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魔導黎明記  作者: 綺羅鷺肇
4 手弱女は泡影に笑う
30/96

二 日常の境界線

 旭陽節第一旬十四日。

 エフタ市に到来した大砂嵐(ゼル・ルディーラ)は勢いを弱めぬまま、昼夜の境なく続いている。

 風で撒き上がった砂塵は分厚い層となって視界を閉ざしている事に加え、ただでさえ少ない水分を奪い去る事で大気を乾燥させる。更には、中空にて頻繁に混じり合い、時に何物かに衝突することで断続的に熱や耳障りな音を発生させる為、屋外で人が活動するには厳しい。

 言うまでもないことだが、何ら対策を施さぬまま屋外で活動を行えば、呼吸器を酷く痛め、熱病で倒れてしまうのは必至であるし、下手をすれば生死にも関わってくる。北よりやってくる大砂嵐は神と喩えられるだけあって、己を侮り、隙を見せて油断した者の命を容赦なく刈り取っていくのだ。

 この事実を知るが故に、ゼル・セトラス域に住まう者達は砂嵐を畏れる。親が子に砂嵐の恐ろしさを教え、対策法を授けると共に、悪い事をすると砂嵐の神様に連れ去られるよ、と幼子の躾にも利用する程に……。


 そんな人が生きるには厳しい環境の下、港湾地区の停泊区画は外と内を隔てる市壁沿いを一機の魔導機(パンタル)が歩いていた。丸みを帯びた胴体の上部、人ならば頭がある部分に投射灯を備え付け、青白い光でもって行き先を照らし出している。もっとも、濃厚な砂の幕で光線が通らない為か、その歩みは遅い。


 パンタルの内部に収まっている搭乗者は赤髪の少年、クロウ・エンフリードだ。


「……あちぃ」


 彼はマスクとゴーグルの下、引き締めると凛々しくも見えなくもない顔を歪め、辟易とした風情で呟く。それから砂塵こびり付く展視窓から視線を外して、空調用の摘みを恨めし気に見つめる。摘みは既に最大出力である事を指し示していた。

 クロウが乗り込んでいるパンタルは彼が保有する物ではなく、総合支援施設の整備場が保有する代替機である。以前、そこの魔導機整備士である青年が空調器の交換を薦めていただけに、良い物が搭載しているかもと、少年は手前勝手に期待していたのだが、そのような都合のよいことはなく、クロウの機体と同等の物であった。

 その為、これは暑さを体感させて、空調を買い替えさせようという企みなんだろうか、等と少年は内心で疑ってかかっているのだが、現実は稼働率の低い代替機に手を入れる(投資する)だけの理由がないだけである。


 クロウが暑さのあまり被害妄想を生み出して、己でも気付かぬ間に唸っていると、左手にあった高い市壁が途切れた。俄かに風が吹き付けて、機体にぶつかる砂塵が増える。魔導船の出入り口である港湾開口部だ。魔導船の出入港を安全に行う目的もあって、その幅は百リュート近い。

 もっとも、開口部が広い事は利点だけではなく、甲殻蟲や賊党といったモノの侵入を容易くするという恐ろしい欠点もある。特に視界が悪くなっている今は、尚更危険性が高まるといえよう。


 当然のことながら、エフタ市の守りを担う市軍はこの危険を放置するような事は無く、対策の一環として、開口部に高さ一リュート半、幅一リュート、長さ三リュート程の簡易防壁を途切れることなくずらりと並べていた。

 この簡易防壁は頭に簡易と付くように、鋼鉄の枠組みに金網と布をかぶせ、その中に砂を入れただけの代物なのだが、手早く設置する事が出来る上、陣地構築等でも使える事から重宝されている。

 とはいえ、北部の中心都市で防塁都市の渾名を持つエル・ダルークやその周辺開拓地、更には各市軍に優先して供給されていることもあって、北部域以外ではあまりお目にかかれるものでは無い。実際、クロウも仕事初日に構築作業を手伝うまで知らなかった口であった。


 そんな訳で少年は新しく存在を知った物、簡易防壁群の前を通る度にいつも思う事……合理性と利便性、更には考案した者への感嘆の念を抱きつつ、防塁が倒れたり布が破れたりしていないかと、横目で確かめながら進む。

 幸いなことに、特に問題となる箇所は見つかないまま開口部を渡り切り、灯台のある市壁に至った。離れ小島のような市壁は灯台の土台ともなっている為か、他の場所よりも壁幅が倍以上は厚い。この頑強にそびえ立つ人工石の壁と簡易防壁の隙間を抜けて、クロウは市外へと踏み出る。

 途端、機体に吹き付ける砂風が、人々が暮らす日常の外側、過酷な世界の入口であることを知らしめるかのように、強くきつくなった。


 クロウは足を止め、少しだけ早くなった鼓動を落ち着かせるべく、大きく息を吸いゆっくりと吐き出す。そうしてから、不意の強風に煽られて転倒しないよう、また右手にある市壁から離れないように注意しながら壁沿いを歩き始めた。

 市壁の反対側、嵐が来る前は遥か遠くまで見通せた荒野は舞い上がった砂塵によって覆われ、常以上に生者を拒絶している。全ての光を呑み込む冥府の如き様相を見せる砂海に、あの時はよくこの中に飛び込んでいけたものだと、クロウは我がことながらも感心と呆れを抱く。また同時に、ミソラやマディスさんがいたから上手くいっただけで、二度はできないだろうなとも。

 そういったことを内々で考えながら、開口部付近より大凡二百リュート近く歩いた所で、砂塵の赤錆色に染まった簡易防壁が光の中に浮かび上がった。クロウが目指していた場所、今現在において彼の仕事場になっている、エフタ市軍の防御陣地だ。

 防御陣地を形成する簡易防壁は開口部にあった物と違って二段に積み重なっており、魔導機以上の高さがあった。この防壁に作られた合間を通り、少年は天井がある囲いの中に入る。自然、機体に突っかかっていた砂塵と風が弱まった。

 砂嵐より逃れたクロウは微かに安堵の息をついてから、その先にある砂塵除け用の幕を開いて中に入る。下り傾斜の先、一リュート程の所に再び幕が垂れ下がっている。これもまた開いた所で、魔導灯の眩い光が展視窓を満たした。


