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魔導黎明記  作者: 綺羅鷺肇
6 踊り子は薄明に舞う
51/96

五 機兵の本分

 第二旬七日。

 アーウェル西方の乾燥地帯にて、砂塵を巻き上げて行く船があった。

 全長二十五リュート程のまな板のような船は、船体前方に船橋を持つラーグ級小型魔導船。クロウが護衛として乗り込んでいるヴェラ号だ。

 例の運航計画が始まってより六回目の航行として、西の開拓地ドザールに向かっている最中である。


 そのヴェラ号の甲板は船橋のすぐ後ろ辺りで、クロウはパンタルの中より周囲へと警戒の目を走らせた。


 両舷主翼下の推進器が吹き飛ばしていく砂埃。細やかな粒子で織り成された薄幕の向こう側を流れる光景は、ドライゼス山脈より離れたこともあってか、不毛の色合いを増している。加えて、この辺りは廃墟や瓦礫の山も割合多い。


 瓦礫等によって生み出される物影は危険だという、グランサー時代の経験に従って、特に注意を払う。幸いにして、脅威の類は見られない。

 そっと息を吐いてから、機体内の計器へと目を向ける。特に異常を示す値は見当たらず、空調も程良い温度を保っている。ただ立ちっぱなしだけに、足がだるい。軽く動かして解すと機体も身動ぎし、甲板が微かに軋んだ。


 このまま今日も無事に終わってほしい。


 クロウが静かに願っていると、後ろで扉が開いた音。ついで濁声が響いた。


「おぅ、坊主。異常はねぇか?」


 ヴェラ号の船長ベナッティの声だ。

 彼はパンタルの前まで歩くと、甲板に積み込まれた荷を眺めながら白髭を撫でた。


 クロウはもう一度周囲を見回して報告する。


「今の所、不審な物はないです」

「そうか、結構なこった」


 ベナッティは短く言った後、歪みなく直線を形作った錆色の鉄骨に腰掛ける。身体も年季が入って硬くなっている為か、その動作は少しばかり遅い。


「この調子で、ドザールまで行けりゃいいんだがな」


 強い陽射しを受けて黒光りする禿頭を常と変わらぬ仕草で撫でた。しかし、その表情、特に目は些か厳しい色を帯びている。


 老船長の顔が厳しい理由。それは仲間の船員が発した言葉から来る。

 件の船員は初老の域に至るまで、アーウェル市軍に属する将校であった。その関係で市軍から情報を仕入れる伝手と状況を分析できる能力を持っているのだが、昨日の段階で注意を喚起したのだ。


 そろそろ賊共がわしらを狙ってくるはずだ、と。


 この言葉を聞いた時、クロウは遂に時が来たかと思い、兵装の確認をした事を覚えている。


 そして今もまた、無意識の内に腰の専用携行器に収まった二式擲弾に手が伸びていた。


 パンタルの何気ない動きに対して、ベナッティは軽く笑って告げた。


「落ち着け、坊主。どうなるかなんぞ、その時にならんとわからんこった。今は適度に緊張して、適度に間抜けとる程度でいいわい」


 どうやら自分の事を心配して来てくれたようだと判断して、ありがたく言葉に乗った。


「そうですね。まぁ、寝惚けて檣楼から落ちかけたり、慌てすぎて昇降梯子(ラッタル)から滑り落ちない程度には気を抜いときます」

「ぶはっ。……おい、坊主、それ、どいつから聞きやがった?」

「さて……、誰だったかなぁ」


 クロウは惚ける。彼が口にした二つの例は老船長の失敗談なのだ。


 それ故に恰幅の良いご老体は少しだけ怒りの気配を滲ませるが、次の瞬間にはその表情に笑みを形作った。


「おぅ、そん位だ。そん位の余裕は持っとけや」

「ええ、皆さんの話を聞ける程度には余裕を持っときます」

「そうしろそうしろ。しかし、うちの野郎共の話に付き合うなんざ、おめぇも物好きな奴だ」


 と言いつつも、ベナッティは満更でもない様子。


「あはは、色々と面白い話が聞けますし、退屈しませんからね」


 クロウも楽しげな調子で応じる。


 実の所、航行中はずっとパンタルに乗って待機している少年を慮り、手隙の船員達がやって来ては話し相手になっているのだ。そして、この話がまた、彼にとっては中々に面白い。

 なにしろ、ヴェラ号の船員達は船長も含めて老境にある者達ばかり。今日に至るまで積み重ねてきた人生経験故か、話題が豊富な上に話し上手である。そこにクロウの性質……人の、特に先人の経験や知識、他諸々を聞くのが好きという気質が噛み合った為、両者共に退屈しない時間となっているのだ。


 ベナッティは口元を緩めて言った。


「うめぇこと言いやがるなぁ。その調子で女も口説けや」

「口説きを聞いてくれる人がいればそうします。でも、真面目な話、先人の体験談や知恵は色んな所で助けてくれますから重宝するんですよ」

「くふ、昔の俺達に聞かせてぇ言葉だ」


 クロウは耳にした昔という言葉から、ふいに連想して訊ねた。


「そういえば、アーウェルで市民と移民との間で軋轢が酷くなってるって聞きますけど、昔はどうだったんですか?」

「おぉ? 昔……、昔かぁ」


 ベナッティはそう呟きながら懐から煙草入れを取り出し、紙巻を一本抜き取った。慣れた様子で口に咥えるや、手で風よけを作り点火器(ライター)で燈す。紫煙が横風に流れた。


