二 南風を背に受けて
爛陽節第一旬三日。
ゼル・セトラス大砂海中央域は常の如く、どこまでも青く晴れ渡っていた。
数日前、一年における頂点を極めた光陽は今日も爛々と輝き、溢れんばかりの光とあり余る熱を地表に送り込んでいる。赤黒い砂塵の荒野は火にくべられた様に熱い。逃げ場のない熱が空気を充たし、地面より陽炎がゆらゆらと立ち上る。例外は大災禍の爪痕たる瓦礫の山。それが生み出す僅かな影がある場所のみである。
一陣の風が吹く。
乾き切った砂混じりの風。
遥か南、ノルグラッド山脈を越えてきた風は今や熱風となり、北を目指していく。
そんな南風に煽られるように、もうもうと砂煙を上げて北へ向かう舟艇があった。
細長い舟艇は大凡三リュート大。暗赤色の外装が鈍い光沢を放っている。
艇尾にて魔導機関より延び出た二重反転回転羽が高音の唸りを上げて推力を生み出し、流線形の鼻頭が大気を割り裂いては従来の魔導船では考えられない程の速さで突き進む。
この高速度を維持する為か、艇体には大小複数の翼。鼻頭の両脇に小さな補助動翼、中央部上方……操縦席の直上に浮き上がりを防ぐ抑制翼、艇尾の推進器付近に垂直翼が左右一枚ずつと水平安定尾翼がこれも左右一対。
時折、横風を受けては補助動翼と方向舵が動く。
これを為すのは艇体中央は操縦席に座る人影。
操縦柄を握りしめることで自然と前傾姿勢になっており、小さな風防では防ぎきれない風に抗している。
身に纏うのは黒く染色されたコドル革の繋ぎと関節や要所を守る防護具。砂風への対策か、顔も二眼ゴーグルや防塵マスクといった面覆いで隠しており、防護兜の端から赤い髪が微かに覗くのみである。
その操縦士であるが、面覆いに隠された表情に余裕はない。
彼の目に映るのは、遠大な青空と遥かな地平線、そして、瞬く間の流れていく風景のみ。
操縦士は前方に障害物がないことを確認して、目下の計器類に視線を走らせた。
魔力残量計、六〇、七五。
速度計、六九。
回転板回転数計、一二〇〇。
復魔器魔力生成計、五。
高度計、五〇。
方位計、三五〇。
区間距離計、三四二。
総疾走距離計、三六九。
操縦油圧計、一〇〇。
潤滑油圧計、一〇〇。
回転板室温度計、四七〇。
熱交換器温度計、一〇二。
全ての計器が正常の範囲内に収まっている。
マスクの下で安堵の息が漏れた。
そしてまた、操縦に専念する。
が、既に操縦を始めて五時間近く。
数回の小休止を入れているとはいえ、心身の疲労はいかんともしがたい。自然、赤髪の少年の頭に雑念が……、現状に至るまでの記憶が起き出してきた。
全ては半旬前……クロウがエフタに戻ってより三日後にまで遡る。
* * *
「かー、まったく! ようやく顔を出したのが帰ってから三日後だなんて……、帰ってきたら連絡をすぐ入れること位は当然でしょうに、もぅ! こら、クロウ! おねーさん、そんな子に育てた覚えはありませんよ!」
「はいはい、わるかったわるかった。あと、こっちも育てられた覚えはないからな」
第四魔導技術開発室にて、クロウは剥れた顔を見せる緑髪の小人……おねーさんを自称するミソラの怒りと不満を軽く切り捨てると、その場にいる他の面々に挨拶する。
「みなさん、お久し振りです。本当なら昨日の内に挨拶に来れたらよかったんですけど、気付いて起きたらもう夕方でして……」
「気にすんな。そんだけ気が張ってて、それが一気に抜けたってことだろう。構いやしねぇよ。……ただなぁ」
最初に応じたのは目付きの悪い開発員、ガルド・カーン。彼は同僚の一人を横目で見やると片頬を引き攣らせるように上げて笑う。
「そうですね。一仕事終わった後に虚脱してしまうというか、ええ、そうなることもありますね。まぁ、それでも……」
次に頷いたのは線の細い眼鏡をかけた開発員、ロット・バゼル。彼もまた口元に小さな苦笑を浮かべて、年下の同僚を見やる。
「あー、俺もぉよぅ、覚えがあるっつったらあることだなぁ……、まぁ、そのぉ、仕方がねぇ所だろう」
腕組みをして言葉を選んだのは体格の良い開発員、ウディ・マディス。すぐ隣に立つ少女の様子を窺いながら困惑の色を隠さない。
「ええ、仕方がないですよね。昨日の昼、家を訪ねても出てこれなかったくらいですから」
最後にそう言ったのは金髪の少女、シャノン・フィールズ。
彼女の顔に浮かぶのはいつもと同じような笑みではある。だが、目は据わっていて醸し出す気配は強い。不機嫌を押し殺して、無理にでも笑おうとしている顔であった。
クロウは強い視線に少しばかり怯えながら、それでも平静であろうと努める。
その間にも、一昨日孤児院に帰った影響か、自然とある男性職員が教えた言葉が浮かんでくる。
女の怒りは早めに解け。
それが後になればなるほどに拗れてしまって、より怒りは深く長期化するからな。
聞いた時はそういうものなんだとしか思いもしなかった言葉であった。しかしながら、今の自分に当てはめて分かる。あれは男にとって金言とも呼べる言葉なのだと……。
それにしても、まさか自分がそれを体感するような時が来るとは。
クロウはある種の感慨を抱きつつ、シャノンに向き直って一つ一つ言葉を選びながら話し出す。
「えーと、その、昨日、来てもらったのに出れなくて、本当に、ごめん。でも冗談抜きに自分で思ってたよりも気が抜けたみたいでさ、家で寝たら本当に夕方まで意識がなくなってたんだ」