 クロウは目を細めて光量を調節しながら、機体の投射灯を消して、ゆっくりと機体を中へ進ませる。下りの斜路は更に三リュート程続いており、両側を件の簡易防壁が固めていた。少年の目が内部の光に慣れた頃には、斜路の終着、平坦に均された地面に降り立った。

 クロウが立つ屋内、正確を期せば防御陣内は半地下構造で、掘り込まれた地下部分は周囲の土が崩れぬよう鉄杭と鉄板で固められ、地上部分には外の砂塵が入り込まないように簡易防壁が二重に並べられている。また、内部空間の各所にはトラス構造の鉄柱が立ち並び、格子状に張り巡らされた同構造の梁を支えることで、二重構造の天井を保持していた。


 そして、魔導機パンタルが陣地の内縁に沿う形で、一定の間隔をもって並べられている。


「よぅ、おはようさん」


 クロウが指定されている待機場所に機体を向かわせようとした所、出入り口付近で身体を解していたエフタ市軍の機兵が声を掛けてきた。前日、一緒に分隊を組んでいた二十代後半の青年であった。


「おはようございます」


 クロウも伝声管越しに挨拶を返す。すると、黒髪の機兵は紺に染められた機兵服の襟元を緩めつつ、欠伸を噛み殺しながら口を開いた。


「ぁふぅ、この歳になってくると疲れが取れにくくなって、朝番もだるいわ」

「確か、三時からでしたっけ?」

「ああ、そっからお前さんに引き継ぐ九時までだ。ったく、少し前までは、ちょっと仮眠したら疲れがとれたんだけどなぁ。最近は芯に疲れが残りやがる」

「そうなんですか?」

「そうなんだよ。ま、俺もお前さん位の時はわからなかったが……、安心しろ、嫌でもわかる時が来るさ」


 青年機兵は過去を思い出しているのか、口元を軽く吊り上げ、どこか自嘲めいた笑みを浮かべて言う。それから、すぐ目の前にある搭乗部が開放されたままのパンタルに潜り込んだ。クロウもまた待機場へと機体を動かし、引き継ぎの時が来るのを待ち始めた。



 エフタ市軍が築いた防御陣地は、防備の弱い港湾口を守る為に旭陽節の間にだけ設置される。

 場所は灯台の膝下、市壁の外縁部で、南北二十リュート、東西十リュートの広さを有する半地下の拠点に入るのは、周辺域を警戒する警戒観測班と拠点を守る警備班、それと防衛戦力の主力となる十機の魔導機だ。

 彼らは一日三十六時間体制での警戒を実現する為、三交代制勤務を取っている。機兵隊を例として挙げるなら、機兵の前方の拠点に詰めて主に当直にあたる小隊と予備戦力として待機する小隊、後方の基地に戻って休暇を取る小隊といった具合に勤務を割り振られ、これらを一日置きに任をずらしていく仕組みだ。

 ちなみに、外部から参加したクロウは勤務形態の枠外扱いで、朝九時から夕方二十七時までの昼当直に専従する形となっている。

 次に三者それぞれの役目を簡略に説明していくと、警戒観測班は地面の振動を感知する装置や大気中の音を探知する機器を使って周辺を観測して警戒する、いわば拠点の耳である。仮に何らかのモノが接近している事を察知した時には、後方の市軍本部に一報を入れ、待機する魔導機に展開を指示するのだ。

 警備班は平時においては陣地内部の警備を担い、非常時においては拠点に備えられた重機銃を運用して拠点を守る、陣地の防御戦力である。

 そして、主戦力に位置づけられる魔導機だが、先にある通り、警戒観測班が何らかの情報を察知した際に、陣地より出て対応に動く機動戦力といった所だ。

 こうして三者がそれぞれの役目を果たし、連携して港湾口付近の警戒と防衛を担う次第である。


 少し話がそれるが、エフタ市の防衛を第一に考えた場合、砂嵐の間は港湾を閉鎖した方がより確実で、安全である。

 けれども、動く船が減る時が稼ぎ時と言わんばかりに、砂嵐の中をおして航行する魔導船が少なからず存在する事に加え、人の流れや物流が完全に止まってしまうのは、組合連合会としても各市にとっても色々と都合が悪いことから、こういった措置が取られている。

 危険な状況にあっても、利があると見れば人と物が動く。これを人の逞しさとみるか、業突く張りとみるべきかは置いて、とにかく、砂嵐の中でも砂海域の物流は途絶えることはないのだ。


 話を戻して、今旬、非常時に備えて拠点駐留を担当するのは、先の機兵が所属する第二機兵隊である。

 第二機兵隊はエフタ市軍に三つ存在する機兵隊の一つで、クロウが初陣で誤射に巻き込まれて気絶した際、救援と引き揚げを行った部隊であった。

 クロウにとっては思わぬ縁であったが、仕事初日においては、隊長を始めとする幾人かが話題として持ち出してきた事もあって、彼が隊の空気に馴染む一助となっていた。


 しかしながら、空気に馴染み始めているとはいえ、それが必ずしも誰も彼もと良好な関係を築けることを意味する訳ではない。隊の一部の者……クロウと歳が近い者達、より限定すれば十代の機兵達から、敵意とまでは行かないものの距離を置かれていたりする。

 今現在、魔導機教習所で苦楽を共にした同期は大砂海域各地に旅立った為、クロウには同輩がいない状態である。それだけに、同世代の者達とは仲良くしたい所なので折を見ては話しかけているのだが、相手側が会話に乗ってくれない為、中々話が続かない。

 つい先程、当直交代前に行われる集合点呼の前にも、クロウは勇を奮って同年代の機兵に話し掛けたが、やはりというべきか、素気無くかわされてしまっている。

 こういった対応が初日より四日連続で為されるとなると、クロウも相手側の意図というべきか、何らかの隔意があると察することができるというもので、何故だろうという疑問を抱きつつも、若干落ち込み気味だ。


