一 剣戟武闘の調べ
火花が激しく散った。
舞った火の粉が消える前に、重い撃音が響き渡る。
それらを生み出したモノ……鋼と鋼は一度離れるが、再び激突した。
一度ならず二度三度と刻み刻みに、時に音が連なって絶えぬ程に。
弾け、散り、響く。
二十回近く互いの身体を噛み合っていた両者であるが、より激しい一撃の後、それぞれがそれぞれに喰らいつき、より深い痕を残そうと貪り始めた。その原動となる力は激しく対抗し、長大な鋼体は熱を帯びて小刻みに揺れる。
拮抗する力と力。
ちりちりと、断続的な擦過が剣身で踊る。
張り詰める空気。
時折、耳障りな軋みが分厚い鉄塊に走る。
膠着した場に降り注ぐ、天王の光。
剣戟を交わしたままの鋼剣は陽光を受けて煌めき、双方共に己が主と敵手を照らし映す。
片や深紅を纏った人型。
その艶やかな色相は見る者の目を奪うが、それ以上に引き締まった線は不思議な色気があった。
片や赤錆を鎧った人型。
頑強さと力強さを体現したような体躯は、雄々しく重厚な様相を生み出し存在感が溢れている。
向かい合う両者は対照的な姿。
だが、互いに一歩も譲ることなく終わりのない状況のように……、否、双方共に踏みしめた足元、じわじわと砂塵が積み上がっていく。
そんな二機の人型、その内に乗り込む者達は展視窓越しに相手を睨み窺いながら、次の一手を繰り出す機会を探る。
息が詰まる緊迫感。
激しく高鳴る心音。
急かし煽る焦燥感。
機体の骨格はみしみしと音を上げ、補助動力たる油圧は掛かる負荷を熱に換える。随所から集められた熱は腰の排気口から放出されているが、処理が追いつかない。
装甲で揺れる陽炎。
蒸し暑くなる機内。
噴き出て流れる汗。
不意に、赤錆の人型が力を抜いた。
深紅の人型は相手のいなしに上体を前に流される。
「ッ」
誰かの舌打ち。
音と滑る剣身。
飛び散る火花。
交差する二機。
改装機は大剣が空を切るや、勢いのまま全力で前へ跳んだ。
攻撃をいなした従来機は踏みとどまり、右足を軸に急旋回。
横薙ぎの一閃が空を切った。
その風切り音を背に、深紅の機体は跳ねるように機動する。そして、彼我の距離をある程度取ると、側面を取るべく相手の右手へと回り込み始めた。
攻撃を躱された側もそれを良しと眺めてはいない。即座に得物を左横手に構えると、追跡を開始する。
重厚な機体が生み出すのは、当代甲冑が生み出す闘争の奏楽。焼成材装甲の当てこすれと追随機構の動作音、骨格や関節の軋みに低く唸る排気音、なによりも大地をしっかと踏み込み、砂埃を巻き上げる荒々しく重い響き。
改装機もこの動きに合わせるように、大剣を右下手に流す。
こちらが奏で出す動作音は前者よりも静かだ。というのも、当てこすれの類いが少ないことに加えて、踏み込む脚の音も幾分か軽いのだ。とはいえ、行き足や動作に見える力強さは遜色がない。
こういった具合に接近を図る両者は自然と渦を描くように動き……、中心近くで再度、得物を振るう。
横薙ぎと振り上げ。
激しい撃音と火花。
力と力がぶつかり合い、方向を変えた結果、二本の剣先は揃って天を刺す。隔てる物を失くした魔導仕掛けの甲冑は勢いのまま衝突した。
重低の烈音に鈍く甲高い悲鳴が重なる。
機重と勢いに耐え兼ね、挟まれた腕の装甲が割れ砕ける。そして押し負けたのは、深紅の機体であった。
搭乗者は態勢と状況の不利を悟るや、相手の重みを逸らしにかかる。が、相手側が一歩速く、更なる圧力を掛けた。ならばと、改装機は腰を落として力を溜め、一気に押し返す。
この動きに対し、従来機は予期してたように押し返す力を利用して飛び退る。最後まで絡み触れ合っていた鋼剣もまた、金切音と共に離れた。
戦意衰えぬ二機は、得物を構えてまた対峙する。
両者とも片腕の表面装甲を失い、剥き出しの鋼材装甲が陽を浴びる。
内に収まっている補助動力……油圧機構が痛んだのか、装甲や骨格の合間を油が伝う。琥珀色の液体は一つ二つと滴り落ちては砂地に染みをつくり、その度に風で運ばれた砂塵に覆われていった。
そうした繰り返しが幾度かなされた所で、深紅の機体が俄かに腰を沈めた。かと思った瞬間、大剣を分厚い剣身を盾代わりに前に出し、相手へと突っ込んだ。
これまでの機体では為し得ない俊敏で速い動きに、赤錆の機体は僅かばかり対応が遅れた。しかし、それでも手にした得物を振るい、同時に正面からの衝突を避けるべく、突進軸より機位をずらす。
音と撃する鋼。
斥力場に沿って流れる火の粉。
互いの装甲を削り合いながら、すれ違う。
直後、深紅の機体は急停止。右脚を軸に急回転。
軸脚が大地を抉り、剛剣が勢いのままに振り上げられた。
が、この一撃もまた振り下ろしでの迎撃を受け、剣戟が鳴り響く。
そして再びせり合いが始まる。かといった時に、改装機が手にしていた大剣より手を離した。
想定外の動きに、従来機の得物は大地を刻む。
崩れる態勢、その隙を改装機は逃さない。
損傷した右腕、その手指を手刀とし、重厚な甲冑は左肩関節に突き立てた。
穿ち破られる覆い。
関節を支える骨格に衝突し、耐えざる負荷に手指が壊れ砕ける。だが、その衝撃は骨子を歪ませ、入り込んだ手刀と弾け散った手指は接続部材を傷つけ、制御機構の配線や熱交換系の配管を断ち切った。
