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魔導黎明記  作者: 綺羅鷺肇
9 探索者は終末を巡る
78/96

五 三十七番遺構

 前書き

 かっからから(さいころをころがすおとがする

「……ふぅ」


 小さな吐息。

 こもった熱が口内より抜けていくのを感じながら、赤髪の機兵は得物を一振り。まとわりついた緑血を飛ばす。ついで、近くにいるであろう女密偵に声を掛けた。


「ミシェル! 周囲にまだいそうか!」

「大丈夫! もういないみたい!」


 伝声管越しでもわかる、張りのある声。

 その調子と内容から周囲の安全がある程度確保されたと判断して、クロウは少し肩の力を抜く。展視窓の向こう側に、甲殻蟲ラティアの躯。落とした頭部は連撃で潰れ、まだ血を垂れ流す胴体は生に執着するかのように手足を小刻みに動かしている。少年は天敵のしぶとさに眉を顰めると、周囲へと意識を向けた。


 天高い青空、赤錆の大地。

 瓦礫と砂礫、吹き抜ける熱風と砂塵によって織り成された不毛の荒野。常と変わらぬ大砂海の姿だ。


「ほいほいほいっと、とうちゃく~。って、うぇぇ刺激が強いなぁ。こんなの見ちゃうと……」

「食が進むってか?」

「いやいや、クロウと一緒にしないでよ」

「俺もこんなの見て食欲は出ないさ」


 気の抜けたやり取り。

 減らず口で肩に残っていた緊張が抜け、心胆に籠った熱が冷めていく。この一点だけでも、クロウはミシェルがこの場にいてくれることに感謝の念を抱く。もっとも、それを表に出すことはせず、次にしなければならないことを告げた。


「さて、まずは前にやったみたいに、砂を掛けるぞ」

「はいはーい。……ねね、クロウ、こいつが素材になるのって、殻とか内臓だっけ?」

「ああ、目玉と肝な」

「うん、それそれ。ミソラちゃん達に売れないかな?」


 期待が滲む声。

 逞しい実利的な意見に、少年は苦笑する。


「引き取ってはくれるんじゃないか? どれくらい出してくれるかはわからんけど」

「んー、今日の晩飯代くらいは欲しいかなー」

「その辺は頑張って交渉してくれ。ただ持って帰れるかどうかは、探索が終わって時間があったらの話になるけどな」


 赤髪の機兵は軽い調子で答えながら、ラティアの躯の少し先に目を向ける。

 大小数多の瓦礫が折り重なる中、崩れかけの廃墟……三十七番遺構と公に呼称される旧文明期の遺構があった。



 クロウとミシェルは潰した蟲の後始末を終えると、三十七番遺構に東側から近づき始める。

 遺構近くでラティアとの交戦があったことに加えて、廃墟周辺が瓦礫に埋まっていることもあり、その足は慎重である。

 足元と耳目に神経を集中させながら一歩一歩と近づいていき、小さな遺構にたどり着く。遺構は五リュート四方の廃墟であった。崩れた壁より中を覗けば、落ちた天井が瓦礫となって床に転がり、南と西の壁も半分以上が崩れている。往時の面影を強く残しているのは、真中にあるひときわ頑丈そうな人工石の塊……地下への入り口だけ。その入り口であるが、かなり大きな間口で珍しく魔導機が入れそうであった。


 赤紙の機兵は機嫌良く口を開く。


「今日もラティアとかち合うなんて、運が悪いなって思ってたけど、うん、気のせいだったみたいだな」

「それ、今日も汗まみれな私を見てから言ってほしいかなー」

「わかったわかった、水なら後で飲ませてやるから」

「そういうことじゃないんですー」


 口を尖らせながら、ミシェルは暗視装置を装着。出入り口だったと思しき壁の合間から中へ。足を忍ばせて地下出入口に近づき、内部を覗き込む。それを追う形で、クロウも壁の内側へ。油断なく神経を研ぎ澄ませて、手にした大鉄槌を構えた。その間にも、ミシェルは瓦礫の欠片を拾って中へと放り込む。


 乾いた落下音の後、転がる響きが遠く小さくなっていく。


 それから数秒待ち、ミシェルは詰めていた息を吐きだして告げる。


「入ってすぐは大丈夫。後、聞いた感じ、すぐに階段みたい」

「軽く見てこれそうか?」

「うん、ちょっと覗いて、パンタルで降りれるか見てくるわ」

「頼む。……念のために、魔導鉄槌持ってくか?」

「んー、判断が鈍りそうだからやめとく。荒事は苦手だしね」

「なら、危ないと感じたらすぐに上がってくるようにな」

「もちろん」


 と応じた直後、女密偵は物音を立てずに遺構へと入り込んでいく。

 見送ったクロウは廃墟の壁を背にして、周囲に警戒の目を向ける。彼の視野に多く入り込むのは、崩れ落ちた旧文明の名残。瓦礫の破断面より伸び出る鉄筋は錆び付き、砂風や陽射しにあたる場所は風化でボロボロになっている。


 どれだけ繁栄した文明でも、自然には叶わないのかなぁ。


 頭の片隅で思い浸っていると、地下入り口より人影が飛び出してきた。その慌てた様子に、クロウは眼を鋭くして何事かと尋ねようとする。だがその前に、ミシェルが声を上げた。


「クロウクロウ! 良い知らせと悪い知らせがあるけど、どっちからがいい!」


 場所を忘れたかのような大きく明るい声。

 少年は緊急性がないと判断してほっと息を吐いた。それから密偵の不用意な行動に注意しようとする。けれど、相方の顔に満面の笑みを認めて気勢を削がれてしまい、言われるがままに短く答えた。


