、クロウは中腰になると腰よりナイフを引き抜き、場に付いていけず、呆然としているシャノンを庇う形で、来るかもしれない襲撃に備える。


「ミソラ、相手を確認できるか?」

「ちょっと待って、台の上に上がるからっと……、おー、クロウ、お見事。目を押さえながら、転がって悶えてるわ」


 クロウは相手を制圧できたことに、ほっと息を吐きながら、相方に問いかける。


「確保した方がいいと思うか?」

「相手のやり口や持ってるモノを考えると、止めておいた方がいいと思う。いきなり危ない目にあわされた以上、助ける義理もないしね、っていうか……、蟲の数がさっきより増えてるんだけど?」


 あれだけ爆音を響かせたり、光を出せばなぁと、クロウは半ば諦めの表情を浮かべつつ確認する。


「何匹だ?」

「四匹。広場に集まって来てる」

「なら、確保は無理だ。しばらく蟲の様子見をした後、どうするか考えよう。……正直、今の一瞬だけでかなり疲れた」

「そうね。最初の一発目は、運が良かったとしか言えないからねぇ」


 二人揃って溜息をつくと、ずっと静かにしている第三者に目を向ける。


 シャノンの目は、燃える火の光に照らされる形で浮かび上がったミソラの姿に釘付けになっていた。


「え、え、ええ?」

「今、口を押えるのも億劫だから、叫ばないでくれよ?」

「ふふ、改めて挨拶するわね。私がミソラよ。こんな成りだけど、元は人間よ」


 シャノンは答える余裕もなく、ただ、驚愕の表情を浮かべたまま、目をミソラに固定させて、口を開閉させる。その様子を見ていたクロウが場の状況を忘れて笑みを浮かべかけた所で、男の絶叫が遺構内に響き渡り、何かを砕き、咀嚼する音が続く。


 その末期の叫びと捕食音を耳にした瞬間、シャノンは顔色を変えて表情を強張らせた。


「……喰われたみたいだな。ミソラ、フィールズさん、しばらくの間、耳を塞いだ方がいいぞ」

「私は大丈夫よ。後学の為に見ておくわ。クロウこそ、平気なの?」

「嫌な事を思い出すから聞きたくないんだが……、危険が去ってない以上は、我慢するさ」


 シャノンは小人の少女と陰影に浮かぶ同年代の少年の言葉を聞くと、自分だけ情けない姿を晒したくはないという負けん気が俄かに湧き起こり、耳を塞ぐまいと両腕を胸の前で組み押さえた。


 男の凄まじい絶叫はしばらく続くが、それも急に途切れ、今度は咀嚼音だけが響く。


 その音に顔を顰めていたクロウがナイフを鞘に戻して腰を下ろし、爆発に耐えた窓口側の壁に背を預ける。


「いつ聞いても、嫌な音だ」


 少年が漏らした独り言めいた呟きに応える者はおらず、ただ無情な時が流れる。


 そして、不快な音が聞こえなくなり、ラティアが足を動かす際に発する耳障りな擦過音が聞こえ始めた。


「ミソラ、終わったのか?」

「ええ、この子が来た通路に向かって、移動を始めたわ」

「そうか。……それで、気分は大丈夫か?」

「あまり良くない。あれは二度と見たくない物ね。でも、クロウが言ってた、忌々しくて恐ろしい存在って意味はよくわかったわ」


 そう言いながら、ミソラがクロウの左肩に飛び降りてくる。今度は前と違い、着地の一瞬だけ浮遊した為、痛みを与えるようなことはない。


「さて、当面の危機が去ったとはいえ、ここが危ないって事実には変わりないし、いつでも移動できる準備をしておきましょう」

「そうだな」


 ミソラは少しばかり気の抜けた声を出す少年の頬に軽く拳を入れると、様々な感情の処理が追い付かず、疲れ切った表情を浮かべたシャノンを目指して飛び立つ。

 一方のシャノンだが、淡い燐光を帯びてこちらに飛んできた小人の姿を見て、今、この時が現実ではないのではないかと、夢想の中での出来事なのではないかと、儚い期待を抱く。


