三 薄闇に包まれて
男は自宅の戸を後ろ手に閉めると、詰めていた息を大きく吐き出した。
彼の心臓はこれまで経験したことがない程に強く早く脈打っている。それを努めて無視し、男はマスクとゴーグルを取り外して、大きく深呼吸する。ついで、外套の砂塵を払い落そうと腕を動かした瞬間、現場から逃れるべく周囲に神経を配っていたことで忘れ去られていた感覚を、鋭い刃で硬い肉を穿ち、筋や骨を断ち切り、臓腑を抉った時の感覚を思い出した。
俄かに瞳孔が広がると共に、呼吸や下半身が荒ぶり、全身に震えが走る。
これまで以上に勢いよく血潮巡る肉体に、人を手にかけて禁忌を破った背徳が満ち、恐怖と興奮が去来し始めたのだ。
何かが壊れそうな感覚の中、身体を支えていた足の力が抜けて、男は足元にへたり込む。猛り狂う心と身体を落ち着かせようと、震える手で己を抱きしめる。それから、今も身体を売っているであろう幼馴染を想って瞳を閉ざした。
強く脈打つ心音と身体を駆け巡る血流の音。自身の震えが作り出す音。戸に当たる砂塵の音。砂嵐を織り成す風の音。唐突に想起される短い断末魔。
思わず息を呑み、男は身体をいっそう強く抱きしめた。
男の内で、道徳を知る良心が社会規範より外れた事を咎め、為してしまった事を罪業だと攻め立てる。その一方で、本心が社会に反しても譲れないモノが、手に入れたいモノが、守りたいモノがあったと叫ぶ。
相反する思いに挟まれて苛まれる彼を救ったのは、未だ手に残る感覚。手に残っている感触が、既に事を為してしまっていると邪まに嘯き、声高く叫ぶ本心を後押ししたのだ。
また、それは同時に男の心に引き返せない分水嶺を越えた自覚を今更ながらに芽生えさせていき、身体の震えをも少しずつ収めていく。
しばらくして、身体の震えが収まった男はゆっくりと目を開けた。光源のない屋内を見る瞳はどこまでも昏く鋭い。そして、呼吸もまた落ち着いている。
平静を取り戻した男はじっと暗闇を見つめながら、ここに戻って来るまでの自身の行動と周辺の様子を思い返す。
門衛が現場へと向かうのが早かった事以外は、事前に想定した範囲内に収まっていた。
男は当分は大丈夫だろうと判断して、静かに体を起こす。先程取り乱した姿が幻だったかのような自然体で、外套についたままの砂塵を叩き落とした。それから、外套の内に隠し持ってきた鞄の中に欲した物が入っているか検めようと動き始めた。
* * *
「おはようございます」
寝ぼけ眼の中年男が職場の部屋に入ると、待ち構えていたように若々しい張りのある声が響いた。常日頃と変わらぬ朝の挨拶であったが、中年男が感じるにその声は少々浮ついている。自然と、出勤途上に見て取った市街の雰囲気を思い起こしながら、彼は普段通りに応じた。
「はいはい、おはようさん」
そうしてから、室内を見渡す。いつもならば先に入った者達があくびをしながら己の執務席に座っていたり、休憩用を兼ねた応接椅子に屯していたりするのだが、今はその姿がない。残っているのは先の挨拶の主、今旬になって配属されたばかりの新人の青年だけである。
中年男は新人と部屋の様子からおそらく何事かあったのだろうと判断しつつ、口を開いた。
「他の連中がいないみたいだけど、どーかしたのかい?」
「は、はい。自分はターナー少佐から主任を案内するように言われまして」
青年の要領を得ない答えに首を傾げつつ、主任と呼ばれた中年男は手に持ったマスクとゴーグルを壁際の取っ手に引っ掛ける。同僚達の分は全て揃っていた。
外に出ていないなら会議かね、等と考えつつ、中年男は使い込まれた観がある外套を脱ぎ始めた。外套に残っていた砂塵が微かに舞い、黒髪の青年が軽く咳き込む。
「おっと、ごめんごめん。それで、我らが隊長殿はなんと?」
「は、はい。少佐は捜査会議を行うと言われまして、他の皆さんと一緒に会議室でお待ちです」
「捜査会議?」
「はい、その、今朝方、警備隊から事件発生の報と捜査引き継ぎ要請が入ったそうでして」
「あら、珍しい。警備隊から要請があったの」
「はいっ、それが、昨晩、港湾地区で殺しがあったようでしてっ」
「へぇ、殺しが……。だとすると、初動に失敗しちゃって、うちに回ってきたってあたりかねぇ」
中年男は得られた情報を適当に組み合わせて結論を出す。それと同時に、青年が舞い上がっている理由を察して、苦笑を浮かべた。
「ところでさ、モット君。君はもうちょっと落ち着きなさいな。今から燃えてたら、犯人を捕まえる前に真っ白になっちゃうよ」
「う……、す、すいません」
中年男はモットと呼び掛けた青年にやんわりと釘を刺すと、会議室に向かうべく歩き始める。新人のモットも慌てたように後を追う。そんな二人が着ているのは黒いズボンに紺色の上着、エフタ市軍の制服であった。
エフタ市軍はエフタ市の安全保障を担う武装組織である。
この役割を十全に果たす為に、市軍の組織体系は大きく二つに分けられている。都市の外側を担当する系統で外敵の脅威に対処する防衛戦闘団と、都市の内側を担当する系統で犯罪や災害に対応する保安警防団だ。
まず防衛戦闘団だが、平時においては都市外の監視や巡回を行い、有事の際には基幹戦力となる部隊で構成されており、市壁の防備や防御塔の火砲を担当する防衛隊、魔導機を運用して機動戦力の要となる魔導機兵隊、武装艦艇を運用して都市周辺域を管轄する魔導艦隊といった部隊が所属している。
一方の保安警防団は、平時においては都市内の安定に務め、有事の際には補助戦力を担う部隊が属しており、二つある市門の警備や市街地を警邏して防犯と治安維持を担う警備隊、様々な犯罪の捜査を行って社会秩序を守る保安隊、火事や事故といった災害に対処する防災隊といった部隊を指揮下に置いている。