「悪い方から」

「階段は途中で崩落してました!」

「うぇ、最悪」


 また降りないとダメなのかと、クロウは嘆息しつつ続けた。


「良い方は?」

「なんとびっくり! 崩落した場所の手前にっ、壊れた個人装甲がありました!」

「……は?」


 クロウは耳にした言葉にあっけに取られてしまう。それに気を良くしたのか、ミシェルは輝くような笑み。


「うふふふ、まさかあんなお宝が転がってるなんて! 今回は前と違って、クロウの頑張り次第で持って帰れそうだし! うーん、遺跡漁りさいこー!」

「いやいやいや、ちょっと待て。なんで個人装甲がそんなとこにって……、いや、それ以前に、あくまでも内部調査が仕事で、遺跡漁りはあくまでも副産物だからな?」

「わかってるって! 真面目な話をすると、例の個人装甲が邪魔でこれ以上先には潜れなさそうなのよねぇ」


 クロウは思わず顔に手を当てたくなる。が、制御籠手はそこまで動かない。なので代わりに肩を落とした。


「階段が壊れていて、潜れませんでしたってのは、ダメか?」

「クロウ、今さっき、自分で言ったこと覚えてる?」

「忘れた、って言いたいけど、ほとんど何もじゃ信用にかかわるよなぁ」

「でしょうでしょう。ダメでしたって言いたいなら、最低でも何とかする努力をしてからじゃないと!」


 ミシェルの言っていることがもっともであった為、クロウは反論できない。半ば諦めを胸に尋ねる。


「それで、見た感じ、引き上げられそうなのか?」

「え、そこはほら、意地と努力と根性と工夫次第でしょ」


 気楽に過ぎる言葉を耳にした瞬間、先に訪れる不幸を感じ取ってしまい、クロウは天を仰いだ。


 そんな訳で仕事の前、というよりは仕事を為すために、旧文明期の遺物を引き上げることとなった。

 この作業での細かな様子は省くが、最中において、パンタルが転倒すること二回、引き上げに使ったロープとワイヤーが絡まること七回、甲殻装甲が壁面や床面に擦れること数十回、更には指や腕の関節部に不具合が発生したり、少量であったが油漏れが発生したりするなどといった具合に、搭乗者の冷や汗と涙なしでは語れない様相であった。


 そして、約二時間程の苦闘の末、二人は個人装甲の引き上げに成功する。

 

 こうして再び陽の目を見ることになった個人装甲。至近で爆風でも受けたのか、右側全体が焼き焦げて破損していることに加えて脚部の損傷が酷く、また錆が浮いた箇所も多い。状態は良いとは言えないものであった。けれども、旧文明期の遺物であることは素人目でも一目でわかる。

 そんな個人装甲であるが、クロウが見る限り、以前地下遺構を発掘した際に手に入れた九三式個人装甲ではない。九三式と似た雰囲気を持っているが、全体的によりずんぐりとした感である。とはいえ、それでもパンタルより装甲が頑強そうであり、また内部の機構も精巧で洗練されていた。


 この掘り出し物の収穫に、ミシェルの目は明るく輝き口元は緩み切っている。それはもう、グランサーがこの仕事をやめられない気持ちがわかる程に、心が浮きたっている。それはもう、浮かれた気分のまま、自身の乗機の傍らで項垂れている相方へと問いかける程に。


「クロウ、これって、いくら位になりそう?」


 少年は虹彩曇る目を女に向けて、疲れ切った声で答えた。


「わからん。……ただ修理代以上には、なって欲しい」

「あ、あはは、ほ、ほら、な、なんとか持って帰れそうなんだからさ、も、もっと元気だして」


 今更ながらに少年の状態に気付いて、ミシェルはどもる。対するクロウであるが、ただ据わった目で見つめて地の底を這うような声を吐き出す。


「ああ、意地でも持って帰るから、安心しろ。じゃないと、さっきまでの苦労が全部無駄になるからなぁ」

「う、うん、そうだよね! ところで、取り分なんだけど……」

「修理費込みで、七対三」

「え、えーと、できれば、ろ……あ、いや、なんでもないです!」


 珍しくも不機嫌さを露わにする家主の様子に、ミシェルは慌てて頷いたのだった。



  * * *



 一仕事終えたということで、一息入れての仕切り直しである。

 休憩時間を置いたことが奏功したののか、クロウの機嫌も平常と呼べる程度には落着き、二人は改めて地下に潜る準備を始めた。

 まずは中破した個人装甲を人目に付かぬよう壁の影に。次に、クロウのパンタルを出入り口に背を向ける形で駐機姿勢に。


「行けるところまで降りてくれたらロープがかなり節約できるのに」

「その階段で二回も転んだんだ、もう勘弁してくれ」

「むー、まぁ、仕方ないか。ところで、向きはそっちでいいの?」

「上がってくる時は疲れてるだろうからな。出る時に楽な方がいい」


 声の後、固着器が打ち込まれる音。その間に、両手で左右の壁を突っ張って固定させた。


「よし、これで重しに使っても大丈夫のはず。……ミシェル、俺が降りたら、ロープの準備を頼む」

「結ぶの脚でいい?」

「ああ、右でも左でも好きな方で」

「了解」


 相方の返事を受け、クロウは機体より降り立つ。すぐに砂海特有の乾いた熱気が彼を包み込んだ。肌で感じた生暖かさが急速に熱を帯びていくのを感じながら、機内より装具を取り出す。その中には昨夜になって届けられた品……ミソラが彼の為に作り上げた魔導具が幾つかあった。


 ミシェルは少年が手にしているものを見るや、頬を緩めて口を開いた。


「昨日のミソラちゃん、楽しそうに説明してたわねぇ」

「ああ。けどな、使い方の説明を聞くだけで、まさか五時間もかかるとは思わなかったわ。ほんと、シャノンさんが止めなかったら、一晩中しゃべってたんじゃないか、あれ」

「くふふ、あれは見てるだけでも面白かったわ。あのお付きの子が、これ以上はクロウ君の迷惑になりますから、いい加減帰りますよって怒って捕まえても、ええい、はなせはなせぇって、ばたばた暴れてさ」

「あれなぁ、シャノンさんの苦労が垣間見えた気がしたよ」


 クロウは苦笑しながら装具を身に着けていく。

 まずは右耳にミソラが用意した魔導具の一つ、魔導式暗視装置を引っ掛ける。次に大型の革ベルトを腰に巻き付けると、右前側に並ぶ穴に閃光弾や閃光音響手榴弾(スタングレネード)を三つずつ引っ掛けた。それから左脇の把持装置(ホルダー)に長さ二十ガルト程の水筒……これもミソラが作った魔導具で、釦一つで一定量の水が作り出せる湧水筒を固定する。そして、左前には製図用具の入った腰鞄。

 そこまで終わると、体を左右に捻って飛び跳ねた。腰の装具が小さな音を立てるが外れる様子はない。よしと呟き、再び機内に手を伸ばす。そして掴んだのは、縦十五ガルト程、横二十数ガルトの白く平べったい代物。四角形というよりはやや平行四辺形に近いそれは、角が丸く落とされ、縦に細長い穴が片端に開いていた。


