五 機士と機兵
「もう一度、遺物漁りをする、か。……俺から見れば、今更という気がしないでもないがなぁ」
「まぁ、そう言われたら、そうなんだろうけどね」
クロウは窓口の向こう側に座る恰幅の良い中年男、ヨシフ・マッコールの言葉に肩を竦めると、頬を掻きながら続けた。
「ただ、このまま終わるのもって思ってさ」
宵の口の組合連合会エフタ支部。
先刻まで遺物を換金するグランサー達で一杯だった窓口は落ち着きを取り戻し、代わって隣の併設酒場が賑わいを見せている。今日一日の稼ぎに一喜一憂するグランサー達。ちょっとした雑談や笑い声が織り成すざわめき。酒杯や食器が卓に擦れる音。給仕達の威勢ある声。静かに時に大きく響く足音。バンコの低い響きとギューテの軽快な旋律。香ばしい串焼きの匂いの中、微かに交る煙草や砂塵の臭い。
自分も以前はあの中にいた。
懐かしさと共にそう思った瞬間、目に映る光景が遠く離れた場所のような感慨を覚えた。機兵になった事で得た新たな観点や立場が、クロウにそう思わせたのだ。
幾分かの寂しさを胸に、酒場の喧騒を眺めつつ、少年は思いの丈を話し出す。
「今は機兵になって身を立てている。けど、前身は一獲千金を夢見たグランサーだからさ。最後に一度だけ、できなかったことをしてみたいって思ったんだ。……今更、馬鹿げた話かもしれないけどね」
「いや、まぁ、別に反対はしないさ。お前さんがやりたいならやればいい。けど、どんな結果になっても泣くなよ?」
「うん、どんな結果になってもいいんだ。ただ、グランサーになった時に、夢見た事に区切りを……、いや、夢を終わりにする為だから」
「……なるほど、けじめといえば、そうなるか」
マッコールもまた頬杖をついて、クロウが見ている酒場へと目を向ける。調子外れの歌が聞こえてきた。源を探せば、稼ぎが良かった男が酒杯を掲げて楽しそうに歌っている。
金稼ぎが人の世の定めなら、酒と歌は人生の癒しかと、哲学っぽいことを考えながら、マッコールは改めて訊ねた。
「で、お前さんができなかったことってのは、なんだ?」
「地下遺構の発掘」
告げられた言葉に、マッコールは目を丸くする。ついで、苦笑を浮かべた。
「これはまた、大きく出たな。あてや助けはあるのか?」
「一応は。目星を付けた場所はあるし、おねーさんに頼んだら協力するって言ってくれた。シャノンさんも参加してくれたし、更に言うと、マディスさんもね」
「ほぅ、マディスさんも参加か。となると、魔術士二人に、お前さんを含めた機兵が二人か。……これだけ揃えば、確かにできないこともないな」
中年職員は具体性を帯びてきた話に、薄く残る髪を一撫で。
「いつやるんだ?」
「それぞれに都合があるから、まだ日程は決めてない。ただ、明後日に一度集まって話をしようってなってるんだけど……、マッコールさん」
「なんだ?」
「ヴィンス・バッツって人と、連絡取れる?」
マッコールは己の記憶を探るように、視線をあらぬ方向へと彷徨わせる。それを助けようと、クロウは更に情報を述べていく。
「ほら、前にそこの広場であった事件で、ここで聴取受けた時に一緒にいた人。結構、大柄で……、俺よりも三つ四つくらいは上かな。結構、顔の彫が深いんだ」
「おー、あいつか。思い出した。……確か、二度三度、受付をした覚えがあるかもしれん。ちょっと受付簿を調べてみる」
「ん、頼むよ」
マッコールは待ってろと言い残して、後方の事務席へと下がった。昼の業務が終わっている為、職員の数が少なくなっており、のんびりとした空気が流れている。
そんな中、マッコールは棚の一つの前に立つと、収められていた書類の綴じ込みを取り出し、中を検め始めた。しばらくして、目的の名を見つけたのか、その綴じ込みを手にしたまま戻って来る。
「しかし、クロウ。なんで、急にこいつの……、ヴィンス・バッツって名前が出てくるんだ?」
「いやさ、あの事件の後、一度、俺を訪ねてきたことがあるんだ」
「ほぅ、そうなのか」
「うん、遺物を漁る間、護衛を頼めたりするのかってさ」
「あぁ、そういう話か。……その時に話したことで、お前さんも触発されて、さっきの話に繋がったって訳か」
「そういうこと」
クロウは受付台に腰を預け、天井を見上げる。
「その時に地下遺構の発掘の話が出なかったら、こんなこと考えなかったよ。だから、相手が受けるか受けないかは別として、最低でも筋を通さないとね」
マッコールはクロウの言葉に得心したように頷いた。
今し方言ったように、クロウがやりたいと思ったのは事実だろうし、筋を通す為に声を掛けるという理由も本当なのだろう。しかし、きっとそれだけが理由ではない、とも彼は考える。なんとなれば、先に上がった名前だけでもやろうと思えば十分に可能であるし、筋を通す云々等、知らぬ顔をしてしまえば、それで終わりなのだから。
自然、マッコールは、以前、クロウが心情を漏らした時のことを思い出す。
自分が生きれるようにしてくれた事への恩返し。自分がやってもらったことを、少しでも誰かにしたい。自分だって誰かの為にできることをしているのだから、誰にも負い目を感じずに胸を張って生きればいいって、自分自身に思わせたい。
