三 二十五番遺構
からっころころ(さいころをころがすおとがする
爛陽節第三旬七日。
エフタから北へ数アルト。大小二つの人影が砂礫を踏みしめながら歩いている。
前を行く影……頭のない巨躯は柄の長い鉄槌を手に、ただ前だけを向いて歩を刻む。その後ろに続く影……周囲に溶け込む赤鈍色の外套を纏った小さな影は時々後ろを確認しながら先行者の後を追う。
彼らの周囲に広がるのは、ゼル・セトラス大砂海のほぼ全域で見受けられる風景。
広く晴れ渡る青空と赤錆びた不毛の大地。
奔りぬける熱風が立ち上る陽炎を希薄にし、砂塵でもって廃墟や瓦礫を摩耗する。風に弄ばれる砂礫は時に積み重なって小さな丘となり、時に吹き流されて風塵や流砂と化す。
もし他と違う所があるとすれば、一つ二つと動く影が所々に点在し、大地を掘り起し瓦礫を動かしていることであろう。
そういった様子が目に入ったのであろう、小さな影が声を上げた。
「この暑い中、こんな遠くまで……、グランサーって、よくやるわね」
これに応じたは前を行く巨躯……艶のある深紅を纏った魔導機からの若い声であった。
「グランサーをやっていた身として言わせてもらうと、旧世紀の遺物を拾って持ってくればいいだけの、ある意味簡単で分かりやすい仕事で、一獲千金……とまではいかないけど、運が良ければ一日で一万ゴルダ以上稼げるからな」
「へぇ、一日で一万ゴルダ以上なら確かに凄いわね。……ちなみに、普通な時ってどれ位になるの?」
「だいたい、千ゴルダから三千ゴルダ位かな。まぁ、上手い具合にモノを見つけられた場合はだけどな」
「そう言うことは、見つけられない時もあるってこと?」
「当然。手ぶらで帰るって時もそれなりにあるさ」
魔導機の搭乗者、クロウは方位を確認した後、展視窓越しに目を左右前方へと配りながら続けた。
「昔っていうか百年位前ならそこら中、とまではいかないけど、比較的近場に結構な数が埋まってたって話だ。けど、それがほとんど取りつくされた今じゃ、遠出をするか地下遺構に潜るかしないとモノが見つけられないんだよ」
「あー、そっか、増える物じゃないし、いつかは取りつくされるってことね」
「ああ、そういうことだ。けど、エフタ以外の場所っていうか、大砂海ならまだまだ見つかるだろうな」
クロウはエル・ダルークまでの航程の最中に見た、横倒しになった巨大な建造物を思い出しながら続ける。
「だから、エフタ周辺での稼ぎが悪くなったら、別の場所でもう一旗って感じになると思う」
「別の場所で夢の続きを見るって話ね。いいなぁ、そういうの」
「夢に理解があって何より。とはいっても、いつまでもできる仕事かって言うと……、余程好きでやっていない限りはやっぱり厳しいだろうな。グランサーを選んでやってた俺が言えた義理じゃないけど、暑さは半端ないし掘り起こす作業はきついし運が悪いと見つからないし蟲に襲われることもあるし……、うん、堅実に働いた方がいいんじゃないかって思う」
少年の意見に対して、小さな人影ことミシェルは、今日に至るまでの己の生を振り返りながら言った。
「そうかな? 今のご時世、堅実に働いていたとしても蟲にやられる時はやられちゃうと思うし、やりたいことをやった方がいいでしょ」
「そうか?」
「うん、だってほら、替えのきかない一度きりの人生なんだし、できるならさ、他の誰から何を言われようとも自分の思うがままに生きた方がいいと思うのよ、私は」
生き方を選べなかった女は目に諦観の色を滲ませ、それでも声音だけは普段通りのまま思いを紡ぐ。
「たとえ他人が何かを言ってきたとしても、自分の命はどうしたって自分のモノなんだよ? 人に言われた通りに生きてきたとしても、自分の命は背負ってもらえないし、結局は自分だけにしか背負えないモノなんだよ? ならさ、他の誰かが何を言おうとも、自分の思う通りに生きた方がいいじゃない」
女の声言葉に、クロウはこれまでにない重みを感じた。
そして、その重みは少年に回顧をもたらす。幼少期の温もり、奪われた家族と平穏、孤児院に入れた幸運、独り立ちまでの猶予と恵まれた教育、孤児院から出ての独立、グランサーとしての活動に日々の辛さ苦しさ、小人との出会いと与えられた機会、機兵になる為に受けた教導、力を持つことの意味、機兵としての活動とその義務を果たす辛さ、目の当たりにした悲劇の数々、自らの感覚と一般のそれとの乖離。
追憶を巡る中、少年は自身が思う通りに生きてきただろうかと省みて気付く。
孤児になった一連の出来事を除き、今に至るまでの重要な選択において、ほぼ全てを自分で選んできたのだと。例え少ない選択肢であったとしても、誰かに強制されることもなく、自らの意志で……、幼き日に心決めた目標へ、一個人としては無謀とも言える遠大な目的を果たすべく、自分なりに考えて生きてきたのだと。
これまでも折につけて頭を過ぎっていたことであるが、改めて自らの幸運を思う。ついで、今現在に至っても自分で生き方を選ぶことができるだけの力を得た事実に、それをもたらしてくれた縁に感謝の念を抱いた。
クロウは心に満ちる思いを自然と口にしていた。
「俺は、やっぱり、色々と恵まれているんだな」
「んん? 急にどうしたの?」
「いや、ミシェルの話を聞いていた思っただけさ」
「……そっか。なら、いいじゃない。今のまま、自分の思う通りに生きたらさ。クロウは自分で選んだなら、受け入れる覚悟はあるんでしょ」
