四 疾風の如く
時は夕暮れ。
全てが臙脂色に染まる中、エフタ市街と外界とを結ぶ市門の一つ、南大市門の門前広場では一日の仕事を終えた人々、グランサーや郊外施設の労働者、日雇いに人足、更には市壁建設工事の関係者でごった返している。
第四旬の頭から工事現場警備の仕事を受けていたクロウも己が乗機と共にその中にあって、現場監督や危機警戒担当と共に地図を広げ、現在の進捗状況や明後日の休み明け、十一日からの予定工区を確認していた。
「今期の工事はおおむね順調で、全体で見ると……、この辺りですな。だいたい、半分程まで来とります」
クロウは髪が寂しい中年の現場監督が指し示す場所を見つめ、どのあたりで警戒に立つかを頭に思い浮かべながら相槌を打つ。
「そうなると、始めに聞いた通り、今旬末には終わりそうですね」
「ええ、これといった問題が起きなければ、予定通りに終わるでしょう」
クロウの声に応えて、場のもう一人が頷いて口を開いた。危機警戒担当を担う青年で歳を顔に刻んだ現場監督と比べると、まだまだ若い。だが、その表情と声は落ち着いている。彼は市壁建設工事を担うルベルザード土建、その跡取り息子であるジーク・ルベルザードだ。
今節初めに大砂嵐が到来した直後、ジークはとある騒動を引き起こして、クロウを含めた多方面に多大な迷惑を掛けている。そのこともあって自宅謹慎となっていたのだが、関係各所全てへの謝罪行脚の後、仕事に復帰していた。付け加えれば、本人たっての願いで、以前のような経営や営業ではなく、初心に帰ると意味もあって現場での仕事に、であった。
青年が続けて言った。
「エンフリード殿、明後日の配置場所は?」
「そうですね。南側は基礎部分が低いながらも壁になりますし、東側を中心に警戒をしましょうか。櫓は……この辺りですね。ここからならある程度の範囲を監視できると思います。後は、引き続き監視塔から情報を融通してもらえると助かります。早期に発見できればできる程、対処がしやすくなりますから」
「わかりました。市軍の担当者と話しておきます」
ジークはルベルザード土建の次代を担う者として、相応に伝手を持っている。それを通じて話を付ければ、市軍から周辺の情報を流してもらうといった、ちょっとした好意を受けることができるのだ。
もっとも、この息子の方針に対して、彼の母で現社長であるナタリアは表情を曇らせている。彼女は貸し借りによる縛りを好まない。無論、ちょっとした融通を互いに利かせることが物事を円滑に進ませるという実効があることは認めている。だが、時にこれが情実を呼び、会社の存続に関わるような醜聞を生み出したり、相手との関係を重視した結果、不条理を招き入れたりすることもあり得るのだ。だからこそ、彼女は契約という形で関係を抑制する。
ただ、今回は、安全に万全なし、作業員の命に勝るものなし、という愛息の強い主張に情理があった事に加え、跡継ぎに様々な経験を積ませるという意味合いを見いだせた事から、黙認という形で落ち着いた次第である。
そういった裏事情を知る現場監督は、姐さんの方針に面と向かって意見するようになるとは若も頼もしくなったものだ、としみじみと感じながら、締めくくりの言葉を口に出した。
「このまま基礎工事が上手く終われば、盛陽の終わりか爛陽の始め辺りから本格的な建設作業に移れるでしょう。エンフリード殿、そうなるよう、警備の程、一つよろしく頼みます」
「ええ、了解です」
クロウが生真面目な顔で頷くと、その背後から声が掛かる。それは少年も知る少女の声だ。
「ええっと、話は終わった?」
声の主と面している監督は顔を綻ばせ、朗らかな笑みを浮かべて頷く。他方、ジークは声の主に思う所があり、少し渋い表情で口を開いた。
「リィナ、まずは挨拶だ。それとこちらの仕事が明確に終わるまで待つように」
「だから、ちゃんと我慢してたじゃない。話が終わるまで」
「いや、お前は、もう少し我慢という物をだな」
青年の声に乗ってクロウが振り向くと、果たしてルベルザードのご令嬢が立っていた。通っている市の学校よりそのままやって来たのか、緑色の制服のままである。とはいえ、少年にとっては一番馴染みのある姿である。特に、今のように健康的な笑顔を浮かべている姿は常の印象にある。
自然、クロウも笑みを浮かべて挨拶をする。
「こんにちは、今日も元気そうだね、リィナ」
「もちろんよって、こんにちは、クロウ」
少年の背後から向けられる兄の厳しい目に気が付いたのか、リィナは途中で挨拶を混ぜ込んで悪戯っぽく笑う。その兄の口から思わずため息が漏れかけるが、クロウの前である事を考慮して押し止めた。その代わりに、釘刺しの一言。
「リィナ、エンフリード殿に迷惑を掛けないように」
「あら、兄さん程に迷惑はかけないわよ」
「……お前な」
痛い所を逆撃され、ジークは肩を落とす。先の騒動で当事者の一人だったクロウとしては表情の選択をしようがなく、ただただ苦笑いである。この状況を救ったのは、若人たちのやり取りに相好を崩していた現場監督だ。
「はっは、お嬢の勝ちですな。さて、若、我々も退散する事にしましょう」
「はぁ、そうしよう。それでは、エンフリード殿、明後日に」
「ええ、明後日に」
クロウがジークと現場監督の会釈に応じて軽く頭を下げる。頭をあげた途端、その視界にリィナが入り込んできた。下から覗き込むような上目使い。勝気な顔立ちが活き活きと喜色を浮かべ、生命の躍動感に満ちている。一日の疲れを引き摺る周囲の人々から耳目を集める程に眩しいものであった。
その少女がにこやかな表情を崩さぬまま話し出す。
「ねっねっ、クロウ、明日、遊ばない?」
唐突に切り出された言葉がよく理解できず、クロウは首を傾げた。