「昔ってか、俺は小せぇ時分に魔導船を見て以来、船乗りになりたくてよぅ。そらぁもう、毎日毎日、この砂海を旅することを夢見てたもんだ」


 老船長は過去を思い出すように目を細め、紙巻を吹かせる。


「けどよ、地に足をつけて働く開拓民だった親から見りゃ、碌でもねぇ夢を見る馬鹿息子だわなぁ。結局は大喧嘩して郷を飛び出して、アーウェルの貧民街に流れ着いたって訳よ。つってもそん時やぁ、親と喧嘩別れしたことなんざ、まったく気にならなかった。ただ毎日毎日、なんとか船乗りになろうと、荷役をしながら方々に頼んで回ったもんさ」


 淡々と枯れた声で話しつつ、白い髭を撫でた。それから頷いて、掘り起こしたかつての記憶を語に紡ぐ。


「ああ、ああ、あん時やぁよぉ、市民と移民との軋轢なんざ、少なくとも今ほどに大きくはなかった。……いや、問題としては色々とあったんだろうが、んなもんは人が生活する上で普通に出てくるようなもんばかりでよ、麻薬云々なんざ常識外なこたぁなかった」


 煙草を呑み、一息吹き出す。煙は風に弄ばれて散り散りになり、やがて青空に溶けていく。


「そもそも昔は移民街なんぞなかった。貧民街で移民も流民もごちゃまぜだ。一緒にボロ屋に住んで、一緒に懸命に働いて、一緒に飲み食いして、一緒に身近な問題に悩んだりしてよ。ああ、こいつらは俺と同じなんだ。いや、俺以上に慣れねぇ暮らしに苦労してやがる連中なんだって、肌身に感じたもんよ」


 渋面を作って首を一振り。


「いや、本当によ、今思い返すと、当時の俺以上に街の一員になろうと必死だったってわかるわぁな。ああ、だからこそ、捻くれ者の俺でも、困ったことがあるなら一つ助けてやろうじゃねぇかって思ったんだろうよ」


 白い髭に覆われた顔、その深い皺が歪む。


「けどよ、それも今は昔だ。最近じゃ移民街に引きこもって、なんでもかんでも自分達の仲間内だけで事を済ませようとしやがる。絶対必要な用事や稼ぐ為にしか、街中に来やがらねぇんだ、今の連中はよ。んで、街の連中だって、そういった姿を見ている。自然、こいつらはこの街に……、口は悪ぃが、寄生しに来てるんだなって思うようにもならぁな」


 溜め息と共に出た煙が灰と共に飛ばされていった。


「まぁ、それだけなら、まだ我慢もできなくもねぇ。けどよ、ここ最近の横暴振りはあまりにも目に余るってもんだ。真面目に働く奴らから日銭巻き上げりゃ街中を無法に占拠するし、乱暴狼藉も後を絶たねぇ。しかも、禁則の麻薬にまで手を出しやがった。……最近はさすがに落ち着いたとは言えよ、もうお目溢しはねぇだろう。市軍の再訓練が終わりゃ、市庁も移民街に何らかの制裁をするだろうさ」


 クロウはある言葉に疑問を覚えて口を挟んだ。


「罪を犯した者にではなく、移民街に対してですか?」


 ベナッティは頷き、短くなった煙草を鉄骨に押し付けた。


「ああ、移民街に対してさ。……そりゃあ、移民一人一人を見りゃ、良い奴や関係ねぇ奴、止めさせようとした奴も少なからずいるだろうよ。だが、現実にあそこに住む連中一人一人を選別できるような目も手間もありゃしねぇ。だいたい、人が集まって社会ができることを考えると、移民街の社会がああいった悪行を容認してるとも取れるんだ。仲間の非道を正せなかった以上、あそこの連中に責任がねぇとは言えねぇのさ」


 顰め顔で立ち上がり、吸殻を手に続ける。


「人ってのはよ、良くも悪くも物事を大枠で囲って見る生きもんだ。今の例で言やぁ、街の連中……、移民街の連中から散々煮え湯を飲まされた側はよ、移民街に住む奴らは悪行に手を染める集団、或いはその仲間だって感じに一括りで見ている」

「一括り、ですか」

「そうさ。枠の中に一括り、そこには個々別の分類なんぞねぇ。全部が全部、一緒くたの同類って奴さ。……だが、これが世の中の、世間様の見方ってもんよ」


 そう言い切った後、老船長はまるで詩歌を諳んじるように声を響かせる。


「だからこそ、自分の後ろにはゼル・セトラスに住む者達全てがいることを常に自覚しなきゃならねぇ」

「それは……」

「ああ、俺が船員になってから初めて砂海域から出た時に、乗ってた船の船長から言われた言葉さ。ま、血気盛んな若い連中への釘刺しって奴さ」


 おめぇにも教えといてやるよ、と老船長は日々の営みと共に深くしていった皺を顔に刻んで笑った。


 クロウもつられて笑う。



 その時であった。



「船長! 方位、三、〇、〇、に砂埃が見える!」


 船橋からの報告。


 途端に、ベナッティの顔付きが厳しく引き締まっていく。


「わかった! グリオ、おめぇは監視を続けて、船影が確認できたら発光信号で誰何を送れ! ラーゲル、青旗を上げた後、重いモンの固定ができているか見て回れ! パウル! おめぇが市軍から分捕ってきた通信機の出番だ! アーウェルに一報を入れろ! ボリス! しばらくは針路そのまま、速度は現状維持! デップ! いつでも最大出力を出せるように機関を見とけ!」


 風を押し飛ばすような怒声で、次々に出される指示。それらに応じる声が方々から上がる。


 老船長は近くに置いてある大剣や大鉄槌に目を向けた後、パンタルの展視窓越しに若い機兵を見つめ、獰猛な色を隠さずに笑った。


「おめぇの出番が来たみたいだぜ、坊主」

「みたいですね。……ほんと、ただ飯の時間ってのがありがたいもんなんだって思えますよ」

「かははっ! 俺もただ飯を食わせている方が良いんだが、そういう訳にもいかなくなりそうだ」


 一度言葉を切り、目付きを鋭くして続ける。


「俺が船橋に入ったら備えな。それと積荷だがな、基本、投棄はしねぇつもりだ。……命より積荷が大事なのかって言われると悩む所だが、少なくとも今はまだするつもりはねぇ。こいつらは開拓地に必須なもんでもあるし、作るのもただって訳じゃねぇからよ。が、事態が事態だ。ある程度の損失は予め認める。ここにある代物、利用できそうなら利用しな」

