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魔導黎明記  作者: 綺羅鷺肇
4 手弱女は泡影に笑う
32/96

四 荒ぶる神の下で

 旭陽節第一旬二十日夕刻。

 エフタ市に到来した大砂嵐(ゼル・ルディーラ)はいよいよその勢いを増していた。気紛れに送り出す突風で屋根の砂降ろしをしていた者を薙ぎ倒せば、風圧に抗する事ができなかった窓や戸、更には家屋の壁を破壊するといった具合に、擬神化されるだけの荒々しさを見せている。

 この荒神の所業で生じた被害に対応する為、市軍の防災隊が忙しく走り回り、怪我人が担ぎ込まれる医療機関は治療に大わらわだ。

 もっとも、自然神の荒ぶる吐息を上手くかわしている場所もあるにはある。内壁の内側、市の中枢機関や都市基盤施設、上級住宅地がある中央地区だ。内壁はかつて外壁として機能していただけあって、市壁を乗り越えて北から吹き付ける豪風をよく遮り、他地区よりも被害を減じさせているのだ。

 そして、この内壁の恩恵を受けている場所が他にもあった。内壁の南側で東西に延びる通り、旧港湾通りに面する一画である。この一画は先の条件から高級宿や高級料亭、名のある商会や古くからある商店が軒を連ねており、中央地区に次いで価値ある一帯とされている。この世間の評価を裏付けるように、立ち並ぶ建物の外観も看板が目立つ商会通りや装飾華美な繁華街と異なって落ち着いており、相応の風情を醸し出していた。


 そんな旧港湾通りの中程は少し入った袋小路に、ラトナ館と呼ばれる一軒の料亭がある。

 通りに直接面していない為に一見で気付くことはないが、創業が都市創設近くまで遡れる老舗だ。開業以来、長年に渡り命脈を保ってきただけあって、口の固さと信用は指折り付きであり、エフタ市上層部や組合連合会幹部が会合等に使用したり、私的に羽目を外す為に利用したりしている。

 この知る人ぞ知る料亭の一室、長く滞在できるように特別に作られた部屋で、旅団第三遊撃船隊の長ラルフ・シュタールが参謀のバクターより麾下(きか)の船の状態について報告を受けていた。両者共に灰色ズボンに黒の上着と旅団の制服姿だ。


「例の作戦で一部焦げたサティスの外装は煤を除去した後、再塗装で対応。不調だったマラベルの右舷推進機は回転板の一部破損が原因と判明、回転板の交換で対応。イリーナの給水系で起きていた水漏れは生成器に送られる魔力が過剰であった事が原因と判明、魔力供給量の調整と応急修理した配管の交換で対応。以上が、エフタ船渠より上がってきた点検結果と対応の報告となります」

「了解した。これらの他に問題はなかったか?」


 青髪の美丈夫は執務机とも呼べそうな黒檀の机に報告書を置いて、バクターに訊ねる。小太り気味の中年男は身振りでわかるように大きく頷きつつ答えた。


「三隻とも、報告書にある事項以外、これといった問題はなかったとの事です」

「それは大いに結構な事だ。これで修理費が高いなんて、経理からぶちぶち言われなくて済む」

「ですが、不必要な分は極力削りたいという経理方の考えにも理があります。そもそもの話、戦船はそうそう壊れる物ではありませんからな」


 バクターはわざとらしく声を強めて断言して見せる。その様を見た美丈夫は褐色の頬を無意識に歪めながら反応する。


「……なにやら含む所がある言い方だな、バクター」

「ははは、二年程前、私が副長を務めていた頃、単独での開拓地巡回任務に出た折に、必要もないのに危険地帯に突っ込んだ船長がおりましてなぁ。私がこの先はダ・ルバァの生息域だと、どれだけしつこく警告しても、連中が調子に乗って開拓地に出てきても困るし、どんなモノなのか知るのにいい機会だ等と放言して……」


 身に覚えがあるラルフはついと目を逸らせた。

 ダ・ルバァは山岳部やその近辺を生息域にする飛行型甲殻蟲で一定以上の大きさを持つ動体を見つけると、我が身を捨て急降下して体当たりしかけてくる。船の大きさにもよるが当たり所によっては一撃で魔導船を沈めることもあり、魔導船の天敵とも呼ばれる存在だ。また、一定の間隔で、近隣の人里を襲う事も知られている。


 バクターは遠い目で過去を思い出し、しみじみといった様相で更に言い募る。


「その結果、ダ・ルバァの一群に見つかってしまって、連中が立て続けに急降下し始めたのには参りました。ええ、本当に、忌々しい蟲が耳障りな低音を響かせて落ちてきて、船体をかすめて緑色の飛沫をあげる度に、どれほど肝が冷えた事か」

「それはもう言うなって。俺も連中が大地に激突する音が夢に出てきて、しばらく魘された」


 ラルフが辟易とした表情で言うと、小太りの参謀は疑わしそうな目を向けて応じた。


「豪胆に笑いながら指示を出していたのは誰でしたかな?」

「なに、俺より年嵩の連中が、揃って半泣き顔で指示を仰いで来れば、それ位はせんといかんだろう」


 青髪の青年も開き直ったのか机に頬杖をつきながら、己が見た光景を口に出して挑発するように笑う。バクターは微かに眉を引き攣らせるが直に収め、平静な表情で返した。


「ぬぅ……、私には身に覚えがありませんな」

「そうだろうそうだろう。だから、この話は仕舞いだ」


 ちなみにであるが、今し方話に出ていた一件が旅団上層部に露呈した結果、ラルフは不必要に無謀を為した事から降格処分を受けて船長から降ろされている。これで終わるならば普通の話だといえるが、この話には続きがある。