「ええ、わかってますよ。長期間の遠出でしたし、クロウ君も自覚がない疲労があったんでしょう。僕にも身に覚えがあることですから、仕方ないことだとわかってますよ」
シャノンは目に込めた怒りを大方収めて言った。
そんな表層とは裏腹に、彼女の心は叫ぶ。
それでも、会いに来てほしかった。
一番に、帰って来た姿を見せてほしかった。
何よりも先に、元気な顔を直に見せてほしかった。
誰よりも早く、他の誰よりも自分を優先してほしかった。
次々と心の底から湧き出てくる、女としての本音。
無論、聡い少女は気付いている。
彼我の関係があくまでも友人の一人でしかない以上、心の内で膨らむ思いは己の女としての我が儘に過ぎないのだと。
そう、わかっている。
彼女とて、わかっているのだ。
だけれども、わかっていても尚……、それでも儘ならない想いもあるのだ。
心に満ちる寂しさが癒され、恋しさが満たされない限り、そんなことは関係ないとばかりに、女の情念が荒れるのだ。
自身でも制御できない情動に、心が揺さぶられる。
これ以上、口を開くといらぬことを言いかねない。
そう判断して、シャノンは黙って申し訳なさそうな少年を見つめるだけである。
少年少女のぎこちない様子。
それを傍観する男達は、意味深に笑う者、懐かしい物を見るように目を細める者、弱ったモノだと顔を曇らせる者といった具合に、三者三様である。とはいえ、このままでは話が進まない。誰かが間に入るかと、それぞれが視線を交わす。
と、その時、端に切り捨てられた小人が口を尖らせながら口を挟んだ。
「はいはい、いいわよねー、シャノンちゃんはなんだかんだとクロウに弁明してもらえてさ。私なんて、言い訳の一つもないっていうか、はいはいわるかったわるかった、ってな感じで、ばっさり切り捨てられたのにさー」
「いや、そりゃ、ミソラは別枠だからな」
クロウがは申し訳なさそうな顔から表情を一転させ、至極当然と言った顔で言い切る。
それはどういうことだと言わんばかりに、半目で少年を見上げた。彼もまた小人のツンと顎の上がった顔を見下ろして軽く笑った。
「俺のおねーさんを……、家族を自称するんだから、遠慮なんてもんはいらんだろ?」
「ぬ、ぬむむ……、くっ、あ、あー、もぅ! なんだろう! こうっ、嬉しいような腹立たしいようなっ、このふくざつな心境はっ!」
むきゃーと言わんばかりに、ミソラは身体を捻じって短い髪を掻き毟る。が、表情は素直なもので綻んでいたりする。
「へっ、ちょろいな」
「確かに単純ですね」
「安直って奴だなぁ」
「こらぁ! あんたらっ、聞こえてるわよっ! っつうか、私はそんなに易しくないしっ!」
男衆の容赦のない論評に、ミソラが目を怒らせて抗議の声を張り上げる。ついで、クロウを睨んで続けた。
「クロウ! たった一日二日とはいえ、私とシャノンちゃんに気を揉ませたんだから、相応に誠意を見せてもらうわよ!」
「了解了解。じゃあ、今日の夜、どこかに食べに行くか? 俺のおごりで」
小人は顔に喜色を浮かべた。
けれども、次の瞬間にははっと我に返ったように表情を素に戻し、ぐらりと身体をよろけさせながらも首を大きく振った。
「み、魅力的だけど却下! 私からあんたに申し付けるのはただ一つよ!」
「わかったよ。聞きましょう、おねーさんの要望」
「聞くだけで終わり、なんてことはしないでしょうね」
「しないしない」
「本当に?」
「ああ、約束する」
クロウから約束という言質を取るや、ミソラの顔はどこか意地悪げモノに変じた。途端、クロウの背筋に悪寒が走る。
「じゃあ約束よ。前に試験した魔導艇の改良型ができたから、試験を手伝ってちょうだい」
「えぇっ!」
耳にした言葉に、クロウの先程までの余裕は吹き飛んだ。盛大に表情を引き攣らせ、首を大きく横に振る。
「そ、それは勘弁してくれ。あの宙を舞った時の不自然な浮遊感と地面がゆっくりと迫ってくる絶望感はもう味わいたくない!」
「あーあーきこえなーい!」
「いや、聞いてくれよっ! ほ、ほら、他のだったらなんでもいいから、別ので手をうって……」
「えーわたしーほかのじょうけんなんてーないしー」
「そこをなんとかっ! 頼む! またあんなことになったら、今度こそ死ぬ!」
「あはは、大丈夫よ! 私も一緒に乗るから死なせないって!」
よほど以前の試験での事故が恐ろしかったのか、クロウは涙目で頼み込む。そんな彼に、少々凹み気味のバゼルが声を掛けた。
「えー、前の事故は不幸な出来事が重なった結果ですし、ちゃんと浮き上がりの防止を設計に取り入れましたから、余程の事が……、ええ、無茶無謀な操作をしない限り、ああいったことは起きません。安定した疾走を約束します」
「ほら、開発責任者の言葉を信じなさいって」
「い、いや、それとこれとは……」
「あー、それともなに? クロウ君は自分で言った言葉も守れないような、人としての信義を疎かにするような男なのかなぁ?」
ミソラは業とらしく君付けしながら、少年の良心をちくりと刺す。クロウは言葉に詰まり、誰か助けてくれないものかと視線を走らせる。開発責任者は申し訳なさそうな顔。悪相の男は面白そうに口元を歪ませ、機兵としての先達は諦めろと言わんばかりに首を振った。
