一 深紅の甲冑
その部屋は夕焼けにも似た灯りに照らされていた。
量販品の魔導灯にはない、淡く暖かな光だ。それが窓ひとつない場所に柔らかな雰囲気を与えている。
「……報告は以上です」
その場で見聞きした全てを語り終え、締めの言葉を口にしたのは、亜麻色髪の女。
砂塵が残る旅装のまま片膝をついて畏まり、相対する相手……自分達を統括する上役を見上げる。その表情に感情の色はない。常日頃に浮かべている、生を謳歌する快活さも、女の艶めかしさも、茶目っ気のある愛嬌も、なにもかもを一切殺した顔であった。
「わかりました」
言葉短く応じたのは、壮年の女。
部屋に鎮座する簡素だが広い執務席に、背筋を伸ばして座している。
身に付けている服は市井の物で、長い黒髪をただ結い上げた姿は飾り気もなく質素だ。しかしながら、その身体が無駄なく引き締まっていることに加え、目鼻立ちもすっきりと整っていることもあって、凛とした風情。付け加えるならば、シュタール家の兄妹に仕える姉妹に似ていた。
ただ、彼女達と決定的に異なるのは、透徹な瞳と微かに見える目元の皺。それが経てきた年月を感じさせる。が、それすらも不思議な魅力となり、熟れた美婦人と呼ぶにふさわしい色気を生み出している。
そして、この女こそが、シュタール家が抱える密偵組織の頭領であった。
黒髪の頭領は、報告者であるミシェルを見据えて続けた。
「二三、聞きたいことがあります」
「はっ」
「まずはラティアの群を容易く撃ち滅ぼしたという小人殿の魔術、その威力に相違ありませんね?」
「はい、我が名に誓って」
配下の即答に頭領は頷くと、更なる問いを投げかける。
「では、小人殿と行動を共にしていた公認機兵、クロウ・エンフリード殿について、あなたから見た彼の人の評価を」
ミシェルは想定外の問いにその意図を計りかねる。だが、それ以上は考えず、質問に対する答えをまとめるべく、しばし瞳を閉じる。そうして、自分の中にある少年像を固めると、ゆっくり口を開いた。
「基本的な性は善良であり、今現在において、社会に仇為す恐れもない、有益な人物だと判じます。実際、蟲の群が到来する中、危険を承知で情報の伝達に回っています。またその際、今現在において、また先において、何が必要か、自分に何ができるかを勘案した上で動いていました。公認機兵として訓練を受けたことを差し引いても、危地において場の状況をよく観察し、自分なりに情報を組み合わせて考察し、決断できる者はなかなかいません。この力は、前職であるグランサー時代に磨かれたのではないかと考えます。おそらくですが、場の空気を読んだり、何かを察したりする力も相応にあるのではと思います」
息を継ぎ、薄い胸を膨らませる。
「次に人品に関してですが、真面目一辺倒という訳ではありませんでした。私が見聞きした限り、これまで相応に悪ふざけもしてきたようで、冗談や皮肉の類を解し、当人も存分に口にします。しかしながら、面倒事を持ち込んだ私を、少々いじめられましたがっ、途中で放り出すことも何らかの対価を要求することもなく、最後まで保護してここまで連れて帰ってきたことを考えると、間違いなくお人好しの部類です。とはいえ、詐欺に引っ掛かるような間抜けでもなさそうです。というのも、特定の相手以外……、付き合いが短い、或いは初対面の相手には、いい意味で距離をとっています。馴れ馴れしい態度をとらず、相手の立場を慮り、穏当な対応に終始していました。特に若年に対しては……。ただ、女に対しては特に距離を取ることから、年頃らしからぬ警戒心が……」
と言った所で、ミシェルの眉根が微かに下がった。
「いえ、これは多分、私だけでしょう。……ですが、それを抜きにしても、女の扱い方に関しては手慣れている、というよりは、今一つ色恋に興味がないから流しているといった感じです」
そう述べてから、少しだけ表情を緩める。
「ただ、それも無理がないとするべきかもしれません。今の彼は目標に目指すことに夢中で、色恋沙汰は些事でしかないのでしょう」
話し手の所感に興味を持ったのか、聞き手が問いかけた。
「彼の人の目標とは?」
「滅んだ故郷を再興したい。そう言っていました」
頭領は軽く目を見開く。それから小さく頷いた。
「孤児である彼の人にとっては、大望というべき所ですね」
「ええ、当人も遠大な目標だとわかっていました。けれど、その実現が困難であると知りながら、それでもそこに至ろうと足掻いている。余人が見れば、無茶無謀だと諌めるか、滑稽な見世物だと笑う所でしょうね」
女の口元が再び引き締まった。
「ですが、そう口にした時の声には、私がこれまで相手をしてきた男達と違って、確固たる強い芯が感じられました。無論、大砂海を歩いて踏破するの類かもしれません。それでも、孤児からグランサーになり、グランサーから機兵となった彼を……、力を手にして目標に向かって実際に歩き出している以上、私は助言をすることはあっても絶対に笑いません」
「随分と、評価しているのですね」
「そうですね。好ましい、いい男です、彼は。……生まれて初めて、一緒に死んでもいいと思いました」
予期していなかった言葉に、女頭領は少しばかり困ったように笑った。