つまり、軍隊の色が強い部隊群と警察や消防の役目を果たす部隊群があって、その二つが合わさって市軍が形成されているのだ。
そして、先の中年男達が所属するのは様々な犯罪に対処する保安警防団保安隊。その内でも殺人や傷害といった事件を担当する第一小隊である。
中年男は首を残りを解しながら詰所を出る。
彼らが今いる場所はエフタ市軍本部、保安隊が根拠地として詰所を置く一階だ。市軍本部は有事を想定して造られている為か、人工石の壁は分厚く、所々に設けられた扉は頑丈な鋼鉄製である。また壁に設けられた窓も小さな物ばかりで、その数も少ない。慣れぬ者ならば、圧迫感を覚える武骨な造りといえよう。
そんな廊下を、第二小隊詰所、第三小隊詰所、便所といったプレートと扉が並ぶ壁に沿って歩くことしばし。すれ違った見知りの者と挨拶を交わした所で、目的の会議室に辿り着いた。
中年男は腕に付けた時計を見る。時間は始業時刻の十一時を指そうとしていた。彼は軽くこめかみを掻くと大きく深呼吸して、出入口の扉を開く。
途端、部屋の奥は会議卓の上座に座していた細面の男が勢いよく立ちあがって甲高く吠えた。
「遅いですよっ! リューディス大尉!」
耳障りな高い声音に、席に着いていた数人の男女が微かに眉を顰め、中年男の後ろにいた線の細い青年が身体を震わせた。もっとも、細面の男は彼らの反応に気付いていないのか、怒りで顔を朱に染めながら、中年男ことゴウト・リューディスを糾弾するように続ける。
「まったくっ、あなたという人はっ、この栄えある第一小隊でっ、大尉として捜査主任という重要な地位にいるにもかかわらずっ、いっつもいっつも始業ぎりぎりに出勤してきてっ! 下の者に示しがつかないと思わないのですかっ!」
「やー、ターナー隊長、それがですねぇ。私もほら、こう、歳を取って来たこともあって、思うように身体が動いてくれん次第でして、朝、時間通りに起きるだけでも精一杯なんですよ。しかも独り身で、起こしてくれる人も居ませんし」
「あなたのその言い訳はっ、もういい加減、聞き飽きていますっ!」
「あれ、そうでしたか? それは申し訳ありませんでした。では、今後は出来うる限りですけど、気を付けようと思います」
リューディスはわざとらしく表情を引き締めて背筋を伸ばし、悪びれもなく謝罪を口にする。それから、出入口近くの空いた席に着いた。隊長とリューディスの一連のやり取りを目の当たりにして、驚き固まっていたモットも慌てたようにその隣の椅子に座る。
保安隊第一小隊の長を務める細面の男、ターナーは赤くなった顔を更に真っ赤に燃やして身体を震わせているが、それ以上は怒鳴る事は無く、憤然とした様子で席に着く。そして、近くに座る小太り気味の男に細い目を向けると、会議を始めるように言い渡した。
「ロータス中尉、捜査会議を始めますっ! 事件について説明してちょうだい!」
「はっ」
ロータスと呼ばれた壮年は立ち上がると遅れてきた中年男を恨めし気に見やる。それに気付いたリューディスが目で謝ると、ロータスは重い息を一つ吐き出して、説明を始めた。
「えー、それでは、当該事件……、先日十五日夕刻に港湾地区の門前三叉路付近で発生した殺人について説明します。まずは事件発覚までの流れですが、警備隊から回ってきた情報によりますと、同日十九時二十分頃、現場近くで叫び声を聞いたと通報者が複数人現れたことから、港湾門に詰めていた警備隊港湾門衛兵隊第二分隊が出動。通報者の一人に付き添っていた公認機兵の支援の下で、証言にあった付近を捜索した所、同時三十分頃、岸壁近くで被害者を発見した次第です。尚、ゼル・ルディーラが到来中ということもあって視界が低下しており、現場を直接目撃した者はおりません」
リューディスは淡々とした声を記憶野に刻みながら、隣の新人を横目で見る。青年は懐から手帳を取り出して、熱心に書き込んでいる。その基本に忠実な様子に感心しつつ、今度は会議に参加している面々に目を向ける。会議卓に集っているのは彼を含めて合計六人。これが殺人や傷害といった事件を捜査する保安隊第一小隊の全戦力であった。
「次に、この事件による被害者と凶器等について、今現在分かっている所ですが、被害者は一名。外観から三十代中程と思われる黒髪の男性で、身長は大凡百七十ガルトの小太り。検死によると、死因は背中からの一突きが心臓に達したことによる大量出血……、出血性循環阻害です。所持品に身元を示す品はなく、身元は不明。後、使用された凶器についてですが、ローディラン工房製のナイフであることがわかっています。他の手掛かりについては、鑑識分隊の検査待ちの状況です」
「ありがとう、ロータス中尉。後は私が話すわ」
一息置いて落ち着いてきたのか、顔色が常の白さに戻りつつあるターナーが後を受けるように話し出す。
「で、被害者を見つけた後の事についてだけど、現場を確認した分隊より連絡を受けた警備隊は港湾門を一時的に封鎖。また同時に、南大市門にも警戒線が張ったわ」
寝ぼけ眼の中年は上司の言葉に軽く頷きながら、自分達に要請が来た事を踏まえて応じた。
「けれども、不審な輩は引っ掛からなかったって所ですか」
「そうよ、リューディス大尉。後、今言った事に付け加えておくと、警備隊は非番部隊も動員して、港湾地区内の捜索を行ったそうよ」
「それはまた……、ご苦労さんなことで」
既に結論がでているだけに、リューディスが心底同情するように顔を渋める。真向いに座る神経質そうな隊長もまた首肯して応じた。