 彼は降格を告げられた半日後、組合本部に再度呼び出しを受けて、特別昇格により第三遊撃船隊を任せることを告げられたのだ。これは当人の肝の太さと五十匹以上のダ・ルバァより逃れ切った指揮能力や運の良さを認めた幾人かの船隊長及び複数の船長から推薦を得た結果であった。


 話を戻して、ラルフは各船長の決済の隣に己の姓名を書き記すと、報告書をバクターに手渡す。それから、表情を真面目なものに改めて続ける。


「ところで、港湾地区で殺しがあった事は既に知ってるな?」

「ええ、そう訊ねてこられるであろうと予想して、各船長にうちの隊員の動向を調べさせておきました」

「流石だな。……それで、結果は?」

「皆、白です。事件が起きた時間帯、家で家族の相手をしているか、酒場で仲間と騒いでいるか、娼館にふけこんどったそうです。また、それら全て、裏も取れております」

「なら、後は俺だけって所か?」

「飾らずに言えば、その通りですな」


 バクターの言に肩を竦めると、ラルフは参謀の後方を見やる。出入口の脇は乳白色の壁際に、純白の衣を纏う黒髪の女が澄ました顔で控えていた。その顔立ちや体型は青年の妹の下で秘書を務めている女に似ている。だが、雰囲気はこの場にいる女の方が温かみであった。


「あー、確か、その時間は……、やっと雰囲気が良くなってきてな、アレイアと楽しみ始めた所だったはずだ。というか、十日の昼からずっとここにいるからな、店の連中に聞いてもらっても構わんぞ」

「ならば、聞く必要もないという事ですな。しかし、連日の泊りとは、よくお嬢が許しておりますな」

「理解があって寛容だからな、俺の妹君は。出港前に一日帰れば、大抵許してくれる」

「船乗りの男として、羨ましいと申しておきましょう」


 と小太りの中年が答えた後、俄かに首を捻り、朗らかな笑みを浮かべて続けた。


「いや、むしろ、主要な港に女を置いているのですから、これ位の甲斐性は当然でしたな。はっはっはっ、これは私の方が抜けておりました」

「……おまえ、そういうこと、このばでいうか?」

「さて、それでは、私はこれから本部に報告書を出しに行きますので、これで失礼いたします。明日の再招集点呼の一時間前にはお迎えに上がりますので、それまでごゆるりと」


 バクターは顔を引きつらせる上司に一礼し、柔らかく笑うアレイアに軽く会釈すると、足早に絨毯敷きの部屋を出て行った。残された青年は程良く短くなった髪を掻き毟り、つんとした空気を漂わせ始めた女をどう宥めるか考え始めた。



  * * *



 青髪の美丈夫が直近の問題を解決すべく、ラトナ亭で頭を悩ませている頃。

 港湾門に程近い繁華街は嵐中にありながらも夕食や一夜の情を求めようとする人通りで賑わっていた。そんな盛り場に幾つもある路地裏、その一つにある一軒の小さな酒場。五人も席に着けば一杯となる簡素な丸机が三つある他は、長台(カウンター)の立ち飲み場があるだけの狭い居酒屋があった。

 夕飯時という事もあってか、店一杯の客は砂嵐の神(ゼル・ルディーラ)に不自由を強いられる鬱憤を晴らそうとするかのように酒杯片手に陽気に笑い、仕事で溜まった心の毒を吐き出すべく騒ぐ。

 酒食を提供する店主は黙々とニニュ肉の串焼きを焼き、出来上がった物を次々と大皿に載せる。その度に肉の油煙が香ばしい匂いと共に立ち上り、白い湯気となって店内に充満していく。また、接客を担当する若い女は適当に愛想を振りまきながら、串焼きを注文の数だけ皿に取り、酒の入った陶瓶と共に酔客の合間を縫うように運んで回る。


 そうした中、外套をまとったままの五人の青年が卓の一つを囲んでいた。

 それぞれを見ていくと、能面のように生真面目な顔を崩さぬ者、柄の悪さやふてぶてしさが顔に見え隠れする者、彫が深い顔を持つ実直そうな大柄の者、どこか陰気さを感じさせる小柄の者、柔らかな雰囲気を持つ少し太った者、と似た顔は一つもない。

 そんな青年達の席、塗装もない傷だらけの木製机の上にも麦酒(ビール)が入った陶瓶や人数分の陶杯が並べば、大皿にニニュ肉の串焼きが数十本と積まれて、湯気と共に食欲をそそる香ばしい匂いを漂わせている。

 だが、卓上の食べ物とは対照的に、青年達の表情も一様に難しい物が浮かび、口も固く閉ざされている。自然、席は重苦しい雰囲気に包まれていた。


 店内に満ちる喧噪の中で、その一席だけ浮いた様に沈黙が続く。


 串焼きの湯気が少し減った頃になって、五人の中の一人、生真面目な印象を与える褐色肌の青年が大きなため息をついて口を開いた。


「今年は、怪我人が多いな」


 この言葉を皮切りにして、二十歳前後の青年達が口々に話し出す。


「今年は去年よりも砂嵐(ゼル・ルディーラ)が荒ぶってるからな」

「だが、俺達が把握してるだけで、もう五人だぞ。ちょっと多すぎるだろ」

「それは仕方がないだろうよ。去年あった蟲共の襲撃で、まとめ役をできる奴らが死んじまったからな」

「……他の連中を逃がす為にな。ったく、くそ忌々しい蟲共がこなきゃ、あいつらも後少しで自由の身になれたってのによ、ちくしょう」


 一番最後に乱暴な口調で言い放った柄の悪そうな青年が串焼きを一本取り上げて齧り付く。それに呼応するように、他の面々もまた陶杯を傾けたり、串焼きを頬張ったりし始めた。