「生きて抱かれるのではなく?」
「はい。確かに、男女の交わりはとても気持ちの良いモノです。が、所詮、そこに生まれる悦楽と情欲は一時のモノ。……身体の欲は満たされても、心が必ずしも満たされる訳ではありません。また、一時の心の寂しさを埋めたいが為に身体を重ねても、穴は開いたまま塞がることもありません。満たされても一時……、欲を満たされても、なにかどこかが欠けています。そして、それはおそらく、誰もが同じで、なにかがどこかで足りないのです」
ミシェルの醒めた声が淡々と響く。
「誰も彼もが、生きている間、決して満たされることはないでしょう。この世にある全ても同じで、永らえるモノがないように、存在の凡てが不完全であるように……。ただ、永続するのは、命の灯が消えた後に残る、生きた足跡と死んだ事実だけです」
己が身体を情報収集の手段として使ってきた、密偵の言葉は続く。
「ならば、最期の一時だけでも、いえ、最期であるからこそ共にありたい。そうやって死ぬことが、私達……、いえ、少なくとも私にとって、どんな愛にも勝ると思いますから」
熱情と思考とを切り離して生きてきたが故に行き着いた、彼女なりの答えであった。
そんな女の声、その想いの丈を遮ることなく、ただ静かに耳を傾けていた頭領であったが、どこか悲しげな、それでいて、どこか羨ましげな表情を垣間見せ、口を開いた。
「ならば、先の言葉、あなたにとって、最大限の賛辞というべき言葉ですね」
「かもしれません」
黒髪の美婦人は瞳を閉ざし、沈思する。
しかし、それは三十秒程。普段と変わらぬ冷めた顔に戻り、口を開いた。
「わかりました。質疑はこれで終わります。……あなたの方から疑義や質問はありませんか?」
「二つ」
「どうぞ」
「はっ、エル・ダルークでの任の末と、組の安否を」
頭領は手元の資料を見ることなく、すぐに応える。
「まず第八組ですが、あなた以外に欠員は出ていません。次に任の末ですが、我々の内偵情報及びアーウェル市からの情報提供により、エルロイ・モンドラーゴの罪状が明らかになりました。明日、エル・ダルーク市軍による捕縛が行われる予定です」
「わかりました。答えて頂き、ありがとうございます」
「構いません。他にはありませんか?」
「はい」
黒髪の女頭領は大きく頷くと、一つの任を果たした配下へ告げた。
「あなたの今後については、追って通達します。それまではここで待機し、身体を休めてください」
「はっ」
ミシェルは返事と共に頭を下げた。
* * *
爛陽節、第一旬十二日。
ゼル・セトラス大砂海の東空に光が広がり始めた。
未だ夜が明けきらぬ時。陽の輝きと共に生きるならば、まだ些か起きるには早い時間帯。
それでも遺構都市の渾名を持つエフタ市は静かに動き始めている。農業区画で作物の収穫をする者、足早に街路を行く勤め人、眠そうな顔で市壁上を歩く兵士、住宅区で朝食の支度をする者、そして、街の外へと出ていくグランサー。
街の西側にある港湾地区でも、荷役の仕事を得た男達がどこからともなく集まり始めた。厳しい肉体労働で鍛えられた、筋骨たくましい彼らはほぼ全員が袖なしの薄着である。しかしながら、なかなかに厳しい朝の冷え込みに堪える様子もない。直に始まる仕事に備え、眠っていた身体を目覚めさせるべく、思い思いに関節や筋を伸ばしている。
その中の一人が誰にともなく呟いた。
「さて、今日こそ稼げるかねぇ」
「昨日、飲んでる時に聞いたが、北の混乱もだいぶ落ち着いたらしい。期待できるんじゃねぇか?」
顔馴染みの一人が応じると、最初の一人が再び言った。
「そう願いたいもんだ。北向きの船が出待ちして、今日で五日目か?」
「ま、蟲共の襲撃を撃退したのは間違いねぇみてぇだし、今日がダメでも明日があるさ」
「へっ、今日の稼ぎが少ねぇと、かーちゃんに追い出されて、その明日もねぇよ」
違ぇねぇと、異口同音の響き。それらに加えて、頷く者数人。
人足達の間で同情と同意を等分に含んだ失笑が広がり、その波に乗って口々に雑談が始まる。
どこの酒場の酒が安かっただの、小遣いが少なくて泣けるだの、どこの娼館の女がいいだの、今日の稼ぎで子どもにおもちゃを買うだの、どこの商会の羽振りがいいだの、お袋の病気が落ち着いただのと、様々な話題が白い息と吐き出される。
その中で、腰を左右に捻じっていた一人があることに気付いて声を上げた。
「おい、今日は走ってやがるぞ」
「赤坊主か?」
「ああ、どうやら帰って来たみたいだな」
声に釣られて、男達は一斉に南の市壁へと目を向ける。
東西に伸びる高い市壁の手前、妙な船らしきモノが停まる船溜まりと岸壁とを繋ぐ通路を人影が一つ走っていた。
「おぅおぅ、走ってる走ってる」
「街にいる時はほぼ毎日……、奴さんも真面目だよなぁ」
「馬鹿野郎、俺達と違って、赤坊主は命が懸かってるんだ。当然だろ」
「だよなぁ。しかしよぉ、三年か四年前に荷役になりたいって言ってきた坊主がよぉ、今じゃ一端の機兵になってるってんだから、世の中は面白いもんだよなぁ」
「んだんだ」
男達はそれぞれが走る人影を眺めていると、その内の一人がまた呟いた。
「んー、ところでよ、機兵ってのは女にモテるって聞くが……、実際の所、どうなんだ?」
