表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔導黎明記  作者: 綺羅鷺肇
1 魔導人形は夢を見る
6/96

五 往代の魔導仕掛け

 強烈な空腹と激しい渇きを覚え、クロウは目を覚ました。

 ぼんやりと霞がかかった思考の中、冷たい地面に横たわったままでゆっくりと重い瞼を開くが、視界には暗闇だけが広がっている。

 普段の彼ならば、光もなく圧倒的な闇の中に閉ざされているという事態に対応できず、間違いなく大混乱に陥っていたであろう。だが今は、頭が十全に働いていないことが幸いし、ただ光が欲しいという望みだけで重い身体を動かし始めた。

 覚束ない手指でベストのポーチより新たな魔蓄筒を取り出し、照明器に収められていた物に交換すると、魔刻板が即座に反応し、少年の下に光が戻ってきた。眩さを伴う光が強まるにつれて、クロウの目と意識を刺激し、彼に自身が置かれている状況を把握させていく。


 光の中に浮かび上がったのは、僅かながらに覚えている部屋の光景。彼が意識を失う直前に見た赤い光は既になく、彼が照らし出す光の他は絶対的な闇に覆われている。

 クロウは自分の身に何が起こったのか、未だに理解できないままだが、取り敢えずは甚だしく自己主張する腹と喉を何とかしようと、背負ったままだった背負子を降ろそうと身体を動かし始めた。


 酷い気怠さを帯びた全身に鞭打って上半身を起こし、背負子を降ろそうともがいていると、静寂に包まれていた部屋の空気が不意に動く。


「起きたのね?」

「っ……ぇぁっ!」


 クロウは自分以外の第三者の声に驚き、誰何の声を出そうとするが、喉は正常に働かず、声にならない声だけが上がる。


「んー、とりあえず、別に取って食べたりはしないから、落ち着いて、まずは私の話を聞いてくれない?」


 訛りのない声が……、まだ成人していないと思われる女声が、暗闇の中から話しかけてくる。クロウは声が聞こえてくる方向から、その主がどこにいるのかを探ろうとするが、まだ頭がはっきりとしていない事もあってか、特定することができなかった。

 何者かわからず、どこにいるかもわからないという状況もあって、彼は声の主に対して警戒を解かず、錘がへばり付いたように動かしにくい身体を無理にでも動かして、腰のナイフへと手を伸ばす。もっとも、左の掌に残っている痛みを認識すると、ナイフを放り出したことも思い出し、動きを止めた。


「そっちが混乱して、警戒しているのはわかるけど、こっちもちょっとばかり混乱しててね、情報が欲しいの。協力してくれない?」


 どこか甘く聞こえる声が発した言葉に、クロウは眉根を顰め、首を捻る。混乱していると言った割には、声の主の話し振りが理性的で落ち着いているように聞こえる為、その内容に疑問を抱いたのだ。そんなクロウの顔が見えているのか、耳触りが良い声は少年の疑念を見透かしたように話し出す。


「あなたが起きる前に目覚めて、結構時間が経ってるから、表面的には落ち着くことができたのよ」


 クロウはこれもまた疑わしいと感じたが、こちらの心境を読まれている事に気付くと、できる限り表情を動かさないように顔を緊張させる。そして、全身全霊で周囲に注意を向けながら、今は声が出せない事を示すべく、喉を指さして、手を横に振って見せた。


「……声が出せないの?」


 クロウは首を横に振り、手を使って何かを飲む仕草を示す。


「ああ、声が出しにくいから、飲み物が飲みたいのってことね?」


 察しの良い言葉に応じて、今度は首を縦に振る。


「わかった。少し待つわ」


 声の主が自分の言い分を認めた為、少なくとも情報が欲しいというのは本当のようだと、クロウは納得し、僅かばかり心を緩めた。とはいえ、まだ目に見えぬ相手への警戒感は消えず、周辺の闇に神経を尖らせる。

 しかしながら、この警戒心は背負子を降ろす作業にはまったく寄与せず、むしろ動きが悪い身体とも相まって、逆に作業の足を引っ張る事になる。結局の所、全身を奮起させての悪戦苦闘の末、ようやく背負子を降ろすに至ったのだが、余計に心身を疲労させる破目になってしまった。


 クロウが背の荷物を降ろし、やれやれと溜め息をついていると、黙して待っていた声の主が一言。


「不器用?」


 好きでこうなった訳でないと、当然の如く、反発心を抱いた少年はムッと顔を強張らせる。


「ふふっ、冗談よ。あなたが弱っているのは、多分、身体から大量の魔力が一気に流出した所為よって、ああ、そんなに目を尖らせないでよ。私があなたを罠に嵌めたって訳じゃないわ。どっちか言うと、あなたが罠に嵌った結果、私が目覚めたんだと思うの」


 クロウは声の主が発した言葉……、彼が今の状況に陥った原因を知っているような物言いから、何らかの関係があると気付き、視線を鋭くする。けれども、続いた内容の意味とその真偽の程がわからなかった事に加え、腹と喉が限界に近い為、態度を保留することにした。


 声の主に感情を読み取られぬように表情を意識して殺し、まずは歪な五代目水筒で水分を補給する。水筒を傾けたクロウの喉が動く度に、乾き切った口内や咽頭を潤しながら、冷水が体内へと流れ落ちていく。その流れが満足感と清涼感を生み出し、彼の心身に新たな活力をもたらす。

 一頻り、水の涼感を楽しむと、今度は背負子に括り付けられていた布袋の一つより、手の平大の堅パン一個と小槌を取り出し、釘が打てそうな堅パンを割る為にコツコツと叩き始めた。


「ね、ねぇ、何してるの、っていうか、それ、何?」

「何って、堅パンだろ。……知らないのか?」

「うん」


 クロウはまだ擦れが残る声で答えつつも、エフタ市やゼル・セトラス砂海域に住まう者ならば、貧富を問わずに知っている保存食を知らない事に、大きな驚きと更なる疑問を覚えた。

 だが、耐え難い空腹が先に立ち、それ以上の会話はせず、一口程に砕けた切れ端を口に含む。塩気によって引き立てられた極々僅かな甘みを意識しつつ、唾液で小麦粉の塊をふやかしては噛み砕こうと努力する。だが、歯向かう相手も二年物だけあって中々に手強く、歯が立たない。頑張って固形物を噛みしめていた彼の顎も段々と疲れてきた為、水筒の調整水を増援として送り込み、堅パンに水分を浸透させる。そうすることで漸く焼き固められた小麦粉が崩れ始めた。


