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魔導黎明記  作者: 綺羅鷺肇
4 手弱女は泡影に笑う
35/96

七 暗鬼は嘲り笑う

 魔導灯の頼りない光の下、男は渋面を浮かべながら傍らの机に目を向けた。

 机上に広げられた油紙には、黒い塊が無造作に置かれている。男は無感動に、否、僅かばかりの苛立ちを目に宿して、それを見つめる。


 黒い塊は男が目的を果たす為に、法と人倫に背いて手に入れた金の種(麻薬)


 だが今は、換金もままならぬ無用の長物。いや、それでは収まらず、男を一連の事件の犯人だと特定するに足る物証と化していた。

 全ては先の事件とその後の市軍の動き……、惚けた面をした中年男が彼が属していた孤児集団(ジラシット団)を巻き込んで、市内全域で聞き込みを行わせた結果である。

 簡単に言えば、ジラシット団が方々で聞き込みを行った事で、事件の主要因が麻薬であるという噂が急速に広まったのだ。

 砂嵐という密室に似た環境の中、社会を不安に陥れる事件が続いている事もあって、元より疑心が強くなっている所にこの情報である。不安解消を願う多くの市民は自然と目を光らせ、これまで以上に周囲を監視、或いは、警戒するようになった。

 要するに、市中市外を問わず、多くの目と耳が他人を監視する状況となったのだ。エフタ市軍が緩めていた警戒態勢を再び厳に改めた事で行動(麻薬密売)が制限された事も相まって、男がこれまでのように麻薬を売り捌くなど不可能である。


 こういった状況もあって、男自身の心にも余裕がなくなりつつある。


 当初の目標としていた金額に至っていない状況で、換金手段を封じられた事。監視の目がいたる所にある中、物証を抱えている事。麻薬の買い手から情報が繋がり、自身に至る可能性が十分にある事。捜査の手が己へと迫ってきている気配が感じられる事。

 それら全てが男の不安を助長させ、精神を著しく消耗させるのだ。つい先程、食料の買い出しの為に外を出歩いた時にも、誰かに見られているような感覚が常について回った程である。


 疲れた昏い目でじっと黒い塊を見つめる男。その脳裏に、お荷物になったモノ等、派手に燃やしてしまえばいいという考えが過ぎる。

 ふっと湧いたこの考えは、とても魅力的な考えのように思えた。が、目標とする金額まで至っていない事実を思うと、金の種を捨て去るという選択を選ぶ気にはなれなかった。


 持て余し始めたモノをどう扱おうかと、男は悩ましげに首を振る。ついで、一時でも儘ならぬ現実から逃れようとするかのように、腕組みをして目を閉ざした。


 途端、彼の中で、かつての仲間が言った言葉が浮かび上がってきた。


 俺達は俺達が思っているほど、世の中を知らない。


 記憶の中で再生された言葉を受け、男は己の知識不足や短期間で麻薬を大量に流す事で生じた危険性(リスク)を思い、全くもってその通りだったと、口元に自嘲の笑みが浮かべた。

 けれども、次の瞬間には己の浅はかさを悔いるのは後だと荒んだ笑みを打ち消し、今後、どうするかについて考え始めた。


 薄暗い室内で独り、黙したままで。


 幾分かの時が過ぎ……、知らず男の眉間に皺が刻まれた所で、二つの方針が内々で上がってきた。

 それらは実に単純なもので、エフタでほとぼりが冷めるのを息を潜めて待つか、幼馴染を連れて大砂海から出ていくか、である。


 男はそれぞれの方針を比して、どちらを取るべきかと再考する。


 市軍の捜査が続いている以上、人目を引くような真似はせず、息を潜めて待つ方が良さそうだと、男の理知が囁いた。

 その一方で、肚の底や胸の内より湧きあがる感情は、一刻も早く、幼馴染を連れてこの街から去るべきだ、足りない金は自らの蓄えを崩せば何とか間に合うと、声高に主張する。

 両者は一時的に拮抗するが、身を焦がすような熱い情動が己が身の安全を考える冷めた思考をじわじわと溶かしていく。徐々に比重の傾いた心に感化されたのか、熱くなった血潮が全身を巡り始め、遂には男にある記憶を思い出させた。



 わたし、あなたの赤ちゃん、産めなくなっちゃった。



 それは、昨年、数少ない逢瀬の中で幼馴染が謝罪と共に寂しく呟いた言葉。今にも壊れそうな目と声で、それでも必死に耐えながら、己に言い放った言葉であった。


 荒れ狂う激情に耐えるように、男はぐっと目を瞑る。


 しばらくすると、脳裏より事を起こす事を決意させた言葉が薄らいでいく。それに伴って、男は奥歯の辺りに鉄の味が広がるのを自覚し、同時に、力一杯に握りしめた拳より滴り落ちる赤い血に気が付いた。


 内と外の流血がもたらした鈍い痛みは、男に微かな冷静さを与える。


 そして、男に自然に笑った。


 彼にとって、迷う必要もない話であったのだ。


 そう、何よりもまず、自身の幼馴染を。いつ何時、壊れてもおかしくない己が想い人を、この地から切り離すことを一番に考える。ただ、それだけを考えて動けばいいだけの話であった、と……。