「ミシェル」

「んー、なにー?」

「外のアレ、もういらないよな?」

「うん、個人装甲があるから持って帰れそうにないし、もういらないかな」

「なら、試し撃ちに使うぞ」

「了解ー。あ、けど、後始末は自分でしてねー。こっちはロープの準備で忙しいから」

「はいはい」


 手伝いを期待していたクロウは仕方ないと首を一振り。右手指を細長い穴に差し込み、ざらついた握り……銃把を握りしめる。片手で持ち上げると、ずしりとした重み。それでも魔導鉄槌よりは軽いかと思いながら、地下出入り口より外へ。崩れた壁の合間に目を向ける。その先五十リュート程の場所に、先に潰したラティアが転がっている。

 無言のまま、右手をまっすぐに伸ばして、白い代物……魔導銃の銃口を蟲の胴体へと向けた。銃把近くの切り替えレバー(安全装置)を親指で操作。固定から単射に切り替え、照準を合わせる。そして、引き金に指を掛けた。


 唐突に、暴発事故を思い出す。


 衝撃と恐怖の記憶。


 言うまでもないが、今、彼が手に持つ魔導銃と事故を起こした魔導銃は別物である。だが、同じ仕組みを持つ魔導銃であった。


 そのことを意識した途端、彼の心に満ちる恐慌。


 今度は身を守ってくれる装甲はないという事実に、胸が重苦しくなり、引き金に添えた人差し指が石のように固まった。


 昨日、受け取った時には何もなかったのに、どうして今になって!


 思いもかけなかった心身の反乱に、歪みそうになる表情。それを笑うことで誤魔化し、自身に言い聞かせる。


 何度も試射をして大丈夫だったと聞いている。ミソラとシャノンさんを信じろ、と……。


 だが、それでも息苦しい恐怖は残る。構えてから数秒。どくどくと心臓がうるさく跳ねる。じわりと汗が滲んだ。震えそうになる指を、下ろしそうになる腕を、ただ意志の力だけで抑える。


 けれど、引き金に添えた指は動かない。


 クロウは束の間目を閉じて、ミソラとシャノンの顔を思い浮かべる。

 笑顔や剥れ顔、怒り顔に沈んだ顔、晴れやかな顔、照れた顔、真剣な顔、泣き顔、苦い顔、不安な顔、喜んだ顔。


 二人がこれを渡した時に見せた顔をなんだった?


 真剣だけど晴れやかで、自信に満ちた顔だった。


 ならば、それを信じて……、いや、行動で信を示す。


 そう己に言い聞かせると、クロウは眦をけっして、歯ぎしりする程に歯をかみしめて、引き金を、引いた。


 引き金から軽い抵抗。瞬間、輝く銃口。直後、反動もなく空気を静かに穿つ音。


 光の弾は真っすぐに突き進み、狙い過たずに胴体へと命中。衝撃音と共に甲殻や肉片が弾け飛んだ。


 目を見開いたまま、成果を確認。ついで大きく息を吐きだして暴れる心臓を落ち着かせる。背後から軽い声。


「おぉー、一発でアレなんだ。すごいねー」

「あ、ああ。……確かに、すごいな」

「いいなー、それあれば怖いモノないじゃん。しかも、特殊仕様で弾切れの心配なしなんでしょ?」

「どこまで本当なのかは知らないけど、万を超えて撃っても平気らしい」

「それ、もう、値段がつけられないでしょ。あー、もー、わたしもほしいなー」


 居候の呑気な声を耳にする内、緊張が解れていく。今ばかりはミシェルに助けられたと思いながら、平静を装って答えた。


「残念ながら、この型の魔導銃はこれ一丁だけだってさ」

「そうなんだ」

「ああ、なんでも素材が特殊な上、魔刻板の加工がミソラにしかできない位に面倒くさいらしい」

「それは残念っと、そうそう、降下用のロープは準備できたからね」

「了解。もう少し試して、慣れたら降りるってことで」

「わかった。なら、私は念のために周囲を警戒しとくわ。……けど、さっきみたいにぼうっとしないでね?」


 これは間違いなく、調子がおかしくなったことに気付いているな。


 少年はそう判じて嘆息。肩越しに振り向いて答えた。


「できるだけ気を付けるよ」

「うんうん、男がぼうってしていいのは出すもの吐き出した後だけだからね!」


 色狂いって点を除けば、ほんとにできた奴なんだけどなぁ。


 そんなことを思いながら、クロウはまた一つ吐息をついて困ったように笑った。



 クロウが満足するまで試射をした後、いよいよ二人は地下遺構に入っていく。

 ミシェルは先と同じく軽装。頭に暗視装置を装着し、工作具やロープ、ワイヤー等の入った鞄を背負う以外は最低限の無手である。対するクロウは先の装具に加えて、腰背面の拳銃嚢(ホルスター)に魔導銃、魔導鉄槌を右肩から斜めにして背負うといった重装である。


 ミシェルが二眼ゴーグル(受像器)を下ろし、暗視装置を作動させながら笑う。


「なんかクロウの恰好ってさ、ならず者の出入りだーって感じだね」

「ならミシェルはあれか? 忍び込む盗人か?」

「うん? まぁ、それが本職ですから、うん、あなたの心も盗みますって感じかな」


 クロウは無言のまま、先の作業でも使った魔導式暗視装置、その小さな釦を押し込む。一瞬の間。視野全てが白黒に染まった。そのまま暗がりや明所を見る。それぞれが明瞭に像を結んでいる。正常だと判断して頷く。


「ちょっと、ながすのよくない!」

「はいはい、盗めるなら盗んでくださいって言っとくよ」

「おっ、言ったな言ったな、ぬふ、夜這いの言質取ったよこれ」


 さすがに聞き捨てならず、クロウは皮手袋を装着しながら、訝しげな顔で女密偵を見る。


「心盗むのに……、夜這い?」

「え、当然でしょ。身体使って心を奪うのはさ」

「そういうものか?」

「うん、心と体は切っても切れない関係だからね。身体で存分に溺れ惚れさせて、心を十重二十重に縛るのよ」

「なんだそれ、普通に怖い。だから、今日は大人しくヴィル・エマに帰れ」

「えー」


 緊張感のない会話をしながら、二人はロープを手に幅二リュート半程の階段を降り始めた。先行はミシェル。階段の壁は左右共に人工石、手すりは類はない。四リュート程進んで踊り場。道中の階段同様、製図は済んでいることから折り返して更に下へ。二つ目の踊り場に至って、クロウは呟く。


