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魔導黎明記  作者: 綺羅鷺肇
7 開拓者は荒野で祈る
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七 不退転

「えーと、地図を開いたんだけど……、今、どこ?」

「あんた、密偵なのに現在地の割り出し方とか知らないの?」

「いやっ、私、外じゃなくて内の仕事担当してるから!」


 同乗者の言い訳を聞きながら、クロウは周囲に目を配る。廃墟や瓦礫の少ない荒野。ラティアの蠢く影は見当たらない。すぐに計器類に視線を走らせる。方位計は北を指し、距離計は今も数字が増え続けている。


「ミシェル、地図を前に回して、見えるようにしてくれ」

「あ、うん」


 クロウは腹のあたりに現れた地図に目を落とす。

 まずはエル・ダルークを探して見つけ出す。そこから距離計の数字を基に真っ直ぐに南へと目を移して現在地を推量する。こうして大凡の目星をつけると、今度は周辺に記された開拓地を読み取っていく。


「北西二〇アルトにパディック、その北四〇アルトにウィルザ、西北西三〇アルトにギャレー、その北西五〇アルトに……モルスか」


 人の命が懸かった状況の中、クロウは知り得た情報を勘案して進路を定めようとする。


 その時、彼の脳裏に過ぎったのは故郷を失った日の光景。


 突然現れた蟲の群に為す術なく蹂躙され、両親や同郷の者達を殺された時のことだ。


 忘れ得ぬ記憶に自然と眉間に皺を寄せて、少年は頭を回転させ続ける。


 十秒程経って、ミソラが声をあげた。


「クロウ、進路決まった?」

「……ああ、パディック、ギャレー、モルスを回って、エル・ダルークに退避するように伝える」

「ウィルザには?」

「行かない。パディックやギャレーの人に伝えてもらう」


 そこに遠慮がちな声が後ろから聞こえてくる。


「ね、ねぇ、近くの開拓地を回るより、エル・ダルークに直接向かって連絡を入れた方が被害が抑えられるんじゃないかな」


 クロウは魔導艇の方向を西へ向けつつ答えた。


「それも考えた。けど、エル・ダルークまでどれだけ急いでも二時間半。そこから市軍が出動して行群を見つけるまで、おそらく五時間以上。ラティアの足の速さは時速に換算して二〇から四〇アルトって言われてるから、行動半径が一五〇アルト以上になるのは間違いない。となると、かなりの開拓地が蹂躙される可能性が高くなる。だったら、少しでも多くに人に情報を伝えて、助けられる命を助けたい」

「な、なら、航路に出て、通信機持ちの船を探して連絡してもらうとか」

「都合よく船と行き合うかどうかわからない。あやふやな可能性に賭けるより確実に動いて犠牲者を減らした方がいい。後、俺達だけが蟲の行群のことを知っているよりも、他の人にも教えた方がより多くの人に伝わって逃げられる人も増える。情報を持って逃げる人が増えれば増える程、エル・ダルークにもより確実に届くはずだ」


 ミシェルは明朗な返答に目を見張る。

 正しい解などあるはずもない難問を前にして逃げ出さず、自分なりに分析して自らの行動を取捨選択する。それを支える強靭な精神力と危急にあっても働く思考、更には決断する果敢な意思に。


 操縦と周囲に気を向けているクロウが同乗者の心の動きに気付くはずもなく、険しい表情で続けた。


「それに、蟲の行群があの一群だけとは限らない」


 小人は蟲の群があった南を気にしつつ顔を曇らせた。


「他の群があるかもしれないってこと?」

「あるかもしれないし、ないかもしれない。……ただ、こういう時は最悪の事態を想定した方がいい」

「確かに、その方が気構えとして正しいわね」


 クロウは小さく頷くと、魔導艇の行き足を更に速めた。



  * * *



 同時刻、開拓地ギャレー。

 ジルトは仕事に関する契約を済ませると、フロランスの父親……この地に来て最初に話をした壮年の男エリオを案内役として、開拓地を見て回ることにした。


「なー、どこいくのー」

「機兵さん、お話聞かせて」

「ぱんたるのこと、見せてほしいな」

「おなかへったー」

「お兄さん! 街のこと聞かせてほしい!」

「あの、フローラ姉は元気ですか?」


 その後を付いていこうとするのは、大小六人の子ども達。

 十歳前後の少女が三人と、五歳にならないと思しき男の子が三人だ。全員、不自然に痩せるといったこともなく、陽に焼けて健康的な肌艶をしている。そんな彼らであるが、突然現れた銀髪の若者に興味津々といった様子だ。


 とはいえ、ジルト達はこれから仕事であって、構っている暇はない。

 故に、エリオが子ども達を咎めようと口を開く。が、その前にジルトが子ども達と向かい合って片膝をつく。それから幼い子供達の顔を見渡して、クロウ達同期が見れば、同一人物かと驚くであろう程の柔らかさで言った。


「話をするのは構わない。けど、僕は今から仕事だから、夜の楽しみにしてほしい」

「えー、つまんないー」

「ぱんたる……」

「おなかすいたー」


 けれど、抑えが効かない年少組は口々に不満を言う。これに対して年長組は素直に引いた。


「むー、仕事なら仕方ないか」

「そうだね。でも、夜になったら絶対に聞かせて! お兄さん、約束だからね!」

「私もお願いします。……ほら、あんた達、夜まで待ったら話を聞かせてくれるんだから、今は我慢しよう」


 最年長と思しき少女が話を纏めるとジルトに頭を下げ、他の年長組と共に年少者の手を引いて家に戻って行った。


 ジルトは立ち上がって、彼らの後姿を眩しそうに見送る。


 エリオが苦笑して言い繕った。


「あはは、なんというか、申し訳ない。あの子達、普段はもう少し大人しいんだが」

「いや、素直な良い子達だと思う。夜が楽しみだ」


 黒髪の壮年は若者の言葉に目を瞬かせ、次に相好を崩して頷いた。


 その後、ジルトはエリオに連れられて、ギャレーを構成する主要な場所を巡る。


 作物が実る農地、畑の手入れをする数人の男達、瓦礫を積み重ねて作られた防砂壁、緑草があちこちに生えた砂地の開墾地、貴重な涼を生み出すルーシの木々、その傍にある十近い墓石、手動式揚水機(ポンプ)が付いた井戸、住人が居住する簡素な家々、年長組から字を学ぶ年少組、古びて錆が浮いたラーグ級、その縁に洗濯物を干す女達。


