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魔導黎明記  作者: 綺羅鷺肇
8 早乙女は深窓で憂う
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四 曲者の独り歌

 ある夜更け。

 繁華街に程近い住宅の、仄暗い灯りに照らされた二階の一室。

 得も言われぬ性臭が漂う中、目を虚ろにした女が広い寝台に倒れ込んでいる。薄明かりの下、浮かび上がるのは、肉付きの良い裸体。汗などに塗れているそれには、暗赤色の痣や噛み痕がいたる所に散らばっている。


 そんな女の隣には、太り気味の男が胡坐をかいて座っていた。

 吹き出物が目立つ顔を面白くなさそうに歪めて、半闇の中空を睨んでいる。この表情からわかるように、この部屋の主は未だ身体の疼きが収まっておらず、非常に不満であった。


 萎えることのない性欲を誤魔化す為、倒れた女の尻を強く叩く。

 湿り気を帯びた肌打つ音が大きく響くが、打たれた側は呻き声を上げるだけで動く気配はない。その反応がつまらなかったようで、男の歪んでいた顔が無表情へと変じた。


 弛んだ身体の男……大商会の三男坊は胸の内で、こいつも終いだなと呟くとそのまま上体を倒して寝台に横たわる。それから天井を見上げて、身体を燻る凶熱をあやしながら考える。


 こいつはいつものように、護衛の連中にやるとして……、次はどいつにするか。


 彼は目星をつけていた女達の姿を次々に思い浮かべる。

 歓心を得ようと擦り寄ってくる若い女学生、帰りの時間帯に商会通りを歩く妙齢の女、学術院で受付を担う事務員、粋がっている同期生の恋人、偶然目にした男を連れて颯爽と歩く年増、朝方近所で道を掃除している人妻と、次々に浮かんでは消えていく。


 その内、脳裏に残ったのは、よく授業が一緒になる三人の少女の姿。


 一人はふくよかな身体を持つ商会の子女。

 手入れされた潤いある肌に加え、あの噛み応えと叩き応えのありそうな肢体はなかなかにない。ここに来た当初から狙っているが、父親や幹部から絶対に手出しをしてはいけないと厳に言い含められている相手であった。


 男は手が出せない女の好みに合致した身体を思い、その豊かな胸を思う存分に噛み舐り、肥えた尻を思うがままに嬲り叩く様を夢想し、分身をいきり立たせる。そしてそのまま、二人目の女を思い浮かべる


 一人目の友人で、エフタ市軍の幹部を父に持つ女。

 仲間内でのやり取りで見せる朗らかな表情と授業中の凛とした雰囲気を見るにつけ、思わず弄びたくなってしまう。だが、市軍という実力組織が背後にある以上、この女にも手出しはできない。


 男は屈辱に歪ませて屈服させていく様を、思うがままに身体を弄んだ後、跪いた相手の頭を踏みつける過程を想像し、身の内で燻る凶熱が燃え上がるのを感じた。熱く滾り始めた心と頭が最後の女を思い描かせる。


 先の二人とよく共にいる、土建会社の娘。

 器量こそ良いが好みとしては今一合わない身体つきの為、手を出す順位としては下であった。が、ここ最近になって華やいだ表情を見せるようになった。あれは女が一番輝く状態……恋をしているはずだ。


 ああ、あの輝き華やいだ顔を散らすことができれば、意中の相手の前で見せつけるように身体を汚し、悲嘆と絶望に落とすことができれば、どれ程の興奮を与えてくれるだろうか。


 男がその時の様子を想像した瞬間、昂ぶりが火花の如く弾け、分身が劣情を吐き出していた。新たな臭いが淀んだ空気へと溶け込んでいく。


 だが、それでも昂ぶりは収まらない。


 三男坊は鼻息を荒くして、考えを巡らせる。


 あれは実家以外、特に大きな後ろ盾もない相手だ。

 こちらが手出ししたとしても、親父も構わんはずだ。護衛どもにこいつを餌に持ちかければ、後は上手くやるだろう。


 興奮の残滓と心身の倦怠、そして更なる疼きに身を委ねながら、男は次の標的を定めた。

 そして、だらしなく歪んだ笑みを浮かべて、思うがままに女を蹂躙する時を思い浮かべながら、独り悦に浸り続けた。



  * * *



 第一旬十九日夕刻。

 エフタ市南東部郊外にて行われている、第七期市壁拡張計画の実施工事。

 今日も事故もなく無事に工事が終わり、責任者として現地に設けられた天幕で待機していたルベルザード土建の跡取り、ジークは安堵して吐息をつく。ちょうど天幕にやってきた褐色肌の大男はそれに気付いて声をかけてきた。


「若、今日もお疲れ様でした」

「いや、ゴンザこそ、監督ご苦労だった」

「いえ、それが私の仕事ですので」

「それを言うなら、俺も仕事だ」


 色濃い茶髪を短く刈り込んだ背の高い青年はそう言って笑うと、周囲に目を向ける。そこにはルベルザード土建が請け負い、下請け会社と共に工事を続けた成果が広がっていた。


 南には一旬程前に完成した新たな人工の壁が、従来の市壁の傍より下水処理施設まで東西に続いている。今は従来の物と連結させる為の工事を行い、新たに設けられる通用門を取り付けている所だ。

 次に東を見れば、頑強に組まれた足場と築きかけの壁、更には起重機と工事用簡易魔導機等の姿がある。終業したこともあってか作業員が片づけをし、地上でラストルが資材を半装軌車の荷台に乗せれば、人足達が工事用具を運んでいる。