触媒が勢いよく噴き出し、辺りに降り注ぐ。
飛沫を浴びながら改装機は右腕を引き、更なる一撃を加えるべく振り上げる。
それを嫌った従来機が後方へと一歩、次の瞬間、大剣を落として体当たり。
これまでにない激突音。
強烈なぶつかり合いに両機の装甲や展視窓が割れ砕け、主骨格が悲鳴を上げた。
熱気と砂塵が場を満たす。
しかし、闘争は終わっていない。
もつれる二機は、それでも相手を攻めるべく互いに攻め手を振るう。
改装機は用を為さなくなった右腕を、従来機は右手に取った予備の手斧を。
破砕音。
分厚い頂部装甲と、左腕の斥力盾とがほぼ同時に破壊される。
それでも両者は被害に構わず、追撃の一手を繰り出した。
再び振るわれる手斧、その腕に掴みかかる左手。
耳障りな破断音。
叩きつけられた手斧が深紅の装甲は左肩に食い込む。他方の改装機であるが、右肘関節をしっかと掴んで握り締める。軋みを上げる間接部。続いて、一つまた一つと部材が圧潰していく音。
拘束から逃れようと従来機が暴れ、左肩を割った手斧が破断面を広げた。その反対側では、ぶら下がるだけの左腕が改装機の右腕に打ち当たる。それが油圧系辺りを破壊したのか、飛沫が上がった。
だが、抵抗もそこまで。
右肘関節の可動部が動かなくなったことを受けて、従来機は動きを止めた。
もっとも、この争いに勝ったように見える改装機にしても、無理を為した左手は手指の可動部が壊れ、肩に受けた損傷の為か肘関節の油圧を失ってしまっていた。
さて、これからどうするか。
そんなことを考えた両機の搭乗者であったが、耳に入った音……信号弾が弾ける音を受けて、時を同じくして肩の力を抜いたのだった。
* * *
話は二日前……、爛陽節第三旬一日の昼まで遡る。
その日、クロウ・エンフリードは自宅近所にある総合支援施設……エフタ市立魔導機運用総合支援施設にて、懸架され内部構造を晒した自機の前で、繋ぎ姿の少女エルティア・ラファンと話をしていた。
「今の所、機体に特に問題なし、ってことか」
「はい、これまでの検査項目についてとはいう条件が付きますけど、全てが許容範囲内に収まっています」
赤髪の機兵は専属とも呼べそうな整備士の答えに頬を掻きながら応じる。
「残りの項目もそうなってくれるとありがたいんだけどね」
「私見ですけど、今回は大丈夫だと思います。聞く限りですと、戦闘行動や高速移動といったことをしていませんし」
「確かに今回の仕事は基本立っているだけで済んだから。……けど、魔導機は立っているだけでも部材が消耗するって聞いてるからなぁ」
少年がこぼした言葉は事実である。
外見の大部分を占める装甲や形作る骨格に消耗や破損が見られなくとも、機体の各部位を繋ぎ動かす可動部……関節の諸部品や動作に力を与え、動きに伴う衝撃や振動を吸収する油圧機構、触媒を循環させる熱交換系配管、機体を制御する機構内構造といったものには絶えず負荷がかかり続けているのだ。
それ故、クロウはできる限り定期的に機体の点検や整備補修をしてもらうようにしているし、大きな仕事の前後ともなれば、特に念入りに頼んでいる。
「ま、なにごともなければそれでよし。これも命を守る必要経費って奴かな」
クロウはおどけるように言って笑った。
その様子をじっと見つめていたエルティアであったが、少年の表情に言葉にできない違和を覚えていた。見た目は常と変わらぬように見えるけれども、どこかがなにかが違うように感じられるのだ。
この自らの直感がもたらすもどかしさに困惑しつつ、そのことをどうやって切り出そうかと、彼女は口を開けては閉ざすとという一連の動作を幾度か繰り返す。そんな少女に気付いているのかいないのか、クロウは機体骨格を眺めながら話し続ける。
「でも、それ以上の価値があるよ。ティアが見てくれているから大丈夫だって安心感が持てるから、どんな時でも心置きなく動ける。」
「あ、い、いえ、そんな」
突然の言葉に、少女は戸惑い言葉に詰まる。
だが、自分の仕事が認められていることを直接耳にしたことで、しかも相手が気になる異性かつ己が初めて専属整備した相手ということもあって、気恥ずかしさと喜びがじわじわと胸の内から湧き出してきた。
満ちる充足感は心を高揚させ、身体をも温める。自然と豊かな胸の内で鼓動が高鳴り、滲み出た汗が肌を潤し眼鏡を曇らせた。慌てて眼鏡をとる間にも、少年の穏やかな声音が連なっていく。
「普段から色々と相談に乗ってくれてるし、ラストル貸し出しの手続きもしてくれてる上に、事前に宣伝しておいてくれたから初日から借り手がついたし、ほんと助けられてる」
「そ、それを言うなら、私こそ、クロウさんには……、その……、困ってるときとか苦しいときとか、助けて……、いえ、救ってもらってます」
「はは、そんな救うだなんて大仰な。俺はその時にできることしただけだよ」
いつも通りの声、いつも通りの調子。
そこには気負いも謙遜もなく、ただ、それが自分にとっては当たり前だ、当然のことなのだといった風情であった。
エルティアは思う。
それができる人が、どれだけいるのだろうかと。
