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魔導黎明記  作者: 綺羅鷺肇
6 踊り子は薄明に舞う
54/96

八 暁に涙枯れて

 東市門では混乱が広がっていた。

 市門で事故が発生し、直後に爆発が起きたかと思えば、市街地で立て続けの爆発。これで混乱するなという方が無理な話である。

 その為、市門周辺には何が起きたかを理解できずに呆然とする者、爆風に吹き飛ばされて火傷や怪我を負った者、屯所から出てきたがどうすれば良いかわからず右往左往する者、街の様子に気が付いて動揺する者といった具合に、各々が自失の態を見せている。


 東屯所の長たる青年大尉が屯所から飛び出してきたのは、そんな状況の中である。


 そして、現場の惨状に息を呑んだ。


 鼻につく焼けた臭い。


 赤く燃える炎。


 黒い煙。


 焼け焦げた壁。


 見るに堪えない亡骸。


 頑丈な門扉も支柱を破壊されたのか、微かに傾いでいる。


 大尉が強張った顔で被害を把握する間にも、爆発に遭遇した者や広場に出てきた将兵から戸惑い怯える声が次々に届く。


「た、大尉! ら、ラーズ少尉が、ば、爆発でっ!」

「軍曹! しっかりしろっ! ゲゼル軍曹っ!」

「ま、街がっ! 街がっ!」

「い、いやだ! こ、こんな所で死にたくない!」


 耳に入ってくるのは現状を認識しようと懸命な声、混乱しながらも他者を気にする声、自分の身を第一に考える声。


 人は極度の混乱に晒されると、その者の生来の本質、或いは作り上げてきた性質が表に出てくるのだろう。


 では、はたして自分はどうなのだろうか。


 頭の片隅でそんなことを考えながら、大尉は息を吐き出して眼鏡を押し上げる。傍らに人の気配。おそらくは付き合いの長い曹長だろうと思った。


「静まれぇぃっ!」


 強烈な叱咤が轟く。案の定、大尉がよく知る曹長の声であった。大きく迫力ある号令が続いた。


「気をぉっつけぇっ! 総員、傾聴せよっ! バローネ大尉!」

「ああ」


 深く息を吸う。見れば、半数近い者達が条件反射を起こしたように号令に従って姿勢を正していた。


 声に震えが出ないかが不安であったが、青年は勇を奮って大声を出した。


「総員に告げる! 東市門及び市街は敵性勢力……移民街の徒党による攻撃を受けた! 現時点をもって通常任務を中断! ザップ中尉!」

「はっ!」

「第一小隊は第二小隊の生き残りを確保! その後は水道橋付近まで下がり、即急に防衛線を構築せよ!」

「了解しました!」

「第二小隊で無事な者は第一小隊に合流! 協同して重傷者を救助し、市立病院に搬送せよ!」


 屯所から駆け出てきた若い少尉を認めて、声を掛ける。


「ハネル少尉!」

「も、申し訳……」

「言い訳無用! 貴様の第三小隊は各防御塔に入り、明日夜明けまで絶対閉鎖! この馬鹿騒ぎを嗅ぎつける蟲共の襲撃に備えろ!」

「は、はいっ、わかりました!」

「衛生分隊と主計班は全ての医療品を持って市立病院へ向かい、院長の指揮下に入れ! 工兵分隊及び整備班は武器庫より運べるだけの火器弾薬を運び出し、第一小隊に合流! 水道橋付近に遮蔽物を構築せよ! 本部通信班はドラン曹長の下へ集合!」


 そして、街を見やる。街並みを照らす赤光。薄暗くなった空を染め、立ち昇る黒煙を浮き上がらせていた。


「貴様らの後ろには、守るべき者達がいる! 決して、そのことを忘れるな!」

「総員! 行動にかかれ!」


 動揺は残ってはいたが、それでも隊員達は命令に従って動き出した。


 場に残った大尉と曹長は小さく言葉を交わす。


「お見事です」

「これまでの曹長の薫陶のお陰だろう。……それで、猶予はどれ程あると思う?」

「そう多くはないでしょう。後三分、いや、一分もすれば、攻めてくるかと」


 青年大尉は希望のない言葉を受けて、眉間の皺を深くする。


「ふざけるなと言いたい所が、確かに俺が連中であったなら、そうするだろうな」

「ええ、こちらが態勢を立て直す前に、です」

「……時間稼ぎが必要、か」


 時間稼ぎ。

 そう、時間稼ぎである。市街の状況を考慮すれば、援軍はあまり期待できない。故に東市門の部隊は急いで迎撃態勢を構築する必要がある。

 しかしながら、耳にしている敵の数は多く、態勢の立て直しが間に合わなければ、蹴散らされる可能性があった。


 ならば、どうすればいいのか。


 その答えは既に大尉の頭にあった。


 ぎりりと歯が鳴った。大尉の遅れてきた怒りの発露であった。


「曹長、連中にこれ以上の武器を渡せん。武器庫を爆破する」

「それは自分と本部班が行きましょう」

「任せる。……後、本部と南屯所へ伝令を走らせろ。東市門は徒党による攻撃で機能を喪失。防衛隊は水道橋付近で防衛線を構築するが至急の援軍を求めるとな」

「了解しました」


 そして、再び大きく息を吸う。肉の焦げる臭い。不快そのものであったが、慣れなければならないと更に息を吸う。否、そんなことは些細なことなのだ。青年はこれから最後に残る戦力へ命令を言い渡さなければならない。