 もごもごと絶えず口を動かしていると、再び闇の中から声が聞こえてくる。


「何だか、堅そうね」

「……んぐっ、ああ、堅い。別に不味い訳じゃないんだけど、見ての通りで顎が疲れるから、こういう時しか食べないんだよ」

「へぇ~」


 クロウはどこか感心したような声音を聞きながら、心中で疑問を抱く。相手が何者かわからない内から、すんなりと受け答えしてしまっている事を不可思議に思ったのだ。

 自身の警戒心が綻び始めている事を不自然に感じた為、これはまだ警戒を解かない方が改めて意識を引き締める。そして、心の片隅に生じていた、別に大丈夫だろうという楽観を圧殺しながら、咥内に残っていた最後の一欠けらを思いきり噛み砕く。


 その瞬間、クロウは周辺の空気が音をたてず、割れたように感じられた。


「あっ」

「どうかしたか?」

「い、いえ、何でもない」


 先の感覚と声の主の動揺したような口振りから、何か仕掛けられていたのだろうと推測するが、それが何かわからない為、黙したまま、細かく砕き切った堅パンを嚥下する。


 こうして一息ついた少年は今の状況を把握する為にも、未知の声が聞こえてくる方向に問いかけた。


「さて、そっちが何か聞きたいように、こっちにも聞きたいことがあるんだけど、それには答えてくれるのか?」

「……いいわ。交換する情報の価値が、釣り合うかどうかはわからないけどね」

「価値なんて、それぞれの主観で変わるもんだし、あんまり気にしない方がいいと思うんだけど?」

「いいえ、あまり釣り合わないと、私の矜持に関わるのよ」

「そういうもんなのか?」

「そういうものなの」


 小さなやり取りであったが、そこには確かに誠実さが込められていた為、クロウは声の主をもう少し信じてみることにした。


「じゃあ、そっちの質問からでいいよ」

「え?」

「いや、そっちが聞きたいことがあるから、わざわざ声をかけたんだろ? まぁ、本当は先に姿を見せて欲しい所なんだけど、何か、そっちには事情がありそうだし、先は譲るよ。で、そっちが得た情報の分だけ……、得られた情報の価値分だけ、答えてくれたらいいよ」

「……ありがとう」


 その言葉を聞いたクロウは、業とらしく肩を竦めて見せると、声の主は少し笑みを含んだようだ。


「なら、お言葉に甘えて……、今はいつ?」

「いつ、ってのは、歳時のことでいいのか?」

「ええ」

「だったら、今日は、共通暦三百十六年、爛陽節の第二旬の……、時計が手元にないから断言はできないけど、日付はたぶん、十二か、十三日だと思う」

「共通暦? ……共通暦というのは、星陽暦で言ったら、何年になるの?」


 クロウはかつて孤児院で習った覚えがある言葉を耳にして、不思議に思いながらも、何とか記憶の中に埋もれていた単語の意味を掘り出して答える。


「えーっと、星陽暦だな? 細かい所まで覚えていないけど……、確か、断罪の天焔が星陽暦の三千二百年代に起きたはずだから……、今は、だいたい、三千五百年代位になるはず」

「そう、なの……。……それが…………すれば、…………上、経……いる……」


 少年は持ち前の好奇心もあって、声の主の呟きに興味を引かれるが、ぐっと我慢して続きを待つ。幸い、彼の我慢強さが試されるようなことはなく、僅かな間があっただけで、次の質問が飛んできた。


「ここは、どこなの?」

「ゼル・セトラス大砂海、エフタ市の近郊にある十九番遺構」

「ゼル・セトラスは聞き覚えがあるけど……、他はちょっとわからないわね。大砂海っていうのは、砂漠の巨大版って事よね?」

「そう、それであってるよ」

「うーん、後のエフタ市っていうのは、街の名前だろうからいいとして、遺構というのは?」


 誰でも知っていそうな言葉の意味を聞かれ、クロウは一瞬だけ言葉に詰まるも、すぐに答え始める。


「遺構っていうのは、旧世紀の遺構のことで……、あー、断罪の天焔以前に栄えていた文明の名残って言えばわかるか?」

「……わからないわね。そもそも、断罪の天焔っていうのは、なに?」


 クロウは、幼子以上なら誰でも知っているであろう言葉を知らないという声の主に対して、いよいよ違和感を覚え始めた。


「どういった理由で、どんな事が起きて、それが起きたかっていうような詳しい事とかは知らないけど、俺が教えてもらった限りでは、一日で世界を三回焼いた大災禍って言われてる」

「世界を三度焼く大災禍か……、なるほど、文明が崩壊する程の大破壊が起きたっていうことね?」

「ああ、その大災禍より前の時代を旧世紀、文明は旧文明って、俺達は呼んでる。で、ここは旧世紀に作られた地下建築物の跡って奴だ」

「そう……、ありがとう」

「……もう、いいのか?」

「うーん、今はね……、もし、聞きたいことができたら、また教えてもらえる?」

「いいよ、俺が答えられる範囲でしかないけど、そっちが俺の疑問に答えてくれるなら」

「ええ、こっちも私が答えられる限りだけどね。それで、そっちが聞きたいことは何?」


 この言葉に対して、クロウは湧きあがる疑問を抑えつつ、一番知りたいことを率直に述べる。


「話を聞く前に、まずは姿を見せてほしい」

「う、うーん、まぁ、さっきも同じこと言ってたし、最初はそう来るわよねぇ」

「何か、不都合があるのか?」

「不都合って言うかね、その、私が一番困惑している事に絡むのよ」


 クロウはその声音から声の主が嘘偽りなく困っている印象を受けたが、やはり姿を見せない相手への警戒心は拭えず、真剣な顔でじっと返事を待つ。


「あー、うー、むー、……わかった。今から光の中に出るけど、あなた、絶対に驚くと思うから、覚悟しておきなさいね?」

「覚悟って、どういう、意……み……」


 クロウが尋ねようとした所に、声の主が光の中に現れた事で、続く言葉は断ち切られた。そして、少年は、彼の視線の先で総身を晒す一人の少女の姿に忘我する。


「ほら、やっぱり」


 光の中、短い翡翠色の髪を持つ少女が腰に両手を当てて、少女らしい線を描く裸体を堂々と晒している。だが、クロウが驚いたのは少女が全裸であったから……ではない。


「…………いや、どうも、俺の目か頭がおかしくなったか、疲れて、悪夢でも見てるみたいだ」

「おいぃっ、こらぁっ! こっちも絶対に驚くだろうって覚悟してたけど、流石に悪夢呼ばわりっていうのはないでしょうっ!」


 クロウの反応が気に障ったらしい少女はこれまでの平静な装いをかなぐり捨て、大いに怒りを顕わにする。一方のクロウだが、拳を振り上げて怒っている少女の、その常人と異なる姿形を俄かに受け入れられず、自分の目か頭がおかしくなったかと自らの頬を抓る。

