六 牙を剥く密謀
「MG Lo-Da FrdaPt-GI-VieEi Ml-Hr CIMA」
「おぉ、これは……、凄いな」
詩の一節を歌うようなミソラの声が響くと、クロウの目に映っていた暗闇の中に、これまでは見えなかった様々な物が徐々に白黒の像を結び始める。
「どう、ちゃんと見えてる?」
「ああ、言ってた通り、白黒で見えてきた」
「なら成功ね。一応、六時間は保つようにしておいたけど、見えにくくなり始めたら言いなさいね?」
「わかった」
クロウの左肩に乗っていたミソラはそう言うと、クロウから譲られた手拭いに若干の改造を施して作った貫頭衣をひらめかせながら、彼の背中にある背負子へと飛び移る。そして、自分自身であつらえた布袋の寝床に入り込み、どこか不貞腐れた表情でぼやく。
「あーもー、空を飛べないのを面倒と言うべきか、こうしてのんびりできて楽だというべきか、迷う所ねぇ」
「いや、そこは楽だって事にしておいてくれよ」
「でもさー、折角、空の飛び方がわかったのに、飛ぶなだなんて、横暴としか言いようがないじゃないよー」
「確かに、自由に飛び回れるのは楽しいかもしれないけどな……、飛ぶ時に発光するとなると、ちょっと待ってくれ、って話になるんだよ」
「はいはい、わかってるわよ。甲殻蟲って奴が、光に引き寄せられるから、ここでは駄目だってんでしょ」
「そういうこと。ちょっとしたことでも俺の死活に関わるからな、是非にもご協力をお願いしますよ。話が分かるおねーさん」
クロウは背後から聞こえてくる声にそう応じながら、ミソラによって再び扉を封印された魔術工房の前より歩き出す。
簡単な話、ミソラがクロウに協力を求めた魔術工房内での家探しが一定の成果を上げて終わったので、今度はクロウがミソラの協力を得て、この遺構に潜った目的を果たそうという段になったのだ。
早くも少年の探索活動に貢献してみせたミソラは、背負子の上部にある袋から顔を出して、一定間隔で発生する振動に揺られながら、口を尖らせる。
「ぶー、生意気ぃー」
「おいおい、おねーさんを自称するなら、これ位は広い心を持って、笑って流す所だろ?」
「むー、クロウにおねーさんって言われると、こう、馬鹿にされてる感が凄いわ」
そりゃ、からかいを兼ねて言ってるからなと、クロウは内心で思いながらも、表立っては工房から持ち出した物について問いかける。
「話を変えるけどさ、書棚にあった魔術書とか技術書だっけ? あれ、本当に一冊だけしか持ってこなくて良かったのか?」
「ええ、いいの。ここの互助組織……ゼル・セトラス組合連合会から、話が通じそうな魔術士を引き寄せる為に使うだけだから、一冊で十分よ」
「そんなもんか?」
「うん。クロウが信用している人、確か……、そう、マルコールって人に見せて、上の人に話を通してもらうの。ちなみに、これの成功率はクロウがどれだけ信用されているかによるからね」
ミソラの面白そうな声音に、クロウは溜め息をつく。
「はぁ、試されるのは俺がこれまで築いてきた人間関係ってことか? いやはや、最悪、俺の繊細な心がぶち壊れそうな話だ。それと、マルコールじゃなくて、マッコールだからな?」
「はいはい、マッコールね。ま、最悪、クロウがまったく自分が信用されてない事を知って、物の見事に壊れたら、このおねーさんが優しく慰めてあげるから、安心しなさい」
「それは何ともありがたいお言葉で、涙がちょちょぎれそうだ」
半ばおどける様に応えるが、このまま言われっぱなしでは悔しいという、ある意味、少年らしい思いがクロウの心底から湧き出てくる。すると、彼の口は極自然に動き、家探しの際に発見したある代物を話題に出す。
「しかし、驚いたよな、あの説明書」
「むん?」
「まさか、身体の取扱説明書があるなんて、俺、初めて見たよ」
「確かに、私も、まさか自分自身の取扱説明書を読むことになるとは、思ってもなかったわ」
彼らが口にした取扱説明書とは、製図台に遺されていた一束の綴りのことである。
表紙に取扱説明書と古語で題されていた紙束の中には、人形についての概要の他、内部機構の簡略図、各々の機構が果たす役割、保有能力や使用できる機能といった事が丁寧な手書きで綴られていたのだ。
「でも、あの時、説明書を読んでいく内に、ミソラの顔が変わっていったのには、悪いけど、笑えた」
「私は笑えないわよ! ……確かにね、小さくて大変だろうからって空を飛べる機能を付けてくれたのは素直にありがたいと思うし、魔力を吸収する為に呼吸器官や飲食機能があるのはわかるわ。身体を動かす為に、魔力を身体の隅々まで行き渡らせる為に擬似血液や循環器があったり、食べたり飲んだりした物を魔力に分解して蓄積する器官がお腹にあったりするのだって納得するわよ?」
ここで言葉を切ったミソラは大きく息を吸い……、吠えた。
「けどねっ! まったく必要ないのに、排泄器官や生殖器まで付いてるって、作った奴に、一体、どういう意図で作ったのか! 小一時間、いえ、私が納得するか、相手が倒れるまで、問い詰めたい所だわ! 本当にもうっ! どうして、わざわざ変態共の興味を引くようなものを付けるのよっ! あれかっ! 私の身体を変態共の餌食にするつもりなのかっ! クロウっ、参考意見として、作った奴の意図を想像して答えなさいっ!」
