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魔導黎明記  作者: 綺羅鷺肇
8 早乙女は深窓で憂う
69/96

五 紡がれるもの

「……おはよー」


 扉が開く音と同時に、張りのない声が居間に響いた。

 先に部屋にいた女……ナタリア・ルベルザードが書き物をしていた手を止めて振り返ると、眠たげな顔をした娘が気だるげな様子で入ってくる所であった。


 彼女は娘のピンとはねた後ろ髪に思わず笑みをこぼして、挨拶を返す。


「おはよう、リィナ。寝癖、ついてるわよ」

「んー、あとでなおすー」

「朝食は?」

「たべるー」


 ならば用意をと母親は立ち上がる。それと入れ替わる形で、リィナが大きな食卓の母が座っていた席の向かいに座った。そしてそのまま上体を倒して、だらしなく身を預けるや頬を木目美しい卓にひっつけて、それきり動かなくなった。


 ナタリアは居間と連なった台所……対面式になった調理場より伏した娘を認め、旬毎のモノが来るには早いはずだがと首を傾げた。


 とはいえ、それも一瞬のことで、その手は調理を始める。

 大きな食器棚から簡素な平皿二枚と陶杯一つを取り出して調理台に乗せると、換気扇と魔導調理炉(コンロ)を作動させる。そこに柄付浅鍋(フライパン)を置いて油を引いた後、保管箱からテパーズ(葉物野菜)を取り出して軽く水洗い。水を切ると手で千切って皿の片方に盛っていく。

 そして、小さな冷蔵庫から油紙に包まれた塩漬け肉(ベーコン)の薄切りと陶瓶に入ったニニュの卵液を取り出す。薄切り肉は三枚ほどをテパーズに添えて片付け、卵液は薄っすらと白煙が上がり始めた浅鍋に適量を流し込む。


 沸き立つ音と共に油の匂いが広がった。


 微かに口元を緩めて、香草と塩を一撮みずつ落とし、香辛料の小瓶を振るう。それから調理具(へら)を手にして、焼き固まっていく卵液を手早く、それでいて程々に掻き乱す。ついで柄を持って浅鍋全体を揺らし、絶妙な力加減で為された手首の返しでもって中身(卵焼き)を引っ繰り返した。


 上出来と言わんばかりに、目尻に浅い皺が走る。

 そんな楽しげな風情のまま、浅鍋を盛り付け途中の皿の上に運び、卵焼きを落とし込んだ。


 立ち上がる湯気と香気。


 洗い場に浅鍋を置き、パン置き棚から小振りの白パンを二つ取り出して、もう一方の空いた皿に乗せる。


 完成だと母親は微笑み、娘に告げた。


「リィナ、取りに来なさい」

「……わかったー」


 幾ばくかの間があってから、またもや気の抜けた返事。

 もしかして調子が悪いのかしらと、ナタリアは不安に思い始める。けれども、手は止めず、更にフォークを皿に置き、水差しを傾けて陶杯に水を注ぐ。


 だが、そこまでしても娘が席から立ち上がった気配はなかった。


 ナタリアはもう一度話し掛ける。


「どうしたの? もしかして調子でも悪いの?」

「……あ、ううん、ごめん。ちょっとぼーっとしてた」


 リィナは返事と共に立ち上がり、目をしばしばさせながら調理場へ手を伸ばして朝食を受け取る。そんな少女の目元には微かな隈。ナタリアもそれに気付き、少しばかり呆れた色を滲ませて口を開いた。


「なに、夜更かしでもしたの?」

「あー、隈ができちゃってる?」

「ええ、それなりに濃いのがね。駄目よ、しっかりと寝なくちゃ」

「あはは、昨日はちょっと、寝つきが悪くって」


 リィナは原因を追究されることを避けるべく、あえて軽い調子で笑う。


 これに対して、彼女の頼れる母親は少し悪戯な笑みを浮かべて応えた。


「あら、昨日って、寝つきが悪くなるようなことがあった?」

「え? ……別に、そういうことはなかったかな」


 更なる追及に、黒髪の少女は咄嗟に嘘をつく。


「本当に?」

「うん、本当。たまたま、そういう日だったのかも」


 考える前に口が勝手に動いての、空事(強がり)


 リィナは受け取った皿を食卓に置き、なんでもない風を装って席に着く。それから食前の祈りをしようと両の手指を組んだ。


 その時、不意に、前日の光景が……、夕陽に向かって立ち去って行く魔導機と、それについていく女の後ろ姿が頭をよぎる。


 思わず眉間に皺が寄った。

 彼女の心境は困惑が六割、心配が二割、寂しさが三割に好奇が一割、そして八割以上の鬱憤。合わせると十割を超えてしまうが、それが今の彼女を支配する思い。そう、彼女を不眠に追いやった自らの内に収まりきらない思いである。


 少女は表情もそのままに、取り敢えずは白パンを勢いよく引き裂いて口に放り込む。


 そこに母が水杯を持ってやってきて、自然な風体で訊ねてきた。


「そう言えば、エンフリード殿を遊びに誘うっていってたけど、結果はどうだったの?」


 少女は口内のパンを芳香と共に呑み込むと、鬱々とした声で答える。


「だめだった」

「あらそうなの? おかしいわね、一昨日、ジークがそれとなく聞いたら用事はないって言ってたのに」


 元の席に座ると、母親は首を傾げた。

 この呼び水に誘われるように、リィナは口先を少し尖らせて話し出す。


「うん、だから誘いに行ったんだけど先客の人っていうか市軍の人がいてなんか話してたみたいだから兄さんと話して待ってて話が終わったらすぐに行って誘おうとしたんだけど突然なんか知り合いらしい女がやってきたと思ったらなんか責任云々って言って泣き始めたから人が集まり始めてクロウがうんざりしたっていうか頭痛そうに額押さえながら顔引き攣らせてその女を連れて帰っちゃったから誘えなかったのよ」