そして、残る一人たるシャノンに目を向ける。
「僕、口約束とはいえ、クロウ君がちゃんと約束を守る人だって信じてますから」
微笑みと共に述べられた信用表明。まさに止めであった。
逃げ場を失った少年の口からは最早呻きが漏れるのみ。それから数秒、彼の内で恐怖と信頼、更には信義といった物が入り乱れての強烈な葛藤があり、最後には諦めたようにこうべを垂れた。
「く……、わ、わかったよ。その仕事……、受けるよ」
「その返事を待っていた。うんうん、大変結構です。いやー、おねーさん、嬉しいわぁ」
「ど、どの口で……」
「ぬふふ、安易な発言は己が頸を締めるものよ」
ミソラは気分良さそうに一時笑い、それから表情を少し引き締めて続けた。
「まぁ、試験の内容は後で詳しく話すとして、仕事の報酬なんだけど、今の所は五万ゴルダに加えて、パンタルの分解整備の費用と四級航法士の免許取得にかかる費用、後、航法に必要な道具一式を考えてるわ」
何故に四級航法士免許の取得や航法道具一式という思いが生まれる。けれども、それ以上に気になることがあった。
「なぁ、やけに気前がいいっていうか、報酬だけでもいつもの十倍なんて、ちょっと良すぎないか?」
「そりゃ、当然よ。それだけの仕事になるからね」
当然のように告げられた内容は、クロウの心を押し下げるのに十分なものであった。
* * *
軽い気持ちで約束と口に出したのは失敗だった。
クロウが過去を思い出してしみじみしていると、耳元にどこか甘みを感じさせる声。今回の試験に同行しているミソラの声だ。
「クロウ、そろそろ疲れたでしょ。小休止を入れましょう」
「了解」
クロウは操縦する魔導艇……斥力浮上式魔導舟艇試製一二型の行き足を緩め始める。
魔導機関が生み出す高音が徐々に小さくなり、身体に感じる風も減っていく。それと共に緊張もまた解れていき、ほっと安堵の吐息をついた。
彼が半ば強制的に担うことになった魔導艇の試験。
今回は以前に行った試験とは比にならない程に厳しいもので、エフタ市と北の要であるエル・ダルーク市までの往復というものであった。付け加えると、整備や修理等の支援を得られないという、一手間違えれば死につながりかねないという条件下で、である。
クロウは内容を聞いた後、もう一度涙目で中止を頼み込んだ。が、約束と契約は絶対と、あえなく却下された。
そんな訳で今日の朝、エフタを出発したのであるが、慣れたとは言い難い操縦だけに早くも疲れが溜まり始めている。
少年は気の抜けた顔で休めそうな日陰を探す。
瓦礫が積み重なった場所がちらほらと見える。だが、天高い光陽の位置を考えると今一な所ばかりで一息つけそうではなかった。
それでも諦めず、どこかに良い場所はないものかと首を巡らせて、それを見つけてしまった。
赤い殻に蠢く六本脚。
二本の触角を頻繁に揺らす頭は七つの複眼が妖しく光を返し、口腔部より二本の牙が鋭く伸びる。
その異形は既にクロウ達を捉えているようで、三百リュート程の距離で猛進を始めていた。
「げっ、ラティアだ」
「あー、ほんとだ。今ならまだ逃げられそうだけど、どうする?」
クロウは気の抜けた顔を一転させ、鋭い目で周囲を素早く見回す。どうやら迫り来る一匹以外は存在しないようだった。
決断は早かった。
「いや、武装の実戦試験がてら潰そう」
「なら、私はいざという時に備えるわ」
「ああ、もしもの時はよろしく」
彼は魔術師の頼もしい言葉に頷くと、慎重に艇首を転回させて迫りくる脅威に指向する。ついで唾と共に息を飲み込み、右足元の小さなペダルに足を乗せた。
「安全装置の解除を忘れたらダメよ」
「あっと、そうだったな」
計器類が並ぶ風防下、右足元より伸び出るレバーを引く。忙しない足音が大きくなる中、がちゃりと何かが外れる音が響いた。既にラティアは百リュート程に迫っている。
風防に備えられた照準器を通して、甲殻蟲を見る。大き目の照門の中にその醜悪な姿が乗る。以前の彼にとって、恐怖の代名詞ともいえる存在だった。けれど今は……。
照星となる円環に収まった瞬間、右のペダルを踏み込んだ。
足より伝わる確かな感触。
微かな射出音が聞こえるや右艇首より光弾が走り、ラティアに当たって弾けた。
硬いモノが割れ潰れる音。
鮮緑の飛沫が中空に舞い散り、一個の生体を構成していたモノがばらばらに散らばった。
クロウは無感動のまま、その様を見届ける。他方、ミソラは満足げに頷いた。
「よしよし、一発でバラバラ。性能通りね」
「みたいだな。……使う立場としては、もう少し射程が欲しい所だけど」
「その辺りは今後の課題って奴ね」
「期待しておく」
と言った後、クロウは再び魔導艇を動かし始めた。
「あれ、休まないの?」
「いや、流石に潰した場所にいると、またわらわらと集まってきそうな気がしてさ」
「そう言えば、そんな習性があるかもしれないって話があったわね」
「ああ、確定って訳じゃないんだけど、経験則で最低でも数日の内に一匹は来るって話だからな」
舵を切り回転数を調整して再転回。
方位計で進むべき方向を確かめていると、ミソラが話しかけてくる。
「ところで、今の段階でどれくらい走った?」
「大凡で……、三五〇位だ」
「おぉ、もう六分の一位! 今日一日丸々頑張れば、行けるんじゃない?」
「おま……、無茶言うなよ。身体が持つ訳ないだろ」