「悪い。俺にはまったくわからん」
「くっ……、他人事だと思ってぇっ!」
ちなみに、説明書の筆跡はミソラの父親の物であり、そこに書き残されていた内容を信じる限りでは、人形の製作者もまた彼の人である。
背中から、あんのぉっ、くそ親父ぃっ、といった怨嗟の声やギリギリと歯ぎしりが聞こえてくるが、クロウは気分良く流して、通路に目を向ける。
視界に映るもの全てが白黒ということもあり、時に違和感を覚える事もあるが、それ以外は普段の彼が光の下で目にしている光景と変わらない像が映っている。現に今も、歩いている通路の果てまで見通せており、これ位、有り難い物はないなと、クロウに感謝の念を抱かせる程だ。
もっとも、これを為した当人、理不尽な現実をまた突きつけられて、再び荒れ始めた人形の少女に対しては、怒りの矛先がこちらに向かないようにする為、その気持ちを言葉には出さなかったが……。
クロウは取り敢えず、一頻り爆発して怒りが収まるまでミソラは放置しておこうと考えるのだが、そうそう彼の思惑通りには上手くは行かないようで、自身が自失状態に陥った三叉路が行く手に見えてきた。
また同じような状態になるのはかなわない為、僅かな逡巡の後、クロウはミソラに声をかけた。
「ミソラ」
「あによっ! 笑いたいならっ、さっきみたいに笑えばいいじゃないっ!」
「いや、そうじゃなくてな。ほら、俺が例の幻惑、だっけか? それに引っ掛かった場所に来たんだけど?」
「……むー、わかった。ちょっと見てみるわ」
もぞもぞと布が擦れ合う音がクロウの耳に聞こえたかと思うと、突然、彼の左肩に重みと痛みが加わり、思わず顔を顰める。
「な、なぁ、移る時は一声かけてくれ」
「男の子なんだから、それ位我慢しなさいよ。それとも、この私が、重いって、言いたいのかしら?」
「……いや、なんでもないです、はい」
どうやら、今も昔も変わらず、女に体重に関わる事を言うのは悪手なんだな、とクロウは学び取る。また一つ経験から貴重な教訓を得た少年を余所に、ミソラは首を頻繁に動かして、三叉路周辺に目を向けている。
しばらくはその状態が続いた後、ミソラは外周側の壁のある一点を見据え、クロウに指し示す。
「クロウ、私が指差している場所、削れない?」
「削れるかはわからないが、やってみる」
部屋を出る前に回収しておいたナイフを引き抜き、指示された箇所に刃を滑らせると、軽い抵抗と共に、壁の表層部分が少しずつ削れ、ぱらぱらと削り滓が落ちていく。
刃が通る事が分かると、クロウは黙々と作業を続ける。
そして、表層を全て削り落とし、次第に刃にかかる抵抗が強くなり始めた所で、ミソラが終了の声を上げた。
「うん、これ位で良いわ。もう術式は発動しないから、安心しなさい」
「ミソラがそう言うなら信じるよ。……でも、これって、どういう仕組みだったんだ?」
「簡単に言えば、一定以上の魔力を持つ人に反応して幻惑と誘惑の魔術が発動、あの部屋に誘導して、自らを生贄に魔術陣を起動させるって仕組みね」
「うぇ、えげつないな」
「確かに、他人に犠牲を強いる法術は、下法というか外法に相当するんだけど……、それだけ切羽詰ってたんでしょうね。私の記憶では、こんなことをするような人ではないもの」
ミソラはそう言うが、クロウから言わせれば、この罠によって危うく命を落としたかもしれないだけに、笑って済ませることはできない。けれども、いくら血縁であるからといっても、ミソラ自身がこれを為した訳でもないので、文句を言う事はなく、ただ黙して胸の内に不満を押し込めた。
もっとも、その押し込めた不満を間接的に解消する為か、ちょっと位は弄っても良いだろうという、悪戯心の囁きに促されるままに、返す言葉に僅かな毒を込める。
「ま、人間、追い詰められたら、どこかのおねーさんみたいに、後先考えずに、普段は絶対にやらないような事をすることだってあるってことか」
「そのおねーさんが誰かは知らないけど、そういうこともあるわよねぇ、うん」
白々しく言い逃れを図るミソラに、クロウは更に一言を付け加える。
「だよなぁ、俺が知ってるおねーさんなんてさ、倒れて意識を失ってる相手に術を掛けるんだから、本当に困ったもんだよ」
「ぅぅっ、や、やっぱり気付いてたの?」
「いや、半信半疑で、今のは鎌をかけたって奴かな?」
「はぁ……、やっぱり悪い事したら、ダメなんだなぁ」
ミソラは小さな声でそう呟くと、沈んだ顔を浮かべて、これまでで一番弱々しい声で謝罪を口にする。
「クロウ、今更謝っても許してもらえないだろうけど、勝手に術を掛けて、ごめんなさい」
この予期せぬ消沈しきった反応に対して、クロウはやり過ぎたかと少しばかり焦りながら口を開く。
「別に気にしてないさ。ミソラの置かれた状況が状況だったし、今もちゃんと恥じて反省してるみたいだしな。それに、素人の俺が破れる程度の中途半端な効果に抑えてた事を考えると、掛けるか掛けないかでも随分と悩んだんだろう? なら、俺から言うとすれば、精々、隠し事はできるだけしないでくれって所だ」
