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魔導黎明記  作者: 綺羅鷺肇
5 技師は夢追いに猛る
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一 陽は未だ遠く

 目の前に彼がいる。

 鮮やかな赤い髪を揺らして、僕の顔を覗き込んでくる。どうしてと驚き戸惑う内に、彼の目と目が合った。澄んだ黒目。でも、それ以上に生気に溢れている。僕は気恥ずかしくなって、目を逸らした。

 逃げ出した視線の先にあったのは、艶がある赤銅色の肌。間近で見ると意外に肌理細やかで、光陽の強い日差しを浴びて来たとは思えない。最近の少し荒れ気味の自分の肌を思うと、少し悔しい気分にさせられる。


 僕が現状から逃避するように考えを巡ら……し、て……? 


 あれ? ちょっと待って? な、なんか距離が近づいてきたようなっ?


 え、えっ、なにこれ?


 なんか息づかいがかんじられるんですけどって、いや、本当に、ど、どういう状況なの?


 きゅ、急にこんなっ、こころの準備がっ!


 混乱する間にも、彼の顔は着実に近づいてきてって……、ど、どうすれば?


 こ、このばあいは……、粛々と、う、う、うけいれる?


 いやいやいや、ちょっと待て、落ち着け、落ち着くんだ、僕。


 ゆっくりと考えるんだ、こんなことがいきなり現実に起きるわけない、って!


 めのまえに彼の目があって?


 僕の唇に、彼の唇、が……?



 シャノン・フィールズはかっと目を開き、上体を跳ね上げるように身を起こした。

 腹にかけていた薄地の寝具がはらりと膝の上に落ちるが、彼女は気付いていない。薄い胸の下で激しく高鳴る鼓動に、ただ気を取られている。血流が全身を巡って身体が熱くなり、じわりと汗が浮かぶ。身に着けていた寝間着が微かに湿り気を帯びた。


 彼女の中を血潮と共に駆け巡るのは、今し方の出来事への混乱と今現在の状況への当惑。


 それから十数秒後、周囲が暗いことをようやく認識し、自分が自室の寝台で寝ていたことを思い出した。ついで、先程まで自分が置かれていた状況が夢であったことを悟り、元より赤くなっていた顔を更に朱に染めて俯いた。


 呻き声にもならない響きが瑞々しい口唇より漏れる。


 先の夢、彼女にとっては思わぬ夢であった。

 いや、夢に出てきた少年を異性として意識している事は認めるが、まさか、あんな夢を見る程とは思ってもいなかったのだ。


 妙に生々しい夢を見た事への困惑と羞恥が少女の胸の内でぐるぐると踊りまわる。それはもう、今も残る記憶を少しでも薄める為、枕に顔を埋めて転がりまわりたいと思う程に。


 そんな内々の煩悶を余所に、少女の手は勝手に動いて自らの唇を押さえた。

 夢の中で触れたのか触れていなかったのか、当人もはっきりと覚えていない。そのことに対して、安堵するやら残念に思うやらで、シャノンの表情はどうのしようもなく複雑だ。


 少女が一人もやもやとしていると、寝台脇の机から声が聞こえてきた。


「んぁー、なーにー、どうかしたのー、シャノンちゃーん」


 大いに寝惚けた声を上げたのは、彼女の同居人である小さな人形だ。

 この常人ならざる存在の名はミソラ。魔導仕掛けの人形に宿る旧時代……遡る事、大凡三百年から四百年ほど前の高度文明期を生きた魔術師であり、大災禍こと断罪の天焔によって滅ぶ前の時代を知る非常に稀有な存在である。

 もっとも、寝間着の肩部分を肌蹴ながら自分用の特製寝台(人形用ベッド)より顔を覗かせ、寝ぼけ眼を擦りながら頭を右方へと傾げた姿には、そんな気配は微塵もなかったりする。


「わるいゆめでもみたのー?」

「え、あ、あー、ちょ、ちょっと夢の内容で驚いただけでして、別に悪い夢ではないんで、大丈夫です」

「んあー、そーなの? まぁ、だいじょーぶならいいだけど……」


 ミソラは大仰に欠伸をした後、机上に置かれた時計を見やる。時針は新たな一日を刻んでいるが、まだ朝が遠い事を教えていた。


「まだじかんあるわねー。シャノンちゃーん、きょうはしけんがあるし、きをつかうだろうから、しっかりねときなさいねぇー」

「はい、わかりました」

「んー、おやすみー」

「おやすみなさい」


 小人が己の寝床に戻った事を見届けると、少女はからかわれる様なボロは出さなかったと静かに安堵の息を漏らす。

 それから自身も短い髪を揺らして、首を一振り。淫夢、とは言わないが、思い出すのに多大な恥ずかしさと若干の甘さを伴う夢の名残を振り払うと、再び身体を横たえて瞳を閉ざした。



  * * *



 旭陽節第二旬二十日。

 旭陽節の風物詩とも呼べるゼル・ルディーラ(大砂嵐)は未だゼル・セトラス大砂海に居座っている。

 北よりやってきた暴威は砂嵐の神と擬されるだけあって吹き付ける風は強く、巻き上げる砂塵も多い。けれども、到来してより一旬以上過ぎ、盛りが過ぎた今となってはかつての勢いはなくなってきている。自然、砂塵の層は薄まって光陽の光も地表に届き始めており、頭を押さえつけられるような圧迫感は減じ始めていた。

 とはいえ、宙を舞う砂塵によって不便を強いられる状況に変わりはない。荒神が北の果てに帰るまで、人々は鬱陶しいマスクやゴーグルを手放すことはもちろん、砂塵塗れになることも避けられないのだ。


 大砂海域中央部に位置するエフタ市においても、それは同じである。

 何人であれども分け隔てなく砂塵を振る舞う荒神に対して、街路を行き交う人々は面覆いやフード付の外套で抗しながら足早に歩いている。

 そんな人々の中に、赤髪の少年機兵ことクロウ・エンフリードの姿があった。安物の赤黒い外套を身に纏い、砂塵除けの装備(マスクとゴーグル)を顔に着けて、市中は東西に延びる商会通りを一人歩いている。


 彼がそこにいる理由。

 それは常の休日にしているように、食料品や日用品の買い出しと溜まった洗濯物を出す為である。

 この五日に一度の恒例行事が生まれたのは、独り身だから日々の生活はどうのしようもあるので家事の手を抜いているという面が少なからずある。が、どちらかと言えば、まとめ買いの方が効率が良いからという面の方が強い。