「ああ、後悔は残しても、納得できる程度には」
と、ここまで口を動かしていた女密偵であったが、不意に口を閉ざして項垂れた。
当然ながら、前を行く少年にはわからない。ただ、声が唐突に消えたことを不審に思って声を上げた。
「どうかしたか、ミシェル」
「あー、いやね、突然、わたし、何を一生懸命語っているのかなぁって思っちゃって」
「そういうこともあるさ。砂海に出たらな」
「……あるの?」
「ああ、周りに何もない場所で、ただ歩く以外にすることがない時とか、何かを切っ掛けに物思いに耽るなんてことは、俺もあった」
特に俺は独りで作業することが圧倒的に多かったからなと、自嘲交じりに笑って続ける。
「なんというか寂しい話になるけど、あれはあれでいいさ。どんな馬鹿げたことでも、不思議と突き詰めて考えていくからな」
「クロウ、友達、いないのね」
「へ? い、いや、孤児院の時の同期というか一緒に独立した奴が……、そういえば、最近、連絡とってないなぁ」
「うん、それはそれで置いといて、ほら、他の同年代のグランサーと一緒に仕事とかしてたんじゃ」
「いや、それがなぁ、同年代でグランサーしてるのなんて商会に所属しているのしかいなくて、俺みたいに選んでやってる訳じゃないから、なんか話が合わないっていうか、こう声をかけた時の余所者感が半端なくてさ……、あ、なんだろう、急に胸が痛くなってきた、ちょっと泣きそう」
「いやいやいや、ちょっと予想外というか、ここで急に落ち込まないでよ!」
思い通りに生きること、その代償もまた何がしかあるようであった。
* * *
依頼主より提供された地図を頼りに歩くこと、大凡二時間。
途中休憩を一度挟んだ際に、空調効きすぎっていうかこれは不公平でしょとミシェルがぶうぶう言った以外には問題はなく、二人は目的地に辿り着いた。
彼らの目的地、二十五番遺構は赤錆の砂塵に半ば埋もれていた。風化に耐える壁とかつては建物であったろう瓦礫の山からなる廃墟であった。遺構と呼ぶには抵抗のある光景に、ミシェルは思わずといった風に愚痴を漏らす。
「これってさ、ほんとに遺構なの? というか、どこが遺構なの? ここまで来てこんな見せられるとさ、汗と砂塗れになった私の苦痛な二時間を返せって言いたくなるんだけど!」
「暑くてイライラするのはわかる。けど、落ち着け」
「かー、このきりょうよしでおんこうなわたしをおこらせるなんざ、どこぞのくうちょうのきいたばしょにいすわってるやつくらいでしょうね!」
返された減らず口に、こいつはまだ余裕があるなとクロウは判断。
文句を言い続ける同行者を放置して、遺構のだいたいの姿を把握する為、また周囲に蟲がいないか、その痕跡が残っていないかを調べるべく周囲を巡りはじめる。
その結果としてわかったのは、瓦礫は東西に百数十リュート程、南北に六十リュート程に広がっているということと、東側のしっかりとした壁が残る場所に出入口と思しき空間があるということ、グランサーらしき人影が近くにあったということ、そして、甲殻蟲は近くにいないだろうということであった。
律儀について回っていた密偵が胸元をばさばさと煽りながら言った。
「ふぅ。……で、見立てはどうなんですかね、可愛く文句を言っている女の子を放置し続けた元グランサーの人」
「ああ、見た限り、近くに蟲はいないようだ。けど、本命の地下はどうかわからないな」
「くっ、流された! さすが手強い!」
なにがさすがだと言い返したくなるが、そこは努めて我慢して、クロウは機体を出入口跡に向かわせる。
壁と瓦礫の中にぽっかりと空いた口、出入口後には赤鈍色の外套を纏った人影が立っていた。人影は近づいてくる魔導機に気付くと、被っていた覆いを外して顔を晒す。クロウも見知っている無精髭を生やした浅黒い肌の中年グランサーであった。
「おぅ、赤坊主。ここで会ったのもなにかの縁って奴だ、ちっとばかり稼ぐのを手伝ってくれねぇか?」
「あー、今日は仕事で来てますんで、簡単なことなら」
「なに、ここの中にある瓦礫を二つ三つ動かして欲しいのさ。下敷きになったモンを前から目を付けていたんだが、俺の力じゃどうしようもなくてよ」
「了解。それ位ならいいですよ。俺もここの地下に用がありますから」
この言葉に、グランサーが目を大いに輝かせて勢い込んだ。
「おっ、前みたいに潜って大物漁りか!」
「あはは、違いますよ。今日は依頼で、地下の内部構造を調べるんです。んでもって、仕事の立会人がいるんで、余計なことはできないって奴です」
ミシェルはクロウの声に合わせて魔導機の影から姿を現し、顔を隠して会釈する。
中年グランサーは第三者の登場に些か慌てた風に会釈した後、露骨に肩を落として言った。
「かー、仕事かよ。うまい具合におこぼれちょうだいって奴を狙ったのによ」
「いや、別について来ること自体はいいですよ? ただ、命の保証はしませんけど」
「うへぇ、さすがは機兵のお仕事、こぇーこぇー。……はぁ、なら余計な欲は出さずに、最初の獲物だけにしとくか。生きて帰ったらまた来れるからな」
「さすがは古参、生き残りの鉄則を守りますか」
「あったりまえよ。おらぁ、死ぬ時は女の上って決めてんだ」
「それ、女の人に大迷惑ですよ」
「大迷惑だろうが、やるといったらやる! 死んだ後のことなんざ知らねぇよ!」
中年グランサーはそう言ってからからと笑うと、物があるのはこっちだと壁の内側へ入って行った。