 九時から行われる引き継ぎで、前日の周辺観測状況や予定表では昼過ぎに船が二隻到着するといった情報の確認が終わると、クロウは表面は平静を取り繕いながら、胸の内で少しもやもやとしたモノを抱えて、今日の仕事に就く。

 機体に乗り込んで、即座に外に飛び出せる位置である斜路の脇、出入口に一番近い場所に陣取り、事あるまで、ただひたすらに待機し続けるのだ。


 こうした具合にクロウが所定の位置に収まってから、一分、十分、三十分、一時間と、いつものようにゆっくりと時は経っていく。

 幸いというべきか、陣内は半地下に二重構造の天井という事もあって、外のような暑さはなく過ごしやすい。その為、機内に収まっているクロウの肉体的な負担は減っている。が、いつ何時、事が起こるかわからない状態であることから、そうそう気を抜くことができず、精神的な負担は増えていた。


 クロウは肩に篭った力を抜くべく、ふっと息を吐き出す。


 陣地の中は観測警戒班が観測室で耳をそばだててたり、仮眠室で寝ている者がいることもあってか、静やかな雰囲気だ。数人の機兵が機体の関節に入り込んだ砂塵を取り払う作業をしている他は、特に目立った動きはない。

 一方、外からは飛ばされてきた砂塵が市壁や簡易防壁に打ち当たって弾かれる、耳慣れた細やかな衝突音が途切れることなく聞こえてくる。また、強い風が吹きつける度に天井を保護する布材がはためき、出入口を覆う幕がか細い吹笛のごとく音を鳴らした。

 本来はどの音も取りに足りない音であるが、場所と状況だけに聞く者達の緊張を煽り、心胆に不安を誘う。

 クロウもまた黙然とそれらの音に耳を傾けながら、胸をざわめかせる不安に耐えていると、陣地中央にある詰所から一人の男が近づいてきた。無駄なく絞られた逞しい身体に紺の機兵服を纏っている事から、一目で機兵とわかる。


 魔導機の機内に収まるクロウも足音から機兵の接近に気付いて、展視窓越しに視線を向けた。

 目に入った壮年の機兵は刈り上げた黒髪には白い物が混じり始めており、日焼けを重ねて色黒くなった肌や右頬に刻まれた傷痕、更には深みのある青い瞳と引き締まった顔立ちが相まって、歴戦の風情を醸し出していた。


 この壮年の機兵、第二機兵隊の隊長を務めるブルック・エルマルクはクロウの機体のすぐ傍に立つと、低いが通る声で話しかけてきた。


「調子はどうだ、若いの」

「外の事を考えなければ、元気一杯です」


 クロウの返しに、エルマルクは傷のある右頬を吊り上げて笑う。普通なら愛嬌の一つでも生まれそうな所だが、傷痕の所為で逆に凄味が増していた。


「それは結構な事だ。ならば、隊の連中との付き合いはどうだ?」

「良くしてもらってると感じてます」


 クロウの答えに嘘はない。

 事実、年嵩の機兵(ベテラン)や隊の主力となる二十代の機兵達からは、緊張を解す方法や疲れない待機姿勢、機兵としての体験を基にした教訓を教えてもらったり、機兵戦術について概要や要点の説明を聞かせてもらったりと、好意的に接してもらっている。


エルマルクもそのことを承知しているのか、同意するように一つ頷いてみせる。それから、先と変わらぬ風袋で再び口を開く。


「ふむ、古参や主力の連中だけなら確かにそうだろう。しかし、うちの若い連中とはどうなんだ? 俺はすれ違ってる印象を受けるが?」


 クロウはどう応えようかとしばし迷うが、それもほんの一瞬。命が懸かる現場であるだけに、嘘や誤魔化しはできないと考えて、少年は肯定の言葉を返した。


「お察しでしたか」

「こう見えても、お前さんより倍以上は生きているからな」


 エルマルクは別段誇るでもなく淡々と告げると、更に続けた。


「それで、若いのは何が原因なのか、わかるか?」

「正直分かりません。普通に接しようと思っているんですけど、何故だか避けられてしまって、探りの入れようもないです」

「くくっ、だろうな」


 クロウは隊長の様子に首を傾げる。その気配を感じ取ったのか、エルマルクは口元に面白そうな笑みを浮かべて話し出した。


「若いの、うちの若い連中はな、お前さんに対抗心を燃やしてるのさ」

「対抗心?」

「ああ、連中はな、自分達よりも若くて、最近、機兵になったばかりのお前さんに負けてると感じてるんだ。機兵としての経験や成し遂げた仕事、機兵としての心構えといったあたりでな」

「……そういうのって、勝ち負けがあるんですか? あまり意味がないような気がしますけど」


 クロウの素朴な疑問に、エルマルクは一層笑みを深める。


「そうだな、訓練に熱が入る以外ではあまり意味はないだろう。そもそもの話、経験や成果、心構えは実力を測ったり、人柄を見定める目安であっても、勝ち負けで比べるものでは無い。だが、若い連中はその辺りの違いがまだはっきりとわからんのさ」

「そのことを、教えたりしないんですか?」

「教えん。こういうのは、自分自身で気がつかないと身に付かないからな」


 そういうものなのかと、クロウがなんとなく納得していると、壮年の隊長は少々不思議そうな顔で言葉を繋げた。


「しかし、お前さん。若い割に落ち着きすぎてるな」

「そうですか?」

「ああ、俺が若かった時分と比較しても、明らかに腰が据わってる。……いや、むしろ、俺と同世代か少し下くらいのおっさん臭さを感じるな」

「お、おっさん……」


 中年と呼べる年頃の人間におっさん呼ばわりされて、クロウは軽く凹む。十代の少年に対して使うにはあまりにもあまりな言葉であったのだ。その為、少年は意識して若者めいた言葉に抗議の意を込めて反論する。


