三 世事は諸般にて
爛陽節第一旬十三日。
大砂海の東空、その澄み渡る青空の中程を光陽が昇り行く。降り注ぐ陽射しは午後の刺すような厳しいものと比べて柔らかく、それでいて活力に満ちている。
エフタ市の西にあって港湾地区と市内とを結ぶ港湾門も朝の陽光に照らされて、重厚な構えを栄えあるものにしている。そんな門をくぐって、赤髪の少年が市内に入ってきた。
薄赤の上着に洗い晒しの下衣という簡素な装い。出入りする荷車に轢かれないよう、注意しながら門前広場に足を進める。その姿は傍から見れば、身体を鍛えた若者といった観。だが、目元口元が弛み、今一締りがなかった。
些か残念な風情で、クロウ・エンフリードは商会通りへ向かって歩き出す。
広場より真っ直ぐに東へと伸びる道。蒼穹と赤茶けの建屋。先に集合住宅が見え、両脇には三階建て程の建物が並ぶ。その合間に幾つもの横道。路上には忙しなく走る人影や慎重に進む荷車があり、誰かが立ち話をしていれば、荷を背負って黙々と歩く人足がいる。
そうした光景に街の息吹を感じて、少年の表情が一層柔らかくなる。
しかし、その目が通りの左手に繁華街を認めて、口元に笑みを形作った。
少しばかり苦味を含む笑み。
彼がそういった表情を浮かべた理由は、昨夕に由来する。
全てが夕焼けに染まる頃、魔導機の調整が終わったのだが、このまま解散するのもなんだということもあり、小人の発案で場に集った者達で夕食を食べに出向くことになったのだ。
行き先はマディスが行きつけの食堂で、費用は珍しいことにミソラ持ち。
少年は口にした根菜の白煮のまろやかな味を思い出し、ついで席を設けた小人の意図について内々で思う
ミソラの奴、皆との懇親と新しい出会いを祝して、なんて言っていたけど、多分、俺が怒ったのを気にしてなんだろうなぁ。
クロウは少しばかりきまり悪そうに眉根を下げる。
彼は小人が越えてはならない線を越えたから怒った。そのことに対して、小人は反省し謝った。
これで終わりでいいはずなのだ。
……なのに、少年の心はなんとなく落ち着かない。
双方、これで納得したはずなのに、クロウの内で言葉にして表現できない、不定形で方向性のないもやもやとしたモノが、ゆらゆらと揺れているような感覚があって、それがあるかないかわからないような不安を呼び起こすのだ。
期せずして、揺れる心。
次々に湧き起こる感情。
クロウはこのままでは際限が無く考えに耽りそうな気がして、惑う自分に言い聞かせるように、今度会う時は普段通りにすればいい、それが正しいのだと、心中で断じる。
こうして一区切りつけて、大きく深呼吸。
気分を改めて、昨日の夕食をよくよく思い返すことにした。
場所は商会通りから入ってすぐの食堂、砂海の瑠璃亭。賑やかであるが、猥雑ではない活気があった。案内された席は奥の八人掛けの食卓。
それぞれが適当に席に着いて思い思いに注文を頼むと、正面に座ったリィナが自分の生活や最近のできごとを色々と話し出した。仕事の話ではない、異性との会話に慣れないながらもなんとか応えていると、リィナの右隣に座った短髪の少女、マリカが向かいに座ったエルティアと魔導機について話しながらも、たまに茶々を入れては意味深に笑っていた。
また、リィナを挟んで反対側に座った束ね髪の少女、アナは向かい合ったシャノンとの受け答えを楽しんみつつ、こちらの受け答えから話を広げて話題を途切れないようにしていた。
そして、シャノンの向こう側で若い連中の話には参加しないと言わんばかりに、酒を飲み始める先達と、食卓の上に座ってニヤニヤと楽しげな様子でこちらを見上げる小人。
あいつ……、俺がリィナ達の対応で大変だったってのに、こっちの反応を見て楽しんでやがったなっ。
一晩明け、冷静に思い返してわかった事実であった。
それがわかると同時に、少年の心の片隅で息を潜めていた不安が吹き飛んでいく。
クロウはあいつがそこまで繊細なはずがなかったなと手前勝手に結論付けて、鼻息を荒く噴き出す。それから、少しばかり尖った目で通りの両側に並ぶ建屋を見渡した。
彼にとって通りの西側……商会が軒を連ねる場所は、東側の商店街と違って関わりが少ない。なので、普段ならばやや速足気味に通り過ぎている所である。が、リィナの紹介で商会の娘と縁を持ったこともあり、今日は意識して見てみようと思っていたのだ。
立ち並ぶ商会は多種多様。
やはりというべきか、それぞれの商会ごとに趣きが異なっている。
まずもって取り扱う品。
これが違うと店先の雰囲気がかなり変わってくる。
例えば、穀物や根菜、果物や香辛料といった食料品を扱う店だと現物がずらりと並んで、重さと値段が記された札が付けられているし、建築用資材を扱う店だと中身が詰まったルーシ袋が山ほど積まれている。逆に旧文明の遺物を扱う店だと買取査定歓迎の看板が出ているだけであるし、木材や鋼材といった大物は絵図と値段が掲げられているだけである。
次に店の規模の大小。
廻船を持つ程の大商会ならば、倉庫を港湾地区に持っている為、人の出入りが主となる。対して中小規模の商会ならば、店先や店内が倉庫代わりになっている為、通りの前まで品物や商品で溢れてしまっている。