じっとクロウ達のやり取りを見ていた女はポツリと呟いた。
「ねぇ、グランサーってさ、みんなあんな感じなの?」
「まさか、ああいう感じなのは好きでやってる人だけさ」
「ふーん、そっか」
ミシェルは少し羨ましいと胸の内で呟いて、動き出した魔導機の後に続いた。
風化に耐え続ける壁の間を抜けると、その内側はやはりというべきか瓦礫で満ちていた。
「おう、こっちだ」
クロウは声に導かれるまま、魔導機の姿勢が崩れぬように注意しつつ、瓦礫の中を進む。
その際に一面に広がる瓦礫の様相……縦横に砕けてこそいるものの、元は同一の物を構成しいた思しき姿形を見て、おそらくは天井が落ちたのだろうと当たりを付けた。
そして、先行していたグランサーの傍ら……出入り口より入って南寄りの場所に立つ。
先達がここだと指し示した場所を見ると、瓦礫と瓦礫の隙間、砂塵が薄っすらと積もった場所に、金属らしき物体が見えた。元グランサーとしての見解が、確かにモノがあると判断を下す。
「これは……、間違いなくありますね」
「だろ? かなり前に見つけてから、歯がゆい思いしてたんだよ」
「はは、わかります。じゃ、何とか考えてみますから……、そうですね、周囲の警戒を頼めますか?」
「了解、たのまぁ」
中年グランサーが足早に離れるのを確認すると、クロウは改めて積み重なる瓦礫の様子を見る。
遺物の上には二つの大きな瓦礫。双方共に引き裂かれた断面からは破断した鉄筋が幾筋も延び出ている。その内の一つは、人一人程の大きさのモノでもう一つの瓦礫の上に圧し掛かっている。もう一つは、コドル以上の大きさで遺物を潰すように斜めに倒れている。
これらをじっと見ていたクロウであったが、上のモノは余裕で除けられると見て取った。が、下のは少し厳しいと判断する。ならどうすればということになるが、幸いというべきか、今日、彼が武装として持ってきたのは工具としても使える大鉄槌。予備の兵装である手斧と組み合わせて工作すれば、なんとかなるだろうと判断した。
「ミシェル、破片とかが飛ぶと危ないから……、地下に入れそうな出入口を探しておいてくれ」
「ん、わかったー」
女密偵が足音も立てずに去った後、クロウは緊張を抜く為に息を吐いてから、上の瓦礫に手を付ける。
パンタルの手指でもって瓦礫の端をしっかりと持ち、ゆっくりと持ち上げ始める。まだ余裕があるのだろう、骨格や関節から軋みは聞こえない。そのままひっくり返して、叶う限り静かに地に置く。
次に露わになった大きな瓦礫と向き合う。
彼の頭に浮かんだ対処法は先のようにひっくり返すか、なんらかの方法で割って除けるかの二つであった。そのまま、それぞれの長短について考える。
前者はまずもって持ち上げられるかがわからない。ただ持ち上げることができたならば、作業自体は単純であるから時間も手間はかからない。もっとも、最後の段階となる瓦礫を地面に降ろす際には、音をたてないように十分な注意が必要となる。
後者はひたすら大鉄槌で叩いてかち割るなり、手斧で裂け目を広げて、楔代わりの何かを打ち込んで割るなりと方法がいくらか思いつく。ただ、どうしても時間が掛かるし手間もかかる。付け加えると、作業音が断続的に続くであろうから、安全の面でも問題がある。
クロウは低く唸りながら、どちらがより安全で確実だろうかと悩む。
が、すぐに建機としても使っているのだから、これも持ち上げられるかもといった楽観から、前者を優先することに決めた。
位置取りを考えながら、安定した足場を探すべく、足元を固めるように機体の脚を足踏みさせていく。
そうしてここだという場を見つけると、瓦礫の端を握りしめて踏ん張る。そして、ゆっくりと持ち上げ始めた。
操縦装置を通じて感じる負荷。
膝や肘、手首といった関節がぎしぎしと軋みを上げる。
だが、これならなんとかいけると、作業を進める。
自然、伝わる重みが大きくなっていく。
油圧に溜まる熱を除くべく、熱交換系の稼働率が跳ね上がる。
少年は計器や感触でもって状況を判断しながら慎重にあげ続け、遂に加負荷の境を越えた。
機体に掛かっていた負荷が徐々に減り始める。
傾斜角を深くした瓦礫からは、ぱらぱらと砂礫や破片が零れ落ちていく。
脚を慎重に進めて、機重でもって瓦礫を支える。
そして、瓦礫は天に屹立する。
積もった砂塵が吹き込んだ風に舞いあがる。陽の光を浴びた遺物は、押し潰されてひしゃげた車両らしきモノであった。
その様子を視界の隅に収めつつ、今度は反対側に……と、機体を動かそうとした時であった。
「あ……」
垂直に立てた瓦礫、その根元となっている部分が自らの荷重に耐えきれず、一部分が爆ぜて割れた。
安定を失い、ぐらりと揺れる重量物。
振れた方向は遺物のある方向。これは拙いと直感して、クロウはぐいと一押し。揺らいだ瓦礫は加えられた力に従って傾いていき、結果、大きな地響きを立てて倒れた。
突如の轟音に見張りと密偵は跳びあがって、音の源を返り見る。
中でも特に慌てたのは、手伝いを頼んだグランサーだ。
「ちょっ! おおおおおまっ! うおおおぉっいいぃっ!」
彼の常識からすれば、砂海で大音を立てるということは天敵を呼び寄せる自殺行為なのだから、野太い悲鳴を上げるのも無理のない話である。それはもう、自らの行いも危険であることすら吹き飛ぶほどに大慌てである。
他方の密偵であるが、そういうこともあるだろうといった様子で、周囲へと警戒の目を飛ばす。
