六 四つ脚の機獣
夜闇を含ませた窓際。
その前にある執務席に、主であるセレス・シュタールは座していた。彼女が表情もなく見つめる先は机の上。並べ広げられた書類の海である。そして、それらに記されているのは、域内外より届けられた動向や様々な情報。
帝国と同盟が対立する鉱山帰属に係る折衝状況より始まり、帝国での皇帝と元老院の主導権争い、同盟所属都市間の軋轢、それぞれの各種生産量、東部領邦での関税引き上げの動き、賊党による商船襲撃の噂話、商船乗組員の集約意見、ペラド・ソラールの対岸港建設の動き、アーウェルの復旧状況に移民排斥の問題、エル・ダルーク周辺域の被害状況、ザルバーンでの不穏な噂、ルヴィラ南方ルヴィラス峠で飛行型甲殻蟲の目撃等々、それぞれの関連や対処を考えながら目を通していく。
彫像のように動かず、ただただ情報を読み込んでいたセレスであったが、不意に空気の動きを感じて顔を上げた。
「夜分遅くに、申し訳ありません」
青髪の麗人は声の主……密偵組織の女頭領を認めると口元をわずかに緩めた。
以前よりも表情が柔らかくなられたか。
生まれた頃よりセレスを見守ってきた女は僅かな変化を見て取る。だが、主が口を開いたのを認めて思考を切り替えた。
「務め、ご苦労様です。今日は火急の要件と聞きましたが?」
「はっ、旅団エフタ泊地候補地調査にて、厄介な問題が発生していたことがわかりました」
「候補地調査は……、確か二十五番と三十七番の調査でしたね?」
「はい。問題が起きていたのは三十七番です。まずは臨場した者からの報告をお読みください」
セレスは差し出された書類を受け取り、内容を読み始める。綴られた字を追って、左右に動く瞳。視線が下へ進むにつれ、少しずつ表情が曇っていく。そして最後まで読み切った所で、悩ましいと言わんばかりに眉間に軽い皺を作り出した。
「今回ばかりは偶然とエンフリード殿に助けられましたね」
「仰る通り、状況に対処できる者がいたことは運が良かったとしか言いようがありません」
「しかし運ばかりに頼っていては状況は良くなりません。今後の対応が必要です。意見はありますか?」
「報告者とエンフリード殿は、定期的な調査と駆除が妥当であるとの考えでした。私も魔導式暗視装置と魔導銃の導入が為されるならば、これを支持します」
セレスは一つ頷いた後、報告書に目を向けたまま顎に手をやって考え込む。そのまま分針が一回りした辺りで、顔を上げた。
「他にもいろいろと方策が考えられますが、確かに現地に踏み込んでの対処が一番確実ですね」
そう言って納得したように首肯したが、重い息を吐き出して続けた。
「ですが、私達では手が足りません。また旅団が担うには少し領域から外れます。よって本件に関しては、エフタ市及び市軍に委ねましょう」
「我々が動かなくとも、よろしいので?」
「構いません。私達に、全てを抱える余裕はありませんから」
セレスは口を閉ざすと表情を殺し、常の冷めたモノにして答えた。
だが古くより付き合いのある頭領は、その無表情が力及ばないことへ悔しさであると見て取った。彼女は思う。ここ最近は休むことや人を頼ることを覚え始めたようだが、やはりまだ抱え込みすぎであると。
だからこそ、この子には心身の支えとなる伴侶、或いは類する者が必要だと思うのだけれど、中々どうして興味を示さない。
女頭領は麗人の親代わりでもあっただけに、そこに歯がゆさを感じる。
彼女が見るに、セレスは一見すると冷たい印象であるが、その実は情が深く、素直で器量も良い。ただ経験不足から料理だけは少し……否、かなり下手であるが、愛敬の範囲内。世の者を惹きつける美貌もあるし、エフタの名家として資産もある。組合連合会の幹部であるから社会的な地位も高い。その気にさえなれば、男は選り取り見取りだろう。
無論、本人の気性もあるから無理に恋多き女になる必要はない。が、公の立場や責があるからといって、女の喜びから遠ざかる必要もないのだ。
とはいえ、こういった色恋沙汰は自覚がなければ砂に釘。この子の気を惹く者が現れないモノか……。
我が子同然の主を見ながら、女頭領は胸の内で嘆息する。
そんな相手の思いに気付かぬまま、セレスは閉ざしていた口をまた開く。
「とにかく、この手のことは早く手を打つ必要があります。今の意見とこの報告書より必要な個所を抜粋し、明日にもエフタ市に送付します。……話は以上ですか?」
「は、火急の件は以上となります」
「わかりました。また何か見過ごせぬ案件がありましたら、こちらに連絡をお願いします」
頭領はセレスに頭を下げると、静かに部屋から退出していった。
執務室に一人残った麗人は一度机上の書類に目をやって、再び手元の報告書に目を落とす。その目が追うのは一個人では持ちえない破格の力でもって、ラティアの巣を撃ち滅ぼした若き機兵の下り。セレスはそれを為した者の名をじっと見つめる。
それから動きを見せぬまま、数分。
「頼んで、みましょうか」
小さな独り言は本人以外の誰にも届かず、静寂の中に溶け消えた。
* * *
爛陽節第三旬十四日。
光陽が東の空に高く昇った頃、クロウの姿は総合支援施設内にあった。
起重機がワイヤーを巻き上げる音に指示を出す声や復唱、部品を取り外す工具の唸りといった、この場所の常ともいえる騒音を生みながら、魔導機整備士達は今日も忙しく働いている。
彼らが修理や整備をするのは民間で使用されている簡易機ラストルが主である。が、今日はクロウの乗機も混じっていた。言わずもがな、前日の無理で負った損傷、その修理の為だ。今はエルティアが右腕に取りついて、間接部品の交換作業をしている。
こんな風に喧噪を見せる整備作業区画、その傍らにある一画に、クロウは立っている。彼の前には様々な品。先日の依頼……二十五番及び三十七番遺構の内部構造調査で手に入れた旧文明の遺物だ。大きな物は個人装甲から小さなものは携帯端末まで、中々の数である。そんな品々の前で、恰幅のいい中年男が真剣な顔で言った。
「ここに並んだ艶本十三冊、合わせて一万ゴルダ」
「え、これ一万? い、一万かぁ」
クロウは腕組みをして唸る。ついで艶本の一冊、金髪の美少女が上目遣いに胸を寄せ上げている絵姿を指差して尋ねた。