 最後に北を見れば、敷設しかけの道路と撤収作業をしている工員、そして、夕陽に映える深紅の機体が大鉄槌を手に佇んでいる。


 ジークは見目変わったパンタルの頼もしい姿を見つめながら、しみじみとした風情で呟く。


「以前はわからなかったが……、やはりエンフリード殿があの場にいてくれると、安心感が段違いだな」

「仰る通り、作業も捗っています」

「はは、俺としても負担感がかなり減って助かってるよ」

「確かに、前の第二期工事では心休まる時がなかったですね」


 ゴンザもまた苦笑を浮かべて応じると、更に続けた。


「ところで若。この所、毎日、お嬢がエンフリード殿に会いに来ていますが……、もしかして、アレですか?」

「あー」


 頼りになる幹部の問いかけに、後継ぎ息子は言葉に迷うように声を伸ばす。そうする間に、自身の内にある答えをまとめて答えた。


「リィナがエンフリード殿に好意を持っているのは確かだと思う。じゃないと、毎日顔を出すようなことはせんだろうし」

「ですな」


 ジークは部下の相槌に頷くも、今度は困ったように笑った。


「ただ、どうもな、リィナのそれが恋だとかという話だとあやしいと、俺は見ている」

「つまり、若は色恋沙汰ではないと見ていると?」

「若干はあると思う。が、俺が見受ける印象としてはまだ友人か、その延長線上にいるという感じだ」


 そう言ってから小さく首を振り、語を付け加える。


「とはいえ、俺も色恋に関しては人様に講釈垂れることができる程の経験はない。あくまでも俺の感想だ、実際の所はわからんな。ゴンザはどう見ている」

「私としては、惚れた腫れたに寄ってるのではと見ています。……しかし、私も若と似たようなモノで、そういった経験は連れ以外にないものでして、今一確信が持てんのです」

「その一度を成就させた男がなにを……、惚気か?」

「あ、いや、そういった意味ではなく」


 生温かな視線を向けてくる上司に対して、強面の大男が慌てた様子で言い繕った。


 ジークは悪戯子のような顔で軽く笑って応じた。


「冗談だ。しかし、うちの血気盛んな連中を一睨みで黙らせるゴンザであっても、色恋はわからんか」

「ばか者共の御し方は大凡知っていますが、そちらだけはわかりません。特に、惚れた腫れたの駆け引きとなると尚更に」


 と言って少しばかり情けない表情で首を振った男であるが、一目惚れした相手……とある酒場の女給仕に対して、その場で惚れたと堂々と宣し、俺と共に生きて死んでくれと告げている。更に言えば、一旬程で周囲を納得させる形で婚姻にまで持っていっている。


 話を戻して、茶髪の若者はゴンザの声に同意するように頷き、自身の考えを口にする。


「さっきも言ったが、俺にもわからんさ。しかしまぁ、こういったことはリィナから相談や助けを求められない限り、手出しは無用な代物だとは思う」

「それはわかっておるのです。ただ、この所の二人を見ていると、どうしてもお嬢とエンフリード殿がひっついて、うちに来てくれればといったことを考えてしまいまして……」


 ジークはゴンザが口にした状況を想定して、口元を緩めた。


「確かにそうなれば、(社長)も喜ぶと思うし、俺も力強い身内を得て大いに助かるだろう。実際、エンフリード殿なら、義弟と呼ぶのは吝かじゃないしな。……が、こういったことは結局、当人達次第の話だろう?」


 ルベルザード土建の次代を担う若者は正論でもって部下の思いに釘を刺す。それからやんわりと続けた。


「昔から言うように、男女の仲なんてもんは水物だ。今日は明日の休みに遊びに誘うなんてことを言っていたが、結果がどうなるかはやはりわからん。仲がまとまるかどうかなんて話になると、更にその先だぞ? 精々、酒の肴程度に考えた方がいい」

「仰る通りで」


 大男は納得した様に首肯したのだった。



 そうこうする間に撤収作業が終わり、現場に残っていた者達も南大市門前へと移動し始める。


 貧民街に囲まれた門前広場は夕焼けに染まり、数少ない魔導灯にも青白い光が入っている。

 夜が近づいていることもあってか、南大市門の出入りは激しい。買い物袋を手に出てくる者、手ぶらで肩を落として入っていく者、疲れた顔で出てくる女、楽しげな表情で入っていく男。そういった流れの邪魔にならぬ場所、広場の片隅に結構な人だかりが生まれている。


 市壁拡張工事に係わって、仕事をした者……特に日雇い達への支払い場所だ。

 工事の規模が大きくなっていることもあってか、以前よりも人の数が多く、その数は百を超えている。自然、ざわめきも大きくなり、声が届かないことも起きる。それ故、ルベルザード土建の事務員や口入屋達は門前とはいえ、声を張り上げていることとなる。


「ルベルザード土建から直接仕事を請けた者はこっちだっ!」

「支払いは名乗りと札の返却の後だ! 慌てるなっ! ちゃんと金はある!」

「順番に! 順番に並べっ! そこっ! 順番って言ってるだろうがっ!」

「口入オスカーで仕事を請けた奴はこっちの列だっ! 間違えると余計に時間が掛かるからなっ! 間違えるなよっ!」


 だが、これだけの人が集まるとなると、相応に混乱が生じるのも無理のない話である。


「おい、てめぇっ! 抜かすんじゃねぇよっ!」

「るせぇっ! お前こそ、さっき横から入っただろうがっ!」


 炎天下での肉体労働で疲れていることもあってか、気が立っている男達はなにごとにも喧嘩腰で睨み合う。


「ああっ、もうまどろっこしい! とっとの殴り合いでもして白黒つけろっ!」

「喧嘩ならあっちでしろっ! こっちはさっさと金を貰って帰りてぇんだっ!」


 それを煽り煽る者がいれば、面倒事が起きそうなことへの苛立ちからほえる者もいる。そうなるともう後は収拾がつかなくなり、喧嘩の一つも起きる。


 ……のだが、幸いというべきか、この場には睨みをきかす存在が現れた。


 舗装された地面を重く踏みしめる音。


 その足音に喧噪は鎮まっていき、その場にいる全員が音の源へと目を向ける。

 集った者達の視線の先には、深紅の魔導機があった。日中の仕事中に頼もしく感じたそれが、共に歩いていた工事の責任者達と別れ、日当の支払い場つまりは目を向けている者達の下へとゆっくりと向かってくる。


