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魔導黎明記  作者: 綺羅鷺肇
5 技師は夢追いに猛る
45/96

八 夢想に生きる

 無機で構成された脚が大地を踏みしめた。

 滑らかな焼成材で覆われた武骨な脚。その足元より広がった五本の爪が、乾いた地面に痕を刻み込む。振動で砂塵が舞い、吹き付けた風に流れた。その砂埃が見えなくなる頃、反対側にある脚の膝がゆっくりと持ち上がり、前方へと動いていく。そして、再び地面へと足跡を刻み付ける。


 それは四つ足の異形であった。


 魔導機パンタルの脚に似た太く短い脚が長さ四リュート程の細長い胴体の前と後より、左右一対ずつ伸び出ている。その内の一本、右前脚の膝が曲がって、弧を描くように前方へと動き……、大地に爪を立てる。それから一拍置いた後、左後ろ足が持ち上がり始めた。

 その歩みはさながら本当にそこに地面があるのかと探るかのように遅く、事実として、人が歩む速度よりもゆっくりである。この鈍重な動き、足周りの太さを見れば納得しそうな物であるが、それらが支える胴体が細く軽そうに見える為、違和感が甚だしい。その違和と形状の不均衡が醸し出す歪さ。それ故に、異形である。


 しかしながら、その脚は止まることはなく、重い足取りながらも、一歩また一歩と確実に大地へと跡を刻んでいく。


 黙々と歩を進める四つ足の傍らで、一連の動作を見つめていた赤い縮れ髪の男が声を上げた。


「おぅ、どうでぇ?」


 その間にも脚の動きを支える膝裏の油圧機構が静かに音を立てて伸び縮み。ゆっくりと往復運動して弧を描いていた胴体との連結部。それが唐突に動きを止めると、歩みも止まった。


「なんというか、不思議な感覚ですね」


 若い声が胴体の前方部、胴体部よりも広く膨らんだ四つ足の操縦席から響く。

 高さ一リュート半程にある吹き曝しのそこには赤髪の少年。クロウ・エンフリードが収まっていた。彼は眩い光陽の光に目を眇めた後、声を掛けてきた人物、ウディ・マディスへと顔を向けると、己が抱いた感想を続けた。


「こうやって自分の足を動かしてはいるけど、そこに自分で歩いている感触がないのに動いていくのって」

「まぁ、そうだろうがぁ、元々は魔導機で使っとる間接制御機構だ。機兵のおめぇなら直に慣れらぁな」

「ええ、でしょうけど……、それはそれで緊張しますよ」


 この言葉に笑ったのは第三者。マディスの後ろで試験の手伝いに来ていた人物であった。


「くくっ、下手すりゃ転ぶってか? ……ま、確かに、強いくしゃみ一つで引っくり返るってのもありえるかもな」


 マディスの同僚であるガルド・カーンだ。この目付きの悪い男は魔導技師だけあって、魔導機で使われている追随型制御機構の特性、搭乗者の動きを増幅して機体に反映させるという機能を知っている。それを踏まえての揶揄である。


 この声に応じたのは、試験の責任者であり、四つ足の開発者でもあるマディスであった。厳つい顔の太い眉根を顰め、魔導機運搬車に寄りかかる同僚に唸り声のような低く重い声で告げた。


「んなことにならねぇように、可動域を制限するように安全装置を噛ましてらぁ。余計な事を言って、エンフリードの不安を煽るな、馬鹿野郎」


 迫力ある重く濁った声音。


 対して、カーンが返したのは、確信犯的な実に楽しそうなニヤニヤとした笑みであった。



 節は巡り、盛陽節である。

 エフタ市があるゼル・セトラス域においては光陽の輝きがますます強まっていく、その名の通りに盛りの季節となる。とはいえ、環境に急激な変化が訪れるという訳ではない。自然は人の暮らしと関係なく、常と同じく、時の巡りと共に日々少しずつ移り変わっていくだけである。

 そう、あくまでも節の変わり目、ひいては暦というものは、人が己の営みに目安をつける為のものであって、自然に存在するモノではない。あくまでも、人が自分達の認識で自然を計る為の便利な道具なのだ。


 そんな便利な道具を用いて、今現在のゼル・セトラス域を見ると、躍動の時である。なんとなれば、ゼル・ルディーラ(大砂嵐)を経て低調になっていた魔導船交易が本格的に再開される時なのだ。

 当然、それはエフタ港にも当て嵌まっており、港湾を出入りし、埠頭に停船する魔導船の数が増える事になり、それに比例して、荷役が活発に行われる事となる。


 そんな賑やかな様相を見せる港湾地区の一画。エフタ市の港湾地区は機兵長屋の傍にある空き地に、クロウ達はいた。

 ここで今、先日……四日前に決行された第十九番遺構発掘の際、クロウがマディスより頼まれた試験を実施しているのだ。

 その試験の内容とは、マディスが立案して進めている計画、多脚砲台構想の肝となる部分、多脚による運動実験である。



 マディスは停止した四つ足……多脚運動試験機の前脚よりも前方にある操縦席、その脇にある乗降用の舷梯(タラップ)に昇り、操縦者の少年の様子と操縦系統の状態へと目を走らせた。

 ベルトで身体を固定した少年の表情はいたって普通であり、乗り物酔いや疲労から来る不自然な汗もかかず、健康そうな血色である。

 一方の操縦系統。少年の手元にある制御(レバー)に折れ曲がるといった異常はない。また、座席となっている簡易な腰掛の後ろ側、少年の腰あたりから伸び出て、足の外側に取り付けられている魔導機の関節制御機構……操縦籠手に似た装置も動作に支障をきたすような関節部の故障や油圧筒からの油漏れといった不良はなさそうであった。

 そして最後に計器類。動力源となる魔力量やそれぞれの脚の油圧系、各部に内蔵された回転儀(ジャイロスコープ)の数値、機体均衡や対向重量(カウンターウェイト)の状態表示にも、特に問題は見当たらない。