 というのも、クロウが過去にやっていたグランサーにしても、今なっている機兵にしても、身体を酷使する仕事だからだ。なにしろ、遺物拾いは身体の体調を崩してしまうと稼ぎを得ることができなくなるし、命が懸かる機兵ともなれば一事が万事で一大事となる。そうならないようにする為、平日は身体の体調維持を優先して、余裕がある休日に家事を回しているのだ。


 そういった訳で、クロウは今、商会通り周辺にある行きつけの店を一軒一軒回っている。

 これらの店は行きつけと呼べるだけあって、孤児院で世話になっていた時分から通っている。それだけに日常の挨拶も儀礼的な二言三言だけでは終わらない。むしろ暇を弄ぶ店主達からは格好の暇つぶしと言わんばかりに構われる事となって、結果、お互いに遠慮のない様々な会話が交わさることが多い。


 つい先程、訪ねた雑貨店においても、


「おいクロウ、お前も機兵になったんだから、少しはイイ物を使うようにしろって」

「いや、前よりも安定して金が入るようになっただけで、贅沢する余裕なんてとてもとても」

「それでもグランサーしてた時よりも確実に金が入るようになったのは間違いねぇんだから、少し位贅沢したって構わねぇだろ。ほれ、例の物騒な事件も無事に解決したし、お前も景気づけによ、これなんてどうよ?」

「十枚二百ゴルダって、うわ、高っ!」

「そりゃ、ここで一番の、お偉いさん御用達の奴だからな! けどよ、お前が今使ってる三十枚六十ゴルダの拭き取り葉より遥かに使用感はいいぞ! もう今までのが使えない位になっ! だから、俺の今日の晩酌の為に、これを買えって!」

「だから無理だって! つか、おっちゃんさ、いい歳なのに、若者の財布に晩酌の負担を強いるのってどうなの?」

「うぐっ。そ、そう言うなよー、俺もかーちゃんに財布の紐握られてるからさー、一昨日で酒代が切れちまったんだよー。なっ、頼む! 一杯分だけっ、一杯分だけでもいいから!」


 といった具合である。


 ちなみにであるが、この会話の後、腹の出た中年店主は店の奥から現れた奥方に耳を引っ張られて退場させられている。


 とにもかくも、クロウは必要な物……主食としている黒パンの他、愛飲する粉乳や乾酪(チーズ)、干し肉に干し果物(ドライフルーツ)、少し高いが野菜の類、保存が利く芋などの根菜、新しい手拭いに補充用の石鹸、下着、更には先の会話にあった下用の葉といった物等々を買い揃えていく。


 こうして予定していた買い物を全て終えると、クロウは自宅に戻るべく商会通りを西に向かって歩き出した。

 その途上、彼は周囲に目を配る。以前、買い出しに出た時よりも人通りは増えている。店主達が事件が解決してから客足が戻ってきたと口を揃えて言っていた通りだと、少年は一人納得して頷く。


 先の事件……大砂嵐の下にあるエフタ市に多大な緊張を強いた殺人事件が一応の解決を見たのは十日程前のこと。

 クロウが中年の捜査官より事件が解決した事を告げれた日より間を置かず、殺人事件及び麻薬密売の犯人が同一人物であったこと、既にエフタ市から逃走にしたこと、逃走に使用した魔導船が遭難したこと、市中に出回っていた麻薬の大部分を押収したこと等々が市軍捜査当局より大々的に公表されたのだ。

 この公式発表に加えて、事件を解決したことを目で見える形で示すべく、市内各所にあった簡易詰所や門の検問が廃され、広場で周囲を睥睨していた魔導機は撤収し、市内を警邏する警備兵も数を減らしている。

 こういった市軍の動きが人々の目で確かめられ、その口を介して広まるにつれ、往来を行き交う人々が少しずつ戻り始めたのだ。


 だが、それでも少しずつである。

 まだまだ外を出歩いている子どもの数は少なければ、今、クロウが横目で見ている繁華街も従来と比して寂しい。


 いつも通りになるのは、ゼル・ルディーラ明けだろうな。


 そんなことを考えながら、クロウは港湾門前の広場に入った。

 広場は待機していた魔導機や詰所が無くなって、小ざっぱりした観になった。が、その分だけ寂しさを少年に感じさせる。なんとなく人恋しさを覚えて広場をよく見渡すと、隅の方に溜まった砂塵を集める人影がぼんやりと見えた。

 クロウはちょっとした安堵と懐かしい思いを胸に港湾門を抜ける。

 検問がなくなった為、問答や持ち物検査といった面倒はない。もっとも、以前と比べると警備に立つ門衛の数は増えている。表立っては落ち着いたと発表しているが、市軍内ではまだ完全に警戒を解いていないことが透けて見える配置であった。


 そういった様子から、クロウは惚けた風情ながらも隙がない寝ぼけ眼の中年捜査官を連想する。


 少年の家を訪ねてきた彼の捜査官は辞する際、なんか困ったことあったら相談に乗るから、今後もお付き合いよろしく、と言い残している。その言葉が頼りになるのかならないのか、クロウには判別がつかない。けれども、これも一つの縁だと考えて、頭の中にある人名録に記録している。


 なにしろ、どこで縁が繋がっているのか、わからないのが世の中なのだ。


 そんな事を思い浮かべると、クロウの中で孤児院を出る時に院長から贈られた言葉が浮かび上がってくる。


 人の縁というものは、その人の生き方が鏡のように反映されるもの。良き行いは良き縁を、悪き行いは悪き縁を、それぞれ呼び込むでしょう。

 けれど、良き悪きは時により場所により相手により変わるもの。それを見誤らぬよう、相手の事を考えて思いやれるようになりなさい。


 この院長からの手向けの言葉に対して、クロウは今になって思う。


 耳で聞くだけなら簡単だが、いざ実際に行うとなると難しいものだと。

 そもそも、結んだ縁の良き悪きは後にならなければわからないし、自らの行いの善し悪しは自分でできるものでもない。そういった判断は自分ではなく、他人がどう見るかによるのだから。