 その手に人一人を簡単に潰せそうな、大鉄槌を持って……。


 誰かがごくりと喉を鳴らす。

 その手にあるモノが決して自分達に振るわれることがないと信じていても、人は万が一という可能性を想像することを止めることはできない。故に静かな畏れが人々の中で伝播していく。


 人々の頭を冷やした魔導機から若い声が届く。


「皆さん、静かに落ち着いてください。ここは門の前とはいえ、市壁の外です。蟲を引き寄せるような真似は極力避けましょう。それと、係の人が言っているように、お金の支払いは必ず為されます。ただ、騒げば騒ぐだけ遅くなってしまいますから、今は我慢して順番を待ってください。その方が早くもらえますから」


 極めて落ち着いた、それでいて穏やかな言葉づかいに、もしもという危惧を抱いた者達はほっと安堵する。それ以外の者達にしても、仕事中に自分達を守ってくれる存在が言うならばと、静かになる。そして、騒ぎを起こしかけた者達は周囲の者により物理的に静かにさせられるか、これ以上余計なことはするなという無言の圧力を受けて縮こまっていた。


「えー、次の人、どうぞ」


 支払人の促す声に応じて、また場が動き出す。


 その様子を機内から見ていた少年であるが、こちらもまた下手に騒ぎが広がらなくて良かったと安堵していた。

 彼にとってこの支払いの場に立ち会うのは、一日の仕事における最後の役目である。なにしろ、こういった風に大人数への支払いが行われる以上、その金を狙って良からぬ輩が出かねないし、先のように騒ぎにもなりやすい為だ。


 クロウは座席に背を預けて息を吐く。


 瞬間、脳裏に瞬いたのは、人を叩き潰した時の感触。


 硬い殻を割り、微細な抵抗を砕き、水袋を破裂させたような……。


 眉間に皺が寄る。

 吹き上がった不快な気分を入れ替える為、深呼吸を数回。程良く涼しい空気が肺腑を刺激する。しかし、どこか淀みがあるそれでは気分転換には程遠い。無性に外の熱気が恋しくなる。


「はい、次の人どうぞ」

「……だな、……よし、札の番号も合ってる。これが今日の払いだ」


 それでもこの支払いが終わるまではと、少年は静かに待ち続ける。

 その間にも、少しずつ重苦しくなっていく気分。自身の気の持ちようだとわかっていても、今日はなかなか思考が入れ替わらない。展視窓の外で、支払いを受けた者達が三々五々と散っていく。