更に付け加えると、人や物の出入りにも色々とある。
ひっきりなしに荷車や人足が往来する場所があれば、人の気配すら感じさせない建屋もある。また、商会員と思しき者が来客を朗らかにもてなしている所があれば、店先で怒鳴り合い寸前といった風情で睨み合いながら値段交渉を行う者達もいる。
こういったことを見て取って、クロウは思う。
商店街に似ているが、なんとなく情緒が違うように感じると。
だが、残念なことに、彼にはどこに違いを覚えたのか、その原因が今一わからない。少年は心中でちょっとしたもどかしさを覚えつつ、歩き続ける。
満杯の水瓶、ルヴィラ産の岩塩、天井まで積まれた衣料品、同盟産の砂糖、積み重ねられた陶器、見たことがない日用品、袋に入った建材、砂海東部域で作られた多様な工具、よく目にする雑貨の山、産地が書かれた木材の絵図、帝国産の穀物、色鮮やかな果物の山、砂海西部域の革製品、開拓地で見た農耕具、東方領邦産の香辛料、十種類以上の干し果物、船の看板、なにかの繊維の束、旧文明の遺物。
結局わからないまま歩き続けて、南大通りと交わるトラスウェル広場。
クロウは自分なりの答えを得られなかったことにちょっとばかり悔しさを覚える。しかし、いったい何を剥きになっているのかと我に返って、ふっと肩の力を抜く。
途端、期せず心に言葉が思い浮かんだ。
「他の街の雰囲気、かな?」
少年は小さく呟くと、目的地である重厚感ある建物へと入って行った。
支部の中は午前という時間もあってか、静かだった。
クロウは併設された酒場に目を向ける。開店したばかりなのか、人気はない。見覚えのある中年の女給仕達がのんびり話をしながら食卓を拭いている。
目を転じて窓口を見る。
若い職員が肘をついて暇そうに窓口に座っている他は、こちらも待合に人影はない。が、奥の事務所では十人以上の職員達が仕事をしている姿が見える。その中に頭髪が寂しい中年男マッコールを認めて、クロウは窓口へと赴く。
近づく少年に気付いたのか、窓口の職員……クロウより三つ四つは年嵩の若者が訝しげな目を向け、気だるげな声で話しかけてきた。
「あん、グランサーか? 買い取りには早すぎる時間なんですけどー」
これまでに経験したことがなかった対応。
面食らったクロウが何事かを答える前に、件の職員の背後に怒りの形相を露わにしたマッコールが立ち、その頭上へと拳を振るっていた。かなりの力が篭った一撃だった。
当然、骨と骨がぶつかり合う痛そうな音が辺りに響き、若い職員が短い悲鳴と共に頭を抱えて突っ伏した。
「相手が誰であってもっ、丁寧に対応しろって教えただろうがっ! いい加減に仕事を覚えろっ!」
抑えた声量であるが、重々しい怒声。
今まで見たことがなかったマッコールの姿を見て、少年は目を丸くする。だが、その間にも中年職員は部下の頭を机に叩きつけて押さえると、自身も頭を下げて大声で続ける。
「申し訳ありません! 私の指導が不足しておりました!」
「ま、マッコールさん?」
「この者は今すぐに本部へ送り返して再教育を受けさせますので、どうかご容赦ください!」
「は、はぁ、わ、わかりました」
クロウが呆けた顔で頷くや、いつの間にかマッコールの傍に立っていた数人の職員達が呻いている若い職員の腕を取り、引きずるように部屋の奥へと運び去っていく。見れば、さり気に追撃ちの拳を振るっている。
その姿が見えぬよう、少年の視線を遮るようにマッコールが立ち塞がると、厳かな調子で告げた。
「では、改めましてご用件を伺いますので、こちらの窓口にお願いします」
いったい何が起きているのかわからず、少年は理解が追い付かない。それでもマッコールに促されるままに、別の窓口に移る。その時、奥から裏口の扉が締まる音。
途端、髪が寂しい中年男は顔と肩から力を抜いた。
「はぁ、いきなりすまんかったな、クロウ」
「ああ、うん。……それで、なんだったの今の? 連れていかれた人、昨日は見なかった顔だったけど」
少年からのもっともな問いかけに、マッコールは疲れ切った表情で答えた。
「あいつは我が組合連合会において、あってはならない恥ずべき廃棄物……親の力を自分の物と勘違いしたボンボンだ」
「偉いさんの息子さん?」
「ああ、今節に縁故採用された奴なんだが……、どういう訳か、昨日の昼、お前さんがここに顔を出した後、研修の名目でうちに配属されてきたんだよ」
中年職員は大きく溜息を吐き出して、うんざりした様子で窓口席に着いた。
「それがまた酷い奴でな挨拶も満足にできない仕事は荒いおそい態度は大きき上に悪い教えても覚える気がない人に助けられて当たり前で感謝をしない口の立ち方もわからないでもって人を怒らせることでいらん仕事をふやしにふやすもぅこっちも我慢の限界って訳で面倒を喰らわされた分を少しでも返して本部に返品って奴だ」
「そりゃまた災難だったね」
クロウは一息で述べられた内容から大凡の事情を知り、苦笑しながら受付台に肘を置いた。
対するマッコールはやれやれと言わんばかりに首を振って応える。