「了解、船長」


 クロウは肚に力を入れて、ベナッティの目を見つめ返す。老船長は軽く目を見開き、次の瞬間には面白げに笑った。


「一端の機兵の顔じゃねぇか。期待してんぞ、坊主」


 そう言って胴体を軽く叩き、老船長は船橋に入り扉を閉めた。


 一人甲板に残されたクロウはまず大きく深呼吸。


 俄かに早くなった鼓動を感じつつ、積荷を見渡す。

 綺麗に並べられた長さ五リュートはある鉄骨、重ね置かれた長辺二リュート短辺一リュートの鉄板、幾重にも積み重ねられた焼煉瓦、建築資材(セメント)が詰まったルーシ袋の山等々の建築資材が固定具でまとめられていた。

 どうしたものかと少し考えて、少年は鉄板に目を向けた。固定具を外し、一枚また一枚と取っては船橋の壁に立てかけていく。そうやって五枚ないし六枚並べた後、今度は重いルーシ袋を積んで壁面へと押し付けた。


 せっせと船橋の防護を補強する最中にも、船橋からは大声でのやり取りが聞こえてくる。


「右舷より接近中の船! ラーグ級と確認! 応答の発光信号及び信号旗は確認できず! 繰り返す、発光信号及び信号旗は確認できず!」

「はんっ、返事もできねぇならず者だ! 間違いなく賊だろうよっ! パウル! 連絡はついたか!」

「ああ、市軍はバルド級を一隻、こちらに差し向けると言って来とる!」

「くはっ、貴重な通信機を回収しに行きますってか! 現在座標とアーウェルに引き返すことを伝えろ!」

「了解!」

「ラーゲル! 固定確認は終わったか!」

「待て……、今終わった!」

「遅ぇぞ! 次は応急治療器具(救急箱)と機銃の動作確認だ! 給弾もしておけよ!」

「了解! ちくしょうめ、人使いが荒れぇなぁ、おい」

「ボリス! 方位変針! 針路、九、〇! レード・ダ・レード(取り舵一杯)!」

「了解、船長! 方位変針! 針路、九、〇! レード・ダ・レード(取り舵一杯)!」


 ぐらりと船が揺れ、左へと傾ぎ出す。慌てて踏ん張ると傾斜は更に増し、目まぐるしく周囲の光景が巡っていく。積荷は大丈夫かと目を向ければ、クロウが触った物こそ若干崩れたが、他は固定具がしっかりと機能して動く物はなかった。


 必要な物だけしか触れないなと思う間にも、傾斜が緩くなっていき、再び老船長の大声が響く。


「デップ! 機関全力! 全速前進!」

「了解! 機関全力! 全速前進!」


 推進器の時を刻む音が一息に早くなり、船底より舞い上がる砂塵をより強く押し流していく。


「ラーグ級が増速! 本船の左舷後方より接近を図る模様!」


 大声に釣られて見れば、遠くに左後方に宙を舞う砂埃があった。


 こちらに積荷がある事を考えれば、向こうに追いつかれるのは確実である。


 クロウの脳裏に、積荷を捨てた方が良いとの思考が走った。しかし、投棄は基本しないのが船長の方針だと直に首を振り、歯がゆさを感じつつも考えから追い落とす。


 ままならない状況に眉根を曇らせながら、大きく一呼吸。

 胸の内で高まった不満や緊張を鎮めつつ、今度は自分の身を守る為、複数枚の鉄板を後ろへと運んで船縁へと立てかけ始めた。ついでルーシ袋を押さえとして積み上げる。この黙々とした作業中にも、砂埃が近づいて来るのが目に入った。


 未知の事態を前に鼓動がどんどん早くなっていき、不安がいずこからか湧き起こってくる。自然、身体が固くなり、動きも鈍くなってくる。その度に少年は歯を噛みしめ、大きな呼吸を繰り返す。


 そんな彼を嘲笑い、不安を煽ろうとするかのように、砂煙の向こう側にある船影は少しずつ大きくなっていく。


 やはり追いかけてくる船の方が早い。


 そのことを実感しながらも鈍い動きで作業を続け、なんとか簡易な防御陣地を作り出した。そしてその頃には、追手の姿形がよく見えるようになっていた。


 ヴェラ号のほぼ真後ろから着いてきている魔導船。その形状は乗り込んでいるヴェラ号と変わらぬラーグ級だ。

 しかし、クロウにはそれがとても同じ物とは思えず、不気味に映った。

 睨むように見つめていると、その船の前側がチカチカと光ったように見えた。直後、船後方の地面より砂塵が連なるように跳ねた。


 相手からの銃撃だと断定し、船橋に向かって力一杯に叫ぶ。


「船長! 後ろの奴が撃ってきた!」

「ああ、こっちでも確認した! 連中は間違いなく賊だ! おめぇも手出しして構わねぇぞ!」

「了解!」


 クロウは返事と共に左腕の斥力盾を最大出力で起動させる。

 もっとも、これは防御手段であって攻撃手段ではない。そもそも、今のクロウに攻撃する手立てはなきに等しく、唯一対抗できそうな二式擲弾にしても普通に投げて百リュート程であるから、出番はまだまだ先である。むしろ、出番があるのかと不安になるが、そこは努めて考えない。