そして、事の発端となった赤髪の機兵であるが、至極ばつの悪そうな顔を浮かべながら傍らに立てた大鉄槌を手に取り一言。
「やっちまった」
「おまおまおまおまっ、どどどどどーすんだよっ!」
半壊した壁の上、取り乱した様子の中年グランサーが涙目で喚く。
クロウはすぐに答えず、ただ機体を依頼者に近づけると機体前面を開放し、顔を見せる。その顔は申し訳なさと苦笑が入り混じった、なんともいえぬ愛嬌のある顔であった。
「え、えーと、とりあえず、瓦礫は除けました。一応、しばらくの間、警戒してますから、その、落ち着いて」
「おおおお落ち着けるかっての!」
「ですよねー。……ま、まぁ、もうやっちまったことですから、ほら、その、なんだ、状況が落ち着くまでは、しっかりと警戒しますし、蟲が来たら潰しますんで、そろそろ、声を抑えた方が……」
中年グランサーは機兵が発した最後の言葉に、今更ながらに現状を思い出して口を閉ざす。
「ぅぐっ、た、たしかに……」
急速に頭が冷えた様子であったが、やはり人である。湧きあがってくる様々な感情が口をついて出そうになる。けれども、男はそういったモノ全てを意地でもって呑み込むと、ぐったりと肩を落として続けた。
「す、すまねぇ、元々無理を言ったのはこっちなのに、動転しちまった」
「い、いえ、本当はもう少し穏便にやるつもりだったんですけど……、上手くいかなくてすいませんでした」
「ああ、気にするな。というよりも、ひとまず落ち着くまで頼むわ」
「ええ、もちろんです」
クロウはむんと鼻息を吐き出すと前面部を閉ざし、手に持った得物を一振り。
その様になった動作は魔導機の質感とも相まって頼もしく見え、中年男の胸に安堵感をもたらす。だが同時に、こいつはもうグランサーじゃなくて機兵なんだなという納得と寂しさを、彼に抱かせたのだった。
その後、事が起きてより十分二十分と警戒をしたが、幸いなことに甲殻蟲の姿は現れなかった。
とはいえ、まだまだ警戒は続けた方が良いだろうと、クロウは機体に乗ったままに、またミシェルを見張りに立てている。そういった中、クロウと中年グランサーは旧文明の遺物を品定めする。
「こいつはぁ……、おまえさん、どれ位と見る?」
「単純な目方だけで、最低でも三十万といったところですね」
「ああ、全部持って帰れたらの話だが、それくらいになるな」
二人は話しながら、唯一潰されていなかった箇所……車両の前部に目を向ける。
「悪いが、上のガワを剥がしてくれないか?」
「了解」
先のようなしくじりを繰り返さぬよう慎重に作業して、クロウは上部の鋼板を引き剥がす。
露わになったのは、幾つもの部材が組み合わさった機械類。原型をほぼ保ったままと思しき姿であった。中年男が思わず口笛を吹いて微笑む。
「こいつぁ、駆動機関だ。状態もいいし、もしかすると百万はいくかもしれねぇ」
グランサーの口より漏れ出た言葉に、少年は現実的な問題を声に乗せた。
「けど、持って帰れますか?」
「へっ、意地でも本体だけは剥がして帰るさ。……さっきは心臓が止まるかと思ったけどよ、こうしてお宝を手に入れられそうなんだ。その甲斐はあったと思っとくわ。ほんとありがとよ、助かったぜ」
「あー、ほんとはもっと手際よくやれたらよかったんですけどね」
「いや、そこはもう気にすんな。寂しい話だが、もうお前さんはグランサーじゃなくて機兵なんだからよ」
「なら、ここは機兵らしく、剥ぎ取りが終わるまではここで待機しときます」
中年男は浅黒い顔を綻ばせて言った。
「もしかすると、今日は人生で最高の日かもしれねぇなぁ。遺物を手に入れられた上に、贅沢にも機兵の護衛が付くなんてな」
* * *
先の会話より一時間程後。
汚れ砂塗れになると言う奮闘の末、獲物を剥ぎ取ったグランサーは背負子に乗せて帰って行った。その際に彼が告げたことは、クロウにとってはありがたいと言うべきことであった。
「今更だが、俺の名前はゲールだ。とりあえず、お前さんに協力してもらったってのは内緒にしとくぜ。我も我もってな感じに家に押し掛けてきたら嫌だろうからよ。こいつは運良く見つけて、手に入ったことにしておく。それと、なにか困ったことがあったら声をかけてくれ。……まぁ、正直言うと、どこまで役に立てるかはわからねぇが、エフタならそれなりに顔を知ってるし、ここらで動くこともできるからよ」
先の一件のように、いつ何時、何が起こるかわからないのだから、ちょっとした手伝いで伝手が増えるのも悪くない。
そんなことを思いながら、クロウは微笑む。そこにミシェルの声。
「ああやって恩を売って顔を繋いでいくのか、なるほどなー」
「そうだな、そういった思惑があったことは否定はしない。人とのつながりも力だしな」
「うんうん、いいこと言うね! 当然、身近で協力してくれてる人にもご褒美上げないと!」
「はは、そこは働き次第だな」
少年は軽く笑って、居候の言葉をばっさり切り捨てた。この遠慮も配慮もない返答に、女は大いに口を尖らせる。
「ねぇ、なーんかさ、クロウって、私にだけ厳しくない?」
「まさか、俺がこれほど本心真心を晒して付きあっている相手なんて、他にはミソラ位しかいないと思うぞ」
思いもしなかった回答に、ミシェルは動きを止めた。
直後、無意識に表情が崩れかけたので、慌てて引き締めて文句を続ける。
「い、いやー、そ、そこはほら! 私も女なんだし、こう、喜びそうな配慮というか女としての扱いというか、そういうことをしてくれてもいいと思うのよ!」