「なぁ、マッコールさん、前も気になったんだけどさ、これって売れるの?」
「売れるんだよなぁ、これが。俺個人の感想としては実物の方がいいんじゃないかって思うんだが、衣装の芸術性云々とか見切りがそそる云々とか、絵の方が実物よりも色気があるとか、現実にありえないからこそいいんだとか、まぁなんだ、好事家ってのはどこにでもいるってことさ」
「うーん、そういうものなのか」
「ああ、単純に好き好きだと思えばいい。で、隣の奴だが、政治関連の学術書だな。ただちょっと状態が悪いから、四千五百」
「そこは切り良く、五千で」
「ぬーーーっ、まぁ、前も儲けさせてもらったし、今回もうちに持ち込んでくれたからなぁ、それでいこう」
クロウの一言に、ヨシフ・マッコールは寂しい頭髪を撫でながら頷く。そして隣に並ぶ本に目を向けた。
「こっちは電機関連の技術書だな。状態は良いんだが、内容自体は特定の発電機向けの説明書に近くてな。使いどころが限られる。こいつも五千でどうだ?」
「はいはい、ぼったくるなんて考えてないから、それで構わないよ」
クロウは特にこだわりも見せずに頷いた。
ここまでのやりとりでわかるだろうが、先の依頼での取得品を買い取ってもらうべく、マッコールに出張鑑定を頼んだのだ。そして今は値段交渉の最中という次第である。
「携帯端末が三つ、これとこれは状態が悪いから、こっちが五千、こっちが三千だ。で、こいつは状態がかなり良いみたいだから、二万」
「なかなかの値段だね」
「だろう?」
「うん、でもほら、ここは切り良く三万にならない?」
「そいつはちょっと難しいかな。で、この保存箱に入った繋ぎ、九八式防護服っていう耐熱耐弾の軍用品なんだが、明らかに新品で保存状態も抜群。冗談抜きに今でも使える品質っていうか、ここまで状態が良い奴は初めて見た。そういう訳で、保存箱込みで八十……、いや、九十万!」
「おぉ、九十って、凄いな」
「そらお前、ここまでの奴は、そうそうにはな」
マッコールは肉の付いた丸顔にニヤリと人の悪そうな笑みを浮かべる。高く売りつける算段があるんだろうな等と思いながらも、クロウは無情の一言。
「けどそれ売れないかも」
「なぬっ!」
「一緒に潜った奴っていうか、見つけた奴がうちの居候なんだけど」
「お、お前さんと同棲しているっていう?」
「いや、皆そう言うけど、本当にアレはただの居候だって。で、そいつが他の何もいらないから、これが絶対に欲しいって言っててさ」
「く、くぅ、な、なかなか、見る目があるなぁ、その人」
「どうなんだろ。……あ、けど、見つけた直後から言ってたから、もしかすると価値がわかってるのかもしれない」
そう言って、クロウはその時の様子を思い出す。
ラティアの巣を殲滅させた後、ミシェルと二人で金目になりそうなモノを探して歩いたのだが、数冊の本及び床に落ちていた携帯端末の他は、据え置き型の情報端末や机に椅子、施設の一部といった具合に、どう考えても持って上がれそうにないモノばかりだった。そんな中、休憩室ないし更衣室であったと思しき場所で、ミシェルが頑丈な保存箱に入った繋ぎを見つけたのだ。
その時のミシェルの喜びようは半端ではなく、全力でクロウに抱き着いて頬ずりしたり、雄たけびを上げて跳ね回ったりと落ち着かせるのに苦労したのだ。最終的に調子に乗って股間を触ってきたので、拳骨で沈黙させたのであるが、あの様子を考えれば、売ると聞けば大反対するだろう。
クロウが考え事をする間に組合の中年職員も態勢を立て直し、半ば詰め寄るように迫ってきた。
「こ、交渉の余地は?」
「うーん、正直に言うと俺はどっちに転んでもいいというか、そいつにもマッコールさんにも世話になってるから、どっちにも肩入れはしないつもり。だから、売る売らないの話はそいつと直接話をつけて欲しいかな」
「……よしわかった! なんとか口説き落とす!」
「あー、うん、もうしばらくしたら来るはずだから、頑張って」
クロウは拳を握りしめて気合を入れる男に軽い調子で言うと、最後の品に目を向ける。壊れた個人装甲だ。
擱座していた場所より乗機を傷だらけにしながら苦労して引っ張り上げたことに加えて、両手で持ったことで前が見えず、転ばないように神経を使って持って帰ってきただけに、思い入れがあった。具体的に言うと、乗機の修理費用……概算で三万ゴルダ以上の価値がないならぶち壊してやるという物騒な思い入れが。
「で、俺的には本命というか、これは?」
「ん? ああ、そいつな。七三式戦闘工兵装甲っていう珍しい個人装甲だ。これまで見つかった数が少ないこともあって、完璧な状態なら百万に届くんだが……、状態を考えると半額の五十万位になる」
「そっか、五十か」
少年の表情が微妙に動く。
状態が悪くても中々の値が付いたことで嬉しいと思う反面、心にある思い入れが解消できなくて、ほんの僅かに不満が残った為である。それを金額への不満と見て取ったかのか、マッコールが再び口を開く。
「まぁ、お前さんが例の物を売ってくれるように援護してくれたら、もう少し頑張れなくもないんだが」
「いや、別に値段に文句はないさ。というか、さっきも言ったけど、どっちにも不義理なことはしないって」
「かぁー、そいつは残念だ」
と口では言っているが、中年男の表情は言う程残念がっている様子はない。実際、彼はすぐに苦笑と共に、お前さんらしい対応だと言って更に続けた。
「しかしクロウ、機兵になってからの方がグランサーの仕事してるんじゃないか?」
「はは、否定できない」
少年は落ち込むように肩を落とし、俺、機兵だよなと自らに確認するように呟く。返ってくる言葉はもちろんない。
ただ、え、機兵? うん機兵、けど教官に機兵としての活躍云々って突っ込まれたし、あれ、俺ちゃんと魔導機乗って仕事してるよな、でも地下に潜ったり魔導艇乗ったりしてるから、あれ? と内々で自問自答した結果、自信がなくなりそうになった。なので慌てて言い募る。
「いやけど今回は組合とは別口で遺構に潜る仕事が幾つかあってそのついでだったんだけど!」
「お、そうそう、その別口の話だ。俺としてはうちを通してくれた方がありがたいんだがなぁ」