これらはクロウがよく知らぬ相手に助けの手を差し伸べた際、何故そうしたのかと質した時の答えだ。そして、今回の話をクロウが思い立った理由、その底にあるのはおそらくはこれと同じ物なのだろうと、あたりをつけた。
もっとも、と年長者は苦味を帯びた笑みを浮かべる。
クロウの行いは、人によっては傲慢に見えるかもしれない。
相手を慮って協力するなら対価を出すといった態を取っているが、捻くれた見方……、いや、客観的な事実として、社会で余裕がある上位者が施しや機会を与えている構図と変わらない。
もしも、受け手が己の矜持にこだわりを持っていたり、施しをよしとしない性格を持っていたりする者ならば、噴飯物の提案となる。つまり、この誘いは必ずしも相手から感謝されるとは限らないし、逆恨みのようなものを受ける危険性もあるのだ。
世の中は必ずしも善意に対して善意や好意が返って来る訳ではなく、時に悪意や害意となって返ってくることもある。そして、そのことはクロウも孤児院や今までの暮らしの中で学んでいるはずだ。
けれど、それでもやるのだろう。
マッコールは背を向けて、照明に目を向けている年少者を見つめる。
……まったくもって、不器用なお人好しだ。
だが、俺はそんなクロウの考え方や在り方が嫌いじゃない。
そう内心で呟くと、表情を改めてクロウに告げた。
「よし、こいつには俺から連絡をしておこう」
「え?」
クロウが虚を衝かれた顔で振り返る。そんな少年に対して、マッコールは続けた。
「お前さんも昼は仕事で忙しいだろうし、夜は夜で疲れているだろう? こういった細々とした連絡は俺がしておいてやる」
「でも」
「なんでもかんでも自分でしようとするな。……こっちが話に噛めなくなるだろ?」
マッコールは人の悪い笑みを浮かべて見せる。クロウも中年男の似合わない笑みを見て苦笑する。
「なら頼むよ、マッコールさん。人を集めて、地下遺構の発掘をしようと考えているってことと、明後日に一度集まって、顔合わせや打ち合わせ、報酬の話をすることになってるってこと、伝えておいてほしい」
「その顔合わせ、場所や時間とかは決まってるのか?」
「場所はここを使わせてもらうつもり。時間は三十時」
「わかった、伝えておこう。……そうだな、参加するかしなかはそちら次第、参加するつもりなら時間前にここに来いって形でいいか」
「あまり棘がない言葉で頼むよ?」
「ああ、わかってるって。……っお?」
頷いたマッコールであったが、クロウの背後に視線を移すや軽く首を傾げた。それを不思議に思って、クロウが後ろを見ようとした。その瞬間、勢いよく肩を叩かれた。
「いよぅ! 丁度いいところにいたな、エンフリード!」
聞き覚えのある若い男の声。クロウは肩の痛みに耐えながら振り返った。
「い、いきなり、どうしたんですか? レイリーク教官」
そこには彼が機兵になる際に教えを受けた機兵教官、ディーン・レイリークが満面の笑みを浮かべて立っていた。
「いやぁ、まさかお前がこの場にいるとはなぁ。うん、こいつはきっと、俺の日頃の行いが良いからに違いない」
仕立ての良い暗色の外套をまとったディーンはクロウの隣に立つや否や、クロウやマッコールに用事が終わっているかを確認すると、無精ひげを生やした顎を撫でながら話し出す。
クロウは教えを受けた先達の唐突な登場に目を白黒させつつも、なんとか言葉を返す。
「は、はぁ、日頃の行いですか」
「ああ、そうさ。なんせ常日頃から内から絶え間なく溢れ出てくる熱い情熱を抑えてこんで、女遊びを節制しているからな」
「それが行いの良いことになるのかは知りませんが、本当にどうかしたんですか? なんか、俺に用があるみたいな話しぶりですけど」
「はは、そうやってこっちの言いたいことを汲み取ってもらえると助かるわ」
笑いに紛れてしまっているが、ディーンの声には少し安堵の色が滲み出ていた。その事に気づいてしまった少年の背中に怖気が走る。ついで、これは何らかの厄介事を持ってきた可能性が高いと、思考が働いた。
無意識の内にクロウの身体は厄介事の源から距離を取ろうとする。が、一枚上手の先達はがっしりと少年の肩を掴んでおり、逃れることはできなかった。
それでも何とか逃れようと、クロウは内心で焦りながら口を開く。
「いや、その明日も仕事ですんで、今日はこれで失礼させてもらおうかなぁ、と」
「まぁまぁ、エンフリード、そんなに慌てるなって。別に、そんなに悪い話じゃないから、な」
と言われても、クロウからしてみれば頷けるものではない。
なにしろ、つい先だって受けた依頼で天高く空を舞う破目になり、寿命を縮めたばかりなのだ。少しは突発的な依頼を避けて、心身を休ませたいというものである。更に言えば、機兵が持ってくる話だけに、悪い話ではなくとも危険ではある可能性が高い。
「その、ほら、俺、晩飯まだですんで」
「そうかそうか、なら、俺が奢ってやるよ」
「そんな、レイリーク教官に奢ってもらうなんて、恐れ多い」
「ははっ、心配するなって。俺もまだ独身だからな。使える金は多いんだ」
「なら、俺と飯を食うんじゃなくて、ほら、情熱を発散する為に、女の人との一時を……」
「なんだ、そっちに連れて行ってほしいのか?」
「いっ、いえ、そうじゃなくて」