 そう考えた所で、少年の口から溜め息が漏れた。

 脳裏に描かれた院長は皺が刻まれた顔に微笑みを浮かべ、片隅に居残っていた件の中年捜査官は神妙に頷いてからにやりと笑った。


 げんなりしたクロウは頭を振って、それら人生の先達の虚像を振り払う。

 そして、気分を変えようと周辺に意識を向けた。


 砂塵の中、うっすらと見える港湾地区。

 その大部分を占める船溜まりには似た形状をした船影が数多く見える。その一方で埠頭や岸壁に接している船の数は数える程である。

 クロウは船溜まりの船影を見て、魔導船に関わるあれこれを教えてくれた院出身の航法士を思い出す。だが、それも一瞬。気の赴くままに今度は岸壁へ目を向ける。

 近くの埠頭に一隻の中型魔導船が接舷し、荷物の積み下ろしが行われていた。更に目を細めてみると、倉庫から船までを往復する荷役の影を見い出すことができた。


 ふと、クロウの脳裏に記憶がよみがえる。


 それは孤児院を出たばかりの一年目。グランサーとして活動できない今の時期のこと。クロウは何とか稼ぎを得ようと、口入れ屋で荷役の仕事を求めたことがあった。


 結果は不可。

 年齢というよりは、体格と体力、加えて気力的に無理だと撥ねられたのだ。


 今のクロウならば、この判定に然もあらんと頷くところであるが、あの頃は世間知らずの怖いものなしだった。しかも、どのような仕事なのか、どれほど大変なのかということを考えず、得られる実入りの事しか考えていなかった。

 だから、何とかできないものかと大いに食い下がった。それはもう、一日中、口入れ屋に居座り続けて恨みがましく店の主人を見つめ続けた程に。

 けれども、一度下された判定は覆ることはなかった。

 ただ、その必死さというべきか執念というべきか、とにかく不退転の意思とも呼べる何かは認められた為、荷役の代わりに砂降ろしや砂集めの仕事を紹介されることになった。


 本来であれば、仕事を紹介されただけでも御の字と言うべきものであろうが、当時の自分はその判定が不服で、荷役位できると大いに口を尖らせたものだった。


 少年は記憶にある己の浅はかさを思い出して、苦い顔になる。


 身体ができていなかった時分に荷役の仕事を得ていたとしても、厳しい労働に耐えきれずに身体を壊して終りだっただろう。本当に、しっかりと見極めて止めてくれた口入れ屋の主人には感謝しきれない。


 そう考えた後、当時の自分を更に顧みる。


 今だからわかることだが、あの頃は故郷の復興という目標に向かって歩み出したと思い、気負いと焦りの中にあった。

 どうすればいいのか、どうしたらいいのか、何もわからぬまま、これといった計画性もなく、ただただ遥か彼方に見える目標しか見ていなかった。そして、最後に行き着いたのは、ラティアに喰われかけるという大惨事だった。


 ラティアに襲われて本当によく生き残れたという気持ちと、死にかけないと慎重さを得られなかった情けなさとが混ざり合って、クロウに大きな羞恥心をもたらし、彼の頭がかくりと前に落ちる。

 これを切っ掛けにして際限なく過去の記憶が溢れ出しそうなる。その間際、クロウは首を横に振ってそれらの記憶を振り払った。このままずるずると過去を思い出すと今日一日が憂鬱になると気が付いたのだ。


 その為、何か別のことを考えようとして、今日の昼から会う人々の事が浮かび上がってくる。

 少ししか為人を知らぬ姿もあれば、大いに世話になっている姿もある。しかしながら、彼らの姿は少年の心を温める事は無く、逆に重い溜め息を吐かせた。


 以前、件の人々に頼まれた仕事、その結果に思い至ったのだ。


 今回は試作品の試験って言ってたけど、前みたいな酷い目にあわないといいなぁ。


 クロウの切実な願いであった。



 少年が肩を落としながら自宅に向かっている頃。

 エフタ市内北西部に位置する第四魔導技術開発室では、所属員全てが参加しての会議が行われていた。


「はい、今日は試作した魔導鉄槌の試験です!」


 開口一番、そう強く言い放ったのはミソラ。この希少すぎる存在は会議卓に名を変えた休憩所の机の上で胸を張ると、机を囲んで立つ人々を見渡して話を続けた。


「試験実施を担当するクロウが来るのは昼からですが、てきぱきと進めたいので今から準備の方をお願いします。それで、各自の役割分担だけど、後ろに書いた通りです」


 ミソラは後方に置かれた黒板を指差して、そこに書かれた内容を諳んじ始めた。


「カーンは試験に使用する各種試料と試験所の準備」

「あいよ」


 目付きの悪い男が少し甘さのある女声に応じて、首を縦に振る。


「マディスはラストルを使って、防護壁と使用する機器の設置」

「おう」


 腕組みをしていた巌の如き男は小人が指し示した場所を見て、重々しく頷く。


「バゼルは全機器の設定調整を担当してちょうだい」

「わかりました」


 線の細い優男は書かれた内容に素早く目を走らせた後、眼鏡を押さえながら首肯する。


「シャノンちゃんは私と一緒に魔導鉄槌の設計図と実物の再確認。魔導銃の試射試験で起きたような失敗がないように、特に術式周りを重点的にね」

「はい」


 生真面目な表情を浮かべた少女は短い金髪を前後に揺らす。


 それを見届けると小人は引き締まった表情で場に揃う面々に厳かに告げた。


「今回の魔導鉄槌、半分は趣味の産物的な物だけど、作り上げて世に問う以上、半端な物にするつもりはないわ。言うまでもなく、大事な時に故障したり、予期せぬ事故を起こすような代物にもしないし、使い手の期待に反するような物にもしない」


 自分が言った言葉がしっかりと伝わっているか、それぞれの顔を一つ一つ見ていく。どの顔もふざけた気配は無く、真剣であった。小人は満足するように緑色の髪を揺らして頷いて見せた後、再び口を開いた。


「そして、この方針はあなた達が今作っている物にも、これから作っていく物にも当てはまる事よ」


 ミソラは室員達の背後。陰影に浮かぶ影像(シルエット)に目を向ける。


「でも、ここであなた達が挑んでいる事、あなた達にとっても初めて作り、形にしていく物だから、その過程に多くの失敗があるでしょう。……時には致命的な失敗もね」


 ミソラは魔導銃の試射試験で起きた暴発事故を思い出し、整った顔を顰めた。後の調査でパンタルの被害状況を確認した所、かすり傷程度で済んだのが奇跡だと断じられる程の事故であったことがわかっている。

 魔術式を描き設計図を引いた者として、大規模な暴発を引き起こするような過誤を見逃したという悔恨もあるが、それ以上に、寄る辺なき過去の亡霊として、現世における拠り所を失いかねない痛恨の出来事であった。