直後、この感慨は、それは問題ではない、目の前の少年と余人とを比較する必要などないのだ、と己自身に否定される。ただ、ありのままの姿を、ありのままの在り方を認め、それが自分の性質に合うか合わないか、それだけなのだと。
いや、それよりも、もっと重要なことがあるとの想いが、彼女の内で自然と独語させる。
あなたにとっては、できることをしただけということもしれない。
だけれども、私は、あなたが為した行動と発してくれた言葉に、二度も心を救われている。
一度目は、整備士免許を取った直後の行き場を失った時。
諸事情で家に帰ることができず、戻れる場所を、自身の存在意義を失ってしまったような、そんな恐怖と心細さに晒された時に、あなたは私に居場所を与え、自身の拠り所を思い出させてくれた。
二度目は、アーウェルの騒乱で家族の安否がわからなかった時。
情報があやふやにはいってくるだけで、正確なところがわからず、本当に不安で寂しくて、今にも自分の土台が崩れて壊れてしまいそうな心持ちでいた時に、あなたは無事の報せと確かな品を私に伝え、人の胸で涙する温もりを思い出させてくれた。
本当に私は、あなたの言葉と行動に、どれほど救われただろう。
そう、だから、私は……。
少女は以前より心の片隅にあった灯に……。
悲哀を抱き嘆く人に、そっと力添えるあなたを。
悲しさ苦しさに接して、それでも笑うあなたを。
機兵らしく、雄々しくあろうとする、あなたを。
辛さ苦しさを表に出さない、心優しいあなたを。
私はずっと、支えていきたい。
できるなら、あなたのすぐ傍で……。
自らの情念を注ぎ、より強い焔へと換えた。
エルティアは形としてまとまり始めた想いに心身を熱くしながら、少年を見つめる。眼鏡なしでは、ぼやけた輪郭にしか見えない。けれども、そこに記憶する姿が重なり、少年がはっきりと見えた気がした。
瞬間、全身に勢いよく血潮が流れ、身体と心がより熱くなる。
驚きと戸惑いの中、身を焦がすという言葉の意が初めてわかる思いだった。
「私も……」
このままだと自分自身を制御できなくなりそうな気がして、我知らずに震えそうになるのを耐えながら、少女ははっきりとした声音で返した。
「私も、できることを、しているだけです」
クロウは力ある声を受け、隣の少女へと顔を向ける。
まず目に留まったのは、太い眉根の下、熱を帯びた緑瞳。周りの頬は微かに上気していれば、程良い汗が肌を潤しており、年頃らしい色気と目に見えぬ芳香が滲み出ている。
思い掛けずに、女の色を見せつけられて、少年は無意識のうちに唾を呑んだ。
彼とて年頃である以上は無理もない。もっとも、そんな自分自身に気付くと、ティアの素顔って初めて見たかも、等と思考を逸らす。ついで、このままだと妙な雰囲気に呑み込まれてしまいそうだと思い、潤みを帯びた瞳より視線を外して口を開いた。
「あー、うん、そ、その、できることに助けられてるよ。俺にはできないことだからさ。だから、ほら、持ちつ持たれつで、お互い様って感じ、かな」
気恥ずかしそうに話す姿は異性への対応に不慣れな若者そのものであり、死を直視し危地に臨む勇敢な機兵としての顔はうかがえない。そんな姿に、少女は心が疼くのを感じながら微笑む。それは大輪とは言えなくとも、しっとりとした華のあるモノであった。
クロウは少女の微笑みになぜとわからずとも負けた気分に陥りながら、それでも語を紡いだ。
「でもほんと今更かもしれないけど、やっぱり一人じゃ、なにもできないんだよなぁ」
「私もそう思います。だから、クロウさんも困ったことがあったら、一人で抱え込まないでくださいね」
「はは、ティアこそね」
先と異なり、互いに互いを思いあう穏やかな空気。
こういう感じの方が居心地がいいな等と少年が思っていると、背後より声がかかった。
「ああっと、二人して仲良くしてる時にすまんが、エンフリード、お前さんに客だ」
からかいが混じった声に振り返る。
そこには声の主である揉み上げの長い整備主任と、同じ機兵長屋に住む青年教官の姿があった。両者共に年若い男女を見ながら厭らしい顔でにやけている。
「せ、整備に戻りますね!」
第三者の存在に逃げ出した、というよりは気恥ずかしさを思い出した為だろう、エルティアは顔を紅く染めながら手の眼鏡をかけると足早に機体へと向かう。クロウはその後ろ姿を少し名残惜しく思いながら、踵を返して年長者達のもとに歩き出す。
そして、彼が二人の前に辿り着くやいなや、青年教官ことディーン・レイリークが口を開いた。
「口説きの邪魔をして悪かったな、エンフリード」
「口説いてないです。それよりも急に訪ねて来るって、なにかあったんですか?」
「おいおい、そう急くなよ。速いのは女を悲しませるだけだぞ」
「遅すぎても嫌になるって、商店街の奥さま達が話してましたよ」
間髪入れず少年が肩を竦めて応じると、男二人はそれぞれの顔で苦笑い。が直後、整備主任は誰かに呼ばれる声に返事をし、すまんが仕事だとの声を残して抜け出ていった。
こうして機兵二人が残った所で、クロウが改めて訊ねた。
「で、レイリーク教官、真面目な話、そろそろ後期の教練が始まる時期だから、忙しいはずじゃ?」