「遊ぶ?」
「うん、遊技場とかで遊んでもいいし、ご飯食べてもいいし、浴場に行ってもいいし、買い物してもいいし……、とにかくっ、明日、一緒に遊ぼうよ」
切れ長の目が期待に輝く。他方、クロウも捕捉の言葉で申し出の意味を理解し、それと同時に、いつか言われた歳相応に色気づきなさいという言葉が脳裏に甦る。俄かにクロウの男心が目覚め、この誘いを受けたいという誘惑に駆られる。なにしろ、クロウの目から見ても目の前の少女は魅力的な異性なのだから。
だが、少女にとっても、また少年にとっても残念なことに、彼の首は横に振られた。途端、リィナの顔は時が止まったように固まる。
「駄目なの?」
「うん、明日は先約があるっていうか、仕事」
折角の誘いを断る申し訳なさで、クロウの眉尻が下がっている。また、その声音も残念であることを示すかのごとく若干沈んでいた。それらを認めて、リィナは少し気を持ち直すと、さばけた笑みを浮かべた。
「そっか、仕事なら仕方ないか」
「折角、誘ってもらったのに、ごめん」
「あはは、気にしないでいいよ。私もついさっき突然思い立ったことだし」
そう言った後、リィナは幾ばくかの疑問と内から溢れ出た好奇心の赴くままに訊ねた。
「でも、仕事って、なにするの?」
「あー、ミソラのこと、覚えてる?」
「うん、当然。我が家にとってはクロウと並ぶ恩人だもの」
この評を聞いたら、小人がそうだろうそうだろうと盛大に反り返って高笑いしそうだ。
そんなことを思いながら、少年は答えを告げた。
「そのミソラが所属してる開発室からの依頼でね。実験とか試験とかに付き合うんだ」
「へぇ。それって、どんなことするの?」
「色々。魔導機関連の物や個人用の装備品の試験とか……、でも、今回のは話を聞いた限りだけど、また別の変わったことをするかもしれないなぁ」
「ふーん。……ね、それってさ、私が見に行ってもいいかな?」
クロウはリィナからの要望に対し、困った顔で応じた。
「その辺りはあいつに聞かないとわからないけど……、いや、流石に無理かなぁ。今回のは市外に出る予定だし、遊びって訳じゃないから」
「あはは、うん、そうよね。ごめん、私、変なこと言っちゃったわ」
リィナは自身の甘えと未練を自覚し、誤魔化し笑いを浮かべた後、ばつが悪そうに頬を掻く。それから、表情を改めて続けた。
「なら、クロウ。今度また誘うから、その時は、ね」
「了解。空いていたら付き合うよ」
「うん、約束よ」
クロウから次回の応諾を取り付けた事で、リィナは喜びと安堵をない交ぜた笑みを見せた。
* * *
「そうですか、シャルバートとベイサンで通行税を上げる動きが」
「はい。大凡で三割増し。両市とも、今年の頭より設定して実施しております」
窓より斜陽が差し込む部屋。
組合連合会本部内の貴賓室の一つにて、セレスはペラド・ソラール市より到来した使節団、その団長と話をしていていた。
東方の友邦より使節団が到来してより早十日。
休みを所々に挟みつつ、組合連合会及びゼル・セトラス域各市とペラド・ソラール市との交渉が続けられている。
当然の事ながら、使節団長たるトゥーランは組合連合会との全体交渉や各市との個別交易交渉と慌ただしい毎日である。一方のセレスもまた交渉担当を補助する立場で、組合連合会が一括で仕入れる塩水の受給把握から各市への分配調整、それらに伴う折衝に動いている。
このように両者共に忙しい日々を送る中、予定の合間を縫う形でこの会合は行われていた。
そうしてまで彼らが話す内容は、主として大陸東方の情勢とペラド・ソラールの現状。
セレスの顔は現在起きている問題を知ると同時に将来起こり得る問題を見通すべく、また、問題解決への道を模索しようと無表情に近い怜悧さが漂う。そんな外観と同様に、その内では己が収集している情報と聞き出した情報とを比し、差異や相違を見い出しては、一つ一つ心に書き留めている。
他方、トゥーランの表情にも相手が年若い女である事への侮りの色はない。交渉や宴席を通した短い付き合いながらも、大組織の幹部を占めるだけの実力と影響力があると認めていたのだ。それだけに自身が属する市の為、自らの同胞の為に、相手からの協力、その言質を引き出すべく、真剣な顔で言葉を交わす。
「流通の円滑化を重視する帝国が許すとは思えませんが?」
「ええ、本来であれば、実施される前に帝国が口を出して止める所です。ですが、当方が耳にする限り、帝国内部の混乱は……、皇帝と元老院との対立は続いている。国内の安定なしに、余所に目を向けていられる余裕は生まれぬものです」
「……故に、魔が差しましたか」
「おそらくは。帝国の睨みが利かぬ今を好機と捉えて、増税を既成事実化しようとの腹積もりなのでしょう」
麗人は頷く事で理解を示す。それから、当然の流れとして予想される動きを口に出した。
「帝国がなんら動かぬ状況が続けば、その動き、他市にも広がる可能性が高いですね」
「このままいけば、十分にあり得ると考えています。……正直に申せば、交易網の終末にある我が市としては負担が増えるだけで、歓迎できない動きです」
通行税の増税。商船の負担増。商品への価格転嫁。市井の負担増。出費抑制による買い控え。通貨流通量の縮小。需給均衡の崩れ。産業の淘汰と雇用の喪失。再び出費抑制。悪循環による社会の疲弊。結果的に起きる都市開発の遅延と経済発展の停滞。
そういったことがセレスの脳裏に連なって思い浮かぶ。その間にも中年の貴族は淡々と口を動かし続けた。
「両市は増税の言い分として、賊党の跋扈により航路防衛の負担が増えている為、としています。昨今の情勢を見れば、航路の安全確保は喫緊の案件。納得できる言い分です。事実ならば、文句もない。ですが、実際に航路を巡回する警備船が増えたとは言い難い。それどころか、逆に賊党の船が増えている始末」