誰かが応じた。
「そりゃモテるだろうよ。なんせ、忌々しい蟲共と真正面からがっつりとぶつかり合うんだぜ? 同じ男から見ても頼もしいことこの上ねぇよ」
「ああ、パンタルを自在に操って武器をぶん回すんだからな。ラストル乗った作業員なんざお呼びじゃねぇわな」
「いや、そういった一般論じゃなくてだな。ほれ、赤坊主に関してよ」
また誰かが声を上げた。
「俺、赤坊主がルベルザードさんとこのお嬢さんと話してたの見たことあるぞ」
「そういえば、組合支部の酒場で給仕のおばちゃんとやたら親しくしてたな」
「俺は、そこの支援施設に勤めとる、イイ胸と尻をした眼鏡の整備士と歩いてるのを見た時あるな」
「へ、いや、この前、別嬪な金髪の兄ちゃんと仲良く買い物してたから、てっきりそっちの気があるかと」
「まさか、そっちの気のないだろ。商店街の奥様連中が楽しそうにかまってたぞ?」
「確かに、色町で聞いたことがあるな。そろそろ色を知る歳だろうから、是非にもうちの店のお得意様になってほしいってよ」
次々に出てくる証言。
故に、男達は自然と思った。
俺達と違って、やっぱり機兵っていうのは、イロイロとモテるのだと……。
我が身と比較して、思いを馳せる男達。
その視線の先で、赤髪の少年ことクロウ・エンフリードはただ前を見据え、普段通りの調子で黙々と走る。
いつもと変わらぬ様子で走っている若き機兵であるが、実の所、昨晩遅くにエフタ市に帰還したばかりで、身体には相応の疲れが残っている。が、たとえそうだとしても鍛錬を怠る理由にはならないと、クロウは教習所での生活で学んだ。否、むしろ様々な事態に対処し、疲労が積み重なっていく修羅場に立つことを考えれば、こういった状況は良い鍛錬になるだろう等と考えて、彼は走っている。
そんな訳で、クロウは些か重い身体を動かし、踏ん張りが利きにくい砂地を力強く踏みしめて、市壁脇を何度も何度も往復する。既に内から噴き出た汗が服に染みわたっているが、呼吸に乱れはない。
東の空が一層に明るくなり始めた。
日の出の気配を受けて、少年は先日まで見ていた朝焼けを思い出す。
それは開拓地ギャレーで見た一日の始まり。心に浮かんだ雄大な情景に引き起こされるように、たった数日でしかないが得ることができた有意義な日々を……先に起きたラティアの襲撃が収束し、北部が落ち着きを取り戻すまでの毎日を思い返す。
我知らず、クロウの口元が弛んだ。
開拓地の人達から色々と話を聞けたのは、本当に良かったと。
というのも、開拓地ギャレーの救援に成功してより、エル・ダルーク市軍及び旅団がラティアの群を全て撃滅し、救援の艦艇が到来するまでの、大凡五日の間、クロウは開拓者達の作業を手伝いながら、様々な知恵や工夫、更には苦楽の経験や記憶を教えてもらったのだ。
それは水場の探し方や作り方から始まり、防壁や建物の建て方、便所を作るまでの苦労、防壁のない環境での夜の恐怖、建物配置の意味合い、生活環境を整えるまでの苦しみ、医者がいない環境での病気や怪我の怖さ、果樹の効率的な植え方と役割、子育ての大変さ、援助してくれる母市とのやりとり、労苦を共にする仲間との関係、付随する様々な悩みと軋轢、嫁取り婿取りの大変さ、畑の土壌作りに収穫の喜び、交易船との交渉、襲い来る蟲への対処、それに伴う苦い記憶と悔恨、死者の埋葬と別れ、そして、なによりも開拓者が必須とする書物の存在。
クロウは見せてもらった分厚い書物を思い出す。
「うーん、開拓全書、かぁ」
自らの独り言にも気付かず、ただただ走り続ける。
それが手に入るかどうか、なにかと世話になっている組合エフタ支部の職員、ヨシフ・マッコールに聞いてみようと考えながら。
* * *
クロウは日常の象徴とも言える朝の鍛錬……柔軟体操から始まり、外での長距離走と短距離走、駐機場での各部筋力練成を終えると、汗を洗い流すべく自宅奥の住居部に入った。そうして、自分の寝台、正確にはその脇に置かれた篭へと目を向ける。
「……んがっ」
鼻か喉が詰まったような寝息が聞こえてくる。
クロウは間の抜けた調子に不思議と心安らぐのを感じて軽く笑う。そして、そのまま散湯所へ足を向けた。脱衣所で汗で重くなった上着を脱ぎ、下衣と下着も洗濯篭へと放り込む。
壁に据えられた姿見に映るのは、もう若者と呼んでも差し支えのない肉体……、鍛えられた筋肉が自己主張する身体だ。今は汗により薄褐色の肌が艶やかな光沢を帯びており、締まった身体とも相まって妖しい色気が滲み出ている。
もっとも、彼に自分の姿を見て悦に浸るような趣味はない為、足早に散湯所に入って湯浴みを始めた。
寝入っていた翠髪の小人は水が流れる音を聞いて、目を覚ました。
「んぁー、シャノンちゃーん、もぅ起きたのー?」
寝惚けた声を上げながら、篭の中に埋められた枕、少年の匂いが微かに香るそこで、薄手の手拭いに包まれたまま二転三転と寝返りをうつ。その表情は今にも涎を垂らしそうな程に緩い。寝所の温もりに負けてまた目を閉ざし、眠りそうになった所で首を捻る。
なんとなく、いつもと違うぞと。
回転していない頭で何が違うのかと考えている内に、水音が止まった。それからがさごそと身体を拭くような音が続く。