 この場に集い顔を突き合わせている彼らは、商会に属する孤児グランサーの相互互助組織、ジラシット団の幹部達だ。

 ジラシット団は商会に拾われてグランサーとして働く孤児達が百年程前に自分達の生き残りを図る為に結成したもので、今に至るまで世代を重ねつつ存続している。

 今現在の幹部である彼らもまた、自分達の生き残りという目的を達成する為に、新入りの教育という従来の役目に加えて、時を経て増えてきた役回り、例えば、市外で行う収集作業の共同化や目標基準金額(ノルマ)に届かない者の手助け、砂嵐到来中の労働調整、事起きた時に医療費を助成する為の共同積立やその管理運用といった、様々な活動を行っているのだ。


 しばしの間、若者達は黙々と食事を続けていたが、最初に口を開いた青年が口内の肉を麦酒で流し込み、改めて口を開いた。


「皆、聞いてくれ」


 青年達は食事をする手を止めて、真面目そうな青年を注目する。耳目が集まったと見た彼は左手の酒杯を机に置き、口火を切った。


「前の会合の時に提案した件についてなんだが……」


 皆まで言わせずに応じたのは、向かい側に座る最初に串焼きを食べた浅黒肌の青年であった。


「ああ? おい、イスファン。お前、まだ諦めてなかったのか?」

「無論だ、ロウ。諦める理由はないからな」

「……ちっ、飯が不味くなるから、後にしてくれ」

「いいや、話を聞かずに立つ奴がいるからな、今させてもらう」


 イスファンと呼ばれた青年は落ち着いた声で言い切ると、口の悪い青年は舌打ちをしてそっぽを向いた。イスファンは態度で反対して見せた仲間に対し、一瞬だが微かに眉間に皺をよせて苛立ちの表情を浮かべる。けれども、それ以上の反応は見せずに話を続けた。


「これは今更のことだろうが、俺達孤児は商会に都合の良い労働力として買われ、グランサーとして危険な場所で扱き使われている。一応は金を溜めて自分自身を買い戻すことが可能になっているが、集めてきた遺物も安値で買い叩かれるから、買い戻す為の資金も中々貯まらない。……俺達は自由になれることを餌に、いいように利用されてるんだよ」

「確かにそうとも取れけどよ、バッツや先達が自分を買い戻したように、二十万って金は決して届かない金額ではないし、一定量の食事や安全な寝床を与えられている事を考えると、あの買い取り値もある程度は仕方がないと思うけど?」


 冷静な口ぶりで異議を出したのは、イスファンの左隣に座る小太りの青年であった。これに対して、イスファンは頷いて一定の理解を示しながらも否定的な立場で意見を続ける。


「ああ、ディラムの言う通り、確かに届かない金額ではないのは認める。しかし、買い取り値は適正とは思えない。バッツ、前節、独立したお前ならわかるだろう?」

「まぁな。俺が知る限りだが、商会が買い取る値段は組合で買い取ってもらう金額の半値以下だ。その事を考えると、もう少し位は上げる余地はあると思う」


 ロウの左隣に座っていた大柄の男が頷いて答えた。応援を得たとばかりにイスファンが大きく首肯して、再び声を上げた。


「それに、市外で働く危険性が度外視されているのも問題だ。去年にしても、若い連中が十数人熱病で倒れて治療が必要になったし、蟲に襲われて食い殺された奴が十人以上出ている。しかも、蟲に襲われて生き残れたとしても、五体満足って訳じゃない」

「前のうちの奴だな。あいつの場合、治療費は団の積立金で補助を出したから賄えたんだが……、あれで貯金が半分以上なくなったし、腕を失くした以上、グランサーを続けるのは正直厳しい。というか、このままだと他の連中みたいに商会から役立たずとして余所に売られるだろうな。……商会の立場で考えると、そうするのも無理ないだろうが、せめて片腕でもできそうな仕事を紹介するとかはしてほしいもんだよなぁ」


 イスファンの右隣に座した小柄の青年が顔全体を渋め、嘆きの色を見せながらため息をつく。それに同調するように、イスファンも然もあらんと頷いて切り出す。


「だからこそ、俺達は団の結束をより強固にして前面に出て、買い取り値の値上げや医療費の一定負担、怪我をした後の再就職の斡旋といった待遇改善を商会に対して求めて動くべきだと思う。幾ら商会とはいえ、団の力を背景に使えば、聞く耳を持つはずだ」

「だがよ、仮に商会と交渉したとして、それが上手くいく保証はあるのか? 今、俺達がしている活動だって、商会が目溢ししてる面があるんだぜ?」


 余所を向いていた口の悪い青年が再びイスファンを睨み据えて疑問を呈した。対する発案者も受けて立つように視線を返して答える。


「それは商会側にも利があったからだ。孤児同士が相互扶助するなら、商会の負担も減るからな」

「まぁ、その通りだろうさ。けど、それでわかるだろ? 商会にも利があるならともかく、商会の経営に影響を及ぼしそうな所まで踏み込んだ場合、今まで通りで済むとは限らねぇ。機嫌を損ねて放り出される位で終わりゃいいが、下手をすれば、鉱山に売り飛ばされるか、商会の中で起きた突然の事故であの世行きだぜ?」

「心配するな、ロウ。組合を仲介に巻きこめばいい」

「はっ、組合つっても万能じゃねぇさ。本腰を入れて仲介するとは限らねぇし、抑止力になるとも思えねぇ。だいたい、お前、組合で俺達の側に立ってくれそうな奴がいるのか?」