「ええ、ご苦労な事に、徹夜で捜索した結果は空振りよ。ほんと、いけ好かない警備隊の連中でも、こればかりは同情するわ」
もっとも、口では同情すると言いながらも、ターナーの口元は嬉しそうに緩んでいる。
というのも、警備隊が常日頃より市内の安全を守ってるという自負から保安隊を仕事をしないごく潰しだとみなす一方で、保安隊も多様な犯罪に対応して解決しているという自負から警備隊を現行犯の対応位しかできない体力馬鹿だとあげつらう、といった具合に、両者の仲が少々よろしくない為だ。
冷静に考えれば、両者共に必要不可欠な存在であり、それぞれがそれぞれの役割を果たしているからこそ、市内の治安が守られているのであるが、組織を構成するのが人である以上、こういった感情が生まれ育まれてくるのも仕方がないといえば仕方がないことである。
しかしながら、責任ある立場の者が下の者がいる前でそういった感情を口に出すのは、組織を運営する上で褒められたものではない。下手をすれば相手への対抗意識が強まり過ぎて、組織間の軋轢が大きくなりかねないのだ。
リューディスが上司の迂闊な言動を呆れながら眺めていると、視線に気付いたターナーが誤魔化すように咳払いして続けた。
「でも、そのお陰で、被疑者が港湾地区内に隠れた可能性は低いと考えることができるわ」
「ですね。実際、事が起きてから現場確認まで大凡十分から十五分程。それだけあれば、市内に逃げ込めますから」
「ええ、市内か、市外の貧民街あたりに潜伏してると考えて良いでしょう」
と、ここで小隊の上位二人の会話が一段落したと見て取ったのか、ロータスの向かいに座っていた唯一の女性が恐る恐る手を挙げて、声を上げた。少し幼さを残る見目で、十代後半から二十代前半といった風情だ。
「あのぉ」
「なに、ワイス少尉」
「はい、その、被疑者に繋がりそうな情報についてなんですけど、警備隊の方で何か掴んでいたりとかは……」
「多分、あなたが予想した通り、これといったものはないわ」
「あぁ、やっぱりですか」
ワイスは短い茶髪を揺らして項垂れた。ターナーはその様子に困った顔を浮かべながらも告げた。
「あなたが嘆く気持ちはわかるけど、今の時期は仕方がないでしょう。警備隊を弁護する気はないけど、防塵装備してるのが当たり前だし、一目で誰が誰だかなんてわかりにくい状況だもの」
「ですが、昨日は休日でしたし、門を抜けた人数も少なかったはずです。該当する時間帯について、少しは記憶にあるのでは?」
ワイスの隣に座っていた二十代半ばと思しき体格の良い男が疑問の声を上げる。対して細面の少佐は首を振った。
「ニール少尉がそう考えるのは無理ないけど、残念なことに一昨日、船が入港してるの」
「あぁ、なるほど、荷役がありましたか」
「ええ、それも二隻分よ。しかも、ちょうど作業が終わった時間と重なったみたいだから、事件が発生した時間帯は人通りが多かったそうよ」
「それはまた……」
ニールは刈り上げた黒髪を掻きながら、彫の深い顔は太い眉根を寄せた。その様子を見ていたリューディスは髭を剃った顎を撫でつつ再び口を開く。
「ま、人を隠したいと思ったら、人の中が一番いいって言いますからねぇ。仮に返り血の一つでも浴びてくれてば、また別だったんでしょうけど」
「残念なことに、そういった目に見えて分かる者はいなかったそうよ」
「でしょうね」
突発的な犯行なら運がついてるし、計画的な犯行だとしたら頭が回る。どちらにしても、厄介な相手かもしれんなぁ。
そんなことをリューディスが考えていると、ターナーが表情を改めて話し出す。
「なんにしても、殺しが発生した以上、市民の間に動揺が広がるのは避けられないわ。警備隊も少しでも不安を抑える為に、今日からゼル・ルディーラが明けるか、被疑者を拘束するまでの間、市内巡回を増やして、辻番を立てるそうよ」
「状況が状況ですし、相手の狙いがわからん以上、妥当な判断でしょう」
「ええ、第六小隊も魔導船が来た直後だから念の為に動くと伝えて来たわ」
「外事防諜も動くか……。ま、うちはうちの仕事をしましょう」
ターナーは捜査主任の言に頷き返して続ける。
「その通りよ。私達は私達で被疑者を特定し捕える為に動かなければならないわ。それで、各々の役割分担だけど……、リューディス大尉、あなたはモット少尉と一緒に適当に回って事件に関する情報を集めてちょうだい」
「適当に、ですね、了解です」
「ロータス中尉とワイス少尉は被害者の似顔絵が上がり次第、商店街や繁華街辺りを回って、身元に繋がるような情報を仕入れてちょうだい。可能なら、自宅や生活圏の特定もね」
「わかりました」
「後、ニール少尉は詰所で鑑識分隊から得た情報と警備隊から回ってきた調書を分類してまとめてちょうだい。その後はまた指示を出すわ」
「はっ」
細面の隊長は指示を出し終えると付け加えた。
「被疑者は既に殺人を犯している以上、更なる凶行を行う可能性があるわ。各自、護身用の警棒を忘れないように。以上よ、捜査に掛かりなさい」
リューディスを含めた五人が一斉に立ち上がり、右手を額に当て掌を見せる敬礼をすると動き始めた。
* * *
リューディスは詰所に防塵装備や投光器を取り戻った後、モットを連れて人気の少ない廊下を歩く。
市軍の性質上、同じ中央地区にある市庁や組合連合会本部と異なり、来訪者が少ない。天井に設置された魔導灯の青白い光と相まって、寂しさを感じさせる程である。
何も言わずに大人しく上司の後をついていくモットであったが、外に繋がる通路に進まなかった段階で疑問の声を上げた。