 マディスは自らの目で状況を確認し終えると一つ頷いて、少年に問いかけた。


「エンフリードよぅ、だいてぇの感覚はわかったか?」

「ええ、動かす感覚はわかってきました」

「なら、制御(レバー)は?」

「停止は中央、前進は前、後退は後ろ。横歩きしたい時は中央から左右の移動したい方向に入れて、その場で回転したい時は、前進の状態で右か左、回転したい方向に入れる」

「よぅし。なら、計器の中で一番注意するもんは?」

「この二つある、機体の均衡状態を示す奴です。この線が機体の水平線で、黄色い部分が転倒危険域、赤い部分が復原不可能域、でしたよね?」

「ああ。とはいぇ、あまり無体な事さえしなけりゃ大丈夫だ。……がぁ、おめぇが乗っているこいつぁ、生まれたばかりの代物で、信頼性なんざあるもんじゃねぇ。もし仮に、黄色い部分に入っちまったら、そんときゃなんとか踏ん張れ。んでぇ、赤い部分に入った場合はな、もうどうやっても無理だ。おめぇが潰されねぇように身を縮めて、衝撃に備えろ」

「あ、あはは、そ、そうならないように、気をつけます」


 マディスの真顔での脅し。自然、少年の脳裏に引っくり返って機重に潰されるという最悪の想定が思い浮かぶ。


 突如として制御を失い、持ち上がる片足。当然の如く、機体は反対側へと大きく傾ぎ、クロウを乗せたまま、引っくり返って沈む。結果、自重と衝撃に耐えきれず、各部位は破壊され、クロウもまた、末期の叫びと共に大地の染みになる。


 なぜか具体的に想起されてしまった、あまりにも恐ろしい想像に、クロウは顔を引き攣らせた。


「おし! これから連続運用試験だ。こちらが良いっていうまで、この空き地の中を適当に歩き回ってくれ。少々無理をしたって構わねぇ」

「りょ、了解です」


 微妙に表情が硬いクロウが返事と共に頷くのを認めると、マディスは舷梯より飛び降りた。それから脚部の状態やその足元に目を向ける。関節部や砂地に油漏れを示すような痕跡はなかった。


「今の所、足回りに異常はねぇ。が、さっきも言ったが、まだまだこいつには信頼性が足りねぇ。もしも、なにか異常を感じた時は即座に停止して、俺かカーンの野郎を呼べ。いや、不味いと直感した時は、機体から逃げ出せ」

「は、はは、そうします」


 慎重に慎重を重ねていこうと、少年は決意した。



 試験機が歩み出して、しばらく経ってからのこと。

 厳しい陽射しを物ともせず、腕を組んで自身が作ったモノを見つめていたマディスの隣に、カーンがやってきた。その口元はどこか緩んでいるように見える。その表情を見たマディスは訝しげな声を上げた。


「……なんでぇ?」

「いや、注意に注意を重ねて、優しいこったなと思ってよ」

「ふん、これくれぇは当然って奴だ」


 今の状況を楽しんでいるように見える同僚に対して、マディスは鼻息を荒々しく噴き出す。そして、機体から目を離さぬままに続けた。


「俺のこたぁいい。それよりも、おめぇの方はどうなんでぇ?」

「はっ、まったくもって上手くいってねぇよ。旧文明期の冶金を再現するには、技術も設備も資源も人材も資金も、なんもかんもがまったく足りねぇ。いや、真面目な話、旧文明期の技術を復活させようなんざ、個人には……、いや、もう、帝国でもできねぇかもしれねぇって、思い始めてる所さ」


 いつになく弱気な発言に、縮れ毛の大男は片眉を顰めた。


「そこまでぇ、隔絶しとるのか?」

「旧文明が綺麗さっぱり崩壊して、大凡三百年ないし四百年。大災禍で便利な機械(電算機)はことごとく塵芥、免れたものも補修品の不足から状態を維持できなくなって、時の風化に耐えきれずに壊れた。たとえ、人様の営みの積み重ねたる書物に記録が残っていても、それを基に再現できるだけの人材や技術が継承されてねぇ。……天才でも出てこねぇ限り、詰んでる状況って奴だわな」


 カーンの表情は先と変わらない。しかし、その口から出てくる声は面白くなさそうに乾いている。


「無理か?」

「ああ、旧文明期の技術を復活させるってのは、期待しねぇ方が精神衛生にいいぞ。つーか、もう、それを今の技術で再現できるものにまで落とすしかねぇ。つまりは、一からの出直しってことさ」


 はははと笑った後、カーンの声音はやけっぱちな楽しげなものに切り替わった。


「ま、先人の遺したモノを拝借して、楽をしようとしても、そう簡単にはいかねえぇってこったな」

「楽はしとるだろう。少なくとも、俺たちゃ、旧文明期の代物を参考にできる」

「そうだな。……今、こうやって色々とできる、最低限の土台を残してくれただけでもマシなんだろうさ」


 二人が見つめる先、試験機が市壁に近づいている。かと思いきや唐突に停止し、右前脚を右に、左後脚を左にと、その場で回転を始めた。

 それが終わるまで、二人の技師はそれぞれの脚の動きや機体の均衡といったものをじっと見つめる。そして、再び前進し始めると、目付きの悪い男が人の悪そうな笑みを浮かべて、口を開いた。


「ところでよ、マディス」

「なんでぇ」

「お前さんが作った四つ足って、需要があるのか?」

「……なにがいいてぇ?」


 マディスの声が少しだけ低くなる。それに気が付いているが、カーンは恐れることなく軽い調子で続けた。


「いやな、多脚ってなると、ほれ、脚が多い。当然、脚が増えれば増える分だけ整備に時間がかかるから、現場の負担がばかにならんって訳だろう? っていうかよ、正直に言やぁ、多脚よりも装軌や装輪の方が合理的な気がすんだよ」

「おめぇが言うことは間違いなく正論って奴だわぁな。……俺がいた二室の連中もそう言っとった」


 巌の如き体躯の技師は前を見据えたまま、傲然と言葉を発した。


「が、それがどうした?」


 この答えに、カーンの笑みが深くなった。マディスはそんな同僚に一瞥もせず、言葉を重ねる。


「確かに多脚ってのは不合理で、特にいらねぇもんかもしれん。がぁ、だからって、それが作っちゃいけねぇ理由にもならねぇ」

「無駄な事をしてるって、馬鹿にされてもか?」

「はっ、だから、それがどうしたってんだ。俺が作りてぇから作る。それこそ、馬鹿にしてぇ奴は馬鹿にしてりゃいい」


 マディスはその視線を鋭くして、自身が抱えている思いを声に乗せた。


「おらぁ、機兵として、蟲共と正面切ってやりあってきた。連中を俺より後にゃ通さねぇ。人を守るのが機兵の本領。こっちが躯を晒すのは、最後の一匹を潰した後だ。そんなことを思ってな。……俺以外の、機兵連中もそうだろう」