 その結果は、身体の気怠さが影響しているのか、頬の感覚が鈍く、あまり痛さを感じなかった。


「やっぱり痛くない。ということは、これは悪夢って奴か? はぁ、いい加減、そろそろ目を覚まさないと……」

「よし、わかった! そっちがそう反応するなら、特別に、この私が、一撃を入れて、あんたを現実に引き戻してあげるわっ!」


 目を怒らせた翡翠髪の少女は明らかに冷静さを失っている風情でそう宣言すると、素早い動き、というよりも、その背に光を帯び、宙を一直線に飛んでクロウに向かうと、真正面からその顔面に激突する。


「うがっ!」


 それをまともに喰らった少年は少女と縺れながら、後方に転がる。


「い……、いてぇし、重い?」

「どう、これで現実だって、理解できたかしら?」


 彼の顔の上で仁王立ちした少女は、尊大にクロウを見下ろして見せる。だが、少年は、そのどこか退廃的で扇情的にも見える姿に惑わされることなく、痛みに呻きながらも叫ぶ。


「げ、現実だとしても、絶対におかしいだろ! なんで……、なんでっ、そんなに小さいんだよっ!」

「ふふ、あんたがそう思う気持ちはわかるし、私も受け入れ難いけどね、これが現実なのよっ! だから! あんたも私と現実を共有しなさいっ! そうすれば、私もこの現実を受け入れるからっ!」

「ど、どういうことだっ!」

「どうしたもこうしたもないわよっ! 私にもわからないことだらけなんだからっ! どうして、ここにいるのかっ、どうして、こんな態になってるのかっ!」


 小さな少女、それも二十ガルトにも満たない程の大きさしか持たない少女は、自らが置かれている状況や状態に対して、クロウ以上に衝撃を受けているようで、その声音は泣き声に近い。そんな少女の姿に、クロウは大いに困惑しながらも、少女が先に述べた混乱しているとの言葉は真実だったのだと悟る。


 自身の頬骨の上で地団駄を踏む相手にどう言葉をかけてよいか、クロウが困っている間にも、少女の嘆きと怒りが入り混じった独白は続く。


「ううぅ、目が覚めたと思ったら、周りは真っ暗で! 何か知ってそうな人は倒れてるあんたしかいなくて! しかも、妙に目に見える物の大きさがおかしいから、何かが変だとよくよく調べたら、身体は自分のじゃなくて、人形のモノになってたしっ! 今を知る為に話を聞いたら聞いたでっ、私が生きていた時代から軽く見ても、三百年以上経ってるって言われるしっ! しかも、世界が一度滅んだって、いきなり重い現実まで突きつけられて、はいそうですかって、いきなり信じられるとでも思うっ! あまりにもふざけすぎでしょっ! 本当にっ、何が何だか、まったく訳が分からない私の身になってよ! しかも、たった独りで、どこにも行く宛も頼る宛もないのにっ、これから先、いったい、私にどうしろって言うのよぉっ!」

「お、おちつけ、な? 俺が悪かったから、な? つか、地味に痛いから、地団駄踏むのは止めてくれ!」

「むうぁっ! 別にあんたは悪くないわよっ! 悪いのは私っ! 人に八つ当たりする馬鹿な私よっ!」


 それがわかってるなら、正面から面と向かって罵声を浴びせたり、顔の上で地団駄を踏んだりするなと、少年は心の片隅で思うも、自身が今の少女が叫んだ境遇に置かれた場合を考えると、この反応も止むを得ないと納得する。

 クロウが勝手に得心している間にも、少女は甘い声に似合わぬ唸りをあげて悶えたり、身を捩りながら意味をなさない叫びをあげたりと忙しい。

 だが、それも一過性のものであったようで、少女は操り糸が切れたように唐突に首と肩を落とすと、大人しくクロウの顔の上から床へと飛び降りた。そして、クロウの顔の横にペタンと座り込むと、静かに言葉を発する。


「……八つ当たりして、ごめんなさい。少し落ち着いたわ」

「そ、そうか。とりあえず、そっちが色々と難儀しているってことだけは、十分にわかったよ」

「ええ、難儀も難儀、大難儀よ」


 少年が口を尖らせて答える少女へと顔を向けると、しっかりと目があった。


「はぁ、まさに巨人ね。本当、見ているモノ全ての尺度が狂ってるし、恐ろしいものがあるわ」

「きっと、そうなんだろうな」


 クロウはあまりに至近距離からだと、相手に負担をかけると考え、静かに身を起こす。そして、改めて、座り込んでいる少女と向き合って座り、ゆっくりと問い掛けた。


「それで、あんたは人間……、なのか?」

「かつては、あなたと同じ人間だったわ。……今は旧世紀と呼ばれる時代のね」

「……旧世紀の人間? なら、その身体は何なんだ?」

「この身体は依代……、うーん、代用品って奴ね。精巧に作られた人形よ」

「人形?」


 クロウは少女に目を向けて観察する。その顔の造形や身体の凹凸、翡翠色の頭髪、淡く桜色を帯びた真珠のような肌、更には両胸で自己主張する薄紅色の頂点と、実に自然にできており、人形らしさはどこにも見受けらない。それどころか、人間そのものを小さくしたように見えた。

 当然のことながら、真正面で向かい合っている以上、少女にも少年の動き……自身の裸体がじろじろと見られている事がわかる訳であり、当たり前の反応と言うべきか、或いは、達観した反応と言うべきか、パッチリとした釣り目を吊り上げ、不躾な目を睨みつける。