 後方から声が聞こえてきた。


「バローネ大尉、自分はどうすればいいですか?」


 くぐもった響きを帯びた、まだ若い声。


 青年の心が振り向きたくないと叫ぶ。だが、それでも意を決して大尉は振り返った。


 そこには一機の魔導機の姿。唯一、東屯所に配されていたパンタルの姿があった。


 大尉の指揮官としての思考が冷徹に命令を出せと命じれば、こんなことは認められないと人としての心が泣いた。


 結果、青年大尉の口はただ平静に言葉を紡いだ。


「ラント伍長、貴様には門の死守を命じる。防衛線構築まで、時間を稼げるだけ稼げ。連中を、移民共を通すな」

「……了解です」


 返答までの微かな間に、年少の伍長は何を思ったのか。


 その思いが頭をよぎった瞬間に、大尉は口を開いていた。


「伍長、誰かに伝えたい言葉はあるか?」

「ありがとうございます。では、母に……、自分を産んでくれてありがとう、あなたの息子として生まれてきて幸せでした、と」

「……わかった。必ず伝える」


 しっかりと頷き応えると、パンタルの展視窓越しに若い顔が微笑んだのがわかった。自分よりも七つ八つは若い顔だ。


 それから、ただ一機の魔導機は大鉄棍と大盾を手に、炎けぶる市門へと歩き出した。


 その背をじっと見つめて、青年は呟く。


「ちくしょう。……俺は移民共が為した悪行と、人に死ねと命じた事を、生涯忘れんぞ」


 静かに震える声を耳にしても曹長は何も言わず、ただ集まってきた班員達へと素早く指示を出し、屯所へと入って行った。



 同じ頃。

 港湾と市街とを繋ぐ南市門もまた騒ぎが生じていた。


「お願い! うちの子をっ! うちの子を探してぇっ!」

「親父が瓦礫の下敷きにっ! 頼む、誰か助けてくれ!」

「へいたいさん、かーちゃんが、かーちゃんがっ、うごかないの!」


 先の爆発から逃れた市民が次々に内広場に集まり始めたのだ。

 混乱を収めようとする南市門の歩哨や避難誘導を始めた兵士達に、着の身着のままの人々が口々に叫ぶ。連なる顔に浮かぶのは恐慌と悲痛、疑問に混乱、それらを縁取る動揺である。やがて、人々の声は怒号と泣き声を伴うようになり、広場はより騒然とした空気へと変じていく。


 南市門脇の屯所に辿り着いたクロウも、広場に満ちる心削られる叫びを耳にした。自然、脳裏に故郷を失った時の記憶が甦り、表情を硬くする。だが、数人の将兵を従えた中年の佐官を認めると、心に残る古い傷痕から目を逸らした。


「市軍少佐のヴェルデだ。援軍要請受諾に感謝する、エンフリード殿」

「いえ、当然の事です。それで、自分は何をすればいいですか?」


 口髭を生やした少佐はクロウの言葉に頷き、淡々と応じた。


「今はこの場の警護をお願いする。以後の事については、ソレル少尉」


 随行者の一人、二十代半ば程の将校が進み出た。


「この者の指示に従ってほしい」

「了解です」


 クロウの返答に頷くと、口髭の少佐はもう一度よろしく頼むと言い置いて去って行く。その後ろ姿を見送れば、移動する間にも矢継ぎ早に指示を出しており、切迫した状況であることが伝わってくる。


 眉根を曇らせた少年の耳に、少し高い声が届く。場に残った少尉の声であった。


「南屯所本部通信班のソレルであります」

「公認機兵のクロウ・エンフリードです。自分はどこに行けば?」

「いえ、その前に兵装を整えましょう。こちらへ」


 クロウは今更であるが、手に得物を持っていないことに気が付いた。自分もまた気付かぬ内に慌てていたらしいと呆れ自嘲する。が、それは表には出さずに先導する少尉に付いていく。


 向かった先はクロウも出入りしていた魔導機格納庫であった。

 機兵隊の半数以上が遠征軍に参加していることもあって、格納庫の中は空間が目立つ。しかしながら、そういった寂しさを吹き飛ばすように慌ただしく動く機体があった。防災隊や工兵隊が保有する特殊仕様のラストルだ。


「防災隊が出動するぞ! 第一が中央通! 第二が外周路だ! 防災機は各分隊に一機ずつ随行! 支援に当たれ!」

「魔導工兵分隊に出撃命令が出た! 第一班は防災隊を支援! 第二班は市門周辺に陣地構築だ! 急げ!」


 パンタルよりも一回り大きい防災機が二機、整備兵の誘導に従って進んでいく。それに続くように、分厚い前面装甲を備えた四機の工作機も動き出した。

 クロウはそれを邪魔せぬように出入口の脇に退く。共に並んだ若い少尉が硬い顔で口を開いた。


「今の内に、こちらが把握している状況を説明します」

「お願いします」

「はい。現時点において、市街で発生した爆発は八回。最初に東市門から始まり、続く形で市街各所で断続的に発生しました。どのようにして爆発が発生したかや具体的な場所までは把握し切れていません。ただ監視塔からの報告により、この爆発による被害が大きいと見られるのは、南市門近くにある繁華街と中央通及び東西通、特に市軍本部近く……、いえ、本部内で爆発が起きた気配もあります」


 少年は知らされた状況に思わず呻く。その間にも簡単な状況説明は続いた。


「市街での爆発は地下通路で多く発生しており、現場付近では天井や壁の崩落が発生しているとの情報が多数入っています。本部との連絡線が切断されていますし、街路も寸断されている箇所があると考えられます」


 ニコラの姿と取り乱したラウラの姿が思い出される。

 だが、自分は機兵であるという意識が個人的な思いを胸の奥へと沈めていく。そして、気になっていた点を訊ねた。


「この騒動……いえ、攻撃を仕掛けた相手について、なにかわかっていることは?」

「今日の昼過ぎ、本部から移民の動向に注意を払うように警戒情報が入って来ていたことと、東市門が一番最初に攻撃を受けた事実を考えますと、移民街の徒党である可能性が高いと見られます」

「移民街の徒党、か」


 最後の一機が出ていくのを見届けると、クロウ達は格納庫の中に入る。そして、パンタル用の兵装が並ぶ一画へと向かった。大剣、大鉄槌、大盾、大戦斧、大鉄棍、手斧、大鉈といった見知った武具の数々が立てかけられている。