「……クロウ」
横からの口ばさみ。第三者と化していたマッコールの声だ。クロウは幾分かの期待を持って、中年職員に目を向ける。その視線に頷いてから、マッコールは告げた。
「人ってのは、時には諦めが肝心な時もあると思うぞ」
情け容赦ない言葉に、少年はがっくりと項垂れた。
クロウが抵抗を諦めたことで、具体的な話が始まった。
「こいつは魔導機教習所から組合支部を通しての正式な依頼なんで、マッコールさんも立ち会ってほしい」
と、ディーンから一言があった為、三人での話である。
ディーンは受付台に左半身を寄りかけて、表情を真面目なものに変えると依頼について話し出す。
「エンフリードが知っているかはわからないが、今、エフタには東方の領邦、ペラド・ソラールって所から、使節……、交易や色々な問題について話し合う為の一団が来ている」
クロウがそうなのかとマッコールに確認の目を向けると、中年職員は頷いて補足の言葉を入れた。
「ペラド・ソラールからの使節団は半旬ほど前にエフタに到着した。本部でうちやゼル・セトラス域の各市と交易交渉をしている」
「そうなんだ」
「ああ、二、三年に一度位の割合で行われる非常に大切な交渉だ。普段、お前さんが口にしている水や塩も、ほとんどがそこから入ってきている物だって言ったら、交渉の重要度がわかるだろう」
「なるほど、水と塩か。そりゃ、大切な相手だね」
クロウは補足説明にふむふむと頷く。ディーンは少年の理解力を上方修正して再び口を開いた。
「そう。今、マッコールさんが言ったように、ゼル・セトラス域で生きている俺らにとっちゃ、なくてはならない相手って奴だ。でもって、その相手さんがパンタルに興味を示している」
「パンタルに、ですか?」
「ああ、ペラド・ソラールに限らず、東方にある領邦は帝国の影響力が強いっていうか、間接的な統治を受けている。そういったこともあって、使用している魔導機はゴラネス一型系列になるんだが……」
ディーンは一旦口を止めて、濃褐色の目を周囲に走らせる。特に注目を集めていないことを確認して続けた。
「例の帝国と同盟の諍い以降、帝国内は色々とごたついているだろ? 国外っていうか、東方への睨みや抑えが弱まっている。だもんで、やんちゃ……って言葉で収めるには度が過ぎているか、そうだな、厭わしい奴らが蠢き出していてな。かなり物騒になってるんだよ」
「物騒……」
クロウは以前、水の値段が上がっていると聞いた時に耳にした言葉を思い出す。
「賊党、ですか」
「ああ、賊党の類が魔導船航路に跋扈している。とはいっても、それだけなら、そいつらを叩けば終わる話なんだが、ほれ、今さっきも言ったように、帝国の睨みが弱まってるだろ? その賊党跋扈を理由に、幾つかの領邦が欲気を出し始めてなぁ。領邦間の利害関係に影響を及ぼし始めたんだよ。そして、ペラド・ソラールはそれに巻き込まれて被害を受けている」
クロウは聞いた内容をなんとか理解しようと指で額を押さえる。そうして頭に熱を発生させながら、自分なりに消化すると、それを声に乗せた。
「つまり、帝国がぐだぐだしているから東方が不安定になっている。幾つかの領邦が賊党の問題を利用して、自分達の利益を生もうとしている。その影響で、ペラド・ソラールが不利益を被っている、ってことですか?」
ディーンは簡潔に要点をまとめた少年に対して、少しばかり驚きを感じるも、表面には出さずに応じた。
「まぁ、そういうことだ。もっとも、ペラド・ソラール側が主張する所をそのまま取り上げればって話だがな。実際の所は、情報を集めて確かめんことにはわからんさ」
「……なら、そういった事が起きている可能性がなきにしもあらず、ってことで覚えておきます」
「ああ、本題に入る前の前提って奴だからな、それくらいの理解でいい」
そう言って一息入れると、ディーンは撫で上げた栗色の髪に手櫛を入れて掻き上げる。何気ない仕草だが、妙に様になっている。こういった仕草は自分には似合わないだろうなと、クロウは心中でぼやく。
ディーンが再び話し出した。
「とにかく、ペラド・ソラールは今のままでは帝国が頼みにならないのではないか、ってな具合に判断したらしくてな。ゼル・セトラスとの関係を深めた方がいいかなと、考えているそうだ」
「その結果が、パンタルですか?」
「ああ、導入も有りだと考えているらしくてな、性能諸々を知りたいって訳さ」
「なら、適当な人に乗ってもらえば終わりですよね」
このクロウの言葉に、ディーンはにやりと笑う。
「ご名答だ、エンフリード。実際、使節団の護衛としてついてきた機士がうちに来て、操縦方法を習っている。代々の本職だけあって、なかなか筋が良いぞ。覚えも早いし、技もキレがある。純粋な力量もお前より上かもしれん」
「はは、そう言われると、こう、胸に来るというか、ガクリと来るというか……」
先達の明け透けな論評に、クロウの機兵としての自尊心は打撃を受ける。あまり表には出さないが、クロウにだって、そういった矜持や誇りはあるのだ。
もっとも、ディーンは頓着せず、むしろ少年の引き攣った顔を見て、意地悪く笑って続けた。
「ほれ、そう落ち込むな。そいつとお前とでは元々の出発点が違うんだ。そういうものだと割り切れ」