「しかしなんでここに、個人装甲が……」

「うーん、あ、あれじゃない、クロウが転んだように、転んで擱座したとか」

「ありえそうで笑えない」


 ここの製図も終わっていることから更に下へ。階段の壁や天井が焼き焦げて黒ずんでいる。その先にある三つ目の踊り場は見事なまでに崩落していた。クロウはミシェルと共に下を覗き込む。下の踊り場に瓦礫が積み重なっているが、蟲のいそうな気配はなかった。

 少年は相方に頷いた後、念のために魔導銃を引き抜く。その間に、ミシェルはロープを音を立てずに降ろしていく。幸い、ロープの長さは足りていた。そのことを確認すると、女密偵はするすると降り始める。数秒とかからず降りきって、あたりを見回す。


 安全、続けとの手信号。


 クロウも魔導銃を戻すと、ロープを掴んで足の合間に挟み絡み付ける。それから中空に身を乗り出すと、手を滑らせた。


 浮遊感と静かな擦過音。


 着地の手前でしっかりと減速して着地。ふっと一息吐くと小声が届く。


「上手いね」

「降りるのはな」


 登るのに苦労しそうだと見上げた後、周囲を見回す。足元に積みあがった瓦礫以外、先までの作りと変わらぬように見えた。次に階段に目を向ける。上り階段の先には何もない。下り階段の先、踊り場に大きな戸口。扉は開け放たれているようだった。


 クロウは再び魔導銃を手に持って、戸口の向こうを伺うミシェルに声をかける。


「製図は後回しにして、あの奥を調べよう」

「ん、まずは警戒線の作成だね」

「ああ、ここからは俺が先行するから、死角の警戒を頼む」

「了解」


 返答を受けると、クロウは魔導銃の切り替えレバーを単射へ。叶う限り足音を殺して歩き出す。慣れぬ風情ながら両手で保持した魔導銃、その筒先を下に向けてそろりそろりと。階段を降りきり踊り場。視線を素早く動かし、階段の終わりを確認。戸口の先を見やる。大よそ三リュート四方の小部屋。上下左右と中を視認。蟲の影はなし、正面に小窓と長机、左右に出入り口。天井までは三リュート程と見る。扉はない。

 物音に注意を向けながら、中へ。無機質な壁面に背を預けつつ、左側の出入り口の脇へ。間口の向こう側は見た覚えのある造り。真っすぐに伸びている通路のようであった。足早に向こう側へ。反対側を見る。こちら側は二リュート程のたまり場と壁。先はなかった。壁に銘板を確認。数字と読めない文字。小さく息を吐く。

 足音。視線を向けると、先程いた場所にミシェルの姿。通路を指さした後、安全の意を持つ手信号を見せる。女密偵は一つ頷き、背負った鞄を降ろす。警戒線を張るのだと悟り、彼女の元へ。閃光音響手榴弾を一つ外して手渡す。


 ミシェルが作業に移るのに合わせて、向かい側の出入り口近くへ。階段側の壁際に身を預けながら、隣の部屋を覗く。今いる部屋と変わらぬ造り。斜め向かいに間口。扉はなく開かれている。反対側に移り、中を確認。何も置かれていない。無機質な壁があるのみ。足を忍ばせて侵入。そのまま出入り口脇に取りつく。身を隠したまま、次の部屋を見る。斜め前が壁、奥の壁に間口。息を詰めたまま向かい側へ。横目で不可視領域を確認。壁に扉。しっかりと閉められている。

 足音。鞄を手に忍び足で駆けてくる女の姿。部屋を指してから安全の手信号。直後、中に入って奥の間口脇まで。中を覗くと階段。先に降りてきた階段と同じ造り。下った先に踊り場が見える。向かい側に人影。女密偵も奥を覗き込み、安全の手信号。少し息を抜き、改めて室内に目を向ける。


 何もない部屋。


 だが、違和感を覚える。


 それがなんだろうかと見渡し……気づく。

 この場所が放棄されてより数百年。普通ならば、降り積もっているであろう埃や砂塵。それが部屋の端にしか見当たらなかった。


 クロウは大いに表情を顰めて、警戒線の構築に移ったミシェルに小声で告げた。


「ここ、間違いなく、蟲が入り込んでるぞ」

「あ、やっぱりそう思った?」

「ああ、それも、結構な数かもしれん」


 少年は渋い顔で何かを求めるように伸びてくる手に、閃光音響手榴弾を載せて続ける。


「ミシェル、こういった場合、そっちの上役はどこまで求める?」

「んー、今の時点でも撤退してもいいとは思う。けど、やっぱり最低でも実物の確認が欲しいかな」

「それ、ちょっと厳しくないか?」

「普通なら厳しいだろうけど、今は蟲をつぶせる力(魔導銃)があるからね。それくらいはいけると思う。それに場所が場所だから、脅威を排除したら追加報酬を出すんじゃないかな」

「いや、報酬云々は別としてだな、俺、こんな場所で生身で戦う技術、習ってないんだけど?」

「え、さっきまでの動きに無駄はなかったし、為せば成るでしょ」

「前に潜った時のことを参考にして、適当にやっただけなんだけどなぁ」

「それであれだけできたら上等っと、できた。……それで、どうする? 今、安全を確保した範囲で構造調査するか、更に先に進んで脅威を絶つか」


 クロウはそうだなと返してから、睨むように階段の奥を見つめた。


 黙すること数秒。


「先に進もう。ビクビクしながら仕事するのは疲れる」

「了解。で、どっちに進む?」

「前も言ったと思うけど、地下三階の通路は他とつながってるだろうから、この先だな」

「この警戒線は?」

「……悪いけど、撤去で」

「もー、仕方ないなー」


 わざとらしい嫌みな響き。

 もっとも、表情に不快の色はない。実際その手は早く、見る間にワイヤーから警報(手榴弾)を、壁に打ち付けた釘からワイヤーを外していく。それを視野の隅に認めながら、少年はばつの悪い顔で言い訳する。