 時折、仕事をする者達と言葉を交わしながら各所を回り、最後にパンタルを駐機させた場所……監視塔の傍らへと戻ってきた。


 遠くからでも目に付いた塔は土台部分が幅と奥行きが共に五リュート程、高さ三リュートはある建物となっており、その上に焼煉瓦を築いて作られた高さ三リュート程の矢倉が延びている。


 エリオは塔を指し示して説明する。


「こいつは周辺を監視する為の塔なんですが、見ての通り、下はラストルや農機具を置いたり、収穫した作物を保管する倉庫として使っとります」

「うん、頑丈な造りだ。……もしかして、ここは蟲が来た時に?」

「……ええ、無事に逃げられた者はここに逃げ込むことになっとります」


 案内をする中年男はどこか悲しげな顔を浮かべる。

 ジルトはその理由をなんとなく察して、それ以上は突っ込まなかった。その代わり、監視塔脇にある足場が組まれた建設現場に目を向けた。

 麦藁帽子をかぶった男達が足場の上で接合剤(セメント)を塗っては焼煉瓦を積み上げている。その傍らでラストルが山積みになった焼煉瓦や接合剤の入った金桶(バケツ)を足場へと乗せて、作業が簡便に進むように補助していた。


 若者の視線に気付いて、エリオが口を開いた。


「防壁の建設は最近になってようやくです。これができるともう少し安全な暮らしができるようになると思うんですが、なにぶん色々と物入りで、資材を揃えるのに一苦労といった所でして」


 その声に続くように作業をしていた一人が振り向いて声をかけてきた。


「そうは言っても仕方ねぇさ。今でさえ、自分達の収穫で食いもんをまかえてねぇんだからな」


 無駄な贅のない身体、陽に焼けた顔、その眉根や髭は白い。


 老境にある男を見上げて、ジルトは疑問を発する。


「そんなに厳しいものなのか?」

「へっ、そら厳しいわな。辺りを見たらわかると思うが、ここは砂海の……、乾燥し切った荒野のど真ん中だ。はい、耕して種水まいて畑ができましたってな具合に、一朝一夕にできるわけがねぇ」


 似た年恰好をした他の男達も手を止め、笑いながら次々に合いの手を入れた。


「おめぇ、そんな当たり前のこと、言うまでもねぇべ」

「まったくだ。んなことができるなんて言う奴がいたら、騙りかモノを知らねぇ馬鹿だ」

「いやいや、神の如き力の持ち主かもしれんぞ」

「なんでもできればなんでもうまくいく、夢世界の覇者だろ」


 仲間達の声に、最初に声をかけてきた男が苦笑して続けた。


「そいつこそ物語の中の存在だろ。現実はもっと面倒で時間がかかる。地表や地中に埋まった瓦礫をどけて、砂礫にまともな土や肥料を混ぜて、枯れと風に強い草を蒔いて伸びたら巻き込んでってな具合に、何度も繰り返して土にする。時間は掛かるが、ここで焦っちまったらいけねぇ。塩が上がって来ねぇように少しずつ水を撒いて、ゆっくりと土を育てていく。こうやって強い土壌を作って、ようやく食い扶持を育てられるってもんよ」


 ジルトは口を閉ざし、しわがれた声に聞き入る。その声は嘆息と共に語る。


「ああ、ただひたすら同じことを繰り返しながら、情け容赦を知らねぇ光明神様と砂嵐の暴れ神に負けねぇように踏ん張って、蟲一匹来たら殺して、うじゃうじゃ来たら隠れて逃げだして……、気付けば俺達が入植して、もう二十三年だ。……へへっ、年を取ったもんだけどよ、毎日毎日、土地が肥えて豊かになることを大地の神さんに祈りながら、少しずつ少しずつ耕して、ようやくここまで来たって奴だ」


 作業をしていた者達……どれもこれも深い皺が刻まれた浅黒い顔の持ち主達は感じ入るように手を止めていた。どの顔も微笑みに似て、それでいてどこか苦しく悲しそうな、けれども陰りは薄く、ただ全てを受け入れるように透徹な色を滲ませている。