「そんなことしたら、間違いなく調子に乗るだけだろ。……というか、地下に行けそうな出入口は見つかったのか?」
「え、うん、二か所見つけたんだけど……って、さっきのを言い訳にして軽く流し過ぎじゃないかなっ!」
「そりゃ戯れ言なんだから、基本的に流すさ」
ほらほら続き続きといった言葉にミシェルは不機嫌な顔で応じる。
「はいはい、一つは北側の壁っていうか、崩れた瓦礫の下に階段みたいな空間が見えたわ」
「撤去はできそうか?」
「難しいと思う。さっき動かしていた奴よりも大きいのが重なってたし」
「ならもう一つの方は?」
「最初に入った所から真っ直ぐに行った所。こっちも瓦礫と砂で大半が埋もれてたけど、人が通れる程度の隙間はあったわ」
「そうか。……なら、奥の方がいいな」
掘り起こして魔導機ごと行けるかもしれないと呟きながら、クロウは出入口があるという場所へ機体を向け歩き出す。
これを受けて、ミシェルもまた後に続く。が、その表情には不満が溜まっている。
「まったくもー、そりゃ少々くらいなら流されてもいいけどさ、こう続くと私も思うことある訳よ。ほら、砂人形はちゃんと水をやらないと……」
「乾いて砕けるんだろ?」
「うんうん、だからこそ、もっと水をかけてあげないと!」
少年はミシェルが持ち出した砂人形の寓話、その末を思い出しながら応じる。
「けど、水をやりすぎたら見る間に溶けて崩れる。だから今はこれからも元気に働き続けてくれるように、そこら辺の分量を見極めてる所さ。……で、話を元に戻してだな、埋まってる部分をなんとかできそうか?」
「多分無理と思う。こっちのも瓦礫は大きい奴だったし、砂の量も半端なかったから」
「なら、降りるしかないか。正直、中も行ける所まで魔導機で行きたかった」
「えー、ただでさえ視野が狭いのに、暗視装置を付けるともっと狭くなるから危ないと思うよ?」
「それもそうなんだけど……、いざって時を考えるとな」
自らの力の源泉たる魔導機。そこから離されるのは、やはり心もとないのだ。
そんなクロウの心情を見抜いているのか、ミシェルはあっけらかんとした声で言った。
「大丈夫大丈夫。昨日、ミソラちゃんからイイ物もらったんでしょ? あれがあったら、なんとかなるって」
その言葉に導かれるように、少年は機内に持ち込んだ獲物に目を向ける。
長さ一リュート強のそれは規格外の魔導式大鉄槌。ある仕事を請けるという条件と引き換えに貰い受けた逸品で、威力は彼が知る武具の中でも飛びきりの代物である。
その魔導鉄槌を見つめる内、彼の脳裏に手渡してくれた少女……心配そうな顔をした魔導士の顔とくれぐれも気を付けてくださいとの言葉が思い浮かぶ。
「いや、こいつを使わないで済むのが一番なんだが……、まぁ、とりあえず見てみよう」
そう言い切った少年の目には、地下へ下り行く斜路が映っていた。
ミシェルが話した通り、斜路は崩れた瓦礫に半ば埋まっていた。
幅三リュート程の通路を埋めるそれらは大きく、また複雑に重なり合っていることに加え、砂が入り込んで隙間を埋めており、クロウの目から見ても除けることは難しい……というよりも、斜路に入ることすら難しいといったあり様であった。
ただ幸運なことに、積み重なった瓦礫は踊り場の半分まで。それより先は天井の造りが頑丈だったようで埋まってはいなかった。もっとも、障害物で通路はほぼ塞がれてしまっており、出入りできそうな場所は瓦礫の合間にある空隙……高さと幅、それぞれが大凡一リュート半程の空間しかないようだった。
「確かに、魔導機は無理だな」
「でしょ。そういう訳で、ほらほら、さっさと降りる」
「嬉しそうだな」
「ふふふ、おぬしもこの暑さを体感して、汗まみれになるのだ~」
呪詛めいた楽しげな声を聞きながら、クロウは魔導機を駐機できそうな場所を探す。運が良いことにすぐ近くに脚の踏み場を見つけた。そこに機体を持っていくと、固着装置を作動させて開放部を開けた。途端、埃っぽい熱気が機内に入り込み、冷気と溶け合っていく。
「よし準備するか」
「暗視装置を付ける時は言ってね」
「ああ」
クロウは制御籠手や固定具も外してから起動キーを抜く。盗まれる可能性は低くても、やはり安心はできない。胸の衣嚢に入れ込むと、上着に魔導鉄槌、各種装具を手にして降り立つ。
ミシェルを見れば、自らの背嚢から取り出したのだろう、大きな被り物……二眼式の暗視装置を装着して、具合を確かめていた。
「どうだ?」
「んー、私の細首にはやっぱり重い」
「だろうな、頭の大きさが一回り大きくなってる」
「はぁ、ミソラちゃんの暗視魔術が恋しくなるわ」
「今日明日には簡単なのを作ってみるって言ってたし、次の時には使えるだろうさ」
そう言いながら少年は上着を纏い、暗視装置を取り出す。ずしりと手に伝わる重さ。これは確かに首の負担がすごそうだと苦笑する。
「ミシェル、付けるのを手伝ってくれ」
「了解。わたしに手伝わせるんだから、高いわよ?」
「今日の晩飯で手を打とう」
「やりぃって、いつものことじゃない!」
「普段のただ飯より気持ちよく食えるだろうさ」
装置を被りながら笑い含みの言葉。
ミシェルは頬を膨らませると、少年が被った装置、その固定帯をぎりぎりと締め上げる。
「あだだだだ」
「たまには居候においしい思いをさせてあげてもいいと思うのー」
「わかったわかった。今日の晩飯は、ミシェルがおすすめする店に食べに行こう」
