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魔導黎明記  作者: 綺羅鷺肇
3 少年は悲喜劇で踊る
26/96

七 ルディーラの惑乱

 年が明け、共通暦三百十七年。

 新たな年を祝う初陽日が多くの人々に惜しまれながら終った翌日の二日。クロウは午前の内に先々日に頼まれた件を果たすべく、エフタ市庁内にある軍務局を訪ねていた。


「なるほど、お知り合いにそんな事情が」


 そう言ったのは、エフタ市の制服を着た小麦肌の小柄な女性。少し鼻にかかった声と幼さの残る童顔から少女と見間違われそうな風体のベルーナ・ベルトンだ。

 彼女は来訪したクロウを以前通した応接室に案内して、少年の来意……エルティアの一件を聞いていたのだが、途中から気の毒そうな顔と困ったような色がない交ぜになった表情へと変じさせていった。

 その表情の変化に、この反応で押し込むことが本当に可能なんだろうかと、少年は幾ばくかの不安を抱くも、エルティアの今後が関わっている以上、退くことはできない。クロウは肚に力を入れて不安を押し込め、口を開いた。


「ええ、突然すぎて、とても困っているようでしたので、なんとか助けることができないかと考えたのですが、当てとして即座に思い付けたのが、いつも利用している複合支援施設しかなくて……」

「ええ、当市の複合施設に魔導機整備士として推薦したいという訳ですね」

「はい。厚かましいお願いだとはわかっているんですけど、どうにかできませんか? 本人の整備の腕は、私が命を委ねられる程に保証できます。それに、どんな汚れ作業にも懸命に取り組むのは見てきましたし、周囲への気遣いも、整備班という枠組みの中での協調性もあります」


 ベルトンはクロウの言葉に一々頷きながらも、話が終わって一拍置いた後、実に申し訳なさそうな表情で告げた。


「エンフリードさんのお気持ちは十分にわかりました。ですが、私には整備畑への人事裁量がありませんので、ただ担当の者に、エンフリードさんがこういった方を推薦されていました、という形で伝えておくとしか、お答えできません」

「そう、ですか。あ、いえ、それでも、担当の方に伝えてもらえるだけでもありがたいです」


 クロウは前々日のマッコールがやっていた姿に倣って、しっかりと頭を下げた。


「ベルトンさん、どうか、よろしくお願いします」

「あぁ、頭を上げてください。エンフリードさんが推薦していた事は、早々に、担当者にお伝えしておきますから」

「はい、お願いします」


 クロウは更にいっそう頭を下げた後、顔を上げる。それから、詰めていた息を小さく吐き出した。常よりも少しだけ固くなっていた空気が綻びを見せる。

 この空気の変化に合わせるかのように、ベルトンが新たな話を切り出してきた。


「ところで、話を変えますが、エンフリードさんは、今、何か仕事をお受けですか?」

「仕事ですか? 今は受けていません。今日、帰りに組合の支部に寄って、依頼がないか聞くつもりです」

「そうですか」


 ベルトンは柔らかそうに膨らんだ両頬にえくぼを作りながら、ある提案を持ち掛けてきた。


「なら、当市からの仕事を受けてみませんか?」



 まずはどのような仕事なのかを聞いてから、とクロウが答えると、ベルトンは一度席を立ち、自分の席から幾つかの書類を手にして戻ってきた。

 そして、クロウに仕事の概要が書かれた一枚の紙を手渡す。紙の最上部には『ゼル・ルディーラ到来時における港湾区画船舶用出入口の警備』と題されていた。

 ベルトンは一つ咳払いをした後、実は今日か明日にでも、お伺いしてお話しする予定だったのですが、と前置きして話し始める。


「今お渡しした紙の表題にあります通り、お願いしたい仕事の内容は船舶用出入口の警備です。普段であれば、防御塔からの監視で蟲の動きを察知できる所なのですが、ゼル・ルディーラの季節になりますと、極度に視野が悪くなりますので、出入口付近に市軍が防御陣地を構築することになっているんです」


 クロウはベルトンの言葉に疑問を感じて、首を傾げながら尋ねた。


「では、警備も市軍が担当するじゃないんですか?」

「ええ、もちろん市軍が担当します。ですが、三十六時間、常に臨戦態勢のまま、普段以上に気を使う仕事になりますので、機兵隊の士気消耗が激しいんです」


 何事かを思い出したのか、ベルトンは曇り顔で更に続ける。


「毎年、軍務局も警備を担当する隊の責任者から、部下に少しでも良いから、まともな休みを与えてやってくれと懇願されているのですが、その、予算との兼ね合いから、永続的な人員増は難しい状況でして」

「なるほど。それで、この仕事ができたという訳ですか」

「はい。エンフリードさんが新たに当市に居住登録されましたし、もし参加していただければ、現場の負担を少しは軽くできるだろうということで、予備費の使用が認められたんです」


 クロウは事情を聞いて納得し、その上で考える。

 世の中、持ちつ持たれつであるし、こちらから用件を持ち込んでお願いしている以上、相手の頼みを聞いた方が心証も良いだろう。いや、むしろ、ゼル・ルディーラ中に仕事があるかどうか、不安であったことを思うと、好都合ではないかと。


 内々の天秤が受諾の方向に大きく傾いたことを受けて、少年は少しだけ身を乗り出して尋ねた。


「具体的な期間と内容について、教えてください」

「はい、今の所、期間は旭陽節第一旬十一日から第三旬十日までを想定しています」


 クロウは己の知識と経験から違和を感じ、その点について疑問の声を上げる。


「第二旬の頭位じゃないんですか?」

「ええ、平年だと大体それ位の時期なのですが、今年はどうも早いらしく、昨日、エル・ダルークからの連絡で、北の開拓地群がゼル・ルディーラに呑まれたとの連絡がありました。ですので、期間想定を前倒ししました」