「ああ、忙しいさ。前期の教練が終わったと思ったら、ペラド・ソラールの機士達にパンタルの操縦指導。休む暇もありゃしねぇ」
やれやれと言わんばかりに、ディーンは肩に手を置き首を巡らせる。
そんな相手の仕草に、少年は笑みを浮かべて言った。
「その様子だと、大変だったみたいですね」
「まぁ、忙しさの半分位の原因ではある。経験が長い機士にはどうしても癖ってのがあるからな。機種ってか操縦方法が変わるとなると、対応する方も大変って奴だ。しかも向こうで教導を担うって話だから、より深い理解と更なる精進が重要って奴さ」
「教導を担う?」
クロウが首を傾げる。
が、青年教官は、ま、向こうさんにもイロイロとあるのさと流して続けた。
「で、残りのもう半分が、突発的に入った仕事関連なんだが、これでちっとばかりお前さんの手を借りたい」
「つまり、仕事の依頼ってことですか?」
「そういうこった。……まぁ、先約が入っているならいいんだが、少しばかり頼めないか?」
「いつですか?」
「明後日」
「となると、三日ですか」
先の仕事が昨日終わったばかりということもあって、クロウはまだ仕事を探していない。
「空いてるには空いてますけど、どんな……」
と言いかけた所で、耳に残っていたペラド・ソラールの機士という言葉から仕事を連想して、あっと声を上げた。
「まさか、前みたいな模擬戦ですか?」
「おう、そのまさかだ。指導がほぼ終わった段階で、前にお前さんとやりあった機士が、叶うならば、もう一度やりたいって要望を出してきてな」
機兵としての成長がなった模擬戦。
その時の相手が再戦を望むという話に、クロウは嬉しいと思う反面、機体に習熟した機士に喰らいつけるだろうかとの思いを抱く。自然、彼の顔は口元が弛みながらも眉根は微妙に顰められるといった風に、喜びと悩みが同居する。そんな教え子の顔に、先達の機兵は笑った。
「はは、イイ顔になってるぞ」
「あー、確かにアレは、得難い経験でしたから。ただ……、いえ、もう一度、機会があるのなら、やっぱりやりたいですね。前は勝負がつきませんでしたから」
少年の目に闘志を認めて、ディーンは笑みを深くする。
「おっと、お前さんもいよいよ機兵らしくなってきたって奴かな」
「どうでしょう。ただ、負けたくはないと思います」
「ま、そういう風に思える相手がいるってのはいいもんさ。目標になるからな」
この言葉に、クロウはエル・ダルークで出会った機兵……旅団機兵隊の隊長を務めているジグムント・サンダールのことを思い出した。
「サンダール隊長みたいな?」
「ん? こりゃまた懐かしい名前が出たもんだ。エル・ダルークで会ったのか、あの野郎に?」
「ええ、縁があって世話になりました。ローディル教官とレイリーク教官によろしくって言ってましたよ」
「おいおい、人に伝言伝える位なら、たまにはこっちに顔を出せって話だな」
「……それ、向こうもそう思ってるんじゃ」
ディーンはクロウのつっこみを軽やかに流して、表情を真面目なものに変えると話を締め括りにかかった。
「ま、という訳でだ、お前さんにはまた模擬戦の相手を務めてもらいたい。場所は例の如く魔導機教習所、条件も前と同じで、報酬は一万、機体の修理費や怪我をした時の治療費、機体が使えなくなった間の代替機も出す。後、大破修復不可能になった場合は新しい機体……っつっても、今なら装甲以外だな、それを用意するし、ほれ、お前さんが寵愛してる、あの子も当日の整備や修理に借り受ける。あの子に見てもらえたら、やる気も倍増するだろうしな」
後半になるにつれ真面目な顔が崩れていく相手に、少年は呆れた様子を隠さずに答えた。
「ティア関連の含みが気になりますけど、まぁ、条件はそれで十分です」
「おっし、後は組合を通すだけだな。……っと、後一つ忘れてた」
なんだろうかとクロウが首を傾げると、青年教官は安心しろ悪いことじゃないと前置きしてから続ける。
「その模擬戦の日だが、ちょっとばかり賑やかにやることになっているのさ」
「賑やかに? 見物者でも来るんですか?」
「似たようなもんかな。ほれ、さっき突発的な仕事が入ったって言ったろ」
「ええ」
「それ関連でな。……ま、これもお前さんの為になるだろう」
「俺の為に?」
「ああ、間違いなくな」
「それって、いったい?」
後輩の疑問の声に、ディーンは口元だけを歪めて告げた。
「旅団第三遊撃船隊機兵隊とエフタ市軍第二機兵隊が合同でやる、対魔導機演習さ」
* * *
話を今に戻す。
つい先程まで二機の魔導機が相争っていた場……魔導機教習場の運動場では、再び二機のパンタルが立ち、それぞれが対抗者を打ち倒すべく得物と技を振るっている。
旅団所属機が豪快に振り下ろす大戦斧。それを市軍所属機が大鉄棍で弾き払う。鳴り響く撃音に重々しい足音が連なる。空を切る一撃。斥力盾でいなされた空振り音。続いて装甲が割れ砕ける破壊音。骨格が軋み折れ、漏れた油に火がつき、装甲が燃える上がる。
絶え間なく続く当代の防人が奏で出す戦闘騒音に、いやがおうにも場の空気は熱を増していく。
そんな空気が伝播しているのか、運動場の西と南に三つずつ設置された天幕、野営整備場も喧噪に満ちている。その周囲に駐機し、日覆いの下に収まっているのは、傷つき壊れたパンタルだ。