「……なに、マッコールさん、営業?」
「まぁ、そう尖るな。俺もこの仕事で家族養ってるんだから。そもそもの話、うちが間に入るのは悪い話じゃないと思うぞ? 確かに手数料は取るが、依頼側に最低限の補償はできるし、請ける側が言いにくいことを代わって言うからな」
「あぁ、うん、言わんとするところはわかる。けど、これは相手の都合もあるだろうし」
表には出てこない人からの依頼だったから、とは胸の内で呟く。相手である中年職員もなんとなくわかっているのか、納得するように頷いた。
「だろうなぁ、お前さんに直接依頼するくらいだから、今回の依頼相手はそれが難しいのかもしれん。が、それはそれ。とにかく今後、似たような話があった時は考えておいてくれ」
「了解。とりあえず、似たような話があったら組合を通して欲しいって言ってみるよ」
マッコールはクロウの返事に頷いた後、思い出したように言った。
「ああそれと、前に頼まれた開拓全書」
「もしかして入った?」
「おぅ、昨日入荷した。で、五万の払いは今回の買い取りから差し引く形でいいか?」
「それで構わないよ」
「よし、なら今回の買い取り額だが、例の物を除いて……、五十四万八千ゴルダになる。ここから五万を引いて、四十九万八千だな」
「そこは切り良く五十万で」
「む、さすがにここからはなぁ」
と改めて買い取り額の駆け引きに入ろうとした時であった。
「はいはーい、おまたせー。かわいいミシェルちゃんの到着ですよー」
喧噪があるにもかかわらず、女の華やかな声が不思議な程良く耳に届いた。一人は急な声に驚き瞬きながら、また一人は可哀想なモノを見る目で振り返り見る。そこには赤錆色の外套を着崩した亜麻色髪の女が機嫌良さそうに口元を緩めていた。首元から覗く艶のある肌には滲んだ汗。健康的なテカリがそこはかとない女の色気を生み出している。
唐突に女の色香を目の当たりにして、マッコールは無意識に頬を緩ませる。他方のクロウであるが、こちらは慣れたモノで先の目を崩さぬまま、労りの微笑みだ。
「あ、なに、クロウ、その目と顔。なんかすごっく傷つくんだけど!」
「いや、なんとなく。それよりも随分と時間がかかったな」
「そりゃ女ですから、外に出るまでそれなりに時間が必要なんですよって、あんた! いま鼻で笑ったでしょ! かー、これだから童貞はもう! 女への配慮を知らないっていうか、もっと女の事情を知る努力をしなさい!」
「それ、童貞云々は絶対に関係ないだろ。いや、そんなことよりもだ」
クロウは強引に話を打ち切り、隣のマッコールを見やってから続けた。
「真面目な話するぞ、ミシェル。組合エフタ支部の職員でマッコールさんだ。今回の取得品の買い取りをしてくれる」
「あ、どうも、クロウと同せっあいたっ! ブツの良くない!」
「言ってわからん奴は痛い目にあわんとわからんからな」
一撃加えた手刀を見せつけながら言葉。声の響きに本気を感じ取ってしまい、居候は悔し気な顔で言った。
「こ、これが家主の横暴か」
「次のは慈悲はなし」
「くっ、悔しい。けど……」
「はいはい、もう戯言はいいから、さっさと挨拶しろ」
「もー、余裕ないなぁ」
ミシェルの声にクロウは首を振り、時と場所をわきまえろと返す。対する反応は、しかめっ面の舌出し。もっとも次の瞬間にはすまし顔となって、中年男に微笑む。
「エル・ダルークでちょっとばかり縁がありまして、クロウの家に居候させてもらっているミシェルと言います」
「あ、はい、ヨシフ・マッコールです。クロウの紹介にもありましたが、エフタ支部に勤めている組合職員です。今日は取得品の査定及び買い取りをさせていただきます」
「ええ、よろしくです。それで今はどこまで話が?」
ミシェルの疑問。答えはクロウが出した。
「ミシェルが欲しいって言ってた奴以外はほぼ終わり。今は最後の額交渉って所だ」
「んー、今の値付けは?」
「俺の買い物分が差し引かれて、全部で四十九万八千」
「なるほど、目標は五十万ね」
「ああ」
「わかったわ」
居候の女は理解したと態度で示すと、ピンと人差し指を立てて続ける。
「ところで提案なんだけど、ここからの交渉は私がしてもいいかな? ほら、私って居候だし役に立つとこ見せないと」
少年は提案を受けて口を閉ざす。一秒二秒と経ってから、赤い髪の中に手をやって幾度か荒く掻く。それから目つきだけを厳しいものにして言った。
「あのな、良い機会だから言っておくけど、俺はお前が役立たずだなんてことを思ったことはないし、居候の件も認めて置いてる。ただ倫理観の欠如に困ってるだけだ」
「でも男って生き物は、女と見ればヤリたがるものじゃない」
「俺、自分の行動は下半身と直結してないつもりなんですがね?」
「えー、ほんとかなー」
女は疑わし気な声を上げるが、顔は笑っている。むしろ顔を出した時よりも上機嫌だ。
「まー、確かに並いる男より意思が固いのは認めてもいいかな。あと、ナニの大きさも」
「いい加減、下世話な方向に持っていこうとするなって」
見知りの傍らということもあって、クロウの顔は常よりも疲れた表情。ミシェルはその顔を一頻り愛でてから、ちらりと手に入れたい品に目を向ける。
「ちなみに、アレのお値段は?」
「九十万って話だ」
「わかった。なら頑張って交渉するから、クロウはお客さんの相手をしてね」
「お客さん?」
クロウは唐突な言葉に訝しげな顔。そんな彼に、女は振り返るように促す。
「よぅ、今回も稼いだみてぇだなぁ、エンフリード」
入口より入ってきたのは鍛えられた筋骨が目立つ無精ひげの男、ウディ・マディスであった。
クロウはミシェルに交渉を任せると、マディスと共に整備区画へ向かう。
「仕事の一環であそこの個人装甲を引き上げたんですけど、作業が大変で機体が酷いことになりましたよ」
「へ、稼げているなら修理代も必要経費にならぁさ。……おうおう、確かに見事に削れて割れとるなぁ」
「二回も転びましたからね。正面なんかもうボロボロですよ」
彼らが立ち止まったのは、取り外された甲殻装甲が置かれた場所。損傷具合によって分類されているようで、マディスは興味深げな様子でそれぞれの状態に見入る。