「……十日も早いなんて、珍しいですね」

「確かに珍しいですけど、残っている記録を見る限りですと、時折はあるみたいです」


 クロウがベルトンの言葉に頷いていると、その彼女は更に言葉を続けた。


「それで、この期間なんですけど、ゼル・ルディーラの状況次第で、大凡、半旬程度でしょうか、延長することもありえます。この点はご了承ください」

「あれが来ると不便を強いられますし、できれば早く去ってほしいですね」

「ふふ、そうですね。では、次に勤務についてですけど、基本、平日の昼間、明け方の九時より暮れ時の二十七時までの十八時間、内休憩が四時間となります」

「ああ、夜は参加しなくていいんですね」

「はい、昼間に一人参加してもらえるだけでも、体制を調整すれば、一人ずつとはいえ、丸一日、ゆっくりと気を休ませることもできますので」

「その、何ていうか、ご苦労様です」


 思わず漏れた少年の言葉に、ベルトンは苦笑を浮かべて言う。


「いえ、気にしなくても構いませんよ。市軍はこれが仕事ですから。ですけど、裏方でエフタ市の安全を支えているという事を覚えておいてもらえるなら、嬉しいですね」

「覚えておきます」


 このクロウの言葉に、ベルトンは笑みの質を変えながら報酬について触れた。


「日当は一日千六百ゴルダ。これに加えて、蟲の襲撃が起きた際は、危険手当として更に四百ゴルダお支払いします。ただ、現地での現金給付は難しくて、翌旬の三日に砂海金庫への振り込みになるんですけど、よろしいですか?」

「ええ、それは大丈夫です」

「以上で、条件面については説明できたと思うのですが、他に何かご質問はありますか?」

「では、警備の具体的な活動がどういうものなのか、わかります?」

「はい、基本は防御陣地内で待機して、警戒観測班が何かを察知した時に動くことになります」

「なら、待機している防御陣地はどんな感じの物ですか?」


 少年はまさか吹き曝しはないだろうとの思いを胸に訊ねる。もっとも、この彼の懸念はベルトンの返事によって取り越し苦労に終わる。


「ええと、灯台としても使われている防御塔はご存知ですか?」


 クロウは直近の仕事でエフタ市と開拓地を往来した際に見た光景、闇夜の中、光の柱を空へと建てていた塔が二つある船舶用出入口の中間は市壁の上にあったことを思い出して頷く。これを受けて、ベルトンは語を継いだ。


「その防御塔の前面部に、掩体壕……、地面を掘り下げて、壁と屋根を設置した物を作り、これを防御陣地とします。最大十二機の魔導機が待機できるように作られますので、空間もそれなりに広いものになると思いますし、私が聞く限りですけど、中の環境は意外と快適だと聞いています」


 待機環境は決して悪くはないけれど、蟲の接近を察知するのが難しいから、緊張を強いられるだけに気が休めないって所か。遺構に潜った時の感覚に似ているかもしれない。


 そんなことをクロウが考えていると、ベルトンが表情を改めて話しかけてきた。


「どうでしょうか、エンフリードさん。この仕事、受けていただけませんか?」

「ええ、この仕事、受けさせてもらいます」


 ベルトンは己の意に沿った返事に安堵の吐息をそっとついて、緊張が抜けた笑みを浮かべる。


「ありがとうございます。これで機兵隊の不満を減らすことができます」

「あはは、新しい不満源にならないよう、気を付けます」


 クロウの半ば本音交じりの冗談に、ベルトンは苦笑と共によろしくお願いしますとの言葉を返した。



 クロウが市庁で突然湧いて出た仕事の契約を結んでいる頃。

 エフタ市中にあるルベルザード土建ではちょっとした諍いが起きていた。


「兄さん、クロウと付き合うなって、どういうことなの?」

「言葉通りの意味だ。リィナ、あの機兵と親しく付き合わない方が良い」


 一人は勝気な顔立ちをした黒髪の少女リィナ。もう一人は少女の兄で、色濃い茶髪を持つ上背の青年ジークだ。

 二人は社屋の奥まった位置にある、ルベルザード家が自宅として使用している部屋で睨み合う。もっとも、リィナの目には戸惑いの色が強く、その戸惑いが彼女に疑問の言葉を発せさせる。


「理由は何なの?」

「あの機兵はな、一昨日、お前と同年代らしい女を連れていた」

「はぁ。そんな理由なの? 別にそれくらい、普通の事じゃない」

「その後、別の女を連れていてもか?」


 その言葉に、リィナの胸はほんの少しだけざわめく。


 クロウは自分が知る同世代の男達、学園に通っている少年達に比べれば、明らかに持っている雰囲気や存在感からして異なるし、頼れそうな引き締まった表情が魅力的である事は認める。

 だけれども、あくまでも少し気になる程度であって、気軽に話せる男友達としてしか見ていない。そう、それ以上の存在としては見ていないはずなのだ。


 リィナはクロウが自分にとってどういう存在なのか、己の心に問いかけて確かめてから、兄に答えを返す。


「それのどこが問題なの? 別に女友達の一人や二人、いてもおかしくないじゃない」

「女友達とは限らんぞ。機兵ってのは女に手が早いと言われてるからな」


 ジークが吐き捨てるように話した認識は、そう間違いでもない。

 機兵が甲殻蟲という脅威に立ち向かい、危難の際には命懸けの戦いに臨む戦士である以上、いつ何時、死ぬかもわからないのだ。生物としての自然の反応というべきか、子孫を残そうとでも本能が囁くのか、積極的に女を口説きに行く者が多いのは事実である。