「自分で引っ掛かって目と耳をやられるなんてことになったら、洒落にならないからな」

「あはは、めがーめがーって感じ?」

「耳も追加で」

「なら、めがみみがー?」

「聞くだけだと呪文みたいだな」

「実際の詠唱はもっと綺麗だけどねぇっと、おしまい」

「悪かった、面倒掛けさせて」


 ミシェルは気まずそうな家主の顔を見るや、にんまりと微笑む。それから閃光音響手榴弾を手にしたまま答えた。


「別にいいって、今日もちゃんと家に入れてくれたらね」



 二人は再び行動を開始する。

 先行はクロウ。無言のまま階段を降りて踊り場。脅威がないことを確認して、左に折り返し。先を覗く。動く影はない。足音を殺して階段を下る。地下四階と思われる踊り場。出入り口はない。壁に削れたような跡。高さと幅を見て、ラティアの存在を確信。眉を顰めて、下を伺う。動く音はない。警戒を強めながら更に進み降りる。踊り場に至り、耳が足音以外の音を拾う。即座に静止の手信号。息を詰めて、耳を澄ます。

 ぎしぎしと軋み擦れる音。蟲の関節が動く音だと認識し、背後を振り返る。ミシェルが頷き近づいてくる。手に持つのは柄のついた手鏡。受け取って、階段中央の壁に身を預けながら際まで。左手でそっと手鏡を差し出す。上から下へと角度を変えて行く。階段下の踊り場にラティアを視認。数は一。頭を動かしながら、しきりに触角を動かしている。


 これは気づかれているかもしれない。


 そんな思いを抱きながら、手鏡を返却。指を一本立てる。女の頷き。指示をと手信号。黙考。潰すか退くか。手にした重み。魔導銃に目を向ける。小人の説明を信じるか否か。命を預けるか否か。


 今更だとふっと笑い……、決断。


「ミシェル、もしもの時は一緒に死んでくれ」


 思わぬ言葉に、女は目を丸くする。同時に覚悟を決めた男の声音に、身体の芯が甘く痺れた。


「情熱的なお誘いね」

「はは、似合わないだろ」

「そんなことないわよ。……うん、クロウとなら、いいわよ」

「感謝する。……連中は潰す。ここにいる全部を潰す。ミシェルは死角の警戒を頼む」

「了解」


 クロウは切り替えレバーを三射へ。一つ大きく息を吐く。直後、身を反転させて姿を晒した。触角が大きく反応。七つ目を持つ頭部。驚くべき速さで持ち上がる。彼我の間、約八リュート。狙いは七つ目。両手に持ったまま構え、引き金を引いた。


 白い閃光。


 立て続けの衝撃音、弾け潰れる音。

 次の瞬間、静かな空間を切り裂くように、叫びにも似た高い鳴き声が大きく響き渡った。


 思わず、少年の口より舌打ち。


「後ろに注意してくれ!」

「わかった!」


 バラバラになった甲殻や血肉片、その向こうにある出入り口に新たなラティア。六本脚をせわしなく動かして走ってくる。無言のまま撃つ。初弾は外すも、次弾三弾が頭を穿ち胴体を吹き飛ばす。新たな鳴き声が響く。おどろおどろしい足音が耳に届く。

 クロウは動かず、寄る辺(魔導銃)をしっかと握ったまま、間口を注視。数秒後、動き回る触角、次に頭。即座に引き金を引く。外れ、乾いた地面を穿ち、大小の破片が周囲にまき散らされる。より大きな鳴き声。失敗したと思う間もなく、次の蟲。大きく顎牙を開き、突進してくる。階段に一歩踏み込んだところで射撃。全弾が命中し、巨体が血煙を上げて分解する。

 その背後から二匹、更に後にもう一匹。仲間の躯を踏みにじって駆けて上がる。退かず、その凶悪な顔を睨みながら連続して引き金を引く。一匹目の頭部や胴体を潰し、二匹目の左脚全てをもぎ取る。横倒しに倒れた蟲に、止めの一射。大きな複眼が弾け、残った右脚が天井近くまで飛ぶ。

 最後の一匹が、その脇をより抜け出てくる。既に目玉は大半が潰れていた。が、顎牙はまだ健在であった。恐ろしい成りに焦りそうになるも、ぐっと奥歯を噛みしめ、狙い、射撃。頭部が粉々になり、胴体は仰け反って割れるように弾けた。まだ動く脚がもげて、転がり落ちていく。


 沈黙。


 それが十秒以上続いた後、クロウは後続がないことを確認。ようやく腕を降ろした。


「上の様子は?」

「ん、今の所、警報は作動していないみたい」

「なら引き続き頼む」

「了解。……というか、すっごい青臭いんだけど?」

「我慢してくれ、俺も結構きついんだから」


 そう答えて一歩前へ。足が震えそうになる。それが興奮によるモノなのか、はたまた恐怖によるモノなのかは、彼にはわからない。ただ、それでも地を踏みしめて進む。甲殻蟲の生命力は恐ろしく高い為、大いに警戒しながらゆっくりと慎重に。魔導銃を構えて、一段また一段と階段を降りていく。

 死骸の間を抜け、階段の中程。足元では蟲の体液が流れ落ち、左右の壁面に肉片や血飛沫、甲殻といったモノがこびり付いている。濃厚な青臭さにむせ返りそうになる。不快な色を隠さぬまま降りきった。踊り場には水溜り。出入り口の向こうを見る。ラティアの姿は見えない。水跳ね音と共に前進。


「……うぇ」


 背後からミシェルの呻き声。気持ちがわかるだけに咎めない。部屋の前で一旦止まり、内部を素早く確認。四方が十リュート程。正面と左側は壁、右側に間口。足元近くに直径半リュート程の穴。床は抜けていない。


 魔導銃の強さを再認識して、クロウはミシェルに注意する。


「脆くなってるかもしれないから、通る時は穴から離れてくれ」

「うん、その方がいいみたいだね」


 穴から離れて部屋に入り、更に奥を伺う。物の類はない。正面十リュート程に壁。左奥十数リュートに壁。小窓が見える。右奥数リュートに壁。行き止まりと確認。踏み込み、左奥へ。左方に通路。幅三リュートと見積もり。奥に目を向けて、連ね重なる脚音に気付く。徐々に大きくなる響き。