 その様子に少しだけ羨ましさを抱きつつ見送ること、十五分程。

 ようやく最後の一人に日当が手渡され、支払いが終了する。クロウは即座に機体を駐機態勢にすると、疲れた顔で前面部を開放させた。


 昼の残滓漂う熱気が宙を漂う細かな砂塵と共に入り込む。

 だが、今のクロウにはそれがとても暖かいものだと感じられた。


 制御籠手を外して一息ついていると、視界の中に不意に差し込む影。

 昨日までの三日間、仕事が終わった頃にリィナが顔を出していただけに、今日もそうだろうと目を向ける。しかしながら、その影の主は少年が予想した相手ではなかった。


「やぁ、どうも久し振り、エンフリード君」


 そう挨拶したのは寝ぼけ眼の中年。

 エフタ市軍の制服を着た、ゴウト・リューディスであった。


 クロウは思ってもいなかった人物の登場に、目を丸くして応える。


「リューディス大尉? どうしてここに?」

「いやー、仕事でこっちの方に足をのばすことになってね。その帰りにエンフリード君の機体を見たもんだからさ。ちょっと挨拶しようと思ったんだよ」

「あ、そうなんですか。お仕事お疲れ様です」

「はは、ありがとう。こっちも励みになるよ」


 リューディスはにこやかに答えると、今度は一新された機体の装甲へと目を向けた。それからしばしの間、へぇほぉと感嘆の声を上げつつ眺めやり、表情を緩めて言った。


「パンタルの新しい装甲ができたって噂には聞いていたけど、これはなかなか、イイもんだね」

「あはは、正直、見た目も結構変わって、前と同じ機体なのかわからなくなりますよ」

「うんうん、確かにね。……ちなみにこれって、試作品?」

「ええ、試作品と聞いています。だから、もしかするとその内、正式なお披露目があるかもしれないです」

「なるほど、軍務局の知り合いや機兵隊の連中に、それとなく伝えておくよ」


 そう告げてから、中年大尉は一つ咳払いして切り出した。


「ところで、エンフリード君がエル・ダルークに出向いていたって話も聞いたんだけど、これって本当かな?」

「え? ええ、仕事でエフタからエル・ダルークまで新しい舟で往復する仕事を請けて行ってきました」

「なんだか、そっちにも興味を惹かれるけど、うん、それはまた今度にするとして……、その途中に、運悪く蟲の襲撃にも遭遇したっていうのも本当?」

「事実ですね。……それがどうかしました?」


 クロウは質問の意味が読み取れず、不思議そうに首を傾げる。


 一方のリューディスは微かに目を鋭くして質問を口にした。


「ああ、うん。その時、船が襲われてるのを見たとも聞いたんだけど……、これについてちょっと聞かせてほしい」


 その言葉から、少年の頭にある単語が閃き、思わず口走ってしまった。


「モンドラーゴ?」


 少し惚けた風情の中年男は一瞬だけ寝ぼけ眼を見開き、苦笑いと共に答えた。


「はは、怖いもんだね。いきなり核心を衝かれるとさ」


 クロウもまた、期せず核心に踏み込んでしまったことに、どうしようかと目を彷徨わせる。が、すぐに口に出したことは取り戻せないと悟り、若干声を落として続けた。


「まぁ、偶然にと言いますか、エル・ダルークに着いたその日にシュタール家の密偵と関わりを持ったというか、そいつが自分の仕事に大いに巻き込んでくれやがりまして……」

「おやまぁ、それはなんとも」


 穏当な性質と判じている少年が珍しく感情を露わにするのを見て、リューディスは面白そうに笑う。そして、表情を変えないまま身体の向きを変えると、機体に寄りかかる。そして、周囲を観察するように目を走らせた後、クロウにだけ聞こえる声で続けた。


「なら、モンドラーゴ達がしたことを知っていると思っても?」

「エル・ダルークで麻薬の密売を目論んでいたこと。その元手となる麻薬を手に入れる為に、アーウェルで騒乱を起こした移民に武器を提供していたと聞いています」

「上等上等。そこまで知ってるなら話が早いよ」


 リューディスは制服の胸衣嚢(ポケット)から煙草の箱を取り出すや一本だけを抜き取り、右手指でクルクルと回転させ始める。


「そのモンドラーゴ達がアーウェルに運んだ物の中に、魔導機も含まれていたんだけど、それが結構特殊なモノでね」

「ゴラネス……、いや、ボルス・ディアですか?」

「ご明察。っていうか、そっちも君が関わってたんだよね」

「ええ、初めて魔導機相手に戦いました」


 少年の淡々とした声に、年上の男は煙草を弄ぶ指を止め、顔に哀しげな色をわずかに滲ませる。だが、それでもその口からは平静な響きが吐き出された。


「そうかい。そう考えると、君もこの件と縁が深いんだ」

「言われてみれば、そうなるかも、ですね」

「ふふ、となると、なんとも奇妙な巡り合わせというか、目論みを潰された相手がそのことを知ったら、何故いつもその場にいるって感じだよね」


 その言葉に自然と、アーウェルで戦闘が……、ボルス・ディアに乗っていた騒乱の首班らしき人物が呪詛の如く吐き出していた言葉が思い出された。

 自然、クロウは面白くなさそうに顔を顰める。その言葉は、むしろ彼が相手に言いたい言葉であった。


「俺から見れば、向こうから勝手に突っ込んできたとしか言えませんがね」

「あはは、君からすれば、そうなるよねぇ」

「ええ、だから、この先はそういった面倒にかち合わないようにって祈ってます」

「その祈りが届くことを祈ってるよ。……で、話を戻すけど、ボルス・ディアってのは知っての通り同盟の主力魔導機だ。当然、そいつを仕入れて提供した輩がいるんだけど、まぁ、それがなかなかに証拠を掴ませないんだよ」


 少年は茜色の空を眺めながら小さく応じた。


「そういった言葉を使うってことは、もう誰がやったかという目星は付けてるんですね」

「うん、そうなんだけど……、エンフリード君、今からでも内に入らない? 本当に歓迎するよ?」


 リューディスの声音は結構真剣だった。


 けれども、それに対するクロウの答えは決まっていた。


「誘ってもらえること自体、ありがたいことなんでしょうけど……、俺も目的があるんで、誘いには乗れません」


 以前誘った時にはなかった、はっきりとした謝絶。

 中年大尉は残念そうな色を顔に見せるも、その答えに含まれた重みに納得して頷いた。


「あー、そりゃ残念。ならこの話は終いにして、その武器の提供元について、また君の伝手を……、優秀な密偵達を抱えているお姫様を頼ってもいいかな?」

「構いませんけど、俺が特に親しいわけじゃないので応えてもらえるかは……」

「うん、わかってるよ。それがわかった上でお願いする。エル・ダルークでの捜査の進展を待っていたら、その相手に逃げられる可能性が高くてね。どうしても、連中を捕える切っ掛けになるモノが欲しいんだ」


 顔だけ振り向いたリューディスの目は、寝ぼけ眼がどこかへ飛んで消えてしまったように、鋭利に輝いていた。


 クロウは中年大尉が俄かに見せた眼力に気圧される。


 しかし、それでも退かずに見つめ返した。


「どういったことを聞けば?」

「うん、うちに入り込んだ毒蟲の手足をもぎ取りたいって言ってもらったら、多分わかってくれると思う」

「わかりました、伝えておきます。結果の連絡はどうします?」

「うーん、悪いけど、市軍本部の受付に頼めるかな。あ、別にエンフリード君本人じゃなくて伝言でもいいから」

「了解です」

「うん、見返りっていうか、対価として、こっちもそっちになにかあったらイロイロと相談に乗るから」


 クロウはその申し出を聞くと、軽く笑って応じた。


「リューディス大尉に相談するような、問題とぶつからないことを願っておきます」


 少年の物言いに、リューディスは確かにと苦笑する。それから預けていた背を離して、手にした煙草を衣嚢(ポケット)に入れた。


「じゃあ、勝手なお願いだけど、よろしく頼むよ」

「ええ」


 それじゃあと別れを告げると、リューディスは夜の気配が差し込み始めた広場を歩き出す。

 ルベルザード土建の制服を着た若者と話をする女学生を横目に、砂塵塗れの外套をはたくグランサーらしき者の前を通り、熱心に財布の中身を確認する若者の脇を抜け、場違いな程に儚げな雰囲気を持つ女とすれ違い、思わず振り返る。