 思考乱れがちな頭で、何か攻撃方法がないものかとよくよく考える。


 流れる砂塵、推進器、足元と見て、鉄骨に目を向けた。


 固定を外し、両手に持つ。そのまま砂塵が舞う左舷の縁まで持っていき、外側に突き出す。長物である所に風に煽られて姿勢を保つのに苦労するが、なんとか杭を打ち込むように地面に向かって振り落した。


 そして、後方に目をやる。


 ……斜めに傾ぐも刺さるには刺さっていた。


 あれなら嫌がらせ位にはなるだろうと考えて、右に左にと鉄骨を運んでは振り落とす。中には倒れる物もあったが、それなりの数が障害物と化した。途中、投げた方が上手く刺さるかもと思い、後ろに向かって投げてみる。意外と綺麗に突き立ち、場違いな満足感に浸る。


 そうこうしている内に、ある程度の効果があったのかなかったのか、追ってくる船との距離が離れ、その位置も左斜め後ろに変わっていた。


 少しは時間が稼げたかと、ほっと一息つく。


 しかし、その安息も僅かであった。


 十分もせぬ内に、また距離が詰まり始めたのだ。


 しかも賊船の位置は右斜め後方と、障害物を作れぬ距離に陣取られた為、今度こそ、クロウは手出しができない。


 悠々と近づいて来る賊船。そのの前甲板がまた微かに光る。それも複数。先程よりヴェラ号に近い場所で大量の砂が跳ねた。


 せめて魔導銃があればと歯噛みしながら、鉄板を右舷の縁に並べては鉄骨や建材袋で固定する。


 更に距離が詰まる。


 目測で千リュート。


 銃撃がより近づいて来る。


 擲弾に手を伸ばしかけるが、必死に頭を振って我慢する。


 確実に接近して、約八百リュート。


 銃撃が船縁に当たり始めた。ヴェラ号もそれを嫌がるように右に左にと船を揺らし始める。


 だが、あまり効果はないようで、鉄板にも当たっては火花が飛び散り、甲高い金属音が鳴り響く。


 耳に障る音、弾ける火花が恐怖を掻き立てる。


 それでも少年は銃撃に怯える心を鼓舞し、隠れた陣地は鉄板の隙間より覗いて距離を測り続けた。


 大凡、六百リュート。


 延々と撃たれ続けるというかつてない負担から、弱気に震える心が逃げ出したいと悲鳴を上げる。


 身の内で広がった恐怖はこれまでの経験が可愛く思える程に強まり、だんだんと息が浅く荒くなれば、かつてない量の冷や汗が次々に流れ落ちていく。


 この機体が俺の棺桶に、墓標になるんだろうかと、独り恐ろしい想像をしては、激しく頭を振った。


 そして、四百リュート。


 唐突に右推進器に銃撃が集中するや、瞬く間に穴だらけになり、回っていた羽が三枚折れ落ちて行った。


 船橋が一層騒がしくなる。


 追い来る船が急激に大きくなり、船足が落ちたことが否が応にもわかった。


 残る左側をやられるのは不味いと素人でも分かり、なんとか注意を逸らさなければと、近くの焼煉瓦の山に手を伸ばす。


 目に見えて震える手。


 死の恐怖に怯える心。


 頬の肉が硬く強張る。


 それでも少年は己の怯懦を叱咤し、我が身はここぞと言わんばかりに姿を晒して、手に持った焼煉瓦を投げた。


 ひたすらに、手にとっては投げ、手にとっては投げ……、決して届かぬのを承知で、賊船の機銃座を目がけて、ただひたすらに焼煉瓦を投げ続けた。




 固定機銃の射手を務める男は照準器越しに今回の獲物を見る。


 乗り込んでいた魔導機が積んでいた建材らしき物を投げるといった、悪あがきをしていた。


 碌に届きもしない上、当たっても大した害にならぬ悪あがきだ。


 その無駄で滑稽な足掻きに、自然と口元がにやける。


 少しばかり手こずらせてくれたが、残りの左を潰せば終いだ。


 ……が、その前に、あの健気な魔導機に、勇敢で献身的な機兵に、報いなければならない。


 手振りで周囲で軽機銃構える者達の注意を引き、魔導機を指し示せば、誰もが口元を歪めて頷いた。


 同僚達のぎらつく目に興奮の色が垣間見えるが、仕方がないことだろう。


 なにしろ、魔導機を相手にするのは初めてのことなのだから。


 楽しい思い出になるよう、精々甚振り嬲って遊んでやろうじゃないか。


 そんな絶対的な強者の愉悦に浸りながら、射手は銃口を魔導仕掛けの鎧へと寄せていく。




 銃弾の直撃を避けるべく、左手の斥力盾を斜めにして前へと差し出した。


 彼我の距離が詰まったのを確認し、右腰から擲弾を引き抜く。


 制御籠手を通して、擲弾の確かな重みが感じ取れた。


 心臓の鼓動は今まで感じた事がない程に速い。


 それは興奮故か、恐怖故か、わからない。


 ただ、熱い血潮で身体は熱く滾り。


 現実を前に心胆は凍えている。


 腰を落とし、相手を見る。


 賊船より光が瞬いた。


 至近を次々と走る飛来音。


 船体が穿ち弾ける金属の悲鳴。


 掠ったのか、装甲が割れる音と衝撃。


 嫌でも生死の狭間にいることを認識させる。


「ちくしょう! 連中、好き放題やりやがってっ!」


 こんな状況であるのに、船長の野太い悲鳴がよく聞こえた。


 思わず笑ってしまうが、視線は船を見据えたまま動くことはない。


 少年は間延びした時の中、銃撃の恐怖を足蹴に、勇を奮って行動に出た。