「……目、やらしいわよ」

「あはは……、お人形遊びはもう卒業してるよ。けど、真面目な話、あんたのその身体、綺麗だと思う」

「はいはい、言い訳になってないけど、一応、ありがとうって言っとくわ」


 クロウの言い訳、と言うよりは、褒め言葉を軽く流したような言葉振りだが、その実、悪い気はしないようで、少女は琥珀色の瞳を細め、目尻を若干下げている。

 そんなちょっとした表情を作り出す姿に、大きさ以外、人形って言われても信じられないよなぁ、と内心で思いながら、クロウは再び問いを口にする。


「ところで、その身体が人形だとしてだな、いったい、どういう仕組みで動いてるんだ? って言うか、あんたが人間だったって言うからには、何か証拠があるのか?」

「むー、そうねぇ。……まず先に言っておくけど、正確には、かつて人間だった私と、今の私は同じ存在ではない、と思う」

「同じ存在じゃない?」

「う、うーん……、何て言ったらいいかなぁ」


 何やら迷いの表情を見せつつ、少女は恐る恐る切り出した。


「あなた、魂ってあると思う?」

「魂? 直接、この目では見たことない。でも、魔法学で存在するって聞いた覚えはあるな」


 このクロウの何気ない答えを耳にして、少女は息を詰め、動きも止める。そして、ぎこちない動きで身を乗り出しながら、ゆっくりと己の言葉を確かめるように話し出す。


「い、今の世界には、魔法があるの?」

「ああ、あるよ。……そういえば、旧世紀では表に出てなかったって、聞いた覚えがあるな」

「そうよ、魔法は秘すべき神秘のはずよ!」

「そうそう、確か、そんな話だった」

「それがなんで表にっ!」

「なんでって、言われても……、文明が崩壊して、色々と困ったから魔法に頼ったって話のはず」


 少女は驚きの表情を貼り付けながら、分厚い人工石で閉ざされた天を仰ぐ。そして、一分近くの時間が流れた後、自身が抱いた様々な感情を強引に収め込んだとも言えそうな、引き攣った顔をクロウへと向ける。この目に見えての動揺ぶりを不思議に思いながら、クロウは少女に尋ねた。


「もしかして、魔法の事、知ってるのか?」

「い、一応ね。……とにかくっ! 魔法を使ってっ、こうババーンって、本体の魂と記憶を人形に複写したのよ! 直接、覚えていないから、憶測になるけどっ!」

「へぇ、魂を複写するなんて、凄い魔術があるんだな。今の魔術士でもできるのか?」

「さぁ、それは流石に、術式を見ない事には、どれくらいの技量が必要なのかわからないわ、って、えーと、今更になるかもしれないけど、魔術士も一般的に認知されているの?」

「工房を開いたり、軍とか役所とか、他にも色んな所に参加しているよ。そんなに沢山はいないけどね」

「じゃ、じゃあ、まさかとは思うけど、魔導って言葉は、ある?」

「それが今の文明の礎って奴かな?」


 再びクロウの言葉に反応して、少女は動きを止めると、今度は顔を俯けた。そして、その態勢のまま、大凡で三分程経った後、ゆっくりと顔を上げる。


 目から光が消え、虚ろにしてなっていた。


 この驚くべき変化に、クロウは肝を冷やしつつ、少女を気遣う言葉を口にする。


「だ、大丈夫か? 目がなんか、やばいことになってるぞ」

「ふふ、魂というか記憶が覚えていた、かつての常識が物凄い勢いで崩壊していくわー」

「そんなに違うのか?」

「違う違う、大違いって奴ねー。魔術士の掟に従って魔法を表に出さないように、社会でも場末の場末、底辺の片隅で、誰にも知られないように、細々と、小ぢんまりと研究やってた過去が嘘みたいよねー。それがまー、本当にー、幾ら説明する手間が省けたとはいえ、当たり前のように社会に幅広く認知されている上、新しい文明に密接に溶け込んでいるなんて、幾らなんでもないわよねー、ふふふー」


 先と同じように色々と思う事があるのか、尋常でない雰囲気を醸し出している少女の姿に少々不安を抱き始めた為、クロウは強引に話を元へ戻すことにした。


「あー、話を元に戻すけど、仮に魂をその人形に複写したとしてだな、元の本体はどこにある?」

「わからないわ。けど、時の経過を考えると、多分、朽ちていると思う。……もし仮に、何らかの方法で保存されていたとしても、あなたが言った大破壊が起きたんだから、失われているはずよ。だから、人間だったって証拠は、おそらく見せられないわ」

「なら、仕方がないな」

「……あら、随分とあっさり納得するのね」

「いや、現実、意思を持って受け答えしてるし、自分の意思に従って、好き勝手に動いている以上、受け入れざるを得ないからな」

「柔軟……、いえ、変わり者のお人よしね」


 受け答えする内に、少女の目に理知の光が戻ってきたことに安堵しながら、少年はおどける様に言葉を返す。


「それはまた酷い言われようだ」

「褒め言葉のつもりよ?」

「それもどうだかな。……じゃあ、人形自体は、どういう作りになってるんだ?」

「中身を知らないから断言まではできないけど、十中八九、魔導仕掛けでしょうね。前に言った事に絡むんだけど、あなたが倒れた原因……、この足元の魔術陣であなたの魔力を収奪して、私の動力源に吸収させることで目覚めさせたみたい」

「魔力を吸収?」

「ええ、私も魔術士の端くれだから、この身体に凄い量の魔力が宿っているのがわかるわ。……というかね、今、私の身体に詰まってる魔力量を考えると、あなたが生きてるのが不思議というか、常人なら干からびて死んでいても、おかしくないんだけど?」

「しゃ、洒落にならん事言うなよ」

「そりゃ、洒落じゃないもん。実際、これだけの魔力量を一人で……」


 と、ここで少女は言葉を切り、じっとクロウの全身を見回したかと思うと、左手に視線を向ける。そして、しばらくの間、じっと考え込むように腕を組んだ。

 いったい何事だと、彼がその様子を見つめていると、少女は一人首を捻ったり傾げたりしている。自然、その仕草が気になったクロウは少女に尋ねる。


「何かあるのか?」

「んー、ごめん、ちょっと確信が持てないから、言葉にできない」

「なんだそりゃ」

「まぁまぁ、確信が持てたら教えてあげるわ。それにしても、あなたも災難だったわね」

「まったくだよ。一体、誰がこんな迷惑なモノを仕掛けたんだ? あんたの本体か?」

「……どうかしらね」


 クロウは言葉を濁した少女の顔が微かに曇った事に気付いた為、それ以上は突っ込まず、今後の事について口に出した。


「それで、これからどうするんだ?」

「取り敢えず、この部屋にある物を調べてみようと思ってる。今後を決めるのはそれからね。そう言うあなたはここで何をしていたの?」

「俺か? 俺はグランサー……、あー、こういった遺構とかで、金になりそうな旧世紀の物を収集して、金に換えている仕事をしているんだけど、それ関連でここに潜ってた」

「あら怖い。そういう言われ方だと、私も売られちゃうかも」

「……売れるかと言われたら、間違いなく売れると思う。あんた程の器量、いや、存在そのもので価値があるだろうから、王侯貴族や好事家だけじゃなくて、工房とか商会とかでも、喜んで大金を出すだろうからな」