 どれを持つべきかと見定めるクロウを助けるように、少尉が声を上げた。


「エンフリード殿、先の話の続きですが、徒党が武器や爆薬、それに魔導機を入手したという情報があります」

「魔導機まで……、向こうが持つ機種や数はわかりますか?」

「はい。情報では、ラストルが五機、ゴラネス一四型が三機、ボルス・ディアが二機とのことです」

「合わせて十機。対魔導機戦を考えると……」


 クロウは淡々と呟き、迷いなく大剣に手を伸ばす。分厚い剣身が鈍く光を返した。



 東市門の外広場では早くも戦闘が始まっていた。

 市門前に立ち塞がるパンタルが大盾と大鉄棍を駆使して、攻撃を試みる三機のラストルを寄せ付けない。

 今も真正面のラストルによる大戦斧の一撃を大盾で受け止め、側面に回り込もうとした別の一機に大鉄棍を繰り出す。相手が慌てたように引き下がったのを認めるや、今度は大盾に注力して正面の敵を押し返す。正面のラストルが堪らず後退したのを受けて、得物での追撃を仕掛けようとする。しかし、残りの一機が攻撃姿勢に移った事から即座に後退して武器を向けた。


 三対一での状況にあっても拮抗する、堂々たる戦いぶりである。


 だが、その間にも広場には銃火器を手にした移民達が集まってくれば、大盾を手にしたゴラネスが迫って来る。更には、ゴラネスやラストルを圧倒する存在感を持つ魔導機、分厚い装甲を有するボルス・ディアまでも現れた。


 そのボルス・ディアに乗り込んだ中年の首領は狭い展視窓越しに門前での戦いを認めて、不機嫌そうに口を開いた。


「ちっ、手こずってやがるな。おい、二匹目を……、いや、残り全部を一気に突っ込ませろ!」


 へいと応じる声を聞き流して、首領は戦闘を見続ける。


 パンタルは大盾で攻撃を弾き、長大な鉄の棒を自在に操って、ラストル(彼の部下)の攻撃をあしらい続けている。その様が不愉快で、首領の血走った目は更に赤さを増した。


「無能共めっ、こんな所でぐずぐずしてる暇はねぇンだぞ!」


 いらいらとしながら見守る中、一機のラストルが不用意に足を止めた。次の瞬間、操縦席に大鉄棍が吸い込まれるように突き刺さった。ガラスの割れる甲高い音が響き、そのラストルは急激に力を失って膝から崩れ落ちていった。

 他の二機は動揺するように後退り、そのまま競うように後ろに引く。取り囲む移民から罵声と嘲笑が飛んだ。それらが己に向けられているように思えて不愉快さが増せば、そうなった原因たる部下の不甲斐なさにも怒りが沸いてくる。


かしら! 準備出来やした!」

「だったら、すぐにやりやがれ!」

「へ、へいっ!」


 怒鳴ることで不快感を少し発散させた後、再びパンタルを見る。大鉄棍を一振りして、大盾を構え直していた。

 その自然な動き……燻る炎と魔導灯の灯火によって浮かび上がった魔導機の、まるで彼や手下達が為すことを歯牙にもかけていないような、そんな優雅さすら感じられる動きにむかつきといらだちを覚えて、ただただ歯ぎしり。それに伴い、口元や頬も引き攣ったように震える。それがいつしか全身にまで力が篭ってしまい、彼が乗り込む機体も振動し始めた。 


 だが、その動きが俄かに止まった。


「おらおらっ! 死にたくなけりゃ、どきやがれぇっ!」


 耳に届いた大声と地響きに、首領は笑みを形作る。


 未舗装の道より三台の荷車。群衆が注目する中、三方から爆薬を乗せて突っ込んでいく。向かう先は当然、東市門。その前に陣取るパンタルだ。


 首領の凶相が愉悦に歪む。

 生意気な障害が荷車を避ければ、どこまでも暴走して市内のどこかで爆発を起こすし、逆に避けなければ、木端微塵に跡形もなく吹き飛び、市内への道が開けるだろう。


 御者が飛び降りた。


 三台の荷車は速度を落とさぬまま、腰を落としたパンタルへ向かっていき……、一台は大鉄棍の一撃でコドルを屠られ、一台は大盾に激しく衝突し、最後の一台が得物を振るって開いた右脇腹に突き刺さった。


 悲鳴のような破砕音。


 だが、それでも魔導機は一歩も下がることなく、その場で全てを受け止めて見せた。


 そして、爆発。



 爆音を耳にして、クロウは機体を東へと向けた。

 見れば、紺青の空が臙脂色を帯び、黒煙が立ち上っていた。


 新たな攻撃だろうと表情を硬くして、視線を南市門の内広場に走らせる。

 避難してきた市民達が不安そうに東の空を見つめていれば、その周りでは歩哨や兵士達が避難誘導や周辺警戒に当たっている。地下通路の出入り口からは防災隊員達が担架で救助者を運び出し、大急ぎで張られた天幕では軍医や衛生兵が負傷者の治療に勤しんでいた。


 そして、クロウが警戒に立つ北寄りの場所では防災隊の仮設指令所が設けられ、被害状況をしようと現場と連絡を取り合っている。


「こちら一分隊地下班! 繁華街への出入り口付近が崩落! 一号機と魔導工兵が除去中だが、粉塵が酷い!」

「第二分隊地上班です! 外周道から旧壁通りに入りましたが、五番塔付近に穴が開いていて、これ以上は進めない!」

「こちら第一分隊地上班! 一番塔が倒壊している! 周辺に負傷者が多い! 至急、救命隊を回してくれ!」


 クロウが市街を見れば、確かに風の塔の陰影が一つ見えない。


 不意にルイーザ(エルティアの母)の事を思い出して、あの優しげな雰囲気を持つ人は無事だろうかと表情を曇らせる。ついで、眼鏡をかけた少女の泣き顔が脳裏を過ぎった。そんな見たくもない想像を首を振ることで振り払い、大きく息を吸う。