 その視線は試験機を捉えているようでいて、違う何かを見ていた。


「だがぁ、その覚悟があったとしても、現実って奴は容赦がねぇ。機兵がどれだけ奮闘しようが、連中の数に蹂躙される時は蹂躙される。そういった時、機兵は他の機兵に後を託して、微かな誇りと守りきれなかった悔しさを抱えて死ぬしかねぇ」

「……俺にはわからねぇ心情だな」

「ああ、わかる必要なんざねぇし、わからねぇ方がいい」


 死んじまった仲間の無念を背負う。そんな経験をする奴なんざ、少ねぇ方がいいんだ。


 マディスは心中で呟くと、改めて言葉を発した。


「おらぁ、そういった機兵を少しでも減らしてぇのさ」

「その答えが、多脚ってか?」

「ああ、対人戦をまったく想定しねぇ、甲殻蟲と戦うことだけを念頭に置いた、機兵と共に立つ存在。時に強力に支援して時に固く援護する。そういった機兵の支えになれるような存在にしてぇのよ」


 マディスの視線の先、試験機がゆっくりと止まり、横歩きを始めた。右の前脚を右へ一歩、同じく右の後脚を右へ一歩。次いで、左の前脚が動いて、最後に左の後脚。ぎこちない動きながらも、安定して真横へと動いていく。


 その鈍重な姿を注視しつつ、マディスは更に続けた。


「そもそも機兵の命っつうか、現役ってのは短いもんでな。今のパンタルじゃぁ、足をやられると、ほぼ確実に引退せざるをえねぇ。それこそ、新人だろうが熟練だろうが、関係なくな」

「だから、その対策として、斥力盾を作ったんじゃねぇか」

「ありゃ、その場その場の対処だ。普及したとしても機体構造が変わらねぇ以上、根本的な解決にゃ繋がらねぇんだ。若干の改善があるだろうが、機兵の供給が需要に追いつくこたぁねぇ。精々、次の方策を生み出すまでの時間稼ぎって奴よ」


 不快な事実を口に出して、その口元が歪む。だが、それでも最悪の事態を語る口は止まらない。


「今の状況で、もし仮に大規模な漲溢が起きたら……、ああ、以前と変わらず、機兵の損失が跳ね上がらぁ。それこそ、後々の体制にまで響く程にな。んでもって、その立て直しに時間が必要となり、その分だけ損失や犠牲が増えていく」


 南からの風が吹き付けて、砂煙が舞い上がる。遥か遠方、ノルグラッド山脈を乗り越えてきた風だ。一頻り砂塵を弄んだ後、乾いた風は北へと去って行った。


 カーンが風に細めていた目を戻すと、静かに訊ねた。


「お前さんはあの多脚に、もう一つ先を見てるって訳か」

「ああ、本当にできるかはわからねぇ。が、それでもやるしかねぇ。……今までにないから無駄だ、技術がないから無理だなんざ、現場を知らねぇ戯言よ。現実は、言い訳をして、その場で足踏みしている余裕なんざねぇ。以前、室長も言っていたが、現場の連中が奮闘しているからって、後ろの連中が今のままで良いなんざ甘えた事を抜かすこたぁ、ぜってぇに許されねぇんだ」


 そう言い切ったマディスは眉間の皺を深め、眦を決する。確と目標を定めた男の顔であった。


 その姿を見たカーンは自身が先に吐いた言葉を思い返し、己が髪を掻き毟る。それから、先程までにはない厳しい眼差しを試験機に向けた。


「実際の所、どれだけ可能性があるんだ?」

「形だけなら、今でもやろうと思えばできらぁ。……けどよ、それを十全に動かせるかってなると、こいつがぁ難しい」


 再び眉根を顰めての言葉。カーンは多脚で使われている技術が魔導機に組み込まれた想定をして、真っ先に思い浮かんだのは機体の重さであった。


「重さか?」

「ああ、一周りは大きくなるからなぁ、そいつもある。が、一番の問題は、関節制御で機体を安定させる方策だわなぁ。今は自分の足で立っているから、自身の平衡感覚をそのまま使っていて問題はねぇんだが、その感覚を使うのが厳しくなる」

「機体の安定か。……あの多脚で使ってる奴は使えねぇのか?」

「使えなくもねぇ。が、その分だけ機体が大きく重くなる」


 地上において大きく重くなるということ。それは大体の場合において、機動性や運動性に制約が生じることを意味する。無論、動力の強さによっては無視できることでもある。実際、今、彼らの前で動いている試験機は大容量の魔力蓄積器を多数積み込んで、その問題を解決している。


 その試験機が空き地の真ん中で立ち止まると、操縦席よりクロウが頭を出して後方を振り返る。そして、後ろへと後ずさりを始めた。その足は前に進む時以上に遅く、クロウが用心を重ねているのがわかった。


 その姿をしばらく観察した後、マディスは難しい顔を浮かべたまま、話を続けた。


「現状のパンタルが最上とは言わねぇが、少なくとも蟲の動きに対応できるだけの速さがある。それと同等の状態を維持するとなると、あまり重くしたくねぇ所だわぁな」

「あるいは、その分だけ軽い装甲や骨格部材が必要になるってことか」

「ああ、最低でも、今と同等の性能と強度を維持したままな」


 目付きの悪い男はその鋭い眼だけでなく、表情までも厳しくして言った。


「まったくもって、素材屋泣かせな要望だな」

「わかっとる。だがぁ、必要なもんは必要だ」


 カーンにもそれはわかっている。だが、それでも難しすぎる話であった。


 男は返事をせず、蒼天を見やる。


 地に陽射しを振り注ぐ光陽だけが独り占めする、深く遠い青の世界。


 自然、その世界に挑もうとしている、もう一人の同僚のことを思い出す。

 先の試験を経て弾みがついたのか、連日の泊まり込みで開発に没頭している。それだけに、仮にそういった素材ができた場合、喜んで使うであろうことが想像できた。

 ついで、空に関係するもう一人。宙を自由自在に舞う小人。彼が属する開発室の長の不敵な笑みが脳裏に浮かんだ。

 今日は試験の初めに顔を出した後、先日の遺構漁りで得た遺物を運び込んだ、同じ港湾地区にある組合の魔導機駐機施設に出向いている。クロウより委ねられて、助手の少女と共に、組合側との買い取り価格交渉をしているのだ。