「あらー、体力が自慢の機兵なのに?」
「機兵でも、だ。使う部分がまったく違うぞ、これとは」
そう言って、クロウは魔導艇を見下ろす。
確かに、集中力が必要なのは魔導機とは変わりはない。
けれども、姿勢を一定に保ったままだと身体が凝り固まるし、魔導機関の出力を維持調節する関係上は右手だけ疲労の溜まり方が大きい。絶え間のない風圧に耐えるのも結構怠い。高速で疾走する中、前方の安全確認をしているだけで目は疲れてくる。障害物等を回避したり横風を受けたりする度に、方位計や光陽の位置を確かめながら舵を微修正するのにも神経を使う。
大変な所を考えている内に疲労感が増した気がして、少年の口からボヤキが漏れた。
「せめて交替してくれる人がいれば、今感じてる疲れが半分程度にまではなるかな?」
「それだと行けそう? 一日でエル・ダルークまで」
クロウはゆっくりと行き足を上げて考える。
エフタ市からエル・ダルーク市まで、大凡で二二〇〇アルト。現状は時速七十アルト前後で進んできている。単純に疲労を無視して速度を維持できたと考えると、三十一ないし二時間で辿りつける計算となる。そのことを踏まえて考えると……。
「二人だと速度をもう少し上げられるだろうから、時速百アルト以上を維持できれば、可能かもしれない。……ただ、実際に使ってる身からすると、それでも現実的じゃないと思う」
「うーん、無理か」
「ああ、百アルト以上を維持しようとすると、交代しながらでも間違いなく今と同じ位は疲労すると思う。抑制翼が付いて安定性が増したとはいえ、より高速になれば危険性が増すのには変わりはないし、一つの失敗で空を飛ぶことにもなりかねないからな」
高速のまま吹っ飛んだ記憶に身震い。なんとなく足元が覚束なく感じて、尻の穴がきゅっと締まった。
そんな状態から逃れるべく、クロウは話を続ける。
「あ、あー、それと同乗者の命も預かる点も疲労に繋がるはずだ。他人の命を預かるってだけで十分過ぎる重圧だろ」
「確かにねぇ。他には?」
「そうだな。……こいつを安全に動かせる時間帯の問題かな? 昼っていうか、明るい時間は時節によって変わるけど、だいたい十五時間から二十一時間程度。休憩諸々を抜きにして、最低でも二十二時間掛かることを考えると、夜間でも安全に動ける装備がないと危なすぎる。正直に言うと、俺はあってもやりたくないけど」
そう告げてから、計器類を確認。特に問題ないことを見て取ると、改めて肩口の小人に訊ねた。
「なぁ、ミソラ。話の流れで聞くけど、これが故障や事故で壊れるかもしれないって点はどう考えてるんだ?」
「むむ、だからこそ、そういった懸念を潰す為に、今回は耐用試験を兼ねてるんだけど?」
「いや、一回二回の試験で大丈夫です、って言える訳ないだろ。万が一っていうか、現実、普通の魔導船に魔導技士が必ず乗り込んでいることを考えてくれ」
ぬぬ、クロウの癖に正論を、との呟きが小人の口から洩れた。
クロウはあまりな言い様に頬を引き攣らせる。それでも怒りを流して口を開く。
「真面目な話、今回の試験だって、俺としては整備や修理できる人にも同行してほしかった位なんだぞ?」
「大丈夫大丈夫。簡単な修理は私が指導すればクロウでもできるから」
「難しいのは?」
微かな沈黙の後、ミソラは明後日の方向を見ながら応えた。
「その時は……、そうね、私も付き合うから、エフタまで頑張って歩いて帰りましょう」
「……お前は悪魔か」
「だって仕方ないじゃない! 普通の魔導船はこの魔導艇に付いてこれないんだし!」
「なら同乗するなりして……」
「ダメ」
「なんで?」
「うちの四人ってさ、技術者としてかなり優秀だから危険な場所に置きたくないのよ。……まぁ、あんたが懇意にしてる整備士のティアちゃんに同行をお願いしようかとも思ったんだけど、あんたの機体の分解整備があるから無理だし、その他の人となると、流石にこんな危ないことは頼めないわ。更に付け加えると、やっぱりシャノンちゃんにしてもティアちゃんにしても体力的精神的にも持たないんじゃないかなって思うし、何よりも年頃を考えると、クロウと二人でっていうのはねぇ」
俺は危険な場所に置いてもいいのかよ、と文句の一つも言いたい気分であったが、なるほどなと頷ける答えではあった。ただ、少しばかり引っ掛かる言葉があった。
「前の理由は色々と作っているのを使っているから納得できるし、ティアに頼まなかったのもわかる。けど、後のはなんか納得いかないんだが?」
「おとこはみなけだものだもの、っていうのは冗談って訳でもないっていうか、えっとほら、クロウだって男だし、間違いの一つや二つ、もうしてそうだしね」
「うわー、信用ないなぁ、俺。ミソラの中の俺ってどういう扱いなんだ?」
「そうねぇ。……あんたは特別枠よ」
クロウはどこかで聞いた言葉に、思わず口元を綻ばせて訊ねる。
「その、特別枠ってのは?」
「今やってる試験を頼むみたいな、とんでもない無茶振りができる、私の家族枠よ」
「うぇ、嬉し過ぎて泣けてくる」
「目に優しくて大変結構ですこと、おほほほほ」
一頻り笑って見せた後、ミソラは表情を崩して続けた。
「後言っておくとね、うちの開発室で作ろうとしているモノは、私なりに考えて最低限の条件を付けるつもりをしているの」
