八 覚悟の在り処
砂海を照らす光陽は西へと傾いている。
午後特有の熱風に晒されながら、クロウ達が乗る魔導艇はエル・ダルーク西部域を東に向かって疾走する。操縦者たる少年の表情は硬い。防塵マスクの下で口を強く引き結び、二眼ゴーグル奥の目は睨むように前を見つめている。
その肩口にある小人が前を見つめたまま呟いた。
「残念、だったわね」
その重い声音に、クロウはこれまで見てきた光景を思い出す。
黒煙が細く上がる開拓地、大量に転がるラティアの屍、踏み躙られた農地、崩れ落ちた建物、ひしゃげた機銃、瓦礫にぶつかり沈んだラーグ級、散らばる薬莢と人の部位、赤錆びたにおい。
全てが故郷の姿と重なり、心に残る傷痕がじくじくと痛む。
その痛みが己の無力さを刺激して、悔しさが募る。
クロウは大きく深呼吸。
「そうだな」
一言だけ返して、操縦に集中する。
彼が魔導艇を疾らせている理由。
それはエル・ダルーク市軍からの依頼を果たす為。モルスで市軍艦艇に情報を伝達した際、西部域に点在する開拓地へと赴き、ラティアの行群が発生したことを伝えて回る連絡役になってほしいと頼まれたが故である。
元が開拓地の出で、しかも蟲に潰されてしまった過去を持つだけに、クロウが二つ返事で引き受けたのは言うまでもない。
しかしながら、その結果として、クロウ達は行く先々で惨劇を目にすることとなった。
そして、今もそれらの情景が脳裏のこびりついて離れない。
「これまで回ったのは四つ。その内、最初の一つを除いた三つが壊滅、か」
少年の口から力ない声が漏れる。
「最悪の場合、どうなっているかはわかっていた。けど、実際に見ると……、はは、辛いな」
淡々とした言葉。無理やり出された空々しい笑い。それらがより、クロウの心を物語る。
そんな彼の腰。背後から回された腕に力がこもる。意味するのは慰めか悲しみか、はたまた惨劇を思い出しての恐怖からかはわからない。けれど、今の少年には背中に感じる他人の存在はありがたかった。
しばし、無言のまま時が流れる。
「……あ」
ミソラが何かに気付いたように声を上げた。
それに釣られてクロウが周囲を確認すれば、行き先の右方に砂埃が立っているのを認めた。風に流れ行く砂煙の数は三つ。それらを見つめて、少年が言う。
「多分、船だな。砂塵が南東に流れてるとなると、市軍か旅団、どっちかか」
「ちゃんと情報が伝わって、対処に動いているってことね」
クロウはミソラの声に頷く。
「とりあえず合流して、こっちが持ってる情報を伝えよう」
少年は方針を告げると、砂煙に向かって舵を切った。
それから数分後。
彼我の距離が近くなったことで、クロウ達の目に船の姿形が見えてくる。
船首から船橋にかけて二つの砲塔が並び、船橋から船尾までは一繋ぎの構造体が続いている。砂埃を上げているのは舷側の推進器。船尾には大きな三色旗……青白赤から成る旗が風をはらんでいた。
「バルド改級にあの旗……、間違いなく旅団だ」
「どうするの?」
「傍まで行って、発光信号で情報を伝える」
「ってことみたいよ、ミシェル、頑張んなさい」
「……ん、わかった」
ミソラの励ましに、同乗者たる亜麻色髪の密偵は言葉短く応じて動き出す。単に慣れたのか感覚が麻痺したのか、少々の揺れでも騒ぐことはない。無事に掲げられた青旗が風にはためき始めた。
この合図に呼応するように、三隻の船橋上にある檣楼に青旗が昇る。
「向こうもこっちを確認したみたいだ。……ミソラ、悪いが信号を送る間、前の障害物に注意してくれ」
「わかったわ」
クロウは小人に頼むと、魔導艇の舵を右に左と切り、弧を描くような形で方向を変えた。こうして船隊の左舷側、先頭を行く船に速度を合わせて並走し始め、推進器に巻き込まれないように距離を測る。その全てが終わると、今度は船橋へと信号機の瞬きでもって情報を送り始めた。
少年の指が信号機の引き金を短く長く立て続けに引き、船橋からも発光が返される。
幾度かのやり取りの後、クロウは信号機を片付け、船橋に向かって敬礼を送る。そして、魔導艇を転回させるべく操縦柄を左へと切った。方向が変わった所で、ミソラが問いかける。
「向こうはなんて?」
「情報提供を感謝。周辺開拓地への情報伝達に関して、今少し協力を願う。伝達終了後又は日没前にはエル・ダルークに帰還のこと。旅団屯所へ伝達するので、魔力補給の申告を、ってとこだ」
「なるほど、つまり、日没までに全部回ればいいってことね」
クロウは小人の言葉に首肯した。
魔導艇は新たな開拓地を目指して疾り続ける。
その頃、開拓地ギャレーでは監視塔の周囲にラティアが集まっていた。
蠢く蟲は千や二千どころではなく、万に近い。あまりにも数が多くて、開拓地周辺の地面が見えない程だ。
さながら赤黒い湖の如き蟲の集団であるが、個別に見れば、それぞれが触角を動かし、六本の脚でもって地を踏み鳴らし、口元の鋭利な牙を交錯させている。
特に塔に近いモノは、どこかに弱点がないものかといわんばかりに七つ目の頭部を得物が逃げ込んだ建物に向け、頻繁に触角を動かしている。また、取り付いた個体の中には、忌々しい壁を削り崩そうと鋭利な牙で噛みつくモノもいる。
この蟲による包囲の中心地。
監視塔の中では老いた男達が魔導灯の青白い光の下で話をしていた。
「さて、できる限り頑丈に造ったもんだが、どれ位持つかねぇ」
「へっ、俺達の仕事振りが試されるって訳か」
「んだなぁ、明日の朝まで持ったら大したもんだべ」
「お前がそう言うとなると、実際は夜の中頃あたりで潰れるんじゃねぇか?」
物騒なことを話しているが、彼らの顔に悲壮感はない。
いつもと変わらない、のんびりとした顔で、機銃の分解整備や弾薬の確認、飲食料や得物の準備といった具合に、それぞれが作業をしている。