  * * *



 先の事件より二日。

 白昼の惨劇を受けて、エフタ市内に広がった動揺は主要な辻に警備兵が立ち、広場の一角に魔導機パンタルが睥睨するように屹立するようになったこともあって、徐々に収まり始めている。

 とはいえ、大砂嵐(ゼル・ルディーラ)が未だ居座り、視聴覚が制限される状況が続くだけに、行き交う人々もそれぞれが距離を置いており、常の賑わいからは程遠い状態である。


 常ならぬ緊張感をどこか匂わせている市内。その中心部は組合連合会の本部、上層階にある幹部の部屋にて、ミソラは自身にとっての庇護者にあたる人物と顔を合わせていた。


「頼まれていた対甲殻蟲用の個人用装備だけど、ある程度の形はできたわ。後は実験するだけってとこ」


 執務机の上、ミソラが傍らに置かれた干し果物を猛禽を思わせる目で吟味しながら言うと、部屋の主で小人の庇護者を務めるセレス・シュタールは少しばかり驚きの色を見せながら応じた。


「それはまた、私が想定していたよりも早いですね」

「ふふふ、私、人の予想を覆すのはお手のモノなの」


 小人は不敵に笑いながら答えると、干し葡萄の一つを掴みとり、大きく口を開けて頬張った。広がった甘みとそれを引き立てるほんの僅かな酸味に、表情を緩める。

 セレスは実に幸せそうな顔を浮かべた友人と呼べる小さな存在をじっと見つめつつ、告げられた言葉の意味を踏まえて訊ねた。


「それで、どのようなものにしたのですか?」

「鎚」

「……つち?」

「うん、魔導機で使ってるでしょ。ほら、両手持ちのごつい奴で、思いっきりぶん殴る鈍器」


 確かに当初の予想は覆されたと、セレスは認め、思わず口元が緩む。そして、普段、感情を表に出さない麗人は珍しくも心の向くままに口を開いた。


「私としては、銃を使うとばかり思ってました」

「もちろん、本命はそれのつもりよ。だけど、私の知ってる魔導知識がさ、本当に技術的に可能かどうか、わからないじゃない」

「それは一理ありますね。ですが、あなたのことですから、幾分か趣味を兼ねているのでは?」

「あはは、まさかぁ。今回の試作は決して、しゅっぅっ!」


 舌を噛んだ。


 ミソラは一瞬だけ硬直する。が、顔にも声にも痛みを訴えることはなく、言葉を紡いだ。


「趣味じゃないわっ! あくまでも、新たな技術開発につなげる為の実証研究!」


 勢い込んで放たれた燃えるような言葉。もっとも、セレスにはなんら感銘を与えない。ただ、その内に含まれた実証研究の語から、彼女の脳裏に小人と関わりが深い人物、赤髪の少年の姿が自然と連想されて浮かび上がらせるだけであった。


 麗人は緩んだ口元を苦笑へと変じさせて訊ねた。


「今度も彼の人にお手伝いを?」

「え? うん」

「それはまた……、彼の人も大変ですね」

「ぐむ、言ってくれるじゃない」

「私は直近の事例(暴発事故)を鑑みて、事実を言っただけですが?」


 セレスの追撃ちに、ミソラは目を目を逸らす。けれども、次の瞬間には、白い歯を見せながら人の悪い笑みを作ると、傲然と言い放った。


「いいのいいの、クロウの扱いに関してはこれ位で。定期的に女の我が儘を聞かせないと、イイ男に育たないモノ」

「そのような理由であなたに振り回される訳ですか。……さすがに同情したくなりますね」

「えー、イイ女に同情されるよりも無理難題を押し付けられ、もとい、頼りにされる方が、クロウも喜ぶんじゃないかなー」


 ミソラは悪い顔のまま冗談半分で言った後、おもむろに表情を改めて真面目な声で話し出す。


「ま、冗談もこれ位にして。正直な所、こういったこと(武器の試作)をするとなると、やっぱり預ける相手も相応に腕があって信用できないと怖いじゃない」

「それが彼の人であると?」

「私にとってはね」


 そう断言したミソラの声と目には自信と信頼が宿っている。そんな小人の姿に、セレスは初対面の時にあった一連のやり取りを思い出し、納得するように頷いた。ミソラは出資者の様子をじっと見つめながら、更に話し続ける。


「で、この鎚、試作型魔導式破砕大鉄槌……、私達は簡潔に魔導鉄槌って呼んでるんだけど、今の所、使ってみた術式も正常に機能してるから、一定の成果は出てるわ。さっきも言ったけど、後は実際に使い倒して、おかしなところがないか、蛮用に耐えるか、確かめるだけね」

「相応に結果が出て、あなたの言う今後の研究開発に繋がるのならば、進めてくれて構いません」

「うん、ちゃんと繋げるつもり。例えば、大型化して魔導機用のを作ってみたりとか他の奴に技術流用したりとか、ね。あ、後、本命の魔導銃に関してだけど、これは魔導機用のが十全に完成してから、小型化に取り掛かる予定だから、それまで待ってちょうだい」

「わかりました」


 小人が己が開発室の上司への説明を終えると、当の上役は了解を示し、微かな吐息をついた。ミソラは重みを感じさせるそれを見逃さず、眉根を曇らせながら訊ねた。


「……忙しいの?」

「常と変わらず、と答えておきましょう」


 そう応じた麗人は瞳を閉ざす。


 今現在、ゼル・セトラス大砂海域の内外を問わず、問題を抱えている。


 まず域外だが、南方の帝国と西方に位置する五都市同盟がそれぞれにごたついている。

 これは魔導技術に欠かせない鉱物ドルケライトを巡って、昨年、両国の間に生じた武力衝突の余波、或いは後始末に関連しての事である。元より両勢力の内部にあった権力闘争や現体制への不満が先の小さな紛争を契機に噴き出したのだ。