 記憶通りに擲弾からピンを抜き、二歩三歩と助走をつけて思い切り放り投げる。


 柄付の擲弾は必殺の意思を携えて、縦回転しながら勢いよく宙を切って飛んでいく。




 一回転。



 二回転。



 三回転。



 四回転。



 五回転。




 何かが飛んできたかと思うと、船橋に当たった。


 何事かと前甲板にいた者達全てが振り返る中、それは落ちてきた。


 重い物のようで靴越しに振動が伝わってくる。


 自然と誰もが見下ろした。


 柄が壊れた芋潰しのようなナニカは彼らの足元近くへゴロリと転がり……、閃光と爆ぜた。


 全てを圧し飛ばす爆風が広がり、飛び散った破片は辺り一面全てを引き裂く。


 一瞬後。


 前甲板を破壊し尽くした爆発は黒煙を残して消え、それもまた中空を流れ消えた。


 赤黒く染め上げられた銃座だった場所に、動く影はなかった。




 クロウの耳に重い爆発音が届く。


 次いで銃撃が止んだことに気付いた。


 それでようやく前甲板を吹き飛ばせたと判断し、船長に向かって腹の底から叫んだ。


「船長ぉっ! 銃座を潰したぁっ!」

「でかしたっ! でかしたぞっ、坊主っ!」


 その声には応えず、相手がどう出るかと注視する。賊船は速度を落とし、右方向へと針路を変じようとしていた。


 おそらく逃げ出すのだろうと、クロウはほっと安堵の吐息をついた。

 しかし、興奮状態にある身体はまだ熱く滾っており、発汗が止まらない。付け加えると、さっきまで縮こまっていた股間辺りが急に強張ってきて地味に痛い。なんとも情けない気分になるが、これは生理反応で致し方ないことだと開き直る。

 それから戦闘が終わったと自分に知らしめる為に斥力盾を停止させた。次に機体に不具合が出ていないか、計器を見ながら軽く動かす。周りに散らばった焼成材の破片から装甲がかなり損壊しているとわかったが、幸いにも油圧や間接系といった内部機構に問題はないようであった。

 これならまだ動けるだろうと判断し、足元に置いていた大鉄槌を拾い上げて、船橋に向かう。


 向かう先からこれまで以上の大声が轟いた。


「ばあっきゃろぉおぅぅっ! てめぇら、戦はこれからだっ! 連中、俺のヴェラに手を出しやがったんだぁ! このまま落とし前つけずに終わらせてたまっかぁっ!」


 ぽかんとしていると、再び大音声。


「見やがれ! たかだか機銃を潰されただけで逃げ腰になるような、肝も据わってねぇ臆病もんだ! 曲がる先に障害物がある事も計算出来ねぇ、ど素人共だっ! 恐れる理由なんざどこにもねぇ! 銃撃で推進器を潰した後、体当たりしかける! 坊主っ! いやっ、エンフリードっ! おめぇは連中の船に切り込んで、乗り込んでいる賊共を駆逐しろっ! ゴミ共を一匹残らずぶち殺せ! ここから生きて帰すなっ!」


 いやいやいや、ここは市軍と合流する方が先じゃないか?


 表情を引き攣らせた少年の思いである。


 が、彼の思いは容易く裏切られた。


「ボリースっ! 目標、賊船! 方位変針! 針路、二、六、〇! ラース・ダ・ラース(面舵一杯)!」


 復唱の声が続き、ヴェラ号が右側へと傾ぎ始めた。


 思いもしなかった事態に、クロウが天を仰いでいると、ベナッティの濁声がまた響き渡る。


「ラーゲルっ! 機銃座に着け! パウル、お前は給弾手だ! それと、パンタルの状態も見てやれ! エンフリードぉ! おめぇもさっさと前甲板に移動して、切り込みに備えろ!」

「りょ、了解!」


 クロウが慌てて船橋の脇は狭い船端を行けば、二人の船員が丁度船橋から出てきた所だった。うち一人、元市軍の船員がパンタルを認めるや、苦笑して声を掛けてくる。


「おぅ、これはまた……、手酷くやられたな」

「はは、は……、死ぬかと思いました。ところで、切り込みって本当にするんですか?」

「あー、白髭は怒り狂ってるが、言ってること自体は間違っとらん。真面目な話、真正面からやりあっていれば間違いなく負けていただろうが、連中の機銃を潰した今ならやれる」


 クロウはなるほどと頷きつつ、賊船を見やる。推進器より巻き起こる砂煙が乱雑に撒き散らされており、転回に手間取っているのが一目で分かった。

 そんな姿に無様さを感じつつも、船の素人として心配なことを口に出す。


「でも、体当たりすると、船が壊れませんか?」

「なに、壊れたとしても直すなり買い換えるなりればいい。既に市軍にも連絡を入れてあるから、帰りはまぁ心配せんでいいだろう。で、お前さんの切り込みについてなんだが……」


 老船員はもう一度パンタルを一通り見て、少年に訊ねた。


「装甲がかなりやられているが、本当にいけるのか?」

「動作に支障は出てないです」

「なら、頼もう。……ただまぁ、若いお前さんに言っておくとだな、賊共に情け容赦は無用だ。あいつらは、人を身の内で蝕む毒蟲。ある意味では、甲殻蟲よりも性質の悪いもんだ。ラティアを潰すつもりでやればいい」


 クロウは口を開くが、そこから応える言葉は出なかった。

 ついさっき、擲弾で人の命を奪っているにもかかわらず、今はどうしてか、それに躊躇してしまっている。いや、先の場合、自分の命が懸かった危機的な状況で実際に死ぬ可能性が大であったから、相手の殺すことに迷いを覚えなかったことはわかる。