 イスファンは眉間に皺をせせるだけで、明確な応えは無かった。ロウは即座に名前が挙がらない段階では話にならないとぼさぼさの黒い髪を掻き毟る。そして、熱くなった頭を落ち着かせる為にも右手の酒杯を傾け、麦酒を飲み干した。

 それで一息ついた後、串焼きにも手を伸ばして少し冷めてきたニニュ肉を口に運び、己の内の考えを噛みしめるかのように何度も咀嚼してから話し出した。


「俺達の団は俺達の命を自衛するのが一番の是だ。その上で疑問だ。本当に、今の商会との関係を賭け台に乗せるような危険性を背負ってまで、改善交渉ってのをしなきゃいけねぇことなのか? 確かに、お前が言うように、俺達は搾取されてるだろうさ。けどよ、孤児院にすら放り込まれず、野垂れ死にするのが確定だった俺達を商会が拾って育てて来たってのは事実だ。今こうやって俺達が酒飲んで飯食っていられるのも、そのお陰なんだぜ? それに真面目に勤めていれば、ある程度年を取ると、一定の自由は与えられる。現に今、俺やお前が市外だが家に住めてるだろ」

「だが、その裏で、多くの仲間が死んでいる」

「そんなもん、言っちゃあ悪いが、運が悪かったんだろうよ。いや、孤児だろうがなかろうが関係なく、グランサーをやってる連中は皆その危険を背負ってるんだから、一概に俺達だけが飛び抜けて危険って訳でもねぇだろ」

「だが、危険は少しでも減らした方が良いに決まってる。その為の行動だ」

「行動、……行動ねぇ」


 ロウは右手に持っていた串を大皿に戻しつつ続ける。


「なら、イスファン、もう一度聞くぞ? お前の言う交渉が失敗した場合、今、団の所属してる連中はどうなるんだ? 商会がこのままで済ますと思うか? 俺達は別に特殊な技能を持ってるわけでもねぇんだし、替えようと思えば替えられる存在だ。冗談抜きで事に関わった連中、特に俺達は事故って便利な言葉で始末されちまう可能性が高いし、団に属してる連中にしても、自分達に楯突いたって理由で鉱山送りにするかもしれねぇんだぞ?」

「交渉自体、やってみないことにはわからん。そもそも、失敗を恐れてばかりでは、なにも進まない。俺達の待遇を改善する為には、時に危険を冒す必要もある」

「根回しもしっかりとできてねーのにっ、その危険を冒した結果、今の体制が崩れちまったら、意味がねーだろうがっ!」


 ロウは机を叩き憤然と吠えた。他の三人が周囲を気にするように見回す。青年の怒声は上手く喧噪に溶け込んだようで視線を集めることは無かった。


 一方、激して反論した当人は、それで少し力が抜けたのか、落ち着いた声音で語を紡ぐ。


「つーかよ。俺達の団は、グランサーとしての仕事方法や蟲や暑さといった危険から身を守る方法を新人に教えて、生き残れる力を持たせるってのが始まりだったはずだ。なぁ、イスファン……、団が潰された後、新しく入ってきた連中の面倒は誰が見るんだ? 誰が十に満たないガキ共を守るんだ?」

「その彼らを守る為だ。少しでも危険地帯で過ごす時間が減れば、それだけ命が守られるんだ。……どうして、それがわからない?」

「……成功を前提して、失敗した後の次善策も考えてねぇなんざ、納得出来ねぇんだよ」

「ああ、俺も失敗ばかりを気にして、現状を変えようともしない考え方が気に喰わんな」


 意見を対立させたロウとイスファンは眼光鋭く真正面から睨み合う。黙ってやり取りを見ていた他の三人も両者共に理がある事がわかっている為か、それぞれに表情を険しくして悩んでいた。


 二人の青年は互いに視線を逸らすことなく、一分以上の時が流れ、ロウが口を開いた。


「とにかく、俺は反対だ。明確な後援を得られない状況で、団の力を使った交渉は危険が大きすぎる」

「……そうか。なら、クレイドは?」


 イスファンの指名に対して、顔を渋めていた小柄の青年が答えた。


「俺は……、賛成してもいい。けど、もう少し、失敗した場合の事を考えた方が良いと思う」

「ディラム」

「反対かな。もっと組合と繋がりを作ってからの方が良い。今の状態で事を起こすには危険が大きすぎる。あ、いや、商会毎に孤児に対する態度が違うし、イスファンがそういった意見を持つのもわかっちゃいるんだがな」

「……わかった。バッツは?」

「保留させてもらう。イスファンの意見に理がある事のが確かなのはわかるが、ロウが反対する理由にも納得できる。だから、仮に事を起こすにしても、ディラムが言ったように、組合との繋がりをもっと太くして、確実に協力を得られるようにしてからの方が良い。こういうことは焦らずにやった方が安全だ」

「賛成一、反対二、保留一。決まりだ、イスファン」


 面白くなさそうにロウが告げると、イスファンも不承不承といった観で頷き返した。

 場が静まり、周囲の喧騒が再び彼らの耳に戻って来る。その空気に合わせるかのように、バッツが温くなった麦酒を一口飲んでから、幾分語を軽くして口を開いた。


「ああ、そうそう、今日は俺からも一つ提案をしようと思ってたんだ」

「なんだ、珍しいじゃない」


 ディラムもまた場の空気を入れ替えようと考えたのか、串焼きに伸ばした手を止めて合いの手を入れる。不機嫌顔だったロウも彼らの意図に気付き、表情を普段のものに戻して会話の中に入っていく。