 軽く触れると、帝国では統治の両輪である皇帝と元老院が機士団再編と帝国軍設立を巡って鎬を削り、同盟でも帝国への報復を叫ぶ対帝国強硬派とまずは国力の増強こそが第一だとする穏健派が対立するといった具合に。

 そういった両国の揺らぎ、特に帝国中枢での混乱を受けてか、東方の領邦国家群でも一部の都市が野心を露わにして、周辺の都市にちょっかいを出しており、不穏な空気が流れ始めている。

 そして、この不穏な空気が伝染したのか、ゼル・セトラス域と東方を結ぶ魔導船航路でも賊党の類が増えて、物資の輸送に支障が出始めており、砂海域経済にも影響が及んできている。


 次に肝心のゼル・セトラス域内。

 ノルグラッド山脈以北の大砂海域は毎年到来する自然現象、砂嵐の神に喩えられるゼル・ルディーラ(大型暴風)が到来中である。

 域内各地ではこの容赦のない大いなる砂塵嵐に耐える為にも、相応に物資を貯め込んで備えているのであるが、時に不足する必需品も出てくることもあったりする。

 それを補うべく、組合連合会が仲介に入る形で各都市や開拓地で融通しあうことになっているのだが、いかんせん、砂海流通網の担い手である魔導船の量が減少……、というよりは、危険を少しでも避けるようと速度を大幅に落として運行している為、望む時に望む場所に、という訳にはいかないのが現実である。

 では、この事態に組合連合会がどう対処しているかというと、常以上に積極的な情報収集を行って各地の状況を把握し、何らかの物資が不足しそうであれば、予め手配するといった事前の対応対策を行っている。

 そして、組合の幹部であるセレス・シュタールもまた、自身の手の者から送られてくる各地からの情報を分析して、その結果を各担当者に委ねたり、自ら対応を指示する司令塔の一つとなったりして差配しているのだ。


 沈黙するセレスに対して、ミソラは少しばかり渋い顔を見せながら口を開いた。


「あまり無理しちゃダメ、ってのは、それこそ、無理な話なんでしょうね」

「ええ。域外は今この時も情勢が変化しています。先の帝国と五都市同盟の小競り合いや東方にある領邦間の軋轢が、いつ何時、どんな形で、砂海域に波及してくるかわからない以上、目を外す訳にはいきません。それに、この砂塵嵐(ゼル・ルディーラ)にしても、下手をすれば、小さな開拓地など、簡単に呑み込んでしまいますから」

「……怖い世界ね」

「かもしれません。ですが、世界が怖いと震えているだけでは生きていけません」

「あー、そりゃそうよね。ごめん、変なこと言ったわ」


 小人の謝罪に頷くと、セレスはゼル・セトラス大砂海域各地の状況を思い返す。


 嵐の勢いが強い北部域では、開拓地の一部で吹き荒ぶ風や降り積もる砂によって建物や農地、水源といった物が被害を受けており、補修物資や各種の支援物資、更には後の凶作を予期しての救荒を求める声が届き始めている。

 ただ幸いなことに、甲殻蟲による被害はそれほど多くはない。エル・ダルークに駐留する旅団の武装船隊も定期的な巡回を行うだけで済んでいる。自然の暴威と天敵の両方を一度に相手せずに済んでいるだけ、有り難い事だ。

 次にエフタ市がある中央域。周辺に点在する開拓地は落ち着いており、大きな問題も起きていない。むしろ、中心地を担うエフタ市の方が物騒な事件が立て続けに起きており、社会不安の一歩手前といった様相を呈してしまっている。

 そうなった原因の一つである先の殺人事件に関して、捜査が難航している事に加えて、それが麻薬絡みであると聞き及んだので、手の者に探りを入れさせている。けれど、公私に渡って世話になっているルティアス小父の手前、市軍の面子を潰さないで済む方法を考えなければならないだろう。

 南部域。かの地は砂塵嵐の被害こそ比較的少ないものの、麻薬が静かな広がりを見せている。特に砂海の玄関口となるルヴィラでも麻薬絡みの事件が多発して、エフタ市同様に社会不安を引き起こしている。

 組合としても対応や各市治安当局への支援を行うべき所であるが、より一層深刻な状況にある東部域を優先せざる得ない状態であり、後回しにせざるをえない状況だ。

 西部域は砂塵嵐の被害が少なく、社会状況も安定しており、西方に面する五都市同盟との軋轢も生じていない。域内で最も落ち着いているといえる。その為、北部域救援の拠点とする予定である。

 そして、懸念となっている東部域であるが、中心都市アーウェルの状況が著しく悪化している。移民と市民との対立がますます激しくなり、治安状況が深刻化。日常の経済活動にも影響が出てきている。最新の情報では市門を閉ざすか閉ざさないかという所まで話が進んでおり、場合によっては流血の事態までもが予想される。