 しみじみとした空気の中、ジルトは歳経た男達の顔に見入る。

 その人が積み重ねてきた日々が浮かび上がる顔を見て、自分が年を取った時、あんな風になれるだろうかと思いながら。


 誰もが沈黙して、それぞれが胸に収めた思いに耽る。


 しかし、その静かで穏やかな時は唐突に破られた。


「おぅいっ、東から、なんぞ近づいてくるっ」


 塔に立つ見張りが発した、大きくも小さくもないが緊張した鋭い声。


 俄かに場が色めき立ち、ジルトは自身のパンタルへ走った。


 急いで搭乗に取り掛かる彼の耳に、誰かと見張りのやり取りが入ってくる。


「蟲かっ」

「……いや、一匹から数匹なら、あそこまで砂埃は上がらないはずだし、群にしては量や幅がない」

「なら、船か?」

「普通の船よりも量が少なくて、できるのが早い」

「なんじゃそりゃ」


 困惑に満たされた声。


 ジルトは手足の装着を進めつつ、男達に所見を述べる。


「正体がわからないなら、避難や備えをした方がいい」


 もっともな意見だと男達は頷き、動き出した。


「ラストルは倉庫の前で備えろ!」

「俺は畑の連中に伝えてくる!」

「なら、おらぁ、かかぁらに伝えるわ」

「エリオ、おめぇは子どもらを集めて倉庫に入れろ」

「わかった。親父はどうする?」

「俺は上に昇って、いつでも撃てるように準備する」


 各々が手にしていたモノを放り投げて、自らが為すことを告げては走り出す。


 その頃にはジルトも搭乗を終えて、得物である大剣を手に持った。そして、ラストルの近くで出入口を守るように立つ。


「こっちの準備も終わった。相手の動きに変化があったら教えてくれ」

「おぅ、わかったぜ、機兵さんよ」


 先のしわがれた声が塔の上から答える。


 ジルトは心臓が高鳴るのを感じながら、じりじりと待つ。


 エリオに連れられて子ども達がやってくる。

 年長組は全員気丈な素振りを見せているが不安な顔。年少組は泣きそうな顔が一つと事態がよくわかっていない不思議そうな顔が二つだ。


 再びしわがれ声が響く。


「機兵さんよぅ、どうやら、こっちを目指してるのは間違いないみてぇだ」

「そうか」


 若者は乾いた喉を潤す為、唾を呑み込む。


 十人近い女達が走ってきた。

 その表情はどれも緊張している。だが、パンタルを見ると、少しだけ口元が和らいだ。偶然にもそれを見て、ジルトは無意識の期待を感じる。臓腑が微かに締まるような感覚を覚えた。


「しかし、早ぇな、あれ」

「そうなのか?」

「ああ、ラーグ級なら、いや、レンドラ級やバルド級でも、あんなに早く砂埃は起きねぇよ」

「あらら、こいつはたまげたっ」


 若い見張りの驚いた声。ジルトは急く心を落ち着かせて先を促した。


「正体がわかったのかっ?」

「ああっ! ありゃ船だ! 小さいが確かに船だわっ!」


 最後に戻ってきた男達がその声を聞いて、安堵したように急ぎ足を緩めた。


 ジルトもまた少し緊張を解く。


 そっと息を吐いた若者の耳に、若い声としわがれ声の会話が聞こえてくる。


「旗は出とるか?」

「あーとっ、…………青だ! 青旗が出とる!」


 更に空気が弛緩する。だが、ジルトは表情を引き締めた。


「でも、何者かはわからない。港に行くなら、僕も出て護衛する」

「ああ、頼むよ」


 倉庫から出てきたエリオが答え、そのまま港とされる段差に向かって歩き出す。ジルトもその後に続いた。その頃には彼の目にも砂埃が見え始めている。先に聞いた通り、確かに巻き上がるのが記憶にあるモノよりも早い。


 同じく見ていたエリオが当惑の色を隠さずに呟く。


「しかし、なにもんかね?」

「わからない。だが……、急いでいるように感じられるし、何か理由があるのかもしれない」


 若い機兵の声に、開拓地の代表者は表情を曇らせる。


 二人が緊張を滲ませて港近くに至った頃には、砂埃の源も認められるようになる。


 それは青旗を掲げた、見たこともない小舟だった。

 小舟が近づくにつれて、甲高い音が聞こえ始める。若者が魔導機関の音かと思っていると、徐々に舟の行き足が遅くなり、砂埃の量も落ち着いていく。そして搭乗者の姿が見えてきた。


 赤い髪、二眼ゴーグル、浅黒い肌、革の上衣。


 ジルトがどこかで見覚えがあるようなと思っていると、その相手が両手を上げて大きく振り、害意がないことを示した。そのことに安堵していると、その肩に変なモノがあることに気づく。その変なモノは小さな人形だった。あれはなんだと思って見つめていると、先の搭乗者の後ろにも人影がある事に気づく。


 まったく動きのない人影に、再び警戒感が生まれてくる。


 睨むように小舟を見つめていると、それが船溜まりに至って停まった。


 搭乗者が防塵マスクを外して大声を上げる。


「その番号! ダックスだなっ!」


 聞き覚えのある声に、ジルトは瞬く。昨日別れたばかりの同期のものだった為だ。


 ジルトはその事実に安堵するよりも戸惑いが先に出る。


「君は、エンフリードか?」

「ああ! 助かった! 話が早い!」

「待て! 一人合点するのは、こっちがわかるように説明をして」


 とまで言った所で、赤髪の少年が急くように話し出す。


「蟲だっ! 蟲の群がいた! 今から三十分程前、ここから見て南東四〇から五〇アルト程の所で、ラティアの群を見つけた!」


 告げられた情報に、ジルトは思わず息を呑んだ。


 だが、隣にいたエリオの反応は早く、すぐさま真偽の程を確認する。


「そ、それは確かですか!」

「はい! ラーグ級が一隻、群に襲われていたのを確認しました! ですが、これは俺が見た限りです! 蟲の群は俺が見つけた一群だけとは限らない! だからすぐに、エル・ダルークかっ、防壁のある郷に避難した方がいいです!」