「いや、俺、この陣地の中で一番若いはずですが?」

「はは、年齢だけだな。考え方自体が不相応にませすぎてる。……機兵になる前は、何をしていた?」

「グランサーです」

「いつから何年した?」

「孤児院を出た十二から四年程です」

「毎日か?」

「ええ、まぁ、ほぼ毎日ですね」

「その間、誰かと組んだりは?」

「してません」

「甲殻蟲に襲われた事はあるか?」

「何回か」

「それでも生き残ったか。なら、納得だ。うちの若い連中と土台が違う」


 何故、エルマルクが納得したのか今一わからず、クロウは困惑する。そんな少年に気付いているのかいないのか、壮年の機士は言葉を続けた。


「うちの若い連中はそこまで過酷な環境で育ってきていない」

「過酷、ですか?」

「ああ、命を奪われかねない暑さの中、いつ何時、甲殻蟲に襲われるかもしれない状況で、見つかるかもわからない遺物を、ほぼ毎日で探して歩く。しかも一人でな。これを四年近くやってきたとなると、肝も据わるし、精神も老成するはずだ」

「でも、そういうのって、俺だけじゃないと思うんですけど」

「ああ、お前さんだけじゃないだろう。だが、十代前半でできることではない」


 このエルマルクの言葉に対して、クロウは肯定も否定もできない。というのも、単独で発掘作業を続けていた為、己と比較できる対象を知らないのだ。その為、己よりも経験を重ね見識が広い先達が言う以上、そうなのだろうといった認識でもって納得半分である。

 このクロウの沈黙を、エルマルクは肯定と受け取って再び口を開く。


「そう考えると、お前さん、天然物というか、なるべくして機兵になった感じがするな」

「いくらなんでも、それはないですよ。確かにグランサーになったのは、魔導機免許の取得する為の金を稼ぐ為でしたけど、あくまでも限定免許を取る為です。本式免許を取ろうなんて考えてもなかったですし、機兵になるつもりもありませんでした」


 事実、紆余曲折を経て知り合った小人が世間話の中に紛れていた話を聞いてお節介を焼かなければ、また、何かと頼りになる組合職員が背中を押してくれなければ、機兵になる事は無かったのだ。


 クロウが今に至る巡り合わせについて考えていると、エルマルクは顎を撫でつつ告げた。


「だが、機兵になっている。それこそが、なによりの証拠だと思うがな」


 クロウは一理あると思う物の、心のどこかに反発があった。

 それが何なのか、少年は考える。彼にとっては意外な事に、答えは直ぐに出た。それは己の行動が予め定められたかのように語られたことへの不満。より深く言えば、どれだけ選択肢が制限されていたとしても、自分自身の意志で生き方を選んできたという自負が、己の選んだ道が予め定められた物だとされた事に対して、反発したのだ。


 けれども、クロウの内で浮かび上がった反発はそれ以上大きくなることはない。

 というのは、クロウ自身が自分は自分、他人は他人と割り切って考えることができる点もあるが、エルマルクも自分自身の意見を述べただけで、一方的に考え方を押し付けてくる訳でもなかった為だ。付け加えれば、この程度の事で反発して、良好な関係を悪化させては仕事に支障が出てしまうだろうという現実的な計算もあった。


「ああ、そういえば、話を変えるが、前にマディスが使い方次第で活きるって言ってた……、確か、斥力盾だったか? あれの使い出はどうなんだ?」

「使い勝手は悪くないです。実際、前の戦闘で役立ちましたし」

「ほぅ、そうなのか?」

「はい。でも、あれは実物で効果を見た方がわかりやすいと思いますから、機体が直ったらどういう物なのか見せますよ」


 もっとも、そういった考え方ができることこそが、クロウがおっさん臭いと言われた所以なのだが、当の本人は知る由もなかった。



  * * *



 翌日十五日の午後。

 仕事が休みとなったクロウは港湾地区にある総合支援施設にて、己が右腕の動きを確認するように動かしていた。

 五指一本一本の開閉から手首の返しや捻り、肘の伸縮、腕全体の捻り、肩の上げ下げと、一つ一つ丁寧に動かせば、それらを組み合わせた動作を何度となく繰り返すのだ。

 そんな彼の周囲は前方を除いて、無機の骨格や曲線を帯びた鋼板で覆われ、幾つもの鋼管や配線が配されている。また、少年の後側方より延び出てその腕を覆う籠手……金属製の枠組みと小型の油圧機構や配線等で構成された代物があることから、見るからに手狭である。

 もっとも、赤髪の少年は別段気にすることは無く、黙々と一連の動きを続けている。なんとなれば、この狭い環境に慣れている事もあるが、今やっている作業が、自身の命を預ける魔導仕掛けの武具、魔導機パンタルの調整が、己の生死に直結することを知っているからだ。


 しばらくの間、様々な動作を繰り返した後、クロウがふいに動きを止めて右の眉根だけを上げる。それから、搭乗する機体の跳ね上げられた正面装甲部より外へと顔を覗かせた。


 彼が機体を預けた場所、施設内の魔導機整備場は砂嵐の到来した為か、作業用魔導機の整備依頼が増えて盛況だ。今もクロウの目に映る懸架はほぼ全てがラストルで埋まっており、整備を行う魔導機整備士達が右に左にと忙しく働いている。

 整備作業の騒音が響く中、少年は真剣な眼差しを乗機の右腕に向けた。整備中という事もあり、右腕は装甲が外されて、内部構造が剥き出しになったままである。

 新品らしい質感を持つ右腕を見つめ、制御籠手内の手首を返しては戻し、肘を伸ばしては戻す。機体は搭乗者の動きを感じ取ると、魔力を機械的な動きに変換して、僅かに遅れて動き出す。


 こうした動作を数度行った後、クロウは軽く首を捻りながら腕の籠手を外し、機体を駐機態勢へと移行させた。途端、聞き馴染んだ年若い女の声が飛び込んでくる。


「どうですか、エンフリードさん。違和感はありませんか?」


 クロウは外からの問いかけに、自身が感じ取った事をそのまま返す。


「手首と肘の反応が、前よりも少し硬い感じがする」

「わかりました。その二つの伝達速度をもう少し上げてみます」

「うん、頼むよ、ラファンさん」


 クロウが脚部の開閉部を開放して、身体を固定する装着具を手早く外すと、機内より外に降り立つ。そして、身体の凝りを解すように両肩を回した後、腕を天へと伸ばして全身を背伸びさせた。固まっていた筋肉や骨が軋みを上げ、神経に心地よい刺激が伝わる。その気持ち良さに少年の口から思わず声が漏れた。