 此度の事、裏がないか調べなくてはなりませんし、アーウェルには今旬の内に増援を派遣する必要がありますね、とまで麗人が内々で考えた所で、俄かにミソラが一つ手を打って、思い出したかのように話し出した。


「そうそう。前にトラスウェル広場で起きた騒動なんだけど、あれって、麻薬絡みらしいわね」

「聞いています。市井でもそういう噂が流れているようですね」


 ミソラは首肯して続けた。


「その噂って、本当らしいわよ。クロウから聞いたんだけど、市軍の捜査官が麻薬が事件の根本にあるのは間違いないだろうって、言ってたらしいから」


 セレスは微かに目を細め、確認するようにミソラに問いかけた。


「彼の人は市軍とも繋がりを持ったのですか?」

「ええ、今回の騒動を収めたのってクロウだし、ほら、前の殺人事件でも通報者兼発見者になってるじゃない。それらに加えて、今は仕事も請け負ってるからね」

「なるほど、それならば、繋がりができない方がおかしいですね」

「でしょ。ま、人の縁ってどこで活きる分からないもんだし、できた繋がりは大事にしなさいとは言っておいたわ」


 麗人は小人の言に同意を示すと、ふっと微笑んで告げた。


「では、私も持てる縁を活かさせていただきましょう」

「うん?」

「彼の人に伝言をお願いします。事がエフタ市内で収まっている間は、組合は手出しをせず、全てを市当局に委ねると。そう市軍の捜査官に伝えてほしいのです」


 ミソラは聞かされた伝言の内容から様々な物を感じ取り、右の眉だけをわずかに上げて応じた。


「なんだか、いろいろとあるみたいねぇ」

「ええ、あります。……聞きますか?」

「素人は深く立ち入らない方が良さそうだから、やめとくわ。でも、伝言については了解。市軍の捜査官に伝わればいいのね?」

「はい。向こうから正式な協力の申し出がない限り、組合は動きません。ですが……」


 セレスは瞳を閉じて、一度語を切る。釣られて、ミソラが問いかけた。


「ですが?」

「はい。もし仮に、内々に支援要請や協力を求める声があった場合は、情報提供等で協力するつもりです」

「……むぅ、それも?」

「彼の人に、言の砂礫に隠しながら相手に意を伝える能力があるならば」


 小人は黄金色の瞳を瞬かせると、破顔して手を横に振った。


「あー、無理無理。機兵になって力はついてきたけど、そういった婉曲的な腹芸の類はまだまだ。要修行」

「そうですか」

「うん、思った事が素直に顔の相に出ているからね。あ、でも、その内、そういった事にも対応できるようにするつもりだから、これからに期待って事にしておいて」

「ふふ、期待しても良い事なのか、判断に困るところですね」


 セレスは小さな友人の冗談めかした声に、淡く笑って答えた。



  * * *



 旭陽節第二旬十日の昼。

 仕事が休みとなったクロウは常の所用……衣類の洗濯や食料日用品等の買い出しを終えると、エフタ支部へと足を向けた。先だって、市軍の捜査官であるリューディスに頼まれた麻薬関連の情報収集、その結果の報告を行う為である。

 四日ぶりに市内に入った少年は荷物を抱えながら商会通りをゆっくりと進んでいく。やはりというべきか、彼が知る同時期の様相と比して、人通りは少ない。特に子どもだとわかる小さな人影は皆無に等しい状態だ。そんな状態であるから、立ち並ぶ商店にも立ち入る客の姿も少なく、吹き付ける砂塵のくすんだ赤とも相まって、寂れた雰囲気を醸し出している。


 元気のない街並みにクロウがマスクの下で表情を曇らせていると、宙を舞い漂う砂塵の先に市街の中心とも呼べるトラスウェル広場が見えてきた。

 広場は先に惨劇が起きた現場という事もあってか、広場の片隅で市軍が運用するパンタルが一機、広場全体に睨みを利かせるように佇んでいた。また、その近くには小さな天幕と共に警備兵と思しき人影が数個立っており、不測の事態に備えている様子であった。


 魔導機が常時市中に出張るのはあまり見ることがない光景だけに、クロウはなんとなく息苦しさを覚えながら組合支部に入る。そして、マスクやゴーグルを外し、外套の砂塵を軽く落とすと、組合の窓口に目を向けた。窓口は砂嵐中の休日ということもあって、グランサーの姿もなく閑散としている。よく世話になっているマッコールもいないようだ。

 知り合いの姿がないことを知った少年は視線を酒場へと転じる。昼時であるにもかかわらず、空席が目立ち、気の所為であろうが、各所に配された観葉植物の緑もいつもより薄く見える。言うまでもなく耳に馴染んだ陽気な喧噪もない。自然、クロウはグランサー時代より慣れ親しんだ光景がないことに眉根を曇らせた。


「おや、クロウじゃないか」

「ああ、マリーさん」


 酒場に入ったクロウに目聡く気が付いたのか、酒場の給仕であるマリーが声を掛けてきた。恰幅の良い中年女は少年の顔色から抱えている思いを見取ったのか、困ったように苦笑する。


「そんな顔をするんじゃないよ。こういう時こそ、もっと朗らかに挨拶しな」

「いや、さすがに、普段の賑やかさを知ってるとね」

「だからって、あんたまで辛気臭い顔をする必要はないじゃないか。滅入った気分は伝染するんだから、起きちまった事を気にするのはほどほどにしときな。……で、今日はミソラちゃん達はいないのかい?」