今日はなんか乱暴なような……。
小人がそんなことを思っていると足音。それが近づいてきたかと思うと、聞き馴染んだ声が届いた。
「ミソラ、起きたのか?」
「あれ、クロウ? どーしてうちにいんの? シャノンちゃんに夜這いするには遅すぎるというか早すぎるというか……」
呆れたような溜め息。それからまた声が続いた。
「寝惚けすぎだぞ、ミソラ。お前、昨日、夜遅いからって、俺の家に泊まったんだろうが」
そこまで聞いて、ようやく小人の頭が回り始めた。同時に目が開く。
上半身裸の少年がいた。
湯上りで上気した身体、それも男らしい身体は、女の目を奪うだけの健全な色があった。
「おひょ?」
中々刺激的な姿に、ミソラの口から妙な声が漏れた。
下衣だけをはいた少年は一瞬だけ怪訝な顔を見せるが、すぐに呆れ顔に戻り、鮮やかな赤い髪を大きな輪奈織で拭きつつ口を開いた。
「目、覚めたか?」
「えー、なんていうか、ごちそうさまでした?」
「……まだ寝ぼけてるんなら、シェリカの皮を潰して、汁を目に入れてやろうか?」
「え、なにその拷問、って、あ、あーあー! そうだったそうだった! 私、あんたんちに泊まったんだったわ! いやー、わたし、あさよわいから、どーしてもぼけるのよねー」
「そりゃまた、シャノンさんの苦労が透けて見える話だな」
クロウは髪を一頻り拭うと、輪奈織を手に取り大きくはたいて水気を飛ばす。同時に、石鹸のものらしき清潔感を感じさせる匂いが部屋に広がった。
「お、なかなかいい感じ?」
「身体を洗う石鹸はいいのを使えって、昔から言われててな」
「うんうん、いいこと教えてもらったわね」
「ああ、そう思う。って、それは置いてだな、今日はどうするんだ?」
「とりあえず、朝食?」
少年は露骨に目を細め、冷ややかな視線で小人を見る。が、なにも言わないことで、更に先を促した。
「え、えーっと、旅団の通信網を使って連絡を入れたけど、ほ、ほら、やっぱり開発室のみんなに心配をかけてるだろうから、帰還を報告することかな」
「具体的には?」
「まずは、同じ長屋のマディスを訪ねて挨拶。……そのついでに、魔導艇を開発室まで持っていく段取りを相談かしらね」
「なら、そこまでは付いていくよ」
ミソラは首を振って答えた。
「いえ、悪いけど、クロウには魔導艇を使用した感想や気付いたこととかを、バゼルに伝えてほしいのよ。後、シャノンちゃんにも会ってあげてほしいかな。帰る予定が延びて、心配をかけただろうし」
「わかった。他には?」
合いの手を受けて、ミソラは記憶を探る。
エル・ダルークに赴く前になにかした覚えがあるのだが、それが上手く形になって出てこない。形になって出てこないということは、大したことではないのだろうと判断し、小人は頷く。
「うん、とりあえずは、それだけ」
「了解。最初からこういう風に返してくれたら、なんの文句もないんだけどな」
クロウは困ったような、それでいて仕方ないと諦めたように笑った。途端、先の冷ややかな雰囲気は霧消する。そして、声を柔らかくして続けた。
「けど、食い意地を見せないミソラは、もうミソラじゃないからなぁ」
「ぬ……、人が食い意地だけで生きてるような言い方してくれるじゃない」
「事実だろ?」
小人は自らの過去を思い返す。
概ね事実であった。
ミソラは自分でも否定しきれない現実にふんと顔を背けた後、何を思ったのか唐突に踏ん反り返って傲岸な調子で宣する。
「ならば家主よっ! この色々と借りのある私に早く朝食を用意するのだっ! 質と量、共に最高の物をなっ!」
この客人の言葉に、クロウは少々頬を引き攣らせて一言応じた。
「空気でも食ってろ」
と言いつつも、ミソラの分もちゃんと用意するのがクロウである。
たとえ、小人が腹が減った飯はまだか早く食わせろと妙な音調で急き立てようとも、努めて平静に聞き流しながら、ありあわせのモノを手早く調理、というには些か過剰であるが、食卓に数枚の皿を並べ、それなりの量の食べ物が載せた。
彼にとっては朝の定番である、黒パンに粉乳、ニニュの卵焼きやコドルの塩漬肉、更には様々な干し果物だ。
そして、ミソラと共に形骸化した感謝の祈りを捧げて、常と異なる賑やかな食事を始める。
「ちょっ、これ、す、酸っぱっ! しかも、えらく硬いしっ」
「そりゃ、最初の予定よりも五日長く置いてたからな」
「し、白パンを所望する!」
「そんな贅沢なもんはない。粉乳でふやかすか、すり潰して食べろって」
「後、卵焼きの味付けが濃すぎっ、この味じゃぎりぎり及第点よ!」
「こっちは朝の鍛錬をしてきたからな、これ位じゃないと持たないんだよっ」
「って、あれ? 私の干し果物はどこっ! あんた食べたんじゃないでしょうねっ!」
「もう、お前の腹の中に入ったろうがっ」
「あーっ! それ最後の楽しみしてた一切れっ!」
「さも当然のように、人の皿を指差すなっ!」
等々の、極めて低次元のやり取りをしながら……。
* * *
クロウは食事の後片付けを終えると、ミソラと連れだって家を出る。
目的地は同じ機兵長屋の隣の隣、魔導技師でもある機兵、ウディ・マディスの住居だ。
ミソラは定位置ともいえるクロウの左肩の上で呟く。