「んーーっ、あ~~、っと」

「ふふ、エンフリードさん、音、ここまで聞こえてます」

「え、ほんと?」

「はい、こきこきって」


 薄赤色の繋ぎを着た少女、魔導機整備士のエルティアはクロウに近づきながら軽く微笑む。それから、少しだけ表情を改めて、眼鏡越しに少年の顔色を観察しながら続けた。


「今のお仕事、大変なんですか?」

「うーん、どうだろなぁ。他にも人がいるから休憩は適時とれるし、一人で工事現場の護衛してた時よりは身体は楽だと思う。けど、今は慣れない環境っていうか、砂嵐でとことん視界が悪い状態だから、幾ら警戒体制ができてるってわかっていても、休んでいる時でもなんとなく緊張しちゃって、ご覧の有り様。……まぁ、それでも、もう少ししたら慣れるだろうとは思ってるんだけどね」


 クロウは常と変わらぬ様子で答えると、今度は自分の番と言わんばかりに、エルティアに問い返した。


「ラファンさんこそどうなの? ここには慣れた?」

「え、あ、そ、そうですね。……私も慣れてきたと思います。先輩方は優しいですし、時間がある時に色々と指導してくれますから」

「そっか、いい人ばかりなんだ」

「はい、本当に良くしてもらってます」


 ラファンの背後、別の懸架で作業する整備士が彼女の声を聞き拾ったらしく、口元をだらしなくにやけさせるのが見えた。本当に大丈夫なんだろうかと、クロウの胸の内に一抹の不安が芽生えるが、エルティアの不安を煽って、今見せている微笑みを曇らせるのも如何なものかとの思いもあって、ただ頷いて了解を示す。


 とそこに、整備場全体を監督する主任整備士ブルーゾの声が飛び込んできた。


「エンフリードっ! ちょっとこっちに来てくれっ!」

「あ、はいっ、わかりました! ラファンさん、ちょっと呼ばれてるし、また後で」

「はい! 調整が終わり次第、呼びに行きます」

「うん、お願い」


 クロウはエルティアの声に応じると、足早に去っていく。残されたエルティアは見慣れた機兵服姿の少年、その後ろ姿を数秒程じっと見送った後、意識を切り替えるように表情を引き締めた。



 クロウがブルーゾがいる場所までやってくると、そこには一組の男女がいた。

 ルベルザード土建で安全保障を担当するゴンザと経営者一族のリィナ・ルベルザードだ。二人ともマスクやゴーグルは外しているものの、赤錆色の外套は纏ったままで、今し方到着した様子であった。

 ブルーゾがクロウに反応したり、クロウが二人に声を掛けたりするよりも前に、来客の一人、体格の良い金髪の男がしっかりと頭を下げて口を開いた。


「エンフリード殿、お元気そうで何よりです。今日まで顔を見せなかった不義理、お許しください」

「いえ、ゴンザさん、顔を見せないなんていっても、こっちの都合が悪かっただけなんですから、不義理でもなんでもないですよ。前も言いましたけど、気にしないでください」

「ですが、今日にしても、本来ならば、迷惑を掛けた当人と社長がこの場に来て、謝罪と感謝をして然るべき所を、こちらの都合で来ることができず、恩人を蔑ろにするようなことになってしまい……」

「ご、ゴンザさん、ちょっと待った!」


 クロウはゴンザが尚も言い募ろうとする所を慌てて止め、少し困った顔で告げる。


「お二人からは当日の内にちゃんと謝罪と感謝を受けてます。それに、壊れた機体の修理費を出してもらえるんですから、こっちとしてはそれで十分です」

「しかし、それでは……」

「人を守るのは機兵の本分です。ただ、今度からはああいった事が起きないように注意してください。俺から何かあるとすれば、それだけですよ」

「……はっ」


 ゴンザがより一層頭を下げる。すると今度は、隣に立つリィナがクロウの前に歩み出てきた。勝気そうな顔立ちの少女は歳の近い機兵の目をしっかりと見つめ、今までになく真剣な面持ちで話し出す。


「この度は兄ジーク・ルベルザードの命を救って頂き、ありがとうございました。謹慎中の当人と、所用の為、この場に来られぬ家長ナタリア・ルベルザードに代わり、改めて感謝します」


 リィナは短い黒髪を揺らし、丁寧に頭を下げた。


 クロウは少女の思わぬ態度に驚くも、次の瞬間には少々慌てながら頭を上げるように促した。これを受けて、リィナは少しだけ顔を上げ、少年の様子を窺い見ながら応えを待つ。会話の主導権を委ねられたクロウは慣れない状況に些か動揺しながらも余所行きの言葉で応じた。


「え、えーと、その……、さっきも言いましたけど、機兵として当然のことをしただけですし、機体の修理費も出してもらってます。二度と馬鹿な真似をしないと約束してもらえれば、もうそれで十分です」

「はい。当人のみならず、我がルベルザード家全員、確と身と心に焼き付けていきます」


 リィナはそう言ってから再度頭を下げた後、ゆっくりと顔を上げる。その動作や表情には、大切な仕事を無事に終えることができたという安堵感が滲み出ていた。


 置いてけぼり、というよりは、場の空気を読んで黙って成り行きを見守っていたブルーゾが、少女の様子から先の一件に関わる挨拶が終わった見て口を挟んだ。


「さて、お互いの挨拶が終わったみたいですし、こちらから実務的なことといいますか……、修理に掛かった費用の概算が出たので、その内訳や修理内容の説明をしたいんですが、よろしいですかね?」

「あ、うん。俺は構わないよ」

「わかりました。お聞かせください」


 クロウとゴンザが口々に応じると、ブルーゾは計算書を片手に話し出す。


「まずは点検の結果、判明した機体番号〇四九八九-一の損傷箇所から。……装甲全層を切断された正面装甲部、及び、肘先が損失し内部機構が損壊した右腕部が修理不能で大破判定。背面装甲部の焼成材装甲が八割損壊で全損判定。左腕部及び両腰部の焼成材装甲の一部が損傷で小破判定。また、両脚部の油圧機構に油漏れが発生していた他、熱交換器付近の冷却系配管にひびが見つかっています。それ以外の部分については特に問題はありませんでした」