「へぇ、どんな?」
「現場の蛮用に耐えうる信頼性、かしらね」
「それはまた……、あれば是が非でも欲しい所だな」
「でしょでしょ。だから、今回の試験みたいに簡易整備だけでって厳しい条件にしたのよ」
「いや、それとこれとは別な気がっていうか、取って付けた理由のような……」
「あはは、だから、そこは笑って流しなさいよ! そして、人類の夜明けの為! 見ず知らずの誰かの為! 我が開発室の輝かしい未来の為! 喜んで犠牲になりなさい!」
「いくらなんでも不条理すぎるわっ! ……はぁ、俺、ほんとに泣いていい気がする」
身内の身勝手な物言いに肩を落とし、少年は休む場所を探すのだった。
* * *
魔導艇が疾る。
一時間強毎に挟む小休止で簡単に位置を確認し、針路を修正しながら前へ前へと。
土台しか残らぬ廃墟の脇を抜け、折り重なった瓦礫の間を通り、小高い砂塵の丘陵をものともせずに走破し、用意した砂海図と見出した針路を信じて、ただ真っ直ぐに突き進む。
時に目で気付けぬ凹凸に行き当たるが、そこは行き足の勢いと浮力でもって乗り越え、抑制翼でもって崩れそうになる艇体を押さえつけた。
果てのない空。
陽射しは強く降り注ぎ、砂海を熱し続けている。自然、より熱をはらんだ風は強くなり、より多くの砂礫を運んでいく。時に瓦礫や廃墟に阻まれて、時にそれらを構成する一部を削り取りながら。
周りの風景は見る間に流れていく。
基本、荒涼としたモノばかりであったが、時に少年が目を見張るものもあった。
それは遠方からでもわかる巨壁の群。一つ一つが長さ五百リュートを越え、高さは目算で五十リュート程。あちらこちらが欠けていたり割れていたりしていたが、重厚感は凄まじい物があった。それらがずらりと並んでいるのだ。
呆けそうになりながらもよくよく観察して、少年はそれらが横倒しになった建造物だと気付く。旧世紀文明の技術とその全てを破壊した大災禍を思って、冷や汗が流れた。
けれども、こういったことは長い行旅のほんの僅か。
先に挙げたように、目に入る大方は荒れ果てた光景。
今回の試験ではただ一直線にエル・ダルークを目指すとされた為、魔導船ともすれ違わない。通常において使用されている魔導船航路はもっと東寄りにある為である。
それ故に、行けども行けども人の営みの影すら見えず、ただただ崩壊した旧文明の痕跡と悠然とした自然が広がるのみ。
そういった環境の中に長くいる所為か、いつしか心が惑い出す。
このままだと、自分もこの大砂海に溶け込んでしまうのではないか?
そんな根拠のない漠然とした不安が心に忍び込んでくるのだ。
その度に彼は、不安を払うように身体にまとわりつく砂塵を払い、弱気を飲み込むように携行食や水を含み、孤独ではないと思う為に小人と言葉を交わす。
自然と己相手に抗って心身を疲労させながら、クロウは時と距離を重ね続ける。
そして気が付けば、光陽は頂点を越えて西の空へと傾き、茜色が滲み出す。
その滲みはじわりじわりと広がっていき、いつしか天地は赤く染まる。
落陽。
その言葉が生まれた理由が一目でわかる程に、光陽が地平線へと急速に落ちていく。
そんな時分。
クロウは眉根を顰める事態に遭遇していた。
「またか」
進路上に砂海を我が物顔で闊歩する異形の集団が屯している。
短い間に三度目となる遭遇だけに、少年の口より舌打ちが漏れた。ミソラが聞き咎めるように応じた。
「クロウ、立て続けだし腹が立つのもわかるけど、落ち着きなさい」
「わかってる。……ただ時間が時間だし、こうも何度もお目にかかるとな」
「気持ちはわかるわ。けど今は、そんなことよりもどうするかってことの方が重要よ」
ミソラの言葉通り、彼我の距離は近づく一方である。
「そうだな。……できれば潰すのが良いんだろうけど、あまり時間を取られたくない。回避する」
そう口に出しながら、クロウは舵を操作。予定針路から艇首をずらして遭遇を避ける。
幸いにして、ラティアの群はクロウの動きに反応することはなかった。ただ魔導艇を警戒するかのように、個々が頻繁に触角を動かしている。その動きが不気味で、少年は眉間に皺を刻んだ。
その時、腕を組んで蟲の動きを見ていたミソラが呟いた。
「やっぱり、エル・レラが近いからかしら」
「廃都か?」
「うん。ほら、以前の漲溢でラティアにやられてから、大きな巣になったって話は知ってるでしょ」
「ああ、知ってる。……けど、ここからだと、まだ結構な距離がある気がするんだけどな」
少年はエル・レラについて思い出す。
エル・レラ。
かつて、このゼル・セトラス大砂海域において、中心的な役割を果たしてきた地下避難都市。
旧文明を徹底的に破壊した大災禍を乗り越えた後、この地に人類社会を復興させるべく奮闘した雄邦である。
他地域と連絡が取れるようになると連携して人類を圧迫する甲殻蟲に対抗。それと同時に、今現在において域内のまとめ役を担うエフタ市や北の防塁エル・ダルーク市を始め、数多くの植民都市の母都市となったのだ。
しかし、二百年程前に起きた大漲溢……地を埋め尽くさんばかりの甲殻蟲による人類生存圏への大侵攻により失陥。数度の奪還作戦が失敗に終わって以降、放棄が決定。エフタ市がまとめ役として台頭してからは過去の記録に残るだけの存在である。
そして、その廃都がある場所は、エフタの北西約一二〇〇アルト。