 それほど高くはない背丈。線は少し細いが女らしい身体つき。肩程まで伸びた黒髪が風に揺れている。内の下着が透ける程に薄い衣から恐らくは夜の女。リューディスが思わず振り返ったように、周囲の男達も注意を向けている。


 そんな女が迷いなく足を向ける先は深紅の機体。

 学術院の女学生が駆け寄っていくそこを目指している。


 なにがしか起きそうな気配に好奇心が疼き、寝ぼけ眼の男は結構な興味を引かれる。

 だが、内側の広場……南大市門広場に相棒(新人)を待たせていることもあり、そのまま市門をくぐり抜ける。


「ああいう風に問題を引き寄せてしまうような……、双子女神(レーシュ・ルーシュ)巡り合わせ(いたずら)に嵌められた犠牲者の果てが、もしかすると英雄っていうのかもねぇ」


 リューディスの独り言は広場の空気に消えていった。



「ねね、クロウ、今の人って市軍の人だよね。何話してたの?」


 挨拶もそこそこに、リィナは機内に収まっている少年を見上げて問いかける。

 クロウは少しだけ考えるような素振りを見せてから、なにもなかったように普段通りの調子で答えた。


「世間話って奴かな。ほら、ここ最近、俺、アーウェルやエル・ダルークに行ってたから、現地の話を聞きたいってね」

「へぇ、そうなんだ」


 リィナは少年の説明を聞くと、簡単に納得して頷く。

 そんなちょっとした受け答えであるにもかかわらず、少女の顔は活き活きと明るく輝いている。クロウはなんとも楽しげな少女の様子に、なんとなく面映ゆくなってしまう。


 自然、口を閉ざした少年に対して、リィナは笑顔のまま少しだけ機内に身を覗かせて続けた。


「ところでなんだけどさ、クロウ、明日って暇?」

「明日? あー、明日は……」


 なにも予定はない。


 そう続けようとしたのであるが、リィナの背後に新たな人影を認めたことで、そのまま声が途切れる。


 自身の背後へと視線が向いた事を知り、少女も振り返る。


 そこには赤い薄衣をまとった女が佇んでいた。

 相応に手入れされた黒い髪。表情は伏し目がちの為か儚げな印象。衣に透ける身体は凹凸こそ些か貧相であるが、小麦色の肌は艶めかしくも滑らか。どことなく物寂しい風情が薄幸を想起させる為か、不思議な程に女の色香が立っている。


 リィナは女として負けている気がして、思わず怯む。


 この場のもう一人、クロウであるが、こちらは最初に誰だろうと首を傾げ、じっと見る内に訝しげな顔になり、あっと気が付いた瞬間に顔を押さえて天を仰ぐ。


 そういったクロウの反応を待っていたように、儚げな女が弱々しく呟いた。


「責任を……、とってください」


 小さな声。

 なにの、どういう訳か周囲によく響いた。


 リィナは女が言った責任という言葉に、思わず後ろを振り返る。


 そこには今まで見た事がなかった顔が……、歳相応にげんなりした顔をした少年がいた。


 少女の中にある様々な知識や耳にしてきた噂話、大人が教える寓話、同年代の伝聞、更には少年の態度といった物が勝手に組み合わさっていき、一つの結論に達する。


「く、クロウ? もしかして、この人って」

「ただの知り合いだ。……いや、特にこれといった関係のない、ただの顔見知りだな」


 リィナの確認の声に対して、少年は冷淡でつれない言葉を返す。


 薄衣の女は強い衝撃を受けたように身体をふら付かせ、今にも泣き出しそうな顔で口を開く。


「そんな、ひどい……。あんなに一緒にいたのに……」


 クロウが反論すべく口を開いた瞬間、それを封じ込めるように震える声が続いた。


「あなたにとってみたら、わたしとのことなんて、しょせん遊びでしかない。わたしはやっぱり、どうでもいい、……おんな」


 女は自らの発した言葉に傷ついたように俯く。足元にポタポタと雫が落ちては染みを作り出した。


 暮れなずむ広場に、俄かに出現した愁嘆場、

 間に挟まれた形のリィナはまた女の言うことを信じるか、少年の落ち着きぶりを信じるかで惑う。広場を行き交っていた人々の中にも常と違う気配を感じ取ったのか、足を止める者が増え始める。


 機内から周囲を俯瞰していたクロウは周囲の様子に気付き、表情を引き攣らせた。


 その間にも嗚咽は静かに続く。

 時に弱く時に強く、自然に鼻をすすり、身が千切れそうな声音で恨み言を呟き、それでも縋るよう上目でパンタルを見る。


 遠巻きに見る者が徐々に多くなっていく。

 付け加えると、ひそひそと言葉を交わす声も聞こえてくる。


 若い機兵が本気になった商売女に困ってるみたいだ、いやいやアレは弄んで捨てた因縁から来たに決まってる、はん泣いたら解決な訳ないでしょ、可愛い顔して冷たい子ねぇ、あたしなら一突きブスリといっても支持するよ、ふん馬鹿な女、男なんて他にもいるでしょ、機兵はモテるからなぁ、あれでもあの機兵って遊びなんてしてない話だぞ、機兵なんだから俺達が知らねぇだけでヤルことはヤッテるだろう等々。


 ことここに至り、クロウはこれ以上はイロイロとまずいと判断し、これ以上の寸劇を打ち切るべく決を下した。


「おい、もういい加減、芝居はやめろって」

「ふふ、あなたからすれば、わたしのすることなんて、おしばいていどにしか見えないのね」


 こんにゃろう、また前と同じことを……、場を勝手に作って、好き放題にやってくれるじゃねぇかっ!