 しみじみと己の失敗を省みながら、ミソラは僅かに空いた間を誤魔化すべく愚痴めいた戯言を飛ばす。


「その結果、私はセレスに叱られて給料をがつんと減らされる。はぁ、なんの失敗もなく、新しい何かができるなら、どれだけ楽なことか」

「はっ、んなことできねぇさ。つかよ、一朝一夕でできたら誰も苦労しねぇよ」


 ガルド・カーンが上役の言葉を鼻で笑った。対する小人も口元を緩める。


「ふふ、そうよね。現実はそんな簡単なものじゃない。成功に至るまで失敗は必ずついて回るものであり、どうしても避けえぬこと。一つの確たる物を作り出す為には、失敗を積み重ね、改修点を見い出し、対応策を考えて対応することを繰り返していくしかないわ」


 ミソラは皆が承知していることをあえて言う。それを聞く四人も室長の言を軽んずることはなく、静かに耳を傾けた。


「そして、その繰り返しが許されるのはこの開発室にある時だけ。だからこそ、世に出して万人の手に渡る時には、絶対の自信を持てるように、実験と失敗……多くの試行錯誤と徹底的な検証を重ねて、第三者からの指摘を大いに求め、問題点や不安点を全て解消する。そう肝に銘じて開発に当たってちょうだい」


 小人が語った思いの丈に応えるように、室員達はしっかりと頷き返したのだった。



  * * *



 昼過ぎ。

 クロウは市内の外れ、第四魔導技術開発室の前にいた。

 大型機械や荷物の出し入れに使う大扉の前に立ち、鉄扉を見上げている。ここまで来た以上はさっさと中に入れば良いのだが、どうにも彼の足と手は動かない。

 実の所、クロウの中に巣くう、また何か起きるかもという根拠のない恐怖と爆発に巻き込まれて死にかけた記憶が彼に二の足を踏ませているのだ。

 機兵となり甲殻蟲と戦う力を得て、幾度かの闘争で死線を越えても、クロウにとってやはり死は恐ろしいものである。

 いや、腹をくくった開き直りや立ち向かう勇気という物があれば、自分の弱い心に打ち克って踏ん切りがつかなくもない。事実、普段のクロウならば、深呼吸の一つでもすれば乗り越えられる程度の障害である。

 しかしながら、今日に限っていえば、朝方に過去の失態を色々と思い出して凹んだこともあって、そういう弱さに立ち向かう気力が湧いてこないのだ。


 そんな彼の耳に薄明かり漏れる隙間から声が聞こえてくる。


「クロウ、遅いわねぇ」

「そうですね。クロウ君、待ち合わせの時間より早く来るのが普通なんですけど、今日はまだですね」

「うーむー、そうよねぇ。前みたいに、何か用事でもできたのかしら」 


 耳に馴染んだ二つの声。それぞれの主が少年を信頼しているのがわかる会話だ。


 だが、この会話は少年の心に気力を与えた。

 約束は守らなければならないという信条が俄かに気焔を上げ、困難を厭う心を叱咤し奮い立てと促す。


「ちょっと外を見に行ってみましょうか?」

「そうね」

「ならマスクとかを」

「取りに行くの面倒でしょ、魔術を使うわ。……MG Vt Do-MuYe Ml-Hr CIMA」


 クロウはぐっと目を閉ざして、外界からの情報を遮断する。

 死の恐怖や怠惰な心根は依然として内にある。けれど、それは先よりも小さく弱い。代わって心を占め始めるのはやらねばならぬという強い気持ち。その強い心でもって、弱い心に打ち克つべく腹に力を入れた。


 そうだ、恐怖なんぞ蹴飛ばして言う事を聞かせればいい。お前ならできるはずだ。


 陶酔の世界に没入した少年は心の中で盛り上がる。故に、ゴロゴロと開かれた鉄扉にも気付かなかった。


「よいしょ、って、うわっ」

「ぬぉっ、び、びっくりした。……クロウよね? あんた、なにしてんの?」


 そして、少年は勇を奮って扉を開けるべく、扉の隙間へと手を伸ばし……なにかやわらかいものに触れた。


「ひゃっ!」


 大きさは掌に収まる程度で、グローブ越しであるが手に心地よい感触が伝わってくる。この予期せぬ感触に、これはなんだと混乱し、クロウは触れた物が何なのか撫でるように確かめる。


「んぁっ! ちょ、ちょっと! く、クロウ君!」

「お、おー、おねーさん、かなりびっくり。というか、ど、どうしたの、クロウ? 暑さで頭でもやられたの?」


 と、ようやくクロウの耳にも外界の声が届き、閉ざしていた目を開けた。


 目の前に顔を真っ赤に染めた金髪の少女。


 その肩で目を見開いて驚きを露わにする小人。


 そして、少女の胸に手を伸ばして触れている自分。


 沈黙が数瞬。


 この突如生じた僅かな合間で、少年は己が何をしでかしているのかを理解する。途端、怒涛の如き衝撃が先程まで内に抱えていた悩みを木端微塵に吹き飛ばした。


 クロウは現状への動揺も露わに、言い訳を口にする。


「え、えー、そ、その、こ、これは、じ、じ、事故でして」

「ほほう、今の状況、事故と申すか、少年」

「は、はい」


 小人は先の様子と今の慌てよう、更には神妙な返事からこれが本当に事故だと悟る。だが、表面では少し強めに笑って、今なお続く少年の失点を指摘した。


「その割に、手が離れていないんだけど?」

「しゃ、シャノンさん、ごめん! 本当に、ごめんなさい!」


 少年は慌てて手を離し、シャノンに向かって勢いよく頭を下げた。

 一方のシャノンだが、突然の出来事に驚きはしたが、不思議と怒りの情は湧いてこなかった。いや、むしろ、少年の手が離れるのを残念に思う自分がいることに気付いてしまった。

 もっとも今の混乱した状況で、怒りを見せるならまだしも喜びを見せるのは乙女として如何なものか、との思考が働いた為、その思いは決して表には出さず、深遠なる心の淵へと沈めて静かに蓋を閉めた。