 値段交渉とは舌鋒と神経と知識、そして胆力が織り成す闘争の場であるっ、と鼻息荒く言い放った後、商店街での熾烈な闘争(値引き交渉)の日々が今、私に力を与えてくれるっ、と叫び、意気軒昂に飛んで行った小人は、悪くない上司である。実際に人に好きな事をやっていいと言っいるし、やらせてくれている。が、唐突に、これ、なにかに使えないか調べといて、と、ラティアの死骸を寄こすような困った輩でもある。


 と、ここで首を一振り。


 困った輩であるが、件の小人は中々に物事を考えているし、周囲にも気を配っている。案外、俺が研究開発に詰まっているの見ていて、蟲の死骸を寄こしたのかもしれねぇ。


 カーンはそう考え直して、口を開いた。


「どのみち、次の目標を定めねぇといけねぇ所だったからな。お前さんの要望に応えられるような素材がないか、室長と相談してみるさ」


 マディスが礼を言おうとする前に、目付きの悪い男は普段通りの人の悪い笑みを口元に閃かせ、更に続けた。


「とは言っても、お前さんが平衡を安定させることを補助するような装置を作らにゃ、作る意味がねぇ気がするがな」

「……はっ、抜かしおる」


 巌の如き男もまた、その笑みに応えるように歯を剥いて笑みを見せた。


 彼らの視線の先で、試験機が再び立ち止まり、今度は前へ向かって歩き始めた。



  * * *



 所変わって、組合の魔導機駐機場。

 場内の駐機用懸架には、数多くのパンタルやラストルが立ち並んでいる。魔導船交易が盛んになる時期になった為、魔導機を取り扱う商会が保管に利用しているのだ。これはエフタ市がゼル・セトラス域のほぼ中心に位置するという場所柄故である。

 仕事をする整備士達の掛け声、魔導機周辺で鳴り響く作業音、整備用起重機を支える支柱の軋み、魔導機運搬車の装軌が生み出す振動。そんな賑やかな場内の一画に、場違いな品々が並ぶ場所があった。今の世では中々に見られぬ、洗練された形状を持つ品々である。それだけに、たまたま施設を訪れた商人達が興味を引かれた様相で眺めている。


 と、そこにどこか甘みのある声が響いた。


「マッコールさん、このまったく欠損のない品に対して、その値段は頂けないわねぇ」


 軽やかな調子で告げる小人。その言葉は声に似て柔らかく、口元も微笑みを形作っている。


「はっはっはっ、こういった品は好事家がいるにはいるが、世間様の目を気にしているのか、なかなか売れないんだ。だからこそ、この値になるんだよ、ミソラさん」


 応対する中年職員は朗らかに笑う。頬に愛想良い皺を作っての落ち着いた声音である。


 ……が、両者とも、目は笑っていない。


 見えない火花が散っているのが幻視してしまいそうになる程に、じっと相手を見据えている。それはもう、二人共に決して転じることなく退かないと覚悟を決めた目である。両者の傍に控える遺物買い取り担当の職員が、柔和な表情を保てなくなる程に。


 その光景を少し離れた場所から呆れた表情で見ているのは、金髪の少女ことシャノンだ。


 彼女は一つ溜め息をつくと、二人が買い取り価格の交渉をしているモノ、これもまた回収してきた旧文明期の机の上に置かれた、旧文明期の写真製本に目を向ける。その表紙には、上半身裸の溢れんばかりの大きな胸の金髪美女が前屈みになって、とても豊かな乳房を強調しながら微笑みかけていた。そう、至極簡潔に言えば、往代の艶本である。


 ……少女の本音を言えば、自身の身体と比べてとても悲しくなる為、破り捨てたい気持ちになってしまう代物であった。しかしながら、組合の査定で一万ゴルダと値付けされた逸品でもあった。


 そんな訳で、面白くない気分で件の本を睨んでいたのだが、そうしている事自体が悲しいというべきか虚しいというべきか、とにかく時間の無駄であると悟って、視線を周囲の代物へと向けた。


 ミソラとマッコールの周囲には、先日、クロウ達と共に発掘してきた旧文明期の遺物が並んでいる。八一式と呼ばれる装輪車や九三式と呼ばれる個人装甲を始め、据え置き型の電算機に携帯用電算機、補修に使用する機材、技術書や娯楽書、何がしかの報告書や資料、休憩室に会った机や椅子、果てはクロウとミソラが破壊した隔壁の破片まで、実に様々な物が番号をつけられて置かれていた。

 その番号の傍には買い取り価格の札が付けられている。そこに並ぶ数字は、三桁から七桁まで実に様々である。これらは回収された翌日より今日に至るまでに、組合の買い取り担当者が査定をしてつけた値段だ。それらを一つ一つ確かめて、妥当だと納得するならばそのままで、異議や不満があるなら担当者と交渉、といった具合に買い取り価格の決定をしているのだ。……が、どうにも目の前にいる二人が変に昂ってしまったらしく、一つ一つにこだわりを見せて、諤々とやりあってしまっているのだ。


 今日の夜に、報酬分配の会合があるのに、大丈夫なのかな。


 シャノンは若干の不安を胸に抱きながら、再び交渉を続ける二人へと意識を戻した。


「ほらほら、この身体を見てよ。男から見たら思わずむしゃぶりつきたくなる位に、とーっても魅力的じゃないの」

「いやいや、艶本はどこまでも艶本さ。このご時世だ、好事家が喜ぶだけの代物だよ」

「かー、わかってないわねぇ。こういった写真だからこそ、こう、人の想像が刺激されるっていうか、男の妄想って名の浪漫が掻き立てられるんじゃないの」


 僕の上司って、本当は女じゃなくて、実際の所はおじさんだったんじゃないかな。


 つい、ミソラが聞けば一両日は不貞寝しそうなこと考えていると、シャノン達から距離を置いて、遺物の品々を眺めていた商人と思しき一人と目があった。

 長い黒髪を後で縛って一纏めにした細身の女性であった。仕立ての良い白い服。そこから覗く肌は艶やかな明褐色。鋭い目であるが、瞳に湛える色は穏当なもの。顔立ちは鼻梁の高さもあって、どこか気品がある。ただ、目付きが鋭いこともあって、綺麗というよりは凛々しいといった風情である。