 少年は思わず出かかった罵声を歯を噛みしめることで封じる。

 それから、この場で短気だけはいけないと己に言い聞かせて、落ち着こうとする。が、どうしても解消し切れない憤懣が拳を握り締めさせる。プルプルと震える腕。同じく震えそうになる声を必死に御して、クロウは周囲にも聞こえるように告げた。


「わかった。話を聞こう。……ただし、場所を変えてな」


 少年はこいつには絶対に一撃喰らわせると決意すると、リィナにも言った。


「あー、なんていうか、その……、ごめん、やることができたから、今日はこれで引き上げるよ」

「あ、うん」


 状況に対処し切れず、戸惑いの中にあったリィナはげっそりした顔の少年に頷き返すので精一杯であった。



  * * *



「あだーーっ!」


 家に戻ってきたクロウはなによりもまず、薄衣の女の額へ強かに手刀を喰らわせた。駐機した機内より手招きして、近づいてきた所を上段からの振り下ろし。相手に対処の間を与えぬ程に鮮やかな奇襲であった。


 額を押さえ痛みに悶える女。

 その頭より黒髪がずれ落ちて、亜麻色の短髪が露わになる。


 クロウはそれを当然といった風情で流し、怒りを露わにして咆えた。


「おまえ、なに考えてんだよっ、まったく!」


 いらぬちょっかいを出してきた相手に一撃を喰らわして、悶え苦しむ様を見た上に、大声を出したことでいくらか気が晴れたのか、少年は表情を不機嫌なモノへと落として、機外へと降り立った。


 そして、腕組みをして、涙目になった女……シュタール家の密偵ミシェルの前に立つ。


「さて、ミシェル、弁明を聞こうか」

「い、いや、ちょ、っと、クロウに、お願いが、あったから、会いに来たのよ」

「ほうほう。なら、お願いがあって来たはずが、どうしてああいう風になる?」


 ミシェルは涙目のまま、よくぞ聞いてくれたと言わんばかりに頷くと、笑って言った。


「いやほら、エル・ダルークじゃいいようにしてやられちゃったから、そのお返しに」


 ひどい理由に、少年の口より重い溜め息が吐き出される。


「ひどい逆恨みがあったもんだ。というか、あれは自分で勝手に自爆した結果だろう」

「誰かさんが絡んだ結果よ」

「俺としては、因業が巡ったと返そう」


 ミシェルはクロウの返事に可笑しそうに笑みを深めて応じる。


「見解の相違って奴ね」

「相違って……、お前なぁ、せめて、そうなった失敗の根本くらいは直視しろって」

「なるほど、それだったらクロウに目を付けたことかしらね」

「俺はお前に目を付けられたことだ」


 意見の一致をみた二人であったが、この場においてはどうでもよいこと……どうにもならない過去の出来事でもあった。


 その為、亜麻色髪の密偵はさらりと合意した結を流して話し続ける。


「まぁ、それは置いといて、理由はそれだけじゃないわ」

「一応聞こう」


 少年は少し疲れた顔で先を促す。


「一回の失敗だけで、クロウが私のこと、えっ密偵? ははっ、ってな感じに笑ってそうだったから、実力を見せたのよ」


 クロウからすれば、これまたひどい理由であった。少年は肩を落として項垂れる。


「そういうのは……、見せてくれない方が良かったよ」

「ふふふ、その様子だと、効果は抜群って奴ね」


 密偵は自らの悪巧みが上手くいったことに喜色満面の笑み。


 クロウは怒りを感じる前に呆れてしまい、思わず額を押さえた。


「まったくだ、下手すりゃ、今まで築いた評判が吹き飛ぶかもしれないって程にな」

「そーでしょうそーでしょう」

「はいはい、上手くいってよかったな。……で、俺に対して、言うべき言葉は?」

「んー、もう一回してあげようか?」


 クロウは無言のまま、密偵の額に横薙ぎの手刀を強めに振るった。


 前頭骨を打つ鈍い音が響き、密偵は悲鳴を上げて蹲る。


「お……、お、同じところは、ないでしょっ!」

「笑えない冗談を言うからだ。……で、用事っては?」

「え? えーっとぉ」


 蹲った状態から顔を上げると、青い目を潤ませて見上げてくる。


「用事というかなんというか、その、ほら、エル・ダルークでの仕事に失敗してから拠点に居づらくなっちゃってさ。しばらくの間、ここに泊めて欲しいなーって」


 ミシェルはそう言うと男に媚びを売るように、弱々しく品を作ってのお願いと付け加える。


 クロウはにこやかな笑顔を浮かべて応じた。


「帰れ」


 無情な一言に、ミシェルは勢いよく立ちあがって口を開く。


「ちょ、そんな良い笑顔で言わなくていいじゃない! というか、女が困ってるんだからさ、男なら一考位しなさいって!」

「いやいや、確かに女かもしれないけど、それ以上に腕の良い密偵ってわかったから、もう怖くて怖くて」

「そんな笑顔で言われても説得力ないわよっ!」

「あはは、これは恐怖心を克服する為に無理やり笑ってる誤魔化してるだけさ」


 誤魔化し笑いにしては実に自然なモノであった。


 それから不意に、緩みを全く宿さない無表情となり、普段の少年からすれば信じられない程に乾いた声で告げた。


「それで、本当の所はなんだ? 理由を言え」


 枷を解き放った野性溢れる眼光。

 普段は奥に潜んでいる戦う者の狂熱の気配。それを感じとって、密偵の背筋に悪寒が走る。


 だが同時に、その全てを焼き尽くしそうな意力がどうしようもなく愛おしく、壊れかけの心胆が甘く痺れた。


 それでも彼女は表情に不敵な笑みを浮かべて見つめ返す。


「本当も何も、それが全てよ」

「嘘だな」


 一息での切り捨て(断言)