「主任、外へ行かないんですか?」
「ん? ああ、その前にちょっと、機兵隊の知り合いに話を聞こうと思ってね」
「はぁ、機兵隊ですか」
そうこう言う間にも、司令部や保安隊の詰所がある本館より教練校や士官学校を内に収める別館に入った。
市軍本部は組合連合会の本部や市庁舎と違い、幾つかの建物から成り立つ複合施設で、先の本館や別館、火砲や銃火器の類を収納する武器庫、魔導機や各種車両を収める格納庫、下士官や兵卒用の宿舎、軍用糧秣の備蓄倉庫、弾薬や火薬を貯蔵する弾薬庫といった施設が敷地内に点在している。
そして、これらの施設は弾薬庫を除いて、砂嵐が到来しても速やかに行き来できるように連絡通路で繋がれているのだ。
別館一階にある格技訓練室や屋内射撃場を横目に通り抜けると、地下に降りる階段が待ち受けていた。それを足早に降りた所で、前を行くリューディスがふと思い立ったかのように振り向いて尋ねてきた。
「そういえば、モット君の同期で機兵になった子はいるかい?」
「ええと……、僕の同期で機兵に選抜された者はいません」
「ふーん、そっか」
モットは一人頷いた上司の様子に首を捻る。が、生来の気弱な部分が災いして、質問の理由を聞くに聞けず、黙々と再び現れた階段を昇る。すると、リューディスが肩越しに視線を向けながら話し出した。
「モット君。質問や疑問がある時は、変に遠慮しちゃ駄目だよ。俺達は仕事柄、相手が言葉を濁したいことでもずけずけと聞かにゃいかんことがあるんだからさ」
「あ、は、はい」
「相手を思いやる、相手に慮るってのは、人が持つ美徳の一つだけどさ、この仕事をしてる間は封印する位の気持ちでやんなさい」
モットの目に映る上司の目は寝ぼけ眼のままであるが、普段と違って少しばかり圧力が感じられた。
二人が魔導機格納庫の出入り口に到着すると、歩哨に立つ警備兵に用件を告げて中に入った。
魔導機格納庫は市軍が保有する魔導機全てを収容できる程に広大で、魔導機用の出入り口がある反対側の壁までは大凡四十リュート、横幅は百リュートを軽く越えている。また、縦横に張り巡らされたトラス構造の梁と整然と立ち並ぶ鉄骨柱が十リュート程の高さの天井を支えていた。
そして、柱列の間には梁と同構造の桁が縦に横にと渡されており、数十機の魔導機が整然と駐機されている。
「ばかやろぅっ! こいつは一番だっ! 俺が持って来いっつったのは八番だろうがっ!」
「おいっ! そこっ、よそ見をすんなっ! あぶねぇぞっ!」
「新入りっ! 何をぼさっとしてやがるっ! さっさとこっちを支えやがれっ!」
今も三十人近い整備兵達が一部の機体に取り付いて整備作業を行っており、作業機械が稼働する音と共に指示を出す大声や注意を喚起する怒鳴り声が響き渡っている。
「賑やかですね」
「ま、この時期になると、機兵隊は全力稼働になるからね。自然と裏方も忙しくなるもんさ」
隣に立った新人の声に応じると、リューディスは壁に沿って歩き出す。向かうのは整備に忙しい駐機場ではなく、格納庫の一画に設けられている機兵用の詰所だ。
詰所は屋内に建てられた小さな建物といった風情で、大きな窓がはめ込まれている。その窓越しに数人の男達が屯しているのが見えた。
リューディスはその中に知り合いがいることを認めると、遠慮なしに詰所の扉を数回叩く。そして、返事も待たぬまま中に入った。モットが慌てて後に続くと、丁度、男達が真剣な表情で振り向いた所であった。
機兵徽章を制服の襟元に着けた鍛えられた男達。その力のある視線を前にして、新人の青年が引き腰になったのとは対照的に、寝ぼけ眼の中年男は気楽な様子で口を開く。
「はいはい、保安一小隊です。おじゃましますよー」
機兵達はリューディスの顔を認めて、次々に緊張を解いていく。その内の一人、奥にある席で書類を書いていた壮年が立ち上がると、リューディス達に声を掛けながら近づいて来る。
「よぅ、リューディス。そろそろ来るかもしれんと思っていたところだ」
「あら、さすがはエルマルク隊長。話が早くて助かるわぁ」
右頬に傷痕を持つ第二機兵隊隊長、ブルック・エルマルクは付き合いの長い同期の惚けた声に口元を歪めると、肩を竦めて応じた。
「そりゃわかるさ。今日、飲みに行く話が中止になったんだろう」
「そう、悪いけど中止。ほんと、久し振りに憂さ晴らししようと思ってたのにねぇ」
「なに、事件があったなら仕方がないことだ。しかし、殺しか……、前は二年前くらいだったか?」
「うん、だいたい、それ位」
寝ぼけ眼の中年は重い溜息を吐き出して続ける。
「まったく、今回はよりにもよって、この時期にやってくれるなんてさ、ほんと泣かせてくれるよ」
「だろうな。……で、肝心の用件は事件のことか?」
「うん、昨日の夕方頃について、ちょっと聞きたいんだけど、その時間帯、誰かが市外に出たような音、聞いたって話はなかった?」
壮年の機兵はリューディスの質問を聞くと、傷痕を撫でながら答えた。
「そういった報告は受けていないな」
「あ、やっぱり」
「ああ、引き継ぎの時も、当直指揮官や観測班からそういった話はなかった」
リューディスは後ろ髪を一頻り掻くと、エルマルクに告げる。
「エルマルク隊長の言う事を疑う気はないんだけど、その時、観測していた連中にも直接話を聞いてもいい?」
「構わんよ。ただ、昨日、事件があった時間帯を担当していた連中は今日も陣地だぞ」
「あらら、陣地詰め? うーん、それなら、今から出向くとしましょうかね」
「そうか。……なら、気をつけて行けよ。市壁沿いとはいえ、市外は市外だからな」