 その女商人は後ろからやって来た連れと思しき体格の良い男に肩を叩かれると、シャノンに軽く微笑んでから共に去って行った。


 少女は誰だろうかと首を傾げたが、心当たりは思い浮かばなかった。



  * * *



 日が暮れて、夜である。

 組合のエフタ支部は二階にある小部屋。遺構に潜る前に会合を開いた部屋に、十九番遺構の発掘に参加した面々が顔を揃えていた。ミソラにシャノン、マディス、バッツ、ロウ、ディーン、そしてクロウである。

 その内の一人、会合の主催者であるクロウが立ち上がると、机を囲む顔を見回してから、傍らに座したマッコールに訊ねた。


「これで全員が揃ったかな?」

「ああ、全員揃っているな」

「なら、始めようか」


 その言葉と共にクロウがマッコールに頷いて見せると、恰幅の良い中年職員は控えていた二人の組合職員に目線で指示を出した。二人は席に着いている面々の前に、十枚程の紙を配っていく。その間に、マッコールは配っている紙について説明を始めた。


「長らくお待たせして申し訳ありませんでした。今、皆さんに配っているのは、今回の遺構発掘で回収された旧文明期の遺物の目録及び買い取りの価格です」


 クロウも紙面に視線を落とす。買い取りの価格交渉は物を知らぬ自分よりはとミソラとシャノンに委ねていた為、どの位の値段になったかを聞いていないのだ。ただ、この会合が始まる直前に、ミソラから言われた言葉は、結構、頑張ったから楽しみにしときなさい、である。


 そんな訳で、若干の緊張を抱きながら、書かれた文字や数字に目を通していく。


 八一式装甲歩兵戦闘車一両、百二十万ゴルダ。

 九三式個人装甲三機、三百万ゴルダ。

 ALTDRT社製ER-40重機関砲一門、三十万ゴルダ。

 据え置き型電算機三台、十万ゴルダ。

 携帯型電算機二台、十万ゴルダ。

 GK/VR社製携帯情報端末八台、二十万ゴルダ。


 少年は付けられた数字の桁の大きさを目の当たりにして、大いに口元を緩ませ……否、引き攣らせた。縁遠すぎる数字の桁が現実であると認識しようとして、これまでの懐具合や己の経済観念と衝突した結果であった。

 ちなみに、クロウは気が付いていないが、グランサーの二人も同様の反応を示している。


 戸惑いを滲ませた少年は、なんとか目にした数字が本当であると思おうとしながら、目をそのまま下へと持って行く。

 続く品目は休憩所に置かれていた多数の机や椅子、大部屋の奥で武器を保管していたと思しき保管用鍵付戸棚(ロッカー)、更にはクロウがミソラと共に破壊した隔壁の破片までもが記載されている。隔壁の破片は重量での値付けだ。


 金額の大きさに目を剥きつつ一枚目全てに目を通した所で、再びマッコールの声。


「通常であれば、一日ないし二日の査定で結果をお知らせできるのですが、今回は一度に持ち込まれる量としてはかなりの量であり、また品目も複数に渡ったことで時間がかかってしまいました」


 品目が多いとはと首を傾げて、紙を捲って二枚目へ。


 個人装甲発展史、逢引場所(デートスポット)百選、八一式装甲歩兵戦闘車整備説明書、団地妻の淫靡な日常三巻、工学用語大辞典、巨乳対微乳-読者がそれぞれの魅力について語る決定版-、季刊軍事論評といった具合に、書籍の名前と思しき文字がずらりと並び、それぞれに、千ゴルダ、一万ゴルダ、十二万ゴルダと価格が付けられていた。書籍は一冊幾らといった方法ではなく、書かれている内容によって決める為、査定に時間がかかったのだ。


 その値段を見ていたクロウは、以前、ミソラに頼まれて引き揚げた書籍類を思い出す。


 あれらにはどれくらい価値があったのだろうか。確か、目録を記した紙は数十枚になっていたはずだから、とまで考えて、首を一振り。恐ろしい桁の数字が思い浮かびそうになり、考えるのを止めた。


 気を取り直して、視線を上げた所、マッコールと目が合った。先に進めていいかと、その視線が問うている。応じて頷くと、手元の紙面を軽く見てから司会を続けた。


「えー、こほん、それでは買い取りの可否の前に、先の会合で決められました通り、ミソラさん、シャノン・フィールズさん、ウディ・マディスさんのお三方には、現物取得するかしないかを決めてもらいます。……どうされますか?」


 この声に真っ先に応えたのは、ミソラ。


「うーん、私はこれといって興味を惹かれるモノがなかったから、止めとくわ」


 ミソラの声が終わるや、金髪の少女が声を上げる。


「僕は、五頁の八行目にある、人工筋肉大全、という本が欲しいです」


 その声に釣られてクロウが該当部を探すと、六十万ゴルダと書籍の中でも中々の値が付けられていた。が、全体の買い取り金額を考えると、金銭で報酬を得た方が得である。本当にこれでいいのかと、少年は思わずシャノンへと目を向ける。その視線に気が付いた件の少女は微笑んで続けた。


「僕には価値がある物なんです」

「補足しておくと、シャノンちゃんが欲しい本って、今のご時世で競売っていうか売りに出すと、買い手が殺到するだろうから、多分三百万は越えるはずよ。……マッコールさん、良い空気を吸ってるわねぇ」

「さて、私どもとしましては、その物自体にある、適正な価格を付けているだけなんですが、買い手の皆さまがどれ程高くても欲しいと仰りますので、ええ、それに応じているだけです」


 ミソラの意地悪そうな言葉に対して、中年の職員は動揺の欠片も見せず、惚けた風情で目を逸らす。ミソラの話を信じれば、実に二百四十万もの巨額の利益である。確かに、これならばマッコールさんの取り分が必要ないはずだと、クロウは納得して、苦笑する。