 だが、今は何故か、二の足を踏む。どうしてなのか、それがわからない。ただ、心の内に名状しがたい重いものが、決意を鈍らせていることだけはわかった。


 少年は黙して賊船を見つめる。ようやく方向転換を終えようとしていた。


 言葉を返さない若者の心を推し量ったのか、再び老船員は笑って言う。


「はは、機兵らしい男だな、お前さんは。……だからこそ、もう一度言おう。お前さんの後ろには、当たり前のように日常を暮らす者達が、平穏の中で暮らすことを望む者達がいる。しかし、俺達を襲ってきた賊共はその限りではない。連中は人を襲い、社会に仇為す毒蟲。俺達の命を脅かし、この地域の社会を崩そうとした害悪だ。そして、そんな害悪を討ち果たすことも、人を守る機兵の役割なのだと」

「機兵の役割、ですか」

「ああ、守るべき者達を守る為に自らの手を赤く染める。これも機兵の本分って奴だ。……ただ、こうも言っておこう。今からお前さんが為すことは社会が認めた制裁であり、犠牲になった者達が欲する断罪だ。これによって命を奪うことは、社会に属する全ての者達が背負うべき罪であって、決してお前さん一人だけが背負うべきモノではない」


 これを聞いて、クロウは心の中で蟠っていたしこりが解れた気がした。


 ついで、自覚する。


 結局は自分の手で人を殺すという嫌な現実を受け止めきれず、どこかの誰かに同族の命を奪うことへの赦しを求め、同胞殺しを容認する声を欲していたのだと。それと共に、自身を律する良心や良識という枷を外せる言葉を望んでいたのだと。


 とはいえ、それがわかったとしても心晴れやかになるはずもない。むしろ、自分の意思の弱さや都合の良さを突き付けられたことで、気分が悪くなる。ただ、それでも、これから自分が為すであろう行いを受け止められそうだとは思えた。


「それで、改めて聞くが、お前さん、やれるか?」

「ええ、やります」


 若者のはっきりとした返事に老船員は頷いた後、少し惚けた風情で付け加えた。


「ああ、言い忘れていたが、白髭はカッカ来て鏖殺なんぞ物騒の事を言ってるが、その辺の臨機応変でいい。ただ、市軍の連中は賊の拠点を掴みたがっているから、二三人は残しておいたら恩が売れるだろうな」

「それはつまり、向こうに降伏を勧めて、受けた場合は認めてもいいと?」

「そういうことだ。しかし、その時も絶対に油断はするな。最後まで足掻くぞ、ああいう連中は」

「わかりました。気をつけます」


 切り込みに臨み、クロウの内々は決して心穏やかではない。それでも、答える声に迷いはなかった。


 そんな少年の返事を待っていたかのように、ベナッティの声が轟く。


「ラーゲル! 発砲を許可する! 標的は賊船! 推進器を中心に撃て! 反撃しようとする奴も狙って構わん!」

「了解!」


 次の瞬間、射撃が始まった。


 乾いた破裂音が三度四度と小刻みに続く。


 次々に撃ち放たれた機銃弾は速度を上げようとしていた賊船へと吸い込まれていく。五射目で右の推進器を破壊し、八射目で左の推進器を主翼ごと穴だらけにした。


「足を潰した!」

「よぅしっ! 後はエンフリードの切り込みを援護しろ!」


 推進力を失い惰性で進む賊船に向かって、ヴェラ号は突き進む。さながら、興奮したコドルが酔っ払い男を目がけて突撃するように。


 だんだんと船影は大きくなり、クロウの目にも何も置かれていない広い甲板がはっきりと見え始めた。


 再び斥力盾を起動させる。


 船橋から銃を手にした六人の男達が甲板に飛び出してきた。


 途端、固定機銃が火を噴いた。


 二人の身体が弾けて千切れ飛び、血煙が舞う。他の者達は慌てふためいて伏せた。


「衝撃に備えろぉっ!」


 老船長の声に従い、大鉄槌を握りしめながら、機銃の傍で船縁を掴む。風を切る為、鋭く尖った船首が賊船の左船尾がぐんぐんと迫り……、船全体を揺らす衝撃、続いて船体を押し潰していく断続的な響きと揺れ。