「今日は仕事の詰めがあるって言ってたよ」

「そうかい」


 マリーはそう言って頷くと、口元で大きな弧を描いて続けた。


「それにしても、シャノンちゃんに眼鏡の子、ルベルザードさんとこのお嬢さん。あんたも一端の機兵らしく、女っ気が出て来たわねぇ」

「あはは、まぁ、グランサーやってた時から考えると、縁があるような気がする」


 少年は名前を上げられた少女達を順々に思い浮かべる。

 シャノンとはミソラ絡みの用件もあってよく会う。姿恰好こそ少年然としているが、垣間見える華奢なうなじに艶を感じたり、柔らかい笑みを浮かべた時に垣間見える少女らしさにはっとさせられる時がある。

 眼鏡の子ことエルティア・ラファンはパンタルを整備に出した時によく話をする。特に、初対面の時のように魔導機関連の話に夢中になって距離を詰めて来た際には、微かな汗の芳香や大きな胸に心奪われかけたりする。

 ルベルザードさんとこのお嬢さん……リィナ・ルベルザードとは、大きな事件が立て続けに起きた事もあって、ここしばらくの間会っていない。まだまだ接した時間は少ないが、物怖じしない明るく朗らかな為人は十分に好意に値する。


 こういった具合にクロウがそれぞれの少女について考えていると、マリーが興味の色を瞳に宿らせて話しかけてきた。


「ちなみに、どの子が好みなんだい? あんたも男なんだ。そういうの、あるだろう?」

「あー、好み。……好みかぁ。そういう事、考えたことなかったなぁ」

「そうなのかい?」

「うん、今までは一日を生きていくので精一杯だったし、今は今で生き残る為の鍛錬に精一杯、って感じ」


 このクロウの返事を聞くと、中年女は表情を一変させ、憐れみと労わりの色を前面に出して告げた。


「ああ、あんたはそういう性根の子だったねぇ。……うん、こういう縁ができたのもいい機会じゃないか。あんたも歳相応に色気づきなさい。誰がなんと言おうとも、この私が許す!」

「え、あ、うん?」


 クロウはマリーの断言に首を傾げつつも頷きを返した。



 マリーに頼んで酒場の奥まった席に案内してもらうと、クロウは昼食として黒パンにコドルの腸詰、ピッターを頼む。そうしてから椅子の背にもたれて、リューディスより頼まれた情報収集の結果を思い返す。

 同じ集合住宅に住む先達の機兵達や総合支援施設に勤める整備士達、更には仕事先の市軍機兵等と、極めて限られた中での収集であったこともあり、市井に流れている噂程度しか得られず、これといった核心的な情報はない。変わり種として、昨晩、唐突に彼の家に顔を出したミソラより伝えられた組合幹部(セレス)の伝言程度である。


 まぁ、もともと期待しないでくれって言っておいたから大丈夫だろうと、少年が気楽に構えた所で、二人連れの人影が支部に入ってくるのが見えた。一つがどことなく少しだらけた風情を感じさせる一方で、もう一つは背筋をしっかりと伸ばしてきびきびとしている。

 クロウは件の市軍捜査官達だろうと当たりを付ける。案の定、外されたマスクとゴーグルの下に現れたのは、寝ぼけ眼のくたびれた中年男ゴート・リューディスと若々しい青年士官モットの顔であった。実に対照的な姿であるが、双方共に周囲を首を巡らせて、若者は酒場だけを、年経た方は一階全体を見渡した。

 少年は二人の行動のちょっとした違いに、何らかの意味でもあるのだろうかとぼんやりと眺める。その内、若者の方がクロウに気付いたようで、隣の中年男に何事かを囁いた。対する中年男は頷き返すと酒場へと歩き出し、対応する給仕にクロウの席を指しながら二言三言告げて近づいてくる。


 そして、先を行く中年男が胡散臭さを感じさせる笑みを浮かべて声を掛けてきた。


「やぁやぁ、四日ぶりだねぇ、エンフリード君。今日はほんと、せっかくの休みなのに、こっちの都合に付きあわせちゃって申し訳ない」


 クロウは平静な顔を崩さずに立ち上がると、空いた席を指し示して答えた。


「いえ、構いません。とりあえず座って話をしませんか?」

「ああ、こりゃどうも」


 リューディスはそう言うとどこか業とらしく会釈して、モットは堅苦しさを感じる程丁寧に頭を下げて席に着いた。クロウもまた対面の席に着きながら、早速、今現在の捜査状況について問いかけた。


「捜査の方はどうですか?」

「うん、なかなかに大変だよ。噂の影響か、市民の皆さまからもあの人怪しくないって情報が結構寄せられててねぇ。モット君と一緒に確認に追われてる所さ」

「そうですか」


 ほんとにもう大変なのよ、と中年男は白い物が混じる黒髪を掻きつつ応じた。隣に座る青年はただ黙してリューディスやクロウを観察している。前もあまり話さなかったし、もしかして、この人は新人なんだろうかとクロウが考えていると、リューディスがさてと言い置いて話し出した。