「確かに、そう言われてるけど、あのクロウがそうだとは思わないわ。実際に話をしていると、目線や仕草がどこかぎこちなくて、女に不慣れって感じがするもの」


 しかしながら、一般的に言われている事であって、全ての機兵がそうであると言い切れるものではない。人の性質によって異なってくるのも当然である。


 リィナがこの点を指摘するように、クロウを擁護すると、ジークは目に見えて不機嫌の色を見せる。少女は己の兄の、今まで見た事もない反応に戸惑いながらも更に続ける。


「ねぇ、兄さんは今言った事を断言できるほど、私以上に、クロウと話したりして接したりして知っているって言えるの?」

「……いや」

「クロウの事をよく知らないのに、穿った見方っていうか、あいつはこういう奴だって断定するのはおかしいわ。そんなの公平じゃないし、下手をすればただの誹謗中傷じゃない」


 リィナの追撃に、青年の表情は強張り、リィナの言葉から逃げるかのようにそっぽを向いた。

 どこか不貞腐れた幼子のような雰囲気を漂わせる兄の姿に、妹は多大な驚きと若干の呆れを抱く。今日の家の兄は、いったいどうしたのだろうか、と。

 少女は兄の様子がおかしい原因がなんなのかを考えるが、ふっと思い浮かんだ答えは一つ。けれども、常に落ち着いた様子で何事にでも取り組み、見事にこなしてきた兄がそのような感情を抱くとは思えず、言葉にすることができない。


 気まずい空気が両者の間に流れる。


 この重苦しい空気を壊したのは第三者。二人の肉親で母であるナタリアであった。

 居間として使われている部屋に入ってきた彼女はリィナにそっくりな顔に疑問の色を浮かべ、向かい合っている我が子達に声を掛ける。


「あら、どうしたの、二人とも」

「いえ、社長、なんでもありません。例の案件で市軍との協議がありますので。私はこれで」

「え、ええ、お願い」


 ジークは身内ではなく社員としての顔でナタリアに一礼すると、足早に場を去っていく。その後ろ姿を見送った後、場に残って困惑の表情を浮かべている娘に訊ねた。


「あの子、いったいどうしたの?」

「わかんない。ただ、急にクロウと親しく付き合うなって言いだして」

「エンフリード殿と?」

「うん」


 ナタリアもまた事情が呑み込めず、戸惑った顔で娘に続きを促す。これに対して、リィナはつい先程までのやり取りを簡潔に説明し、最後に己の見解を付け加えた。全てを黙して聞き終えたナタリアは複雑な表情で、娘の意見を声音に出す。


「あの子がエンフリード殿に嫉妬しているように見えるのね?」

「うん。兄さんが嫉妬しているって思ったんだけど、なんていうか、ちょっと信じられなくて」

「あら、そう? 私はあの子が嫉妬しているって言われても納得できるわよ? 私だって嫉妬する時があるもの」

「え、そうなの?」

「ええ、普段は考えないようにしてるけど、あなたの肌の艶を見ていると本当に羨ましくて仕方がないわ」

「う、そんなこと言ったら、私だって、母さんの胸の大きさに憧れるわ」


 リィナは自身の胸を見た後、目の前で豊かに膨らむ母の胸へと羨望の視線を向ける。娘の素直な自己表現に苦笑しつつ、ナタリアは口を開く。


「ふふ、ならわかるでしょ。嫉妬なんて、誰だって抱くものよ」

「そうなんだろうけど、あの兄さんがって考えると、違和感が凄くて」

「そうかしら? 自分に足りない物を羨ましがったり欲しがったりするのは人として自然だし、愛し欲するモノに手が届かないとなると、行き場のなくなった感情が、手に入らないならばもういらない、他の誰かの存在になるのを許したくない、もういっそのこと壊してしまえ、なんて風に、憎しみに変質してしまってもおかしくはないわよ」


 今一、理解し切れていない顔で、リィナは人生の先達の言葉に頷いていると、当の母はどこか楽しそうに続ける。


「もし、あなたが誰かに恋をしたり、愛したりしたら、私が今言った事がどういうものなのか、身をもってわかるかもしれないわ」

「ふーん、そうなんだ。なんていうか、怖くもあり楽しみでもあり、って所ね」

「あらまぁ、ここは流石は私の娘と言えばいいのかしらね」


 そうおどけて言った後、ナタリアは軽やかに笑った。



 ルベルザード家の母と娘が自宅で和気藹々と話をしている一方で、息子であるジークはどこか暗い表情で市軍本部へと続く道を歩み続けている。

 全身より張り詰めた空気を醸し出している為か、彼とすれ違う者達が自然と距離を取る。平常であれば、即座に気付いて改める所だが、今の彼には人目を気にする余裕はなかった。

 ただ彼の心にあるのは、あの日、母の本音を知った日に、心底より湧き起こって以来、ずっと溜まり続けている、黒くどろどろと粘り気を帯びた感情……嫉妬と、制御できない負の感情に振り回されている己への自己嫌悪だ。