とここまで言った後、眉間に皺を寄せた。それからしばしの黙してから、重苦しく告げた。
「はっきりと申しまして、我が市はシャルバートとベイサン、この両市の動向に不審を抱いています」
セレスもまた相手の意を察すると、微かに表情を硬くする。一呼吸おいてから、声音を幾分か低めて応じた。
「自作自演ではないか、そういうことですね?」
「はい。このような疑い、本来ならば、持つべきではないとは重々承知。ですが、賊党は相手を選んでいるように見えるのです」
「そう考える至った理由は?」
「今節に入ってから、我が市の商船が既に四隻、被害にあっているのです」
「……他の領邦は?」
「我々が情報を集めた限り、平均して一隻ないし被害無し、です」
疑わしいとも取れるし、たまたまの偶然とも取れる数である。元々、ペラド・ソラール市に属する商船は多いのだ。加えて、域外ということもあって、セレスの手元に情報が少ない為、まだ判断が付かない。それ故、両市ないしいずれかの市を公に疑う訳にはいかなかった。
「両市がその賊党に関与しているか否かにつきましては、明確な証拠がない限り、その事実はない、とするしかない事案と考えます。しかしながら、航路の安定が脅かされている事実は確かですし、我々も防衛の重要性は認識しております。これに対応する為、即急に戦力を出したいとは考えております。……ですが」
セレスの口より先の言葉が潰える。
内部の安定なしに、余所に目を向ける余裕は生まれない。
トゥーランが先に述べた事を裏付けるように、組合連合会にも戦力を外に向ける余裕はない。
ゼル・セトラス北方域では侵入する甲殻蟲の数を減らすべく、エル・ダルークに駐留する旅団が迎撃を始めている。また、東方航路防衛用に抽出した戦力も東方航路の基点となるアーウェルが不穏な状況に陥っている為、その対応に追われて動くに動けない状態である。
麗人の沈黙。その表情に浮かぶ悩ましさを目にして、トゥーランは一つ頷くと自らが聞き知った情報を告げた。
「存じています。東方域……、アーウェル市の事情ですな」
「はい。アーウェルは東方航路の基点です。ここの安定なくして、航路の防衛は難しいでしょう」
中年貴族は落ち着いた声を耳にしながら、ここで攻めるべきか退くべきかを考える。だが、それもほんの僅か。
「わかりました。アーウェル市の情勢が落ち着き次第、そちらの実働部隊が動く。こう承知して、よろしいですね?」
元より相手側には航路防衛に協力する意思もあれば事情もある。また重要拠点の安定がなくては警備も儘ならないのも事実。加えて、あまりしつこく言い募ると相手に不快感を与えて、今後の関係にも影響を及ぼしかねない。なにしろ、目の前の人物は二十の半ばにも至らない若年ながら、組合連合会という一大組織において、安全保障という重責を担っているのだから。
「はい。それは確約させていただきます」
いや、それ以上に、灰色の瞳に強靭な意志を宿すこの者ならば、口にした約束を違えることはなく、万難を排しても誠実に履行するだろう。
トゥーランは自分の感慨に確信を抱く。また、その思いは同時に母市の置かれた環境を思い出させた。
彼の見る所、ペラド・ソラール市は近隣の領邦に恵まれていない。なにしろ、事あればこちらの足元を見て搾取を企てる。そういった輩ばかりなのだ。
であるからこそ、これらに抗する為には、より大きな力の傘下に収まって庇護や調停を受けるか、遠方であっても利害で結びつき協力し合える仲間を作るか、するしかない。
そして今、これまで選択していた前者……、帝国による庇護と調停は、昔から議会で言われていたように、当てにすることはできないことがわかった。
そう、結局は後者……、古くから付き合いがあり、利害が一致する友好的な勢力を頼みとする他に道はないのだ。
「その言葉、信じさせていただきます。……ところで、今の話にも少し関連するのですが、実はこちらから協力をお願いしたい案件があります。今、我が市では、今後の情勢次第で、組合連合会が生産する魔導機パンタルの導入も必要になるのではないか、との話が持ち上がっています。とはいえ、この議論もパンタルの実力を知らない事には、現行機であるゴラネス一型と比較することも儘なりません。ですので、パンタルがどのような機体なのか、より詳しく教えて頂きたいのです」
友好勢力の実力は未知数。だが、できれば強い仲間であってほしい。
そう願いながら、中年の貴族は使節団の秘された目的、故郷の未来に大きく影響する案件を口に出した。
* * *
風が抜けていく。
砂塵を乗せ、時に留まる場所を探すように廃墟や瓦礫を撫でながら、風が砂海を駆け抜けていく。
光陽は天高くあって万物を照らし出し、蒼天と大地との隔てるべく、それぞれの色を際立たせる。また、その一方で力強い熱射を与えて、大気や大地を干し、両者に炎熱の舌を伸ばさせる。
その舌先を一筋の光が音も立てずに切り裂く。否、一筋だけではない。立て続けに幾筋もの光が中空を裂いていく。熱気を払い、風を穿ちながら。
そして、尾を引く輝きの群は荒野にある数ある瓦礫の一つに当たる。その度に乾いた音が響き渡り、表面を砕き、端を削り、礫をまき散らし、人工石の瓦礫を打ち砕いていく。結果、大きな瓦礫は見る間に当初の姿を失くしていき、遂には跡形もなく破壊されてしまった。
「射撃終了!」
光弾による蹂躙が止まり、四散した破砕物の中を粉塵が漂い煙る。それを一陣の風が拭い去った。
「はーい、魔導銃の実験はこれで終了!」
無常を感じさせる光景を蹴り飛ばすような元気な声が響く。緑髪の小人の声だ。