「了解、気をつけましょう。後、飲みの話はまた今度」
「ああ、そっちの仕事が片付いたら、声を掛けてくれ」
エルマルクが言うと、リューディスは軽く笑って返す。
「ゼル・ルディーラが北に帰るまでに終わればいいけどねぇ」
「はは、その辺はおまえさんの頑張り次第だろう。俺も安心して酒が飲みたいからな、できるだけ早く片付けてくれよ」
「ありがたい応援に涙が出そうだよ」
リューディスは同期の言葉にわざとらしく嘆く真似をして見せると、お邪魔さまと一言言い置いて場を辞した。
リューディスとモットは格納庫を後にすると、その足で市軍本部を出る。
市の中央地区といえども、砂塵は風に乗って悠々と市壁を越えてくる為、薄暗く視界が悪い。モットは前を行くリューディスから離れないようにしながら、南大通りへと向かった。
新人の青年が見るに道行く人の数はいつもより少ない。内壁辺りでは数人の警備兵が警衛に立っており、往来する者達に視線を向けている。疑いの目を向けられているようで、なんとなく居心地の悪さを感じつつ、南大通りに入る。
真っ直ぐの街路に沿う形で魔導灯の微かな光が一定間隔で浮かび上がっており、それを頼りに歩き続ける。その道すがら、往来する人々に交じり巡回する警邏隊の姿が垣間見えた。
と、ここで前方の上司の声が聞こえてくる。
「モット君、姿形もわからない相手を追う俺達と街中を警戒して回る警備隊、どっちがましだと思う?」
「……多分ですけど、僕達だと思います。目的がはっきりとしてますから」
「うん、だろうねぇ。だから、警備隊の人からなんか言われたとしても、受け流してあげてちょうだい」
「は、はい」
そんな会話を交わす間にも、商会通りとの交差点であるトラスウェル広場に入った。
二つの大きな通りが交わる場所だけに、砂塵越しに薄っすらと見える人影も多い。モットが広場の片隅で動く人影、吹き溜まりの砂塵をスコップで集めている姿に気を取られていると、俄かに低い鈴の音が聞こえ始める。慌てて周囲を見渡すと、後方から御者に連れられる形でマスクやゴーグルを着けさせられたコドルが現れた。進路上から避けて見れば、後ろに幾つもの箱を乗せた荷車を曳いている。
「周りには十分に注意してよ。勤務中に荷車に轢かれたなんて、笑えないからね」
前を向いているはずの上司より的確な注意が飛び、モットは面覆いの下で赤面した。
商会通りに入ると僅かに見える人の流れに乗って、港湾門がある西へと向かう。
立ち並ぶ商会は暑い砂塵の中にあっても営業している所が多く、それなりに賑わいがあった。もっとも、ここでも警邏する警備兵の姿が見え隠れしており、そこはかとなく緊張感をもたらしている。実際、通りを歩く者も気になるのか、ある程度距離を置いている。
モットは不安を抑える為とはいえ、これは少しやり過ぎではないかと感じ、その理由が気にかかった。しばらくの間、内々で生じた疑問を前を行く上司にぶつけてみようかと迷うが、先程言われた言葉を思い出し、思い切って訊ねることにした。
「あの、主任」
「……ん、なんだい?」
「警備隊の皆さんがいると、必要以上に緊迫感を出てしまっているような気がするんですけど……」
「あー、こればかりは仕方がないんだよ。この季節って、砂嵐が来てるだろ? 見通せる範囲が狭まるから数で補わないといかんのよ。普通ならここまで仰々しくしないさ」
「そうなんですか?」
「うん、そうなのよ。後、念の為に言っとくと、警備隊が大々的に動いてるのは犯人を牽制する目的の他にも、話を聞いて、なら俺もって、感じに真似する奴を出さない為でもある」
「模倣犯を出さない為ですか」
「そう。一度崩れると、規範なんて脆いもんだからね。締める時は締めとかないと、後々が怖いってことさ」
そう言い添えた辺りで、港湾門前の広場に辿り着く。
近くに繁華街があるだけに雑然とした騒音が聞こえてくる場所なのだが、まだ朝である為か比較的静かだ。
リューディスが繁華街がある方向に顔を向け、久し振りにミミちゃんにお酌してもらえると思ったのにねぇ、といった事を考えていると、広場の一角にぼんやりと光る場所を見つけた。目を細めて見てみると、天幕らしき影や少し大きな人型が浮かび上がっている。後ろを歩いているモットも気が付いたのか、話しかけてきた。
「主任、あれ、なんでしょう? 天幕に、あの大きな人型は……、魔導機かな?」
「うーん、警備隊の仮設詰所かなんかでしょう。魔導機は多分、近くの屯所から出張って来てるんじゃないかな」
少し積極性が出てきた新人の様子に口元を緩めていると、西の出入り口、港湾門が見えてきた。
港湾門は封鎖や検問といったことはしておらず、出入りは制限されていない。その代わり、普段よりも門衛と投射灯の数が多くなっていた。
防護具を身に着けた門衛達を横目に見ながら、リューディスが口を開く。
「あ、帰りに詰所に寄って話を聞くつもりだから、モット君も覚えておいてね」
「え、はぁ、わかりました。……現場の方はどうしますか?」
「あー、そっちも一応、見ておこうか」
捜査官らしい話をしながら門をくぐり抜けて、港湾地区に入る。
港湾地区は市内と異なり街灯が少なければ、窓から漏れる光源も少ない。二人は灯光器の明かりをつけた。直進するように調整された光が砂塵の幕に挑むが、四リュートも行かない内に阻まれる。
細く弱い光を頼りにして進むと、現場近くの三叉路が近づいて来る。今日も荷役があるのか、積荷を背負った人足らしき影が動いているのが見えた。
「ここ、右に行くよ」
「はい」
二人は道を右に折れると、道なりに進んでいく。