 と、そこまで黙って買い取り価格の一覧を読んでいた厳つい男、マディスが口を開いた。


「まぁ、それがぁ、商売って奴だろうよ。……んでぇ、俺の取り分なんだがぁ、九三式個人装甲を一機貰いてぇ」


 クロウが声の主に目を向けると、先達の機兵であり魔導技師でもある男は肩を竦めて続けた。


「旧文明期の個人装甲なんざぁ、一個人だと、まず手に入るもんじゃぁねぇからな」

「それって、あんたの研究や開発に役立つの?」


 即座に反応したミソラの直截な言葉。マディスは軽く笑って答えた。


「いや、俺の研究や開発に役に立つかはわからねぇ。だがぁ、旧文明期の代物がどんなもんだったのか、分解して全てをこの目で確かめてみてぇのさ」


 クロウは研究や開発という言葉から、朝に乗っていた多脚試験機を思い出す。彼には、あれがどういった目的で開発され、どういった可能性があるのかはわからない。けれど、可能性や探究心を理由に報酬を選ぶ姿勢に、マディスのそれに賭ける意気込みの強さを感じることはできた。


 少年が感慨を抱いている間にも、マッコールが話を進めた。


「では、ミソラさんは取得権を使用しない。フィールズさんは人工筋肉大全を、マディスさんは九三式個人装甲を権利を使用して取得することになります。……えー、では、お手数ですが、お二方の手元にあります紙の九枚目、遺物を現物取得する権利を行使し、金銭報酬を得る権利を放棄する旨が書かれた宣言書に、取得する遺物の名称と署名をお願いします」


 クロウ達が見守る中、二人が用意された筆記具で書きこんでいく。それが終わったと見るや、中年職員は場に控えていた職員達に宣言書を回収するように指示を出す。そして、説明を続けた。


「次にですが、お二方の宣言書に、残りの皆さんが取得権を行使することを了承したとする署名をお願いします」

「その前に、引き渡しについては?」


 マディスのもっともな疑問。これに対して、マッコールは淀みなく応じた。


「そちらの都合がよい引き渡し方法や場所といったことを教えてください。その通りに動きますので」

「わかりました」

「わかった」


 シャノンとマディスがそれぞれに頷いた。これを受けて、マッコールは二枚の宣言書に残りの面々から署名してもらうよう、二人の職員に合図を送る。職員達は右回りと左回りとに別れ、クロウ達から署名を得ていく。両者共に一連の作業を終えると、宣言書をマッコールに手渡した。


「この宣言書は組合が管理保管します。それとは別に、皆さんには後日、写しをお届けします」


 これは後のもめ事を回避する為の方策である。


「えー、それでは改めまして、買い取り金額の提示ですが、お二方が取得した遺物分を差し引きまして……」


 マッコールが手元の資料を見ながら十露盤を弾いて、総額を算出する。そして、計算を終えた十露盤を提示しながら告げた。


「当エフタ支部が提示する金額は、七百八十万ゴルダ、となります。こちらでお売りいただけますか?」


 七百八十万ゴルダ。

 命を懸けて得た報酬として見合っているか否か、判断するのは人それぞれであろうが、クロウの金銭感覚からいえば大金であった。ついでに言えば、マッコールならば誤魔化すことなく、適正な価格を示すであろうと信頼していたし、事前にミソラとシャノンが価格交渉をしたのだから間違いはないという思いもある。よって、彼はなんの疑義を挟むこともなく首肯した。


「俺はその金額でいいです」

「お、俺も」

「あ、ああ、それでいい」


 クロウに続く形で、グランサーの二人も同意する。


「俺も特に問題はないな。……というか、俺、仕事を抜け出してきてるから早い所頼むわ」


 これはディーン。実の所、彼の仕事である機兵教練が始まっており、あまり職場を離れるのはよろしくないのだ。付け加えるならば、共に仕事をする同僚からも、出るのは認めますが、お酒は決して飲まずに帰ってくるように、と釘を刺されている。

 どことなく落ち着きのないディーンに続いて、ミソラも頷いて口を開いた。


「私も、まぁ、いいかな。今日の交渉で、ある程度、引き出すことができたし」

「こちらとしては、あまり無茶は言わんで欲しい所でしたがね」

「うふふ、そんなこと言いつつも結構楽しんでいたくせに」


 マッコールのぼやきに、ミソラは笑って応じた後、更に続けた。


「でも、マッコールさんの誠意は見せてもらったわ。あれ、十本はあったけど、どれも中々のお酒よね?」

「ははっ、うちの支部長が応接用との言い訳で貯め込んでいたモノですからな。有意義に使わせてもらっただけです」


 応接用に貯め込んだモノとは、一本一万ゴルダはする秘蔵の酒のことである。マッコールはそれぞれの三桁以下の端数と交渉で加算された分をこれらで贖う形で話を付けたのだ。ちなみに、その本数は十本程であり、後生だから、それは見逃してくれと支部長自らが懇願した数本を残した全てである。


 マッコールは日頃から節減節約とうるさい上司が、がっくりと肩を落としていた姿を思い出して、密やかな悦に浸る。が、今は仕事だと、すぐに頭を切り替えた。


「えー、話を戻してまして、買い取りへの了承を頂きましてありがとうございます。後で同意書を用意しますので、それに署名をお願いします。では、最後になりますが、金銭報酬の分配と支給方法についてです」


 クロウ達がほぼ同時に頷く。これを受けて、マッコールは説明を続けた。


「分配は先の会合で定めた通り、エンフリードさんが二割、ミソラさんが一割五分、ディーンさんが一割、バッツさんとロウさんが五分ずつ、経費が一割となります。先の七百八十万ゴルダを、全員の割合の和である六割五分で割りまして……、一割に付き、百二十万ゴルダとなります。ですので、エンフリードさんが二百四十万ゴルダ、ミソラさんが百八十万ゴルダ、ディーンさんが百二十万ゴルダ、バッツさんとロウさんがそれぞれ六十万ゴルダ、経費として百二十万ゴルダとなります」


 クロウの報酬は、二百四十万ゴルダ。

 少年が知る限り、魔導機パンタルが購入できる程の金額である。この事実に、彼は心の内に常々あった不安……、魔導機が壊れた時はどうしようという思いが薄れていくのを感じた。