「いや、そうなんでしょうけど」
「おいおい、逆に考えてみろよ。三代四代と続いた武門で、小さい頃から専門の教育を受けてきた奴がだ、お前と同じ程度の力量しかない方が不味いだろ」
「あー、そう言われてみれば?」
自尊心に入ったひびを埋めるような補填の言葉に、クロウの気分は上向く。そんな少年に対して、ディーンは言葉を重ねた。
「そして、負けると不味いってのは、俺達、教官にも当てはまるんだよ」
至極、真面目な顔。いよいよ核心に入るのだと悟り、クロウも顔を引き締める。
「さっきも触れたが、ペラド・ソラール側はパンタルの性能が知りたい。目に見える形で、分かりやすい形でだ。そういった時、お前ならどうする」
「さっきの話のように実際に動かしてみるか、乗れない人なら動いている姿をよく見るか、ですね」
「そうだな。……なら、より現実に近い状況の姿を知りたいと思った場合は?」
「そりゃ当然、実機による模擬戦……闘……」
答えに行き当たり、クロウは軽く表情を歪めて、なんともいえない顔を浮かべた。
「もしかして?」
「そのもしかしてだ。こちらが頼みとなるか調べたいのか、ゼル・セトラスの機兵の力量を知りたいのかはわからんが、向こうのお偉いさんが実機による模擬戦闘が見たいって言い出したんだよ。……教習を受けた機士とのな」
「つまり、俺への依頼っていうのは、模擬戦の相手をしろってことですか」
「ああ。これは組合の話だから、エフタ市軍に頼るのは少し不味い。だからって、俺達教官が出張るってなると、負けた場合、大きな問題になりかねん。いや、無論、機体への慣れ……操縦の習熟度の差で、ほぼ確実にこちらが勝つだろうさ。が、万が一を考えると不味い。お前も実戦を経験したからわかるだろうが、万が一ってのは、起きる時は起きる。確率が低かろうが、その万に一回に当たる時は当たる。そういうもんだからな」
クロウは己の初陣を思い出して頷く。あの時は想定外な出来事で酷い目にあったと。
「そして、そうなった場合、向こうさんからゼル・セトラス域は頼りに値せず、ってな具合に見られるかもしれん。……まぁ、そうなったらなったで上の連中が何とかするだろうし、向こうさんも配慮をするだろうが、意識の根底にそういった感触が残るのはよろしくない。そういったことから、今後の関係に影響が出ることもあるからな」
黙して話を聞いていたマッコールの表情も厳しいものが浮かんでいる。万が一の時の不利益に納得した為だ。また、ディーンも頭が痛そうに表情を歪めている。
クロウは偉い人や教官にも色々と大変なことがあるんだなと思い、眉根を顰めながら告げた。
「なんていうか、面倒な話ですね」
「面倒だろうが、相応に対処せなきゃならん。今回の場合なら、こちらが負けても面子を保てるようにすることだな。だから、おやじ殿や他の教官達と計って前提を変えることにした」
「それが、俺への依頼って訳ですか」
「ああ、機兵になってから日が浅いお前なら負けても問題が少ない。経験の差を考えれば、負けて当然とも言えるし、一人前とはいえ、まだまだ未熟、って言葉も使える」
クロウは首を縦に振って理解を示すと、気になった点を指摘する。
「でも、それなら、もし俺が勝った場合は? 向こうの面子が潰れませんか?」
「大丈夫だ。その場合でも、慣れぬ機体な上、短い時間での操縦の習熟は大変ですし、ってな具合に、向こうの面子は保てる」
「なるほど。双方ともに言い訳も立つし、面子も保てるって寸法ですね」
「ああ、手抜きなく真っ向からガチンコでやったならな」
クロウの脳裏に老教官と相対し敗れ続けた日々が甦り、意識せず、げんなりとした顔になる。なんとなく、クロウの頭の中に浮かんだことがわかったのか、ディーンは悩ましい表情を消して口元を緩ませる。
「なに、教習の時にやった訓練をもうちょっと派手にする程度さ」
「あれは良いようにやられていただけのような気がしますけどねぇ」
「そいつは被撃損傷対策を覚える一環って奴さ。機兵なら必須のな」
そう言ってから、ディーンは外套の内から一枚の紙を取り出し、受付台の上に置いた。クロウとマッコールが覗き込むと、そこには綺麗な字で依頼に関する条件が綴られていた。
「ま、金や機体については心配するな。報酬の一万の他にも機体の修理費は全額出す。仮に大破して修復不可能になった場合はこちらが新しい機体を用意するし、代替機の費用も出す。怪我した場合の治療費も確保済みだ。当日の機付整備もブルーゾの所に頼んで、ほれ、お前の機体整備を担当している、あの子も呼んでやる。つまり、何の憂いもなく、お前さんも対魔導機戦の経験を積めるって訳だ」
「うへぇ。……なんていうか、ここまで来たら断りたくても断れないような気がするんですけど」
「そう言う風に思わせるように、前もって全て準備したからな」
クロウはこれは受けざるを得ないと諦めつつも、一縷の望みをこの言葉に乗せた。
「依頼の日はいつですか? 一応、十九日までは仕事で埋まってるんですけど」
「明後日、十五日の昼からだ。いくら仕事でも、現場警備なら休日は空いてるだろ?」
そこまで調査済みかと、クロウの口元が引き攣った。対するディーンは不敵に笑う。しばしの沈黙の後、クロウは降参と言わんばかりに溜め息をついた。