西の天幕群では、第三遊撃船隊に属する二十人近い整備士達が簡易懸架の周囲で慌ただしく作業し、損傷した魔導機を再び戦線に復帰させるべく奮闘している。
「一番を早く開けろ! 今のままだと、後半の組織戦に間に合わんぞっ!」
「くそったれ! 内部までやられてやがる! 左腕全交換だ! 直に始めるぞ!」
「了解! 起重機、起動します! 三番懸架、頭上注意!」
「新入り! そいつは後回しだ! 場合によっちゃあ部品取りに使う! 今は放っておけ!」
「ですがっ、三番みたいに全交換すればっ!」
「んなこたぁわかっとる! だが、こっちは元から数で不利なんだぞ! 今はより早く、より確実に動かせる奴を優先せにゃいかんのだ! 早く隣の九番機を固定させろ! 応急措置で送り出すなんて、冗談じゃねぇからな!」
一方、南側の天幕群、エフタ市軍の野営整備所であるが、旅団と比べると少しばかり静かだ。いや、正確には静かというよりも、常の格納整備庫と勝手が違って戸惑っているといった風情で、二十数人いる整備士の過半近い者達の動きが悪い。
「そっちじゃない! こっちだっ! こっちの機体が優先整備だ!」
「えっ? さっき班長に、こっちを優先って聞いたッすよ?」
「おい、そこっ! ぼさっとするな! 危ないぞっ!」
「遅いっ! 六番機の判定はまだか! ……あ? 要所だけみりゃいいんだよっ!」
「ばっ、ばかやろうっ! 右腕と左腕を間違える奴がいるかっ!」
「すっ、すいませんっ!」
「おいおいおい! ここっ! 誰が担当したっ! まだ油が漏れてるじゃねーかっ!」
こういった具合に騒ぎながら作業をする西や南と対照的なのが、北側の格納庫前である。
こちらにも四張の天幕が並び、その下でパンタルの整備修理作業が行われているのであるが、大騒ぎしながらといった様相ではない。というのも、歳経た熟練整備士達が若い整備教習生達を監督しながら、一つ一つ丁寧に作業を進めているのだ。
「部品交換の判断基準は時々による。時間と手間が惜しい時は丸ごと、金が惜しい時は個別の部材ごとってのが一般的だわな」
「どんな状況だろうと、求められるのは正確性だ。急かされたからって雑に扱っちゃいかんぞ。……そんなの無理? なら無理でなくなるように、何度もでも反復して手指に染み込ませるしかねぇな」
「さっきも言ったが、本来、こういった整備は野外でするもんじゃぁない。とはいえ、状況によっちゃあどうのしようもないこともある。んで、今みたいな野営整備をする時に一番注意しなきゃいかんのは、入り込んでくる砂塵だ。部分交換にしろ全交換にしろ、必ず気体噴射器で露出部を綺麗にしなきゃいかん。これを怠ると、予期せぬ不具合で機兵を殺すなんてことになりかねんからな」
こういった言葉を耳に入れながら、教習生達はただただ整備や部品交換に全力を尽くす。
そんな一画にあって、機体の損傷具合を一人でてきぱき調べている整備士がいた。
「右腕部……、装甲大破、骨格に歪み有、油圧機構損傷度中、操作配線断裂有」
エルティアだ。
彼女は委ねられた機体……想い人のパンタルを眼鏡越しに見つめ、所々の判定を呟きながら点検項目紙に書き込んでいく。余所の機体と違って、先程の戦闘……個人戦の間中に組まれた模擬戦以外に出番がない為、落ち着いて作業ができているのだ。
こうして己が職務に務める整備士の近くには、当然の如く機兵服の少年がいた。
もっとも、彼は自機の修理作業を見守るのではなく、今も続いている魔導機同士の戦いをじっと見つめている。全てを記憶せんと言わんばかりに真剣な顔で、同職の者達の戦いぶりを、対峙する両者の思惑を、その動きや戦技を、それを為す意図を、突発への対処を、戦闘や形勢の流れを、自分ならどう動くかを、見取り読み取り考えながらひたすらに見入る。彼の没入の具合は深く、エルティアが整備を始める際に声をかけても気付かぬ位に、全神経を集中させている程である。
けれど、それも無理のない話である。なにしろ、まだまだ機兵としての経験が浅い彼からすれば、目の前で繰り広げられている光景全てが教材であり、自らを成長させる糧なのだから。
今も目に映る機体の動き……攻撃を弾き、懐に潜ろうとするパンタルを見据えながら思考を走らせる。
懐に潜る?
いや、腕の戻りが早いから入れない。
もう一合ぶつけて態勢を……っと、なるほど、今のは幻惑で本命は突きなのか。
そう考える間に、踏込みと共に繰り出された大鉄棍が旅団機の焦げた左肩部を打ち抉った。
破壊音で損傷の度合いを探りながら、無意識の内に眉間に皺を刻む。
相手は上手く避けたけど……、これ、実戦なら足を狙ってやるんだろうな。
クロウは足を潰すであろう攻撃を前に、腕や足を微動させながら対処方法を探る。が、目と耳は形勢が傾いた闘争を、損傷を受けた機体を追い続ける。
もしこうなった時、自分ならどうする?
可能なら、戦闘からの離脱を図るが一番。それができないなら、粘りの戦いに徹して離脱の機会を探す。離脱が不可能なら、使えなくなった左腕を盾に仕掛けて、少しでも相手の戦力を削いで生き残りの道を探るしかない、かな?