なんでもない風にクロウが言い切ると、頼るべき相手の信用を落としてしまったと落ち込んでいたミソラは、虚を衝かれたように目を丸くしてから、大いに頬を染めて口を尖らせる。
「ぬ、ぬぅ、そこまで見透かしておきながら、遠慮なく突っ込んでくる辺り、あんた、結構、性格が悪いわね」
「安心しろ、こんな風に遠慮なく物申すのは、親しい友人限定だ」
「わーいって、こんなに嬉しい親友認定を受けたのは初めてよ、くぬぉ!」
との言葉と共にミソラから軽い拳を頬骨に受けると、クロウは小さく吹き出した。
こんなやり取りを終えた後、クロウとミソラは工房内でも話していた内容、クロウが探している人物がどこにいるかについて、小声で話しながら、何らかの形跡がないか、地下四階を縦横に走る通路を歩いて回る。
「ミソラ、実際に見た感じ、この階にいる可能性はあると思うか?」
「ざっと見た限りだと、いないと思うわ」
「そう考える理由は?」
「うん、この施設の動力はだいぶ前に死んでる事と、そこらの部屋に入る為には扉を破壊する必要があるのに、破壊された扉を見かけない事かな。この二点を踏まえて考えると、どこかの部屋にいるってことはないと思う。それに、そもそもの話、床にちょっとだけ残ってた足跡にしても、クロウの物以外は砂を被ってる物ばかりだったから、この階に入った可能性自体が低いんじゃないかな?」
なるほどと頷くクロウであったが、ある疑問が頭に浮かび、自分の左肩に座り込んでいるミソラに問いかけた。
「なぁ、施設の動力が死んでるのに、どうしてさっきの扉は開いたり閉じたりできたんだ?」
「それはね、私の魔力を代用して動かしただけの事よ」
「代用? ……魔力って、そういう使い方もできるのか?」
「魔術士ならできて当然、とまでは言わないけど、術式の基本や術語を覚えていれば、それなりに応用できるのよ。今の魔術士はしないの?」
「そういうのは聞いたことがないなぁ。……ま、俺が知らないだけかもしれないけど」
ミソラはその言葉を聞くと調子を取り戻しつつあるのか、澄ました顔で言い放つ。
「クロウが知らないだけに、一万ドクラマ」
「なんとなく馬鹿にされてる事だけはわかるんだが……、ドクラマってのは何だ?」
「昔、読んでた漫画に出てた架空のお金」
「おい、架空のお金って、もしかして、実物の金に縁がなかったのか?」
「多分、クロウよりかは縁があったと思うわ」
といった具合に、途中からはじゃれ合いめいた言葉の応酬に変化してしまったものの、探索の足は止まる事はなく進む。
その結果、ミソラが先に言っていた通り、特に捜索対象者に関わるような形跡を見つけることができないまま、地下四階全域を探し終えた。
「ほら、言った通りでしょ」
「はいはい、頼りになるおねーさんだな」
予測が当たって胸を張るミソラに投げやりな賛辞を贈ると、クロウは外周通路の一画で発見した、自身が下りてきた物とは別の階段へと向かう。
そして、先の階段よりは一回り小振りな出入り口より慎重に覗き込み、直近に脅威がいない事を確認すると、上下階に続く階段前に立った。
「上、下?」
「取り敢えず、下から行く」
「私が見てこようか?」
「いや、ミソラはここで上を警戒してくれ」
「わかった。何かあったら、声を出すわ」
「ああ、頼む」
ミソラがクロウの肩から階段の手すり部分へと器用に跳び移るのを見届けると、クロウは忍び足で階下へと向かう。これまでの探索と異なって視界が確保されている為か、その足取りは滑らかで惑いがない。
こうして周囲が見えるのもいいけど、誰か一人いると安心感が格段に違うな、との思いを胸の内に抱きつつ、クロウは早くも途中の踊り場まで至り、地下五階の出入り口を窺う。
白黒に映る出入り口は先の階段と同じく扉で閉ざされており、脅威になりそうな存在も見当たらなかった。
そのことに安堵しながら、彼は更に足を進め、扉に手を掛ける。が、やはりと言うべきか、ここの扉も動くことはなく、固く閉ざされていた。
クロウは彼の人物が地下五階に入り込んだ可能性が消えたと判断すると、物音が経たない程度の速さで、ミソラが待つ地下四階に戻る。
「どうだった?」
「扉が閉まってた」
「なら、上ね」
「ああ」
そう応じながら、クロウが手をミソラが立っている手摺りへと差し出すと、心得たようにミソラが跳び移り、所定の場所とも言うべき彼の左肩に戻って腰掛けた。
「落ちるなよ?」
「そこまで鈍臭くないわよ」
短いが遠慮がないやり取りの後、少年は上方に目を向け、自身とミソラの息遣いを耳にしながら、足を忍ばせて階段を昇っていく。
例の如く、途中の踊り場で止まって先の様子を確かめると、上方に続く階段は地下三階で終わっており、出入口が口を開けていた。
工房内でミソラと話し合った末に導き出した推定では、捜索対象者は地下三階にいる可能性が大だと出ていたこともあり、クロウは腹に力を入れ、同時に余分な力を抜く為に大きく息を吐き出した。
ミソラは少年が纏う雰囲気が変わった事に気付くと、その引き締まった横顔を見つめて、静かに口を開く。
「クロウ、緊張してる?」