 まさに突然の凶報。


 ジルトは動揺する心を叱咤するように叫んだ。


「エル・ダルークに連絡はしたのかっ!」

「通信機がないから無理だ! だから、避難する途中、別の船を見つけたら情報を伝えて、エル・ダルークに届くように努めてくれ!」

「わ、わかった!」


 客人の鬼気迫る様子に気圧されつつ、再びエリオが声を上げた。


「き、君はこれからどうする?」

「このまま、モルスへ連絡しに行きます! なので、さっきパディックの人にも頼んだことなんですが、可能ならウィルザへの連絡をお願いします!」

「あ、ああ、わかった! どの道、エル・ダルークへの途中にある。連絡しよう」

「お願いします。……では、これでっ!」


 そう言うや、赤髪の少年は小さな舟を器用に操って船溜まりから出る。そして、徐々に行き足を速めて、モルスがある北西に向かって去って行った。

 呆然と見送っていた二人であったが、我に返ると各々が踵を返し、避難場所へ走り出す。


 その途上、エリオがジルトに訊ねた。


「ダックスさん、今の方はお知り合いですか?」

「同期の機兵だ。……あいつが言ったことは本当だろう。こういった命が懸かったことで、絶対に嘘はつかない」

「ええ、信じます。即急に避難を始めましょう」


 こうして住人が集まる避難所へ駆け戻ると、待っていた者達に伝えられた情報を全て教える。


 ジルト達が全てを語り終える前に、大騒ぎになった。


「おいっ、船を動かす準備だっ! 急げ!」

「まずは子どもらを船室に入れろ!」

「持っていくのは最低限の食料と衣服、お金だけは全部よ!」

「ラストルは持ってくぞ!」

「ああ! そいつは乗せろ! いざって時の要だ!」


 大人達は先程以上に大わらわになって準備を始める。

 ある者はラーグ級へ向かって走り、ある者は自分の家に駆けこみ、ある者は泣き出した子ども達をあやしながら船に誘導し、ある者は倉庫の中から穀物や根菜が詰まったルーシ袋を運ぶ。


 ジルトは動き回る住人達の邪魔にならないよう、塔の近くでじっと待つ。


 そうして五分程経った時、塔の頂上に残っていた見張りが悲鳴を上げた。


「来た! 来たぞっ! 蟲だっ! 蟲の群だぁっ! 南から来るぞぉ!」


 ジルトは眉根を顰めた。彼が想定した襲来よりもかなり早かった為だ。


 そんな彼の下に、歳経た男達が近づいてくる。先程、壁の建設作業に当たっていた者達だ。


「聞いたのと方向が違うとなると、別の群かもしれねぇな」

「最近、妙に動きが少ないと思っとったが、行群かぁ」

「まぁ、それでも、先に情報を貰っておいて助かったわい」

「んだ、こういった時はぁ、たかが五分されど五分だかんなぁ」


 ジルトは慌てることなく口々に話す姿に困惑して訊ねた。


「準備は終わったのか?」

「なに、俺らのこたぁ、気にするな」

「ああ、俺達もすることするだけさ」


 若い機兵は彼らがなにを言っているのか、すぐに理解できなかった。

 故に疑問を口にしようとするが、その前に見張りに立っていた青年が降りてきて、推進器を起動させた船に向かって走っていく。だが、四人の年経た男は動かない。むしろ、朗らかな笑みを浮かべて見送っている。


 ここに至り、ジルトは先の言葉が意味することを悟って声を荒げた。


「まさか、ここで囮になるつもりか!」

「囮なんて大層なもんじゃねぇ。船が確実に逃げられるように、ここに篭って蟲を引きつけるだけだ」

「ほれ、だから、あんたも急いで船に乗んなさい」

「何を馬鹿なことを! 皆で逃げるべきだっ!」

「いや、俺達が連中を引き付ける時間が長ければ長い程、若ぇ連中が安全に逃げられるからよ」

「そういう訳でな、おめぇさんにはうちの息子や娘、孫の面倒を頼みてぇ」


 ジルトは返事をしない。

 老いた男達の勝手な言葉に、ぎりぎりと歯を噛みしめるのに忙しかったのだ。


 それに気付かず、彼らは話し続ける。


「まぁ、自分達の拓いた場所で死ねるなら本望だわ」

「ああ、俺達の番が来ただけって話だが……、兄貴もこんな気持ちだったのかねぇ」

「かもなぁ。でも、案外、悪くねぇもんだ」

「んだな、俺らの命で子や孫が助かるなら十分だで」


 悟った物言い。

 それが気に入らず、ジルトは心底から溢れ出る熱に浮かされるままに大口を開けて。


「ふざけるなっ!」


 大喝を発する。


 男達がびっくりした顔で背筋を伸ばす。それに構わず、若者は声を荒げて続けた。


「そんなことを認められる訳がないだろうっ! 僕は機兵だ! 蟲と戦い、人を守る者だ! ここにいる誰よりも機兵である僕が死ぬのが先だっ!」

「そ、その覚悟は頼もしいし嬉しいが……」

「んだっ、おめぇさんにゃ、船を守ってもらわんとっ!」


 ジルトは前面部を開放して、自分勝手な男達を睨みつける。


「そっちこそ勝手に僕の仕事を決めるなっ! ここに残る者がいるなら、僕もここに残る!」

「いやいや! 機兵さんよ、あんたにゃ、いざって時の備えとして船に乗ってもらわんと!」

「そうだ! 若いの! あんたがここで死ぬこたぁねぇよ!」


 若者はラーグ級に目を向ける。

 今生の別れであることに気付いているのか、大人達がこちらをじっと見つめている。


 その様子が悲しくて、自分を犠牲にしなければ大切な人を守れない開拓地の現実に納得できなくて、彼はまた叫んだ。


「それはあなた達にも言えることだっ!」

「違う! 俺達がここに残って時間を稼ぐことにゃ、意味がある! あるんだよっ!」

「ああ、連中は生きている人に執着する。ここで引っ掛かった奴らは俺達を殺し尽くすまで離れない。俺達は家族を守る為に残るんだ」

「だったら! より僕がいた方がいいだろう!」


 男達にとっては、予期せぬ言い争い。

 その間にも刻一刻と時間が過ぎていき、蟲が迫ってくる。そのことを思い、彼らの顔に焦りの色が浮かび始める。


「おまえら、止めろ」


 それを止めたのは見張り台に残っていた老境の男だった。男は塔の上から陽に焼けた顔を覗かせて、ジルトへと問いかける。


「機兵さんよ、お前さん、俺達と一緒に死ぬ覚悟、あるんだな?」

「無論だ!」


 と勢いよく応じてから、ジルトの頭に黒髪の女給仕の姿が浮かんだ。


 不安そうで哀しげな顔。


 これまで彼の心身を支配していた熱が急激に冷めていく。


 若者は大きく深呼吸して、男達を見つめながら更に思いを声に乗せた。


「いや、僕はそもそも死ぬつもりがない。けど、蟲共の足止めがしたいなら僕も残る。援軍が来るまでここに篭って耐えればいいだけのことだからな」

「はっ、簡単に言いよる。もう陽は西に傾いとるんだ。夜が直に来る。エル・ダルークからの援軍を機体しようにも、群が幾つあるかわらかん以上、すぐに来れるとは限らねぇ。それにだ、この見張り台だって、いつまで持つかわからねぇ代物だ。なのに、どうして耐えきれるって言い切れる?」