 今この時、魔導機に乗る自分がなにもできない。なにも手伝えないことがもどかしい。


 無論、クロウは自分がこの場にいることで避難者に安心を与えることができるということはわかっている。だが、この非常時に動けないというのも、心に負担が掛かるのだ。

 じりじりとした心を持て余す間にも、南市門から半装軌車が入ってくる。救命隊と荷台の幌に書かれたそれはそのまま人々の間を抜け、中央通を北へ走って行く。


 そこに再び大きな爆発音が東から伝わってきた。先程よりもかなり大きな音が複数回に渡って続く。


「きへいさん」


 爆音の中で、聞き逃しそうな小さい声が聞こえてきた。

 慌てて周囲を見渡せば、顔を煤で汚した幼子の姿が近くにあった。周辺に親の姿は見えない。はぐれてしまったのかと困惑し、言葉を掛けようとする。


 その直前、その子どもは目に涙を溜めたまま、クロウに問いかけた。


「きへいさん、ぼくたち、しんじゃうの?」


 思わず息を呑む。

 信じるべき世界が壊れた時の自分が、故郷を失った日の、かつての自分がそこにいたのだ。


 けれど、機兵としての自覚が少年の内に生まれた動揺を完全に抑え込んだ。


 クロウは当然の事を話すように答える。


「大丈夫だよ。皆が頑張っているから、これ以上は誰も死なないよ」

「ほんとう?」

「ああ、本当だよ」


 少年はただ静かに嘘を付き、幼子に促す。


「だから、今は、父さんや母さんがいる所に戻らないと。きっと君のことを探しているよ」

「うん」


 幼子は乱暴に涙をぬぐい、避難民が集まる場所へと駆けていく。

 それと入れ違うように、若い少尉が走ってきた。先と異なり、防護兜(ヘルメット)を被っている。厳しい顔をした青年少尉は弾む息もそのままに話し出した。


「エンフリード殿! 東屯所から、援軍要請の伝令が、来ました! 南屯所から、一個分隊を援兵に、派遣することに、なったのですが、機兵も必要だと、いうことになりまして」

「了解です。それは今すぐに?」

「はい、即急に、東屯所に向かいます。こちらに!」


 指し示した場所には軍用の半装軌車。八人程の兵が乗っており、全員が防護服や防護兜を被り、機銃や小銃を装備しているのが分かった。

 クロウも前を走る少尉を追うように移動を始める。途中、周囲にいる避難民の耳目が自分に集まるのを感じた。そんな彼らを安心させる言葉の一つでも言えればいいのだが、生憎とそこまで頭は回らない。代わって事務的な疑問が口から出ていく。


「ソレル少尉はこの後はどうするんですか?」

「自分もこのまま同行して、分遣隊を指揮します」


 そして、若い少尉は半装軌車に乗り込むや運転士に告げた。


「軍曹、出してくれ」

「了解です」


 動き出した車両に合わせるようにクロウも歩調を速める。


 去りゆく魔導機を見送った市民の間に、ざわめきだけが残った。



 南広場を発ったクロウ達が外周路を並走する。

 薄暗い灯りと炎光に照らされた街路には避難しようとする人々の姿があった。震える身体を支え合いながら歩く少女達、血塗れでも怪我人に肩を貸して歩く男、泣き叫んで親を探す子ども、蹲り神へと救いを求める言葉を口にする老人。

 こういった心身に傷を負った人々を兵士達が広場へと誘導していれば、停車した半装軌車の傍で衛生兵が応急手当てをしている。


 それは壊された日常の残骸であり、そこから生み出された非常の姿であった。


 クロウの心に淀みのような重く暗い悲しみが積もっていく。


 言葉もないままに旧市壁を越え、麦畑が広がる農業区画に入った。


 そして、目に入った光景に自然と行き足が止まる。


 麦畑は水道橋の向こう側。炎が風に煽られて広がり、かつての平穏な姿を焼き尽くさんとしていた。


 少尉や兵士達は衝撃と悔しさに歯を噛みしめる。その一方で、クロウは炎の先にある光景に注意を向けた。


 東市門周辺は焼け焦げ、広場の北側に位置する屯所は今も激しく燃えている。

 その炎に照らし出されるように、大盾を手にした三機の魔導機が広場に並べば、その後ろにも三つの機影。更に周囲には銃を手にした暴徒の姿。

 対するは、水道橋に沿って車両を並べ、簡易な陣地を構築する市軍部隊。見る限り人員は少なく、まだ備えができたとは言い難い状況のようであった。


 クロウがどうするか考えようとした時、大盾を構えた三機が前進し始めた。


 猶予はない。


 そんな彼の頭に浮かぶのは、教習所の座学で学んだ対人戦の基本。


 相手の心を折り、戦意を挫け。


 味方の心を支え、意気を高めろ。


 人は振る舞い一つで強くも弱くもなる。


 少年は心定めて、告げた。


「少尉、先行して攻撃を仕掛けます」


 この申し出を聞いた少尉は迷う。しかし、任務を命じられた際に受けた上官の言葉……教習所上がりは状況への対応力が高いとの言葉を思い出して頷いた。


「了解です。自分達は味方と合流します。……ご武運を」

「少尉も」


 クロウは短く答えると、麦畑の中へと駆け出した。


 真っ直ぐに伸びる麦を押し分けながら走る。


 それは風が吹き抜ける音に似ているが、踏み荒らす音が決定的に違った。


 水道橋下を抜ける。


 屯所で燃え盛る炎が、行き先を紅く照らす。


 目標は大盾を構えた三機の魔導機。


 中央にずんぐりとした機体、その両脇にいつか見たゴラネス。


 圧力を掛ける為か、街路をゆっくりと進んでいる。


 それもいつまで続くかはわからない。


 今しか好機はないと足を速めた。


 心音が高まり、汗が流れる。


 研ぎ澄まされていく感覚。


 踏みしめる大地の感触。


 大剣が麦穂を刈る音。


 稀に生じる爆発光。


 焼け焦げた臭い。


 自分の呼吸音。


 迫る炎の帯。


 息を呑む。


 本能的な恐怖をねじ伏せ、乗機を信じて炎の帯へと飛びこんだ。


 赤い揺らめきが舐めるように纏わりつき、次の瞬間には焼け焦げた灰土。


 目と鼻の先に、魔導機の影。


 相手の死角(側面)へ入り込んで一息に踏込み、横手に持っていた得物を力強く薙ぎ払った。



 突然の破砕音に、大尉は目を見開く。


 彼の目に映るのは、麦畑は炎の中より突入してきたパンタルの姿。

 まとわりついた麦穂が燃えるのもそのままに、左手にいたゴラネスの胴体を横に一閃して断ち切った。かと思えば、勢いそのままに一回転して、ボルス・ディアの背中へ一撃。これを激しく打ち倒して、最後に残ったゴラネスへと体当たり。