 そんな心の余裕が、少年の視野を広くする。ミソラは中々ねと笑っている。シャノンと目が合うと、微笑んでくれた。ディーンは口笛を吹いてにやけている。マディスは口元を軽く緩めている。そして、バッツとロウは、どこか心に在らずといった風情で呆然としていた。

 なんとなく彼らの心情がわかるだけに、クロウは声を掛けずにマッコールを見た。中年男はその視線に気が付くと、再び話し始めた。


「経費の百二十万ゴルダですが、遺物を運んだ魔導船及び人足への支払いに、四十万使用しています。この分を引いた残りの八十万ですが……、レイリークさん、あの言葉通りの使い方でいいですか?」

「ん? ああ、構わないさ。……いや、どうせなら、それ全部、下の酒場でパーッと使って、お大尽にでもなってみるかね?」


 ディーンの視線はクロウに向けられていた。クロウは戸惑いを垣間見せるも、周りからの視線と当人の笑みを含んだ目に気付き、口元を緩めて答えた。


「元々はレイリーク教官の分ですから、それでいいならそうしましょう。……けど、教官、今日は早く戻らないといけないんじゃ?」

「ははっ、せっかくうまい酒が飲めそうなんだから、野暮なことは言うんじゃないよ」


 そう言われても、クロウの脳裏に浮かぶのは厳しい老教官の姿なのだ。簡単には、心配げな顔は直らないというものである。一方のディーンであるが、赤髪の少年の表情から大凡の心情がわかり、今度はしょうがねぇなぁといわんばかりの苦笑いと共に告げた。


「大丈夫だ、程々に楽しんだら帰る。留守番してくれてるあいつに、付き合いで仕方なくって言い訳でもして見逃してもらうさ。……とはいえ、もしもの時ってのがあるから、こう、見逃してもらえるだけの土産があると、助かるんだかなぁ」


 そう言って、ミソラをちらりと見やる。小人もまたニヤリと笑って答えた。


「そうよねぇ、袖の下って聞こえが悪いのは確かだけど、融通を利かしたり味方を作ったりするには必要だったりするのよねぇ。……六本で間に合う?」

「十分。いやぁ、助かるわ」


 二人揃って偽悪的な笑みを見せる。が、実は両者の根底にある思惑は同じであった。


 二人の思惑とは即ち、自分達への妬み嫉みの抑制である。

 やはり人である以上、妬心や僻みといった感情とは無縁ではいられない。当然の如く、他のグランサー達も成功者へ思う所が生じてくるものである。

 だからこそ、ミソラはそういった自分達に向けられる負の感情を少しでも減らすには、宴席の一つでも設けて周囲に味方を作ったり、日頃の鬱憤を晴らす機会を与えたりした方が良いと判断して、高価な酒の確保に動いていた。そして、ディーンもまたこの問題への対処に、自身の報酬を割って経費に充て、かつ宴会の一つでもと言っていたのだ。

 そんな両者がこれまでの話の流れから共に同じ理由で動いていたことを悟り、ミソラが損を買って出てくれたディーンに僅かなりとも補填をした次第である。


 二人のちょっとしたやりとりが終わったと見て、マッコールが息を吸いこんで話し出す。


「あー、話はまとまったと見えましたので、皆さんへの支払いについて説明をします。今回の支払金額は高額になりますので現金での支払いではなく、砂海金庫もしくはその他の金融機関への振り込みで支払わせていただきます。振込日は今旬の十一日の予定です。……以上となりますが、何か質問はないですか?」


 中年職員が場を見渡す。誰からも声は上がらなかった。


「では、一番後ろにあります紙に、お持ちの口座名と番号をお願いします」


 その声で、報酬分配の会合は終局に至ったのだった。



  * * *



 クロウ達が会合を終えてからのこと。

 ディーンの提案通りに一騒ぎすべく、組合の併設酒場に入ると、今日一日の作業を終えて、夕食を食べていた多くのグランサー達がその手を止めた。静かな囁きが広がり、グランサー達の目が一斉にクロウ達に向けられた。それは悪意も好意も含まれていない、相手を探る目であった。

 普通に考えると、見覚えのある顔や見知った顔から向けられるモノではない。これまで経験したことがない事態に、クロウが居心地の悪さを感じていると、それなりに言葉を交わしたことがある壮年のグランサーが声を掛けてきた。