現実、目に映るパンタル、その搭乗者が少年と同じ思考であったかはわからない。
ただ事実として、損傷を受けた魔導機は大戦斧を落としながら接近。腰の手斧を手にするや、大鉄棍を手に下がろうとする相手、その右腕に叩きつけた。
やっぱり、ああいった状態になると、手斧を選ぶか。
得物ごと落された右腕を視界の隅に収めながら、自らもそう選択した経験があるだけに、今し方の攻撃に納得する。また同時に、相手に損傷を与えたいからといって、安易な接近は避けた方がいいかもしれない等とも考えた。
こういった具合に一戦二戦と戦闘を見続ける内、クロウは旅団機兵隊と市軍機兵隊、それぞれの所属機に特徴めいたモノがあることに気が付いた。
それは戦いの場において、機兵が取る行動傾向……戦闘仕法である。
この戦闘仕法において、旅団所属機がより機動的に、より攻撃的な動きを見せるのに対して、市軍所属機はより受動的に、より防御的な動きが多いように見えたのだ。
少年はそうなる理由を考えてみて、直に答えに行き当たる。
多分、外で戦う機会が多い旅団は敵を殲滅する為の撃破力を、都市に拠って戦うことを想定する市軍は継戦能力を優先といった感じになったんだろうな。
そう考えて、なら自分が目指す所はどこだろうと、腕を組む。
先々のことを考えると、市軍機みたいな戦い方の方がいいかもしれない。けど、被害を抑えたいなら攻めるというか、先手先手で攻めて主導権を握った方が良いような気もするし……。ただ、今の所、勝敗は市軍の方が優勢みたいだからなぁ。
むむと唸っていると、不意に人の気配を感じた気がして、そちらへと目を向ける。
見知った白髪の男が誰かを連れて近づいてくる所であった。
少年は腕組みを解くと相手に正対し、意識せずに姿勢を正す。そして、軽く頭を下げた。
「ローディル教官、お久しぶりです」
浅黒い肌に深い皺、老いを見せぬ引き締まった身体の持ち主は、少年の記憶にあるままの厳しい顔で頷く。
「久しいな、エンフリード」
そう告げた後、グラディ・ローディルは少しだけ口元を緩めて続ける。
「ここ最近の、貴様の活躍は耳にしている。もっとも、機兵としての活躍をより多く聞きたいと思う所ではあるがな」
この言葉に、クロウも少し困ったように笑った。
「こちらとしても、その、想定外のことがいろいろとあったりしまして」
「そのようだな。ある程度の事情はディーンから聞いている。……まぁ、貴様が何を為すにしろ、機兵としての自覚を忘れさえしなければ、それでいい」
「わかりました。……それで、今日は?」
「先程の模擬戦を見て、思い感じたことを伝えに来た」
思わぬ言葉にクロウは目を瞬く。
が、直に、目の前の老教官がわざわざ評価を伝えに来てくれたのだと悟り、神妙な顔で応じた。
「拝聴します」
「ああ。装甲が軽くなった恩恵もあるのだろうが、全体を通して機動運動共に悪くないモノだった。所々の対応にしろ、場の判断にしろ、実力ある機士相手についていき、かつ、能動的に攻撃を加えることができたことからも、以前の時よりも確実に良くなっている。相手がパンタルに慣れたという点を踏まえて、それでも引き分けにまで持ち込んだことも納得のいく流れだった。今日の模擬戦、特に一対一という演習の目的を考えれば、十分に及第点を与えられるだろう」
珍しく褒められた。
先達の声に、少年の心が弾む。とはいえ、それで終わるはずもなく、寂びた声は続く。
「……故に、あえて貴様には、本来言う必要がないことを言おう」
鋭い眼差しに、クロウの背筋が自然と伸びた。
「闘争の場に立つ以上は、機体の損傷は仕方がないこと。特に前線に立つ以上は避けえぬことでもある。しかし時によっては、損傷に対する手当……整備や修理が必ずしも満足に受けられるとは限らん」
そう言ってから、グラディは運動場の外周は野営整備所に目を向ける。
「特に非常の場においては、普段、整備所で受けている整備を、今、旅団や市軍の者達が開いているような野営整備所でといったこともある話だ」
そう言ってから、老教官はすぐ近くにあるクロウの機体に視線を転じる。つられて、少年もまた目を向けた。
来訪者に気付いて、手を止めた少女。
彼女の傍らに立つ機体は両腕が損傷し、正面装甲の大分部分が破損している。
「聞くまでもないだろうが、今の状態の機体に乗りたいと思うか?」
「叶うなら、避けたいですね」
「だが危機的な状況に陥っているならば、これに最低限の応急措置を施して、再出撃といったこともあるだろう」
エルティアの顔が曇った。
彼女にとって、今耳にしたことは絶対にしたくないことであったからだ。
若い整備士の表情に気付いても、老教官は言葉詰まることなく淡々と続けた。
「今のような平時であるならば、万全の整備を期待できる。だが、いつまでも、それに甘えていてはならん。貴様が機兵になった時にも言ったが、機兵は不屈をもって最後の最後まで粘り強く戦い、死力を尽くして抗うことが使命。であるならば、いついかなる状況であってもより長く戦い続けられるように、機体の損傷を最小限に抑えるようにすることが必要なのだ」
グラディは何かを思い出すように瞑目した後、乾いた声で諳んじる。
「人のみならず、生あるモノならば、死は等しく訪れる。だが、自分が納得のできる死というものは、なかなかに訪れるモノではない。ならばこそ、戦場に立ち死に臨む我々は、最低限の納得を胸に抱けるように努めねばならん」
老機兵は目を開き、そこに力強い光を宿して不敵に笑った。
「死は常に、貴様のすぐ隣いる。そいつから嫌われるように、日々の研鑚と己が鍛錬に励め。……俺からは以上だ」
「肝に銘じます」
クロウは精一杯姿勢を正して答えた後、頭を下げた。
そんな教え子に対して、グラディはほんのわずか微笑む。
けれど、誰かに見られるまでは続かず、すぐに元の表情に戻して声をかけた。
「後、貴様と引き合わせたい相手がいる」
その声に少年が顔を上げるのと、もう一人の人物が進み出るのはほぼ同時であった。
老教官の背後から現れたのは、短い黒髪の若者。
クロウも見覚えのある相手。そう、つい先程の模擬戦で対峙していた相手だ。