「ブルーゾさん、ちょっとごめん。それ以外の部分は特に問題はありませんでしたって言ったけど、骨格も大丈夫だったの? 結構、打撃っていうか、衝撃を受けたんだけど」

「ああ、骨格な。剛性検査の結果は白だったから、まだ大丈夫だ。けど、次に大衝撃を受けるようなことがあれば、交換した方がいいってのが整備担当の見解だ」

「ラファンさんが?」


 ブルーゾはクロウの疑問に軽く頷いてから答える。


「ああ、ラファンがそう判定した。……不安か?」

「まさか」

「そう言うと思ったよ」


 揉み上げの長い現場責任者はどこか思わせぶりに口元を緩めながら言う。クロウはどこか厭らしさを感じさせる笑みを努めて無視して背後を振り返る。エルティアが工具片手にパンタルの右腕に取り付いていた。一心に作業に励む少女の姿は、クロウにとって見慣れたものであり、彼の心に安心感をもたらす光景でもあった。

 自然と、クロウの表情は柔らかくなり、年相応の顔が浮かぶ。そんな少年の横顔を一対の瞳が見つめていたが、当人以外に気付く者がなかった。


 とにもかくも、ブルーゾはクロウにこれ以上の質問はないかと目で問い掛け、何もないことを確認すると、一つ咳払いをしてから話の続きに戻る。


「では、説明を続けます。……今、挙げました損傷箇所への対処ですが、大破判定の正面装甲部と右腕部については部位丸ごと全交換を、また、全損判定の焼成材装甲については新品への張替えを行いました。次に小破判定の焼成材装甲ですが、これは傷が浅い事もありましたので、修繕部材での補修を施しました」


 ブルーゾは手に持った計算書に書かれた文字を順に追いながら、更に続ける。


「両脚の油圧機構は分解整備を実施し、一部部品を交換して調整。冷却系配管は補修材による補強といった処置を行いました。修理個所とその対処については以上ですが、何かわからない所はありますか?」

「ないです」

「ありません」


 ブルーゾの言葉にクロウとゴンザが口々に答える。すると、ブルーゾは再び計算書に目を向け、少し改めた様子で話し出した。


「次に修理に掛かった費用についてですが、これは部品代が主となります。まだ概算ですが、正面装甲部が八万ゴルダ、右腕部が十六万ゴルダ、焼成材装甲が全て合わせて二万ゴルダ、諸々に使用した補修部材が大凡一万ゴルダで、合計二十七万ゴルダ程となります。ただ、機兵優遇にある三分の一割り引きを適用しますので、請求金額は十八万ゴルダ位に収まるでしょう」


 クロウは修理に掛かる費用を聞き、機兵という職を得て安定した収入が得られるようになったが、下手を打てばそれ以上に多大な出費が起きえる現実を実感し、少しばかり口元を引き攣らせながら背筋に冷や汗を流す。

 他方、リィナとゴンザは当然のように頷いて応じた。というのも、クロウとは立ち位置が違うことや部品代が相場から外れていないこともあるが、それ以上に、出された金額にケチをつけるという事は、クロウの労苦や救われた身内を貶めると考えていた為だ。


 三者三様に示す反応を見ながら、ブルーノは計算書に書かれた最後の項目について口に出した。


「これで最後になるんですが、今言いました部品代の他に、うちが修理に要した技術料等が五千ゴルダが必要になります。ただ、これについては、取り外した正面装甲部と右腕部をこちらが下取りする形で相殺しようと考えているんですが……、エンフリード、いいか?」

「あ、うん、それでいいよ」

「わかった。後で下取りの書類を渡すから署名してくれ」

「了解」


 ブルーゾはクロウが同意したのを確認すると、視線をゴンザとリィナに向ける。


「今、出した金額はまだ概算ですので、少し変動する事があるかもしれませんが、十八万万台を超えることはありません」

「わかりました。費用の用立てをしておきます」

「ええ、こちらも金額が確定次第、請求書をお渡しします」


 話が終着に至り、大人二人が頷き合う。とここで、一連のやり取りを黙って見ていたリィナが声を上げた。


「えっと、エンフリード殿と、二人で少し話がしたいんだけど、いいかな?」


 リィナの要望にクロウは何事だろうと首を傾げるが、特に断る理由もなく、ブルーゾとゴンザに断りを入れ、リィナと共に離れた。



 リィナは大人達からある程度離れると、クロウと正面から向き合い、少しだけ相好を崩して口を開く。


「クロウ、兄さんを助けてくれて、ありがとう」


 先程と違って、態度相応にリィナの言葉も砕けている。けれども、声に込められた熱は先の感謝を述べた時と変わらないものであった。そのことを感じ取ったクロウは少し照れくさそうにしながら、平素の態度で返す。


「リィナ、さっきも言ったけど、もう十分に感謝してもらったから」

「違うの、今のは家の名代としてじゃなくて、私個人の感謝よ。ほら、あの日はそんな余裕なかったから、しっかりと言えなかったしね」


 そう言い置くと、リィナはゆっくりと一言一言確かめるかのように告げた。


「あなたのお陰で、私は兄を、母は息子を、兄は自分を失わずに、家族が欠けないで済んだ。……本当に、ありがとう」


 このリィナの言葉に、クロウは己の家族のことを、失ってしまった家族の温もりと温もりを失った時の喪失感を思い出し、自然と寂しさと切なさが湧き起こってくる。

 だが、それと同時に、目の前の少女に、自身と同じような思いをさせずに済んだことを喜ぶ気持ちと、自分の持つ力が一つの家族を守る一助になれたことへの誇らしさもまた満ちてくる。

 これら相反する二つの情、失った哀しみと守れた喜びは胸の中で入り混じり、クロウの顔に翳り交じりの笑みを浮かべさせた。


「……うん、良かった」


 クロウは様々な思いを乗せて短く応じた。けれど、リィナは少年の返事にぎこちなく頷くだけである。

 じっと少年を見つめていた少女は、彼女の知る同世代の誰よりも泰然とした少年が垣間見せた陰に、彼女の中の母性、あるいは庇護欲と呼べる情が目覚めてしまい、胸を締め付けられるような感覚を抱いていたのだ。