 エフタ市においても有数の老舗の跡取りとして育てられた青年。その彼が猛烈に嫉妬している相手の名は、クロウ・エンフリード。

 彼よりも年下でありながらも、機兵として自立して生きている少年であり、母であり老舗を率いる女丈夫に、息子である自分よりも評価されていると思われる男だ。


 青年は赤髪の少年の姿を思い出し、険しい顔で独り強く歯を噛みしめる。


 彼を苛むのは、ある種、幼子が母を取られたと勘違いして泣き出すような幼い嫉妬心と、全てを委ねられる程に一人前になり切れていない己への不甲斐なさと、現状への解決策を見いだせないことで目指すべき方向性がわからず、行き場を失った熱情。

 己の母であり、敬愛する上司に評価されなかった己への悔しさと評価されていた少年への羨望であり、力が足りていないと評された己と大抵は熟せると評された少年の差異がどこにあるかわからないもどかしさであり、己がどうすれば良いかわからずに苦しみ悶えている時に楽しそう過ごしていた少年への怒りである。


 自身の中で渦巻く暗い熱を吐き出すように、青年は重い溜め息をつきながら歩み続けた。



   * * *



 エフタ市庁がゼル・ルディーラの到来が平年よりも早まる可能性が高いと周知した他は、特に何事もなく時が流れて、第一旬十日である。

 クロウは明日からの仕事に備え、整備に預けていた機体を受け取るべく、総合支援施設に顔を出していた。機体を引き取りに来ただけであるから、機兵服ではなく普段着だ。

 施設の最奥にある整備場は整備依頼が多い休日ということもあってか、三機のラストルが整備用懸架に保持されており、その周囲を十人程の魔導機整備士達が動き回っている。今も外装を取り外したラストルの周りで整備士達が各々作業していたが、その中の一人、眼鏡の少女が近づくクロウに気付いて声を上げた。


「あ、エンフリードさん」

「こんにちわ、ラファンさん」

「はい、こんにちわ!」


 クロウが軽く右手を上げて挨拶すると、薄赤色と色こそ異なるものの、彼にとっては見慣れた繋ぎ姿をしたエルティアが微笑みを浮かべ、元気な声で挨拶を返してきた。


 エルティア・ラファンは無事に、というべきかはわからないが、六日付で総合支援施設の魔導機整備士として採用され、エフタ市での暮らしを手に入れたのだ。

 その時の喜びと安堵はとても大きい物であったらしく、採用されるか否かの結果が気になって、クロウがミソラやシャノンと一緒に教習所を訊ねた所、言葉になっていない感謝の言葉と共に彼に抱き着いて、人目憚らずに大泣きした程である。

 ちなみに、その様子を間近で見たある少女が顔を引き攣らせて、非常に機嫌を悪くしていたのだが、クロウは驚きのあまり固まり、ミソラは冷やかすのに忙しく、気付いた者はいなかった。


 そんなこんなで整備士としての道を歩き始めたエルティアであるが、仕事に喜びを見い出していることもあってか、挨拶の後は無駄話をすることはなく、ラストルの整備作業を指揮していたダーレン・ブルーゾにクロウの来訪を告げた。すると、ブルーゾはエルティアや近くの整備士に一言二言で何事かの指示を出した後、クロウの下にやってくる。


「よう、エンフリード」

「どうも、いつも世話になってます、ブルーゾさん。それで、機体の整備はできてますか?」

「ああ、できてるぞ。こっちに置いてあるから着いてきな」


 長い揉み上げが目立つ整備士は、親指で駐機用懸架を指し示すと歩き出す。その後に続く形で歩いていくと、ブルーゾが肩越しに振り返り、にやりと厭らしい笑みを浮かべた。


「それにしても、本当にありがとうよ、エンフリード」

「え、何がですか?」

「ラファンがここに入るのを後押しをしてくれたことだよ」

「は、はぁ」


 話が突然すぎて意味合いが分からず、クロウは首を捻る。対するブルーゾは笑みをそのままに、答えを告げた。


「この潤いのない職場に、花を差し入れてくれたことを感謝してるってんだよ」

「ああ、そういうことですか。でも、実際、ラファンさんをここに入れようと頑張っていたのはボルト教官であって、あくまでも俺はその手伝いをしただけなんですけど」

「確かにボルトの野郎が動いた結果なんだが、お前の一押しが効いたのは事実なんだよ」

「そうなんですか?」


 実の所、ベルトンにお願いをしただけに過ぎないクロウには、どれだけ役に立てたのかという実感がない。ただ、エルティアが採用された事実があるだけだ。

 そんなクロウの思いを訂正するように、ブルーノは笑みを深めて首肯して見せる。


「ああ、所長が脇からの援護があったお陰ですんなりと通ったって言っていたからな、間違いない」

「はぁ、そうですか」

「なんだ、気のない返事だな」

「あー、その、なんていうか、自分の意見にそんな影響力があるとは思ってもなかったもんで」

「ああ、そういうことか。それなら、先達の努力の賜物だと思っとけばいいさ」

「そうします」


 クロウが頷いた所で、ブルーノは唐突に立ち止まり、後方の少年にしか聞こえない声で囁いた。


「ついでに言えばな、うちの連中、ラファンに良い所を見せたくて、作業能率が伸びてやがる。連中を管理するこっちとしても助かるんだよ」

「は、あはは」


 人の悪い笑みを浮かべるブルーノに、クロウは何と返してよいか思い浮かばず、ただ苦笑だけを返す。少年の困り顔を見て更に上機嫌になると、ま、今のは内緒にしといてくれ、とだけ告げて、青年整備士は再び歩き出した。