「お前さんは簡単に言うがなぁ、こっちはもう本当に堪らんぞ。初っ端から仕事の依頼に来たルベルザード社長に変に絡みやがって、あの時ばかりは胃の内側が削れたのがわかった」
「具体的になにしたの?」
「馴れ馴れしい態度で身体触って、色目使いやがった」
クロウは思わず天井を仰いだ。
「命知らずだね」
「まったくだ。実際、社長さんから、次に不快なモノを目にしましたらと釘を刺されたし、ゴンザさんからも、うちの者の手を汚したくねぇんですが、って言われたよ」
「……それ、洒落になってないよね」
「ああ、洒落になってない」
クロウは郊外で行われている工事の光景を思い出し、そこに人知れず埋められる様を重ねて、身震いする。
「なら、なんで今日も?」
「時間の都合だ。お前さんなら笑うかもしれないだろうが、俺達も自分達の生活や組織のしがらみってのがあってな、そういった点をどうにかするのに、昨日一晩使って根回ししたんだよ。で、その結果、俺達の後ろ盾になってくれるって人が複数いたから、さっきの寸劇を決行した訳だ。……最後の問題は奴の被害者が誰になるかって所だったんだが、上手い具合にお前さんが来てくれて助かったよ、本当に」
「はは、これでまたルベルザード社長が来たりしていたら」
「勘弁してくれ、胃に穴が開いちまうよ。……それはそうとして、クロウ」
「ん?」
「こっちの不始末に巻き込んで、申し訳なかった」
マッコールは立ち上がると、丁寧に頭を下げてきた。ただそれだけの動作であるが、先程の大仰なものより心が篭っていた。見れば、後ろの他の職員達も同じように頭を下げていた。
クロウは突然の事態に慌てて答えた。
「いや、びっくりはしましたけど、謝られる程のことでもないですし、全然、気にしてないですからっ! ……マッコールさん、けじめなのはわかるけど、ほら、こっちも色々とやりにくいから、そろそろ仕舞いにしてよ」
小声での抗議に、マッコールは顔を上げて、少し悪ぶった笑みで小さく言った。
「本当に、来てくれたのがお前さんで助かったよ」
「はは、だろうね。……はいっ、これでけじめはつきました! 仕舞いです! みなさん、仕事に戻ってください!」
なんで俺がこんなことを言っているんだろうと、少年は疑問に思いながら宣したのだった。
数分後。
まだ少しだけ空気が浮ついているが、それでも組合支部は普段の様子に戻っていた。そのことに安堵しつつ、クロウは窓口の向こうに座る中年男に改めて話し掛ける。
「マッコールさん、頼むからああいうのはやめてくれよ」
「すまんがそれはできん話だ。小狡い大人の処世術って奴だからな」
「なるほど、勉強になるよ」
赤髪の少年は諦めたように笑ってから、おもむろに切り出した。
「で、今日の来た用件だけど」
「おぉ、なんでもこい」
これまでになく気合が乗った返事。
マッコールも普段しないことをして、気分が高揚しているかもしれない。そんなことを思いつつ、クロウは最初の用件を告げた。
「久し振りにエフタで仕事を探そうと思って」
「仕事だな。機兵っていうか、お前さん目当ての依頼が結構来てるぞ」
「俺目当て?」
「ああ、魔導船の搭乗護衛が三件、開拓地の駐在警備が二件、後、ルベルザードさんの所からも現場の警護依頼だ」
「結構、来てるんだ」
「そりゃそうだろ。お前さんの名前も売れ出してるからな」
「へぇ、そうなんだ」
クロウは目を瞬かせた後、それは知らなかったといわんばかりに首を捻る。マッコールは少年機兵の不思議そうな顔に、少し呆れを滲ませて言った。
「クロウ、ここ最近で自分がしたこと、思い出してみろ」
「エル・ダルークに行って帰って、後はアーウェルに商船護衛に行ったくらいかな」
「それは請けた仕事だろ。俺が言いたいのはその内容だ、内容」
「内容? 普通にやることやっただけだと思うけど?」
少年は更に首を傾げる。
というのも、仕事の内容などと言われても、彼自身の感覚としては機兵として当然のことをしただけという認識しかないのだ。もっとも、それはクロウ個人の認識であって、外の目がその仕事ぶりをどう見て取るかは別の話である。
どこか抜けた顔を晒す少年に、マッコールは困ったように眉根を下げた。
「ったく、お前さんはもう少し自分が機兵として為したことを自覚しろ」
「そこがわからないんだよ。当然のことをしただけなんだからさ」
至極真面目な顔での答え。
これを受けて、マッコールはこいつの認識を変えないといけないと思い、予め取り分けておいたクロウ向けの依頼書を取り出し、受付台の上に広げた。
自然、クロウも依頼書へと目を向ける。少年の注意を引いたことを確認すると、中年職員は滔々と語り出す。
「ああ、お前さんからすれば当然のことをしただけなんだろう。けどな、世間はその当然の意味合いをお前さんが考えている以上に重く受け止めている。一番わかりやすい所だと、ほれ、みて見ろ賃金の欄を」
言われるままに目を向けると、賃金欄の数字は以前よりも大きくなっていた。
「前より増えてる?」