言質を引き出した女は帯を緩めて、意味ありげに笑う。
「当然、男と女のムフフもよね?」
「寝言の時間にはまだ早いぞ」
鼻で笑っての返事に、ミシェルは再び帯を締めあげた。
少しばかりぐだぐだしたが準備は整い、二人は斜路を下り始める。
ミシェルがほぼ手ぶらと言ってよい程に身軽な姿であるのに対して、クロウは魔導鉄槌を手にしている上に探索用の装備……ロープやワイヤー、工作道具、製図道具に非常用魔導灯といったモノが入った背嚢を背負っている。
これは二人で打ち合わせてのこと。密偵としての訓練を受けているミシェルが前に出て危険等の確認を行い、クロウが事が起きた時に対処するといった具合に、役割を分担したのだ。
少し先行する形のミシェルが踊り場にある空隙の手前で立ち止まる。クロウが追い付くと、女密偵は二眼ゴーグルを降ろしながら声を上げた。
「これが最後の確認だけど、暗視装置に不備はない?」
クロウもまた二眼ゴーグルを装着すると、目に入る世界は白黒へと変じた。
「正常に動いてる。……やっぱりミソラの魔術に比べると落ちるな」
「そりゃあ、こっちは視野が限られるし、像も不鮮明な所があるからねー」
「だな。けど、これがあるだけでも感謝しないと」
「そうそう、これ結構な値段がするんだから、大事に使ってよね」
「了解」
クロウは言葉を返すと、装置側面にある熱紋照射釦を押した。これから進むべき暗がりも白と黒で形どられた。これならいけそうだと確信した時、風が吹いた。
ぱらぱらと砂礫が転がり落ちていく。その為か、微かな振動が足裏に伝わってきた。
だが、その小さな振動に、少年の感覚が違和を覚える。
普通なら気のせいだろうと済ましてしまうような、そう、あるかないかの風に産毛を撫でられたような、そんな感覚がクロウの中に生じたのだ。
「クロウ?」
隣に立つミシェルの問いかけに応じず、耳を澄ませた。
どこかに通り道があるのだろう、風が奏でる笛が遠く聞こえる。流された砂塵が何かに当たる音。紛れるように、微かな軋みのような音。
感覚がざわりと泡立った。
クロウは己が内に芽生えた警戒心に従って、静かに密偵に告げた。
「ミシェル、静かに、上に戻れ」
「え、なに?」
「いいから」
目を暗がりに向けたまま、魔導鉄槌の柄の摘みを回し始める。
一段、二段、三段、四段。
倍加値を最大限に設定すると、じっと空隙を見つめる。
高さ一リュート程の隙間、その奥の暗がりは外の光、あるいは装置からの照射を受けてか、足元の瓦礫や壁、天井といったものが薄い白色で像をあらわにしている。
そう、見ての通りで、行き先には何もない。
だが、彼の勘がそこは危ないと告げていた。
少年のただならぬ様子に、ミシェルは今更ながら危地にいるのだと思い至った。
なぜわかったのか、なぜそう感じたのかといった疑問を押し殺して、瓦礫の隙間からそろりそろりと離れていく。
一人残る少年は同行者が離れていくのを耳で聞きながら、表情を険しくする。
ざわざわとした感覚が強くなったのだ。
クロウは魔導鉄槌の術式起動釦を押し込み、把手を強く握りしめる。
それから、一歩また一歩と空隙より距離を置き始めた。
その時だった。
がらりと瓦礫が動く音。
瞬間、気を取られる間に、突如として視野に入った複眼。
考える前に横跳び、得物を振り降ろす。
手応えと衝撃音。
湿った青臭いにおいが広がり、なにかが崩れ落ちる物音が響いた。
ミシェルは悲鳴をあげる事すら忘れて、直前に目にしたモノを疑う。
唐突に、瓦礫の合間より飛び出てきたラティアの頭。
その口より生えた鋭い刃がクロウを捉えると思ったら、逆に打ち砕かれたのだ。
しかも跡形もなく、粉微塵に……。
それを為した者は、触角や甲殻、肉片に血潮が飛び散っている場に、得物を手にしたまま立っている。
生身の一個人がたった一撃で、強靭な天敵を打ち殺した。
前もってどれ程のモノなのかを聞いていたとはいえ、実際に目にすると、あまりにも衝撃的で、非現実的な光景であった。
「く……、クロウ?」
「あ、ああ、し、しぬかとおもった」
返事と共に荒い息が聞こえてくる。同時に、嗅覚が甲殻蟲の青臭い血臭を嗅ぎ取った。
それらが、彼女に今し方目にした光景が紛れもない現実だと教えていた。
「だ、大丈夫、なの?」
「な、なんとかな。あ……、これ、もしかして、ちょっとちびったか? ……い、いや、なんとか大丈夫、みたいだな」
となんとも格好の悪いことを言いながら股間に手を当てる仕草が、その為したこととあまりにも激しい落差が、ミシェルの心に落ち着きと思考とを取り戻させた。
「え、えーと、取りあえず、見てあげようか?」
「なんか別のことまでされそうだし、遠慮しとく」
うん、いつも通りだ。
ミシェルは二眼ゴーグルを外しつつ自らに納得させると、恐る恐ると言った風情で、事が起きた現場へと近づいていく。
地下へと繋がる空隙を見れば、頭部を丸ごと失った赤黒い躯。断裂部より緑血を流すラティアの胴体部が塞ぐように横倒しになっている。縮むように折れた脚がまだ動いているようにも見えた。
「瓦礫の向こう側に、張り付いていた?」
「ああ、みたいだ」
クロウは言葉短く応えるが、表情には安堵の色以上に険しいものが浮かんでいた。
もしも、このまま気が付かずに進んでいたら?
もしも、飛び退いた先の足場が悪かったら?
もしも、魔導鉄槌が通用してなかったら?
もしも、蟲がもう一段身を伸ばせたら?