「うわぁ、冗談にもならない! ……実は、私、現在進行的に、やばい?」


 人形の少女は己の身体を抱きしめつつ、後ずさった。それを見たクロウは頬を掻きながら、弱った顔で自分が思う所を述べる。


「こればかりは信じてくれとしか言えないけど、あんたを売るとかは考えてないよ。確かに金は欲しいと思うけど、一部の連中と違って、そこまで切羽詰ってないし、東方の奴隷商みたいに、人を売るなんて下種な真似もしたくない」

「……本当に?」

「ああ、自分の身の程位は知っているし、魔術士を相手に命知らずなことはしない。でもな、売られる云々の話に関しては、真面目に対処を考えた方が良いと思う。魔術士でも力に限りがあるんだし」

「むー、確かにね」

「だろ? それに、実際に捕まった場合、下手に研究機関とかに買い取られたら、あんたの身体の仕組みを解明する為に、解体されるかもしれないし……、そういった意味でも、やばいからな」

「そ、それはまた、ぞっとしない話ね」


 美麗な顔を顰めた少女は、人と同じように顔色まで悪くなっている。しかし、その目は逆に輝き始めており、自らに降りかかるであろう苦難に立ち向かう気概が垣間見えた。


「ねぇ、あなたには、私を保護してくれそうな、信頼できそうな伝手とかない?」

「悪いけど、そんな便利な伝手はないよ」

「……となると、自分で確保するしかないか」

「立派な考えだと思うけど、そんな事できるのか?」

「わからないわ。あなた、ええっと……」


 自分をじっと見つめながら言葉を濁す小人の少女に対して、クロウは苦笑に近い笑みを見せると相手が求めているであろう言葉を与えるべく、口を開いた。


「俺はクロウ。クロウ・エンフリードだ。エフタ市でグランサーをやってる」

「クロウ、か……、うん、覚えた」


 と、ここで一つ咳払いをして見せた少女はクロウを見上げ、自らの名を告げる。


「私はミソラ。多分、私の本体や血族係累は三百年以上前に死んでると思うから、どこにも縁がない……、そう、もう姓を持たない、ただのミソラ。見ての通りで人形よ」

「ああ、よろしく、ミソラ、って言えばいいのかな?」

「ええ、よろしく、クロウ、でいいと思うわ。それで、早速だけど……、もう少し、私に付き合ってもらえないかしら?」

「……と言うと?」

「さっき言った通り、この部屋の家探しするつもりなんだけどね、この身体じゃ不便な事が多いから、手伝ってほしいのよ。もちろん、クロウにも都合があるだろうから、無理にとは言えないけど……、できれば、お願いできない?」


 さり気に期待に満ちた眼差しを送ってくるミソラの申し出を聞き、クロウはどうするか悩む。成り行きとはいえ係わりを持った以上、ミソラの手伝いをしても良いとは思うのだが、今現在、どれ位の時間が経っているかわからないこともあり、探索を進めたいという気持ちもあったのだ。

 もっとも、このクロウの心境はミソラも承知していたらしく、更にもう一言添えてきた。


「もちろん、ただでとは言わない。ある程度したら、あなたの仕事を手伝うわ。こんな姿になってるけど、私も魔術士の端くれだから、きっと役に立つと思うんだけど、どう?」

「魔術でどんなことができるんだ?」

「そうねぇ、五感とか身体能力の強化したり、自律式の光源を作ったり……、あ、暗視能力を付与することもできるわね。それに、火とか水も作り出せるから、そういった物にも困らなくなる、って所かな?」


 ミソラが口にした内容は、これからの探索に十分に役立ちそうであった為、クロウは頷いてみせた。


「よし決まり! クロウがもう少し休んだ始めるから、お願いね」

「了解。けど、正直、身体の怠さ、ちょっと休んだくらいで取れそうじゃないからな、できれば、お手柔らかに頼むよ」

「一応は考慮します。でも、うふふ、これで調べものに集中できそうだし、助かるわー」


 人が悪そうな表情を浮かべつつも機嫌が良さそうなミソラの姿に、クロウは悪い予感を覚え、ちょっと早まったかなと後悔した。



 クロウが軽く食事を摂り、身体を休めている間、ミソラはクロウが提供した予備の灯光器がもたらす光の中で、大きな作業机の上に書き散らされていた覚え書きの類を、時折、唸ったり、首を振ったりしながら、読み進めている。

 まったく傍目を気にすることなく、四つん這いになって熱心に資料を読み込んでいるミソラを邪魔しないよう、クロウは黙したまま、壁と背負子に寄りかかり、手提げ型灯光器によって照らし出された姿をじっと眺めている。彼の記憶に薄っすらと残っている、夜中に何かの作業をしていた母の姿を、なんとなく思い出しながら……。


 程良い疲労感の中で、少年がかつての安息の時と失われた存在を想って、懐かしさと哀しさを反芻していると、机の上の少女が独語するように話しかけてきた。


「……寝ないの?」

「もう十分寝たからな。眠気が来ないんだよ」

「そう……、悪かったわね」


 突然の謝罪にクロウは面食らい、目を瞬かせる。


「なんで、ミソラが謝るんだ?」

「クロウが引っ掛かった罠、どうやら私の……、本体の父親が設置したみたいなの」

「それ、本当か?」

「ええ、この部屋の主であった以上、絶対に関係している」

「根拠は?」

「この覚え書きそのものが一番の証拠ね。……筆跡というか、字体の癖がかなり強いから、これを書いたのが誰か、すぐにわかったわ。私の本体は、書き物をしている父親の背中にしがみ付いて、よく覗きこんでいたみたいだから、憶えているのよ」

「そうか、……父親、か」


 その言葉と共に、クロウは広く大きかった彼の父親の背中を思い出す。これもまた、彼にとっては過ぎ去った時の中に、憧憬と哀愁と共に刻み込まれた記憶である。

 過去を思い出し、再び感傷を抱いたクロウに気付いていないのか、ミソラは彼の呟きを受けて話を進める。


「そう、その父親がこの場所で本体の分魂を人形に、私に移した。……でも、私を起こすには、魔力か時間が足りなかったみたいね。幾つかの計算式と一緒に足りないって走り書きと、ほら、そこの床にある魔術陣の、原案が描かれていたわ。で、図案の近くに、えーと、甲殻蟲だったかな? それの群れの到達まで約四十時間って、強い筆圧で書いてあったんだけど……、クロウ、甲殻蟲って何?」