「さて、問題はマディスが家に帰ってるかどうかなのよねぇ」
「はは、マディスさん達って熱心だから、帰ってないのもあり得る話だな。……身体、壊さないといいけど」
「そうね。私も程々にしときなさいって言ってるんだけど、特にバゼルが後少しもうちょっとって、帰りたがらないのよねぇ」
「……なんとなくわかる気がするよ」
クロウは魔導艇の開発者である眼鏡をかけた優男を思い出しつつ、マディスの部屋の前に立つ。そして、来訪を伝えるべく、出入口脇の呼び鈴を鳴らした。
しばらくして、鍵を開ける音が聞こえて、当のマディスが顔を出した。
「朝から誰でぇ、っと、エンフリードに室長か」
「あはは、すいません。昨日の夜に戻りまして、帰還の挨拶にと」
「悪かったわね。突然、予定を変更しちゃって」
クロウとミソラが口々に述べると、巌の如き大男は気にするなと言わんばかりに首を振った。
「なに仕方あるめぇよ、ラティアの大規模襲撃にかち合ったんだ。ま、とにかく無事で何よりだ」
と言った所で、家の奥から別の声が届いた。
「ウディ君、どちらさまですかぁ?」
「おぅ、ティーナ、エンフリードだ」
クロウは女の声……市軍に勤めるマディスの昔馴染み、ベルティーナ・ベルトンの甘い声を耳にして、咄嗟に当初の予定を変更することを決めた。
「とりあえずは挨拶に寄っただけでして、これから支援施設に行って預けた機体を見に行ってきます」
「そうか。……俺ももうちょっとしたら行くからよぅ、待っててくれや」
「あ、はい。では」
赤髪の少年は一礼すると踵を返し、変更した目的地に向かって歩き出す。
それから後ろから戸が閉まる音を確認して呟いた。
「なぁ、ミソラ。勝手したけど、これでいいよな?」
「ええ、咄嗟の判断としては合格点ね」
「そりゃよかった。でも、あの二人の関係って……」
「こら、余計な詮索はなしよ。いろいろと思う所があるだろうけど、そっとしておきなさい」
「そうだな」
クロウは考えることをやめて、歩みを速めた。
そうして辿り着いた場所、総合支援施設はいつものように大扉の半分程が開かれている。
そこを通って中に入ると、こちらもいつもと変わらない整備の作業音が耳に飛び込んでくる。それらの発生源である奥にある整備場では、分解整備中と思しき懸架されたラストルや整備士が取り外された関節部の部品を交換する様子が目に入ってくる。
「ここも早いわねぇ」
「その分だけ昼休憩が長いって、ティアが言ってたよ」
「でしょうね」
クロウはミソラと話しながら奥に向かい、自分の機体を探す。
しかし、どういう訳か、自分の機体が見当たらない。
クロウが首を捻っていると、彼の存在に気が付いた整備主任が声をかけてきた。
「よぅ、エンフリードに室長さん、帰ってきたか」
「あ、どうも、ブルーゾさん。昨日の晩に帰ってきました」
「おはよう。ちょっと予定が狂っちゃって、ちょっとお邪魔するわね」
訪問者たる二人は口々に答えながら、長い揉み上げが目立つ男、ダーレン・ブルーゾの下へ。その当人は客人に軽く頷いて応じた。
「お前さん達も運が悪いと言うか……、いや、北は大変だったらしいな」
「ええ、開拓地が幾つか壊滅しました」
「そうか。……もう少し開拓地での建設速度が高まれば被害が減るんだろうが、それをできるだけの技術を持った人材がいないからなぁ」
開拓地の現実を見てきたクロウは、年長者のぼやきに同意するように首肯する。彼にとっても抱いている目標を考えれば、今の言葉は決して無視しえない問題であった。
とはいえ、今は自分の用事である。クロウは自分一人では到底解決できない問題を脇に置き、ブルーゾに訊ねた。
「ところで、俺の機体は?」
「おぅ、できあがってんぞ。ほれ、あれだ。ちょうど、ラファンが顔を出した所だ」
クロウは声に促されるままに懸架の一つに視線を向ける。
どういう訳か、一区画が丸々帆布で覆われている。そして、その垂れ下がった布覆いの前には、一番長い付き合いの魔導機整備士、エルティア・ラファンの姿があった。
整備士の象徴たる繋ぎが少女の肉付き良い身体を程良く浮きだたせており、年頃のクロウとしては、少しばかり目のやりどころに困ってしまう。
そんな少年の事情はさて置き、エルティアは帆布を見上げて、なにやら満足そうに頷いている。
クロウはなんだろうと不思議に思い、傍らの主任へと顔を向ける。
「えっと、あれは……」
いったいと続けようとしたが、ブルーゾが大声でエルティアに呼びかけるのが先であった。
黒縁眼鏡の整備士はよく通る呼び声に気が付いて、聞こえた方へと首を巡らせる。すぐに上司の傍らに立つ赤髪の機兵を認めて、安堵と喜びが混じり合った笑顔を見せた。
「あら~、いい笑顔ねぇ」
「確かに、安心できるよ」
クロウがミソラの感想に頷く間に、エルティアが走り寄ってきた。
「お帰りなさいっ、クロウさん!」
「ああ、うん、ただいま、ティア。えっと早速だけど、あの布は……」
いったいと続けようとしたが、その前に笑顔を浮かべたままの黒髪の整備士に腕を取られていた。突然の事態に目を白黒させる少年を余所に、エルティアは整備作業で鍛えられた力で引っ張っていく。
「てぃ、ティア?」
「クロウさんが帰ってくるのを待ってたんです!」