 クロウは一呼吸して、通路の奥へと銃口を向ける。銃把を握る両手に、震えはない。


「ミシェル、次が来る」

「了解、後ろの警戒は任せて」

「ああ」


 応じた直後、十数リュート先、右側にある間口より触角。指に力が入る。けれど我慢。牙が出る、顎が出る、複眼が出て、触角がクロウに指向する。指が引きつる。まだ我慢。顎牙が幾度も開閉する。ついで、右前脚を視認。引き金を引いた。牙を砕き、複眼を割り、頭部を破壊する。間口を塞ぐように崩れ落ちた。邪魔と判断し、再度射撃。脚が折れ飛び、甲殻が弾けて飛沫が舞い散る。それでも油断なく構えていると、やはり奥から鳴き声が響く。まだいるとわかり、より奥が見通せる場所へ移動。


 上方から爆音の響き。


「クロウ!」

「挟み撃ちはさすがにまずいな」


 どうするかと沈思。直後に答え。より条件の良い場所……、一方からしか攻められない場所を探して確保する。ならば前へ進むのみと足を踏み出す。


「先に進んで、袋小路を確保しよう」

「袋小路ってさ、普通なら死地よね」

「普通ならな」


 苦笑。間口の向こう。目に入った蟲に向け、引き金を引く。左脚を弾き折り、背後の壁を抉り、甲殻を穿ち砕いた。叫び声。七つ目がこちらを向く。ただ撃つ。頭部が破裂。胴体が前のめりに倒れる。体液が周囲にまき散らされた。

 魔導銃を構えたまま、間口の奥へ進む。目測五リュート四方の部屋。潰した蟲が無造作に転がる。左確認。間口、ラティアの顔。咄嗟に撃つ。初弾外れ、次弾外れ、三弾命中。殺しきれず、再び鳴き声。再射撃。胴体まで弾けて崩れた。ミシェルの声。


「右の部屋、袋小路!」

「蟲は!」

「いない!」

「先に入れ!」


 潰した蟲の後ろから、新たな蟲。狙いをつけず、二度三度と撃ち込む。頭が砕けたことだけを確認して、反転。が、不幸に甲殻の破片に足を取られた。勢いがあっただけに、そのまま体勢を崩す。


「っと! 大丈夫?」


 倒れかける前に、支えの手。ミシェルだった。


「すまん、助かった」

「どーいたしましてっと」


 軽い返事。ミシェルは足元の欠片を蹴り飛ばした。そして、袋小路の部屋に入っていく。その間に、クロウも来た道と奥側を確認できるように体勢を立て直した。


「今度は助けられないからね!」

「気を付ける!」


 応答しながら警戒。来た道に脅威はなし。通路奥に蟲の陰影。射撃を加える。成果は確認せず、横歩きで袋小路の部屋へ。今度は足を取られることもなく、無事に入った。そのまま奥に下がり続けていると、ミシェルの声が飛んでくる。


「さて、楽しい籠城の始まりね」

「ああ。……ジルトに体験談を聞いときゃ良かったな」


 思わず出るぼやき。ついで、今更であるが、全身が汗に塗れていることに気付く。警戒する方向を一つに絞れたこともあって、心に余裕が生まれた結果であった。クロウは眉を曇らせる。


「はぁ、汗がやばい」

「ぬふふ、我が呪い成就せりって感じ」

「だからって、今みたいな状況に落とすのは勘弁してくれ。同じ汗をかくなら、俺は鍛錬の方がいい」

「あはは、確かに。私もどうせ汗に塗れるなら、寝台で運動する方がいいわ」


 部屋の中央に複数の机と椅子から成る島。その脇を抜け、クロウは相方の隣へ。呆れ顔で口を開く。


「こんな状況なのに、お前、ほんと、ぶれないのな」

「ええ、さっき誰かさんが情熱的なこと言うから、もう火照っちゃって火照っちゃって」

「そのまま発火して、一人で燃え尽きてくれ」

「もー、そんな寂しいこと言わないでよ。クロウも本能が疼いてるでしょ?」

「……はぁ、俺にも選ぶ権利がある」

「もう、一言相手してくれって言えばいいのに、素直じゃないんだから」

「素直だからそう言ってるんだけどな」

「あ……、もしかして童貞の照れ隠し? そんなの気にしなくてもいいわよ。私、男の扱いには慣れてるから、女について優しく教えてあげるし、女扱いに自信持たせてあげられるわよ?」

「冗談抜きで、女に対する幻想が粉微塵にされそうだから、遠慮しとく」

「えー」

「えー、じゃねぇよ」


 どこまで本気かわからない言葉の応酬。もはや遠慮もなければ色気もない。言うなれば戯言である。けれども、気分転換にはなったようで、少年の表情から硬さが程よく抜けていた。それを見て取ったのか、女密偵が緩んだ表情を改めて告げた。


「なら真面目な話をするわ。見た限り、ここには机と椅子が四つずつ、長椅子が二つ、端っこに鍵付戸棚(ロッカー)が十個程あるんだけど、障害物にでも使う?」

「壁にもならない。むしろ顎か脚で跳ね飛ばされて危険になる」

「ならなしの方向で」

「ああ。……ま、水は確保できるし、気長に潰すしかないさ」


 クロウは動く影を捉えて、引き金を引いた。



  * * *



 袋小路に立てこもって一時間強。

 間を置きつつも襲来し続けた蟲がついに現れなくなった。鏖殺の場となった隣室は躯らしい躯はない。ただ、床はもちろん壁や天井も余すところなく体液で染まり、肉片や甲殻片が張り付いている。否、体液は彼らが陣取った部屋にまで入り込み、床を濡らしている。度重なる射撃で形あるもの総てが粉々になった結果であった。

 そこに至るまでの全てを見届けた女密偵は、これを為した人物……クロウ・エンフリードに己を張り付けた主筋や上役の判断が正しいと断ずるしかない。なにしろ彼は魔導銃一丁で百以上のラティアを屠ったのだ。生身の人一人が為すには破格の戦果である。

 無論、魔導銃の力があってこそであろう。事実として、類稀な魔力蓄積能力と吸収効率があろうとも、彼に魔力を扱う才はないのだ。魔力を引き出せる魔導器がなければ、力を振るえない。ただの人である。

 だが、逆を言えば、力を引き出せるモノさえあれば、どこまでも力を引き出し振るうことができる。そう、今し方たった一丁の魔導銃で為したことが児戯に思えるような、圧倒的な力を振るうことも可能なのだ。


 上が戦略級の力と称したのも納得よねぇ。……というか、これ知られたら、絶対に争奪の対象になるというか、下手をすると排斥されるか、飼い殺されて、種を吐き出すだけの存在にされるかも。