クロウは総疾走距離計に目を向ける。
示す数字は一〇四三。
針路は三五〇……ほんの少し西寄りの北を向いて進んできたことを考えると、確かに接近していると言えた。
「あー、要するにだ。こんだけラティアに遭遇するのは、誰かさんが主張した航路を進んでいるからか」
「むぅ、魔導船航路がどうして一直線じゃないのかなって不思議に思ってたのよねぇ。まさかこんなりゆうがあったとは……、このわたしのめでもみぬけなんだ」
ミソラの白々しさを感じさせる言葉を聞き、クロウは胡乱気な声で返す。
「どうせ魔導銃の試験ができそうだから、なんて風に、確信的にやったんじゃないのか?」
「ま、まぁ、そういった気持ちは少しだけはあったことはあったけど、これ程遭遇するとは思ってなかった。……ちょっと蟲の支配領域を甘く見てたわ」
支配領域という言葉に、少年は失われた故郷を思い出す。彼の故郷がある一帯は人の手が届かぬ領域となっており、行くに行けない場所、戻るに戻れない場所になっている。
クロウが微かな感傷を抱いていると、ミソラが改めた調子で話し出す。
「とりあえず、針路を変更して大回りしましょう」
「はぁ……、りょーかい。航路の修正が大変そうだなぁ」
「そこはほら、航法のいい練習になると思いなさいよ」
「素人から毛が生えた程度の人間に難しいことを言うよ」
少年はぼやくとエル・レラから少しでも離れるべく、北東へと魔導艇の舵を切る。
それから空が茜に染まり、光陽が西の彼方へと沈むまで疾り続けた。
* * *
大砂海に重い帳が降りてきた。
薄暗くなった空では早くも星が輝き始めている。
白、赤、蒼、黄、橙。
それぞれが競うように絡み合い、光源のない荒野を照らし出す。
その荒野に崩れかけた廃墟があった。
元の大きさはどれ程なのかはわからない。ただ三階建程度の高さの構造体が半分程残り、もう半分が崩れて瓦礫となっている、そんな廃墟だ。
クロウの魔導艇はその中に入り込んで止まっている。
艇首の銃口を四方唯一の出入り口に向けており、横に伸び出た抑制翼からは分厚い帆布が吊り下がっている。帆布で囲われた空間には青白い光を放つ携帯用魔導灯が一つ。一日で砂塵に塗れになった艇体とその近くに広げられた寝具代わりの布と諸々が詰まった布袋を照らし出している。
しかし、搭乗者であるクロウの姿はない。
彼は廃墟の外に出て、星空を見上げていた。
手にしている方位磁針と天測暦、更には天体観測用の天測器。砂海を旅する為に必須となる技術を使い、現在地を割り出そうとしている最中であった。
クロウは方向を確認して、目当てとなる星を探す。
「ダ・ドラッセ……、よし」
周囲よりも一際輝く青い星を観測して、天測器が示す数値を手帳に書き込む。
「レザンテは……、あれか」
時計を確認して、赤い星の高度角を測り、再び手を動かす。
「最後に、ヴェザリギウス。えーと、………………見つけた」
こうして全ての観測値を記入し終えると、今度は計算表をぺらぺらと捲る。指で該当する数値を確認しながら新たな数値を書き込み、間違えないよう計算式を横目に見ながら計算をして、その結果を綴っていく。
作業の様子を興味深げに見ていたミソラは感心して言う。
「意外と様になってるじゃない」
「笑わすなよ。本職の人のを知ってたらな、比べる事すらおこがましいって奴だ」
クロウは顔を上げないまま応じると、再び計算表を見て間違いがないかを確認。大丈夫そうだと見るとその場に座り込み、小さな魔導灯を薄く灯す。それから携帯用の砂海図を広げて実測の結果を示す線を書き加えていく。
「あー、やっぱりなぁ」
少年は肩を落とす。
既に書き込まれていた予定航路及び現在の推測位置と、新たに書き込んだ実測の結果位置とが、彼が想像していた通りに、あるいはそれ以上にずれていた。あまりにあまりな結果に気が重たくなる。けれども、直ぐに首を振って地図を睨んだ。
これは邪魔をしない方がいいかと、小人はすぐ近くの瓦礫へと飛び移った。そして、視線を転じて夜空を見上げる。
色取り取りの星が煌めいている。
彼女が知っている空はここまで星は見えなかった。いや、それどころか人工の光に満たされて、夜が夜と思えない世界だっただけに、星の光を見た覚えはほとんどなかった。
自然、記憶の中の世界に懐かしさと寂しさを覚え、目の前の世界に美しさと侘しさを感じる。
その感慨から、どちらが人という存在にとって良いものなのか、なんて風に哲学的な思いに駆られる。が、次の瞬間には自分の柄ではないと口元を歪めた。
それよりもと、ミソラは腕組みをして、少年に目を移す。
仄かな光の傍、難しい顔で砂海図に明日の予定を書き加えていた。
ただ、その顔、いや、その存在が生み出す雰囲気は、アーウェル行きの前後で異なっている。
小人は心の内で、弟のような存在の変化について考える。
具体的に何が変わったかと問われると彼女も答えるには少しばかり困る。ただ漠然とした印象ではあるが、とにかく大人になったというべきか、なんとなく達観したような風情が垣間見えるような気がする、としか言えないのだ。
当初、この変化の理由として、男にとっての一大事でもある、女でも知ったのかと思った。だが、自身の助手との接し方を見るにどうにも違うようだった。
では、何が原因なのか?