クロウは訳がわからないまま、緑瞳を輝かせた同年代の少女に連れられて、件の懸架の前へ。どこか興奮した様子の整備士は懸架を構成する柱に取り付き、布を巻き上げるべく垂れ下がる鎖を引っ張り始めた。天井からカチャカチャと金属が噛み合う音が響き、そこにカラカラと滑車が回る音が絡まる。
クロウの目の前で布が巻き上がっていく。
そうして、その奥に鎮座する魔導機が露わになった。
「へっ?」
赤髪の機兵は間抜けな声をもらして、機体を見上げる。
一目見た瞬間から、彼の頭は混乱してしまった。
というのも、目に入ってきたのは、いつもの見慣れた自機……パンタルの姿ではなく、別のナニカであった為だ。
見覚えのない機体との唐突な対面に理解が追い付かず、少年は茫然とした様子。
エルティアが布を巻き上げ終える数十秒の間、そのまま微動だにできなかった。
そして、眼鏡の整備士が鎖を固定し終え、少年に目を向けた所で、なんら感想を述べることもなければ、身動ぎ一つ見せないクロウの様子に首を傾げた。
「クロウさん?」
「……え、えっと、俺のき、機体は?」
「これですけど?」
不思議そうに目を瞬かせながら、整備士は機体の右肩を指差す。そこには確かに、クロウの機兵番号である〇四九八九が描かれていた。付け加えれば、反対の左肩にも一の字が存在感を放っている。
確かに自分が乗っている機体の番号だと確認し、クロウはぎこちないながらも早い動きで首をエルティアに向けた。
「え、ええ? ど、どどど、どういうこと? お、おれ、たのんだの、ぶんかいせいびだけだよね?」
「え?」
エルティアは動揺を露わにする少年の言葉の意味がわからず、自分が頼まれた仕事を復唱する。
「私、分解整備の後、追加作業で新しい装甲に換装するようにって、ブルーゾさんに言われたんですけど?」
クロウは身体ごと整備主任に向ける。
こちらも不思議そうな顔をしたブルーゾが答えた。
「いや、俺もマディスさんから予定を追加して、この装甲と交換してくれって言われたんだが?」
と、そこに都合よくと言うべきか、当のマディスが中に入ってきた。
「おぅ、皆してお披露目の最中か?」
「ま、ま、まま、マディスさん? こ、これっていったい?」
震える声でクロウが機体を指差せば、マディスは自信満々といった様子で頷いて見せた。
「そいつか? 新しい装甲材ができたからな、前から考えた奴を試作してみたもんよ」
「そ、それが、どーしておれのきたいに?」
「んん? ……おめぇさんが試してくれるって、おらぁ聞いたんだが?」
「だ、だれから?」
「室長からだがぁ?」
クロウはマディスの言葉を受けて、自らの肩に乗る小人に目を向ける。
「てへっ」
翠髪の小人は後頭部を掻きながら、片目を瞑って愛らしく舌を出していた。
ことの原因が誰であるかを理解して、クロウは人目も憚らずに咆えた。
「おっ! おまえぇっ! なに勝手なことしてんだよっ!」
「あはは、ごめんごめん。イロイロあって伝えるの忘れてたわ」
「お、おまっ、わ、わすれってっ!」
「いやー、さっきなんとなく引っ掛かってたんだけど、これのことだったわ」
「な、なんでっ、こんな大事なことをっ!」
「ほら、長期の仕事の直後に魔導艇の試験なんて無理言ったこともあったし、クロウが乗る機体を強化してあげたいなぁって思ってたら、マディスが新しい素材……甲殻材っていうんだけど、それを使ってパンタル用の装甲を試作してみるって言うからさ、ちょっと横から口出しして」
ミソラはあっけらかんと言う。
だが、クロウからすれば、そうだったのかと笑える話ではない。
「おっ、お前なりに俺を思ってのことなのかもしれないっ! けどっ、だからってなっ、こっちの承諾のないまま、人が命を預ける機体にちょっかいを出すなっ!」
普段の少年から考えれば信じられない程の、激しい剣幕。
この感情の爆発に応じるように、クロウの身体から不可視の赤い輝きが激しく吹き上がるのが、ミソラの目には見えた。
出会ってすぐの頃、青髪の麗人の言葉を受け、彼が彼女の為に怒りを見せた時のように……。
その猛々しくも美しい輝きに、小人は自分のちょっとした悪戯心が越えてはならない一線を越えてしまった事を悟った。少年の寛容な性根に甘えるばかりに、自分が調子に乗り過ぎてしまったのだと気付いたのだ。
途端に生まれた焦燥……クロウに嫌われたかもしれないという恐怖を、表に出さないように必死に抑えつつ、すぐに態度を改めて頭を下げた。
「ごめん。……ちょっと驚かせたかっただけなんだけど、確かに考えが足りなかった。なんの断りもなく勝手に機体を弄ったことは悪かったわ」
珍しく素直に謝った為、クロウの怒りは少しだけ引いた。だが、続きがあった。
「でも、私としては前の装甲に戻さないで、このまま使って欲しい。感情的には不愉快でしょうけど」
クロウは応えず。
ただ怒った顔のまま腕組みをして、肩の小人を睨む。
言うまでもないかもしれないが、彼は機兵である。
当然ながら、魔導機の新しい装甲に興味がない訳ではない。実際、真正面から話を持ちかけられていれば、二つ返事とはいかないだろうが、間違いなく換装に肯んじていただろう。
だが今は違う。