戦う者特有の無駄のない身体つき。
陽に焼けた顔立ちは精悍さが色濃く、口元を引き締め顎を引いた姿は意思の強さを感じさせる。だがなによりもそれ以上に印象に残るのは、澄んだ黒瞳であった。
グラディは目を瞬かせる少年に言い聞かせるように告げた。
「ペラド・ソラール市機士爵、シルドラ卿だ」
「ディルク・シルドラです。こうして直接に相まみえるのは初めてですね」
黒髪の若者が落ち着きのある声を耳にして、赤髪の少年も我に返って応えた。
「ええ、確かに。でも初めましてというには少しアレですね……、っと、失礼しました。公認機兵のクロウ・エンフリードです」
二人の若人は二度伍した相手に対して微笑み、どちらからともなく手を差し出して握手した。
「エンフリード殿には前回に引き続き、今回も模擬戦を受けてくれたことを感謝します」
「いえ、それはこちらの言葉です。経験の浅い私からすれば、機士としての実績を持つシルドラ卿と対峙できたことは良い経験になりましたので」
「はは、機士とはいえ、私はまだ若輩の身です。実戦経験だと、エンフリード殿の方が上だと思いますよ」
「それこそまさかの話ですよ。シルドラ卿と向かい合った時に感じた重圧は半端なモノではなかったですし」
二人は結んだ手を解いてからも、更に話し続ける。
「そう言って頂けると、これまでの鍛錬が報われたような気がします」
「やはり機士の鍛錬というのは、その、厳しいモノなんですか?」
「さて、機士を志した当初は辛く厳しく感じたモノでしたが……、今はそれが当然のモノですので」
「あー、その辺りの感覚はなんとなくですけど、わかります」
「わかりますか」
「ええ」
クロウは一瞬だけ視線を老教官に向けた後、澄ました顔で答えた。
「心身に沁み込んでます」
「なるほど、確かに、私も身に覚えがありますね」
若者達は互いに乗り越えて来たであろう試練を察して笑い合った。
とここで、老教官が咳払い。
「さて、年が近い者同士、話が弾むのも良いモノであるが……」
「ああ、申し訳ありません、ローディル教官」
黒髪の機士は注意に応えると、表情を改めて告げた。
「実はエンフリード殿の機体を……、新たに採用されるかもしれない装甲を見せていただきたいと思いまして」
クロウは何故そういう話になったのかと、グラディに目を向ける。
当然の如く、それに気付いた老機兵は事情を話し出す。
「エンフリード、ペラド・ソラール市は軍の装備として、パンタルやラストルを導入することになった」
「ああ、レイリーク教官が言っていた教導って、そういうことだったんですか」
「そうだ。シルドラ卿はその準備の一環として、パンタルの教導方法を学ぶ為、この地に留まっていたのだ」
なるほどと呟いたクロウであるが、事情がわかるとすぐに首肯して返した。
開発元のミソラ達から特に隠せとも言われていなかったことに加えて、この場に連れてきたグラディの立場、その背後にある旅団から制限が課されていないとわかったのだ。
「ええ、構いませんよ」
とは言ったものの、彼に詳しい解説などできるはずもない。
当然の如く、できる相手にお願いすることとなる。
「という訳で、ティア、悪いけどお願いできる?」
「はいっ、任せてください!」
これまで黙って控えていた整備士が張りのある声を上げる。
目の前の整備士と赤髪の機兵が為した自然なやり取りに、両者の確かな信頼関係を感じ取り、ディルクは目を細めた。整備士と確かな繋がりを持つ機士は、腕のみならず人格も良いという経験則からだ。
「本日、この機体の機付整備をしている、エルティア・ラファンと申します! 機体で使われている甲殻装甲につきましては、開発元より一通りの知識を教えてもらっています! お答えできる限りですが答えさせていただきます!」
「では、ラファン殿、よろしくお願いする」
* * *
クロウ達がいる場より東側。
運動場東側外縁に設けられた天幕にて、第三遊撃船隊の長は船隊の幹部達と共に簡易椅子に座り、魔導機による演習を見つめていた。
その中の一人、船隊長の傍らに座る小太りの参謀が讃する。
「いやはや、今日もまた、我が船隊の機兵達は心強い限り。これならば、次の任務も安泰ですな」
が、それを裏切るかのように、彼らの目の前で旅団所属機が攻撃を受けて右腕を破壊され、その内の脇腹までも大きく損傷する。結果、審判を務める青年教官はこれ以上の戦闘は危険と判定したようで、信号弾を撃ち上げた。
青髪の美丈夫は青空で弾ける音を聞きながら、先の発言主に笑いかけた。
「おい、お前の毒が伝わって負けたみたいだぞ、バクター」
「はは、御冗談を。負ける時は負けるべくして負けるものですよ」
「味方であるはずの参謀の毒を差されてか?」
「この程度の毒にやられるなど、それこそ話にならないでしょう」
ふんと鼻息を吹き出すと、船隊参謀は渋面を作って続ける。
「しかし、ここまで負けが込んでくると、さすがに面白いモノではありませんな」
「まぁ、その気持ちはわからんでもないが……、やはり市軍に負けるのが嫌か」
「その辺りは、船隊長ご自身の胸にお聴きください」
ラルフ・シュタールは胸に手を当てて、口元を歪めて見せる。
「そうだな。俺の心はもっと勝ちが必要だと叫んでいる。勝ち越して、今晩の宴が向こう持ちになる位にな」
船隊長のおどけた言葉に、幹部達がそれぞれの顔で笑う。
実の所、旅団にしろ各地の市軍にしろ、互いに対抗意識というモノがあったりするのだ。
もっとも、その対抗意識はけっして深刻な代物ではなく、共にゼル・セトラスを守る仲間内の、いわゆる切磋琢磨する相手への競争心といった面が強い。これは元より敵対する関係ではなく、互いに足りぬところを補完し合う関係であるが故である。
「まぁ、この話はこれで置くとして……、参謀、今回の苦戦の原因は?」
「この所、長く現場に出続けた上に休み開けが重なり、いささか鍛錬が不足していたのが原因であろうかと」
「なら、ジェスと話して、出撃までに是正するよう対策してくれ」
「了解しました」
ラルフが頷いて視線を闘争の場に転じようとした所で、参謀の背後……教習所の出入り口より、血を分けた肉親が秘書を連れてやってくるのを認めた。