「そういうことだ。商船護衛で三割増し、ルベルザードさんの所だと五割増しだ。まぁ、駐在警備に関しては元より相場よりも安いがそれでも通常よりも高めだし、備考欄に三食に加えて世話人まで付けるってある」
「確かに、書いてるね」
「ああ、それがクロウ、お前さんに対する世間の評価って奴だ」
「……そっか」
と言われても、クロウの中ではまだ実感となっていない。
だが、それでも金銭という人類社会に不可欠なモノを使って示された、以前よりも大きくなった数字を目の当たりにして、これまでの働きが評価されたのだということは理解できた。
無意識の内だろう、少年の頬が微かに緩んだのを認めて、マッコールもまた嬉しそうな顔となって続ける。
「クロウ、当人であるお前さんにはわかりにくいかもしれんが、為した働きは誰かが見ているし評価もしている。例え、信用も信頼もなにもない、どこの誰かもわからない奴であったとしてもな。働きってのは必ず巡り巡って自分に帰ってくる。それが世間って奴だ」
「ああ、うん。……なんだろう、今更だけど、なんか嬉しくなってきた」
「だろう。だから、自分のことを少しは誇れ。過ぎた謙遜ってのは、時に嫌味にもなるからな」
「ん、気を付けるよ」
クロウは相好を崩しつつもしっかりと頷く。髪の薄い中年もそれを見て頷き、台上に広げた依頼書を指し示す。
「で、今、うちが仲介できるのはこれだけあるんだが、どれにする?」
「とりあえず、昨日、ルベルザード社長やリィナとも約束したばかりだし、警護依頼を請けるよ」
「わかった。この依頼書だ。目を通してくれ」
少年は首肯して紙を受け取り、綺麗な字で書かれた内容に目を走らせていく。
依頼人はルベルザード土建。依頼内容は市壁拡張工事に関わる人員の警護。期間は、共通暦三百十七年爛陽節第一旬十六日より同年同節第二旬二十日までの二十五日間。内休日は五日。一日の労働時間は、九時から二十五時までの十六時間、内休憩が三時間半。賃金は一日千八百ゴルダ。請負人の負傷及び罹患に対する補償は有り。使用機体の損傷時の補償は無し。依頼人が請負人の失敗で損害を被った際は、組合連合会損害保険が補償。備考は無し。
「うん、これなら十分。こっちから条件の変更を求める所はないよ」
「わかった。これからの予定は?」
「昼かミソラの開発室に行く用事があるけど、朝はこれといってなし」
「なら、今から向こうに連絡を入れるか」
「お願いするよ」
クロウが頷くと、マッコールは後ろの事務席へと振り返り、若い職員に指示を出す。指示を受けた若者は元気に返事をすると、日除けの外衣を羽織りつつ足早に支部から出て行った。
マッコールはそれを見送ると、少しばかり目を細めて顔でしみじみと言う。
「あれが三年目までの正しい姿なんだよなぁ」
「マッコールさんもああいう風に走ってた時期があるんだ」
「はは、今じゃこんななりだが、走ってたぞ。……嫁さんに声をかけられたのもその時期だ」
「へぇ、そうなんだ」
恰幅の良い中年男はそうなんだよと応じ、ついで、丸顔にどこか厭らしい笑みを浮かべて続けた。
「そういうお前はどうなんだ?」
「俺?」
「ああ、昨日の晩、綺麗所に囲まれた上、両腕に抱いて高笑いって話を聞いているんだが?」
「へ?」
瞬き。
次に内容を理解して、若い顔が呆れたように脱力する。
「ないない。というか、いったい、どこがどーしてそうなるのか、聞いてみたいもんだ」
「なんだ、そんな顔をするってことは、違うのか」
「違う違う。昨日は、ミソラにマディスさん、シャノンさんにティア、リィナにその友達のシベリスさんとマリネールさんと一緒に夕食を食べに行っていたんだよ」
マッコールは耳にした言葉に引っ掛かりを覚え、口元に手を当てて記憶を探る。
五秒も経たない内に答えが見つかった。
「なぁ、クロウ。さっきも言ってたが、リィナって子はルベルザード社長の……」
「娘さん」
「だよな。なら、その友達ってこととなると、俺の記憶が確かなら、マリネールさんが商会の娘さんで、シベリスさんが市軍幹部の娘さんだったと思うんだが」
「あー、うん、そうだけど、よく知ってるね」
「いや、仕事柄な。……って、おい、綺麗所に囲まれたってところは本当じゃないか」
事実の指摘を受け、クロウはついと目を逸らした。
そんな年頃の少年らしい姿に、マッコールは再び笑って追撃する。
「で、麗しい綺麗所に囲まれた感想は?」
「思ったより大変だった」
「んん? ちやほやされて楽しかったとか色香に惑わされたとか、男の野性が呼びさまされたとか下半身が疼いたとか、そういったのは?」
「あー、確かに楽しいことは楽しかったよ? けど、それ以上に慣れてないことだから疲れたよ」
「かー、イイ年頃だってのに、情けないこと言うなよ」
マッコールは天を仰いで目に手を当てるという、些か大げさな身振りで嘆いて見せると続けて言った。
「お前さんも歴とした機兵なんだ。色事にもっと積極的になってもいいと思うぞ」
「色事ねぇ」
クロウは難しそうな顔で腕を組み、自身の内にある疑問を口に出した。
「前から思ってたんだけど、色事ってさ、具体的にはどういったこと?」