これに応じて、一機のパンタルが右の手腕で保持していた長物を降ろし、ミソラがいる全長三十リュート程の細長い魔導船、その脇に設えられた天幕にまで戻ってきた。すると機体の周囲に数人の男女が集まり、あれこれと活発に動き回り始めた。
パンタルの搭乗者たるクロウも目付きの悪い男から指示された通りに、長物……試製一二型魔導機用魔導銃を銃架に立てかけた。そして、日陰に入って駐機状態に移行させる。ほっと安堵の息を漏らしてから、前面装甲を開放する。途端、熱気が機内に入り込み、少年の冷えた身体を撫で回した。普段以上に熱の強さを感じて、微かに顔を顰める。
ミソラはそんな彼の所に飛来すると、上機嫌そうな顔で声を掛けた。
「おー、お疲れ、クロウ」
「ああ、お疲れ。今回は爆発もせず、平穏無事に終わって、ほっとしてる所だ」
「あらら、それは言わないお約束って奴よ?」
「お約束かもしれないが、おねーさんの場合は釘を刺しとかないとな」
ふわふわと浮いてるだけに、とは続けず、クロウは右人差し指の感覚を口に出した。
「でも流石に、指の感覚が変っていうか、怠いよ」
「そりゃ、朝一からずっと撃ちっ放しだったからねぇ」
このミソラの声に、クロウは制御籠手を取り外しながら頷いた。
先日にリィナに話した通り、クロウは朝早くからミソラ達の実機試験に付き合っていた。
場所はエフタ市から魔導船に乗って大凡一時間程度の距離にある、グランサーもやってこない無人の荒野。そこで先の試験での事故を受けて改修された試作魔導銃の射撃試験を行っていたのだ。
クロウは凝った肩を解した後、ボヤキともとれる感想を漏らす。
「単発式で暴発の危険が減って、信頼性が向上したってのは本当なんだろうけど、これだけ指を動かすとなぁ。途中で、一々引き金を引くのが面倒に思えてきたよ」
銃本体の耐用試験や連続運用試験や実践における弾倉交換時間の計測といった事も兼ねた為、ひたすらに延々と撃ち続けることになった結果であった。
小人は少年の疲れた目元を見て、苦笑して返す。
「そりゃ、引き金を引きっぱなしに出来る連発式の方が楽で使い勝手いいでしょ」
「だよなぁ。けど、まぁ、詰まって暴発したら終わりだけどな」
「そうね。でも、技術の発展にはぎせ……もとい、失敗は憑き物だから」
「……なぁ、今、物騒な事、言い掛けなかったか?」
「きのせいきのせい。ま、とにかく、贅沢は敵だ! 一発必中を期し、無駄玉は使うな! 制服と同じく銃を身体を合わせろ! ってな風な無体は言わないからさ、今後の開発に期待しておいてちょうだい」
そうするよ、と応じると、クロウは機外に目を向ける。偶然にも、魔導銃の点検をしていた少女と目が合った。その少女ことシャノンは少年を労わるように微笑んで見せた後、仕事に戻った。
対する少年は、少女の何気ない笑顔を見て、常ならぬ鼓動の速まりと気恥ずかしさを感じてしまった。また同時に、どんな感情に由来するかまではわからないが、なんとなく心が浮つくような気分にもなってきた。
「あれ、クロウ、顔、赤くない?」
「急に熱気を浴びたからな、その所為だろ」
そう断言して、浮ついた心を落ち着ける。が、これまであまり経験したことがない感情はなかなか収まってくれず、その顔に入った朱も収まらない。視界の隅に入った小人の目が、なんとなく楽しそうに笑っていた気がするが、少年はそれを努めて無視する。
とはいえ、このまま続けば変に突っ込まれるかもしれない。そんな危機感を覚えて、クロウは話の転換を図ろうと話題を探す。幸いなことに、それは直ぐに見つかった。
「ああ、そうそう。ミソラに頼みたいことがあるんだけど」
「あら、クロウがそんなこと言い出すなんて、珍しいわね」
「そうか?」
「ええ、もしかしたら初めてじゃない?」
少年はそうだろうかと首を傾げる。この動作を終える頃には、先程まで表に出ていた感情の色は微かに残るも、大凡の部分が消えていた。それを見て取った小人は、こいつ、下手に経験を積んだら、かなりの女誑しになるんじゃ、といった危惧を抱く。もっとも、クロウが再び話し出したことで、その思いは泡沫の如く消えて行った。
「結構、頼ってる気がするんだが……、まぁいいか。それよりも頼みたいことなんだけど、これが俺一人の力じゃ、どーにも足りないことなんだよ」
「ほうほう。一人の力じゃ足りない、ねぇ」
そう繰り返した後、ミソラは数秒沈黙し、口元に笑みを浮かべた。
「それってさ、前に言ってたお宝探しかしら?」
「さすがはおねーさん、ご明察」
「ふふん、この私がわからいでかー」
宙に浮かんだまま、小さな体で大きく胸を張る。得意げな顔で腰に手を当ててふんぞり返る姿は、どうして滑稽であった。クロウも思わず笑みを浮かべて言う。
「それ、よく引っくり返らないな」
「やー、それがさー、最初は重心の配分がわからなくて、くるーりと一回転してたのよ? それが面白くなかったから、二三日練習してモノにしたって訳よ」
「……何がそこまでお前を駆り立てたんだ?」
「んー、浪漫?」
ああ、浪漫なら仕方がないかとクロウが納得した顔で頷く。すると、ミソラが表情や姿勢を元に戻して口を開いた。
「で、本当の所は?」
「え? なにが?」
「わたしはね、クロウに欲気がない、とまでは言わないけど、少ないって思ってるのよ。そのあんたが、急にそんなこと言い出したんだもの、疑うに決まってるでしょ」
「いや、かなりの確率でお宝があるって話を聞いたから、やってみたいと思ったんだけど?」
「ええ、そういった話になったのは、あんたがあそこに何があるのかって聞いたことから発展していったのよねぇ」
「そりゃ、前々から興味があったからな」
小人は少年の答えを鼻で笑う。