 また装甲が砕ける音が響く。


 側面からの衝撃に耐えきれず、ゴラネスが姿勢を崩して倒れ込む。他方、パンタルは大地に足を踏みしめて耐え、大剣を天へと掲げる。半瞬後、その刃を残りの一機へと些かの躊躇もなく振り降ろした。


 鈍い破断音。

 胴体が上部から半ばまで、二つに割れるように砕けた。


 突然の出来事に静まり返った戦場で、それを為した魔導機は自分達を守るように背を向け、大剣を再び横手に構える。


 誰からともなく歓声が上がった。

 それは防衛線を構成する市軍兵士達から発せられた雄叫び。今まで自分達へ脅威を与えていた三機が瞬く間に屠られた事への賛美であり、この先への展望に希望を抱いた者達の心底からの歓喜の声であった。


 大尉もまた、意図せず感情のままに声を張り上げていた事に気づき、慌てて周囲へと命令を発した。


「じっ、陣地構築を急げ! パンタルを支援するぞ! 機銃班、配置につけっ!」



 クロウは素早く視線を走らせる。

 正面の重装魔導機……資料で見た覚えのあるボルス・ディアに大きな変化はない。その左右にいるラストルは後ずさった。後方の暴徒達は驚きと恐怖の様相を見せている者が多い。ならば、奇襲は成功したと見ていいだろう。


 そう状況を確認して、大剣を横手から突きを繰り出す態勢へと変化させた。


 赤で染まる光景全てを睨んだまま、大きく深呼吸。


 暴徒の中で銃口が動いた気がした。


 すぐに右手のラストルへと突進する。


 乾いた発砲音に飛翔音が続く。


 簡易機が腰砕けながらも戦斧を振り上げた。


 ガラス越しに見えた敵手は恐怖に呑みこまれた顔。


 機体左脇に軽い衝撃。


 焼成材が割れる音。


 大事ないと体当たりを仕掛けるように加速。


 振り降ろされる戦斧を無視し、大剣を一直線に繰り出した。


 ガラスが砕ける音。


 両の手に伝わってくる死と破壊の感触。


 血潮が舞い、飛沫が展視窓まで届いた。


 命を絶ったことへの感慨も恐怖も惑いもない。


 ただ敵の心を折る為、腰を落として大剣を斜め上へと振るい、刺し貫いた機体を暴徒達へ放り投げた。


 左の展視窓越し、逃げ惑う者達の姿。その足元に揺らめく大きな影を認めて、半歩前へ。


 得物を引き戻し、機体を反転させながら振り上げる。


 火花が飛び散り、激しい撃音が響く。


 噛み合った刃の向こうに、ボルス・ディアの姿。

 パンタルよりも一回り大きい姿は身に纏う装甲が厚い証であり、太い四肢は強力な補助動力を備えるが故である。その重装魔導機は自らが横薙ぎに振るった大剣へと、ただ我武者羅に力を加え続けている。


「なんなんだ、てめぇは……、なんだってんだっ! てめぇはよっ!」


 相手が怒りに満ちた叫びをあげるが、クロウは応じる必要はないと無視。大剣を少しずつ持ち上げることで角度を変え、相手が加える力を上方へと徐々に逸らし始める。


 それでも押し切られそうな力。


 機体の骨格や関節が軋みを上げる。


「後少しで、後少しでっ 後少しでっ! この街が、俺のモノになるはずだったっ! てめぇがいなければっ!」


 徐々に消耗していく心。


 一方で身体は熱く滾る。


「てめぇは殺すっ! 絶対に殺すっ! 死ね! 死ね死ね死ね死ね死ねぇっ!」


 目を見開いて、歯を食いしばる。


 否、無意識の内に口元が吊り上がり、獰猛な笑みが浮かんだ。


「ッぁっ! あああぁああっ! くそがっ! てめぇっ! 笑うなッ! 俺を笑うんじゃねぇっ!」


 それは彼の内に秘め隠されていた一面の発露。


 生と死の狭間で剥き出しになった男の闘争本能。


 総身が沸き立ち、活性化するような感覚に、心もまた狂喜して力を取り戻す。


 命を賭した、短くも長くも感じられる時間。


 その末。


 クロウは唐突に大剣の角度を変え、相手の剣身を一気に滑らせた。


 凶器が機体上方を抜け、空を切る。


 空振りで流れた相手の胴体、がら空きの右脇へと、クロウは大剣を叩きこんだ。

 装甲全てを割り砕く程の衝撃を受け、ボルス・ディアはたたらを踏む。その姿にまだ無力化できていないと断じ、クロウは右腕目がけて追撃の一撃。渾身の力を以て為されたそれは右肘辺りを断ち切り、胴体の半ばまで達した。


 短い悲鳴が聞こえ、途切れた。


 ボルス・ディアは足元から力を失うように崩れ、地響きを立てて倒れ伏す。


 荒々しく息をするクロウはそれでも大剣を構えて、周囲へと警戒の目を向ける。その様子を見た暴徒達は一様に恐慌をきたして背を向ければ、ただ一機だけ残ったラストルも武器を放って逃げ出していた。


 背後から歓声。


 重なり合う雄々しい叫びをようやく認識し、少年は大きく息を吐く。


 それから大剣を街路へと突き立て、市外へと逃げ出す背中を睨み据えた。



 その後、東屯所の防衛隊は東市門を奪還。

 改めて外広場に防衛線を築き上げ、移民側の攻撃に備えることとなる。



  * * *



 アーウェルを恐怖に陥れた一夜が明けた。

 朝陽が降り注ぐ中、見えてくる惨事の状況。崩れ落ちた風の塔や市軍本部の建物、道路に空いた大穴、未だ燻る炎と立ち昇る黒煙、街路に残る生々しい血痕、所々に寝かされた遺体、傍らで悲しみに咽ぶ人々。