「極論すれば、女と情を交わす……身体の関係を持つってことだが、広く浅く見れば、女と仲良くなって楽しく時間を過ごすってことだろうし、狭く深く見れば、意中の相手との仲を深めるってあたりかな」
少年は告げられた内容を我が身に当てはめて、何度か小さく頷いた。
「そういったことなら、似たようなことを経験してる、かな?」
「ほほぅ、どこでだ?」
人生の先達からの問いかけに対して、クロウは答えようとするかのように何度か口を開閉させる。
しかし、明確な声としては出なかった。マッコールはそれだけでなんらかの経験があるのは確かだと見抜いた。けれども、自身からは話し掛けず、答えを待つ。
それから十秒程の時を経て、クロウはきまり悪そうに目を泳がせて口を開いた。
「いや、さっきのは嘘っていうか、ちょっと見栄はった」
「はは、そうか。……なら、これからイロイロと経験するといいさ」
中年男はあっさりと追及の手を止めると、話を切り上げるべく新たな話題を声に乗せた。
「ところでだが、お前さん、前に遺構発掘を一緒にやったグランサー達の話、聞いてるか?」
「え? あ、いや、聞いてないっていうか、このところバタバタしてたから、そういった話は全然。何かあったの?」
「ああ、分け前の使い道を考えた結果、機兵になると決めたそうだ」
「へぇ、そうなんだ。って、なんでマッコールさん、そんな話を知ってるの」
「そら相談に来たからだよ。お前さんがアーウェルに出張ってて、話を聞けないからってな」
しかし、縁ってのは新しい縁を紡いでいくから面白いもんだと言い添えてから、マッコールは続ける。
「で、その時に話を聞いたんだが、前の嵐籠りの時にあった麻薬密売。その犯人が孤児グランサーだっただろ?」
「そうだったね。それが?」
「飛び火してな、その孤児グランサーを使っていた商会の経営がまずいことになっているらしい」
「飛び火……、そんなことあるんだ」
「ある。というよりも、その件でその商会の信用が低下したって言ったらいいか」
「つまり?」
「働かせている孤児をしっかりと管理できていないってことは、他の面でもそうだろうって風に見られてるってことさ。もっとも、あそこは元々あこぎな商売っていうか、買い集めた孤児を使い捨ての道具としてしか見てない所だったからな。今回の件を切っ掛けに付きあいを見直そうって動きも出てくるってもんだ」
クロウは話を聞いて、孤児グランサーを使う商会について考える。
その商会での孤児の扱いは特別酷いものだっただけで、他の商会はもう少しはまともなのだということはわかる。しかし、どのような理由があろうが、自分と似た境遇の者達が危険な場所で働かされている現実は変わらない。
けど、今まで生きてきて、孤児を引き受けて育ててくれる存在が少ないことを知った。生まれた後、路上に放っておかれて餓死や凍死しないだけ、マシなのだということも知った。実際、自分が助けて食わせていけるかと問われたら、首を振らざるを得ないことも。
そう、結局、人は誰も彼もを助けることはできない。
人は助けてくれる手がなければ、自らの手で生きる道を掴みとるしかない。
でも、身一つで捨てられた者にそんな力がどこにある?
人は助けてくれる手がなければ、生きる為の力を手にすることもできない。
そんな何も為せない者達を拾って使うのだ。
例え、死地に追いやろうとも生きる可能性を与えるだけ、何もしない者より遥かに上等なのかもしれない。
その行いが自分の意に適わないものであっても、その点は認めざるを得ない事実だ。
そこまで考えて、若い顔に何とも言えない微妙な表情が浮かんだ。
中年男は少年の複雑な顔を見て苦笑する。
「まぁ、お前さんも色々と思う所があるだろう。それと同じでな、子どもを持つ親なら、ああいったやり方に思う所があるってことさ。もちろん全ての者が、とは言わんがな」
「だろうね」
安全な場所でも孤児が生まれているんだから、という言葉は呑み込みこみ、クロウは先を促した。
「実際の所、どうなりそうなの?」
「ああ、伝え聞いた話なんだが、ザルバーンのとある商会が融資するって話が出てる。それで提携を結ぶか、その商会の傘下に入って経営を立て直すか、ってとこだろう」
「ふーん、商売も色々と大変なんだなぁ」
「なに言ってんだ、商売に限らず、稼ぐってことは大変なことだろう。後、立て直すって話で思い出したが、アーウェルの復興は順調に行っているそうだ。東部域での賊党被害はなくなったし、東方航路での被害も減っているって話だからな、上手く物と金が流れ始めてるんだろう」
「そっか」
クロウの脳裏にアーウェルで出会った者達の姿が浮かび上がる。
その中でも特に印象に残っているのは、緋髪の踊り子。
快活に笑う姿や相方の演奏に乗って踊る姿、艶めかしい肢体、懸命な様子、怒った顔に切羽詰った表情、そして……。
「とはいえ、東方航路がまだ安定したとは言えない状況だ」
少年の想起はマッコールの声が続くことで消えていく。
「ペラド・ソラールからの要望もあるし、念の為に旅団の東方航路遠征を実施して、それと並行する形で北回り航路の開拓って話も出てきているそうだ」