「ふむ、こうして実際の傷を見てみるとぉ、細けぇのからちょっとした程度ならぁ、皮膜か充填材でぇいけそうだな」
「その程度の傷ならそれで済むでしょうけど、割れてしまうと……」
「ああ、割れたら仕舞ぇなのは焼成材と同じって奴だぁ。けど悪ぃことばかりでもねぇぞ? 後の始末もこれまでと同じでぇ、奥の鋼材装甲が無事なら甲殻材の張替え、奥も駄目ってなりやがったらぁ溶鉱炉行きってことで、今の現場でも受け入れやすからよぉ」
「あはは、溶鉱炉行ってなったら、それもう死んでますけどね」
笑えない状況を笑ってから、赤髪の機兵は続けた。
「話を戻しますけど、魔導機用の甲殻装甲って、そろそろ供給されそうですか?」
「おぅ、ちょっと前によぅ、エル・ダルークから甲殻を大量に仕入れとる。ラデブんとこも生産を始めているってぇ話だ」
「それ聞いて安心しましたよ。そろそろ予備が心細くなってきたところでしたから」
「納品先は旅団やエル・ダルーク市軍が優先らしいがぁ、お前ぇが使っている以上、ここにも二つ三つ程度は入るだろうよ」
マディスは後輩の不安に答えた後、修理を受ける機体に向かって歩き出す。その後を追いながら、クロウは口を開く。
「ところで、マディスさん。今日は?」
「ん? おぉ、そうだった。おめぇに仕事を頼みにきたんだった」
「あ、仕事ですか」
「おぅともさ。職柄かぁ、遂そっちに意識が向いちまったぜ」
縮れ毛を一撫でして笑った。厳つい顔が崩れて、愛嬌のある笑みが浮かぶ。少年もまた先達の照れくさそうな顔に笑う。
「職業病ってや奴ですか?」
「そうなっちまうかなぁ。けどまぁ、バゼルの野郎と比べりゃ、俺ぁはまだマシな方だろうさ。奴なんざ、放っておいたら家に帰りやがらねぇからよ」
「よ、よく身体が持ちますね」
「まったくだ。実際、前に一旬超えてよ。俺達のやることに関しちゃ基本放任してる室長でも流石に怒って、四半旬の自宅謹慎命令を出したんだがぁ、それでも顔を出しちまう位だぜ?」
「は、はは、それもう中毒ですね」
マディスは少年の引き顔を見ると、苦笑して言った。
「普通ならそう見えるだろうけどよぅ、俺にゃ奴の気持ちがわからねぇでもねぇんだ。まず開発研究つったって、自分のやりたいことを自由にさせてくれるなんざ、まずねぇからなぁ。それが今はちゃんとした形にまでなって、社会に認められつつあるんだぜ? そらおめぇ、面白くて堪らんだろうよぉ。俺もティーナが家に顔を出すなんてことなけりゃぁ、帰らねぇだろうなぁ」
しみじみとした声で遠くを見る。
けれど、次の瞬間には我に返り、また照れくさそうに笑った。
「へへ、すまねぇな、関係ないことを長々とよ。で、仕事の話なんだがぁ、ほれ、俺が作ってる例の機体、一応あれの足回りが完成したからよ。試しに外で動かそうかと思ってんだ」
「いつ頃ですか?」
「できりゃ早い方がいいなぁ。四つ脚での走破性と脚元に着けた装軌がどう動くかってぇのと、機動旋回時の復元性を確認してぇんだ。実際に動かしてひっくり返るようだったら、設計から引き直さにゃいかんからよぅ」
「え、ひっくり返るって、もしかして結構危ない?」
「正直に言うとなぁ、計算で大丈夫だとしても不整地なら横転する可能性は高いって奴さ。だからいざって時に備えて、室長も同乗する予定だぁ」
「はは、道連れはいるってことですか」
ミソラがいるなら何とでもなりそうだし、事故が起きるかもってわかってるなら身構えもできるか。
小人やマディスへの信用もあって、クロウは請けますと返して続ける。
「それで必要な物と場所は? 後、パンタルはいります?」
「防護具に関しちゃこっちで用意するから特にねぇが、機兵服は着た方がいいなぁ。試験の場所は港から少し離れた荒れ地だ。パンタルは室長やフィールズがいるし、俺も自分のを乗っていくからいらねぇ」
クロウは聞くべきことを聞くと、修理中の自機に目を向ける。修理期間は明後日の昼までとなっていた。
「昨日の仕事がちょっと疲れる奴だったんで、明日は休ませてもらって……、明後日でいいですか?」
「おぅ構わねぇ」
「なら明後日の朝から?」
「んだなぁ、十二時に長屋裏の空き地でいいか?」
「了解です」
「よぅし大枠は決まりだ。後の細けぇとかぁ、午後から室長達と一緒に詰めるとしてぇ、明後日の試験、よろしく頼まぁさ」
* * *
家の掃除に生活品の買い出し、散髪ついでに洗濯物の依頼、更には孤児院同期達の来訪と、なにかとバタバタとした休日が終わって、十六日。
約束の刻限前に、クロウが居候と共に自宅裏の空き地に向かうと、そこには既に半装軌車と起重機車、マディスのパンタルに作業機のラストル、そして四脚の機体が並んでいた。
中でも一際目立つ四つ脚の異形を指差して、ミシェルは面白そうに笑う。
「あれ、なかなかな代物ですなぁ」
「わかるのか?」
「まっさかー、適当よ、て、き、と、う。あ、ミソラちゃんとシャノンちゃん発見! 挨拶してくる!」
そう告げるや否や、ミシェルは半装軌車の傍に立つ金髪の少女へ向かっていき、背後から勢いよく抱き着いた。驚嘆の悲鳴が響く。あいつはなにをしているんだと首を振った所に、野太い声。
「おぅ来たか、エンフリード」
声に導かれて視線を向ければ、多脚機の太い脚、その一本の影より厳つい男が顔を覗かせていた。クロウは今日の依頼者に挨拶すべく足を向ける。
「おはようございます、マディスさん」
「おぅ、おはようさん。調子はどうでぇ」
「悪くないです。マディスさんの方こそ、機体の調子はどうです?」
「今、最後の点検をしとるところだぁ」
ならば邪魔をしない方がいいだろうと、少年は口を噤んで視線を他所へと移す。
ミシェルが向かった先、半装軌車周辺に複数人。シャノンとミソラがこちらに気付いて手を振ってくる。手を振り返しながら居候に目を向ける。車近くで見覚えのある顔……少しばかり縁があった孤児の少女に抱き着いていた。
クロウは思いもせぬ相手がいたことに目を丸くする。どうしてだろうかと思った所で、向こうがこちらに気が付き、慌てた様子で頭を下げてきた。とりあえず困惑は棚上げして、安心させるべく微笑んで頷く。ついで楽しそうな居候に咎める視線を送る。そっぽを向いて口笛を吹き始めた。