 その中を、ラウラは心細さを抱えながら歩く。

 ただ自身の相棒を探し出したい一心で覚束ない足取りで歩き続ける。


「おぅ、娘っ子、どうでぇ?」 


 ラウラの傍には白髭を蓄えた老船長。

 彼は乗組員達に彼らの家族の安否を確かめに行かせた後、ラウラの行動に付き合っている。


「うん、まだ」

「そうか。……なら、おめぇさんが言っていた通り、地下かもしんねぇな」

「うん」


 ラウラは小さく頷き、この捜索行が始まった当初から心の片隅にあった疑問を口に出した。


「船長さんは、家族のこと、心配していないの?」

「ん? あぁ、俺の連れはよ、大分前に死んじまってる。息子も旅団に入って船に乗ってるから、気にすんな」

「でも、知り合いとか……」

「それによ、俺はエンフリードの野郎から、おめぇさんのことを頼まれたんだ。なら、あいつが戻って来るまで面倒を見るってのが男ってもんよ」


 老船長は当然のように言い切る。

 ラウラは少しだけ笑みを見せ、感謝を示すように頭を下げた。これに対して、老船長は視線を逸らして、思案するように口を開く。


「さて、地下に降りるか否かってのが問題だが……、どうするよ」

「もちろん降りるわ。私はあの子の、ニコラの相棒だもの。生きている可能性があるなら、どこまでも探すわ」

「そうか。……おめぇさんには厳しいことを言うが、結果ってのはよ、決しておめぇさんが望んだ方向に出るってもんじゃねぇんだぞ? それでもか?」


 ラウラは聞きたくない言葉を耳にして、考えたくもない想像をしても尚、何とか笑みを形作って答える。


「ええ、もちろんよ」

「よし! なら、行こうじゃねぇか。だいたいの場所ってのは予想できているんだろう?」


 踊り子は頷き、地下通路の出入り口へと歩き出した。



 二人が降りたのは、繁華街近くの封鎖されていない地下通路。

 とはいえ、爆発の影響を受けた為か、通路の灯火は少なく薄暗い。焼け焦げた臭いが鼻につく中、二人は進む。その足元には様々なモノが散乱している。崩れた瓦礫、買い物かご、魔導灯、ガラスの破片、子どものおもちゃ、何かの燃え殻、誰かの血の跡。


「ひでぇもんだ」

「うん」


 ラウラは言葉短く応じて、いつも踊りを披露していた場所へと足を速める。


 その間にも時折、人とすれ違う。

 それは救助活動をする防災隊や救命隊の者であったり、探し人をする者であったり、遺体を運ぶ兵士達であったりと様々であるが、皆一様に沈痛な表情を浮かべている。自分もあんな顔をしているのだろうかと、ぼんやりと思いながら辻広場へ繋がる角を曲がる。


 足が震えだして、知らず知らず遅くなる。


「無理すんな。俺が見てきてやる」

「だめ! 駄目よ、私が行かなきゃ」


 踊り子は気丈に歩み出す。

 常よりも暗い中を進み、辻広場が迫る。ラウラは足を止め、祈るように声を上げた。


「ニコラッ! いるなら返事をして!」


 応えはない。

 このことに心萎えかけるも、歯を噛みしめて小さな広場へ。


「誰もいねぇな」


 老船長の呟き。

 ラウラはいつもニコラが座っていた場所に食材が入った袋が置かれているのを見つける。


 だが、ギューテや盲人杖はない。そのことから、この場所から逃げ出したことはわかった。


 生きている可能性がある。


 そう信じて、辻を構成する一つの通路へと足を踏み入れる。


 高鳴り出した鼓動。


 歩く、歩く、歩く。


 そして、崩れた瓦礫に行き先を遮られた。


 即座に引き返す。


 辻広場に戻り、残り二つの道を見やる。老船長が声を上げた。


「階段に近いのはどっちだ?」

「……こっちよ」


 ラウラは先導して、階段が近い通路へ入った。


 暗い通路を小走り気味に行く。


 大きい通りに出た。


 どこかで供給線が切れかけているのか、魔導灯が点滅を繰り返している。


 階段へ繋がる方向へ視線を向ける。


 天井に大きく穴が開き、瓦礫が積み重なって遮られていた。


「……ぁ」


 外からの光の中に浮かび上がった見覚えのある杖。


 通路に落ちているそれのすぐ傍には大きな瓦礫。


 その下から滲み出た赤黒い血溜り。


 ラウラは力萎えて膝をつき、震える手で杖を手に取る。


「……ぃゃ、ぁあっ」


 きつく胸の内に抱きしめて、絶叫した。



  * * *



 光陽が西に傾き始めた頃。

 クロウを含む南屯所からの分遣隊は、ようやく到着した本部からの増援部隊と交代する形で南屯所への帰路についていた。

 街の惨状を目にしたクロウ達に敵を撃ち払った喜びなど、どこにもない。また一晩の間、緊張状態を強いられたこともあり、身体は疲れ切っている。誰もが言葉を発することなく、静かに街路を行く。


 黙然と歩くクロウの頭にあるのは、残してきたラウラや安否がわからないニコラのこと。


 戦闘中やその後の警戒の中では忘れたように考えなかったが、今の落ち着いた状況に至っては気になって仕方がない。


 南市門の内広場に至って避難民達の姿を見ると、少年は遂に我慢できなくなり口を開いた。


「ソレル少尉、この後は自分はどうすることになりますか?」

「え、あ、はい。恐らくですが、機体の応急修理が終わるか、非常事態が解除されるまで待機ということになるかと」

「そうですか。実は……」


 と口にした所で、ラウラと老船長の姿を人々の中に見つけた。

 踊り子は見るからに悄然とした雰囲気で座り込み、傍らの船長も痛ましげな表情を浮かべている。


 クロウは思わず足を止めた。隣を走っていた車両もまた停車する。


「エンフリード殿?」

「知り合いを見つけました。屯所から離れたいのですが、可能ですか?」

「それは今すぐに?」

「可能なら、お願いしたいです」


 しばしの沈黙の後、少尉の答えが聞こえてくる。


「エンフリード殿のお陰で当市に迫っていた危機的な状況は去ったと言えますし……、ええ、了解しました。司令にも自分から言っておきますし、機体もこちらで回収しましょう。ただ報酬等の話もありますから、明日の十五時に南屯所に来てください」