「バッツが提案ってのは、確かに珍しいな。それで、どんな提案なんだ?」

「いや、知り合いになったグランサーから、グランサー上がりの機兵がエフタにいると聞いてな」


 これを聞いた小柄の青年は首を一振りして鬱々とした思いを振り切り、口を挟んだ。


「グランサー上がりの機兵? ……うーん、もしかして、この前、外の工事をしていた時に見た、あいつのことかな?」

「クレイド、知ってるのか?」

「まぁ、見たっていうか、ロウも知ってると思う。ほら、去年の後半辺りに見かけなくなった、あの赤髪の若い奴」

「赤い髪……、あー、孤児院上がりのくせにグランサーになった変な奴か。てっきり蟲に喰われて死んだと思ってた」


 とここまで口にして、ロウが訝しげな表情をバッツに向けて続ける。


「って、本当かよ、バッツ。魔導機の免許を取るには、結構な金がいるって聞いた覚えがあるぞ、俺は」

「さて、俺も昨日聞いたばかりだからな、詳しい話はまだ知らん。けど、知り合いになった爺さんの話だと、飯を食う以外、酒は飲めない女も買わないって話だからな、相応に貯めてたんじゃないか?」

「おいおい、冗談抜きで、どんだけ稼ぎやがったんだ?」

「俺達以上だろうさ。でだ、俺が提案したいことなんだが……」


 バッツが本題に入ると知り、提案を却下されて押し黙っていたイスファンを含めた全員が注視する。その中、体格の良い青年が己の提案を口に出した。


「その機兵に、護衛をしてもらうってのはどうだ? 金を共同で出し合えば一人あたりの負担は少ないし、実現は可能だと思う。実際、魔導機が近くにいるだけでも安心できるだろうし、収集作業もはかどるだろう。出した分以上には、稼げると思うんだが……、どうだ?」

「護衛か。……悪くない提案だと思う」


 イスファンが賛同の声を上げた。同調するように小太りの青年も頷く。顎に手を当てて考えていたロウもまた首を縦に振った。


「確かに悪かねぇ案だ。けど、腕の保証はあるのか?」

「そうだな。金を出す以上、ある程度の保証は欲しいし、いや、一番大事なのは、いざって時に本当に守ってくれるかどうかだ」


 ロウの言葉に乗るように小柄の青年も意見を述べる。バッツも同意するように相槌を打って答えた。


「もっともな意見だな。だから、次の会合までに、その機兵がどういう奴なのか、金がどれ位必要かといった事を色々と調べておくつもりだ」

「わかった。バッツ、次の会合で詳しい情報を聞かせてくれ。皆もそれでいいだろう?」


 生真面目な青年の言葉に、場の全員がそれぞれ形で同意を示した。



 それから共同積立金の残高報告や怪我人の現状、怪我人が出た際の対応手順の確認といった話が続き、情報の共有化が済んだ所でジラシット団の会合は終わる事となった。

 小太りの青年が全員から金を集め勘定を払う中、残りの者は各々防塵装備を身に着けながら、今夜の予定を話し合う。


「バッツはこれからどうするんだ?」

「俺か? 今から馴染みの女の所に行くつもりだ。クレイド、お前は?」

「今日は遊びに行くつもりはなかったからな、大人しく(商会)に戻るさ」

「そうか。だが、たまに気を抜けよ。じゃないと、生きてる実感がわかないからな」

「ははっ、気じゃなくて精じゃねぇのか?」


 ロウが厭らしい笑みを浮かべて茶々を入れると、小柄の青年がバッツに代わって応じた。


「ロウ、そう言うお前こそ、もっと行った方が良いんじゃないか? 一節に一回位っての少ないぞ」

「そりゃ、金を貯めてるからな。娼館行くのも生活費の余り金を貯めてなんとかって感じなんだよ。……ほんとは半旬に一回くらいは行きてぇさ」

「我慢しすぎて、壊れるなよ」

「ほっとけ、イスファン。お前こそ、娼館に全然行ってねぇだろうが。たまには行って一発抜いてもらってこい。それでちっとは頭もすっきりするだろ」

「それこそ大きなお世話だな」


 そこに勘定を終えたディラムが帰ってくる。その顔は苦笑気味だ。


「あんまり大声でどうするこうする言うなって。お陰で、店のねーちゃんにじろじろと顔を見られたわ」

「いーじぇねぇか、別によ。ここのねーちゃんは別嬪さんなんだし、見つめられたことを喜んどけ」


 ロウの大きな声に彼の仲間達は思わず笑う。また、他の客達も反応し、確かに別嬪だ、ここで追加の麦酒をくれたら別嬪だ、そうそう串焼きくれたら別嬪間違いなし、半値にしてくれたらエフタ一の別嬪だと、口々にやんややんやと騒ぎ立てる。

 給仕の若い女が困った顔で中年の店主を見ると、店主は軽く笑って酔っ払い共の戯言だから適当に流せばいいとだけ告げて、仕事に戻ってしまった。若い給仕は一つため息をつき、原因を作ったロウを睨む。それを面白そうに見ていたロウが一言。


「ディラム、お前が責任とってもいいんだぜ?」

「人に回すな、馬鹿野郎」


 仲間の遠慮ない一言にロウは再度笑って見せると、マスクを着けた。


「じゃ、俺も家に帰るわ。っと、最近、物騒みたいだからな、お前らも精々気をつけろよ」

「お前こそな」


 それから青年達は口々に別れの言葉を口に出すと、銘々居酒屋を後にして、砂塵舞う街へと消えて行ったのだった。



  * * *



 旭陽節第二旬三日。

 市内北西部に位置する第四魔導技術開発室、その室内中央部に位置する休憩所兼会議所において、卓上に立った小さな室長が各々作業していた三人の室員を集め、外の砂風に負けぬ声で高らかに宣していた。