「あんまり時間を取らせるのもあれだし、そっちの耳に入った話を聞かせてもらえるかな?」

「ええ、とはいっても、大した情報はないと思いますけど」


 そう告げてからクロウは語り出す。

 近場を聞いて回った彼の耳に入ってきたのは、先の傷害事件の犯人が麻薬を使っていたこと、その麻薬が流れ出したのが殺人事件の後だということ、また同じような事件が起きるかもしれないこと、市軍が麻薬の売人を追っていること、その売人が殺人事件の犯人である可能性が高いこと、といった内容だ。

 これらの情報の記録は律儀に筆記し始めたモットに任せているのか、リューディスは話を聞いた人々の職や年齢等を聞くだけで後は頷きながら聞くだけであった。


「……聞いたのはこれくらいですね」

「なるほど。うん、結構、噂が浸透しているみたいだねぇ」


 どこか満足そうに頷きながら、中年男は無精ひげが生える顎を撫でる。その様子を不思議に思ったクロウが疑問の声を上げた。


「こんなので良かったんですか?」

「こっちからすれば、色々と話を聞いてくれただけでも恩の字さ。ほら、市軍ってだけで身構える人も居るからさ」


 少年の疑問に答えた後、リューディスは椅子の背に身体を預け、天井を見上げる。傍から見ればのんびりとした風情であるが、寝ぼけ眼に宿っているのはどこまでも冷めた光だ。


 リューディスは内々で呟く。


 大凡の予想通り、港湾地区にまで麻薬関連の噂が広がっている。この後に会うジラシット団の報告はまだだが、捜査で市内各所を歩き回って得た感触を踏まえると、市域全体に監視網が形成できたと考えていいだろう。

 もっとも、その為に社会不安を更に煽ってしまったが、事が長引けば長引くほど社会への打撃が大きい以上、一時の損失は許容してもらうというか、……うん、噂は勝手に流れたんだ、知らぬ顔を決め込もう。


 そんな思いにあわせて、中年男の目がついと明後日の方向へと流れる。が、すぐに元の位置に戻って来ると、再び思考が回り出す。


 ともかく、見えない相手を地道に追うだけでは時間がかかり過ぎる。有形無形の圧力を仕掛けて、相手が動かざるを得ない状況を作った方が尻尾を掴みやすくなるはずだ。

 幸いというべきか、麻薬の流し方の荒さを見るに金に困っていると推測される相手だ。麻薬を売り捌けなくなれば、早晩、何らかの行動を起こす可能性が高いだろう。


 不意に口が寂しくなり、煙草を取り出す。が、咥える寸前に他に人がいた事に気づいて、そのまま懐に戻した。貴重な嗜好品である。どうせならば何者にも憚る必要のない喫煙室の方が良いと考えたのだ。

 そんな訳で気分転換の煙草の代わりに首をぐるりと巡らせる。連日の聞き込みで疲れた頚骨や筋が音を立てた。じわじわと広がる心地よさを感じながら、ぽつりと漏らした。 


「後はこっちの目と手が相手さんを捕捉しきれるかかどうか、だねぇ」


 己の声に隣の新人が微かに反応したのを肌で感じつつ、リューディスは視線を目の前に座る赤髪の少年に戻す。なにやら難しい顔をして、眉を顰めていた。年若くも機兵となった少年のそんな表情になんとなく興味を引かれて、リューディスは声を掛けた。


「エンフリード君、どうかしたの?」

「えーと、その、頼まれていた報告とは直接的に関係ないんですけど、知り合いの筋からリューディスさんに伝えてほしい事があると頼まれまして」

「へぇ、俺に?」


 少年が頷くのを見ながら、リューディスは意外と伝手が多いようだと心中で笑う。だが、その表情は寝ぼけ眼のどこか惚けたままで先を促した。


「なら、聞かせてもらえる?」

「はい。ええと、事がエフタ市内で収まっている間は、組合は手出しをせず、全てを市当局に委ねる、という事らしいです」

「……あれまぁ、結構なお言葉で」


 思いもかけず重い意味のある言葉を聞いて表情筋が引き攣りかける。が、辛うじて動かさぬまま、リューディスは答えた。そして、間髪入れずに頭が回り始め、何者がその言を託したかを知るべく質問の声を上げた。


「ちなみに、それはどういった筋?」

「世話になったというか、機兵になる時に援助してもらった筋です」

「ふむ」


 リューディスは先の言葉が言える立場にある者と目の前の少年について得ている情報を思い返して、その筋が何者であるか、当たりを付けた。だが、この場で直截に名を出して尋ねるのは、己が職務と立場的に如何なものか(風情に欠ける)と考えて、何か使えるモノがないかと目を泳がせる。

 東方の領邦より組合に送られたという海を題材にしたと思しきつづれ織りの壁掛け(タペストリー)が目に入った。なので、ある色へと視線を向け、また同時に己の髪を掻き上げた。


 クロウは唐突に生じた中年男の一連の動作から、相手が誰であるのか確認を取っているのだと気付き、頷きながら言った。


「あの壁掛けの海、見る度にいつも思うんですけど、いい色してますよね」

「うんうん。俺達が知ってる赤茶けた海と違って、綺麗な青だよねぇ」

「ええ、本当に綺麗な女の人を思わせるような青です。普段、周りにある地が褐色ですから、余計に栄えて見えます」


 やはり、ある筋はシュタールの姫君か。なかなか得難い縁を持ってるようだ。


 そんな事を考えつつ、中年男は納得を示すように頷いて了解を示す。クロウの目に微かな安堵の色が浮かんだ。リューディスは少年の言い回しと理解力に関心しつつ、唐突に始まった会話に目を瞬かせている新人の様子を横目で見る。