「ああ、緊張してるし、蟲がいるかもしれないと考えると、正直、怖い」
「それがわかってるなら、大丈夫ね。私もちゃんと助けてあげるから、気合入れていきなさい」
「了解、おねーさん」
己が発した茶化した声の返答として、ミソラからの軽い拳を頬に受けると、少年は高鳴り始めた心臓をそのままに、階上を目指して進み始めた。
階段を出た先、二本の通路の起点とも言える一端に立つと、クロウはそれぞれの先まで見通す。
地下三階は地下四階と似た造りのようで、直線の外周通路とそれに面する壁に扉が多数設えられていた。
クロウはその内の一方、階段出入り口より真っ直ぐに続いている通路に足を踏み出し、息を呑んで聞き耳を立てながら、時に足元や背後に目を向けたり、空いた手で壁や扉に触れたりして、慎重に進んでいく。
だが、心もとない光を頼りに、たった独りで歩いていた時と比べると、彼の心は段違いに落ち着いている。言葉を交わして相談や雑談ができたり、魔術を扱ったりと、色々と手助けしてくれる相方の存在が、彼に精神の余裕を与えているのだ。
別の通路と出会う三叉路に差し掛かった今も、奇縁を経て出会った彼の相方が物陰より僅かに突き出した右の掌に乗って、見えない先を探ってくれている。
「どうだ?」
「うん、見える範囲だけど、何もいないわ」
「先は? 直線の通路か?」
「いいえ、見たらわかると思うけど、ちょっとした広場があるみたいよ」
それを聞いたクロウもまた、曲がり角より顔を覗かせて、先を見る。通路の先には、ミソラが言う通り、開けた空間が広がっていた。
「確かに広場みたいだな」
「うん、なんか、植木があったような跡も見えるし、待ち合いか休憩用の広場だと思うわ」
「へぇ、今も昔も変わらないってことか」
「ふふ、そりゃそうよ。人類自体が断絶した訳じゃないんだからね」
面白そうに笑うミソラに、クロウも違いないとばかりに苦笑を返すと、右手を左肩の手前まで持っていく。ミソラは心得た様子で軽やかに跳び移ると、その甘い声で少年の耳に囁きかける。
「で、どうするの? このまま進む? それとも広場に行ってみる?」
「……初めて見たもんだし、広場に行ってみるか」
いい加減、似た光景が続く事に飽きていたこともあり、クロウは広場へと足を向けた。
そう遠くない事もあって、特に問題もなく、かつて人々が憩いの場としたと思われる場所に到着すると、彼は素早く視線を開けた空間に走らせる。
まず目に入るのは、広い空間を支えているであろう数本の太い支柱。ついで、一定の間隔で設けられ、広場を区切る役目を果たしている直方体の大型植木鉢。そして、仕切られた場所に幾つも並んでいる長椅子である。
「待ち合いって感じだな」
「そうね。……クロウ、あの支柱に近づいてみて」
「わかった」
ミソラに求められるままに、クロウが数ある支柱の一つに近づくと、幾つかの矢印と共に記号らしき文字の羅列が刻まれたプレートが打ち付けられていた。
「読めるのか?」
「一応ね。これによると……、ここがN一六区画って所で、この通路をあっちに行けばN一五区画、反対に向こうに行けばE〇一区画って所に行くみたいよ」
「って事は、別の場所と繋がってるって事か?」
「え、知らなかったの?」
「ああ、余所と繋がってるって話は聞いた覚えがない。……いや、もしかしたら、市や組合が意図的に隠してるか、潜ってる連中が秘密にしているだけかもしれない、か?」
情報が出ていない理由がわからず、クロウは顔を顰めるが、ミソラは特に気にすることなく、更に自らの意見を述べた。
「今の情報がどういう扱いになっているのかは知らないけど……、案外、クロウが言ってた遺構って、ほぼ全てが、こんな風に繋がってるかもしれないわね」
ミソラの意見を聞いたクロウは思わず顔を押さえてよろめく。それが本当だった場合、探索範囲が広がることに加え、甲殻蟲に遭遇する確率も高くなったことに気付いた為だ。
「ちょっと、大丈夫?」
「なんて言うか、心が折れそう」
「何言ってんのよ、ここが踏ん張り所でしょ。男はね、これ位の事は鼻歌交じりで乗り越えられるようにならないと、いい男になれないわよ?」
「……うへぇ、慰めの一言もないとは、厳しいおねーさんだこと」
ミソラの叱咤に応えるべく、クロウはあえて減らず口で返事をし、萎えかけた心を立て直す。あまり表立たない年頃の少年としての負けん気や意地とも言える物に火がついたのだ。
満身に力が戻るのを自覚すると、クロウは半ば独語めいた言葉でこれからの方針を口にする。
「とりあえず、新しい足跡がないか、探すとするか」
「そうそう、その意気よ、頑張んなさい!」
当たり前の様に返ってきた小気味良い反応に、なんとなく気恥ずしさを覚えたクロウは黙して頷き返し、感覚で覚えている地上に繋がる階段がある方向に歩き出した。
「ん? んん? ……クロウ、もしかして、照れてる?」
「ば、ばっか、そんなことないよ」
ミソラは出会ってから初めてとも言えるクロウの少年らしい姿を見ると、とても人形とは思えない生気に満ちた顔に、表面的には輝いて見えるが、その内実には多分に悪戯心が含まれた笑みを浮かべて、更に言い募る。