とはいえ、厚い壁越しに不気味な足音や耳障りな擦過音、更には壁を削る音が聞こえる状況を考えると、その様子は決して正常とは言い難い。普通の人間であれば、平静を保つどころではなく、差し迫る死の恐怖に慄いて震えるのが当然なのだ。
そう、彼らの態度は非常にあるが故に異常。
他者の為に自らの死を容認した狂気、或いは、逃れえぬ結末を前にしての諦観。死を覚悟した者の余裕というべきものなのだ。
そんな男達をジルトは少し離れた場所で見つめていたが、一つ首を振って大剣の血糊を拭き取る作業に戻る。手にしているありあわせのボロ布は既に濃い緑に染まっている。
近くで弾帯に弾薬を詰めていたマリオが若者の様子に気付いて声を上げた。
「あいつらの物言い、不謹慎と思うか?」
ジルトはまた首を小さく振る。
「いや、この状況で発狂しないで現実を見ている。それだけでも大したものだと思うし、頼もしいと感じる」
「ははっ、物は言い用って奴かね」
「どういう意味だ?」
「なに簡単なことさ。こんな追い詰められた状況で普段通りに過ごしてるってことはよ、あいつらも、俺も、おめぇも、皆、気狂いってことさ」
「僕は気狂いのつもりはない。何度も言うが、僕は絶対に生き残る」
「なら、お前さんは向う見ずで強情っぱりで腕っぷしのある酔狂野郎って所か」
くつくつと老いた男が笑った。
ジルトはいささか不本意な評価に顔を顰める。しかし、一息置き、表情を改めて口を開いた。
「あなたに聞きたいことがある」
「おぅ、時間潰しになる。言ってみな」
銀髪の若者は動かしていた手を止めて、想い人の祖父を見る。
「どうして、そう簡単に死を受け入れられる?」
マリオは直截な問いかけに苦笑いを浮かべた。
「馬鹿なこと言うな。死なんてもん、簡単に受け入れられる訳がねぇだろ」
「しかし、あなた達は必死の覚悟を持っている」
「そりゃおめぇ、単純に歳を積み重ねたお陰だろうさ」
ジルトは納得がいかないと首を捻った。
老人は苦笑を浮かべたまま白い髭を撫でる。
「あー、いざ言葉にするってなると、意外と難しいもんだが……、そうだな、この歳まで生きるとよ、それなりにここに溜まっていくもんがあるのよ」
マリオは自らの胸を親指で示して続けた。
「ここで土地を拓いてきた自負、住み慣れた土地への愛着、作り上げてきた物への執着、実った作物を収穫する喜び、苦楽を共にした仲間への信義、冥府に逝った先人への義理、後に続く若ぇ連中への親心、全ての土台にある受け継いだ志、ってところか」
「僕には半分もわからないな」
「そりゃそうだろうよ。俺の思いの大部分は、一所に住んで長く暮らす内に自然と生まれてきたもんだからな」
老人が手を止め、手にしていた弾薬を光に照らして目を細める。
「そうやって生まれた色々なもんがよ、どうしても譲れねぇって言うのさ。俺達はこの土地を守る。それが叶わないなら、自分が死んでも若ぇ連中を、血の繋がった若ぇのを遺してぇ。この地を拓いて生き抜く意地と一緒にな」
ジルトは話を聞くうちに、自然と機兵の信条や意地、使命を思い出す。
その間にも声は開拓者の想いを紡いでいく。
「結局はよ、俺達は引き継いでくれれば、それでいいんだよ」
「……意地を?」
「ああ、先人の背を追って生きてきた証を、一代で達成できないだろう志を、荒れ果てた土地を拓く開拓者の覚悟って奴をよ、更に先に引き継いでほしいのさ」
弾薬の確認を終えて差し込む。それからまた口を開く。
「世の中、死は必定。誰もが老いて死ぬ。当然、老い先短い俺達が先に死ぬ。だから、俺達はより先の長い若ぇ連中を逃す為に残った。俺達が死んでも若ぇのが生きていれば、俺達の想いを引き継いでくれると信じてな。……ただ、それだけのことなのさ」
マリオは外からの物音に動じることなく、穏やかに微笑む。
ジルトは想い人の祖父が語った言葉を胸に刻み、再び手を動かし始めたのだった。
* * *
時流れて、夕刻。
クロウ達は西部域にあるほぼ全ての開拓地を回って、エル・ダルークに戻ってきた。
急ぎ足で、しかもかなりの緊張と共に各地を巡ったこともあって、操縦者たる少年の心身は疲れて切っている。彼自身、機兵としての鍛錬がなければ、途中で居眠りしたんじゃないかと思ってしまう程である。
意図せず出そうになるあくびを噛み殺して、クロウは前を見た。
世界は臙脂色に彩られ、魔導艇の影が長く伸びる。
向かう先には、夕照を浴びるエル・ダルーク。紅く染まった防塁都市の姿に、なんとなくアーウェルで起きた惨劇、その直前に見ていた景観を思い出して、少年は顔を曇らせる。思い浮かんだ情景が後に続いた哀しい記憶を呼び起こしそうに思えて、首を幾度か振って払った。
「どうかした?」
「いや、なんでもないさ」
小人の声に答えてから、大灯台との間で信号のやり取り。そのまま、旅団屯所がある東港湾へと艇を向かわせる。
途上、横目で見る防御陣地や貧民街から緊張感のようなものが感じられる。ラティアの群団のことが伝わっているのだろうと思いつつ、東港湾に入っていく。
港の船溜まりには、二十隻近いラーグ級が停まっていた。
ここを発った昼前には空きが目立っていただけに、これらは避難船だろうかと目を向ける。たまたま、船橋にいた誰かがこちらに気付き、大きく手を振ってきた。それに応えて手を振り返すと今度は大声。
「あんたのことは聞いている! お陰で無事に避難できた! ありがとうよ!」
クロウは思わぬ感謝を受けて目を丸くする。
ミソラが嬉しそうに笑った。
「良かったじゃない。少なくとも、あんたがしたことは意味があったみたいだし」
「……ああ、少し気が楽になったよ」
クロウは表情を綻ばせて、旅団の倉庫が並ぶ岸壁へ。
停船していたバルド改級は全て出払っている。倉庫の前は荷揚げ場に十人程の人影。そのうちの二つ、旅団の制服を着た者達がクロウ達に気付くと手を振ってくる。そちらへと近づくと男の声が届いた。