 そして、辿り着いたのは整備場の脇にある駐機場だ。

 そこではラファンがクロウの機体に不備や工具の置き忘れがないか、最終点検をしており、張りのある女声が周囲に響き渡る。


「いいもんだよなぁ、なりたての若い奴ってのはよぉ」

「ブルーノさん、なんかその言い方、年寄り臭いです」

「はん、お前さんにも、今の俺の気持ちがわかる時が来るさ」


 クロウは軽い調子で隣に立つ青年と言葉のやり取りをしていると、ラファンに良い所を見せたくて、整備士達が頑張っていると言っていたことを思い出し、背後の整備場へと振り返る。


 整備士達は全員エルティアの声に聞き惚れるかのように動きを止めて、懸命に己の役目を果たしているエルティアに目を向けていた。傍から見て少し怖い光景であったこともあり、少年は小声で訊ねる。


「え、ええと、ブルーノさん?」

「ちょっと位、お目溢しを与えるのも、連中を上手く操るコツなのさ」

「そ、そうですか」

「何、馬鹿なことをしでかすような不届きな奴はいないから安心しろ。それに、もし仮に、そんな事をしようとする馬鹿がいたとしても、内々で粛清されるからな」


 魔導機整備士の世界は思っていた以上に怖い世界みたいだ、なんて愚にも付かぬことをクロウが考えている間に、エルティアによる最終点検は終り、凛々しい表情でブルーノに報告する。


「管理番号〇四九八九-一。最終点検、終了しました!」

「……あいよ、点検終了を確認した」


 ブルーノは機体に鋭い目を向けた後、エルティアの報告に頷く。そして、隣に立つ少年に目をやって口を開く。


「今回の整備では、制御機構や各々の部品に大きな問題は見受けられなかった。ただ、全油圧系の油を交換したから、その分の上乗せがあって、五百だ」

「五百ですね、わかりました」


 クロウは腰鞄よりコドル革の財布を取り出すと、百ゴルダ貨幣を五枚摘まみ出し、ブルーノに手渡す。受け取ったブルーノは機体に張り付けられていた領収書を剥がして言った。


「よし、機体を引き渡すぞ」

「了解。ラファンさんもありがとう」

「いえ、私もまたこの機体を触る事が出来て嬉しいです」


 クロウはエルティアの言葉に笑顔を見せ、再度感謝の言葉を述べた後、手早く機体に搭乗する。それから、前面部を閉ざそうとした所で、エルティアが声を上げた。


「あ、あのっ、エンフリードさん、その……、機体が壊れてもいつも通りに直しますから、無事に帰ってきてくださいね!」

「あー、うん。努力します」


 教習所と違って、機体が壊れた場合は自分で修理費用を捻出しなければならない以上、そう簡単に壊す訳に行かないし、壊れてもらっても困る。

 だが、エルティアの意見自体は正論であるし、心底から自分の身を心配してくれている事もわかるので、今この場でその点を指摘するのは無粋だと考えて、クロウは口を閉ざす。


 頷きで応えた少年がふと視線を後方に流すと、少女の背後でブルーノがにやにやと笑っている。今のクロウの心情を見抜いて楽しんでいる顔であった。

 クロウは眉や頬が引き攣りそうになるのを何とか抑え、今度こそ跳ね上がった前面部を閉ざした。



「クロウっ!」


 クロウが機体に乗って総合支援施設から出てくると、耳に馴染んだ甘い声が聞こえてきた。

 彼は機体の向きを変えて、声が聞こえてきた方向を見ると、マディスが運転する魔導機回収車が近づいて来るところであった。見れば荷台に手を振るミソラを肩に乗せたシャノンが乗っている。


 クロウは手を上げて声に応じつつも、回収車に乗ってここに来た理由は何だろうかと、機内で首を捻る。その理由を知ろうと、彼は車両前部は運転席に座るマディスに訊ねた。


「マディスさん、なにかあったんですか?」

「ああ、いやぁ、おめぇさんに頼みたいことがあってな」

「俺に?」


 見当がつかないクロウは更に疑問顔になるが、この場で話をすると施設を利用する他の者の邪魔になるだろうと、クロウの家に移動することになった。


 そして、移動してきた機兵長屋はクロウの家の前。

 マディスは回収車を停車させると運転席より降りてきて、赤い縮れ毛を分厚い皮で覆われた手で撫でながら、口を開いた。


「あー、ティーナに聞いたんだがぁ、おめぇさん、今度、市軍と一緒に仕事をするんだろ?」

「ええ、明日からなんですけど、あの灯台の下で昼の間、蟲の襲撃を警戒する仕事です」


 前面開放部を押し上げたクロウは荷台から降りて近づいてきたシャノンに鍵を渡して、魔導機用出入口の錠を開けてもらい、扉を開けて中に入る。それから、慣れた様子で機体を懸架に固定して、駐機場に降り立ち、話の続きを促す。


「それがどうかしましたか?」

「ああ、以前開発していた斥力盾の正規量産品が完成したからなぁ、そいつを付けて仕事をして欲しいのさ」


 マディスが厳つい身体に似合う重い声で用件を告げると、補足するようにミソラが話し出す。


「簡潔に言えば、軍を相手に斥力盾の売り込みを仕掛けたいのよ。エフタ市軍の信用を得られれば、普及が早まるのは間違いだろうから」


 クロウが納得を示すように相槌を打つと、ミソラは更に続ける。


「でも、開発した私達がさ、この斥力盾の性能に自信があるから使ってみてよ、なんて言ったとしても、命を賭けることになる他人様が使ってくれるとは限らない。この辺の心情っていうか、どこに問題があるのか、今のクロウなら、なんとなくわかるでしょう?」