「わかりました」


 クロウは通行の邪魔にならないよう、機体を市壁に寄せる。そこからは手早く降機手順を踏み、上着を羽織って機外へと降り立った。昨晩からほとんど降りなかった事もあり、陽射しと吹き抜ける風が心地よい。


 微かな解放感の中、クロウは改めて頼む。


「機体の事、よろしくお願いします」

「お任せください。軍曹、回収車が来るまで、機体の警備に二人歩哨に立てろ」

「了解しました」


 機体を兵士達に委ね、周囲に不安を感じさせたり注目を必要以上に集めたりしないよう、ゆっくりと歩き出す。


 向かう先の広場は彼がここを離れた時よりも悲しみの色が強い。これまでの救命救助活動の結果が彼らの耳に届いたが故であった。


 少年は疲れた表情を見せる人々の間を抜け、地下出入口近くにいる二人の下へ。より近くで見た踊り子の顔はぼうとした表情で、自失状態にあるようだった。


 老船長が気付き、安堵の色を垣間見せた後、小さく笑みを浮かべた。


「戻ったか、エンフリード」

「はい。少しばかりやり合いましたが、なんとか無事に」

「そいつはなによりなことだ」


 すぐ傍までやってきた少年機兵にそう応じて、足元の踊り子に視線を向ける。杖を抱きしめたまま微動だにしない姿を見る目には、哀しみと憐れみが篭っている。


「朝になってからよ、探しに行ったんだがな……」


 言葉を切り、首を振って結果を伝えた。

 それを見たクロウは、二人を見た瞬間にもしかしてと思っていたことが現実であったことに、物憂げな表情を浮かべる。そんな彼の肩を老境の男は叩き、告げた。


「エンフリード。とりあえず、落ち着ける場所にこの娘っ子を連れて行ってやんな」

「はい。……船長」

「なんだ?」

「今までラウラを見てくれて、ありがとうございました」

「ははっ、気にすんな。俺はできることをしただけだからよ。そんなことよりも、しっかりと慰めてやれ。それがおめぇの役目だろうさ。……後な、なんかあったら船に来い。市内が落ち着くまではあそこにいるからよ」

「了解です」


 ベナッティは若人の答えに頷き、ただ気張れと言い残して去って行った。


 その後ろ姿を見送った後、クロウはラウラの前で跪き、目を合わせる。


 生気のない瞳にはあの生き生きとした輝きが失われていた。


 親しい者を突然失くした悲しみは身を以て知っている。


 下手な慰めの言葉など、心に届かないことも……。


 だからこそ、そっと抱きしめて、自分の温もりが相手に伝わるように頬と頬を合わせる。


 冷たい肌は踊り子の絶望した心を表しているようで悲しかった。


「ラウラ」


 そっと呼びかけると、微かに身動ぎしたことがわかった。


「家に帰ろう」


 ほんの微かに、触れ合っていた頬が縦に揺れた。



 クロウは足に力が入らないラウラをしっかりと支えながら、西市門より外に出る。


 広がる空はその青みを薄れさせつつあった。

 道行くと自警に出た貧民街の住民達が鋭い目を向けてくる。が、相手がクロウ達であると気が付くと訝しげな色を見せ、ついで、いるべき存在がいないことと踊り子の様子から全てを理解した様に表情を曇らせた。


 ラウラの小さな声に案内されるままに進み、彼女達が住まう家に辿り着いた。


 市壁に程近い場所にある小さな家だった。


「ニコラと二人で頑張ったから、ここに住めるようになったの」


 ラウラはぼつりと呟き、クロウの手から離れた。


 自然な動作で扉の鍵を開けると、ふらふらと中に入っていく。クロウも後に続き、戸を閉めた。


 入ってすぐに台所と食堂、それに居間を兼ねた部屋。奥に繋がる扉は寝室に続いている。


 ラウラは杖を机の上に置くと、そこに置かれた四つの椅子に触れながら言葉を紡ぐ。


「この机も椅子も、二人で相談しながら買ったわ。椅子なんて二つだけでいいって言ったら、この先、誰が来るかわかりませんからって、ニコラが反論して、それで喧嘩したりして……」


 あの食器を買う時はどれがいいかあれこれ迷いながら、あの本は値引き交渉してくれて、あの花瓶の柄で揉めて、あの寝椅子の使い方で言い争って、あの服を選ぶ時には時間を掛け過ぎて呆れられて、あの寝台を買う時に高すぎると怒られて、途切れることなく、踊り子の口からニコラとの思い出が語られていく。


 その声は徐々に震え、湿り気を帯びていく。


「この杖は……」


 遂には言葉が途切れた。


 ラウラは俯き、黙って全てを聞いていた少年の胸に飛び込んだ。そして、力のない拳で叩きながら、胸の内に詰まっていた思いの丈を叫ぶ。


「ねぇ、どうしてなの? どうしてなのよ、クロウ! 教えてよっ! どうして、ニコラが、ニコラがこんな目に合うのよっ! 私達が、何か悪いことをしたの? 私達は、胸を張って生きてきたっ! 普通に生きて、明日も普通に来ると信じて、頑張って生きてきたのっ! なのに、どうしてっ! どうして、こんな目にあわないといけないのっ! ねぇ、どうしてっ、どうしてなのよ! おねがいだからおしえてよ、クロウ!」