「お疲れ様でした! 第一船隊から連絡が来ています! 魔力の補給をするのでこちらへ!」
その言葉と誘導に従って艇を進ませ、岸壁の最奥へ。壁面を構成する焼煉瓦。取り付けられた梯子と埋め込まれた金属製の蓋が見えた。また上から声。
「舟への補給は旅団の者が責任を持ってやりますのでご安心を! 後、夜が迫っていることに加え、各地で蟲の動きが活発になっていますので、明日まで動かない方がいいと船隊長より言付かっております。ただ、宿の方は市が避難民の為に借り上げており、部屋が空いていません。ですので、うちの屯所で一晩休めるように手配させていただきました! 門衛に言ってもらえれば入れるようになってます!」
旅団からの好意的な申し出に、クロウは口元を綻ばせて答えた。
「ありがとうございます。旅団からのご厚意、ありがたく受けます」
「いえ、お気になさらず!」
少年は相手の返事に頭を下げてから魔導艇を着船させ、ようやく肩の力を抜いたのだった。
クロウは降りてきた整備士に魔導艇を預けると、足元が覚束ないミシェルに手を貸しつつ岸壁の上へと昇る。
生きた都市の空気……人の暮らしを感じ取って、ほっと息を吐き出す。
そうしてから、ようやく周囲へと目を向けた。
市街へ繋がる門、その傍らに土嚢積みの陣地が設置され、警備兵と機銃が顔を覗かせている。厳重だなと思いつつ、区画の道路を見やる。行き来する人の数はそう多くはない。
しかし、埠頭では避難船から降り立ったと思しき人々が屯していた。男ばかりで女や子どもの姿はほとんどない。その中には市庁や市軍の制服を着た者達がおり、色々と情報を集めているようだった。
同じく辺りを見渡していたミソラが埠頭を見て感心した様に呟く。
「さっきの話を考えると、女子どもはより安全な宿に収容って所かしらね」
「みたいだな。……ところで、ミシェル。さっきから黙ってるけど、大丈夫か?」
「あ、あー、うん。もうちょっと、手を貸してほしいかな」
「わかった」
減らず口を碌に叩けない様子に、クロウはミシェルの腰に手を回して抱き寄せた。亜麻色髪の女は思ってもいなかった力強い支えを得て驚く。ついで、少しはにかみを見せて口を開いた。
「やー、昨日の内に、こうしてくれたら嬉しかったっていうか、色々とハカドッタんだけど?」
「そうか、俺としては昨日と同じ扱いでも別に構わないと思うんだが?」
「うそうそ! 今のはなし! ほんと助かります!」
調子のいい声。
クロウはさっきまでの姿は演技だったのかもと思った。しかしながら、一度手を貸すと決めた以上はと、ミシェルを支えて歩き出す。
向かう先は、すぐそこにある旅団屯所。
ゆっくりとした足取りで進み、避難民達の脇を抜け、西港湾区に繋がる道に入る。
「あ、あなたは……」
不意に、正面から声。
導かれてクロウが道の先を見る。眩い逆光。目を細めて人影を見つめると、一組の男女。声を上げた中年の男は同期がいた開拓地で見た顔、その傍に立つ女は砂の風華亭の給仕だった。
クロウは無事に逃げてこられたのかと安堵する。が、どうにも違和感がある。それを不思議に思いながら口を開いた。
「良かった、無事にここまで来れたんですね」
「ああ、あなたのお陰で、避難することができたよ。ありがとう」
少年は口元を緩める。
だが、当人の浮かない顔や沈んだ顔の女給仕を認めて困惑。同時に先の違和感がより強くなり……、この場にいるべき人物がいないことに気付いた。
「ところで、ダックスは?」
クロウの言葉に、それぞれが感情を浮かべた。
男は更に沈鬱な顔。女は今にも泣き出しそうな顔。
それだけで同期の身の上になにかあったのだとわかった。自身でも知らぬ間に険しい顔となる。その変化を見たのか、慌てたように中年の男が言った。
「だ、ダックスさんは、ギャレーに残りました」
「なんでです? まだ時間があったはずなのに」
「それが、あなたが連絡に来てくださった後、すぐに蟲の行群が南から来たんです。それで、我々を確実に逃す為、親父達と一緒に……」
続かない言葉。絞り出すように出された声は震えていた。
クロウは同期が囮になったのだと知り、思わず女給仕の顔を見てしまう。
黒髪の女は嗚咽もなく、静かに涙を流していた。
それを目の当たりにして、想い人を泣かしてお前は何を考えているんだと、少年は心中で銀髪の同期に毒づく。
次に耳にした状況を想起し、全員が逃げ出せたはずだと思う心と確実性を重視したのだとする理がせめぎ合いを始めた。それぞれが正しい、情理の諍い。しかし、それを俯瞰する意識が、これは正しい答えなどない問題だと嘆息することで全てが流れた。
彼の口から、これまでになく大きな溜息が出た。
「そう、ですか」
クロウはなんとかそれだけ言って、後は誰も攻めることができない遣る瀬無さに、どうすることもできない自分自身の力の無さに、ただ歯を噛みしめた。
避難船に行くと言う二人を見送り、クロウは小さく呟いた。
「人ってのは、無力だな」
耳聡い小人が応じた。
「そ、悲しいことに、それが現実。だから人は群れをつくり、社会を作ったのよ」
「わかるよ。現に今、一人じゃどうにもできない脅威を潰す為に、市軍や旅団が動いている」
少年は頷いてから首を振り、屯所の出入り口がある西に向き直る。
目に入るのは、茜と影が織り成す二色世界。
「けど、間に合わなくて助からない人がいる」
「人は神じゃないもの、誰も彼も救えないわ」
「はは、そうだな。確かに、人は神じゃない。……でも、人だからこそ、誰かに手を伸ばすことができるかもしれない」
密偵は口を挟むことなく静かに話を聞いている。
「なぁ、ミソラ」
「うん」