「い、いえ」


 耳まで朱に染めた少女は短く返す。

 それから早打ちする鼓動と自身を襲った動揺を鎮めるべく、大きく深呼吸する。これで生じたわずかな時間で、シャノンはどう対応するか思考を巡らせる。

 結論は直ぐに出た。ここは年上の女として、相手の失敗を余裕と共に受け流し、凛とした所を見せた方がいい、であった。


 シャノンは内で方針を固めると、努めて平静な声を出すよう注意しつつ口を開いた。


「今のは事故ということで、謝罪を受けます。それよりも、クロウ君」

「は、はい」

「もしかして、調子が悪いんですか?」

「あ、えっと……」


 クロウは返事に詰まる。

 彼とて男である。相応に見栄や強がりもあるし、見目良い少女に格好悪い所を見せたくない気持ちもある。その為、否定の言葉を出そうとする。

 けれども、まだ少しだけ頬が赤い少女の、その真っ直ぐな青い双眸に見つめられる内、下手な言い逃れは余計に格好悪いと思い直して素直に答えた。


「少し、悪いかもしれない、です」


 少年の歯切れの悪い返事。

 シャノンは声が硬いのは仕方がないと流したが、その内容については見過ごすことができなかった。少女は少し表情を曇らせて、肩口の小人に問いかける。


「ミソラさん、どうしますか?」

「むー」


 ミソラも同じだったようで、難しい顔でクロウを見る。少年はまだゴーグルやマスクと言った面覆いを付けたままでその表情を窺い知ることはできなかった。

 ミソラはこれまで見た諸々を勘案して、確かにクロウの様子がおかしいと判断。試験を実施するかはさておいて、とりあえず、中に入れて調べることにした。


「クロウ、まずは中に入りなさい。顔色とか見るから」

「あ、ああ、うん、わかった」


 そうして迎え入れられた少年の声には、まだ動揺が残っていた。



 クロウはシャノンとミソラに誘われる形で屋内に入る。

 視界に広がった魔導灯の明るさに眩み、目を細めた。


「クロウ、扉は少し隙間を開けておいて」

「あ、ああ」


 ミソラの声に頷き、鉄扉を閉める。

 それから目が光に馴染むまでの時間を使って、マスクやゴーグルを取っていく。


「ふむ、顔色は……、そんなに悪くないわね」

「そうですね」


 小人は真面目な顔で、少女は心配そうな顔で、露わになった少年の顔を見る。

 先の失態もあってか、少年の顔には居心地の悪そうな色が浮かんでいる。だが、それだけではなく、どこか無理して表情を作っているようであった。


 とはいえ、読み取れるのはそこまでである。


 ミソラはクロウから視線を切り、不調の原因は何だろうかと考える。


 そして、はたと気づいた。

 前の試作品試験で死にかけたのだから、今回の試験に対して心身が身構えて不調になってもおかしくはないのではと。


 何故、そこに思い至らなかったのかと、小人は自身の浅慮に眉根を寄せる。


 機兵として鍛えられたとはいえ、クロウはまだ十代の若者である。様々な感情を持つ一人の人間なのだ。当然、我慢にも限界があれば、肉体にも精神にも限界がある。


 もしかすると、自分はその限界を超えて甘えてしまっているのかもしれない。


 そう認識した途端、ミソラはクロウに嫌われたらどうしようという不安に襲われる。他者から見れば数ある対人関係の中にある不安の一つであろうが、拠り所の少ない彼女には今生の根源に関わる不安である。


 この迷子になった幼子が親を探し求めるような心細さは、彼女にとって最悪の事態を想起させる。


 クロウとの関係断絶、或いは信用の喪失。


 人の関係に絶対的なものがない以上、これらは起き得る事である。

 それだけに、その想定はミソラにとって自身の足元を、己の存在自体を崩されるような恐怖をもたらした。


 ミソラは怖気に震える。


 魔術師としての部分が自分で認識している以上にクロウに依存していたと冷静に分析し、それ以外の部分が恐怖に竦む心身を落ち着かせようとする。


 だが、あまり効果はない。


 ミソラの震えを感じ取ったシャノンや様子がおかしい事に気が付いたクロウが目を向けてくるが、それにも気付かない。ただただ、もしそうなったらどうしようという不安と恐怖だけが尽きることなく溢れてくる。


 突如として恐慌に陥ったミソラ。彼女を救い出したのは、他でもないクロウの言葉であった。


「ミソラ、もう大丈夫だ。落ち着いた」


 声に釣られ、ミソラは恐る恐るクロウを見る。少年は外套のフードを外した所であった。

 光に照らし出されてより見えやすくなった顔にはまだ少し申し訳なさが残っていたが、確かに表情に余裕が戻って来ていた。声にも先程まであった動揺も消えている。


 ミソラは少し安心する。けれども、まだ恐怖は内にあった。


「ほ、本当に?」

「ああ」


 クロウは先程からのミソラに初めて会った時に垣間見た不安を見い出していた。だが、そのことに直接触れるような真似はせず、おどけるように肩を竦めて落ち着いたことを強調する。


「機兵として修羅場に立つことを考えれば、どうってことないさ」


 事実、クロウは先までの不調が嘘のように落ち着いている。

 彼が落ち着いた理由。とんでもない失態をしてしまって開き直った事実は確かにある。けれど、それだけではない。自分の言動が少女達に不安を与えてしまったこと。特にミソラが動揺したことを肌で感じて思い出した言葉が、彼の心身を急速に立て直したのだ。


 その言葉は、魔導機教習所の教官達のもの。


 一つは自分達の背を見る目がある以上、決して挫けてはならないという戒め。もう一つは、機兵にとって命のやり取りは日常の延長だという嘯き。


 クロウは今、それらに込められた意を、人の心を支える存在として常に心がけるべきことを、体験と実感を得て自覚したのだ。


 彼が会得したもの。

 それは日常においても人に無様な姿を晒さぬ意地と、どんな時にでも戦場に立って命を懸けられるだけの心構え。


「いや、調子悪いっていうか、ちょっと昼飯を食い過ぎてさ、腹が苦しかったんだよ」

「そう。……今は?」

「こなれたみたいで、だいぶ楽になった」


 そう言ってクロウは笑う。

 先までの面子や見栄、強がりから表層を取り繕う為ではなく、そう在るべき者として。


 穏やかでありながら芯のある笑み。それは今までになく、包容力があると見る者に信じさせるに足る微笑みであった。


 この少年の若々しさと青年の凛々しさ、男の力強さが絶妙に配合された表情に、シャノンは小人への探りを忘れてしばし見惚れる。ミソラもまた、心に生じた氷塊が解けるような温かさを得た。