「行けっ!」


 応と答えるよりも早く、クロウは船縁を越え、賊船の甲板へと飛び降りた。


 わずかな浮遊感の後、着地の衝撃が足に広がる。


 即座に目を走らせて、一番近い場所で立ち上がろうとしていた男を目標に定める。


 一息に駆け寄り、こちらを呆然と見る男を、鋼鉄でできた鈍器で横薙ぎに払った。


「ぁぎゃっ!」


 柔らかい感触の中、脆いモノを砕く感触。男は短い断末魔と共に船外へと消えていった。


「ひっ、ひぃぃっ!」

「し、死にたくねぇ!」

「ば、馬鹿! 逃げるなっ!」


 船橋に逃げる者達は無視し、残る一人に狙いをつけた。


 再び駆ける。


 男は慌てて銃を構えるも、上段に掲げられた大鉄槌に気付き、その顔が恐怖に歪んだ。


 無言のまま振り降ろし、身体を割るように潰す。


 飛び散った赤黒い飛沫が展視窓に着いた。


 全てが不快そのものだが、それ以上の感慨はない。


 船橋へと向き直り、得物を振るって血糊を飛ばし、大声を上げた。


「選べっ! 降伏かっ! それとも死かっ!」


 そして、船橋の様子に注意を傾けつつ、一歩一歩、ゆっくりと近づいていく。


「こ、こうふくっ! 俺は降伏するっ! 降伏するからっ、い、命だけは、た、助けてくれぇ!」

「お、俺もだっ! 俺も、降伏する!」


 先程、船橋に逃げ込んだ者達と思しき声。立ち止まり、確認する。


「生き残りは、お前達二人だけか!」

「い、いや」

「操舵室に、あ、あと、ふたり」


 と答えた時、船橋上層部より罵り声が上がるや丸い小さなモノが二つ、甲板に投げ込まれて……、ヴェラ号より機銃弾が撃ちこまれた。


 その間にも、目を見開いたクロウは胴体を包むように小さくなり、閃光。


「ッぐぅっ!」


 力一杯体当たりされたような、強烈な衝撃と音。


 機体ごと身体を揺す振られて足元がふら付く。


 だが、絶対に倒れまいと踏ん張り耐えた。


 それから眇めていた目を見開き、周囲に目を向ける。


 至近からの掃射を受けた操舵室は柱をも壊されたのか、天井の一部が崩れ落ちて残骸の山と化していた。中にいた者達がどうなったかも一目でわかる惨状である。


 もっとも、下手をすれば自分達もああなっていたかもしれない上、今も攻撃を受けたのだから、クロウに同情の念はない。


 ただ、もういい加減、心身の限界が近いと感じて、大いに眉を顰めて告げた。


「他に死にたい奴はいないか? 屑鉄にこびり付く汚れになりたいなら、それはそれで構わないぞ?」


 かなり投げやりで荒んだ声であった。


 沈黙が続き、クロウは据わった目でもう一度告げた。


「降伏を望む者は武器を捨て、両手を大きく上げて出てこい」


 しばらくして、顔を真っ蒼にした男二人が両手を大きく上げて出てくる。表情は大いに引き攣り、身体は震えていた。


 その姿を見て、これでようやく終わったのだと、少年は疲れ切った顔で大きく息を吐いた。



  * * *



「確かに受け取りました。任務、ご苦労様でした。少佐によろしくお伝えください」

「はっ! それでは、失礼します!」


 敬礼を最後に、緑色を基調とした服……アーウェル市軍の制服を着た若者は扉を出て行った。


 場に残った青髪の青年、ラルフは執務席で受け取った書類を読み進める。

 手にした書類……市軍より届けられた連絡書に書かれていた内容は、アーウェルと周辺開拓地とを行き来して荷を運んでいた船、ヴェラ号が賊船と遭遇。これを撃退したばかりか拿捕し、生き残りの賊を捕えたというものだ。


 これはなんとも、普段から地域の安全を守っているのだと、自負している市軍や自分達よりも、遥かに役に立っているではないか。


 そんな思いを抱いて、青年は苦笑する。


 だが、文面の中よりヴェラ号の船長の名を認めると、その顔はまず呆れ、納得を示すように変化していく。そして、思わず出る独り言。


「あの爺さんならこうなるのも納得できるが……、いやしかし、かなり前にうちを引退したはずなんだが……、昔の血でも騒いだか?」


 楽しげな顔に微量の困惑を滲ませながら、ラルフは書類を置いた。文章越しにではあるが、見知りの者が元気にやっている事を知って、彼の気分は上向いている。

 自然と貴公子然とした顔に不敵な笑みを浮かべて、窓より外を見る。最近、見慣れ始めた組合アーウェル支部からの眺め。大きな辻ごとに立つ風の塔が西に傾き出した陽射しを受けて、陰影を伸ばしつつあった。


 その光景をじっと見つめていると、扉を軽く叩く(ノックする)音。


 ラルフはおそらくは待ち人だろうと判じつつ、声を上げた。


「誰か?」

「クンツです」

「入れ」


 失礼しますとの声と共に入ってきたのは、アーウェル支部の中堅職員であった。節制の効いた身体に生真面目な風体で隙なく制服を着込んでおり、見るからに堅物といった印象を見る者に与える中年の男だ。


 その中年職員は扉を閉めると、手に持ってきた書類を執務机に乗せた。


「はは、今日も結構あるな」

「ラルフ様の職務のみならば、ここまで多くはないのですが……」

「わかっている。余計な首を突っ込んでいるのは俺だからな。お前達には迷惑を掛ける」

「構いません。シュタール家に我らの仕事をより知ってもらうことも重要なことですから」

「そうだったな」


 青髪の青年は手元にあった書類をクンツに差し出した後、自らも新たな書類に手を伸ばす。


 一枚一枚、目を走らせて内容を読み取る。

 市内にあった麻薬中継拠点を全て掃討した事後報告、市内外の住民達の声や世情、犯罪組織化した徒党に動きがあるとする移民街の動向、魔導機や武器爆薬の在り処を探る内偵の計画、市軍各部隊の風紀状況、外部と連絡を取った諜報員の絞り込み経過報告といったことが書かれていた。


 シュタール家の家長は書類を何度か行き来しながら、呟くように尋ねる。


「移民街の連中、やはり動きそうだな」

「は、仰る通り、可能性が高いと思われます。我々としてはその時までに内偵を終え、強襲をしかけたい所です」

「できれば、第三がここに留まっている内に、というのは無理筋か?」

「急ぎますが、こればかりは時の運次第かと」

「だろうな。後、潜り込んでいる諜報員、数人まで絞ったのはわかったが、大凡の目星はついているのか?」

「現場からの意見ですが、人足の中の一人、貧民街に住む者が疑わしいと」


 ラルフは顎に手を当てて、しばし考え込む。それから、市軍から得た情報を口にした。


「賊を捕えた事、使えるか?」

「少しずつ噂を広めれば、相応の圧力にはなりましょう。……ですが」

「違っていた場合、そいつの生活は崩れるだろうな」


 青年はふっと笑い、傲然と言い放った。


「それがどうした。今、なによりも優先するべきは、取り返しのつかない事態を未然に防ぐことだ。一人の命に拘泥した結果、多くの命が奪われては意味がない」


 鋭利で冷厳とした目。元からの美貌もあって、硬質の凄味があった。


「無論、切り捨てられる側から見りゃ、堪ったもんじゃないだろうがな。……しかし、俺の立場は恨まれるのも仕事の内だ。精々、憎まれようさ」

「いえ、頼もしいお言葉です」


 ラルフは職員の言葉を受けて、露悪的に笑う。

 それから手元に一枚の紙を引き寄せ、さらさらと筆記具を走らせた。滑らかに動いていた手がやがて止まると、丁寧に折り畳んで封筒に入れる。ついで、封蝋を点火器(ライター)で焙って溶かし、閉じた開封口へと落とす。最後に右人差し指にはめていた指輪を外して、自らの個人紋を刻んだ印章を押し付けた。