様々な仮定が彼の頭をぐるぐると巡るにつけ、自らの思い違い……、甲殻蟲に抗する力を持ったとしても気構えができていなければ使えないし、それ以上に、自らの命運が時の状況や環境、運不運に左右されているのだと思い知らされたのだ。
少年は胸に満ちる苦味を声に乗せて吐き出す。
「油断……、いや、慢心してたな」
機兵って仕事に慣れて、調子に乗っていたってことか。
少年は反省の念を胸の内に収めて、空隙を塞ぐ躯に目を向ける。一つでも何かが違えば、自らを殺していたかもしれない存在。知らず生まれていた驕りや増長を自覚させてくれた不倶戴天の敵であった。
とはいっても、クロウはまったく感謝する気にはなれない。むしろ、親や故郷の仇であるのだからする気もない。それ以前に、道を塞ぐ邪魔モノであった。
故に彼は無言のまま得物を振りかざし、半ば八つ当たりの意も込めて障害物に叩きつけた。
腹に響く衝撃。
胴体部が弾けるように破裂し、全てがバラバラに四散する。
傍らで見ていたミシェルであるが、再現された非現実的な光景に、ただただ、うわぁ、といった風情で見つめるしかない。
事を為した少年は鼻につく臭いに眉を顰めながら、飛び散った緑血や甲殻の破片に目を向けて告げた。
「少しでも臭いを抑えたい。ミシェル、砂を被せるから手伝ってくれ」
「う、うん、わかった」
* * *
二人は殺蟲の後始末を終えると、今度こそ二十五番遺構に入り込む。
閃光弾で他に脅威が存在しないかを確認した上で、空隙を通って中へ。二リュート程の落差を降り立って周囲を見ると、瓦礫は少なかった。言葉を交わさぬまま、女密偵が前に立ち忍び足で斜路を下っていく。クロウも魔導鉄槌を手に、聞こえる音に神経を尖らせながら続く。
そして至った地下一階。
暗視装置の調子は良好で、暗闇に沈む空間を白と黒に染めて映し出す。降り積もった砂塵に残る蟲の足跡。だが動くモノは存在しない。二人して安堵の吐息をつく。それから改めて旧文明期の遺構を眺める。
まず目に入ったのは空間を貫くように並んだ二つの柱列。太い柱が手前から奥へと続いている。次に目についたのは、大小様々な形をした車両。五台程が所々に停まったままになっている。不意に、ミシェルが左側の壁を指差す。開け放たれた扉が見えた。
「場所から考えると、もう一つの出入り口があった場所だから、階段か何かだと思う」
小声での推測に、クロウは頷く。それを見て取ったのか、女密偵は次なる場所……今立っている場所の反対側を指し示す。
「構造を考えると、地下二階につながる斜路」
「だな。とりあえず、他と繋がる三箇所を確認して、警戒用のワイヤーを仕掛けてから仕事をしよう」
「了解」
ここからは何事もなく淡々と作業が進む。
わかっている出入口……東西にある斜路にワイヤーと閃光弾とで警戒線を作ってから、北側の壁にある扉を調べる。扉の先には階段があったように見えたが、残念なことに崩落していて使えそうになかった。一定の安全を確保すると、本命の作業である内部調査に入る。二人して協力し、地下一階各所の構造を縦横高さといった具合に測定器具で計っては製図帳に描き込んでいく。
こうして小一時間ほどかけて為すべきことを全て為すと、二人は示し合せたかのように遺物に近寄っていく。時を経ても存在し続けている車両はどれも移動輪がなくなっていた。
ミシェルはじっとそれらを見つめていたが、唐突に項垂れて言った。
「はぁ、こうしてお宝が目の前にあるのに、持って帰れそうにないのは残念だなぁ」
「運び出せないモノはお宝じゃないさ。……っと、これは」
目聡く何かを見つけたのか、クロウはすぐ傍にあった窓が開いたままの車両に近づき、細かな砂埃に塗れた座席に手を伸ばす。少年の手が触れた途端、座席を覆っていた織布はぼろぼろと崩れていく。それに構わず、少年は手にしたモノを引き上げる。手の平大の人工物……携帯用情報端末であった。
「喜べミシェル、今日は好きなモノが好きなだけ食えるぞ」
「わーいって喜ぶのは、それが換金されてからにするわ」
居候の冷めた物言いに、クロウは肩を竦めて応じる。
「現実的で大変結構。なら、次の階に行くか」
「ええ、気を抜くのは終わってからね」
「耳に痛いよ」
少年は回収物を上着の衣嚢に放り込み、背嚢と得物を手に取った。
下り斜路の警戒線を取り外すと、二人は息と足を忍ばせて降りていく。
積もっていた砂塵が少なくなり、残っていた蟲の足跡も薄れていく。天井に残る照明灯は役目を忘れて眠り、壁の表示板は伝える相手を失っている。二人は緊張を保ったまま、地下二階に立った。
地下二階は、地下一階とほぼ変わらぬ造りであった。
奥行きは百リュート前後で、幅は五十リュート程。列柱は二列、北側壁に扉、向かいの最奥に斜路、動くモノがない空間。人がいた気配も荒れた様子もない。異なるとすれば、車両の数が十近いことだろう。
ミシェルが数ある遺物を眺めながら小声で言った。
「これだけ車があるとなると、ここは昔の駐車場って奴かな?」
「確かに、そんな感じがする」
「だね。……見た感じは上と同じみたいだし、さっきと同じ要領でいいでしょ」
クロウはミシェルの言葉に頷くと、作業に取り掛かった。
各所の出入り口を調べ、警戒線を作る。その際に北側の扉の先を調べるも、上り階段は崩落、下り階段は瓦礫に埋もれており使えそうになかった。そして再び構造調査。一度やって少し手慣れたといえようか、一連の作業時間が先よりも短くなった。全ての情報を書き終えると、先と同じように車両を覗きながら巡っていく。残念なことに、かさばらない小物の類は見当たらなかった。
名残惜しげな顔で車両を見ていた女密偵が、媚びた声で囁く。
「ねぇねぇ、小遣い稼ぎにさ、遺物の一つでも解体して持って帰らない?」
「まぁ、解体はやろうと思えばできるだろうけど……、値が付きそうなモノとなると重いぞ? というかさ、入口の落差がきつい」
「ん、んー、そこはクロウに頑張って引き上げてもらって」
「考えとく。……次に行こう」
クロウは協働者の提案を棚上げして、地下三階へ至る下り斜路に向かった。
二人は五感を研ぎ澄ませて階下へと進む。