「そんなの簡単だ。僕はこの先も生きて、フロランスと添い遂げるからだ」


 ジルトの自信に満ちた力強い言葉。


 誰もが目を丸くして声をなくす。


 が、告げられた内容を理解するや、男達は次々に声を上げて笑い出した。


 自身がずっと胸に抱いてきた決意宣言を大笑いされて、ジルトはをむっとした表情。


 十数秒程で男達の笑いの波が引くと、見張り台の男が嬉しそうな顔で言った。


「そうかそうか、お前さん、フロランスに惚れたからここに来たのか。……はー、どうしてうちみたいな小さな開拓地に、わざわざ機兵が警備の仕事を請けに来たのか、ようやく納得できた。まったく、物好きで、馬鹿な野郎だ」

「僕はおかしなことを言ったつもりも、物好きでも馬鹿でもないつもりだが?」

「いいや、お前さんは大馬鹿だ。特大のな。……だが、俺はそういった大馬鹿者が大好きだ」

「男に好まれても困る」

「ははっ、何言ってんだ、そこは喜べよ」

「だから僕にはそういう方向の性癖はない」

「いや、俺にもねぇよって、冗談はここまでにしてだな。……機兵さんよ、俺の名はマリオだ」


 ジルトは突然の名乗りに首を傾げる。それを見ている訳ではないだろうが、老いた男はその理由を口にした。


「エリオの父親で、フロランスは孫娘になる」

「……あなたが、フロランスの?」

「おぅよ、口煩い肉親って奴だ。もっとも、お前さんがうちの孫と添い遂げたいっていうなら、幾らでも後押ししてやるさ」


 見張り台の男……マリオは口元を緩めて続けた。


「全員が生き残れたらな」



  * * *



 ギャレーの船が故地を離れ、ジルト達が迫り来る蟲の群に急ぎ備える頃。


 赤髪の少年は風圧に耐えながら、ただひたすらに魔導艇を疾らせていた。

 蒸れたマスクの中は、革と汗のにおい。二眼ゴーグルの下、眉間に立て皺を刻んで前方を見続ける。視線の先はより早く、周囲の背景はより遅く。速度計が指し示す数字は百を超えて針が揺れる。耳に入るのは甲高い魔導機関の叫びと風を切り裂く音。徐々に乾く喉。手に握る操縦柄でもって瓦礫や窪みを避けて、両足の踏ん張り加減でもって船の均衡が崩れないように注意する。


 操縦に専念する彼の腹にしっかと抱き着くのは黒繋ぎの少女。目口を閉ざして、操縦者の背中に頭を押し付けている。横風に煽られたり、凹凸で跳ねたりする度に、小さく悲鳴を上げては震えている。

 また、もう一人の同乗者である小人は少年の肩口に座り、上衣の襟をしっかりと掴んで向かい風に目を細めている。


 この三者三様の姿は、ギャレーを出てから変わることなく続いている。


 そうして十分、二十分と時が流れ、俄かに前方に見える瓦礫や廃墟が少なくなった。


 それを待っていたかのように、ミソラが口を開く。


「クロウ」

「……なんだ?」

「私、今、ちょっと後悔してる」

「いきなりどうした?」

「うん、なんていうかさ、今とっても、自分の見通しの甘さを愚痴りたい気分だから、ちょっと聞いてほしい」


 自信の塊のような小人が告げた珍しい言葉。


 クロウは微かに口元を緩めて応じた。


「おねーさんの愚痴、聞きましょう」

「ありがと。……私さ、今の今まで、情報の伝達について、甘く考えてたわ」

「あー、確かに、今一番欲しいのは通信機だな」

「うん、今日まで通信機は都市間だけでいいやって思ってたんだけど、寄った先で情報伝えた時の反応見たらさ、迅速な伝達手段の有無は、冗談抜きで死活問題なんだって実感したのよ」


 ミソラが思い出すのは、ギャレーやパディックで見た光景。

 クロウから蟲の動きについて告げられた時、居住民が見せた劇的な変化……訝しげな顔から焦燥に満ちた顔へと一瞬で変化したことだ。


 小人の声音から落ち込んだ気分を感じ取って、クロウは軽く笑って言った。


「いや、仕方ないさ。壁と軍に守られた都市じゃ、そうそう気付けないことだからな」

「うん、外に出て、この目で見て、よく分かったわ。……ほんと、すぐにでも普及できるような、簡便なモノを作っておけば良かったって思う」

「なら、なんとかしてくれ。開拓地や郷の人達が少しでも安心して暮らせるようなモノ、作ってくれ」

「うん、エフタに帰ったら、セレスと相談して、どうにかできないか考えてみる」

「ああ、頼むよ」


 と答えた所で、クロウの目が前方に廃墟ではない人工物を捉えた。同時に、近くに赤茶けに目立つ緑……ルーシのものらしき色を目にして、目的地であるモルスだろうと当たりをつけた。