「ああ、装備品がちゃんと効力を発揮するかどうか、命を預けるに値する装備かどうか、本当に信用できるのか、ってことだよな?」

「そそ、誰だって、使ってる最中に突然装備が壊れるなんて困るでしょ。っていうか、壊れるだけならまだマシで、前の魔導銃みたいに使用者の命を危険に晒すなんてこともありえるわ」

「ああ、そうだな」


 あれは恐ろしい経験だったとばかりに、クロウは首を縦に大きく振る。


「だから、装備に、特に命が懸かるモノに、使い古されて熟し切った技術や信用のある製造法で作られた既存品を選ぶのは自然だと思うし、私の記憶っていうか、旧文明でもそうだった覚えがあるわ。でも、それが全てだと、いつまで経っても新しい技術は現場に普及しないし、装備品の性能向上も難しい」


 なんとなくミソラ達が云わんとすることがわかり、少年は先回りして口に出す。


「あー、つまり、斥力盾が実際の戦場で使えるかどうかを、他人様が見極める為の試金石になれ、って所か?」

「ありていにいやぁ、それで合っとる」

「ええ、実際に誰かが使ってみせることが、他人様を納得させる一番の手だから」


 マディスの応答に乗じて、ミソラも口を挟んだ後、難しい顔を浮かべるクロウの前まで飛んで行き、言葉を紡ぐ。


「以前の実験で危ない目に合わせておいてなんだけど、こういうことを頼めるのはクロウしかいないの。どうにかお願いできない?」


 ミソラの頼みを聞き、腕組みをして考え込むクロウであったが、悩んだ時間はそう長くは無く、表情を引き締めて口を開いた。


「ミソラ、後腐れなくいこう。この話を受けるけど、何か見返りっていうか、対価が欲しい」

「ありがと。そういう割り切りができる所、好きよ」

「はいはい、ありがとさん。で、どうなんだ?」


 クロウはミソラの言葉を軽く流して尋ねる。


「うん、今の所、報酬として私が考えているのは、今回使ってもらう斥力盾と前にクロウが欲しがってた単発式魔導銃、それから開発が予定されている魔導機用の新型近接戦闘装備を供与することよ」

「……いや、それって、今頼まれている事と変わらんような気がするんだが?」

「うふふ、ばれたか。まぁ、でも、対価というか、こちらから提示できる案なんだけど、新しい装備を使い始めてから一定期間……、そうねぇ、二節位かしら、その間、機体が壊れた時に、修理費用や新しい機体の購入費用を、うちが三分の二負担するっていうのはどう?」

「乗った」


 クロウは即断する。

 ミソラの出した案だと、クロウは機体が損壊した際に、修理費や機体購入費の半分以上を負担してくれるという保証で精神的にも余裕ができれば、現実に壊れた時にも金銭的負担が減る。また、ミソラ達も実戦の場で装備品の実証ができるし、機体が壊れなければ費用負担も発生しない為、双方にとって、旨味があったのだ。


「おぉ、即決ね。でも、本当にいいの? 別にお金でもいいのよ?」

「いや、商売道具への補償の方が良いに決まってるさ。この機体に替えはないし、仮に壊れると修理費用やら代替機の賃貸費やらで金に羽が生えて飛んでいくだぞ? もし仮に新しい機体を買おうものなら、借金するしかない。……まぁ、新しい機体が必要になる程、機体が壊れてたら俺も死んでるだろうけど、それでも、機体への補償があると、かなり安心できるっていうか、心に余裕ができる」


 クロウは断言して笑う。ミソラは少年の笑顔に同調して笑うと、この案の提案者であるマディスを横目で見る。機兵でもある厳つい男は想定の通りだと云わんばかりに一つ大きく頷くと、回収車を屋内に入れるべく動き始めた。



 クロウ達がいる機兵長屋より、西方へ六百リュート程行った場所。

 港湾泊地と市外とを結ぶ市壁の狭間、船舶用出入口付近は灯台を兼ねる防御塔の膝下にて、ゼル・ルディーラに備えて構築された防御陣地が完成の時を迎えようとしていた。

 この防御陣地は南北二十リュート、東西十リュート程の大きさを持つ半地下の陣地で、日除けと砂避け、昼の暑さと夜の寒さ対策を兼ねた二重天井を備えることになるのだが、その天井を固定する最後の杭が、建築を担当したエフタ市軍工兵隊や協力企業として作業に参加したルベルザード土建の作業員達が見守る中、打ち込まれる。


 最後の打ち込み作業が終わると、見守っていた者達から拍手が沸き起こる、なんてことは、市外という場所柄故になかったが、近くにいた者達と工事の完了を祝い、嬉しげに握手を交わし合っている。

 そして、その集団の中には、一連の工事でルベルザード土建の責任者として立ち会っていたジークの姿もあった。もっとも、表情や仕草でどこか人を寄せ付けない空気を醸し出している為か、彼の周囲に人影は少ない。