「だったら殊更よ。そんなこと聞く機会、今まで一杯あったはずよ」
それから、クロウの反論を許さぬように、少しばかり強い笑みを浮かべて続ける。
「そもそもの話、自立心旺盛っていうか、独立独歩的を地で行ってるクロウが、私に頼るって段階で、何か裏があるに決まってるわ」
「裏があるって、いくらなんでも、その断言はないだろう」
「あら、そうかしら?」
「ああ、だから、もう少し素直に話を……」
クロウはミソラのどこか疲れた顔を見て、声音を弱めていく。そして、少年の口から声が消えると、ミソラが明後日の方向を眺めながら話し出した。
「普通ってさ、力ある者と知り合うとおこぼれを狙って擦り寄って来る方が一般的なのよねぇ」
「……そうなのか?」
「ええ、私の経験と感覚だとね」
ミソラは過去を思い出してしみじみと呟く。それから、困惑した顔の少年を見据える。出会ってより半年以上、クロウの顔からは少年っぽさが幾分抜け、それを埋めるように精悍さが増していた。
「けど、あんたはそんなことはしない。というかさ、案外、しようという発想さえなかったんじゃない?」
「いやいや、それこそ買い被りだ。俺はそこまで大層な奴じゃない。金が欲しいって欲だってあるし、楽したいって思いもあるぞ。それこそ、この先、ミソラを頼りに擦り寄るかもしれない」
ミソラは即座には答えず、戸惑いながらも反論する相手の目をじっと見つめて考える。
クロウの言は確かだろう。
だけれども、それが全てではない。でなければ、私と初めて会った時に、大金を得る機会をみすみす逃すなんてことはしないだろう。
そう、大金という俗世で価値が高い物を提示されても一蹴できるだけの何かを、クロウは心の内に持っている。
それはきっと、以前、クロウが少しだけ漏らした過去の……、いえ、推測は止めておきましょう。
ただ間違いなく言えることは、クロウは根本にクロウなりの考え方や行動を支える何かを持っている。それこそ、このへそ曲がりな私にクロウを信じさせた何かを。それだけは間違いない。
心中で断じた後、小人はクスリと笑う。そして、話を纏めるべく話し出した。
「ま、今の話は置いてといて、クロウからのお願いだし、さっきの頼みは了解よ。いつにするかとは……、今日の実験が終わってからから、後日に相談ってことにしましょう」
「あ、ああ。よろしく頼むよ。……ただ、他にも手伝いを頼むつもりだから、そっちの都合とも調整させてくれ」
この少年の言葉でミソラはぴんと来る。やはり何らかの裏ないし思惑があると。
もっとも、少年の顔を見る限り、了承の答えへの安堵があるだけで後ろめたさや後ろ暗さといった負の感情がまったく見られない。だから、あえて口には出さず、首肯して見せた。
* * *
シャノン作の簡易な昼食を取った後、午後の予定が始まった。
午後から魔導機を使用しない為、クロウは身一つでの参加である。が、事故や実験失敗での怪我の危険を減らす為、魔導鉄槌の実験と同じく防護服姿であった。
「では、午後の試験について、僕から説明させてもらいます」
天幕の下でそうクロウに告げたのは、眼鏡の開発員ことロット・バゼル。彼はクロウの意識が自分に向いていることを確認すると、少し離れた場所を魔導機回収車に牽引されていく細長い物体を指し示した。
「これからエンフリード君にお願いするのは、あそこにあります試験艇……、正式な名は特に無いのですが、とりあえず、浮上方法に新方式を採用した魔導船艇の稼働実験です」
「……ええと、稼働実験、ですか?」
「はい、稼働実験です。ああ、でも、それ程には心配しなくても大丈夫ですよ。個々の部品については何度も試験をしていますし、全てが正常に稼働していますから。ただ、何分、あの形にしてから、一度も稼働させていませんので、まずは全てが正常に動くかどうかが最大の問題といった所ですね」
線の細い開発員は、非常に問題のある発言を至極真面目な顔で言い切った。
この段階で、クロウの背中に冷や汗が伝う。が、これも仕事である以上、黙して続きを待った。この態度を是と受け取った開発責任者は微かに顔に喜色を浮かべて語り出す。
「まずは、あの試験艇と従来の魔導船艇との違いを簡潔に説明します。従来の魔導船艇は浮上する為に、魔導機を使って圧縮した空気の層を作り続ける方式……、加圧空気式を採用しています。それに対して、今回の試験艇は、その方式とは異なる方式といいますか……、エンフリード君も知っている斥力盾、あれの斥力発生器を利用して浮上します。差し詰め、斥力浮上式とでも言いましょうか」
バゼルの顔に悦に染まる。いや、それだけではなく、微かに前のめりになってきている。自分が開発した代物を話したくて仕方がない。そんな雰囲気が顔どころか、全身から醸し出されていた。
「実は、従来の加圧空気式にはある欠点があります。浮上する為に空気の層を一定に保つ必要性がある事から、あまり速度を出すことができないんです。簡単に言えば、圧縮空気を作る速さが追い付かなくなると浮力が保てなくなって沈む、うーん、この言い方だと語弊がありますね……、地面に落ちる……、ええ、着底してしまうんです。まぁ、要するに、限界があって一定の速度以上は出せない、これにつきます」
クロウには、バゼルの眼鏡が光陽の光も受けていないのに輝いた気がした。
「速度が出せないのは非常に問題のある事です。人や物を運ぶにしても速いに越したことはありません。移動する時間が短くなれば、他の事に使える時間が増えますし、輸送の効率も上がりますから。ええ、生殖の営み以外に、速くて悪い事はありませんよ。そして、速さがあれば、空に行ける。ああ、遂に、あの青空へ行けるようになりマス」
あれ、この人って、こんな人だっけ?