 青髪の青年は出来上がったばかりの封書を中年男に差し出す。


「市軍のバルツ少佐宛に、尋問に協力できる専門家を送る旨を書いた。これと共に適当な者を送り、向こうの保安担当と直接話を付けて、先の話を進めてくれ」

「わかりました」


 暗部の現地責任者は封書と手にしていた書類とを交換して、退室しようと踵を返す。


 そこに再び扉から叩音(ノック)


 ラルフはその音に焦りのようなものを感じつつ、誰何の声を上げた。返って来たのは、彼が率いる第三遊撃船隊の参謀の声であった。


「バクターです。サエラより二級通信連絡が届きました」


 二級通信連絡とは三階級ある重要度判定の二番目で、至急に然るべき筋への情報伝達が求められる通信であることを示す。


 それだけにラルフは左の眉根を上げ、クルツに留まるように目で示してから応じた。


「入れ」

「は、失礼します」


 扉が開き、小太り気味の参謀が入ってきた。その表情はわずかに曇っているが、クルツを認めて色を消した。


「船隊長」

「構わない。クルツはうちの裏方だ。それよりも連絡の内容を頼む」


 シュタール家の配下であると暗に示すと、バクターはちらりと先客を見て感じるモノがあったのか、納得した様に頷いた。そして、連絡内容を記した覚書を読み始める。


「では、読み上げます。……発、旅団第二遊撃船隊船隊長、宛、旅団第三遊撃船隊船隊長殿。サエラ郷より北二百アルトの地点にて、ラティアの一群約三千を撃滅。その後の偵察により、アーウェル北方域に接近中の推定三万以上の大群を確認。当船隊はこれを群団前群ないし本群と判断。至急の援軍を欲す、であります」


 全てを聞き終えた青年は、青い髪を揺らして天を仰ぐ。


 だが、即座に立ち上がり、張りのある声を上げた。


「バクター、今夜中に出るぞ。(おか)に上がっている連中は?」

「この連絡が来た時点で、船単位で集めに走らせました」

「よし。バクター、お前は群団の確認とアーウェル北方域への襲来を、ここの他、ニースティ、ダルフィナ、マジールの各市に連絡しろ。後、第三遊撃船隊は即時出撃するともな」

「了解しました」


 参謀の返事に頷いた所、青年はふと思い出して訊ねた。


「ああ、それと確認だが、噴射榴弾はもう乗せてあるな?」

「もちろん、三隻共に抜かりなく」

「わかった。俺もこれからサティスに戻って指揮を執る。お前も連絡を終えたら戻ってこい」

「はっ」


 バクターは手早く敬礼すると、身体に見合わぬ素早い動きで出て行った。


 それを見送った青髪の青年は残すと不味い書類(暗部からの報告)を集め、点火器で燃やす。クルツが応接机にあった灰皿を執務机に置いた。ラルフは感謝するように頷いた後、書類を落とす。そして、それらが炎に呑みこまれていく様子を見つめながら口を開いた。


「クルツ、明日にはサザード号が戻って来るはずだ。フィオナ・ファルーレに事情を話して、ここの旅団倉庫にある砲弾や噴射榴弾……、いや、砲弾の類は全部、サエラに寄こすようにしてくれ」

「全部をですか?」

「ああ、補給の関係もあるが、今のアーウェルに砲弾や弾薬、爆発物を残して行きたくない」

「ならば、倉庫の中身をそのままサエラに移せるよう、早急に手配しましょう」

「可能な限り早く頼む」


 そう言ってから、ラルフは眉間に皺を寄せた。


「しかし、難しい状況になったな」

「アーウェル市軍も艦隊を動かしますか?」

「ああ、普段は意識しなくても、やはり面子というものはある。必ず動かすだろう。……いや、それ自体に問題はないんだが、賊関連がな」


 腕を組み、窓の外にある市軍本部を鋭い目で見て続けた。


「今日捕えた賊から拠点の情報を引き出せた場合、連中に手を焼かされた市軍はそちらに艦隊の予備戦力を出す可能性が高い」

「ここが手薄になると?」

「ああ、そうなった場合、都市の防衛隊だけになる。そんな状況で、もし仮に事が起きたら……、向こうのやり方次第によっては翻弄されるかもしれん」


 だからこそ、そういう事態に陥らないように、二段構え三段構えと備えていたんだが、と呟いてから、溜め息のような重い息を吐いて笑った。ふてぶてしさを感じさせる笑みであったが、諦めの色が薄く見える。


「世の中ってのは、もっと自分の思い通りに動く位の方がいいんだが……、そうそう上手いことは行かないもんだな」

「ですが、それこそが、この世界が自分の頭の中で作られた妄想の類ではなく、現実として世界が存在している事の証左であるかと」

「はは、哲学か?」

「個人の感想から来る、もどきです」


 クルツは始めて笑みを見せる。しかし、またすぐに生真面目な顔に戻った。


「確約はできませんが、事を起こすような動きが抑えられるよう、我々も全力を尽くします」

「ああ、後は頼む」


 ラルフは綿々と時を重ねた名家の主に相応しい厳然とした表情で頷き、部屋を出て行った。



 残された中年男は燃え尽きた灰を見つめながら、困り顔で口を開いた。


「ラルフ様は歴代様と同じく我らの主として十分な方ではある。……がしかし、お子を作られないことだけは問題だ」


 そう小さく呟いた後、頭領への報告書の中にこの問題をなんとかするように書いておこうと、一人決意したのだった。

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