朝の通勤時間帯が過ぎた為か人気はなく、ただ砂塵だけが宙を舞っている。途中、市軍魔導艦隊の根拠地施設、それらを囲う塀を左手に見ながら歩き続け、魔導船の造船所や修理船渠も通り過ぎた。そして、市壁近くになって現れたのは泊地へと降りる斜路である。
リューディスは足を止めて振り返り、釘を刺す、というよりは、脅しをかけるように新人に告げた。
「さて、ここから市外に出ることになるんだけど、モット君、この砂嵐の中で遭難したら冗談抜きに洒落にならないから、絶対に市壁を触りながら進むように。もし迷子になっても捜索しないで職務中の殉職扱いにするからね」
「わ、わかりました」
モットは上司の重い声音から本気であると理解し、背筋を震わせながら頷く。
注意が効果あったとみると、リューディスは斜路を降り始める。向かう先が泊地という事もあって遮蔽物が少ない為か、徐々に風が強くなっていく。
外套の被り物を押さえながら歩き続けると右手の市壁が途切れ、簡素な防壁が姿を現した。モットは市壁とは比べ物にならない程に頼りなげな防壁の姿に不安を抱く。だが、彼の上司はなんら頓着していないようで、その歩みに乱れは無かった。そうこうするうちに簡素な防壁の裏を渡り切り、灯台のある市壁へとたどり着く。そして、合間を縫って市外へと出た。
市内ではまず見ることができない、圧倒的なまでの薄闇が広がっていた。
手に持つ光源を容易に呑み込む砂塵の壁に本能が刺激され、モットの中に根源的な恐怖が湧き起こってくる。また、それと共に幼い頃に親から聞かされた、悪い事をすると砂嵐の神に連れ去られるよ、という言葉も甦ってきた。
青年の身体は自然と震え、目を見開いたまま立ち尽くす。随分といえば随分な反応であるが、砂嵐が吹き荒れる市外の様子を知らぬ者が初めてその様を見ると、ゼル・ルディーラに住まう者は大抵、似たような反応を示すのだ。
リューディスが後方の足音が途絶えた事に気づいて振り返ると、新人の青年はただ茫然と立ち尽くして強い砂風に晒されていた。過去にそういった反応を示す者達を見てきただけに、リューディスは慣れたように対処する。
「モット君モット君」
「は、は、は……い」
「君、特にこれといって悪いことしてないんでしょ」
「……は、い」
「なら、大丈夫だよ。砂嵐の神は君を連れ去ったりしないさ。胸を張って自信を持ちなさい。ささ、早い所、陣地に行くよ」
リューディスはモットが辛うじて頷いたのを認めると、先程よりも行き足を落として歩き始める。
左手にある市壁と弱々しい魔導灯の光だけを頼りに歩き続けると、向かう先にぼんやりとした光が浮かび上がった。その光が大きくなっていくと共に、金属や焼成材が擦れる音と大地を踏みしめる重々しい響きが聞こえ始めた。
「……こりゃ、市外に出て逃げた線はなさそうだねぇ」
そう呟いた中年男の目には、武器を構えた二機のパンタルと共に数人の人影がゆっくりと近づいて来る姿があった。
人影の一つ、防塵装備に小銃を手に持った兵士より誰何の声を受けて、リューディスとモットは自分達の身分を証明する物、軍人手帳を提示する。これを見た兵士はそれ以上問答を重ねることは無く、パンタルの一機と何事か話し始めた。もっとも、それはすぐに終わり、現れた集団は二組に分かれた。
一組はリューディス達の傍らを通り過ぎてそのまま北へと進んでいく。残ったもう一組は、パンタルが手振りでリューディス達に着いて来るように示すと現れた方向へと引き返し始めた。パンタルが傍にいる形となって安心したのか、モットの足取りも少しだけ軽くなる。
しばらく歩くと、簡易防壁で作られた陣地、その出入り口が見えてくる。二人は兵士の一人に先導されるままに中へと入り、唐突に眩い光で照らし出された。
二人は足を止め、光を遮るように手を挙げる。すると光量がゆっくりと落とされていく。光が落ち着いたのを受けて、二人はほぼ同時に周囲を見渡した。
「ッ!」
リューディスの隣でモットが声にならぬ声を上げ、しゃっくりを起こしたように身体を跳ねさせた。というのも、起動状態のパンタルや小銃を構えた十人近い警備兵が半包囲する形で待ち構えていたのだ。
リューディスは隣で竦み上がった新人を見て、安心した直後の脅しは中々にこたえるものがあっただろうと、人事のように苦笑を浮かべる。
目に見えて落ち着かなくなった青年をたしなめようとした所で、機兵服を着た褐色肌の青年が歩み出てきた。リューディスも知っている顔であった。
「驚かせて申し訳ないですが、これも規定なのでどうかご容赦を。……防塵装備を外して顔を見せてください」
相手の要求に応じて、一人は緊張もなく、もう一人はぎこちない動きで、マスクとゴーグルを外し、外套の被り物を取り払う。場の代表格らしき青年は両者の顔、特にリューディスの顔を認めると、顔色を変えることなく謝罪の言葉を口に出した。
「リューディス大尉とお見受けします。……警備班は警戒態勢を解除、通常体制に復帰。待機分隊は当直分隊が帰還するまでそのまま機内待機せよ」
そう言ってアジェスが周囲の者に目を向ける。周りに展開していた警備兵達は即座に小銃を降ろし、アジェスの背後にいる二人を残して自分達の詰所に引き上げていき、起動していた二機のパンタルもまた駐機場所へと戻っていった。
リューディスが両者の淀みない動きに感心していると、アジェスが近づいてきて敬礼する。
「大変失礼しました。港湾口防衛陣地、当直指揮官のアジェス中尉であります」
それから、アジェスは真面目そうな顔にきまり悪そうな色を浮かべて続けた。
「エルマルク隊長より大尉が捜査の為に来るかもしれないと聞いておりましたが、規定を無視するわけにいかず……」