困った奴だと溜め息をついて、視界の隅に入った人影へ視線を走らせる。ラストルの前、眼鏡の優男ロット・バゼルと二人の若者の姿。一人は痩せ気味でもう一人は太り気味。三者共、クロウに気が付かぬまま話をしている。いったい誰だろうと疑問に思いつつ、残りの見知りを探す。
場所が限られていることもあって、数秒もせずに見つけた。少し離れた場所にある起重機車。車体にもたれた男ガルド・カーンが不敵に笑い、手を挙げての挨拶が飛んでくる。その脇に見覚えのない痩せた中年男性。緊張した風情で会釈してきたので、こちらも頭を下げる。
「見ない顔がありますね」
「んん? あぁ、マグナ・テクタで新しく雇った連中だ。今日は総出で手伝いをやらせることになってよっと、これで仕舞だ」
マディスは機体の下から出てくると、新しい顔について簡単な説明を始めた。
「カーンの傍にいる奴がシュペール。シュタール家の紹介でぇ雇った。バゼルの所にいる野郎共……痩せた奴がルントでぇ、太い奴がソシアスだ。んで、室長達ん所にいるのがゴール。この三人はぁ、求職応募の中から面接で選んだ連中だ」
「へぇ、人を雇ったんですか。なら、マグナ・テクタも順調に動き始めてるってとこですか?」
「今は魔導銃の生産を始めた所だ。つっても人がまだ足りんからよぉ、本格的に動き出すのはもう少し先になるだろうよ」
クロウはそうですかと頷くと、改めて今日乗り込む多脚機に目を向けた。
半ば胴体に埋まった操縦席。接地面を広げる五本の爪。関節部以外を甲殻装甲に覆われた、深紅の機体。甲殻材特有の曲線を多用した作りは優美な感を生み出している。けれども四リュート超の体躯は、パンタル以上の存在感があった。彼は頼もしさに頬を緩めて尋ねた。
「こいつの名前は決まってるんですか?」
「今んところは魔導式陸戦多脚機、略して魔導戦脚だな」
「……魔導戦脚」
「ああ。とはいえ、俺の想定だとぉ、こいつの四つ脚は軽量型だからよぅ。魔導軽脚って辺りが順当かもなぁ」
「え、これで軽量型?」
「おぅともさ。本来は六本脚ないし八本脚に重砲付きの代物だぜ? こいつはまだまだ小せぇさ」
心なしか胸を張っての答え。けれども、その表情は些か渋い。
「とは言ってもよぉ。まだまだ世に出せねぇ、名前負けの代物って奴よ。今日の試験でしっかりと動くかどうかと安全性を確認してぇ、それからようやく魔導銃の取り付けって辺りだろう」
「やっぱり一朝一夕にはいかないんですね」
「それができりゃ苦労しねぇさっと、時間みてぇだな。室長が呼んでやがる」
マディスの言う通り、宙に浮かぶあがった小人が大声と身振り手振りで呼び集めている。
クロウ達がミソラ達の所へと歩き出すと、周囲に散っていた者達も半装軌車近くに集まり始めた。こうして順次集った者達であるが、騒ぐでもなく慌てるでもなく、場の主導者たるミソラの言葉を待つ。
「よし、皆集まったわね。じゃあこれから、試作多脚機の試験を開始します。今日の試験目的は多脚機の歩行動作及び装軌機動の確認、また装軌使用時における安定性の調査よ。試験地はそこの船舶出口から南西に二アルト程行ったあたり。ここから試験地までは多脚による歩行で移動、着いた先では装軌による操縦。操縦に関しては幾つかの試験項目があるから、それをこなすことになるわね」
小人は一旦語を切り、場を見回して話を聞いているかを確かめる。不心得者はいなかった。
「言うまでもないことだけど、事故なく終わるのが一番よ。でも、そういかない可能性があるわ。マディスが言うには、多脚機は重心が高いこともあって安定性は通常車両よりも低く、不整地では横転しやすいだろうとのことよ」
ミソラはそう告げてから、操縦する少年を見つめる。クロウは肩を竦めて応じた。
「危険があることは聞いてる。というか、今までも試験で危ない目にあってるんだけど?」
厳つい男は片眉上げて無精ひげを撫で、目つきの悪い男はくつくつと笑い、眼鏡の優男は韜晦するように遠くを見て、金髪の魔導士は胸を押さえた。
「まぁまぁ、今回も私が一緒に付いて被害は抑えるから」
「じゃないと最初から受けてないさ」
小人はクロウの言葉に笑う。けれど、瞬く間に表情を改めて、マグナ・テクタの面々に告げた。
「皆にもう一度言うわよ。この試験が危険なモノであることを肝に銘じなさい。それで、もしも事が起きた場合には、だからこそ冷静になること。慌てずに自分に任せられたことをやる。そのことを自分に言い聞かせて動きなさい」
一部を除いて、それぞれが緊張した面持ちで頷いた。それを見届けると、小人がまた話し出す。
「じゃ最後にもう一度割り振りを確認します。私とクロウは多脚機に搭乗して、操縦試験を実施。試験の撮影記録はシャノンちゃんとメイアちゃん。移動中は半装軌車から撮影。周囲の警戒はマディスとシュペール。マディスはパンタルに搭乗、シュペールは半装軌車の運転役も兼任。事故が起きた時に対応するのは、カーン、バゼル、ルント、ソシアス。ソシアスがラストルに搭乗、バゼルは起重機車を運転操作しなさい。カーンとルントも起重機車に同乗して。対応の指揮はカーンに任せるわ」
「わかった」
カーンの返事に頷き返すと、ミソラは微笑んで手を打った。
「じゃ、始めるわよ! クロウ、防護具を着けなさい! マディスはクロウの手伝いと操縦の説明をよろしく! シャノンちゃん! 準備でき次第、撮影開始! あと、ミシェル! 付いてくるなら半装軌車の助手席が空いてるから乗んなさい!」
この号令を受けて、男組は粛々と、女組は一人が扱いがついで過ぎないと騒ぐがそれでも動き出す。
クロウもまたマディスから渡された防護具を手早く装着していく。幸いというべきか、幾度か身に着けたことがあるものだったので、短時間で済んだ。
「っし、これで大丈夫だなぁ。さて、エンフリード、操縦方法を説明すっぞ」
「了解です」
と答えた直後、クロウの頭に重み。気の抜けた甘い声音が聞こえてくる。
「はー、やっぱり定位置は落ち着くわー」
「乗ってもいいけど、垂れるな」
「あててんのよ」
「あてる程ないだって叩くな響く」
「ちっ、こいつがなかったら毟ってやるのに」
「おぅい室長、エンフリードに絡めて嬉しいのはわかるが、後にしてくんなぁ」