「手を、貸してくれないか? 俺はギャレーに残っている同期を助けたい。だから、魔術師としての力を、振るってくれないか?」
小人はすぐに答えない。
無言のまま光の翼を展開し、少年の肩口から飛び立った。そして、クロウの前に浮かんで、真正面から見据えた。
「クロウ、聞くわ」
「ああ」
「どうして今、そうしたいと思ったの?」
「見知った相手……、魔導機の教習で苦労を共にした奴だから、手助けできるならしてやりたい」
「ここに戻って来るまで、そんなこと一言も言わなかったのに?」
「我慢してただけだよ。俺自身に、状況を変えるような力がないからな。けど、知り合いが苦境にいるって知った以上は、どうにかしたい」
「間に合わなかったとしても?」
「ああ、それでも行きたい。同期……、友達とは言えない関係かもしれないけど、機兵としての同輩っていうか、うん、戦友だから。その死を確認するのも役目だ」
「ふむ」
腕を組んだミソラは金色の瞳でじっと少年の瞳を見つめた。
ついで身体が横に折れそうな程に、首を大きく傾げる。
「うーん、いくらあんたがお人好しとはいえ、どうもそれだけじゃ動機としては弱い感じっていうか、なんか足りないっていうか、納得できないのよねぇ。……うん、この際だ、クロウ、あんたの本心をさらけ出しなさい。どうして、あなたがそこまでしようと考えたのか、胸にある想いを、秘めている想いを、このおねーさんに教えてちょうだい」
「お、おねーさんは、難しいことを言うなぁ」
「そうかしら? 私としては特に難しいことを言ってるつもりはないわ。ただ、クロウの為に、私が力を振るうだけの納得できる理由が欲しいのよ」
クロウは少し困ったような顔を見せて、小人から視線を逸らす。
道路の先、彼方で光陽が地の果てで沈もうとしていた。
いつか見たように……。
少年はまたミソラに視線を戻して口を開く。
「俺もさっきの人達と似たようなものだから」
「似たような?」
「ああ、俺は蟲の襲撃で、故郷も両親も、何もかもを失った」
腕の中にいるミシェルが息を呑んだ。
「つまり、大切な存在を奪った、蟲への復讐?」
「それも否定できないけど、復讐が全てじゃない。……故郷が潰されて、全てがなくなった後、俺は伸ばされた手に、救援に来てくれた人に救われたんだ」
皮肉なことだった。
霞の向こうにあった往時の記憶が、今日、開拓地で目の当たりにした惨劇で甦ったのだから。
少年が思い出すのは、精悍な顔をした青髪の男。
自分を滅びの中から拾い上げた上、エフタの孤児院に入れて、生きる力を与えてくれた恩人の姿だ。
あの人は今、どこにいるのだろうかと思っていると、ミソラが頷いた。
「それに影響を受けてるってこと?」
「かもしれない。……でも、これだけでもないよ。自分の先を考えると、見過ごしたくない」
「うん? クロウが考えてる、自分の先っていうのは?」
「故郷の復興……、いや、再興の方がいいかもな。俺の目標だ」
ミソラは瞬きを繰り返して言った。
「それ、初めて聞いたわ」
「当然さ。誰にも……、いや、園長先生には昔言ったかもしれないけど、ただの孤児からすれば、どう考えても身の丈にあってない、遥か彼方の遠い目標だからな。そう簡単には口にできないよ」
「確かに。……で、できるの?」
「だから、それを言われると……、具体的な案もない状況でできるかできないかで言われると、その、困る。ただ、死ぬまでには成し遂げたいって思ってるよ。まぁ、機兵だけに、いつ死ぬかわからないけどな」
笑えない諧謔交じりの言葉に、ミソラが微笑む。
「なるほど、だから見過ごせない、ってことか」
「ああ、今の事態は過去の経験から見ても、俺が目指す所から見ても、決して他人事じゃない。だから、俺にできることを、手の届く場所にいるならば、助けの手を差し伸べられるならば、せめて知り合い位にはそうしたいって思ったんだ」
そう言った後、クロウは情けない顔で肩を落とす。
「とは言っても、思いだけでは足りない。実際、俺一人じゃ何もできない。幾ら機兵になったからって、自分一人で蟲の群に抗するような力なんてあるはずもない。唯一の希望として、強大な力を操れる魔術師に、ミソラに何とかできないかって頼み縋るくらいしかできない」
赤髪の少年は目の前に浮かぶ小人に目を向けて、真剣な顔でもう一度繰り返した。
「ミソラから見れば、無関係で筋違いなのはわかってる。でも、それでも頼む、ミソラ。俺に、手を貸して欲しい」
声音に込められた、相手を真に欲する響き。
私ならホイホイと頷きそうだと、傍観者と化していたミシェルの心が揺れた。
ミソラも例外ではなかった。
元より小人は自分が身内扱いしているクロウに甘いと自覚している。故に厳しい顔や態度で固めているのだが、やはり、こうも真正面から頼られるとなると、なんでもかんでも言うことを聞いてやろういう気分になってしまい、直に頷きたくなってしまう。
そんな沸き立つ内心を押し隠し、それでも隠しきれない喜びが口元をにやけさせそうとするのを必死に耐えながら答える。
「うーん、私を便利使いしようとなると、高いわよ?」
「ああ、言い値で買うよ」
「んふっ、今の発言、後悔してもしらないわよ」
「覚悟してる」
「うんうん、大変よろしい! クロウ、おねーさんが手伝ってあげるわ! だから、あんたも頑張んなさい!」
クロウは小人の言葉にしっかりと頷き返した。
* * *
夜を迎えたギャレー。
集ったラティアの数は減る様子もなく、ジルト達が立てこもる監視塔を囲み続けている。
その監視塔であるが、全周を固める壁、その一部が蟲の牙によって削り取られて、穴ができ始めていた。
内部で対処に追われる男達。
「おい! そっちに亀裂ができたぞ!」
「わかっとる! 今からぶち込むわいっ!」