 油断も隙もない顔は頼もしく精悍であった。


 女は身体の奥が疼き始めたのを自覚しながら答える。


「あら、どーして嘘だと思うの?」

「任務に失敗したから拠点に居づらくなった? 蟲の襲撃を受けている開拓地にまで一緒についてきた奴が? そんな細い肝なわけがない」

「ま、酷い言い方。……私、これでも女よ?」

「その女が第一線で動く世界で生きてきたんだろ? 男とか女とか、そういったモノが理由になるとは思えないな」


 真理を突いた言葉に、ミシェルは笑みを深める。


「だったら、私の身勝手な仕返しっていう線は?」

「それこそありえない。……エル・ダルークで追手から逃げる為に俺に押し付けたことや、正体がばれた後でもうまく立ち回って最大限の成果をあげようとした奴が、そんな無駄なことに価値を見い出すとは思えない」

「買い被りね。私も人よ。意趣返しの一つはするわ」

「確かにするだろうさ。でも、酒場で喧嘩を煽った結果、正体がばれるなんて手痛い失敗をした後なんだ、最低限、目的と合致させてするはずだ」

「話聞いてると、なんていうか、酷い女ね、私って」


 密偵の声に僅かな自嘲が混じる。

 そんな女を少年はまっすぐに見つめて応じた。


「実際、酷い女だよ、お前は。任務を果たす為なら手段を選ばず、まったく関係ない俺を巻き込んだんだからな」


 軽く息を吐き出して、若い機兵は続ける。


「けど、そういったことができるからこそ、間違いなく有能だ。実際、エル・ダルークで麻薬を密売しようなんて企みを持っていたモンドラーゴは捕まって潰された」

「残念、それは私の力じゃなくて仲間の力よ。私は精々情報を集めるだけの下支えに過ぎないわ」

「その下支えがなければ、お前の仲間も動くに動けないはずだ。機兵が整備士の支援を受けなければ十全に働けないようにな」


 クロウは鋭い目を向けたまま、更に言葉を重ねた。


「俺はシュタール家の密偵組織を直接知っている訳じゃない。けど間接的に、その力を頼りにしようとしている人を……、社会的に責任を持っている人を知っている。そんな風に信用されている組織が仕事のできる奴を冷遇するなんて考えられないし、好き勝手に遊ばせておくとも思えない」

「それはまた、嫌な信頼を持ってくれるものね。……組織だって腐るのに」

「今は腐ってないだろ。少なくとも、あの人に仕えている内は……」


 少年は苦手意識がある冷然たる青髪の麗人を思い出し、少しだけ表情を曇らせた。


 ミシェルは主筋のことまで出されたことで、遂に諦めたように重く息を吐き出す。


 ついで、さばさばとした顔となって口を開いた。


「はいはい、そこまで言われたら、もう降参するしかないわ」

「俺としては、最初っからいらないことをしないで、素直に話してくれたら済む話だったんだけどな」

「そこは諦めてちょうだい。相手が気付かぬように利用するのが本来なんだから。……まぁ、今回ばかりは始めから無理だろうって思ってたけどね」


 女の言葉にクロウは少しだけ息を抜く。だが、真剣な顔は崩さない。


「それで、俺に近づいて何をするつもりなんだ?」

「護衛よ、小人の君のね」


 少年はそれだけで納得し頷いた。

 彼もミソラの希少性や魔術士としての実力、更には魔導技師としての力量を知っている。故に、護衛がついてもおかしくはないと考えて、軽く首を傾げた。


 目聡く気付いて、ミシェルが訊ねる。


「疑問がある?」

「いや、理由自体は納得できたんだが……、それがどうして俺の家に入り込むなんて結論になるんだ?」

「小人の君は自分が狙われるかもしれないって自覚があるし、魔術士としても大成してるから身を守る術も持ってる。だから、直接的に固めるよりも間接的に周囲を警戒して、危険を察知したら知らせる方がいいのよ」

「そんなものなのか?」


 クロウは密偵の話を聞いて、更に首を傾げる。その表情は得心がいくようないかないようなといった風情だ。


 そんな彼に対して、ミシェルは大きく頷いて言い募る。


「そんなものなの。けど、その間接的にっていうのがなかなか難しくてね、ある程度の信用を得られそうな環境でいて、周囲でうろちょろしても不審に思われない位の距離を保てるって辺りがいいの」

「なるほど、そういった条件をつめた結果、選ばれたのが?」

「そっ、時々顔を出しに来る、クロウの家」


 ミシェルは簡潔に理由を告げると色のなかった顔を引き締めて、家主に再度の許可を求める。


「そういう訳で、お願いだから協力してほしい」


 少年は小人の安全と、自身の家に目の前の密偵が入りびたり……否、居候するという事実とを勘案し、眉間に皺を寄せる。

 実の所、今の暮らしに異なる存在を受け入れるか、身内と認める存在の安全を取るかとなれば、彼の中での答えは既に決まっている。だが、それを素直に受け入れられるかとなると話は別である。故に今の表情だ。