あはは、ごめんごめんとの小人の声で、一行は移動を始める。向かう先は当然多脚機だ。距離としては短いものであるが、マディスは早速操縦について話し始めた。
「まずは操縦の方法なんだがぁ、おめぇにゃ悪いが前回動かしてもらった時から変わっとる」
なんせこっちも手探りでやっとる所もあるからよぅ、との言葉の後、開発者は変更点について話し出す。
「歩行に関しては前のように制御棒で方向を制限することはなくなった。関節制御機構の動きがそのまま……、あー、簡単に言やぁ、ちょっとばかり変則になるがぁ、おめぇの足の動きがそのまま倍加されて反映されることになる」
「パンタルの腕と同じってことですね」
「ああ、そうなるんだがぁ、こいつは四つ脚だ。直接的に繋がっている前脚の動きが、一段遅れて後ろ脚にも反映される」
「つまり右前脚を動かしたら、右後脚が遅れて動くってことですか?」
「おぅ、その理解であっとる。けどまぁ、実際は前脚が接地するまでは動かねぇ仕様だ。欲をいやぁ、走れるようにしたり互い違いに動いたりってぇ具合によぅ、もっと融通が利くようにしてぇんだがぁ、ま、それは今後の課題って奴だ」
歩いていた二人の足が止まる。多脚機の操縦席、その脇である。
マディスは折りたたんであった舷梯を降ろすと場所を開けて、クロウに乗り込むように促す。少年は一つ頷くと身軽な動きで舷梯を昇り、大きく口を開けた操縦席へと乗り込んだ。
乗り慣れぬ場所に収まり、緊張と興奮が沸き起こる。それを収めぬまま、座席となる腰掛に身体を委ねて足を延ばす。外側に固い感触。制御機構だろうと当たりをつけながら、前面に広がる計器類に目を配る。
魔力残量計に脚それぞれの油圧計、姿勢制御用回転儀の数値計、機体均衡や対向重量の状態表示、新しく設置されたと思しき、速度計に方位計、機体均衡表示の脚部に四つの表示灯、小さな制御棒、そして左右両側にあるひじ掛けの先にそれぞれ制御桿が一本。
「着座調整と固定具は前と同じだ」
「わかりました」
クロウは楽な姿勢になるように手早く調整して座りを良くする。それが終わると今度は固定具を装着だ。その際、足先に固い物を感じ取った。
「マディスさん、奥になんか固い物が」
「ああ、後で説明するつもりだったんだがぁ、まぁいいか。そいつはぁ装軌で動く時に使う踏板だ。右が加速、左が制動になっとる」
マディスは舷梯を登ってくると、計器盤にある小さな制御棒を指差した。
「先に説明しておくと、こいつで機体の動かし方を選択することになっとる。今の位置が停止状態、右奥にやって歩行状態、左奥にやると装軌状態になる仕様だ。後ついでに言っとくとだなぁ、足元の踏板は装軌状態にしねぇと動かねぇようになっとる。……まぁ、難しいことを言うかもしれんが、関節制御の邪魔にならないようにしながら、踏板に足が届くようにもしてくんな」
「その前に、これ、足が短いと悲劇よね」
ミソラの茶々に、男二人が苦笑を漏らす。これで幾分肩の力が抜けたのか、共に表情が少し柔らかくなった。
「難しそうですけど、何とかします」
「ああ、俺も改修事項に入れとかぁ。……でだ、両側のひじ掛けの先に制御桿があるだろ?」
「ええ」
「そいつらも装軌状態の時に使用する。今の状態……真ん中の位置が停止、奥側に倒すと前進、手前に倒すと後進、んで、前進三段階、後進二段階で速度が調整できる。それぞれの段階に制限時速があってよぅ、一速が十アルト、二速が三十アルト、三速が五十アルトだ。っと、そういえば、おめぇは装軌の免許持ってたか?」
「持ってないです」
「なら、簡単に説明するとだなぁ。右側の制御桿は右の装軌を、左側の制御桿は左の装軌を、それぞれ調整するモンだ。で、右に曲がる時は右側のをより奥へ、左に曲がる時は左側のをより奥へ倒せばいい」
「あー、速度差を利用するってことですか」
「そういうこった。後、左右のを奥と手前に反対に倒すとその場で回転できる」
「な、るほど、とりあえず頑張ってみます」
クロウは初めてのことだけに一抹の不安を抱きながらも答える。そんな少年を励ますかのように、頭の上の小人が咆えた。
「クロウ! 難しく考えちゃダメよ! こういうのはね、慣れなのよ慣れ! 今は頭で考えるより身体を動かす時よ!」
「へっ、確かに室長が言った通りだ」
マディスは舷梯より飛び降りると、距離を取って指示を出す。
「よぅし! エンフリード、まずは機動選択を右奥にやって、歩行状態にしろ!」
「了解!」
威勢良く答えて、所定の動作。何かが噛み合う金属音が機体の内側から届く。それは同時に、クロウの足に機体と繋がったという感触をもたらした。自身の感覚が延長して、足裏に大地を踏んだような疑似的な感触である。
「制御装置の倍加感覚はパンタルの要領で掴めらぁ! まずは両足を曲げてみろ!」
言われるままに曲げると、機体の脚全ての膝が屈むように曲がり、視界も下がった。
再びマディスの濁声。
「よぅし! 正常だぁ! 動いていいぞぅ! 機体の均衡状態にだけは注意しろ!」
「了解!」
クロウは足を戻すと計器に目を向ける。心音の高まりを感じながら、操作感を掴むべく右足をゆっくりと前へ動かした。半瞬後、多脚機の右前脚がゆっくりと持ち上がり、一リュート先で接地。振動と砂埃。少年の足に地面を踏んだ感触。続いて後ろ脚が持ち上がり、前へと動いて大地を踏みしめた。
ただ一歩の動きであったが、現役の機兵かつ以前の操縦経験もあって大凡の感覚が掴む。だが、それ以上に妙な感覚を受けて呻いた。
「うぇっ、後ろのがなんか変な感触」
「どんな感じ?」
「自分の足以外の所に足があって動いてる感覚」
「ごめん、そのまますぎてわかんない」
「だろうなぁ」
これは直に味わわないとわからん、とミソラにボヤキながら左足を前へ。左前脚が動き、クロウの視界も前進する。地響きと振動。そして、後ろ脚の追随。前進する為の動作が一巡した所で、マディスの声が飛んでくる。
「どうでぇ! エンフリード!」
「この調子なら行けそうです!」
「そうかぁ! なら、俺がパンタルで先導するからよぉ、後を着いてこい!」
「わかりました!」
多脚機こと魔導戦脚は砂海に向かって歩き出した。