 だが、シャノンの肩に舞い降りたミソラはその逃避を許さなかった。


「あなたのその目……、現実から逃げてない?」

「……ぇ?」

「酷い目にあって、今、この時から目を背けたくなるのはわかるけど、現実、私はここに存在しているし、これまで起きた事も無かったことになんて、できないわよ?」

「ど、どうして……、そんな、ことを、言うんですか?」

「なんとなくよ。……MG Lo-Da FrdaPt-GI-VieEi Ml-Hr CIMA」


 シャノンは肩に立つミソラが聞き心地良い音律を紡ぐと、触れられた手より魔力が流れ込み、目の辺りに滞留するのを感じた。


「これ、は?」

「暗視よ。術式の構成上、白黒でしか見えないけどね」

「あ……」


 シャノンの目に光が届かない暗所が見え始め、背負子の荷物を漁っているクロウの姿が見えた。


「悲しくて辛い体験から目を逸らしたくなるのはわかるし、その経験が心を蝕むなら逃避するのも良いでしょう、って言いたい所だけど、今は駄目。この危険な場所から生きて帰りたかったら、現実を見て、どうやって帰るか考えるようにしないと、ね」

「うぇ……、やっぱ鬼だな、ミソラ」

「……あん、なんか言ったかしら、クロウ?」

「はは、まさか、頼りになるおねーさんに、世話になってる俺が、失礼なことを言う訳ないだごふっ」


 ほんの僅かな間に、シャノンからクロウへと続く一直線の残光だけを残したかと思うと、ミソラは己の身体を少年の腹部にめり込ませていた。

 クロウは身体をくの字に折りって、苦しそうに数回咳き込んだ後、震える声で目の前に陣取ったミソラを咎める。


「て、照れ隠しに、しては……、今の一撃は、厳しすぎる、ぞ」

「て、照れ隠しなんてっ、してないしっ!」

「今みたいな、過剰な反応を、照れ隠しって、言うんだよ」


 呼吸を整えながら、途切れ途切れに言うと、クロウは再び壁に背を預ける。ミソラもまた、口を尖らせつつ、定位置とも呼べる少年の左肩まで飛んで行き、慣れたように座った。


 シャノンは二人が見せた遠慮ないやり取りを微笑ましく感じると共に、どこか羨ましいと思う気持ちを自覚する。


「あ、やっと笑ったわね」

「そういえば、笑った顔は初めて見たな」


 そう言われ、シャノンが口元に手を当てる。確かに微笑みの形を作り出していた。


「そうそう、人間、暗い顔ばかりしてたら駄目よ」

「は、はい」

「ミソラの場合、逆に、時々は暗い顔した方が良いんじゃないか?」

「あんたは、余計なことを、言うなっ!」

「おっと、って、あ……、あれ?」


 クロウが口元に笑みを浮かべた顔を仰け反らせ、ミソラの一撃を器用に避けた所、突然、もたれていた壁が周囲一面、大凡で三リュート幅程度もろとも、後ろ側へと倒れ込んでいき……、鈍い音を地下空間に響かせる。