 途切れることなく口早に放たれる言葉。

 それを為す少女の顔は先程までの眠気がどこかにいってしまったように、不機嫌さが前面に出ている。


 これまで見た覚えのない娘の様子に、ナタリアは少々面食らいながらも大凡の事情を察して笑った。


「ふーん、つまり別の女にエンフリード殿を横から掻っ攫われたのね」

「う」


 リィナは痛い所を突かれたように呻くと肩を落として頷いた。その表情は落ち込み半分悔しさ半分といった様相である。


 母親は感情豊かな我が子を愛しく思いながらも、どこか面白がるような顔で口を開く。


「それで、どうするの?」

「……どうって?」

「もちろん、エンフリード殿を誘うことよ」


 リィナは言葉に詰まる。

 遊びに誘いたい気持ちとあの女が引っ掛かって気になってしまう心、あちらの事情に踏み入っていいのかと考える慎重さとこのまま引き下がりたくない意地、女として選ばれなかった悔しさとこちらを優先させたい独占欲、年頃の少女らしい臆病さと生来の勝気な気質といったモノが一緒くたに溶けあった感情は、答えを容易に出させない。


 フォークを卵焼きに突き刺したまま唸る娘に、ナタリアは追い打ちをかけるように続けた。


「なんなら、私がそれとなく事情を聞いてきてあげるわよ?」

「……それはしなくもいい。ちゃんと自分で聞くから」

「そう?」

「うん、これは私のことだから」


 そう応えた少女であるが、顔を渋めて唸り続けている。


 ナタリアは柔らかく微笑んで娘を見つめていたが、卵焼きの湯気が消え始めたこともあって再び口を挟んだ。


「わかった。けど、最後に一つ二つ言わせてもらうわよ」

「うん?」

「色々と考えて悩むのは構わないけど、食べる時はしっかりと食べなさい。後、身嗜みは人としての最低限の心得なんだから、普段からしゃきっとすることを意識しなさいね」


 寝癖に視線を向けられての言葉。

 リィナは決まり悪そうな顔でわかったと答えた。


 他方、母親は朝食を黙々と食べ始めた娘を眺めながら考える。


 あのエンフリード殿が痴情のもつれで女に絡まれるなんて、今一信じがたい所ね。

 とはいえ、実際、リィナが落ち込んでいるのだから、事実としてあった。なら、そうなった理由はなにかということになる。


 ……考えられるとしたら、何がしかの裏があるか、当人が何者かに嵌められているか、それとも年頃らしく色を覚えてはしゃぎ過ぎた結果といったところからしら。


 ナタリアは娘を一頻り見やった後、内々で独語する。


 リィナはああ言ってるけど、私もの方でも少し探りを入れてみようかしら。


 老舗企業の主は娘の頑張りを期待しつつ、自らも気に入っている若き機兵の女関係について調べてみようと心に決めたのだった。



  * * *



 同じ頃。

 母娘の話題となっていた人物は新たに居候することになった女を連れて、市内を歩いていた。

 休日の朝ということもあってか、工業区画からの騒音はほとんど聞こえてこない。また、今彼らが歩いている街路……エフタ市の産業道である市壁循環道を行く荷車の数も少なければ、時折すれ違う住人達の足もゆっくりで弛緩した空気を纏わせている。社会が息抜きをする日、特有ののどかな雰囲気だ。


 俺もあんな感じで歩いていたかったなぁ。


 赤髪の少年は丁度すれ違った若者を些か羨ましく見やっていると、目と目があう。相手の眼差しは強く睨むようなモノであった。


 予期せぬ反応を受け、クロウは思わず瞬く。そんな折、隣を歩いていた居候が話しかけてきた。


「いやー、こうやって堂々と朝の陽の下を歩けるっていうのは気分が良いわー」


 楽しげな声音に導かれて目をやると、活き活きとした見目良い顔があった。

 朝陽を浴びて、小麦肌が滑らかな照りを返し、亜麻色の短髪が鮮やかに映える。身体つきにしても凹凸こそ貧相であるが、自然でしなやかな野性めいた均衡が服越しに浮かんでいる。女としてみれば、間違いなく上等の部類だ。


 クロウはこいつが原因かと一人合点しながら応じる。


「いや、別に普段から堂々としてればいいだろ」

「それがなかなかにできないものなのよ。なんていうか……、うん、ほら、後ろ暗いっていうかさ、そういった感情がどうしても湧いてきちゃって。そういう環境から離れられたことを考えると、うん、クロウに引き受けてもらえて感謝感謝って奴ね」


 舌打ちと唾を吐く音がした。

 少年はすぐに状況を理解して、頬を引き攣らせる。けれども、その場では何も言わず、しばらく歩みを進めてから、女密偵に苦言を呈した。


「今の、わざとか?」

「え、別に本当のことを言っただけなんだけど」


 鼻歌でも歌い出しそうな位に上機嫌な顔が惚けた表情を見せる。

 思わず、確かに本当のことを言っただけだろうが、幾つかの言葉が足りんだろうと言いたくなった。が、クロウはそれに耐えて口を開く。


「わかった、そういうことにしておく。ただな、軍務局では、絶対に、余計なことを言うなよ」

「もちろんよ。私の今後が決まる場所だもん、変なことは一切言わないわ。ちゃんと大人しくしてるから安心して」


 返す言葉こそ真っ当であるが、音色は間違いなく浮き立っている。

 この事実がクロウの不安を掻き立てる。とはいえ、ここは信じるしかないだろうと諦めの境地で口を閉ざし、中央区を東西に貫く通りへと入った。

 右手に組合本部、左手に重要施設たる魔力生成所。その間中を街路は真っ直ぐに伸びている。蓋をする空は常の如く青。力を増す朝陽に照らされて、舗装路は眩い。しかし、人通りは先と同じく少なかった。それを見計らって、クロウが同行者に訊ねた。