 これは中々どうして、モット君よりもこういう仕事に向いているかもしれないねぇ。


 リューディスは苦笑を浮かべて告げた。


「確かにね。あ、さっきの話は了解したよ。後、他になにかない?」

「他ですか?」


 クロウは続く伝言をどう伝えたものかと考えながら、表立っては首を傾げる。けれども、不自然ではない程度の沈黙、数秒の黙考では上手い言い方が思い浮かばず、なるようになれと適当に誤魔化して伝えることにした。


「伝言はないです」

「そっか」


 本当はまだあるんじゃないの、と言わんばかりに、リューディスがじっと見つめてくる。それを困った顔で見返しながら、クロウはこめかみを掻く。


「ええ、これ以上は。……だから、後、俺ができるとすれば、今回やったみたいに捜査に協力する位ですかね」

「おや、まだ協力はしてくれるんだ」

「ええ、前の事件は他人事でもないですし、伝手や方々で情報を拾ってくる程度ならできます」


 このクロウの言葉を聞くと、リューディスはにんまりと笑みを浮かべた。


「なるほど、それは有り難いねぇ。こっちもさぁ、入ってくる情報の裏取りで忙しくて忙しくて、ほんとうに足が棒になるくらいに歩き回ってるからさ、お金関連が調べきれてないのよ」

「お金、ですか?」


 クロウはそれを聞いてくれば良いのかと微かな首の動きと目で確認する。リューディスは胡散臭い笑みを張り付けたまま頷いた。


「うん、お金。麻薬で得た金がどこにあるのか、どう動くのか、予想できてないの」

「なるほど、大変ですね」

「ほんと大変さ。ま、でも、人手にも限りがあるから仕方がないと言えば仕方ないんだけどね」


 だからこそ、今日の会合は想定外に非常な有益なものになった。リューディスはそう心中で独語しながらも、口では別の言葉を続ける。


「なんにしろ、こっちの手が回せない情報を拾ってくれるだけでも助かるよ」


 少しだけ肩の荷が下りたかのように、中年男は肩を交互に動かした。



 クロウ達が酒場で話をしているのと丁度同じ頃。

 ジラシット団の面々も会合を行うべく、行きつけの店に集まっていた。店は相変わらず客足は遠のいているようで、彼らしか客はいない。もっとも、卓を囲んでいる彼らもいつもより数が少なく三人だけである。


 その内の一人、小柄な青年クレイドが眉を顰めて声を上げた。


「イスファンとロウの奴、遅いな」

「確かに遅いな。ロウはともかく、イスファンならとっくに来ていてもおかしくないんだが」


 大柄の青年バッツもクレイドに言葉に頷いた。だが、残りの一人である小太りのディラムは違う感想を持っていたようで、大したことはないと言わんばかりにのんびりとした顔で言った。


「誰にだって遅れること位あるさ。ここしばらくの間、いつもの仕事に加えて、例の情報を集めるのに歩き通しだったし、あいつらも疲れて寝てるんじゃねぇか?」

「だが、連絡の一つも……?」


 と、ここで店の戸が開き、僅かな風砂と共に外套姿でも年若いとわかる小さな影が入り込んできた。少々場違いな人影はおっかなびっくりといった風情でマスクとゴーグルを取る。すると、その下から十代にも満たない幼い顔が現れた。


「あ、あの……、すいません。ここにバッツさんはいますか?」

「ああ、ここだ。……確か、バーンボルト商会のエリックだったな。あいつの使いか?」

「は、はい。イスファンさんに伝言を頼まれました」

「そうか」


 どうやらイスファンは休みのようだと、バッツは続く言葉を予測しながら先を促す。


「で、あいつはなんと?」

「ええと、店の用事で忙しくて、今日は行けないから欠席させてほしいって、それと昨日担当した所では特に変わった話は聞けなかったって伝えてほしいって頼まれました」

「わかった。その他にはないか?」

「あ、あります。ロウさんからも急用が入って行けそうにないって、昨日言われたって言ってました」


 昨日、イスファンとロウが組んで情報を収集していたことを考えると、ロウからの伝言があってもおかしくはない。


 そう考えたバッツが目配せすると、クレイドとディラムは同時に頷いた。そして、ディラムが黙々と串焼きを焼いていた店主に注文を入れた。


「おやっさん、こいつに五本ほど包んでやってくれ」

「あいよ」


 微かに口元を綻ばせた店主は焼きたての串焼きを六本油紙に包むと、手早く紐で結んで立ち上がったクレイドに手渡した。そのクレイドは目を白黒させて戸惑う年少の団員に持たせた。