人の意思を軽んじるような行いを腹立たく思えば、命を預ける機体を勝手に弄られたことも気に喰わないし、騙し討ちのようなやり方も苛立たしい。しかも、それがちょっとした悪戯心から出たものだから、尚更である。
押し黙った少年。
彼が生み出す怒りに、場の空気が静かに帯電する。
図らずも小人の謀りごとに加担してしまったマディスとブルーゾは気まずそうな顔をし、エルティアは既に涙目であった。
その状態が一分近く続いた後、更に小人が平静を装って告げた。
「どうしても許せないなら、エル・ダルークで私を便利使いした代価ってことで、相殺してほしいかな」
「ぐっ」
自分勝手な頼みをした時に交わした、例の約束を持ち出されて、クロウは言葉に詰まる。
熱くなった頭に僅かに残る冷静な部分が、これは一つの落とし所であると彼に囁いたのだ。
そう、この申し出を受けることこそが、これ以上の荒波を引き起こさずに、今の状況を落ち着かせるだろうと、彼も理解できていた。
けれど、彼の感情がそれに納得しない。
ミソラが自分の身内であると認識しているからこそ、人の思いを無視するようなやり方が許せないのだ。機兵にとって、命を預ける機体がいかに大切な存在であるのか、知ってくれていると思っていたが故に、裏切られたような思いがあるのだ。
その一方で、彼の内には、小人を身内だと思うからこそ、生まれた思いもあった。
行いに悪戯心があったとしても、それは自分のことを思ってであると信じたいとの思いと、実害の出ていない多少の過ちは許したいとの思いだ。
少年は内々で相反する感情を激しくぶつけ合って荒れ狂う。
自然、眉間に深い縦じわが刻まれる。
そうして秒針が数回巡った後、荒れる感情と家族愛に似た思いをなんとか織り交ぜて、彼は一つの結論を生み出す。
クロウは熱量のこもった溜め息を大きく吐き出し、静かな声で告げた。
「わかった、そうさせてもらう。……けど、ミソラ」
「うん」
「頼むから、命が懸かるような大事な物事に関しては、二度とこういう真似をしないでくれ」
そう言った少年の顔は、つい先程まで怒りに満ちていたのが嘘のように悲しげであった。
ミソラもまた、その滅多に見せない表情を認めて、しぼんだように項垂れて答えた。
「……ごめんなさい」
「いや、わかってくれたら、それでいいさ。後、声を荒げて悪かった」
クロウは小人の謝罪に頷き、意識を入れ替えようと無理無理に笑った。
そして、改めて姿が変わった自身のパンタルを見上げる。
その色は深い赤。
焼成材装甲にはない光沢を帯びた表面が艶やかな照りを返している。その色調が関係しているかまではわからないが、力強さとは別に、なんとなく華のような色気があった。
外観にしても、今までのような鈍重な印象がなくなっている。それを生み出した一番の源は胴体部だ。かつては大きく膨らんでいた腹部が引き締まり、上体に逆三角を生み出している。その胴体を見れば、滑らかな曲線を持つ装甲材が金属製らしき枠材でもって割れた腹筋のように幾つも装着され、一つの装甲を構成していた。また、正面の展視窓が左右のそれと細長い窓で連結されて、広い視野を確保していた。
まさに、パンタルにあった荒々しく野暮ったい部分が減じて、より洗練された武具としての要素が強化された観である。
「マディスさん」
「お、おぅ」
「見た感じ、かなり変わったように見えますけど、特に何が変わりましたか?」
少年の声は先程までの怒りが消え、普段と変わらぬ調子。
マディスは、歳に似合わぬ感情制御に舌を巻く。
それと同時に、こういう奴は敵に回すと怖いが、味方だと頼りになると思いながら答えた。
「一番の変化は全体重量の軽量化だなぁ」
「具体的には?」
「おぅ、機体を重くしとった焼成材の代わりにぃ、甲殻材……ラティアの殻を使った装甲を装着して、重量をこれまでの三分の二にした」
「機体の均衡調整は?」
「おめぇがいねぇんだから、まだに決まっとる。だもんで悪いがぁ、今日明日は油圧機構の調整に付きあってもらいてぇ。ブルーゾにも人を借りれるように頼んどるからよ」
「了解です。あー、でも、今すぐっていうのはちょっと無理かな。これから挨拶回りしないといけないし、その後の……午睡の後からで」
「おぅ、それで頼んまぁ」
クロウはマディスと話を切り上げようとして、当初の用件を思い出す。
「後それと、魔導艇なんですけど」
「おっと、そいつもあったな。どこにある?」
「長屋の近く、南側斜路の脇です」
「わかった。バゼルに連絡を入れて、取りに来させらぁ」
「お願いします」
と話を付けると、今度はどこか落ち込んだ様子の少女に向き直る。
「ティア」
「あ……、はい」
「ティアは……、あー、それにブルーゾさんは」
そう付け加えた所で、少女の横にいた整備主任が肩を竦める。が、それ以上は茶化すことなく、真面目な顔で言った。
「追加整備に関して、エンフリードに確認を取らなかったのは俺の失敗だ。……すまなかった」
「いえ、俺もまさかまさかでしたから」
しょぼんとしたままの小人を横目で見て続けた。
「まぁ、次に俺の機体に関して、他の誰かから話が来た時は、一応の確認をよろしくお願いします」
「了解した。……後、ラファンは俺の指示で仕事をしただけだから、大目に見てやってくれ」