「甲殻蟲は、断罪の天焔の後になって確認された、人類の天敵って奴だ。人類を目の敵にして襲ってくる忌々しい蟲さ」


 ミソラが小声で、蟲ねぇ、と呟いているのがクロウの耳に届くと、自然、彼は口を開いた。


「実際に見ない事には、連中の恐ろしさはわからないよ」

「むー、そう言われても、ちょっと信じられないなぁ。……嘘じゃ、ないのよね?」

「嘘だったらどれだけ良かったことか……」


 瞬間、彼の脳裏に両親の最期が脳裏を過ぎり、眉間に皺を寄せるが、それ以上は表に出さず、言葉を繋ぐ。


「とにかく、その蟲共は硬い甲殻に覆われていて、生半可な攻撃は通じない、厄介な相手なんだよ。この辺りだと見かけないけど、もっと北の方じゃ、空を飛ぶ奴までいる。本当に面倒な連中さ。……後、走り書きにある群れって言葉は、多分、漲溢の事だろうな」

「漲溢?」

「ああ、蟲共が大量に溢れ出して、人が暮らしている領域に侵入して襲ってくる現象のことだよ」

「ぶ、物騒ねぇ」

「違いない」


 笑みにもならぬ歪みがクロウの顔に浮かび上がる。彼の生まれ故郷も漲溢で壊滅していることから、笑い飛ばしたくても笑い切れなかったのだ。


「ま、ここで生きるなら、嫌でも実際に見る機会はあるだろうし、それを楽しみにしておいたらいいよ」

「そんなことは楽しみにしたくないわよ」


 ミソラはそう言って、業とらしく溜め息をついて見せると、クロウがいる方向に胡坐をかいて座る。そして、ゆっくりと聞こえ良い甘い声で語り始める。


「話を戻すけど、どうやら私の……、本体の父親はね、その漲溢って奴が起きるまで、ここを拠点にして、魔導関連の研究をしてたみたい」

「研究内容が書いてあったのか?」

「ううん、覚え書きに書いてあったのは、さっきみたいな簡単な記録や日記的な記述が主だったわ。だから、今言ったのは、その内容を統合しての推測。……でも、私の記憶でも、元より魔法と機械文明の融合を目指して研究していたから、間違いないと思う」


 なるほど、と頷いたクロウは目線でミソラに先を促す。


「で、それなりの成果を上げて、魔導機関って言うのかな? それの原型機が完成した辺りで、漲溢が起きたようね。クロウ、レーフィンって言葉、知ってる?」

「レーフィン……、帝国の都だな」

「そこが避難先になったみたい。……所で、帝国って?」

「ん、ああ、ゼル・セトラスの南にある大きな国だよ。付け加えておけば、その帝国の西に五都市同盟、東に小国家群がある」

「ふーん、そうなんだ」


 どうでも良い事なのか、ミソラは生返事だ。その気のない反応を少し気に掛けながらも、クロウは今得た情報を基にある提案を口にする。


「避難先がレーフィンってわかったんだから、行ってみたらどうだ? もしかしたら、ミソラの……、あー、本体の父親の手掛かりが見つかるかもしれない」

「むー、一応は私の父親でもあるから、興味がなくはないんだけど、今に至るまで放置されていたことを考えると、私の存在を誰にも伝えないままだった可能性が高いから、あんまり期待できなさそうなのよねぇ。そもそもの話、無事についていたらいいけど、避難途中で死んじゃったって事も考えられるし……、それに……」

「それに?」

「クロウも言ってたじゃない、私そのものに価値があるって」

「確かに言ったな」

「うん、だったらわかるでしょ。何の後ろ盾もないまま、大きな国の都になんて行ったら、どこぞの強欲な輩に捕まって売られて、それでお仕舞よ」


 ミソラの口調は軽い物だがその内容は重い。


「悪い、ちょっと考えなしだったな」

「別に気にしなくていいわよ。予め、現実を教えてくれただけでもありがたいわ」

「そうか?」

「ええ」


 と言葉を一度切ったミソラは、クロウの顔をじっと見つめながら、形良い顎に右人差し指を当てつつ、首を傾げる。


「んー、それにしても、クロウって、本当にお人よしと言うか、変わってるわよねぇ。こうして、目の前に大金を手に入れる機会があるのに、見逃しているなんてさ」

「まぁ、そう言われてみれば、確かに、そうなのかもしれないな」

「あらら、本当にわかってないわね」


 ミソラはそう言うと、唐突に立ち上がり、両手を広げて周囲を指し示す。


「いい、クロウ。私だけじゃなくてね、この部屋にあるものは全て、旧世紀の産物よ。書棚に並んでいるのは、おそらくは貴重な魔術書や技術書の類だから、高く売れるでしょうし、機材や道具だって使える物が多いでしょう。それに、ほら、あそこに転がってる金属もかなりの代物よ。……だというのにっ、あんたはなんで、こう! 欲を出さないというかっ! 下心を見せないのよっ!」


 いきなり何を言い出すんだ、こいつはと、クロウは困惑した顔を浮かべている間にも、何故か、ミソラは気焔を上げていく。


「目の前に宝の山がある状況ならっ、もっと貪欲にっ! 思春期の少年らしく、こうっ! こんなものを見つけるなんて、おれは選ばれたんだー、特別な存在なんだー、って感じに、とことん傲慢になって、どこまでも欲張って、ガツガツする所でしょ、普通はっ! だというのにっ、まったくもって覇気がないというかっ! もっと、こうっ、年頃の男らしく、げへへ、これは全部おれさまのもんだー、これでおれさまは一生ゆうふくだー、っていうような思考にならないっ!? っていうか、この私の裸を今までずっとじろじろと見ておいて、照れ顔一つも見せずに、まったく興奮しないとはっ、おまえ、ちゃんと玉ついてんのかっ、こらーっ! ……と、おねーさんは思う訳よ」

「なんか酷い言われようというか……、最後のは、色々とないと思わないか?」

「はいはい、それは置いておいて、反論はないの?」


 ミソラがわざわざ挑発する目的がわからないままだが、取り敢えず、クロウは米神を押さえながら、ミソラの疑問に応じ始める。


「ガツガツしてないのは、以前ガツガツして、酷い目にあったからだよ」

「ほうほう、詳しく」

「……グランサーを始めた当初にな、金に目が眩んで、かなり無茶していたら、甲殻蟲に襲われたことがあって、危うく喰われる所だったんだよ」

「そうなの?」

「ああ、あの時は、幸い、目晦ましの閃光弾が効いて、逃げ切れたから良かったけど……、あんな小便を漏らすような経験を何度もしたくないから、それ以来、先達の経験談を聞いて、できるだけ慎重に動いてるんだよ」