機銃を持った男は大声で怒鳴り、壁にできた亀裂に銃身を差し込むや引き金を絞る。短い破裂音と共に熱い薬莢が乱れ飛び、硝煙のにおいが立ち込める。外で蟲の悲鳴のような鳴き声が上がった。
「よしっ! 後は上手くやれよ!」
「ああ、任せとけ! 牙が入ってきたらぶち折ったる!」
破砕用鉄槌を手にした男が機銃持ちと立ち位置を代わりながら、意気揚々と言い放つ。
パンタルに乗り込んだジルトも壁にできた穴、そこから突き出たラティアの牙に予備兵装である手斧を振るう。折れ砕ける感触、牙の破片が周囲に散らばった。その後、マリオが古ぼけた小銃を開いた穴に向け、一発二発と銃弾を撃ちこむ。緑の飛沫が削り抉られた断面に付着した。
「くはっ、若ぇ時の訓練が今でも活きとるってのも面白いもんだ! 市軍時代が懐かしいぜ!」
嬉しそうなしわがれ声。
ジルトは元気な物だと感心しつつも釘を刺した。
「まだ先は長いはずだ。飛ばし過ぎないようにした方がいい」
「へっ、言われんでもわかっとるわい!」
本当だろうかと不安に感じた所に、鉄扉が大きな衝突音を響かせた。
扉に押し付けていた障害物の一部が崩れ落ちる。
新たな攻撃を受けて、若い機兵は眉間に皺を寄せた。
マリオもまた面白くなさそうな顔で言った。
「ちくしょうめ。牙を失った奴が体当たりを仕掛けはじめたんだろうよ」
「それだと、連中の目玉も潰れる気がするんだが?」
「忌々しい話だが、連中はある意味、人よりも合理的だ。目的を達成する為なら、何の躊躇もなく命を差し出す。目ん玉なんざ、安いもんだろう」
ジルトは天敵の恐ろしさを肌で感じて、身を震わせた。
同じ頃。
星煌めく夜空の下、クロウ達の魔導艇がひた疾っている。
向かう先はエル・ダルークの南西、開拓地ギャレー。薄明かりに照らされて、砂海を一直線に全力で突き進む。
光源の少ない夜に全力疾走など、普通ならば恐ろしくてできない暴挙。しかし今は、小人に施された暗視の魔術により、行き先は遠くまで見通せる。
彼らの目に映るのは、生の気配がない荒野。
死に絶えた文明の名残、積み重なった瓦礫の山、ただ吹き抜ける風が砂塵を連れ去って行く。
黙然と操縦に専念していた少年が唐突に口を開き、背中合わせに座っている女に告げた。
「ミシェル、別に付き合わなくて良かったんだぞ?」
「わかってる。私が付いていこうと思ったのは、自分の意思よ」
「そうか。……でも、好き好んで危険な場所に付いてくるなんて、変わってるよ」
「そうかな? 私としては大丈夫だろうって踏んだから、伝手から使えそうな物を調達したんだけど」
密偵は自分の前に置かれた箱、鉄鎖でもって艇体に縛られた鉄箱を叩く。
彼女はクロウ達が救援に行くと決めたと見るや、旅団内に詰める仲間と接触。短時間の内に話をまとめて、鉄箱の中身……利用できそうな物を融通してもらったのだ。その段取りと手際の良さは、ミソラも唸るほどの物であった。
少年は改めた声で言う。
「それは感謝してる。……でも、何事も絶対なんてことはないからな」
「ま、その時はその時。こうやって帯革で繋がってるから、死ぬ時は良い男と一緒になるし、本望かな」
クロウは女の声の軽さに思わず苦笑する。
それに気付いたのかわからないが、ミシェルは少年に背を預けて続けた。
「密偵なんて悪辣な仕事してると、どーしても人の醜い所ばかりを見ちゃうから、命が軽く見えちゃうのよねぇ」
「一つしかなくても?」
「ええ、一つしかないけど、ただそれだけのもんよねって思えちゃう。だから、たまには人の良い所をこの目で見たいの。……うん、言うなれば、心の洗濯って所かな」
「はは、命懸けの洗濯が必要になるなんて、恐ろしい仕事もあるもんだ」
「ほんとよ。……でもま、私っていうか、私が住んでた場所には、それしか道がなかったからね」
どこか寂しそうな声。
クロウは胸に残る恩師の言葉を思い出して、自然と諳んじた。
「時に人は一つの道にしか生きられない。これは苦しくも幸せなこと。選ぶこともできずに進まなければならない、或いはただ一筋に惑いなく進めるから、か」
「え、なにそれ、私の思ってること、良い感じに言い表わしてるじゃない」
「世話になった人から教えてもらった言葉さ」
それまで黙っていたミソラが口を挟んだ。
「となると、まずもって生まれが重要になっちゃうわね」
「だろうな。……俺は運が良かったけど、生まれながらの孤児なんて、道を拓くだけで大変だ」
「あー、確かに。そう考えると、私はまだマシな方か。世の中って、ほんと不公平だわ」
クロウのしみじみとした言葉に、ミシェルがぼやく。
小人があっけらかんと言った。
「ま、どんだけ不平不満を口にしようが、生きることは不公平の連続なのが現実。けど、誰しも行き着く先が死ってことだけは公平だから、最低限の平等はあるってとこかしらね。……さて、もう一度、手順の確認をしましょうか」
「ああ」
クロウが頷くと、ミソラが目的地に着いてからの方策を話し始める。
「ギャレーに着いたら、まずは状況確認。蟲がいるかどうか、残っている人達が生きているかどうか、この二点よ。で、蟲がいる場合は人が生き残ってる可能性が高いから、そのまま攻撃を開始する。逆に蟲の姿が見えない場合は、死角に注意しながら開拓地内部を捜索する。ここまでで疑問は?」
「ない」
「私も」
小人は二人の返事に頷き、また口を開く。
「蟲がいるとわかった時点で、私は舟から離れて空に上がるわ。でもって、攻撃の準備」
「その間に、俺達が開拓地から蟲を誘引する為に気を引く」
「その方法は?」
「ミシェルが照明弾を蟲の中に撃ちこんで注意を引き、こいつの前に取り付けた投光器の光に引き寄せる」
クロウの後に続けて、ミシェルが話し出す。
「で、ある程度まとまったなと思ったら、私が発炎筒を焚いて落とす」