どこか壊れた様相を見せ始めたバゼルを見て、更なる冷や汗と当然の疑問がクロウに湧き起こってくる。と、そこに厳つい大男が試験艇の方からやってきた。マディスだ。彼は面食らった様子のクロウと自分の世界に入り込んだ同僚を見て、納得した様に頷いた。
「すまねぇな、エンフリードよぅ。こいつぁ、ちょっとばかり、はしゃぎすぎてんだ」
「は、はぁ、そうですか」
「ま、余人が見りゃあ、大丈夫かって思う狂態だがぁ、おれにゃぁ、わからんでもねぇ心境って奴よ。なにしろ、自分の夢に近づけたんだからなぁ。……ま、生暖かく大目に見てやってくれや」
マディスはそう言ってから苦笑すると、軽くバゼルを小突いた。
「おぅ、バゼルよぅ。おめぇさんがしっかりしねぇと、試験が中止になるぞ」
変化は劇的である。悦に緩んでいた顔が蒼くなっての狼狽一色である。
「そっ! そ、そ、それは不味いですね。え、ええ、僕はもう大丈夫ですよ、ええ」
「なら、ほれ、おめぇさんが開発責任者なんだ。エンフリードに操縦の説明を頼まぁな」
「わ、わかりました」
そう言うや否や、バゼルはクロウを置いて試験艇に向かう。それを微妙な表情で見送り、肩を竦めるマディス。クロウは本当に大丈夫なんだろうか、と顔を引き攣らせた。
結局、クロウはマディスの案内で移動することになった。
クロウが試験艇が置かれた実験場……珍しくも周囲に大きな瓦礫が存在しない開けた場所に辿り着くと、シャノン達が見守る中、小人がバゼルを叱責している所だった。
「自分が開発した物の実験が実現して、嬉しいのはわかるわ。けど、だからこそしっかりなさいよね」
「はい、申し訳ありませんでした」
腕組みをして眉根を寄せるミソラに対して、バゼルは平身低頭である。
「まったく、こんな些細な事で信用をなくしたくはないでしょう? ほら、クロウが来たわ。操縦方法の説明は重要なんだから、今度こそ、ちゃんとするようにね」
「はい、わかりました」
バゼルは上司の叱咤に頭を下げると、クロウの前にやって来て再度頭を下げた。
「申し訳ありません、エンフリード君。先程は醜態を晒しました」
「あ、いえ、マディスさんから、バゼルさんがこの試験に懸けている意気込みを聞かせていただきましたから」
「そうですか。あ、いえ、それでも不安に思わせた事実に変わりはありませんね。これからの説明でエンフリード君の不安を減らせるように、どんな質問や疑問にも答えますので、試験の程、よろしくお願いします」
そう言うと、バゼルは改めて、長さ三リュート程の細長い形状の船艇を示した。
「これが試験艇です」
艇体は長さをほぼ同じくする二本のソリによって支えられている。
そのソリと繋がる部分……船の船艇を構成する基礎骨格は前後に膨らみを持ち、真ん中は細い。その上に座席や推進装置といった装置類が乗っている形だ。
「諸元については今回の試験に直接関係しませんので省きます。……さて、先程、簡単に説明しましたけど、斥力発生器がこことここ、前と後の二箇所に設置されています。これで浮力を発生させます」
バゼルは説明をしながら試験艇の前に行く。クロウも後をついて艇首側に向かう。すると、艇首の形状が流線形の鼻頭になっているのがわかった。
「旧文明期の資料を参考にして仕立てました。風の抵抗を減らす為、この形状になっています。後、両脇にある翼は動翼……方向を変える際の補助翼として機能します。また、非常時には制動装置の役割も果たします」
言葉の通り、艇首の両脇からは小さな前翼が一つずつ延び出ている。
「次はこちらに」
艇の脇を後ろに向かう。傍目に見る外板は見目の質感から焼成材ではなく金属だとわかった。
そして、バゼルは中央部付近で立ち止まる。中央部は前寄りに風防らしきガラスが取り付けられ、後ろに操縦席とわかる座席がある。その座席部より滑らかに盛り上がっていく艇尾には幾つかの穴が開いていた。また上部には垂直尾が二本、両脇には水平尾翼が一本ずつ、取り付けられている。そして、胴体最後部には一目で推進装置とわかる直径一リュート超の二枚プロペラが出番を待っていた。
「操縦席回りは後回しにして、後部上にある二本の翼が方向舵です。これを操作することで進路を変えることができます。その下にある尾翼は疾走を安定させる為に使われています。また、これも前翼と同様に、非常用の制動装置としても機能します。最後尾のプロペラ……推進系ですが、船体後部の、この中ですね、ここに収まっている動力回転板と軸で繋がってます。高速回転に耐えられる仕様ですので、時速百アルトは確実に出せるはずです。……ここまでで、何か質問は?」
「特にはないです」
「では、操縦席周りの説明をします。エンフリード君、ここに座ってくれるかな」
クロウは言われるままに座席に跨る。丁度良い場所に足場があり、そこに足を掛けると姿勢が安定した。それから改めて周りに目を向けると、風防の下には数字を指し示す丸い計器類が幾つか並んでいるのがわかった。バゼルはそれらを一つ一つ順々に指差す。
「計器類ですが、大きな物が右から魔力残量計、速度計、回転板回転数計です。その下にある小さな物は右から復魔器魔力生成計、高度計、方位計、操縦油圧計、回転板室温度計ですね。この中で注意してほしいのは魔力残量計と回転室温度計です。魔力残量系は見てもらうとわかると思いますが、左側の浮上用と右側の推進用の二系統に分かれています。この内の浮上用魔力がなくなると浮力を失って落ちますので注意です。また、回転板室温度計の温度が異常に高い値を示したら、内部で発火している可能性が高いです。あ、でも、空冷仕様ですし、可燃物自体は少ないので、いきなり爆発するといったことは起きないはずです」