 少なくとも手元にないならそうすると思いながら、ミシェルは口を動かした。


「もう、終わり、よね?」

「後続が来なくなって、そろそろ十分程になるし、もういないだろうと思いたい」


 クロウは銃口を降ろしたまま、首を回す。小さく音が鳴った。だが表情は崩れることなく険しい。危地にあるという認識もあるが、気を抜きたくても抜けないことへの苛立ちもあった。


 けれども、彼の口から出たのは愚痴ではなく、現状への考察だった。


「なぁ、ミシェル。いくら連中が仲間を呼ぶにしても、短時間にこれだけの数が来るなんて、どう考えてもおかしいことだよな?」

「うん? ……けど、地下遺構に蟲が入り込んでいるのはよく聞くことだし、ほら、上で音響弾が爆発したから、これ位は来てもおかしくはないんじゃない?」

「でも、普通、これだけの数が集まってくるか?」

「そうかな? ほら、地下遺構はあちこちに繋がってるみたいだし、いてもおかしくはないでしょ」

「おかしくはないかもしれない。けど、いくらなんでも、百近くとなると一群に近いからなぁ」


 クロウは天井からの滴りを見るともなしに見ながら、これまでになく眉根を顰めて言い募る。


「なんていうか、こう、引っ掛かる」

「どうしてよ?」

「連中は俺たちが思っているよりも頭がいい。実際、組織だった行動をしたことを見たことがあるからな。そんな連中がわらわらと集まってくると、なにかあるとしかな」

「つまり、集まってくるだけの理由があるってこと?」

「ああ」

「考え過ぎじゃない?」

「考え過ぎ、か」


 言葉途切れ。


 それでも俺は、楽観的にはなれないよ。


 小さな呟き。


 陰が入った表情。だが精悍で厳しく頼もしい顔。危地でしか見られない彼の一面。

 これを独り占めは役得だなぁ等と思いながら、ミシェルは何となしに思ったことを言う。


「なら単純に考えて、集まってくるってことは重要なモノがあるんじゃない? ラティアにとって大切なモノがさ」

「……うん、考えるとやっぱりそこに行きつくよな。ならさ、連中にとって大切なモノって、なんだ?」

「そりゃやっぱり、す、みか……」


 女は自分が口にした言葉、その意味を理解して、口や頬が盛大に引き攣った。


「ここ、エフタのすぐ、近くよね?」

「ああ、目と鼻の先」

「まずいじゃん」

「……だよな」


 クロウは大きく溜息をついた後、肩を落とした。


「だから、絶対にしないといけないのは、この遺構を隅々まで調べて、巣があるかどうかを確認すること。そんでもって、巣があるなら排除。最低でも、巣の場所を見つけないと、イロイロとやばい」

「うわぁ」


 ミシェルに返す言葉はなく、絶句である。


 クロウもまた運が良いのか悪いのかとぼやいてから続けた。


「という訳だ。残りの場所の探索しようか」



 そんなこんなで、二人はまた動き出す。

 靴の革にラティアの体液を染み込ませながら、袋小路から出た。殺戮の間は肉片や甲殻の欠片で埋まり、体液に浸されている。その上を進む。既に嗅覚は麻痺しており、臭いも気にならない。時折、落下音。天井に張り付いた欠片や肉片であった。

 動くモノがないか、注意を払いながら部屋の奥を伺う。十字路。視線を走らせる。正面は階段。蟲の躯が転がっている。左は扉。閉まっている。右は間口。こちらにも蟲の躯があった。後ろから声。


「どうするの?」

「左は除外。右か奥か、どっちがいいと思う?」

「んー、出てきた数は右のほうが多かったかな」

「なら、右に行こう」

「あ、それなら、階段に警戒線を張りましょ」

「頼む」


 クロウは魔導銃を構えて前進。右側に転がる躯に銃口を向け、射撃。ばらばらに砕いて視界を確保。蟲の影はない。ついで、階段奥の躯にも撃ち込む。砕け散る音。前へ進み、階段を覗く。階段の踊り場に蟲の躯。これにも魔弾を撃って破壊する。奥に続く通路。幅と高さ、共に三リュート程。真っすぐに伸びている。左右の壁に一つずつ扉があった。


 こうして視界を確保すると、そのまま周囲の警戒に移る。ミシェルもまた作業に入った。


「これ、やっぱり後ろにもつけた方がいいか?」

「んー、後ろからガブリってのを避けたかったらね」

「なら頼む」

「せいとうなほうしゅうをようきゅうするー」

「よし、では、この閃光音響手榴弾を進ぜる」


 虚実混じった会話で気を紛らわす。少年は視線を三方に走らせながら耳を澄ませる。ミシェルの作業音が一番大きく、ついで、隣室の滴り。それ以外は音がないように思われた。だが、それは幻想。軋みのような音が通路の奥から聞こえてくる。


「まだ、いるか」

「クロウの想定、当たってるかも」

「外れた方がいいんだけどな」


 嘆息。階段側の警戒線が完成。女密偵はその足で反対側に移動する。それを守れるように、クロウも立ち位置を変える。


「ほんと、殺すに殺したりね」

「当然の話だよ」

「天敵だもんねぇ」

「俺にとっては、仇でもあるさ」

「満足した?」

「全然。どれだけ連中を潰しても、釣り合わない」


 吐き捨てるような声。

 荒い感情の吐露に女は目を丸くする。だが、無理に押し込めるよりは健全だと微笑み言った。


「うん、大切な人には換えられないよね」

「ああ」

「ちなみに、クロウの大切な人の中に、私は?」

「境界線上で行ったり来たり」

「もー、そこは大切な人ですって言い切らないと」

「嘘はつけない性質(たち)でね」

「そんなんじゃモテないぞーっと、終わり」

「お疲れ。……それじゃ、行くか」


 一言告げ、クロウは通路の奥に向かって歩み出す。銃口をやや下げて、一歩一歩。三リュート、通路の両側に閉められた扉。固く閉ざされている。無視して先へ。五リュート、壁に銘板。内容がわからず放置。十リュート、通路の過半を超えた。足を止める。五リュート程先、広そうな空間が見えた。空気の動き。隣に人影。見ぬまま口を開く。