「うん、発炎筒を合図にして、私が群がった蟲を魔術で潰す。これが基本的な流れね。後は、あんた達の自衛手段だけど」
「前は俺が魔導銃で排除するか、回避する」
「後ろや側面は、私が手榴弾を放り込む」
「うんうん、大変よろしい。……ふふ、上手く運べば、なかなか良い感じになりそうだわ」
ミソラは口元を吊り上げ、犬歯を剥き出しにして笑った。
夜は更け行き、魔導艇は進む。
* * *
ギャレーの監視塔は短い時間で拙い状況に陥っていた。
壁のあちらこちらに穴が開けば、百を超える体当たりを受けた鉄扉は大きく凹み、生じた隙間から外からの空気が入り込む。ジルトのパンタルが出入口の鉄扉を押さえているが、直に破られるのは目に見えていた。
誰かが叫ぶ。
「くそっ! もうだめだ! これ以上は手に負えねぇ!」
「階段の脇なら後ろは大丈夫だ! まずはそこに機銃座を作れ!」
マリオの指示に老いた男達は即席の銃座を作ろうと、肥料の入ったルーシ袋を積み上げ始める。
「んだなこと言っても、弾の準備ができてねぇだ!」
「なら、おめぇは弾詰めしろ! 弾詰め!」
消耗した弾薬の準備に追われ、障害物の確保に追われ、誰もが忙しなく動く。
「おい! 若ぇの! もう少し耐えてくれ!」
「わかってる!」
ジルトは内側に膨らんだ扉を押し戻そうと、パンタルの両手をつけ機重や腕の油圧を使って押し込む。
そこに衝撃。
機体にも相応の振動が伝わり、歯を噛みしめる。扉上部が壁を削り、落ちてきた壁の一部が機体を当たって音を立てた。
ジルトは気付かぬ内に呟いていた。
「僕は死なない。ここで死ぬわけにはいかない。フロランスと添い遂げるまで、僕は死ねない!」
遂には大声を出して、扉に全身の力を加える。
また衝撃。
ジルトは必死に耐えるが、扉はそうもいかなかった。
鉄扉を支えていた上部の壁の一部が削れ、かろうじて支え止めていた鉄の閂も折れ飛んだ。
ジルトはそれを知るや即座に下がり、大剣を手にする。そして、歪みで生じた大きな空間に突きこんだ。
手応え。
直に大剣を引き戻す。
剣先から鮮緑が滴り落ちた。
若き機兵は突きの姿勢を取って身構える。
また扉に衝撃が走って歪み、隙間が更に広がった。
その時、隙間から見える闇の中、眩い光が走ったように見えた。
クロウは照明弾の射出を確認し、前に取り付けた投光器を灯す。
明るい光り……暗視の魔術が効いているクロウ自身には薄闇の帯が伸びるのを見て、ほっと息を吐いた。
「う、うわぁ、ものっ凄いっ量が寄ってくる」
後ろからの呟きに笑って答える。
「怖いか?」
「怖いっていうより、わさわさ動いてて気持ち悪い」
「その気持ち悪い連中が大量に追って来ることになるんだけどな」
「あはは、今更だけど、ちょっと後悔してる」
クロウは口元を更に歪めて言った。
「まぁ、ミソラがなんとかしてくれるまで、頑張ろう」
魔導艇は追い来るラティアを引き連れて、開拓地の中心から程良く離れた荒野で円を描くように巡りだす。
ギャレー上空。
ミソラは翠翼を背に広げて浮かび、眼下の状況を眺めやる。
クロウが駆る魔導艇は包囲を構成する蟲の一部を引きつけたようで、曲線を描くように行列ができていた。
「さて、頼られた以上は、成果を出さないとね」
一人呟き、大きく息をしてから手を前に伸ばすと、魔術語を紡ぎ始める。
「MG Vt-Vt-Fg Tys Ez-FrDy-Od-FgDam CIMA」
伸ばした手の先、掌の前に風が渦巻くや赤い色を帯びて球状となる。
小人は薄目を開けたまま、更なる韻律を甘く囁く。
「MG Lo-Ql Tys QlKg-Ri CIMA」
ミソラの斜め上、中空に薄い水の幕が広がり、光を帯びて周囲を映し出す。
その魔術で作られた鏡に、赤い球を掲げて術語を詠う。
「KgRi-Ye-Ty KgRi-Ty-Ye SSIl-MMLu MMLu-SSIl」
鏡が回転を始め、光が強くなった。
「Il-Tw Tw-Di Di-Hm Hm-FiMl」
赤い球弾が増え始める。
一つが二つに、二つが四つに、四つが八つにと、倍になっていく。
「FiMl-SiFiTw SiFiTw-MlFiDi MlFiDi-FiTwFiTw」
見る間に赤い球弾は倍々に増え続け、ミソラの頭上に百を超える数が浮かんだ。
小人は目を見開き、頭上を見上げる。
内に溜めていた魔力の三分の一程を持っていかれたが、満足する出来であった。
ついで、クロウ達を探す。
丁度、上手い具合に発炎筒の炎が上がった所だった。
魔術師は口元を微かに上げて、一言紡ぐ。
「Cit」
赤い球が動き出し、一列になると回転を始めた。
それらは見る間に加速し、残光が一つ繋ぎの光の輪を作り出す。
そして、ミソラは目標を右手指で指し示し、締めの語を告げた。
「Dam」
赤い球弾が一つ、尾を引いて飛び出した。
空に出来た輪から何かが飛んでくることに、ミシェルが気付いた。
「クロウ! 来たわよ!」
「さて、おねーさんの力、拝けっ」
眩い爆光。
クロウの声に覆いかぶさるかのように、爆裂音が響き渡った。
同時に届いた衝撃破が、魔導艇を激しく揺らす。
「おわわわわ!」
少年は揺れる艇体を制御する。
後ろで騒ぎそうなミシェルは、今し方目にした光景……追いかけてきた数百はあろうラティア、そのほぼ全てが爆発に巻き込まれて吹き飛んだことに呆然としていた。
「な、なに今の……」
「す、凄かったな」
「いや、あんた、凄かったなんてもんじゃって」
ミシェルは言葉を止める。
魔導艇の周囲にぼとぼとと蟲の破片が落ちてきたのだ。
故に彼女は自然と顔を上げ、今から降り注ごうとする危険物の存在に気付き、表情を引き攣らせた。
「ちょ、これ、私ら、別の方向でヤバいんじゃないっ?」
「……あー、当たりそうなのが来たら教えてくれ、避けるから」
「そんな簡単なって、また来たーっ!」