説明に若干の不安を抱くも、ここは爆発はしないという言葉を信じて頷く。すると、バゼルは計器類が収まった板、その両脇に設置された取っ手を示した。
「左右の取っ手が操縦装置です。握ってみてください」
握ると自然に前傾姿勢になった。
「この取っ手は繋がっているんですが、左右に動かす事ができまして……」
ならばと実際に動かす。微かな重みと共に後ろの垂直翼の可動部が動いた。
「確かめてもらった通り、前翼の一部と後ろの方向舵が動きます。後、右側の取っ手ですが、こちらは推進系と連動してまして、握りの部分を後ろに回すと、その分量に応じて回転板の回転数が増減します。当然、軸で繋がっているプロペラの回転も変わりますので、速度を調整することができます。次に反対側……左側ですが、こちらは制御系と連動します。正確に言えば、握りの先にあるレバーなんですが、引いて見てください」
言われた通りにすると、クロウの背後は艇尾の上部と左右、計三箇所が同時に口を開いた。
「その三つが制動を掛ける為の空力制動装置です。速度を落とす為に使います。そして、最後に始動関連ですが、計器類の下側を見てください」
素直に目を向けると、左側に起動キーの差込口と思しき穴が、真ん中には前進や後進、中立に停止といった文字が周囲に刻まれた変速装置が、右側に非常制動と札が張られたレバーが配されていた。
「右側の非常制動は先程説明した前翼と尾翼の制動を作動させるものです。その反対側、左側の穴は起動キーの差込口です」
バゼルは変速装置のレバーに触れて動かそうとするも、停止の位置から動かない。
「見てもらったように、キーを差し込まないと変速装置は動きません。また、キーを抜く際は、変速装置の停止に合わせないと抜けない仕様になっています。それから、変速装置のレバーについての説明ですが、中立の位置に進めると浮上します。前進もしくは後進に入れると、安全装置が解除されて、艇尾内の回転板が作動。それぞれの方向に進むように、後部のプロペラが回り出します。ここまでで、何か疑問や質問はありませんか?」
「特にはないです」
「そうですか。……なら、後は実際に動かして、操縦を覚えた方が早いかもしれませんね。こちらでやることを指示しますので、やってみましょうか」
意外と簡単に終わった説明と最後の一言に、クロウは心中で、あれ、これって意外と難しくないのかな、との認識を抱く。その為か、腹の奥底に留まっていた不安感が急速に薄れ始めた。結果、ほっかむりをして空寝していたクロウの好奇心がむくりと起き出してくる。
なるほど、あまり難しく考えるから色々と怖く感じたりするんであって、実際に動かして身体で覚える方が案外なんとかなるのかもしれない。
そんな楽観的な意気と未知の体験への期待が胸の内で膨らむのを感じながら、クロウは頷いた。
そして、試験が始まった。
「で、なんで、ミソラがいるんだ?」
「え? そりゃ、当然、あんたの命綱、安全装置代わりって奴よ」
新たな体験に挑むクロウの頭上に小人の姿があった。いつかの如く、へばり付いている。
「……なんだろう。安心すると同時に、また何か起きるんじゃないかって気がしてきた」
「あら、酷い風評被害ねぇ」
「そりゃ、失礼。なにせ、ここ最近、中々できない経験が多いもんで」
「そうよねぇ、麗しいおねーさんに出会うとか、中々できないものねぇ」
なんとなく減らず口の叩き合いをしている間に、最後の点検を終えたバゼル達が試験艇から離れていく。事故を警戒しての念の為の措置であるが、天幕にある機器で試験の全過程を記録する為でもある。
「なぁ、今更だけど、本当に、爆発しないよな?」
「しないわよ。燃料に可燃性はないモン」
「信じるぞ」
クロウはバゼル達が天幕から見守る中、ゴーグルを着け、鼓動を速めながら起動キーを差し込む。一つ生唾を飲み込んでから、変速装置を中立に移した。
「おぉっ」
俄かに視界が上がる。尻や足元から来る頼りない浮遊感に心臓が激しく脈打つ。その間にも魔導船から見ていた者達から、小さなどよめきが起きた。バゼルの大声が飛んでくる。
「では、エンフリード君、前進に移行してください! いきなり回転数を上げたりしなければ、ゆっくりと前進し始めるはずです!」
「ということらしいんだけど……、まっ、私がいるんだし、失敗してもなんとかしてあげるから、気楽にやりなさいな」
ミソラの声が少年の心身に差し込んだ緊張を落ち着かせる。本当に、頼りになる誰かさんが傍にいると心強いもんだと実感しながら、変速レバーを前進に合わせた。後方の艇内で唸りが生じ、プロペラが始動した。それと同時に、クロウは前方へと進もうとする力を感じた。
「何か不安や異常を感じたら! 左手の制動を掛けて、中立か停止状態にしてください! では、ゆっくりとプロペラの回転を上げてみてください!」
バゼルに指示されるまま、慎重に握りを回す。すると、プロペラの音が大きくなって試験艇が加速する。
「お、うまいうまい」
「イイ感じです! 次は右に曲がってください!」
了解と、誰に対してでもなく呟くと、右の取っ手を引く。僅かな間の後、試験艇が右に曲がり始めた。
こういった具合に、しばらくの間、基本的な操作の習熟を行う。その成果は十分もしない内に出てきて、誰の目から見ても、明らかに操縦が安定し始めた。
「思ってた以上に慣れるのが早かったわね」
「まぁ、操縦自体は単純だったからな。実際は、まだ感覚に馴染んでないよ」
「なら、もう少し練習を……」
「エンフリード君! そろそろ試験を始めたいと思います!」