砂礫で成る荒れ地を四つ脚の機獣は進む。
自らの脚と五つの爪で大地を掴み、一歩また一歩と歩み続ける。その歩みは傍らを行く半装軌車や起重機車に比べると鈍重で遅い。が、踏みしめる脚は力強く、多少の凹凸など問題にもせず、前へ前へ。先を行くパンタルや後を行くラストルの歩みが軽く感じられる程である。また歩幅が広いからか、人が歩くよりも幾分速い。
絶え間なく続く機械の作動音。歩く度に脚部に収まった油圧機構が伸びては縮み、関節部も操縦者の動きに過不足なく応える。地を揺らす振動、骨格の軋み、対向重量が滑る音、排熱の吐息。機体後部の荷台に固定された計測記録装置は断続的に情報を刻んでいく。
荒野を順調に歩く四つの脚。その周囲に侍る者達はそれぞれだ。
緊張しながら任に勤める者がいれば、厳しい眼差しで動きを見る者がいる。不整地の凹凸に苦労する者もいれば、アレの何が凄いんだろうと首を捻る者もいる。仕事に専念している者もあれば、目を輝かせて異形の機体に魅入る者もいる。隣の中年男をからかう者がいれば、隣席や周囲が気になって落ち着かない者がいる。そして、誰よりも機体の状態を気にしながらも周囲を警戒する者がいた。
こうした具合で歩き続けること、二十分近く。
彼らは試験地となりそうな開けた場所までやってきた。大きな瓦礫や廃墟はほとんどなく、地面もほぼ平坦である。先行するパンタルが停止の手信号を作ったことで、クロウは足を止める。ついで機体を停止状態へともっていく。
脚を止め、場に佇む魔導戦脚。
降り注ぐ陽射しが装甲に光沢を与え、色鮮やかな深紅が青空に映える。
新人の幾人かが機体の風格に思わず見惚れる。一方のクロウは慎重に慎重を重ねた結果、知らず浅くなっていた呼吸を元に戻すべく大きく息を吐く。そこに近づいてきたパンタル。伝声管越しのくぐもった声が届いた。
「異常はなかったみてぇだなぁ。自分の足で歩いた感想はどうでぇ?」
「正直に言うと、思っていたよりも上下の揺れがなかったんで、操縦はしやすかったです」
「今後、可動制限を減らしたり走ることができるようになったら、そうも言ってられんだろうがなぁ。んで、他にはねぇか?」
「他はまぁ、慣れないことだからでしょうけど、気疲れしたって位ですかね。それ以外はないです」
「わかったぁ。また何か気付いたことがあったら教えてくんなぁ」
「了解です」
開発者と試験操縦者の話が終わったと見て、場を仕切るミソラが飛び立って声を上げた。
「よし、次の試験に移るわよ! 撮影組はえーと、あそこに陣取って撮影準備! カーン、手伝ってあげて!」
「あいよ! ルント、ソシアス、嬢ちゃん達にイイ所を見せる好機だ、ついてこい」
おれ年下には興味ないですし、んなこと考えてねぇっすよとの小声での抗議が風に乗って聞こえてきて、クロウは口元を綻ばせる。何気ないやりとであっても、他の誰かの会話は彼の心を落ち着かせてくれるのだ。とはいえ、ミシェル! あんた、シャノンちゃん達にちょっかいを出して仕事の邪魔をするんじゃない、なんてミソラの声を聞くと、天を仰ぎたくなってしまうのではあるが……。
とにもかくも、赤髪の少年が気分を入れ替えた所で、マディスの声。
「さて、ここからが本番ってことになるがぁ、ちっとばかし動かしてみるか?」
問いかけに頷く。それが見えたのだろう、また重い声が響いた。
「最初にぃ、機動選択を左奥に設定」
「左奥」
従って動かす。ガチャリと機体の脚元より固着させる音が相次いで届く。
「今の音が装軌を接地させた音って奴だ。機体均衡んところの表示灯が緑になってねぇか?」
「はい、四つとも緑です」
「それで装軌が正常に稼働できる状態だ。ただぁ、この状態でもぉ左右の操縦桿を中立状態から動かさねぇ限りはぁ、加速を踏んでも動かねぇ。逆に制動は効くからよぅ、動きそうで不安に感じるならぁ踏みゃあいい」
「そうします」
言われるがままに左の踏板を踏む。ほんの一動作でしかないが、心なしか余裕ができた気がした。
「っし、なら起動手順だ。停止状態からの動かす時はぁ、まずは操縦桿の操作からだ。んだなぁ、とりあえず、右の悍を前一、左のを後一にして制動を解除、加速を踏んでみな」
指示のまま操作する。その場で機体が左側へとゆっくり回り始めた。
「超信地旋回って奴だぁ。方向転換に使える」
「おぉ」
クロウは初体験に表情を綻ばせて、グルグルと回り続ける。が、履帯に負担がかかるから多用せん方がいいぞとの言葉に、加速から足を外す。しばらくは惰性で動くが、制動を踏んだ瞬間に反動と共に動きが止まった。
今し方の操作でなんとなく操縦方法を掴んだ気がして、クロウは何度か頷く。が、不意に操縦桿に目を向けて、右に左にと顔を振って何かを探しだした。
「どうしたぁ?」
「いや、後ろにさがる時って、どうやって後方確認するのかなって」
クロウの疑問に、マディスはしばし沈黙。十秒程経ってから、どことなく力ない声で答えが返ってきた。
「悪りぃ、忘れとったわ。改修項目として覚えとく」
「あはは、お願いします」
マディスさんも失敗するんだなと、少しばかり新鮮な気持ちで返す。不意に頭に重み、ついで小人の声。
「そりゃ人間だもの、失敗だってするわよ。なので今回は私が誘導するってことで」
「ああ、それで頼まぁ」
「任せなさい。さて、クロウ、そろそろ動かし始めましょうか。もう動かし方はわかったでしょ」
「なんとなくだけどな」
少年は一応の予防線を張ってから、左右の操縦桿の前一速へ合わせて加速を踏み込む。
操縦系が反応し、機体がゆっくりと前へ動き始める。肌に微風。周囲の景色がゆるゆると流れていく。時折、小さな凹凸を踏み越えるが、脚間接の油圧が見事に吸収している。これなら大丈夫そうだと、前進二速へ。
ぐんと速度が上がり、身体に伝わる振動が大きくなる。と、かなり先ではあるが、乗り越えるのが難しそうな大きな瓦礫を見つけた。ならばと、左の操縦桿を一つ引き戻す。徐々に左へと曲がり始める。特に問題なく方向転換に成功。悍を二速へ。また速度を上げる。
吹きさらしの操縦席に向かい風。きつくなっていくそれに目を細めた。
「ゴーグル、持ってきたらよかったな」