「今更かもしれないけど、ミシェル、金策っていうか、仕事はどうするんだ?」

「正直、クロウにずっと養ってもらうのもいいかもしれないって、冗談よ冗談、そう睨まないでよ」

「いや、戯れ言になってない戯れ言だったからな」


 クロウが珍しく厭味な笑みを浮かべて応じると、ミシェルは大きな溜め息をついて肩を落とす。それから急に立ち止まり、演技がかった切なげな顔で嘆いてみせた。


「あぁ、やっぱり食っちゃ寝の理想郷は遥か彼方。所詮は夢の中にしかないから理想郷なのね」

「食っちゃ寝って、お前。……それすると、コドルみたいに太るだけだろ」

「良いわよ別にっ、その理想郷に至ることで胸と尻が大きくなるなら、太ってもまったく構わないわっ!」


 拳を力強く握っての表明。

 その勢いに圧されて、クロウは若干上体を引きながら頷く。


「お、おぅ、そうか。……もしかして、その、結構気にしてるのか?」

「え? や、やーねー、いきなり素に戻らないでよ。冗談に決まっているじゃない」


 口を尖らせての答え。

 だがしかし、少年は先の言葉に、特にその声に偽りない本音があったと感じており、自然と労わりと同情の念が多分に含まれた穏やかな目で、何度も頷きながら慰めるように女の肩を柔らかく叩いた。


「ちょっ、やめてよっ、こ、こんな風にされたらっ! なんか知らないけど、ぐさって心に刺さるものがあるからっ!」


 ミシェルは身悶えしながら少年の手と視線から逃れて、きっと眦を決してクロウを睨む。


「クロウ、あんた、今、わざと言ったでしょ!」

「え、いや、割りと本気だったんだが」

「……くっ、そっちの方がよりきつい」


 ミシェルは少年の心温かい言葉に思わず涙目になり、薄い胸を押さえて項垂れてしまった。

 この反応に、クロウは何がいけなかったのか薄々気がつくも、その視線を女の肉付き薄い身体に向けて、イロイロと大きくないのは事実だよなぁと心の中で呟く。が、直に本題から話が逸れている事に気づいて、改めて口を開いた。