「またまた~、無理しちゃってぇ。ほれほれ、優しくも頼りがいのある、このおねーさんに励まされて、嬉しかったんでしょ。素直になんなさい」
「ないない、それはないって」
「あぁ、なんてことなの。あんなに素直だった可愛い男の子が、こんな捻くれてしまったなんて……」
「いや、勝手に話を作るな。ついさっき、顔を合わせたばかりだろうが」
「ふふ、そうそう、こんなちょっとした冗談に突っ込みを入れられるんだから、あなたは大丈夫よ。だから、自信を持ちなさいって」
左肩に乗っている少女から上手い具合に話を締められてしまい、言葉を返せなくなったクロウは、これ以上のやり取りは恥の上塗り、無粋が過ぎると、上手く丸め込まれてしまって悔しさを感じている己自身に言い聞かせながら、意識を周囲の床面へと向ける。
入り込んだ砂塵や埃が降り積もっている床には、僅かばかりの足跡が見える。そのほとんどは新たな砂塵を上に積み重ねているのだが、一つだけ目立って刻み込まれている新しい足跡があった。
「見つけた」
「みたいね」
ようやく手掛かりを掴み、クロウの心は俄かに奮い立つ。が、その足跡が待ち合いを横切る大型通路のE〇一区画とミソラが言い示した方向に消えているのを見て、一気に醒める。
「先は長いかもしれないわね」
無情に響き渡ったミソラの呟きに、今度は心揺れることなく、クロウは静かに頷き返し、残された足跡を追って歩き始めた。
E〇一区画に繋がると思われる通路は十九番遺構内の通路よりも一回り大きく、すれ違う人が楽に行き来できる程の幅を持っていた。
そんな通路の床に薄く広がる砂塵の上に刻み込まれた足跡は、奥に向かって、ただ真っ直ぐに続いている。
一定間隔で残された足跡を追ってどれ程歩いたのか、クロウ自身も分からなくなってきた頃、行き先に開けた空間が見えてきた。
それと時を同じくして、彼の鼻がほんの微かに鉄錆びた臭いを嗅ぎ取り、その表情を硬くする。
「クロウ、この臭い……」
「ミソラにもわかるか?」
「ええ、嗅覚も律儀に働いてるわよ。それよりも、気をつけなさいね?」
「ああ、わかってる」
クロウはミソラと小声で言葉を交わした後、左手に閃光弾を、右手にナイフを持ち、より一層慎重に足を運び、開けた空間に近づいていく。
やがて通路は終り、彼は開けた空間に入る。
その場所は十九番遺構にあった待ち合いに似た造りをしていて、大型の支柱や直方体の大型植木鉢が立ち並ぶ他、エフタ市内にある商店街で見られるような間仕切りが壁際に並んでいた。
それらを見て取った後、クロウが再び足跡に目を向けると、通路から外れて、左側の壁際にある間仕切りに向かっていた。ここら辺で物色したのだろうと考えながら、クロウは後を辿る。
徐々に、嗅ぎ取れる血の臭いが強くなっていく。
同時に、クロウの鼓動もまた激しくなっていく。
自然と息を詰めて、緊張を押し殺しつつ、足跡が消えた曲がり角……、広場に繋がっている通路に迫り、彼は気が付いた。
その通路より、これまで追ってきた物とは異なる足跡が、それも最近になってできたと思われる足跡が現れて、別方向に消えていっている事に……。
「あれ……、別の?」
ミソラの呟きに合わせる様に、その足跡が意味することは何かと、瞬間、少年の思考が働きかけるが、彼の身体が曲がり角に迫ると立ち消えていく。クロウが沈黙したままだった為か、ミソラもそれ以上は口を出すことはなかった。
そして、クロウは角の陰から通路を覗き込み……、声にならない声で呻く。
彼が目を向けた先に、そう離れていない場所に、人が一人、自らが生み出した黒い染みの上に倒れ伏していたのだ。
一瞬にして、顔をこれまでにない厳しい物に変じさせたクロウに、ミソラが強張った声で恐る恐る尋ねる。
「……死んでる、のね?」
「ああ。ミソラ、見れそうにないと思ったら……」
「いえ、大丈夫よ」
「……無理はするなよ?」
「ええ、話を聞いた時に覚悟していたから、心配いらないわ」
左肩から聞こえる声が平静さである事を確認すると、クロウは鉄錆びた臭いが一層強くなる中、通路の中央にある遺体に近づいていく。
だが、近づくにつれて、遺体を見た瞬間に、彼の中で生まれていた違和感が大きくなっていき、遂には疑問となって口を衝いて出た。
「おかしい」
「何が?」
「これだけの出血なのに、まったく喰われてない」
直近で見下ろした遺体に欠落はなく、床に広がる黒い染みが見えなければ、うつ伏せに寝ているのでは思わせる姿なのだ。
「それって、甲殻蟲って奴にやられたんじゃないってこと、よね?」
「そう、なるよな」
クロウは慎重に膝をつき、遺体と周辺に満ちた濃厚な死の気配に恐怖を抱きながらも、顔を改めるべく手を差し出す。生の鼓動を失って時間が経っている為か、その身体に強張りはなく、すんなりと動かすことができた。
そして、目に入れた青年の死に顔には、苦痛と疑問、それに口惜しさが混ぜ合わさった表情が浮かんでいた。
半目の状態だった青年の瞼を閉ざしながら、少年は組合の支部で見かけた青年の帰りを待つ幼い少女の事を自然と思い出し、心が沈む。その彼の心情は表情にも浮き出ており、厳しさの中に哀しみが宿る。
だが、傍らの少女はそれを良しとしなかった。