「北回り航路?」
「ああ、今使ってる航路よりも北側……、アーウェルからドライゼス山系を抜けた後、従来航路よりも北側に新しい航路を探して、途中の領邦に立ち寄らずに大陸の端、ペラド・ソラールまで一直線って奴だ」
「そりゃまた、壮大な話だね」
「まぁ真面目な話、無補給で一直線ってのはかなり無理があるからな、水源が確保できそうな場所を探して、中継拠点を造るだろ」
「となると、実現するとなるとまだまだ先の話だね」
中年職員はクロウの言葉に頷いて言った。
「俺もそう思う。一つのモノを築き上げていくってのは大変なことだ。……北の状況を見てきた今なら、クロウも肌身でわかるだろう?」
少年の頭に思い浮かんだのは、蟲の襲撃で潰されてしまった開拓地。
多くの人が力を合わせ、労力と時間をかけて作られていたモノ。たった一日で失われてしまった、人が住まう場所。失われた故郷と重なり、眉根の端が自然と下がる。
「わかる、気がするよ」
「だから、開拓地の警備って仕事も、選択肢として考えてくれな」
「うん、了解。……っと、それに関係してなんだけど、マッコールさん、開拓大全って知ってる?」
マッコールは珍しい単語を耳にして、おやと右の眉だけを上げて答える。
「もちろん知ってる。あれはうちが開拓者向けに出している本だからな。それがどうかしたか?」
「いや、昨日言ったかもしれないけど、帰り道で開拓地に寄ることになってさ、そこでそんな本があるって聞いて、ちょっと興味を持ったから欲しいなって思って」
「そうか。……しかし、あれは一生モンの代物っていうか、長持ちするように上等の紙を使ってるから、かなり高いぞ?」
クロウは高いと聞いて身構えつつ、おそるおそる訊ねた。
「えっと、い、いくら?」
「五万ゴルダ」
「五万、かぁ」
簡易魔導機に乗る為の限定免許の取得費用が六万であったことを考えると、確かに高い。グランサー時代のクロウでは簡単には捻出できない金額であった。
しかし、今の彼にとっては手が届く金額であり、自らの目標に近づく確かな一歩の値段である。
逡巡したとは言えぬ間の後、クロウは決断する。
「よし、買う」
「おまっ、……本気か、クロウ?」
「うん。幸いっていうか、例の発掘で稼いだ金もあるし、せっかく興味を持ったんだから読んでみるよ」
マッコールはすぐに頷かず、ただじっと少年の目を見る。
クロウは目を逸らさず、まっすぐに見つめ返す。
それが数秒続き、髪の薄い中年男はふっと納得した様に口元を緩めた。
「わかった。開拓大全、取り寄せておくから二三日待ってくれ」
「ああ、よろしく、マッコールさん」
マッコールはクロウの声にしっかりと頷いて応えた。
* * *
所変わり、組合連合会本部。
上層にある幹部の執務室の一つにて、ミソラが主たるセレス・シュタールと話をしていた。
「もう連絡が来てるかもしれないけど、甲殻の供給、エル・ダルークの商会は乗り気だったわよ」
「そうですか。需給で考えると彼の地は消費寄りですから、新たな材の産出は喜ばしい話です」
白衣を纏った翠髪の小人がそうねと応じると、佳人は話を続ける。
「ところで、今回、試験的に動かした魔導艇についてなのですが……」
「もしかして、なにか連絡が来ちゃった?」
「はい、昨日の夜、北部域統括長より通信が入りました。魔導艇を一日でも早く導入して、こっちに配備して欲しいと。……いったい、なにをしたんです?」
訝しさを微量に含んだ眼差し。
机の上に立つ小人は重責を担う友人からの視線を真正面から受け止めると、軽く笑って答えた。
「私はなにもしてないわよ。ただ、襲撃の時に動いただけ」
「本当ですか?」
「本当本当。私はなにもしていないって。……クロウが自主的にっていうか、向こうの旅団から頼まれて、開拓地を連絡の為に奔り回ったのよ」
「そうですか」
麗人は考え込むように目を閉ざす。
窓より差し込む朝日に照らされて、褐色の肌と腰まで伸びる青髪は鮮やかな色合いを見せている。元よりの美貌とも相まって、一個の芸術品のような趣であった。
絵になるわねぇ、などと思いながら、ミソラは口を開く。
「まぁ、クロウは向こうで知り合った機兵から早く導入してほしい、って言われてはいたみたいだけど」
「そうですか。……ちなみに、その方の名は?」
「んー、名前までは聞いていないんだけど、確か、旅団の船隊で機兵隊長をしているって言ってたかな」
セレスの頭の中で、今聞いた話と暗部より上がってきていた報告とが噛み合い、一つの結論を導き出した。
「得心しました。縁を切っ掛けにうまく繋がったのでしょう」
「んん? どういうこと?」
「彼の人が向こうで知り合ったのは、機兵として同じ師の指導を受けた方。その師と北部統括官は仲が良い……とまでは言いませんが、戦友の間柄。古くからの信用を基に、今回の襲撃で得られた運用実績と有用性の証明、現場からの要望が積み重なって、今回の要請となったのでしょう」
麗人は自身の結論を述べながら、幾度か小さく首を縦に振る。
そうしてから改めて、小人に目を向けた。