 この温もりは小人の凍える心をゆっくりと解し、不安を減らす。だが、全てではない。小人は残った氷を溶かそうとより強い温もりを求めるように、すっと宙を飛んだ。


 翠の燐光が尾を引く。


 それが消えぬ内に、ミソラはクロウの肩に柔らかく降り立ち、そのまま腰を降ろした。


「なら大丈夫ね。クロウ、今日はよろしく」

「へいへい、お任せください、おねーさん」


 クロウを表情を崩すと、いつもの調子で答えてみせた。



  * * *



 一連のやりとりに区切りがつくと、クロウはシャノンに先導される形で試験所へと向かう。目指す先は屋内中央部にある休憩所の脇。そこには鉄骨と鋼板で仕立てられた簡易の壁が作られていた。


 だが、それよりもクロウの興味を引くモノが作業場にあった。


「なぁ、ミソラ。あの細長いの、船、かな? あれって、なんだ?」


 クロウが目を向けたのは、作業場の右側に置かれた長さ三リュート程の細長いもの。まだ組み立てている最中なのか、骨組みが剥き出しのままで、周囲には様々な機械部品や魔刻板、推進用プロペラといった物が置かれている。


「ああ、それはバゼルが今作ってる奴よ。で、反対側にあるのがマディスが担当してる奴」


 クロウは小人の言葉に釣られるように反対側へと目を向ける。作業用魔導機ラストルの脇に、魔導機の脚部に似たものが数本、懸架に固定されて並んでいた。こちらも骨格が剥き出しで配管や油圧管の類が露わになっている。


 双方、見た事がない品々だけに、少年の好奇心が疼き目が輝く。


「なんか凄いな」

「うーん、私が開発の主体じゃないからどんなものなのかは秘密にしとくわ。あ、そうそう、これらが形になったら試験を頼むつもりだから、そのつもりしといてね」


 当然のように告げられた言葉に、クロウの口元が微かに引き攣る。それを誤魔化そうとするわけでもないが、彼は遠回しの要望を述べた。


「その時は、まぁ、なんだ、お手柔らかに頼む」

「ええ、安全に十分気を付けるようにする」


 クロウは自分が言いたいことを察してくれたことに心中で安堵する。と、そこに濁声が飛んできた。


「おぅ、来たか、エンフリード」


 クロウは声が聞こえた方向へ目を向ける。高さ三リュートはある防護壁の合間から声の主が厳つい顔を出していた。


「ええ、今日もお世話になります、マディスさん」


 クロウが返すと、マディスは顎に無精ひげを生やした顔を緩める。


「なに、こっちが世話になるんだぁ、堅苦しい挨拶なんざぁ言いっこなしだ」

「お、エンフリードの野郎、来たのか?」

「どうやらそうみたいですね」


 マディスの声に反応したのか、壁の内側から他の面々の声が聞こえてくる。このまま挨拶の流れになりそうだったが、ミソラが一声あげて流れを変えた。


「はいはい、挨拶や話をしながらでもいいから、試験の準備を進めましょう」


 この室長の一声は大きかったようで、挨拶もそこそこに室員達の作業は続行。試験前の最終点検が加速する。


「カーンよぅ、試料一から十まで、全部五枚ずつあったぞ」

「ああ、わかった。悪いがこっちの手が離せねぇ、反対側にある十一から二十も頼む。特に裏の鋼板が剥がれてないかもう一度見てくれ」

「おぅ」

「バゼルさん、これ位でどうですか?」

「もうちょっと右……、うん、ちょうどいい具合になった」


 簡易防壁の内側では四人の男女がてきぱきと試験に用いる各種機材の点検を進める。

 その様子を眺めながら、クロウは安全を確保する為に用意された全身防護具(ボディアーマー)を全身に装着していく。曲面と平面を取り混ぜて作られた黒い防護具はそのほとんどが焼成材製である為、相応に重い。もっとも、機兵教練で使用した物と同じであったことから、そこまで苦ではなかった。


「クロウ、防護具の装着、終わった?」

「ああ」


 クロウは装具に不備がないか、また自身の動きを確認するように身体を動かす。特に問題はない様子であった。

 少年の前に浮かぶ小人は一つ頷いて、傍らの台に置かれた武具を指差した。柄の長さは大凡七十ガルト程、両端に鎚頭と握りを備えた大鉄槌だ。


「これが今日の試験に使う奴、試作一型魔導式大鉄槌、略して魔導鉄槌よ」

「見た目、普通の大鉄槌と変わらないな」


 クロウが言う通り、魔導鉄槌の外観は通常の大鉄槌と比してもそう変わりは見えない。目に見えて異なる部分は握りの部分の先、柄頭に摘みがあること位である。少年が手に取っていいかと目で問うと、ミソラは頷く。

 クロウは魔導鉄槌を持ち上げる。両手に持った感想としては、通常の大鉄槌と同じ重さ程度というものであった。


「普通のと同じ位の感覚か」

「そりゃそうなるように気を付けたもん。魔力が切れても普通の奴として使えるようにね」


 そうして、ミソラの口から朗々と魔導鉄槌の構造が語られる。

 所々脱線した話から要点を列挙していくと、鎚頭は鋼鉄製で柄との接合部に魔術式を刻んだ魔刻板が収められていること、柄の中芯部に魔力を伝達するドルケライト合金が使われていること、握りの部分に前の実験でクロウと魔力の契約を結んだ魔蓄器が収められていること、柄頭の摘みで魔力供給量を調整して魔術による衝撃の威力を加減できること、量産化の暁には魔蓄器を換装できるようにするか魔力補充器をつける予定であること、といった内容であった。