「もちろん、わかってますよ」
そう答えたクロウに、ブルーゾは頭を軽く掻くと、すまんが他の監督に戻ると言い置いて場を離れた。それに乗じるように、マディスもまた連絡の手配をしてくらぁと、背を向けた。
機体の前に残ったのは、若い二人と小人だけだ。
クロウは眼鏡越しにこちらを見る少女へと改めて向き直り、弱ったような顔でどう話そうかと言葉に迷いながら口を開いた。
「あー、その、なんて言ったら良いのかなぁ。……うん、俺はティアの仕事を否定する気はないし、実際、この換装も上手くやってくれたって信用してる。ただ、さっき怒ったのはそれ以前の話で……、自分が命を預ける機体だからこそ、自分が満足できるようにっていうか……、うん、俺の死に場所になるかもしれないからこそ、他の誰でもなく、自分が機体をどうするのかを決めないといけないって、責任を持たないといけないって思ってたから……」
エルティアにだけではなく、ミソラにも向けられた言葉であった。
それはクロウの中で死の危険と向かい合う中で、いつの間にか生まれていた信条。
もし自身が戦いの中で死ぬならば、その責は他人ではなく自分に帰るのだと承知したいが為に生じた、戦う者としてのある種の矜持のようなモノであった。
「だから、我慢できなかった」
クロウはそう言い切って、再び機体を見上げる。
その横顔には、先程垣間見せたような悲しみ……、否、翳りが滲んでいた。
これまで見たことがない、少年の儚い姿。
思わず、エルティアはクロウの腕裾を掴んだ。
少年は驚いて振り向く。
不安そうな顔がそこにあった。
「ティア?」
「そ、その……、わ、わたし、整備頑張りますから! 前も言ったかもしれませんけど、機体が壊れてもいいから、ちゃんと生きて帰ってきてください!」
「へっ?」
自分がどのような表情を浮かべていたのか、まったく自覚がないだけに、クロウは戸惑いを隠せない。
「当然、そのつもりだけど?」
「約束、ですからね?」
「……うん、約束するよ」
クロウは大げさだなと笑い、いつもと同じように笑って頷いてみせた。
* * *
同じ頃。
エフタ市内は市庁や組合連合会の本部が集まる中央地区。その一画にある教育機関……エフタ市と組合連合会が運営している協立エフタ学術院において、黒髪の少女が溜め息をついていた。
三人掛けの机が並ぶ講義室は始業前ということもあってか、制服姿の歳若い男女が賑やかにしている。その喧噪から外れるように、様々な姿恰好をした相応に歳を重ねた者達が静かに席に着いて、講義の始まりを待っている。
少女は室内を騒がしい室内……特に同年代の者達を見ながら、一人思う。
以前ならば、私も皆とのおしゃべりの輪に入っていただろう。
学業の成績に一喜一憂したり、市内での流行について話したり、学院の誰が格好いいとか各々の感想を言い合ったり、誰と誰が付きあい始めたとか噂話に興じたり、そういったことを楽しんでいたに違いない。
だが今は、参加する気分になれない。
意識しないまま、再び溜め息。
窓際の席に座った少女は頬杖をつき、外に見える上級住宅の緑地へと目を向ける。砂海では貴重な鮮やかな色彩。それはとても目に優しいが、やはりこれも今一楽しめない。
そんな彼女に声が掛かる。
「おはよう、リィナ」
「おはようございます」
黒髪の少女、リィナ・ルベルザードは連なる声に振り返った。
緑色の制服を着た同級生が二人。色濃い茶髪を短く切り揃えたスラリとした少女と、背に届く薄茶色の髪を一纏めに束ねたふくよかな少女がいた。リィナにとって古馴染みの友人達だ。
「おはよう、アナ、マリカ」
リィナが挨拶を返すと二人もまた微笑みを返し、彼女が座る席の隣に並んで座った。ついで、手にしていた鞄から筆記用具や学習帳を取り出し、机の上に並べ始めた。
その最中、茶髪の少女アナが真横に座るリィナを横目で見ながら口を開いた。
「で、どうしたの?」
外観に見合ったさっぱりとした低めの声が質してくる。
「え、なにが?」
「溜め息」
リィナは見られていたかときまり悪そうに目を逸らす。
しかし、友人達の追及は止まらない。今度はふくよかな少女、マリカが頷きと共に言った。
「そうですね。リィナさんが溜め息なんて珍しいです」
「そう? き、気の所為じゃないかな?」
「そういった風に誤魔化そうとすること自体、普段はされませんしね」
リィナは柔らかな声音での断言を受け、その勝気な顔立ちを困った風に歪めた。が、それでも訳がわらかない風で応じる。
「そうかな? 私、家では結構、こんな感じだけど?」
「はいはい、リィナ、誤魔化しはなしよ。さっさと吐きさないって」
「私はそこまで無理強いしませんが、それでも話した方が楽になることもあると思います」
古馴染み達の硬軟揃った追及。
リィナはここに至って逃げ切れないと感じて、降伏するように両手を伸ばすと机に上体を投げ出した。そして、切れ長の目で二人を交互に見やり、諦めたように告げた。
「わかった。昼休みにでも話に付きあって」
「了解了解」
「聞かせて頂きます」
どこか楽しげな表情を浮かべる友人二人。
黒髪の少女は厳しい追及になるかもと思って、三度溜め息をついたのだった。