「で、話を戻すけど」

「……ねぇ、ほら、目の前でイイ女が落ち込んでるんだから、ここはせめて一つでも慰めの言葉かけなさいよ」

「慰めて落ち込まれた以上、俺にはもうどうしようもないからな」

「うぅ、そんな、ひどい。私の繊細な心に言葉の刃を突き刺しておきながら知らん顔なんて、あんまりだわ」


 ミシェルは今にも膝から崩れ落ちんばかりによろめく。

 再び始まった居候の演技掛かった所作に、これ以上の相手をする必要はないと判断して、歩きと共に話を進めることにした。


「はいはい、ひどいひどい、ひどいおとこがいたもんだ」

「えー、もー少しくらい戯れ(あそび)に付きあいなさないよー」

「観客も際限もないから打ち切り。……で、実際どうするんだ?」


 密偵はこれ以上の悪ふざけは無理と判断して肩を竦めると、先を行く家主の隣に並んで答えを口にする。


「これでも一応楽器は扱えるし、繁華街の適当な店で演奏でもするか、どこぞの路地で弾き語りでもして稼ぐわ」

「そうか。けど、店での演奏ならともかく弾き語りなんかしようとしたら、市の許可とかがいるんじゃないのか? ……っていうか、その前に楽器は?」

「私物のギューテを拠点に預けてるから大丈夫よ。後、許可の方は誰かさんが保証人になってくれたら大丈夫だと思う」

「へいへい、一筆書かせてもらいますよ」

「よろしく。ま、同門の後輩程じゃないけど、それなりに弾けるから、今日の夜にでも聞かせてあげるわ」


 ミシェルの自信ありげな顔に向け、クロウが言葉を返そうとしたその時。東西通と繋がる街路、学園通りから知った顔が現れるのを認めた。


「あれ、シャノンさん?」

「クロウ君?」


 薄赤の外衣を纏った金髪の少女、シャノン・フィールズだ。

 予期せぬ出会いだった為か、驚いたように目を見開いている。


「おー、クロウじゃない! ちょうど良かったわ! ……って?」


 そして当然の如く、シャノンの左肩には翠髪の小人の姿もあった。


 その小人であるが、クロウの隣に立つ人物を目にして、首を傾げた。


「どーして、ミシェルがクロウと一緒にいるの?」

「やー、じつはきくもなみだかたるもなみだのはなしが」


 とミシェルが言いかけた所で、クロウが遮るように声を上げた。


「例の件で仕事をクビになったらしくてさ、家っていうか仕事場に押しかけて来たんだよ」

「ちょっと、せっかく面白おかしく話を盛ろうと……」


 亜麻色髪の女はつまらなそうな顔で抗議の声を上げた。が、一顧だにせず、少年は続ける。


「で、放っておくと風評被害にあいそうだったからな、仕方がないからしばらくの間、うちで面倒見ることにしたんだよ」

「そうそう、同棲って奴ね!」

「ええっ、同棲っ!」


 シャノンが思わず叫んだ。

 クロウは余計なことを言った女を横目でにらんだ後、即座に手を横に振りながら否定する。


「違う違う、コレはただの居候」

「んもぅ、照れちゃってぇ。行き場のない私を助ける為に、こころよくっ、迎え入れてくれたくせにっ」

「人が集まってる場所で、ありもしない責任云々を言い出して、無理矢理に入り込んだんだろうが」

「またまたぁ、そんなこと言っても、男らしく、昨日は散々に、この身体を弄んだくせにっ」


 そう言うや身体を微妙にくねらせて、微熱に浮かされたように頬を染めた。

 シャノンはミシェルが即興で作り上げた戯れ言を半ば真に受けてしまったのか、確認するようにクロウを見つめてくる。他方、小人はにやにやと楽しそうに笑みを浮かべながらの傍観だ。


 クロウは自然と顔を顰める。

 どうすれば一番簡単にこの場の空気を壊せるかと考えて、ふっとエル・ダルークでの一幕を思い出した。


 それはミシェルの演技ないし女としての自信を崩した時のことだ。


 クロウはそれを再現するべく、眉間に皺を寄せたまま頬を一掻き。


「だから勝手に人聞きの悪い話を作るなって。……後、いい加減、冗談抜きに言わせてもらうとだな、俺にも選ぶ権利があるっていうか、正直、もっと肉付きがないと手出しする気になれないな」


 びしりと密偵の動きが止まる。同様に、なぜか魔導士の表情までも固まった。


 これは面白い状況になったと、一人目を輝かせた小人が合いの手を入れた。


「ほうほう、具体的には?」

「あー、やっぱり小さいのより大きい方がいいっていうか、身体の線のメリハリがはっきりした方がいいかな。……って、なぁ、おねーさん、普通、ここで突っ込んでくるか?」

「そりゃ突っ込むわよ、クロウってあんまりこういうこと話さないから」

「そりゃ、女の人に言うことじゃないだろ、こういうことって」

「あら、意外と好きなモノよ、この手の男の子の秘密の話って奴ね」


 クロウはミソラの言葉に微妙に視線を逸らせ、そういうものなのかと呟いては頷き未満の動きで応じる。それから動きを見せない二人をひとまず置いて、咳払いを一つ。表情を改めてミソラに問いかけた。


「で、おねーさん達はどこか行くのか?」

「どこかに行くっていうか、クロウの家に行こうとしてたのよ」

「……今、警備の仕事を請けてるから、実験に付きあうとか試作の試験とかはなしな」


 小人は警戒心が滲み出た若い顔を見て苦笑する。


「あはは、そっちはまた、おいおいお願いするわ」


 少年があるのかよと応じる前に、ミソラは更に続けた。


「今日は別のお願いよ」

「まぁ、一応聞きましょう」

「うん、うちの開発室で作ってるものが色々とあるじゃない」

「ああ、色々と頑張ってるよな。……それがどうかしたのか?」

「どうかしたっていうよりも、こうしたいって奴ね」


 クロウが要領を得ずに首を傾げると、小人は核心に踏み込んだ。


「開発した物を世に出す為に工場を作るつもりなの。で、いざ作る段になって余所から変な横やりを入れられたくないから、自分達が主導して作れるような仕組みにしたいんだけど……」

「あー、なんとなく見えてきた。工場とかを作るってことは、つまり、アレか?」

「うん、元手が足りないの。だから、クロウに出資って形でお金を出してほしいって、お願いしようと思って」


 クロウの中に、ミソラからの真面目な願いを聞かずに却下するような考えはない。

 ただ大金が動きそうな話だと感じて、即座に返事を出せないと判断。その旨をミソラに告げた。


「流石に二つ返事で頷けないから、落ち着いた場所で詳しい話を聞きたい。用事が終わって、家に戻ってからにしてもらっていいか?」

「うん、こっちからお願いするんだから、それは構わないけど、用事って?」


 小人の疑問に、赤髪の機兵は先程から表情を虚ろにして微動だにしない密偵を目で示して答えた。


コレ(居候)が転がり込んできたからな、市庁でその申請だ」

「なるほど。なら、私達はそれが終わるまで表で待ってるわ」


 ミソラはそう言った後、固まったままの少女の頬をつついたのだった。



  * * *



 所変わって組合本部。

 クロウ達が立ち止まって話をしていた道のすぐ傍らにある建物、その上層階の一室において、シュタール家の兄妹が今後の動きについて話をしていた。


「じゃあ、特に問題が起きない限り、うちは今節第三旬初日に出港ってことでいいんだな?」

「はい、ペラド・ソラールとの話が付き、パンタルの習熟教練を受けていた機士の帰還に合わせてということになりました」


 部屋の主たるセレスが兄である第三遊撃船隊長に向かって任の説明を続ける。


「この際、先の取替協定に基づく当方からの供給物、その第一陣となるパンタル二十機と諸々の補修品と、現地で整備教導を担う派遣教官を乗せた輸送船が同行します。ペラド・ソラールに到着した後は、現地市軍と共同し、一節程は周辺航路の巡回や賊党の討伐に当たることになりましょう」