「おぅ、赤坊主。地下遺構の発掘に成功したって聞いたんだが、本当か?」


 赤坊主。クロウを知るグランサー達が彼に付けた渾名である。先達に教えを請い、大人に交じって遺物拾いをしていた少年は、同業者達からそれなりに知られていたのだ。


 渾名を呼ばれた少年が答える前に、ミソラが口を出した。


「ええ、本当よ!」


 酒場に、ざわめきが広がる。その間を利用して、小人は宙に浮かび上がると楽しげな様子で話を続けた。


「だから、これからその成功を祝って宴会でもしようかって話になったの!」


 ざわめきが大きく強くなり、クロウ達を見る視線に様々な色が含まれ始める。その色が定まる前に、今度はディーンが朗らかな声で話し出した。


「ま、そんな訳で賑やかにやろうと思ったんだが、こういった場所だし、俺達だけが盛り上がっても面白くねぇとも思ったんだわ」


 聡い者はこの言葉が意味する事を理解して、その瞳を期待の色で染める。それに応じるかのように、ディーンは続けた。


「こういう成功ってのはよ……、ほら、やっぱり、たくさんの人に祝ってもらう方が楽しいだろ?」


 注目を集めるように、また期待を煽るように、声量に抑揚を付けて。そして、男臭い獰猛な笑みを浮かべて見せると、声を張り上げて宣した。


「だからっ、今夜はっ、ここにいる全員でっ、ぱーっとやろうぜっ! みーんなっ、俺達の奢りだっ!」


 一瞬の間。


 クロウがミソラとディーンに目を向けた所で、酒場は大きな歓声に包まれた。


「よっ、お大尽!」

「ねぇちゃん! 串焼きの追加を頼む!」

「太っ腹だな! 大将!」

「おい! 酒だっ! 酒を持って来い!」

「あんちゃん! 賑やかな奴をやってくれ!」


 グランサー達はそれぞれに満面の笑みを浮かべて、ある者はクロウ達を賛美し、ある者は近くの給仕に注文を出し、ある者は演奏者達に要望を出した。

 一息で騒がしさに包まれた酒場。クロウが改めて目をミソラとディーンに向けると、二人は共に笑みを浮かべて告げた。


「今からなしなんて、ケチ臭いことは言っちゃ駄目よ?」

「ああ、お大尽になれるなんて滅多にないからな、楽しんどけ」


 ここに至って、クロウは二人がこういう風に話を持って行った理由を悟った。それを肯定するように、後ろにいたマディスが少年の肩を叩いて言った。


「こうしておけば、さっきみたいな目で見られることはねぇってことだがぁ、あー、あんまり難しく考える必要はねぇ。俺達の幸運を、他の連中に分けてやったとでも考えとけ」


 と、そこにクロウも良く知った豊満な給仕、マリー・テリーズがやってきた。その顔には苦笑いが浮かんでいる。


「まったく、いきなり何を言い出すかと思ったら……、まぁ、いいわ。こうなるかもしれないって、マッコールさんから聞いていたから、酒と食べ物の備蓄は十分よ。ほら、あんた達も席に着きなさい」


 女給仕に言われるまま、クロウとミソラ、シャノンの三人と、ディーン、マディス、バッツにロウの四人といった風に分かれて卓に着く。そこにマッコールが木箱を二つ抱えてやってきた。


「ミソラさん、この二本であってるかい?」


 そう言って木箱から取り出したのは、見目華やかな附票が張られた葡萄酒と砂糖黍の蒸留酒。ミソラは目を輝かせて頷き、言った。


「こっちが葡萄酒で、向こうに蒸留酒でお願い。あっ、レイリークさんに渡す分は持って帰れるようにしといたげて」

「わかりました。……では、楽しい時間を」

「ありがと」


 中年男は曇りなく微笑むと去って行った。それを見計らったように、今度はディーンが立ち上がって、場の喧噪に負けない声を上げた。


「さて、皆聞いてほしい!」

「挨拶なんざいらねぇぞぉ!」


 どこからかヤジが飛ぶ。それに皆が笑う。ディーンも笑っていたが、改めて口を開いた。


「俺も宴での挨拶なんざ、面倒なのは重々承知している! が、乾杯だけはしなきゃ始まらないってもんだ!」

「確かにそりゃそうだ!」

「で、誰が乾杯の音頭を取るんだ?」

「そりゃ、赤坊主だろ」

「あいつが今回の計画を立てたってのは聞いてるからな」


 次々に広がる声。グランサー達もどこからかクロウ達の話を聞いていたことがわかる。そこに場違いな一声。


「つか、お前、かわいい子に酌してもらって、にやけてるんじゃねぇよ! 独り身の俺に対する嫌みかっ! いや、ほんと、俺にも酌してくださいおねがいします!」


 シャノンから葡萄酒を注いでもらっていたクロウは杯を持ったまま、えっと顔を上げる。付け加えれば、シャノンは外野の声は意に介さないと言わんばかりに澄ました顔である。自然と笑いが起きた。


「はなから相手されてねぇよ!」

「ひがむなひがむな!」

「自分の顔見てから出直してこい!」

「ち、ちくしょー!」


 どこかの卓で一人のグランサーが業とらしく涙をぬぐう仕草をする。ディーンが軽く笑って、クロウに告げた。


「ま、そんな訳でだな、エンフリード、お前が乾杯の音頭を取れ」

「へ? 俺、そんなこと、一度もしたことないんですけど?」

「はっ、お偉いさんなんてどこにもいねぇ、なーんも飾らねぇ席だ。適当な一言二言の後に、乾杯って言って、杯を掲げてやりゃぁいい」


 既に酒杯を手にしたマディスの助言。まぁ、それくらいならと立ち上がる。そこで歓声が起きたかと思いきや、近寄ってきた数人の男達に捕まって、近くにあった椅子の上に押し上げられた。


 その俄か作りの演壇にクロウが立つと、上がっていた囃し声が小さくなり、遂には場が静かになった。


 集まる視線に若干の気恥ずかしさを感じつつ、少年は何と言えばいいかなと内心で困惑する。特に時間稼ぎをするわけでもないのだが、酒場に屯していたフランサー達の顔を見回す。


 日に焼けた顔。目の周りが白いのは、ゴーグルの跡。目の周りの深い窪みは、今日一日、酷暑の中で作業をしてきた証。


 かつては、自分もそうであった顔である。


 その顔を見ている内に、彼の中で自然とある言葉が浮かんできた。


「あー、では、一言だけ」


 それは、この場に集うグランサー達が抱くモノ。


「……グランサーの夢に、乾杯」


 この言葉が酒場に響いた直後、グランサー達は多き口を開けて、異口同音に繰り返した。


「グランサーの夢にっ! 乾杯っ!」


 グランサーの夢。それは一攫千金。グランサーになった者誰しもが夢見るモノであり、地に足をつけて生きる方が良いとわかっていながらも、この稼業を続けている者達の支えである。


 実現が難しい夢想を求めながら、明日とも知れぬ現実の中で生きる。それがグランサーという存在の全てであった。


「さて、乾杯も済んだ所で、ここは一つ、この俺が、風塵哀歌を!」

「馬鹿野郎! どうせなら、もっと明るい歌を歌いやがれ!」

「そうだそうだ!」

「どうせなら、砂掘り野郎の空騒ぎの方がいいだろう!」


 グランサーや酒場に居合わせた者達の賑やかな歓声は絶え間なく続き、楽しげな音律の楽曲に合わせて人々が合唱する。その合間にも、笑い声は尽きることない。

 そして、それらは、厳しい現実を忘れ、刹那の時を楽しむかのように、あるいは、一夜の夢に浸り明日への活力にするように、はたまた、今を生きることを精一杯謳歌するかのように、いつまでも途切れることなく、夜が更けたエフタの街並みに響き続けた。



 5 技師は夢追いに猛る 了

 あとがき、或いは本章を振り返った作者の感想

 ぜんぜんたけってないじゃない!

 開発関連の話をあれこれ描いて悦に浸るつもりが……、ほんとうに、どうしてこうなった?

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