「ええ、空いてます」
「なら大丈夫だな。ま、機兵たる者、常在戦場を心がけよってこったし、少々休まんでも倒れやせんさ。……で、エンフリード、この依頼、受けてくれるかね?」
答えは言うまでもなかった。
* * *
黒髪の若者は機兵服の首元を緩めて、乗機の影に入ると、大きく息を吐き出した。
雲一つない青空。中天の光陽は昨日よりも強く輝き、空気は彼の故郷では考えられない程に熱く乾いている。
外からの放射を受けて熱を持った身体が水分を欲し、喉の渇きを覚える。応急に唾を呑み込む。日焼けした額に感じる不快感と僅かな清涼。滲み出た汗が流れ落ちる前に腕で拭う。肌に残った水気と裾の染みが見る間に干されていく。
今日に至るまでに幾度も感じた事であるが、確かにここで生きるのは大変だと感じざるを得ない暑さであった。
ディルク・シルドラがこの地に来てより半旬ばかり。
彼は交渉団の随員として控室で待機したり、随行武官の一人として夜会に出席したりする日々が続いていた。そんな日々に変化が訪れたのはちょうど五日前のこと。使節団長直々の命を受けて、もう一人の機士と共にゼル・セトラス域で運用されている魔導機の性能を把握すべく、今いる魔導機教習所で操縦訓練を受け始めたのだ。
ディルクは数日に渡って乗り込んだ魔導機、パンタルに目を移す。
彼が見る限り、パンタルの性能は悪くない。否、実際に操った感触としてはゴラネス一型よりも性能が上だと感じている。そっと赤い焼成材装甲に触れて沈思する。
パンタル。
機体上半身部が大きく膨らむという構造の割には重心が安定しており、見た目に反して揺るぎがない。攻撃や回避に影響する瞬間的な出力も上々であるし、復魔器という機構で魔力を作り出す為、継戦能力も相応にある。装甲厚もゴラネスとほぼ同等であるし、展視窓も配置こそ異なるが不満を感じる程でもない。
そして、左腕と両脚部に設えられた斥力盾。帝国にもない装備だ。最近になって開発されたと聞いたが、攻撃をいなし逸らせる、或いは緩和させる性質は有用だと判断できる。上手い運用方法を見い出すことができれば、手足の切断といった事態が減るだろう。
腕部の操縦方式として使われている追随機構。ゴラネスの直接操作とは異なる間接操作にあたるが、これには戸惑いを覚えてしまった。やはり、想定した動き……自身の動きがそのまま機体の動きになる方がやりやすい。最初からこの機体に乗ることを前提とした場合だと慣れるのだろうが、ゴラネスからの乗換の場合だと感覚のずれに悩まされてしまい、一筋縄ではいかないはずだ。
けれども、追随機構からは少しでも搭乗者を保護しようとする意思が見えており、機士の一人としては好感が持てる。
そこまで考えて、なぜ、パンタルを評価せよとの命が下されたのか、といった疑問が浮かぶ。
だが、若い機士は首を振って、胸の内に湧き起こった疑問を好奇心が捕まえる前に散らした。それから教練場の脇へと視線を走らせる。そこには日除けの幕が張られており、使節団長や随員、青髪の麗人をはじめとする組合連合会の役員といった面々が椅子に座って、こちらを見ていた。
政に関しては、トゥーラン団長達に委ねればいい。今はただ、ペラド・ソラールの機士として、この模擬戦に全力を尽くすことに集中しよう。慣れぬ機体だからといって、無様を晒す訳にはいかないのだから。
黒髪の若者は心中で独言して、表情を引き締める。
実の所、彼はパンタルを乗りこなせていない。いや、ここ四日の教習で通常の動作や武具の運用、それらを連携させた戦闘運動は十全に為せる。ただ、咄嗟の行動……身体の反射に問題がある。機体が大仰に動いてしまって、動きの一体性が失われ態勢が崩れてしまうのだ。
だが、これは当然というべきことである。彼の反射は普段の乗機であるゴラネス一型に適合している。つまり、パンタルの動きを倍加して反映させる追随機構とは噛み合わないのだ。こればかりは直ちに修正できるものではないし、そう簡単に慣れるものでもない為、仕方がないことである。
それ故に、ディルクはこれから始まる模擬戦において、咄嗟の動きを強いられない慎重な戦闘運びをしなければと、心に決めていた。
若者は視線を機体の正面は十リュート程離れた場所へと向ける。
そこにはこちらと同じように大剣を大地に突き差し、駐機姿勢を取ったパンタルと、その搭乗者である赤髪の少年……ディルクよりも二つ三つ下に見える機兵の姿があった。赤褐色の機兵服を着込み、機付整備士と共に機体に不備がないかを一つ一つ点検している。
つい先程、審判を務める青年教官によって引き合わされた対戦相手。
クロウ・エンフリードという、ゼル・セトラス域では一般的な褐色の肌に、鮮やかな赤い髪と太めの眉根、澄んだ黒瞳を持つディルクよりも若い機兵だ。
そんな彼を一目見て受けた印象は、経験を重ねた熟練の機士のようだ、というものであった。
ディルクはそれが不思議でならない。
彼自身もそうであったが、クロウ辺りの年代の機士……機士見習い達は魔導機に乗り始めたばかりの頃であり、魔導機の力強さに酔うものである。甲殻蟲に抗する力。それを得た事で世界に選ばれたような勘違いをして、知らぬ内に驕慢の色が滲み出てしまうのだ。もしも、このような模擬戦を間近に控えようものなら、己の力を周りに見せつけたくて鼻息を荒くするか、抑えても興奮の色を滲ませるものである。