「あはは、いいよいいよ、気にしないでちょうだい。でも、エルマルク隊長にはこっちの動き、読まれちゃってるねぇ。まいったまいった。おっと、ごめん、答礼がまだだった」
中年男は答礼して、来訪の目的を告げた。
「保安一小隊のリューディス大尉だ。昨日、港湾地区で起きた事件に関連して、事が起きた時間帯に直に就いていた人達から色々と話を聞きたくてね。協力をお願いしたい」
「警戒警備体制に支障が出ない程度ならば構いません」
「それで十分」
リューディスは当直指揮官の返答に短く応じて、棒立ちになったままのモットに視線を向ける。顔色を失い、顔中汗だらけの状態で言葉を話すのもつらい様子で足も少し震えている。
「で、こっちの彼、うちの隊員でモットっていうんだけど……、見ての通りなんで、調子が落ち着くまで休ませてやってくんない?」
「了解しました」
リューディスが敬礼を解くのに合わせて、アジェスも敬礼を解く。そして、背後につき従っていた兵士達に指示を出した。モットが二人に支えられながら休憩所がある一画へと連れられて行く。
うーん、もう少し肝が太くなってほしいなぁ。
そんな事を考えながらリューディスが新人の後姿を見送っていると、アジェスが改めた様子で切り出してきた。
「大尉、ここではなんですので、詰所へどうぞ」
「うん、ありがと。モット少尉の調子が戻るまで、ちょっとお邪魔させてもらうよ」
リューディスは外套を脱ぎながら答えた。
リューディスが案内されたのは陣内中央部に位置する機兵詰所であった。
六人掛け程度の机が設置され、周辺に数脚の椅子が雑然と並んでいる。また卓上には安物の陶杯や携帯糧秣の包みが数個置かれており、陶杯の中には黒茶らしき飲み物が入っていた。だが、詰所の主である機兵達は機内待機中であったり仮眠所で眠っていたりと、その姿はない。
アディスは上位者に椅子に座るよう勧め、座ったことを確認してから己も近くの椅子に着座する。そして、苦笑を浮かべた。
「何分、人目がない男所帯な物で、乱雑で申し訳ありません」
「いや、気にしてないよ。俺の家もこんなんだから。それよりも、こっちこそ、なんか迷惑かけたみたいだね」
「いえ、構いません。そろそろ気が緩み始める頃ですので、丁度良い刺激でした」
「はは、これはなんとも心強い言葉だ」
寝ぼけ眼の中年男は軽く笑って見せた後、おもむろに切り出した。
「さて、エルマルク隊長から色々と言い含められてるって事は、昨日の事件については知ってると考えて良いかい?」
「はい。今朝方、即応待機していた第三機兵隊の知り合いに教えられまして、自分が引き継ぎの際にエルマルク隊長に伝えました。ですので、この陣地に詰めている者達全員に伝わっています」
「なら話が早い。昨日の夕方……、だいたい十九時から二十時までの間なんだけど、その間、ええと、確か警戒観測班だっけ?」
「はい、それであってます」
「うん、その班で直に当っていた人から直接話を聞きたいんだ」
「わかりました。少々お待ちください」
そう言って頷くと、アディスは防壁で囲われた詰所の奥、モットが連れて行かれた仮眠休憩所へと入っていく。
残されたリューディスが天井を見上げた。梁に張り付けられた魔刻板が見慣れた青白い光を放っている。外で砂が風にほんろうされる音が聞こえてくる以外、ほとんど音がなく静かだ。
しばしの間、ぼんやりとしていると北側の出入口から機械音が響いてきた。先程、外で出会った魔導機だろうと目を向けてみれば、彼が予想した通り、一機のパンタルと数人の警備兵が戻ってきた所であった。
リューディスは重厚感のある魔導機を見ていて、なんとなしに違和感を抱いた。それが何なのかと考えて、肩口の違いだと気付く。普通、エフタ市軍の魔導機には所属部隊や機体番号が記されているはずなのだが、そういった物が何も描かれていなかったのだ。
何気ない情報であったが、これがリューディスの脳裏を刺激して、衛兵隊が現場を確認する際に公認機兵が協力したといった事やこの陣地の体制改善の為に公認機兵を雇ったという話、更には今現在、エフタ市において現役の機兵として活動しているのは一人しかいない事、その少年の生い立ちといった事を思い出させた。
これはまた面白い巡り合わせだ。
そう考えたリューディスの口元に自然と笑みが浮かぶ。そこに二人の兵士を連れて帰って来たアディスの姿が目に入る。彼は笑みを収めると仕事を為すべく頭を切り替えた。
* * *
クロウ・エンフリードは同行していた兵士達の挨拶に手を挙げて応えると、機体を駐機状態におとす。それから、ゴーグルやマスクを外して詰めていた息を吐き出した。
つい先程、警戒観測班が港湾口付近を歩く者がいると知らせてきたことから、何者であるか確かめる為、また、市外に出て遭難する前に保護、或いは拘束する為に外に出ていたのだ。
幸いというべきか、発見した相手が市軍関係者であると思われた為、後の事は陣地に任せることになり、捜索や捕り物といったことにはならずに済んだ。けれども、他の誰かがいないとも限らない事から、分隊指揮官、つまりは僚機の判断で南北に二つある港湾口付近を巡回すべく二組に別れることになり、クロウは数人の兵士と共に北側港湾口周辺を見回ってきたのだ。
この巡回で、クロウはルベルザード土建より受けた現場警備で感じた、人の命を預かる緊張感と似た物を抱くことになったのだが、環境が環境だけに、以前のそれとは比べ物にならない負担であった。