「出入り口での待ち伏せが怖いな」

「なら、確認の為に、なにか放ってみる?」

「それでいこう。モノはあるか?」

「こんなことがあろうかと、って言いたかったけど、護身用以外にないです」


 女の物言いにクロウは微妙な顔。ついで自身の右腰、そこに吊られた閃光弾を指差す。


「変なとこ触るなよ」

「む、残念」


 腰に手の感触。僅かに重みが減り、すぐに離れた。先に備えて、魔導銃を構える。


「またの機会がある時は、もっと持ってきた方がいいかもな」

「機会があったらね。ところで、作動させる?」

「その方が効果はあるだろ。……直視はするなよ?」

「クロウこそ」


 その声の後、小さな作業音。ついで小声。


「五、四、三」


 投擲。心中で続きを数え、俯く。足元に瞬き。直後、甲高い鳴き声。足に伝わる振動。引き金を引きながら、先を見る。ラティアが光弾の餌食となって崩れていた。まだ来るかもしれないと動かず。静かに唾を飲む。

 予測過たず、脚音が近づいてきた。殺意を尖らせる。絶対に潰すという意志。腰が据わる。せり上がるように現れた蟲の顔。射撃。一リュート以上ある頭部が吹き飛び消えた。右側から影。上体を右へ捻り撃つ。命中。飛沫が舞う。更にもう一匹。即座に撃ち放つ。頭部と前脚が弾けて倒れた。


 それから十秒二十秒と待ち、一分が経った。後続は現れない。


 クロウは詰めていた息を吐き出し、腕を降ろした。ミシェルの声が届く。


「今の蟲、さっきの騒ぎでも動かずに留まっていたんだよね?」

「ああ、何度もあった鳴き声に動かなかったってことだ」

「ということはさ、やっぱりこの先って」

「巣、だろうな。で、こいつらはさしずめ、入り込んできた外敵を真っ先に襲うって役どころか?」

「みたいだね。……それでも、先進む? まだいそうだけど」


 ミシェルの言葉に、少年は迷うことなく頷いた。


「ああ、やれるだけやる」

「はー、真面目だよねぇ」

「いや、もうな。ここまで来たらな、そのまま放置して帰る方が業腹って奴だ」

「なるほど、お怒りですか」

「当たり前だ。連中がここに巣を作るなんてことをしたから、こんな面倒なことをしてるんだからな」

「クロウクロウ、今までで一番目が怖くなってますですぜ」


 からかいの言葉に、鼻息を吹き出すことで応じる。それから大きく息を吸い込み、意識して表情を元に戻す。


「これでどうだ?」

「おお、お見事。でも、最初から表情は変えない方がいいんじゃない?」

「それができたら苦労はしないって。……死角に目を配ってくれ」

「了解」


 少年は再び得物を構えて前へ。残り五リュート。時間をかけて進み、先にある空間を探る。

 これまでと違って、床は無機質な金属製の造り。五リュート程より先には床はない。そのまま奥へ目を向ける。かなり向こうに壁。機械のようなモノが多数並んでいる。その手前に金属製と思しき柱と床。柱が床を支えていると判断。支柱に沿って視線を上へ。そこにも柱に支えられた床が見えた。


「吹き抜け回廊?」


 女の呟き。なるほどと頷き、前進。目と耳に集中しながら、通路の左壁に背を預ける。見れば、反対側にミシェルの姿。二人して横歩きで壁際近くまで。見える範囲で奥と上方を確認。ラティアの躯の他、配管や機械のようなモノ。脅威の影はない。対面に目を向ける。安全との手信号。了解の手信号を送り、通路から出た。左右上下に目を走らせる。


 そこは、大きな空洞であった。


 魔導銃を構えたまま、吹き抜けの近くまで進む。

 ぽっかりと大きく口を開ける大穴。向かい側まで大よそ三十リュートはある。左右を見る。両方ともに、長大な棒が上下に伸びている。目を凝らしてみれば、金属製。平行する二本からなっていた。さらに上を見る。鉄骨で組まれた天井が見えた。


「なんだ、ここ」

「それよりも下を見て。私の暗視装置じゃ良く見えない」

「あ、ああ」


 言われるがままに、クロウは下を覗く。そして、目にしたものに息を呑む。


「クロウ?」

「ラティアの、化け物がいる」


 少年は目にしたモノから目を離せない。


 それは、巨大であった。

 普通のラティアの数倍はありそうな頭部。顎牙はさほど大きくはない。だが複眼の数もまた倍以上。長い触角も六リュートを超えている。そして、それらを支える胴体は太く大きい。だがなによりも、幅十リュート以上はありそうな大きく膨らんだ腹部が圧巻であった。

 人の目から見て、異形と言わざる得ないモノが空洞の地下深く、目測で二十リュート下の底に鎮座している。その周囲にはいまだ数匹のラティアがいた。クロウ達に気付いているのかいないのか、巨体の周囲に侍り動いている。


 クロウは巨大な異形から目を離せない。


「あれが」


 彼の脳裏をよぎるのは、開拓地が滅んだ日のこと。


「あれが……、女王」


 感情が飽和する。


「あれが、仇の親玉か」


 呟き。魔導銃を巨体に向けた。

 巨大な触角がざわりと動き、頭が動く。十を超える複眼と目があった気がした。その無機質な視線を前にすれば、常人は恐怖に身を竦ませるだろう。


 けれども、少年は冷厳な瞳でただ真っすぐに見下ろし、切り替えレバーを連射に設定する。


 そして、表情も変えず、引き金を引いた。


 次々に生まれる白い輝きが尾を引いて走る。それらは暗闇を切り裂き、場を明るく照らし出す。


 隣から息を呑む音。


 構わず引き金を引き続ける。連鎖する衝撃音が悲鳴をかき消す。周囲のラティアを巻き込みながら、巨体の腹を穿ち抉り、胸の甲殻を削り壊し、規則正しく並んだ目玉を破裂させ、触角や顎牙をもぎ取っていく。血飛沫が煙のように宙を漂う。各部を繋ぐ関節が破壊され、甲殻を失った体組織が弾け飛び、腹で生成されていた卵が砕け散った。


 射撃は止まらない。


 女王を構成するモノが一つ一つ剥がれ落ちるように削られていく。


 女王の全てが肉片になり、破片になり、血煙となって消えていく。


 そして、そこにあった何もかもが粉々になり、魔弾の嵐は止まった。


「く、クロウ」


 震えた声が耳に届くが、少年は反応できない。


 ただ、彼の目より熱いモノが一滴、静かに流れ落ちた。

16/12/11 一部表現修正。


 あとがき

 ぶったぎりなかんじだけど、たんさくしゅうりょう!

 『りざると』はじかいをまて!

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