 青髪の美丈夫は応接椅子に深くもたれ、天井の魔導灯を見上げながら応じた。


「現地についてからはともかく、行きは護衛しながらか。退屈な旅路になりそうだ」

「すでに独り身ではないことをお忘れなく」

「はいはい、わかってるよ、おばさん」


 横目で相手を見やり、にやにやと口元を緩ませた発言者。それと同じ髪色を持つ麗人がかすかに片眉を動かす。

 実の所、彼女の兄は唯一血を分けた肉親()をからかうのが大好きなのだ。それこそ機会があれば必ずといった具合である。しかも、からかいに反応すればする程に喜んで更に倍加していくのだから、やられる側であるセレスは堪ったモノではない。それ故、できる限り反応しないと決心した結果が、世間でも通用する沈着さに繋がっていたりするのであるが、それは置く。

 とにもかくも、兄のからかいに感情を見せないように自身を培ってきた彼女であっても、今現在一番使われている言葉(からかい)には中々に慣れない。否、慣れたくないと思ってしまうのだ。


 セレスは私も相応に女であったらしいと、ここ最近思うことをまた思いながら、兄に意見する。


「兄上、直に父となられる以上、相応の振る舞いを望みます」

「子どもの気持ちを忘れない父親ってのもいいじゃないか」

「ええ、いいと思います。ですが、実際にするのではなく、胸の秘するようにしてください」

「秘するねぇ。……ちなみに、お前から見て、親父はどんな感じだった?」

「基本、仕事人間だったと思います。ただ、家に帰ってくるようになってからはよく構ってくれました」

「……ま、お前はな」


 ラルフは妹の言葉に笑い、俺もそんな感じになるように努力しようと答えてから続けた。


「話に戻るとして……、退屈ついでだ、他に東方行きを希望する船があるなら引き受けるぞ?」

「そう言われると思い、中型船以上に限り、募集をかけています」

「そりゃ結構。どれくらいになりそうだ?」

「現在の申し込みはビアーデン級一隻、他に二隻から問い合わせを受けています」

「となると四隻か、それ以上か。まぁ、アーウェルやエル・ダルークに入り込んでいた毒蟲を潰したし、あと数隻はなんとかなるだろ」


 若き船隊長は軽い調子で応じた直後、何ごとかを思い出した表情となり、妹へと顔を巡らせた。


「そう言えば、アレイアから聞いたぞ。できる密偵を若い男につけたらしいな。補充員の人選が難しいってぼやいてたぞ」

「……言われる前に言っておきますが、私事ではありません」

「なんだ、違うのか」


 美丈夫は重い溜め息と共に、あからさまに両の眉先を下げた。


「そこで残念そうな顔をされても困ります」

「いや、そう言われてもな、男っ気のない妹が珍しいことをしたんだから、期待するなってのが無理だろう」

「そこは期待するだけ無駄であったと諦めてください」

「妹の幸せを願う兄としては頷けない言葉だ。……で、実際の所は? アレイアが濁していた以上、相応の理由だろう」


 シュタール家の当主が目を鋭くして、裏方の差配を任せている妹を見つめた。並みの者なら思わず後退りしそうな迫力。だが、麗人は涼やかな瞳で見つめ返して答えた。


「そうするに値する方であると判断したからです」

「詳しく」

「類い稀な体質持ちです」

「どういった?」

「尋常ではない魔力吸収効率と底が見えない魔力蓄積能力」


 これを聞いた直後、ラルフは聞いた言葉が本当なのかと確認するように妹を見つめ、答えが変わらないことがわかると青い髪を掻きむしり、精悍な顔を歪めてぼやいた。


「納得した。単純に考えると、厄だな」

「ええ、争いを呼び込みかねません」

「当人は……、魔術士だったらとっくの昔に名が知れてるだろうから、魔力を扱えないんだな?」

「はい、魔を扱う力はありません」

「なら、自分の力のことを知っているのか?」

「未だ知らず」

「できる限り、そのままにしておいてやった方がいい。……ちなみに、名は?」

「名は兄上も聞いたことがあるかもしれません」


 そう言い置いて、麗人はその名を涼やかな声音に乗せた。


「クロウ・エンフリード」


 耳にした瞬間、美丈夫は目を見開いき、ついで表情を曇らせる。

 だが、それをすぐに消しさるや、困ったように笑って口を開いた。


「アーウェル騒乱や直近の北部域襲撃で活躍した、公認機兵だな。お前が機兵になることを後押ししたとも聞いた。……出身地とかはわかるのか?」

「出身地については知りません。ですが、エフタの孤児院の出と聞いています。……このことになにか意味が?」

「いや、類い稀な体質を持つ以上、その周囲にもそういった体質を持っている奴がいるかもしれないと思ってな。なら、孤児院を出た後は?」

「この地でグランサーをしていたそうです。それで金銭を稼ぎ、魔導機の限定免許を取得する予定だったらしいですが、不思議な縁と特別な故があって、本式の方へ後押ししました」

「……そうか」


 ラルフは笑っているようで嘆いているような、なんとも不可思議な表情で妹を見ると、ふっと息を吐いて口を開いた。


「その結果が東部域と北部域での犠牲を減らしたか。……お前の慧眼には恐れ入るよ」


 軽い調子の言葉。

 だが、血を分けた妹としての経験が、直前に兄が見せた表情に違和感を抱かせていた。


 随分と気にかけているように見えるが、彼の人になにかあるのですか?