仲間を殺した爆発を受けても尚、後方に迫ってきた蟲の新手。
それに向かって、再び飛び込んでいく尾を引く何か。
強烈な閃光と爆炎が辺り一面を吹き飛ばす。
女の口から盛大な悲鳴が上がる。
だが、押し寄せてきた爆音がそれを呑み込んでいった。
ギャレー上空では、小人が気分を高揚させていた。
生前の記憶の中にも今の形になってからも、これだけ大々的に魔術を行使する機会はほぼなかった。それだけに、今の状況は最高に気分が良くもとい魔術師としての研鑚になると喜んでいる。
それはもう、思わず鼻歌を歌いそうになる程である。
が、魔術の行使中には別の言葉を発せない。
故に我慢して、赤い球弾……爆裂火弾を撃ち放つ。
一つ撃てば数百の蟲が吹き飛び、二つ撃てば千近い蟲が埋まった瓦礫共々粉々となり、三つ撃てば魔導艇が大きく浮き上がって跳ねた。
たまには、こうやって気分転換できたら最高だろうなぁ。
状況から見て場違いなことを考えながら、往代の魔術師は攻撃を続ける。
当初の段取りを忘れて、ただただ魔導艇に迫る蟲を狙って魔弾を撃ち続ける。
後ろで起きた爆発、その衝撃に煽られて、魔導艇が大きく跳ねた。
数度の経験を経て慣れてきたクロウは手早く艇体の安定を図る。それが終わると、困惑した表情で呟いた。
「ミソラの奴、やりすぎじゃないか?」
「いやいやいや、最初から激しすぎるからって、頭が飛んでくる! 右右みぎぃっ!」
「了解」
すいと魔導艇を右にずらすと、その左に焼け焦げたラティアの頭部がどすんと落ちた。
目は全て潰れているが、牙はまだ動いている。
ミシェルはその生命力の強さに怖気を感じながら、クロウに言った。
「そ、そろそろ、蟲の数も減ってきたし、攻撃の手を緩めてもいいんじゃない?」
「俺もそう思うんだが、それをこっちから伝える手段がない」
「つまり?」
「ミソラが大丈夫だと判断するまで、頑張りましょうってことだな」
「……ごめん、私、戦場を甘く見てた。もう心折れそう」
「そう言える内は大丈夫さ」
爆光閃く中、クロウ達と蟲の狂騒は続く。
ミソラによる空爆が始まって、一時間程が立った。
クロウ達を追いかける蟲の数は両手で数える程となり、ギャレーの監視塔を囲んでいた蟲の姿も見えなくなった。
そろそろ仕舞いにしようか。
そう小人が考えていると、西の地平線に砂埃が立つのが見えた。
特別製の眼を細め、遥か遠方を注視する。
焦点があった場所、そこにいたのは赤黒いラティアの群……万以上の群団であった。
往代の魔術師は頭上を見上げる。
赤い球弾はまだ半数近く残っていた。
下の残りは数える程だし、どうせならあれに使ってしまおう。
そんなことを考えて、ミソラはこちらに向かってくる蟲の群をじっと見据えて、まっすぐに手を伸ばす。
「Dam」
一発の赤弾が遥か彼方へと勢い良く撃ち出された。
しばらくすると、爆光が開く。
それが収まると、赤黒い絨毯に大穴ができていた。
ミソラは一人頷き、手の指先を微修正しながら語を紡ぎ出す。
「Dam……Dam、Dam、DamDamDaDaDaDaDaDaDaDaDaDaDaDaDaDaDaDaDaDaDaDaDaDaDaDaDaDaDaDaDaDaDaDaDaDaDaDaDaDaDam!」
残る全ての魔弾が立て続けに放たれ、赤く長い尾を引いて飛んでいく。
最初に撃った魔弾の爆音が届く。
それと入れ替わるように、蟲の群の中で爆発が起きた。
一つ二つと破壊の華が開き、次の瞬間、昼夜が逆転するような爆炎光が蟲の群を覆い尽くすように広がった。
「……ふぅ」
ミソラは満足げに溜め息を吐き出し、晴れ晴れとして顔で額の汗をぬぐう真似をする。
それから、逃げ続ける魔導艇へと向かって降りていく。
彼方より大爆音が伝わり、天地を震わせた。
爆音の凄まじい轟きは、ボロボロになった監視塔の中にも伝わっていた。
ジルトはパンタルの中で強烈な音を耳にして、冷や汗を流して息を呑む。
簡素な銃座に着いた男達も同じようで、互いに戸惑いの色を認めながら口々に声を上げた。
「お、おぃぃ、な、なにが起きとったんだ?」
「わ、わかるわけねぇべ」
「で、でもよ、蟲共の気配がほとんどねぇぞ」
「え、援軍が来たって事で、いいんか?」
「わからねぇ。……だが、まだ安全と言い切れねぇんだ。とりあえず、朝まではここに篭った方が安全だ」
マリオの意見に、他の者達も賛同して頷く。
ジルトもまた同意見だと頷く。
そして、鉄扉が破壊された出入口、それを塞ぐ蟲の屍に目を向けた。自分が突き殺した十近いラティアだ。周囲の壁面に緑血が染み込んでいる。朝が来たらどかさなければならないだろう等と思っていると、外で小さな爆発音が一回二回と間を置いて起きた。
「今のは……」
「手榴弾の爆発に似とるな」
「なら、やっぱり救援が来たってことでええんかの?」
「そう思う気持ちはわかるが、まぁ落ち着こうぜ」
マリオは長い付き合いの小銃を持って、パンタルの脇に立つ。
「おめぇさん、どう思う?」
「爆音が続いて、蟲がここからいなくなったことを考えると、救援が来たのは確かだろうと思う」
「だが、何者かがわからねぇ。俺の憶えからすると、さっきまで聞こえてたのは重砲級だ。けどよ、重砲なんぞ、エル・ダルークにあるだけで、バルド級もレンドラ級も、もちろんダ・スペーダ級も搭載してねぇ」
ジルトは老人の意見に応える。
「市軍が動いて展開したとか?」
「重砲を動かすとなると手間が半端ねぇ。例え機兵戦闘団が動いたとしても、それを持ってくることはありえねぇし、現実的に時間が足りねぇよ」
「なら、待つしかない。相手がこちらに接触してくるのを」
「それしかねぇか」
マリオの声はまた聞こえてきた爆発音と重なって消えた。
それから三十分。