 クロウはそう答えつつ、小便を漏らしながら必死になって逃げた当時の事を思い出す。

 あの複数の足が耳障りな音と共にざわざわと動き、巨大で無機質な幾つもの目が並ぶ頭が常に此方を向けて、鋭い牙が並ぶ口が開閉しながら近づいてくる様は、今でも怖気が走るのだ。


 一方のミソラは、身体を一つ大きく震わせ、首を竦めたクロウをじっと見つめながら頷く。


「なるほど、その様子だと本当に怖かったんだ。だったら、慎重なのは納得するわ。……でも、それはそれとして、今、ここには、その甲殻蟲って奴はいなくて、か弱い乙女が一人だけなんだ、博打を打つべき所と言うか、冒険のしどころじゃない? クロウだって、お金、欲しいでしょ?」

「……か弱い?」

「あん、何か言った?」


 こんな反応を見せる奴のどこが弱いんだと思いつつも、身の安全を守る為にも声にはせず、求められている答えを口に出す。


「当然、金は欲しいさ。でも、それを使いこなせるだけの知恵も伝手もまだ足りない」

「まだ、ねぇ……。そんなこと言ってて、好機を逃したら意味ないじゃない。そんなの、ただの言い訳に過ぎないわよ?」

「かもしれないけど、人には身の丈にあった地歩を固める事も大切だと思う。……何て言ったらいいのかな、必要があるなら、ある程度は背伸びしてでもやるけど、何も考えずに、漫然と跳ぶ気にはなれないよ。一時は良くても、失敗したら最後、落ちるだけだからな」

「はぁ、若いのに、堅実ねぇ」


 ミソラの顔に呆れに似た苦笑が浮かぶ。他方のクロウは堅実と言う言葉を聞くと、自然、孤児院での日々を思い出し、当時、聞かされてきた警句や格言を口に出す。


「俺が世話になった施設で、己の身に過ぎた力と欲は己を滅ぼすとか、嘘も方便とか、金は幸福と不幸を同時に運んでくるとか、夢と現実の兼ね合いで目標を定めよとか、女には気をつけろとか、上手い話には裏があるとか、ボロ着でも清潔を心がけよとか、金の切れ目が縁の切れ目とか、怒るべき時は場所を選べとか、信頼には信頼を返せとか、冒険は一命を賭せとか、嫉妬は行動の原動力にしろとか、ただより高いものはなしとか、裏切りは裏切りを呼ぶとか、常に下着は綺麗にせよとか、人の不幸は明日の我が身とか、殴られたら二度と殴られないように二倍にして殴り返せとか、できる限り風呂に入れとか、死を直視し生を謳歌せよとか、情けは人の為ならずとか、金は目的ではなく手段とか……、事ある度に、色々と、散々に、言われ続けてきたからな」

「あー、なんとなく、わかってきた。教育が良かったのね。……クロウも私も、運が良かったわ」


 うんうんと白々しく頷いている小人の少女を生暖かく見つめながら、クロウは挑発めいた言い回しをした真意に切り込む。


「……で、わざわざ、挑発した理由は?」

「そりゃ、クロウの為人が知りたかったからよ」

「なんで?」

「この先、あなたの世話になろうと思ったから」

「は?」

「人の不幸は明日の我が身……、いえ、情けは人の為ならず、なんでしょ? ……だったら、私のことも助けてよ」


 ちょっとした沈黙の後、続いた言葉、その声音には直前までの余裕はなかった。それに気付いたクロウは即座に否定せず、更にミソラの想いを聞き出す為に、自分の現状を簡潔に教える。


「ミソラならすぐにわかると思うけど……、俺にできることなんて、ほとんどないんだぞ? ミソラが誰かに襲われても助ける事なんてできないし、お大尽や商会相手にやりあう事も、王侯貴族や研究機関といった連中から保護することだってできやしない」

「わかってる。そういったことの対処は、私は私で地歩を築いて、自分で自分の身を守るから構わない。ただ……」

「ただ?」

「私が欲しいのは、心から安心できる場所。今の世に繋がりがない私が、ここが我が家だと思える場所よ」


 この言葉にクロウの胸はぐっと詰まる。ミソラが欲する物は、故郷と家族を失った彼が、今も尚、求め続けている物でもあったからだ。ある意味、一番の弱点を衝かれ、早くも降伏寸前に追い込まれているクロウを余所に、ミソラは自身の想いを紡ぐ。


「私が知る世界は既になく、かつてあった繋がりもまた絶たれた。私には、この世界に行くべき場所も帰れる場所もないわ。そんな私を……、何の縁も所縁もない私と真っ直ぐに向き合って、心配してくれたあなただからこそ……、私が帰れる場所になって欲しい」

「あー、状況に流されてると言うか……、取り敢えず、初見の男に言う言葉じゃないよな」

「……そうね。でもね、クロウなら信頼できるって、私の魂が囁いているのよ」

「はは、そりゃまた、凄い殺し文句だ」

「ふふ、とっておきよ。……それで、答えを聞かせてくれる?」


 僅かな間もおかず、クロウは両手を肩上に上げ、掌を開いて見せる仕草……降参を示す仕草をすると、ゆっくりと頷いて応諾の言葉を一言だけ告げた。その途端、ミソラは緊張していた顔を綻ばせて、拳を握りしめると、機嫌良さそうに口を開いた。


「うふふー、クロウなら頷いてくれるって、信じてたわよー。まー、でもー、女にあそこまで言われて断るなら、男がすたるわよねー」


 クロウはミソラの切り替えの早さに呆れつつも、ミソラの喜びもなんとなくわかる為、何も言わず、ただ微苦笑を浮かべるに止めた。



  * * *



 宵の口。

 ルシャール二世号は一日の調査活動を無事に終えた遺構調査隊を収容し、一夜の休息が始まっていた。

 日中、緊張を強いられていた調査隊員達は安全が確保されている船内で、肩の力を抜き、心身の疲れを癒していれば、船を守る当直の船員達もまた、疲労した彼らを気遣い、静かに職務を遂行している。その為、船内には昼間の緊張した空気はなく、穏やかな空気が漂っている。