「……私の所為じゃない、よね?」

「……俺の所為でもない、よな?」


 クロウとミソラが燻った火の光でまだ明るい天井を見上げながら呆然としていると、視界の片隅にラティアの足が映る。

 クロウは咄嗟にミソラを確保しながら腹筋で跳ね起きて、唖然とした表情を浮かべていたシャノンの近くに駆け戻った。


「く、クロウっ! 苦しいっ!」

「あ、悪い、力の加減ができなかった」


 ミソラはクロウの左掌より身体を起こすと、大きく深呼吸をする。


「けほっ、……いいわよ、今のは仕方がないってわかってるから。それより、どうする?」

「強行突破した方がいいか?」

「そう……、いえ、待って……、なにか、音が、聞こえる?」

「音って、くそっ、顔を突っ込んできやがったっ!?」


 三人を捕えるべく、崩落した箇所よりラティアが巨大な顔を差し込み、その大きな牙を剥く。が、狭い場所の為、その開いた牙が壁面に引っ掛かり、動きが止まった。


「い、今のうちに少しでも下がってくれ」

「は、はい!」


 シャノンを僅かばかりに残る奥に下げ、クロウは再びナイフを逆手に構えた。


 一リュート近い長さの牙に比べ、あまりにも貧弱な武器に苦い表情を浮かべつつ、少年はいつの間にか彼の左肩に立っているミソラに声をかける。


「ミソラ、音ってのは?」

「うん、蟲の音じゃない、一定間隔で聞こえる……、機械染みた音」

「も、もしかしたらっ、護衛隊の人かもっ!」


 シャノンの勢い込んだ声を聞くと、牙と頭の動きを注視するクロウに代わり、ミソラが質問を口にする。


「護衛は全滅したんじゃなかったの?」

「いえ、僕は先行隊だったので……、護衛の人はまだいます」


 ミソラはしっかりと話を聞き出さなかった事を反省しながらも、その護衛がどれ程の力を持つと頼りにできるのか、判断する基準を知らない為、クロウの頬を突いた。


「聞いてた。……ミソラ、こいつを例の雷で潰してくれ」

「わかったわ」


 ミソラが背に光の羽を顕現させながら浮かび上がると、クロウはその後ろへ一歩下がる。そして、目をラティアから離さないまま、小声で問い掛ける。


「フィールズさん、護衛は魔導機持ち……、機兵なのか?」

「はい。機士の方もいます」

「機士って……、もしかして、フィールズさん、帝国の人だったのか?」

「……え、言ってませんでしたっけ?」


 問答の間にも、ラティアの牙が引っ掛かった壁を徐々に削り取り、再び自由を得ようとしていた。


「いや、そんなことは後でいいや。……ミソラが魔術を使うから、目と耳に気を付けてくれ」

「あ、は、はい」

「MG Tr-Vt-Ql Cit-Eg-DyVrl CIMA」


 ミソラが魔術語の術式を詠い上げると、その前面に細かな粒子に満ちた小さな球形の風が激しく渦巻く。風の勢いが強まるにつれ、その球体は青白い電光を漏らし始め、次の瞬間、紫の雷が空気を穿ち抜き、ラティアを貫いた。


 破裂音の余韻ときな臭い悪臭が漂う中、力を失ったラティアが全ての足を折って崩れ落ち、破裂した目より青臭い血液を垂れ流す。


「ふふん、どうよ、クロウ」

「凄い凄い。それより、ミソラ、別のが近づいて来たぞ」

「もぅ、少しくらい、こう、私、最強ぉーーって、感じに浸らせなさいよー」

「それは俺に言わないで、蟲共に言ってくれ」


 これまで通りのやり取りをしている二人に対して、場に居合わせたもう一人の人物……シャノンは、一撃で甲殻蟲を屠るというあまりにも強力な魔術を目撃して、開いた口を閉ざすことができなかった。


「で、これからどうするの?」

「開いた場所はこの蟲で塞いだし、フィールズさんを助けに来る護衛隊ってのを待とう。ミソラがさっき言った事を考えると、近くまで来てるみたいだしな」

「……んー、でも、それってさ、私が帝国に目を付けられる切っ掛けにならない?」


 クロウの視線が走り、呆けているシャノンを指し示す。


「いや、もう、それに関しては今更遅いだろ?」

「あー、そう言われれば、確かにねー」


 そう答えたミソラが溜め息と共に肩を落とした所で、先の通路より、両手で緑血に塗れた大鉄槌を持つ魔導機……ラケ・ゴラネスが頭部を動かして周囲を警戒しながら入ってきたのだった。

12/04/21 レイアウト調整。

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