「え、え?」

「ほら、駄賃代わりだ。持って帰って食え」

「い、いいんですか?」

「ああ」


 俺達も先達にしてもらったことだからな、とは言わず、喜色を満面に浮かべた少年に頷きかけた。


 少年が嬉しげに感謝の言葉を述べて辞した後、バッツが重い溜め息をついた。


「イスファンが店の用事で欠席、ロウが急用か。本当は当人から肌で感じた事も聞きたかったんだが……、バーンボルト、相変わらずみたいだな」

「仕方がねぇさ。あそこは孤児の扱いが悪いからな。イスファンも扱き使われているんだろうさ」

「あいつが団の現状維持を良しとしないのも、この辺りが理由かもしれないな」


 遣る瀬無い感情が込められたバッツの言葉に、クレイドとディラムが口々に賛同の声を上げた。それから、ディラムが話題をもう一人の欠席者であるロウへと移す。


「それにしてもロウまで欠席するとはなぁ。珍しい事もあったもんだ」

「確かに珍しい。っていうか、あいつのことだし、急用って言葉にかこつけたすっぽかしかもな」

「普段の様子を考えると、否定しきれん所だな」


 残りの二人が苦笑と共に意見を述べる。その声音は先と異なり冗談めかした軽いモノで統一されていた。実際の所、ロウが急用であることを疑う者はいない。表立ってはいい加減で粗暴な態度が目立っているが、ジラシット団や仲間の孤児に対する態度はどこまでも真摯なのだ。


 もしかすると、今のジラシット団幹部で最も考えが深いかもしれない。


 そんな事を思いながら、バッツはとりあえず会合を始めようと口を開いた。


「イスファンとロウには連絡がつき次第、今日の話し合いと市軍への報告について知らせるとして、まずは各々が持ってる情報の摺り合わせから始めよう」



  * * *



 南大通りを南に向かって歩いていた青年は視線を落として思い返す。


 いつだったろうか、あいつの言動に違和感を覚えたのは。


 少なくとも今年に入ってからじゃない。……どこぞからやってきた連中が遺跡に潜って騒ぎを起こした前だから、去年の盛陽節あたりか。

 あの頃くらいから言葉にあった熱がなくなっていき、時折、何事かを思いつめるようにじっと一点を見つめるようになっていた。

 その時も気にはなったが、自分自身の生活を保たなければならない事に加え、忌々しい蟲の襲撃で幾人もの仲間が死んだこともあって、その後始末や団員達の世話で忙しくなり、いつしか忘れてしまっていた。


 いや、それだけじゃないか。


 あいつならどんな問題でも自分で何とかするから大丈夫だろうという甘えもあったんだろう。

 実際、今年に入った辺りから悩みを吹っ切ったように普段と変わらぬ顔をしていたから、その認識を強くしたのかもしれない。


 青年は重い足を進めながら首を振る。


 目の前に南大市門が見えてきた。立て続けに事件が起きている事もあって、いつになく警戒が厳しい。門より中に入る者は全員が全員、身体検査をされている。また、その様子を一機の魔導機が見守っているのがわかった。


 青年は自分も中に入る際に受けた検査の様子を横目に見つつ、警備兵の間を抜けて門を出た。


 市壁という庇護者を失い、強い砂風が押し寄せてきた。青年は目的に向かって歩きながら、外套のフードをしっかりと押さる。彼は内に篭った思いを吐き出そうとするかのように静かに嘆息した。


 けれど、その認識は誤りだった。

 いや、自分で問題を解決しようと動いたという点では間違いではない。ただ、あいつが手段として選んだことは社会に真っ向から歯向かう所業だった。


 ……いや。


 今もまだ、まさか、あいつが、という思いがある。


 実際、まだ決まったわけじゃない。


 だが、あいつを信じようにも、一昨日偶然見てしまった光景が、ある娼館での砂降ろしの作業の合間に偶然にも見聞きした光景が、それを許さない。


 あいつの名前。娼婦の身請け。そして、一括で二十万近い大金の支払い。


 二十万など、到底、商会に飼われるグランサーが出せる額ではない。


 なら、どこかで借りた?


 少なくとも商会のグランサーに金を借りる当てなどない。


 ならば、どこで稼いだ?


 旧世紀の遺物で稼ぐことができようにも、それほどの稼ぎを得ている様子は、少なくとも見聞きしていない。仮に得ていたとしても商会の中でも買い取り値が安いバーンボルトでは、貯めるには厳しすぎる額だ。


 では、どうすればいい?


 金が稼げるモノに手を出せばいい。需要があっても事情があって供給されない物ならば、高値で売れる。そう、禁止されていて足が付きにくい麻薬など、最適だ。


 青年の内にあるこれらの考察は未だ推測でしかない。にもかかわらず、彼はあいつがやったのだと決めつけ、否、悟ってしまっていた。


 だからこそ、青年は嘆く。


 本当に、なぜ、あんな光景を見てしまったのか?


 あんな光景を見ていなければ、知らないで済めば!


 仲間が隠し持っていた裏側を知らないで済めば、どれほどよかったことかっ!


 青年は無意識に奥歯を噛みしめる。

 だが、歩みを続ける間に、身体に満ちていた憤激は吹き付ける風砂で冷やされたのか、小さくなっていく。


 その代わりに大きくなっていくのは、ジラシット団が掲げる互助の精神を第一としておきながら、仲間に助けの手すら差し伸べなかったことへの罪悪感と後悔。


 それらの感情が青年の心を揺らす。


 結局、これから自分がどう動けばよいのか……、市軍に付き出すかそれとも逃すか、明確な答えの出ぬまま、目的地に着いてしまった。貧民街のどこにでもある焼煉瓦を無造作に積み重ねただけの歪な形の家だ。


 青年は閉ざされた扉をじっと見つめた後、迷いを振り払うように戸を叩いた。


 知らぬこと分からぬことを悩むより、まずは事の真偽を明確にしようと。


 それから、自分の内に湧き起こった思いに従おうと考えながら。

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