 険しい表情を浮かべたままの青年に対して、後ろに控えていた安全管理担当のゴンザが慇懃な声で話しかけてきた。


「若、お役目、ご苦労様でした」

「ああ、ありがとう、ゴンザ」


 一仕事終えたにもかかわらず、青年の声に安堵や虚脱は感じられない。その事を疑問に感じながら、今後の予定を口にする。


「この後、工兵隊の幹部との慰労会が行われますので、着替えの方を……」


 と、ゴンザが口に出した所で、発言を遮るようにジークが声を上げた。


「なぁ、ゴンザ」

「はい、なんでしょう」

「古参の目から見て、僕に足りない物は、なんだろうか?」

「若に足りない物ですか?」

「ああ、ルベルザードを継ぐ為に、僕に足りない物はなんだろう? 忌憚のない意見が聞きたい」


 ナタリアより聞かされた、ジークが何事かに悩んでいるという言葉を、ゴンザは思い出す。その事を踏まえて、金髪を刈り込んだ大男は年下の上司の言葉に応じて、答えを返す。


「忌憚のない意見が聞きたいと言われるのであれば、はっきりと申し上げましょう。まずもって、若は全ての面で経験が足りておりません」

「全て、か」

「はい。ですが、これは時が解決する物ですし、焦る必要はありません。ですが、それ以上に以前より懸念し、お尋ねしたいことがありました」

「なんだ?」

「若は、ルベルザードを、今後、どのような存在にしたいとお考えですか?」


 青年はどこか虚を衝かれたように動きを止める。そこに畳み掛けるように、ゴンザは言葉を重ねる。


「確かに、若は姐さんの言う事を良く聞いて、上手く動く事はできています。ですが、それだけです。私には若の仕事に、それ以上の物は見えませんし、将来、ルベルザードをどうしよう思っているのか、見えてきません」


 靄がかかって見えなかったモノが見えてきた気がして、ジークの心臓が大きく跳ね上がる。


「若、一つの組織を率いる者は、自らの信念や信条、或いは美学といっても構いません、そういった物を、物事を見極め見定める為の、なんらかの柱を持たねばならんのです。若はそれをお持ちですか? たとえ、姐さんの意に沿わぬとしても、貫き通すだけの我をお持ちですか?」


 ジークは答えられない。それが答えであった。顔面蒼白になった青年の姿を認めつつも、ゴンザは容赦なく指摘を続ける。


「若が姐さんを大切に思う気持ち、その負担を軽減しようと努めてこられた事は間違いのない、確かなものだと私も確信しております。ですが、それだけでは姐さんを助けるには足らんのです。ルベルザードという一つの家を支えるには足りんのですよ」

「そう、か」


 それだけを何とか口にすると、ジークは砂海に向けてふらふらと歩き出す。その足取りに危惧を抱いたゴンザが青年に呼び掛ける。


「若」

「ゴンザ、すまないが、少しだけ時間をくれ。今言われた事を踏まえて、頭と心に整理を付けたい」


 ゴンザは周辺の砂海に目を配り、特に異常がないのを確認して答える。


「わかりました。では、私が代理として工兵隊の方に挨拶しておきますので、落ち着かれましたらお戻りください」

「ああ。 ……それと、忠言、助かった」



 ゴンザと別れたジークは砂海を歩く。

 旭陽節とはいえ、光陽の日差しが強いのは変わらず、足元からの輻射熱もきつい。それでも彼は歩き続け、ぼんやりと覇気のない目で荒涼とした砂海の風景を眺める。

 常ならば、どこかにグランサーの姿が見えるのだが、市庁よりゼル・ルディーラの接近が知らされて以降は、彼らの姿も見えない。けれども、この人気が全くない荒れ果てた光景が、今のジークには己の心を表しているように感じられた。


 青年は大きく肩を使って息を吐き出すと、胸元にぶら下がった防塵用のゴーグルやマスクが揺れる。その重みを鬱陶しく感じながらも、彼は砂地に足跡を残しつつ、ただ黙然と歩き考える。


 自分に決定的に足りていなかったモノ。

 それは、将来、ルベルザード土建を背負い、率いる者になるという自覚。現に内々を探っても、どのような展望でもって経営していくのかを定める指針も、この指針を決める為の確固たる柱も見出すことができない。

 しかも、こういった己の問題に気付く事も出来ず、見当違いな嫉妬で空回りしていたのだから、なるほど、これでは力が足りていないと言われても仕方がない。


 ジークは己の心や行いを顧みて自嘲の笑みを漏らし、周囲に目を向ける。


 北方の地平線に赤黒い壁が急速に広がり、こちらに向かって迫って来ているのが見えた。


 その砂嵐の神(ゼル・ルディーラ)と渾名される砂と風の壁は、世界を全て呑み干さんとせんばかりに壮大であった。


 青年は呆けたように、赤黒い身体の自然神を見つめる。


 否、見つめているのではない。


 彼が確たる我も見いだせない程に矮小な存在であるのに対して、あまりにも強大で、全ての物を無慈悲に呑み込んでいく、その圧倒的な存在感に畏敬の念を抱き、魅入られていた。


 後ろから何事か聞こえてきた気がするが、それらは全て認識の外に置かれ、まるで己にない物を求めるかのように、はたまた、無慈悲な神の裁定を求めるかのように、彼は壁に向かって歩き出していた。



  * * *



 ゼル・ルディーラの到来を知らせる甲高い鐘の音がエフタ市内に鳴り響く。

 その鐘の音は斥力盾の取り付け作業が進むクロウの家にも届き、シャノンの左肩に乗り、一連の作業を見ていたミソラが耳聡く気付いて口を開いた。


「んん? 鐘が鳴ってる?」

「ああ、非常警報だな。多分、ゼル・ルディーラが来たんだろう」


 固定作業の手伝いをしていたクロウはそう応じると、マディスに断りを入れてから離れ、空けたままだった表の扉を閉めた。そして、再び作業を手伝うべく機体の下に向かいながら、回収車の荷台に腰掛け、作業を見学してたシャノンに訊ねた。