「はい! 今朝方一番に、セレスから一報が入りました。エフタ市軍じゃなかった軍務局の方から連絡があってっ、機兵用斥力盾一式を評価用に六組欲しいとっ! 後、教習所や旅団の機兵隊にも評価用に三十位放り込むってことも言ってたわ!」


 喜色満面のミソラに対して、書類の束を手に持った目付きの悪い男、ガルド・カーンが口元を楽しげに歪めて応じた。


「おー、思ってたよりも反応が早えーじゃねぇか、室長さんよ」

「ふふふ、先の一件で動員された機兵隊の中に、クロウの機体に注目した人がいたらしくてね! なんでも、左腕だけが妙に無事だったのが気になったらしいわ! その線から話が上がって行ったみたいよ!」

「へぇ、見ている人はしっかりと見ているんですね」


 次に口を挟んだのは、青いつなぎを少し汚した眼鏡の青年、ロット・バゼルだ。小人は線の細い青年の言葉を聞き、大げさに頷いて見せる。


「どんな仕事でも、できる人は周囲に神経を配って貪欲に情報を求めてるって事でしょう。うんうん、だからこそ、イイ物を作っていれば、誰かがちゃんと気付いて報われるって事よね」

「そうさな、上役になれる奴ぁ、大抵、そういった目聡い連中だわなぁ」


 最後に応じたのは、太い腕を胸の前で組んだ巌の如き大男のウディ・マディス。ミソラは彼の濁声に再び笑みを見せてから、表情を改めた。

 もっとも、口元には笑顔の名残が残っている為、少しばかり締りがない。当然、室員全員がそれに気が付いていたが、場の空気を読んで無粋な指摘はせず、黙して話の続きを待った。


 そして、ミソラは一つ咳払いして話し出す。


「えー、そんな訳で、とりあえず、最初に請けた簡易に魔導機の防御力を向上させるって注文に関しては、斥力盾の製品化をもってほぼ熟せた形になりました。ですがっ、後々に不良の報告や改良……、現場からの改善要求が上がってくると思うので、その時々に生産を委ねるラデブ魔導工業と共同して対処するつもりですので、皆もそのつもりでいるように」


 ミソラは自身の直近に立つ少年然とした少女シャノン・フィールズを含めた四人が、それぞれ頷きでもって応じた事を確認すると続ける。


「で、ここからが本題だけど……、カーン」

「なんだ?」

「バゼル」

「はい」

「マディス」

「おぅ」


 小人は黄金色の瞳で三人の男達を順々に見つめた後、裏のない笑顔を浮かべて告げた。


「随分と待たせたわね。今日からあなた達が望んでいた自分達の研究や開発について、公に解禁するわ」

「そいつぁ、重畳だ」


 マディスが濁声をあげて相好を崩す。けれども、ミソラは同調せずに釘を刺した。


「あー、まだ、手放しで喜ぶのには早いわよ」

「なんだぁ、別の開発室から、何かケチでもついたのか?」


 カーンが悪い目つきを更に尖らせて尋ねると、小人は軽やかに、だが不敵さを感じさせる笑みで首を振った。


「ふふ、そんなのはないわ。あったとしても私かセレスが蹴倒しておくから気にしないでいいわよ」

「なら、なんだよ」

「うん、魔導銃の開発が詰めに入ってる事を忘れて欲しくないって事と、うちもほら、一応、組合連合会って組織の中に組み込まれてるからね、予算を分捕る為にも相応の道具が必要になるのよ。例えば、自分がやりたいことの計画書、そうねぇ、開発計画書とか開発品の仕様書とかいったもの辺りかしら」

「ええと、つまり、目標や目的を明確にして、どのように開発を進めていくか、加えて、どれだけの金額が必要になるのか計算する為にも、予定や計画を形にして提出しろということですね?」

「うん、そういうことよ、バゼル。面倒かもしれないけど、目的を達成する為に、どのような手順で進めていくのかを改めて自分で確認する為にも役立つでしょうから、決して無駄じゃないわ」

「まぁ、室長の言う事もぉ、道理ではあるしぃ、無駄ではないわなぁ」


 血色の悪い眼鏡の青年が内容を確認し、筋骨たくましい大男が理由に納得した所で、目付きの悪い男も撫で上げた黒髪を掻きながら再度口を開く。


「はぁ、面倒だが仕方ねぇか。そいつを書きゃあいいんだな?」

「ええ、書いて提出してちょうだい。あ、でも、私が読んでもある程度はわかるように書いてね。何が目的で、それを達成する為に、こういったことをする、だからこれが必要って感じに。私もセレスに上手いこと言ってお金を引き出せるように、頑張って読むから」

「わかったわかった。俺の為にも、できる限り分かり易く書いてやんよ」


 カーンは苦笑交じりで返す。その顔に向かって、私が理解できないと使える予算に影響するわよ、と笑顔で脅しをかけた後、ミソラは最後にと頭につけて話し出した。


「十日ほど前に起きた殺人で、市内の警備が厳しくなってたけど、それが一部解除されるそうよ。まだ犯人が捕まってないって話だし、前にも言ったけど、出歩く時やここに来たり家に帰ったりする時は十分に気を付けるようにね。以上、話はこれで終わり! さ、今日も頑張りましょう!」