 しかしながら、護衛長公室においては別のようで、護衛長アルベール・アルタスと帝国機士パドリック・リディスが張り詰めた空気の中、今朝、副団長のソーンが伝えた件の懸念とその対処法について、話し合いの席を設けていた。


「こりゃあ、かなり厄介な問題ですな」


 応接机を挟んで座っている中年機士は、年下の上司から起こり得る可能性の一つとして伝えられた、現在の状況や元老院の謀りと調査団に降りかかる危難、以後、帝国と国を取り巻く情勢に与える影響等々を聞くと、そう反応を返した。


「貴様もそう思うか?」

「ええ、隊長殿。正直、元老院の連中の手がここまで長くないと思いたい所ですが……、これだけ、何かがあってもおかしくないって、思わせるだけの状況が揃ってるとなると、ほぼ確実に事が起きると思った方が良いでしょうよ。何せ、人の予想って奴は、往々にして、悪い方には当たりやすいですからな」


 そう言い切ったパドリックは元より厳つい顔に一層厳しい表情を浮かべており、最早、凶相とも呼べそうな顔付きになっている。


「この件、船さんとは話を?」

「ああ、エイブル船長とブレック副長には伝えて、不審な動きか報告があった場合、連絡をもらえるようにしてある。……幸い、今の所は、そういった話は伝わってきていない」

「なら、船内については、お二人に任せましょうや。いくら隊長殿が頑張っても身は一つだ、全てを受け持つなんてこたぁ、不可能ですからな」

「ああ」


 頷き返した黒髪の機士もまた、険しい表情を浮かべており、それだけ、彼がこの件を憂慮している事を明示していた。その引き締まった顔を睨むように見つめながら、パドリックは嘆息する。


「しかし、どこかで事が成ったらお仕舞たぁ、酷い話もあったもんだ。こりゃ、俺達の手だけでは収めきれやしませんぜ」

「わかっている。やはり、エフタ市かゼル・セトラス組合連合会に助けを求めるべきだろうな」

「ええ、できりゃ、両方から協力を得たいとこですよ。そうでもなきゃぁ、同じ土俵にも立てやしませんぜ」


 信用し、信頼している年長の戦友の物言いを聞いたアルベールは一つ頷くと、昼の間に考えていた案を口に出した。


「ならば、この件をゼル・セトラス組合連合会に伝え、事が起きた際の協力を求めることにする」

「できるんですかい?」

「協力を求めることはできるが……、実際に、相手が動くかまではわからぬ。だが、覆せる可能性が生まれるならば、何もせぬよりは遥かに良かろう?」

「くく、違ぇねぇですな。精々、泥臭く、足掻いてやりゃぁしょう」


 不敵に笑って見せたパドリックに、アルベールは言い添える。


「後、この件に関してだが、貴様には明日、先の懸念と支援要請を伝える使者として、エフタ市に行ってもらう」

「了解、って……、明日でいいんですかい?」

「船内に工作者が潜んでいる可能性がある以上、できる限り、日常を装いたい。気取られて、事を早められては意味がないからな」

「確かに……、やり口は?」

「ああ、今晩中に、船の設備に故障が起きた事にしてもらい、その修理に必要となる補修品を求める、という口実で、先の歓迎会に参加して、顔が通っているお前を使者として組合連合会に送る、という形にしようと思ってる」

「……まぁ、その辺りが無難かもしれやせんが、警備はどうします?」

「私が本隊を、マシウスに先行隊の警備を担当させるつもりだ。……何か、奴に問題があるか?」

「いや、今日の所はしっかりと統率していやがりましたし、ちゃんと任を果たせるだけの力はあるみてぇですから、大丈夫でしょう」


 中年男の素直ではない言い口を聞いたアルベールは、この話し合いを開始して以降では初めて、口元を弛める。


「ふっ、何だかんだと言いながら、奴の事を気にかけているんだな」

「……隊長殿には隠す意味がねぇから言いますが、これも性分って奴でさぁ」

「だからこそ、貴様に面倒を委ねたのだがな」


 年下の上司の、生真面目な顔に少しばかり面白そうな表情を浮かべての言葉に対して、パドリックはばつが悪そうな表情を浮かべて弁明する。


「隊長殿の期待を裏切っておいてなんですがね、俺も人間ですから、失敗の一つや二つ、しちまいますよ」

「何、先以上に咎めるつもりはない。此度の事で、マシウスも機士や機兵の中には、貴様が信条とするような想いを持つ者がいる事を知ったのだからな。……それを後に生かすか殺すかは、奴次第だ」

「……やれやれ、隊長殿は厳しいですな」

「私の性分では、貴様のように親身にはなれんよ」

「その評価は買い被りのような気がするんですがねぇ」


 両者は互いに苦笑を漏らすと話は終わったと判断し、特別に息を合わせてわけでもないが、同時に立ち上がる。


「取り敢えず、明日の任務は了解しました、って、そういや、送り迎えはどうなるんで?」

「連絡艇を出してもらうつもりだ。実際に、荷を持って帰って来ねばならんしな」

「律儀なこってすな。……所で、隊長殿」

「なんだ?」

「ご自身は、事が起きるとお思いで?」

「何事もなければそれに越したことはない、とは思っているが……」


 アルベールは続く言葉を言ってしまうと、それが既定になりそうに感じて、口を閉ざす。

 一方のパドリックは、言葉を濁すという、彼が知る上司にしては珍しい反応を見て、これは間違いなく事が起きるな、と逆に確信する。


 それぞれがそれぞれに先行きを思いながら、二人はそれ以上語らずに扉へと向かう。そして、取っ手に手をかけ、扉を開ける直前になって、パドリックがぼやく。


「やれやれ、ただの調査護衛だと思ってたら、まったくもって面倒な話が降って湧いてくる。これじゃ、前線で蟲共相手に戦っている方が楽で仕方がねぇ」

「……私もだ」


 中年の機士は、自身の声に応じる様に微かに聞こえた上司の呟きに、思わず口元を歪ませながら廊下に出ると、その足を部下達が屯っている食堂へと向ける。

 そんな部下を見送ったアルベールもまた、実質的な責任者であるソーンと芝居に協力してもらうエイブル船長に話を通すべく、船橋に向かって歩き出した。


 こうして人が居なくなった廊下には頼りない灯光と冷え始めた夜の空気だけが残り、人が現れたことで姿を隠していた静けさを呼び戻し始めるのだった。

12/03/14 若干加筆及び誤字等修正。

12/04/21 レイアウト調整。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