「シャノンさん、マスクとか持って来てる?」

「ええと、買った時に教えてくれた通り、いつも持つようにしてます」

「なら大丈夫だね」


 安心安心と頷きながら繰り返して、少年は作業に戻る。


 それからしばらくして、扉に風で飛ばされてきた砂粒が当たる音が聞こえ始めた。固定用工具(レンチ)を使って、大きな固定具(ナット)を締めていたマディスが天井を見上げて呟く。


「おぅ、本格的になってきたな」

「ですね。はぁ、この時期になると、屋根に積もった砂を落とす作業を思い出しますよ」

「ああ、あれか」

「ええ、ゼル・ルディーラが来るとグランサーは休業ですから、砂落としは臨時の収入源として重宝したんですよ」

「はっ、おめぇさんも、結構色々としてるんだな」

「まぁ、食う為にです。あれ、幾ら命綱があっても突風に吹き飛ばされそうになって物凄く怖いんで、できればもう、やりたくないですよ」

「だろうなぁ」


 マディスは口元を歪めて笑うと、最後の一締めと言わんばかりに、工具で固定具を締め上げる。


「よし、これで仕舞いだぁ」

「お疲れ様です」

「おぅさ。こいつの使い方は前に説明した方式と変わらんからぁ、まぁ、上手い使い方を考えてくんな」

「わかりました」


 と、その時、表の扉を激しく叩く音が響き渡り、少しくぐもった声が聞こえてきた。


「エンフリード殿っ! おられますかっ!」


 その男の声は非常に切迫した色を帯びており、聞く者にただ事ではないと知らしめていた。


 とはいえ、何事であるかわからない事には対処のしようもない為、クロウは出入口の扉を開く。砂風と共に入り込んできたのは、大男。ルベルザード土建のゴンザであった。


「ええと、ゴンザさん、ですよね?」

「はい、ルベルザード土建のゴンザです! エンフリード殿、危急にて、お願いしたいことがっ!」


 危急という言葉に、ミソラとシャノンが顔を見合わせ、クロウとマディスの表情が厳しくなる。マディスはクロウに目配せして、主導権を譲り受けると重々しい声で問い掛けた。


「おぅ、蟲でも出たんかぃ?」

「……いえ、今し方、うちの者が一人、砂海にて、遭難しました」


 耳にした情報にクロウの顔が引き攣り、マディスは強面を更に厳しいものにして怒鳴る。


「おいっ! 今、この時に砂海に出るたぁ、どこの馬鹿もんだぁっ! だいたい、んなもんっ、人手がおらんと見つけるのは無理に決まっとるだろうがっ! まずは市軍を頼らんかいっ!」

「市軍には既に掛け合いましたっ! ですが、現状、市軍は体制移行中の為に動けぬのです! 今、他に頼れる者はエンフリード殿しかおらんのです! 何卒! 何卒、お願いいたします!」


 土下座せんばかりに頭を下げてくるゴンザ。見れば、顔や身に纏う外套や装備品に、砂塵が付着していない場所は無かった。それを見たクロウは様々な思いが入り混じった複雑な表情で、マディスに問いかける。


「マディスさん」

「なんじゃい」

「捜索の方法は知ってる?」

「ああ、一応はな。……行くのか?」

「人を守るのが、機兵の果たすべき役目だし、こうして頼まれた以上、無下にはできない」


 クロウはどこか自分を納得させるように言うと、マディスは荒々しく鼻息を吹き出し、忌々しそうに応じた。


「ふんっ、馬鹿もんの為に命を賭けるっちゅーのは気に喰わんがっ、ああ、確かに、これもまた機兵の義務って奴だわぁな! エンフリード、おらぁ、今、家にいる運の悪い連中にも声を掛けてくるから、それまで待て。後、ルベルザードの!」

「はっ」

「命綱代わりに使う鎖を準備しろ! 延長できるように接合器と一緒にっ、ありったけだっ!」

「すぐにっ!」


 ゴンザが再度頭を下げて飛び出ていくと、マディスもまた外に出るべく歩き始めるが、扉の前で止まって振り返り、微かに笑ってクロウに告げた。


「ああ、頭に来てて言い忘れていたがぁ、兵装は捜索にも使える大鉄棍だ。それとぉ、おめぇさんは一番経験が浅いからな。機内に水を多めに積んで準備をしとけ。準備が整い次第、動くからな」

「わかりました」


 クロウが返事をして頷くのを見ると、マディスもまた出て行った。それを見送ると、クロウは自分の準備を始めるべく動き出そうとして、何やら話し合うミソラとシャノンの姿が目に入った。


「ええと、二人はどうする?」

「うん、今、シャノンちゃんと話してたんだけど、二人とも残るっていうか、なんか危険そうだし、私はクロウに着いていくわ。私なら乗れるでしょ?」

「あー、うん、ミソラなら乗れるし、来てもらえると俺も心強いんだけど、いいのか?」

「ええ、今日の仕事はこれで終わる予定だったから、付き合ってあげるわ」


 ミソラの言葉にクロウは助かると応じてから、シャノンに視線を移す。シャノンも軽く微笑んで口を開いた。


「僕もこの場に残って、何か手伝えそうなことをします」

「なら、ここの鍵も預けておいていい? 中の物は好きに使ってもらっていいし、待機所代わりに使ってもらっても良いから」

「はい、わかりました。預かっておきますね」


 クロウは腰鞄から鍵を取り出してシャノンに渡すと、魔導機に乗る準備をする為に奥の部屋へと入って行った。

13/01/19 一部表現修正。

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