 三人の男達は口々に応じて、それぞれが己の作業を再開すべく動き始めた。



 場に残された一人、小人の話が始まってからずっと黙していたシャノンは同僚達を見送った後、自身の右肩に飛んできた上司に小声で訊ねた。


「ミソラさん、いいんですか?」

「あー、例の話ね。その話は、部屋に行ってからにしましょ」


 シャノンはミソラに促される形で、仕切りで作られた自分達の作業場へと向かう。

 休憩所の周辺はシャノンが定期的に掃除をしている為か、綺麗に片付いている。だが、その他の場所までは手を回せていないようで、共同作業場の片隅には魔導銃や斥力盾の開発で使用した各種資材が乱雑に置かれ、その近くに試作品の作成過程で出た様々なゴミが集められていた。少女はゴミの集積所を見て、そろそろ分別した方が良いかなと考えながら、各々に与えられた作業場に入った。

 仕切りの中は以前はなかった冷え対策の絨毯が敷き詰められており、全体的に温かみが感じられる。また、作業に使用する机の近くにも新たに書棚が二つ程置かれ、様々な分野の学術書や魔法関連の書物が綺麗に整頓されて並んでいた。


 シャノンが自身の作業椅子に腰かけると、ミソラも肩口より作業机の上に飛び降りた。そして、小人は少女の中性めいた端正な顔を見上げて話し出す。


「さて、シャノンちゃんが言いたいのは、新しく受けた対甲殻蟲用の装備のことよね?」

「はい、魔導機に依らず、人が扱える物となると、皆さんの力を借りた方がいい気がするんですが」

「ふふ、シャノンちゃんは真面目ねぇ。そんなの適当でいいわよ、適当で」

「へ?」


 肩の力が抜けるミソラの緩い答えに、少女は間抜けな声を漏らした。その様子を見て、更に小人は笑みを深める。


「ねぇ、シャノンちゃん」

「はい」

「あなたも甲殻蟲の現物を知ってると思うけど、アレに生身で立ち向かおうって思える?」


 シャノンの脳裏に、甲殻蟲ラティアの姿が思い浮かぶ。

 人を優に超える体躯と強固な外殻、恐ろしいまでに鋭利な牙、無機質に並ぶ七つの赤い眼、一振りで薙ぎ倒されそうな脚。どれもこれも、人が生身で立ち向かうには生半端な覚悟、いや、死を覚悟しなければならないと思わせるに足る物であった。


 少女の口元が乾いた笑みを形作る。


「……思えませんねぇ」

「でしょう? けど、それでもって話なら、当然、距離を取って戦える魔導銃一択よ。だから、今開発してる魔導機用のが完成したら、それを小型化して本命にするつもり。そんな訳で、別段、気にしなくてもいいわ」

「そうですか。となると、新しく作らないってことですね」

「やー、それももったいないと言うか、せっかくの名目だし、かこつけてなにか作ってみようとは思ってるの」


 小人は悪ぶった表情で笑うと、シャノンもつられて笑ってしまう。


「あはは、なるほど。では、どういった物を?」

「うーん、そうねぇ、あくまでも副装備品で予備的な物……、銃以外の物を、私とシャノンちゃんで作って、クロウに試してもらおうかしら」


 試す、という言葉を聞き、シャノンの頭に一つの情景が浮かぶ。


 正体不明の何かを持ち、生身のままでラティアと真正面から対峙するクロウ。


 あまりにも無茶で無謀であった。


 それ以前に、シャノンも少し気になる少年をそのような死地に送り込むのは抵抗があった。自然と彼女の口からは確認の態で否定的な意見が出ていた。


「えーと、その試すっていうのは、まさか、クロウ君に生身で蟲と戦わせる、なんてことではないですよね?」

「さ、さすがに、私もそこまでは考えないわよ。蟲の構造を模したモノを作って、それを使うわ」

「はは、ですよねー」


 シャノンが笑いながらも安堵していると、小人が顎に手を当てて思案顔をしている事に気が付いた。短い金髪を揺らして、首を傾げる。


「どうかしたんですか?」

「あ、うん。……どうせ本命があるし、失敗してもいいんなら、試してみたいことがあるというか」

「はぁ、試したみたいことですか?」

「ええ、シャノンちゃんは魔力の契約って知ってる?」


 問われた少女は記憶を探り、過去に教えられた魔法学の中に答えを見つけた。


「確か、魔力の融通が可能になる遺失魔術ですね。儀式術で行われていたモノだとは伝わってます」

「うん、それの事だけど、遺失ってことは伝わってないの?」

「そうですけど、それがなにか?」


 と口にして、シャノンの頭の中にかつての上司が悔しがる姿が何故か思い浮かんだ。そして、それを裏付ける言葉が、ミソラの口から放たれた。


「いや、せっかくだし、それを使って作ってみようかなぁって」

「……せっかくだしっていう言葉は置いておいて、ミソラさん、やり方を知ってるんですか?」

「え、もちろん。魔導って、元々はこれを派生させて生み出したもんだし、知ってるわよ」

「そ、そうですか」


 あまりにも軽い答えに、シャノンは戸惑ってしまう。だが、ぎりぎりと歯噛みして悔しがっている元上司の姿は容易に想像できた。元上司に責がないことはわかっているとはいえ、異郷の地に一人残された彼女にとって、それは中々に痛快な物であった。

 少しばかり暗い喜びに浸っていた少女であったが、それは決して面は出さずに疑問を投げかけた。


「それで、どういう風に使うんですか?」

「ええ、試しにクロウとさっき言ってた武器っていうか、使用する魔蓄器と結んでみようかなって思って……、あ、そうだ、どうせならいっその事、魔蓄器も新造してみようかな。今なら昔考えてたけど、お金が無くて断念した奴もできるかもしれないし」