気にならないかと言えば、気になる。
いや、ただ気になる程度ではなくて、とてもとてもとても気になっている。
けれども、本人が口にしない所を無遠慮に聞くというのもどうかという思いがある。身内扱いをしていても、中々に口に出せないこともあるのだ。
ミソラは少年をじっと見つめる。
当人は視線に気づかず、唸りながら製図器具で距離を測り、線を引いている。
もっとも、その横顔は見苦しさを感じさせるようなものではない。無論、数多の女に持て囃される様な美麗さもないが……。
ただ、無駄なく引き締まっているし、真剣そのものの目で地図を見つめていて、中々に見れる。見る目がある女ならば放っておかないであろう、男らしい顔というべきか。
くろうのくせになまいきな。
なんて理不尽な思いすら、小人の胸に生まれてくる程である。
視線に気が付いたのか、唐突に少年の目がミソラに向けられた。
力強い輝きを帯びた瞳に、小人は引き込まれるような感覚を覚える。
あー、こいつ、女殺しになるかも……。
「なんだ? 腹でも減ったのか?」
とはいえ、発せられた言葉は残念そのものだった。
ミソラは今まで感じたモノはきっと間違いだったのだろうと、これ見よがしに溜め息をついて、露骨に呆れた表情を見せる。
「クロウ、あんたが女にモテるかモテないかは、中身にかかってるわよ」
「は? な、なんだよ、いきなり」
「女としての助言って奴よ。それよりも、明日の針路は決まった?」
「あ、ああ、一応な」
そう答えて、クロウは砂海図を指し示す。
実測に基づく現在地から線がのび、ある地点から角度を変えて次の線が引かれている。それらの傍らには、方位と距離が書き込まれていた。
ミソラは記入された数字を眺めつつ訊ねた。
「どう? 明日には着けそう?」
「ああ、昼過ぎには着くはずだ。……さっきの天測が間違いなく合っていて、かつ、書き込んだ線通りに進めればな」
「まま、そこは気楽に考えましょう。いざという時の為に食糧は五日分程は持って来てるし、水だって私が作るから、多少の失敗は大丈夫よ」
「了解了解、頼りにしてますよ。おねーさん」
「そうそう、頼りになさい。……それにしても、こうやって天体を観測して現在地を確認したり、地図を使って旅程を構築するなんてのを見てるとさ、文明が崩壊したんだなぁって、つくづく思い知らされるわ」
クロウは小人の言葉に興味を引かれて続きを促す。
「そうなのか?」
「うん。……あ、いや、海の船に関しては似たようなものだったらしいかな?」
「ふーん。ってことは、その辺りから今に繋がったのかな」
「でしょうね」
ミソラは微笑んで頷く。それからまた続けた。
「けど、少なくとも陸っていうか街中っていうか、とにかく人が住んでいる所だと、そういうことは必要なかった。どこに向かおうにも案内表示がそこかしこにあったし、ほら、前の発掘で見つけた個人用の携帯端末とかを使えば現在位置もすぐに知れたし、行きたい所へも道案内してくれたから。普通に生活をしていたら、まず迷子になることなんて考えられなかったわ」
「はー、便利だったんだなぁ。でも、位置を知るってどうやって?」
「人工衛星、簡単に言うと宇宙に浮かべた通信機を使ってよ。……ま、詳しい話は置いて、クロウがやってた天測に似た方法かしらねぇ。それがいつでもどこでもできたって感じ」
少年の口からは、へぇと感心した声。
けれど、次の瞬間には、少し表情を曇らせて口を開いた。
「なぁ、ミソラ」
「なに?」
「それだけの技術があったのに、なんで今みたいになったんだ?」
そう言って、彼は少し離れた所にある膨大な瓦礫の山に目を向ける。
「どうして、こんな風になったんだ?」
「それって、断罪の天焔のこと?」
「ああ」
クロウは孤児院での教育で、往時の文明の強大さを聞きかじっている。
曰く、宇宙と地上を行き交う船があった。曰く、海中に大都市を築くことができた。曰く、雲に隠れる程の高層建築が立ち並んでいた。曰く、大陸の端から端まで一日の内で移動できた。曰く、どんな病気も根本から治すことが可能だった。曰く、食べる物に困ることなく飢えを知らなかった。曰く、誰もが平等に生きることができた。曰く、砂漠を緑地へと変えることができた。曰く、地下数アルトにまで都市機能を構築した。
当時はどこまでが本当なのかはわからなかった。
だが、これまでのグランサーとしての活動や地下遺構の探索、今日の昼に見た光景……一続きに続いている廃墟の大きさやそれを構成するモノが三百年以上の風化に負けずに残っていたこと、更には当時を生きた記憶を持つ小人の話を聞くに、ほとんど全てが本当だったということがわかる。
それ故に、彼はわからない。
そんな社会が何故に崩壊してしまったのかが……。
ミソラは星空を眺めて、軽く応えた。
「どうしても避けられなかったか、どうしようもない馬鹿だったかの、どちらかでしょうね」
「それはどういう?」
「今のは私の感触。正確な所は、その時の記憶がないからわからないわ」
「調べたりは?」
「したわよ。私だって気になったもの。だから暇な時に残ってる資料を探してみたけど、見つけ出せなかったっていうか、どうやら意図的に表に出してないみたいね」
少年はどういうことだと首を捻る。
小人もまたどう言ったらいいかと呟いて頬を掻く。
「取りあえず、崩壊した理由を表に出したくないって人が一杯いるってことと、今から話すことは私の推測にすぎないって事を覚えておいてね」
「ああ、うん」
クロウの頷きを得て、ミソラは語り出す。
「さっきも言ったけど、私が推測するに考えられるのは二つ。一つは逃れようのない災害が起きた。もう一つは人同士の争いが決定的な破局を招いたって奴ね」
少年は黙って続きを待つ。
ミソラは頭の中で話す内容を整理しつつ言葉を紡ぐ。
「一つ目の逃れようのない災害っていうのは、この星……アルテトラ全体に影響するような巨大な地震とか大きな隕石が降って来たとか、そういった辺りかしら。んでもって、例の大災禍を表すのに天焔なんて言葉が使われてるから、隕石が降ってきたって方が可能性が高いかな」
「隕石って、あれ……、宇宙の星が落ちてくることだったよな?」