「どっちかというと風防の方がいいね。これ以上速くなるなら密閉式か、うん、機体の目的を考えると装甲が必要かも」
「だな。……けど、こうして風を感じるのも悪くない気がする。魔導艇は速すぎてなぁ」
「なら、しばらく気ままに動かしてみなさいよ。試験は慣れてからってことで」
「了解」
少年の操縦桿を手に収めて頷いた。
それからしばらくの間、多脚機は試験場を動き回る。
速度を上げて突き進み、ゆっくりと制動。ミソラに見てもらって、後進しながらの方向転換。唐突に加速して急制動、のちに後進。右に曲がって一回り左に曲がって一回りといった具合に気の向くままに操縦して、慣れてきたなと思った所で既定の試験項目を開始する。
とは言っても、実施する項目自体はクロウが好き勝手に動かした時の動作と当たらずとも遠からずで、ミソラに指示されるがまま、特に問題もなく消化していく。
そして、最後の試験項目……事故が起きる可能性が高いとされている、高速機動時の旋回試験となった。
あらかじめ危険な試験と言われているだけに、クロウは気を入れて構えていた。が、ふと思い出してミソラに言った。
「なぁ、前もこんなことなかったか?」
「さー、あったようななかったような」
小人の惚けた声音にあったと確信し、少年は警戒心を強くする。
とはいえ、心まで固まってしまってはまずいと考えて、あえて減らず口を叩いた。
「記憶が思い出せないのってさ、老化の始まりって言われてるんだっけ?」
「そうなの? でも、今日の朝、焼き肉を食べ損ねたことは覚えてるわよ? ほかほかでおいしそうだったんだけど、まぁ、帰ったら食べられるだろうし、なんなら今日のお昼は焼き肉に野菜の盛り合わせでも添えて一緒に食べる?」
「おねーさんのおごりならありがたく」
クロウは笑って言うと、始めるの手信号を撮影班に向けて送る。
「行くぞ」
左右双方の操縦桿を一息に三速へ。
加速を徐々に踏み込み、最高速へ。
大きく深呼吸。
歯を噛みしめて、左の悍を一段下げ。
迫っていた光景が右側へと流れ始める。
急激に横向きの力が加わって、機体が右側へと傾ぐ。
旋回の半ばに至った辺りで、左脚から伝わる感触が弱くなった。
だが、まだいけると少年が思った瞬間であった。
ちょっとした段差に当たって、がたりと跳ねる機体。
「ぅぁッ」
ぎりぎりで耐えていた所への小さくも致命的な一撃。
浮き上がる左脚。
少しでも抵抗しようと、己が体重を左へ送る。
だが無情にも、左脚元の砂煙が消えた。
遂に均衡が崩れて、状態表示が危険域を超える。
遠心力に呑まれるまま、胴体が横へ倒れていく。
天に向かって昇る左脚。
空回りする装軌が見える頃には、加速度的に態勢が崩れた。
そして、残っていた軸脚たる右の脚も掬われた。
横倒し状態になって、機体が中空を飛ぶ。
二秒三秒と滞空し、どうと地響きを立てて倒れ込んだ。
砂煙に消える機体。
誰かの声にならない悲鳴。
「く、クロウ君!」
「奴は室長が付いてるなら大丈夫だ! フィールズは記録を中断! 念の為、ゴールと一緒に半装軌車に乗って救急具の準備! シュペールは現状待機! 呼んだら来い! バゼル! 起重機車を前進させろ! ソシアスは追随! ルントは現場についてから指示を出す! マディス! お前は周辺を警戒しろよ!」
カーンの矢継ぎ早の指示。
その間にも起重機車が動き始めた。向かう先、舞い上がる砂塵が風に流されて、状況が見えてくる。
腹を晒して横倒しに倒れた機体。
周囲には晴れ砕けた甲殻の破片。大地に接した右脚は動かない。だが、左脚は痙攣するかのように微妙に動いていた。
破局の現場にたどり着くや、カーンは大声で呼びかける。
「おい、室長! 状態はどうなってる!」
「あーはいはい、クロウも私もだいじょうぶよー、ちょっと派手に転んだだけ」
その返事に続くように、クロウの姿が現れた。砂塵に塗れているが立ち上がった姿に揺るぎはなく、負傷している様子もない。
「転がったらやばいってわかってたけど、はー、こうなるんだなぁ」
小人を頭に乗せたまま、気の抜けた声。その様子に、救助に来た者達はそれぞれの違いはあれども安堵を見せる。
「へっ、エンフリード、派手にやりやがったな。マディスが泣いて喜ぶぞ」
「はは、そりゃなによりですよ」
クロウは目つきの悪い男に軽く返すと、あそこまで崩れたらもうどうしようもないですよと続ける。カーンもだろうなと一言返して、肝心なことを切り出した。
「で、怪我はないか? 言っとくが、我慢なんてすんなよ?」
「怪我はないです。これでも機兵ですから、来るとわかってる衝撃なら耐えられますよ」
もちろん限度はありますけど、アレ位なら痣ができる程度ですよと軽く笑った。そして、散歩でも行こうかといった風情で言い放った。
「さて、まだ機体が動きそうなら、再挑戦だな」
クロウの言葉に、新入りの若者達は表情を引き攣らせる。一般人なら放心しそうな事故の直後であっても、なんら動じぬ相手に恐れすら抱いた。だが、彼と付き合いのある者達はそれぞれに肯定的な声を上げた。
「さっすが男の子! この調子で頑張れば、イイ男になれるわよ!」
「へへっ、この程度は屁でもねぇってか?」
「はは、やっぱり強靭だねよねぇ、頼りになるよ」
少年は自分を見る目の温度差に苦笑しながら告げた。
「マディスさんには世話になってますからね。頑張らせてもらいますよ」
「なら、機体を起こして動きそうならもう一回ね」
ミソラの言葉に了解と告げると、クロウはまた表情を引き締め、もう一頑張りするかと肩を回した。
こうして続けられた試験であるが、結局の所、機体が更に二回転倒して、装軌が動作不能になるまで続けられた。
その結果として、試作機は装甲のほぼ全てが割れ砕け、骨格のあちらこちらが歪んで損壊し、関節の大半が破損ないし故障し、操作伝達系の断線や油圧系の不具合や油漏れ、冷却管が破断を起こして大破してしまい、修復するよりも新規に作り直した方が良い状態にまでなってしまう。
しかしながら、渾身の試作機を代償とした甲斐もあって、開発者たるマディスは今後の開発改良に役立つであろう多くの計測情報や教訓、経験則に見識といったモノを手に入れたのであった。