「クロウ、シャキッとしなさい。この人が最期に残した想念に引き摺られてるわよ」
「最期の想念か……、確かにそうかもしれないな」
「ええ、哀しみを共感するのは構わないわ、人間だもの。……でもね、今、あなたがいるこの場所は、そういったことができる場所だった?」
クロウはミソラの厳しい言葉に僅かな反発心を抱くも、その内容は真っ当であった為、ただ黙して頷き、死に至った死因を確かめるべく、身体を引っ繰り返した。
その結果わかったことは、死因が胸の心臓部を抉り穿つ穴と喉に強烈な裂傷があると思われる事と、人の急所を的確に狙っている上に捕食されていない事から甲殻蟲ではなく人に殺されたという事、着衣や所持品の類を荒らされた形跡がない事から強盗目的ではないと思われる事であった。
「どうして人に、って奴だよなぁ」
そう呟いたクロウは知らない内に重い溜め息をつくと、故人が所持していたカバンの中から手拭いを取出し、首の傷口に巻きつけて縛る。
「とりあえず、この人を連れて帰え……、どうかしたか、ミソラ?」
「静かにっ」
と、語気鋭く言われた事で、クロウは言葉に詰まり、疑問顔を浮かべるが、ミソラは構うことなく、自身が聞き取っている事を口に出す。
「クロウ、何か、聞こえてくる。これは……、何か固い物が、擦れ合うような音、かしら?」
その言葉の意味を理解した瞬間、少年の顔から血の気が引く。
「どっちからだ?」
「う、ん……、多分、正面……、だと、思う」
言われるまま、クロウが広場より延び出ている通路の先に目を凝らすと……、通路の最奥に、見た目だけで人の恐怖を誘う恐ろしい存在を認めた。
クロウにとっても、その存在は忌々しい思い出と共に恐怖の体現として記憶に焼き付いているだけに、早くも鳥肌が立っている。
「ラティアだ」
「あれが……、な、なんていうか、く、クロウが怖がる理由が、本能的にわかったわ」
真正面に見える甲殻蟲ラティアは、無機質めいた巨大な複数の目や鎌のような牙が目立つ頭部とその頭部上方に生えた数本の巨大な触角を頻繁に動かしながら、広いはずの通路を狭く感じさせるように、節くれ立った太い複数の足を連動させて、ゆっくりとクロウ達がいる方向に近づいてくる。
「臭いに釣られた来たって所か?」
「どうするの?」
「この距離なら何とか運べるかもしれないが……、いや、最悪を考えて、所持品だけでも持って帰れるようにしておこう」
ミソラに囁き声で応じながら、遺体が付けていた首飾りを取り、故人のカバンに放り込んだ所で、クロウは前方から聞こえてくる物以外の音に気付き、後方を振り返る。
一直線に延びている通路の向こうから、ついさっき確認したものと同種の蟲が近づいてきていた。
「不味い。ミソラ、後ろからも来てる」
「えぇ、って、クロウ、そ、それだけじゃ、ないみたいよ」
「な……に?」
クロウがミソラの視線の先に目をやると、十九番遺構に繋がる通路の脇道より、長く延び出た触角が垣間見え、耳障りな音が大きく聞こえてくる。
「くそっ、どこに潜んでいやがった。それとも、蟲のくせに、罠でも張ってたってのか?」
「偶然よ。それよりもクロウ、ぼうっとしている暇があるなら、どうするか決めなさい」
「……この人には悪いが、置いて逃げっ!」
遺体を置いて、速やかに退散しようと考えたクロウを嘲笑うように、地下の空気を大きく震わせる爆音と振動が走り抜けた。
* * *
その瞬間、シャノンは何が起きたのか、わからなかった。
気が付くと、大きく弾き飛ばされて、強く床に叩きつけられたのだ。
耳と背中、打ち付けた箇所に痛みを感じながら、いったい何が起きたと混乱するシャノンを尻目に、続いて発生した粉塵で目を開くことも呼吸をすることも難しくなる。
何も聞こえず、何も見えず、息もし難いという状態に陥り、場の状況を把握できない若年の魔術士の頭には、何事だ、という疑問だけがひしめき合い、そこから押し出された動揺と混乱が身体を震わせる。
そのような混乱の最中にあって、身体の各所に生じている痛みと口内に広がる血の味が、ただ今の状況が厳然たる事実であることをシャノンに付きつけていた。
砂塵と粉塵に塗れた顔を目や鼻を守る為か、知らず内に涙と鼻水が流れ落ちていく。
シャノンは涙の熱さと鼻より伝う冷たい感触を感じることで、ようやく我を取り戻し始めると、まずは周囲に立ち込める粉塵を何とかしようと、小声で魔術語を紡ぐ。
「EL……、Fg-Ql-Vt、Il-Wol……、FmAi-Vt-Wl Od、DOMA」
詠唱の音律や拍子が不完全であった為か、シャノンの周囲に巻き起こった風は弱く、粉塵を吹き飛ばすまでには至らない。だが、風に含まれていた水気によって宙を漂っていた粉塵は地に落とされ、その量を少なくした。
幾分は呼吸が楽になった事で心身に少し余裕ができたシャノンは、今に至る前の状況を思い返していく。
先日から引き続き予備調査を行う先行調査班の一員として、地下二階で調査を行っている本隊に先駆ける形で、地下三階で壁面にあるプレート等の文字を書き写す作業をしていた。