「……だってさ、どうする?」
「あー、なんとか頑張るよ」
そんなやり取りの後、本格的な試験が始まった。
その試験は多様であった。基本的な動作確認から始まり、速度毎による制動の効果確認や旋回半径の確認、急旋回時の安定限界の把握、急制動から後進へと変化させた際の影響調査等々。次々に指示が飛ぶ。
それら一つ一つに、クロウは必死に応じる。時に制動の効きの弱さに肝を冷やし、時に身体に掛かる加重に呻き、時に旋回し切れず、瓦礫に衝突しかけた恐怖に耐え、時に瓦礫に乗り上げて転覆しそうになり顔色を失くし、時に急制動で投げ出されそうになって涙目になりながら、全てをこなしていく。
そういった試験が五時間程、休憩や試験艇の状態記録を挟みながら続き、遂に最後の段へと入った。
が、操縦者たるクロウは初めての経験尽くしな上に、長時間の過酷な心身への負担もあって、著しく消耗している。そんな彼の頭上にあるミソラだが、こちらは逆に上気させた顔にご機嫌な表情を浮かべていた。
そのミソラが最後の試験を前に、張りのある元気な声でクロウを励ます。
「ほら、クロウ! もう少しだからがんばんなさい!」
「……なぁ、今日の実験、物凄く、命が削れてる感覚があるんだが?」
「えー、そーおー? 精々、絶叫遊技機位だし、文明化で錆びた心身へのいい刺激程度でしょ」
「旧文明期って、恐ろしい世界だったんだなぁ」
ゴーグルの下、落ち窪んだ目で遠方を見つめる。光陽は目に見えて西に傾き始めていた。
こんな黄昏た反応から、クロウが本当に疲れている事を察して、ミソラはある提案を口にする。
「疲れてるんなら、シャノンちゃんと交代してもらった方が良い?」
「……まさか。シャノンさんに、こんな危険な事、させられないさ」
「おっ、いいわね、その心意気! さすがはおとこのこっ!」
クロウならば間違いなく、そう答えるであろうと確信しての提案であった。
とにもかくも、少年は疲れ切った身体に鞭打ち、出涸らしの気力を振り絞る。頭上では躁状態の小人が人の悪い笑みを浮かべつつ、実に素晴らしい、クロウの男振りに感動した、と叫ぶ。そこに、天幕の下にいるバゼルから最後の指示が届く。
「これが最終です! 一番端から全力全開で一分間、かっ飛ばしてください!」
その声が聞こえた後、魔導船から野太い歓声が上がり、兄ちゃん頑張れ―、最後までやりきってみせろー、といった激励の声が飛んだ。この外野の反応に対して、クロウは喜ぶ前に呆れ顔だ。
「おいおい、ここ、砂海の真ん中なんだから、あんまり騒がないでくれよ」
「んふふ、それだけ、クロウの頑張りに感じる所があったんでしょ」
「どっちかってと、面白い見世物だったって感じじゃないか?」
「それでもいいじゃないの! どんなことであっても、人の心を動かすだけの事をしたってことなんだしさ! 素直に喜んでおきなさい!」
かなり昂揚しているミソラと話しながら、クロウは半日に満たない僅かな間で慣れてしまった操縦で、試験場の端まで移動する。
「ところで、全力全開でかっ飛ばすのは良いんだけど、最後……」
「さっ! これが最後なんだから気合入れて行きましょう! ほらほら! さっきから探してたんだけど、ここよここっ! おあつらえ向きに、ここから真っ直ぐ、ずぅーーーっと! 一直線に瓦礫がないわ!」
「え、あ、うん」
疲労から思考力が低下していることもあって、面倒になってきたクロウはそれ以上は問わず、ミソラに言われるまま、試験艇の方向を整える。が、やはり何かが足りないと感じて、心に残る疑問を口に出した。
「なぁ、ミソラ、この試験の最後なんだけど……」
「よし、クロウ! 進路上に障害物なし! 動力全力全開! 出発進行!」
「あ、ああ」
ミソラの勢いに押されて、クロウは回転数を一気に最大へと持って行く。一息でプロペラが全力回転を始め、回転板回転数計と回転室温度計の針が跳ね上がる。後ろで生じる力強い力。急激な速度変化に、前が浮き上がりそうになるが、身体で抑えつけた。
試験艇は征く。
「十秒!」
後方に砂塵を巻き上げて、加速する。
「二十秒!」
大地の上を滑るような疾走。肌に当たる空気が冷えていく。耳には風切り音。
「三十秒!」
目に映る光景は前方に狭まり、周囲の風景が勢いよく流れ去る。臭いの代わりに鼻腔を保護する鼻水。乾いた喉を潤す唾の味。
「四十秒!」
五感全てで感じる速度。それらが生命の懸かる危地であると教えた事で、少年に思考力が戻ってきた。そして、彼はあることに気付いた。口を開くべく面を伏せ、心中に残ったままの疑問を小人にぶつけた。
「なぁ、ミソラ、これ、最後、ちゃんと、止まれるのか?」
「五十秒! わかんないわ!」
「は?」
「今日だけでも、この子にかなり無理させたしっ! もしかしたら制動掛けた直後に! 制動器が壊れたり! 強度限界が来て分解するかも!」
「ちょっ!」
クロウが抗議の声を上げようと目を剥いた。
その瞬間。
試験艇は進路上にあった小さな瓦礫に乗り上げた。
身に纏った速度のまま、急速に跳ね上がる艇体。咄嗟の事態に、体に染みつかぬ操縦技能は反応できない。
「ひゃっはーーーーーっ!」
ミソラが楽しげに叫ぶ。
「おわぁーーーーーーっ!」
クロウは絶叫する。
見る間に制御を失った試験艇は自らが受けていた風の影響を受けて、中空に舞い上がり始め……。
「あ」
取っ手から手が離れてしまった少年も、夕焼け迫る空へ向かって飛んだ。
時は共通暦三百十七年、旭陽節第四旬十日。
人類が再び空への第一歩を踏み出した日の、最後の一幕であった。
14/02/20 表記修正。