じりじりとしながら、ジルト達は警戒を続ける。時折響く爆発音から、まだ危険が去っていないことがわかった為だ。
外で何事が起きているのかを知りたい気持ちとまだ待つべきだとする慎重な意識がぶつかり合う。
蟲に襲われていた時よりもマシであっても、警戒しながら待つというのは心は疲弊させる。
まだかまだかと待ち続け、遂に監視塔近くで爆発音が響いた。
それと同時に、魔導機関が奏でる絶え間ない響きも耳に入る。
「この音、推進器の音だ」
「……ああ、救援が来たんだ」
銃座の中にいた老いた男達はポツリとつぶやき、その顔に喜びの色を露わにした。
「こりゃ間違いねぇ! 味方が助けに来てくれただよっ!」
「ああ、ああ! そうだな! 俺達は助かった! 助かったんだ!」
ジルトは大きく息を吸い、隣に立っている想い人の祖父に告げた。
「僕が出る。皆はまだ中に」
「ああ、わかった。気をつけろよ」
「無論だ」
若き機兵はパンタルの脚を一歩一歩進め、障害物代わりにしていたラティアの屍を大剣でもって外に押し出す。
出入口の空間が大きくなり、内の光に照らされて外の様子が見え始めた。
前に前に進み、外に出る。
十数の死骸が転がっているだけで、蟲の姿は見えない。
それらを照らし出すように光が投げかけられた。
その源が近づいて来るのか、より強く鮮明になっていく。
ジルトは意を決して、声を張り上げた。
「何者かっ! 救援に来たならばっ、名乗ってくれっ!」
魔導機関の響きがいよいよ大きくなり、光が近づいてくる。
そして、その声が届いた。
「その声、ダックスだな。……はぁ、無事で良かったよ」
ジルトの眇めた目に映ったのは、昼頃に見た小舟。
それに乗り込む、赤髪の同期の姿であった。
* * *
光陽が地平線から顔を出した。
眩い金色の輝きがギャレーを照らし出す。周辺域の荒野には戦いの痕跡を色濃く残り、昨日から夜半まで続いた激戦を思わせる。
所々にできた大穴。
身を穿たれ、大量に転がるラティアの死骸。
そこかしこに甲殻の欠片が散らばり、焼け焦げた躯が燻る。
そんな中、老いた男達が開拓地の被害を把握すべく、先程まで散らばっていたのだが、今はそれぞれの場所で膝を突き、大地と光陽に向かって朝の祈りを捧げていた。
銀髪の若者はその様子をパンタルの傍で眺めている。
共に立て籠もり戦った男達が祈る姿を……。
しかし、それも監視塔から赤髪の少年が顔を出したことで中断する。
ジルトは自分に気付き、こちらにやってくる同期へと声をかけた。
「少しは眠れたか?」
「ああ、すっきりしたよ」
クロウは硬くなった腕肩を解す為、大きく動かして笑った。
関節や筋肉が擦れる大きな音を耳にして、ジルトもまた苦笑する。そして、背後にある傷ついた塔に目を向けて訊ねた。
「他の人達は?」
「まだ寝てる。昨日の昼から散々に付き合せたからな、かなり疲れたみたいだ」
クロウの同行者……小人とミシェルであるが、今は塔内に作られた簡素な寝所で横になっている。
昨晩、見るからに機嫌が良かったミソラはただの寝坊であったが、亜麻色髪の密偵はこの地で直面した状況、それによる精神的な負荷が大きかったようで、死んだように眠り込んでいる。
「そうか。……しかし、君が助けに来てくれるとは思いもしなかったよ」
「あー、たまたまさ。あくまでもミソラがいたからできたことで、俺だけならどうすることもできなかった」
「いや、それでも感謝する。今回は本当に助かった、ありがとう」
同期の今までになく素直な様子に、クロウは面食らう。けれど、次の瞬間には笑って応じた。
「気にしなくていいさ。教習所で苦労を共にした、貴重な同期だからな」
「なら、君と同期になれた幸運に感謝しよう」
赤髪の少年は大仰なとまた笑い、老人達に目を向ける。真摯な祈りは続いていた。
「しばらくは立て直しで大変だろうな」
「ああ、大変だろう。……しかし、あの人達ならば、笑ってやり遂げると思う」
「そっか」
クロウは短く応え、じっと祈りの中にある住人達の姿を見つめる。それから、また口を開いた。
「ダックスは、これからどうするんだ?」
「僕は……、まだ決めていない。ただ、いつかはここに住もうと思っている」
「あの人の生まれ故郷だからか?」
ジルトはクロウの含みある視線を努めて無視して答えた。
「ああ、そうだ。僕は、フロランスと添い遂げたいと思っている」
「なるほど。……だったら、自分の身の上のことをもっと考えた方がいい。お前が添い遂げたいって思ってる人、エル・ダルークで泣いてたぞ」
同期の静かな咎めに、銀髪の若者は心苦しそうな表情になる。だが、首を振って告げた。
「僕は君と同じく機兵だ。機兵が人を守護する存在である以上、この身に危険が迫るのは仕方がないことだ」
そう言われてしまうと、クロウに続けられる言葉はない。
しばらく二人して無言となり、時が過ぎていく。
光陽が完全に姿を現し、空の色が青くなり始める。
男達が祈りをやめて動き出した。
それにつられるように、クロウは言った。
「とりあえず、市軍か旅団が来るまでは、ここにいるよ」
それからジルトに背を向けて続ける。
「俺も同じ立場だから強く言えないけどさ、添い遂げたい相手がいるんなら、絶対に死に急ぐなよ?」
「当然だ。僕だって死にたくはないし、そう簡単に死ぬつもりもない。ただ、覚悟をしているだけだ」
「……ならいいんだ」
クロウは頭を一掻きして、監視塔へと戻っていく。
一人残った若者は東の空を見つめる。
昇り行く光陽は常と変わらず、世界を照らし出す輝きに満ちていた。
7 開拓者は荒野で祈る 了
16/06/26 最後の〆を忘れていたので追加。
あとがき
話にまとまりを持たせたかったけど、行き当たりばったりの結果は厳しかった。
というか、しょうのたいとるつけるのむずかしすぎてなきそうなきょうこのごろ。