幾つかのプレートを書き写した所で、上階にいる本隊の様子を見に行くと言った上司であるサラサウスを階段まで見送りに行き、また調査の続きをしようと元いた場所、地下三階で最も広い空間で待ち合いと推測される場所に戻った。
そして、作業を再開しようと書き取り用の紙を準備した所で、突然、後ろから爆音と共に強力な圧力を受けて、前方に飛ばされた。
こんな具合に順を追って思い返すことで、シャノンは床に投げ出される直前に爆音を耳にしたことを思い出し、自分が何かの爆発に遭遇して吹き飛ばされたことを理解する。
シャノンはこうなった原因を知ると、今度は今がどういう状況なのかを知るべく、痛む身体に鞭打って上体を起こし、涙で潤んだ目を細くして周囲を見回す。
未だに立ち込めている粉塵に加え、つい先程まで遺構内を明るく照らしていた照明器はその大部分が光を失っている事もあって、目に見える光景は限られている。
だが、シャノンが元いたと思われる場所は辛うじて見ることができた。
その場所には崩落か爆発の影響による物か、大きな瓦礫が自分が主とばかりに鎮座していた。
自然、もしも弾き飛ばされていなければ、という想定が思い浮かび、シャノンは背筋に怖気を走らせる。
シャノンが独り身体を震わせていると、他の班員達はどうなったのか、という疑問が頭をもたげ、次の瞬間には大声で叫ぶ。
「皆っ、大丈夫ですかっ!」
できる限り大声を出したつもりだが、その声に応える者はなかった。急に心細さを感じて、シャノンは歯を食いしばって立ち上がるともう一度呼びかける。
「誰かっ! 返事をしてくださいっ!」
だが、応じる声は聞こえない。否、自身が発する声と鼓動の音以外の物音が聞こえなかった。
シャノンは返事どころか何も聞こえない事に動揺するが 一欠けら残っていた冷静な部分が、耳が麻痺している事を思い起こさせると、心の揺らぎが若干緩む。
心が落ち着き始めるのを待っていたかのように、シャノンの耳は耳鳴りの中に僅かな音を拾い上げ始める。
「いた……、い」
「た……て、く……れ」
シャノンは痛みに呻く声が聞こえる方向に向かおうとするが、平衡感覚が若干狂ってしまったのか、覚束ない足取りになったことに加え、撒き散らされた瓦礫と立ち込める粉塵もあって、思うように進めない。
その間にも聞こえてくる声は弱くなり、聞こえなくなっていく。
わかりたくない現実に衝撃を受けながら、シャノンが何とか空間を遮る大きな瓦礫の一つに近づいた所で、強く臭う血臭と瓦礫や壁面に付着した血痕という凄惨な光景を目にして躊躇する。
それでも、調査団の一員としての義務感が個人としての恐怖心を上回り、救護を行う為に瓦礫の奥へと踏み込んで、瞬間、自失した。
「あ……、あぁ……」
かなり強く叩きつけられたのか、頭の背後の壁面に血飛沫を散らしている者が、腕を中程から切断され、そこから流れ落ちた血の海に倒れ伏した者が、大きな瓦礫に下半身を押し潰された者が、外傷がないにもかかわらず、ピクリとも動かない者が、そこにはいた。
声にならない声が漏れ出ると、シャノンは彼らに駆け寄り、応急処置を施そうとするが、既に息がないか、手の施しようがなく、力尽きていくのを見ているしかなかった。
シャノンは目前で静かに息を引き取った調査班員の前で膝をつき、己の無力さに涙する。また、許容を超えた心への負担がその顔から表情を殺し、その口から謝罪の言葉だけを連続して紡がせる。
「き、貴様っ、話が違うぞっ!」
突然の怒声が、無力感に苛まれるシャノンの耳に届く。
それが生者の声である事に気付き、シャノンは助けを求めるべく、声が聞こえた階段方向へとふらふら歩き出す。途中で何度か転び、紺色の外套を汚すが、それに頓着することはない。
幾度目かの転倒の時に、巨大な瓦礫に潰された一機のゴラネスに気付いて、声を掛けるが……、応えはなかった。
その事実がまた、シャノンの心を抉る。
何故、彼らが死に、自分が生き残っているのかと……。
答えが出ない問いに苦しめられながら更に歩いていくと、元からあまり照明が用意されていない場所……、階段に繋がる通路があった場所で、崩落したと思しき瓦礫に半ば以上は埋もれているラケ・ゴラネスが目に入った。
それと同時に、今に至るまで一度も見たことがない黒い外套を着込んだ人物が、埋もれた魔導機の前に佇んでいる事にも気づく。
シャノンはどういう状況かは分からずとも、その場に尋常ではない空気が満ちている事は感じ取ることができた。
黒外套の人物は動けないラケ・ゴラネスに近づくと、懐より小さな箱を取り出して胸の部分に置き、離れた場所で立ち尽くすシャノンへと顔を向ける。
シャノンが見て取った顔には、一つの巨大な赤い眼が……、いや、顔の上半分を覆う暗視装置があった。
そして、その暗視装置を通して向けられた気配は、シャノンの危機感を大いに刺激し、助けを求める声を発せさせる事もなく、一番近くにあった通路に向かって駆け出させた。
「くそっ、たばかっっっ!」
年若い機士の叫びを遮る爆発音を後ろに聞きながら……。
* * *
「報告っ! 爆発の影響で、地下三階に繋がる出入口が瓦礫で閉ざされております! また、再度の爆発も確認しましたっ!」