だが、赤髪の少年からはそういった様子が見えない。むしろ、これから散歩にでも行きそうな自然体というべきか、妙に落ち着いている。それはもう、前もって聞いていた、最近になって機兵になったばかりだという話が信じられない程に。
無意識の内に、若き機士は硬い表情を浮かべた。
周囲に張り詰めた空気を醸し出すディルクに、機付整備を担当する整備士が声を掛けてきた。この四日間、ディルクの機体を見てきた教習所の専属整備班員だ。
白髪頭の老整備士は眉間に縦皺を刻む若者の隣に立つと、その視線の先を見やって口を開いた。
「直に模擬戦が始まるが、どうかね、調子は」
「悪くはありません。ですが、少し気なることがあります」
「ほぅ、気になることかい?」
「はい。これから対戦するエンフリード殿なのですが、年の割にはとても落ち着いていると思いまして」
「ああ、あの坊主は、確かに肝が据わってるわな」
手に持った締緩工具で肩を叩きながら笑う。ディルクが先を促すように無言でいると、老整備士は話を続けた。
「なんせ、あの坊主はな、初陣で蟲共の急襲に巻き込まれた上に、味方の誤射……に近いもんか。まぁ、砲撃の余波をまともに喰らっての。魔導機の腹を抉られてあやうく死にかけよった。もう少しで装甲が貫通する所だったのを覚えとる」
遭遇したくない事例だと、ディルクは眉を顰めた。
「ついで、ゼル・ルディーラ……大きな砂嵐が来とる中を、単独で行方不明者の捜索をしたことかの。俺も市軍の伝手から聞いたが、人手が足りん状況で仕方なくやったらしい」
「それは、難しいものなのですか?」
「ああ、そりゃあもうな。なんせ視界が閉ざされるわ音が聞き辛いわで、周り全てが敵というような環境さね。そこを一人で行くのは、半ば狂気の所業だな。……それでも、あの坊主は探しに行き、行方不明者を発見した。が、今度は蟲共に遭遇だ。しかも見つけた直後の救助中にな。ほれ、格納庫でお前さんにも見せたろ、この、跳ね上がっとる前面装甲が真っ二つに食い千切られっとった奴。あれはもともとは坊主の機体のもんで、その時の戦闘でやられたもんだ」
ディルクは沈黙する。
これまで積み重ねた自身の実戦経験全てと照らし合わせても、ありえない程の悪環境、悪条件だということがわかる。
仲間の援護がない状況で、視聴覚が頼りに出来ない中、損傷した機体で蟲から守るべき存在がいる。
最早、死を覚悟するしかない、そんな状況だ。
「よく、生き残れましたね」
「運が良いか計算ずくで動いとったかはわからんが、なんとかぎりぎり市軍の救援が間に合ったからの」
双方共に影響しているだろうが、過酷な状況に耐え忍んでこその結果でもある。
そんなことをディルクが考えていると、老整備士は更に続けた。
「まぁ、腕の方はまだまだ未熟だろうが、簡単には心折れないだけのしぶとさはあるだろうさ」
「ええ、そうでしょうね」
腕の方は未知数である。しかし、自分の力だけでは及ばぬ事態に遭遇し、死に直面する経験もしている。ああ、確かに、ああいった雰囲気を漂わせるようになるだろう。
若い機士は納得すると同時に、今日の対戦相手は強敵だと、はっきり認識した。
* * *
模擬戦の開始予定の時刻になった。
搭乗に掛かれ、との指示が教練場に響く。
「時間か。ティア、最終確認をよろしく」
「はい、わかりました」
エルティア・ラファンはクロウの呼びかけに頷く。
機内に乗り込み、足を脚部に収めて固定。脚部開口部を閉鎖。胴体を四点ベルトで固定。制御籠手を装着。クロウの流れるような動きに合わせて、エルティアは外から不備がないか、一つ一つ確認の声を上げていく。
この一連の流れは二人が教習所時代に幾度となく行ってきた作業である。
そして、エルティアはこの時間が好きであった。
自分が整備した魔導機に機兵が乗り込み、徐々に生の息吹が吹きこまれていく光景は力強く、紛れもない現実であるにもかかわらず、どこか幻想的でもある。
また同時に、機兵の主観と機体からの客観で仕事への評価を直接得ることができる瞬間であり、彼女が胸に秘める整備士としての自負を強く感じることができる一時でもある為だ。
けれど、今は少しだけ嫌いになっている。
「両腕部の正常稼働を確認しました! クロウさん! 模擬戦とはいえ危険であることには変わりありません! 機体よりも身の安全を第一にしてくださいね!」
「うん、了解。ありがとう、ティア」
戦いを前に、真剣な表情を浮かべた少年が束の間に見せる笑顔。
鼓動を高鳴らせるそれを眼鏡越しに見届けると、エルティアは機体から離れる。パンタルの前面装甲部が閉ざされた。斥力盾を展開。大剣を右手に持つと大地を踏みしめ、砂埃を上げながら歩き出す。腰に据えられた手斧が刃を煌めかせた。
魔導機の、その大きな背中を見送る時に感じる誇りと、彼女もまだ自覚し切れぬ感情が生み出す不安。それらがない交ぜになって生じる甘苦さに、少女は微かに表情を曇らせる。