 答える術も、答えに足る答えも持たない少年は大切なモノを包み込むように抱きしめた。


 震え怯える声が身体に響く。


「わたしが、わたしが、ニコラを、ひとりにしたからわるいの?」

「違う。それだけは、絶対に違う」

「なら、どうしてなのよ? どうして、にこらが……」


 服を握りしめる手も震え、胸に熱い雫が広がるのがわかった。


「どうして、にこらを……、おねがいだからわたしにかえして、にこらをかえしてよぅ。おねがい、かえしてぇ……」


 涙と共に吐き出される声の響きはあまりにも悲しくて、それが収まるように祈りつつ、ただ強く掻き抱く。


 哀しみ嘆く女の、傷ついた心を少しでも癒したいと願いながら。



  * * *



 夜更けのエフタ。

 組合連合会本部の一室にて、青髪の麗人が砂海東部域の拠点都市で起きた惨事についての続報を聞いていた。


「死者は三百人を超え、負傷者はその数倍にのぼる、ですか」

「暫定ではありますが、それ位の数字だろうと現地は見ているようです。休日の夕暮れ時という状況が被害を大きくしたのでしょう」


 暗部の長の淡々とした声に、セレス・シュタールは怜悧な表情で感情を隠して嘆息する。


「力、及びませんでしたね」

「申し訳ありません」

「いえ、今のは言葉不足でした。私の差配が状況に追いつきませんでした」


 そう言ってから犠牲になった人々とその縁者を悼むように瞑目した。


 仄暗い光りに照らされる美貌に陰が差し込む。

 感情を殺すことに慣れた暗部の長から見ても、はっとするような美しさがあった。


 一分近い時が流れ、セレスが目を開く。


 冷え切った感情を宿した瞳が部下に向けられた。


「これを為した者達についてはわかりましたか?」

「実行の主犯格であるモルブラード移民共栄連盟なる徒党の首領につきましては、市内で発生した戦闘にて、公認機兵クロウ・エンフリード殿が討ち取りました。その為、市軍当局と連携して先の徒党の幹部を捕縛し、情報を抜いている所です」

「彼らを支援した者達については?」

「ゼル・セトラス域内で主体的に支援を行ったと見られる者達については裏を取っている所です。数日中に結果をご報告します。域外につきましては大凡の絞り込みはできましたが、確証を見い出せておらず、今少し時間を頂ければと」

「わかりました。……今日より一節の間、優先的に探りを入れてください」

「はっ」


 暗部の長は了解した様に頭を下げると、暗がりへと下がって行った。


 部屋に唯一残るセレスは見る者に怖気を抱かせる程に凍った目で虚空を見据え、そっと呟く。


「血には血を、躯には躯を。……この地への手出し、高くつくことを世に知らしめなければなりません」


 それが、私にできる犠牲者への贖いなのだから。



  * * *



 夜明け前。

 クロウは落ち着きを取り戻したラウラと共に階段を昇っていた。


 冷えた空気で吐き出す息が白い。


「ラウラ、無理するなよ」

「大丈夫よ。昨日の夜、クロウにたくさん慰めてもらったから」


 冗談めいた口調で強がりを口をする踊り子に続いて、クロウも階段を昇り切る。辿り着いた先は屋上。明けの兆し見える空にはまだ星光残っている。ラウラ達が洗濯物干しの仕事をしていた場所であった。

 干しっぱなしの洗濯物が風に寂しく揺れる一方で、被害を受けなかった風車は以前と変わらず静かに回っている。街は暗がりに沈み、避難場所となっている広場だけが明るい。


 屋上に立ったラウラは寂しそうに干し場を見た後、振り返って告げた。


「クロウも一昨日からずっと色々あって疲れているのに、ごめんね」

「大丈夫だよ。こう見えても機兵だからな、二晩位なら徹夜しても耐えられるさ」

「あはは、そうだよね。昨日は一晩中、私のこと、ずっと抱いてくれたものね」


 明け透けに笑う踊り子。


 けれど、それがどこか無理をしているように見えて、クロウはなかなか笑えない。


 その様子を見て、ラウラの笑みが苦笑に変わる。


「クロウ、本当に、私はもう大丈夫よ。……まぁ、昨日の今日だから信じられないかもしれないけど、女ってね、男が思っているよりもずっと心が強いの。存分に泣いて叫んで思い全部を吐き出して、自分は生きていていいんだって思える程に温もりを貰えたらね、前を向こうって気になるのよ」

「確かに、そうかもしれないな」


 その言葉の全てを信じたわけではないが、クロウは笑って応じた。


 これに対して、踊り子は軽く品を作って告げる。


「でも、時々寂しくなったりするから、その時は昨日みたいに慰めて欲しいかな」

「了解、一報来たら善処しますよ」

「ぶー、なによ、それー、そこは何を置いても駆けつけるって言う所でしょ」

「なら、そういうことにしておくよ」


 気取りも遠慮もない、軽口の応酬。


 クロウは苦笑し、ラウラもまた笑った。そして、踊り子は表情に寂しさを滲ませながら言った。


「さてと、そろそろ始めるわ。……ニコラを、ちゃんと送ってあげないと」

「ああ」


 クロウが頷くと、ラウラは大きく深呼吸。


 それから、ゆっくりと身体を動かし始めた。


 それは本来ならば奏者がいるはずの踊り。


 今は静かで寂しい。


 薄明かりの下、踊り子は踊る。


 彼女が踊るのは、慰撫と葬送の舞。


 クロウが見守る中、ラウラは憶えている相棒の旋律に乗って、踊り踊る。


 愛しい人、親しい人を失った哀しみや怒りを表現するように。


 己がいかに故人を愛しく思っていたかを全身で表わすように。


 死者が残した無念と生者に残された悔いる心を慰めるように。


 生と死によって別たれても決して忘れないことを誓うように。


 どうか冥府で静かに眠ってほしいと思う生者の祈りを込めて。


 この先も生きていく自分達を見守ってほしいと願いを込めて。


 踊り子は自分だけに聞こえる旋律に乗って踊り続ける。


 目に溜まった涙を振り払い、湧き出すそれが枯れる時が来るまで、ただひたすらに踊り続けた。




  6 踊り子は薄明に舞う 了

 あとがきに込めた作者の悲嘆

 順調に書いていたはずなのに、年をまたぐ時期になるとどうしても筆を取る時間が……。

 うぅ、ねんまつねんしこわい、こわいこわい、まんじゅうじゃないけどこわい、ほんとにこないでほしいでござる。

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