「へぇ、威力の調整ができるのか」

「ええ、停止状態から二倍、三倍、五倍、それと無制限の四段階を設定してるわ」

「結構あるんだな」

「試作品だからね。量産化した時に備えて、最適な分量っていうか、どれが妥当なのか、計りたいの」

「なるほど」


 クロウが頷いていると、ミソラが神妙な顔を浮かべて告げた。


「クロウ、魔導鉄槌に関して、特に注意してほしい事が一点あるわ」

「うん?」

「これには相手を識別するような安全装置なんてないから、術式を起動して使う場合は自分の身体には絶対に当てないように、また当たらないようにしてちょうだい」

「そりゃそうだよな。わかった、気を付ける」


 クロウはそう答えた後、微かに表情を曇らせる。


「でも、さすがに安全装置がないのは怖いな」

「でしょうね」


 クロウは右手で握っている部分を見て、軽く提案する。


「ミソラ、この部分、俺の人差し指がある辺りにでも、何か付けられないか?」

「むー、そこって邪魔になりそうな気がするけど?」

「物による。でも、安全装置があるだけで、結構、印象が変わるような気がする」

「わかった、考えてみる」


 ミソラが腕組みをした所で、カーンの声が響いた。


「おっし、こっちは終わった。他はどうだ?」

「おれもぉ、終わったぞ」

「こっちも終わりました」


 男達の声が点検を終えた事を伝えてくる。それを纏めるように、シャノンの声が告げた。


「ミソラさん、最終点検が終了しました。いつでも開始できます」

「ん、了解。それじゃ、クロウ、頼むわね」

「了解」


 クロウは頷き、頭部防護具(ヘルメット)面覆い(フェイスガード)を下した。



 クロウはミソラに導かれて、鉄板で作られた囲いの中に入る。

 囲いは一辺が大凡六リュート程の正方形で、床がそのままであるのに対し、天井には細かな金網が張られている。

 中央部には膝ぐらいの高さの支柱が二本設置されており、そこに長さ八十ガルト程の焼成材らしき板が渡されている。その近くにはカーンとマディスが立っており、足元に先の板と似た物が多数置かれていた。


 二人はクロウとミソラに気が付くと、マディスが口を開いた。


「室長よぅ、予定通り始めるんだな?」

「ええ、予定通りに。クロウへの説明よろしく」


 そう言い残すと、ミソラは囲い内の一画……観測機器や記録装置といった物が配置され、天井の物と同じ金網で守られた場所に入っていく。追って見れば、バゼルとシャノンの姿があった。


 クロウが目前の二人へと視線を戻すと、それを待っていたかのようにカーンが説明を始めた。


「おっし、エンフリード、これからお前にやってもらうことを簡単に説明する。フィールズが開始の合図をしたら、その魔導鉄槌で、そこに設置した板をぶった叩け」

「全力で?」

「ああ、全力でだ」


 そう告げてから、カーンは足元に置かれた大量の板を指し示す。


「それをここにある分だけ繰り返す。枚数は四種五枚で二十枚。それを術式起動なしから始めて、二倍、三倍、五倍、無制限の順でやる。これもフィールズが指示を出す」

「二十回を五回繰り返すってことは、合計で百回か」

「なに、残骸の片づけや交換は俺達がするから安心しろ。それともなんだ、数が多いから勘弁ってか?」

「はは、まさか。やります」


 躊躇のない返事に、男二人はそれぞれの表情で笑う。


「上等だ。なら、早速始めるぞ」

「んじゃ、エンフリード、頼まぁ」


 二人もまた観測所となっている金網の向こう側へと去って行く。


 ミソラはクロウ以外の全員が安全な場所に避難したことを確認すると、大声を張り上げた。


「はーい! それじゃあ、試作一型魔導式大鉄槌の性能試験を始めます!」


 この声を合図に試験が始まった。


 早速、シャノンの聞きやすい声が響く。


「クロウ君、まずは術式起動なしからです。試料一一一、開始してください」


 クロウは魔導鉄槌を上段に構え、板をじっと見据え……、全力で獲物を振り下ろす。


「ッ!」


 手応えと衝撃。


 鈍い音とちょっとした抵抗の後、打撃面を砕かれた板は折れた。


「終了」


 クロウはゆっくりと魔導鉄槌を引き揚げて、微かに息を吐いた。


 その後も板を換えて試験が続けられる。最初の五枚は全て割れて折れたが、残りの五枚は表面が破損する程度、後半の十枚は鋼板が裏打ちされていることもあってか、表層にひびが入るだけといった結果であった。


 こうして無段階が終わり、遂に魔導鉄槌が起動する時が来た。


「クロウ君、摘まみを回して術式を起動してください。段階は一段目、威力は二倍になります」

「了解」


 クロウはどうなるかと少し心拍を速めながら、柄頭の摘まみを一段階回す。魔刻板がある鎚頭に目に見えた変化はない。その為、クロウには本当に起動したのかがわからなかったが、それでも得物を振り上げた。


「準備完了」

「了解しました。では、術式倍加二、試料一一二、開始してください」


 クロウはシャノンの声を合図に振り降ろす。

 当たった瞬間、先より大きな打音が響き渡る。板は打撃面より砕かれて割れ、残った部分が遅れて床に落ちた。


「終了」


 クロウは伝わった感触が軽くなったことに目を丸くしながら独語する。


「おぉ、なんか手応えがさっきより少ない」


 もっとも他の面々と離れていたこともあって拾われることはなく、試験はそのまま続く。結果として、第一段階は一枚目から十枚目までが割れ、後半の十一枚目から十五枚目までが表層の破壊、それ以降の二十枚目までは表層のひび割れ程度だった。


 ミソラ達は大して驚きもせず、飛び散った破片等を片隅に寄せ、次の段階に入る。


「クロウ君、これより段階を一段上げます。摘みを二段目にしてください。威力は三倍になります」

「了解」


 少年は言われるままに動き頷く。


「術式倍加三、試料一一三、開始してください」


 クロウは慣れた様子で魔導鉄槌を上段に構えて、呼気と共に振り降ろした。


 鎚頭が板に当たった瞬間、前のよりも大きな音が空気を震わせ、当たった場所を砕き飛ばす。先よりも更に軽い感触に感嘆の声が漏れた。

 その後もクロウは面覆いの下で感心を露わにしながら板を叩き続ける。今度は一枚目から十枚目までを完全に割り、十五枚目までは裏打ちされた鉄板に穴をあけ、二十枚目までの表層部を割り砕いた。


 カーンやマディスが少し興奮した様子で話しながら周囲に散った残骸を片付け、ミソラの魔術が撒き散らされた粉塵を一掃する。


 やがて再び場が整えられると、第三段階が始まった。


「残り四十ですが、クロウ君、大丈夫ですか?」

「まだ大丈夫。いつでもいけるよ」

「わかりました。摘みを三段目にしてください。威力が五倍になります」

「了解」


 クロウは身体に溜まり始めた熱を逃す為に深呼吸。


「では、術式倍加五、試料一一五、開始してください」


 先程よりも更に強力になるだろうと予測しながら、魔導鉄槌を振り上げ目標に向かって振るう。


 打ち砕く感触よりも衝撃とも呼べる音が防護具越しに身体を震わせ、打ち当たった部分は粉々になって地面に叩きつけられた。これは威力があり過ぎるのではと、少年は口元を引き攣らせる。