だが、それはほんの少しの間だけ。止めていた足を再び動かして、天幕より離れた場所に置いた魔導機回収車へと走っていく。車体が生み出す僅かな影に、赤髪の少年を通して友人となった人物が立っていた。
「ラファンさん、お疲れ様です」
「おつかれー、見てたけど、出撃前って結構忙しいのね」
シャノンとミソラだ。
金髪の少女はこの地で普及している赤みを帯びた外套を纏い、その肩に小人が乗っている。二人は前日の夕方、夕食を共にしようとクロウの家を訪れた際に、今日の事を聞き出したのだ。その結果として、この場にいる。
エルティアは二人の声に、微笑みを浮かべて応じた。
「いえ、これが私の仕事ですから、当然のことです」
そして、シャノンの隣に立ち、教練場へと目を向ける。
二機のパンタルが双方ともに大剣を保持しながら、大凡五リュート程の距離を取って対峙している。両者の間にはディーンが立っており、何事かを話している様子が見えた。微かに届いた内容から注意事項であることが分かる。
生で初めて見る模擬戦を前にして、ミソラは期待の色を浮かべながら声を上げた。
「魔導機同士の戦闘って、どんな感じ?」
「僕は直接見たことがありませんから、わからないです。ラファンさんはどうですか?」
エルティアは二人の疑問に答えるべく、口を開いた。
「私が教習所で見たものは、激しくて短いものが多かったです」
「激しくて、短い、か。……もっと、こう、武器同士で打ち合って、ちゃんちゃんばらばら、って感じが続くと思ってた」
「もちろん、武器の打ち合いは起きます。ですが、戦闘自体は長く続くことは稀で、動き始めたら早く終わるというのが一般的だそうです」
「あ、そりゃそうか。見かけが派手になっただけで、結局は人と人の喧嘩っていうか、真っ向からの勝負だもんねぇ。実力伯仲ってな感じじゃないと、そんなもんよね」
ミソラの声にエルティアも頷く。
「はい、魔導機は動力付きの鎧と代わりませんから」
「でも、その動力は蟲を一撃で潰せる程の力を生み出せる。そりゃ、当たれば激しく壊れて当然。早く終わって当たり前か」
「そうですね。最初の一撃を入れた方が圧倒的に有利になりますから、睨み合いになるんだと思います」
シャノンは二人の会話からこの地に来た当時に見た光景、甲殻蟲との戦闘で腕を失くした機兵の姿や世話になった中年機士の話を思い出す。自然、厳しい声が漏れた。
「そうなると、模擬戦でも、もし仮に、攻撃をまともに受けた場合は、危ないですね」
「パンタルの場合、手腕は間接操作なので、胴体に損傷を受けない限り搭乗者は安全ですから、脚部が一番の危険部位になります。機兵が引退する一番の理由は足を失くしてしまって、仕方なく、なんです」
なら、斥力盾を開発したのは正解だったか、とミソラは頷く。他方、シャノンはほのかな慕情を抱く相手がそうならないよう、静かに祈った。
俄かに、遠くから聞こていた声が途切れた。それに気が付いた小人が小さく囁く。
「……どうやら、始まるみたいよ」
ディーンが二機のパンタルから足早に離れる。
観戦の為、この場に集まった者達の注目を浴びて、否が応にも場の緊張が高まっていく。
「ここは一つ、クロウの勇姿を見届けてあげましょうか」
始め、の一言が大きく響き渡った。
クロウは軽く両脚を開くと、意識全てを相対するパンタルへと集中させる。
僅かに引いた右脚に。
微かにためを作った左脚に。
軽く落とし、力をためる腰に
大剣を持ち、横手に構えた右腕に。
右腕より斜め下に向かう肉厚な剣身に。
斥力盾を展開させ、胴体の前に出した左腕に。
そして、それら全てを複合させた機影の小さな動きに。
相手は受け寄りか?
全力で回転する思考が、相手の態勢を推測する。
ならばこちらもと、左腕を前に出し、右手の大剣を機体正面で立て構えた。
間合いを測る。
大凡四リュート程。
後少し進めば、一足で攻撃が届く距離。
鼓動が速まる。
唾を一つ呑み込む。
待つか、出るか。
そう考えた瞬間、老教官の言葉を思い出す。
貴様は決断が遅い。
声音すら再生される叱咤である。
だが、この言葉は少年の心を後押しする。
元より実力や経験は相手の方が上。
ならば、胸を借りるつもりで、今の全力で挑むのみだと。
クロウは決断と共に前進した。
途端、相手が踏み込み、大剣が横薙ぎに振るわれる。避けようのない一撃。
右手首を返して剣身を左に回転。そのまま一息に地面へと突き刺す。
「ッぅっ!」
飛び散る火花。重い撃音が響き、衝撃が伝わる。
視線と右手を離さぬまま、機体を左に反転させ、
「ぐ!」
右肩より破砕音。感じる強い衝撃。ベルトが身体に締め上げ、歯を食いしばる。
「ぁっ!」
右脚を軸に回転。受けた衝撃をも乗せて、左腕を相手の左胴へと叩き付けた。
焼成材を砕く音。衝撃を逃そうとする感触から後退する様が伝わる。
が、それでもクロウに油断も余裕はない。即座に機体の回転を止め、見失った相手を探す。
立ち上った塵芥の向こう側。大剣を右肩に担ぐように持ち、こちらを見据える相手の姿があった。
詰めていた息を吐き出し、右手の大剣を先と同じように構えた。
「おおぉぉぉーっ! こりゃ迫力あるわ!」
ミソラは目にした光景に拳を握り、目を輝かせて興奮する。それとは対照的に、二人の少女は固い表情を崩さずに見つめていた。