 そんな問いかけをセレスが発する前に、彼女の兄は席を立ってしまった。


「さて、もうすぐ始まる遠征に備えて、そろそろ食っちゃ寝に戻るわ。詳しい話はバクターと詰めてくれ」

「……わかりました。計画案ができあがり次第、兄上にも届けるようにしましょう」

「頼む。……ああ、それと関連してなんだが、東方航路の新規開拓についてはお前の方でやってくれ。例の魔導艇ってのが話で聞いている程に使えるなら、上手くやれるかもしれない」

「よろしいのですか?」

「今の手が足りていない状況では、冒険なんてやりたくてもできんさ。東方遠征がなければ、先の襲撃の源だろうエル・レラへの偵察をしておきたい所なんだからな」

「手が足りないと?」

「ああ、新しい遊撃船隊の創設も考えてくれ。併せて、エフタ近郊に新しい泊地を造ることもな」

「安全保障会議に議題として上げることまでは約束します」


 美丈夫は色よい答えを期待してるよと、まったく期待していない声で告げると、最後に妹の姿をじろじろと見て、結構真面目な顔で言い放った。


「仮にこの先も相手ができないようなら、例の機兵に種だけでも貰ったらどうだ? 相応に活躍している機兵でもあるし、魔術師としても願ってもない相手だと思うんだが……」



 ラルフは人を容易に凍らせそうな極寒の視線から逃げるように執務室から出ると、部屋の前で控えていた黒髪の秘書に珍しくも申し訳なさそうな顔で告げた。


「すまん、最後にちょっと余計なことを言っちまった」


 この言葉に幼き頃からの付き合いである秘書は呆れたように溜め息をつく。それから苦言を一つ。


「ラルフ様がセレス様を大事になさっているのは重々に承知しています。が、もう少し優しく素直に表現してください」

「了解了解、次に会いに来る時はそうするさ。……留守の間、妹を頼むぞ」

「この命に換えましても」


 彼の情人の姉は真っ直ぐな眼差しで見つめ、更に言葉を紡ぐ。


「ラルフ様、もはや御身は独りのものではありません。そのことをお忘れになりませんよう」


 美丈夫はただ頷いて背を向けた。



  * * *



 ラルフ・シュタールは本部内を出口に向かって歩きながら、思考の海原へと意識を沈める。


 最初に、アーウェル騒乱の後始末でその姓を聞いた時に、聞き覚えがあると感じたこと。この時はそういったこともあるだろうと、職務の忙しさの中で忘れていった。

 だが、次にエル・ダルークの一件で再びその姓を聞いた時に、やはり聞き覚えがあると感じて記憶を探り、もしかしたらと思い出すことがあった。けれど、この時もまた、そういったことがあるかもしれないと流した。


 否、違うだろうと思いたかったのかもしれない。


 けれども今日、妹本人からその名と姓を告げられて、己自身も探りを入れたことで簡単な身の上も聞いた以上、認めざるを得ない。


 それがかつて父より伝え聞いた話の中にあった存在であることを……。


 青髪の美丈夫は道々見知りの者達と挨拶を交わしながら、本部より表に出る。

 陽の光に満ちた中央広場はまだ人出が少なくて、閑散としていた。ただ向かいの市軍本部からは教練のモノと思しき叫びや騒音が聞こえてくる。ラルフはふっと息を吐くと、広場の片隅に設置された長椅子に向かい、一人腰掛けた。


 人工石造りの、世辞でも快適とは言い難い長椅子であったが、その硬さが心地よかった。


 そのまま膝に肘を置いて前屈みになると、広場の光景に目を向ける。

 逢瀬を楽しんでいると思しき若い男女、荷車を運ぶ人足、子どもを連れて歩く父親らしき姿。


 そういったものを眺めながら、往時の記憶を思い返す。

 彼の頭に浮かんでくるのは、彼の父が亡くなる前に当人から聞かされた話……、その父が己の考えを改めて、また自らの生き方にも影響を与えた、かつての出来事。


 過ぎ去った時間に確かに刻まれた事実。


 滅び去ったある開拓地で遺された奇跡。


 彼の記憶に残る、その話を聞いた時の情景が思い出されてくる。

 それはラトナ館の一室で父と差向って酒を飲んでいた時に、彼がふとこぼした言葉から始まった。



「なぁ、親父。ここ最近、家に帰っているみたいだが、どんな心境の変化なんだ?」


 自分の問いかけに、親父が苦笑して答えた。


「なに、セレスに構うのも悪くないと思っただけさ」

「おいおい、それだけか? 港の数だけ寄り辺がある(女がいる)って話はどうした。宗旨替えでもしたのか?」

「……かもしれんな」


 ただそう言って酒杯を呷ると、いい機会だからお前にも話しておこうと前置いて、その話を語り始めたのだ。


「あれはもう、数年前か……、北西域を巡回していた時のことだ。珍しく蟲共の陰のないのんびりとした航行で、どうにも暇を弄んでいた。その所為か、夜にどうにも寝付けなくてな。甲板に出て気分を入れ替えていた。そうしたらな、不意に、女に呼ばれた気がした」

「いや、それ、ただの欲求不満じゃないのか? 出すもん出せてないし」

「はは、まぁ、俺もその時はそう感じて、まだ若いなと笑ったよ。……けどな、二度三度と、しかもより感覚が鮮明になってくるとな、これはちょっとおかしいぞと思うだろ?」

「まぁ、確かに」


 こちらの同意を得たからか、少し語勢が強くなって話が進む。


「だから、何者だって呟いた。なら今度ははっきりと、助けて、ときた」

「それ、親父がおかしくなってただけじゃないか?」

「それが俺が呟いた直後に船内が急に慌ただしくなってな、非番の連中が驚いた顔で飛び出て来た」

「は?」

「しかも、口々に黒い髪の女が助けを呼んでる、だぞ」


 もしかして酔っぱらってからかっているのかと目を覗いてみたら、非常に落ち着いた目だったのを覚えている。


「これが一人二人だけじゃなくて、非番の連中全員だったからな。こりゃあもう、なにかあるって方向に話が自然と進んでいたら、舳先に人影が浮かび上がって西を指し示した」

「それ、本当か?」

「嘘を付いてどうする。航行日誌にも書かれた厳然たる事実だ。実際、機関に詰めてた連中以外の、ほぼ全員が人影を見た。だから、その方向になにかがあるんだろうって話になって、針路変更だ」