「ミシェル、青旗の準備を頼む」

「う、ま、また?」

「ああ、まただ。何度も言うが、こっちは操縦に専念したい」

「うー、わかった。お、お、お願いだから揺らさないでねっ!」

「ああ、極力頑張るから、早く頼む」


 真っ青な顔の密偵がおそるおそる手を伸ばして、青旗を手に取る。


 そして、身体を前に伸ばして、規定場所に取り付けた。


 ほっと息を吐く。


 瞬間、謀ったかのように強い横風が吹き付けた。


 ぐらりと揺れる舟。


 ミシェルの口から盛大な悲鳴があがり、身体ごとクロウにしがみ付く。


「おわっ」


 それで少年の腕が揺れ、操縦柄も揺れた。


 高速で進んでいるだけに、その揺れが魔導艇に与えた影響は大きく、方向舵のある艇尾から大きく振れる。


 更に甲高く上がる悲鳴。


 クロウも表情を引き攣らせて、必死に艇体を制御する。


 数秒の格闘の末、少年は舟の揺れを落ち着かせると、後席の女に文句を言う。


「お、おっ、お前なぁっ! さっきも言っただろうがっ! いきなりしがみつくなってっ!」

「しっ、仕方ないでしょっ! 怖いもんは怖いんだからっ! と、いうかっ! ほんとに、わ、わざとしてないでしょうねっ!」

「そんな危ないことする訳ないだろうがっ!」


 同乗者達の言い争いに、小人は苦笑する。それからまた前を見て、開拓地の近くに浮かんだ陰影に気付く。


「ほらほら、仲良く喧嘩するのは後にしなさい。それよりも、クロウ、船があるみたいよ」


 その声に、クロウは言い争いを中断して、遠方へと意識を向ける。


 魔導船らしき陰影……船首から船橋までが階段状になった船が見えた。すぐに記憶している魔導船舶の姿形と照らし合わせる。


「多分、レンドラ級だ」

「旅団の船じゃないの?」

「ああ、あれはエル・ダルーク市軍が使ってる船だ」


 少年は自らが口にした言葉、それが意味することを理解して、肩に入っていた力がふっと抜けた。


「助かった。これで、エル・ダルークに情報が伝えられる」

「そうね。うん、それは良いとして……、伝えた後はどうするの?」

「後か? ……市軍の人と相談して決めるさ」


 クロウは大きく息を吐いて答えた。



 一方、ギャレーでは戦闘が始まっていた。

 地平線から開拓地に向かって、わらわらと押し寄せてくるラティアの群。続々と続く数は、千二千どころではない。無数に並ぶ赤い七つの目は不気味に輝き、踏み鳴らす多足の響きは地響きとなっておどろおどろしい。


 そして、それらは片時も止まることなく大地を呑み込んで突き進んでくる。


 この生きた奔流を食い止めようと、監視塔の頂に置き据えられた二丁の機銃が火を噴いている。

 右に左に射線が走り、絶え間なくばら撒かれる銃弾。その小さな破壊者は六足の蟲を削り穿ち、緑血の飛沫を甲殻や手足と共に舞い上げては、次々に屍へと作り変えていく。


 しかし、赤黒いの奔流は止まらない。


 ラティアは同族の屍を乗り越えて進む。


 足をもがれても体を穿たれても、動ける限り進み続ける。


「ちくしょう! 弾だっ! 弾が切れる! 急いで持って来い!」

「阿呆! もっと考えて撃ちやがれ!」

「んなこと言ってられっかよ!」


 硝煙のにおいが立ち込める中、五人の老いた男達は二人一組で機銃を撃ち続ける。

 銃手が目標を定めて引き金を引き、給弾手がその脇で弾が詰まらないように補助し続け、残る一人が補給手として階下の倉庫から弾帯が詰まった袋を運び上げる。


「右右右っ、近づいとる近づいとるっ!」

「左だっ、左っ! ほれ、速いのがおる!」

「だぁっ! うるせぇぇっっ!」


 二脚で支えられた機銃は絶え間なく働き、その代償として銃身から陽炎を立ち上らせる。気付いた補給手が弾帯を交換する時に、熱せられた銃身に水筒の水を降りかける。


 盛大に上がる湯気。


「ぶはっ! お、おいっ! こりゃそろそろ、バカになっちまうぞ!」

「だから言っただろうがっ、この馬鹿野郎! 考えなしにぶっ放すなってよ! 銃身の替えなんてねぇんだぞっ!」

「んだっ! ムダ金使うなって、おめぇさんが言って買わねぇってなっただ!」


 男達はわいわいと銃声に負けないように叫びながら、懸命に戦い続ける。


 そんな監視塔の下。

 倉庫の前面では、ジルトが息を荒げながら撃ち漏らした蟲を次々に潰して回っている。


 横薙ぎに振るって三匹。


 正面から叩きつけて一匹。


 横から貫いて二匹。


 あまりにも激しい立ち回りに外骨格を動かす油圧管や関節が熱を持ち、腰部の排気口からは熱気が噴き出す。酷使される大剣は既に鮮緑に染まり、装甲にも飛沫や甲殻の破片が付着している。