 そして、その感覚は少女が抑えようとしても収まらず、逆に膨れ上がる一方であり、先の一件もあって、更に大きくなった少年への好意をも刺激し始めた。


 結果、少女の鼓動が速めて行き、じわじわと顔に朱が差し出す。


 突然生じた心身の反応に翻弄される少女を助けたのは、離れた場所にいた整備責任者の声であった。


「おぅい、クロウ。ラファンの奴が調整終わったってよ」

「あ、はい、わかりました」


 クロウの注意が逸れた瞬間、リィナは大きく深呼吸。それから捲し立てるように話し出す。


「うん、クロウ、わ、私が言いたかったのはそれだけだからっ、とにかく、ありがとっ! ほ、ほら、これ以上、迷惑かけられないし、作業の続きに戻ってね」

「え、あ、うん? って、ちょ、え、リィナ、なにを?」

「いいから、ほら、作業作業」


 リィナは少年の戸惑い声を無視して、見た目以上に鍛えられている背中を押し始める。その顔は傍からわかる程に紅に染まっていたのだが、手早く動いた上に隠すように俯いたこともあって、幸か不幸か、少年に気付かれる事はなかった。



  * * *



 クロウが自機の調整を全て終えて、受け取れるに至ったのはリィナ達が帰った後、夜迫る夕方であった。

 ここまで時間が遅くなったのは、機体の最終動作確認の為に一通りの武器を素振りしたことに加え、砂嵐の中で必須装備となる灯光器の購入にあたって種類の選択と値段交渉が長引いてしまい、その取り付け作業が遅くなった為だ。


 とにもかくも、クロウは仕上がった機体に乗り込み、新調された正面装甲部を開けたまま、エルティアと言葉を交わす。


「修理ありがとう、ラファンさん」

「いえ、これが私の仕事ですから。それよりも、エンフリードさんが無事で良かったです」

「あー、うん。でも、あの時、五体満足で帰って来れたのは、運良く強力な助っ人が家に来てたからだって思ってるんだ」

「マディスさんとミソラさん、それにフィールズさんですね」

「うん。機兵だなんだって言っても、できることには限りがあるっていうか、一人でできることなんて知れてるんだって思い知らされたよ」


 そう言ってから、クロウは笑みを浮かべて続ける。


「今だって、ラファンさんに支えてもらって、機体を直してもらったしね」

「ふふ、ありがとうございます。今のお仕事、身体に気を付けて、頑張ってくださいね」

「ん、了解」


 エルティアが機体の傍を離れ、クロウが開口部を閉ざそうと右腕を上げる。と、そこにブルーゾが急ぎ足でやってくる。


「エンフリード、ちょっと待ってくれ」

「ブルーゾさん、どうかしましたか?」

「ああ、お前の機体の面倒を見させる為に、ラファンに連勤させてたんでな。今日はもう上がらせるから、門まで送ってやってくれ」

「え、そうなんですか?」


 クロウはブルーゾが大真面目な顔で頷くのを見た後、近くにエルティアに目を向ける。黒髪の少女は少し困った顔で眼鏡を弄っていたが、俄かに項垂れると弱った声で上司を非難する。


「主任、エンフリードさんが気にするから、それは言わないでって……」

「普通なら言わないんだが、お前、今日は早上がりしろって言っても、絶対、最後まで残ろうとするだろう?」

「そんなことは……」

「ある。実際、俺がいい加減切り上げろって言っても、まだ仕事しようとするだろうが」


 クロウも教習所で見たエルティアの仕事振りや一事に集中する気質を思い出して納得する。その間にも、ブルーゾの言葉は続く。


「俺はここの責任者として、時にお前らに無理をさせる。だから、その分だけ、どっかで帳尻を合わせるようにしないといけねぇんだよ」

「で、でも、まだ、ここの片付けが……」

「却下だ。今日だけは、他の連中にやらせておく。それと、明日と明後日、お前は休みだからな」

「ええっ、休みは明日だけで十ぶ……」

「駄目だ。根を詰めて作業を続けた以上、自覚のない疲労が溜まってるはずだ。だから、しっかり休んで疲れを取ってこい」

「うぅ、わかりました」


 皆まで言わせずの断言に、エルティアは抵抗を諦めて更衣室へと去って行った。肩を落とす少女を見送った後、ブルーゾが苦笑いを浮かべて呟く。


「まったく、あいつの熱意と責任感は認めるが、ほどほどって言葉を知らないから困る」

「その割には嬉しそうに見えますよ?」

「そりゃお前、その良し悪しはともかくとして、若い熱意ってのは見てるだけで楽しくなるもんさ。それよりも、見送りにかこつけて、あいつに不埒な真似をするなよ?」

「……あの、俺、そんなことするように見えますか?」

「見えん。が、機兵ってのは一枚皮をめくれば、女に飢えたケダモノばかりだからな。女を知らないお前さんでも、釘を刺しとく位で丁度いいんだよ」


 酷い言われように、クロウはただ表情を引き攣らせるしかなかった。



 それからしばらくして、防塵装備を身に着けたエルティアが戻って来ると、二人は連れ立って外に出た。

 相も変わらず巻き上がった砂塵は宙を舞ったままで、視界は酷く悪い。クロウの機体に付けられた灯光器でも五リュートから六リュート程を照らし出せない程だ。

 とはいえ、クロウの機体の少し前を行くエルティアは違う見解のようで、マスク越しのくぐもった声でクロウに話し掛けてきた。


「魔導機の灯光器は明るくて良いですねっ! 安心して歩けます!」

「うん、通常品に比べればいいと思う。けど、外だとこれでもまだ足りないんだよなぁ」


 このクロウのボヤキを聞いたエルティアは少し躊躇した後、少し声を落として尋ねた。


「エンフリードさん、市壁の中と外って、やっぱり違いますか?」

「全然、違うよ。特にこんな状態だと、もう、緊張感が段違いになる」

「確かに、身体中から凄い音がしてましたね」

「そうそう、そうなんだよ。籠手を着けてる所為か、特に肩が凝るんだよなぁ」

「それなら、たまにお風呂屋に行くのはどうですか?」

「あー、それもいいなぁ。家のを使ってばかりで、最近は行ってないし」


 といった具合に、マスクと装甲を挟みながらも器用に会話をしつつ、少ないながらも設置された街灯に沿って歩き、二人は港湾門に繋がる三叉路前までやってきた。この辺りまで来ると通行人がいるようで、灯光器の光が時折ぼんやりと見えるようになってくる。