赤髪の少年は右腕を操縦後手より抜き取り、装甲裏に掛けてある手拭いで噴き出た汗を拭きとる。そして、調整水を口に含んだ。口腔を満たす水分が喉を伝い渇きを癒せば、臓腑に染み込んでいく感覚が火照った身体を落ち着かせる。
少しずつ緊張を解していく彼に声を掛ける者がいた。
「調子はどうだ、エンフリード君」
「アジェス中尉」
配下の者達の様子を見る為、リューディスの下を一旦離席したアジェスであった。真面目な雰囲気を醸し出す機兵中尉に対して、クロウは己が感じたままを話し出す。
「ええと、途中から二手に分かれて動くことになって、かなり緊張しましたけど、なんとか平静を保てました」
「そうか」
アジェスは年若い機兵の取り繕わぬ本音に微笑する。彼の部下は擦れた者ばかりなのだ。
一方のクロウだが、展視窓越しに青年の笑みを見て、何故か背筋に悪寒が走った。それが彼の勘とも言うべきものが働いた結果であったのは、次の言葉で証明されることになる。
「なら、まだ大丈夫だな。さっき来た二人が帰る時も港湾口まで護衛を頼むよ」
「は、はは、わかりました」
クロウは頬を引き攣らせながらも応じる。
満足そうにアジェスが頷いた所で、南側の港湾口を見回りに行っていたパンタルが帰ってきたのか、南側の出入り口より機体が動く音が聞こえてきた。それを知ったアジェスは、なら任せるよ、と一言告げて去って行った。
アジェスが去った後、クロウは次の出動に備えて気分を落ち着かせようと、目を閉じる。
呼吸が落ち着き、安堵感が胸の内に広がり始めた辺りで、ふいに眠気が襲ってきた。というのも、昨夕、予期していなかったモノを目の当たりにしてしまい、寝入りが悪かった為である。
クロウが睡魔に負けてはならぬと慌てて目を開けると、展視窓越しに覗き込む中年の寝ぼけ眼と目があった。
「うォあっぁ!」
「あ、おじさん、その反応は、ちょっと傷つくなぁ」
と中年男は口に出すも、その低い声音は落ち着いており、表情もまた傷ついた風情ではない。むしろにやにやと面白げな笑みを浮かべながら距離を取った。
「あ、す、すいません」
「はは、いいさ。半分、驚くかなって思ってたし、今の反応でちゃらにしとくよ」
「はぁ、ありがとうございます?」
クロウは口で感謝のようなものを述べながら、改めて目の前の人物を見る。市軍の制服を着ている事から関係者であるのはわかったが、やる気のなさそうな寝ぼけ眼や撫で上げた白髪交じりの黒い髪、口元に浮かぶ一癖ありそうな笑みは、この陣地内では見覚えは無かった。となれば、行き着く結論は先程やってきた人物である。
「ええと、先程の?」
「おや、機兵をやってるだけあって、立ち直るの早いね」
「え、そうですか?」
「うん、一緒に来た子の動揺がまだ収まらないこと考えたらねぇ」
「はぁ」
相手の言葉にはぐらかされてしまって目的が読めず、クロウは困惑する。そんな心境を読み取ったのか、中年男リューディスは自己紹介を始めた。
「ああ、おじさん、保安隊のリューディスっていうんだけど、昨日の事件について捜査してるんだよ」
「クロウ・エンフリードです。あの、昨日の事件っていうのは、やっぱり港湾地区で起きた?」
「うん、そう、それ。で、さっき、アディス中尉からも聞いたんだけど、その時、衛兵隊の助けをしてくれたんだよね?」
「ええ、まぁ、市軍の機兵隊が来るまでですけど」
「はは、それだけでも衛兵の連中は心強かったろうさ。……それで本題だけど、現場に行った前後の事を少し思い出して、おじさんの質問に答えてくれないかな。ほんとにちょっとだけだから」
「わかりました」
昨日の内にその時の事は話はしたんだけどな、等と思いつつも、クロウは首を縦に振った。これを受けて、リューディスは口元の笑みを消し、顎を撫でながら口を開く。
「じゃあ、現場に着いた時に、誰かが逃げる姿っていうか、人影とかはなかった?」
「ありませんでした」
「なら、捜索中は?」
「ちょっと見かけたような気がしますけど、逃げてるっていうか、慌ててるって感じじゃなかったです」
「ふむ。それなら、港湾門の詰所から捜索を開始するまでの間は?」
「……移動中、目が届く範囲で光だけですけど、三つ見かけました」
「ふんふん、三つか」
リューディスは内々で光源を持ってなかった可能性もあるから断定はできないなと考えつつ続けた。
「ふむ……、叫び声を聞いてから港湾門の詰所に着くまでは?」
「一人二人追い抜いた気がします」
「なら、叫び声に気づいた位置はどの辺り?」
「三叉路に入った辺りです」
「……ふむ、となると、三人から五人位が基本で、あとちょっといるかもって所か。帰りにこの辺を聞いてみるかねぇ」
ポツリ呟いたリューディスであったが、黙って続きを待っている少年に気づいて、謝意を述べた。
「ありがとう、質問は今ので最後なんだけど……、エンフリード君って、機兵になる前はグランサーやってたんだよね?」
「ええ、そうです」
「なら、ジラシット団って、知ってる?」
「ジラシット団、ですか?」
クロウは問われた言葉を繰り返しながら、記憶を探る。程なくして答えが出た。
「機兵になる前に住んでた場所の近所に、そんな言葉が落書きされてた気がします」
リューディスはクロウの目を覗き込むように見つめてくるが、五秒も経たぬ内に逸らした。
「ふーん、そっか」
「その、ジラシット団がなにか?」
「ああ、いや、詳しく知らないならいいんだ」
クロウは首を捻るが、寝ぼけ眼の中年男は惚けたように笑い、また話す機会があったら相手してちょうだい、とだけ告げて去って行く。
残されたクロウはなんだか変わった人だったという印象を抱きながら、中年男の背中を見送ったのだった。