 その結果、積み重なる蟲の屍。湿り染まる地面。


 普段のジルトでは考えられない程の戦果の証だ。


 しかし、赤黒い蟲は彼の奮闘を無にするかのように銃火を越えてくる。


 五匹死ぬ間に一匹。


 八匹死ぬ間に三匹。


 むしろ、押し寄せる圧力によって数は増え続ける。


 けれども、ジルトは大剣を振るう。


 叩き潰し、刺し貫き、折り砕き、割り切る。


 蟲に行動を許さず、暴風の如く猛り奮う。


 それでも、ラティアは押し寄せる。


 同族の、自らの死を当然として、突き進む。


 人に休む間を与えず、愚直なまでに前に。


 潰しても増え、潰しても増え。


 遂にジルトの手が追い付かなくなり、塔に取り付かんばかりに距離が詰められていく。


 これ以上は対処できないと感じて、ジルトは戦場音に負けぬよう、叶う限りの大声を発した。


「もぉぉぅっ! 限界だぁっ! 中にぃっ! 退避するぅっ!」

「わかったぁっ! 援護するっ! 爆風にっ! 注意しろぉぉっ!」


 予め決めておいた通り、男達にとっての貴重な奥の手……手榴弾が数個、ジルトの近くにいる蟲の中に投げ入れられた。


 短い爆音が次々に響き、十数の蟲を吹き飛ばして周囲を薙ぎ払った。


 そうしてできた間隙を縫い、ジルトは倉庫に沿って回り、途上に襲い掛かってきた蟲を叩き潰しながら出入口へ。当然ながら、鋼鉄製の扉は閉められている。


 若い機兵は扉を背に大剣を構える。


 数匹のラティアが追いかけてきた。


 先頭の一匹を睨み、一突きで貫く。ついで、得物を蟲共々左右に振り回す。後続の蟲が巻き込まれて足を折って倒れる。


 ジルトは鼻息を荒々しく噴き出して、また扉の前へ下がる。その扉から大声。


「機兵さんよっ! 今、大丈夫かっ!」

「大丈夫だっ!」


 金属が擦れる音。同時に扉が引き開けられる。


「よしっ、はいれるぞ!」

「ああっ!」


 答えつつ迫ってきた一匹の口を突き、引き抜きながら下がる。口腔から緑血を吹き出して、崩れ落ちるラティア。


「閉めろ!」


 鉄扉ががらがらと閉じられていく。追ってきた他の蟲は扉の前の屍に遮られて近づけない。ジルトはその様を荒れに荒れた呼吸を整えながら睨みつける。その光景もけたたましい衝突音と共に扉が閉められた事で消えた。目の前で鉄の閂が嵌められる。


 ジルトは大剣を壁に立てかけ、前面部を開ける。外気は内気より暑かった。しかし、それ以上に入ってくる空気がうまかった。


 そこに顔を覗かせる男。

 フロランスの祖父、マリオだった。彼は鋭く光る目を向けてくる若者を見て、頼もしそうに笑って言った。


「いい顔してるよ、お前さん」

「世辞はいい。それよりも、どれくらい潰せた?」

「感覚だが、お前さん一人で五十程、俺達で五百くらいだろう」

「あれで五百を超える位か。普段なら十分過ぎる数だが、今は減った気がしない」

「仕方ねぇさ、見た限り、連中は万近いからな」


 ジルトは語られる蟲の怖さ……無尽蔵な数による進撃を肌で実感して、自嘲気味に笑う。


「今、初めて連中の怖さを知った気がする。……ああ、連中の数はそれだけで脅威だ」

「そうだとも、だから甲殻蟲ってのは手強い。しかし、おめぇだって強いさ」

「……そうだろうか?」

「おいおい、何言ってんだ、二十分近くお前さん一人で立ち回って、蟲共をぶっ潰しまくっただろうがっ! もっと胸をはらんかい!」


 叱咤の声に、ジルトは表情を引き締めて頷く。それから改めて周囲を見る。


 魔導灯の光の下、他の男達は扉の前に更なる障壁を作り出そうと、建築資材を運んでいた。


「僕も手伝おう。パンタルなら早い」

「おぅ、頼むわ。……こっからが本番だからよ、しっかり頼むぜ」

「ああ、無論だ」



  * * *



 所移し、エル・ダルーク。

 午後の仕事が本格的に動き出す時分、西港湾区の市軍管理地は俄かに騒がしくなっていた。


「即応待機中の二二中隊は第五に搭乗だっ! 急げっ!」

「旅団に連絡! 南西域を巡回中の〇四三より一報、群規模のラティアをパディックの南で確認との情報有り、即応態勢への移行を要請する、だっ! 行けっ!」

「第六の連中を至急に集めろ! 最低でも動かせるだけは集めてこい!」

「第一艦隊は最後だ! 第五艦隊を最優先に出せ!」

「二一中隊は第六艦隊が動けるようになるまで待機!」


 市軍屯所の門近くで艦隊を統括する将校団の号令の下、多くの将兵が岸壁や屯所を駆け回る。その頃には、船溜まりに停まっていた数隻の船が両舷主翼下にある推進器を回転させ始め、屯所から複数機のパンタルが姿を現す。


「二二中隊が出撃する! 誘導員はどこに行った! いや、とにかく今は道を開けろ! 野次馬どもが邪魔だ! 憲兵か警備隊に言って脇にどかせろ!」

「港湾部員は第五の接舷を誘導! 手前から、〇五一、〇五三、〇五二、〇五四だっ!」

「〇四二からの連絡はまだかっ!」

「本部に要請! 北監視所駐留の第二による北方監視を至急欲す、だっ!」

「第三、十三の連中にも招集をかけろっ! 機兵戦闘団に第三大隊の集まり具合はどうか聞け!」


 平素ならそこまで慌ただしくない、市軍の泊地。

 それが大きく動いているとなると、何かが起きているということ。貧民街の住人や共同屯所の傭兵者達は岸壁に詰めかけ、市軍の動きに耳目を集中させて事態を把握しようとする。


 その中に、砂の風華亭の給仕フロランスの姿もあった。

 客から市軍の動きを聞き付けた亭主より、何が起きているのか調べてきてくれと頼まれたのだ。


 彼女の目の前で十機以上のパンタルが岸壁に並んでいく。

 存在感のある魔導仕掛けの甲冑が武装して並ぶ様は中々に壮観で、野次馬からも感嘆の声が上がる。


 フロランスは居並ぶパンタルの背中を見つめて、銀髪の若者を思い出す。

 昨日、自分に面と向かって僕は君が好きだと告げてくれた、ジルト・ダックスのことを。その整った顔を、澄んだ灰色の瞳を、まっすぐな眼差しを、堂々とした声を、照れてはにかんだ表情を、少し上ずった声を、ギャレーを見てくると言ったことを……。