 さて、ここを右に曲がってと、クロウが機体の向きを変えようとした所で、唐突に、右前を行くエルティアが動きを止めた。


「っと、どうしたの、ラファンさん」

「え、あ、はい。その、今さっき、悲鳴のようなものが、聞こえた気がして」

「悲鳴?」


 クロウは耳に残った言葉の意味を理解できずに繰り返し、半瞬後、間延びしていた思考が切り替わり、表情も険しくなった。


「ラファンさん、どっちから、どんな声が聞こえた?」

「え、えと、はっきりとはわからなかったんですけど、少なくとも門がある方向じゃないです。後、声は低くて、男の人のような気が……。で、でも、気のせいかもしれないですしっ」


 クロウはエルティアの声を聞きながら、どう動くか考えようとし、彼女が自分をじっと見ている事に気付く。即座に甲殻蟲が侵入したという最悪の想定で動くことを決め、口を開いた。


「ラファンさん、一先ず門へ行こう。その後で、どうするか決める」

「は、はい!」


 少女はクロウの張り詰めた声に驚きつつも従い、行き足を速めた。



 クロウ達が港湾門前に到着すると、港湾門脇にある詰所の前に門を守る衛兵達が集まり、薄赤い外套を着た数個の人影と何事かを話している所であった。その様子に、もしかしたらという勘が働き、クロウはエルティアを伴って機体を寄せる。

 強力な光と共に突然現れたパンタルに、常の防護服にマスクとゴーグルを着けた門衛や人影達が驚くように数歩下がる。だが、直に立ち直ったようで、腕に赤い腕章を付けた門衛が大きな声で話しかけてきた。


「機兵殿、何事ですか!」

「ラファンさん」

「はい。実は先程、そこの三叉路で男性の悲鳴のようなものを聞こえた気がしまして、もしかしたら何かあったのかもしれないと思い、その連絡に」


 エルティアの説明に五人の門衛達は戸惑うように顔を見合わせる。社会的に信用が高い機兵の知り合いだけに、無視しえないと感じた為だ。一方、門衛達と話をしていた者達もエルティアの話を受けて、同調するように声を上げた。


「ほれみろっ! 俺達が言った通りだろうが!」

「絶対にあれは悲鳴だったって!」

「こういうことで嘘ついてもさんざに絞られるだけで意味がないことくらい、学のないわしらでもわかっとるわいっ!」


 すると、クロウに声を掛けた門衛が方針を固めたのか、仲間達に立て続けに指示を出し、一人を詰所に戻らせ、もう一人を門の警備に立つ者達の下へと走らせた。そして、再びクロウに近寄り、落ち着きのある声で話し出す。


「機兵殿、真偽を確かめる為に声がしたという三叉路付近に向かいたいのだが、応援の機兵隊が到着するまで協力していただけないだろうか?」

「ええ、了解です」

「助かります。後、お嬢さんはどのあたりで悲鳴を聞いたのか詳しく聞きたいので、詰所へ来ていただきたい」


 エルティアはその言葉に頷くと、機体を振り返って告げた。


「エンフリードさん、くれぐれもお気を付けて」

「ああ、うん。行ってくるよ」


 少女と魔導機が言葉を交わす。この、どこか非現実めいた雰囲気に呑まれ、騒いでいた男達は静かに両者を見つめる。その背後では、門衛達が身の丈近くはある鉄根や大型灯光器といった装備を慌ただしく準備していた。


 それから一分も経たぬ内に門衛達の準備が整うと、クロウのパンタルを先頭に三人の衛兵が急ぎ足で三叉路に向かう。その途上、クロウが幾つかの光とすれ違ったことを確認していると、腕章を付けた代表格の衛兵が話しかけてきた。


「機兵殿、蟲が侵入している可能性はあるだろうか?」


 この当然の質問に対し、クロウは相手を不安にさせるようなことを言っていいかと迷うが、楽観して最悪の状況に陥るよりはと考えて、自身が抱いている感想をそのまま答える。


「防御陣地がありますし、侵入している可能性は低いでしょうが、ないとは言い切れないと思ってます」

「……それでも、蟲はいないと思いたいですな」


 危険を想定して、クロウと門衛達の緊張が高まる中、三叉路に到着する。道を照らす街灯が四隅にあるが、その光量は弱く頼りない。だが、門衛達は何が起きているかわからぬという恐怖の中、果敢に行動し始めた。


「我々は周囲を捜索しますので、機兵殿は警戒をお願いする」

「わかりました」


 クロウは先の一件で視野が通らぬ中での捜索を経験しているだけに、今の門衛達が抱く恐怖を容易に想像できる。その為、彼らの目が届き、かつ、より港湾口が近い場所を選んで警戒に立った。


 そういった状況下で捜索が始まってから五分程が経過して、不意に大声が上がった。


「ぶ、分隊長っ!」


 クロウは弾かれたように大声が聞こえた方向へと向かう。そして、声の主を見つけ、次いで、機体の投光器が照らし出した光の中に、声が上がった原因を認める。


 街灯の光が届かぬ岸壁の縁、赤黒い外套をまとった人影が黒い染みの中に倒れ伏していた。


 クロウが息を呑んで人影を見つめるが、ある一点に気付いて眉間に皺を寄せた。その間にも、代表格の衛兵が駆けつけてくる。そして、倒れている人影に近づき、先とは異なる荒々しい口調で言い放った。


「……くそっ、蟲じゃない、殺しだっ」


 その言葉を証明するように、倒れた人影の背には深々と刃物が突き刺さり、飾り気のない柄が己の存在を主張するように突き立っていた。

13/03/19 一部表現修正。

13/03/20 語句訂正。

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