白と黒が像を結ぶのは、世の流れより取り残された世界。遺構地下独特の埃っぽい涼やかな空気。静寂を侵す自身と同行者の足音が耳に残る。足元に描かれた線画を視界の隅に収めながら、坂を下りきった。
地下三階もまた、これまで見てきた階層と同様の造りであった。
とはいえ若干異なる点もあって、これまであった向かい側の出入口がない。また各所に置かれた車両の数は大幅に増えて、四十近い数があちらこちらと乱雑に置かれている。
クロウは見たままの概観と記憶にある他遺構の構造、更には蟲の侵入経路といった要素を勘案して、自らの意見をまとめると、ミシェルに囁く。
「前に潜った遺構だと、地下三階に他の場所と繋がる連絡通路があった。残っている車の数やこの階が終点の構造、さっき潰したラティアがどこから入り込んだとかを考えてみると、ここにも連絡通路があって他と繋がっていると考えた方が自然に思える」
「なるほど。となると……、うん、最初に北側の階段を調べましょう。見た感じ、他に連絡通路があるとすれば、多分、そこだろうし」
「ああ、場所が場所だから、慎重に行こう」
クロウの意見に頷くと、ミシェルは静かに歩を進めていく。完全に音を殺しており、目で追っていなければ動いているのかどうかわからぬ程である。さすがは本職と感心したクロウであったが、自身もまたできる限り足音をたてぬように後を追い始める。
先行している女密偵は既に階段がある出入口に張り付いて、中の様子を窺っている。その横にまで至ると囁き声。
「疑わしい影は見えない。けど、一応、援護できるようにしてね」
「了解」
クロウが得物を握り締めるのに合わせて、ミシェルが閃光弾を手にして入り込んでいく。その後に続いて、階段部へと入った。
幅三リュート程の通路、真正面に大き目の出入り口。右側には上階に続く階段があって、小さな瓦礫が落ちている。左側の壁に閉められた窓と扉があった。ミシェルが立ち止まり、足元の埃を検分してる。
「予想が当たったみたい。蟲の足跡があるわ」
「なら、この先は別の場所……別の遺構に繋がってるってことか」
クロウはミシェルの声に応じた後、一拍置いて質問した。
「これ以上先は調査しなくていいよな?」
「うん、ここまででいいと思う。ただ、通路がどの方向に走っているかだけは押さえておきたいかな」
「そりゃそうだ。……なら、通路を調べてから警戒線を張る、でいいか?」
「それがいいわね。できるなら封鎖した方が良いんだろうけど……、難しいわよね?」
「ああ、物も道具もないから封鎖は無理だ。それに、できたとしても連中は物を動かしたり壊したりもできるから、効果は限定的だし」
「なら最低限の備えにしときましょ」
ミシェルはそう言って正面の出入り口へと向かい、扉の左脇に張り付く。クロウも一歩遅れて続き、右脇の壁に背を預ける。それから、ほぼ同時に通路を覗き込む。
数秒の観察。ミシェルが声を上げた。
「脅威は、特になし。通路は真っ直ぐに伸びてる。そっちは?」
「動くモノはなし。通路は真っ直ぐ。……後、床に蟲の足跡みたいなのが残ってる」
「なら、西向きの先に外と繋がっている場所があるってことね」
「ああ。けど、東側にもあるかもしれない」
「その辺は注意書きによろしく。さ、ここで終わりだし、警戒線張ってやることやっちゃいましょ」
仕事を終わらせるべく、二人は同時に動き出す。
まずは警戒線。今日だけで何度も工作してきただけあって、手早く作り上げる。そして例の如く構造調査。これまでになく車両が多い為、歩き回るのに面倒であった。が慣れも手伝って無難に仕事を終える。それからこの階にだけある場所、階段脇の小部屋へと足を向けた。
ガラスが残ったままの窓から中を覗き込む。
壁際にある戸棚は全て開けられており、幾つかある椅子は乱雑に倒れている。窓際にある机には小型の機械らしきものがある以外はなにもない。ただ、部屋の奥にある机には数冊かの本が散らばっているようだった。
「中も測るか?」
「そうね、一応しときましょ。……持って帰れそうなのもあるし」
「目聡いね。グランサーしてもやっていけそうだ」
「残念、都市派の私には向かないわ」
誰が都市派だって?
クロウはそう言って笑ってやろうかと思うが、場所が場所だけに自重する。動きや心が硬くなり過ぎないように、冗談や戯言の類いが必要であるとわかっていても、今日は自らの慢心を思い知らされたが故に。もっとも、ミシェルは思った反応が返って来なくて、どことなく不満そうな顔であったりする。
そういった機微は置いて、クロウは扉の握りに手を伸ばし回す。
握りは回り、扉が開いた。彼の経験からすれば珍しいことであっただけに、何度か瞬く。その間に、ミシェルが入り込んだ。そして、奥の机に置かれた冊子を見るやいなや、声を抑えながらも興奮の色を隠さずに言った。
「おおっ、これはっ、お宝じゃないのって! これはまた、珍しいモノまで!」
これまで平静であったミシェルがどうしてそんなに興奮しているのかと不思議に思い、クロウが後ろから覗き込む。
胸の大きい美女が豊かな胸を強調するように前屈みになっている姿が見えた。
お宝って、艶本かよっ。
そう突っ込みたい所を我慢して、女の手にあるモノにも目を向ける。
屈強な男とぽっちゃりとした少年が服を肌けて睦み合っている姿があった。
少年は思ってもいなかった絵図に虚を衝かれて口を開く。
ついで思う。話には聞いていたけど、世の中には色々な性癖を持つ人がいるのだなぁと。
「うほぉっぅ、生ではなかなか拝む機会がなかったけど、こういうのもなんていうか、うん、いいねぇ」
場所や仕事を忘れかねない勢いで興奮しているミシェルを見て、クロウは思う。
とりあえず、こいつを落ち着かせるにはどうすればいいのだろうか、と。
女の様子を見るにつけ、なんとなく面倒なことになりそうな気がして、彼はひとり溜め息をついた。
少年が先に覚えた危惧は当たる。
二十五番遺構の調査を終わらせて、エフタへの戻る道中において、女密偵より艶本の中で為されている性技の解説や自らの体験談が延々と続くことになったのだ。
そして、その結果として、若さ故に内に生じた熱を解消する為、彼は疲れた身体に鞭打って鍛錬に汗する破目になったのだった。
あとがき
あれ? こんかいはたんさくかいのはずなのに、たんさくは?(ふるえごえ