「ん? セレスの奴、今日は仕事だと聞いていたんだが……」
「は?」
この船隊長の言葉に、参謀や他の船長達も頭を巡らせて、彼の視線を追う。そうして青髪の麗人達の姿を見つけると口々に声を上げた。
「ああ、確かに嬢ですな」
「珍しいな、セレス嬢さんが現場に出てくるのは」
「なに、イイ目の保養になるからいいだろうさ。しかし、ほんと見る度に綺麗になっていくなぁ」
話題に上っている人物は、天幕に詰めていた者達と挨拶を交わしている。
「ほんとになぁ。ったく、亭主不在をいいことに、食っちゃ寝してるうちの上さんにも見習ってほしいもんだ」
船長の一人が漏らしたぼやきに、失笑が起きる。
ラルフは自身も笑いを漏らしながら、ぼやいた中年船長に言った。
「おいおい、父親不在でも子ども四人をしっかり育てている、立派な奥さんだろう。もうしばらくすれば、次の任務なんだ。今の内に、よくご奉仕しておけよ」
「なるほど、それでまた子どもが増えるって寸法ですか」
「おい勘弁してくれ、参謀。ほんとにそうなったらどうしてくれるんだ」
気の抜けた話に、男達が皆朗らかに笑う中、件の人物が到着して話の輪に加わる。
「皆さん、お久しぶりです。お元気そうで何よりなのですが……、なにやら随分と楽しげなご様子ですね」
「なに、むさ苦しい場に綺麗所に来てもらえて、気分が高揚しているのさ」
船隊長はそう言って肩を竦めて見せると、妹とその秘書に椅子に座るよう促す。もっとも、素直に座ったのはセレスだけで、黒髪の秘書は無言のまま少し離れた場で立ち控えた。
椅子をすすめた男は呆れた顔で言う。
「役目であるとはいえ、少しくらい座っても構わんだろうに」
「いざという時に、後悔したくありませんので」
「はぁ、あいかわらずの真面目振りだな」
「性分ですので」
ラルフはつれない相手に肩を竦めると、今度は隣に座した妹に話し掛けた。
「で、どうしたんだ、急に」
「特にこれといって理由はありません。強いて言うなら、先の仕事が早く終わりましたので……、そうですね、陣中見舞いです」
「陣中見舞い?」
「ええ、私も旅団の一員ですので、そのつもりで来たのですけど……、兄上、なにかおかしいですか?」
彼女が言う通り、なにもおかしいことはなかった。
ラルフはおかしいことはないなと言ってから、妹に反問した理由を告げた。
「なに、普段、本部に篭っている奴が表に出てくると驚きもあるし、それだけで話のネタになるもんさ」
「それは否定はできませんね」
麗人は苦笑する。
血を分けた兄妹という気安さ故か、その表情は普段よりも柔らかい。
「ただ、こうして表に出て現場を見ることも必要とは思ってはいるのですが、なかなかに時間が……」
「ああいや、別にそれが悪いって言ってる訳じゃない。俺としては、今以上に無理をされても困る。そんなことされたら、それこそ男との縁が途切れちまう」
「……兄上、それとこれとは関係ない気がしますが?」
「いや、関係がある。仕事に追われると余裕がなくなる。余裕がなくなると気力もなくなる。気力がなくなると誰かと話すがの面倒になる。そうなってしまうと出会いもなくなる。うん、だから、もう少し仕事を減らすくらいでちょうどいいんだろうよ」
ラルフは兄としての顔でそう言うと、目を運動場へと向ける。
セレスもまた同様に、とはいえ、その顔は少しばかり不本意そうであったが、魔導機が織り成す闘争の場を見つめた。
彼らの視線の先では、次の対戦の準備が進んでいる。
その様子を見始めてからしばらくして、ラルフが真面目な顔でおもむろに口を開いた。
「東方遠征が、正式に決まったか?」
「はい、つつがなく」
「例の計画案通りか?」
「当初よりも、現地での活動期間が伸びています」
「確認も兼ねて、概要を聞かせてくれ」
「東方遠征はペラド・ソラールの援助と航路の安定が目標となります。実施期間は大凡三節……二百四十日前後。爛陽節第四旬一日にペラド・ソラール行きの商船団と共に出港。既定航路を護衛しながら、彼の地まで。到着後は周辺域にて航路の監視及び商船の護衛、時として賊党の討伐や甲殻蟲の撃滅を担ってもらいます」
「なるほど、一節伸びたか」
「はい、先の北部域襲撃が相応の規模であったことから、しばらくは蟲の活動が落ち着くだろうとの見立てです」
麗人の言葉が終わるのを待っていたかのように、模擬戦開始の合図が為された。
途端、撃音が広がった。
「わかった。出港時期が変わらんのなら、こっちもそう変わらん。十五日までの集中訓練で鈍った体を起こして、残り二十日までは英気を養って出港する」
「もし不足がありましたら」
「ああ、相談する。……というか、前も言った気がするが、遊撃船隊を新設するなり、エフタに泊地を造るなりしてくれると、俺としたらすごく嬉しいんだが?」
破砕音が響く。
「会議の議題にはあげましたが……、今の段階では、検討しています、としか言えませんね」
「そこは豪気に、承りましたと言って欲しいもんだ」
「果たせぬ約定は信を失いますので」
「やれやれ、我が妹ながら手堅い」
「身近に、どうあるべきかと考えさせてくれる手本となる方がおられましたので」
妹の声に対して、誰のことだろうかと、ラルフはわざとらしく首を捻って見せる。じっと見つめている妹の目を見つめ返しながら。それがしばし続くがセレスが根負けて、というよりも不毛さを嫌って溜め息を吐いた。
だが、漏れ出た溜め息は思いの外重かった。
直接的にそれを引き出した男は一瞬だけ表情を顰める。
が、すぐに口元を緩めて言った。
「重い溜め息だな、おい。疲れが溜まっているんじゃないか?」
「否定はできません。やはり色々とありますから」
「なら今日はここで休んでいけ。予定は……なんとかなるだろう?」
振り仰いだシュタール家の長の言葉に、黒髪の秘書は一も二もなく頷いた。
「たまには勇ましい調べを聞きながら、午後を過ごすってのもいいさ」
「そうですね。時にはそれもいいかもしれません。……ただ、常のモノとはしたくないですけれど」
そう言って、青髪の麗人は微笑むのだった。