「パンタルって、見かけによりませんよね」
「ええ、一見すると鈍重そうに見えますけど、実際はそんなことないんです」
シャノンの声に応じながら、エルティアはクロウ機の損傷に目を走らせる。攻撃に使った左腕に異常は見えない。逆に斥力盾による打撃を受けた右腕部は、右肩から腕部にかけて焼成材装甲が割れ、骨格に歪みが出ていた。だが、幸いなことに油圧系から油が漏れているようには見えない。その事から致命的な損傷は免れたと見て取れた。
一方、クロウ機と正対する相手機は、打たれた左脇腹の焼成材装甲が放射線状に砕けて、凹んだ鋼材装甲が露わになっている。だが、こちらも決定的な損傷には至っていないようであった。
「同等……、いえ、やや不利かもしれませんね」
エルティアの小さな呟きは虚空へと消えていった。
二度目の対峙が始まる。
クロウは再び相手機を見据えた。
相手は動かない。
耳に入るのは少し荒い呼吸音と、早鐘の如く連打される心音。
今更ながらに、汗が噴き出る。
相手は動かない。
汗ばんだ肌が空調の冷気を感じる。
血潮が冷め、頭も醒めていく。
相手は動かない。
瞬きの一瞬に、恐怖を覚える。
呼吸を整理して、消耗を抑える。
相手は動かない。
喉が渇く。
微かな光の変化。
「ゥッ!」
急速に伸びてきた剣身。
左腕で打ち逸らし、突き出された斥力盾に大剣を押し当てる。
押し切る。
その決めた瞬間、展視窓一杯に相手機が広がり、
「ぐッ!」
強い衝撃。
折り重なった衝突音と共に、機体が後方へと流される。
本能の命じるまま、流れに抵抗せず、大剣を放棄。身軽になって、そのまま右斜め後ろへと飛びずさり、腰の手斧へ右手を伸ばした。
刹那。
左腕に衝撃。
目前を、剣身が左肘から先を乗せて振り上がる。
まともに当たっていれば、怪我以上が確定の一撃。
だが、クロウに動揺の色はない。
ただ、目に入った右手首へと手斧を振り上げた。
手首を断ち切られ、流れ飛んだ大剣が地響きを立てて大地に落ちた。付随していた部品や破片も周囲へと散乱する。
それらを一顧だにしなかった審判は、三度目の睨み合いに入ったパンタルを見据える。両機共に主兵装だった大剣を失い、予備の武器を構えていた。双方に戦意がある以上、まだ続けられなくもない。魔導機は鎧であり武具である。殴り合いでも戦いは続けられるのだ。
けれども、この模擬戦を行った一番の趣旨を考えれば、これで十分であった。
「ここらで潮時だな」
ディーンは独り呟き、後方の天幕へと目を向ける。
見学者達が興奮にどよめく中、泰然と座した白髪頭の老機兵は微かに頷いた。応じて頷き返すと、ディーンは無言のまま、手にした信号銃を構える。そして、両機共に見える場所へと撃ち上げた。
信号弾特有の甲高い音が響き渡る。
白色の輝きは宙を駆け上るや、破裂音と共に弾けた。白い煙が青空に広がった。
「両機とも戦闘終了だ!」
ディーンの大声。
二機のパンタルはゆっくりと距離を取り始め、大凡十リュートの間を取って停止した。それを見届けると、再度、ディーンは声を張り上げた。
「この模擬戦、甲乙つけがたい見事さであった! よって、引き分けとする!」
天幕より歓声と拍手。
ディーンは想定していた中で、最も理想的な決着を宣言しながら、心の内で笑う。
頑張って格上に喰らいついた教え子に、飯の一つくらいは食わせてやらんとな、と。
駐機態勢を取ると、クロウは全身の力を抜いた。
心身の疲労が著しい。呼吸は荒く、心臓もまだ激しく動いている。汗が全身のいたる所から滲み出し、機兵服に染みていく。けれど、それも無理はない話である。傍から見れば、実戦さながらの戦闘であったのだから。
クロウは大きく深呼吸を繰り返す。その僅かな動作で、顔の汗が滴り落ちた。それから、ようやく先の模擬戦を思い返す。状況に応じた型の選択、慣れぬ機体でも安定した動作、立ち回りの上手さ、攻撃の正確性、思い切りの良さ。どれもが自分にはない強さである。
あの強さこそが、鍛錬の積み重ねで得た物なのだろう。
そう考えながら、前面装甲を開く。
眩い光と熱気。青い空と乾いた風。
クロウは自身にとっての常を感じて、ようやく心を落ち着かせた。ゆっくりと機外へと降り立つ。
周囲には装甲の欠片や漏れた油らしき跡が散らばっている。ふと見れば、対戦相手の機士、ディルク・シルドラも降り立ったところだった。
異邦の機士がクロウに気付いて、軽く敬礼する。
クロウも教官より教わった旅団の敬礼で返した。
数秒に渡って見つめ合い、ほぼ同時に敬礼を解く。
すると、機士は乗機の周囲を回り、状態を検め始めた。その様子からは激戦の影響は見てとれない。クロウはまだ余裕があるのかと頬を引き攣らせた。それから、疲れた身体を己が乗機に預けて、独りごちる。
「あれが、機士、か」
……本当に、よくもまぁ、引き分けに持ち込めたもんだ。
クロウは大きく息を吐き出して、心身に残っていた緊張を解す。ついで、大きく息を吸いこんで肚に活を入れる。そして、二本の足に力を込め、大地を踏みしめた。
「これからは鍛錬量を倍に増やさないとな」
静かに決意を口にしながら、こちらへと走り寄って来るエルティア達に手を振ったのだった。