「階段に詰めていた、マシウス分隊のボガードはどうだった?」
「ボガードは無事です! ですが、破片を喰らい、機体左腕の追従機が故障しております!」
「ふむ……、ボガードを引き上げさせろ。奴を私の分隊に臨時編入し、船に退避する人員の護衛に当たらせる。また、ゲンプと貴様の両名を分隊指揮下より外し、救出作業班とする。階段に留まり、瓦礫の除去に当たれ。現場指揮はゲンプに委ねる」
「了解!」
地下二階の大部分を占める大空間の中央に立つアルベールは、救出作業班に当てた部下のゴラネスが階段に向かったのを見届けると、数人ずつに分かれて地上に向かう本隊所属の研究員達に視線を向ける。
突然発生した爆発で動揺しているのか、地下一階と繋がる斜路を昇っていく動きは彼の想定よりも鈍い。
だが、それに対して、特に文句や愚痴を言う事はなく、青年機士は自身の傍らで顔面蒼白になっているソーンに話し掛けた。
「副団長殿にも、そろそろ退避して頂きたいのですが」
「……ですが、まだ、三階に、残っている者がいます」
責任者としての意地なのか、今にも倒れそうな顔色でありながら、眼鏡の奥に不退転の意思を浮かべて、動く気配を感じさせない。
線が細いと思っていた青年の気丈な姿に、アルベールは少しばかり感心しながら、現実的な側面を口にする。
「現状、部下に瓦礫の除去を進めさせておりますが、それが終わらぬ限り、階下の者達の救出は望めません。また、先の爆発を感知した蟲共がこの遺構に迫って来ている可能性が大です。調査団全体の責任者であるからこそ、副団長殿には、早急に、安全なルシャール二世号に戻って頂きたい」
「わかっています。ええ、わかっているのですが……」
理ではわかっていても、心が納得していないのだろうと察し、より実情に沿った言葉を述べる。
「はっきりと申しましょう。今、この場に副団長殿が残っても、警備に手を取られるだけです」
「……申し訳ない、アルタス卿。あなたが言う事もわかるんです。ですがっ、……ですが、私にも責に……、いえ、確かに、これ以上、手を煩わせるわけには、いかないですね。……最終組で、船に、戻ります」
ソーンの歯を食いしばっての言葉に、アルベールはただ頷き、階段部より引き上げてきた機兵に声を掛ける。
「ボガード! 貴様は最終組の護衛に当たれ! 船に戻った後は、ボーマンの指揮下に入り、船を守れ!」
「了解っ!」
粉塵に塗れたゴラネスは動く右手を上げて、了解を示すと集合している最終組へと近づいていく。
「副団長殿」
「ええ、それでは、後をお願いします」
「わかりました」
そして、ソーンもまた最終組へ向かって歩き始めた。
その肩を落とした後姿を確認すると、アルベールは眉間に皺を寄せ、駐機状態にしていた自らの機体に戻って再搭乗を開始する。
「結局、防げないとは……、我ながら無様なものだ」
前面装甲部を閉ざす途中、そう小さく独語するアルベールであったが、事はまだ終わってはいなかった。
「ッ!」
外より響いてきたのは、先程耳にしたものに似た爆音。
地下二階にいるにも関わらず聞こえてきた事から、爆発の規模が大きいと判断し、アルベールは皺を更に深く刻ませた。
だが、決断に時間を掛けることはなく、直ぐに拡声器を通して、階段部で作業している部下達に指示を伝える。
「ゲンプっ!」
「……へぃっ! 隊長っ!」
「外で事が起きたっ! 私はこの場を離れるっ! よって後詰はないっ! 留意せよっ!」
「……了解っすっ!」
返ってきた了解をしっかりと聞き取ると、アルベールはラケ・ゴラネスを駆けさせる。
重厚感のある見た目に反し、ラケ・ゴラネスは搭乗者の動きに良く反応し、混乱している最終組を置いて斜路を上り、地下一階の広大な空間で蹲ってしまっている者達を抜き去り、部下が警戒している地上と繋がる斜路をも一気に駆け上る。
到達した地上で眩い光と突き抜ける蒼さを感じて、思わず顔を顰めるアルベールであったが、聞き知った声を耳にした事で、すぐさま意識を周囲に向ける。
「アルタス隊長っ!」
「ボーマン、何事だっ!」
「ルシャール二世号の左舷船腹で爆発が発生っ! また、蟲共の影も見え始めましたっ!」
その言葉にアルベールは船の左舷側と周辺の砂海に、素早く視線を走らせる。
ルシャール二世号の左舷船腹の前方では煙が上がる穴を、また周囲の砂海では複数の足を動かして迫り来る数個の赤い存在、大砂海に住まう甲殻蟲ラティアを、それぞれ認めた。
「……ボーマン、貴様ら三人は上がってくる人員を収容しきるまで、退避路及び斜路を死守せよ。それと、退避してくる非戦闘員を収容した後は、速やかに斜路を上げるようにエイブル船長に伝えよ。我々は地上に残り、船と遺構に接近する蟲を全て駆除する、ともな」
「了解でありますっ!」
甲殻蟲の襲撃を受けるという危機に瀕しているにもかかわらず、アルベールの言葉に応じた機兵の意気は高い。
戦友の頼り甲斐ある反応に、少しばかり気が晴れたアルベールであったが、これからの戦闘とそれ以後に考えられる事態を思い、表情を引き締めた。
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