「あー、実際に今見えてる星が落ちてくる訳じゃなくて、小惑星ってごっつい岩の塊……、ほら、昼に見た壁みたいな廃墟、あんなのか、それ以上に大きいのが落ちたって感じ?」
「そ、それはまた、恐ろしい話だな」
昼に見た大廃墟が空から降ってくる。
そんな光景がクロウの脳裏に浮かび上がる。
当然の如く、身震いした。
「な、なら三度焼き尽くしたってのは?」
「うーん、単純に三つ位が連続して落ちて来たんじゃない?」
適当な返事であったが、クロウには絶句物である。
ミソラは少年の固まった顔を見て笑い、また話し出す。
「という訳で、空から巨大なモノが降って来るなんて恐怖以外のなにモノでもない。しかも、それは実際に体感したことだから、また起きるかもしれないって感じで尚更。だから具体的な所をぼやかしてっ、人の記憶から抹消しようとしたってのが理由でしょ」
「な、なるほどなぁ」
少年は引き攣った顔で夜空を見上げる。
これからは綺麗だなとは、単純に思えなさそうだった。
「後二つ目だけど……、聞く?」
「ど、どうせ、碌でもない話だろうけど、聞いとく」
「いや、おねーさん、無理しなくてもいい気がするけど?」
「いや、こうなった理由は推測でもいいから聞いておきたい」
顔は強張っていたが、それでもクロウは答えを求めた。
ミソラは意地を張る少年の姿にまた笑い、口を開いた。
「二つ目は人同士の争いが発端。ここに住んでいるとあまり実感がないでしょうけど……、昔は帝国や同盟みたいな国が幾つもあったわ。で、その国……国家だけど、人同士に相性があったり好き嫌いがあったりするように、国家にもそういったものがあるの」
「そういうものだったのか?」
「ええ、そういうものよ。だって、国家って言っても結局は人の集まりだからね。まぁ、ゼル・セトラス域に住んでいたら、今一わかりずらいかもね。ここの都市や開拓地は個々が離れている上、それぞれが独立した統治機構を持っているから。けど実際、ゼル・セトラス域の都市にしても、組合って存在でもって緩やかだけど根本で連携しているから、一つの共同体……、一種の国家的な存在とも言えるのよ」
そういうものかと思うと同時に、アーウェルで世話になった老船長が言っていた言葉を思い出す。
自分の後ろにはゼル・セトラスに住む者達全てがいることを常に自覚しなければならない。
つまり、あの言葉には今ミソラが言った意味合いもあるのだろうと、得心がいった。
ミソラの話は続く。
「で、国家間の相性や好悪に戻るけど、そうなる要因は実に色々よ。政治的な思想の対立や経済的な利害の不一致、宗教や文化的な違いから生じた精神性の相違、歴史を背景とする地域や民族間の軋轢、とまぁ、単純に幾つか挙げてみたけど、現実は種々様々な要素が複雑に絡み合って生まれてくるわ」
クロウは己が遭遇したアーウェルでの騒乱について思う。
あれも分解して行けば、そういった要因に仕分けることができるかもしれないと。
「なーんて難しそうに言ったけど、国家が人の集まりであることを踏まえると行き着く所は個々の人の事情。人同士の軋轢や争いが拡大したにすぎない。でも、その結果が、世界を滅ぼすに足る致命的な大破壊を生み出してしまった。……文明社会の破局ね」
「その、直接的な原因は?」
「んー、幾つかの国が持ってた大量破壊兵器……、とにかく物騒で恐ろしいモノを使って、地上全てを焼き払ったんでしょ。それが三度って事は、単純に最初の一撃、それへの報復、そのまた報復って感じ?」
そう言われてもどのようなものなか、少年には想像もつかない。
ただ、教習所で教えられた言葉が頭に浮かんでくる。
力とはただそれだけでは意味を為さない。繰る者の意思を得ることで始めて、守る力にも圧する力にもなる。
そう、老教官の教えにある通り、力がどう振るわれるかは人次第。それが強大な、それこそ世界を滅ぼせるような力であっても、人の手に、その意思に委ねられるということは変わらない。
ならば、今のミソラの言葉が仮に正解だった場合、こんな世界になったのは?
その答えを小人が口にした。
「人類は自ら選んで滅びの道を突き進んだ。その結果が今に繋がるってことね」
「なんていうか、それが本当だったら、当時の人をぶん殴りたいし、自分が人であることも情けなくなるな」
「そそ、だから隠したいの。自らの手で人類という種を処刑台に送ったという罪を、人という種族が自分達で思ってる程に利口じゃないって事実をね。ついでに付け加えると、頑張って社会を再建しようとしている最中、しかも甲殻蟲に圧迫される苦境にある中で、自分達の愚かさを直視するなんてことしたら、人も社会も壊れかねないわ」
よっぽど心身や信用が強靭じゃないとねと言い添えて、ミソラはクロウの顔を見つめる。
「どうだった、私が推測した仮説は?」
「知らない方がいいこともあるってことが、よくわかった」
「うんうん、それがわかればよろしい。後、わかってると思うけど」
「ああ、誰にも言わない。……はぁ、しばらく怖い夢を見そうで気が沈む」
「ぬふふ、なんならおねーさんが添い寝してあげよっか?」
「いや、それは寝返りうったら潰れそうなんで遠慮しとく」
おぅおぅ、おねーさんの好意を足蹴にするたぁ、どういうつもりだぁというミソラの強い声を聞き流して、クロウは魔導灯を消して立ち上がった。
美しい星空を見上げても、今はあまり慰めにならない。
そのことに一抹の後悔を感じる。
が、それだけではない。
仮説とはいえ、今の世界に至る理由を知ることができた知的な満足感もあった。
そんな気持ちで天測道具一式を拾い上げると、ミソラが右肩に飛んできた。
このぉとの言葉と共に、頬に拳を当ててぐりぐりと捻じり込んでくる。
先程まで講釈をしていた存在と同一とは思えない態度だ。
クロウは痛みに耐えながら逆に頬を拳に押し付けて、小人を圧迫する。
ぬぐぐと呻きが上がった。
自分の行いに奇妙な可笑しさを覚えるも圧力は緩めない。
そして、心の内で思うのだ。
明日でエル・ダルークに辿り着く為にも心身をゆっくりと休めなければならない。意地になって両手で来るおねーさんが大人しくしていればの話だが、と……。
より一層力を加えている自分を棚に上げて、クロウは一晩の仮の宿に向かって歩き出す。
そんな少年を追い越すように、南からの風が吹き抜けていった。