「それで魔導艇についてですが、今回のエフタ、エル・ダルーク間の往復と襲撃時の働きを考えると、信頼性が相応にあると判断します。予算や人員との兼ね合いもありますから確実とは言えませんが、現場からの要望もありますし、私としては導入して良いと考えています」
「うん、開発に関わった者としてはありがたい話ね」
「ですが、現物がなければ話になりません。……率直に聞きます。件の魔導艇は量産できますか?」
この問いかけに、小人は腕組みをして唸りながら応じる。
「今日、クロウから使った感想や要望を聞いて、それを基に量産型の設計を改修する予定だから、もうしばらくは無理。けど、今すぐに同じ物を作れるかって話なら、できないこともない。ただ、今回使ったのとまったく同じ物をってことだと、エル・ダルークで甲殻の供給体制が整わないと難しいから、ガワは焼成材を使うことになるわね」
「そうすることでの差は?」
「同じ型だと、何がしかの性能が三割から半分程度まで落ちると見た方がいいわ」
「半分となると、大きいですね」
「うん。もちろん、装甲自体を薄くするとか推進器の出力を上げるとか、解決策は幾らかあるけど……、再計算は面倒だし費用が高くなるのよねぇ」
この言葉を受けて、麗人はまた考え込むように顎に手を当てた。
しばらくの間、そうしていたかと思うと、ミソラに訊ねた。
「甲殻材の需要は、今後高まると思いますか?」
「間違いなく。……昨日試したんだけど、魔導機の装甲として使えそうなのよ」
小人の返答を聞き、セレスは決を下した。
「魔導艇で使用する装甲は、軍用は甲殻材を、民生用は焼成材を使うこととして、分けましょう」
「うん、それでいいんじゃないかな。……後は、作る場所の問題ね」
「ええ、前に話をした時は保留されましたが、どうしますか? 私としては物が作れるならば、どのようになっても構いません。甲殻の加工をラデブ魔導工業に委ねたように、あなた方と付き合いのある工房等に話を持ちかけるも良し、私や組合に一任して手を離しても良し、それ以外の案に関しても一考しましょう」
「うん」
ミソラは予め答えを決めていたのか、間髪入れずに答えた。
「これから先も魔導銃とか魔導砲とか、マディスが開発してる多脚砲台とか、イロイロとあるだろうし、どうせなら、うちの開発室が関われるような仕組みにしたいって考えてる。なんとかできる方法はない?」
「自分達である程度の資金を用意すれば、できなくもありません。無論、相応に金銭が必要となりますが」
「それは大丈夫、だと思う。少なくとも、私は百万ゴルダ出せるわ」
麗人は無情にも首を振る。
「個人としては大きい金額ですが、行う事業を考えると、それでは些か心もとないですね」
「うーん、なら、他のみなにも声をかけてみるわ。……具体的にはどれ位集めればいい?」
「そうですね、三百万程あれば、後は、私が何とかします」
「わかった」
ミソラはセレスが何とかすると言うならば、きっとなんとかなるだろうと考えて応じた。
セレスは小人の答えに首肯した後、壁掛け時計に目を向ける。まだ次の予定まで時間があった。
その様子に目聡く気付いて、ミソラが問いかける。
「この後も仕事?」
「ええ、会議の予定が入っています」
「へぇ、なんの?」
「安全保障部門です。朝方、帝国と同盟にある出張所からほぼ同時に連絡が入りまして」
「良い話? それとも悪い話?」
麗人は微かに口元を緩めて告げた。
「良い話になるでしょう。係争地……ドルケライト鉱脈を巡って、睨み合いを続けている両勢力が停戦と該当地域の帰属に関して、話し合いを持ちたいとのことですから」
「へぇ、そうなんだ」
「はい、双方の指導層から連合会を仲介役にしたいと。今日の会議次第ですが、エフタで交渉の席を設けることになりそうです」
「ふーん、大変ねぇ」
ミソラは感心するように言うが、明らかに他人事であると認識している顔であった。
セレスは小人の認識が甘いことを見て取り、苦笑して言い添える。
「おそらくですが、双方が送り込んでくる使節には情報を扱う者が間違いなくいるでしょう。不正規戦や情報戦を担う密偵の類も。あなたも重々にお気を付けください」
「うぇ、私には嫌な話じゃないの」
心底から嫌そうな顔をして言って、あっと手を叩いた。
「身構えたら思い出した。個人が携帯できる魔導銃の設計がもうすぐ終わりそうなんだけどさ、その試作品を例の魔導鉄槌と一緒に、クロウにあげてもいい?」
「それは……、さすがに即答しかねます」
セレスは少し困ったような顔になって続けた。
「従来の銃器ならば居住している市の施政当局に、開拓地や郷では開発支援を受けている母市に届け出て、許可を得ることができれば保有することは可能です。が、魔導銃は新しい武器ですし、管理方法を定めていない以上は答えられません」
「別に魔導銃だからって銃器は銃器なんだし、同じ扱いでいいじゃない」
「ええ、私も通常の品であれば、それでいいと思います。……ですが、あなたのことですから、彼の人に譲る物が常の物と思えませんので」
ミソラはじっと見つめてくる灰色の瞳から逃れるように、窓の外に広がる青空を見る。