「よくぞまぁ、それだけで決めるもんだ。人影の正体を確かめる奴はいなかったのか?」


 呆れた声を出したら、空になった陶杯を眺めながら言った。


「胸に来る切迫した感があった。急がないといけないと思わされるような、な。それに、悪い気配は微塵もしなかったこともある」

「本当かよ」

「本当だ。ただ、あれは、あの場にいないとわからん感覚だろう。で、その通りに進んでいたら、夜明け頃に沈んだラーグ級と行きあった。……例の如く、船は蟲の死骸で溢れていたよ」


 旅団に正式加入して以後、自らそういった現場に立ってきただけに、惨状を容易に想像できてしまって顔を顰めた。


 けれども、話は続いた。


「これが原因かと思ったんだが、例の切迫感はなくならない。ならばと、一隻をラーグ級の調査と回収に残して、蟲の死骸が続いている方向を目指して進んだ」

「結果は?」

「ああ、穏やかな丘陵の麓に開拓地があった」

「へぇ、どこが母体だ?」

「いや、元よりその辺りに開拓地があると聞いた覚えはなかった。だから、おそらくは誰かが切り拓いた独立系の開拓地だったんだろう。遠目に見て、丘に果樹が整然と並んで美しい風情だった。……だが、居住地の方はな」


 首を振って言外に滅びたことを告げると、遠い目で語り出す。


「だが、相当の抵抗をしたらしい。居住地の周囲はラティアの死骸だらけで、なかなか近づけなかった位だった。後、気になったのは飛行型と思しき連中が相当数落ちていたことだ」

「北西域なら……、ダ・ルヴァ、いや、ダ・フェルペか?」

「わからん。墜落の衝撃かラティアに踏みつぶされたかで、粉々なモノばかりだった。ただ羽根を確認した以上、存在したのは間違いない。試料の回収もしておいた」


 そう言って一息入れた後、視線を酒瓶に落として続けた。


「まぁ、そんな訳で開拓地内の捜索という段になるんだが、まだ蟲が居残っている可能性があるかもしれんということで、魔導機隊を展開して警戒しながら開拓地の港に入った。しかし、あの港は将来を見越した見事な造りだったな」

「そういうのはいいから、先を頼む」

「……港に着いた後、例の舳先にあった人影が消えて、開拓地の中に再び現れた。なんというか、もうその時には、いったいなにがあるのかと、いてもたってもいられなくなっていてな、護衛を二機程連れて、人影の後を追うことにした」

「おい、親父。……それ、司令失格だろ」


 そんなことを言って呆れた覚えがある。


「馬鹿言うな、船長に全体指揮を一任してからに決まっているだろう。……まぁ、奴も気になっていたようで、なんとも言えない顔をしていたがな」


 少しだけ相好を崩すも、次の瞬間にはどこか悲しげな顔で目にしたモノを諳んじ始める。


「居住地は酷いあり様だった。至る所で崩された初期防壁、撒き散らされた衣服、蟲の死骸、飛び散った血飛沫の痕、蟲共に破壊された家屋、連中の青臭い血のにおいに混じった鉄のにおい、建屋に残された無数の弾痕、燃え落ちた小屋、爆発の痕、水路の水は緑血で染まっていた。そんな中を先に行く人影を追って行き、それが唐突に消えた。……そこに行って見れば、血だまりの痕と、千切れ落ちた女物の装飾が落ちていたよ」


 語を切ると、死者を悼むように軽く瞑目し、また口を開いた。


「だが、そこから先に、特に蟲の死骸が集中する場所が見えた。百に満たないにしろ、五十以上はあっただろう。運悪く撤去に当たった機兵はどかすのに苦労していた」


 自分達兄妹に似た顔、歳が刻まれた眉間に新たな皺が寄った。


「それがある程度進んで死骸の向こうを見ると、甲殻の欠片が無数に散らばった空間の中に、緑血に染まった一機のラストルがあった。後ろにある家屋を守ろうとしていたのか、その前で立ち往生していた。折れ曲がった建設用大型鎚を手に持ったままだったから、思わず駆け寄ったが……、途中で複数の牙が胴体に突き立っているのが見えてな、既に事切れていることがわかったよ」


 そして、ほんのわずかに口元を歪めて呟いた。


「ただ、あの姿は……、不謹慎な物言いだろうが、尊く、美しいものだと思った」


 酒精と軽い熱を帯びた息を吐き出し、言葉を紡ぐ。


「そんな風に、心打たれたのは俺だけじゃなかったようでな、護衛達もそれぞれが武器を捧げて敬礼していた。……そんな時にな、風に乗った声を聞いた。女の声で、あの子をお願いします、とな」


 自分は、親父の語りに、ただただ聞き入っていた。


「その声を信じるならば、無事に残った家屋の中に、子どもがいるということになる。大急ぎで出入り口を塞ぐラストルを動かして、中に入った。……途端に、言葉を失ったよ。物音を聞いてナニカが来たことがわかっていたんだろうな、赤い髪の幼子が涙も枯れたといった顔を強張らせて、けれど、目だけは爛々と輝かせて、身の丈に合わないナイフを拙いながらも構えていた」