「えっと、あのぉ」

「うーむー、……待てよ? 別に機械がなくてもこの小さい手を使えば、細々とした刻印も簡単にできるんじゃ、それに、この目だと接眼鏡も必要ないし、視力が悪くなるなんてこともないだろうし、うん、不都合もあるけど好都合でもあるか。というか、この程度は不都合じゃないわよね。だいたい、今は食べる物に事欠くような生活じゃないし、度がきつい眼鏡をかけなくてもいいし、魔導の研究の為に金策に走り回る必要もないし、あれ、なんだろう、なんか、こう、ふつふつと、目から熱い物が湧き出てくると同時に、身体中からやる気が漲ってきたわ」


 途中からぶつぶつと呟き始めた小人は、その漏れ聞こえた声の通り、身体から透明に近い翠色の魔力を発散し始めているのがシャノンの目に映った。しかも、よくよく見れば、小人の目は涙でぬれている上、光彩を失くしており、恐ろしく不気味だ。


「み、ミソラさん?」

「ふ、ふふふ、過去の苦労がこんな風に報われるなんて、ほんと人生ってわからないものよねぇ。まぁ、人形になっちゃったから、人生っていっていいのかわからないけど、うふふ、どこで死んだかも知れない父親には色々と思う所があるけど、感謝してあげてもいいかもしれない」

「ちょっと、ミソラさん!」

「うふふふふふふふ、しゃのんちゃーん、これからいうざいりょうをあつめてほしーんだけどー」

「わ、わかりました! わかりましたから、もう少し落ち着いてください!」


 この少女の強い呼びかけに、ミソラははっと我に返り、大慌てで目元に残る涙を拭い去りながら叫ぶ。


「い、今のは無しで!」

「は、はぁ、無しですか。さすがに、それはちょっと無理のような……」

「ええ、無理ぃっ!」

「はい。なんというか、今のを聞いて、ミソラさんを見る目が変わったと言いますか……、昔のミソラさんって、とても苦労していたんだなぁと」

「うきゃー! 今まで作ってきた私の華麗で頼りになる人物像がぁーーーー!」


 ミソラは悶えるように机の上をゴロゴロと転がりまわる。が、その動きも十往復程した所でピタリと止まり、情けない表情を浮かべて立ち上がった。


「ま、魔術師云々って言ってもさ、現実はこんなもんだったのよねー」

「で、でも、ミソラさんの知識も経験も役に立ちますし、実際、何かが大きく変わっていくような気がします」

「……そう?」

「はい、だから、そんな風に落ち込まないでください。魔術の先達として、ミソラさんを尊敬しているのは本当ですから」

「うぅ、ありがとう、シャノンちゃん。ちょっと慰められたわ」


 よろよろと立ち上がると、ミソラはきまり悪そうに頬を掻きながら話し出す。


「ええと、話をさっきの武装の話まで戻すけど、あの三人に手伝ってもらわないのはね、そろそろ自分達のやりたいことをさせないと不味いと考えたからもあるの。こんな場末に賭けてくれたんだもの、相応のモノを返してあげたいのよ」

「そういうことでしたか」

「うん。あぁ、そう言えば、シャノンちゃんにはやりたいことはあるかって、聞いてなかったわね」

「そう言われてみれば、そうですね」

「何かやりたいこととか、ないの?」


 シャノンはミソラの問いかけに首を傾げて考える。だが、やりたいことは即座に浮かんでこなかった。いや、むしろ、今はミソラに付いていた方が色々と勉強になるとの思いが生じてきたので、その思いを口に出した。


「僕に関しては気にしなくてもいいですよ。今のままでも十分に勉強になってますから」

「……そう。でも、シャノンちゃんも何かやりたいことを見つけたら、ちゃんと言ってね?」

「わかりました、その時は相談します」


 シャノンは微笑んで首肯する。ミソラも少女の顔に嘘がないと見て取るとそれ以上は言わずに、開発に関わる話に切り替えた。


「で、ええと、それで開発の話なんだけど、例の魔術をする為に、クロウが暇な時を見繕って呼び出そうと思ってるんだけど、どう思う?」

「うーん、今、クロウ君は仕事を請け負ってますし、こればかりは、本人に直接聞いてみない事には」

「そうよねぇ。マディスに言付けを頼もうかな」


 小人の声を聞いて、少女の頭にある考えが走り、そのまま口を衝いて出た。


「いえ、ここは僕達が直接行った方がいいんじゃないでしょうか? 今さっき、個人研究が解禁されたことですし、マディスさんも今日は自分の事に集中したいでしょうから」

「あー、確かにそうよねぇ。……うん、なら、今日の晩、時間を見計らって、クロウの家に行ってみましょうか」

「ですね。あ、ついでに何か食べ物でも買って行ってあげるのはどうでしょう。別に出来合いじゃなくても、材料を持って行って、僕が作っても構いませんし、そうすれば、人の好いクロウ君のことですから、話を受けてくれる可能性も上がりそうです」

「おお、シャノンちゃん、それは良い考えね。うん、採用しましょう」


 少女は上司の反応に頷く一方で、机の下にある右手をぐっと握りしめた。そして、上向いた機嫌のまま、ミソラに訊ねる。


「そういえば、今回作るのってどんなのにします?」

「どうせクロウの所に行くんだし、当人の希望を聞きましょう」

「それもそうですね」

「よし、とりあえず、今から晩までは例の術式について、色々と説明しましょうか。必要な物とかもそれでわかるでしょうし」

「わかりました」


 シャノンは今日の夜が来るのを楽しみにしつつも、今浮かれるのは駄目だと、俄かに浮き立った心に言い聞かせる。もっとも、それだけでは足りないと自覚しているのか、思わず綻びそうになる表情を抑える為に普段以上に引き締め、ミソラが語り出す魔術式やその成り立ちについて耳を傾け始めた。

13/04/23 誤字脱字及び一部表現を修正。

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