「はー、今日も変わらず、良い天気よねぇ。たまーに垂れこめるような曇天が恋しくなるわ」
「一定量の緑地が生まれなければ、この先もこのままでしょう。……それはそうとして、ミソラさん、返答を」
麗人の目つきが鋭くなる。硬質な顔立ちなこともあって、中々の迫力になる。
小人はそれでも韜晦して青空に目を向けていたが、一分二分と時が経ち、五分になる頃には降参した様に肩を落とした。
「ぬぐぐ、こ、降参よ」
「では、返答を」
「はいはい、私の知識の全てをつぎ込んで、どんな状況でも使える代物よ」
「どんな状況でも、ですか?」
「ええ、例え蟲の大群に囲まれようが、一国の軍隊を敵に回そうが、クロウが生きている限り、使い続けられるような、ね」
開き直った顔での言葉。
これを聞いて、セレスの眉間に皺が寄った。麗人はそれを解そうと手をやりながら告げた。
「やめておいた方がよいと思います」
「えー、これくらいは別にいいと思うんだけどなー」
ミソラは気楽な調子で応じる。
セレスの口より、大きな溜め息が吐き出された。
「そのような性能が知れたら最後、彼の人が何者かに害されたとしても、私は驚きません」
「それは知れたらでしょ。というかさ、クロウが持つ力を考えると、今更じゃない。元々の厄ネタにさらに厄ネタを上乗せする程度なんだから、平気平気。むしろ、クロウを危険な場所で生き残らせようと考えると、これくらいはないと」
「むしろ、あなたが原因で死を招きかねないと、私は危惧しますね」
ミソラは麗人の言葉を耳にすると、不敵に笑って応じる。
「あら言ってくれるじゃない」
「ええ、間違っていると感じた以上、言わせてもらいます」
「ふむ、聞きましょう」
「では、訊ねます。あなたは彼の人にどれ程の力を与えたいのですか?」
「もちろん、その気になれば、一撃で一国を破壊し尽すことできる程度の力よ」
胸を張っての宣言。
それから、まぁ、実際にそんなことしたら自分も吹き飛ぶでしょうけどねと続けた。
だが、このあまりにもあまりな言葉を耳にして、麗人の眉間にあった皺が深くなった。なにしろ、彼女は件の人物がそれを為せるかもしれないことを知っているのだから。
「以前も言った気がしますが、過ぎた力は身を滅ぼします」
「その時はその時よ。まぁ、クロウに限って、そんな心配は無用だろうけど」
「いえ、人は良くも悪くも変わるものです。今現在は信を置けたとしても、先はわかりません」
小人は遠回しに反対を述べるセレスを見上げて、しっかりと言い返す。
「先に対する不安で今を信じられないと言うなら、人を信じること自体ができないわ」
「確かにその通りでしょう。ただ、相手に対する過ぎた信は滅びの始まりとも聞きます。……いえ、それが彼の人個人で済む話ならば、ここまで言いません。ですが、あなたが与える力が……先に言ったように、一国を葬れる程に大きいのならば、この地が巻き込まれる可能性を考えなければなりません」
「可能性は可能性よ」
「ええ、可能性でしょう。ですが、可能である以上は、私はこの地を守る者として看過することはできません」
「んー、つまり、与える力に制限を……、首輪をつけろって訳か」
麗人はミソラの声に頷いた。
そして、返答次第では今の関係にも皹が入るかもしれないと、心身を緊張させた。
だがそれは無用の不安に終わった。
「わかった。魔導銃の威力制限を解除する部品を、あなたに預けるわ。これでどう?」
「それが真であるならば、構いません。その部品の引き渡しが終わった時点で、彼の人の魔導銃を譲ることを認めましょう」
途端、してやったりと言わんばかりに、にやりと笑った小人の顔。
ただ、それだけで、セレスははっと別の側面を忘れていたことに思い至り、同時に、今までの話は自分に先の結論へと至らせる為の誘導であったと気付いた。
自然、小さな友人を睨んで、不機嫌そうな声音で言った。
「謀りましたね」
「あら、なんのことかしらー」
「話に呑まれて失念してしまいましたが、彼の人を家族と認めている以上、あなたは危地に追いやることはあっても、確実な自滅をもたらすような力を与えるはずがない」
「うんうん、その通り。……なら、私の目的は?」
セレスは肩に入れていた力を抜き、苦笑して答えを口にした。
「彼の人が有する力を、当人が使えるように、ということですね」
「正解! いやー、だってほら、クロウの魔力が枯れるまで撃ち続けられるってだけでも、正直、かなりの脅威だろうと思ったしね。より大きな脅威を前面に出して、覆い隠したのよ」
「つまり、私が反対すると考えていたと?」
「ええ、そうよ。……違う?」
この問いかけに、組合の幹部はまた困った顔で応じた。
「その通りです。おそらくは先よりも弱い調子でしょうが、反対意見を述べたでしょう」
「でしょう。ま、そこは私を信用して欲しいっていうか、我が身を滅ぼすような、バカげた力なんてクロウには絶対に渡さないからさ、なんとか直結回路……魔力供給無制限の方は許してちょうだいね」
青髪の麗人は苦笑を深めてから、確かに約束は約束でありますからと告げて、肯んじたのだった。