 今、ここにいない若者を思い、不安げに揺れる眼差し。


「ジルト、さん」


 女給仕の口より漏れ出た呟きは、喧噪に紛れて消えた。



 西港湾区の慌ただしさに煽られるかのように、隣接する東港湾区でも動きが活発になり始めている。

 特に組合連合会の武装組織、旅団の屯所に出入りする者の数が増え、その周囲の道はひっきりなしに人や荷車が往来する。

 西港湾区の騒ぎに気付いて屯所に駆けこむ者、同僚を集める為に市街地へと走る者、船に乗せる物品を準備すべく倉庫に向かう者、動き出したバルド改級を誘導しようと岸壁で手旗を振る者。それぞれがこれからの行動に備え、誰に言われるまでもなく、為すべきことを為している。


 外が忙しなく動く中、屯所内にある三階建ての指令所では、遊撃船隊の幹部に対して事態の説明が始まろうとしている。


 彼らを前に説明をするのは屯所に詰める所長、初老の域に入ろうとしている白髪頭の壮年。


 対して、椅子に座した五人程の男達。

 世の中を斜に見るような、或いは、ふてぶてしさが露わになったような、とにかく癖のありそうな顔が並ぶ。


「皆も東区の騒ぎを見聞きしているだろう。そのことについて、先程、市軍艦隊より伝令が入った」


 所長は手にした紙に書かれた文章を一言一句、そのままに語る。


「南西域を巡回中の〇四三より一報、群規模のラティアをパディックの南で確認との情報有り、即応態勢への移行を要請する、とのことだ。このエル・ダルーク市軍からの要請により、旅団エル・ダルーク屯所駐留、第一遊撃船隊及び第四遊撃船隊は出撃準備態勢に入る」

「おいおい、今更何言ってんだよ、外はもう動いてるぜ?」

「んなもんわかっとるわい。臨機応変の現場対応、大いにやれ。今のは形式だ、形式」


 からかいの声に、白髪の壮年は地を出して応じると紙を卓上に置く。それから、新たに部屋に入ってきた数人の男達に空いている椅子を視線で示して、二つある船隊の責任者に声をかける。


「で、各船隊の準備状況は?」

「第一は船を接舷中。完了次第、休暇組と機兵隊を乗せる予定だ」

「第四は人員を呼び戻しています。準備完了まで後三十分程といった所です」

「結構。出撃要請が入った場合、第一を優先して出撃させる」


 再び入室する者。

 まだ年若い事務員であったが、所長に一言伝令が来ましたと告げて紙を手渡した。


 すぐに紙面に目を落とし、素早く読み取る。


 情報の伝達者が部屋を出る前後、所長は実働部隊の幹部達に口元を歪めて告げた。


「諸君、面白くない情報だ」


 一瞬の間を置き、新たな情報を要約して説明する。


「北西域を巡回していた市軍の〇四二が大規模なラティアの行群を確認したそうだ。今は進行方向を北監視所に向ける為、単独で誘引を計っているとある」


 誰かが冷やかすように口笛を吹く。それを咎めることなく、所長は続けた。


「それと西部域でも群が動いているとの情報が商船から入ったそうだ」

「……まさか、漲溢か?」


 誰かの呟き。しかし、それはすぐに別の声に否定される。


「いや、漲溢が起きるのはいつも北からだと聞いている。今回は主に西からだ。エル・レラにある巣からの大規模行群の方が可能性が高い」

「ああ、市軍も漲溢の線を疑って、北監視所に監視強化を指示しているはずだ。そこからの情報がないなら、漲溢の可能性は低いだろう」

「それでも、今の段階でかなりの開拓地が蟲共に呑まれたはずだ」


 開拓地で起きたであろう惨劇を思い、誰もが顔を顰めた。


 そんな男達に対して、所長がやや強い口調で言った。


「貴様ら、今、我々が為すべきことは現在進行中の脅威を叩き潰すことだ。感傷は後回しにしろ」


 そして、再び文面に目を走らせて告げる。


「市軍艦隊の対応だが、戦力を集中し、現在も捕捉している北西域の大規模群団を最優先に撃滅すると言ってきている」

「では我々は?」

「ああ、残る二つ、西部域と南西域を担う。……第一は西部域に急行し、存在しているとされる群を早急に捕捉、撃滅ないし援軍が来るまで牽制に当たれ」

「了解」

「第四は召集が終わり次第、南西域に急行。群を捜索し、発見後は撃滅ないし西部域への誘引を計れ。南西域は避難が上手く進んでいるとあるが、だからといって放置はできん」

「わかりました」


 白髪の壮年は大きく頷き、最後に全員を見渡して口を開いた。


「俺は大層なことは言わん。ただいつも通り、旅団設立の精神に則って、蟲共を全て叩き潰せ。以上だ」


 遊撃船隊の幹部達は一斉に敬礼し、その場を後にした。



 部屋を出た後、幹部達はそれぞれの船隊に分かれ、各々の船へ向かう。

 その途上、第一遊撃船隊の機兵隊長ジグムント・サンダールは前を行く中年の船隊長に話し掛けた。


「船隊長、西部域を捜索するとなると、かなり手間と時間がかかりそうですね」

「ああ、どう考えても目と手足が足りん。……ジグ、なにか手があるか?」

「いえ、今すぐの手はないです。ただ……」


 と語を切る。自然、船隊長が気を引かれて、先を促すように声を出す。


「ただ?」

「ええ、数日前、エフタから来た奴がいたでしょう?」

「ああ、新型魔導船の試験でエフタから来ると聞いていたが……」


 船隊長は休暇前のことを思い出し、口元を緩めた。


「ああ、お前さん、見物に行くと言っていたな。使えそうだったか?」

「自分で試していない以上、絶対に、とは言い切れません。ですが、使い勝手は良さそうに見えました」

「ふむ。……わかった。シュタールの姫さんに試験導入できないか、要望を上げてみる」

「頼みます」


 ジグムントは言葉短く、頭を下げた。



 それからしばらくの後、エル・ダルークから市軍の魔導艦隊をはじめとする機動戦力が出港。それぞれが担当する戦域へと向かって航行を始めたのだった。

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