 だが、彼はその感想を口にすることは無く、粛々と板を叩いていく。十枚目までが一枚目と同じ運命を辿り、十一枚目から十五枚目までを砕き割り、残り二十枚目までに穴をあけた。


 第三段階が終わると、先程と同じように片付けが始まる。


 そんな彼らとは対照的に、クロウは破片の一つを見つめながら厳しい表情を浮かべる。魔導鉄槌が焼成材と鋼材でできた複合板を一撃で穿った事実に、脅威を抱いたのだ。


 そこに粉塵を始末したミソラが飛んできて、クロウの頭の上に腰を降ろした。


「どうかしら、クロウ」

「これは、ちょっと強力過ぎる気がするな」

「あー、やっぱりそう思う?」

「ああ。……いや、もし仮に、生身で甲殻蟲とやりあうなら、これ位は欲しい。けど、これを隣で振り回されるのは怖すぎる」


 下手に当たると間違いなく身体に大穴が開くと、クロウは眉間に皺を刻んだ。そして、そのままの表情で告げた。


「なぁ、ミソラ。これ五倍の段階で十分だと思う。だから、無制限での試験、止めておいた方が良くないか?」

「うーん、きっとそれが正しいんだろうけど、実際に、どれ位の威力を出せるのか、この目で確かめておきたいのよ」

「それは、好奇心か?」

「むむ、それがないとは言わないけど、どちらかと言えば、作った者の義務感かしら。自分がどれだけ危険な物を世に出そうとしているのか、確認したいって気持ち」


 クロウは一度だけ天を仰ぐ。そして、大げさに溜め息をついてから訊ねた。


「それは絶対に必要なことなんだな?」

「ええ、絶対に必要よ」

「わかった。やるよ」

「ありがと。あ、でも、私もここで付き合うから、何かが起きても何とかするわ」


 クロウは大いに肩を落としてから力なく笑う。


「はは、はぁ。……それってさ、何かが起きる前提じゃないか?」

「いやー、ほら、私も責任者だし、前みたいに目の前で事故が起きたら目覚めが悪いでしょ」

「なら、そういった事故が起きない方向で進めてほしいもんだ」

「うん、だから最悪にならないように制御するわ」

「うへぇ、やっぱり止める気なしか? いやはや、こわいおねーさんだこと」

「うふふふふふ、心配しなくても、いざという時は私も一緒に死んであげるから、安心して全力でやってちょうだい」


 ミソラはこれまでになく輝かしい笑顔で言い切る。その顔を見たわけでもないが、クロウは背筋に怖気を走らせた。そして、確信する。これは絶対に不味い事が起きると。


「あー、それはまた、うれしいなぁ」


 棒読み気味で返事をした所で、シャノンの声が響いた。


「クロウ君、行けますか?」

「ミソラ?」

「余裕余裕、いつでもどうぞ」

「わかった。シャノンさん、いける」

「わかりました。では、最終段階に入ります。段階を最大にしてください」


 クロウは摘みを回し切ると、シャノンを見て頷いた。


「それでは、術式倍加無制限、試料一一〇、開始してください」


 クロウは大いに心身を緊張させながら目標の板に向かう。さながら修羅場に立つように、鼓動がこれまでになく強く早まっていく。手にした物を放り出さないよう、しっかりと力を込めて握りしめる。


 静かに息を呑んで、緊張を解く。


 それから両腕と背筋、腹筋を使って振り上げると、しっかりと大地を踏みしめて、一撃を叩き付けた。


 なんの手応えもなく、乾いた音と共に板が破裂した様に飛び散る。


 感触がまったくなかったことに驚き、少年の制動が遅れた。


 その結果、止まり切れなかった鎚頭は床に打ち当たり、一帯全ての床を粉砕。大小さまざまな破片と粉塵を巻き上げ、大地を揺るがす程の衝撃と建物全体を揺るがす大音声を生み出す。


「ぬぅおああああぁぁぁぁーーーーーー」


 そして、クロウは悲鳴を残して、自分の足元に生じた大穴へと落ちて行った。



 予期せぬというよりも想像を超える事態に、男達が呆気にとられる中、シャノンはすぐに我に返る。粉塵を払いながら大穴に駆け寄って、中を覗きこみ叫んだ。


「く、クロウ君! ミソラさん!」


 二リュート近くぽっかりと空いた暗闇の中、返事はない。その事実にシャノンの顔から血の気が引いていく。ここに至って、ようやく再始動した男達が動き始めた。


「待てっ、フィールズ! 近寄り過ぎんな! まだ崩れるかもしれん!」

「でもっ!」

「わかってる! くそったれめっ! なんだってあんな大穴が開くんだよ! マディス! ラストルを持って来い!」

「お、おぅっ!」

「僕はロープと光源を持ってきます!」

「ああ、頼む、バゼル! それと、フィールズ! 魔術で光源を用意しろ! 粉塵も吹き飛ばせるならやってくれ! 呼び掛けは俺がやる!」

「は、はいっ!」


 ばたばたと残された者達が救助に向けて行動を開始する。


 だが、そんな彼らの足をもつれさせようとするかのように、穴の中から元気な声が響いてきた。


「だから言っただろうがっ! 止めた方がいいって!」

「あによぅ! ちゃんと宣言した通り、助けてあげたでしょ!」

「ああ、確かに助かった! けど! ……いや、ほんと、頼む。さっきはさ、本当にっ、死んだと思ったんだぞ?」

「う……、うー、その、ごめん、今のは私が悪かった。だから、ほら、泣かない泣かない」

「泣いてねぇーよ!」


 今まで聞いたこともない、感情を露わにする少年の声。


 シャノンはこんな風に声を荒げる事があるんだなぁと、場違いな事を考えた。それが彼女の気を抜いてしまったのか、足元から力が抜けて座り込んだ。


 少女の口から安堵の息が漏れる。次の瞬間には笑いが込み上げてきた。

 極度の緊張から急激に解放され、感情の箍が外れた事もあったが、なによりも、こんな大きな穴をあけて、セレスさんにどう言い訳をすればいいんだろうかという難題を思って。


 そして、彼女は無事で良かったと小さく呟くと、目元に溜まった涙をそっと拭ったのだった。

13/11/17 一部表現修正。

13/12/06 一部表現修正。

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