 親父は肺腑の空気を大きく入れ替えて、魔導灯の暖かな光を見やる。


「本当に、大きな衝撃だった。その幼子は間違いなく両親が死んだことを、自分が住んでいた場所が滅んだことに気付いていた。両親のみならず、開拓地の大人達が死に絶えたことで、自身もほぼ確実に死ぬことがわかっていただろう。だが、それでも足掻こうとしていた。なんとしてでも生きようとしていた。あの時に見た、苛烈な、だが焦がれる程に輝く目は、今でも直に思い出せる程だ」


 そして、自嘲するように表情を歪めて、笑った。


「同時に、俺は死んでも子どもを守ろうとした、その両親のようにできているだろうかと、俺はこれほどに自分と血を分けた子どもたちを愛せているだろうかと、なによりも、お前たちに、どんな状況でも諦めずに生きようと足掻く、そんな生き様を見せることができているだろうかと、つくづく思わされた」


 初めて聞く、親父の弱音だった。

 この事実に自分はかなり動揺しながらも、なんとか口を動かしていた。


「俺にはわからん感覚だな」

「心配するな。いずれ、お前にもわかる時が来る」

「なら、そういうことにしておくさ。……けどまぁ、親父が家に帰るようになったのは納得だ。精々、セレスを構ってくれたらそれでいい」

「お前は?」

「俺? それこそ、俺が誰の背中を見て旅団に入ったと思ってるんだよ」


 そう言うと、親父はどこか安堵したような顔で頷いた。


「そうか」

「ああ。……で、話の続きだが、子どもはどうしたんだ?」

「無論、連れて帰ってきた。ただ、その子は開拓地を発ってから、いや見えなくなっても、じっと開拓地の方向を見つめていたよ」


 その姿が想像できてしまい、少し胸が詰まった。


「……なら、その後は?」

「うちで引き取るという手も考えた。が、やはり専門に任せた方がいいと考え直してな、エフタの孤児院に入れることにした」

「既に一杯だろうに、どうやって押し込んだんだ?」

「例のラーグ級を徴収して、開拓地からも使えそうな物を回収した。書類上はそれで賄う形となる。後の足りない分は俺個人の懐だ」


 そう言った後、一年近くはやりくりに苦しかったぞと笑った。


 自分も思わず笑い、最後の質問を口にした。


「ところで、その子の名前はなんて言うんだ?」

「姓はエンフリード、名はクロウと、本人が名乗った」

「そうか、俺もできる限り覚えておくよ」

「ああ、頼む。……もし叶うならば、あの子には、もう蟲の脅威にさらされない、平穏で平坦な生き方をしてほしいものだ」


 幼子の、これ以上の不幸がないことを願う、一人の親としての声だった。



 ラルフが追憶から覚めると、光陽は相応に高くなっていた。

 それに釣られてか、広場にも人出が生まれている。見れば、広場中央に露店や簡易喫茶が設営されつつあるようで、数人の男達が天幕や簡素な布張りの椅子、更には小さな円卓といったものを設置していた。


 それをなんとなしに見るも、彼の思考を占拠するのは一つの名、一人の存在について。


 クロウ・エンフリード。

 彼の存在を同一であると否定したかったのは、父が自ら救い上げた幼子に、平穏な生き方をしてほしいと父が願ったから。それを聞いていたからこそ、聞いた言葉を信じたくなったのだろう。


 だが、既に選択は、本人によって為された。

 たとえ、自身の父が願ったとしても、それは他人の願い(押し付け)に過ぎない。むしろ一人の男として、周りに流されず、自らの生き方を定めようとする姿勢を寿ぐべきだろう。


 ただ、自らが選んだ道を突き進めと。


 青髪の美丈夫は彼の存在に対する、自らの立ち位置を明確化すると立ち上がった。


 そして、休日が始まるのを肌で感じながら、情人の待つラトナ館へ向かって歩き出す。


 その途上、すれ違う幾組もの親子連れ。

 共通しているのは楽しそうに笑う子ども。それ以外は、早くも疲れた顔の父親に肌艶がよろしい母親、元気のなさそうな母親にそっと寄り添う父親、父親は父親同士、母親は母親同士が集まって世間話や日頃の不満や悩みを口にしている組といった具合に様々だ。


 そういった情景は微笑ましいモノを感じさせる。


 だが、ラルフは笑わない。


 彼は知っているのだ。

 ああいった幸せな絵図の陰に、今そこにある路地の裏に、今ここでないどこかに、親のいない孤児がいることを。


 彼は思う。

 社会は本当に、どこまでも不公平だと。


 だが、それが現実。

 簡単には変えようのない事実。


 元より人の生は儚い。

 否、今の世界は人に冷たく厳しいが故に、人一人が紡ぐ糸は簡単に潰えてしまう。


 なぜなら、それは自らを変えようと願い思い、為そうと動き出しても叶うかわからない位に細く、唐突に起きる不幸によって、いとも簡単に切れてしまうかもしれない位に脆いから。


 だからこそ、人は自らの糸で社会を織りなして、自らを、それ以上に、人という種を守る。


 紡がれる糸をできる限り、後の世に残す為に。


 これこそが、そこで生まれる全ての不公平を呑み込んで定められた、今の世における人の掟であった。


 シュタール家の当主は胸の内にたゆたう哀しみを深遠に沈めて呟いた。


「本当に儘ならんもんだが……、これも、人が選び歩んだ結果、か」


 その言葉は気紛れな風に散らされて溶けていく。


 後に残ったのは、陰を隠した一人の青年だけであった。

21/07/07 一部表現を修正

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