 一分近い沈黙の後、クロウは不本意そうな顔で口を開く。


「仮にその話を受けるとして、期限はどうなる?」

「今のところは未定。だけど、小人の君やクロウが引っ越すとかない限り続くと思う」

「なら、代わりになりそうな家を探す気は?」

「えー、私としてはイイ男と一緒に暮らせる方が……」


 クロウの険しい一瞥を受けて、途中で言いかえる。


「はい今のは冗談です。えっと代替となる家を探すかって話だけど、私としてはわからないって答えるしかないわ」

「それは、この件の決定権が上にあるってことか」

「そういうこと。もちろん、クロウからの要望や苦情はちゃんと聞いて、そのまま一言一句違えることなく上に言うけど、その結果がどうなるかまではわからない」


 ミシェルは小麦色の頬を掻きながら続けた。


「私もこの任を言い渡される時に聞いたんだけど、護衛を置く計画自体は以前からあったらしいの。でも、私達も手が多いわけじゃないから止まってたんだって」

「だが、今になって実行に移された」

「うん、前の一件で、私って女がクロウと知り合いになれたこともあったし、私自身も元々の任地から離れる事態になっちゃったから、ならこの際、懸念を一つ解消する為に、浮いた駒で進めましょうって感じ。ほら、男の独り住まいに女が入り込んできても、周囲から見たら違和感が少ないしね」


 クロウは密偵の話にあって、その内容よりもごく当たり前に口にした駒という言葉に複雑な印象を受ける。


 けれども、そのことには触れず、ただ己の髪を一頻り掻きむしり、非常に不服そうな顔を作って答えた。


「わかった。……今の話、受け入れる」


 その言葉に、ミシェルは最初にきょとんとし、ついで身体全体から力を抜くように大きく息を吐き出した。


「よ、よかったぁ。いきなり任務失敗、なんて風にならなくて……」

「ただしっ!」

「え、ただし?」


 赤髪の機兵は抜けた顔を晒す女に条件を付きつけた。


「うちに居候する為に必要となる経費は自前でなんとかしてくれ。具体的には、ここに二人目を住まわせる時に必要となる税金とか食費や寝具とかの諸々の費用な」


 ミシェルは呆けた顔から一転、軽やかに笑って言った。


「えーっと、この身体で払うって方法は駄目かな? ほら、仕事柄そういうのに慣れてるし」

「なるほど、家で暮らすありがたみを知りたいから、最初の一晩くらいは外で過ごしたいか。減らず口もうまい具合に凍るかもな」

「わー! うそうそ! あ、でも、別に気が向いた時に襲ってくれても……」


 クロウは女の戯言を流し、疲れた顔で居住部に向かって歩き出す。


「いや無視は傷つくっていうか、ほら冗談だってばっ!」


 その後ろをミシェルは慌てた風に言い繕いながら、それでいて楽しげな様子で付いて行った。



 * * *



 深更。

 密偵は寝転がった寝台より、暗闇に溶けた天井を見上げている。

 極限まで落とされた常夜の灯と、窓よりわずかに入り込む星の光。それらの頼りなく弱い光であっても、夜闇を確かに照らしている。ただそれだけで、夜目の利く彼女が周囲を見通せる程に。


 女は黒に染まった天井をじっと見続ける。

 これまで何度も見てきた、それこそ彼女にとっては見慣れた……、男の相手をしながら見上げてきたモノを。圧し掛かれる相手を諸手で抱き締め、嬌声を上げながら醒めた目で眺めていたそれと同じモノを。


 ただ、今日はこれまでのそれと違い、刹那的な享楽はどこにもない。

 あるのは、穏やかな安寧とも呼べる静寂(しじま)とゆっくりと波打つ寝息(息吹)


 ミシェルは寝返りをうって、息の源に目を向ける。

 寝台より少し離れた場所で、家主の少年が薄手の毛布に包まって眠っていた。


 衣服に輪奈織(タオル)を巻いて、即席に作った枕。そこに頭を預けて、規則正しく寝息を立てている。

 時に真面目に考え込み、時におちょくるように歪み、時に精悍に引き締まる顔は歳相応にあどけなさを滲ませており、自身よりも年下であることを思い出させてくれる。


 密偵はその顔を眺めながら、自身に与えられた本当の任務を隠し通すことができて良かったと、独り思う。


 というのも、先日、彼女が頭領より呼び出されて直々に言い渡された任は、家主に説明したミソラの護衛などではなく、その家主の少年当人……クロウ・エンフリードの護衛なのだ。


 彼女はそれを言い渡された時、どうして赤髪の機兵に護衛がいるのかがわからず、混乱したことを覚えている。


 だが、その混乱も続いた説明を受けて消えていった。


 この地の発展に協力する小人の君の願いと、当人が知らずに抱える秘密……尋常ではない魔力の蓄積能力と吸収効率。


 特に後者が厄介なモノであった。

 魔術士を輩出する家系から見れば、一つだけでも涎が出る程に希少であるのに、それを両方とも有している。これに付け加えて、当人自体にもその力を十全に振るえる装備を与えることができるなら、権力を持つ者ならば注意を払わずにはいられない、それこそ戦略級の強力な駒となるのだ。


 もしも、このことが知れ渡れば、争奪或いは暗殺の対象となってもおかしくはない。


 まさに希望の種であり災いの種である。

 主筋や上が血筋の保護と種の拡散防止が必要だと判断したのも納得せざるを得ない。


 なにしろ、護るべき役を負った自身に対して、種を得ることが可能ならば得るようにとの指令が出され、避妊薬の供給が止められる程なのだから……。


 これまでに感じた事がなかった感情を抱いて、女の顔に翳りが浮かぶ。


 しかし、先のことは先のことだと、今までの任務で培った割り切りをすることで、それも消えていく。


 ミシェルは護るべき者を見て、思う。


 今はまだ、何も考えなくていい。

 こういう風にイイ男を眺めて独り寝をするのも悪くないのだから。


 女は意識せず、ほんのわずかに口元を緩めた。


 そして、今日から始まった生活ができる限り長く続くようにと願いながら、眠りの粉が己の目を閉ざす時が来るまで、じっと飽きることなく少年の寝顔を見つめ続けた。

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